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オリオンの驕り(掌の太陽より)

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 母親に怒号を背にして、勝己は家を飛び出した。
 心の中で悪態をつく。
 うぜえ、ほんっとにうぜえ。飯食う時の姿勢が悪いから始まって、口が悪い態度が悪いとハハオヤはくだらないことでガミガミ叱りやがるし、オヤジはいつもオロオロしてるだけで最終的にはハハオヤの味方だしよ。居心地わりいったらありゃしねえぜ。
 反射板のポツポツと光るアスファルトを駆けた。走りながらほうっと息を吐く。肌に纏わりつく冷えた空気がむき出しの腕にちくちくと痛い。近所をぐるっと回って気づいたら出久の住む団地の前にいた。
 自然に足が向いていたのか。袖で涙をゴシゴシと拭いて出久の部屋の窓を見上げる。カーテンの隙間から蛍光灯の光がちらちらと漏れている。あいつは自分の部屋にいるようだ。時間的にもう飯は食っただろうから、部屋で動画でも見てんだろう。十中八九オールマイトの動画だろうな。
 勝己は小石を拾って窓に向かって投げた。小石は孤を描いて窓硝子に当たりカツンと音を立てる。少し待ったが出久は顔を出さない。
 もうひとつ小石を投げて「おい、デク!」と声を上げる。
 やっと出久がカーテンの向こうから顔を覗かせた。驚いた表情を浮かべて「かっちゃん?」と口を動かしながら、窓を開ける。大きな目を益々大きくしている。いくつになってもまだちっこい俺の幼馴染。
「どうしたの?かっちゃん」
「出てこいよ、デク」
「今?ダメだよ。もう夜なんだよ」
「ちょっとくらい構わねえだろ」
「だって」
「出てこいよ!」
 何を躊躇してんだ。出久のくせにごちゃごちゃ言うなよ。俺が来いって言ったらてめえは来るもんだろうが。てめえだけは。
「出てこい!」
 また涙が出そうになり下を向いて怒鳴る。
「かっちゃん、でも」
 出久は口籠る。パタン、とサッシの閉まる音が聞こえた。
 なんだと?出久の奴、窓を閉めやがったのか?あいつ、出てこない気かよ、クソが、クソが!握りこんだ拳が発汗して熱を帯びる。窓を爆破してやろうか。そうしたら出てこざるを得ないだろうからな。やったら大騒ぎになるだろうな。最大火力でどこまで出るか試したっていい。物騒な考えが頭をよぎる。
 本当に壊してやろうか。
 ニトロを含んだ汗が発火してチリっと爆ぜる。掌からパチパチと火花を散らす。
 ふと、トントンと階段を降りる子供の軽い足音が聞こえた。暫くして鍵を外す音がして玄関から出久が顔を出す。勝己はゴシゴシと顔を手の甲で顔を拭いた。出久は靴の踵を踏んだまま、つっかけながら転がるように駆けて来る。
「てめえ!」
 勝己は動揺を隠そうと人差し指で出久のおでこを思いっきり弾く。
「いったた、痛いよ、かっちゃん、酷いよ」
 出久は涙ぐんで額をさする。
「黙って窓閉めんじゃねえよ!クソが」
 出てこねえかと思ったじゃねえか、という言葉は飲み込んだ。
「あの、半袖じゃ風邪引いちゃうよ、かっちゃん。寒いから。上着いる?僕のだけど」
 出久は手に持ったダウンの上着を勝己に差し出す。見覚えのあるモスグリーン。
「寄越せ!」
 勝己は差し出された上着を引ったくるように受け取って袖を通す。少し袖丈が短い。ほんのり乳くさいような、出久の匂いがする。ぱんぱんとはたいて手の汗を上着に擦り付ける。俺の匂いをつけてやるわ。
「明日返してね。じゃあね」
 出久は裾を引っ張りながら微笑んで小さく手を振る。
 は?これだけで戻るつもりか?
「待てや」
 勝己は引き返そうとする出久の腕を引っ掴んだ。
「ちょ、ちょっと、かっちゃん」
「てめえも上着着てんな。じゃあいいだろ。ちょっと来い」
 勝己は出久の腕を引っ張り門から引き離す。
「え?何?」
 手を繋ぎ直して、慌てる出久を引きずるようにして歩き出す。
「どこへ行くんだよ、かっちゃん」
「うるせえ」
 出久が窓を閉めたときに不安になった自分も、出久が出てきたことで今安堵している自分にも腹が立つ。この手を離してなんかやるものか。
「子供は夜外に出ちゃいけないんだよ」
「うっぜえこと言うんじゃねえよ。てめーは親かよ、ああ?」
「かっちゃん、あの、もうっ」
 引っ張る腕に抵抗がなくなった。出久は諦めて大人しくついてくることにしたようだ。 出久の家も勝己の家も遠ざかってゆく。家々に灯る家族団欒の暖かい窓の光。こいつを連れてここから離れたい。遠くへ、もっと遠くへ行きたい。
 
 出久の手を引いて歩いて、いつも遊んでる公園に到着した。辺りを見回したが、しんと静まり返った園内には誰もいない。青味を帯びた街灯が照らす光景は昼間とは違って見える。滑り台もブランコも凍りついているように蒼い。まるで氷の国の建造物のようだ。
「氷の国みたいだね」
 白い息を吐いて出久が周りを見回す。
「は?何言ってんだ。いつもの公園だろーが」
 同じことを思っていたなんて、こそばゆい。勝己は繋いだ手を離して滑り台に駆け寄り、梯子を登り始めた。ちらっと振り向くと「かっちゃん」と名を呼んで、出久も自分に続いて登ってくる。
 勝己の口元は自然と緩む。手離してやったのに帰ったりしねえんだよな。出久はいつもそうだ。困った顔をしながらも、俺の後ろをついてこない時はないんだ。滑り台の頂上に二人で立った。
「わあ、星が綺麗だね」
 出久の言葉に初めて夜空を見上げた。黒い夜空に煌めく砂粒が隅々まで散らばり瞬いている。新月を過ぎたばかりの月は弓のように細く、優美に弧を描いている。満月の夜のように空が眩い光に隠されることがないから星がよく見えるのだ。月光は昏く優しい。
「あれがオリオン座だよね」
 出久が一際明るい一団の星々を指差す。
「知っとるわ」
 4つの明るい星の真ん中に3つの星が並び、太鼓の形の様に見える配置。人の形には全く見えない星座。星座ってのは大体そうだ。どう見ればそう見えるんだ。
「オリオンって神話では猟師なんだよね」
「それも知ってるっての。オリオンは自分に倒せない獲物はいないと思い上がり、神の差し向けた蠍に刺し殺されたっていう猟師の名だ。俺が教えてやったんだろ」
「かっちゃん色々知ってるもんね」
 蠍座は夏の星座だから冬の星座であるオリオン座と同時期に空に上ることはない。まるでオリオンが蠍から逃げているように。それともオリオンが蠍を追いかけているのだろうか。自分を傷つけた小さな生き物を。
 そっちかもしれない。悔しいだろうよ。本来ならばそんな小さな生き物にやられやしなかっただろうにと。永遠に天空を巡りお互いを追い続ける。
「寒いよ。そろそろ帰ろうよ」
 出久は身体を抱くようにして縮こまる。
「しょうがねえな。じゃあトンネルの中に入るか」
「え?まだ帰らないの?」
「うっせえ!帰らねえっての」
 滑り台を降りて出久を手招きし、トンネルと呼んでいる土管に向かう。地面に半分埋められたアーチ型に少し背を屈めて入る。出久もついてきてアーチをくぐり、隣り合って座り身を寄せあう。昼間なら中に入るより、このアーチの上で登ったり滑ったりして遊んでいるところだ。
「お母さん、きっと心配してるよ」
「ババアが心配なんかしてねえよ」
「お母さんをババアなんて言っちゃダメだよ」
「うっせえ!ババアはババアだ!それよりよ、てめえはどうせ部屋でオールマイトの動画見てたんだろ。どんなの見てたんだ。言ってみろよ」
「え、うん、そうだけど」一瞬戸惑ったもののにこっと笑うと「今日のオールマイトはね」と出久は見たばかりらしい動画の話を喋り始めた。
 こいつはオールマイトの話を振るとすぐにのってきやがる。毎日見てるだろうによく話すネタがつきないものだ。全くお手軽な奴だよてめえは。でも、ただすごいと賛美するだけじゃなく、細かく分析してやがるのが他の奴と違うところだ。観察眼には時々舌を巻く。
 身振り手振りを交えながらお喋りして、一息つくと出久は掌にほうっと息を吹きかける。勝己は出久の指に触れてそっとつまんでみる。氷のように冷たいかじかんだ指。
「なに、かっちゃん?」
「両方の手、貸してみろや」
 勝己は出久の両手を包みこみ、着火しないように温度に注意して掌の温度をほんのり上げて温めてやる。今は手に汗はかいてないからできることだ。
「あったかいか」
「うん。あったかいよ。かっちゃんの個性、凄いね」そう言ってふっと目を伏せた出久の表情が翳りを帯びる。「いいなあ」
 出久は時折俺をすごいと言いながら辛そうな顔をする。手放しで俺をすげえって言ってた頃と違って。ひとりだけ個性が発現しなかった、珍しい無個性の出久。
 出久に個性が発現しないと知った時、哀れだと思うと同時にどこかほっとした。現れた個性によってはそれまでの関係が変わってしまうからだ。個性次第で関係は変わる。いい個性が周囲の評価を変える。出久の母親は念動力の個性を持ってるし、父親は火を吹くらしい。出方によっちゃあすげえ個性になる可能性はあった。だがそうはならなかった。
 そんな個性はデクにはいらねえ。個性が発現してきてから、周りには関係が逆転した奴らもいるんだ。他の奴なら別に構わねえ。だが出久だけはそうなるのは許せねえ。個性がないならずっと俺達はこのままだ。もっとも、発現したとしても、出久が俺以上の個性持つなんてねえけどな。
 けれども、出久の瞳が陰るたびに不安になる。無個性でいいじゃねえか。てめえにもしあってもどうせ大した個性になりゃしねえよ。諦めりゃいいんだ。諦めろよ。
 出久の手を裏返して掌を合わせて指を絡める。指先まで温めてやる。出久が指をムズムズとうごめかす。
「かっちゃん、温かすぎてちょっと痒くなってきたよ」
「ああ、もういいな」
 絡めた指が解かれて離れてゆく。
「かっちゃんありがと」
 出久は手を離してさすさすと擦り合わせながらふわっと微笑む。表情にさっきまでの翳りはない。こいつの頬も寒さで真っ赤になってるんだろうか。いつも寒いと林檎みたいに頬を染めていた。アーチの入り口から差し込む青白い街灯の光ではよく見えない。手を頬に伸ばして触れてみる。
「冷てえ」
「だって、寒いんだもん」
「こっち向けよ」
 両方の頬を両手で挟んでこちらを向かせる。もちふわっとして柔けえ。大福みたいな頬。噛んでみたくなるような。掌で包み込んで少しずつ温度を上げてゆく。
「なんか、かっちゃん」
「なんだよ」
ホカロンみたい」
「てめえ、他に言い方ねえのかよ」
 パチっと指先が爆ぜる。
「たっ、わ、かっちゃん」
「てめえが余計なこと言うからだ」
 驚いて出久は身体を引こうとするが逃さないと勝己は頬をむにゅっと挟む。
「動くなよ、バカ」
 顔を突き合わせるようにして保温してやる。生意気言うからだ。脅かしちまったか。ちょっと爆ぜただけだろ。
 顔を近づけると出久の瞳がよく見える。緑がかった瞳の中に俺が映っている。こいつの瞳の中にも俺が映っているだろうか。暫くそのままの姿勢で額を突き合わせる。そっと身を寄せる。氷の国でこのアーチの中だけが暖かい場所であるかのように。
 十分温かくなっただろう、とそっと頬から手を離す。
「わあ、ホカホカだ」
 出久が頬を擦って笑う。背筋がむず痒くなる。出久なんかに、なにやってんだ俺は。無理やり連れだしてきちまったからか。デクに悪いなんて思ってねえ。こいつが帰りたいなんてうるせえからだ。それだけだ。ここには俺たち以外誰もいねえからだ。誰も見てねえから。
「てめえの手、貸せ」
 勝己は出久の両手を掴み、掌を自分の両頬に当てる。紅葉みてえな小さい細っこい指と薄い柔らかい掌。自分の掌は個性が発現してから手の平の皮が段々固く分厚くなって手自体に厚みが増している。もうこいつとは全然違う手だ。
「かっちゃん?」
「ああ、確かにホカロンだな」
「かっちゃんは自分で温められるのに」
「ああ?てめえ、文句言うんじゃねえよ。俺が温めてやったんだろうがよ」
 そう言って目を瞑る。触れられた頬の温もりで強張った心が溶けてゆく。凍えた胸に温かいものが流れ込んでくる。
 出久だけはこのままでいい。この先もこいつが離れることなんてない。どんな扱いをしても俺についてくる奴なんだから。
 でももし、俺を拒絶するなんてことがあったら。さっき俺の前で窓を閉めたように。俺がいくら呼んでも出てこなかったら。もしも。いや、そんなことあり得ねえ。出久が離れていくわけがねえ。そんなこと許さねえ。絶対に。
 勝己は頬に当てられた出久の手の甲を掌で包むように覆う。

 

END