碧天飛天の小説サイト

碧天飛天の小説サイトです。腐向け二次創作やオリジナルの小説を置いてます。無断転載禁止Reprint is prohibited

星月夜に光ぞ降りて(R18)

f:id:hiten_alice:20160317182515j:plain

 見上げれば今にも降り注ぎそうな満天の星空。
瞬く数多の星々は目映く輝き、空が日光を覆い隠す天蓋であるかのような錯覚を起こしそうになる。
「空の星は天に空いた穴から漏れる光だと、昔の人は思っていたらしいね、比企谷」
「天動説か」
「そうなると、彗星や流れ星は何だと思ってたのかっていう話だけれどね」
「天の光は全て星って小説があったな」
「フレデリック・ブラウンだね。昔読んだことあるよ」
 当時も光は星のものであると気づいてた人はいたはずだ。でも人々はそれを見ないようにして嘘を信じた。今なら愚かなことだと笑う人も、当時の状況に置かれたならどうだっただろうか。
 君がその時代にいたなら、たとえ独りであってもきっと指摘するんだろうな。たった一人でも地動説を唱えたガリレオ・ガリレイみたいに。欺瞞も嘘も切り捨てる君は正しくて賢い。けれども時に堪らなくなる。君は唯一の正しい答えだけを選んで他を捨ててしまうんだ。たったひとつの冴えたやり方だけを選んで。


第一章


 陽が西に隠れ夕闇が空を包み始めた。
 新部長の掛け声で部員達はそれぞれクールダウンを終えて、後片付けを始めている。手は十分足りてるようだし、手伝うことはことはなさそうだ。葉山は新部長に声を掛けた。
「後はまかせてもいいかな」
「はい。お忙しいのにすいません、葉山先輩。お疲れしたー」新部長はすまなそうに軽く一礼する。
「気にするなよ。手が開いてるから来てるんだ」
 葉山は急いで合宿所に向かった。合宿施設は2階建てで校舎に隣接しており、校舎の渡り廊下から合宿所の玄関に繋がっている。台所へと向かう廊下を速足で歩いていると、いろはの高い声が聞こえてくる。声は次第に近くなり、比企谷のやる気のない相槌も聞こえてくる。
 葉山は戸を開けようとして躊躇う。覗いてみるとガラス戸の向こうでは、比企谷といろはが作業の引き継ぎについて話している。食事の用意はできているようだ。昼間と同じくマネージャー達でやってくれたのだろう。しかし、まだここにいろはがいるとは思っていなかった。そういえば彼女はさっき帰宅する前に挨拶に来たマネージャー達の中にいなかった。いろは女の子らしい所作で比企谷をからかっているようだ。比企谷は呆れた口調ながらも顔を赤らめている。
 チクリと胸に傷みを感じてふっと息を吐く。振り切るように戸を開けて二人に声をかける。
「いろは、そろそろ暗くなってきたよ。後は比企谷に任せてもう帰った方がいい」
 声に気づいて二人が葉山に視線を向けた。比企谷は軽く眉を顰めてすぐそっぽを向く。いろはが駆け寄ってくる。
「気づきませんでした。もうそんな時間ですか、葉山先輩。じゃ、帰りますね」いろははにこやかにそう言い、くるっと比企谷を振り返り冷静な口調になる。「じゃあ帰るんで後はよろしくお願いします」
「おお、気をつけてな」比企谷は手をポケットに突っ込んだまま答える。
 軽やかな足音が廊下を駆けていった。いろはがいなくなると台所は静けさに包まれた。後片付けをしている部員達はまだ戻ってこないようだ。比企谷はいろはに渡されたらしいメモを見ながら手順を反芻している。葉山は比企谷の隣に移動するとメモを覗く。丸文字の並ぶ女の子らしい文面だ。
「あいつの字読みづれえな。暗号かよ」
 ぶつぶつと愚痴る比企谷に葉山はくすっと吹き出して声をかける。
「君も夕飯食べていくかい」
「いやいい、俺は済ませてきたからな」
「面倒を頼んで済まないね。俺も何か手伝うよ」
「いいって。お前らは着替えたり風呂入ったりしてろよ。依頼は依頼だ。気にすんな」
 葉山はじっと比企谷を見つめて少し目を伏せて口を開く。
「君はいろはと随分親しげだね」
 比企谷は顔を上げると訝しげな表情を浮かべる。
「お前ちゃんと見てねえだろ。あれは違うぞ。舐められてんだよ」
「そうじゃないだろ。懐いているじゃないか」
「懐いてって……慣れてきたってとこだろ。生徒会絡みで色々あったし、まあ、妹がいるから年下は話しやすいしな」
「そうかな。でもそうは見えないな」思いのほか棘を含んだ口調になった。
「やけに絡んでくるな。なんかお前苛々してねえか」
 訝しげな表情の比企谷が見つめ返す。葉山は視線を避けて顔を逸らし、声を低めて呟く。
「君を見てると苛つくんだ」
「あーそうかよ」比企谷は眉根をよせて剥れる。「なんなんだよ。お前が手伝ってくれって依頼するから来たのによ」
「悪い、そういうつもりじゃないんだ。ごめん」葉山は髪をかきあげて俯く。「俺がおかしいんだ」
「疲れてんのか葉山。いいぞ、ここは俺だけで。邪魔だしよ」
 ぶっきら棒な言い方の中に心配そうな声音が滲んでいる。本当に君って奴は。葉山は顔を上げて微笑んでみせる。
 俺がおかしいのは君のせいだ。君がいろはとは親しげに話してるからだ。俺と話す時とは全然違う。それだけでこんなに心が騒めく。だがそんなことは言えない。君には余裕を見せていたいんだ。格好悪いところを見せたくないんだ。いろはと比企谷の間に何もありはしないのに、動揺するのがおかしいんだ。でも頭で理解してても感情が先走ってしまう。思ってもみなかった。依頼の1週間はまだ始まったばかりなのに。

「手伝いに来てくれないか」
 夏休み前に葉山は比企谷を呼び出して仕事を依頼した。奉仕部の部室に行かずに彼個人に頼む必要があったのだ。
「嫌だね。面倒くせえ」
 依頼内容も聞かずに即座に比企谷は断ってきたが、構わず葉山は続けた。
「夏休みに学校で1週間、サッカー部の合宿が行われることになったんだ。でも昼間はいろは達マネージャーがいるんだけど、女の子だし夜は帰らなきゃいけないんだ」
 渋面を作りながらも比企谷は立ち去ろうとはしない。葉山はほっとして話し続ける。
「夜の仕事じゃ奉仕部のあと2人には頼めないからね。だから君だけに来てもらいたいんだ。」
「そりゃそうだろうな。あいつらも一応女子だし。つか、だったら全員家帰れよ」
「はは、そこは合宿だから。それで君に彼女達と入れ替わりで、仕事の引き継ぎを頼みたいんだ」
 主な仕事は夕食の配膳や片付けや夜の見回りだと葉山は説明した。学校と繋がった施設なだけに、ついでに校舎の方も見回りをすることになっていた。
「ほんと雑用じゃねえか。お前ら皆でやれよ」比企谷は鼻を鳴らした。
「そうできればいいけどね。朝は自分達で用意するけど、夜は皆練習で疲れて動けなくなるだろうし」
 比企谷は少し考えて口を開いた。
「葉山、3年生はもう引退だよな。なんでお前が手伝いやってんだ」
「俺も手が足りないって顧問の先生からフォローを頼まれたんだよ」葉山は苦笑いして答える。「元部長だからね。他の皆は受験勉強中でそれどころじゃないけど、俺は進路決まってるし。だから合宿に付き合って下級生の指導をすることにしたんだ」
「男の手伝いはお前1人ってわけか。期待に応えんのもそこまでくると病気だぜ」心底呆れた口調で比企谷は言った。
「これが俺だよ」葉山は肩を竦める。わかっていても困っていると知ってる以上、頼まれては断れない。それで応援を頼むようでは本末転倒かもしれないが。いや、違うか。葉山は内心苦笑する。半分は君と話す口実が欲しかっただけだ。
「難儀な性格だな、お前は」比企谷は溜息をついて続けた。「1週間、夜だけだな。いいぜ」
 案外すんなりと承諾した比企谷に、葉山は安堵して微笑んだ。
「すまないな。助かるよ」
「奉仕部への依頼じゃしょうがねえ」
 比企谷は渋々という体でそっぽを向いて返した。
 そんなやりとりがあって約束を取り付けてから数日後、学校は夏休みに入り、夏合宿が始まった。
1日目の夕方、依頼通りに比企谷はグラウンドに顔を出した。葉山と目が合うと比企谷は顔を顰めて側に歩み寄ってくる。「よお、どこ行けばいいんだ?」と聞く比企谷に葉山は礼を言い、合宿所内を案内しようと連れだって玄関に向かった。
「先輩遅いですよー」
 明るくはしゃぎながらいろはが廊下を駆けてきた。比企谷の腕を掴み中に引きずってゆく。比企谷は渋い顔をしながらもなすがままにさせている。
「後は私がやります。任せてください。きちんと教えますから」
「お前、なんか偉そうだな」ぼそっと比企谷は呟く。
「当たり前じゃないですか。葉山先輩に迷惑かけたらどうするんですか」
「はいはい。サッカー部に迷惑かけたら、じゃないのかよ」
「当然です。葉山先輩に、です」
 葉山は比企谷の肩を軽く叩いて言った。
「じゃあ、頼むよ。比企谷、いろは」
 そう言いながらちくりと何かが胸を刺す。葉山は後ろ髪を引かれる思いで踵を返してグラウンドに戻った。

 次の日も比企谷は夕刻に合宿所を訪れた。葉山は気が急いていち早くグラウンドを離れて合宿所に戻った。台所では昨日と同じく、いろはが楽しそうに比企谷に指示を出していた。まるで迫ってるように身を寄せてくるいろはに、比企谷は困惑しながらも従っている。顔が近いと言いながら比企谷の頬は赤くなっている。
 いろはは照れる比企谷をからかっているだけだ。それなのに胸が騒めく。葉山に気づいたいろははころっと態度を余所行きに変え、挨拶して台所を出て行った。
 夕食が終わり皆が食器を台所に下げる。その後は部員たちは交替で風呂に入り、ミーティングしてから就寝する。大人しくすぐに寝るかどうかはわからないが。そろそろ時間かと葉山は比企谷を呼びにゆく。
「比企谷、こっちにいればいいじゃないか。退屈だろう」
 皆の食事中は比企谷は宿直部屋で持ってきた本を読んでいたらしい。葉山を見て比企谷は腰を上げる。
「よく知らねえ奴らといて気疲れするほうが嫌だ。本もテレビもあるし退屈はしてねえよ」
 流しに立った比企谷は皿の片付けを始めようと腕を捲った。
「おっし、じゃあやるか」
 葉山は胸のつかえが取れないままに比企谷の側に近寄る。
「色々悪いね。手伝うよ」
「お前忙しいんじゃないのか」
「ミーティングは彼らだけでやるし、コーチのほうはもうやることないよ」
「ああ、そうなんだ。じゃあ皿拭くの頼むわ」
 比企谷は慣れた手つきで濯いだ皿を洗い上げに並べていく。葉山は皿を拭きながら比企谷の手元を見つめて口を開いた。
「意外に家庭的なんだな」
「まあな。朝飯も夕飯も小町と二人だしよ。このくらい当たり前だろ」
「やっと、2人で話せるな」
「は?ああ、なんか話あんのか?なんだよ」比企谷は訝しげに葉山を振り見る。
「時々いろはや戸部が羨ましくなる時があるよ。君と友達になれる。気楽に話しかけることができる」
「友達じゃねえよ。あいつらは馴れ馴れしいだけだろ」
「俺にはできないからね」
「そりゃそうだ。できねえじゃなくてする必要がねえんだろ。お前は友達ってのとは違う。」
「君が考えてるような意味じゃないよ。俺は君には期待してしまうんだ」
「何を期待するんだ。葉山」
 葉山は自嘲するようにふっと笑う。
「望むのが友達ならば俺もそうできるよ。気楽に話しかけられる。でも俺はそうじゃない」
「そうかよ」
「君といると俺は平静でいられないんだ。自分がバカみたいに思えてしまう」比企谷の顔をどこか眩しげに見つめて葉山は続ける。「俺は君にだけはもっと望んでしまう。欲深いんだ」
「欲深いって、なんのことだ」
 葉山は答えずに薄く笑った。もうずっと前から、多分君の本質に気づいた時から自覚していた。君に惹かれてる。君に焦がれてる。俺は女性には好感を持てても情欲は持てない。人間として尊敬してるとか綺麗だとか可愛いとか思うだけだ。手に入れたいとは思わない。征服欲も支配欲もただ1人だけに、君だけに向かっているんだ。欲深過ぎてほんの少しだけでは足りない。想いは君には言えないままに澱のように溜まってゆく。
 罪のようなこの想いははいつか罰を受けてしまうのではないだろうか。

 その翌日、葉山は夕食後の皿洗いをしている比企谷の元に歩み寄った。
「ごめん、皿多いよね」
「まったくだ。いい加減うんざりだ。お前らは食い過ぎなんだよ。丼物と汁物の二皿で十分だろ」
「拭くだけじゃなんだよね。洗うのも手伝うよ」
 葉山はスポンジを手にして食器洗いに没頭する比企谷に視線を送る。
「君も女の子に対して照れたりするんだな」
 今日もいろはは比企谷にじゃれついていた。比企谷はちょっと照れたように俯き、もごもごと口籠る。
「おかしいかよ。そりゃそうだろ、免疫ねえもん。お前は女子に慣れてるだろうから、今更魅力もへったくれもないんだろうけどよ」
「俺だって女の子に魅力は感じるよ。でも後のことを考えてしまう。少しでも応えれば揉めごとの元になるしね。気持ちはありがたいけど俺は何も返せない」
「そうか……お前はそうだったな」
「だから気持ちを育てるより、ストップをかけてしまう癖がついてるんだろうな。俺は自分の欲求は選ばない。人の期待を優先する道を選ぶよ」
「お前みたいなのがいつか政略結婚とかすんのかな」
「親の期待に応えて、か。そうかも知れない。選びようがない事だから」
「想像つかねえ世界だな」
「誰も傷つけたくないんだ。 君だけは別だよ。こんなことは君にしか話さない」
「勝手に捌け口にされても迷惑だな」
「君だけは、特別なんだ」葉山は言葉を切り、逡巡してからようやく言葉を紡いだ。「好きなんだ、君が」
 突然の葉山の言葉に比企谷は目を丸くして見つめ返す。
「そりゃあ、どうも。初耳だな」
「恋愛的な意味でだよ」葉山は比企谷に熱を含んだ視線を向けた。
「冗談だろ」間を置いて比企谷は口を開く。
「俺は本気だよ。君が好きなんだ」
「俺なら厄介なことにならないからだろ」
「そうかもしれない。油断して気持ちの歯止めをかけ忘れてたかな」葉山は苦笑する。「好きなだけだよ、比企谷」
 比企谷は目を逸らし黙り込む。蛇口から流れる水が排水溝に吸い込まれてゆく。
「やっと言えた。楽になったよ」葉山は痛々しい笑みを浮かべる。「何か言ってくれないか」
「なんて言っていいのかわかんねえよ」
 比企谷は掠れた声で言葉を紡ぎ、それ以上何も言わず洗い物を再開した。葉山は洗う手を止めて俯向き唇を噛む。君に告白してどうなると言うのだろう。今まで本当に欲しいものが得られたことなんてない。願いが叶ったことなんて一度だってないんだ。

 その日の夕飯後、校舎の見回りに出る比企谷に葉山も同行した。元々合宿初日から葉山も付き添っている。だが今夜は今までと違った。少なくとも葉山は昨日までのように冷静ではいられなかった。
渡り廊下を歩きながら比企谷をちらりと見る。さっきの告白を彼はどう思っているのだろう。俺をどう思っているのだろう。とくんと胸が鳴った。
 見回りは明かりをつけずに、懐中電灯の光だけを頼りに暗い校舎を歩く。月明かりが白く照らす廊下。響く二つの足音。ふと隣りの比企谷の手の甲が触れる。またこつんとぶつかる。葉山は比企谷の指先に触れるとそのまま手を握りしめた。比企谷が軽く振り解こうとするがぎゅっと力を込めて離さない。
「ちょ、お前」
「暗いから迷いそうだよ。いいだろ」
 比企谷は抗議するものの、強く払いのけようとはしない。2人きりで歩く内に隣あう距離を詰めて、比企谷が離れるとまた詰める。手を繋いでいるから離れられはしない。告白したせいだろうか。葉山はそれとなくアプローチするような行動を取っている自分に気づいていた。
 一回りしたところで「まだ時間いいかい?」と葉山は聞いた。比企谷が返事をする前に畳み掛けるように続ける。「君ともう少し一緒にいたいんだ。もう一回巡回しよう」
 手を引いて元来た道を戻る。少しでも彼の帰る時間を引き延ばしたい。比企谷は溜息をついてなすがままに連れ立って歩く。一度見た教室をまた確認している時、暗闇の中に物音がした。懐中電灯の光を向けても別段変わった様子はない。葉山は言った。
「教室に入って見よう」
「やだよ。何かいたらどうすんだよ」
「君が幽霊とか怖がるとは思わなかったな」
「誰が幽霊なんか怖いもんか。怖えのは人だ。泥棒とかいたらどうすんだよ」
 葉山は怖気づく比企谷の腰を抱き寄せて中に入る。隈なく見ても何の気配もない。比企谷はほっとすると同時に、いつの間にかきつく絡みついた葉山の腕に気づいた。逃れようと身を捩るが葉山は身体に回した腕を離そうとしない。
「なんだよ葉山」
 狼狽える比企谷に葉山は掠れた声で囁く。
「もう少しだけこのままでいてくれ」
 葉山は腕に力を込めて身体を引き寄せ、比企谷の肩に頭を押し付ける。
「は、葉山」
「俺はおかしいんだ」
 言葉にしてしまったからだ。告白してしまったから抑え切れなくなった。心の奥に押し込めていた気持ちを吐き出して、楽になるはずだったなのに。どうしてこんなに苦しいんだ、比企谷。堰き止めていた感情が溢れ出して止められない。君の身体に回した腕が熱い。君の肩に触れた額が燃えるようだ。
 比企谷は戸惑っているようだが突き放そうとはしない。俺の気持ちを知ってるからだ。好意を抱かれているとわかってるから、無下には出来ないんだろう。君は好きになった相手に傷つけられる辛さを知っている。だから俺が手を握っても振り払ったりしない。触れても抱きしめても避けたりしない。そんな君だから図に乗ってしまう。
 合宿施設に戻る道を歩みながらまた手を繋いだ。振り払わない比企谷のほっそりした指と自分の指を絡める。君はわかってるかい。今君と恋人繋ぎをしてるんだよ。
 君はどこまでなら許してくれるんだろう。
 合宿所に続く入り口を前にするりと比企谷の指が離れていった。離れた熱を追って指が宙を掻く。宿直部屋に入り持ってきた鞄を引っ掴むと「じゃあな」と言い比企谷は去っていった。
 闇に溶けてゆくその姿を見送りながら思う。告白したら楽になるなんてなんで思ったんだろう。好きなだけなんて、それだけでいいなんて。俺はいつも嘘ばっかりだ。

 雲一つない晴れた夜の学校の屋上。夜空には煌々と照らす月から溢れた欠片ような星々が広がっている。合宿3日目の見回りの時に、葉山は屋上で一緒に星を見ようと比企谷を誘った。
「今夜は流星群が来るんだよ。ついでに見てもいいんじゃないか」
「何のついでだよ」
 比企谷は文句を言うが抵抗は緩い。興味がなくはないようだ。連れだって階段を登り、屋上に出ると空を見上げた。降るような星の群れ。だが星は瞬けどなかなか降ってこない。
「まだ見えねえのかよ」
「もう少し待ってくれよ」
 せっつく比企谷に微笑んで返す。不機嫌にさせてしまっただろうか。暗いせいで彼の表情は見えない。ふいに天空を横切る光が見える。
「ほら、流星が見えたよ」
 葉山は弾んだ声で言うと比企谷を振り見る。
「何処だよ。ああ、見えた」
 向こうに別の流星を見たらしい。比企谷の声も何処と無く弾んでいるようだ。夜空を引っ掻く幾つもの光る星の矢。目を凝らしても見えず目の端にふいっと空を横切る。
「輝くもの天より堕つ、か」
ジェイムズ・ティプトリー・Jr.だね。SFも読むんだな、君は」
「読むよそりゃあ。お前が知ってる方が意外だぜ」
 流れ星に願いごとをしたことなんてない。願いは自力で叶えるものだ。でも今は自力ではどうにもならないことがあることを知っている。だから人は星に願うんだろう。願えばいつか叶う気がするんだ。夜空を見上げる比企谷の横顔を見つめて、葉山はふっと言葉を紡いだ。
「君が好きだよ」
 比企谷のシルエットがふるりと動く。
「俺は君がいいんだ」
 彼に言ったのか星に願ったのか。独白するような静かな口調で葉山は続けた。
「君と付き合いたいんだ。出来れば」
 葉山は歩を進めた。近付くと月明かりで比企谷の顔が見えてくる。戸惑う君の表情が。
「男だぞ、俺は」比企谷は葉山に視線を移して言った。
「わかってるよ。でもこれは俺の正直な気持ちだよ」
「お前は引く手数多だろうに」
「君じゃなければ、今誰かと付き合いたいなんて思わない」
 葉山は比企谷の肩に触れる。服越しに彼の熱が伝わってくる。
「俺が触れるのは嫌かい」
「嫌とかねえよ。別に、お前はお前だろ。葉山」
「俺は君に告白したんだよ。触れれば嬉しいんだよ。もっと触れても大丈夫なのかな」
 比企谷は目を逸らす。葉山は静かな口調で尋ねた。
「君の返事を聞きたいんだ。俺をどう思ってるんだ。比企谷」
「その、いい奴だよお前は」
「俺は期待していてもいいんだろうか」
「それはその」
「比企谷。なんでもいいんだ。拒絶でもいい。君の返事を聞きたい」
 比企谷は視線を彷徨わせ、空を仰いで言葉を紡いだ。
「いい奴でもねえよな、お前は。お前は面倒くさくて厄介だしそれに頑固でしつこい。だから」
「だから?比企谷」
「その、だから」困ったように比企谷の語尾が小さくなってゆく。「理由にならねえな……」
「比企谷」
 比企谷は黙り込んで暫くして口を開いた。
「いいぜ。付き合っても」
 彼は何と言った。幻聴だろうか。望み過ぎて脳が勝手に彼の言葉を変換したのではないか。葉山は耳を疑い問い返した。
「本当か。いいのか。比企谷」
「告白されるなんて俺の人生で初めてだしな。なんか嬉しいとか思ったりしてるし」
「比企谷」
「お前みたいなイケメンの優等生は、よく告白されるだろうから慣れてるだろうけどよ。嬉しいもんだな。お前はそれをよく無下にできるよな」
「比企谷、本当にいいんだな」
「試しもしないで理由もなく断るのはよくねえだろ」
 葉山は比企谷の腕を掴む。試しという言葉が少し引っかかった。だがそんなことはいい。
「撤回は出来ないよ、比企谷」
 葉山の真剣な瞳に気おされ、比企谷は唾を呑み込んで言う。
「お、おお、男に二言はねえよ」
 夜が彼の常識的な判断を鈍らせたのだろうか。気持ちを受け入れるということがどういうことなのか、一度許せばどうなるのか。君はわかってるのか。
「そろそろ行くか」
 比企谷が言い、2人は屋上から降りて校舎内に戻った。暗い階段を2人分の足音が木霊する。廊下に出ると、窓からの月明かりが比企谷の整った顔立ちを照らし出した。青白い光に彼の相貌は彫像のように見える。隣にいるはずなのにどこか遠く感じる。
 君は本当に俺を受け入れてくれたのか。明日になったらなかったことにしてしまうんじゃないのか。ふいに不安に駆られ、葉山は比企谷の手首を捕まえると壁に押し付けた。
「なんだよ葉山」
 訝しげな表情で見上げる彼に口付けをする。初めて触れる比企谷の温かい唇。驚いて逃れようする彼の顎を掴み少し開かれた隙間から舌を差し入れた。彼の舌を探り当て絡ませる。彼の口腔を味わい食むように深く口付ける。恐らく彼にキスの経験はないんだろう。たまらない。もっとだ。彼のシャツのボタンを外し胸元を肌けて首筋にキスをする。喉仏に舌を這わせる。葉山の勢いに狼狽え、身を引いて逃れようとする彼をまた壁に押さえつける。鎖骨を甘噛みし舌を尖らせて窪みに這わせる。
「え、葉山、マジなのか」
 比企谷が狼狽した声で問うた。顔を上げて視線を合わせる。
「本気だ。今更君は違うって言うのか」
 声に苛立ちが滲み出てしまう。肩を掴む指に力を篭める。
「そんなすぐにキスとか、その、するものなのかよ」
「気持ちははっきりしてるんだろ、比企谷。待つ必要はないだろ」
 逆だ。君の気持ちはまだふらついている。はっきりなんかしていない。だから今逃がすわけにはいかない。葉山は比企谷の唇を親指でそっとなぞり唇を重ねる。軽く啄ばみ息継ぎに軽く開けられた唇の間から舌を忍ばせる。熱くて滑らかな口腔を隅々まで探る。ん、と比企谷は小さく呻くが、さっきと違い逃げずにされるままになっている。掴んだ肩から震えが伝わってくる。名残惜しくキスを終えて葉山は言った。
「ほんとは何度もデートしたりとか段階を踏むべきなんだろうけど」
 肩で息をしている比企谷の瞳を覗き込む。
「デート?お前と?いつどこでできんだよ。冗談だろ」
「そうやって雰囲気を高めていくってことだよ」
「雰囲気ってお前とか。なんの雰囲気だよ」
 比企谷は笑いかけてハッと真顔になる。葉山は押し殺した声で言葉を紡いだ。
「比企谷、今ここで、したい」
「え、それは」
 何をと言わなくてもわかったのだろう。比企谷は怯えを瞳に映していた。
「今欲しいんだ」
「何焦ってんだよ、葉山。お前おかしいぞ」
「おかしくなんかない。比企谷、俺は今がいい」 
「葉山」
「今じゃないと駄目なんだ」
 俺らしくない理不尽なことを言っている。告白を受け入れてすぐになんて。でもどうしても譲れない。比企谷は戸惑いの表情を見せて溜息をついた。
「誰にも言うなよ。と言ってもお前なら誰にも言わないよな」
「勿論誰にも言わないよ、俺もその方がいいと思う」
 それならいいか、と比企谷は吐息だけで呟く。
「バレたらお終いだからな」
 低い声で囁かれ葉山はどきりとした。
「ああ、わかった」
 身体を比企谷に押し付けて葉山はズボンのチャックを下げた。首をもたげた性器を取り出して腰を押し当てる。比企谷のズボンに手をかけると慌てて手を止められる。構わずチャックを下げて彼の性器を引き出した。
「今のキスのせいかな。君の膨らんできているね」耳元に葉山は囁く。慌てて比企谷は腕を突っ張るが突き放せない。
「お前、ばかやろ、何を」
「俺のもだよ。ほら」
 立ったまま向かい合わせになって勃ち上がりかけた性器を触れ合わせる。おずおずと比企谷は葉山の腕にしがみついた。互いに抱きあって擦りつけ合う。
「あ、葉山」
 比企谷が吐息交じりに名を呼んだ。2人の息遣いが混じりあい廊下に響く。直に触れる体温。ひんやりした君の表皮にこんなに熱い部分があるなんて。触れ合い擦れ合う皮膚が気持ちいい。君の身体の中はどんなに温かいだろう。彼とすぐに既成事実を作りたい。今の状態が雰囲気に流された彼の気紛れでもいい。形にしてしまえばもう彼は俺のものだ。
 いったん身体を放すと、葉山は比企谷の腕を引いて廊下を早足で歩き、階段の側にある保健室に連れ込んだ。灯りは付けずに窓際に歩み寄ってカーテンを開け放つ。月明かりが煌々と室内を照らす。この光で十分だ。懐中電灯で机の上を照らして薬箱を見つけると、葉山は中からワセリンを取り出した。
「何だそれは」
 比企谷は不思議そうに聞く。
「後で必要になるからね」
 そう言いながら葉山はベッドのカーテンを全開にして、ワセリンを枕元に置いた。仄暗い中で比企谷の身体をベッドに押し倒し、肌蹴たシャツの中に手を入れる。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 シャツの下のタンクトップをたくし上げられて、慌てる比企谷を押さえつける。さらりと胸元を撫でて突起を摘む。屈みこんで乳首を口に含み舌で転がす。
「葉山、擽ったい」
 比企谷が声を潜めて咎めるように名を呼んだ。構わずに舐めて甘噛みする。音を立てて胸や腹にいくつもキスをする。ズボンを脱がせて下半身を剥き出しにする。青白く浮かぶ扇情的な姿。見下ろして唾を飲む。葉山はズボンを下着ごと脱いで片足だけをベッドに乗り上げた。ペニスと陰嚢を優しく掴むと比企谷がびくっと身体を起こす。
「い、いきなりだな」
「ああ、ごめん。びっくりさせたな。気持ちよくするから」
 葉山は指で輪を作り比企谷の竿を扱く。
「人に擦られるのって、なんか、変な感じだな」
 比企谷の声が吐息混じりで熱っぽく聞こえる。気持ちよくなってきたのだろうか。
「感じるのか」
「そりゃ、誰でもそうだろ」
 雁を撫でて鬼頭の窪みを嬲る。括れを指できゅっと締めて先端を擦る。
「ちょ、そこは」
 葉山の動きを止めようとするように比企谷が葉山の腕に手を添える。
「強かったか」
「ん、もう少し優しくっていうか」
「このくらいの触り方でいいか。教えてくれ」
「言えるかよ、あ、そこは、やめ」
 高められた比企谷の声が上擦ってきた。たまらない。竿を緩急をつけて扱き先端をそろそろと撫でる。比企谷の息が上がってきた。感じているのか。身体を捩るとさらさらと衣擦れの音がする。肌蹴たシャツの隙間から見える肌が、月明かりに照らされて陶器のようだ。性器を弄りながら顎から首筋に唇を這わせ、幾つもキスをする。比企谷の唇からほうっと吐息が漏れる。
「もういい、もう出る」
 潤んだ比企谷の瞳と視線が合い、色気に胸が跳ねる。葉山はティッシュを取り比企谷のペニスの先端を包んだ。比企谷は小さく声を上げて射精し、恥ずかしくなったのか目を瞑り口を手で覆う。葉山はゴクリと喉を鳴らした。下半身が熱くなってもうペニスがはちきれそうだ。葉山は比企谷の膝を大きく開かせ、股に下半身を押し付けのし掛かる。葉山の勃起したペニスに気づいて比企谷がおずおずと口を開く。
「お前の、しようか」
「俺はこっちがいい」
 葉山は指を滑らせて窄まりを摩る。比企谷はひゅっと息を呑んだ。
「ど、どうしてもか」
「ああ、どうしても。大丈夫だ。優しくするから」
「嘘くせえぞ、葉山」
 そう言いながらも比企谷は目を閉じる。抵抗しないのはいいということだろう。すぐに身体を繋げてしまいたい。でも焦ってはダメだ。葉山は薬箱から持ってきたワセリンを比企谷の後孔に塗り込めてゆく。そのまま指の第一関節までするりと潜り込ませる。比企谷の身体がずり上がるのを片手で押さえつけ、ゆっくりと第二関節まで捻じ入れる。粘膜を探るように動かして指を根本まで埋めた。抽送させるたび中が熱く熟れて柔らかくなってくる。
「動かすなよ。お前の指、節くれだってて、ごつごつして、なんか嫌だ」声を上擦らせながら彼は言う。
「そうか?嫌じゃないだろ。だいぶ柔らかくなってきたよ」
 指を2本に増やしてうごめかすと、滑った肉壁が濡れた音を立てた。
「てめえ、何言ってんだよ、や、あ」
 顔を上気させた比企谷が悶えている。さらに増やした指が滑らかに抽送出来るようになったので、ゆっくり引き抜く。比企谷はほっと息を吐いていたが、脚を大きく広げられると、戸惑う様に目を開けて葉山を見上げた。視線を合わせつつ手を添えて、手探りで先端を窄まりに当てて擦りつける。
「行くよ。いいね」
「え、ああ、マジかよ」
 葉山は比企谷の片足を持ち上げて、ぐっと腰を押し付けて挿入してゆく。太い部分が入り口を押し広げてめり込む。比企谷が苦し気に呻いた。雁を全て潜らせてしまうと、葉山は竿を通す道を作るように肉を穿ち、身体を開いていった。
「あ、あ、や、こんな」
 比企谷の声が耳に甘く響いてくる。腿を掴んでゆっくり小刻みに腰を揺さぶった。ぬめる狭い隙間をこじ開けて突き上げる。彼の隠された場所を暴き、自分の身体を押し入れてゆく。腕を交差させて顔を隠した比企谷が悶えながら聞く。
「葉山、これ、俺に突っ込んでるの、マジでお前のなのかよ」
「そうだよ。なんだと思ってるんだよ」
「暗くてわかんねえ」
「触ってみろよ、比企谷」
 比企谷の手を取って繋げた場所に導いた。指が葉山の屹立に触れる。繋がった部分をさすって比企谷は息を呑む。
「……お前の熱いな。身体の中にいるのと同じだ」
「君の中も熱いよ」
 比企谷の指を触れたままにしてぐっと腰を揺すった。ペニスが彼の内にさらにめり込んでゆく。
「は、や、葉山、なに」比企谷は声を上擦らせる。
「な、わかるだろう」
「お前を身体の中に感じることになるなんて、思いもしなかったぜ」
「俺もだよ。君の中に入れることが出来るなんて」
 蠢動する温かい内壁がペニスを内へ内へと誘う。もっと深くに入れたい。葉山はもう片方の足もベッドにのり上げると、ずりあがる比企谷の腰を掴んで引き寄せ、強く打ち付けた。
「あうっ」
 比企谷が悲鳴を上げる。性急だっただろうか。ああ、でも彼の中に根元まで入った。
「大丈夫か、比企谷」
「熱いんだか痛いんだかわかんねえよ」
 上半身をぴったりと重ねて彼の身体を抱きしめた。肌を打ち付ける度に比企谷の口から喘ぎ声が漏れる。唇を重ねると比企谷が目を開けて見上げてくる。舌を入れると比企谷の舌がそっと応える。深くキスをしながら腰を前後に振り、引き抜いては貫き続ける。震える身体、重なる鼓動。突くたびに中心が融けそうなほど熱くなってくる。せり上がる熱に吐精の予感がする。
「いい、かな」
「何が」
そう言ってから比企谷ははっと葉山の意に気づいて慌てる。
「な、中はまずいだろ」
「そうか、でも遅いかも」
 ぐっと深く入れると比企谷が仰け反った。後孔の締め付けが増して堪らず葉山は唸り声を漏らす。ペニスがどくりと震え射精する。熱い飛沫が奥を熱く濡らす。
「ああ、お前」
「ごめん、比企谷」
「わりいと思ってねえだろ。酷えな」
 比企谷が息遣いを整えながら潤んだ瞳で睨む。
「こうなったら止まれないよ。同じ男だしわかるだろ」
「わかる、けど、でもよ、お前」
「俺らしくない?」
 葉山は悪戯っぽい笑みを浮かべて上半身を起こし比企谷を見下ろす。比企谷は溜息をついて言う。
「それがお前なんだろ」
 比企谷は身体を起こし葉山の下から逃れて胡座をかく。シャツを脱がさずに抱いたから皺が寄ったかも知れない。座って向かい合い見つめあう。葉山は腕を伸ばして比企谷の身体を引き寄せる。唇を啄み舌で唇を突くと彼の口がおずおずと開かれる。隙間から舌を押し入れて口内を弄ると比企谷の舌がたどたどしく答える。彼の背に腕を回して服越しに肩甲骨や背骨を摩り、剥き出しの腰まわりを愛撫する。
 次は服を全部脱がせようと思いながら抱きしめる。抑えようがない動物的な衝動だった。でも彼は受け入れてくれた。
 やっと彼を手に入れたのだ。その時俺はそう思っていた。


第二章


 それから合宿の間、2人は夜の見回りの時間に隠れて、保健室のベッドでセックスをした。夜の秘密の遊戯は誰にも気づかれなかった。
 身体を重ねて互いに貪りあう一週間は瞬く間に過ぎ、合宿は終わった。けれど夏休みが終わったわけではない。毎日でも会いたい。一緒に過ごしたい。だが葉山の想いをよそに、翌日からいくら連絡しても比企谷は外に出たがらなかった。
「やっと俺の夏休みが来たんだ。もう一歩も家を出たくない」連絡をしてもそんな返事ばかり。家に行けば顔は出すものの嫌がる彼を連れ出すことは出来ない。家族が家にいるからと部屋に上げては貰えない。会いたくても会えない。触れたくても触れられない。気持ちが急いて身体が疼いた。彼は俺を受け入れてくれた。合宿の間中彼の身体を毎日抱いた。なのにこんなにお預けを食らうとは思わなかった。自然消滅させようとしてるなんてことはないだろうか。いや、彼はそういうことはしない。新学期になれば会える。早く夏休みが終わらないかとそればかりを考えた。
 漸く夏休みは過ぎて新学期になった。いつもなら億劫な休み明けなのに驚くほど気分が軽かった。登校した皆と久しぶりに会話をしつつ教室の入り口を伺った。だがなかなか比企は登校して来ない。焦れていると遅刻寸前になってやっと現れた。合宿以来の彼の顔を見て気分が高揚するのを自覚する。だが葉山の周りにはいつも仲間がいてふたりきりにはなかなかなれない。教室の中では離れた席にいる彼に視線を送ることしか出来なかった。
 休み時間になって比企谷が廊下に出たので葉山は後を追った。追いついて声をかけようとした時、前方からいろはが歩いて来るのが見えた。つい隠れてしまう。いろははすれ違いざまに比企谷に気づき、立ち止まって話しかけている。何を話しているのか、悪戯っぽい笑みを浮かべるいろはに、比企谷は顔を赤らめているようだ。
 ふと気付き胸がざわめく。合宿中も比企谷はいろはに迫られ赤くなっていた。今もいろはに顔が近いと文句を言いながら赤くなっている。奉仕部の面々に対してもそうだ。苦手なのかとも思っていたこともあったが。彼は女性に対してすぐに照れるんだ。比企谷は憎まれ口を叩きつつも由比ヶ浜に優しく接する。雪ノ下にもなんだかんだ文句を言いつつ思いやる。比企谷はそういう奴だとわかってるのに、やっと会えたのに心穏やかになれない。顔を見て嬉しいはずなのに、君を手に入れる前よりずっと不安でたまらない。
 その日ふたりきりになる機会はとうとうなく、比企谷は授業が終わるとさっさと帰ってしまった。その翌日も翌々日も。
 機会のないまま数日経って、焦れた葉山は自転車置き場に待ち伏せて比企谷を捕まえた。比企谷の自転車のサドルを掴んで「君はなんですぐ帰ってしまうんだ」と葉山は詰め寄った。
「え?なんか約束したかよ、葉山」
 比企谷はわけがわからないと言うように戸惑っている。
「教室ではなかなか二人きりになれないのに、君がすぐ帰ってしまうから話も出来ないじゃないか」
「それ、俺のせいか?」
「比企谷、今日から一緒に帰ろう」
「はあ?お前と学校から一緒に帰るなんて、あり得ないぜ」
 顔を顰めて言う比企谷に憤慨して葉山は言う。
「なんでそう言うんだよ」
「お前は目立つんだよ。一緒にいたらなんか勘繰られるだろ」
 目立つのを嫌うのは彼の性質だ。いらっとして葉山は言った。
「学校以外ならいいんだな」
「ああ、皆に見られないようなとこなら構わねえよ」
「じゃあ角の公園で会おう。あまりうちの生徒は通らない道だ。先に行っててくれ。後で行くから」さらに念押しする。「帰るなよ、比企谷」
 葉山は待ち合わせる約束をした公園に到着した。辺りを見回して時間をずらして学校を出た比企谷を探す。この公園には昼間は親子連れや小学生がいるが、夕暮れ過ぎにはほとんど人がいなくなる。比企谷の自転車が樹蔭に止めてある。その側のベンチに視線を移すと座って本を読んでいる彼を見つけた。「比企谷!」と呼んで走り寄ると掴みかかるように抱きしめてキスをする。そのままベンチに押し倒すと比企谷は慌てて葉山の肩を押して身体を捩る。
「ちょ、ふざけんなよ。ここ外だぞ。ありえねえだろ」
「ああ、ごめん。誰もいないからつい」
 公園から出ると、自転車を押して歩く比企谷の隣に葉山は並んだ。考え込んでいるのか、黙って歩く葉山の様子を伺って比企谷が口を開く。
「お前ん家と俺ん家方向違うだろ。何処に行くんだよ」
「俺の家でいいんじゃないか。うちの親は帰るの遅いからね」
 葉山は微笑んで続ける。
「これから身体を繋ぐのは俺の家でいいかな」
「つな……おいお前、言い方ってもんがあるだろ」
「抱くとかセックスとかはっきり言った方が良かったか」
「いや、そっちでいい、つか、わざわざ言うなよな」
 比企谷が俯いてボソっと抗議する。家に到着すると、靴を脱いだ途端に葉山は比企谷を押し倒した。キスをして上着を脱がしシャツの上から身体を弄る。
「は、葉山」
 狼狽した比企谷が身体を捩じって足掻く。足を割り服越しに勃起したものを押し付ける。組みしいた比企谷の身体が跳ねる。
「ここ、ここ玄関、鍵開いてる、葉山」
 比企谷の物言いが動揺して片言になっている。葉山はクスッと笑うと手を引いて比企谷を起き上がらせた。
「わかってるよ。床じゃ固いし、ローションとかいるし、部屋に行こうか」
「ローション…って」そうぼそっと言う比企谷の耳が赤くなっている。
 二階に上がり部屋に連れ込んでドアを閉める。俺の部屋に比企谷がいる。ほっそりした首筋に薄い身体。何度も触れて口付けた肌。胸が早鐘をうつ。心臓の音が外に聞こえてしまいそうだ。
「ここがお前の部屋かあ」
 比企谷は珍しそうに本棚を眺めている。ループタイを外して忍び寄り、背後から抱きしめる。腕の中で比企谷が息を呑んだ。
「俺の後ろに立つなよ」
 どこかで聞いたような台詞を言う彼の声が震えている。

「あ、いあ、葉山」
 彼の掠れた声が耳を擽った。ベッドのスプリングがギシギシと軋んで、引っ切り無しに悲鳴をあげている。
「いいって言ってるのかな、比企谷」
「ちが、あ」
 葉山の身体の下で比企谷が喘ぐ。ベッドの下には2人分の制服が脱ぎ散らかされている。ふたりは一糸纏わぬ姿で汗ばんだ身体を絡ませている。葉山は比企谷の肌に幾つものキスをして繋いだ腰を激しく揺らして苛んでいた。
「比企谷、比企谷」
「あ、あ、はや、もう」
比企谷が甘い声を上げて懇願する。ローションを塗りコンドームも使ったとはとはいえ3度目の挿入だ。無理をさせているのだろうか。
「これくらいなんてことないよ。君は運動不足なんじゃないか」
「お前と一緒にすんなよ、ああ、や」
 インドアな彼のことだ。体力が限界なのかも知れない。だが夏休み以来のセックスなんだ。まだ彼の身体を味わいたい。もっと堪能したい。始めの挿入では比企谷は苦悶の表情を浮かべていた。けれど今は動かす角度によっては嬌声を上げる。身体を揺さぶると蕩けるような目で見上げてくる。意のままに翻弄される彼が愛しい。腰を引いては突き入れると、熱い彼の肉が纏わりつき締め付けてくる。抽送を繰り返すほどにペニスが動かしやすくなる。彼の身体が俺の身体に馴染んできているんだろう。まるで俺の形に彼の肉体を作り変えているようだ。
「そろそろいきそうだ」葉山はそう言うと深く突き上げ、低く呻いて吐精した。
「疲れた…」
 比企谷が呟く。葉山の背中に回されていた比企谷の腕が脱力して滑り落ちる。葉山は惚けた顔をした比企谷の耳元に息を整えながら言った。
「まだ足りないな」
「あ、嘘だろ。お前、そんな奴じゃ」比企谷は焦って声をひきつらせて言った。
「俺はこういう奴だけど。知ってるだろ」
「ああ、そうだった、くそっ」
 比企谷は眉根を寄せて溜息を吐く。柔らかく笑いかけると葉山は唇を重ねた。食むように深くキスをして比企谷の舌を探り出し絡ませる。身体を重ねて腕を回すと彼の体温が伝わってくる。
「重いぞ、葉山」
「ああ、悪い。もう少しこのままでいいかな」
 比企谷の胸に耳を当てる。行為の後なせいか、とくとくと早い比企谷の鼓動に耳を澄ます。薄い胸としっとりと滑らかな肌。確かに君は俺の腕の中にいるんだ。

 それから公園で待ち合わせて葉山の家に行くのが日課になった。毎日というわけではないが、自転車置き場で比企谷に今日はいいのかどうかと聞き約束をする。時間をずらして生徒たちがあまり通らなくなった頃に公園を出て葉山の家に向かう。自転車を押しながら比企谷は葉山と並んで歩いた。慎重な比企谷は同じ学校の生徒が通ると足を速めて隣から離れてしまう。そんなに気にすることないだろうと思うのだが比企谷は聞かない。離れるたびに葉山は比企谷を追いかけた。
 家に到着すると葉山はすぐに求めてしまう。優等生の仮面をかなぐり捨てて、夕方から夕飯前まで部屋で貪るようにセックスをする。キスを交わして肌を合わせて肉を擦れ合わせる。腕の中にいる彼をずっと抱いていたくて執拗に攻める。
 汗ばむ手足を絡ませているとこのまま溶け合っていくように思う。離したくないのは身体を交わしている時だけが彼を感じていられる瞬間だからだ。ことを終えるといつも比企谷はすぐに服を着て帰り支度を始めてしまう。一刻も早く帰りたいかのように。
 まだ時間はあるしいいんじゃないだろうか。もう少し一緒にいたいんだ。そう思ってシャツに腕を通している比企谷に葉山は声をかける。
「まだ帰らなくても大丈夫だろ」
「お前の親が帰るとまずいし早めに帰ったほうがいいだろ」と言い比企谷は床に投げ捨てられていた鞄を手にする。
「別にまずいことなんてないよ」
「あるだろ」彼は皮肉な笑みを浮かべる。「今まで何してたんだよ俺ら」
 秋が深まると日に日に黄昏時は短くなってゆく。窓の外はもうすっかり夜だ。夕闇が来なければいいのに。そそくさと階下に降りる比企谷を葉山は追った。
「じゃあな」
 そう言って自転車に跨って夜の闇に溶け込んでゆく姿を見送り、葉山は溜息を漏らす。彼の側にいられるのはこの時間だけだ。見つからないように気取られないようにと、学校での彼は葉山との接触を避けるようになっていた。関係になる前よりもずっとよそよそしい。かえって不自然に映るのではないかと思うほどに。次第に葉山は用心深過ぎる比企谷に不満を抱き始めていた。君はそんなに隠したいのか、俺との関係を。

 昼休みに教室の中で皆と談笑しながらも、心は上の空で視線を彼に送る。彼はいつも机に突っ伏して寝たフリをしているか、頬杖をついてぼんやりしている。授業中でも離れたところから隙を見ては彼を見つめる。部屋の中では彼の全てが俺だけのものだ。思う存分触れて思いのたけをぶつけられる。でも学校では触れるどころか話すことすらほとんどなくなった。他の生徒がいるから側にいられないなんておかしいだろ。教室でもどこでも君の側にいたい。別に皆も気にしないだろうし、気にする奴がいたとして俺はそれでも構わない。
 でも、比企谷は嫌がるのだろう。
 それだけじゃない。気にかかるんだ。以前と違っていつの間にか彼の周りには異性が幾人か近寄ってくるようになった。元々彼のことを大切に思い、彼も大切に思っている奉仕部の彼女達や陽乃さん、いろはや川崎さんや他校の折本。優美子や姫菜とも積極的に話すことはないまでも自然に接するようになった。それを思うと胸がざわめく。
 夏合宿の時、比企谷は揶揄ってくるいろはに照れていた。慣れていない君はちょっとしたことですぐに顔を赤らめる。君は考えたことないだろう。そんな君を見て俺がどんなに動揺しているのか。彼がときめくのはいつも異性に対してなんだ。それは初めからわかっていたことだ。俺は君に心を揺さぶられるけど君は違うだろう。君が俺を受け入れたのはただ最初に告白したからってだけなんじゃないのか。嬉しかったという君はまだそのことに気づいていないんだ。手に入れたというのに。手に入れたばかりなのにいつ失うのかと不安に囚われる。ずっと欲しかったんだ。欲しくてたまらなくてやっと手に入れた。誰にも奪われたくない。
 ふと目を向けると、比企谷の机の前に戸塚が立っていて話しかけていた。比企谷が話しながら頬を染めているのが見える。彼の容姿が女性的というだけで君はそんな風になるのか。見ているとふつふつと苛立ちが募ってゆく。暫く話をして戸塚が比企谷の前から去った。我慢出来なくなった葉山は皆から離れて比企谷の席の前に歩み寄った。
「比企谷」
 呼び掛けると比企谷は葉山を見上げて眉を寄せる。
「なんだよ、なんか用か」
「君は」
 葉山は言いかけて口を噤む。つい昨日の夕方には俺の下で喘いでいたくせに。涼しい顔をして白々しい物言いをする比企谷に怒りが湧いてくる。気持ちを抑えて微笑む。
「ちょっといいかな」
 そう言うと葉山は比企谷を教室から連れ出した。上の階に続く階段を登り比企谷を空き教室に連れ込む。教室の中には使われない椅子と机が教室の後ろに集められて置かれている。音楽室や美術室など特別室のあるこの階は授業がある時以外はほぼ人気がない。
「こんなとこで何だ」
 比企谷は訝しげに葉山を伺う。葉山は後ろ手に鍵を閉めると、乱暴に比企谷のズボンに手をかけ、下半身を剥いて壁に押し付ける。
「ちょ、何すんだよ、やめろ葉山」
 葉山は無言で比企谷の片脚だけを掴んでぐいっと持ち上げた。片足立ちにされてバランスを崩した比企谷は葉山の肩にしがみつく。
「転ぶだろおい、何のつもりだ」
 比企谷の声に不安が滲んでいる。葉山はベルトを外してズボンのチャックを下げると自身のペニスを取り出し、露わにした比企谷の窄まりに押し当てた。中心に感じる硬く弾力のある先端の感触に、比企谷は意図を察して狼狽える。
「嘘だろ、おい、葉山」
 葉山は黙ったまま腰を突き上げて比企谷の中に押し入った。
「うあ、はや、ま」
 比企谷が苦悶の声を上げて抵抗する。昨夜の行為のせいか潤滑油なしでもするりと先端が入った。さらに突き上げて立ったままで身体を貫いてゆく。熱い内壁が屹立を揉むように蠢き、葉山は感じて息を吐く。傷つけないように慎重に肉壁を掻き分けて挿入してゆく。肉の杭で比企谷を串刺しにしているようだ。百舌の早贄という言葉が脳裏を過ぎり、苦笑する。腰を前後に揺すりペニスを進めるたびに彼の中がうねり締め付けてくる。前立腺のしこりを擦られて彼は感じた声を上げた。彼はそんな自分に戸惑っている。堪らない。強く突かれ、比企谷が声を詰まらせる。
「ああ、ばかやろ、学校でなんて、あり得ねえ。誰か来たらどうするんだよ」
「来るかな。声を出さなければいいんじゃないか。こうやって塞げば」
 掠れた声でなおも抗議する比企谷の口をキスで塞ぐ。片足立ちに疲れたのか、壁をズルズルと伝って頽れる彼の身体を床に組み敷く。深く突いては引き抜き中を抉る。身体を揺さぶりながら貪るようなキスを繰り返す。絶頂を迎えそうになり、腰を掴んで引き寄せて奥まで貫き、彼の体内に射精した。また勃起したままの屹立が硬度を保ったまま治まらない。荒く息を吐いて彼の身体を抱き上げ、向かい合わせにして胡坐をかくと膝に乗せる。腰を抱えて抜けかけたペニスを再びぐっと突き入れる。
「や、あ、葉山、もう」
 比企谷は喘いで身を捩る。下から貫いた身体を逃がさないように抱いて拘束し、繰り返し腰を突き上げる。腿の上に乗せた比企谷の尻を掴んで揺する。比企谷自身の体重で突くほどに深く入ってゆく。
「嫌だ、嫌、やめろよ葉山」
 彼の熱い肉の隙間を押し広げ性器で抉り身体を引き裂く。比企谷は声を掠れさせながら言葉を発する。
「い、いい加減にしろよ。人に見られたら、お前はいいのかよ」
「俺は構わないよ」
「ふざけんなよ、お前、今はよくてもな」彼は揺さぶられながら切れぎれに続ける。「こんなのずっと続くわけない。いずれ終わるんだ。その時に何事もなく戻れないと困るだろ」
「それは君の本心なのか」
 比企谷の言葉に腹が立ち強く突き上げる。比企谷が悲鳴を上げかけて懸命に声を殺す。「わざわざ戻る道を塞ぐなってんだ。いつか終わっても。それでも信じられる奴がいればいいだろ」
 それは君にとっては奉仕部の彼女達や先生か。聞きたくない。黙ってくれ。回した腕に力を込めてきつく抱きしめる。どくりと性器が震え、彼の内におさめたままに再び吐精する。彼の心がいつか他の誰か、異性に向いてしまったら。俺はどうすればいい。彼を閉じ込めてしまえたら。そんなことできるはずがない。射精して弾む息を整えながら比企谷の身体を床に寝かせる。汗ばんだ身体にシャツがまとわりつく。身体を繋げたまま両手をつき彼の額に自分の額をくっつける。
 「お前は本当に俺に対して性欲を感じてんのかよ」比企谷は薄眼を開けて掠れた声で言う。
「当たり前だろ。勃つんだから」
「支配欲じゃないのか」
「何を言ってるんだ、比企谷」思ってもみなかった言葉に葉山は目を見開く。
「お前は大勢いる取り巻きに俺を入れてみたいんだ。こんな形でしかそれが叶わなかっただけなんだろ」
「本気で言ってるのか、比企谷」葉山は額を離し顔を上げて比企谷を見下ろす。
「違うのか?俺という異物を取り込んで安心したいんだろ」
 比企谷は口角を上げ嘲るように笑った。
「お前はいい。俺と違ってモテるからな。お前がこの形を選ぶならそれでいい。でも俺はお前の取り巻きにはならないぜ」

 その夜葉山は比企谷の夢を見た。夢の中の彼は葉山を見つめて皮肉めいた笑みを浮かべていた。
「異性に感じるような感情をお前には持てねえよ」比企谷は言った。
「比企谷、俺は」
「かわいいとか守りたいとかお前には思えねし。お前だって俺をそう思わないだろう」
「そんなことはない。俺は君が好きなんだ」
「どうかな。そのうちお前も俺も異性と付き合うかも知んねえだろ。この関係は寄り道なんだよ。」
「寄り道なんかじゃない。君は俺がどんなに君を好きなのか信じてくれないのか」
「何を信じろってんだ。試しだって言っただろう。俺自身だって俺を信用できねえのに」 彼の顔が見えているのになぜか表情がわからない。締め付けられるように胸が痛み走った。
「比企谷!」
 葉山は自分の出した声に起こされて跳ね起きた。夢と気づいてホッとする。だが夢で感じた胸の痛みは治まらない。夢の中の彼が口にしていたのは俺の不安そのものだ。彼が本当にそう思っているのかどうかはわからない。けれども冷たいその言葉は胸を切り裂いた。叫びだしたいほど辛くて苦しい。
 昔家の本棚にあった子供用の聖書。その中にあった羊飼いの話を思い出す。放牧から戻った羊飼いは羊が一匹足りないことに気づき、いなくなった羊一匹を探すために他の羊を放り出して探しに戻るんだ。後で皆に一匹のためになぜそんな愚かなことをしたのかと言われる話だ。当時は愚かだと思ったその羊飼いの気持ちが今ならわかる。1人を得るために他の全てを放り出すのは当たり前だ。だってそうだろう。失ってしまうかもしれないんだ。戻って来ないかも知れないんだ。二度と手に入らないかもしれないんだ。欲しいと思う愛しいと思う。それなのにままならないのが苦しくて仕方がないんだ。君に感じるこれが独占欲なのか。周りに感じるこれが嫉妬なのか。初めて人に感じる感情だ。なんて醜いんだろう。
 君は逃げ場を残しておこうとしてる。いつでも俺を置いていける様に。理不尽な怒りが腹に溜まる。腹の底に煮え湯が滾るようだ。そうはさせない。葉山は布団をぎゅっと握りしめる。

 翌朝の教室の中は落ち着かない空気に包まれていた。いつにないピリピリした葉山の様子に皆は戸惑い、腫れ物に触るように挨拶しつつ顔を伺っている。射るような視線を葉山は教室の入り口に向けていた。引きずるような独特の足音とともに比企谷が教室に入ってきた。鞄を掛けて席に着くのを見て葉山は席を立ち、比企谷の前に歩み寄った。皆が何事かと目を向けるのをちらっと気にしながら、比企谷は側に来た葉山に問うた。
「なんか用かよ」
 葉山は訝しむ比企谷に微笑みかけ、口を開いた。
「今日俺の家にくるよな」
 比企谷は戸惑って視線を彷徨わせる。
「お前の家なんて行ったことないだろ」
「君と俺は付き合ってるだろ。そうだよな」
 周囲が騒つく。比企谷は周りを気にして引き攣った笑いを浮かべる。
「おいおい、馬鹿なこと言うなよ。冗談にもほどがあるぜ。海老名さんにネタ提供すんなよ。笑えねえぜ」
「俺は君と寝たじゃないか。何度も何度も。君の身体の知らないとこなんてないよ」
 そう言いながら首筋に手を触れる。比企谷がびくっと震える。
「でたらめ言ってんじゃねえ。い、いい加減にしろよ」
 比企谷は勢いよく葉山の手を振り払った。教室がさらに騒つく。
「君はそんなに隠したいのか。何のために?俺のために?君のために?」
 葉山は席を立った比企谷の腕を掴む。
「逃げるのか」
「お前おかしいんじゃねえのか」
 比企谷は腕を振り払い、席を蹴って駆け出した。騒ついている教室を後にして葉山は追う。比企谷は階段を駆け上がり上の階に逃げた。がたがたと戸を揺する音が聞こえてくる。比企谷は特別教室を開けようとしているようだ。でも音楽室も美術室も開かないはずだ。鍵がかかっていないのは昨日連れ込んだ空き教室だけから。あの部屋だけは入るのを躊躇しているんだな。階段を登ってくる葉山の足音は比企谷にも聞こえているだろう。廊下を慌てたように駆ける彼の足音が聞こえる。意を決したのかとうとう比企谷が空き教室に駆け込んだのが見えた。ドアを閉めようとするがそれより早く葉山が滑り込む。
「来んなよ葉山」
 比企谷は窓の方に後退った。窓を開けて窓枠を後ろ手に掴み、目を見据えたまま口を開く。
「近寄ったらここから飛び下りるからな」
「君はそんなことしないだろ」
「ああ、しねえよ。お前ほんとに嫌な奴だな。でも近寄るなよ」
 カーテンが風に煽られてはためいている。比企谷は背を向けて窓枠を掴みなおした。怒りに声が震えている。
「これでお前との茶番は終わりだ。バレたらお終いだって約束だからな」
 予想した言葉なのに、いざ彼の口から告げられると胸が抉られた。痛みを堪えて彼の背に葉山は言葉を投げかける。
「終わりになんて出来ないよ、もう皆に知られたんだからね」
 比企谷は振り向いてせせら笑った。
「今だけだ。人の噂も75日ってやつだ。時間が経てばすぐに皆忘れる。お前と俺がそうだなんて誰も信じたくないだろうからな」
「俺が皆に信じさせる」
「俺は否定するぜ。もうこれからは本当に何も関係ねえんだからな。火がねえなら煙は立ちようがねえよ。俺はしたいようにするんだ。生きたいように生きる。俺の自由を奪おうってんならお前は俺の敵だぜ」
 敵、なのか。君にとって俺は。
「そんなに君は、俺を否定したいのか」葉山は声を震わせる。「俺が嫌いなのか」
 「そん……」比企谷は言いかけて暫く黙りこみ、足元に視線を落として漸く口を開く。「嫌いなら、付き合ったりしねえよ」
「比企谷、だったら」
「お前はいいよな」比企谷は薄笑いを浮かべて葉山を睨み付ける。
「俺の方がダメージが大きいって思ってんだろ。そう思ってやったんだろ。お前はぼっちじゃねえもんな。俺の代わりなんていくらでもいる」
「どうしてなんだ。君の代わりなんていない。なんでそんな酷いことを言うんだ」
「そうじゃないか」
「君を手に入れるには全部捨てないといけないのか。全部捨てれば、そうすれば君が手に入るのか」葉山は拳を握る。爪が掌に食い込む。「ならばいいよ、そうするよ」
「ざけんな。そんなこと望まねえ。お前の人生まで背負えるかよ。捨てたりしたら本当に俺ら終わりだからな」
「もう終わらせるんだろう?」
 葉山は薄く笑った。比企谷は視線を彷徨わせる。
「と、友達でいるのも終わるって意味だ」
「それはおかしいだろ。君と友達だったことなんて一度もないよ」
 その瞬間、比企谷は傷ついたような表情を浮かべた。思いがけない表情だった。何故君はそんな顔をするんだ。葉山は逡巡し思い至った。ひょっとして君は、俺と友達になることを望んでいてくれたのか。そんな言葉もなく素振りもみせずに、ひょっとしたら君自身にすら気づかない心の奥で、俺と友として繋がりを持とうと思ってくれていたのか。こんな形でしか望みが叶わなかったというのは君の方だったのか。
 けれども、と葉山は思う。俺も望んでいるのが友達だったのなら良かったのだろう。もしも君とこうなる前なら嬉しかったかも知れない。せめて友達であっても君と繋がれるならと俺は喜んだかも知れない。君の言う信じられる奴、になれたかも知れない。でももう違う。もう俺はそんなものにはなれない。
「これからも君と友達なんてあり得ない」追い打ちをかけるように葉山は重ねて言った。
「別に友達とかそんなの、お前なんかと」
 比企谷は俯いてカーテンを握りしめた。紡がれた言葉が途中で消える。傷つけたいんじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。俺が本当に言わなきゃいけないことは違う。でも言いたくない。君が惹かれるのは女の子や弱い守りたい存在なんだろう。彼らも皆きっと君に惹かれている。臆病な君を慮って言わないだけだ。優しいから見守って待っているんだ。それを知ってて俺は彼らから君を横取りした。それは俺の負い目だ。君は欺瞞を嫌う。心を偽るのを厭う。君が自分に気づいてしまったらもう俺と付き合わないかもしれない。俺から離れてしまう。俺から君に気づかせるなんて出来ない。俺の不安を君には絶対に言えない。嫉妬するのは不安だからだ。独占欲は怖いからなんだ。君を失いたくない。
「終わりのないものなんてないと君は言うけれど、でも俺は初めて会ったんだ。終わってほしくないものに」葉山は噛みしめるように続ける。「終わりたくない」
「なら何でバラしたんだ葉山。お前が終わりにしたんだ」
「俺は終わらせたかったわけじゃない。君を誰にも渡したくなかった。今も未来も永劫に。君が欲しかったんだ」
「お前ならともかく俺だぜ。誰が欲しがるってんだ。ありえねえだろ」
 もし君を欲しいと言う人がいたら君はどうするんだ。怒鳴りたくなるのをぐっと堪える。君が自分の本質に気づいたら、俺には他に幾らでもいるだろうと言って離れていくのか。君はわかってない。羊飼いは君の方だ。俺は君に他の羊を放って迷える羊を追ってほしいんだ。俺は君を誰からも引き離してしまたい。俺だけを選んで欲しいんだ。
「終わらせないでくれ」葉山はそう言いながら歩を進めた。
「側に寄るなって言っただろ」
 葉山は後退る比企谷を引き止めようと腕を掴んだ。逃れようともがく彼の両腕とも掴んで手に力を込める。比企谷はもがくのを止め、俯いてか細い声で言った。
「お前を見てるのが辛いんだ。心を隠して笑うそんなお前が」比企谷は顔を上げて葉山を見つめる。「俺のせいなんだろ」
 君は気づいていたのか。やはり人をよく見ている君に隠すことなんて出来ないな。でも理由までは理解してないだろう。葉山は心を偽るために薄く微笑む。気づいて欲しい。気付いて欲しくない。どっちなのか自分でもわからなくなっていた。
「そんなに辛いなら、やっぱり止めた方がいいんじゃないのか」
「何をだ」
「付き合うってもっと楽しいもんなんだろ。だからみんなしたがるんだろ。辛いのになんで付き合うんだよ」
「楽しくないなら意味はないっていうのか。君が思っていたのと違ったから、だから止めようっていうのか」
「お前の知ってる付き合い方ってのはもっといいもんなんだろうな。でも、お前がしたいような付き合い方は俺とではできないんだよ」
「だから何だよ。俺は君と付き合いたいんだ。他の人じゃなくて君と」
 頭に血が上り声が掠れる。腕を掴む掌にさらに力が篭る。俺だって思ってなかった。嬉しいのに辛い。大切にしたいのに傷つけたい。愛しいのに壊したくなる。でも人1人手に入れようとする所業が互いを傷つけ合わないわけがないんだ。比企谷は葉山の視線から逃れるように俯く。
「お前の方がダメージが大きいだろ、ほんとは。俺は周りの評判なんてどうでもいいからな。お前は違うだろ。こんな馬鹿なことをするなんて駄目だろ。もう止めたほうが賢いんじゃないのか」
 葉山の顔から頬笑みが消える。もう平静を装うことができない。
「嫌だ」
「でもお前、こんなんじゃ」
「絶対に嫌だ」
「無理だろ。俺にどうしろっていうんだ」
「君は理性の権化だな。正しいとか間違ってるとかそればかりだ。君の感情はどこにあるんだ」
 怒鳴ってしまいそうになり必死でこらえる。抑えた声が震える。比企谷は顔を上げて葉山を見つめると口を開いた。
「俺は信じない。永劫なんてない。終わりのないものなんてないんだ」
 葉山は唇を噛んで堪える。それが君だ。自分の心を偽らない。それが辛いことでも心に嘘はつかない。それが君なんだ。君の心だけは自由にならない。
「お前は不安なのか?」
「そう、だよ」葉山は掴んでいる腕の力を緩めた。比企谷は片腕を振り解いて問うた。
「お前が不安になる理由はなんなんだ」
 葉山は答えない。比企谷は自由になった手で葉山の腕に触れる。
「葉山、不安なのは俺のほうだ」比企谷の掌はぎこちなくそっと触れては離れる。「終わらないものはない。そう思ってるのに、でも時々信じたくなる。そのことがたまらなく嫌だ。それは弱さだからな」
「比企谷、君は」
「感情に従うと碌なことがない。わかっていたはずなのに。そうしたいこととそうすべきことは違うんだ」
 葉山は比企谷を見つめた。掴んでいた腕を引くとしがみつくように強く抱き締める。
「君も俺を望んでるくれてるんだろ。なら終わりにしないでくれ」
「勝手だな。お前は嘘をついてる。それを呑み込んだままでいろって俺にそう言うのか」
「そうだよ」
「理由を言わねえけど受け入れろって言うんだな」
「そうだよ」
 葉山は比企谷の頬を両方の掌で挟んで見つめる。比企谷は眉根を寄せて目を伏せる。
「そんな辛そうな面すんじゃねえ。お前は卑怯だ。本当に、本当に勝手な奴だ」

 丘の上には満天の星が広がる。獅子座流星群を見に行くのだと言って、葉山は比企谷を誘った。
「デートは人に見られるから御免だ」と、そう言って嫌がる比企谷に「夜なら問題ないじゃないか」と押し切った。
小高い原っぱの入り口に到着して、懐中電灯の光を頼りに芝生に覆われた丘を登る。息切れしながら比企谷は言う。
「ここでも見えるだろ」
「もっと広いところで見たいんだ。空全体が見渡せるところで、君と一緒に」
 叶えたい願いがあるんだ、そう呟いて葉山は比企谷の手を引き、小高い丘まで登った。持ってきた2人用寝袋を敷いて潜り、比企谷を手招きする。彼は渋い顔をするが寒さが堪えるのか、仕方なくという風情で潜り込んだ。寝転んで星の降るのを待った。まだ星空に動きはない。葉山は静かに口を開いた。
「来てくれてありがとう」
「寒いし来たくなかったけどよ。断ってよかったのか」
「駄目だよ」
「まだ続けるんだな」
 葉山は少し間を置いて答える。
「そうだよ。だから君は断れないよ」

 あの後教室に戻ると、葉山は仲間達に取り巻かれた。彼らはいつにない激昂した葉山を案じて、比企谷と何があったのかと聞いた。だが誰もあの時葉山の言ったことを信じてはいなかった。というよりまるで伝わっていなかった。はっきり言ったつもりだったのだが、信じるには突飛すぎたのだろう。
「ネタの提供をありがとう」と揶揄ってきた聡い姫菜ですら、本当にそうだとは受け取ってはいない様子だった。ただ比企谷が何か葉山を怒らせるようなことをしたのだろうと、そう憶測されていた。比企谷が非難されそうな噂の種を作るわけにはいかない。葉山は「比企谷は悪くないんだ。怒らせたのは自分の方だ」と即座に否定した。
 由比ヶ浜は比企谷をちらっと伺いながら「何があったのかな。最近二人ずっとよそよそしかったでしょ」と心配そうに聞いてきた。「ちょっとした諍いだよ。大したことじゃないんだ。もう仲直りしたから心配ないよ」と葉山は笑って誤魔化した。やはり比企谷の行動は極端すぎて、裏目に出ていたようだ。
昼休みの終わり間際に葉山は比企谷の席に近寄ると小声で聞いた。
「ばれてないならいいんだろ」
 比企谷は溜息をつくと声を潜めて答えた。
「今回はギリセーフってだけだ」
「君の態度はかえって不自然だったんじゃないか。そう思うだろ」
「ああ……まあな。それは認める」
「2人でデートしたとしてもばれないよ、きっと」
 比企谷は苦々しい表情で葉山を見上げた。葉山は微笑みを収め、真顔になって言った。
「デートしようよ」
「難しいだろ」
「外でも家でもいいんだ。俺はもっと君と一緒に過ごしたい」
「俺の身体が持たねえ」
「そっちじゃないよ。いや、それもないとは言わないけど。俺は君ともっと同じ時を共有したいんだ比企谷」
 昼休みの終了を告げるベルが鳴った。

 寝袋の中は狭い。端に寄ろうとする比企谷を抱き寄せ、身体をくっつけて星空を見上げる。
「星空を独占している気分になるね。そう思わないかい」
「ならねえよ」
「昔の人は星空を手に入れたくてプラネタリウムを作ったんだろうな。閉じ込めてしまいたいんだ。宇宙をぼくの手に。その気持ちはわかるよ」
「それはフレデリック・ブラウンの小説だろ」
「いや、それのつもりじゃなかったんだけど」葉山はふっと笑う。「比企谷、俺は幸せなんだよ」
「本当にそうなのか」疑わし気に比企谷が言う。
「君を手に入れた今が幸せだから不安になるんだ。失ったらと思うと怖くなるんだ。今の幸せが信じられなくなって。抗って壊してしまいそうになるんだ」
「わけわかんねえな」
「ああ、そうだね。なんて愚かなんだろうな。自分がこんなに愚かだなんて思わなかったよ」
 葉山は隣の比企谷を見つめる。薄暗い闇の中で比企谷の輪郭は見えても表情までは見えない。でも困惑している表情が見える気がする。
「君のせいで俺は愚かになってゆくんだよ」
 俺の隠していた歪みと孤独の辛さを君に暴いて欲しいと突っ掛かり、君に期待してしがみついて足掻く。君に拘る理由を知るずっと前から、俺は既に愚かになっていたんだ。
「俺は知って欲しい、救って欲しいと初めて思ったんだよ。君だけに」
「俺を買い被るなよ、葉山」
 葉山は寝袋から上半身を起こすと傍の比企谷を見下ろす。
「虚勢を張っているんだお前は」
 比企谷は空を見上げたまま言葉を紡ぐ。
「そんな生き方は厄介で難儀だな。健気で不器用とも言えるんだろうけどな」
「そう言われるのは初めてだな」
「お前は賢いのに時々信じられないくらい馬鹿だ」
「人は愚かなことだと知りながら愚かなことをするものだよ」
「なんでなんだ」
「それが人だよ。比企谷」
 葉山は掌を空に翳す。
「あ、今、向こうを星が横切ったよ。見たかい?」
「いや、見逃したな。俺はさっきお前がこっちを見てる間に見たし」
「教えてくれよ。次は同じ星を見たいな、比企谷」
 君は自分に向かってくる人を断ち切れない。突っかかる俺を縋る俺を拒絶できない。賢い君のその甘さに俺はつけこんでるのかも知れない。俺はずっと愚かなままかも知れない。でも人の愚かさが愛しさになることもあるのだと俺は知ってる。俺が君の甘さや愚かさを愛しいと思うように、君もそう思ってくれたらいいんだけれど。
 星が願い叶えることはないと知っていても。祈らずにはいられない。
 だから俺は繰り返し星に祈るんだ。

END