碧天飛天の小説サイト

碧天飛天の小説サイトです。腐向け二次創作やオリジナルの小説を置いてます。無断転載禁止Reprint is prohibited

パラサイト・フェスタ(全年齢版)

f:id:hiten_alice:20180829120403j:plain

序章


「かっちゃん、あれ何だろ」
 幼い頃、ふたりで林の中に遊びに行った時だ。後ろを歩いていた出久が言った。
 ふらふら余所見をしているから、ついてくるのが遅れて、待ってよかっちゃん、と追いかけてくるのが常だった。この日は2人だけだから、歩くペースを合わせてやってる。
「あんだ。どうした?デク」
「この虫、どうしてこんなとこで動かなくなってるのかな」
 出久の指差す方向にいたのは、草の先に噛み付いたまま死んでる蟻だった。
「ああ、その蟻は冬虫夏草に寄生されてんだ」
「この蟻の中に寄生虫がいるの?」
「いや、寄生虫じゃなくキノコの一種だな。そいつに寄生されると蟻が自分の意思を支配されて、草に登って落ちないように噛み付いて死ぬ。そしたら蟻の中の冬虫夏草が身体から伸びてきて、胞子を周りに撒き散らし、次の寄生先の蟻を待つってわけだ」
 自分も本物見るのは初めてだ。かっちゃんはなんでも知ってるね、と出久は微笑む。そうじゃねえよ。てめえがなんでも聞くから勉強してんだろーが。
「蟻にも心があるのかな」
「人間みてえな感情はねえだろ。あるのは本能だけじゃねえか」
「本能。頭の中に聞こえる声じゃあ、自分のものか誰かの声なのかわからないよね」
 頭の中で死へと誘う声。判断を狂わせるほどに抗いがたいのものなのだろうか。気味が悪いなと思う。
 勝己の袖をそっと掴んで、出久は囁いた。
「怖いね、かっちゃん」


「ほら、早く言わねえともっと奥まで入れちまうぜ。言えよ。欲しいっていえよ。俺のをよお。なあ、デク」
 シャツをめくり乳首をコリコリと撫でる。潰しながら捏ねると芯ができてプクリと勃ってくる。
「うあ、や、は、」と出久は苦しげに喘ぐ。
 カーテンを閉めた勝己の部屋。薄い布は夕方の日差しを遮り切れず、薄明るく出久の肌を浮かび上がらせる。床には脱ぎ散らかした二人分の制服。勝己は出久の足首に引っかかっていた下着を剥ぎ取って、ぞんざいに服の上に放る。

何一つ自分に本音を言わなくなった出久。下手くそな作り笑いで苛つかせる嘘つきな出久。でも肌を合わせることで、少しだけこいつが隠している内側に触れられる気がした。
 触れれば触れるほど、出久の肌に熱に飢える。抗いがたい衝動だ。
 けれども時折、身体を重ねた後の、虚ろな出久の瞳を見るたびに、胸を硝子の破片のような棘が刺す。
 出久はどう思ってるんだ。
「おい、デク」
 身体を繋げている時は、気づかないでいられる心の虚。身体を起こし、乱れた出久の髪をかき上げて瞳を覗く。抱かれながらも反抗的な光を宿していた瞳。快楽に濡れて情動を揺さぶった翡翠のような瞳。今は何を映しているのかわからない硝子玉のようだ。
 出久だって肌を合わせることに慣れてきているんだ。身体を重ねることで情が移ったりしねえのか。
 俺のことを。
 いや、どうだっていいじゃねえか。出久の気持ちなんか置き去りで構わない。抱いて溺れさせてしまえばいいんだ。
 中学生の頃の放課後の熟れた時間。高校生になって、たとえ別々の学校になったとしても続くはずだった関係。だがそれはヘドロヴィラン事件と、雄英入学と共に出久が個性を得たことで、あっさり終わりを告げた。
 あれから出久に触れていない。


第1章


 文化祭に劇をすると決めたのは誰だっただろうか。しかも手間のかかるファンタジーだと?
「アホかよ。稽古する暇なんざねえわ」
 勝己は文句を言ったが、面白そう、台詞覚えるの大変そうだけどやってみたい、とクラスの連中からは賛成の声が大きく、多数決で決まってしまった。ちらっと背後を伺うと出久も挙手してやがる。クソナードが。
「めんどくせえわ、クソが。てめえらでやってろよ」
 勝己は毒づいた。つかつかと飯田が近寄ってくる。おい、HR中だろうが。相澤先生はいねえけど。
「爆豪くん、やる前から面倒だと決めるのは良くないぞ」
「まあまあ、飯田、爆豪は口ではこう言っても、結構真面目にやるんだぜ。前のバンドの時だって、率先して練習仕切ってたしよ」
 上鳴の野郎、余計なことを言いやがる。勝己は睨みつけて顔を顰めた。
「そうだったのか、やる気があるんだな。君を誤解していたようだ。すまない爆豪君」
 飯田は机に頭突きしそうな勢いで、腰を直角に曲げた。
「うっぜえええ!勝手にしろよ」
 勝己は怒鳴って机を叩き、さりげなく振り向いた。目が合うと、出久は困ったように眉を下げて笑みを作る。胸がざわっと騒いだ。
 実を言うと、全員で一つのことをするのに異論はない。一年生の時はバンド班とダンス班に分かれたから、ダンス班の出久が何やってたのか、わからなかったからだ。いまだに引っかかっていることがある。
 文化祭当日、買い出しに行ったはずの出久の帰りが遅く、戻って来た時は明らかに消耗してやがった。明らかに何かやらかしたんだ。でも出久の班の奴らは何もあいつに聞かなかった。忙しかったとはいえ、気にならねえのかよ。
 文化祭が終わってから呼び出して出久に問いただしたが、口止めされてるのか、答えられないという返事だった。腹が立ったがしょうがねえ。
 今回は出し物はひとつだから、てめえに異変があれば丸わかりだ。俺に隠し事はさせねえ。
 脚本はオリジナルでいくことになった。クラスコンペで選ばれた粗筋をベースにして、脚本担当の奴らがさらに推敲を重ねたらしい。全員が出演する内容になり、元とはまるで違う物に仕上がった。
 期日が間近に迫ったここ数日は、準備でてんてこ舞いだ。衣装や小道具は八百万が個性で用意した。セレブな知識が生かされて、学生の舞台とは思えないゴージャスさだ。おかげで本格的な舞台になりそうだ。八百万に食わせるお菓子を作る係に砂糖が振り分けられたので、ある意味砂糖のおかげでもある。
 だが舞台で使うサテン生地やベニヤ板などを作りすぎたようだ。教室がやけに狭くなった。
「食わせすぎじゃねえのか、太らせちまうぞ」と上鳴が余計なことを言って八百万が凹み、「デリカシー!上鳴、お前、謝れ!」と耳郎に怒鳴られている。
 創造したものは元素から構成した本物らしいから、一度作ると消えない。使わねえもんは爆破するかと提案したが、もったいないし、まだ使い道があるかも知れないと、余った布や板は上の空き教室にぶち込まれた。
 ベニヤ板を使ったセット作りは力仕事なので主に男子の仕事だ。衣装のデコレーションは主に女子が受け持った。
 そのはずだったのだが。
「おい、爆豪、俺の衣装の胸に、このエンブレムつけてくれよ」「俺も肩あて縫い付けてくれよ。勇者っぽくよ」と何人かから何故か裁縫を頼まれた。
「ふざけんな、てめえら!自分でやれや」
「出来ねえから頼んでんだよ。女子には別に必要ないだろって断られちまったし」
「もう爆豪は衣装担当でいいんじゃね?女子よりうめえじゃん」
「はあ?てめえらなんでできねえんだ」
「うわ、出たよ、才能マン、世の中にはなあ、頑張ってもできねえことがあるんだよ」
「クソが!全部持って来い。ちゃっちゃと終わらせてやる」
 衣装を受け取って出久の姿を探した。出久は窓の側でベニヤ板に覚束ない手付きで釘を打っている。危なっかしくてしょうがない。勝己は出久の側に椅子を寄せて座った。
 出久は顔を上げる。「かっちゃん、手伝ってくれるの?」
「は?てめえの仕事だろうが。てめえでやれや。俺は衣装直しすんだよ」
「え、ここで?」
「うっせえ、どこでやろうが構わねえだろうが」
「見られてると、なんか緊張するなあ」と出久は屈託なさげに笑う。
 擽ったいような、軽口を叩くような関係に、いつになったら慣れるだろう。クラスの奴らはもう、自分が出久の側にいても誰も不思議がらないが。
「でも、僕は嬉しいよ、かっちゃん」と出久は言う。「一年生の時は担当演目が違ったから、準備もリハーサルも別々だったもんね」
「へっ!近くで見ると、てめえの至らなさがよくわかるわ」
「ひどいなあ。かっちゃんみたいには出来ないよ」
 衣装にエンブレムを縫い付けながら、出久を見下ろす。
 屈んで金槌を打つ白い出久の頸。熱いのか第二ボタンまで外したシャツの襟から覗く肌。さっきまで静かだった胸の内にさざ波が立つ。
 しっとりと手に馴染む、肌理の細かい肌を知っている。襟の合わせ目から手を滑り込ませて温もりを確かめたい。当たり前に抱いていたのが嘘のようだ。今はどう触れればいいのかわからない。
「貸せよ、下手クソが」
 焦れて出久の手から金槌を引ったくる。指が触れるだけで、胸が騒めくのが忌々しい。隣にしゃがんで、出久の打った釘を残らず引っこ抜いて打ち直す。
「え?全部駄目?」と出久が言う。
「真っすぐ釘打つこともできねえのかよ」
「ごめん、ありがとう、かっちゃん」
「仲良いな、爆豪」通りかかった瀬呂に揶揄われ、「うるせえ!」と怒鳴る。
 クラスの奴らは誰も中学生の頃、勝己と出久が身体の関係だったことを知らない。ガキッぽい出久が毎日のようにセックスしていたなんて、想像すら出来ないだろう。
 俺もてめえがいなければ、まだ童貞だったかもな。てめえの他に情欲を掻き立てる奴はいねえんだ。
 台詞の多い役は演技力度外視で、とにかく成績で決められた。台詞を覚えられなきゃ話にならねえってわけだ。地味な設定の主人公ということで、主役になっちまった出久や、飯田や轟や丸顔は出ずっぱりだ。台詞の多い奴らは放課後集まって、練習に余念がない。
 自分も成績上位ではあるが、「出番の多い役はやらねえ」と言ったら当て書きしてきやがった。役柄はドラゴンマスター。ちょっと気に入った。
 
 文化祭前日の今日はリハーサルだ。全員衣装を着て、セットも配置して、本場さながらである。
 背景のセットや垂れ幕は峰田のもいだ玉でくっつけてある。よくくっつくので便利だが、峰田以外が触ると取れなくなるので注意が必要だ。
 勝己は舞台裏で出演者の用意を手伝う。全員出演するため、出番のないシーンではそれぞれ裏方に回る形だ。
 第一幕「旅の始まり」は旅に出た冒険者・緑谷が兵士・飯田と魔法使い・麗日に出会い意気投合し、魔物を退治するために来たという王子・轟に出会い、目的を合わせて行動を共にする。
 第二幕「仲間との出会い」は魔物退治のために仲間を集める展開で、勝己以外のクラス全員が順に登場する。
 勝己の出番は第三章からなので、前半はずっと裏方だ。出久が裏方に回るのは、勝己がアジトで報告を受けるシーンだけだ。丁度入れ替わりになる。
 出番が終わった奴らからステージをはけて、裏方に回ってきた。
 勝己のいるステージの下手に、出久と切島が歩いて来た。切島は笑いを堪えているような表情をしている。カーテンをくぐると、切島は「やったぜ!」と叫んで出久に抱きついた。うんうんと相槌を打って、出久も切島の背に腕を回す。
 頭にかっと血が登った。
 反射的に「おい、じゃれてんじゃねえ!」と怒鳴る。
 切島はにかっと笑うと「いやー、初めて台詞間違えずに言えたから嬉しくてよ」とあっけらかんと言った。
「うん、良かったね」と朗らかに返す出久。
 わかってる、これは八つ当たりだ。俺はクラスの奴らみたいに、出久の身体に何気なく触れられはしない。あんな風に抱きしめたりできはしないのだ。
 第二幕が終わり、カーテンを下ろして勝己はステージに回った。クソ!今は考えるな!次は俺の出番だ。用意しなきゃいけねえ。
 冒険者・緑谷は旅に出て仲間を集め火の山に辿り着いた。第三章は俺が竜のオブジェの上からあいつを見下ろすところからだ。

爆豪  「何か用かよ。ああ?」
轟   「この山に住んでるのはお前か」
爆豪  「それがどうした」
飯田  「麓の村が迷惑をしている。魔物を放つのをやめてくれないか」
爆豪  「なんの話かわからねえな」
轟   「口で言ってもわからないなら、腕付くでということになるが」
爆豪  「おもしれえ、やってみろよ」
緑谷  「待って!ねえ、君はほんとに魔物なの?人間にしかみえないんだけど」
麗日  「騙されたらあかん!魔物は人間に化けるんよ」
飯田  「そうだ。人間に化けて騙すのが奴らの手口だぞ」
緑谷  「でも彼は人間みたいだよ。ねえ、君が本当に麓の村を魔物に襲わせてたの?」
爆豪  「ああ?だから何の話だっつってんだろ。俺あ、ドラゴンマスターだ」
(一拍分黙り、おもむろに口を開く)
爆豪  「てめえは俺を忘れたのか?」
緑谷  「えっ?誰が?」
(緑谷、仲間を見回す)
(爆豪、緑谷を指差す)
爆豪  「てめえだ、クソが。子供の頃にてめえは森で俺と、何度も会ったことがあるはずだ。俺はすぐにわかったぜ」
轟   「お前、奴と友達だったのか」
緑谷  「君が僕の?嘘。覚えてないよ。ドラゴンマスターの友達なんて、いたら忘れないよ」
爆豪  「ああ?てめえ」
緑谷  「子供の頃に森の中に竜がいるって聞いてた。でもドラゴンマスターの竜だから安全だって。森にドラゴンマスターの友達がいたような気がするけど。ほんの小さな頃だけだよ」
(緑谷、ハッとして爆豪に視線を合わせる)
緑谷  「ドラゴンマスターの子供って君だったのか!ええ!全然雰囲気違うよ」
爆豪  「ああ、竜に乗せてやったりしたのに、てめえは段々来なくなった」
緑谷  「勇者の修行を始めたから、森に行かなくなったんだ」
爆豪  「何もかも忘れちまったのか。てめえはそういう奴だよな。クソが」
緑谷  「でもでも、この災厄の原因は君なのか?ええーと、何で悪い魔物みたいなことをするんだよ」
轟   「魔物が本当のことを言うはずがねえぞ。お前の知り合いのふりをしてんじゃねえのか」
爆豪  「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!こんなとこでてめえと会うとはな!やんのか?やんねえのか?ああ?かかってこいやデク!」
緑谷  「かっちゃん、台詞台詞、デクじゃないよ」
麗日  「デクくん、かっちゃんも違う!」
飯田  「麗日くん、デクくんじゃなく、ああしまった!
「わやくちゃだな。どうする?」
 轟はライティングの八百万の方に視線を向けて声をかける。
「とりあえず映像映すから!通しでやりましょう」
 頭を抱えた八百万が、巨大な魔王のシルエットを、ステージ後方のスクリーンに映し出した。
「魔王だ!」という出久の声を合図に、八百万の作った魔物兵人形が舞台袖からわらわらと登場し、客席側からステージにクラス全員が押し寄せた。


 グラウンドベータから戻る帰り道。
 勝己はオールマイトの後ろを出久と並んでついて行った。
 出久の手足は爆破による火傷で赤く腫れ上がっている。俺がやったんだ。とはいえ、出久も思いっ切り殴りやがったから、おあいこだ。
 口の中で血の味がする。ジャリッと砂の感触がしたので、地面に血混じりの唾を吐いた。
オールマイト、いつから見てたんだ」と勝己は訊いた。
「君が罪悪感を吐露したあたりにはいたよ。本当にすまなかった」
「ほぼ初めからじゃねえか。あんた止めねえのかよ」
「止めるべきなのかもしれなかったけど」オールマイトは振り向いた。「止めたくなかった。君達には必要なことだったんだろう」
 最初の授業の時だって、俺の暴走を止めなかった。オールマイトの基準はズレている。でもそのズレに俺は救われている。
「あんた、先生に向いてねえわ」
「かっちゃん」出久が困ったように言った。
「そうだね。相澤くん怒ってるよ。でも私のせいでもあるんだし、何とかとりなすよ」
「いらねえ、俺が全部悪いんだからよ」
「かっちゃん、でも応じた僕も悪いんだよ」
「全部俺のせいだっつうんだ!クソが!てめえはすっこんでろや」
 てめえを呼び出した時から、退学でも停学でも覚悟の上なんだ。イラッとする。でも腹は立たない。わかっちまったからだろう。
 俺のやることは変らねえと言ったけれど、本当は変わっちまった。出久を捩じ伏せればいいと思っていた。それが目的になっていた。でも縋りついて無理やり相手をさせた対決に達成感はなかった。
 秘密を分けあって知った。出久はOFAの新しい宿主なのだ。もう目的が達成される日は来ないのだ。
 すうっと心に吹き抜ける風。理解とは諦めに似ているのかも知れない。
 脱線していた目的が元に戻っただけだ。てめえのように、真っ直ぐに前を見て行けばいいと。もうそうするしかないのだと。
 代々受け継がれてきたDNA。DNAを取り込むなんて生々しいなと思う。そういう意味ならば、俺は何度も出久の中に俺のDNAを注ぎこんだんだ。髪の毛と精子は全然違うけれど。
 でもてめえの中には何も残せなかったんだろう。
 肩を並べた隣で、大きな目で出久が俺を見つめる。昔みたいに。
 ガキの頃からてめえが俺に向ける視線が心地よかった。どんなに邪険にしてもついてくる。俺は、てめえが俺に好意を持っているからだと無邪気に信じていた。
 瓦礫の下から人々を救う、オールマイトのニュースを一緒に見るまでは。
 あの時、出久は俺を見るのと同じ目でオールマイトを見つめていた。
 胸がざわついた。てめえはファザコンなんだ、と思った。無自覚にか自覚しているのか知らないが。めったに会えない父親のかわりに、指針となる存在を求めているのだ。はじめは俺だった。次はオールマイトなんだ。
 オールマイトに出会ってからてめえは変わった。俺を否定し始めた。もう俺を必要としないのだ。もっと父親的な存在を見つけたから。
 てめえが仰ぎ見る地上最強の男。俺はオールマイトを超えてやる。それ以外にてめえを取り戻す術はないんだ。
 その手段さえ見失ったのは、ヴィランに攫われた時だ。俺のせいでオールマイトが力を失った。そんなことは望んじゃいなかったのに。俺は超えたかった。強くなることを望んだだけなんだ。
 てめえは俺を見なくなった。もう俺を許さないのだろうか。弱い俺を見放すのだろうか。てめえは俺をどう思ってる。オールマイトを壊した俺を。このままもう二度と俺を見なくなるのか。
 出久は俺に近寄らない。俺には近付く資格はない。俺からてめえに近寄れないのなら、側に寄る機会はないんだ。悪態もつけない。睨みつけるだけだ。腹の底に渦巻く苦しみはどこにもいけない。
 この俺が出久を失う。こんな事態はあり得なかった。話すことも視線を交わすこともなく。負い目を持ったまま距離だけが開いてゆくのか。
 限界だった。結局はてめえにぶつけるしかなかったのだ。
 出久は何も気づいてなかった。
「君が責任を感じて悩んでたなんて思わなかったよ」と出久は言った。
「俺を鉄面皮だとでも思ってやがったのか」
「ごめん、思ってたかも。君はタフだから」
「クソが!」
 あっけらかんと言う出久にムカついて、ペシリと出久の頭を叩く。こっちは頭ン中ぐちゃぐちゃになっていたってのに。
「君のせいじゃないよ、爆豪少年」
「わーってるってんだ、オールマイト。デク、てめえが強くなんなら、俺はその上をいく」
「じゃあ、僕はその上をいかなきゃ」
 頭を摩りながら出久が言う。
 今まででは考えられないくらい、まともな会話だ。まるで普通の幼馴染のように。少し、てめえに近づけたのか。近づいていけるのか。

 どのくらい近づいたんだろう。あれから時々距離を確認する。
「おいデク、てめえは」
 俺のことを、と問おうとしては躊躇する。
「何?かっちゃん」
「何でもねえよ」
 俺の逡巡をよそに、やっぱりてめえは俺の聞きたいことに答えねえんだ。てめえが俺をどう見てるかじゃねえんだ。
 てめえは俺のことをどう思ってるんだ。出久。


 直前リハーサルが終わり、クラスの奴らがぞろぞろと講堂を出て行った。
 帰る時間までまだ時間がある。何処で時間を潰そうか。
 出久はまだ舞台の裏にいるようだ。セットの裏でひそひそと声が聞こえる。竜の張りぼての側で、出久が話しているのは轟だ。足を忍ばせて近寄ってみた。
「僕とかっちゃんの幼馴染設定だけど、必要なのかな」
「必要だろう。キーになるキャラと主人公に何らかの因縁があると、ドラマチックになるしな」
「それはスターウォーズでもあるから、理解できるんだけど」
「それに、演技に反映できるように、メイン役者の設定は本人のバックボーンに合わせてるらしいからな。俺は父親である王に反抗して出奔、飯田は騎士である憧れの兄を目指して武者修行、麗日は両親を手助けするため魔女を目指す。浮かす個性生かして、箒に乗って空飛ぶ魔女ができるからってのもあるな。気持ちが分かるほうが演じやすいって、脚本の奴らが考えたんだろう」
「うん、それはわかるんだけど」出久はポツリと言う。「僕とかっちゃんの役はどういう仲なんだろう」
 俺の話かよ。気になってつい聞き耳を立てる。
「一般的な幼馴染と思えばいいんじゃないか」轟が言う。
「それってどんな感じなんだろ。難しいな。僕らは普通じゃなかったから」
「うちも普通の親父とは言い難いけどな。役と切り離して考えてもいいんじゃないか」
「うん。でもちょっとね、考えちゃって。それに魔物に向かって共闘する前にかっちゃんに言う台詞も、どういう気持ちで言えばいいのか、わかんないんだ」
「真面目なのはいいが、考えすぎるなよ」
「僕ね、轟くんちみたいに、いつも家にお父さんがいるのちょっと羨ましいんだ。君とお父さんの関係は難しかったって知ってるけど、僕は子供の頃から、ほとんどお父さんと会えないから」
「隣の芝生って奴だな」
「うん、お父さんよりかっちゃんとの思い出の方が、ずっと多いくらいだよ」
「お前らの関係は俺と親父のよりも、ややこしくみえるけどな」
「うんまあ」出久は苦笑している。「かっちゃんとは色々ありすぎたんだよ。僕の中で彼の存在は大きすぎるんだ。おかしいかな」
「いや、過ごした時間で情が移るものだからな。良くも悪くも」
「うん」と出久は相槌を打ち、ぽつりと続ける。「だから、情が移ってしまったんだよね」
 なんだと、デク。
 出久の言葉に、勝己は声を出しそうになった。情が移っただと。息を吸い込んでこらえる。
「あいつに比べれば会っていくらも経ってねえけど、お前の存在も俺には大きいぜ」轟が言った。
「轟くん、ありがとう。嬉しいよ」
 ぽんぽん、と出久の肩を叩いて、轟はステージを降りて行った。
 出久はまだ戻ろうとせず、皆の衣装を畳んでいるようだ。
 こっそり聞いてしまった轟との会話。二人とも気づいていなかったのだから、知らないふりをすべきなのだろう。
 だがそのつもりはさらさらない。俺には言わない出久の本音だ。直接本心を確かめないではいられない。
 情が移ったのだと、確かに出久は言った。あれは俺達の関係を指してたんじゃないのか。
 流石に中学生の頃に、俺と身体の関係があったことまでは、轟には言ってないだろうし、奴も気づいていないだろう。昔のことを何も知らない奴にだからこそ言えたんだ。
 轟が講堂を出て行ったのを確認し、勝己は出久の側に歩み寄った。足音に気づいて出久は振り向き、目を見開く。
「かっちゃん、いたの?いつから?」
 吃驚させたのだろう。出久の手から衣装が滑り落ちた。
「お前らが話し始めたところからだ」
「ええ!あ、あー、そうなんだ。かっちゃん。じゃあ、僕はもう行くね」とそそくさと立ち上がり、小走りに去ろうとする出久の腕を「待てや、コラ」と掴んで引き止める。
「てめえとは色々あったよな。昔っからよ」
「うん、そうだ、ね」
「てめえ、俺に情が移ってんだって?」直球で問うた。
「いや、その」
 出久は狼狽して視線を彷徨わせる。もっとはっきり言ってやるか。
「あんだけセックスしたもんな。情も移るか。移るよな。俺もそうだったからよ。なあ、デク。どういう意味だ。ちゃんと言えや」
 逃げは許さない。本心を吐くまで離さない。掴んだ腕に力が籠もる。出久はきゅっと唇を引き結んでいたが、溜息をつくと、漸く口を開いた。
「君には絶対に言わないつもりだった。僕は君に好意を持ってたよ」
 でも、だから、と出久は俯いて口籠る。勝己は辛抱強く答えを待つつもりだった。だが邪魔が入った。
「おい、緑谷、行かねえのか」
 講堂の出口の方から、轟の呼ぶ声が聞こえる。
「クソが!」思わず勝己は悪態をつく。
「うん、行くよ」と出久は轟に返事を返す。「じゃ、かっちゃんあの、手、放して」
 まだ、言葉の途中だろ。全部聞いてねえよ。離そうとしない勝己の腕を振りほどこうと、出久は腕を振る。畜生、仕方ねえ。本心は聞いたんだ。解放してやると、出久は転がるように走って行った。
「あいつ、マジかよ」
 出久は好意と言った。俺を好きなのかあいつは。いや、だから俺に抱かれてたのか。だよな。でなきゃ何度もやらせやしねえよな。
 肌を合わせるほどに執着が沸いた。あいつの体温に匂いに溺れた。溺れてたのは俺だけじゃなかったのか。てめえもだったのか。ならまた欲しいと思っていいんだよな。
 だが、出久の言葉の続きが引っかかる。てめえはなんと言おうとしたんだ。


第2章


 文化祭一日目の朝。祭日和の雲ひとつない晴れた空。
 午後のラストのプログラムであるA組の劇は滞りなく進んだ。
 第四章は全員がステージに上がって乱闘するシーンが山場だ。舞台上の出久、勝己、轟、飯田、麗日以外は、見つからないように客席に隠れ、掛け声を上げながらステージに突入した。
 魔王が登場すると勝己は人間の側につき、周囲の魔物と戦う展開だ。自分は魔物じゃなく、魔物と同じ山に移り住んでいただけだとかなんとか、出久と掛け合いしながら立ち回る。魔王に二人でとどめを刺すシーンは大いに盛り上がった。爆音を流してスクリーンに映った映像を消すだけだけなのだが。
 台詞で大きなミスをする奴もいなかった。ちょっと怪しい奴もいたが、勢いで乗り切ったようだ。
 台詞といえば、出久が拘ってた台詞はどれだったんだろう。掛け合いの中に、引っかかるような台詞は特に思い当たらない。
 カーテンコールも済んで幕が降りたところで、勝己はステージから出久を連れ出した。盛り上がってるクラスの奴らは気づいてないようだ。
 出久は「かっちゃん、戻らないと」と狼狽えたが、「昨日の話の続きだ」と人目につかないステージの裏に連れ込んだ。
 通路にはセットや大道具が所狭しと立てかけてある。通り過ぎて隅に連れて行くと、出久の背を壁に押しつけた。
 掴んだ腕が熱い。身体の芯が疼く。暫く忘れていた感覚が蘇ってくる。
「デクてめえ、俺が好きなんだろ。そう認めたよな」直球で問うた。
「かっちゃん、それは」
 言いかけて出久はまた口籠り、目を逸らす。煮え切らない態度に苛つく。てめえ、今更誤魔化すつもりかよ。
「こっち見ろや」と顎を掴んで上を向かせる。
 至近距離。今の出久の瞳に怯えの色はないが、視線はふらふらと迷い戸惑っている。
 揺れる緑の瞳に誘われるように、唇を重ねた。濡れたやわらかな感触。肩を抱き、下肢を押し付ける。何度も身体を重ねて知りつくした体温。下半身が熱くなり、ズボンの中で性器が頭をもたげた。やべえ、このままやっちまいそうだ。静まれクソが。
 唇を離して出久の顔を見つめる。頬がさっきより赤らんで見えるのは、気のせいではないはずだ。勝己は出久の両肩を掴んだ。
「情が移ってんだろデク。俺も同じなんだ。てめえもだってんなら」出久の耳元に囁く。「またつきあえや。俺と」
 ひゅうっと出久から息を呑む音がした。今ならなんら問題ないはずだ。俺はてめえがいいんだ。周り道をしたが、やっとてめえの気持ちが分かった。なら中学生の時と違って、上手くやれんじゃねえか。
 だが出久は腕を突っ張り、勝己の身体を突き離した。
「ないない、かっちゃん、ありえないよ」
「はあ?何故だ!」
 意味が分からねえ。出久は胸に手を当てて、シャツの合わせ目を掴んで俯いた。何かを隠すかのように。
「てめえ、俺が好きなんだろ!」勝己は頭に来て怒鳴った。
「そ、好きとかじゃなくて、好意を持ってたと思ってたんだ」
「ああ?同じことだろーが。今更誤魔化してんじゃねえよ。認めただろうが。俺もそうだっつってんだろ。問題あんのかよ。あんなら理由を言えよ!」
「代償行為だったんだよ、かっちゃん」
「はあ?情が移ったことか、好意とやらか、何の代償だってんだ。違いあんのかよ」
「僕にとってあの頃の君は憧れで。目指す目標だった。普通はそういう対象は父親なんだろうけど、うちはあんまり会えなかったから、他に目標が必要だった。僕は目指すべき理想像が欲しくて、君にそれを見ていたんだ」
 それは、俺がてめえに思っていたことだ。自覚してたのか。俺が出久を分析していたように、出久も自己分析していたのか。だが、それがどうしたというのか。
「俺はてめえの親父じゃねえよ」
「もちろん、本当に父親だなんて思ってないよ。目標だと掲げて、君自身を見てなかったってことなんだ。でもグラウンドベータで君と戦った時、やっと気付いた。君も僕も普通の高校生なんだって。僕の君への気持ちは違ったんだ。君に僕の理想を勝手に押し付けていただけなんだ。酷いことされても憧れる気持ちは変わらなかった。だから好意だと勘違いしてたんだ」出久は顔を上げる。「あれ、スト、なんとか症候群っていうのみたいに。自分の生存権を握る相手を憎みながらも、無意識の内に好きになろうとするっていう」
ストックホルム症候群かよ」
「そうそれ。恐怖と防衛本能が認識を狂わせてしまうんだろうね。僕は君に憧れていたけど、逆らえば暴力を奮う君が怖かった。性的な遊びを僕相手に君が始めた時も、怖かったよ」
 遊び。てめえは遊びだと思ってやがったのか。
「てめえは拒まなかったじゃねえか」
 突っ込まれんのわかってんのに、呼べば来たじゃねえかよ。マゾかよ。俺に怯えてるのは知ってたわ。だがあの頃だって、大人しく言いなりになる奴じゃなかったはずだ。殴られても反抗する奴だったろうが。嫌なら逃げろよ、必死で抗えよ。
「今だけだ、すぐ君は飽きる、と思ってたんだ。他の人に被害はかからない。僕が我慢すれば済むことで、君をむやみに怒らせたくなかった」
 きつく握りしめた出久のシャツの胸元に益々シワが寄る。「でも終わりが見えなかった」
「終わりなんざねえはずだったわ」
 終わらせる理由なんてなかった。てめえが応じるから、抱きたくてたまらなかったから。てめえを知りたかったから。
 でもいくら抱いてもてめえがわからなかった。
「だから、自分の心を守ろうとしたんだと思う。自衛のための間違った心理状態なんだ。本物じゃなくて紛い物だ。恋じゃない。恋なわけがないよ。好きでなくたって勃つんだ男は。セックスできるんだから。君もそうなんだよ。ただ肌を合わせたから情が移ったんだよ。そんなの駄目に決まってる」
「何が悪いんだ。身体とか心とか、ざっくり分けられるわけねえわ」
「情なんかじゃなく、僕は君が本当に大事なんだよ」出久は言い聞かせるように言う。「僕にとって幼い頃の君は、とても大事な位置を占めてたんだ。壊さないでよ。大事なんだ。壊したくない。他ならない君に、もう壊して欲しくない。もう二度と間違えたくない」
 出久は否定する。出久自身だけではなく、俺の気持ちまでも否定する。腸がふつふつと煮えくり返る。
「てめえ、クソが!オレが間違えてるって言いてえのかよ。馬鹿にすんじゃねえよ。てめえに俺の何がわかんだ」
「だってそうだろ。君は僕の身体を使ってマスターベーションしてただけじゃないのか」
 かっと頭に血がのぼった。「デクてめえ!死ねやあ!」と叫んで飛びかかって、その後のことはよく覚えていない。
 気付いたら出久に馬乗りになって殴りかかっていた。騒ぎに駆けつけたクラスメイト達に止められても、勝己は怒鳴り続けた。


「クソが!」
 部屋に戻るなり、勝己は吠えた。
 部屋は防音設備が完備されている。相当の音でなければ外に漏れはしない。
 だからあらん限りの声で怒鳴った。
「クソが!クソが!勝手なこと言いやがって!出久の野郎!」
 ようは今の俺は認めねえってことじゃねえか。
 なんであんなこと言っちまったんだ。おまけにキスなんかしちまった。言い訳しようがねえ。あいつの瞳に誘われるようにやっちまった。
 いや、言っちまったもんはしょうがねえわ。今更誤魔化すつもりはねえ。
 関係が拗れなくても、俺はあいつにいつかは手を伸ばしただろう。何をしても俺についてきたから、俺と同じようにあいつも俺を想っていると信じていたから。多分、それだけは信じていたんだ。
 なのに今更違ったのだというのか。あの頃のあいつが俺に向ける感情は初めっから違うもので、ずっと誤解していたと言うのかよ。
 今更、今更だ。てめえは違ったとしても。もう俺は溢れてしまったてめえへの気持ちを、元に戻すことなんてできない。ずっと押さえて来たんだ。
 たとえ無自覚であったとしても、てめえは俺を騙してたんだ。
 ベッドに横になると、スボンのチャックを下ろして下着に手を突っ込み、性器を握った。上下に擦り、屹立させる。雁首を捻るように撫でて扱く。
 さっき抱きしめた出久の体躯を思い浮かべると、ぐんと手の中の肉棒が太くなった。キスを、柔らかな唇の感触を思い出す。太腿で押し上げた股の感触も。熱が集まり、硬くなる。自分の下に組み敷いた身体。押さえつけられた出久が、熱を帯びた目で見上げる。怯えた表情に反抗的な瞳。捻じ伏せて意のままにする。何にも変えがたい快楽。身体を貫いて心を貫いて、一瞬だけ所有欲を満たす。
 勝己は唸り、先端を掌に包み込んで射精した。掌を濡らす温かい白濁。荒くなった息を整える。手の中で、膨張が解け柔らかく戻ってゆく性器。
 マスターベーションしてただけだろ、という出久の言葉が脳裏を過ぎる。
「クソが!」
 頭にくる。精液を拭き取り、ティッシュをゴミ箱に投げ捨てる。
 勝己は電灯の光に手を掲げた。燃えるように赤く透ける皮膚。この掌から生まれる爆破の個性であいつを苛んだ。この指で肌に触れて濡れた最奥の体温を弄った。
 どんな形であれ、いつもあいつに触れていた手だ。
 畜生が。気づかせやがって。忘れようとしたのに。俺は出久をまだ手に入れたいんだ。俺のものにしたいんだ。
 だが何故なんだ。何故あいつだけをこんなにも欲しいんだ。

 あいつは気づいたんだ。そうだろうよ
 俺を嫌いこそすれ、好きになるわけがねえんだ
 憧れってやつがあいつの目を眩ませていたんだ
 年月が経って冷静になって気づいちまっただけだ
 あまりにも早くに出会ってしまったんだ
 恋というものを知る前にどうして恋を認められるんだ
 気になってしょうがなくて、苛々させる存在をどう捉えられるってんだ
 幼い心を奪われれて絡め取られて、どうしていいのかわからなくなったんだ
 てめえだけが俺を仰いでるだけなら、俺が時折てめえに惑うくらいならよかった
 てめえが離れていくことで動揺する俺に気づきたくなかった
 俺の方があいつより上だと根拠もなく信じていた
 俺のものだと思い込んでいた
 ああ!クソがクソが!
 姿を求め声を求め、面影を夢に見る
 俺がてめえを抱いて夢中になっていたときに
 てめえは何を感じていたんだ
 てめえの身体を使って自慰をしてるだけだと、思ってやがったのか
 ふざけたことを言いやがる
 てめえじゃなくていいならとっくにそうしてるってんだ
 他の奴じゃダメなんだ。
 てめえに触れてる時だけ、俺は俺でいられたんだ
 また俺から逃げんのか、デク


第3章


「昨日の劇はよくやった。正直、思った以上の出来栄えだったぞ」
 相澤先生に褒められて、教室内の空気が和む。
 文化祭二日目の朝のショートホームルーム。昨日の緊張した顔から一転、今日のクラスの奴らの表情は弛緩している。
「いやあ、俺らもやればできるんで」と誰かが調子に乗ったところで「しかし演技力は全然だったな。セットや衣装で、八百万の個性に頼ったところが大きいのは否めない。次やるのなら、個性に頼りすぎないようにな」とぴしゃりと戒められる。
 褒めて落とすか、流石教育者だ。しかし、劇の出来はともかく昨日は散々な一日だったぜ。勝己は舌打ちする。出久とは寮での朝食の時に顔を合わせたが、腹が立ってずっと口をきいてない。
「さて、本題だ。劇も終わったし、今日はお前ら全員暇だろう」
 相澤先生は教室を見回した。普通科ならクラスの活動が終わっても部活のシフトがあったりするが、A組で部活に入ってる奴はいない。
「他のクラスの出し物を見に行こうと思ってました。なんでしょうか」挙手して飯田が訊いた。
「実はお前らに手伝ってもらいたい仕事があってな。昨日、早朝から夕方まで怪しい人影が学校の周りをうろついていたらしい」
 ざわっとクラスが騒つく。飯田が勢いよく立ち上がった。
ヴィランですか?」
 片手を上げて飯田を制すると、相澤先生は続けた。
「わからん。勘だがヴィランの可能性は高いな。今日はそいつはいないんだ。諦めたのならいいんだが、ひょっとしたら、客に紛れて既に侵入したのかも知れん。」相澤先生は声を低める。「もしくは客を使って侵入したか」
「セキュリティは万全ですよね。以前も」と出久は言いかけて「あ、その」と慌てて口を噤んだ。
 相澤先生は出久に構わずに続ける。「ああ、だが万が一のこともある。ヴィランは総じて執念深いし、外部の客が入るイベント事は狙われやすい。用心に越したことはないからな。悪いがお前らに、ふたりずつ交替でパトロールをして欲しい」
 ふたりずつと聞いて嫌な予感はしたが、案の定、勝己は出久とペアにされた。ふたりを職員室に呼ぶと、相澤先生は監視カメラの映像を見せながら説明を始める。
「まずは爆豪と緑谷、お前らは校内を回ってくれ。コイツをもし見かけたら、絶対に戦ったりするなよ。すぐに知らせろ。外は俺達教師でパトロールする」
「なんでデクとなんだ」
 勝己は苦々しい思いで抗議し、背後に視線を送る。出久は慌てて目を伏せた。
「お前らもう仲悪くないだろうが」
「はあ?どこ見て言ってんだ。良くもねえよ」
「仕事で仲良しと組ませる理由はないぞ。それから緑谷、さっきもだが、お前は迂闊なとこがある。気を抜くな」
「はい、先生」出久はちらっと勝己を伺う。「すいません、頑張ります」
「確信がないから言わなかったんだが、カメラに映っているこのヴィランに、見覚えがある気がするんだ。個性は不明だが、気をつけろよ」
 ふたりは職員室を出ると、早速パトロールを始めた。出久はぽてぽてと後ろを付いてくる。落ち着かない。苛つくよりも胸がざわつく。
 早足で歩いて引き離そうか。いや、聞きたいことがあるな。勝己は歩を止めて、出久と足並みを合わせた。隣に来た勝己に出久は戸惑っている。
「おいデク、以前の文化祭でもヴィランが出たんだな」
 勝己の言葉に出久は目を見開いた。やっぱり図星か。
「てめえが水際で防いだってとこか。おい」
 返事を促すように、肩をぶつける。
「知ってどうするの?」
「どうもしねえ。答え合わせしてえだけだ」
 出久は苦笑した。俺の嫌いな出久の表情。隠し事をしてる時の顔だ。
「かっちゃんはやっぱりすごいな」
 出久は顔を上げて、窓の外を仰ぐ。見えるのは雲一つない、秋の始まりの高い空。遠くにある何かを探すように、出久の視線は彷徨う。
「本番のかっちゃん、カッコ良かったよ。ドラゴンの上のかっちゃんも、立ち回りもすごかった」
「うぜえわ。世辞はいらねえ。黙れ」
「あの、かっちゃん。昨日はごめん、言い過ぎたよ」
 勝己は立ち止まった。出久も歩みを止める。
「へっ。何を謝ったりしてんだ。マスターベションつったことか?てめえの本心なんだろうが」
「かっちゃん、だから言い過ぎたって…」
「てめえが本気で嫌がってたんならなあ、俺だって何度もしてねえよ。呼べば毎回のこのこついてきやがって。てめえもやりたかったんじゃねえのかよ!」
「それが、おかしくなってたってことなんだ。そう言ったよね」
「俺のことが好きでなくて、勘違いだったってんなら、性欲で動いてたんだろ。てめえの本能も否定しやがるのか!」
「せ、性欲って、声が大きいよ。かっちゃん」
「誰もいねえわ」
「す、好意がなかったわけじゃないよ。だから、君とのまともになった関係をなくしたくないんだ」
 受け入れなければ今の関係すら無くすぜ、と言ったらこいつはどうする?いや出久は頑固だ。納得せずに受け入れるくらいなら、無くす方を選ぶんだろう。そういう奴だ。また耐えられないのは俺の方なんだ。返事をしない勝己に、出久は続ける。
「君との関係を構築しなおしたいんだ。かっちゃん。同級生として、君と向き合いたいんだよ」
「ああ?何をどうしなおすってんだ。その先に何があるんだ」
「今はそうしたいとしか言えないよ」
「その先に、てめえが俺のもんになる選択肢はあんのか?」
「わ、わからないよ。その時にならないと」
 どこまでがこいつの本心なんだ。
「長くは待てねえぞ。俺は気が短けえんだ」
「うん、でも、少なくとも、中学の時の延長線上では付き合えないよ。あんなのは紛い物の関係だ。あの関係の先には何もない。普通好きな人に、あんな風にはしないだろ。いくら君だって」
「普通なんて知らねえよ!てめえしかいなかったのによ」
 気まずい沈黙が流れる。ふたりは黙ったまま並んでパトロールを続けた。
 各教室もお化け屋敷やコスプレ喫茶店や脱出ゲームや、工夫を凝らした企画をしている。人気のある教室は、廊下も教室の中も人混みで溢れていたが、怪しい客は混じってはいないようだ。A組の奴らも客になって並んでいて、「おお、お前ら二人で回ってんのかよ」と言われ、「仕事中だ、クソが」と顔を顰めて言い返した。
 勝己の心は千々に乱れる。求めて止まない存在を隣にして身体が渇く。あの頃は憤懣を出久本人にぶつけた。出久の心を踏みにじり身体を貪った。
 一方的な行為だっただろう。でもてめえも俺も同じように、求めているんじゃないのか。なのにそれを嘘だと否定するのか。
 自覚させられた思いは、どこへ向ければ良いのだろう。情が移ったってんなら、それでもいいんじゃねえのかよ。てめえはどうなんだ。てめえのせいで俺はまた惑うんだ。
 廊下の突き当たりまで来ると、人込みが途絶えた。交替まで時間が迫っている。
「二手に分かれようか」と出久は言った。
「指図すんじゃねえよ!クソナードが」勝己は舌打ちして答える。「俺は上に行くわ」
「う、うん。じゃあ、僕は下に行くね」
 出久は階段を降りていった。階下から「迷子になったの?」と出久の声がする。手摺から覗くと3、4歳の子供が1人だけでいるようだ。出久は呼びかけて近寄っていった。
 迷子くらいあいつ1人で大丈夫だろう、と階段を登っていこうとした時だ。
 出久のいる方向から悲鳴と爆音が轟いた。
「いきなりかよ。クソが!デク!何があった!」
 勝己は手摺に手を掛けると、飛び降りて階下に走った。
 視界が土埃に遮られる。天井からバラバラと瓦礫の屑が落ち、壁にひびが入っている。窓硝子が粉々になって床に散っている。
 出久が個性を使ったのだろうか。それともヴィランか?
 土煙の先に出久が倒れているのが見えた。
 服が裂け、シャツは血塗れで床に血溜まりができている。
「クソが!おい、ヴィランが出たのか。何とか言えや」
 光が反射して、無数の針状のものが空中に浮かんでいるのが見えた。出久を包囲している。窓硝子の破片か?いや、違う。
 ぞくりとした。あれはヤバイもんだ。
「かっちゃん」と出久が顔をもたげた。
「どうした!、爆豪、緑谷」
 轟と飯田が駆けつけた。次のパトロールの2人だ。真面目な飯田のことだ。早めに集合していたのだろう。
「子供が叫んで逃走してきたぞ。何があったんだ」飯田が言った。
「その子、その子を追って」と出久は叫んだ。「攻撃はしないでね。多分ヴィランじゃなくて普通の子供だ」
「わかった。爆豪君、轟君、後を頼む。」
 飯田は爆走して引き返した。
 その足音に反応したかのように、出久の頭上に無数の針が降り注ぐ。
「クソが!」
「伏せろ緑谷!」
 出久が頭を下げた瞬間、轟はその頭上すれすれに炎の絨毯を敷いた。
 全ての針が赤い舌に舐めるように焼き払われた。
 針は消し炭になり、ぼろぼろと崩れる。
 はあ?何してやがんだ。
「バカかお前!全部焼いちまったら、正体がわからなくなるじゃねえか」
 勝己は怒鳴った。こっちはそれで躊躇してたってのに。
「そうか、サンプルが必要だな」
 轟は炎を消し、凍らせて消火する。
 氷柱が出久を囲むように聳え、黒焦げの針が中に閉じ込められた。
「焦げてない針もあるかも知れねえ。だが探すのは後だな」轟は出久に駆け寄ると尋ねた。「何があった、緑谷」
 出久はよろけながら立ち上がる。
「子供が1人でいたから迷子かと思って、声をかけたんだ。でも振り向いた子供の目から、蜘蛛の糸のようなものが抜け出て、 広がって網みたいになって」
 その後、子供は我に返ったように、悲鳴を上げて走り去ったという。
 出久は幾重にも網に囲まれて戦いようがなく、抗ううちに網の目が砕け、細かい針状の破片が降ってきて負傷したらしい。
「破片?さっきのか。網の一部というより、あの針のひとつひとつが、意思持って動いたようだったぞ」轟は首を捻る。
「針が本来の形かも知れない。ヴィラン本人ではなく、客に寄生して、しかも子供を送り込んて来るなんて」
「子供だからって油断しやがったんだろ。クソが」
 悔しそうに拳を握る出久に、勝己は言った。
「う、うん、そうだね。誤算だったよ」
 出久の声が掠れてきた。顔色が悪い。傷口すらわからないような細かい傷から、血が流れ続けている。ポタポタ落ちて、床の血だまりが広がってゆく。
 細かい擦り傷ばかりで大きな傷はないのに、何故出血が酷いんだろう。
「とりあえず保健室に行こう。肩を貸すぞ、緑谷」
「は!まどろっこしいわ」
「え?あ?かっちゃん」
 勝己は轟を押しのけて、出久を肩に担いだ。他の奴に触らせるかよ。
 保健室に到着する頃には出久の意識はなくなっていた。ベッドに寝かせたが、シーツがみるみる赤く染まる。
「やべえな。緑谷の血が止まらねえ。傷を塞がなきゃなんねえし、輸血も必要だ」
「クソが!リカバリーガールは外の保健室出張所にいんぞ。連れてくるか」
 勝己が保健室を出ようとしたところで、飯田が駆けつけた。
「子供は確保したぞ。先生に理由を話して預けてきた。緑谷くんの様子はどうだ?」
 容体を話すと、青くなった飯田は自分がリカバリーガールを呼んでくる、と逆走していった。
「飯田が呼びに行ったぞ」
 勝己は振り向いた。
 目の前の光景に凍りつく。
 出久が起き上がり、轟の首に腕を巻きつけていた。
 キスをねだるように。誘うように誘われるように。
 夢でも見てんのか。くらりと惑う。
 次に頭が沸騰した。なわけねえ、夢じゃねえわ。
「何やってんだ、てめえ!」
 両掌を暴発させて勝己は怒鳴った。
「おい?爆豪、保健室だぞ」轟が顔を向ける。
「あ、れ?僕、何して」
 出久は勝己に気づき、びくりと震えた。腕をほどくと慌てて頭から布団を被る。
「おい、デクてめえ、逃げんのか」
 布団を引き剥がそうとしたが、轟に「落ち着けよ、爆豪」と止められる。
「んだと、てめえもだ、轟!」
「何があったか、説明する。まずは落ち着け」
「クソが!」勝己は何とか気を鎮める。「言えよ、轟、何があった」
「大したことねえよ。お前が外に出てる間に緑谷が目を覚まして、俺に捕まって身体を起こしたんだ」
「出久からやったのかよ」
「ああ、ぼんやりして夢遊病みてえな感じだったけど」
「それだけか」
「他に何があるんだ」
 何でもねえのか。ほんとにねえのかよ。

 輸血を終えたと言って、教室に出久は戻ってきた。
 傷跡は綺麗になくなっている。元々傷自体は多いとはいえ針で突かれたものだ、浅い傷ばかりだったのだろう。
 教室には轟と自分の他は誰もいない。皆文化祭を楽しんでいるのだろう。
 轟が問うた。「身体はもう大丈夫なのか?」
「うん、この通りだよ。心配かけてごめん。あの、かっちゃんも」
 何もなかったように出久はヘラっと笑う。さっきの苛立ちが蘇ってくる。
「うぜえわ、クソナード」
「先生に連絡しなきゃな。下に救護室があるだろ」轟がこちらを向く。
「あ?指図してんのか、クソが!」
「いや、そのつもりはないんだが」
 窓際にいた勝己はふと下に目をやった。丁度相澤先生が校庭を歩いてる。
「おい、相澤先生」窓から首を出して呼んだ。呼ばれたことに気づいてるようだが、相澤先生はなかなか上を見上げない。
「上だ!上!ああ、クソ!」と窓から乗り出して大声を上げる。
「緑谷、気配が違うな。匂いというのだろうか」轟は近寄り、出久の首元を嗅ぐ。「うん、匂い、じゃないな、でもなにか」
 出久の手が轟の肩に手をかけられた。
「さっきから何言ってんだ、半分やろ…」
 勝己が振り向くと目に入ったのは。
 さっきも見た光景だ。
 轟の首に縋り付くように腕を巻きつけ、抱きついている。
「クソデク!てめえ」
 爆破音を轟かせながら「てめえ、何してやがる」と勝己は2人の間に飛び込み、引き離した。
「危ねえな、爆豪」
「え?かっちゃん、僕、…ごめん、轟くん」
 勝己の形相を見て、青くなった出久は、慌てて逃げ出した。
「待ちやがれ!クソデク!」
 勝己はその背中を追う。轟の声が背後から聞こえるが、知ったこっちゃねえ。
 追いかけて、階段の手前で出久を捕まえた。壁に叩きつけ、怒りのままに声を荒げる。
「2度目だ!てめえ、あいつにモーションかけてやがったろ」
「かけるわけないだろ!変なこと言うなよ」
「轟ならいいってのか!クソデク」
「そんなわけない!違うよ。僕は…」
 出久の言葉が途中で途切れた。
 様子がおかしい。
 顎を掴んで顔を上げさせる。目の焦点が合ってない。
「おい、どうした?」
 匂いが、違う?さっき轟が言っていたように。勝己の肩に出久が手を乗せた。
「デク?」
 名を呼ぶとはっと出久の目に光が戻り、「わ、かっちゃん」と慌てて勝己を突き放した。
 勝己は一瞬呆けたが、我に返って怒鳴る。
「何しやがる!てめえ」
 後ずさった出久は頭に両手をやり、泣きそうな面で髪をくしゃくしゃとかき乱した。
「ごめん、ごめん、かっちゃん。まただ。僕おかしいんだ。知らないうちに変な事してるんだよ」


第4章


「戻って来なきゃいいと思ってたがな」
 相澤先生は自分達の顔を見るなり渋面を作った。そんな風に言うということは、戻ってくることを予期していたってことか。追いついてきた轟も一緒に保健室についてきやがった。リカバリーガールは出張所に戻ったらしい。
 勝己の説明を聞いて相澤先生は嘆息した。
「緑谷、残念だが、やはり寄生されていたようだな。寄生生物はあの子供からお前に侵入したんだ」
「あの子は、どうなりました?」開口一番、出久は問うた。
「迎えに来た両親も心配していたし、帰らせたよ」
「よかった」
 てめえの状態も忘れて、出久は安堵したらしい。
「バカかてめえは。良かねえよ。先生、ガキ見つかったのに、帰らせちゃ何もわかんねえだろうが」苛ついて勝己は言った。
「あの子供の個性じゃないとわかったからな。ただ、寄生生物の媒介として使われただけだ。奴が抜けたから普通の子供に戻っていたよ。誰に会ったかも、ここに来たことも何も覚えてないらしい」
「より強い個体、デクに移ったってわけかよ」
「寄生生物は体内にいるはずだ。さっきは緑谷の身体をスキャンしても、何処にも見当たらなかったがな。巧妙に隠れているのか、擬態しているのか、どんな性質の寄生生物なのか、調べなければ分からん」相澤先生は溜息をつく。「なにせ情報が足りない。この個性を持っている敵を捕まえられればいいんだがな。寄生生物はそいつが作ったやつなのか、口田みたいに操っているのか。せめて寄生生物の一部でも、手に入れられれば良かったんだが」
「すまねえ、俺が全部燃やしちまったばかりに」沈んだ調子で轟が言った。
「まったくよお!残らず消し炭にしやがって」
 出久が戻る前に確認しに行ったが、氷漬けにした針も全部炭化していた。下手すりゃ出久も黒焦げだったわ。もっとも、自分が一瞬躊躇している間に轟が片付けてしまったことが一番気に入らない。
「そんな、轟君のせいじゃないよ。僕はほら、全然大丈夫だし」
「ああ?んな訳ねえだろーが!クソデクが」
 どこが大丈夫なんだと勝己は憤る。てめえさっき何しやがったのか忘れたのかよ。
「もしかしたら現場に何が残ってるかも知れねえ。探してみる」と轟は言った。
「頼んだぞ。こっちはとりあえず、もう一度緑谷を調べてみよう。症状に出たからには、奴が見つかるかもしれん」
 出久を残して、轟と勝己は保健室を辞した。「おい」と轟に呼び止められる。おいじゃねえと苛つく。てめえと話すことなんかねえわ。
「んだよ、てめえは焼け跡に行くんだろーが!俺は行かねえぞ」
「ああ、俺だけで行くつもりだ。というか、お前はこの件に関わらない方がいいんじゃねえのか?」
「はあ?てめえ、何言ってやがる」
「緑谷が関わることになると、お前の反応は過剰になる。それじゃ冷静に判断できねえだろ。それに」と轟は続ける「緑谷も望まねえだろう」
「俺は冷静だ。関わろうが何だろうが、てめえに関係ねえわ!」
「緑谷はお前との関係を、もう間違えたくねえと言っていた。昔と同じことは繰り返したくねえんだろ」
「ああ?てめえに俺らの何がわかんだよ」
「高校以前のお前らに何があったのかは知らねえよ。けど、あいつには辛かったんだろうってことはわかるぜ。チャラにして、新しくお前と友人関係を築き直したいっていう、あいつの気持ちを俺は尊重するぜ。俺も親父との関係築き直してえからな」
「てめえの家庭の事情と一緒にすんじゃねえ」
 轟の口から出久の名前が出ると、心底腹が立つ。奴が出久に戦線布告しやがった時からだ。俺以外誰も見てなかった出久を、奴も特別視しやがったからだ。煽られて戦って出久に救われたくせに、落ち着いてやがるからだ。
 一番こいつが気に食わねえのは、出久が求める理想の友人関係って奴を、俺に見せつけてきやがるからだ。
 何も知らねえくせに。友人関係だと?俺と出久が友達なんぞになれるわけねえんだ。くそくらえ。

 何度も試みたんだ
 ただの石ころだと、何度も思い込もうとしたんだ
 川に落ちた時、救われたと思っちまった
 他の奴だったなら何とも思わなかったろう
 否定したかった
 手を差し伸べた出久の姿に、オールマイトがだぶって見えたなんて
 俺の心細さを弱さを見透かすように
 大丈夫、一人じゃない、僕がいる
 うねり光る水面、逆光の中の人影、白い小さな手、木々を伝い響く蝉の声
 いつまでも忘れることのできない光景
 出久がどういうつもりだったのかは関係ない
 俺がそう思った、そう見えちまった
 あの瞬間、あいつは俺の中で特別になっちまったんだ
 出久より上にならなければ、俺は俺を許せない
 上でいればあいつをどうでもいいと思えるはずだ
 この俺があいつを意識するなんておかしいんだ
 だがどんなに石ころだと思おうとしても、あいつは俺の中で存在感を増すのだ
 どこにいても目の端に出久の姿を探す、声を探す
 いつも気になって苛ついて、顔を見れば、気に触る癪に障る
 一人じゃない、僕がいる
 俺に手を差し伸べた瞬間から、あいつは俺の中に棲みついちまったんだ


「おい、デク」と背後から呼んだ。
 保健室の前でウロウロしていた出久は、びくりと反応して振り返る。
「てめえ、なんで教室に戻らねえんだ。検査終わったんだろうが」
「うん、済んだよ。やっぱり何も見つからなかったって」
「しょうがねえ。じゃ、教室戻んぞ」
「戻れないよ。もし女子に抱きついたりしたら、もう僕、恥ずかしくてその子の顔が見れなくなるよ」
「はあ?理由を言えばいいだろうが」
「だって、無理だよ。自分が無理」と出久は首を振る。
 こいつはまだ女子を神聖視してやがんのかよ。馬鹿か。女子っつってもヒーロー目指すような奴らだぞ。
 轟ならいいのかよ、と聞きそうになり、なんとか堪えて勝己は言った。
「おいデク、来い。ここにいたら邪魔になんだろーが」
 図書室に文化祭の展示はないが、閉鎖されてるわけではない。ポツポツと行き場に迷った生徒達が、一休みしている。壁際に並んだ端末の前に出久を座らせ、勝己は隣の席から椅子を持ってきて隣に寄せて腰掛けた。
「なんで図書室に来たの?」
「手がかりがねえなら、寄生生物の性質について調べるしかねえだろ。」
「なるほど、そうだね。何もしないよりいいね」と言ってから、出久は首を傾げる。「でも部屋のパソコンでも調べられるのに」
「図書室ならいくつも監視カメラがあるし、何かあれば誰かが駆けつける。俺も対処できるしな」と言ってから付け加える。「部屋で俺と2人きりでもいいぜ」
「わ、わかったよ。調べよ」
「警戒してんのかよ」
「そういうわけじゃないよ」
 図書室に所蔵してる図書は電子書籍になっているので、端末から全文見ることができる。期限付きの電子データで貸し出しも出来る。紙の書籍もあるが、大多数はデータを選ぶようだ。
 寄生生物で検索すると相当な数の書籍が出てきた。適当に選んでクリックする。

・寄生生物は宿主を己の奴隷にする
 ハリガネムシに寄生されたコオロギは、成長したハリガネムシを放流するために、水に飛び込む。
 クモヒメバチは蜘蛛に寄生して、自分のために網を作らせる
 エメラルドゴキブリバチはワモンゴキブリに卵を産み、生かしたまま食料とし自分のための部屋を作らせる
 フクロムシカニを去勢し自分の卵を育てさせる
 冬虫夏草はオオアリに寄生して、草に登らせて噛み付かせ、周囲に胞子を散布する

 冬虫夏草。ガキの頃に出久が見つけたやつだ。背筋がぞわりとする。こんなのにとりつかれたのだとしたら。
 暫くして出久は「全然頭に入らないよ」と呟いた。「てめえ、真面目にやれや」と勝己は出久の足に蹴りを入れる。
「いた!違うんだ。寄生生物関連書籍の文字列が認識できないんだ。普通の文字は読めるのに」出久は弱音を吐いた。
「ああ?寄生生物はてめえの脳にいるんじゃねえのか」
 言ってからはっと気づく。そうなのか。夢遊病みたいだったと轟が言っていた。自分に抱きついた時も何かおかしかった。出久は頭の中の何かに操られているのか。
「そうかも知れない。嫌だな。今だって気を抜けば、意識をふっと持ってかれそうになる。実を言うと、僕、理性を保つのに必死なんだよ」
「意識を持ってかれたら、てめえはどうなる?」
「わかんない。理性を失えば何をするか。でも多分、さっき轟くんに抱きついたみたいにしちゃうんじゃないかな」
「轟にモーションかけてるみてえだったよな」
「やめてよ、かっちゃん」
「しなだれかかって、腕を首に巻きつけてよ」
「やめてってば。僕の意思じゃないよ」
 あの光景を見て、どれだけ腹わたが煮えくりかえったか。
「構わねえ。俺にやってみろや」
「嫌だよ。絶対に嫌だ」
「散々俺に抱かれてたろうが。轟に出来て俺に出来ねえのかよ!」
「君と轟くんは違うだろ」
 声が大きくなってしまい、静かにと司書に窘められた。舌打ちし、気をとりなおして、端末の画面に向かう。
 寄生生物の奴は出久の中で何をしてえと思ってんだ。目的はなんだ。対処のために寄生生物の習性を知らなくちゃいけねえ。
 てめえを寄生生物の餌にするわけにはいかねえんだ。

・寄生生物は被捕食者を次の宿主である捕食者に狙われやすくする。
 吸虫に寄生されたメダカは、水面で派手に動き鳥に捕食される
 ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリは、改造され動きが素早くなり、物陰から出て鳥に捕食される

・寄生されることで活動的になる例もある。
 マラリアに寄生された蚊は一層獲物を噛むようになる。
 狂犬病の犬が噛みつきたがるのは唾液に菌を持つからである

・幼生と成体で異なる宿主を持つ寄生生物について
 幼生の宿主を中間宿主、成体の宿主を終宿主という。中間宿主では幼生期の発育を、終宿主では繁殖を行う。中間宿主を介さず終宿主に侵入しても成長することはない。
 ロイコクロリディウムはカタツムリが中間宿主で、鳥が終宿主である。
 トキソプラズマは中間宿主が人や豚であり、終宿主は猫である
 寄生生物は中間宿主の中で成長した後に、体外に出て行くか、体内で終宿主に捕食されるのを待つ。
 中間宿主と終宿主の橋渡しの役割のみを果たす宿主を待機宿主という

 ワンフォーオールにとって、デクもオールマイトも中間宿主みてえなもんか。
 正義の名のもとに心を支配して、パワーを与えて命を捧げさせるんだ。そうして、次の宿主に移るんだろう。
 出久、てめえも自分のすべてをOFAに捧げんだろ。オールマイトがしたように。まるで寄生生物が己の目的のため宿主の心をコントロールするみてえじゃねえか。
 継承者はワンフォーオールの奴隷なのだろうか。
 捕食者と被捕食者の関係とは何だろう
 寄生生物を体内に宿す被捕食者が捕食者を求める。
 被捕食者の中の寄生生物が食わせるために捕食者を誘う。
 飢える捕食者のために寄生生物を持つ被捕食者が現れ捕食者は腹を満たす。
 果たして捕食者にとって寄生生物は害と言い切れるのか。

 ポケットの中の携帯がぶるんと震えた。


第5章


「これを見てほしいんだが」と轟が掌に乗せた氷を示した。「氷を融かした後に、まだ廊下の隅に氷塊が残っていたんだ」
 中に針状の物体が閉じ込められている。
 携帯で呼ばれ、勝己と出久は急いで保健室に駆けつけた。轟が手掛かりを見つけたらしいという。急かすふたりに、見てみろと相澤先生は手招きした。
 轟の手の中の禍々しいもの。
「無傷みたいだな。生きてるかもしれない」
 相澤先生は氷塊を受け取ってシャーレに乗せ、慎重に周囲の氷を融かして、出久に見るように促した。
「これか、緑谷」
「はい、あ」くらりと出久はよろけたが、何とか踏ん張り「それです」と答える。
 針がうねうねとくねり出した。
「危ねえ!」と轟が手をかざす。
 相澤先生が個性を発動し、凝視すると針は動かなくなった。ほうっと出久は息を吐く。
 針を透明なケースに仕舞うと、相澤先生は言った。
「校舎の外をうろついていたヴィランのことだが、寄生生物を人に取り付かせる個性を持つ奴だ。指名手配されてるが、今までなかなか尻尾を掴ませなかった。ヴィランのDNAが手に入ったのは収穫だな」
「自分は動かねえで、他の奴を操るわけかよ。けったくそわりい」
 罪のない宿主を盾にするようなやり方だ。卑怯な野郎だと勝己は憤慨する。
「これを見ると、生物というより亜生物というべきか。実在する生き物をモデルに個性で作ったものだな。八百万の個性に似てるが、逆だ。八百万の個性は元素単位から構成して、生物以外の本物を創造する。これは本人の細胞を培養して、亜生物を作る個性だろう」
「生物を創造するんですか。すごい」
 状況を忘れたのか、出久は感心しているようだ。勝己は苛ついて出久の背中を思いっきり叩く。
「てめえ、クソが!感心してんじゃねえよ。わかってんのか。てめえがその個性を食らってんだろうが」
「いたあ!わ、わかってるよ。かっちゃん。でも命を作るなんてすごいと思わない?」
「命じゃないぞ。亜生物だ」相澤先生が言う。「どんなに模倣しても本物の生物じゃなく、本人の細胞に過ぎない。いわば爪や髪の毛みたいなもんだ。元がその個性をもつ人間の細胞だからこそ、本体さえ目視できれば、俺の個性で止めることができるわけだな」
「つまり、緑谷の身体から追い出しさえすれば、捕獲できるんだな」轟が言う。
「ああそうだ。だが、体内の何処にいるかわからない以上、手の出しようがない。せめて体内の潜伏場所の特定が出来れば、いざとなれば手術するなりして対処できるんだが。」
 出久の身体をスキャンしても、何処にいるのかわからなかったのだ。出久の身体の何処かで眠っているのだろうか。そこが脳なのか脊髄なのか心臓なのか。
 活動する様子はない。ならば出久の奇行の意味は。ひとつだろう。
 勝己は言った。「こいつのモデルになった寄生生物は、幼生と成体で異なる宿主を持つやつなんじゃねえか」
「なるほどな。宿主の移動をしようとしているのか。モデルになった寄生生物の性質も模倣してるかも知れんな。調べよう」
 相澤先生はパソコンに向かい、暫くして検索した結果を見せた。
「これだろうな。動物とか4歳以前の子供とか、個性のない個体に食らいつき、成長してから、個性持ちの宿主に移って繁殖するタイプだ。本物は現在はほぼ駆除されている」
「じゃあ、そいつと同じ性質なのかよ。やべえだろ。緑谷ん中で繁殖すんじゃねえのか」轟が心配そうに言う。
「そこが不思議なんだがな。緑谷の中じゃ繁殖していないようなんだ。幼生の宿主を中間宿主、成体の宿主を終宿主というが、緑谷は何故か中間宿主もしくは待機宿主に当たるらしい。寄生生物は繁殖はせず、次の宿主を探している状態だな」
「おかしいだろ。個性に反応するなら、何故緑谷の中では繁殖しないでスルーするんだ?」
「出久がガキなんだろ」と勝己は素知らぬ素振りで嘯く。
 轟は知らないのだ。出久の力は借り物だということを。勝己と出久とオールマイトの3人だけの秘密なのだから。
 そうか、出久は元々無個性だ。OFAを得ても個性因子自体はないのだろう。だから、終宿主にならなかったんだ。寄生生物は子供の中でもう成体に成長したのだ。出久は望まれざる宿主なのだ。なら、個性のある奴に侵入しなかったのは、不幸中の幸いだったと考えるべきなのか。
「僕でよかった」とポツリと出久が呟いた。
 いや、幸いなわけねえわ。ざけんじゃねえ。何がよかった、だ。てめえの呑気さには頭にくるわ。
 出久が寄生生物に侵入されてから、勝己は今まで以上に、出久に引き寄せられる。おそらく轟もなのだろう。出久に抱きつかれていた時の奴の様子は、平常ではないように見えた。
 より強い個体に引き寄せられるのだろうか。それとも宿主になる奴なら誰でもいいのか。どちらにしろ個性持ちに渡ったなら、そいつが終宿主になるんだろう。
 それが奴の狙いならば、と勝己は相澤先生に提案した。
「どこにいるかわからない寄生生物なら、次の個体に移動する瞬間がチャンスだ。寄生生物をおびき寄せ、移動するときに捕まえるしかねえだろ。そいつがデクから移動する瞬間を狙えばいい」
「なるほどな。なら俺が囮になろう」
 勝己の案に乗って轟が言いだした。何だこいつ。おれが先に言ったんだろうが。
「ざけんなてめえ!」
「ダメだよ。もし捕獲できなくて君に移ったら繁殖するかもしれないんだろ。そんなのダメだ」
 出久は首を振る。相澤先生も有無を言わさない口調で言う。
「緑谷の言うとおりだ、轟。これ以上生徒を危険な目に合わせるわけにはいかない。どんなタイミングで移動しようとするかも不明なんたからな。とりあえずお前らは教室に戻るんだ」
「ああ、わかった」轟は渋々といった様子で戸を開け、勝己の方を振り向いた。「爆豪、行かないのか?」
 勝己は轟を睨み、出久に視線を移した。出久は所在無さげに戸惑っている。轟は答えない勝己を暫く見つめて、先に行ってると静かに言った。
 轟が保健室を出て行くと、勝己は口を開いた。
「俺が囮になる。あんたはそれを阻止するんだ、先生」
「お前な。駄目だ危険すぎる。許可できん」
 相澤先生は眉を顰め、厳しい表情になった。勝己は拳を握ると相澤をまっすぐ見据える。
「デクん中にヴィランがいるなんて、気色悪くて我慢できねえんだ」
「ちょっと待ってよ」と出久が慌てた。「僕がおかしくなったの、見てるだろ。君や轟くんに抱きついたんだよ。あんなの、先生達の見てる前でなんて、嘘だろ」
「ああ?てめえ、仕方ねえだろうが。おい、先生!」
「駄目だ、駄目だよ」と必死で出久は首をぶんぶんと振る。「危険過ぎるよ」
「さっきも言ったがそれはないな」と相澤は嘆息する。「これ以上、生徒を危険に晒すことはできない。戻っていいぞ、二人とも。手段はなんとか考えよう」
 ふたりは保健室を辞した。歩き始めた勝己の後ろを出久は付いてくる。
「早く来い」と勝己が言うと、
「うん」と答える。
 いつかのように。
 遠く、文化祭の賑やかな声が聞こえる。
 職員室のあるこの階の廊下には、自分たちの他には誰もいない。
 出久の上履きが後ろでペタペタと音を立てる。
 出久とふたりきりになったな、と思う。
「おいデク」
 返事がない。
 足音が止んだ。出久が立ち止まったのだ。
 ゆっくりと振り返る。
 出久の虚ろな視線が彷徨う。
 やっぱり来やがったな。
 こいつはターゲットが一人になったと認識したら出てくるんだ。他の奴がいると出てこねえ。保健室では俺が出て行って轟とふたりになった時、教室では俺が窓の外の先生を呼んでいる隙に出やがったからな。
 勝己は踵を返して歩み寄り、出久の身体に手を伸ばした。ふわりと匂いが漂ってくる。捕食者を誘うフェロモンのようなものなのだろう。
 出久の腰を抱きしめ、引き寄せて両腕を背中に回す。すっぽりと腕に収まる出久の温もり。シャツの下の筋肉の感触。足を出久の足の間に入れて太腿で股をじりっと押す。
 出久の腕が勝己の肩に縋り付き、そろりと首に回された。
 止めなければいい。出久が俺を求めてるんだ。
 寄生生物を宿した被捕食者として捕食者の俺を。
 理性など吹っ飛ぶほどの抗いがたい本能。
 宿主は捕食者の心をコントロールする。寄生生物があいつをより美味そうに見せるのだ。鳥の前に腹を見せて翻る魚のように。こいつを喰らえと吠えるんだ。
 出久、俺はてめえの捕食者なんだ。
「限界なんだクソが」小声で囁く。「大人しく犯されろよ、デク」
 出久の瞳が揺れる。僅かに意識は残っているのかもしれないが、それとは裏腹に抵抗できないようだ。
 ボタンを外し、シャツを肌ける。素肌に手を這わせても、為すがままな出久に興奮する。
 頬ずりして、唇に触れる。少し開いた唇に吸い付き、舌を口内に押し入れて、貪るようにキスをする。吐息が熱い。目眩がしそうだ。
 出久の瞳が反転したように見えた。
 いや、白目が黒く何かに覆われたのだ。
 勝己は出久を壁に押さえつけた。これが寄生生物の移動する瞬間だ。
「かかったな!寄生野郎が!俺の他には誰もいねえ。安心して出てきやがれ」
 出久の眼球から蜘蛛の糸のように細い糸が飛び出てきた。
 糸を放出しながら、出久は壁を背にして崩折れる。
「おい、デク。てめえ!寝てんじゃねえぞ!」
 出久の足元の空間に糸が積まれてゆく。霧のような細密な糸。暫くして糸が出なくなった。全て出尽くしだのだろうか。出久の閉じた目から血が流れている。無事か。
 糸がむくりと動き出した。ひと塊になり勝己の方に向かってくる。
 咄嗟に飛び退くと、うねる糸の塊を爆破する。
 だがパラリと崩れても糸はまた寄り集まる。
 細密な蜘蛛の糸のように空中に広がり、編まれ広がってゆく。
「起きろデク!クソカス!」
 勝己は出久を抱き起こし、ガクガクと揺さぶる。
「…ん、起きてるよ。動けないんだ。かっちゃん、僕のことはいいから逃げてよ」
「ああ?何言ってやがんだ。カス!」
 出久は目を開けた。白目は元に戻っているが、酷く充血している。
「頭の中からそいつがなくなったからやっと言えるよ。衝撃タイプの攻撃がきかないんだよ。バラバラに解けるだけなんだ。かっちゃん、逃げ、いや、相澤先生を呼んできて」
「てめえ、喋んな、黙れ!」
 クソが。逃げられるかよ。逃げたらまたこいつがてめえん中に戻るだけだろうが。
 網は2人を包みこもうと狭まってくる。
 勝己は出久を糸の包囲網の外に突き飛ばした。
 よく見ると糸じゃなく、針状の寄生生物が寄り集まって、網状の形を成しているのだ。
 網は勝己の腕に触れてバリバリと皮膚を裂いた。プツプツと血が吹き出す。
「傷を負っちゃ駄目だ。本体が傷口を狙ってくる」
「ってーな!これは本体じゃねえのか」
「多分、武器だ。寄生先への侵入ルートを作るための」
「きめえ。本体はどこだ、デク」
「網の何処かに包み込まれてる」
 どこから入ろうとするんだ?目からか口からか。皮膚を破って入るなら手や足からか?
 ピリッと皮膚が割かれる痛み。無数の針が服の腕からでも皮膚を刺す。
 さして痛くもないのに、シャツがみるみる赤く染まる。
 血が止まりにくくする何かを出しているのだ。出久の時と同じように。
「クソが!」
「かっちゃん!逃げてよ、かっちゃん」
 出久は這いつくばりながら、勝己の方にじり寄ろうと足掻いている。
 網の中心に針と同じ大きさだが、形の歪な白い塊が見える。
 あれが本体って奴か。クソが!
 続けざまに爆破してみるが、びくともしない。
 畜生が!目視出来てるのに爆破出来ねえのかよ。
 一気に消し炭にするとか、まとめて凍らせるならいけるんだろうか。轟の個性のように。クソ!轟なんかに任せられるかよ。
 網がバラバラと崩れた。爆破、効いたのか?
 だが違った。
 夥しい針の群れは空中に放射状に広がり、勝己を幾重にも取り囲んだ。
「かっちゃん!」
「クソが!」
 針が一斉に勝己に襲いかかる。
 無数の針が皮膚を裂いた。
「爆豪!」
 廊下に響く怒鳴り声。
 途端に針の動きが止まった。バラバラと床に落下して山を築く。
 相澤先生が駆けつけたのだ。
「相澤先生、よかった」出久は身体を起こす。
「いってーな!クソが!」
 安堵したのが悔しく、勝己は足で蹴って針の山を崩す。
 寄生生物は捕獲された。
「よくやった爆豪」ほっとした声で相澤が言った。
「遅えよ!」
「相澤先生、かっちゃんと組んでたの?僕を騙してたの?先生まで?危険じゃないか」
 出久は目を擦りながら、非難めいた声音で問う。
「いや、組んではいないぞ。爆豪は止めても聞かないだろうからな。様子を伺っていたんだ。あれでな」先生は監視カメラを指差す。
「そうなんですか。かっちゃんは、それを見越してたのか、でも…」
「てめえの脳が寄生されてんだとしたら、てめえの中の寄生生物とやらを、本気で期待させねえと駄目だろうが」
 さっきまでの心をもぎ取られるような衝動は止んだ。あの場で本気で出久を抱こうとしていた。寄生生物を持つ被捕食者は捕食者を誘うのだ。抗いがたい力で。
「褒めていいものか迷うところだが。爆豪は自分を囮にしたんだ。なかなかできることじゃないぞ」
「ああ、はい、そうですけど、でも」出久はもじもじと続ける。「ありがとう、かっちゃん」
「へっ!」
 出久の中に他の奴が居るのが、我慢ならなかったのだ。人だろうが、人じゃなかろうが。結局は俺はてめえを求めているのだ。誰にも渡したくねえんだ。
「まあ、いつ出ていっていいものかどうか、迷ったがな」
「なんのことですか?」
 相澤先生の言葉に、出久は首を傾げている。先生が見張ってると知りながらキスしたことか。あん時はもう出久は意識を乗っ取られていただろうから、覚えてねえんだろう。
 ガチでやるわけねえだろうが。けど、やっちまってもいいと思った。途中で止められたから不完全燃焼だ。足りねえ。
 くらりと頭が揺れる。ぽたぽたと血が滴れる。シャツから血が染み出してくる。血も足りねえってか。
「クソが。貧血か。血が出過ぎたみたいだ」
 てか、止まらねえ。そうか、そういう手口か。出血させて、体力を奪い動きを鈍らせ、宿主の抵抗力をなくしてから、本体が取り付く。
 出久だけなら奴を避けて逃げることも出来たはずだ。きっと出久は子供を抱き上げて、両手を使えない状態で襲われたのだろう。子供を逃がした時には遅かったんだ。
「かっちゃん!」と呼ぶ出久の声が遠くなる。
 倒れんな、俺の身体。あいつの前で倒れんな。あいつは強い俺しか見てないんだ。もし俺が弱くなれば。俺を見やしないんだ。

 保健室の天井がぼんやりと見えた。
 大量出血のせいか、目眩がして頭を起こせない。血が不足してるのだ。
 切羽詰まった出久の声が聞こえる。
「輸血なら僕の血を上げて!」
「爆豪は何型だ」
「A型だよ。ぼくはO型だから、僕の血をあげられる。相澤先生!」
 出久は錯乱しているようだ。
「落ち着け、緑谷。型の違うお前のより保管してるA型血液の方がいい。今リカバリーガールが輸血の用意をしている」
「かっちゃんは強いんだ。負けないんだ」
 出久は血相変えてまるで子供のようにただをこねる。相澤先生は珍しく慌てているようだ。きっと先生には、今の出久があいつらしくなくて理不尽に見えるんだろう。
 俺を強くてタフだと信じている。勝つことを諦めないのが君じゃないかと押し付ける。我儘で頑固で融通がきかない。それがあいつだ。出久は信じてるんだ。俺を。
 勝己は怒鳴った。「リカバリーガール、いねえのかよ!」
「ここにいるよ、なんだい」
 奥から点滴の道具を持って、リカバリーガールが顔を出した。
「かっちゃん、起きたんだ」出久は泣きそうな顔だ。
「今すぐ怪我を全部治せや」
 無数の針で刺されたような傷。見えない傷口から血の玉が転がり落ちる。血はまだ止まっていない。
「ひとつひとつは塞ぐのは簡単だろ。塞いじまえば傷なんか」
「いや、緑谷の時より傷が多くて深いんだ。刺さった針の数が尋常じゃない。一度に治せば、お前の体力が持たないかもしれないぞ」相澤先生は言う。
「輸血しながら、ゆっくり直したほうがいいよ」
 リカバリーガールが子供を宥めるように言う。
「舐めんなできるわ」
 あいつが俺を見てるんだ。あいつが俺を信じてるんだ。俺がへこたれるわけにはいかねえんだ。強くなければあいつは俺を見ない。
 俺はどうだ。俺は出久が弱くなったなら。
 ひょっとしたら、歓喜するのかもしれない。
 弱くなれば他の奴らは出久から離れていくかも知れない。でも俺にとってどんな出久でも出久は出久だ。俺は絶対に離れねえ。
 そうなれば出久も俺から離れることなんできねえだろ。中学生の頃みたいに、俺だけのものになんだ。
 ああくそ!思考がぐちゃぐちゃだ。
 雄英の奴らはそんな奴らじゃねえってわかってる。
 たとえあいつが弱くなっても、今更もう手に入るわけねえわ。
 俺は捕食者だったのだ。自覚する前からあいつは俺の獲物だったのだ。いつかは皮膚を囓り肉を噛み裂くのだ。だからあいつは無意識に警戒していたのかもしれない。
 捕食者は獲物よりも運動性能が優れてなければ食いっぱぐれる。だから俺はあいつより強くなければならないのだ。
 一人の人間にとって自分が特別でありたいと渇望するのは、自分にとって相手が特別であるからだ。どんなに相手をつまらない者だと、取るに足らないと貶めようとしても、心の奥底が求めて止まないんだ。
 自分だけが相手の唯一の存在でありたいと。


第6章


 傷は全て治療されたものの、体力を消耗した勝己は半日寝込んだ。目を覚ました時には既に日は傾き、黄昏の橙色に部屋が染まっていた。
「やっと起きたんだね」
 出久が枕元に座っていた。目元が赤いようだ。顔を染める夕焼けのせいか、泣いていたのか。
 保健室の窓の外から音楽が聞こえる。外で何をしているのか、時々歓声が上がった。
「今、後夜祭をしてるんだよ」勝己が問う前に出久は答える。
「てめえは行かねえのか」
「うん」出久は済まなそうに目を伏せる。「打ち上げは行ったよ。皆も君を心配してた。君が回復したら寮でまた打ち上げしようって」
「いらねえよ」
「後夜祭の後には戻ってきて、後片付けするそうだよ。僕も行くけど。あ、そうだ」
 出久は手に持ってた袋を開けて、中を見せた。
「ちょっと食べ物を持ってきたんだ。かっちゃんが起きたらお腹空いてるかなと思って。打ち上げの時の残りだけど」
 そういや腹が減ったな。「寄越せ」と勝己は出久が袋から出したパンや菓子をがっつく。「かっちゃん、お茶もあるよ」と差し出されたペットボトルをひったくるように受け取る。喉を鳴らして嚥下する。冷たさが胃にしみる。
「ごめんよ、かっちゃん」
「ああ?」
「元はと言えば全部僕が迂闊だったせいだ。僕が気をつけてれば、こんなことにならなかった」
「あ?ざけんじゃねえぞ。デク!」勝己は眉根を寄せて睨みつける。「てめえのはてめえのミスだ。俺のは俺の判断だ!謝んじゃねえよクソが。起き抜けに苛つかせんじゃねえ」
 怒鳴ってから、確認していなかったことに気づく。奴は本当に出久の中から抜けたのか。
「てめえん中には、もういねえんだな」
「うん、僕は大丈夫。先生呼んでくるね」
 勝己の身体は完全とは言えないが回復したらしい。「無茶をしたけれども、大したタフネスだね」とリカバリーガールは驚き半分呆れ半分。もう帰っていいと保健室から送り出された。
「かっちゃん、後夜祭行く?寮に戻る?」
「教室に行くわ。来い、デク。てめえに話がある」
 勝己はそう告げて「あ、うん、あの」ともぞもぞと言い淀む出久の腕を掴む。
 夕暮れの教室には柔らかな黄色い光が差し込んでいる。教室には誰もいない。まだ後夜祭は終わらないようだ。
「デク」と名を呼ぶ。怒りを帯びてない声で名を呼ぶのは、随分と久しぶりな気がする。
「何、かっちゃん」戸惑い気味に出久は答える。
「てめえを抱いたのは、マスターベーションなんかじゃねえよ」
「い、いきなり何、その話はもう。かっちゃん」
 狼狽える出久に構わず勝己は続ける。
「てめえがどうだろうとな。俺のやりてえことは変わんねえ。てめえが俺への認識を改めてえってんなら、それまで待ってやる。てめえは俺のもんになるしかねえんだ。逃さねえからな」
「かっちゃん、僕は応えられないよ」
「先はわからねえって言ったのは、てめえだろうが。俺は諦めるつもりはねえ」
 触れてしまったのだ。そう簡単に手放せやしねえんだ。出久は唇を噛んで俯いた。外から生バンドの演奏する音楽と歓声が聞こえる。黙ってんじゃわかんねえよ。勝己は焦れた。
「何だよ、言いたいことあんなら言えや」
「無理なんだ」出久は漸く口を開いた。「君と新しい関係を構築するなんて、無理なんだよ。僕は結局、君を皆と同じようには思えないんだ。認識は変えられない。だから待っても無理なんだ」
「なんだとてめえ!」
「君に情が移った事を、過去の話として轟君に話してたのに。よりによって君に聞かれてしまった。」
「俺のことだろうが。俺が聞いたからってなんだ」
 出久は俯いて言葉を紡ぐ。
「知られても、それだけだと思った。でも君がまたやろうって言うなんて。僕は怖くなった。付き合ったって、また昔の繰り返しになるだけじゃないか」
「ああ?なら待てっつったのはなんだ。俺をその気にさせて、てめえ、この俺を騙しやがったのか」
「できると思ったんだ。本当だよ。でもやっぱり無理だ。僕にとってやっぱり君は君なんだ。僕は憧れるだけで良かったんだ。手の届かない君に。 君が応える可能性なんて有り得なかった。なのに中学の頃、あんな形で僕は君と関係してしまった。心も身体も踏みにじられて、君の形を刻み付けられて、自分の弱さが辛かった。君を怒らせるのが怖かった。君が憎かったよ」
 出久はシャツの合わせ目を掴む。ぎゅうっと掴んで指が白くなるほどに。
「それなのに君に情が移ってしまうなんて。そしたら今度は見捨てられるのが怖くなった。酷い形でも、僕に関わってくるのは君だけだったから。セックスしてる一瞬だけは、君のことが怖くなかったから。でもそんなのおかしいだろ。憧れて憎くて怖くて、僕はどうしたいんだろうって、混乱して自分が壊れてしまいそうだった」
 出久は顔を上げて薄く微笑んだ。
「君との関係が終わった時、ほっとしたんだ。もう僕は抱えきれない混乱から解放されたんだって。だから、もう二度と君に応える気はない。応えちゃいけないんだ」
「てめえ。またかよ。またてめえは嘘をつきやがった!」
 繰り返し繰り返し、俺を偽り続けるんだ。勝己は掴みかかり、出久の首元を締め上げる。なんで俺は嘘ばかりつくこいつが欲しいんだ。出久は抵抗もせずに勝己を見上げる。
「君が眩しいんだ。今も昔も。君は僕を捩じ伏せるために抱いたんだろう。君には一時の気の迷いや好奇心に過ぎなくても、僕は潰れてしまう。また囚われるんだ。僕を否定した君に。呪縛なんだ。そう思うのは錯覚なんだってわかってるのに」
「 はっ!てめえは全部錯覚だった言うのかよ」
「君も錯覚だろ。ちょっと血迷っただけだ。情欲とは言うけど情と欲は別物だよ。欲で動いて情で惑う。また間違った形の繰り返しになるだけなんだ」
 またか、てめえは俺を何だと思ってやがるんだ。俺がてめえを失うことをどれだけ恐れているのか、考えた事もねえんだろ。
「ああ、確かに俺はてめえを捩じ伏せたかった。反抗的で何考えてるかわかんねえてめえを支配したかった。その発露がセックスだ。否定はしねえよ。だがな、なんとも思ってねえ奴を何度も抱くほど暇じゃねえわ」
「君は変わらないな。でも僕は変わらない君がいいと思ってる。君は特別だよ。僕にとっていつまでも」
「てめえ、俺の言ったこと聞いてんのかよ」
 てめえには何一つ伝わらねえ。どう言やあわかるんだ。
「僕は君が大事なんだ。君との関係がなにより大切なんだ。君が思う以上に。今度は間違うわけにはいかない。やっと対等になれたんだ。今みたいな幸せなんて、昔は考えられなかった。君を憎まず純粋に憧れていられる。僕は今幸せなんだよ。君には近づき過ぎちゃいけないんだ」
 てめえが俺に嘘をついて、そんなことを心に決めた、その矢先に寄生生物騒ぎが起こったってわけか。
「てめえ、俺に抱きついて誘ったよな。本当に寄生されたからって理由だけかよ。ああ?デク」
 轟まで誘ったことは忘れる。
「そうだよ。それ以外にあるわけない。君が僕に惹きつけられるのも、僕が君に惹きつけられるのも寄生生物のせいだった。被捕食者と捕食者の関係だ。また心が間違った方向に狂わされたんだ。今は余波が残ってるけど、この気持ちも静まるはずだ。あんな心が壊れてゆくような混乱は、もうゴメンなんだ」
 最初に間違ってしまったから、もう手遅れなのかよ。クソが。
 迷いも全部寄生生物のせいにしやがるのかよ。
 余波だと。
 余波と言ったか。そうか。
 出久の混乱は昔じゃねえ。今の話なんだ。
「はは!そうか。そうかよ、てめえ!ほんとに迂闊だよなあ、デク」
 勝己は高笑いをする。
「かっちゃん?」
 出久は訝しげだ。自分で言ったことに気づいてねえ。
「つまり、今てめえは俺が欲しいんだな」
「ちが、違うよ、なんでそうなるの?かっちゃん」
「余波があんだろ。でももう寄生生物はてめえの中にいねえよなあ。そう言ったよなあデク。ごちゃごちゃ言いやがって、結局誤魔化してんじゃねえか!なあ、そうだろ」
「違うよ!」
「こっちに来やがれ。確かめてやるわ」
 余波が残ってるってんなら好都合じゃねえか。てめえには言葉じゃ通じねえんだ。身体でわからせるしかねえんだ。
 拳で殴り合って、身体をぶつけ合って。毟りあって、無茶苦茶になって。
 そうするしかねえだろ。
 俺らはずっとそうしてきたんだからよ。

 てめえは虫けらなのだと言い聞かせた
 取るに足らない存在だと思おうとした
 どうしてもそう思えないからこそ足掻いた
 てめえに俺を認めさせれば、何もかも上手くいくと根拠もなく信じていた
 それが不可能なのだとわかったとき
 俺の中に棲みついたてめえがどんどん大きくなり
 もうてめえの呪縛から逃れることはできないと知ったとき
 もうてめえを逃さないと決めたのだ
 だからてめえも逃げんな


 勝己は空き教室に出久を連れ込んだ。
 舞台の道具置き場にしていた場所だ。ベニヤ板が隅に積まれ、余った大量のサテンの生地が無造作に散乱している。
 勝己は出久を床の上に倒し、両手首を片手で纏めて押さえつけた。「かっちゃん」と開けられた口に被せるようにキスをする。出久の舌を絡めとり、擦り合わせる深いキス。頭が痺れるようだ。角度を変えては深く口づける。
 てめえの皮膚の下の熱さを誰も知らない。俺の他に誰も知ることはねえんだ。
 身体の奥に俺を刻みこむんだ。てめえの全ては俺のものだと。

 出久の胸に頭を押し付けて、荒くなった呼吸を整える。
 肌の温もり。トクトクと耳に届く出久の心音。汗だくの体躯を強く抱きしめる。
「デク、デク」と掠れた声で呼ぶ。
「かっちゃん」と喘ぎ疲れた声で出久が呼ぶ。
 顔を起こしてそっと髪に触れる。髪で隠れていた翡翠のような瞳が勝己を捉える。確かな視線で見つめる。
 勝己の肩に触れる出久の手。抱きつくでもなく引き離そうとするでもなく。揺蕩う手を掴んで一本一本、指に口付ける。
「かっちゃん」出久は口を開く。「僕は君としたからじゃなく、きっと昔から君に惹かれてた。そう思いたい。でももう別のものがいっぱい混じってしまって、わからないんだ」
「同じことじゃねえか。どう違うってんだ」
「惹かれてる気持ちだけを、育てていけたんだ。関係を結ばなければ、できたんだ」
「そんなもんはいらねえ。てめえに良くても、俺には良くねえわ」
 どんなに近づいても、こいつと俺はわかり合うことはないかもしれない。だが触れ合うことで、一瞬でも境界を穿つことはできる。ひとつに溶け合うことができる。
 気休めなのかも知れねえとしても。だからなんだ。正しくねえからなんだってんだ。間違っているからなんだってんだ。
 嘘つきなてめえでも、身体を重ねてる時だけは嘘をつけねえ。何度だって隔たりを溶かしてしまえばいいんだ。
 俺たちはずっと昔から共生関係なんだ。OFAがてめえを見つけるずっと前から。
 俺はてめえが欲しくて、てめえは俺に縛られてる。
 OFAが次の宿主に移ったなら、まっさらになったてめえの全ては今度こそ俺だけのもんだ。
 一方的な関係なんてな、両方が想っていたら不可能なんだよ。
 
「戻ろうよ、皆後片付けしてる。手伝わなきゃ」
「ここのもん片付けりゃあいいだろが。生地汚しちまったしよ」
「そ、そそ、そうだね。見られたら困るよね」
「使い道があったな。役にたったわ」
 勝己はにやりと笑う。出久の顔が真っ赤になった。慌ててサテンの海に埋もれた服を探し始める。
「何焦ってんだ、クソデク」
 出久の腰を引き寄せ、胡座をかいた膝に乗せ、後ろから抱えるように抱きしめる。まだ裸の素肌に触れていたい。肩口に顔を埋める。出久の匂いだ。捕食者を誘うフェロモンみたいな偽物じゃない。本当の出久の匂い。
「あの、かっちゃん?放してくれる?」
「ケツ動かしてんじゃねえよ、また勃っちまうわ」と腰を突き上げる。
「わ、そ、それは、かっちゃん、誰か来るかも、ねえ」
「こっちまですぐには来ねえだろ」
 身体を捩っていた出久も、放そうとしない勝己に観念したらしい。大人しく身を持たせかける。
 同じことをしたとしても、同じ結果になんてならない。
 毎夜違う夢を見るように。毎日違う朝が来るように。
 今ならきっと違う道をいける。違う結果を見出せるはずなんだ。
 ふと、舞台で出久の言った台詞を思い出した。
「おいデク、てめえは劇のクライマックスでの掛け合いの台詞を覚えているか」
 抱きしめる腕に力を込めて勝己は問うた。
「気持ちがわからないと、てめえが拘っていた台詞だ」
 密かにそうありたいと思った言葉だ。その意味をてめえは今もわからないのか。
「あの言葉」と呟いて、出久は答える。「少しは、わかる。わかるよ」


終章


(全員が客席からステージ上に上がる)
(緑谷、爆豪は背中あわせになる)
緑谷  「今のうちに君に話したいんだ」
爆豪  「あんだ?」
緑谷  「僕は君のことは覚えてるよ。でも君とどんな時を過ごしたか、あまり覚えてないんだ。日々の鍛錬や冒険の中で、自分のことで手いっぱいだったし。子供の頃のことはどんどん薄れていってしまった」
爆豪  「んだと、てめえ」
緑谷  「でも覚えてるよ。楽しかったこともあったけど、悪いことも、沢山あったよね」
爆豪  「ああ?こんな時にまだ怒らせてえのか。てめえは!」
緑谷  「でも、きっと。僕は君にもう一度出会うために、旅に出たんだ」


END