碧天飛天の小説サイト

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オリオンの驕り(掌の太陽より)

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 母親に怒号を背にして、勝己は家を飛び出した。
 心の中で悪態をつく。
 うぜえ、ほんっとにうぜえ。飯食う時の姿勢が悪いから始まって、口が悪い態度が悪いとハハオヤはくだらないことでガミガミ叱りやがるし、オヤジはいつもオロオロしてるだけで最終的にはハハオヤの味方だしよ。居心地わりいったらありゃしねえぜ。
 反射板のポツポツと光るアスファルトを駆けた。走りながらほうっと息を吐く。肌に纏わりつく冷えた空気がむき出しの腕にちくちくと痛い。近所をぐるっと回って気づいたら出久の住む団地の前にいた。
 自然に足が向いていたのか。袖で涙をゴシゴシと拭いて出久の部屋の窓を見上げる。カーテンの隙間から蛍光灯の光がちらちらと漏れている。あいつは自分の部屋にいるようだ。時間的にもう飯は食っただろうから、部屋で動画でも見てんだろう。十中八九オールマイトの動画だろうな。
 勝己は小石を拾って窓に向かって投げた。小石は孤を描いて窓硝子に当たりカツンと音を立てる。少し待ったが出久は顔を出さない。
 もうひとつ小石を投げて「おい、デク!」と声を上げる。
 やっと出久がカーテンの向こうから顔を覗かせた。驚いた表情を浮かべて「かっちゃん?」と口を動かしながら、窓を開ける。大きな目を益々大きくしている。いくつになってもまだちっこい俺の幼馴染。
「どうしたの?かっちゃん」
「出てこいよ、デク」
「今?ダメだよ。もう夜なんだよ」
「ちょっとくらい構わねえだろ」
「だって」
「出てこいよ!」
 何を躊躇してんだ。出久のくせにごちゃごちゃ言うなよ。俺が来いって言ったらてめえは来るもんだろうが。てめえだけは。
「出てこい!」
 また涙が出そうになり下を向いて怒鳴る。
「かっちゃん、でも」
 出久は口籠る。パタン、とサッシの閉まる音が聞こえた。
 なんだと?出久の奴、窓を閉めやがったのか?あいつ、出てこない気かよ、クソが、クソが!握りこんだ拳が発汗して熱を帯びる。窓を爆破してやろうか。そうしたら出てこざるを得ないだろうからな。やったら大騒ぎになるだろうな。最大火力でどこまで出るか試したっていい。物騒な考えが頭をよぎる。
 本当に壊してやろうか。
 ニトロを含んだ汗が発火してチリっと爆ぜる。掌からパチパチと火花を散らす。
 ふと、トントンと階段を降りる子供の軽い足音が聞こえた。暫くして鍵を外す音がして玄関から出久が顔を出す。勝己はゴシゴシと顔を手の甲で顔を拭いた。出久は靴の踵を踏んだまま、つっかけながら転がるように駆けて来る。
「てめえ!」
 勝己は動揺を隠そうと人差し指で出久のおでこを思いっきり弾く。
「いったた、痛いよ、かっちゃん、酷いよ」
 出久は涙ぐんで額をさする。
「黙って窓閉めんじゃねえよ!クソが」
 出てこねえかと思ったじゃねえか、という言葉は飲み込んだ。
「あの、半袖じゃ風邪引いちゃうよ、かっちゃん。寒いから。上着いる?僕のだけど」
 出久は手に持ったダウンの上着を勝己に差し出す。見覚えのあるモスグリーン。
「寄越せ!」
 勝己は差し出された上着を引ったくるように受け取って袖を通す。少し袖丈が短い。ほんのり乳くさいような、出久の匂いがする。ぱんぱんとはたいて手の汗を上着に擦り付ける。俺の匂いをつけてやるわ。
「明日返してね。じゃあね」
 出久は裾を引っ張りながら微笑んで小さく手を振る。
 は?これだけで戻るつもりか?
「待てや」
 勝己は引き返そうとする出久の腕を引っ掴んだ。
「ちょ、ちょっと、かっちゃん」
「てめえも上着着てんな。じゃあいいだろ。ちょっと来い」
 勝己は出久の腕を引っ張り門から引き離す。
「え?何?」
 手を繋ぎ直して、慌てる出久を引きずるようにして歩き出す。
「どこへ行くんだよ、かっちゃん」
「うるせえ」
 出久が窓を閉めたときに不安になった自分も、出久が出てきたことで今安堵している自分にも腹が立つ。この手を離してなんかやるものか。
「子供は夜外に出ちゃいけないんだよ」
「うっぜえこと言うんじゃねえよ。てめーは親かよ、ああ?」
「かっちゃん、あの、もうっ」
 引っ張る腕に抵抗がなくなった。出久は諦めて大人しくついてくることにしたようだ。 出久の家も勝己の家も遠ざかってゆく。家々に灯る家族団欒の暖かい窓の光。こいつを連れてここから離れたい。遠くへ、もっと遠くへ行きたい。
 
 出久の手を引いて歩いて、いつも遊んでる公園に到着した。辺りを見回したが、しんと静まり返った園内には誰もいない。青味を帯びた街灯が照らす光景は昼間とは違って見える。滑り台もブランコも凍りついているように蒼い。まるで氷の国の建造物のようだ。
「氷の国みたいだね」
 白い息を吐いて出久が周りを見回す。
「は?何言ってんだ。いつもの公園だろーが」
 同じことを思っていたなんて、こそばゆい。勝己は繋いだ手を離して滑り台に駆け寄り、梯子を登り始めた。ちらっと振り向くと「かっちゃん」と名を呼んで、出久も自分に続いて登ってくる。
 勝己の口元は自然と緩む。手離してやったのに帰ったりしねえんだよな。出久はいつもそうだ。困った顔をしながらも、俺の後ろをついてこない時はないんだ。滑り台の頂上に二人で立った。
「わあ、星が綺麗だね」
 出久の言葉に初めて夜空を見上げた。黒い夜空に煌めく砂粒が隅々まで散らばり瞬いている。新月を過ぎたばかりの月は弓のように細く、優美に弧を描いている。満月の夜のように空が眩い光に隠されることがないから星がよく見えるのだ。月光は昏く優しい。
「あれがオリオン座だよね」
 出久が一際明るい一団の星々を指差す。
「知っとるわ」
 4つの明るい星の真ん中に3つの星が並び、太鼓の形の様に見える配置。人の形には全く見えない星座。星座ってのは大体そうだ。どう見ればそう見えるんだ。
「オリオンって神話では猟師なんだよね」
「それも知ってるっての。オリオンは自分に倒せない獲物はいないと思い上がり、神の差し向けた蠍に刺し殺されたっていう猟師の名だ。俺が教えてやったんだろ」
「かっちゃん色々知ってるもんね」
 蠍座は夏の星座だから冬の星座であるオリオン座と同時期に空に上ることはない。まるでオリオンが蠍から逃げているように。それともオリオンが蠍を追いかけているのだろうか。自分を傷つけた小さな生き物を。
 そっちかもしれない。悔しいだろうよ。本来ならばそんな小さな生き物にやられやしなかっただろうにと。永遠に天空を巡りお互いを追い続ける。
「寒いよ。そろそろ帰ろうよ」
 出久は身体を抱くようにして縮こまる。
「しょうがねえな。じゃあトンネルの中に入るか」
「え?まだ帰らないの?」
「うっせえ!帰らねえっての」
 滑り台を降りて出久を手招きし、トンネルと呼んでいる土管に向かう。地面に半分埋められたアーチ型に少し背を屈めて入る。出久もついてきてアーチをくぐり、隣り合って座り身を寄せあう。昼間なら中に入るより、このアーチの上で登ったり滑ったりして遊んでいるところだ。
「お母さん、きっと心配してるよ」
「ババアが心配なんかしてねえよ」
「お母さんをババアなんて言っちゃダメだよ」
「うっせえ!ババアはババアだ!それよりよ、てめえはどうせ部屋でオールマイトの動画見てたんだろ。どんなの見てたんだ。言ってみろよ」
「え、うん、そうだけど」一瞬戸惑ったもののにこっと笑うと「今日のオールマイトはね」と出久は見たばかりらしい動画の話を喋り始めた。
 こいつはオールマイトの話を振るとすぐにのってきやがる。毎日見てるだろうによく話すネタがつきないものだ。全くお手軽な奴だよてめえは。でも、ただすごいと賛美するだけじゃなく、細かく分析してやがるのが他の奴と違うところだ。観察眼には時々舌を巻く。
 身振り手振りを交えながらお喋りして、一息つくと出久は掌にほうっと息を吹きかける。勝己は出久の指に触れてそっとつまんでみる。氷のように冷たいかじかんだ指。
「なに、かっちゃん?」
「両方の手、貸してみろや」
 勝己は出久の両手を包みこみ、着火しないように温度に注意して掌の温度をほんのり上げて温めてやる。今は手に汗はかいてないからできることだ。
「あったかいか」
「うん。あったかいよ。かっちゃんの個性、凄いね」そう言ってふっと目を伏せた出久の表情が翳りを帯びる。「いいなあ」
 出久は時折俺をすごいと言いながら辛そうな顔をする。手放しで俺をすげえって言ってた頃と違って。ひとりだけ個性が発現しなかった、珍しい無個性の出久。
 出久に個性が発現しないと知った時、哀れだと思うと同時にどこかほっとした。現れた個性によってはそれまでの関係が変わってしまうからだ。個性次第で関係は変わる。いい個性が周囲の評価を変える。出久の母親は念動力の個性を持ってるし、父親は火を吹くらしい。出方によっちゃあすげえ個性になる可能性はあった。だがそうはならなかった。
 そんな個性はデクにはいらねえ。個性が発現してきてから、周りには関係が逆転した奴らもいるんだ。他の奴なら別に構わねえ。だが出久だけはそうなるのは許せねえ。個性がないならずっと俺達はこのままだ。もっとも、発現したとしても、出久が俺以上の個性持つなんてねえけどな。
 けれども、出久の瞳が陰るたびに不安になる。無個性でいいじゃねえか。てめえにもしあってもどうせ大した個性になりゃしねえよ。諦めりゃいいんだ。諦めろよ。
 出久の手を裏返して掌を合わせて指を絡める。指先まで温めてやる。出久が指をムズムズとうごめかす。
「かっちゃん、温かすぎてちょっと痒くなってきたよ」
「ああ、もういいな」
 絡めた指が解かれて離れてゆく。
「かっちゃんありがと」
 出久は手を離してさすさすと擦り合わせながらふわっと微笑む。表情にさっきまでの翳りはない。こいつの頬も寒さで真っ赤になってるんだろうか。いつも寒いと林檎みたいに頬を染めていた。アーチの入り口から差し込む青白い街灯の光ではよく見えない。手を頬に伸ばして触れてみる。
「冷てえ」
「だって、寒いんだもん」
「こっち向けよ」
 両方の頬を両手で挟んでこちらを向かせる。もちふわっとして柔けえ。大福みたいな頬。噛んでみたくなるような。掌で包み込んで少しずつ温度を上げてゆく。
「なんか、かっちゃん」
「なんだよ」
ホカロンみたい」
「てめえ、他に言い方ねえのかよ」
 パチっと指先が爆ぜる。
「たっ、わ、かっちゃん」
「てめえが余計なこと言うからだ」
 驚いて出久は身体を引こうとするが逃さないと勝己は頬をむにゅっと挟む。
「動くなよ、バカ」
 顔を突き合わせるようにして保温してやる。生意気言うからだ。脅かしちまったか。ちょっと爆ぜただけだろ。
 顔を近づけると出久の瞳がよく見える。緑がかった瞳の中に俺が映っている。こいつの瞳の中にも俺が映っているだろうか。暫くそのままの姿勢で額を突き合わせる。そっと身を寄せる。氷の国でこのアーチの中だけが暖かい場所であるかのように。
 十分温かくなっただろう、とそっと頬から手を離す。
「わあ、ホカホカだ」
 出久が頬を擦って笑う。背筋がむず痒くなる。出久なんかに、なにやってんだ俺は。無理やり連れだしてきちまったからか。デクに悪いなんて思ってねえ。こいつが帰りたいなんてうるせえからだ。それだけだ。ここには俺たち以外誰もいねえからだ。誰も見てねえから。
「てめえの手、貸せ」
 勝己は出久の両手を掴み、掌を自分の両頬に当てる。紅葉みてえな小さい細っこい指と薄い柔らかい掌。自分の掌は個性が発現してから手の平の皮が段々固く分厚くなって手自体に厚みが増している。もうこいつとは全然違う手だ。
「かっちゃん?」
「ああ、確かにホカロンだな」
「かっちゃんは自分で温められるのに」
「ああ?てめえ、文句言うんじゃねえよ。俺が温めてやったんだろうがよ」
 そう言って目を瞑る。触れられた頬の温もりで強張った心が溶けてゆく。凍えた胸に温かいものが流れ込んでくる。
 出久だけはこのままでいい。この先もこいつが離れることなんてない。どんな扱いをしても俺についてくる奴なんだから。
 でももし、俺を拒絶するなんてことがあったら。さっき俺の前で窓を閉めたように。俺がいくら呼んでも出てこなかったら。もしも。いや、そんなことあり得ねえ。出久が離れていくわけがねえ。そんなこと許さねえ。絶対に。
 勝己は頬に当てられた出久の手の甲を掌で包むように覆う。

 

END

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インフォメーション2016年12月

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2016/12/1 ヒロアカ小説「優しい時間」と「幼年期の終わり」をUPしました。「幼年期の終わり」は「優しい時間」からの抜粋です。

幼年期の終わり(優しい時間より)

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有頂天だった。誰よりもいい個性が発現したのだ。
 力をひけらかしたくてしょうがなかった。それに水を差すのはいつも出久だ。また遊んでやってた奴を庇って俺を非難しやがる。
「やめなよ。かっちゃん」
「どけよデク。そいつがヴィラン役だろうが」
「遊んでるだけだろ」「なあ、かっちゃん」子分達が口々に調子を合わせる。
「かっちゃんが勝手に決めたんだろ。そんなのヒーローじゃない」
「一番強えのがヒーローだろ」
「僕が許さない」
 生意気なことを言いやがる。頭にきて出久に殴りかかった。だが腕を伸ばした瞬間、身体が前によろけた。前に出した腕を出久が掴んで引っ張ったのだ。勝己はバランスを崩して膝をついた。
 今、何が起こった?こいつが反撃したのか。個性もねえ何も出来ねえこいつが。
「逃げて」出久が庇った奴に声をかける。
 子分達が逃げる奴を追いかけていった。だが逃げる奴なんか目に入らない。頭に血が上り、出久を引き倒して馬乗りになった。
「デクのくせに」
 と言いながら平手で叩く。拳で殴らないくらいには頭は冷静だった。おどおどした目を見て溜飲が下がる。
「おいデク、謝れば許してやる」
「何を?」
「俺に逆らったことをだ」
 ビクつき目を逸らしながらもあいつは反論した。
「間違ってるのはかっちゃんだよ」
「なんだと」
 地面に手を叩きつけて小さく爆破すると、ビクリと出久が震えた。だが怯えてるくせになおも言い募る。
「あんなのヒーローじゃないよ」
「てめえ」
「かっちゃんはすごい個性を持ってるのに。どうしてあんな使い方しかしないんだよ」
 腹が立った。思い知らせてやる。
「ちょっと来い」
 立たせて手を引っぱった。あいつは「どこに行くの」と不安気に聞く。「いいもの見せてやるよ」と答えてにやりと笑う。
 森を歩かせて大きな木の下に出久を連れてきた。最近仲間に入ってこない出久。自分が乱暴するからか、あいつが生意気だからなのか。もうきっかけは忘れた。
 最近知った個性の使い方だ。掌を下に向けて爆破すればかなり高いところまで跳べる。出久の腰を抱えて狙った枝にジャンプした。「うわあ」とあいつが叫ぶ。
 あいつを抱えたまま木の枝に座り、原っぱの全景を見渡した。まるで森の王になったかのようだ。 怖がってしがみつく身体をしっかり抱きしめる。
「見てみろよデク。な、俺の個性でここまでジャンプできるんだぜ」
 得意になって言う。こんなことできるの俺だけだ。
「早く降りようよ、かっちゃん」
 折角連れてきてやったってのにとイラッとした。てめえだから見せてやってんのに。
 ふとタンクトップ越しの出久の体躯を意識する。個性の影響で体温の高い自分より低い体温のはずなのに、なぜか自分よりほんのり熱く感じる。ふわふわのくせっ毛の日向の匂い。つい最近まで無造作に当たり前のように触れていたのに。叩いたり蹴ったりすることはあっても、今はこんなふうに触れられない。出久が触れてくることももう殆どない。いつも俺のすぐ後をついてきたくせに。いつの間にか楯突くようになった。怯えながらも反抗する出久。お前がそんなだから俺は。
 俺を認めねえのか。認めろよ。どうすれば認めるんだ。てめえの言うヒーローってなんだよ。強ければいいんじゃないのかよ。離れても離れきらずに、遠くから観察しやがって。ふざけんな。それがてめえの望む距離なのかよ。俺を参考にして、てめえがヒーローになるつもりなのかよ。なれねえよ。てめえは俺より下だ。ずっと下のままだ。だからてめえは俺だけ見てりゃいいんだ。
「怖いよ、かっちゃん」
 そう言い、出久は勝己を見上げ、さらにぎゅっと抱きついてくる。緑がかった大きな瞳。密着するあいつの身体。触れたところがぶわっと熱を帯びる。頭が真っ白になり、勝己は動転して手を離してしまった。
 しまった。
 腕を掴もうとしたが間に合わない。やべえ、落ちる前になんとかしないと。
 勝己は地面に掌を向けた。温度は低めにして地面を爆破して爆風を起こす。出久の身体がゆっくり軟着陸したのが見えた。
 ジャンプして下に降りる。出久は寝転んだまま目を丸くしている。
「おい」と勝己は声をかけた。
 出久はそろっと顔を向けた。焦点が合ってない。だが勝己を認めるとみるみる目に涙を貯める。背筋にふわりと走る感覚。これは何だ。上半身を起こした出久の目から大粒の涙が吹き出し、ぽろぽろと零れ落ちる。
「酷いよ、かっちゃん」
「落ちるてめえが悪いんだ」
 そう言いながら触って身体を確認する。熱で赤くなってるところはあるが、大した怪我はないようだ。
「ほんとにデクだな。てめえひとりじゃ何もできねえ」そう言いながら勝己はほっとする。
「酷いよ。舌ちょっと噛んじゃったよ」
「ああ!? 知るかよ」
 見ると出久の舌先に血が滲んでいる。紅い紅い色。吸い寄せられる。勝己は顔を寄せてそれを舐めた。
「か、かっちゃん?」
 引っ込んだ舌を追いかけて口を合わせる。ふにゅりと柔らかい唇。はむっと啄む。そろっと隙間に舌を忍ばせる。
「ん、ん」
 逃げる舌を捉えてぴちゃぴちゃと音を立てて絡ませる。柔らかくて甘い。とろけてしまいそうだ。出久はぎゅっと目を瞑り頬を紅潮させている。勝己のなすがままだ。気分がいい。キスを味わいようやく出久の唇を開放した。
 気持よかった。喉が渇く。もっと欲しい。こいつを。
 もっとよこせよ。
 無意識に幼馴染の頬に手を伸ばす。指先が滑らかな肌に届く。
「かっちゃん」
 か細い声で呼ばれて我に返った。今、何をしていたんだ俺は。何をしようとしていたんだ。
「クソが」
 胸のうちに燻る行き場のない熱。内側からじりじりと灼かれてゆくようだ。熱の向かう先は今目の前にいるのに。
 こいつのことだけは何一つ思い通りにならねえ。なんで、なんでだ。
 立ち上がり、ぼうっとしている出久に言った。
「おいデク、誰にも言うなよ。二人だけの秘密だからな」

END

優しい時間(R18)

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 落ちる。
 青葉の茂る木の枝が足元から離れていく。
 眼前に青い空が見えた。
 木漏れ日を背にして勝己の姿が逆光になっている。焦燥した表情を顔に浮かべているようだ。出久の腕を捕まえようとこちらに手を伸ばしている。だが子供の手では届かない。 こんな高い木から落ちたらどうなっちゃうんだろう。僕死んじゃうかも。
 出久が目を瞑ると背後から爆音が響いた。温かい爆風に抱かれるように押し上げられ、地面にふわりと背中から着地する。
 助かった。今のはかっちゃんがやったのか。
 でも元はといえば落ちたのは、かっちゃんが手を放したからじゃないか。
 木から降りてきた勝己が出久を見下ろす。一瞬心配そうな表情に見えたのは気のせいだろうか。心底ムカついたように彼は言った。
「落ちてんじゃねえよ、バカデク」

「こっちが小さい頃よく遊んだ森なんだ」
 出久は麗日と飯田に地元の雑木林の案内をしていた。初めての友達が自分の町に来てくれたのだ。心がウキウキと弾んでいた。木の葉を踏みしめ、3人は木漏れ日の射す坂道を歩いてゆく。
 今日は早帰り。「せっかく時間があるんだから、駅を降りてデクくんの住む町を散策しよう」と言い出したのは麗日だった。
「意外とアウトドアだったんだな」
 と言いながら飯田はハンカチで汗を拭いている。
「うん、かっちゃんといると、ほとんど外遊びだったから。いつも一緒にいたんだ」
「爆豪くんとか?」
「ふたりの時も他の友達がいる時もあったけどね。かっちゃんは積極的に色んな事をやりたがるから、毎日が冒険でわくわくしたよ」と答えてから、あ、と付け加える。「小さい頃はね、仲良かったから 」
「そうだったな。今の緑谷くんと彼からは想像出来ないが」
「色々あったんだ。今となってはもう何が原因かわからないくらい」
 憧れて背中を追いかけた。彼のようになりたかった。ずっとそう思っていられたならよかったのに。
「そのうち普通に話せる時がくるよ、デクくん」麗日が朗らかに言った。
「うん、ありがとう、麗日さん」
「クラスの結束のためにもそうなることを望みたいものだな」
「真面目!学級委員長らしい言葉だね、飯田くん」
 そんな日はいつ来るだろう。いつか来ればいいけれどまるで想像できない。
 森の中を川に沿って歩くと、開けた丘に出た。原っぱの真ん中に高い木が見える。高さは2、3階の建物くらいだろうか。5階くらいはあるように思っていたけれど、子供だったから高く見えたのだろう。それでも十分高い大木だ。記憶より枝葉が伸びて青々と繁っている。
 麗日の個性に浮かして貰って木の頂上近くまで浮き上がり、太めの枝を選んでそれぞれ座った。森の向こうに出久や勝己の家の屋根が見える。
「いい景色だね」
「うん。ここから街が見渡せるんだ」
 そう言いつつ記憶を探る。何故だろう。ここからの景色に見覚えがないような気がする。木には登ったはずなのに。今初めて見たように感じるのは僕が大きくなったからだろうか。

 翌日、食堂にて。出久は麗日、飯田と共にトレーを持って行列に並んでいた。一般にはさほど知られていないクックヒーローも、出久には名前を知る憧れのヒーローのひとり。顔が見られないかなと惣菜の並ぶ棚の隙間を覗く。
「あの木、結構高かったよねえ。小さい頃でしょ。よく登れたねデク君」
小鉢をトレーに乗せながら麗日が言った。
「うーん。どうやって登ったんだっけ」
 出久は遠い記憶を思い起こす。もやっと得意げな金髪の幼馴染の顔が浮かんできた。同時に付随した記憶が蘇ってくる。
「ああ、かっちゃんだ。かっちゃんに無理やり木の上に連れて行かれたんだった。しがみついていた手を離されちゃって。落ちて大泣きしたんだ」
「あの木からか?大変じゃないか」
 飯田が驚いて聞き返してきた。出久は慌ててフォローする。
「でも、でもね、かっちゃんが爆風を起こしてくれたから、大怪我もなく事なきを得たんだよ。落ちてんじゃねえってキレられたけど」
「彼のせいではないのか」
「まあ、そうだけど、昔のことだから。そっか、だから。あの時は景色見る余裕なんてなかったんだな。覚えてないはずだ。結局僕も昨日初めて見たようなもんだね」
 背後から呆れた口調の上鳴の声がする。
「また爆豪かよ。あいつとろくな思い出がねえんだなあ、緑谷」
「お前、ガキの頃から理不尽なとこ変わらねえのな、爆豪」
 切島の言葉に驚いて振り向いた。二人の後ろにいる赤い瞳にギロッと睨まれる。
 誰にも言うなよ。
 あの後の記憶が蘇った。そうだ。かっちゃんそう言ってたんだった。
 舌打ちすると勝己は列から離れて通り過ぎてしまった。すれ違いざまに肩をぶつけられる。
「あ、かっちゃん」
 忘れてた。そういえばあの時「絶対誰にも言うなよ。俺たちだけの秘密だからな」って、そう言ってたんだ。皆に教えちゃった。それって僕を落としたことを言うなって意味だろう。なんか勝手だな。でも一応謝ったほうがいいのかな。こんな約束、もう覚えてないかも知れないけど。
 トレーをテーブルに置いて席につく。飯田と麗日は向かい側に座った。
「爆豪くん、昔デクくんのこと馬鹿にしてたんだよね」麗日が言った。
「かっちゃんだけじゃないけどね。昔だけじゃなくて、かっちゃんは今もだと思うよ」
「だからデクって」
「ううん。今のその名前はかっちゃんじゃなくて、麗日さんがつけてくれた名前だよ」
「えへへ」麗日が微笑む。
「おら、邪魔だデク!ちゃっちゃと椅子引けや。狭えんだよ」
 いつのまにか背後に立っていた勝己が怒鳴った。
「わあ!なんで後ろに」反射的に身体が竦んでしまう。
「そんなに驚くことかよ、緑谷」勝己の向かい側に座った上鳴と切島が笑う。
 慌てて出久が椅子を引くと、勝己はそのまま真後ろの席に座った。他に開いてる席はいくらでもあるのに、なんでわざわざ側に座るんだろう。引いた椅子を戻せなくなった。
「緑谷くん、君の力は誰もが認めざるを得ないんだ。彼にしても、もう馬鹿にしたくてもできないだろう」飯田は溜息をついた。「しかし、子供ならともかくウマが合わなければ、関わらないようにするのが普通だと思うんだが。彼は変わってるな」
「飯田くんも合わない人でも放っておけない方だよね」麗日がさらっと言う。
「麗日さん、それだと飯田くんも変わってるって意味に」
「ぼ、僕は、俺は委員長だからだ」憮然として飯田が答える。
 あの頃は。出久は言葉を飲み込む。友達にも言えないことだ。あの頃は個性がなかったんだから。勝己だけじゃなく皆に馬鹿にされていて、それが普通だった。
 でも今は授かったものとはいえ、個性を持ってるんだ。勝己や皆と同じように。だから胸を張っていいんだ。そうなんだけれど、どうもまだ慣れない。
「昔のことはしょうがないが」飯田が続ける。「だが、君もいけないかも知れないな」
「え?」
「そうそう」背後から上鳴が声をかけてくる。「爆豪が苦手なんだろうけどさあ、何もしてなくても怯えるなんて失礼とすら言えねえか?」
 切島も上鳴に続けて話し出す。
「怯えねえでさ、ちゃんと向き合ってみろよ、緑谷。そうすれば、ちったあこいつも変わってくるんじゃないか?」
「なあ、爆豪」
「うっせえわ、クソが。くだらねえことぺちゃくちゃ喋ってんなよ。俺あ行くぜ」
 勢い良く立ち上がった拍子に勝己の椅子がガタンとぶつかり、出久の椅子に衝撃が走る。舌打ちをして振り返りもせず勝己は立ち去った。
「おい爆豪!乱暴だぞ」
「大丈夫か?緑谷」
 上鳴と切島が心配そうにこちらを向いている。出久は背中をさする。自分達のことをからかわれるのはいつものことなのに。他に何か気に触ることでもあったのだろうか。
「うん、全然平気だよ」食堂を出て行く勝己を見送りながら、出久は言う。「君達の言うとおりだね。できれば僕もかっちゃんと向き合いたいんだ」
「おお、その意気だぜ」上鳴は親指を立ててにかっと笑う。
 食事に戻って出久は考える。
 ああは言ったものの。勝己の攻撃性は生来のものだ。昔から自分が関わりなくとも、いつも周囲を威嚇してあんな感じだった。
 けれども確かに、間違ってるところは自分にもあるかも知れない。
 勝己の嫌がらせは振りきれてないところがあった。酷い物言いに散々傷つけられたが。 ノートを焦がしても焼失させたりしなかった。暴力を奮っても脅す程度。大怪我を負わせたり身体に酷い火傷を残すようなことはない。カツアゲもしない。内申書に響くからと嘯くが大したことはしないのだ。ならば目的もなくわざわざ何故絡むのかと、出久自身も思い当たらず、勝己の取り巻きも不思議がっていた。
 ただただ気に食わないからと言って。それだけで。
 容赦なく暴力を奮われたのは、高校で最初の授業の時が初めてだ。個性を隠していたと決めつけて、怒りのままに彼は自制を失った。遠慮のない剥き出しの感情に晒されるのは、今までとはとても比較にならない怖さだった。それで、これまでは手加減をされていたのだと知ったのだ。あれでも。
 ああ見えて彼は理性的なんだ。今のままがいい状況ではないことはわかってるはず。皆と同じように級友と呼べるようになるには、僕がかっちゃんへの感情をフラットにしていかないといけない。
平常心で付き合えるようにならなくちゃだめだ。相手を変えるには自分が変わらなきゃ。飯田くんの言うように、上鳴りくんや切島くんの言うように。クラスの結束のためにも。

 帰りの電車を降りて駅のロータリーを抜けると、10メートルほど前を勝己が歩いていた。 帰り道で彼を見かけるのはいつものことだ。タイミング的に毎日同じ電車に乗ることが多いわけだから。
 いつも学校から飯田や麗日と一緒に電車に乗って帰るけど、彼らと降りる駅は違う。降車してからは彼らとは別々になり、かわりに勝己と自宅までの道のりを共にすることになる。近所だから家まで帰り道は同じだ。会うと気まずいが、かといって避ける理由もなかった。
 いや、気まずいと思っちゃダメだ。平常心平常心。皆みたいに級友だと思うんだ。そう考えつつも出久はただ彼の背中を見つめて歩く。
 昔と同じだ。彼の背中を追っていた幼い頃と。でも同じじゃないはずだよね。
 ふと、勝己が立ち止まり、振り向いて怒鳴った。
「おい!俺の背後を取るんじゃねえよ。ついてくんなや。クソデク」
「ご、ごめん」反射的に謝してしまったが、言い返す。「家、同じ方向だからしょうがないよ」
「ああ!?」勝己は目をむいて睨んでくる。
 出久は怯んだものの意を決し、歩みを早めて勝己を追い越そうとした。だが追い抜く寸前に強く腕を捕まれ引き止められる。
「てめえ、俺の前を歩くんじゃねえ」
「は?理不尽だよ。どうしろって言うんだよ、かっちゃん」
 勝己は 苦虫を噛み潰したような顔で睨みながら手で示す。
「隣、歩けや」
「え?」
「さっさと隣に来やがれ!てめえトロいんだよ」
「う、うん」
 恐る恐る隣に移動する。連れ立って歩きながら勝己の顔をちらちらと伺う。機嫌がいいわけでもないみたいだ。どういう風の吹き回しだろう。隣を歩けなんて。けれども昼間のことを謝るいい機会かも知れない。
「あの、今日はごめん」
「は?何がだ」
「昔の話、皆に話したりして」
「ああ?どうでもいいわ。あんなの」
「それに、かっちゃんが昔教えてくれた場所、麗日さんと飯田くんに教えちゃった。ごめん」
「てめえ、何かと思ったら、今更そんなくだらねえこと言いやがって」
 勝己はいつものように爆発せず、ふつふつと憤り出した。だが怒鳴るでもなく燻らせたままそれ以上何も言わない。なぜか我慢しているようだ。
「うん、そうだよね。でも約束だったから」
「今更だばあか。約束ってんなら破んなや。バカデク。ていうか、約束したのはそこじゃねえ」
「そうなんだっけ。他に何か約束した?」
「覚えてねえならいいわ」
 言葉に棘がなくなった。あれ?もう怒ってない? やけに優しいというか大人しいというか。どうしたんだろう。
 薄紅色の夕焼けを筆で描いたような墨染めの雲が覆ってゆく。陽の名残りが雲の隙間に透けて金色の波のよう。黄昏が隣を歩く幼馴染の顔を影色に隠してゆく。表情をそっと伺う。穏やかそうに見えるのは気のせいだろうか。勝己が振り向く。
「んだよ。何顔見てんだ」
「ううん、ごめん、何でもないよ」
「ふん」
目が合っても怒られない。どうしたんだろう。
 無言で歩きながらつらつらと考える。個性がないと馬鹿にされてたあの頃は、今と違って友達は一人もいなかった。勝己だけがやたらに絡んできただけで。ある意味そんな彼との歪な関係が、唯一の同級生と繋がりだったようなものだ。彼が絡んで来なければ、ひとりなりに平穏な生活だったろうけど。
 彼は周りに何を言われても、構わずに毎日何かと言いがかりをつけてきた。それは雄英に来た今も、多少減ったとはいえ変わらない。だから、いつ難癖つけられるかと構えてしまう。
「おい、デク」
「な、何?かっちゃん」
「お前んちだろうが」
「あ、ホントだ」
 いつの間にか自宅に到着していた。勝己の歩幅に合わせていたせいか、いつもより早く着いた気がする。
「じゃあ、また明日」
 勝己は何か言いたげな素振りを見せたが「ああ、じゃあな」とだけ返事した。
 普通だ。出久が玄関のドアを開けても勝己はまだ門の前に佇んでいた。ちょっと手を振ってみると、勝己はフンッと横を向いて漸く立ち去った。
 どうしちゃったんだろう。 すごくイライラを我慢してるようにも見えたけど。上鳴くんや切島くんの言う通りなのかな。そうだ、彼らが何か言ってくれたのかも知れない。人の言うことをきくようなかっちゃんではないのだけれど。
 かっちゃんの気紛れなんだろう。こんなの今日だけで、明日になったらまたいつもどおりになるんだろう。
でもなんか、嬉しかったな。
 出久は心がふくっと暖かくなるのを感じた。

 だが予想に反して、翌日勝己は駅の改札口で出久を待っていた。目が合うと隣を歩くよう示され、また肩を並べて共に帰宅した。やはり眉間に皺を寄せて何か我慢している様子だったが、歩くうちに不機嫌な表情ではなくなっていった。家に到着すると出久が玄関に入るまで、勝己は門の前で立っていた。
 なにがなんだかわからない。訳がわからないままに次の日も、その次の日も彼は待っていて、いつの間にか一緒に帰宅するのが日常となった。勝己がまだ来ていない時は出久が待っているようになった。はじめは恐る恐る話しかけていたが、怒鳴られないとわかると、次第に授業の話や世間話もできるようになった。気まずいこともなくなってきた。
「お、おはよ」
「おお」
 出久の挨拶に勝己はちょっと目を向けて短く返す。以前はギロッと睨まれたり舌打ちされたりしたものだけれど。普通の何気ないやり取りをしているなんて、ちょっと前なら考えられなかった。今でも不思議でたまらない。
どうしちゃったんだろ。事あるごとに言いがかりをつけてきたかっちゃんが。聞きたいけれど聞きづらい。 居心地は悪くないけど、ついぞ訪れたことのない平穏な日々に戸惑ってしまう。気まぐれ、なのかな。今だけなのかな。前の席に座る勝己の背中は何も語ってくれない。
「爆豪、最近緑谷に無闇に怒鳴らなくなったな」
 上鳴と切島が勝己の席に近づいてきた。上鳴が後ろの席の出久に目配せしてにっと笑う。
「目が合うだけで突っかかってたのにな」
「て言うか、今までもよー。先に爆豪が目合わせてたんじゃねえの」
「そりゃあさ、あれだ、あれ。だから機嫌いいんだろ」
 二人はニヤニヤと笑っている。上鳴がこちらを向く。
「一緒に帰ってんだろ。緑谷」
 いきなり話を振られた。ちらっと勝己の背中を見る。別に言ってもいいんだよね。
「え、うん。そうだけど」
「やっぱなー」
「うるせえ!」
 勝己が怒鳴った。だが怒っている時の声音ではない。らしくないこと指摘されて照れてるみたいな感じだ。
 皆もいいことだと思ってくれてる。自分も緊張せずに勝己と一緒に歩けるようになるのは嬉しい。勝己も関係をリセットして新しくするべきだと思ってるのかもしれない。自分と同じように変わろうとしてるんだ。
 友達、は無理、かな。でも友達にはなれないにしても、他の関係のあり方があるかも知れない。他の関係ってどんなだろう。幼馴染なのはずっと変わらないけど。出久は思いを膨らませた。

 その日の帰り道。突然立ち止まると勝己は「食ってくか。お前も来い」と言い、ファーストフードを顎でしゃくった。出久は迷った。どうしよう。小腹は空いてるけど、帰りに食べるところに立ち寄ったことなんてない。
「いいよ僕は。お母さんがご飯作ってるし」恐る恐る出久は返事する。
「ごちゃごちゃうるせえ!どっちも食えばいいだろ」
 勝己は苛立ちを顔に浮かべた。出久は反射的に後退りしたが、勝己に腕を捕まれ、無理やり引っ張られて店に連れ込まれる。
「横暴だよ、かっちゃん」
「家で食っても外で食っても一緒なんだよ」
振り向いて勝己が言った。
 僕と一緒に御飯食べたいの?らしくない勝己にどうしていいかわからなくなる。
 勝己はバーガーを3個とコーラ、出久はシェイクを買って席についた。勝己はあっという間にガツガツとバーガーを平けてしまった。シェイクは冷たくてすぐには飲みきれない。僕が待たせてるのかな。でも、今が自分の意思を伝えて彼の考えを確認するチャンスだろうか。シェイクをちょっとずつ吸いながら言葉を探す。
「あの、かっちゃん。戻れるよね」
「は?」
「うんと子供の頃みたいに。その、そうだと僕は嬉しいけど」
 昔みたいに、と。だが勝己の表情が変わった。みるみる眉間に皺が寄ってゆく。
「は!昔みてえに戻りてえだと?俺はそうなのかとでも?」
 勝己は突然声を荒らげると、テーブルを平手で強く叩いた。 驚いて出久はビクッと慄く。
「んなわけねえだろ。俺は違うぜ、デク。無理だ。戻れるわけがねえんだ。元になんか全ッ然戻りたくねえし。水に流してなかったことにしてやろうって言ってんのか。てめえは。ざけんな! 」
「か、かっちゃん?」
 いきなり憤る勝己に出久は戸惑った。何を怒ってるのかわからない。
「デクってアダ名みてえによ。勝手にてめえは。畜生っ!なんでもてめえの都合がいいように上書きすりゃあいいだろうが。てめえはそうでも俺はなあ」途中で勝己は言葉を切り、出久を睨む。「 クソが!」
 言い捨てて勝己は席を離れた。勝己の剣幕に押されたが、我に返って出久はすぐに後を追いかける。洗面所に続く通路で勝己は立ち止まっていた。拳をぎゅっと握りこんでいる。
「どうしたの、かっちゃん」
「だー、もう!やめだやめだ!まどろっこしいわ」
 と勝己はいきなり切れた。振り向きざまに出久を壁に押し付ける。
「痛い、かっちゃん、なに」
 壁にぶつけられた肩の骨が痛い。抗議しようとして、釣り上がった勝己の眼差しに息を呑む。なんか怒らせるようなこと言ったんだろうか。勝己の両手に囲まれて正面から向き合う形になった。
「俺と付き合え。デク」
「付き合うって、どこに」
「舐めてんのかてめえは!付き合うっつったら一つだろうが」
「まさか、それって、お付き合いのこと?」
「他にあんのかよ」
 何言ってるんだろう。勝己の言葉が頭に入ってこない。
「えーと、え?冗談」
「俺が冗談言ったことあったかよ」
「な、ないね」
「じゃあ、決まりな」
「え、待ってよ。その、君のことをそんな風に思ったことなんてないよ」
「なら今思えよ。今から思え」
 勝己は出久の胸ぐらをつかんで唇を重ねた。濡れた柔らかい感触。
 かっちゃん、何を?かっちゃんとキスしてるのか僕は。
 出久は動転して慌てる。なんでこんなこと。誰かが来たらどうしよう。唇の隙間から勝己の舌がねじ込まれた。驚いて首を振ると顎を固定される。
「う、んく、ん」
 荒々しく口内を蹂躙されて苦しい。勝己は歯列をなぞり口腔を隈なく舐める。息継ぎの合間にも唇は離されず、また角度を変えて深く重ねられる。出久の逃げる舌を追いかけて勝己のそれがさらに深く差し入れられる。
「ん、んー」
 息が詰まりそうになりそろっと舌を差し出した。そこを待っていたとばかりに絡め取られる。舌先から舌裏まで勝己の舌が生き物のように這い回る。勝己の唾液は薄いコーラの味がする。
 音を立ててやっと唇が離れた。
「ん、はあ、は、はあ」
 漸く解放されて呼吸を取り戻せた。咳き込んで声が掠れる。頭の芯がぼうっとする。
「甘え」
 勝己が呟く。
 嬲られた舌がじんと痺れている。まだ口内に勝己の感触が残っているようだ。
「なあ、どうなんだ。デク」
 勝己も息を整えながら、また問うた。
 本気で自分に聞いているんだ。かと言って勝己と付き合うなんてとても考えられない。でも断ったらどうなる。また前みたいなギスギスした関係に戻ってしまうのか。それは嫌だ。どうしても嫌だ。嫌だけど。どうすればいいんだろう。
「さっさと答えろや。答えによっちゃあ」
 勝己は出久の目の前に掌をかざしてパンっと火花を出した。ニトロの匂いが漂う。
「むちゃくちゃだ!こんなとこで個性なんか使ったら、お店が壊れちゃうよ」
 慌てて出久は勝己の掌に手をかざして蓋をした。だが熱くてすぐに手を離してしまう。
「だよなあ、デク。さっさと答えろや」
 とても僕の意志なんかきいてくれそうにない。大体付き合うって何するんだよ?僕とかっちゃんで。かっちゃんはなにか勘違いしてるんだ。きっとそうに決まってる。
 元々出久は勝己に押されると従ってしまう。逆らう時は正義感が勝つからだ。自分が正しいと確信してる時は、命を賭しても絶対に譲れない。けれども善悪の介在しない事象では、自分が譲って収まることならばと結局譲ってしまう。
 今の勝己に悪気は感じられない。やり方は問題ありだが、そもそも言ってることが問題だらけだがそれでも。ならば自分としてはここで抗うべき理由がない。
 出久は落ち着こうと深呼吸する。なんだかんだ言っても、折角勝己から歩み寄ってくれていたのだ。願ってもないことだった。それが嬉しいと思ったのだ。他のことは後で考えよう。
「いいよ」と出久は承諾した。
「よし」
 勝己はニヤリと笑い、腕の囲いを解いた。張り詰めた空気が霧散する。出久は安堵して身体の緊張を解いた。
「それで、何をしたいの、かっちゃん。デ、デートとか?」
「は?今更何言ってんだ。そりゃ今やってるだろうが」
「そ、そう?これデートだったんだ。じゃあこのままでいいってことかな」
 ひとまず出久はほっとした。だが勝己が怒鳴る。
「はあ?馬鹿かてめえは!」
「そ、そうだよね。じゃあ何をすればいいのかな」
「はあ?何をって、てめえ。このくそナードが」勝己は口籠り、そっぽを向いて続ける。「調べろよ、てめえはオタクだろうがよ」
 勝己をしても言いづらいことなのだろうか。それともあえて自分で調べてこいと言いたいのだろうか。
 帰宅して出久はパソコンに向かった。困った時のグーグル先生だ。付き合うって、男同士でどうするのかってことかな。身体の構造的にできることって。調べていくうちに出久は青くなった。
 まさか、こんなことかっちゃんと?そんな、とても無理だ。
 僕、これをOKしちゃったの?

 翌日の学校。昨夜から気の重いままに、出久は寝不足気味で登校した。
 教室に入ると勝己と目が合った。心臓が跳ねる。だが彼は昨日のことなどなかったかのように平然としている。前の座席に座る勝己の背中を見ながら思考がぐるぐると渦を巻いた。
キスまでしてきたんだ。しかもあんな濃厚な。冗談ではないのだ。 どうして僕なんだろう。どう考えればいいんだ。
 確かめたいと思ったが、なかなか学校では二人きりになれない。勝己は休み時間にはさっとどこかにいなくなる。昼休みになっても食堂には来ていない。上鳴に聞くと、売店でパンを買って何処かに行ったらしい。
「最近爆豪くん、デクくんにつっかかってこんね」麗日が言った。「デクくんもそう思うよね」
「え、う、うん。そうだね」
 思いがけず勝己の名前が出て焦ってしまう。
「教室でも後ろ向いてはデクくんに言いがかりつけてたのにな。そういうことも最近はほとんどないし、廊下で睨んでくることも少なくなったな」飯田が言った。
「やっぱりそれっていいこと、なんだよね」出久はふたりに尋ねる。
「いいことじゃないか?爆豪くんも成長してるんだろう」飯田は言葉を続ける。「いつまでも子供じゃいられないと彼もわかってるんだろうな」
「そ、そうかもね。このままのほうがいい、よね」
「そりゃそうだよ。というか、爆豪くんが怒るとデクくんがびくびくしちゃうし。ウチはデクくんが良いのがいい」麗日が微笑んで言った。
「何か、引っかかるのかい?緑谷くん」
「ううん、何も。僕も良いことだなあと思ってるから」
 出久は2人に笑顔を見せる。 どう説明していいものかわからないし、なにより心配はかけたくない。

 とうとう学校では勝己と話す機会はなく、帰宅時間になった。後は電車を降りてからの2人の帰り道。駅の階段を下った先で、いつものように壁を背にして勝己が待っていた。
「かっちゃん、あの」
 話そうとすると勝己は「来いよ」と顎をしゃくった。少し早めの勝己に歩調を合わせて黙って並んで歩く。
「調べたんかよ」やっと勝己は口を開く。
「うん、あの。本当にあんなこと、したいの?」
「したいのか、だと?てめえ、付き合うって言ったよな。撤回する気か。殺すぞ!」
「だって僕男だよ?」
「今の時代珍しくねえだろ」
「それはそうだけど」
 性別も年齢も人種もはたまた種族すら超越する個性の時代だ。前時代ならともかく確かに珍しくはない。だがいざ自分がそうするかというと、まるで考えが及ばなかった。男女の性交ですら未知の世界だというのに。しかも相手は勝己だ。
「何も今日明日しようってんじゃねえんだ」
「そうか、そうだよね。なんだ」
 出久はほっと胸をなでおろした。
「心構えだけはしとけよ」
「う、うん」
 考えるのはその時でいいだろう。今は居心地のいいこの関係を続ければいいのだ。
 先送りにしただけだというのに、出久は安堵した。だがその日は思いのほかすぐに来ることになる。

 3日後、出久は勝己に家に来るよう誘われた。
 思いもよらない歩み寄りに出久は浮かれてしまい、迂闊なことに3日前の勝己の言葉をすっかり忘れていた。
「いいの?」
「いいって言っただろうがよ」
「かっちゃんの家なんて何年ぶりだろ。ううん、十何年ぶりかな」
「てめえ聞いてんのかよ」ぼそっと勝己が付け加える。「俺んち今日親いねえし」
「かっちゃんち共働きだもんね。お母さんにかっちゃんちに行くって言わなきゃ」
 鞄を置いて母親に一声かけると、待っていた勝己と一緒に家に向かった。変わらない勝己の家。リビングを抜け、すぐに勝己の部屋に案内される。部屋の中は子供の頃と随分様変わりしていた。おもちゃ箱も勿論ないし。ベッドと本棚と机の上にパソコンがあるだけで、随分シンプルになっている。
「昔貼ってたオールマイトのポスター外したんだね。あれ、かっこよかった」
「たりめーだろ!とうの昔に外したわ。俺はオールマイトを越えるんだからよ」
 自分のオールマイト尽くしの部屋とは大違いだ。オールマイトを越えるなんて、力を貰っても自分にはとても言えない。けれども勝己は幼い頃から本気で言えてしまう。そこが勝己の勝己らしいところだ。
「てめーはまだベタベタ部屋中にポスターとか貼ってんのかよ」
「うん、もっと増えてるよ」
「ガキか、てめーは」
 部屋の中を眺めているとするりと背後から腕が回った。ドキリとして身体を捩るがさらにぎゅっと力が込められる。
「か、かっちゃん? 」
 恐る恐る声を出す。勝己は出久を羽交い締めにして告げた。
「するぞ。わかってて来たんだよな。デク」
 背後から耳元で囁く声。吐息。ぞわりと背筋に痺れが走る。
「ごめん。わ、わかってなかったよ」
「てめえコラ!ふざけんなよ。じゃあ今わかれや」
「あの、正直に言うよ」出久は深呼吸して口を開く。「僕には無理だと思う」
「ああ!? デクてめえ!いい加減にしろよ!やりもしねえで怖気づいたってだけでよ」
「だって、かっちゃん知ってるの?あんなすごいことするんだよ」
「アホか!知っとるわ、クソデク」
 もがいて腕を逃れたが、ドアは勝己の背後。彼はにやりと笑って後ろ手に鍵をかけた。逃げ場のない部屋の中で勝己にじりじりと迫られる。後退って距離をとったものの、出久の後ろには壁しかない。
「待ってよ、かっちゃん」
「ざけんな!待つって何をだ。無理かどうかはやってみねえとわかんねえだろうが!」
 とうとう壁際に追い詰められた。腕を捕まれ身体を押し付けられる。勝己は172センチ、自分は166センチ。目の前に立たれると少し見上げる形になる。ドキンと動悸が高鳴る。昔からこうやって威嚇されてきた。怒気を含んだ赤い瞳に身体が反射的に竦む。
「これ以上待てっかよ!観念しろや、クソナード」
 勝己の顔が近づいてきた。唇が触れる。後退りすると後頭部を捕まれ唇が重ねられた。はずみで開いた口の中に勝己の舌が滑り込む。舌が触れ合い、くちゅりと音を立てる。逃げるとさらに奥に入り、舌を絡め取られ嬲られる。暫く口腔内は勝己の思うがままに蹂躙された。ねっとり舐め上げ、貪るように蠢く。漸く糸を引いて唇が離れる。呼吸を奪われて息が苦しい。
「逃げたら頭爆破するぜ」
 勝己は熱を含んだ声でそう脅し、またキスをする。
 何言ってんだ。僕だって反撃くらい。
 だめだ、できない。僕の個性を出せばかっちゃんの部屋を破壊してしまうかも知れない。
 個性の調整は勝己のほうが一枚も二枚も上手だ。勝己は狙ったものだけを爆破できるだろう。僕はまだ使いこなせない。もしも取り返しのつかないことになったら。
 勝己は出久の腰に腕を回してベッドに押し倒した。シャツのボタンを外してゆくと、ズボンを下着ごと手早く引っこ抜く。押さえつけたまま器用に衣服を剥ぎとってゆく。一糸纏わぬ姿にされた。抵抗するべきなのか、するならどこまですべきなのか。出久が思考を巡らせるうちに事態は後戻りできないところまで進んでいく。
「観念しろよなあ、デク」
 出久の上に馬乗りになると勝己は悪辣に笑い、服を脱いでゆく。鍛えられた身体が顕になった。綺麗に筋肉ついてるなあ。僕もそこそこついたと思うけど全然敵わないな。と、そんなことを考えてる間に、裸になった勝己の身体が出久に覆いかぶさった。
「か、かっちゃん?かっちゃん」
 重みのある筋肉質な身体。肌が触れあいぴったりと重なる。背中に回された腕が出久の肩と肩甲骨を撫でる。弾力のある硬いものが下っ腹に当たった。これって、まさかかっちゃんの?思い当たって顔が熱くなる。
「デク、口あけろ。腕はこう、俺の背中に捕まれや」
 唇がくっつきそうな距離で勝己が指示する。促されるままに背中にそろっと手を回した。唇が触れ合う。裸で抱きあいキスをする。脚を絡められる。深い口付けを交わした後、勝己の唇が首筋を滑り降り、鎖骨、胸筋と順に肌を辿る。触れる感触は擽ったく、時折吸い付かれるとちくりとする。
 なんで、こんなこと。思考が働かない。勝己の行為が出久の何かを奪ってゆく。
 勝己がふっと笑う。局部に触れられて出久は「ひゃあ」っと声を上げる。勝己の手に扱かれて次第に勃ちあがってゆくのがわかる。愛撫を加えながら勝己の頭が下の方に移動してゆく。ふと先端が生温かい感触に包まれる。
「え、何」
 驚いて頭を起こす。股に伏せた勝己が出久のものを咥えているのが見えた。
「おい、いきなり動くな」勝己が顔を顰める。
「ちょ、かっちゃん、何してるの」
「わかるだろうが」
 勝己は出久のものから口を離してにやりと笑って言う。
「てめえもやれよな」
「え、そんな」
 そう言うと勝己はまた咥える。歯が掠めてぞくりとした。食べられてしまいそうだ。勝己の舌先が先端を割って擽る。雁の形をなぞる。腰がじわりと熱くなり中心に熱が集まってくる。「あ、あ」と自分とは思えない甘えた声が漏れる。
「は、なして、かっちゃん」
 だが勝己は頬張ったまま離してくれない。浅く深く咥えては口内で押さえるように舐める。出久は堪らずに吐精してしまった。
「う、嘘。ごめんなさい、かっちゃん」
 罪悪感が押し寄せる。勝己がしたこととはいえ出しちゃうなんて。自分のせいだ。勝己は咳をしてティッシュで口を拭って言う。
「ほらよ。てめえもやれ」
 勝己が壁を背にして体育座りになり脚を開く。出久は蹲り顔を近づけた。勃起して目の前にそそり立つ勝己のもの。裏側をこの方向から見るってないよね。自分のよりずっと立派だ。そんなことよりどうしよう。
 恐る恐る陰嚢の少し上を指で掴んでみる。上下に擦り動かすと肉の芯を包む表皮が縒れる。勝己がふっと息を吐いた。そっと先端に舌で触れる。
「くすぐってえよ。ちゃんとやれ」
 出久は目を瞑って亀頭を口に咥える。体温と皮膚の感触。確かな生々しい身体の一部。勝己の猛るペニスだ。
「てめえが俺の咥えてるとか。クルもんがあるよな」
 感じているのか勝己の声が上擦って熱っぽい。勝己がしたように竿まで口に含んで前後に動かす。浮き出た血管が舌先に脈打つ。舌を這わせて転がすように舐める。次第に勝己の息遣いが荒くなってきた。かっちゃん、このまま射精しちゃうのかな。僕しちゃったし。覚悟していると髪をくしゃりと撫でられた。
「もういい。離せよデク。いっちまうだろ。俺はいい」
 勝己は口腔内からペニスを引き抜くと腰を上げ、出久を組み敷いた。仰向けにした出久の膝を割り脚を開かせる。
「まっ、待ってよ、かっちゃん」
 股の間に勝己の腰が入れられた。慌てた時には遅い。彼の脇腹を挟む形になり、もう脚を閉じられない。膝頭を掴まれて大きく脚を広げられる。身動きの取れない無防備な格好にされ、勝己の視線から逃げられない。勝己はさらに身体を寄せて膝の上に出久の両太腿を乗せた。ペニスの先端でつんつんとノックするように後孔を突く。
「俺はこっちがいいわ」
 告げられてすうっと背筋が寒くなる。追いつめられた。捕食者の前の獲物になったようだ。勝己と触れ合った太腿が燻されたように熱い。晒された局部を見て勝己はにやっと笑った。指で確かめるように触れ、揉んでほぐしていく。
「やだ、何やって、そんなところ」慌てて出久は頭を起こす。
「おい、暴れんなや、デク!」
「だって、かっちゃん、ひあっ」
 いきなりペニスをぎゅっと捕まれた。体が竦んだ。急所を握られては抵抗できない。そのまま緩く扱かれる。同時に後孔に勝己の指先が潜り、そのままずぶっと沈められる。
「ひっ、や、かっちゃん」
「てめえも調べたんだろ。なら騒ぐんじゃねえよ」
 勝己のなすがままだ。探るように後孔を責められる。指が抽送する動きに合わせて、内部が粘着性の水音を立てる。何か潤滑油になるものを使ったのだろう。でなきゃスムーズに動かせるわけない。こんな、自分の中からぬるぬるした音がするわけない。
 勝己を迎え入れやすくするために、身体が変えられてしまう。触れられたところから内部が熟れてゆく。身体の芯が火照る。喘いでしまいそうになり、必死で我慢する。指が増やされ出し入れしたり、かき混ぜられたりされるうちに、次第に中が痺れて熱くなってきた。もう勝己の指が何本入ってるのかわからない。
「もういいよな」
 勝己は出久の膝裏を掴んで脚を開かせると局部を密着させた。押し当てられた熱。勝己の性器だ。ひくっと喉が鳴る。そのまま勝己のペニスはぐっと入ってきた。
「あ、あー!」出久は悲鳴を上げた。
 めりめりと切り開かれてゆく身体。勝己は出久の腰骨を掴んでぐぐっと突き入ってくる。凶暴な熱の塊は引いてはまた押し込まれる。
「くそ、ちょっとずつしか入んねえな。我慢しろよ。ちと力入れるからな」
「嘘、む、無理だよ」
「うるせえ、まだ先っぽしか入ってねえ。根本まで全部入れるんだよ。てめえは力抜け」
「え、そんな、無理、かっちゃん」
 勝己は覆いかぶさり強く腰を振った。先端が抉り込み肉茎がぐっと中を穿ってゆく。背骨に衝撃が走り、息が詰まる。
「ひあっ、はっ、いや、や、あっ」
「は、はあ、入ったぜデク」
 身体の奥深くに感じる感触。さっき咥えた彼のもの。貫かれてる。かっちゃんに。結合した部分が熱くて焼かれそうだ。
 勝己が腰をくねらせ身を揺すり始める。硬い弾力のある熱はうねり、行きつ戻りつ体内を動めく。しだいに突き上げる力は強くなり、身体がガクガクと揺さぶられる。
「あ、んあ、はあ、ああっ」
「すげえ気持ちいいな、おいデク。てめえはどうだ」
「かっちゃ、あ、んん」
「てめえん中、あったけえな」
 押し寄せる波に飲まれそうになる。言葉にならない。目尻から涙が流れた。勝己は突き上げながら、出久を落ち着かせるように優しくキスを繰り返す。
「感じてるツラしてるぜ、デク」
 にやっと笑うと勝己は腕を出久の腰に回し、ぐいっと抱き上げて膝の上に乗せた。体内の剛直が大きくしなるように動く。堪らずに出久は喘ぎ声を上げた。対面の姿勢にされ、繋がったままに強く抱きしめられる。
「俺のだ、俺のだ。デク、デク」
 勝己は出久の肩口に顔を伏せ、掠れた焼けつくような声で囁く。次第に揺さぶりが激しくなり、射精を意識した動きに変わる。突き上げる熱。陰茎が内部をあますところなく擦りあげる。勝己の身体が出久の中をみっちりと埋めてゆく。
 勝己は出久の身体を倒し、ペニスを引き抜くと腹の上に吐精した。白濁が腹筋の窪みに溜まる。肩で息をする勝己の額に汗の粒がきらきら光る。精液をティッシュで拭うと、彼は脇に手をついて出久を見下ろした。雫が出久の胸にパタパタ落ちる。雫で肌が小さく爆破されるみたいだ。掌の汗にしかニトロは含まれてないはずなのに。
「は、はは、デク」
 荒い息を吐きながら勝己が笑っている。艶を含んだ無邪気な笑顔。間近で見るのは久しぶりの。こんな得意げな笑顔を浮かべるのは、彼が闘いに勝利した時。

 夜が更けて空が白々と明るくなっていた。
 カーテン越しの薄明かりの中で出久は目覚めた。見慣れないベッドの中。軽い薄手の羽根布団にさらさらしたシーツ。下着も何も身につけないで裸のままだ。背中に感じる温もりは勝己。剥き出しの背中と臀部が触れあっている。あの後何度身体を重ねたかわからない。疲れて眠気が押し寄せてきて、「寝るな」と怒る勝己の声を聞きながらそのまま意識を手放した。
 僕は昨日かっちゃんと。
 あり得ない。なんてことをしたんだろう。彼の意志の強さを知ってるのに、説得できるなんて思い上がってたんだ。呑まれてしまうのは僕のほう。いつもそうだったじゃないか。
 流石にこれが一度で済まないことはわかる。後で考えればいいなんて、そんなものじゃない。浅はかだった。勝己に触れられた肌がまだ熱を持っている。繋げられた身体と身体。体の奥に植え付けられた感覚。獣みたいな行為。
 彼が、怖い。また彼が怖くなってしまったのか。なんでこんな。
 昨夜の衝撃が忘れられない。元には戻れない。越えてしまった。取り返しのつかないことだ。
 勝己が身じろぎをした。ドキッとする。そろっと触れ合っていた身体を離す。ベッドのスプリングが揺れる。勝己が目を覚まして身体を起こした。
「起きてんだろ。デク。こっち向けよ」
 出久は緊張して縮こまった。動悸が早くなってゆく。
「おい、おいって」
 肩を揺さぶられたが、出久は布団をぎゅっと掴んでさらに丸まる。
「てめえ、目も合わせらんねえのかよ!」
 勝己が焦れてますます苛立った口調になる。だが振り向けない。きっと今彼に見られてはまずい顔をしてる。
「こっち向きやがれ!」
 肩を捕まれてあっさりひっくり返された。力任せに組み敷かれ赤い目に見下ろされる。
「てめえ。なんだよ。その被害者面はよ!」 勝己は声を荒らげる。「合意の上だったよなあ。おい!」
 裸のままの剥き出しの勝己のペニスが押し付けられる。昨夜固くなり自分の中で暴れていたもの。頭が沸騰しそうだ。出久は身体を捩った。
「離してよ、こんなのダメだ、かっちゃん」
「ああ?」
「僕自身が君に臆してしまう。僕は君に対して平常心にならなきゃいけないんだから」
「何言ってんだ、てめえ」
「皆と同じように。だから」
「は?何言って」勝己は訝しげな顔をしていたが、徐々に理解したらしい。みるみる目元が釣り上がる。「デク、てめえ、俺を他の奴らと同じとこに落とそうってのか」
「落とすなんて、違うよ。僕らの関係をフラットにしないと前に進めない。これじゃまた君を」出久は目を逸らして続ける。「君を、怖いと思ってしまう」
「クソが!」勝己は声を震わせる。「俺はてめえが嫌いだ!」
 激怒した勝己が怒鳴った。彼の目が爛々と赤く光り、眼光鋭く出久を睨みつける。反射的に身体が竦み上がった。
「かっちゃ」やっと声が出る。
「いつもいつも苛々させやがって。うんとガキの時は俺はこんなじゃなかった。なのに小学生の時も中学生になっても、いつも満たされねえ。てめえのせいだ。てめえが俺の前をちょろちょろとしやがるからだ」
「か、かっちゃん?」
 出久は勝己の勢いに気圧された。硬直してしまい視線を外せない。腕がシーツに縫い付けられ、動きを封じられた。勝己は顔を近づけて出久に言い聞かせるように言う。
「俺がしてえんだ。抱きてえんだ。てめえの考えなんざ知ったことかよ。なんでかわかっかよ。こうすりゃてめえを俺の下に出来るからだ。てめえを組み敷いて俺より下だって思い知らせたかったんだよ」
「そんなことで?」出久は息を呑む。そんな理由でなのか。「僕はかっちゃんが僕と同じ事を考えてるのかとそう思って。君は違ったの?」
 それとも、君が何考えているのかを確認しなかった僕が悪いのか。混乱する。 射るよう瞳で見下ろす勝己。痛い。掴まれた手首を砕かれそうだ。
「てめえと同じだと?平常心ってやつかよ。平常心平常心、はっ!くっだらねえ」
「離してよ!かっちゃん」
 彼に従うわけにはいかない。出久はのしかかる重みを押し返そうと抗った。
「誰が離すか!ばあか」
 もがいても逃れることはできない。両腕を一纏めにして頭上に上げられ、押さえつけられる。
「こうすりゃ個性は使えねえよなあ、デク。もっとも、てめえは人んち壊すようなこたあ、できねえか」
「かっちゃん、離せってば!」
「名前を付けるってのは私物化するってことなんだぜ。てめえは俺のだからデクって名前を付けたんだ」
「なんだよそれ。僕はものじゃない」
「ああ、ガキだったからな。てめえの意志なんか知ったこっちゃねえわ。だがてめえは付き合うって言ったろうが!」
「かっちゃん」
「俺はあの頃てめえに向いた衝動を持て余してた。なんで無個性なてめえに負けてると思っちまうのか。舐められてると思っちまうのか。負けてると思う自分が嫌でたまらねえ。てめえにだけは負けたくねえ。そう意識してしょうがなかった。気になって気に触って暴力奮って傷つけて。それでも気が済むことなんてなかった。それまで何もかもうまくいってたんだ。なのにてめえのことだけがうまくいかなかった。てめえをどうすればいいのかわからなかった。怯えて離れていくてめえを追いかけるのはムカついた。かといって放ってもおけなかった。てめえに絡んでは苛立って苛立って。どう手に入れればいいんだって足掻いてたんだ。今ならわかるんだ。あの頃は性欲なんて知らなかったからな。衝動は性欲に直結するんだよなあ。デク。今ならてめえへの苛々を収める方法がある。てめえを抱けばいいんだからよ。俺の下に組み敷いて何度も何度でもてめえを貫けばいんだってな」
 勝己は一気にまくし立てた。勝己が手を振り上げる。殴られるかと思い目を瞑ったが、拳は飛んでこない。そのかわりに身体をひっくり返され、尻を高く上げられる。背後から被さる勝己の身体の重み。
「馬鹿が」勝己が声を低めて言う。「てめえのこたあ大嫌いだ」
「あ、やだ、やめてよ、かっちゃん」
 双丘を割り勝己の屹立が挿入される。熱く硬い塊が昨夜の行為で柔らかくなった道をまた押し開いてゆく。括れた部分まで収まると一気に突かれ、衝撃に息が詰まる。
「ん、くう、や、だ、いやだ」
「てめえが嫌いだ。デク、でえっ嫌いだ」
 勝己は出久の尻を固定すると深く突き入れては抜き、また突き入れる。背後から獣のように責め立てる。
「てめえは俺の下で喘いでんのが似合いだ。デク」
 律動が早くなる。打ち付けられて鳴る互いの肌のぶつかる音が生々しい。心も身体も勝己に穿たれ侵食される。内側から焼きつくされてしまう。
「デク、デク。クソが!」
 一際深く埋められ、身体を穿つペニスがドクリと脈打つのを感じる。背後の勝己の呻き声で彼が中で達したと知った。内壁をとろりと熱い液体が濡らすのを感じる。名を呼ばれながら行われた力づくの行為。
「かっちゃ、ん」
「上書きなんかさせねえ。てめえの名も身体も過去も未来も俺のもんだ」
 遠くなる意識の中で聞こえる勝己の声。

「待て待て、こっち来いよ、緑谷」
 教室に入る前に廊下で上鳴に引き止められた。
「今教室に入んねえ方がいいぜ。お前、あいつの真後ろの席だしよ」
 切島は教室内を隠すように入り口に立ちふさがる。いや、廊下にいる自分を隠しているのか。二人に背中を押されて教室を離れる。角を曲がって廊下の隅に連れていかれた。切島はそっと背後を伺うと声を潜めて問いかける。
「爆豪とうまくやってんのか」
「どうだったんだ」
「どうって」
 出久は口ごもる。力づくの行為の後、逃げるように家に帰った。次の日は身体が辛くて学校を休んでしまった。当然あれから勝己の顔を見てないわけで。
「爆豪の奴、このところずっと上機嫌だったのに、今日はすげえ荒れてっからさ」
「なんかまずいことがあったんだろ」
 彼らは勝己と出久が一緒に帰宅していたのを知っている。ふたりが仲良くなれるようにと応援してくれていた。クラスのためにもそうしたいと思っていたのに。皆が案じてくれてたのに。それなのに僕は。
「僕には無理だったみたいだ」出久は袖口をきゅっと摘む。「皆みたいに、かっちゃんとも向き合いたいと思ってたんだけど、ダメだった。ごめん」
「いやいや、謝るこたあ、全然ねえぜ」軽い口調で上鳴は言う。
「上鳴くんも切島くんも、僕らが普通に接することができるように、頑張れって言ってくれたのに」
「へ?何言ってんだ、緑谷。俺らはそんな意味で言ったんじゃねえよ」
「え、だって」出久は驚いて顔を上げた。
「普通になんてむりだろ。お前らお互い意識し過ぎてんのに」
「あん時はあいつに脈あんのかどうか確認しただけだぜ。お前が歩み寄りたいんだってわかったから、だったらいけそうだと踏んだんだ」
「脈あり?え、どこまで知ってるの?」
「爆豪と一線越えたんだろ」
 出久は仰天した。思わず問い返す。
「え!? そんなこと、かっちゃんが言ったの?」
「しー!声抑えろよ。あいつが言うわけねえじゃん。でもわかるっつーの。俺らが最初に話にのったんだからよ。というかこっちから聞きだしたというか」
「誰だか言わねえけど、ものにしてえ奴がいっけど、やり方知らねえって感じのこと言うからよ。ぽろっと。あの爆豪がだぜ。意外っちゃ意外だったけどよ。隠したってあいつが意識する相手なんて、お前しかいないしよ。バレバレだっつう話」
「だから直接的は言わねえけど、それとなく勝手に忠告してやったんだよ。二人きりの時間をなんとか作るもんだよなとか。顔見れば苛つくとしても、ぐっとこらえてまずは優しくするもんだよなとか。爆豪はうるさそうにしてたけどよ、その通りにしてたんだろ」
 腑に落ちる。最近の彼のらしくなさはそういうことだったのか。
「あのさ、あいつやっぱりダメか?」上鳴が訊ねる。「たきつけたのは俺らだけどよ。緑谷と爆豪、今までよりいい関係だったんじゃねえかなと思うんだよ」
「僕もそう思ってたよ。 またかっちゃんと普通に話せる日が来るなんて、思ってもみなかった。でも」
「それ以上はダメなのかよ」
「ダメというか。それまでまともに話もできなかったのに。かっちゃんとなんて、考えたこともないのに」出久は俯く。「でもかっちゃんは考える間もくれなくて」
「そりゃあ、考えさせたくなかったってことだろうな。まったく偉そうというかチキンというか」
「僕も悪いんだ。それでも考えてから答えるべきだった。でもかっちゃんの顔を見ると、どうしても押されちゃう。結局、昔みたいになってしまうんだ」
「なら、あいつをフルってことか。今更そりゃねえだろ」
「あいつがどんだけ荒れるかわかんねえ。そりゃお前、ほんとに殺されるぜ」
 ぶるっと身体が震える。でもうまくいくわけない。彼らには到底言えない。勝己が望むものは違うんだ。
「それとも、お前が爆豪に付き合ったのは、クラスのためだけなのかよ」
「そんなわけない」出久は首を横に振る。「クラスのためっていうのは多分口実で、僕もかっちゃんとちゃんと向き合いたかったよ。多分ずっと前からそう思ってたんだ」
 切島は腕を組み、じっと出久を見つめて口を開いた。
「多分飯田や麗日なら、爆豪はやめとけって言うだろうな。あいつらはお前の味方だ。爆豪はすげえ奴だけどきついしよ。お前の身になれば苦労が目に見えてるし、あえてあいつはねえよなって、立場が違えば俺らもそう思うだろうぜ。でもな、俺らは爆豪の味方なんだわ」
「あいつはお前がいいんだよ。てか、お前以外なくね?クラスメートの名前覚えたの、あいつ相当経ってからだぜ。つか、今でもほぼお前の名前しか呼ばねえじゃん」上鳴は呆れたようにぼやく。
「あいつはお前に固執してんだ。緑谷、なんだかんだ言ってお前もそうだろ。なあ、どうなんだ」
「違うよ」出久は指を握りこむ。「かっちゃんは僕が気に食わないんだ。嫌いだって言われたんだ。僕にはわからないよ。ああいうのは好き同士ですることなのに」
 ああいうこと、は勝己にとっては自分に対して力を誇示する手段でしかないのだ。
 僕を捩じ伏せる。それほどまでに憎まれているのだろうか。良くは思われていないと思ってはいたけれど。こんなにも。
「僕は嫌われてるんだ」
だが上鳴は出久の言葉をさらっと受け流す。
「何言ってんだ。何言われたかは聞かねえけどよ。爆豪の口の悪さわかってんだろ。お前に嫌いとか気に食わねえって言ってんのは、気になるから言ってんだろ。やってることは好きな子を苛める子供そのものだしよ」
「それは」
「あいつの失言なんて今更だろ。それで全部括っちまうのは、いささか乱暴じゃねえかな」
反論できない。そうかもしれない。勝己は直情そうにみえるけれど案外感情的ではない。人を傷つけて本心を虚勢で隠していることも多い。昔から彼を見てきて、彼の虚勢を見分けてきたのだからわかる。
 僕を傷つけようとしていたんだ。
 でも何故だろう。もっと酷いことを今まで散々言われてきたというのに。嫌いだと言われただけで今までよりずっと辛いなんて。
「男同士なんだぜ。好きでなきゃ抱いたりできねえよ。あいつはいいんだよ。わかってんだから。聞いてんのはお前の気持ちだよ」切島がまた問いかける。「緑谷は爆豪のこと、どう思ってんだ?」
「僕は」
「てか、待てよ、ん?」出久の言葉を遮り、上鳴は頭を捻る。「その言い方だとよ、あいつがお前を好きならいいってことになんねえか?お前は好き同士だからってしたんだよな」
「え。そんな意味じゃないよ」
 出久は意外な方向からの指摘に慌てる。切島が上鳴の発言にさらに重ねて言った。
「いやいや、そうなるよな。お前は好きだから抱かれること許したってことだよな?」
「抱かれる、とかそんなはっきりと」
思い出して顔が熱くなるのを感じる。言葉を聞くだけで生々しく感触が蘇ってくるようだ。
「そうに決まってんじゃんよ。お前、他の奴でも同じことできんのか」
 丸め込まれてるような気もする。でも、勝己じゃなかったらどうだっただろうか?同性相手に付き合うことに同意したり。キスをしたり身体を重ねたり。想像できない。ありえない。それって勝己だったからってことになるのだろうか。
「そういうこと、なのかな。」それなら納得できてしまうような気がする。「かっちゃんだったから」
 彼と一緒に過ごす帰り道のひとときはいつの間にか大切な時間になっていた。嬉しかった。彼の目的を無茶だと思ってもその時間と引き換えにできなかった。身勝手だったのは自分の方だ。
切島が背後に向かって呼びかけた。
「だとよ、爆豪」
「出てこいよ。聞いてんだろ」上鳴も続いて呼んだ。
「うぜえ。クソが」
 爆豪がのそっと影から出てきた。眉間に皺を寄せた明らかに不機嫌な様子に「うわあ」と悲鳴が出そうになる。
「お前が緑谷の気配に気づかないわけねえもんな」
「余計なことをべらべらと言いやがって。てめえら、さっさと失せろ!」勝己は怒鳴った。
「じゃあな、緑谷、後は二人で決めな」
 上鳴と切島はニヤニヤと笑いながら去り、廊下には出久と勝己だけが残された。勝己が出久に向き直る。もう怒ってはいないようだ。どこまで聞かれていたのだろう。身体が震える。だが言わなくちゃいけない。勢いで答えてはダメだ。
「ごちゃごちゃ言ってたけどよお。俺だから抱かれたって、ことなんだよなあ、デク」
凶悪な笑みを浮かべて勝己が口を開く。
「それは、そうなんだけど」そこは認めざるをえない。
「俺もてめえだから抱いたわけわけだからよ。なんの問題もねえよなあ」
 威嚇するような笑顔が怖い。でも押されちゃいけない。出久は息を吸い込み口を開く。
「あの、かっちゃん」
「んだよ」
「考えさせてほしいんだ」
「ああ?この期に及んで何言ってんだ、てめえ。ダメだ!俺がどんだけ曲げて曲げて。こんだけ自分を曲げたってのに、まだ足りねえってのか。これ以上曲げるとこなんてねえ!」
「かっちゃん、僕は逃げてるんじゃない。ちゃんと考えて」
「てめえはロクなこと考えねえだろ。感じろよ。考えるんじゃなくよ。友達なんかにゃなれねえ。てめえもそうだろ。そんなこと言ったことねえもんな。初めっからお前とは友達じゃねえんだ」
「そんな、かっちゃん」
「でも気になってしょうがねえ。苛立ってしょうがねえ。関わらずにいられねえ。だったらどうなりてえのか。てめえをどうしてえのか。俺はずっと。ずっとよお」勝己は拳を握る。「俺がそうしたようにてめえも感じろよ、クソが。今てめえはどうなんだ。まだ俺が怖えのかよ。ぶっ殺すぞ!」
 勝己の声が上擦っている。彼は無理強いしてるのではない。まっすぐ出久の心を問うているのだ。
 答えなきゃいけないんだ。胸がきゅうっと掴まれたみたいに痛い。僕は君が怖いのだろうか。それとも怖いのは僕の中の何かなのだろうか。僕はもう君の後についていってた僕じゃない。君は堂々と僕の前を歩いていた君じゃない。隣を歩いて身体を重ねて、僕は君に今何を感じているんだろう。それでもなお。
 ああ、怖いんだ。たまらなく怖い。
 君を怒らせるであろうことも。並んで歩いた時間を失うだろうことも。
「怖いよ」
 目を逸らして出久は小さな声で答えた。勝己の肩がピクリと震える。 喉が詰まったようにそれ以上声が発せられない。だが勝己は黙ってまだ出久の言葉を待っている。
 感情を晒しているのは君なのに暴かれるのは僕の方なんだ。
「君の顔が見れないんだ」出久は俯いてやっと言葉を紡ぐ。「怖いのか怖くないのか好きなのか嫌いなのか。混乱してわからない。こんなはずじゃなかった。前より酷いんだ。こんなんじゃダメになるよ」
「はっ」一瞬の沈黙の後、突然勝己がはじけたように笑い出した。
かっちゃん、笑ってる?
 なんで、かっちゃん、笑ってるんだ?
「それが俺がずっと味わってきたもんだ。てめえもおかしくなればいいんだ。ざまあみろ」
 出久はそろっと顔を上げる。勝己はさも嬉しそうに破顔している。一歩踏み出すと彼は片手で出久の首を掴んだ。身体を引く間もない。
「かっちゃん、何を」
 ひくりと咽喉が鳴る。締められるのか。だが熱い掌は優しく首筋をさするだけ。壊れ物に触れるようにさらさらと勝己の手が皮膚を滑る。指が顎を掴む。
「ざまあみろ」勝己が顔を近づける。「デク」
 触れるほどに間近で名を呼ぶ勝己の声。赤い瞳に火が灯っているかのようだ。かっちゃん、と名を呼ぶ前に唇が塞がれる。

 電車を降りると階段の下で勝己が待っているのが見えた。出久に気づいたのかこっちを見上げて、顔を顰める。出久は慌てて急ぎ足で駆け降りる。勝己の前に走り寄ると、どんっと胸を拳で小突かれた。ちょっと咳き込む。
「てめえ、遅えんだよ。同じ電車だろうがよ」
「ごめん。かっちゃん。ちょっと飯田くんと麗日さんと話してたから」
「あいつらとは学校で喋ってっから、もういいじゃねえか。」
「学校ではその、ちょっと言いにくくて。やっぱり二人には話しておこうと思ったから」
「俺らのことかよ」
「う、うん。二人には隠したくなかったから」
「一緒に帰ってるとしか言ってねえんじゃねえだろうな。全部話したんか」
「えーと、うん、そうだけど」
「ああ、ならいいわ」
 いつものように連れ立って歩き始めた。そっと横顔を見る。 勝己の機嫌は直っているようだ。顔には出てないけれど纏う雰囲気がそう告げている。彼の黄金色の髪が陽に照らされて透けるように輝いている。
「今日家に来んだよな」勝己が口を開く。
「うん。宿題してから」
「はあ?すぐ来い。宿題なんか持ってくりゃいいだろ」
 勝己はくるっと方向転換して道を引き返した。商店街の方に足を向ける。デクも小走りになって着いて行く。
「帰り道こっちだよ?かっちゃん」
「買うもんあんだよ」
「コンビニじゃダメなの?」
「近所でなんか買えるかよ」そう言ってから付け加える。「もうゴムがなくなったんだ。言わせんな、バカデク」
「あー、あ、そう、なんだ」
 出久は恥ずかしさから俯き、消え入りそうな声で返事をする。
「なしでいいってんなら俺は構わねえけどよ。その方が気持ちいいしよ」
「ハイ、いります」
 勝己は出久の顔を覗き込んでにやりと得意気な笑顔を見せる。
「顔が真っ赤になってるぜ、デク」
 橙色の陽が差す方向に見えるのは、子供の頃によく遊んだ森だ。丘の上に頭一つ突き出ているのは昔登った大木だろう。木の上から街を見下ろせたように、街からも木が見えるのだ。
「そういえば」出久は思い出して口を開く。「僕が忘れてる約束って何のことだったの?
 振り向いた勝己と視線が合った。
「言ったろうが、忘れてんならいいってよ」
「でも、気になるよ」
「教えねえよ。ぜってえ教えねえ。知りたきゃてめえで思い出せ」
 そう言うと勝己は歩を速める。慌てて出久も速足になり、彼に追いつく。

 有頂天だった。誰よりもいい個性が発現したのだ。
 力をひけらかしたくてしょうがなかった。それに水を差すのはいつも出久だ。また遊んでやってた奴を庇って俺を非難しやがる。
「やめなよ。かっちゃん」
「どけよデク。そいつがヴィラン役だろうが」
「遊んでるだけだろ」「なあ、かっちゃん」子分達が口々に調子を合わせる。
「かっちゃんが勝手に決めたんだろ。そんなのヒーローじゃない」
「一番強えのがヒーローだろ」
「僕が許さない」
 生意気なことを言いやがる。頭にきて出久に殴りかかった。だが腕を伸ばした瞬間、身体が前によろけた。前に出した腕を出久が掴んで引っ張ったのだ。勝己はバランスを崩して膝をついた。
 今、何が起こった?こいつが反撃したのか。個性もねえ何も出来ねえこいつが。
「逃げて」出久が庇った奴に声をかける。
 子分達が逃げる奴を追いかけていった。だが逃げる奴なんか目に入らない。頭に血が上り、出久を引き倒して馬乗りになった。
「デクのくせに」
 と言いながら平手で叩く。拳で殴らないくらいには頭は冷静だった。おどおどした目を見て溜飲が下がる。
「おいデク、謝れば許してやる」
「何を?」
「俺に逆らったことをだ」
 ビクつき目を逸らしながらもあいつは反論した。
「間違ってるのはかっちゃんだよ」
「なんだと」
 地面に手を叩きつけて小さく爆破すると、ビクリと出久が震えた。だが怯えてるくせになおも言い募る。
「あんなのヒーローじゃないよ」
「てめえ」
「かっちゃんはすごい個性を持ってるのに。どうしてあんな使い方しかしないんだよ」
 腹が立った。思い知らせてやる。
「ちょっと来い」
 立たせて手を引っぱった。あいつは「どこに行くの」と不安気に聞く。「いいもの見せてやるよ」と答えてにやりと笑う。
 森を歩かせて大きな木の下に出久を連れてきた。最近仲間に入ってこない出久。自分が乱暴するからか、あいつが生意気だからなのか。もうきっかけは忘れた。
 最近知った個性の使い方だ。掌を下に向けて爆破すればかなり高いところまで跳べる。出久の腰を抱えて狙った枝にジャンプした。「うわあ」とあいつが叫ぶ。
 あいつを抱えたまま木の枝に座り、原っぱの全景を見渡した。まるで森の王になったかのようだ。 怖がってしがみつく身体をしっかり抱きしめる。
「見てみろよデク。な、俺の個性でここまでジャンプできるんだぜ」
 得意になって言う。こんなことできるの俺だけだ。
「早く降りようよ、かっちゃん」
 折角連れてきてやったってのにとイラッとした。てめえだから見せてやってんのに。
 ふとタンクトップ越しの出久の体躯を意識する。個性の影響で体温の高い自分より低い体温のはずなのに、なぜか自分よりほんのり熱く感じる。ふわふわのくせっ毛の日向の匂い。つい最近まで無造作に当たり前のように触れていたのに。叩いたり蹴ったりすることはあっても、今はこんなふうに触れられない。出久が触れてくることももう殆どない。いつも俺のすぐ後をついてきたくせに。いつの間にか楯突くようになった。怯えながらも反抗する出久。お前がそんなだから俺は。
 俺を認めねえのか。認めろよ。どうすれば認めるんだ。てめえの言うヒーローってなんだよ。強ければいいんじゃないのかよ。離れても離れきらずに、遠くから観察しやがって。ふざけんな。それがてめえの望む距離なのかよ。俺を参考にして、てめえがヒーローになるつもりなのかよ。なれねえよ。てめえは俺より下だ。ずっと下のままだ。だからてめえは俺だけ見てりゃいいんだ。
「怖いよ、かっちゃん」
 そう言い、出久は勝己を見上げ、さらにぎゅっと抱きついてくる。緑がかった大きな瞳。密着するあいつの身体。触れたところがぶわっと熱を帯びる。頭が真っ白になり、勝己は動転して手を離してしまった。
 しまった。
 腕を掴もうとしたが間に合わない。やべえ、落ちる前になんとかしないと。
 勝己は地面に掌を向けた。温度は低めにして地面を爆破して爆風を起こす。出久の身体がゆっくり軟着陸したのが見えた。
 ジャンプして下に降りる。出久は寝転んだまま目を丸くしている。
「おい」と勝己は声をかけた。
 出久はそろっと顔を向けた。焦点が合ってない。だが勝己を認めるとみるみる目に涙を貯める。背筋にふわりと走る感覚。これは何だ。上半身を起こした出久の目から大粒の涙が吹き出し、ぽろぽろと零れ落ちる。
「酷いよ、かっちゃん」
「落ちるてめえが悪いんだ」
 そう言いながら触って身体を確認する。熱で赤くなってるところはあるが、大した怪我はないようだ。
「ほんとにデクだな。てめえひとりじゃ何もできねえ」そう言いながら勝己はほっとする。
「酷いよ。舌ちょっと噛んじゃったよ」
「ああ!? 知るかよ」
 見ると出久の舌先に血が滲んでいる。紅い紅い色。吸い寄せられる。勝己は顔を寄せてそれを舐めた。
「か、かっちゃん?」
 引っ込んだ舌を追いかけて口を合わせる。ふにゅりと柔らかい唇。はむっと啄む。そろっと隙間に舌を忍ばせる。
「ん、ん」
 逃げる舌を捉えてぴちゃぴちゃと音を立てて絡ませる。柔らかくて甘い。とろけてしまいそうだ。出久はぎゅっと目を瞑り頬を紅潮させている。勝己のなすがままだ。気分がいい。キスを味わいようやく出久の唇を開放した。
 気持よかった。喉が渇く。もっと欲しい。こいつを。
 もっとよこせよ。
 無意識に幼馴染の頬に手を伸ばす。指先が滑らかな肌に届く。
「かっちゃん」
 か細い声で呼ばれて我に返った。今、何をしていたんだ俺は。何をしようとしていたんだ。
「クソが」
 胸のうちに燻る行き場のない熱。内側からじりじりと灼かれてゆくようだ。熱の向かう先は今目の前にいるのに。
 こいつのことだけは何一つ思い通りにならねえ。なんで、なんでだ。
 立ち上がり、ぼうっとしている出久に言った。
「おいデク、誰にも言うなよ。二人だけの秘密だからな」

END

 

醒めて見る夢(R18)

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 葉山がゆさっと腰を揺らした。反動で暫く口内で動かなかった陰茎が口内に侵入してくる。亀頭を咥えて舌先で舐めていたが、それだけでは足りないのか。律動するように奥に進められ、うっと喉の奥で声が漏れる。涙が眦に溜まる。
 放課後の多目的教室で比企谷は葉山の前に跪いて口淫していた。葉山は比企谷の頭を掴んで固定すると前後に腰を揺らす。先走りが出たのか。舌に仄かな潮の味がする。上目遣いに見上げて相手の表情を伺う。葉山は熱を帯びた瞳で見下ろしている。動きを止めると比企谷の頬を撫でる。
「苦しいかい?」行為に似合わない優しい口調で葉山は言う。「もういいよ」
 肉茎が口内から引き抜かれる。唾液で濡れたそれは生々しくそそり立っており、堪らず比企谷は目を背ける。葉山は膝をついて比企谷の頭を掴んで自分の方を向かせる。目を合わせて告げる。
「口じゃやはり物足りないだろ。下に入れるよ。その為に舐めてもらったんだからね」
 涼やかな声で告げる言葉の意味にどきりとする。葉山、と言葉を発する前に腕を捕まれて長机の上に仰向けに押し倒された。押さえつけられて動きを封じられる。下着ごとズボンを脱がされ、下半身を剥き出しにされる。上履きがことりと床に転がった。靴下だけを履いたまま膝を曲げて開脚させられ、葉山の目の前にすべて晒される。
「入れるよ。いいね」
 葉山は手を添えて後孔に屹立を押し当てる。さっき自分の口内を蹂躙していたものだ。形を思い出して戦慄し、ひくっと喉が鳴る。
「怖い?」と葉山は問う。
 睨みつけると葉山は苦笑する。頬を優しい手つきで撫でると「いくよ」と言い腰を前に進める。ずくっと弾力のある先端が、葉山の一部が押し込まれる。内に感じる葉山の体温。馴染む間もなくさらにぐっと強く突かれる。
「はあっ」
 鈍痛に貫かれて比企谷は掠れた喘ぎ声を上げる。曲げた脚を抑え込まれ太い先端と括れが挿れられる、続いて竿が内壁を擦りつつめりめりと隙間を押し拡げてゆく。揺さぶられるほどに体温を持つ肉茎が身体に沈められてゆく。繋げた部分を眺めていた葉山は顔を上げて微笑する。端正な相貌に欲情に濡れた雄の瞳。
―葉山なのに別人のようだ。
 見てられなくなって比企谷は目を瞑り顔を背ける。葉山は比企谷のシャツのボタンを外してゆく。タンクトップをたくし上げて乳首を押し潰すように撫でて摘む。乳首に感じる違和感に、葉山の指の感触に堪らず目を開ける。葉山自身は衣服を乱すことなく、ズボンの前だけを寛げているだけ。陰嚢は下着の中に収めたままに、ただ陰茎だけを出して比企谷に挿入している。自分は半裸で靴下も履いたままで、なんてみっともない恰好なんだろう。葉山は次第に息遣いを荒くさせながら、腰を振り続けて比企谷を揺さぶる。葉山の動きに宙に浮いた足が揺れる。長机の脚が軋む。感じるところをこりこりと亀頭が掠める。何度も繋げられて植えつけられた。知ることもないはずだった体内の性感帯。
「あ、う、」抑えられず声が漏れてしまい、唇を噛んで必死で押し殺す。
「比企谷、唇に傷がつくよ。誰もいないから声を出してもいい」
 優しげな口調が忌々しい。
「誰のせいだと思ってるんだ」
 睨みつけると葉山は薄く笑う。
「痛いのかい?比企谷」
「痛えよ、お前の突っ込まれてんだぜ。畜生」
「それだけかい。さっきみたいな君の声、聞かせてくれないか」
 葉山は囁き、艶めいた色気を振りまきながら容赦なく律動する。感じたところを今度は抉るように擦られる。
「や、やめ、葉山」
「これが本当のセックスだよ、比企谷。何度でも君に教えてやるよ」
 葉山は言う。自分では手の届かない体内の奥。そこを激しく行き来する葉山の肉体の一部。押し広げては引き抜く動きを腰が追いかける。
「気持ちいいよ、比企谷。俺を求めてきゅっと締めてくる。君の中は狭くて熱いね」
「くそったれ」
 悪態をついても目の前の男は悪びれもせず嬉しそうに微笑んでいる。葉山は根元まで身を沈めると引き抜きまた埋めこんでゆく。リズミカルに脈打つものに穿たれながら思う。いつ醒めるんだろうか。いつ。葉山は眉を寄せて問う。
「上の空だな。何を考えてるんだい、比企谷」
「夢なら、良かったのに」
 葉山は顔を顰める。
「夢ならこんな酷いやりかたしないよな、俺は」
 葉山は性器を引き抜いてゆく。太い部分が体内から出てゆき、内臓を押し上げていた圧迫感から解放されて比企谷は深く息を吐いた。ちゃりっと聞こえるベルトの音。終わりなのか。やっと解放されるのか。だが比企谷がほっとする間もなく、脚を大きく開かされ再び強く突き上げられる。
「はあ、う、葉山」
「夢なんかにするわけないだろ」
 一気に侵入される衝撃に比企谷は仰け反る。陰茎がさっきよりずっと奥まで穿ってくる。叫んでしまいそうになり必死で声を殺す。
「いや、は、はや、ま。なんで、お前」
「もっと呼べよ、俺の名を」
 葉山はズボンを穿いていたのではなく、脱いでいたのか。もっと深く俺の中に挿れるために。葉山は比企谷の腰を逃がさないように掴んで激しく肌を打ち付ける。挿入されるたび肌に陰嚢がぶつかってくる。知らなかった身体の隙間をこじ開けて葉山が容赦なく性器を沈めてゆく。
「夢ならこんな実感はないだろう」
 葉山は身体を倒して屈みこむと乳首を口に含んで舐めて甘噛みする。さらりと胸に葉山の髪が触れる。首筋をキスで辿り唇を重ねてくる。柔らかい唇。比企谷は唇を固く噛み締める。ぐっと葉山が腰を回すように揺する。衝撃に比企谷は悲鳴を上げる。開いた唇の隙間から葉山の舌が侵入して深く犯してゆく。口内と後孔の両方を同時に葉山に荒らされる。どくりと体内の存在が震えた。一際強く打ち付けられ繋がった部分が押し付けられる。
「…うっ、ん」
葉山は低く獣じみた声で呻き、そのままぐったりと覆い被さる。筋肉質な脱力した身体はずしりと重たい。こいつ、中で果てたんだ。耳元に感じる葉山の荒い息遣い。
「酷くしたくないんだ、俺は」吐息の中に葉山は言葉を紡ぐ。「でも君がそんなだから」
 朦朧とする意識の中で思う。これも夢に違いない。生々しい実感があるけど、きっと夢なんだ。
 早く、早く醒めてくれ。

 待ち合わせより早く着いてしまった。楽しみにしてたみてえじゃねえか。別にそういうわけじゃねえし。たまたま早くに目が醒めてしまったってだけだし。
 誰にするでもない言い訳を考えつつ、比企谷は目印に指定されたオブジェに所在なく背をもたせかけた。鳥のオブジェの前で待ち合わせようって言われたけど、これ、鳥か?羽というか三日月形というか、なんて形容していいかわからない現代彫刻のオブジェだ。でも他にはそれらしいものねえし。
 周りを見回してみたが、まだ葉山は来ていないようだ。葉山みたいなのはいっぱいいるけれど。自分と同じように待ち合わせしていても、男も女もお洒落したリア充ばっかりだ。
だからショッピングモールの前で待つなんて嫌だと言ったんだ。場違い感が半端ない。折角の休日だというのになぜ葉山なんかと出掛けなければならないんだ。夢見も悪かったし。このまま引き返してばっくれようか。
そう思った途端ポケットの携帯が鳴った。表示をみる。葉山からだ。しぶしぶ電話に出る。
「ばっくれようとなんて思ってないだろうな」
 心臓が跳ねる。比企谷の考えに気づいたかのようなタイミングだ。あいつ、エスパーかよ。
「お前だけでも行けるだろ」比企谷は言い返す。
「依頼されたのは君だろ。ちゃんと出てこいよ」
「はっはっ。あいにくだな。もう来てんだよ」
「君が?」
「ああ、周りに人いっぱいいるし、音聞こえるだろ」
「そうか」責める葉山の口調がおとなしくなった。「疑って悪かった。早かったんだな。急いで行くから待っててくれ」
 通話を切って比企谷は溜息を吐く。ちょっと溜飲が下がったけど、逃げそびれたな。

昨日生徒会の方から奉仕部に仕事の依頼があった。間近に迫った生徒会主催のイベントの手伝いだという。終盤でビンゴ大会を行う予定だそうで、そのための景品の買い出しを頼まれたのだ。そこで女子用の物は雪ノ下と由比ヶ浜が購入し、男子用の物は比企谷が購入することになってしまった。
「俺に普通の男子の喜ぶものなんかわかるわけねえ。アニメのDVDとか本とかしかわかんねえし。貰っても自分の趣味じゃなけりゃ嬉しくねえだろ。ゲームは高いしよ」比企谷はそう抗議したが、一色は「心配ないですよ、葉山先輩にも助っ人頼みましたから」と得意そうに言った。「葉山?なんであいつが出るんだよ」驚いて問い返したが「時間がないんですよ、お願いします」と上目遣いに頼まれては、それが手だとわかっていても首を縦に振るしかない。
 葉山とショッピングだとお。なんで俺が。
比企谷は内心一人じゃないことに安堵しつつ、慣れない相手とふたりきりで間が持つだろうかと頭を抱えた。

 待ち合わせ場所に人が増えてきた。一人一人待ち人を見つけては並んで歩いてゆく。まだ待っているなんて、フラれたんだろうと思われているようで落ち着かない。ここに来てからそんなに時間経ってないぞ。
「すまない、待たせたね」
 葉山がにこやかに微笑みながら走ってきた。姿を見てホッとしてしまう。そわそわしたりなんかして、まるでほんとにデートみたいじゃねえか。
「おかげで夢に見ちまったぜ」
「どんな夢を見たって言うんだ?」
「お前とデートした夢だぜ」
 ついデートなんて言っちまった。買い出しだろ。言い間違えたと思ったが冗談めかしてそのまま続ける。
「初デートが夢のお前ととか、どんだけ運がないんだ」
「そうなんだ。勝手に俺を夢に出演させるなよ」
「はあ?俺が見たくて見たわけじゃねえ」
 憤慨した比企谷の顔を見て葉山は吹き出す。
「いや、冗談だよ。君の夢に出るなんて光栄だよ。俺のことを考えてくれたってことだろ」
「何言ってんだよ。ちげえよ」
「とりあえず、中に入ろうか」
 ショッピングモールの通りに並ぶ服屋やグッズの店。カジュアルからフォーマルからキャラクターものから様々だ。ありすぎてどれがいいんだかわからねえ。まさか一軒一軒見てかなきゃいけないんじゃねえよな。目眩がしそうだ。当然買い物は葉山がリードすることになった。
「普通の奴って何貰って嬉しいんだ」
「そうだな、手頃なところならTシャツとか。趣味のいいのなら何枚あってもいいし」
「その趣味のいいって部分頼むわ」
 葉山の後についてカジュアルな服屋に入った。店頭の服を手に取り何気なく広げてみる。かっこよく英語の文章がデザインされている。
「こういうTシャツとか、どうだ」
 比企谷はTシャツを広げて身体に合わせる。
「比企谷、それは」
 葉山が言葉を濁す。まずいか。こういうのはダサいとか。
「ダメか、悪くねえデザインだと思ったんだが」
「デザインはいいけれど、英語の意味も考えたほうがいいよ」
「これ、どういう意味だ」
「I Belong to You。私はあなたのものって意味だよ」
「あ、あー。そりゃ男向きじゃねえな」
 少し焦って服を畳んで棚に戻す。男向けデザインのくせに、ちゃんと意味考えてプリントしてくれよな。葉山は愉快そうに微笑む。
「でも君には似合うよ。着て見せて欲しいな」
「やめろよ。やっぱお前に任せる」
「いや、二人で選ぼうよ。オレがチェックすればいいんだから」
「なにそれ、ウザい」
 いつもは入らないような店なだけに他愛もないものが物珍しい。色々店を巡るのも楽しくなってきた。比企谷は葉山と相談しつつ、Tシャツや身に着けるものを色々選んで買いこんでいった。
「面白グッズでもいいんじゃないか」
と葉山が言うので雑貨屋に入ってみた。ごちゃごちゃと並んだ品物の中、ふと猫の小さなペーパーウェイトに目が止まる。かまくらにそっくりだ。掌に載せて眺めていると葉山が手元を覗きこんだ。
「それ、欲しいのか」
「いやこんなの景品にしても喜ばれねえだろ」
 葉山はさっと比企谷の掌からペーパーウェイトを奪い、レジに向かう。
「おい、ダメだって。景品にならねえって言ったろ、そんなん」
「オレが買いたいんだ。構わないだろう」そう言って葉山は微笑む。
 店を出ると葉山はペーパーウェイトの入った袋を差し出した。戸惑っていると手元に押し付けてくる。
「は?何だ?」
「受け取ってくれないと困るよ。俺はいらないから」と葉山は屈託のない調子で言う。
比企谷は逡巡しながらも受け取る。どうすればいいんだ。俺も葉山になんかプレゼントすればいいのか。なんでここでプレゼント交換になるんだ。意味がわからねえ。比企谷は迷って口を開く。
「いくらだった」
「いいよ、プレゼントだし」
「お前から貰う理由がねえ」
「じゃあ、飲み物奢ってくれるかい。喉が渇いたよね」
 そうか、それが正解か。そう言われるといきなり喉の渇きに気づく。店巡りをするのに夢中になっていたから、何も飲み物を摂取してなかった。
「一休みしようか。静かでいい店があるんだ」葉山は言う。
 葉山についていって通りに面した珈琲店に入った。注文してセルフで席に運ぶ形式だ。比企谷はふたり分のコーヒーを注文して席に持ってゆく。葉山は座ってウインドウの外を眺めていた。
「ミルクと砂糖、一つずつで良かったか」
「ああ、ありがとう」
 コーヒーに砂糖を入れていると葉山がもの珍しそうに見てくる。
「君は3本も使うのかい。普通のコーヒーでもそんなに砂糖入れるのか」
「悪いかよ。脳みそには糖分が必要なんだ」
 甘ったるいコーヒーを飲んでほっと一息つく。葉山はまだ外を眺めていてコーヒーに手を付けようとしない。つられて比企谷もウインドウの外に目をやる。
おしゃれをしたカップルが幾人も通り過ぎる。リア充はこういうとこでショッピングしたり茶飲んだりしてんだろうな。水槽から外を眺める金魚はこんな気分なのかな。まあ、今日は俺もショッピングしてたわけだが。リア充じゃねえけどあの中に混じって。硝子一つだけで外の喧騒から隔てられてしまう。硝子の向こう側は別の世界だ。仄暗いこちら側はまるで海の底にいるようだ。
「水槽の中にいるみたいだね。それとも海の底かな」
外に目を向けたままで葉山は言う。どうやら同じことを思っていたらしい。
「そうだな」
 素直に返事をする。店内には落ち着いた静かなピアノのBGMが流れている。何処かで聞いたことある曲だな。ああ、なんて曲だったかな。
「好きだな」
「え、何だって、比企谷」
 弾かれたように葉山が顔をこちらに向ける。びっくりさせるようなこと言ったか?
「この曲。題名何だっけ」
「ああ。俺も聞いたことあるけど思い出せないな」葉山は微笑して言葉を続ける。「俺も好きだよ」
 珈琲を飲み干して比企谷は紙袋を確かめる。嵩張るからまとめたほうがいいかな。
「半分俺が引き取ろうか。明日学校に持っていけばいいだろ」
「ああ、いやそれは」
 言い終わる前に葉山は中身を2つの大きめの紙袋に手早く選り分け始める。手際よく分けてゆくので袋を押さえるくらいしか手伝えない。
「すまねえな、葉山。何から何まで」
「いいよ」
 分け終わって片方の紙袋を比企谷の方に寄せながら、葉山は口を開く。
「買い物、思ったより手間取るね」
「ああ、結構荷物も増えちまった。悪いな、時間食っちまって」
「それはいいんだよ。残りは明日にするかい。俺は暇だよ」
「2日もお前とお買い物とかねえわ。一気に済ませたいしな」
「そうか」葉山は目を伏せる。「ところで、君は自分で服を買ったりしないのか」
「親が適当に買ってきたのを着てるぜ。小町は母親と一緒に買いに行ったり自分で買ったりしてるけどな」
「そうか。俺は中学から服は自分で買ってるな。親は休日でも忙しいしね。昔から両親ともあまり家にいないから」
「へえ、そうなのか。小遣いを服に使うなんてもったいねえ」
「なあ、比企谷。こういうのいいな」
「まあな」
 危惧したような間の持たないという居づらさはなかった。今も居心地が悪くはない。こいつがこういうことに慣れているってことだろう。
「比企谷」
「なんだよ」
「俺とまたこんな風に過ごしてくれないか」
「はあ?休日にショッピングに付き合えっての」
「ああ。たまにはいいだろ」
「なに言い出すんだ、お前。断る。そりゃお前らリア充仲間ですることだろ」
「俺は君の言うようなリア充じゃない。わかってるくせに。どうしてだ。なぜ君とはダメなんだ。君も楽しかったんだろ」
「楽しくなくはないけど。ダメっつうか普通にねえだろ、お前ととか。お前は人に合わせるのがうまいから勘違いしそうになるけどさ」
 だが葉山とはそういう仲にはなり得ない。近く感じる時もあったけれど、それ以上に相容れない部分が大きいのだ。葉山だってそれはわかっているはずだ。
「俺が君を楽しませるために気を使ってたとでも?そんなわけないだろ」
「そりゃそうか、女の子相手じゃあるまいし。ねえか。でもな」
「君も俺と過ごして楽しかったってことだよ。ならいいじゃないか」
「買い物そんなに興味ねえし」
「別に買い物じゃなくていい。俺は君と過ごしたいだけだ。君だって嫌じゃないんだろ」
いつになく押しの強い葉山に戸惑う。なんでそんなに食らいついてくるんだ。
「それによ、葉山」
「それに、なんだよ」
「お前、俺が嫌いだって言っただろうが。それとも何か、今更あれは嘘だとでも言うのか」
「それは」
「嫌いな奴となんて、ありえねえだろ」比企谷は片方の口の端を上げて嘲笑う。
 葉山は返事に詰まったのか、それ以上言葉を発することなく目を伏せて黙りこんだ。嘘じゃないんだろ。お前の嫌い、は相容れないってことだ。お前はそう認めているんだから。比企谷は硝子窓を指でコツンと弾く。葉山が顔を上げる。
「今はたまたま同じ側にいるけどよ。本来お前は硝子の向こう側で俺はこっち側なんだ。そうだろ」
 葉山は俯く。コーヒーにミルクを入れて掻き回し始める。黒い珈琲の中に白い渦が巻く。
「君はいつもそうだ」葉山は暫くして口を開く。「ああ、俺は君が嫌いだ。君の在り方が心底嫌いだ」
 それきりまた葉山は黙ってしまう。空気が重くなった。いたたまれない。
「悪かった」葉山は寂しげに笑う。
「おお、仕事早く済ませちまおうぜ」
 その後の買い物は事務的にそそくさと終わらせ、等分に分けた荷物を下げて帰途についた。買い物の終わりにはいつも通りの穏やかな葉山に戻っていた。元通りだとほっとしていいのか。あいつに仮面をつけさせてしまったのかも知れない。でも理由もなく友達でもねえのにおかしいだろ。
 部屋に袋を置き、リラックスウェアに着替えて階下に降りる。台所では小町が夕飯の用意をしていた。味噌汁のいい匂いが漂っている。比企谷はリビングのソファに座り、袋からペーパーウェイトを取り出ししげしげと眺める。向かいのソファに寝そべるかまくらと比べてみる。やはり似てるな。あいつと行ったから見つけたんだよな。普通あんな店に俺が行くことはまずねえし、買わねえし。
確かにあいつはリア充じゃない。そう思っていたかったが違った。知りたくもなかったことだ。あいつは優等生を演じているんだろう。より高みを目指すために。だが期待された像を演じているうちに、それを実像と思ってしまいやしないだろうか。未だ何者でもない俺達が自分を偽っては、見失うのではないだろうか。いや、葉山は取り違えてはいない。それを自覚している。なら奴の歪さはどこから出るのだろう。自分の欲求がわからないのだろうか。人の期待に答えるのが自分の欲求だという。あいつは何も欲しがらない、そうであって欲しいという期待に答えたいという。理解しがたい。葉山は何を固執してたのだろう。つまらないことで人に介入してくるなんて。らしくない。
「かわいいー」
 小町が背後から声をかけてくる。
「お兄ちゃん買ったの?」
「違えよ。葉山に貰ったんだ。お前にやろうか?」
「うーん、いいよ。お兄ちゃんにくれたんでしょ。ならお兄ちゃんに使って欲しいんだと小町思うの」
「別にそんなことねえだろ」
「お兄ちゃんが買ってくれたんなら小町はありがたく貰うんだけどな」
「そうか。そのうちな」
「お揃いのはいらないよ。違うデザインがいいな」

 休み明けは億劫だ。身体が重い。両手も重い。
 登校した比企谷は教室に行かず、すぐに生徒会室に向かった。手には景品を入れた紙袋を下げている。葉山と分けたとはいえそれでも結構な量だ。自分の机の周りに置き場所はない。1限目が始まる前にさっさと置いてこなければ。
生徒会室の前に人影が立っているのが見えた。近づいていくうちにその人影が葉山だと気付いてしまい足取りが重くなる。
「遅いな比企谷」
「遅刻はしてねえ。ていうか、お前と待ち合わせたわけじゃねえだろ」
 葉山の横をすり抜けて生徒会室の戸を開ける。紙袋が机の上に置いてあるのが目に入る。葉山が持ってきたものだろう。その隣にもたせ掛けて置く。葉山はまだ教室に戻らず、部屋の中に入ってきて隣に歩み寄る。比企谷はちらっと彼を伺い、口を開きかけて迷う。
「お疲れ様」
「あ、ああ、昨日はどうも」
 屈託なく先に話しかけてくる葉山にほっとする。安堵する自分が忌々しい。いつもどおりの葉山を期待するなんて。あいつの周囲の奴らと同じじゃねえか。葉山が虚像であろうと実像であろうと俺には関係ねえことなのに。
「一昨日は悪かったな。休み潰しちまって」
「いや、そんなことないよ。楽しかったから」
「お前、別に気を使わなくていいぞ」
「社交辞令じゃないよ。俺は楽しみにしてたし。ほんとに楽しかったんだ」
「お前らってほんとお出かけ好きだな」 
「君と2人でデートする機会なんてなかったからね」
「ちょ、デートじゃねえし。まあよかった。変な感じで別れちまったし」
 葉山は笑うような困ったような曖昧な表情を浮かべる。
「俺は浮かれてたんだ。君が早くに来て待っててくれたから。君も楽しみにしてくれてるんだと思って」
「仕事に楽しいもねえだろ」
「ああ、でも俺は浮かれて欲張ってしまった。ごめん」
「ああいうのは欲張ったというのは違うだろ」
「欲だよ。俺にとっては」
 こいつが人の輪を作りたがるのは欲なのか。どう返事をしていいのかわからず、話題を変える。
「そういや猫のペーパーウェイトの礼言ってなかったな。その、どうも」
「いや、受け取ってくれて嬉しいよ。気に入ってたんだろ」葉山はにっこり笑う。
「いいと思っても別に買わねえよ」
 もう蟠りは残ってないようだ。こいつのことだから見せかけだけかも知れないが。いや、昨日はムキになってただけだろ。俺が誘いを断るくらい大したことじゃないよな。あいつが誘って断られることが珍しいだけだったんだろう。俺ととか、意味わかんねえしありえねえし。
「昨夜、俺も君とデートする夢を見たよ」
いきなり葉山は言い出す。朗らかな口調にどう返していいのか戸惑う。からかってるんだよな。
「はあ?報告いらねえよ」
「君もまた俺との夢、見れるといいね」
 そう囁くと葉山は生徒会室から出て行った。
比企谷は振り向いて葉山の去ったドアを見送る。
夢を見れるといいね。
首を左右に振って耳に纏いつく声を振り払う。あいつは何なんだ。

 彼とデートの約束をした。ここはショッピングモールだ。はっきりとこれは夢だとわかっている。待ち合わせに指定したオブジェの下で待っていると彼が歩いて来る。
「待たせたな」と言って彼は像を見上げる。「どこが鳥のオブジェなんだよ」
「これはブランクーシの「空間の鳥」というんだ。鳥に見えないかも知れないけれど。すらっと軽そうなフォルムだろう」
「今にも何処かに飛んで行ってしまいそうだな」
「うん、そうだね。だから鳥なんだろう」
 見ているうちにオブジェが台座からふわりと浮かび上がる。自由になった鳥はヒラヒラと上空を舞う。金の体を閃かせ空を舞う様は鳥にもみえ、魚が泳いでるようにもにみえる。独り孤独に空を飛び回る姿は、誰かを思わせて切なくなる。縋るように彼の腕を掴む。
「行こうぜ」振り向いて彼が言う。
 連れ立ってショッピングモールの方へ向かい歩き出す。隣を歩く彼の手を引き、そのまま手を繋いで指を絡ませる。気づいた彼がはにかんだように笑う。店の並ぶ通路を抜けると中庭に出る。ローマの神殿のような巨大な柱が並んでいる。大理石の石畳の通路を並んで歩く。ちょっとした野外イベント舞台だったはずが円形闘技場になりかわっている。夢は随分豪華仕様になっているな。沢山花の植えられていた花壇が姿を消してしまったようだけれど。
 石畳の広場を抜けた先に屋内に入る扉がある。通路は薄暗いものの間接照明に照らされて仄かに明るい。通路を抜けると開けた空間に出た。映画館のロビーだろうか。以前に彼と他校の生徒達と映画館に来たことがあった。
 Wデート紛いのあれは彼にとっては嫌な思い出かもしれない。彼女達は君をダシにしたけれどお互い様だ。俺は彼女達をダシにして君を誘ったのだから。俺にとっては僅かでも君の心を暴いた忘れられない思い出だ。本気で憤る君を見て俺は嬉しいと思った。俺の手で君を傷つけたことが。君は暫く口も聞いてくれなかったけれど。
 天井には丸い照明がいくつも吊るされてゆらゆらと揺れている。足元を見ると床を大きな影が横切っていく。大きな魚の影だ。影は悠然とロビーの端まで泳いでは戻ってきて回遊している。壁際に館内に入るドアがある。反対側は大階段になっていてその先には天井まである大きな窓がある。
 ドアの向こう側では何か映画を上映しているのだろうか。あの日の映画がかかっているのだろうか。でも夢の中でわざわざ映画を見ることもないだろう。ドアに向かう彼を止める。
「入らないのか?」
「いいよ。こっちの階段を登ってみようよ」
 君も俺にこうあって欲しいと期待しているところがあるかもしれない。期待、というのとは違うかもしれないが。思惑、だろうか。君は俺に何も求めてないだろうから。けれども俺は君のそんな期待にだけは答えたくないんだよ。
 彼の手を引いて階段を登る。足元に埋まった無数の光る石が仄かに足元を照らす。登った先は喫茶スペースになっている。グランドピアノやバーカウンターがある。他に人はいないようだ。窓際に近寄り外を見下ろす。さっきは昼間だったのに窓の外は夜だ。ビルに明かりが灯っている。上空は波打ってゆるりと大きく渦を巻いている。波紋が広がるように月も星も揺れている。水面に映った星空のように。
「海の底みたいだな」と彼は言う。
「そうだね」そう答えて彼と顔を見合わせる。
 身体を寄せて腕を組む。ピアノの音が聞こえてくる。弾いている人影は見えない。コーヒーショップで聞いたピアノの曲だ。ああ、思い出した。あの曲はショパンの「雨だれ」だ。静かに始まり途中から激しくなるメロディ。機会があれば彼に教えようか。ふと肩に温かい重みを感じる。彼が俺の肩に頭をもたせかけている。掌で頬を包みこちらを向かせる。彼が目を瞑る。顔を傾けてそっと唇を合わせる。触れる唇はしっとりと柔らかい。


 イベントは無事終了した。放課後に比企谷達奉仕部も打ち上げに参加することになっている。打ち上げはカラオケショップで行うことに決まった。
葉山も協力したということで呼ばれている。というか、打ち上げに葉山を呼ぶのが一色の目的だったんじゃないのか。疑いの眼差しを向けると一色はいたずらっぽく笑い返す。やっぱりか。別にいいけどよ。早く帰りたいんだけどな。比企谷はふうっと溜息を吐く。
 昨日は夢見が悪かった。よりによって葉山とキスする夢なんか見ちまうなんて。あいつの顔が近づいてなんかふわっと唇に触れた感触がして。キスなんかしたことねえから、あれでキスって言っていいのかどうかわかんねえけど。比企谷は隅の席に座り、女子は一色の周りにまとまって座った。
「比企谷、ここ、いいかな」
「え、あ、葉山?なんで」
 隣に座ってくる葉山にびくっとしてしまう。なんとなく葉山と顔を合わせにくい。あいつが余所見をしている隙にちらちらと唇を見てしまう。
皆が飲み物を手に取ったところで乾杯をする。一色以外普段は大人しそうな生徒会の奴らが珍しく賑やかで楽しげだ。スケジュールがきつかっただけにほっとしたのだろう。
カラオケの後は何故か王様ゲームになった。誰だよ、こんな危険なゲーム提案したの。どうせ一色だろ多分。籤を引いては出される無理難題に、皆戦々恐々としつつ大盛り上がりしている。
「1番と2番がキスしてくださーい」王様を引いた一色が言う。皆がどよめき引いた籤を裏返して確認している。
「1番と2番誰ですか。名乗りでてくださーい」一色が皆を見回す。「恩赦は出ませんよー」
どうしよう。比企谷はもう一度籤を裏返し、2番と書いてあるのを確認して戦慄する。誰とだよ、男はやだな。ていうか、女子だったら嫌がるよな。はっきり言われると傷つきそう。どっちでもやばい。
「お前さ、キスしたことあんの?」
 こっそり葉山に聞いてしまった。葉山は呆けたような顔をして、次に悪戯っぽく微笑する。
「君はさっきからずっと俺の口元を見ていたよな」
「そ、そんなことねえよ」
 気づかれていたのか。気付かれるほどじろじろ見ていたのだろうか。
「俺とキスする夢でも見た?」
「は?え、ちが、そんなわけねえ、違うって」比企谷は狼狽える。「籤がってだけで、別にその、そんな夢見るわけねえだろ」
「ほんとに見たのか。君は意外とこういうことには嘘がつけないんだな」
「だから、違うって言ってるだろ」
 ふっと笑って葉山は比企谷の手から籤を奪う。番号を見て、自分の番号を見せる。
1番だと?嘘だろ。
「俺と比企谷だ」
そう言って葉山はふたり分の籤を示した。どよめきの声が上がる。葉山はにこやかに笑い比企谷を振り向く。
 何がおかしいんだ。当たったお前とキスすることになってしまったんだぞ。生徒会の面々は面白がって騒いでいる。女子は呆れた顔をしながら興味津々という風情の視線を向ける。雪ノ下も由比ヶ浜も助け船を出してくれる様子はまるでない。三浦でもいれば止めてくれるだろうに。よりによってこんなタイミングで。夢での感触が頭を過る。
「するしかないようだよ、比企谷」
「嫌だ。絶対嫌だ」
 比企谷は首を振って長椅子に座ったまま後退る。葉山はにこやかに笑いながら迫ってくる。
「往生際が悪いな」
 葉山は怖気づく比企谷を壁際に追い詰める。囲い込まれて比企谷は力づくで長椅子に押し倒された。身を捩るが葉山に身体で押さえつけられ逃げられない。
顔が近づいてくる。顎を捕まれ唇を重ねられる。
 嘘だろ。頭が真っ白になる。柔らかく生温い湿った唇の感触。我に返り首を捩っても離してくれない。抗議しようとして口を開ける。すると、それを待っていたかのように葉山の舌が滑り込んでくる。動転して身体が硬直する。舌は比企谷の舌を探して這いまわり見つけて絡まる。ぬるりと熱くて柔く、だが凶暴な舌は比企谷の舌とすり合わせ、歯列を辿り口内を蹂躙する。皆からは葉山の背中しか見えないのか。こんな目に遭わされてるのになんで気づかないのだろうか。彼らは何が面白いのか囃し立てている。公衆の面前でこいつ何やってんだよ。頭の奥が痺れてじんと熱くなる。目の前が霞んでくる。
 漸く葉山は唇を離す。そっと比企谷の口元を覆い、悪戯っぽく微笑んで言う。
「ほんとにすると思った?」
「は?な、何言って」
 比企谷はせき込みながら声を発する。一色が憤慨した声音で言う。
「なんだ掌で蓋してたんだ。狡いですよ。キスっていっても、頬っぺたとかでいいんですから」
 え?そんなんでよかったの?
「でもほら、比企谷泣きそうだし」
「あれ?先輩、本当だ」
 言われて気づき目元に触れる。指先が濡れる。
「だらしないわね。未遂なのでしょう」雪ノ下が冷ややかに言う。
「ヒッキー大丈夫?」由比ヶ浜は心配そうに聞いてくる。
 いや、こいつガチでキスしたんだぞ。誰も気づいてないのかよ。いや、気づかれなくて良かったけど。葉山の指が比企谷の目元を拭う。何事もなかったかのような涼しい優等生面。腹が立ち、比企谷は葉山の手を振り払って睨みつける。
 こいつ、一体何考えてんだ。
 9時過ぎに打ち上げはお開きとなった。夜の帰り道は暗くて心配だからということで女子達を送る。生徒会の奴らとも別れて葉山とふたりきりになった。別れの言葉もそぞろに急いでその場を離れる。
 空には明るい満月がぽっかりと浮かんでいる。街灯の光が2つの影を細長く伸ばし、次の街灯の光が影を捕まえて短くし、影は反転してまた細長く伸びてゆく。光が影を捕まえようと手を伸ばしているようだ。逃れてもまた捕まるイタチごっこ。どこか心が落ち着かなくなる。背後から軽やかな足音が近づいてくる。葉山だろう。隣に並ばれたので小走りになる。だが早足で離れようとしても、その度に葉山は追いついてきて隣に並ぶ。追い越してくれと思いつつ足取りを遅くしても離れていかない。何食わぬ顔で夜空を見上げている。よく平気でいられるな。あんなことして気まずいと思わないのか。
「お前、何のつもりだよ」堪らず比企谷は尋ねる。
「何が」
「王様ゲームの時だ」
「ああ、キスのことかい。そんなにショックだったのかい」葉山はふっと笑う。「君を泣かせるのも悪くないね」
「お前、悪趣味だ」
「俺は君が嫌いだからね。嫌がらせだよ」
「やな奴」
「比企谷、俺がどうしてこんな嫌がらせをしたんだと思う」
「知ったことかよ」
「デートしたりキスしたり、君はどうしてそんな夢を見るのか、君は考えたことはあるのかい」
「そんなの、夢は夢だ。脳味噌がデタラメに記憶から断片を引き出して来るんだろ」
「情報は脳の前頭葉に一旦蓄えられるんだ。寝ている時に情報は前頭葉から記憶野に移される。その時に夢を見るとも言われてるね」
「そうかよ。だからなんだってんだ」
「とはいえ確定しているわけじゃない。何故夢を見るのかはまだわかってないことが多いよ。君は俺とキスしたことないのに夢に見たんだろ」
「だから、それは」
「見たんだろ。比企谷」
 もう見透かされているのだ。ならばと比企谷は開き直って言う。
「夢で見たからって、それがなんだよ」
「その情報は何処から来たんだろうね」
「知るかよ。もう夢の内容なんか忘れちまった」
「忘れてないだろう。たとえ忘れたとしても記憶野に蓄えられた情報は消えるわけじゃない。ただ、情報にアクセスする方法を失っただけなんだ」
 葉山の意味ありげな表情が落ち着かなくさせる。漸く別れ道にさしかかり、比企谷はほっとする。
「俺はこっちだから、じゃあな」
 葉山に背を向けて歩き始める。少し歩を進めたところで背後から呼びかけられる。
「比企谷」
 立ち止まるつもりはない。さっさと離れたい。
「今日も俺とキスする夢を見るといいね」
 その言葉に振り向く。葉山は立ち止まったまま、まだこちらを見ている。先ほどまでの穏やかさはなく俺を責めるような表情で。あいつが笑顔の下に隠していた表情だ。いたたまれなくなり足取りを早めて急いで離れる。まだ背中に感じる葉山の視線から逃れようと。
 葉山が言った通りにその夜も奴とキスをする夢を見た。だが昨日の夢とは違った。触れるだけじゃない。カラオケショップでされたようなディープキスだ。組み伏せられて身体は動かせず、なすがままに深く口付けられる。口内を生々しく這いまわる熱い舌は生き物のようで。舌を絡め取られて蹂躙され、そのまま内側から食われてしまいそうだった。

 夜道を歩いて彼を家まで送る。アスファルトが硝子の粉を撒いたようにキラキラと光っている。星空を映したとったようだ。空に浮かぶ月が抱えられそうなほど近くに見える。
「月が綺麗だね」彼に言う。
「ああ本当に。月が」
 彼はそこで言葉を切り、俺の方を振り向く。月が綺麗だと、それが意味するところを考えているんだろう。彼はそれがIlove youの和訳だと知っているだろうか。彼は笑って答える。
「英訳するとIlove youなんだよな。漱石だっけ」
「そうだよ。返答として二葉亭四迷の死んでもいい、がセットになることがあるね。こっちはロシア語の私はあなたのもの、の和訳だよ」
「月が綺麗ですね、に死んでもいい、が返事かよ。合わねえ。好きだって言うのに回りくどいことだよな」
「ああ。 とても言えないからね。日本人はシャイなんだ」
「お前でもそうなのか」
「ああ。怖くて言えないよ」
現実では月が綺麗だとすら言えない。どうして告白できる。
「I Belong to You。和訳してみろよ」
「ああ、私はあなたのもの、だ。俺が君に教えた言葉だろう」
そんな風に返してくれるなんて、とても思えない。
あの時、珈琲店で「好きだ」と言った君の言葉に鼓動が止まりそうになった。違う意味だとわかっていても。君も俺と同じように思ってくれているのだと一瞬思いこんだ。言葉は毒だ。内側から身体を蝕んてゆく。
ゆっくり歩いていたのに、いつの間にか彼の家に到着していた。
「上がっていけよ。今家に誰もいないから」
 彼は言う。そっぽを向いた彼の首が赤くなっている。照れて赤面しているんだろう。現実なら彼がそんなことを言うなんてあり得ない。夢だから都合いいな。でも夢の中でくらいいいだろ。迷うことなく彼に続いて家に入る。戸を開けるとすぐに彼の部屋だ。いつの間にか足元から靴がなくなっているので、そのまま足を踏み入れる。
 ベッドに学習机にクローゼット、その側に全身が映る姿見がある。俺の部屋みたいだな。彼の家に来たことはないし、部屋を見たこともないからイメージが曖昧だ。本当は違うんだろうな。見覚えのある猫のぺーパーウェイトが机の上に置いてある。彼も使ってくれてるだろうか。
 前に立つ彼の首元に触れる。ほっそりした首の滑らかな皮膚の感触。彼は振り返りつつ照れて真っ赤になった顔を上げる。顔を寄せてそっとキスをする。離してまたキスをする。今度は深く舌を互いに絡ませる。腰を抱いてゆっくりとベッドに押し倒す。脇腹を愛撫して背中に腕を回し、きつく抱きしめる。


 誰かと性交する夢を見た。のしかかる重い身体。熱い体温。鍛えられた硬い筋肉の感触。誰だ。背に回される腕。肌を撫でる掌、肩甲骨の窪みを辿る指先。脚を開かされ剥き出しの局部の肌が触れ合う。膨らみかけた互いのものをこすり合わせる。小さく声を上げてしまう。男が顔を上げる。小麦色の髪に優しげな、けれども射るような眼差し。こいつ、葉山なのか。
 認識した瞬間に目を醒ました。見覚えのある天井が見えてほっとする。身体は汗びっしょりだ。肌にまとわりつく寝間着が鬱陶しい。セックスしたことなんてない。だから夢でももやっとしていた。肌の触れ合う温かい感触だけだ。実感があったわけじゃない。あんなのは違うだろ。でもとても、何かを喉元に突きつけられたようで。比企谷はぶんぶんと首を振る。階下に降りると寝間着を脱いで洗濯機に放り込む。大体男なのに組み伏せられるとかねえわ。相手が葉山じゃ下になるのはしょうがねえけど。てか、しょうがねえってなんだ。
 家を出て自転車に跨り腕時計を見る。登校時間には少し遅れるかも知れない。自転車を漕ぐ足を早める。涼しい風が汗ばんだ身体を乾かしてゆく。肌にまとわりつく幻の温もり。夢の記憶も風で飛んでいけばいい。
 教室では朝から気まずくて葉山の顔が見れない。不自然な行動を責めるような葉山の視線が痛い。中休みになり葉山が席に近づいてきた。視線を逸らす比企谷に葉山は眉根を寄せて問う。
「今日は随分よそよそしいね」
「いつもどおりだろ。別にお前と仲良くねえし」
「そうかな。俺は君とかなり近くなってきてるつもりだったけど」
「どこがだよ。お前の勘違いだ」
「そうか」葉山は言う。「ところで、忘れてないだろうな。今日俺の家に来るんだろ」
「え?そうだったっけ?なんの用事だった」
「俺が預かってるこの前の生徒会のイベントの景品の残りを渡すためだよ」
 そういえばカラオケショップに景品の残りを入れた袋があった。帰りにはなかったから誰かが持って帰ったと思っていた。葉山だったのか。
「俺がなんでそんなこと、学校に持って来ればいいだろ」
「君が取りに来るって約束しただろう」
 そんなこと言ったのか?キスの後は記憶が朧げになってしまった、その後打ち上げで何をしていたのか、何を言ったのか殆ど覚えてない。夢の中の約束のようだ。
「どうしてもか」
「ああ、約束しただろう」
 今朝の夢が頭から離れてくれない。こんな時にあいつの家に行くのか。胸がざわつく。
 放課後になり、校門の前で待っていた葉山と合流して家まで自転車を押してゆく。玄関に到着したものの躊躇していると強く手を引かれる。「玄関で待ってるから持ってきてくれ」と言ってみたが、葉山に全く聞いてくれる様子はない。「さっさと上がれよ」と言われ渋々部屋に上がる。
 白を基調にした整理された部屋机とベッドとクローゼット。夢で見た葉山の部屋もこんな感じだったような。違うのはベッドの向かいにある姿見くらいか。
「部屋に全身映る鏡なんて置いてるのか。お洒落な奴は違うな」
「そうかな。普通だろ」
「うちには大きな鏡なんて洗面所と母親の部屋くらいにしかねえよ」
 葉山はベッドを背にして膝を立てて座った。しょうがなく比企谷も隣に胡座をかいて座る。
「昨晩はどんな夢を見たんだい」
 葉山に聞かれてどきりとする。まるで知っているかのような口調だ。動揺が声に出てしまいそうで答えられない。葉山はにっこり笑って続ける。
「夢の意味を考えたことはないか」
「またその話か」
フロイトの説なら夢は抑圧された欲望、ユングの説だと深層意識の現れだ。君の夢の意味はなんだろうね」
「くだらねえ。意味なんて考えてもしょうがねえだろ」
「夢に出てくる相手は自分を想っていると言うよね」
「迷信だろ」
「話を変えようか」葉山は言う。「明晰夢って知ってるかい」
「聞いたことはあるけど、よく知らねえよ」
「夢の中で夢を夢だと認識して夢をコントロールすることだ。それができれば自分の思い通りの夢を見ることが出来るんだよ」
「それが俺に何の関係があるんだ」
「思えば相手の夢に現れる。そうして自分の夢を操れるなら、想う相手に自分の望み通りの夢を見せることが出来ることにならないか」
 葉山は微笑している。優しげだが得体のしれない笑顔に背筋がぞくりとする。
「想う相手に思い通りの夢を見せるってのか。それこそ夢物語だな」
「そう思うかい?」
「お前が俺に夢を見せたってのか」
 葉山は笑みを浮かべたまま近づいてきて顔を寄せる。思わず後ろに後ずさる。
「俺がデートする明晰夢を見たから君も見たんだ。キスをする夢を見たから君も見たんだろ」
「そんな荒唐無稽な話、あるわけねえじゃん」
「君が自然に見たと思うのかい」
 混乱する。まさか本当にそうなのだろうか。おかしな夢を見続けているのは。葉山は比企谷の腕を引き寄せて囁く。
「俺は君とセックスする夢を見たよ。君は見たのかい」
 額に汗が噴き出す。葉山の顔を見られない。視線が泳ぐ。
「み、見てねえよ」
「へえ、見たんだね」
「違う、あれはそんな」
「君を組み伏せて裸の身体を重ねて、君の肌を愛撫したよ。君はどうなんだ?」
 どうしてそんなことまで知ってるんだ。ひょっとして本当に葉山が。
「まさか、あれをお前が見せたってのか」
 葉山に顔を向けて震える声で問う。
「はは、やっぱり見たんだな」葉山は笑う。
「葉山、お前」
 比企谷は乗せられて余計なことを言ったことに気付く。葉山の言葉を肯定してしまったのだ。
「お前、カマかけたのかよ」
「俺にそんな力があるはずないだろ」
「そんなことを認めさせて、一体何がしたいんだ」
 葉山はにじり寄り、比企谷の側頭に手をつき囲い込む。
「君は夢で俺とキスをしてセックスしたんだ」
 何故か葉山の口調は苛立ちを帯びている。比企谷は首を振る。
「そんなことどうだっていいだろ。イベントの景品、渡せよ。それが用事だったはずだ」
 葉山の腕の檻をもぎはなす。立ち上がろうとした比企谷を葉山は腕を掴んで引き留める。「セックスする夢を見たのは本当だよ。俺の身体の下で君は喘いでいた。俺のものを挿入されて悶えていたよ」
「何言ってんだ、葉山」彼らしからぬ直接的な言葉に背筋が凍りつく。
「俺は君を征服したんだよ。夢の中でね」
「お、前」
「でも夢じゃ実感が残らないんだ。何一つ」
「当たり前だろ。離せよ」
「現実で君の肌に触れたい。こんな風に本当の体温を感じたい。君もそうじゃないのか」葉山は掴んだ手に更に力を込める。「夢で俺とセックスしておいて、なのに何もなかったみたいに。許せるわけないだろう」
 比企谷は後ずさりするが葉山はそれを許さない。逃げる比企谷を追い詰め、転んだ比企谷の後ろから覆いかぶさる。
「夢は潜在的な願望でもあるんだ。俺が望んだように、君も望んでるんだ。そうなんだろ」
 背後から葉山は器用に比企谷のシャツのボタンを外してゆく。
「違う、違う」
「君は自分で望んで俺とセックスする夢を見たんだ」
「違う」
 羽交い締めにされたまま俯せにベッドに押さえつけられズボンを脱がされる。剥き出しにされた脚の間に葉山の膝が入れられて閉じられない。
「君はしたことないよね、セックス」
 暴れる身体を押さえつけて葉山は問いかける。
「悪いかよ。離せよ」
「夢でどんなセックスをしたんだ。服を着たままか、裸になって肌を合わせたのか」
「知るかよ。離せって、葉山」
 背後からシャツを脱がされる。インナーのTシャツの中に潜った葉山の手が脇腹を撫でる。そのままたくし上げて肩甲骨をなぞる。
「俺はどこまで君に触れたんだ」葉山の掌が背骨を下りてゆく。大腿骨を撫でて双丘をさする。「君のペニスに触れたのか。君の中に挿れたのか」
「そ、そんなことしてねえ」
「どんなことをしたんだ。ああ、そうか。したことなくてわかるわけないよな」葉山は屈みこみ比企谷の耳元に囁く。「本当にセックスしてみたらどんなものかわかるよ」
「は、葉山」
「君の夢なんかとはきっと全然違うよ、比べものにならない、きっとね」
 尻の間を割り開くと、葉山は窄まりを指で触れる。確かめるようになぞっては親指の腹で突く。
「な、何やってんだよ」
 ぞくりと背筋が震え、声を上げてしまう。後孔の周りに何かを塗られる。不安になって比企谷は問う。
「な、何をつけてんだよ」
「ハンドクリームだよ。潤滑油の代わりになるものこれしかないんだ。でも充分だろ」
 窄まりにぐっと指が挿れられてひゅっと息を呑む。捻るように指の根本までゆっくり埋められる。本気、なのか。葉山は中で指を曲げたり伸ばしたりして掻き回している。一度引き抜かれた指が2本に増やされ捻るように動かされる。
 比企谷は苦悶の表情を浮かべる。身体をなすがままにされるのが悔しい。シーツに顔を伏せる。捻る動きが次第に出しては入れるものに変わる。水音を立て次第に滑らかに蠢くようになる葉山の指。後孔が熱くなって痺れてきた。違和感と痛みに妙な感覚が混じって怖い。
「葉山、やめてくれよ」やっと出せた声が震える。
「慣らさないで入れると辛いよ」嬲る指を止めることなく葉山は言う。
「いれ、なに」動転して声が引きつる。
「あ、いい声だね。比企谷」
「ふざけんな」
 歯を噛み締めて屈辱に堪える。漸くするりと指が引き抜かれる。開放されて身体から力が抜ける。背後でベルトを外す音がする。振り向くと葉山がズボンを脱いでいるのが目に入る。下着を脱いで勃起した陰茎が顕になる。人のイチモツの勃った状態を見るのは初めてだ。てか、嘘だろ。葉山はハンドクリームを陰茎の先端から満遍なく塗り、比企谷の尻を割り開いて窄まりに押し当てる。
「挿れていいな。いくよ」
「ま、待てよ、葉山ぁ」
 葉山は比企谷の腰を掴み、引き寄せて腰を強く押し付ける。
「は、うあ」
 ぐっと肉の棒が押し入ってくる。これが葉山の、なのか。本当に奴は俺を。圧迫感と痛みに息ができない。また葉山が腰を揺する。突かれてさらに深く抉られ、声にならない悲鳴を上げる。
「くっ、比企谷。きついな。力抜いたほうがいい。辛くなるよ」
 葉山の言い草に腹がたつ。勝手なことを言いやがって。葉山は左右に揺さぶりながらじりじりと押し入る。窄まりが信じられないくらい広げられているのがわかる。やっと先端の太い部分が入ると幹は滑るように入ってゆく。身体はやすやすと葉山を受け入れてしまうのか。侵入するそれを阻もうと中を締めようとしても力が入らない。熱い、痛い、やめてくれ。人の身体が俺のこんなに奥にまで入ってしまうなんて、信じられない。夢とは違う鮮烈な痛みとわけのわからない快感。
「あ、あ」と比企谷は吐息混じりに喘ぎつつシーツを握りこむ。
 葉山はリズミカルに律動し背後から犯す。動物の交尾のように。内壁を擦り奥まで押し入っては戻ってゆく葉山の熱く硬い屹立。激しく打ち付けられて肌が淫らな音をたてる。
「ん、気持ちいいよ、比企谷」
「くそったれ、あ、あ」
「君が俺とデートする夢を見たなんて言うからだ」葉山は息を荒くして言う。「あの日から俺は君と付き合う夢ばかり見ていたよ。デートして家に行ってセックスしてお互いを貪り合う」
「そんなの、俺に関係ねえ」
「毎日だ。毎日君の夢を見た。おかしくなりそうだった」
 葉山はシャツを脱いで比企谷の背中に覆いかぶさる。熱い肌が触れ合うとごつごつしていてやはり筋肉質な身体だとわかる。夢と同じだ。そんなに体格が違うと思えないのに、簡単に押さえつけられてしまうのが悔しくて堪らない。葉山は耳元に口を寄せて言う。
「でも、夢の中で君の身体を抱いた確かな実感があっても、起きるとその感触は霧散してしまうんだ。現実には何も掴めてなくて」葉山は強く突き上げる。深く貫かれて比企谷は悲鳴を上げる。「思い通りにできたって夢は夢なんだ」
 葉山は繋げたままに比企谷の身体を起こすと膝の上に座らせる。自分の体重がかかってさらに葉山の性器がめり込む。比企谷は苦しさに呻く。背後からぎゅっと抱きしめられ葉山の鍛えられた腹筋が背中に密着する。
「見てみろよ、比企谷」
 貫かれる痛みをこらえて顔を上げる。目の前の姿見に全身が映っている。葉山に貫かれている自分が。葉山の屹立を後孔に咥え込んで浮かされたような自分の顔。苦痛の中に密かに快楽を滲ませた。なんて表情をしてるんだ。見てられなくて目を逸らす。それを許さないと葉山は強く突き上げて言う。「よく見るんだ。そこに映る俺たちを」
 男に猛る性器を挿れて容赦なく犯しているのは誰だろう。男に揺さぶられ喘いでいるのは誰だろう。接合した部分がひくりと震えて揺さぶられるたびに中にじりじり入ってゆく。律動に合わせて竿は現れては沈む。鏡の中の姿が揺さぶられるたび自分の中が擦られ抉られる。
鏡に映る屹立の動きが止まる。葉山は低く呻いて抱きしめる腕に力を込める。身体を穿つ竿の表面に浮き出た太い筋がドクリと脈打つのが見える。同時に体内に温い液体の飛沫を感じる。背後から葉山が耳元に囁く。
「君の中に、出したよ」
 熱を帯びた掠れた声。ああ、やはりか。力が抜けてゆく。
「君も気持ちよくしてやるよ」
「え、嫌だ、や、め」
 葉山の手が股間に伸ばされ、勃ちかけていた比企谷の陰茎を扱き始める。逃げようとするとがっちりと胴回りに腕が回される。外そうとした両手は葉山に片手で一纏めに拘束される。未だに硬さを保った屹立に杭打たれているせいで逃れられない。突き上げられて声を上げる。
「比企谷」掠れた声が耳元に囁く。「俺は君が、俺は」
 声は途中で途切れる。葉山は扱きながら突き上げて比企谷を揺さぶる。また鏡に視線を移す。薄い身体を肉の杭が深く貫いてゆく様が見える。膝の上に貫いた相手を貪っているのは。雄に繋がれて蕩けた表情を浮かべているのは。あれは誰なんだろう。鏡に隔てられた向こうは別世界のようだ。
ああ、あれは虚像だ。こことは違う。あれは夢の世界だ。
「夢なんだろう」
 そうだ。きっと夢なんだ。


 ベッドの上で一糸纏わぬ姿で身体を絡ませ合う。愛撫する手を股に滑らせて彼の陰茎に手をかける。胸に腹に下腹部にキスをしながら下りてゆく。性器を舐めて咥えると彼はほうっと息をつく。舌を這わせて頬張って抽送する。舌を竿に纏わり付かせる。彼が口を押さえて震えてる。彼を感じさせている。それが嬉しい。身体を回転させて逆向きに側臥する。
「俺のもしてくれ」彼に言う。
「ああ、いいぜ」
 彼は浮かされたように俺の陰茎をそっと掴んで唇を当てて咥える。彼の舌先が亀頭に触れる。ゾクゾクする。彼はそのまま口内に含む。温かい濡れた感触に包まれる。互いの中心を咥えて貪り合う。身体を起こし彼を仰向けにして脚を抱える。彼の窄まりに自身を挿れてゆく。ぐっと先端を沈めると彼は辛そうな表情になり、はあっと掠れた声を上げる。腰を揺するほど彼の身体に屹立が埋め込まれてゆく。腰を引いては強く突き入れる。狭く熱い柔らかく包み込まれる内部の感触。彼は眉根を寄せて苦痛に堪えている。ゆっくりと抽送を続けるうちに、彼の唇から吐息に混じり甘い喘ぎ声が漏れ始める。俺に抱かれて感じて欲しいという願望なんだろうな。ぐっと挿れて隙間なく陰茎を埋め込み動きを止める。接合部の皮膚を合わせる。彼は薄っすらと目を開ける。視線が交錯する。
「これは夢なんだろ」と彼は言う。
「君は意地悪だな」
 彼は皮肉めいた笑みを浮かべている。ここでは俺の思い通りに出来るというのに。なぜそうならないんだ。これで思い通りにしているというのか。それとも、傷つけられてもそれでも、彼らしい冷たい言葉の方を俺は聞きたいのだろうか。俺はどれだけ彼の存在に飢えているんだろう。
 けれども。揺さぶるたびに締め付けてくる熱い身体。快楽に悶える彼の甘い声。こんなに確かな感触ですら目が醒めれば消えてしまうんだ。
「目覚めたくないな」
そっと囁く。彼は曖昧な表情を浮かべて答えない。
「夢なのならこのまま眠り続けていたいよ」
「夢だよ、全部」
 彼の身体に腕を回して聞く。
「目醒めた先にも夢が続いていればいいのに。そう思わないか」
「夢だから、しょうがねえよ」
 彼はそう言いながら背中をそろそろと優しく撫でてくる。俺の思いどおりに。望むとおりに。現実ではこんなことはあり得ないんだろうか。悲しくなる。叶わないから夢に見るのか。夢の中だけだなんて嫌だ。望み通りではなくとも現実の君に触れたい。君を感じたい。
 君も俺の夢を見てくれるなら。もしも夢を見せることができるのならば。君は意識してくれるのか。
 もしそうならば俺は。


 腕の中で彼は眠っている。彼を一晩中抱いて苛んでそのまま気を失わせてしまったようだ。そんな夜を幾つ重ねただろう。部屋のカーテンを開けたままだった。外は霧のような雨が降っている。時々ぽたりぽたりと雫の落ちる音が聞こえる。車の排気音も人の声も聞こえない。音は雨に吸い込まれたのだろうか。海の底に沈んでいるようだ。それともここは水槽の中だろうか。
 傍らの彼の顔を眺める。寝乱れた彼の髪をさらりと梳く。瞑った彼の瞼に指を滑らせる。彼の目尻に涙の跡を認めてチクリと胸が痛む。瞼にキスをする。温かくて確かな存在をまさぐり抱きしめる。裸の脚を彼の足と絡ませる。彼が薄眼を開ける。まだ微睡みの中のようだ。
「これは夢なんかじゃないよ。俺も君も、もう夢から醒めたんだ」
 俺は呟く。確かめるように。彼に言い聞かせるように。

END

 

蜃気楼の灯火(全年齢バージョン)

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俺はお前に期待しない。そんな人間がひとりくらいいた方がいいだろう?
 比企谷はそう言った。君を嫌いだと言った俺の言葉に俺もお前が嫌いだと返してくれたように。
 俺は誰も選ばない。君以外は。言外の意味に気づかない君ではないだろう。皆には優等生を続けても君がいてくれるなら耐えられる。君にだけは怒らせ嫌われたとしても本音でいたい。
 ポケットに手を突っ込んだまま振り返る君。地面に落ちる長い影。赤い夕焼けの中で金の光に縁取られた輪郭。幻のように蜃気楼のように。


 目を覚まして温もりに気づく。身体を起こした葉山は隣で眠る比企谷を見下ろす。薄いカーテン越しに陽が部屋を薄明るくしている。
 比企谷はセックスした後は体力が尽きていつも泊まってゆく。俺が際限なく貪ってしまうからなのだけれど。いや、わかっていて疲れさせているんだよな。君がこんなに側にいる。無防備に俺に寄り添っている。
「比企谷、俺は幸せだよ」
 髪に触れていると比企谷が目を覚ます。
「いつから起きてた」
「起きたのはついさっきだよ」
 葉山は言う。
「帰んなきゃ」
「俺の服着れば?一緒に出ようよ。どうせ同じ大学に向かうんだから。」
「ぜってーやだ」
「いつも思うんだけど。着替え少しここに置いてけばいいじゃないか。どうせ来るときは泊まってくんだから」
 比企谷は少し間を置いて返事をする。
「小町が心配する」
 昨日の服に着替えると比企谷は「じゃあな」と玄関を出てゆく。
 比企谷を見送りながら 葉山は髪をかきあげる。ようやくここまで来たんだ。焦るな。そう自分に言い聞かせる。

 君が俺に壁を作って俺を切りそうになるたびその壁を崩してきた。怒らせて苛ついてそれでも懸命に絆を繋ぎ止めようとした。君だけはなくしたくないという衝動に囚われていた。避けられても押しかけるし嫌われようと踏み込む。一方通行でも感情の押し付けでも構わない。人に好かれたい、嫌われたくないのが俺であったのに。好かれたいわけではないと、ここで引くくらいなら嫌われても構わないと、自分の衝動が優先した。君のことでは俺らしくなくなくなる。君だけが、君だけをと。それがどうしてなのかはわかっていた。
 高校を卒業して比企谷は俺と同じ大学に入った。というより入らせた。何処でもいいと言い、上の大学に行く意欲が微塵もなかった比企谷。一緒に受験勉強をすると言うと比企谷の家族に大いに歓迎された。渋面を作る比企谷を何処でもいいなら俺と同じでもいいだろうと説き伏せた。その名目で比企谷を繋ぎ止めるためだ。
 勉強には図書館のほか比企谷の家にも通い俺の家にも誘った。部屋で勉強するときは物理的に段々距離を縮めていった。向かい合わせから隣に。肌が触れる体温を感じる距離を不自然に思わせないように。
リア充はなんでやたら距離が近いんだよ」と文句を言っていた比企谷も段々慣れて何も言わなくなった。
 
 大学の試験に二人とも合格した翌日、葉山は比企谷を家に来ないかと誘った。部屋で2人ベッドを背もたれにして並んで座る。
「もうお前とお勉強しなくていいと思うとせいせいするな」
「ああ、俺も安心だ。これで君と大学も一緒だしね。4年間よろしく」
 比企谷は苦笑いをする。
「まあ、例えお前でも知ってる奴がいるってのは、まあ」比企谷は口籠り、言葉を続ける。「小町も親も嬉しそうだったし、その、お前に借りができたな」
「借りか」葉山は手に持っていたコップをテーブルに置く。「じゃあ借りを返してくれるかい」
 葉山は比企谷の正面に移動して身体を跨ぐと比企谷の顔の両サイドに手をつく。
「葉山?」
 比企谷は訝しげな表情を浮かべる。
「俺は君が好きみたいなんだ」葉山はそう告白しキスをする。「なんとしても一緒の大学に行かせたいと思ったくらいに」
 目を丸くして硬直している比企谷に何度か軽くキスをして聞く。
「嫌かな?」
「え、ちょっとよくわからないんだが」
 また唇を重ねて息継ぎのため開いた唇の隙間から舌を差し入れる。段々キスを深くしてゆく。首元に顔を埋め首筋にキスをする。言葉を紡ごうとするのをまたキスで口を塞ぐ。比企谷の身体をベッドサイドの床に倒しシャツのボタンを外してゆく。タンクトップをたくし上げて肌に唇を這わせる。比企谷の足がテーブルを蹴りコップが倒れて雫が床に滴る。
「葉山、コップが倒れた。溢れてる」
比企谷が上擦った声で言う。
「後でふけばいいよ。気をそらすなよ」
終電の時間を過ぎる頃にやっと比企谷を解放する。散々身体を暴かれて比企谷はぐったりとして動かない。
「帰れない、どうしてくれるんだ」
 と彼は言う。
「泊まってけばいい」と言うと少し間があって、
「そうするか」と比企谷は答える。
 俺は君を手に入れたとそう思っていた。

 新学期になり大学生活が始まった。通うには時間がかかるからと葉山は一人暮らしを始めた。比企谷は遠くても自宅から通うという。教科によっては比企谷と別々になるがクラスが同じのものではなるべく側にいるようにした。
「あっち行けよ。お前といると目立つ」と言う比企谷に「交友関係でもう無理をしたくないんだ」と葉山は答える。
「一緒にいたいからいるんだ」
 付き合いたい人と付き合う。したいようにしていいんだと。君が俺のものになってからそう思うようになった。
 比企谷は帰宅部にはならず文芸部に入った。高校の時の奉仕部のことから彼なりに思うところがあったのかも知れない。もっとも思ったところとはかなり違う賑やかな部活だったようだが
「材木座や海老名さんみたいなのばっかりだ。五月蝿くてしょうがねえ、面倒くせえ」
 と文句を言いながらも楽しんでいるようだ。
 葉山は高校の時と同じくサッカーに入部した。葉山の方が帰宅時間が遅いことが多く、初めの頃は比企谷はさっさと帰ってしまっていた。だが一方的でも約束をすると比企谷は律儀に守ってくれることがわかった。
 部活が終わると図書室にいる彼を見つけに行く。
「やあ、待たせたね」と言うと「待ってねえよ。たまたまだ」と返される。
 一緒に帰ると大抵比企谷は俺の家に来て泊まっていく。でも何度着替えを置いていけばと言ってもここはお前の家だと言い自分の物を決して残していかない。少し引っかかったがそれは彼のポリシーなのだとそう思っていた。

「小町ちゃんは家を出るのか」
「ああ、大学遠いから近くに部屋を借りるんだそうだ」
 土曜日の大学からの帰り道、葉山はそのまま比企谷を家に連れてきた。
「だから今日は帰るからな。あいつ明日は親と家具とか揃えに行くんだ」
 比企谷はベッドを背凭れにして買ってきた本をめくっている。
「君は行かないのかい」
「俺は留守番。折角の日曜日なんだし1人でのんびりしたいしな」
「そうか、なら明日君の家に行っていいかい?」
「1人でのんびりするって言わなかったか」
「1日家にいるんだろ。時間は何時でもいいよな」
「葉山、人の話聞いてるのかよ」
 葉山は少し考えて比企谷ににじり寄る。
「もう比企谷は小町ちゃんに面倒見てもらえないんだな。」
「小町もそう言ってたけどよ。別に心配ねえし」
「比企谷、一緒に暮らさないか」
「嫌だ」
 そう言うと比企谷に即座に断られる。釈然としない。大学に通うより借りた方が効率がいいはずだ。家賃だって折半にすれば電車代より安くなるくらいだ。今までは小町ちゃんのためかも思っていた。その心配もなく比企谷の家の方針でもないなら何故なんだ。もう2年も経つんだ。そろそろ先へ進んでもいいんじゃないのか。
「家を出てもいいんだろう。何の問題があるんだ」
「俺家が好きだし」
「通うの遠いって文句言ってたじゃないか。近くに借りた方が楽だろ」
「それはそう思ったこともあるけどな」
 目を逸らし言い訳じみた比企谷の物言いに苛立ち問い詰める。
「こっち向けよ。他に理由があるのか」
 両肩を掴み見据える。比企谷はやっと口を開く。
「2人で暮らす生活なんてものに慣れたくないんだ」
 そう言い目を上げる。
「俺は慣れるとその生活にしがみついてしまう。変えたくないと思ってしまう。行き来する付き合いならいつでも」
「終わりにできるってことか」
 比企谷の言葉に声が震える。
「そうは言わねえけど。気持ちなんて変わるだろ。あんまり耐性ねえからな俺は。用心に越したことはねえ」
 比企谷は言いながら視線を逸らす。
「俺が信用できないのか」
 比企谷の肩に置いた手に力が篭る。
「お前の気持ちだって変わるし、俺の気持ちだって変わるぞ」
「変わらないよ。変えない。変えさせない。俺が信じられないのか」
 どれだけ君を手に入れるために苦労したと思ってるんだ。今更手放すものか。誰にも奪われるものか。
「お前を信じてないわけじゃない。期待してないだけだ」
 葉山は凍りつく。あの時君は期待していないと言った。それはそんな意味だったのか。「お前みたいなリア充の何処を期待しろっていうんだ」
 比企谷は不敵に笑う。彼はわざと怒らせようとしている。怒らせて終わりにしようとしている。それがわかってるのに、手の内だと見え透いているのにどうしても腹がたつ。
「君が嫌いだ」
 そう口にすると比企谷の瞳が揺らぐ。
「そうだろ」
 彼は口元を歪ませて笑う。
「だから君の思いどおりにはしない」
「え、どういう意味だ」
 葉山は戸惑う比企谷の肩を掴んだまま押し倒す。
「俺が飽きるまで君は俺のものだ。君に選択権はないよ」
 組み伏せた比企谷の身体が竦むのがわかる。俺は君が好きだ。君も俺が好きなんだろう。それなのに諦めるなんてできない。

「平塚先生は言ったんだ。俺は傷つくのは慣れてるが、周りの人間は俺が傷つくことに耐えられないってな。俺はそれから気を付けてきたつもりだった。お前が教えてくれたことでもあるんだぜ」
 息を整えながら比企谷は言う。
「比企谷」
「俺は傷つけようとして傷つける。どう言えば人が傷つくか俺にはよくわかってるからな」
 比企谷は衣服を身につけてゆく。それが鎧を纏っていくように思える。
「でも俺の考えの外で怒る奴がいて、お前はいつもそうだ」
 比企谷は俯く。
「お前を傷つけてるつもりはないんだ。全然。なんでお前はそんな顔をするんだ」
「どうして君はそれがわからないんだ」
 葉山は言う。
「今は居心地がいいんだろうな。お互い。でもこれがずっととかねえだろ」
「なんでそう思うんだ」
「俺にもお前にもこれは本物じゃない」
 カッと頭に血がのぼる。葉山は玄関に向かう比企谷に駆け寄ると胸倉を掴みドアに押し付ける。比企谷は驚いて目を見開く。
「君の言う本物ってなんだ」
 襟元を締められて比企谷は葉山の腕を叩く。
「離せよ、葉山」
「今を偽物だって言うのか。なら本物なんて俺はいらない」
 そう怒鳴ってから葉山は苦しそうな比企谷に気づき手を離す。比企谷は咳き込むと直ぐにドアを開ける。
「とにかく一緒に住むとかねえから」
 言い捨てて走り去る比企谷の背中を見えなくなるまで見送る。ドアを閉めると葉山はズルズルと玄関に座り込む。
 俺の家に何も置いていかないのはそういうことか。君は俺に何も残さないつもりでいるのか。いつか俺とのことを終わりにして忘れるつもりでいるのか。
 あの頃君が嫌がっても俺はどうしても余計なお世話をせずにはいられなかった。君が人を傷つけると呼んでいる犠牲的な行動に怒らずにはいられなかった。返す刀でいつも君の方が傷ついているのに苛立った。その意味を考えもせずにした行動が、抑えられない衝動が、意味するところは明らかだった。
 俺は君が気になってしょうがなくて、君にも俺を気にして欲しかった。友達といるのは純粋に楽しいけれど君にはいつも心が掻き乱される。苦しいのに関わりたくて、関わっては傷ついて。わざわざ焼かれるために火に飛び込む羽虫のように俺は君に近づいた。
 それでもいつしか君が俺をまっすぐに見てくれるようになった。嬉しかった。認めあうけど君にはなれない。それでも心が通じ合える。互いにそんな確認をしてそれで満足するはずだった。けれども、俺はそれだけでは済まなかった。
 赤い夕焼けを共に眺めたあの日。分かり合えたと思うと同時に俺は君が欲しくなった。どうしても手に入れたくなった。俺をどう思っているかわからない相手にはどうすればいいのかわからない。だが好感を抱いてくれる相手を掌握するのは俺には容易いことだ。好意に対して君が好意を返してくれるなら俺が優位に立てる。奸計を弄すれば対人関係に疎い君を手玉に取れるのではないか。君の心も身体も絡め取る。君を永遠に繋ぎとめる。それができるかもしれない。俺にはできる。
 気になってるだけだった時には可能だなんて思いもしなかった欲だった。止めようもない誘惑だった。

 翌日は朝から雨の降りだしそうな黒い重たい雲が空に広がっていた。葉山は比企谷の家の呼び鈴を押す。インターホンから比企谷の声が返事をする。
「やあ、昨日はごめん」
 と言うと比企谷は少し間を置いて
「ああ、俺も」
 と答える。
「わざわざ来たんだ。まあ上がってくか」
 と比企谷がドアを開けて顔を出す。
「小町ちゃんはまだ帰ってないのかい?」
 リビングのソファーに座り葉山は聞く。
「今日は親と家具を選びに行くって言ったろ」
「そう言ってたね」リビングを見回して葉山は言う。「比企谷の家に来るのは久しぶりだな。卒業してから会うのははいつも俺の家だった」
「そうだな」
「比企谷の家には家族がいるから俺のところでいいと思っていたしね」
 そのことに不満はなかった。何の疑問も持っていなかった。今までは。
 飲み物を入れると言い比企谷はキッチンに向かう。葉山は立ち上がり比企谷の後を追う。
「座ってろよ何がいい?はや」
 振り返る比企谷を葉山は引き倒しキッチンの床に組み敷く。
「いて、なんだよ」
 比企谷のスウェットを脱がし下半身を剥き出しにする。
「どうしたんだ」
 驚いて問う比企谷を昏い瞳で見つめ葉山は黙ったままズボンを脱ぐ。

「これでこのキッチンに立つたびに俺を思い出さずにはいられないよな」荒く息を吐きながら薄く微笑んで葉山は言う。「ここで俺とセックスしたんだってね」
「葉山、お前」
 比企谷は驚いたようだがすぐに口元を震わせて怒りの表情を見せる。身体を起こし葉山を殴りつけさらに脱ぎ散らかされた服を投げつける。
「出て行け」
 葉山を睨みつけ震える声で比企谷は怒鳴る。
「比企谷」
「出てけよ」
 比企谷は葉山に背を向けて風呂場に駆け込む。シャワーの水音がする。葉山は投げつけられた衣服を身につける。
「帰るよ」
 風呂場にいる比企谷に声をかけるが返事はない。外は激しい雨が降っている。門の前で葉山は振り向く。しばらく見つめて目を伏せると雨の中に歩を踏み出す。濡れて家までの道のりを足取り重く歩く。
 取り返しのつかないことをした。でも堪らなかった。君は俺をいつか跡形もなく消そうとしている。いつか過去の思い出にしようとしている。だから何も残さないようにしているんだろう。俺との時間は今だけでいいと思ってるのか。俺と未来を見ようとしてくれないのか。君が人と深く付き合うことで傷つくのが嫌なのはわかってる。けれど、君の臆病さが俺を壊していくことに気付いてくれないのか。
 葉山は灰色の空を仰ぐ。降りしきる雨の雫が顔を流れ顎を滴る。濡れた服が身体に張り付く。寂しいんだよ比企谷。堪らなく寂しいんだ。欲を出したのがいけないのか。でもどんどん欲深になるのをどう止めればいいんだ。
こんなことで君を失うんだろうか。君を失いたくない。

 帰宅してから倒れて葉山は熱を出した。
 朝になっても熱は引かず大学を休むことにする。熱のせいで頭がぼうっとするがベッドに入っても寝付けない。比企谷に会いたい。でもどの面下げて会えると言うのか。1人ベッドに悶々としながら転がっていると呼び鈴が鳴る。重い身体を引きずりながら覗き穴を見ると比企谷が立っている。驚いてドアを開ける。
「比企谷、どうして」
「具合、悪そうだな。入っていいか」
 比企谷は目を泳がせながら言う。
「ああ」
 比企谷を部屋に上げると葉山はベッドに戻る。比企谷はベッドの側に座り込む。
「小町が俺のせいだっていうからよ。雨なんだから傘くらいは貸すべきだってよ」
「何があったのか言ったのか」
「いや、まあ。あいつすぐお前の味方するんだ。お前の外面に騙されてっから」視線を逸らし憎まれ口を聞きながら「その、大丈夫か」と比企谷は言う。
 心配して来てくれた。それがわかり胸が熱くなる。多分本当は小町ちゃんは何も知らないんだろう。君は俺が大学を休んでるのに気付いて来てくれたんだろう。君はわかってるのか。俺は君のことでどんな些細なことでも嬉しくなるんだ。このままずっと手放したくなくなるんだ。
「そうだよ。君のせいだ。だからここにいてくれ。そのくらいいいだろ」
「お前図々し」そう言いかけて「俺にできることないか?」と比企谷は不安げに言う。
 君にしてほしいことはいっぱいある。優しくしてほしい。側にいて欲しい。君に触れるのを許して欲しい。今なら我儘が許されるだろうか。
「熱はあるのか?」
 比企谷の手の平が葉山の額に当てられる。ひんやりと気持ちいい。
「君の額をくっつけて測ってくれないか」
「原始的だな」
 比企谷は呆れた表情でにじりより上に屈み込むと葉山と額を触れ合わせる。額もひんやりと気持ちいい。比企谷の睫毛が触れる。吐息が当たる。このまま触れていて欲しい。
 比企谷の後頭部を掴むと葉山は引き寄せ唇を合わせる。驚き開いた比企谷の口から舌を挿入する。濡れた熱い口腔を貪るように蹂躙する。歯列を舌でたどり舌を探り当て擦り合わせる。口腔内を味わって名残惜しく唇を離す。
「風邪は移せば治るっていうだろ」
葉山は微笑むと真っ赤になった比企谷に言う。布団から手を伸ばし比企谷の手を取って握る。
「俺には兄弟がいないからわからないけど。君が兄弟だったらどうだっただろうね。小町ちゃんするみたいに構ってくれたかな。こんな風に熱を出したら看病してくれたかな」
「熱に頭やられたのかよ」
「毎日帰るといつも君がいて俺は安らいだかも知れないね」
「毎日家にお前が帰ってくるとかぞっとしねえな」
「でももっと辛かったかもな。どんどん膨れ上がる欲情する気持ちに潰されたかも知れないな。」
「なんでいきなり近親相姦?兄弟設定で話してるんじゃなかったのかよ。お前、兄弟ってもんを誤解してるぞ」
「俺は君と家族になりたいよ」
 比企谷は答えず黙り込む。葉山は繋げた手をぎゅっと握る。
「兄弟よりも親子よりも。ずっと側にいたい」
 腕を引くと比企谷は困ったような顔をする。そのまま強く引っ張り彼の身体に布団を被せる。引きずりこんだ布団の中で比企谷のシャツのボタンを外しはじめる。
「葉山」
 比企谷が押しとどめようとそっと葉山の手を抑える。
「人肌で温めてくれるかな。そうしてくれたら治りそうだ」
 そう言うと比企谷の緩い抵抗が止む。病人を嵩にきて卑怯だな俺は。比企谷は上目づかいに葉山を見てごそりと背を向ける。温もりを後ろから抱きしめる。裸の素肌が触れ合う。胸筋と腹筋をぴったり彼の背中に押し付けて拘束する。
 君の言葉は冷たくて心を引き裂くけれど身体は温かいんだ。君は本当は優しいから俺なんかに付け込まれるんだよ。俺は君を大切にしたいのに。それなのにどうして君から何もかも奪い尽くしたいんだろう。

 あの日君と夕陽を一緒に浴びて紅い空を共に眺めた。金に縁取られた君の横顔を眩しく見つめた。山の端に陽が落ちて金糸が消えてもその横顔は網膜にフィルムのように焼き付いた。
 俺も嫌いだと言ってくれたその言葉は君の優しさだったんだろう。期待しないと言ったのも言葉通りの意味だったんだろう。でも俺は俺が君を選んだように、君も俺を選んでくれたと思ったのだ。俺は期待して手を伸ばしたのだ。
 分かり合えたと思えたのが俺の思い込みであったとしても、一度心に焼き付いた光は消えない。例え目に映したのが遠い蜃気楼の灯火であったとしても。それは遠くとも確かにある灯火なんだ。欲しくてたまらなくて掴み取った。それが幻の灯火であったとしてもかまわない。
 俺は決して手放さない。

END