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胡蝶の通い路・後編(R18版)

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後篇

 勝己は扉のノブに手をかけてはたと止まった。
 密やかな声に耳を澄ます。出久の声だ。
 眠っている自分にこっそり語りかけている。くしゃくしゃだとかトゲトゲだとか。聞いたことのないような優しい口調で。部屋に入れば何かを壊してしまいそうだ。掌が硬直したように固まってしまう。
 いや、何が壊れるっていうんだ。出久が余計なことをしてやがるだけだ。音を立てないようにそっとノブを回してドアを開け、隙間から部屋を覗く。二段ベッドの上段にいる出久は気づいていないようだ。優しく語りかけながら、眠っている勝己の髪を梳いている。こんな出久を見たことがない。声をかけられない。
 眠る自分の身体に話しかける出久を見ているとだんだんムカついてきた。俺にはあんな風に話すことも、笑うこともねえじゃねえか。ああそうだ、誰のせいだといえば俺のせいだ。
 我慢がならなかったんだ。
 ここ最近出久に対して苛ついている。隠すことは出来ないし、するつもりもない。苛立ちに任せて怒鳴り散らすとあいつは戸惑い。怯えるあいつの面を見て、一瞬だけ溜飲が下がる。その後は胸を掻き毟りたくなるくらい苦しくなる。その繰り返しだ。
 昔のように堂々巡りになるだけだ、間違った方法だと。わかっていてもそうする以外、手段が浮かばねえんだ。
 グラウンドベータで対決して以後、出久は日毎に打ち解けてきた。いつも自分の顔を見ると、機嫌を伺うようにおどおどしていた出久が、物怖じせずに話しかけてくる。それだけでも長年のストレスが融解していった。柔らかな陽の下の木漏れ日のような。これがずっと求めていた関係なのだと思った。思い込もうとした。
 だが次第に違和感を否定できなくなった。燠火のように腹の底で燻るもの。それが何なのか認識したのはあの日だ。
 いつものように出久はトレーニングを済ませて寮に戻ってきた。自分は共有スペースに向かうために階段を降りていたところで、階段を駆け上がってきた出久と階段の踊り場でぶつかり、組み伏せる形で転んだ。
 身体の下に出久がいる。
 汗ばんだ出久の身体の存在感に、Tシャツ越しの体温に、心臓が早鐘を打った。ざあっと頭に血が上り、下腹部が熱くなった。
 重なった身体の、押し付けた下腹部の、股間の膨らみに気づかれたんじゃないか。
 だが、あいつは平然として言った。
「ごめんね、よそ見してたよ」
 顔色も変えることもなくだ。俺が勃っていることもわかっただろうに、気にしてないのだ。組み伏せられても何とも思わないのだ、出久の野郎は。ふつふつと怒りが沸いた。
「気いつけろ!クソカスナード!」
 不機嫌を露わにして返しても、俺の苛立ちに気づきもしない。へらっと謝罪の言葉をまた繰り返すだけだ。以前なら、俺が何らかのアクションをすれば出久はビクついていだろう。俺の機嫌を探るように見つめてきただろう。あいつを追い詰める俺の高揚と、あいつの緊張はある意味で共通していたのだ。今はどうしようもなく乖離している。
 あいつに覚える勃起の感覚を、興奮しているからだとか疲れてるからだとか、もう言い訳は出来ないのだ。俺はここから始まると思っていた。なのに、出久にとって俺との関係はここがゴールなんだ。俺とあいつとは望む未来形が違うのだ。どこまで行っても平行線なんだ。
 このままではだめだと確信した。壊さねばならないのだ。弛緩した関係に落ちて身動きが取れなくなる前に。
 生温い関係なんざいらねえ。んなものは糞食らえだ。
 俺の持っていた万能感を、さらに増長させたくせに、それを根こそぎ奪った出久。俺を満たすものはあいつが持っているのだ。取り戻さなきゃいけないのだ。悔しいのも苦しいのも、あいつのせいなのだ。そんな風に思い込んで。ぶつかり合って、弱さを認めて、自分を包んでいた殻が剥がれ落ちて、それでも残ったもの。それだけが確かなもの。
 あいつが欲しい。必ず手に入れてやる。
 きっとそれだけだったのだ。ならば無自覚な内から何年思い続けてきたと思っているのか。どれだけ想いを拗れさせてきたと思っているのか。
 吐き出せない想いが胸に溜まってゆく。顔を見るだけで息が詰まって日に日に苦しくなる。苛立ちはつのるばかりだった。なまじ期待してしまった故に、自覚してからは一層憎らしくなった。まだこれまでのギスギスした関係の方がマシだとすら思ったのだ。
 てめえに俺という存在を刻み付けられないで、何の意味がある。てめえは俺の気持ちを逆立てるくせに何も気付いてやしない。穏やかな関係なんざ俺たちには似合わねえ。俺はてめえを壊してえんだ。てめえが何を望んでいたとしても。
 クソがクソが!腹が立ってしょうがねえ。こそこそ見ているなんて、俺らしくねえんだよ。
「おいデク!」
 と怒鳴り、勝己は勢いよくドアを開けた。出久はびくりと震え、慌てた様子で勝己の方を振り返る。
「な、何、かっちゃん」
「今てめえ」と言いかけて勝己は踏みとどまった。言えば出久が眠ってる自分の髪を梳いているのを、覗いていたことがバレてしまう。「何でもねえ」と怒鳴って誤魔化す。
「ね、寝返りさせてたんだよ、かっちゃん」
 見られていたとも知らずに、言い訳する出久に心底苛ついた。
 
 その夜は広場でキャンプファイヤーが行われた。A組とB組合同での開催だ。
 夕暮れになりB組の面々が合宿所に押し寄せてきた。
「おう!切島」「おう鉄哲!」と似た者同士で拳をぶつけて挨拶し合っている。女子達は「久しぶりー」「もっと合同イベントやりたいよね」と盛り上がっている。出久は班長同士で集まっているようだ。「1年生の時の林間学校ではできなかったからね。途中で中断してしまったからね」と物真似野郎がこっちを見ながら、思い出したくないことを蒸し返してきた。クソうぜえ。殺意を込めて睨みつける。
 広くはないロビーがごった返してきて、喧しくなってきた。「班ごとに点呼をかけろ。全員揃ったら広場に出るように」と先生達が声をかけた。
 広場では星明りと合宿所の明かり以外に光がない。少し離れるだけで、視界が黒いビロードのような闇に包まれる。
 昼のうちに組んだ木組みに轟が火を付けた。ビロードを闇を焦がし、炎は次第に大きくなりパチパチと火花が爆ぜる。安定したところで、皆が輪になって炎を取り囲んだ。
 火焔は舞い上がり、火の粉を吹いて闇を焦がす。金色の粉に煽られ、色鮮やかな蝶が幻のように現れた。眩さに誘われたのだろうか。蝶は焔と遊んでいるかのように戯れ、橙色の舌に巻かれて捉えられ、舞うように火に飛び込む。途端に蝶は影となり消えてしまった。跡を追うように、一匹また一匹と、炎に向かって蝶が飛んでくる。
 身を焦がすとも知らずに炎に近寄る蝶に、誰も気づいてないのか、A組の奴らもB組の奴らも皆笑ってやがる。何がおかしいんだ。
 炎から目を離している間に蝶がいなくなった。燃やし尽くしてしまったのか。
 いや、蛾じゃあるまいし、夜に蝶なんて飛ばないだろう。幻影だったのだろうか。俺しか見てないのか。出久は見ていただろか。
 勝己は輪の中に出久の姿を探した。名前も覚えてねえB組の連中を4,5人おいて出久は立っていた。癖っ毛が炎のように揺らめいている。焔に照らされた顔は嬉しそうでやけに眩しい。てめえはそんな顔もしやがるんだな。一瞬見惚れてしまう。網膜に焼き付く。
 あれは俺のだ。胸に焼きつくような痛みが走る。なんでこの手の中にいないんだ。
 先生の指示で輪になった隣同士で手を繋ぎ始めた。勝己はじっと掌を見つめる。厚い皮膚に覆われた、爆破の衝撃に耐える掌。苛ついて苛ついて、いつかのように、また俺はあいつの手を突き放したんだ。
 輪から出ると、勝己は「どけ!」と出久の隣の生徒を押しやって、繋いでいた手をもぎ離し、隣におさまった。
「え!なに?かっちゃん?」と躊躇する出久の手を構わずにぎゅっと握る。出久は驚いて目を見開いたが、たどたどしく指を折り、手を繋いでぎこちなく勝己に微笑みかけた。
 出久の作り笑いだ。反射的に勝己の眉根に縦皺が寄った。見るたびに苛立ってしょうがなかった。本当の笑みを向けるようになってきてたのだ。もっと先を渇望してやまなくて、苛立ちでてめえを遠ざけた。
 永劫に交わらない平行線なんて耐えられない。それでも手放すことなんてできない。どうすればよかったんだ。
 掌の温もり。じわりと侵食してくる出久の体温。
 俺のもんだ。
 炎は空気を孕んで巻き上げる。火の粉が夜に吸い込まれ、星になってゆく。

 夜が明けたようだ。
 瞼の裏が赤くなり、明るさを感じる。だが何故か目が開けられない。
「眠ってる君は側に寄っても怒らないね」と囁く聞き慣れた声。ころころと鼓膜を擽る出久の声。
 優しく髪を梳く出久の指。勝手にてめえ、俺に触んな。髪に差し込まれた指が丁寧に髪を撫でる。触れられた頭皮の箇所がさわっと痺れる。すぐ傍に座っている出久の気配。動悸が早くなる。前髪を梳いていた指が額を撫でる。擽ったいけれど気持ちいい。
 ドアが開く音。
「おいデク!」
 自分の声が聞こえた。するっと手が離れてゆく。
「な、何、かっちゃん」と狼狽したような出久の声が応じた。
 出久は梯子を降りて行った。待てよと引き止めたい。今のはなんのつもりだと問い詰めたい。なのに目は開けられず身体は動かない。クソが!
 てめえはいつもそうだ。近づいてきてはそっと触れて、すぐ離れるんだ。てめえが気まぐれに触れるだけで、俺がどう思うのか考えもしねえんだろ。
 自分の弱さを認めたことで、確かに俺は楽になった。てめえとガキの頃みたいに話せるようになった。だから俺は高望みをしちまった。てめえが手に入るんじゃねえかと。だがてめえは俺とお友達ごっこができれば満足なんだ。この先なんてねえんだ。くだらねえ。
 俺は違う。てめえは考えたこともねえだろ。俺がてめえに欲情してるなんてよ。抱きてえって衝動を押さえつけてるなんて、ありえねえんだろ。
 触れたらきっと押さえ切れねえ。今までてめえに対しての衝動を、律したことなんか一度もねえのに、今になって忍耐が必要になるなんて。なのにてめえは知りもしねえで、お気楽に俺に触れやがって。
 目が覚めて飛び起きた。まだ日の出の前の薄暗さだ。
 なんだ今の夢は。ただの夢にしてはやけに生々しかった。髪にまだデクの手の感触が残っているようだ。隣のベッドで出久は静かに寝息を立てている。
 まさか、眠ってる自分の身体に入ったのか?
 話していた内容は昨日の昼間にしていたあいつとの会話だった。昨日の自分の中だったのか。あり得ない。ただ記憶が夢で再現されただけじゃないのか。ならば頭皮に髪に残るあいつの感触はなんだ。
「おはよう、かっちゃん」
 起きた出久は伺うように挨拶してきた。昨日のキャンプファイヤーで手を繋いだからか、心なしか気を許しているようだ。あんだけで弛緩してんじゃねえと、ちょっといらっとする。出久は呑気に布団を畳みはじめた。こいつはどうなんだろう。
「おいデク、変な夢を見なかったか」と聞いてみた。
 出久はきょとんとしている。「昨日の夢は覚えてないよ。かっちゃんがそんなこと聞くなんて、どうしたの?」
「どうもしねえわ。うぜえ」
 こいつは見てねえのか。ならただの夢に過ぎないのだろうか。

 その夜、勝己は出久のベッドの上段に上がり、眠る出久の枕元に座った。穏やかに寝入っている顔を見つめる。出久は風呂に入ってるから暫くは戻って来ない。
 そっと頬に触れる。柔らかくてすべすべした手触り。そばかすを数えるようにつつく。指を滑らせて、唇を形どるように撫でる。
 てめえは夢ですら中途半端なんだよ。たとえ夢の中であったとしても、てめえが俺に触れるなら。俺も触ってやるわ。
 勝己は出久に顔を近づけて、そっと触れるだけのキスをした。柔くて温かい。足りない。全然足りない。顎を掴んで口を開かせ唇を塞ぐ。口内に舌を差し入れて舌先で舐める。歯列を舐めて出久の舌に触れる。アイスクリームを舐めるように、濡れた柔らかさを味わう。離してもう一度、今度はもっと舌を絡ませて深いキスをする。夢中になってキスを繰り返す。唇が離れるたびに濡れた音がする。
 わかってたことだ。触れてしまったら止められないってことは。
 部屋の外で足音が聞こえた。聞き慣れた靴音。出久が戻ってきたのだ。それでももう少しだけ、後一回だけとキスを続ける。浅ましく求めてしまう。
 出久がドアを開けた。ベッドの上段を見上げて首を傾げ、「何してるの?」と問うてくる。勝己は徐ろに頭を上げた。気づかれてはいないようだ。
 勝己は何食わぬ顔で答えた。「何でもねえよ。てめえが息してんのか顔見て確認してただけだ」
「そう、なんだ。ありがとう。かっちゃん」
 ベッドからジャンプして飛び降り、勝己は出久に告げた。「デク、今日から交替だ。俺が身体の面倒みてやるわ。俺のもてめえのも両方な」
「え?かっちゃんが?」
「今までご苦労だったな」
 勝己はにやりと笑った。あ、うん。と出久は何か言いたげにしていたが、何も言わずに目を逸らした。



 かっちゃんは何してたんだろう。僕の身体がある方のベッドで。顔を見てただけだと言っていたけれど。嘘をつく理由はないから、彼が言うならそうなんだろう。でもなんで僕の顔なんか。聞きたいけど、怒られそうで聞けない。
 かっちゃんは僕と入れ替わりに風呂に入りに行ったから、まだ暫くは戻ってこない。戻って来たら聞いてみようか。空の隣のベッドを見ながらうとうとして、出久はいつの間にか眠りについた。
 外が明るい。瞼の中に光が射してくる。朝になったみたいだ。なのに目が開けられない。身体も動かせない。金縛りだろうか。
 側に人の気配を感じる。顔の上に被さる体温。唇に柔らかいものが触れる。誰かの唇だ。触れては離れる温もり。誰かの手が顎を掴んで口を開けさせた。唇を割って入って来たのは人の舌だ。ピタリと唇が合わせられ、口内を柔らかい舌が這う。口腔を余さず探られる。吐息を奪われる。舌を舐め上げられ、戯れるように絡む水音が直接耳に響く。ディープキスされてるのか。どうしよう。逃げられない。焦るのに身体が動かない。誰なんだ。
 甘い匂いが鼻先を掠める。嗅いだことのあるような匂い。
 そんなはずない。気づいてはいけない。頭の中で警鐘が鳴る。
 何してるの、という声が聞こえる。名残惜し気に唇が離れた。覆い被さっていた人物が答える。
 何でもねえよ、息してんのか確認してただけだ。
 かっちゃんの声?今のはかっちゃんなのか?
 驚いて飛び起きた。天窓には星明かり。瞼の裏は明るかったからてっきり朝だと思ったのに、まだ夜だったのか。動悸が速い。心臓が咽喉から飛び出そうだ。なんて夢見てしまったんだ。かっちゃんがそんなことするはずないじゃないか。昨日と同じ会話をしていた。きっと記憶を元にした僕の妄想だ。
 眠ったらまた見てしまうかも知れない。出久はまんじりともせずに夜を過ごし、白々と夜が明けてほっとした。
 勝己を起こさないように、音を立てないようにして部屋を出ると、洗面所に向かった。夢のはずなのに口の中に生々しく蘇る口付けの感触。朝なんだし、歯を磨いてから戻ることにしよう。
 だが、歯磨きを済ませて何度うがいをしても、どうしても夢の中でのキスの感触が消えない。
 唾液の味。口腔の粘膜を探る柔らかさ。脳に直接的聞こえた舌の触れ合う音。
 顔が火照ってしょうがない。振り払うように水飛沫を上げて顔を洗う。顔を上げると鏡の中に勝己の顔が見えた。いつの間にか勝己が背後に立っていたのだ。
「うわ!かっちゃん」
「てめ、飛沫が撥ねんだろが!クソが!」
「ごめん、拭いておくよ」
 出久は首にかけていたタオルで鏡を拭く。ゴシゴシ拭くとかえって鏡面が曇ってしまった。
「なあ、デク」背後で勝己が言う。「昨日変な夢見てねえか?」
 問われてどきりとする。まるで見透かされているような口調。あんな夢見たなんて、君が知るわけないのに。聞かれたって誰にも言えるわけ無い。君に、言えるわけない。
 曇った鏡から目を離さずに「別に夢なんて見てないよ」と答える。
「夢を見てないと思ってる奴でも、本当は見てるらしいぜ。忘れてるだけでよ」
「そ、そうなんだ。詳しいね」動揺してしまって振り返れない。とても今は顔を直視できない。
「ふうん」納得してはいないような訝しげな声だ。「こっち向いて答えろよ、デク」
 耳のすぐ後ろで低く囁かれた。ひゅっと息を呑む。皮膚がざわつく。
「なあ、デク」勝己の手が肩に触れた。
「爆豪、緑谷、ここにいたのか。朝飯の前にちょっと部屋に来てくれ」
 入り口の向こうから呼びかける声。相澤先生だ。身体の硬直が解けてゆく。
「ああ?んだよ」
 勝己が背後から離れて、洗面所を出て行った。安堵して肩の力が抜けた。

「何かわかったんですか」
「まだ原因はわからない。やはり俺達の他にこの付近には誰もいなかった。衛星も監視カメラも確認したし、改竄の後もない。個性を食らったわけでもないようだ。」
 出久の問いかけに、パソコン内のカメラの映像を示して、相澤先生は言った。
 勝己は憤慨した。「結局なんもわかんねえんじゃねえか」
「だが手がかりはなくはない。宿泊施設の関係者に聞いたが、この山では時折不可思議な出来事が起こるらしい」
「どんなことがあったってんだ」
「数年前のことだ。山に登った子供達が合宿所で過ごしている内に、いつの間にか人数が1人増えていたそうだ。だが誰が増えたのかわからない。なにかの手違いなのかと思ってそのまま過ごしたが、数日たって下山する頃には、減って再び元の人数に戻っていたらしい。今度は逆に誰が減ったのかわからなかったそうだ」
「本当かよ。嘘くせえ」
「登山者の中に子供がいるときに、たまにこういった現象が起こるらしい。全く同じではなくても、類似の記録がいくつもあった。原因はわからないが、こういった現象は山にいる間だけで、下山する頃には元に戻っていたそうだ。今まで何事もなく済んでいるので公にしてないらしい」
 出久は問うた。「ほっといていいんですか」
「調査はしたそうだが、個性の発現以後そういった学問は廃れ気味でな、専門家が少ないんで難航しているようだ」
「人に宿る個性でも、超常現象レベルのものもありますもんね」
 轟や八百万の個性も勝己の個性も、個性の時代だからこそ普通に受け入れられているが、物理現象としては相当不可思議といえる。無論、OFAも。
「何かの個性の残滓が残っていたのかも知れないが、どちらかと言うと、やはり現象というべきだろう」相澤先生はふうっと息を吐いて続ける。「しかし、原因と思われる子供はいたらしいな」
 勝己が乗り出した。「やっぱりいんじゃねえか、犯人がよ」
「え、でも個性ではないんですよね」出久は問うた。
「説明しにくいことだがな」相澤先生は続ける。「今までの事件の共通項は、子供達の中にえらく不安定な者がいたということなんだ。精神的にまいってたり鬱屈してたり、逆にハイになってたりな。そんな極端な心の波動が外部に影響を与えることがあるらしい」
「つまり今回も誰か原因になる奴がいるってことか。そうだな?」と勝己。
「ああ、おそらくだが」相澤先生は椅子を回して向き直る。「原因はお前達の方にあるようだな」
「はああ?俺らのせいだって言うのかよ!冗談言えよ」勝己はいきり立った。「そりゃあ憶測でしかねえんだろ」
 相澤先生は静かに語る。「お前らに起こった現象なんだから、原因もお前ら自身と考えるのが自然だろうが。まあ確証はない。ただ、子供の精神力は強いんだよ。お前達の考える以上にな。現実を覆し幻を具現化させてしまうほどに」
「やっぱり分身作るとか、そういう個性の奴がいただけじゃないのかよ」
「残念だが該当するような個性の者はいなかったそうだ」
「新たに個性を得た奴がいたんじゃねえのか」
「個性は4歳までしか発動しない。例外はない。知っているだろう」
 ちらっと勝己を伺って出久は返事をする。「はい、そうですね」
 勝己は鼻を鳴らした。出久の個性が高校になっていきなり発現したと思われていた頃は、随分勝己を悩ませていただろう。
「だから現象としか言いようのないものだ。もう一度聞くが、お前達に合宿所に戻るまでの記憶はあるのか」
「言ったじゃねえか。ねえよ。霧の中で彷徨っていただけだ」勝己が言う。
「その前に何してたか覚えてるか。森の中に入ったことじゃなく、その前までの記憶だ」
 出久が答える。「その前って、ベッドに入って眠って。気が付いたら森の中を歩いていたんです」
「なるほど。前の夜に睡眠した自覚はあるんだな」相澤先生はふっと笑った。「ひょっとして、お前たちは夢の中から来たのかも知れないな」
「はあ?何言ってんだ」勝己は言う。
「仮定だがな、お前たちは今、夢を見ているのかも知れんぞ。この合宿の夢をな。今話してる俺もお前らにとっては夢なんじゃないか」
「先生?そんなこと」
 これが夢だなんて。飯盒炊飯もキャンプファイヤーも夢だなんて。出久はぐらりと足元が揺れたような気がした。
 相澤先生は言う。「ま、冗談だがな」
「やめろよ、笑えねえ!」勝己は怒って言い返す。
「で、夜は眠れるのか?」
「ああ?ちゃんと寝てるわ!」
「どうだ、夢は見るのか」
 一拍おいて勝己は答える。「夢なんざなんも見てねえよ」
「僕も見てないです」出久は嘘をついた。
 その他に眠ってる自分達の身体に何か変わったことはないかと細かく聞かれ、何もないと二人とも答えた。
「変化なしか、様子を見るしかないな。今までのところ他の生徒達には何も起こってないようだ」
 引き続き隔離するかのように、屋根裏部屋で寝ることになったが、意外なことに勝己は大人しく同意した。同室になった当初はあんなに文句を言っていたのに。
 朝食の時間が近くなったので、2人は相澤先生の部屋を退出した。何故か歩調を合わせて勝己は出久の隣を歩いている。見られているようで落ち着かない。
 勝己が口を開いた。「てめえ、夢見てねえのか」
「え?な、ないよ」ちょっと狼狽える。夢は見てるがとても言えない。
「かっちゃんも夢、見てないんだよね」
「聞いてんのは俺だ」
「見てないよ。本当だよ」
 勝己が睨んでいる。見透かされているようで目を合わせられない。君が知るはずもないのに。

 夜が来てしまった。
 勝己のベッドからは寝息が聞こえてくる。もう眠ったようだ。
 出久は溜息をついた。眠りたくない。またあんな夢を見てしまうかも知れない。だがベッドに入るとあっという間に睡魔が押し寄せた。
 瞼の裏はとても明るい。どうやら昼間のようだ。梯子を登ってくる足音。ベッドがミシリと音を立てて軋んだ。顔の上に人の気配。唇に吐息を感じた。
 誰かがキスを落とした。唇の感触は生々しくて夢とは思えない。指一つ動かせない。自分の上にいる人物はキスをしながら布団を剥がした。誰かの掌が身体に触れる。服の上から愛撫する。
 Tシャツの裾から手が潜り込み、腹から胸を摩り、乳首を指先で撫でて摘む。ごつごつした手が動けない自分を弄ぶ。それなのに身動きできない。相手のなすがままだ。この掌をよく知っている。手の持ち主がデク、と囁いた。
 切なげにデク、と名を呼ぶ勝己の声。何度も何度も。こんな優しい声なんて聞いたことがない。肌を探る手つきも優しくて、出久の気持ちは落ち着いてきた。だがそれは短い間だった。
 腹を撫でていた手がハーフパンツの中に潜り込んできた。動転して目を開けようとしたができない。手は暫く布の上から性器を撫でていたが、するりとボクサーパンツの中に入って来た。出久の性器に指が巻きつけられる。指は輪を作るように肉茎を掴んで摩る。扱く手つきは巧みで、次第に血液が集まり膨張してきたのがわかる。衣擦れの音が耳を犯す。強制的に快感を煽られ、嫌だと思っても指一つ動かせない。気持よくて怖い。知らない感覚を呼び覚まされる。やめてと声を出そうとしても果たせない。
 目が覚めた。天窓から笑ってるような形の月が見えた。
 声を上げてしまってやしないだろうか。シャツの中は汗だくだ。股間が膨れている。恐る恐る触れたが、濡れてはいない。夢精してなかったようでほっとする。
 また変な夢を見てしまったのだ。感触が残っていて本当に起きたことのようだ。でもまさか。かっちゃんがそんな、僕に悪戯なんてするわけないじゃないか。万が一そんなことされたとしたら、流石に起きるだろう。
 何度もあんな夢を見るなんて、彼への冒涜だ。ひょっとして僕の願望なのか。違う。彼への気持ちは憧れだ。そんなのあるわけない。
 そろっと起き出してトイレに向かった。用を足そうと前をくつろげ、雁首を摘んだ途端にビクリと手が硬直する。性器を触り弄んできた指の感触。先端を撫でて抉れた部分をくるりとなぞる巧みな手つき。
 まるで本当にあったことのように生々しく蘇ってくる。なんでこんな夢を見るんだ僕は。おかしくなりそうだ。
 この日も勝己はいつもどおり剣呑としていた。食事中もトレーニングの間も変わらない。けれども、時々探るような視線を向けられている気がした。
 夢を思い出してしまって、彼の顔をまともに見られない。僕はどんな顔をしているんだろう。


6


 夕食が終わり、勝己の後に風呂を済ませて、出久は部屋に向かった。
 明日で合宿は終わる。前例通りというなら、原因不明のこの事象も終わるのだろうか。 変な夢も、見なくなるだろうか。先生は様子を見ると言ってたけど、もし何も変わらなかったらどうなるんだろう。考えに耽りながら部屋のドアを開けた。
「遅かったじゃねえか、デク」
 低い勝己の声。暗い部屋の中、勝己が窓枠に座っている。月明かりに髪が金の焔のように揺らめいている。瞳の赤が光を反射して、まるで猛禽類のようだ。捕食されると錯覚したかのように体が震え、ざわっと総毛だつ。
「待ってたぜ、デク」
「かっちゃん?電気つけないの?部屋暗いよ」
 恐れを堪えて明かりのスイッチを入れようと壁を探すと「つけんな!」と勝己は吠えた。びくっと手が止まる。
「デクてめえ、昨日はどんな夢を見たんだ?」
「何も、夢なんて何も見てないよ」
「見てんだろ?しかも誰にも言えないようなやつをよ」
 心臓が跳ねる。まるで夢の内容を知っているような口調だ。君が知るわけない。あんな淫夢のような夢。
「そういうかっちゃんはどうなんだよ」逆に問うた。
「俺は見てるぜ。毎日な。どんな夢か聞きてえか?」
 デクはゴクリと唾を飲んだ。聞いてはいけない気がして、首を横に振る。勝己がくくっと笑った。
「そこで眠ってる俺らはどんな夢を見てるんだろうな。デク」
「え?考えたこともないよ」突然話題を変えられて戸惑う。
「合宿の夢を見てるのかもな。今この時、てめえが入って来て、俺がこの窓枠に座ってる、この瞬間を夢に見てるのかもな。そう思わねえか」
「それじゃまるで、僕らが彼らの見ている夢みたいだね」
「ああ、かも知れねえぜ」
「相澤先生の言ってたのは冗談だよ、かっちゃん、ねえ、電気付けようよ」
「冗談、じゃねえんだよ」
 出久がスイッチに手を伸ばした途端、手元に爆発の火花が飛んできた。
「付けんなっつってんだろーが!」
「あぶないよ、かっちゃん。スイッチに当たったら壊れちゃうよ」
「てめえが余計な事しなきゃやんねえよ」
 仕方なく照明をつけずにドアを閉めた。月明かりだけが部屋を青白く照らしている。
 勝己が言った。「なあ、デク、俺はこの部屋に来た初日から、眠るとあの身体にオーバーラップしてたんだぜ。知ってたか?」
 頭が真っ白になった。まさか、眠っていると思っていた身体に、勝己の意識があったのか。自分がしていたことを、勝己は知ってるのか?
「嘘だろ?かっちゃん」
「やっぱり知らなかったんだな。だろうよ。てめえが寝てる俺に呼びかけてんのも、俺の髪梳いてんのも知ってるぜ。デク。俺がてめえを部屋に呼びに来た声まで聴いてる。間違いなく俺はその身体ん中にいたんだ」
 かあっと顔が熱くなった。薄暗がりで良かった。きっと顔に出てしまっている。
 でも、冷静になれ。勝己はカマをかけてるだけかも知れないのだ。肯定してはいけない。
「そういう、夢だっただけじゃないのかな?」出久は平静を装った。
「それを確かめようと、てめえと交代したんだ。眠ってる身体ん中に、てめえがいんのか呼びかけた。俺の声聞こえてたんじゃねえか?」
 聞こえてた。デクと呼ぶ声。でも、それだけじゃない。とても言えない。
「ああ、呼んだだけじゃねえわ。確かめようとてめえに触れちまってな。歯止めがかからなくなった。俺が何したか、てめえ、知ってるよな?」
「かっちゃん、まさか」
「キスの味はどうだった?デク」勝己が言った。「寝てても勃つんだな。気持ち良かったか?」
 身体の中で僕が覚醒しているのを知ってたのに、かっちゃんは僕の肌に触れて、僕のあれに触ってたのか。頭に上った熱で目眩がしそうだ。
「てめえは顔に出るよなあ。デク」勝己はさもおかしそうに笑う。「てめえは俺より先にはオーバーラップしてなかった。てめえがそうなったのは、俺と交替してからだろう。眠るてめえにキスしてから、態度がガラッと変わったからな。てめえは眠る身体には意識がねえと思ってたわけだよな。だから俺に触ったんだろ」
 出久は震える声で言った。「ごめん、知っていたら、触れたりしなかった。君は怒るってわかってたから、でも僕は」
「てめえの言い訳なんざどうでもいいんだよ。俺がなんでてめえに触れたのか、気になんねえのか。聞かねえのか?聞けよ!デク」
 触るなって言ってたのに僕が君に触ったから、仕返しされてたんじゃないだろうか。僕を辱めて。面と向かうとそうとしか思えない。何故こんな手段を。
「なんでこんな悪戯、したんだ?」
「悪戯か!は!てめえはすぐにてめえ勝手に解釈しやがる。クソが!まあいい、どうせこれからじっくり教えてやんだからよ。俺は謝らねえぜ。てめえは俺に触れたかったんだろ。俺も触れたかったんだ。なら同罪じゃねえか。罪とは思わねえ」
「かっちゃん」お互い様だから水に流そう、てことだろうか。
「この現象ってやつの仕組みの話だけどな」勝己は首を傾ける。「この身体が眠った時だけ、元の身体に戻ってるんだろうな」
「あっちの身体が本物だって認めるんだね、かっちゃん。じゃあ、僕らは」
「相澤先生の言った通り、俺らは元の身体の見ている夢なんだろうよ。夢が形を成して浮遊してるんだ。意識が身体に戻りつつある今、ほどなくこの身体の方は消えんだろ。多分、明日には。そういう気がすんだよ」
「じゃあ、あっちの身体で目覚めるんだ」こっちは消える。恥ずかしい思いごと、この身体は消えてしまえるのか。そうして、自分たちは元の身体に戻れるのか。
「いや、どっちの身体が消えちまうのかはわかんねえか。どちらが残るにしろ一つに戻るんだろ。だが、意識が眠る身体の方に戻ったら、この身体で経験したことは忘れちまうのかも知れねえ」
「元に戻るんだよ。かっちゃん」それでいいんじゃないか、と思う。
「ああ、だけど忘れちゃいけねえことがあんだろうが、デク」
 勝己の瞳がすうっと細められる。「俺がてめえにしてたことはてめえにバレた。てめえが眠る俺に何してたのか、俺は知った。てめえの本心が知りたくて随分回り道しちまった。やっとてめえの気持ちがわかったってのによ」
 勝己は窓枠から降りてゆらりと立ち上がった。「なのに、もし消えるってんなら、忘れちまうかも知れねえんなら、元の木阿弥だ。せめてその前にてめえを手に入れる」
 薄暗がりの中で、勝己の赤い瞳だけが爛々と野生動物のように光った。捕食される、と頭の中に警鐘が鳴り響く。でも金縛りにかかったように手足が動かない。勝己は壁際に出久を追い詰めた。
「待って!仮定だろ、かっちゃん」
「なあ、デクてめえも俺に触ってたろ。こうやって髪に触ってたよな」
 勝己は出久の手を掴んで髪に触らせる。指先にさらさらと触れる髪。眠っていた勝己の髪と同じ手触り。
「てめえは顔にこう、触ってたよな」勝己はさらに頬に掌を当てさせる。
「ごめん。かっちゃん」
「ああ?何をあやまってんだ。俺もてめえに触ってんだ」少し苛立ちが勝己の声に滲んだ。ごくっと勝己の喉仏が上下する。「デク、触んぞ」
 Tシャツが捲られ、出久の肌を勝己の掌が滑る。指先が乳首に触れて円を描くようになぞる。出久の反応を引き出すように丁寧に愛撫する。
 あ、と声を出してしまった。足の力が抜けてしまい、壁にもたれかかったまま、ずるずると崩折れて床に腰をつける。勝己もしゃがんで膝をつき、五指で胸筋の間をなぞる。指は腹筋に降りて文字を描くように触れる。夢で感じたのと同じ性的な指の感触だ。吐息が震える。
「寝てるてめえに触るよりずっといいな。反応があるからよ」
 くっと笑うと、勝己の手は出久の下腹部を撫でてハーフパンツの中に入った。夢と同じように、下着の上から出久のものを撫でる。
 震える声で出久は「かっちゃん」と呼んだ。
「なんだ、デク」と囁きながら勝己が唇を重ねる。貪るようなキスをする。ねっとりと口内を味わって、唇が離される。
「甘えな。夕飯のデザートか、歯磨いたんかよ」勝己は揶揄うように言った。
「磨いたよ」
「ああ、じゃあ、これはてめえの味か」
 にっと笑い、勝己は再び唇を奪うと、キスをしながら床に組み伏せた。出久のTシャツを剥ぎ取り、勝己も脱いで肌を重ねる。均整のとれた筋肉質な身体の重み。勝己の唇が顎を辿り、首元まで降りてゆく。肌に唇を滑らせ、吸い上げる。さっき捏ねられて、膨れた乳首を舐めあげる。唇と舌で肌に与えられる、感じたことのない感覚。
「こんなの、間違ってるよ」震えが止まらない。「夢に踊らされてるんだ」
「それがどうした。逃げんな」
「かっちゃんだって、わかってるだろ」
 出久は身体をずらして重みから逃れようとした。だが、勝己は緩慢に逃げをうつ身体を返して俯せにし、腰を持ち上げる。。
「今更逃げんな、デク」勝己は言い、出久のハーフパンツを脱がすと、尻を剥き出しにして、背中に覆い被さった。前に回された勝己の手がペニスに触れる。
「わ、かっちゃん、やだ」
 急所を掴まれた。身体から力が抜ける。
「はは!動けねえだろ。心配すんな。気持よくさせてやるわ」
 勝己のゴツゴツした掌が出久の肉茎に絡みついた。巧みに動き、雁首の下に指を巻きつけて揉んでは扱く。夢と同じやり方だ。
「ん、や、やめようよ、かっちゃん」声が上擦ってしまう。
「はっ!途中でやめていいのかよ。んな声で言われても説得力ねえわ。いいんだろ、デク、なあ」
 快感に抗えない。あっという間に勃ってしまい、勝己の手の中に射精してしまった。勝己は腰を引き寄せて双臀を掴んで開いた。誰にも見られたことの無い場所。中心が彼の前に晒される。何をされるんだろう、とぼんやりと考える。柔らかい感触が掠め、窄まりを触れては濡らした。はたと舌の感触だと気付いた。勝己は舐めている。あまりのことに出久は動転した。
「かっちゃん、何してんだよ!」
「石鹸の香りすんな」
 そう言って勝己は唾液を塗りつけて、中に塗り込めるようにして指と舌で解す。
「やだ、舐めるなんて、やだよ、おかしいよ」
 中心を這う暖かい舌。恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。「お願いだよ、変だよ」
 出久の懇願を聞かないふりをして勝己は行為を続けた。後孔を降りて肉袋を咥えて舐め上げる。痺れるような感覚が這い上がってくる。丹念に舐めほぐしてやっと離してくれた。頭がぼうっとする。
「デク、ほっとしてんじゃねえぞ。入れるぜ」
 勝己は俯せのままで出久の脚を開き、窄まりに性器を押し付けた。丸みを帯びた熱い肉の感触。惚けていた頭が醒める。
「ちょ、かっちゃん待ってよ!嘘だろ、無理だって」
「クソが、待てるかよ!入れてから待ってやる」
「それじゃ遅いだろ!」
 勝己は本気だ。出久はもがいた。勝己の唇が首に触れる。舌が頸を舐めて軽く噛み付く。驚いて首を動かすと、歯型が付きそうなほどぐっと歯が食い込んだ。
「痛い!ひどいよ」
 首に噛み付いて抑え込むなんて、猫の交尾のようじゃないか。出久は首を捻って振り向いた。途端に力強い手が頭を掴んだ。
 勝己が顔を近づけてくる。
 月明かりに青白く照らし出された端正な輪郭。美しい金の獣だ。一瞬、この獣になら食われてもいいと思ってしまうほどに。
「デク、てめえから始めたんだ。眠ってる俺にてめえが触れた時からな」
 深く口付けをすると、勝己は腰を押し付けた。太腿をがっしりと掴まれて足を閉じられない。
 熱の塊が敏感な部分をじらすようにつついて擦り、窄まりを探り当てた。とたんに熱は硬い肉棒となり内部に押し入ってきた。
「い、た!あ、かっちゃん」
 雁首を沈められ、引き抜かれ、また入れられる。先端使って入り口を広げるつもりなんだろうか。何度も太い部分だけを入れられるのが辛い。挿入されるたびに息が詰まり、ん、んとこらえきれない声が漏れる。
「もっと奥に入れて欲しいんか、ならそう言えや、デク」
 窄まりを攻められるより、いっそその方が楽になれるだろうか。でも言えるわけない。
「そうか、楽にしてやるよ」
 出久の思考を読んだように、勝己が腰を打ち付けた。勃起がぐっと深く入ってきた。
「あ、うあ、かっちゃん」
 楽になれるなんて、なんで思ったんだろう。痛くて苦しくて堪らない。狭い内壁が擦られて腹中を熱い生肉に押し上げられる。
 自分の意思とは関係なく、内部がうねるように動いて勝己のペニスを締めつけている。雁首、肉茎、彼の男根の形を知覚する。突かれるたびに喘いでしまう。
「やらしい声、煽んなよ、デク」
「な、だって、かっちゃんが」
 勝己は覆い被さると、二の腕を押さえつけて強く腰を揺する。串刺しにする勢いで深く貫く。肌が打ち付けられ音を立てる。
「はぅ、あ!」出久は悲鳴をあげた。
「で、何だ。言ってみろ」
 息も絶え絶えでとても言葉が継げない。言わせないようにしてるとしか思えない。
「待ってやってんだろお。言えや。喋れねえんかよ」
 勝己はスピードを緩めた。腰を少し引いては挿れる動きで中を丹念に擦る、小刻みに前後に揺さぶる。擦られたところから焼きつくされてしまいそうだ。内部から侵されてゆく。
「は、あ、かっちゃん」
 自分の声に甘さが混じる。勝己の動きが変わった。深く挿入して止めては掻き回すような緩やかな動き。中を慣らしているようだ。
「は、は、いいのかよ。デク。俺ので感じてんのかよ」
「違う、や、あ」
「認めろよ。俺ので感じてんだろ。てめえん中、すっげえいいわ」
「何言ってんだ、ああ、やめ、」
 勝己は陰茎の先端だけ中に残し、ギリギリまで引き抜いて突き入れた。勢いよく腰を振って激しく律動する。陰嚢が窄まりの下に打ち付けられ、男根は出久の体内を激しく抉り、揺さぶる。 確かな身体の感触。内部を焦がす融けそうな熱。自分の意思とは関係なく彼を求めて絡みつく粘膜。
「は、はあ、出すぜ、デク」
「あ、や、何を」
 射精するってこと?と思い当たった瞬間、登りつめた勝己は唸り声を上げて、中で逹した。熱い飛沫が体内に注がれる。
「は、あ、かっちゃん」首を起こし、出久は背後を振り向いた。
 勝己は引き抜いたペニスの先を押して白濁を出し切り、出久の窄まりに擦りつけている。
「ふは、は、てめえを抱いたぜ。デク」勝己は嬉しそうに笑う。「やっとだ。はっ!やっとだ!あんなに身の内を荒れ狂っていた嵐が、嘘みてえに凪いでゆくわ」
 勝己はどさりと出久の上に身体を重ねた。背中に触れてる勝己の逞しい上半身。肩口に伏せた顔。呼吸が荒い。高地トレーニングでは息切れひとつしてなかった勝己なのに。自分も息が上がってるのだけれど。
「でもまだ全然足りねえ。てめえまだいけんだろ」
「え、む、無理だよ」
 有無を言わさず、ぐったりした身体が抱き起こされ、引き摺られる。よたよたした足取りで2人はベッドにもつれ込んだ。
「は、はあ!」
 勝己に貫かれて出久は喘ぐ。足首を掴まれ、脚を大きく開かされ、正常位で貫かれて激しく揺さぶられる。見下ろす勝己の顎から汗が滴り落ちる。
 勝己の腕が背に回り、出久を抱きしめる。汗ばんだ互いの肌が滑る。まるで水の中のにいるかのようだ。二人して溺れてるみたいだ。ベッドに移動してからどれだけ経ったのだろう。
 下肢を絡ませ合う。唇を啄んでは深く合わせるキスをする。息継ぎをするようにキスを交わす。口付けは互いを生かすための人工呼吸であるかのようだ。
 何度も体の中に射精されて激しく抱かれて、感覚が麻痺していくみたいだ。痛いはずなのに気持ちよく感じるなんて。感覚のどこか壊れちゃったのかな。
 抱き合うことが、まるで約束されていたことのように錯覚する。身体の中を擦る君の屹立に、知らなかった快感を引きずり出される。君を受け入れる部分が自分の中にあるなんて知らなかった。
 体内を行き来する熱く硬いペニスの感触。勝己の一部が出久を貫き、存在を主張する。はっはっと勝己の息は荒く、突き上げては腰を引き、また突き上げる。
 天窓の向こうに、蝶が二匹飛んでいるのが見えた。蒼い月明かりが、ひらひらと舞うシルエットを映し出す。蝶達は窓枠に舞い降りてきて羽を休める。寄り添いながら羽搏く。出久は覆い被さる勝己の肩にそっと触れては離し、また触れる。
「おい」勝己は言う。「デク、じれってえな。腕を俺の首に回しゃあいいだろ」
「でも、触るなって、いつも君は怒るじゃないか」
「クソが!てめえはほんっとクソナードだな。抱きつかねえと怒んぞ」
 そろりと勝己の首元に腕を回す。勝己がにやっと笑い、肩口に顔を伏せて耳朶を甘噛みする。
 奥まで貫かれる身体。デク、と吐息混じりに呼ぶ勝己の声。応えるように喘ぎ声を上げる。上擦った声は、とても自分のものとは思えない。達したのか、ぐっと深く突き入れると勝己は低い声で唸った。


7


 霧に包まれた山頂で、虹の中に見えた2つの影。
 並んで仲良く見えた2人の姿。
 あれが僕らであったなら。あの時僕はそう思ったのだ。
 隣で一緒に見上げていた君も、そう思っていたのだろうか。


 瞼の裏に光が射した。天窓からの光。朝の光。出久は目を覚ました。
 昨日よりも天井が近い。二段ベッドの上段だからだ。ということは眠っていたほうの身体だ。元の身体に戻ったということなのか。
 身体を起こした。ずっと寝ていたから身体の節々が凝ってる。だが身体の内部に残るこの痛みはなんだろう。彼との性交による痛みなのだろうか。この身体ではないはずなのに。いや、あれはひょっとしてこの身体だったのか?
「おいデク」
 反対側のベッドで勝己が立膝をついて出久を見つめている。
「かっちゃん」
 君も目覚めたんだな。射るような強い視線。下段のベッドに勝己の身体はない。ならば自分の身体も下段にないのだろう。
 勝己は跳躍してデクのベッドに飛び移った。反動でぎしっと軋む。
「てめえ、やっと起きやがったか。遅えわ」
 勝己は出久の手を取って自分の頬に当てる。温かい肌。君の体温。
 出久は口を開いた。「僕達は偽物なのかな。本物なのかな」
 勝己は出久の頬に手を伸ばし、さらさらと撫でる。指が顎を辿り首筋に下りて、まるで確かめるように触れてゆく。出久は擽ったくなり、ふふっと笑う。
 勝己は鼻先に顔を近づけた。赤い虹彩が灯火のようだ。
「デク、んなこたあ、どっちでもいいわ」
 勝己は囁いた。その言葉を呑ませるかのように、触れた唇をそっと重ねた。

END

 

胡蝶の夢
 荘子の故事から
 自他の区別がつかない境地。
 目的意識に縛られない自由な境地。
 または現実と夢の区別がつかないことのたとえ。
 人生のはかなさのたとえ。
 もしくは物の形は変化しても本質は変わらないということ。