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桜花残月(R18)

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大学1年生 初秋


 ドアベルの音に起こされた。
 俯せに寝ていた比企谷は目覚まし時計を確認する。まだ8時じゃねえか。誰だ日曜日のこんな時間に。寝ぼけ眼でドアを開けるとそこには卒業以来久しぶりに見る珍しい顔が微笑んで立っていた。見慣れた人好きのする表情も相変わらずな男。秋の初めの涼しい風が開けた扉を吹き抜ける。
「久しぶりだね」
「なんだよ。葉山」
「独り暮らししてるんだってね。君は千葉から出ないものだと思っていたよ」
「誰から聞い、ああ、まあな、俺もそのつもりだったんだけどよ。1、2年は都内の校舎なんだと」
「俺も都心の大学だけど家から通ってるよ」
 表情はにこやかなのになんだその微妙に責めるような声音は。釣られてつい言い訳じみた言い方になってしまう。
「家から通うには交通の便がちと悪いんだ。ウン時間もかかっちゃ通わなくなるって親に疑われてな。期間限定の一人暮らしだ。俺は不本意なんだけどな」
「そうか。それなら仕方がないな」
「おお」
「じゃ、上がらせて貰うよ」
「おい、なんだよ、勝手にお前」
 朝っぱらから押しかけてくるなりズカズカと人ん家に入り込むかよ普通。前からこいつは譲らねえというか押しが強いところがあったけど久々に会ってもこれかよ。
 葉山はちゃぶ台の側にショルダーバッグを置き、その隣に胡坐をかいて座った。比企谷は呆れる。おもてなししなきゃいけないのか?
「小町ちゃんに会ってね。それで君のことを聞いたんだ」
「あーそー。まあ、とりあえず茶でも出すわ」
 比企谷はキッチンに行くと戸棚からコップを2つ出し、ペットボトルと一緒にちゃぶ台に置いた。携帯が鳴ったのでそのままキッチンに戻る。
「勝手にやってくれ」
 葉山に声をかけて画面を見ると小町からのメールだった。比企谷は内容を見て眉根を寄せる。
「昨日葉山さんに住所教えたよ。近い内に来てくれるんじゃないかな」
 連絡遅えよ小町。もう来ちゃってるよ。比企谷はポチポチ文字を打って返事を送りつつ部屋に戻り腰を下ろす。丸いちゃぶ台を挟んで葉山と向かい合う。コップには2つとももう飲み物が注がれていた。比企谷は携帯をちゃぶ台に置いてテレビをつけてザッピングする。
 何話せばいいのかわかんねえな。何しに来たんだこいつ。とりあえず文句言っとくべきかな。そうもやもや考えていると葉山が口を開いた。
「朝からすまないな。でも君は変わってないな。安心したよ。」
「ああ、まあ」
 出鼻を挫かれて生返事になる。
「それが君の新しい携帯か。ちょっと見せてくれないか」
「ああ、なんで」
「ちゃんと番号交換しよう。君、俺の番号入れてないだろ」
 葉山は比企谷の携帯を受け取ると自分の携帯を取り出す。
「新しい携帯にしたら普通知り合いに知らせるだろ。電話番号まで変えたなら尚更だ」
「一斉メールしたぜ。面倒くさいっつったら小町がしてくれたんだが」
「俺には来てない」
「お前のメアドなんて知らねえよ」
「電話番号は知ってるだろ」
「俺のは教えたけどお前のは聞いてねえよ」
「かけたことあるだろ?普通かけてきたら登録するだろ」
 葉山はメアドと電話番号を登録して携帯を返した。受け取った比企谷は連絡先を確認する。平塚先生の上に葉山が来ちまったな。なんだかな。比企谷が目を上げると葉山と視線が合う。葉山は微笑んで静かに話し始める。
「卒業してからずっと俺は君のいそうなところを探したよ。会えるんじゃないかと思って。でも君はどこにもいなかった。町の中でも家の近くに行っても君には会えなかった。思い余って君の家に行ったんだ。それでも君はいなかった。君のことはそのとき小町ちゃんから聞いたんだよ」葉山は噛みしめるように言葉を続ける。「もう、すぐに君の所へ行くことしか考えられなかった」
らしくない葉山の話に比企谷は驚いて問うた。
「お前、なんでそこまでして俺を」
「君に会いたかったんだ」
 そう言いながら葉山は真剣な眼差しで見つめてくる。比企谷は言葉を失った。どうしてなのかと聞かずとも瞳が雄弁に伝えてくる。目を逸らすことが出来ず空気が張り詰める。葉山はふっと微笑する。
「君は今もあんな生き方をしているのかな」
 比企谷は弛緩した空気にほっとする。
「なんだよ藪から棒に。俺はもう奉仕部じゃねえよ」
「でも君は頼まれたら断らない、だろう」
「それは」
「人はそう簡単には変わらない、そうだろう」
 比企谷は返事に詰まり黙り込む。同じような環境が状況があるならば。押されたら断らないかも知れない。いや、きっと断れない。そうなったら手段は知っている効果的な方法しか選ばないだろう。
「けど今はそんな状況じゃねえし。先のことなんて」
 ようやく言葉を探して答える。
「老人のために焚火に飛び込む兎の話、覚えてるかい」
 唐突に葉山は話題を変える。比企谷はほっとする。
「そんな話したことあったっけ」
「あったよ。俺はその時君は愚かだと言った」
「かもな」
「俺なら兎が飛び込む前に止めたい」
 そう言うとまた葉山は比企谷をじっと見つめる。比企谷は視線から逃げるように目を逸らした。
「また俺が兎だっていうのかよ。あの頃俺が自分を犠牲にしてるっていうのがお前の説だったな。でも今も俺はそれを肯定するつもりはないぜ」
 葉山は溜息をつく。
「俺はその老人だったことしかないしね。だからこれからはそうしたい。俺は君の側にいる」
 比企谷は皮肉な笑みを浮かべる。
「それでお前に何の得があるんだ」
「君に側にいてほしい」
「同じことじゃねえか」
「君がいれば俺は自分を見失わないで済むんだ」
 葉山は真顔になり比企谷に躙り寄る。
「君と、いたいんだ」
 思いを込められた声音に返事に詰まる。なんと言えばいいのか言葉が思いつかない。葉山は微笑み比企谷の腕を引き寄せると唇を掠めるようにキスをする。
「覚えてるよね。君は俺とキスをしただろう」
 比企谷は唇をさする。すぐに離れたが唇の温もりが残っている。
「ああ」
 忘れようったって忘れられるわけがない。
「こんな風に何度も。俺と君は」
 葉山はまた唇を重ねる。軽く唇を合わせるキスを繰り返し唇を食むようなキスに移る。比企谷は座ったまま後退ろうとするが、背後の重ねた布団にそれ以上の後退を阻まれる。布団に背を預ける形で比企谷は仰向けになった。葉山は覆い被さり側面に手をついて囲い込む。電灯を背にして見下ろしてくる葉山の表情は逆光になりよく見えない。
 葉山は角度を何度も変えて柔らかく唇に触れてくる。葉山の整った顔が近くて思わず息を止めてしまう。だんだん緊張が取れてきた頃にやっとキスから解放された。ほっとして息継ぎをする。葉山は比企谷の両脇に手をついたまま微笑する。
「ちょっと口を開けてくれないか」
「口?なんで、はや」
 言葉の続きは合わされた葉山の唇に塞がれてしまった。捻じ込まれた濡れた生暖かい舌にまた呼吸を奪われる。


高校3年生 初夏


「奉仕部の仕事だろう。手伝うよ」
 葉山は比企谷を見つけて微笑すると声をかける。比企谷は図書室の自習用の机に本を積んでいたが、葉山を見て顔を顰める。
「ああ?なんでお前が」
「平塚先生にはもう言ったよ」
「しょうがねえな。なら資料室に由比ヶ浜がいるからそっち頼むわ」
「いや、もう結衣には会ったよ。君の方が大変なんだろ。俺はこっちを手伝う」
「またかよ。文化祭の時もお前は手伝うと言ってたくせに俺とばかり仕事してたじゃないか」
「あの時俺は君を手伝うつもりだったからね。今もそうだよ」
「俺とは仲良くできないって言ってたのにわからねえ」
 比企谷は必要な書籍を書いたプリントを葉山に見せる。作業の説明をする比企谷の横顔を葉山は見つめる。葉山は口を開いた。
「俺はもっと君を知りたいんだ。あの時一緒に側で仕事している時、俺は君を近くに感じた」
「そりゃ錯覚だな。全然近くねえし」
「俺に頼って欲しいんだ。でも君は俺に頼らせない」
「そりゃそうだろ。仲良くねえし」
「頼らないのに君は俺を使っているよね。俺に君を悪者にさせたり、名前だけ借りたり」非難を込めた口調に葉山はばつの悪い顔をして横を向く。
「あー、生徒会選挙のあれか。バレてたのか。悪いな」
「君は一番大事な物だけを守るために他の全てを切り捨てるんだ。自分のことも」葉山は言葉を切り、声を低めて続ける。「俺のことも」
 葉山は比企谷を睨む。
「自分だけ貧乏くじをひき泥を被って」
「悪かったな。今後はなるべくお前に迷惑かけねえようにするぜ」
「違う、そうじゃない」
 葉山は声を荒げそうになり気づいて声を押さえる。彼と話すといつも平行線になってしまう。そんな結論を出したいんじゃないんだ。手元に視線を落とすと資料の中にある仏教説話の本が目についた。
「焚火に飛び込む兎の話を知ってるかい」
「知ってるよ。倒れている老人を助けるために動物達が色々してる中で、自分は何も出来ないからって身を捧げようと火に飛び込んだ兎の話だろ」
「君は尊い話だと思うかい。愚かな話だと思うかい」
「時と場合によるな。あの話は他の奴と違い自分だけ老人を助ける力がないっていうプレッシャーがそうさせた側面もあるだろ。愚かな話だよな」
「愚かな話か」
「大体兎ってのは稲葉の白兎にしろ兎と亀にしろ間抜けの代名詞みたいな扱われ方じゃねえか。寂しいと死んじゃうとかよ」
「君は本当に捻くれてるな」
 葉山は微苦笑を浮かべて呟く。
「でも俺も尊い話だとは思わない。あんなことしても誰も喜ばない。自分を軽んじているからあんな真似が出来るんだ。彼は自分の価値を知るべきなんだ」
 比企谷は薄く笑う。
「はは、捻くれてるのはお前の方だろう。他の奴がいるから兎は何もする必要はなかったと思うけどな。1人だったなら話は違うぜ」
「助ける者が兎しかいないなら焚火に飛び込んでもいいのか」
「兎がそうしたいならな。それは自由だろ」
「その方が愚かじゃないか」
「あのさあ、人を兎に例えんなよ」
「そうかな。割とぴったりだと思うよ」葉山は続ける。「俺は君が自分を捨ててしまわないようにしたいんだ」
「思い上がるなよ、葉山」
 知らず声が大きくなっていたのか、気付くと周りの冷たい視線が集まっていた。恥ずかしくなった二人は図書室の席を立つと書棚の奥に足早に移動する。背の高い書棚に隠れて窓際に並んで座り込み、2人してほっと息を吐く。
「だーもう!お前、邪魔しに来たのかよ」
「すまない」
「目立っちまったし、ちょっと待ってから戻るか」
 そう言うと比企谷は目を閉じる。図書室の奥の本棚は利用する人が少ない。天井近くまで聳える本の群れに隠されて、誰もいない森に迷い込んだような錯覚を起こしそうだ。比企谷は独白するように言葉を紡ぐ。
「おせっかいだな。人を思い通りにしようなんて奴はエゴイストなんだぜ、葉山。動機はどうあれな」
「そう取ってくれて構わないよ」
 まったく悪びれない葉山に比企谷は溜息をついて言う。
「俺のことよりお前は自分のしたいことをすべきじゃねえのか」
 窓から涼しげな風が吹き抜けてカーテンが舞い上がる。外の木々の新緑が初夏の空に映える。葉山は隣にしゃがむ比企谷を見つめる。
 君は装う人の本質を見抜く。だから人は本当の姿を晒す。君はそれを自分は部外者だからだと言う。君は守るべき人を選び守るべきことを選びそれ以外を全て破壊する。そこまですれば救えると果たして知ってても他の誰が出来るだろうか。だがそれを許していいのだろうか。
 俺は君をどうしたいのだろう。君を見ているといつも相反する心に引き裂かれる。
 俺は君の側に並び立ちたい。でも俺を見抜いて救って欲しい。君に縋る心と対等でありたいと願う心とがせめぎ合う。君とだけは装った俺じゃなく見抜かれた俺とで付きあいたいんだ。そんな俺を頼って欲しい。俺を受け入れて欲しいんだ。君に必要とされたいんだ。
 けれども君が俺を必要とすることなんてあるんだろうか。君は人のために俺に頼っても自分のためには俺には頼らない。頑なな君の心が俺に開かれることなんてあるんだろうか。俺だけが君を必要としているだけではいつか誰かが君を攫ってしまう。
 君はいつまで部外者のつもりなんだ。
 葉山は隣にいる比企谷と二の腕が触れ合っているのに気づく。少し低めの体温。ほんのりと熱が伝わってくる。心が望めないならば身体の温もりならばどうだろう。すぐ隣にいるじゃないか。
 しゃがみ込んでいる比企谷に手を伸ばす。触れたい。柔らかそうな髪に手を伸ばしかけて動きを止める。シャツの襟元から見える白い首筋から目が離せない。比企谷が目を開けて葉山の方に首を傾けた。視線が交錯し縫い止められる。
 葉山は手を伸ばして比企谷の首筋に触れる。比企谷がビクッとして少し驚いたように葉山を見つめる。両方の掌で彼の頬を包む。俺は何をしようとしているんだ。君といると我を忘れてしまう。手が届けば止められない。隣あって座れるような、やっとここまで君に近づいたんだ。君を失いたくない。逃げてくれ、比企谷。
 心の逡巡とは裏腹に葉山は顔を近付けてゆく。何故逃げないんだ。黒曜石のような君の瞳が俺を見返している。
 ふわりと髪が触れる。唇が触れ合う。柔らかくて温かい。離してもう一度唇を重ねる。君が目を閉じる。少し唇を離してそっと息を継ぎまたキスをする。歯止めがきかない。角度を変えて重ねて上唇を啄ばみ下唇を啄ばむ。
 誰かの足音が聞こえる。
「ヒッキー、いる?資料探してるの?隼人くん来てない?」
「おかしいわね。本は積んであるからここにいると思うのだけれど」
 雪ノ下と由比ヶ浜の声に我に返った比企谷は反射的に葉山の肩を押して離れる。
「大きな声出すなよ由比ヶ浜、図書室だっての。すぐ行くから待ってろよ」
 比企谷は立ち上がり振り向かずに逃げるように駆け出して行った。足音が遠ざかって行く。残された葉山は壁を背にして脱力する。唇を指でなぞり先ほどまで唇の上にあった温もりを追いかける。届いてしまった。君の体温に。唇に。心臓がまだ早鐘を打っている。こんなにも簡単に君に触れてしまえるなんて。

 翌日、葉山は朝の登校時間に靴箱の側で比企谷を待っていた。通り過ぎる生徒達に軽く挨拶を返しながら玄関に目をやる。授業が始まる前に比企谷と二人きりになりたかった。昨日のことをなかったことにしたくない。登校ピークを過ぎて生徒が疎らになった頃、案の定比企谷は遅刻とまではいかないまでもかなり遅くに登校してきた。彼が上履きに履き替えたところで声をかける。
「遅いな、比企谷」
「葉山?こんなとこで何してんだ?」
「君に用があるんだ。ちょっとこっちに来てくれないか」
 葉山は比企谷を腕を引っ張り廊下の先に連れて行った。辺りを見回して人影がないのを確認すると半地下の階段を下りる。何か言いたげな表情を浮かべた比企谷と向かい合った。逃げないでくれと祈る。顎を掴むと比企谷は動揺の色を瞳に浮かべて視線を逸らす。
 そっとキスをする。少し乾いた柔らかい唇。肩を掴むと比企谷の身体が緊張して強張っているのを感じる。一瞬唇を離してまた重ねると比企谷が目を瞑る。君の睫毛が震えている。もうすぐ時間だとわかってるのに離すことができない。
 予鈴が鳴り響き温もりが唇から離れていった。俯いて肩で息をする比企谷の耳が真っ赤になっている。
「息できねえだろ」
「ごめん」
思わずふっと笑みがこぼれる。
「何がおかしいんだよ」
比企谷は上目遣いに睨んでくる。その目元が少し涙ぐんでいた。

 それから葉山は比企谷と隙あればキスをするようになった。休み時間や昼休みに放課後に、時間が見つけては比企谷を物陰に引っ張りこんだ。軽く唇を合わせたり啄ばんだり触れるだけのキス。それだけでも葉山は興奮して胸を高鳴らせた。
 比企谷は文句を言っても逃げはしない。キスを拒まない。なら合意と取っていいんだろう。そう受け取って唇を重ねた。
 だがそれ以上は踏み込めなかった。彼の心を確認するのは自分が丸裸になるような気がした。この行為に意味を持たせないようにただキスだけをする。唇を離すと1人ずつ物陰から出て何事もなかったように教室に戻る。教室ではいつも通りに用がなければ特に話すこともなくそれぞれ過ごす。秘密の逢瀬は誰にも知られず2人だけの悪戯のように回数を重ねた。
 だが許されると衝動が抑えられなくなってきた。もっともっとと身体が疼いた。
 生徒があまり来ないのでよく使うようになった1階の半地下の階段下。その日も昼休みの終わりに物陰に隠れて唇を重ねた。唇を舐めると目を瞑っていた比企谷が薄目を開ける。息継ぎするため少し開いた彼の唇の隙間。そっと舌先を入れてそのまま口の中深く伸ばす。口腔を探り比企谷の舌を舐めてみる。何故だろう。甘く感じる。
 びくっと比企谷の身体が震える。逃げないでくれと後ろの壁に押し付けてもっと奥に舌を入れて動かしてみる。熱く濡れた比企谷の舌が奥に逃げるのを追いかけて絡める。
「ん、ん」
 深く舌を入れられて比企谷が小さく呻く。頬を掌で固定して口腔を貪る。閉じていた比企谷が目を開ける。瞳が葉山の与える刺激に少し潤んでいる。唇を離し角度を変えてまた合わせる。歯列をなぞり舌をまた絡める。もっと触れたい。顎を掴んで引き寄せ肩を掴み力を込める。
 細い身体を抱きしめて深く口づける。唇だけじゃなく首筋にもキスをしたい。服の下の肌にもキスをしたい。組み伏せた身体に唇を這わせたい。肌に赤い痕を散らしたらどんなに綺麗だろう。赤い花弁みたいに俺のつけた印が散らばる白い肌は。彼の睫毛が震えている。赤くなった耳朶が見える。その下には白磁の首筋があるんだ。
 ひとつだけ、1度だけなら肌に唇を押し当ててもいいだろうか。吸い付いて跡をつけてもいいだろうか。だめだ、それをしたら俺はもう止まらなくなる。葉山はその衝動を必死で押さえつける。


大学1年生 秋


「また来たのかよ」
 のぞき窓から確認しながら比企谷は呆れて言う。ドアを開けると葉山は屈託なく笑って答える。
「遅くにごめん。今日は部活の集まりがあったんだ」
「いや遅くなるなら直帰しろよな、自分ちに」
「飲み物とか持ってきたけどいらないのか?君の好きな甘いあのコーヒーもあるけど」
「そ、そうか、上がれよ。せっかく来たんだし」
 高校の時毎日飲んでたマッ缶は近場ではなかなか見つからない。それを読まれて餌付けされてるようで面白くないがしょうがない。
 葉山はあれから頻繁に比企谷の周りに出没するようになった。方向が違うのにどういうわけか駅でよく声を掛けられる。帰り道や本屋で顔を合わせることも多い。たまに大学の前で待っているときもある。あいつが来てる時は門の前が騒つくのですぐにわかる。
 目立ってしょうがないから止めてくれと言うと、「したいようにしろと言ったのは君だろう」と言った覚えのない言葉で反論される。たとえ言ったとしてもお前は俺の言うことなんて聞かないはずじゃなかったのか。
 いまや葉山は大学からの帰りに部屋に毎日のように押しかけてくる。訪れては終電の時間まで部屋に入り浸る。どういうわけか夕食を一緒に食べることまである。土産を持って来るから拒めないし、それに追い返す理由がない。
「コーヒー、あったかい方がよかったかな」
「いや、どっちでも上手いし」
 口に広がるコーヒーの甘い味を堪能しながら思う。俺は少し心細かったのかも知れない。1人で過ごすのは平気なはずなのに。そういえば実家では両親が遅くても小町やカマクラがいたから完全に家で1人になるってことはなかった。我ながら似合わないが人恋しいのかも。
 寝転んでいた葉山が身体を寄せてくるとキスをしたいという合図。葉山は軽く触れるキスを繰り返しだんだん探るように唇を舌で突いてくる。唇の隙間から舌を入れられる。後頭部を押さえられ貪られる。床に縫い付けられ息継ぎすら許されないほど激しく口内を荒らされる。葉山は唇を離して比企谷を見下ろす。濡れた唇と熱を秘めた葉山の瞳に息を呑む。
 
 ある日の深夜のこと、終電に間に合うように出たはずの葉山が何故か戻ってきた。部屋に上がりこんで上着を脱ぎながら言う。
「帰る電車がなくなったんだ。泊めてくれないか」
「堅実なお前が珍しいな。でも布団一つしかねえんだけど」
「俺は何処でも寝るよ。部屋の隅でもいい」
「いやまあ、さすがにそれは風邪引くだろ。狭いけど一緒の布団で構わねえよ」
 先に風呂に入り葉山にも入れと促す。葉山が風呂場に消えると比企谷は寝巻用のスウェットを用意して洗面所に置いた。布団を敷いて横になりテレビを見る。
「服借りたよ。ありがとう。」
 風呂から上がった葉山が部屋に戻った。葉山が布団にもぐったので場所を開けるために片側に寄って背を向ける。葉山は暫くもぞもぞしていたが身体を寄せてきて背後から抱きしめてきた。
「ちょっ、なんだよ」
身を捩るが逃れられない。益々腕ががっちりと巻き付いてくる。
「は、葉山」
「告白してキスまでした相手を泊めるんだ。何かあってもいいってことだろ」
背後から葉山の掌が服の上から身体を確かめるように触れてくる。肋骨を一本一本撫でて胸の突起をさする。どういうつもりだ。
「君は細いな。ちゃんと飯食ってるのか」
「ちょ、やめろよ、擽ったい」
「触りっこまではしたろ」
「あれは、一回だけ、卒業でチャラだろ」
「それは無理だな」
「何をどうするんだよ」
「わかるだろ」
 葉山の言葉の意味は分かる。だがそこまで踏ん切りはつかない。布団の中で背後から服のボタンが外されてゆく。
「待てよ、葉山」
 声が上擦ってしまう。身体に直に触れてくる葉山の掌が熱い。乳首を摘まれ潰すようにさすられる。密着した背中に硬い葉山の胸筋と腹筋を感じる。絡められた脚は筋肉質で力強く逃れられそうにない。尻に触れる股間の硬さにドキリとする。
 葉山の手がスウェットのズボンに移動して下着の中に潜り込む。骨ばった長い指が探るように動き性器に絡みつく。比企谷はひゅっと息を呑む。
「心配しなくても触るだけだ。そこまではしたことあるじゃないか」
「だけどこれは」
 戯れに触れたあの頃とは違う。今すればこの行為は意味を持ってしまう。葉山はぺニスの先端を撫でると指で優しく摩る。背後から握られ先端から根元まで前後に擦られ扱かれる。ペッティングしようってのか。
 項に当てられた唇から漏れる葉山の吐息が荒い。高められて比企谷の呼吸も荒くなる。勃ち上がると指が離される。比企谷はほっとしながらも熱の籠る身体持て余す。どうしようかと迷っていると、ぐいっと肩を引かれ身体を向かい合わせにされる。
 葉山はスウェットから勃起したペニスを取り出すと比企谷のものと擦り合わせる。葉山の骨張った掌が2人の性器を包み間に人差し指を入れて巧みに擦る。
「一緒に、比企谷」
 葉山は2人のペニスを合わせて比企谷の手を取り一緒に握らせてまた擦り始める。上下に緩急をつけて扱かれ芯がより硬くなってくる。
「あ、葉山、まずい」
「俺もだ」
 絶頂を迎えそうになったところで葉山が亀頭を掌で包んだ。葉山も達して低い声で唸る。吐精して白濁が葉山の掌を濡らす。
「わりい」
「いや俺もだし」
 比企谷は焦って枕元のティッシュを数枚取り葉山の手に押し付けて拭き取った。葉山は微笑して言う。
「一緒にいけたね」
「はあ?は、何言ってんだよ」
 向かいあったまま葉山は屈託なく笑う。


高校3年生 春


 卒業式の前日に3年生が式のリハーサルのために登校してきた。久々の対面に教室の中は生徒たちは騒がしく談笑している。葉山は仲間に囲まれながらまだ登校しない比企谷に焦れる。予鈴が鳴る直前にやっと教室に入ってきた彼の姿を見てほっとする。
 リハーサルが終わると皆が帰り支度を始めた。葉山は帰ろうとして教室を出た比企谷を誰もいない音楽室に連れ込む。音楽室の天井は高く、大きな窓から光が差している。教室の真ん中にはグランドピアノが鎮座し木琴や他の楽器は教室後部に集められ、その隣に椅子が積まれている。
「音楽室はあまり来たことがないな。比企谷もそうだろう」
「まあな」比企谷は続ける。「しかし、お前結局3年間彼女なしだったな」
葉山は比企谷を無言で見つめた。首をかしげる彼に苦笑する。
「それが一番いいんだ。そう決めてたからな」
「なんだかんだ言って付き合う奴もないなんて俺と同じとか。モテるのに馬鹿だよな」
「好きでもなく求められたからって付き合ってもね。やはり好きになれなかったら傷つけるし傷つけられる。好きでもないのに付き合ってもいいことないんだ」
「難しい奴だよな、お前は」比企谷は室内を歩きながら首を捻る。「それってお前、経験者は語るってことかよ?」
「ご想像にお任せするよ」
「想像なんかできるかよ。ま、そりゃお前が俺と同じなわけねえか」
 比企谷はピアノの椅子に座り蓋を開けた。鍵盤を押してポーンと音を鳴らす。澄んだ音が静謐な室内に響く。メロディにならない単音が彼の指から零れ落ちる。葉山は比企谷に切なげな視線を送る。
 求める相手じゃないといけないんだ。知りたい会いたい側にいたいと思える相手じゃないと。触れたいという欲求だけだとそれが肉欲だけでも起こってしまう。気持ちでも身体でも求める相手じゃないといけないんだ。
 けれどもどんなに求めてもその相手が同じように思ってくれてるとは限らない。こんなに近くにいて何度も触れてそれでも。
 明日で卒業なんだ。大学は違うからもうこんな風に一緒の教室にいられることはない。こうやって側に佇む比企谷を見るのも今日限りだ。そう思うと胸の中が軋んで嵐のように渦巻く。ポーンとまたピアノの音が鳴った。葉山はピアノの鍵盤を触る比企谷の側に立つ。比企谷が上目遣いに見上げてくる。胸が詰まる。明日で君とは。
 葉山は比企谷の腕を引き身体を寄せた。気持ちも肉欲も溢れるほど湧き上がる。抑えても抑えきれず零れてしまいそうになる。葉山は比企谷の肩に手をかけて屈み唇を重ねて触れるだけのキスをする。誰もいない音楽室にキスの音が響く。もう一度唇を重ねて舌を入れて深く口内を探る。おずおずと比企谷が応えてくれる。互いに舌を触れ合わせ擦り合せる。でも全然足りない。唇を離して比企谷の身体を抱きしめ床に組み敷いて押さえつける。吃驚して見上げる彼の唇に噛み付くようにキスをして深く貪る。
「は、はや」
 狼狽えた比企谷は合わせた唇の隙間から名を呼ぶ。顎を掴んで口を塞いで荒々しく犯す。本能が膨れ上がり目の前の身体を求めている。羞恥も理性も何処かに追いやられる。衝動が全てを凌駕してゆく。葉山は自分のベルトを外して前を寛げ勃起した性器を取り出す。比企谷のベルトを緩めて下着の中に手を入れる。ペニスを探って摘むと少し芯を持ち始めているのがわかった。先端を撫でると比企谷が声を小さく声を上げる。互いの性器の先端を触れ合わせる。一緒に握って扱くと芯が育ち硬くなってくる。比企谷のシャツのボタンを下の方だけ外し肌を晒す。自分のシャツのボタンも外し、比企谷の上に身体を重ねて下腹に互いの性器を挟み腰を動かし擦り合わせる。
「はや、あ」
 比企谷が密やかに声を漏らす。薄皮で隔てる互いのペニスが熱く溶け合うようだ。前後に腰を振り高めてゆく。
「は、あ、比企谷」
 葉山は上り詰めて低く唸り息を吐く。動悸が耳の中でドクドクと聞こえる。心臓が飛び出そうだ。少し遅れて比企谷が達して押し殺した声で喘ぐ。彼の頭の両脇に手をつき射精した後の上気した頬を見つめる。視線は首筋を辿り波打つ胸を通りいつもはシャツに隠されているへそ周りの滑らかな肌で止まる。比企谷の肌の腹の上に溜まった白濁が溢れ腰を伝って流れ落ちる。比企谷は頭を起こしてぼんやりとそれを見ていたが葉山に視線を移す。一瞬戸惑いの表情を浮かべた。だがすぐにその表情は隠れ、口角を上げる。
「お前イク時あんな顔すんだな」
「君こそ」
 葉山は比企谷を見下ろし微笑もうとした。上手く笑えただろうか。葉山と目を合わせていた比企谷はすっとどこか怯えたように真顔になり顔を背ける。
「おい、どいてくれ」
 比企谷は側頭に置かれた葉山の腕を叩いた。彼を囲い込んだままだったと気づいて葉山は身体を離す。比企谷は葉山と目を合わせることなく身体を起こす。差し出されたハンカチで精液を拭い服を整える。
「明日卒業式だな、比企谷」
 式のことなど気にもしてないのに。葉山の口から空々しい言葉が滑り出る。
「ああ」
 比企谷は顔を上げずに葉山にハンカチを渡す。
「ここに捨てんなよ。じゃあな」
 比企谷は振り向くことなく逃げるように立ち去る。残された葉山は壁を背に座り込み表情を歪ませる。前髪をくしゃくしゃと掻きあげる。嵐のように押し寄せた情動に身を任せた。抑え込めなかった。いや抑え込もうなんて思わなかった。本能に身を任せるのはなんて気持ちがいいんだろう。身体がまだ疼いている。
 もっとだ。彼をもっと貪りたい。犯したい。君を傷つけることになっても。君を押さえつけて押し入って突き立てて突き上げて。君を暴いて身体の中から君の体温を感じたい。許されない凶暴な衝動が渦巻く。
 彼に気付かれてしまっただろうか。顔に出してしまっただろうか。彼の顔に一瞬垣間見えた怯えた表情。それすら欲情を掻き立てた。
 気持ちの制御なんてできないんだ。会いたくて触れたくて俺を認めてほしくて側にいるだけで高揚して。それだけじゃ足りなくて際限なく欲しくて求めて苦しくて辛くて。
 冷めるまで熱の中で悶えるしかないんだろうか。君の存在に意思も理性も全てもぎ取られてしまう。どんなに押さえ込んで踏みとどまっていたのか。君にはわからない。君にだけはわからない。付き合う奴もなかったな、なんて平気で俺に言えてしまう君になんか。


大学1年生 秋


 葉山は毎日比企谷のアパートに立ち寄る。そのまま泊まっていくことも多くなり、泊まると夜は必ず身体に触れてくる。身体を弄られ嬲られ葉山のものを触らせてくる。互いに扱いて高め合う行為は気持ちいい。触って触らせてじゃれあうような遊戲のような触れ合い。おかしいと思っても度重なる内に慣れてくる。
 初秋を過ぎて肌寒くなってきた。そのせいか比企谷は無意識に暖を取るように身体を寄せる。そうすると葉山はほうっと熱く吐息を漏らし手足を巻きつけてきつく抱きしめてくる。いつしか服越しに感じる体温を快いと思うようになっていた。
 だが次第に葉山は遊戲ではないと示すようになってくるようになった。比企谷を仰向けにして服を肌けると葉山は切なげな瞳で見下ろして身体にキスをする。吸い付かれるとちくっとして赤い跡がつく。葉山は首筋を舌先でなぞり唇を滑らせてゆく。首筋や鎖骨周りはかろうじて跡はつけないでいてくれる。だがそこから下の上半身の皮膚には遠慮なく唇を這わせ、吸い付きキスをする。
「ここは感じるかい、比企谷」
 葉山は胸の突起を舌で転がすように舐める。比企谷の肋骨に脇腹に臍の下に柔らかく唇を押し当ててチュっと吸い付く。
「ん、くすぐったい」
敏感なところを食まれ身を捩ると抑えつけられる。葉山の下腹部が硬くなってきているのに気づいて顔を見上げる。葉山は微笑して比企谷の下腹にそれを押し付ける。生々しい欲の証にどきりとして息を呑み密かに声を漏らす。
 朝早くに目が覚めてしまい比企谷は洗面所に向かった。電気を点けると乱された服の間から肌に赤い斑点が見え隠れする。服をめくってみて驚き息を漏らす。
 鏡に映った身体には赤い所有痕が散らばっている。まるで桜の花弁のような鮮やかな跡。
 もう戯れじゃない。これはセックスの前戯だ。葉山がこれ以上を求めているのは明らかだ。シャツのボタンを留めながら指が震える。でもあいつはいい奴だから無理強いはしないんじゃないかな。でも自分でいい奴じゃないとか言ってたな。いや、そこまではいくら何でもないかも。動揺して思考が頭の中でぐるぐると回る。
 鏡を覗き込み襟でキスマークが隠れたのを確認する。顔を洗い火照る頭を冷やして居間に戻るとまだ葉山は眠っていた。精悍で整った顔立ちに少し憂いを帯びた眉根。高校生の頃から変わらない絵に描いたような優等生の面だ。眠る葉山の枕元に胡座をかいて座り込む。
 こいつが俺を探して来てくれたと聞いた時は物好きだなと思ったが、素直にちょっと嬉しかった。戸塚も材木座も時々電話をくれるし由比ヶ浜からもメールがくる。雪ノ下からもたまーに事務的なメールがくる。土日に帰れば顔を合わせることだってある。
 だが皆もう新しい生活圏があることはわかってる。俺も少しずつでも今の環境に慣れていかなきゃいけない。
 そんな時にお前が来たんだ。環境が変われば繋がりも消えるものだし今迄そうだった。お前は俺と違って環境にすぐ慣れるだろうし友達作るのも得意だろう。嬉しいとは思ったけどほんの気まぐれで来たんだと思っていた。人間関係は進学程度ではリセットされないと言ったお前は自らそれを証明しに来たんだなと。お前は負けず嫌いだから。
 それがいつの間にかほぼ毎日だ。予想外過ぎだ。でも拒む理由がない。というよりも、拒めない。俺は高校の延長のような気楽さに甘えてるんだ。
 洗面所には歯ブラシが2本コップに差してある。クローゼットには比企谷の服の他に葉山の着替えも段々増えていってる。知らない内に生活圏が侵されている。不本意ながらお前がいるのが生活の一部になってきてるんだ。想像もしなかった状況だ。
 考えるのを先延ばしにしすぎた。楽に流れすぎたのかも知れない。
「かと言ってもな」
 比企谷は溜息をついてそう独りごちる。どうするのが正解なのかわからない。それに、熱病のようなものなんだろう。今どうなるってわけでもない。俺の考え過ぎかも知れないし。葉山の考えもわかんねえし。

 だがいきなりその日はやって来た。
 朝出がけに葉山が弁当を買ってくると言ってたので、帰ってから一緒に夕飯を取ることになっていた。
 夕方にアパートを訪れた葉山は珍しく表情が硬かった。いつになく言葉少なで話しかけても生返事しか返さない。夕食も考え込むように黙ってもくもくと食べている。
 比企谷はそっと様子を伺った。不機嫌そうだな。どうにも面倒くさいな。疲れてるのか。なにか知らないが言ってくれればいいのに。食べ終わりそうなところでやっと葉山が口を開く。
「入れたいんだ」
「何を」
「俺の」
「お前の?」
 比企谷が返すと葉山は顔を上げて苛立ったように眉を寄せる。
 「君って奴は。はっきり言わないとわからないのか」
 上目遣いに見つめてくるその瞳は熱を孕んだ雄の目をしている。こんな目を以前にも見たことがあった。葉山は口を開く。
「君の中に俺のペニスを挿入したい」
 比企谷は持っていた箸を取り落とした。直接的な葉山の言葉に身体が震える。
 キスをして身体に触れられて。それに慣れてくるといずれ葉山がそれ以上を求めてくる予感はしていた。前戯だと感じるようになってからいつか近い内にそれを言い出すかもと思っていた。だがそれが今日だとは思わなかった。いつであっても今日だとは思わなかったかも知れないが。
 けれどもそれは学生時代はしなかった未知の世界だ。覚悟なんて全くない。それに、今は行為が意味を持ってしまっている。
「あの、葉山、それは」
 頭が熱くなってきた。咽喉が乾いて声が掠れる。
「用意はしてきた。コンドームも潤滑油もある。色々調べて予習もしたし心配ないよ」
 なにそれ用意が良すぎて気合い入ってて怖いぞ。葉山はさらに追い詰めるように続ける。
「一緒に風呂に入ろう。洗ってやるから」
「い、嫌だ」
「自分で洗えるのかい」
「そうじゃなくて」
「じゃあ今すぐ抱くけどいいのかな」
「なん、なんでそうなるんだよ」
「君を抱きたいんだ」
 葉山は真剣な表情で比企谷を見つめて言う。
「君を俺の物にしたいんだ」
「物って、人をお前」
 反論する声が小さくなってゆく。拒む選択肢は与えられない。逃げ場がない。
 さんざん問答した末に葉山の勢いに押し切られ比企谷は渋々首を縦に振り承諾する。
「よし、決まりだな」
 上機嫌な葉山に風呂場に引きずられるように連れていかれ服を剥かれた。葉山も服を脱ぎ全裸になる。さすがに運動部上がりは身体が引き締まっていて腹筋も割れている。ついまじまじと見てしまう。葉山も比企谷の身体を見ていたが目が合うと何故か照れたように視線を逸らす。
「あー、服着てると細身に見えるけど、着痩せするんだな、葉山」
「比企谷、君は本当にたちが悪いな」
 葉山は掠れた声で呟くと比企谷の腕を引き、風呂場の戸を開けた。
 2人で入るには狭い風呂場でシャワーを浴びる。葉山に四つん這いにさせられ、あり得ない屈辱的な洗浄の時間が過ぎた。風呂場を出て先ほどの衝撃に呆然としたまま鏡を見る。葉山はざっくりドライヤーをかけると手早く比企谷の髪も乾かす。
 籠に入れていた着替えの服に手を伸ばすと背後から葉山にその手を掴まれた。比企谷の手から服を振り落とすと葉山は腕をそのまま首元に巻きつけて抱きしめてくる。背中に葉山の裸の上半身が密着する。触れる風呂上がりの熱い肌。
「服は必要ないよ。待てない」
 耳元で低い声で囁かれ、洗面所から連れ出された。葉山は折りたたんだ布団を足でぞんざいに広げると比企谷をその上に押し倒す。
 裸の身体は隠すところがない。葉山のペニスが勃ち上がり反り返っているのが見える。怖じ気づいて後退ろうとすると腰を掴まれ引き戻された。
「悪いけど待てないんだ」
 葉山は顔を近づけてキスをすると比企谷の足を折り曲げ大きく開脚させた。晒された中心をまじまじと見ている。比企谷は羞恥に足を閉じようとするが、葉山が間に身体を入れてきたので果たせない。葉山は持参した潤滑油を人差し指で掬うと親指で指全体に広げて窄まりを指でなぞる。ぬるりと後孔に指が入れられて比企谷は違和感に悲鳴を上げてしまった。
「ひあっ」
「ごめん、冷たかった?もう少し体温で温めるよ」
 捏ねて温めた潤滑油を塗り込めながら葉山の指が抽送する。身体の中を解されていく。増やされる指の生き物のような動きにおかしな気分になる。浅いところから深いところまで内壁が広げられてゆく。葉山の指は3本、4本か。嘘だろ、そんなに入ってしまったのか。身体が葉山を受け入れるように作り変えられてゆくのか。ようやく指が引き抜かれホッと溜め息が出る。
「もういいよね」
 葉山は手を添えて後孔にペニスを当てる。探るように押し付けられビクッとする。
「コンドーム使わなくてもいいかな」
「え、なんで、持ってきたんだろ」
「中に出さないようにするから」
 葉山が腰を押し付けると亀頭がぐっと突き入った。窄まりを押し広げられて比企谷は息を詰まらせる。葉山のペニスが入ったのか。熱くて弾力があって太い。これがあいつの感触なのか。揺さぶられさらに竿が押し入ってくる。突き上げられるたびに圧迫感にくっと息が詰まる。人の身体を受け入れる感じたことのない痛み。葉山はゆっくりと挿入しながら上擦った声で訊ねてくる。
「大丈夫か」
「んな、わけねえ」
 痛みを散らそうと切れ切れに息を吐く。壊れてしまいそうだ。葉山も入れるのがきついのか声が掠れて苦しそうだ。でも俺ほどじゃねえだろ。それともこいつは感じてるのか。
 葉山は上半身を倒し身体を重ねてくる。汗ばむ互いの身体がぴったりと触れ合う。葉山の鍛えられた筋肉が身体の上に密着して滑る。ごつごつとした男の身体。葉山が腰を前後に振るたびに灼熱が更に触れられたことのない奥に押し入り身を抉ってゆく。
「比企谷、比企谷」
 葉山が浮かされたように名前を呼ぶ。腰を打ち付けられる度に接合部から水音がする。激しいピストン運動に奥を突き上げられ身体を揺さぶられる。脈打つ葉山の身体の一部が比企谷の身体を穿ってゆく。
「ん、あ」
 擦られて小さく喘ぎ声を上げてしまい口に手を当てる。変な声を出しちまった。聞かれてないよな。ちらっと様子を伺う。葉山は顔を上げて比企谷を見つめ、熱っぽい吐息混じりの声で囁く。
「ほんとは中でいきたいんだけどな」
「お前、何言ってんだよ」
 葉山はにっと笑うと眉根を寄せる。ぐっと奥に突き入れて動きを止めると、達する前に一気に引き抜いた。内臓を押し上げていた圧迫が消えて比企谷はほっと息を吐く。葉山は比企谷の腹の上に先端を触れさせ精液を注ぐ。白濁は臍に溜まりとろりと溢れる。葉山はティッシュでそれを拭き取ると覆い被さってきた。比企谷の身体を抱きしめ愛撫してくまなくキスをする。首筋に吸い付かれてちくっとする。跡をつけられたかも知れない。そこは襟では隠せない。また首筋を吸われる。ああ、でも別に誰も気にしないか。葉山はキスをしながら下腹部に手をやり比企谷の勃ち上がったペニスを探る。
「君はいってないね」
 少し残念そうな声音に呆れる。
「そりゃそうだ。ケツでいけるわけねえだろ」
「そうかな。さっき君は」
 葉山は比企谷を見つめ、いかせるためにペニスを扱き始めた。

 翌日は休日。カーテン越しに柔らかい光が差し込み薄明るく部屋の中に満ちる。比企谷は珍しく朝遅く起きた。だが着替えることもできない。目を覚ました葉山に顔を見るなり抱き寄せられてからもう午後を回る。まだ布団から出してくれない。一日中俺を離さないつもりなのか。
 葉山は比企谷の身体に腕を巻きつけて深い口付けを繰り返して筋肉質な脚を絡めてくる。剥き出しの下半身を押し付け身体を愛撫してキスの跡をつけてゆく。
 葉山の背中に腕を回して応えながら比企谷は戸惑う。朝から布団の中で服を着ないでいちゃつくとか、俺の人生であり得ないだろ。比企谷は葉山の肩を軽く叩く。
「葉山、トイレ行きてえ」
「ああ、じゃあ俺も君の後で行くよ」
 葉山はついて来てトイレのドアの外で待ち、続いて入る。比企谷は裸だしついでにと風呂場に入った。シャワーから湯を出した瞬間に葉山も入ってくる。
「シャワーを浴びたいんだけど」
 狼狽えて比企谷が言うと葉山が笑う。
「俺もだよ。一緒でいいよね」
 返事をする前にドアが閉められシャワーを一緒に浴びることになってしまった。温水を浴びながら葉山は比企谷を抱きしめる。身体を密着させ深くキスをする。掌を肩甲骨に背筋に尻にと滑らせて身体中に這わせる。
 風呂場から出て身体をぞんざいに拭き終わるなりすぐまた葉山は比企谷を布団にひき戻した。比企谷を組み敷いて火照る肌を合わせてくる。また身体に唇を這わせてくる。
「シャワー浴びた意味がねえじゃねえか」
「そうだね」
葉山はにっこり笑って抱きしめてくる。
 ようやく密着していた身体がそろりと離れる。葉山は下腹部に降り比企谷の脚を開かせ太腿にキスをする。幾つも内股に吸い付かれ比企谷は擽ったくて身体を攀じる。葉山は比企谷のペニスを口に含む。咥えられた柔い感触に比企谷は慌てた。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 身体を起こすと葉山と目が合う。赤い舌をちろりと出して亀頭を舐めながら上目遣いに見つめてくる。とんでもない光景にどきりとして頬が熱を持つのを感じる。俺は今きっと赤面してるよな。
「見るなよ」
「君が感じてるとこ見たいんだ」
「お前、悪趣味だぞ」
 葉山は竿を深く咥えると抽送する。口腔の温い粘膜の感触が気持ち良く高められていく。葉山に見られているのが恥ずかしくて堪らない。
「出る、離せよ、やだって」
 葉山は離そうとしない。身体を捩っても逃れられない。やばい、達してしまう。声を出さないように口元を覆う。波が押し寄せてきて中心が爆ぜる。
「ん、あ」
 痺れるように身体を支配した熱が引いていく。葉山の口内でいかされた。嫌だって言ったのにこいつは。なすがままにされ一部始終を見られていたかと思うと屈辱を感じる。
 足の間に伏せていた葉山が身体を起こした。ペニスがまた勃ち上がっているのが見える。葉山は熱を含んだ瞳で比企谷を射る。
「君の中でいきたい」
 うつ伏せにされて脚を開かされる。腰を掴んで引き寄せられ、比企谷は慌てて背後の葉山を振り見た。
「え、何、葉山」
顔に動揺が現れていたのだろう。葉山は苦笑して続ける。
「次にするよ。コンドームつけるよ。今回はね」
 葉山は比企谷の臀部を割ると腰を押し付けて挿入する。肉壁を擦り突き入るぺニスに夜とは違う場所を責められる。
「あ、あ、葉山」
「ん、後ろからだと感触が違うね」
「あ、ばかやろ」
「もっと深く入れていいかな」
 葉山は比企谷の尻を高く上げさせて引き寄せる。鬼頭の出ないぎりぎりまで引き抜き、強く突き上げる。
「ひあ、え」
 深々と挿入されて比企谷は引き攣った悲鳴を上げた。揺さぶられるほどにぐっと葉山のペニスが昨日より奥に入ってくる。
 「そこまでじゃ、ないのか、う、あ」
 葉山のペニスの付け根の皮膚と陰嚢が触れる。
「気持ちいいところ教えてくれないか」
「なんでそんな、何言ってんだよ」
「気持ちいい方がいいだろ。教えてくれないなら俺が探すよ」
 葉山のペニスがじりじりと左右に中を擦りながら引き抜かれる。行きつ戻りつ探るように入ってくる。体内でこりっとどこかが摩れる感触がした。身体がびくりと跳ねる。
「やだ、そこ、何だ今の」
「見つけたよ。ここみたいだね」
 葉山は屈み込み耳元で嬉しそうに囁くと何度もその場所を擦った。動くたびに内壁を痺れるような快感が押し寄せる。痺れは背筋を伝わり身体中に広がってゆく。
「気持ちいい?比企谷」
「は、や、」
 返事も悪態もつけない。じわじわと身体が熱くなり下腹に熱が集まり勃起してきたのを感じる。押し殺しても喘ぎ声が漏れて恥ずかしくて堪らない。
「君の中、熱いね。ぎゅっと締め付けてくるよ」
「お前が変な感じに動かすから、やだって言っただろ、葉山ぁ」
「何言ってんだ。これから何度もするんだから」
 嘘だろ。こんな恥ずかしい姿勢でこんな恥ずかしいこと、何度もするのかよ。葉山が背中に覆い被さる。抱きしめられて背中に葉山の硬い筋肉を感じる。葉山はぐっと突き上げると腰を押し付けて動きを止めた。貫いている肉の杭がぶるりと震える。葉山は低く唸り耳元でふうっと熱い息を吐く。比企谷は葉山が達したのだと気づく。
 その内こいつは生でしたいって言い出すんだろうな。てか、さっき言ってたじゃねえか。まだ抜かねえのかな。こいつのまだ硬いんだが。
「比企谷」
「な、なんだよ」
「まだいけそうなんだ」
「そ、そうか」
「今度はつけないでいいかな。君の中でいきたい」
「嫌だ。そんなの、中に入ったらどう取るんだよ。取れないだろ」
「洗ってやるから。頼む比企谷。お願いだ」
 真剣な表情で懇願されると断れない。拒む理由が見つからない。このまま俺はどんどんお前に染められていくんだろうか。

「想いを告げなきゃ出来なかったことがあるよ」
 仰向けにされた比企谷の身体に葉山の腰が密着している。身体を起こした葉山は接合部を見ながら抜き挿ししている。脚は大きく開かされた比企谷は太腿を掴まれて自由に動けない。葉山が腰を揺らし肌を打ち付けるたびに、さっきとは違ってペニスの皮膚がよれる感触がする。肉の棒が生々しく体内を穿ってゆく。昨夜も生で入れられたのに、宣言されたせいか意識してしまう。
「ん、は、それって、こういうことか」
 比企谷は顔を顰めて喘ぎ声混じりの声で問うた。さっき散々嬲られた敏感なところを雁に擦られ感じてしまう。嬌声を上げてしまいそうになり必死で堪える。身体を揺らされるたびに中心から聞こえる粘着質な水音が耳を苛む。
「それだけじゃないよ」
 葉山はそう言うと比企谷の腰を少し持ち上げ揺する速度を早めてゆく。引き抜いては突き上げ体内を往き来する葉山のペニスが股の間に見え隠れする。比企谷は息を呑み目を逸らす。
「そんなとこ見てんなよ」
「君の身体に入ってること確認してるんだよ」
 葉山は比企谷に視線を移し悪戯っぽく微笑む。
「夜と違って明るいからよく見えるよ。君にも見えるかな」
 欲情を映し出す瞳の下に晒され比企谷は羞恥に隠れたくなった。葉山が動くたびに繋げられた比企谷の身体も激しく揺さぶられる。葉山は目を瞑ってぐっと奥を抉り射精して低く唸る。後孔に埋められたそれがどくりと脈打ち熱い液体が吐き出される。
「あ、は、ほんとにお前、中に」
 飛沫が迸って後孔の中をじわりと濡らしてゆく。荒い息を吐きながら葉山が覆い被さってくる。筋肉質な体躯はずしりと重たい。首元にかかる葉山の息が熱い。広がってゆく葉山の熱を体内に感じる。


高校3年生 春から大学1年生秋


 卒業式が終わった。講堂でも教室でも周りに皆がいて比企谷と話せる機会はなかった。式が終わっても互いの家族が来ていて比企谷と2人きりになれる機会はない。比企谷の姿を目に留めながら外に出る。校庭には卒業生同士が集まっていたり在校生が待っていたりと賑やかしい。人の波に揉まれていつの間にか比企谷の姿を見失う。葉山は比企谷の姿を探しすが、喧騒に取り巻かれ身動きが取れない。
 暫くして在校生が去り卒業生も皆親と一緒にそれぞれの方向に散り始める。帰る前に比企谷に会いたい。少しだけでもいい。彼と話がしたい。葉山は用があると言って両親から離れた。見慣れた猫背の姿を探す。校庭の何処にも彼は見当たらない。いつの間にかもう帰ってしまったのか。
 葉山は立ち止まる。卒業が意味するものに気付いてしまった
 もう会えないんだ。街ですれ違うことはあるかも知れない。でも毎日会える時なんてこれからはもうないんだ。俺たちにはもう理由がない。何度もキスをして君の身体にも触れたのに。君の気持ちを知らないまま、俺の気持ちを告げないままに。
 俺たちの関係はなんだったんだろう。形にするのが怖かった。認めてしまえば告げてしまえば壊れると思っていた。失ってしまうと思っていた。壊れるのが怖くて、君との今をこの手に握っていたくて。そうして俺は未来の可能性を手放してしまったんだ。
 
 部屋のベッドに寝そべり天井をぼんやりと眺める。両親は仕事に戻り家には葉山1人残された。家では昔からいつも1人だ。だから皆と外に出かけて過ごすのが好きだった。でも1人なのは慣れてるし苦痛じゃなかった。
 今は堪えられない。寂しくてたまらない。心に出来た虚が広がってゆく。君といるだけであんなに波立ち、時に荒れ狂う嵐のように乱された心がいまはさざ波すら立たない。悦びも苦しみも、俺の中に何も無くなってしまった。俺は伽藍堂だ。
 君に会いたい。君に触れたい。君を誰かに盗られてしまうなんて堪えられない。ああ、そうだ。俺はもう君を俺の物だと思っていた。心を告げることがなくても、キスしかしてなくても、卒業前の一度しか身体に触れてなくても、君を俺の物だと思っていたんだ。
 葉山は身体を起こし膝を抱える。明日になれば慣れるのか。痛いほどのこの喪失に。

 卒業後の休みには一度も会えなかった。街中ですれ違うこともあると思っていたのに。彼は家に篭ってるのかも知れない。彼の携帯の番号を見ては溜息を吐く。何を言えばいいのだろう。
 悶々としたまま春休みは過ぎていった。明日からは大学生活が始まる。比企谷の通う大学は県内でも近場だ。きっとどこかで会えるだろう。

 電車の自動ドアが開くと薄桃色の花弁がふわりと飛び込んできた。ホームに広がった桜の花弁が風に舞って潮が引いていくように流れる。
 電車で通学するのは高校の時と同じだが今の行く先は東京だ。乗車時間は長く高校と時とは比べものにならない。大学に入ってからは忙しい日々に追われ帰ってから彼を探す時間もあまり取れない。それでも葉山は駅を出ると大学からの帰り道に本屋に立ち寄る。比企谷がいないだろうかと期待しては落胆する。彼と行ったことのある店やショッピングモールにも足を運び彼の姿を探して彷徨った。
 偶然でも何処かで会えないだろうか。会って何を言えばいいのだろう。またキスをしようって?言えるはずがない。嫌な顔をされるかもしれない。彼には黒歴史かもしれないのに。でも会いたい。
 もうすぐ夏になるというのに、いくら探しても何処にも姿を見かけない。何故なんだ。同じ地域にいるはずなのにさすがにおかしくないか。他の友達には会えるのに彼にだけは会えないなんて。彼が生活習慣をそんなに変えるだろうか。大学に行かないでずっと家の中に引きこもっているのか。いくらなんでもそんなはずはないだろ。彼の家に行けば会えるだろうか。でも行って何を言うんだ。
 比企谷の通っているはずの市内の大学の近くに何度も足を運んだ。だが一度も会えない。葉山は次第に焦り始めた。時間が経てば経つほど怖くなる。彼が誰かの物になってしまうかもしれない。誰かに盗られてしまう。彼は皮肉屋で人見知りだけれど高校の時と同じように良さに気づく人はきっといるだろう。惹かれる人だって出てくるだろう。彼が他の誰かとそんな関係になってしまうなんて考えるだけでおかしくなりそうだ。
 夏休みも会えないままに終わり、残暑は早くも過ぎて秋の気配が忍び寄る。歩道の植木がほんのり色づいてきている。葉山は空を見上げる。
 もう誤魔化せないんだ。彼を誰にも盗られたくない。誰かに奪われるのを指を咥えてみていられるはずがない。奪われる前に取り返す。今度こそ本当に俺の物にするんだ。出来るかどうかわからない。彼が受け入れてくれるとは限らない。でも少なくとも欲しいと伝えなければ、手を伸ばさなければ何も始まらない。
 なら俺は偶然なんて見えないものにはもう頼らない。
 葉山はガードレールに凭れかかりポケットから携帯を取り出す。迷いなく比企谷の番号を押す。だが繋がらなかった。何度かけても繋がらない。番号は間違ってない。携帯を変えたのか。葉山の心に疑いが沸き起こる。俺には教えないってことか。それが君の意思なのか。それとも忘れてるのか。俺のことを。
 君はクラスが変わるだけで関係はリセットするものだと言っていた。自然消滅という形で切り捨てることができるとも。君は俺との間に一欠片の繋がりも残さないつもりなのか。俺をリセットするつもりなのか。ふざけるな。
 理不尽だとわかっていても頭に血が上る。君がそのつもりなら直接家に行って会うだけだ。


大学3年生 冬


 土曜日の朝、朝食を済ませると皿をキッチンに運びながら葉山は問うてきた。
「今日は何か予定はあるのかい」
「家に帰る。冬服が必要だからな」
 比企谷は皿を受け取って洗いながら答える。今朝は朝食を用意したのは葉山だったので後片付けは比企谷だ。おかしいな。一人で朝食を取ったのいつだっけ。ルールを作るほど2人飯の機会が増えてきてるってことか。
「そうか。結構荷物になるんじゃないか。付き合うよ」
「いいのか?悪いな、助かる」
「丁度いいよ。サッカーのOBとして学校に行くんだ。君も付き合ってくれよ」
「は?なんで俺まで付き合わされることになるんだよ」
「君に付き合うって言っただろう」
「それはお前がだろ、なんで俺が」
「君も実家に帰るんだろ。ついでだからいいじゃないか」
 なんだかんだと押し切られてしまった。その上いらないと言うのに葉山のマフラーを首に巻かれる。
「マフラーを持ってきてない君がいけない。君は海辺の寒さを忘れたのかい?」
「だから取りに行くんだろ。いらねえって。なんか派手な柄で似合わねえし」
外そうとする比企谷の腕を止めて葉山は指で首筋にそっと触れる。いくつも指を滑らせて摩りながら悪戯っぽく微笑む。
「赤くなってるね。君がこれを見せたいのなら構わないよ」
「お前、お前のせいだろ」
「だから言ってるんじゃないか」
 そう言われるとぐうの音も出ない。巻き付けられたマフラーからは葉山の匂いがする。コロンか何かなのかうっすらとする柑橘系ぽい匂いに落ち着かない。比企谷はマフラーをほどくと葉山に押し付ける。
「やっぱりいらねえよ」
 葉山はふっと笑うとショルダーバッグにマフラーをしまう。
「一応持っていくよ」」
 電車に乗り駅に到着すると腕を組まれ引きずられるように学校に連れて行かれる。学校が見えてくると葉山にいきなりまたマフラーを巻かれた。
「お前、いらないって言っただろうが」
 文句を口にすると葉山が目で校門を示す。門の前に戸部が立っていた。葉山に気づくと戸部は嬉々として走り寄ってくる。比企谷は並んで歩いていた葉山からちょっと離れる。葉山はちらっと横目で比企谷を見るが何も言わない。
「隼人くん、久しぶりー」
 相変わらず明るい戸部に隼人も笑顔で挨拶する。
「ああ、久しぶりだな」
「ヒキタニくんもー。聞いてるよ」
「な、何を?」
 比企谷はマフラーに手をやり狼狽えて聞き返す。
「ん?ヒキタニくんも学校来るから隼人くんと一緒に行くって聞いたけど違うん?」
「あ、あー。そうそう、じゃあ俺はこっちだから」
「せっかくだし、ヒキタニ君もグラウンド見てかない?」
「いや、関係ないし、寒いしこれから家に」
 比企谷が言い終わる前に葉山が口を挟む。
「校舎の中にいれば寒くないだろ。じゃあ後で行くからな、比企谷」
「ああ、うん」
 グラウンドに向かう葉山と別れて比企谷は校舎に入り廊下を歩く。言外に勝手に帰るなって言ってんだなあれは。土曜日だから校舎の中に生徒は少ない。部活の生徒くらいか。ついこの間まで毎日通った校舎が別の建物のようだ。平塚先生に挨拶しようかな。職員室は開いてるようだけどいるかな。いや、話長くなりそうだし余計なこと聞き出されそうだし今回は止めとこう。
 階段を上がり図書室に向かう。誰もいないのに鍵が開いている。不用心だな。誰か鍵をかけ忘れたのか。書架の奥の方に歩いてゆくと窓際にしゃがむ。初めて葉山とキスした場所だ。図書室のドアが開けられたらしく重い軋む音がする。生徒が来たのかな。足音は近づいてきて比企谷の前で止まる。見上げると葉山が立っている。
「ここにいたのか。何処に行ったのかと思って探したよ」
「もう行くのか」
「ああ、そろそろね」
 比企谷は視線を逸らしてぼそっと口を開く。
「戸部のやつ、なんか知ってんのか?」
「君と一緒に行くって言っただけだよ。俺たちの関係のことは言ってないよ」
「そうか」
 比企谷はほっと息を吐く。それを見て葉山は続ける。
「今はまだね」
「まだって、葉山お前」
 慌てて見上げると葉山は面白がるような笑顔を浮かべている。
「揶揄うなよ」
 比企谷が溜息をついて立ち上がろうとすると葉山が隣に来てしゃがむ。もう行くんじゃなかったのか。比企谷はまた腰を下ろす。寒いのに換気のために窓を開けてあるのか、カーテンが風に吹かれてひらひらと舞う。葉山が口を開く。
「聞きたかったんだ」振り向いた比企谷と葉山の視線が交錯する。「初めてキスをした時君はなんで逃げなかった」
比企谷は葉山から目を逸らす。
「お前が何をするつもりなのか、どうしたいのか気になったんだ」
「それから何度もキスしただろう。あれは何故だ」
「最初に平気な顔しておいて今更動揺したら負けだろ」
「それだけなのか」
「それだけだ」比企谷は俯いて続ける。「お前はなんでこんなことするんだろうって思ってた。何考えてんだって、これに何の意味があるんだろうって。お前のことだからなんか意味あるんだろうってな」
「比企谷」
「それにこんなのは今だけだと思ってた。好奇心とか気紛れなんだろうって。でもお前は止める気配がなくてずっと続いて。でも一番長くても卒業までだと思ってたしな」
「本当は、嫌だったのか」
 葉山が傷ついたような表情で目を伏せる。比企谷は顔を上げて葉山を見つめる。
「嫌じゃなかった」
 葉山が瞳を上げる。比企谷は少し苛ついた表情を浮かべている。
「嫌じゃなかったんだよ。お前とキスなんておかしいってわかってるのに。拒む理由がなかったんだ。卒業の前の日にキスだけじゃなく一緒にマスターべーションみたいなことしたろ。あれも嫌じゃなかった。おかしなことしてるってわかってるのに。お前といると何かに呑まれてしまいそうで。それが怖かった。大したことじゃないと思おうとした」
比企谷は一気に捲したてて肩で息を吐く。葉山を振り向いて続ける。
「お前はどうだったんだよ」
「俺も同じだよ。怖かったんだ。でも君のそれとは違う」
 比企谷は葉山を見つめる。あの頃の葉山が比企谷を見つめ返している。
「君に手を伸ばしたその意味を知られるのが怖かった。それを悟られたら君を失うと思った。失うには俺は君とのキスに溺れすぎていた」
 葉山は比企谷の髪を撫でて一筋取って指に巻きつけて弄ぶ。
「キスだけで満足だったのに段々それだけじゃ足りなくなってきて、自分の歯止めがきかなくなってきそうで怖かった。衝動が抑えられなくてこのままだといつか君に酷いことをしてしまう。わかってても止められなかった」
「酷いことって、お前が?お前はしねえだろ。」
「できるんだよ、俺にも」
 葉山は声を低めて静かに言う。
「俺も知らなかった。本能に任せてしまうことがどんなに容易いことか」
 葉山はマフラーと首の間に手を滑り込ませ、襟足から見える比企谷の首筋をさする。
「結局我慢できなかったよな。俺は」
 比企谷は擽ったそうに首を振る。
「俺も卒業したら元の俺に戻れると思っていたよ。でも卒業しても君に囚われたままだった。終わりなんかなかったんだ、比企谷」
 葉山は比企谷の片頬を掌で覆い此方を向かせる。比企谷は葉山の手に自分の手を重ねて眼を瞑る。ふわりと温もりが触れ唇が柔らかく重ねられる。


大学1年生 初秋


 休日の早朝の上り電車は空いていた。手摺に凭れて電車に揺られながら葉山は手に持ったメモを見つめる。
 メモに書いてあるのは昨日小町ちゃんに教えてもらった比企谷の住所だ。路線は違うものの葉山の通う大学からさほど遠くではない。こんな近くにいたなんて。本当に君って奴は俺を苛立たせてばかりだ。葉山は顔を上げて車窓から景色を眺め、昨日の小町との会話を思い起こした。
「もう、お兄ちゃんたらしょうがないなあ。全くそういうところがごみいちゃんなんだから。葉山さん、今兄のメアド教えますよ」
 小町ちゃんは呆れた口調でそう言った。
 比企谷の家を訪ねると小町ちゃんがドアを開けた。比企谷のことを聞くと今はこの家にいないこと、その理由と現住所を教えてくれた。
「ありがとう。でもいいんだ。会って本人から直接聞きたいからね。住所だけで十分だよ」
 葉山は礼を言うと住所を携帯のメモに記録した。前もって連絡すると逃げてしまうかも知れない。彼の真意がわからない以上、連絡なしで行く方がいいだろう。小町ちゃんは柔らかく微笑んで言った。
「兄は独り暮らしで寂しがってると思います。会いに行ってくれたら喜ぶと思いますよ」 俺に会って喜ぶかどうかわからないな。でもその言葉に後押しされた。早朝なら君は確実に家にいるだろう。もっとも君はあまり出かけたりはしないだろうけど。
 駅に到着するとメモを見ながら住所を探した。そう遠く離れてはいない。商店街を抜けて比企谷の住むアパートに辿り着き、階段を上がって2階に上がる。メモにある部屋の番号には確かに比企谷と表札に書いてある。
 葉山は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。やっと君に会えるんだ。ドアベルを鳴らす。暫くして部屋の中から足音が近づいて来て扉が開かれる。寝癖頭の君が顔を出した。君はびっくりした表情を浮かべている。君は何も変わっていないね。心が高揚する。ぽっかりと空いていた心に温かいものが満ちてゆく。
「久しぶりだね」
秋の始まりを告げる涼しい風が吹き抜ける。


大学1年生 冬

  
 学校からの帰り道。約束通り比企谷の家に向かい街中を歩く。葉山は隣の比企谷に肩を寄せる。比企谷が離れようとするのを許さず腕を組んで引き寄せる。比企谷は顔を顰めて文句を言う。
「くっつくなよ」
「なんで」
「また知ってる奴に会ったら変に思われるだろ」
「そんなことはないだろ。むしろ俺は皆に言いたいよ。君は俺のものだってね」
「お前な、冗談じゃねえぞ」
 葉山は比企谷の顔を覗き込む。
「君は俺の物だろ」
 比企谷はちらっと葉山を見て言う。
「こういう状態をお前の物になったってんならそうなんだろ。逆はねえけど」
「俺を君の物だとは思ってくれないってことか」
「そんなの誰も思わねえよ」
「君は卑怯だ」
「なんだよ。認識の問題だろうが。思えねえもんはしょうがねえだろ」
「俺がどれだけ君を。君は自分の価値を知るべきなんだ。前もそう言っただろう」
「そんなこと忘れたぜ」
「君は本当に」
 葉山は言葉を切り苦笑して続ける。
「いいさ。俺が君の価値をわからせるよ」葉山は比企谷に顔を寄せて囁く。
「今なら君に出来ることが沢山あるからね」
 比企谷は立ち止まると頼りなさげな声で呟く。
「お前、その、思い上がるなよ」
 そう言うと比企谷はマフラーの端を巻き直して口元を覆い俯いて顔を埋める。葉山は微笑み、比企谷の隣に並ぶと歩幅を合わせて歩く。
「比企谷」
「なんだよ」
「俺は君とならしたいことがいっぱいあるんだよ。君にしたいこともいくらでもある」
 葉山は隣の細肩を抱き寄せる。比企谷は少し肩を揺するが振りほどこうとはしない。
「つきあうってそういうことだろ」
 葉山は肩を抱く腕に力を込める。

END