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魔法の言葉(R18版)

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prologue Dreams


 あれは出久だ
 中学生の時の冴えない出久だ
 おどおどして卑屈で、なのに反抗的で身の程知らずな幼馴染
 手を伸ばして、細い腕をつかむ。出久は振り返る。目を見開き驚きの表情を浮かべて。
 デク、デク。
 俺は声をかける。俺は何を言うつもりだ。
 ここからやり直すつもりなのか。やりなおせるのか。
 いや、だめだ。この頃はもう、てめえは俺に怯えてた。
 てめえがいつまでも、見えない鳥を追いかけていたから。
 無駄だとわかってるのに、追うのを諦めねえから。
 俺はいつも腹を立てて、てめえを追い詰めた。
 いつからだ。いつから。どこからだ。どこから間違えたんだ。
 俺に両肩を掴まれて、怯えながらも出久は俺を見上げる。


 何度も何度も見る夢だ。
 ずっと幼い頃から自問自答していた。
 なぜ出久だけが俺にとって特別なんだ。
 個性のない、ただの虫けらにすぎないのに。
 どうしようもなく求めているなんて。誰にも言えない。
 出久への気持ちなんて認められない、認めたくない。
 認めれば俺があいつの下になる。あいつの下になるなど耐えられない。
 認めればあいつに求められたくなる。思いを受け入れて欲しくなる。
 叶わなければ、あいつに何をするかわからない。
 俺がどうなるかわからない。
 あいつは容易く俺を壊すことができるのだ。
 弱みを握られるわけにはいけない。そんな存在があってはならない。
 あいつを俺より下だと思えば、意識しないでいられるに違いない。
 心の中から追い出せるに違いない。この苦しみから開放されるに違いない。
 何度も試みては果たせないけれども。
 気持ちを認めてどうなるというのだ。
 あいつは俺のものになるとでもいうのか。
 あいつも同じ気持ちになるとでもいうのか。
 手に入れることだけが安定を取り戻す方法なのに望めないんだ。行き止まりだ。
 囚われた気持ちは冷めることなく、永遠に続くだけなんだ。
 このままじゃいけないとわかってるのに。打開する術は見当たらない。


 細い肩を掴んで引き寄せ、正面から睨みつける。
 怖気付く瞳も、引けてる腰も、現実の出久そのままだ。
 これは夢だ。夢だから。
 今から本当のてめえには言えねえことを言う。
 てめえのせいだ。俺がこんなに苦しいのも、辛えのも。
 みんなみんなみんな、てめえのせいなんだ。


1. Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)


 書類の職業欄に、ヒーローと書けるようになってから随分経つ。
 勝己は座敷に上がると、ネクタイを緩めてポケットにしまった。コスチュームだけでなく正装まで必要だなんて、どうかしてる。
 今日、ヒーロー協会の全国集会が行われた。自由参加とはいえテレビカメラも入り、デモンストレーションも許可されており、各事務所にとっては宣伝の場でもある。しかし、ヒーロー活動の一環とはえいえ、面倒といえば面倒であるし、仕事を休むわけにもいかない。ということで、各事務所は勉強にもなると嘯き、若手を送り込んでいた。
 おかげで、遠方にもかかわらず、各地に散っていた雄英の同級生達が集結した。久しぶりだと盛り上がり、集会後は飲み会になだれ込むことになった。
「めんどくせえ。同窓会じゃあるまいしくだらねえ、帰る」と断ったが、上鳴が「緑谷がどうしてるか、聞きたくねえのか?」と釣ってきた。
 出久。名を聞くだけで、心にさざ波がたった。
「お前も知らねえんだろ。ヒーロー同士の交流少ねえもんな」
「てめえ、あのクソの行方知ってんのかよ」
「いや、俺は知んねえよ。あの事件以来、何処にいんのか全然わかんねえ」上鳴はふっと目を伏せた。「俺も気になってんだよ。でも今日は皆来てるしよ。中にはあいつの消息を知ってる奴も、いんじゃねえか?お前も知りてえだろ」
「あ?余計なお世話だ」
「もしかして、緑谷本人が来てるかもしんねえぞ!な、爆豪」
 でけえ声ではっきり言いやがって。黙れと念を込めて睨みつけた。
 飲み会の会場には、元クラスメイトがほぼ集まっていた。といってもたかだか20人だ。座敷に置かれた長い机に、全員収まっている。女どもは入り口近くに集まっていて、飯田や轟はその隣に座っている。よくつるんでいた奴らだ。いれば奴らの側にいるだろうが、やはり出久はいない。予想してはいたが。
「お前が来るなんて、珍しいな」轟が声をかけてきた。
「ああ?てめえこそ珍しいじゃねえか。結局親の事務所に入ったんだよなあ。親子で同じ事務所とか、仲良しかよ」
「仲良くはない。だが奴を否定せずに、近くにいて奴の器を測ることにした」
「は!知るかよ」
「ここに来れば、緑谷の消息がわかるかと思ったんだが」
 てめえもかよ。さらっと言いやがるところが忌々しい。
「爆豪、上鳴、こっちだ」
 瀬呂と切島が奥で手招きしている。奴らが陣取った場所に上鳴と向かった。切島が場所を空けて、座れと促す。
 飯田が立ち上がって、「まだ来てない者もいるが、時間だから始めよう」と言った。やはりあいつが幹事か。注文したビールが次々とテーブルに置かれ、リレー形式で手渡された。
「爆豪は緑谷の消息が、気になってんだとよ」
「誰がンなこと言った!死ねや!アホヅラ」
 勝手なことを言う上鳴の頭を叩く。頭を押さえて、ひでえと上鳴は呻いた。爆破しないだけありがたいと思え。
「緑谷か、知んねえなあ」瀬呂が答えた。「俺は同学年の奴らと事務所作ったから、情報弱者だぜ。大きい事務所に属してる奴のが、情報入んだろ。つーか爆豪、ベストジーニストんとこ行ったんだろ?卒業後にお前の勧誘来てたの、あそこだけだったもんな」
「あそこはすげえ大手じゃん。意外にインターンで気に入られたんだな。ま、俺もだけどな。その縁でファットガムのとこ行ったしよ」切島が言う。
「でも、こないだ辞めたって聞いたぜ?だよな、爆豪」どこから知ったのか、上鳴が口を挟む。
「うぜえ!余計なこと言ってんじゃねえ」
「はー?すげー事務所なのに、なんで辞めたんだよ。もったいねえな」
「くそっ!ほっとけよ」勝己はぐっと杯をあおる。「あそこは礼儀やらなにやら、うるっせえんだよ」
「ところでよ、知ってるか?緑谷のことだけどよ。」
 出久のことだと?隣のグループから聞こえる声に、耳をそばだてた。峰田だ。
「俺会ったんだぜ。ヴィラン連合との戦いで負傷してから、あいつ、所属していたヒーロー事務所も辞めて、行方がわからなかっただろ。実はよ、今雄英に戻ってんだぜ」
「はあ?馬鹿か!あいつも卒業してんだろうがよ!」
 我慢できず、勝己は怒鳴った。
「え、いや、いやいや、まさか生徒じゃねえよ。あいつ非常勤講師をしてんだとよ。俺が学校に行った時、たまたま会ったんだよ」
 いきなり話に入ってきた勝己に、峰田はしどろもどろになって、戸惑いつつも答える。
「何でてめえが、学校に行くんだ」
「在校生に進路の話して欲しいって、先生に頼まれたんだよ」
「ああ、俺も行ったことあるわ」
「爆豪呼ばれたことねえ?あー、お前は呼ばれねえか」
「うるせえ!」
「まあ、大抵は事務所を通じてくる話だしな」
「まだベストジーニストんとこにいれば、お前も呼ばれたんじゃねえか」
「クソが!」
 ベストジーニストの事務所からは、先月独立したばかりだ。元々上から押さえつけられるのは苦手だったし。仕事を選べねえのも気に食わなかった。はなっから仕事の仕方を覚えたら、独立するつもりだった。
 自分一人しかいないのに、名ばかりの個人事務所を開設したのは、とりあえず税金対策だ。みみっちいと言われようと、賢く立ち回るべきだろう。マンションの1室である自宅の一部を、リフォームしただけだしな
 交通機関がまだあるうちにと、早めに飲み会はお開きになった。家が近い奴らは、二次会になだれ込むらしい。
 一人になり、勝己は夜空を仰いだ。ネオンや街灯の灯りで星はかき消されている。
 雄英の奴らに会うと、一気に学生の頃の空気になるのが、妙にこそばゆい。懐かしいというほどの年月は経っていないが、たまにはいい。
 それに、収穫はあった。出久は雄英にいるのか。
 考えてみれば、あいつのことだ。一時的に身を眩ましたとしても、雄英にいるオールマイトから、そんなに長く離れたりしねえよな。しかし、そんな近くにいたというのに、偶然でも町でばったり会ったりしねえのかよ。
 まあいい、確認のために、明日にでも雄英に行ってみるか。別にあいつがどうってわけじゃなく、卒業生が学校訪問するだけの話だ。クソが。
 つらつら考えつつ、繁華街をぶらぶらと歩いた。ホテルには到着時にもうチェックインしてるし、まだ戻るつもりはない。しかし、まだ宵の口だから人通りが多いな。酔っ払いもふらついている。
 誰かと肩がぶつかり、ムカついて振り返った。
 視線を向けた先に、一瞬、見慣れたふわふわ頭が目の端に入る。
 なに?
 勝己は目を向けた。しかしその前に人並みに紛れて、見えなくなった。
 まさか、出久か。
 あいつのことを考えていたから、見た気がしただけか。
 いや、俺があいつを見間違えるはずがねえ。勝己は急いで引き返し、姿を見かけた通りを曲がって追いかけた。
 やはりいた。
 俯いてひょろひょろ歩いている黒髪の癖っ毛。間違いねえ。間抜け面で身の程知らずで、いつも心をかき乱す幼馴染。
「てめえ、クソデクか!」
 ビクリと震えて、人影は振り向いた。このやろう。でけえ目を丸くして、吃驚した顔しやがって。
「かっちゃん?なんでここに」
「てめえこそ!なんだてめえはよ。んっとにてめえ、ざけんじゃねえ」
 思いがけない再会に、罵倒の言葉も出ない。
「あ、そうか、君もヒーロー集会に来てたんだね」
「クソが。てめえも居たのか」
「いや、僕は」
 へらっと伺うように笑う顔に、さらに腹が立った。てめえ、マジふざけんなよ、この野郎。消息不明だったくせに、まるでこの1年の空白を忘れたかのように、へらへらしやがって。
「てめえ、何してんだ、こんなとこで」
「実は、鞄をなくしちゃって…」出久はもごもごと答える。「財布も携帯電話も入ってたから、ずっと探してて」
「相変わらずボケてんな、てめえは。いつなくしたんだ」
「ヒーロー集会の中継を、あのビルの大型ビジョンで見てたんだ」と出久はCMの流れるビルの壁面を指さす。「鞄は足元に置いてたんだけど、中継終わって気がついたらなくて」
「あ?置き引きじゃねえのか、てめえそれでも…」ヒーローか、と続けようとして、言葉を飲みこんだ。「しょうがねえな、クソが」」
 ふたりで散々通りを探したが、結局鞄は見つからなかった。誰かに拾われたか、盗まれたのだろうという結論に至り、警察に届けを出させた。
 出久は昼から何も食べてないと言うので、飯を食わせてやることにした。今から食える場所は24時間のファミレスくらいだ。もじもじしてやがるから、勝手にカツ丼を頼んでやった。
「ありがとう、かっちゃん。ご飯まで奢ってもらって」
 食事を終えて、心底ホッとした表情で出久は言った。
「泊まるとこはあんのか?」
「ううん、日帰りで帰るつもりだったから」
「クソが。間抜けなてめえに金貸してやってもいいが、もう電車ねえだろうが」
「そうだね、始発で帰るしかないね」
「仕方ねえ、俺と来いや」
「え?かっちゃん、どこに?」
 有無を言わさず、予約していたホテルに連れ込んだ。部屋は十分広いが、一人で宿泊する予定だったから、クイーンサイズとはいえベッドはひとつだ。
「ここ、一人部屋だよね。悪いよ」と出久は頑なに遠慮したが、グズグズすんなと部屋に蹴り入れた。
「文句言うな。こんな遅い時間に、アポ無しで入れるホテルなんてねえわ。せいぜいラブホくらいだぜ、クソが」
「そんな、文句なんてあるわけないじゃないか。いいの?本当、ありがとう。かっちゃん」おずおずと出久はソファに座った。「僕、ここで寝かせてもらうね」
 勝己は先にシャワーを浴びて、持ってきた部屋着に着替え、出久には備え付けの浴衣を渡した。ソファに座り、缶ビールを袋から取り出す。通りすがりにコンビニで買ってきたものだ。シャワー室から出てきた出久にサワーを放った。こいつが甘めの酒を好むのは知ってる。
「アルコールが入ってるが、飲めるよな」
「うん、ありがとう」
 出久は缶の蓋を開けて口をつけた。勝己は出久の上下する喉仏をじっと見つめる。
 てめえ何で、何も言わないで消えた、と言おうとしてやめる。わざわざ自分に言う理由はないのだ。げんに峰田の野郎は知っていた。偶然とはいえ。
「久しぶり、だよね」出久は呟くように口を開いた。
「ああ、てめえ何処にいた」
ヴィラン連合の残党が、追跡してくるかも知れないからって、暫く安全なところに身を隠してたんだよ。僕はもうOFAを使い果たしてしまったから」出久の声が沈んだ。
「OFAは誰かに継がせたのか」
「うん。覚えてるかな。翔太くん」
「ああ、林間学校の時のマセガキか」
「うん、彼はきっといいヒーローになる」
 本当は、と出久は続ける。「彼には渡したくなかったよ。彼はヒーローだったご両親を亡くしてるし、継承者になればヴィランに狙われて危険なんだと、彼自身が身をもってわかってたから。でも彼は良いと言ってくれた。連合との戦いの前に譲渡しなければ、OFAが僕で途絶えてしまう可能性があった。迷う余裕はなかった」
 出久はサワーをあおる。その右腕には以前にはなかった白い縫い目が走っている。ズタズタになった腕を縫い合わせた痕跡。
「幸い生き延びられたけど。皆のおかげだよ」
「は!マジで運でしかねえわ。実力だと勘違いしてんじゃねえぞ」
 きついなあ君は、と出久は苦笑した。
 出久の身体に残る傷跡が物語る、ヴィラン連合との死闘。通信を遮断された街一つを焦土にして、ヒーローにも民間人にも死傷者を多数出した事件。
 だが、自分はその場にいなかった。
「てめえ、集会の情報を聞いてやってきたんだろう。雄英のやつら来てたぜ。てめえは会ってかなくていいのかよ」
「うん、僕はヒーロー活動で来たんじゃないから」
「じゃ、てめえはなんで来た。非常勤講師の仕事じゃねえよな」
「え?かっちゃん知ってたの?」
「雄英の非常勤講師になったのは、オールマイトがいるからなんだろう。なんで隠してた」
「隠してたわけじゃないけど…」
 隠してやがったんだろうが。飯田達にも言ってねえんだから。言い訳がましいんだよ、てめえは。無力なくせに、何ができる。
 何もできないならば、自分の近くにいるべきだ、と思ったが口には出せなかった。
 空調の音が響く。缶の表面から雫がぽたりと流れ落ちる。
「てめえは、経験あるのか」
 ちょっと酔いが回ったせいか、口が滑った。気になってしょうがなかったことだ。
「え?ええ?なに?なんの経験?かっちゃん」
「誰かと体の関係になったこと、あんのかって聞いてんだ」
「え…直球だなあ」
 出久は誰とも、付き合うつもりはないと言っていた。その言葉通り、浮いた話は聞いたことがない。だがもし、あるなんて抜かしやがったら。
 自制が効かないかもしれねえ。
「…ないよ。そんな暇はなかったから」
「は!童貞かよ」ほっとして笑う。そうか、まだこいつの身体を知ってる奴は、誰もいないわけだ。
「そうだよ!機会もないし、付き合ったりしたら、相手を危険に巻き込んでしまうから」
「一晩だけの付き合いだって、あんだろが」
 出久は真っ赤になって首をぶんぶんと振った。
「そんなの、無理無理!付き合うつもりもないのにそんなこと、できないよ」
 初心な奴だ。てめえには到底無理だろうな。童貞ならなおさら、考えつきもしないだろう。奥手なだけのくせして、ご大層な大義名分をつけてやがって。
「でもこれからは、余裕ができるかもね」
「は!てめえが?」聞き捨てならねえ。譲渡したら交際も解禁ってか。うかうかしてらんねえ。出久が知らねえだけで、こいつを狙ってる奴は少なくねえんだ。
「いや、ダメかもね」
「あ?なんでだ。もうOFAはてめえん中にねえんだろ」
 即座に否定するのか。他にも否定する理由があるのか。
「OFAの元の持ち主も身内も、ヴィランに狙われるんだよ。危険に巻き込むわけにはいかないよ。死柄木みたいに、人生を狂わせてしまうかもしれない」
 死柄木。あいつの祖母は、オールマイトの師匠だという話だった。詳しくは知らねえが、一家を皆殺しにされたと聞く。OFAの持ち主はAFOに狙われる。家族までも。
 あの事件の後、死柄木は収監され、ヴィラン連合は壊滅した。だが、AFOは脱獄して行方をくらましている。
「大切な人を、そんな危険に遭わせるわけにはいかないよ」
 個性を失ってなお、OFAに縛られてやがるのか、てめえは。
「はっ!付き合う奴がヴィランより強けりゃ、いいんじゃねえか」
「そっか。そうだね」
 勝己に合わせつつ、からからと出久は笑う。てめえは全然そう思ってねえんだろう。丸わかりだ。
「かっちゃんは、経験ある、よね?もちろん」
「ああ?」
「あ、ごめん、君と恋バナしてるなんて、なんか意外すぎて」
「寄って来る女に事欠かねえよ、ばあか」
 めんどくせえから付き合ったりしねえがな、と心で付け加える。時間の無駄としか思えねえからな。すぐに恋人面しやがって鬱陶しいし、構わないと文句を言う。そこが良いという、上鳴達の気が知れねえ。ましてや同棲してる奴らなんて、もっとわかんねえ。他人が部屋にいるなんて、邪魔で落ち着かねえわ。1人のほうが気楽だろうがよ。
 だが、てめえもちっとは興味があるのか?
「知りてえのかよ。デク」
「あ、答えたくなかったらいいよ。色々あるよね」
 何を思って、色々とか言ってやがるのだろう。
「俺がどんくれえ経験あんのか、てめえで確認しろや」
 勝己は出久の側に移動し、身体を寄せて隣に座った。腕を掴んで顔を近づける。酒が入ったからなのか、恋バナもどきなんかしてる、雰囲気のせいなのか。
 喉から手が出そうなほど求めていたものが、容易く手に入りそうな予感。
「かっちゃん?」
 声も身体も。こいつの存在全てが今なお情欲を煽る。にじり寄って抱きしめた。首元に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、首筋にキスをして舐め上げる。出久は抵抗しない。そのまま出久をソファに押し倒し、見下ろしながら、自分のシャツを脱ぐ。
「ええと、引き締まってるね、かっちゃんの身体」
「てめえな、黙れや」
 出久の顎を掴み、唇を押し当ててキスをする。唇を舌で割り、口内に差し入れる。深いキスを交わしながら、出久の浴衣の帯を解く。
「なんか気持ちいい。キス、上手だね、かっちゃん」出久は呼吸を整えながら、顔を赤くして言う。
 浴衣の合わせ目から手を差し込み、肌に触れる。
「ん…、そこ、乳首だけど、ぺったんこだよ」
「うるせえ」
 興を削ぐようなことを言う唇を塞ぐ。舌を絡めとってはすり合わせる。ズボンの前が膨らみ、待ち望んだ獲物を前にはちきれそうだ。
 キスを交わしながら、ズボンを脱いだ。欲望がぶるんと姿を現す。キスをしながら、出久の股に下着ごしに触れる。固い。少し勃ち上がっているようだ。出久が勝己の手を押えて、熱を帯びた目で見上げて首を振る。阿呆か、今更止まれるわけねえだろうが。
「キスに感じてんじゃねえかよ、てめえ」
 デクの浴衣をはだけて、下着の中に手を忍ばせ、陰茎に指を沿わせる。
「わ、かっちゃん、そんなところ」
 余計なことを言う前に、再び口を塞ぎ、下着を脱がす。着物は脱がし易くていい。簡単に全裸にできる。脱がせた浴衣はソファに敷き、その上に横たわり、身体を重ねてキスを交わす。擦れ合う肌。押し付けあう局部。熱が身体に灯り、燃えるようだ。
 下肢の間に腕を伸ばし、出久の性器に指を絡ませる。人差し指と親指で輪を作り、上下に扱く。竿の皮膚が縒れて、芯が固くなってくる。完全に勃たせた。出久の呼吸が乱れて喘ぎ声が漏れる。首筋に唇を這わせる。キスをして、肌に跡をつける。
「触ってみろや」
 出久の手を取り、自分のペニスに触れさせる。出久はおそるおそる先端を撫でて、幹をなぞる。
「かっちゃんのおっきいね。勃起してるの初めて見た」
「俺がしたみてえに、擦ってみろや」
 出久は促されるままに、指を滑らせて勝己のペニスを擦りあげる。出久が自分のものを摩っている。堪らない。だが、遠慮がちなのがもどかしい。
「そんな擦り方でいけるかよ」
 出久の手をどかして、出久と自分のものと束ねて握った。くっつけて一緒に擦り始める。
「あ、あ、もう、出る、あ、かっちゃ…」
 出久は悶えた。手の中でビクビクと震え、出久のものが白濁を垂らす。
はええな、てめえ」
「ごめん、出るって言ったのに」
 ティッシュで拭き取って、見つめる。自分の手で出久のものを屹立させ、いかせたことに興奮する。だが、まだこれからだ。指を舐めて手を出久の尻に回し、揉みながら、窄まりを指で掠める。びくっと出久が反応したので、キスをして口を塞いだ。するりと指を入れて、円を描くように動かして解す。このあたりのはずだ。指をぐっと第二関節まで入れて、指を曲げて探る。
「ああ!なに、今の」
 出久の身体がはねた。
「当たりか。ここがてめえの前立腺だろ。どうだ、気持ちいいかよ」
 ん、ん、と悶えるのが堪らない。再び勃起したところで、扱いて、抜いてやる。
「またいきやがって。やらしい身体してんな」
 てめえの出したもんだぜ、と掌を見せると、やめてよ、とデクは羞恥で顔を隠した。拭き取った紙を屑篭に投げ捨てる。
 脱力した出久の脚を肩に抱えあげた。窄まりが眼前に晒される。自分が触れるまで、誰も触れたことのなかった秘所だ。買い物袋を探り、ローションのボトルを取り出す。酒と一緒にこっそり買ったものだ。痛さで嫌がられんのは困るからな。ローションを窄まりに塗りこんで丁寧に解す。自分のペニスにもローションを塗って、出久の後孔に押し付ける。
「いくぞ、クソデク」
 ぐっと突き上げると、吸い込まれるように、スムーズにぬるりと沈んだ。あうっと出久は呻く。腰を振り、ゆるゆると貫いてゆく。締め付けが気持ちいい。勝己の猛った雄を呑み込んで、窄まりがひくりと震える。出久の手はシーツを泳ぐように掻き、声を押さえて、勝己の挿入に耐えている。
「どうだ、デク」
「中から内臓を押されるみたいだ。あ、ん」
 男と身体を繋ぐのは骨が折れる。本来性交に使う器官ではないのだから。初めてというなら尚更辛いだろう。だがやめられやしない。
 肌、体温、命の確かな感触。てめえはここにいる。髪に手を差し入れて、後頭部を掴んで引き寄せ、口付ける。吐息を貪る。性器を括れの際まで引き抜き、突き入れる。深く入れては引き抜き、再び穿っては貫く。
 締め付けが緩まるときに突き入ると楽に入る。コツを掴み、次第にスムーズに動けるようになってきた。
「あ、あふ、かっちゃん」
「入っちまうもんだな。てめえん中に根元まで収まっちまったぜ」
 肩からデクの足を下ろして、体を繋げたまま、両足を揃えて横に倒した。中をぐるりと抉られてデクは「ああ!」と声を上げ、苦悶の表情を浮かべる。
 ちときつかったかも知れねえが、これから快感を引き出してやる。気持ちいいと思わせねえと意味がねえ。
 激しく求めそうになる心を堪え、出久の身体をくの字に曲げて、勝己は浅い箇所をぬちぬちと様子を見ながら、小刻みに動かす。同時に亀頭を摘んで擦ってやる。指に挟んだ肉が芯を持ち、硬くなってきた。はっはっと短く呼吸する息遣いが甘い。感じているのを隠そうとしている。もどかしい。
「感じてんだろ。声、出せよな」
 汗ばんで頬に張り付いた出久の髪を梳く。勝己はニヤリと笑みを浮かべる。デクの中を行き来する己の欲望。いい光景だ。堪らねえ。
 スピードを上げるとデクは喘ぎ、シーツを爪で引っ掻いて悶える。やっと手に入れたという征服感と安堵が胸に満ちてゆく。腰が次第に熱くなってきた。射精の兆し。中に出そうか迷ったが、初めてなのだからやめておくか。性器に向かって熱の塊が走る。ギリギリで引き抜いて、出久の身体を仰向けに返した。亀頭を出久の腹に先を押し付け射精する。
 静かな部屋に、2人分の荒い息遣いが満ちる。全力疾走したみたいだ。掌を出久の胸に当てる。早鐘を打つような心臓の鼓動。
 出久は生きている。この掌の下で。死にかけたとは思えないくらい、心臓は激しく脈打っている。
 だがこの身体の中には、もうOFAは宿っていない。
 出久はヴィラン連合との戦いで、個性を使い果たしたのだ。


2. Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)


 出久が瀕死の重症を負ったというニュースが届き、勝己は病院に駆けつけた。
 既にプロヒーローとなって、数年経っていた。「デク」の名はオールマイト後継とまではいかないとしても、若手ヒーローの中では抜きんでて有名になりつつあった。無論、ヴィラン達にも。
 集中治療室のドアの前には、雄英の頃の同級生一堂が集まっていた。
 途中からヒーロー科に編入した、元B組の奴もいる。眠そうな顔をした、心操とかいう奴だ。あいつが敵を洗脳して、出久が呼び出された街を突き止めたという。
 丸ごと人質に取られた街。一刻を争う事態で、出久は連絡する術がなかったという。だが、単身敵地に飛び込むなんて、馬鹿のすることだ。急遽集められたヒーローが駆けつけなければ、どうなっていたことか。
 硝子の向こうの部屋に、寝かされている肢体が目に飛び込んだ。腕から足からコードが何本も伸び、顔には人工呼吸器をつけられている。肌の色は幽鬼のように白く、生気がない。
 あのクソバカが!勝己は硝子を叩いた。
「同じ現場にいたんだ」飯田がポツリと呟いた。「いつも彼は1番危険な所に飛び込んでいくけど、笑って帰ってくる。だから大丈夫だと思ったんだ」
「飯田、自分を責めんな。現場には俺もいたんだ。止めなかったのは俺も同じだ」轟は苦悶の滲む声音で言った。
「誰も止められないよ。デクくんが助けたいというなら。いつも助けてしまうんだもの。今回だって、大丈夫だって思っていたんやもん」麗日は泣きはらした顔をしている。
 クソが。てめえらはデクを過信してたんだ。あいつはただの身の程知らずなんだ。勝己は歯噛みした。俺はこんな馬鹿のために、泣いてなんかやらねえ。泣けるもんかよ。頭にきて涙なんか一滴も出ねえわ。
 だが、一番腹が立つのは、出久の危機をニュースで聞くまで、まるで知りもしなかった自分だ。
 出久は死ぬのか。また俺の知らねえところで戦っていたのか。いつもいつもそうだ。
 こんなことになるのなら、側に置いて見張っているべきだった。自分にその権利はないとしても関係ない。できるものなら、閉じ込めておくべきだった。
 頭を硝子に押し付ける。ひやりと固く冷たい、出久との間を隔てる硝子の壁。
 幼い頃からいつも、心のど真ん中を占めていた出久。
 自制心を失わせ、感情を揺さぶり、年が経つごとに存在感を増していった出久。
 高校を卒業するまで同じクラスで、目について目障りだった。目に入らないところに行けば、やっと俺は自分を取り戻せるのだと思っていた。心を占める邪魔者がいなくなれば、自由になれるのだと思っていた。けれども違った。側にいなくても、出久は図々しく心に居座った。
 出久を失ったら、心のど真ん中に穴が開くだけだ。虚は虚のままなのだ。この虚を埋めるものは、出久のほかにないのだ。
 手の届く側から離れるべきじゃなかった。
 ようやくわかったのに。なのに失われようとしている。距離を置いてしまったが故に、俺は間に合わなかった。 
 一生この虚を抱えたままでいろというのか。
「てめえ死ぬとか、ふざけんなよ!」
 低い声で呟く。再び硝子を叩く。爆豪くん、と背後で誰かが呼ぶ。
「クソが。殴りゃあ、起きんじゃねえのか、開けろや、ぶん殴ってやる」
 治療はもう終わってんだろ。もう待つしかねえんだろ。まだ中に入れないねえのか。
 皆が見守る中、集中治療室の扉が開いた。相澤先生と警官に連れられて、一人の男が入ってきた。短髪黒髪の痩せた男だ。
「ヤクザのなんとかって奴に似てねえか?」誰かがボソッと言った。
「あいつ、緑谷と戦った、死穢八斎會のオーバーホールじゃねえか!マスク付けてねえけど間違いねえ!」切島が叫んだ。
「おいマジか?」「刑務所にいんじゃねえのかよ」同級生の奴らが、我先に硝子の前に押し寄せ、不安げに騒ついた。
ヴィランじゃねえか!」勝己は怒鳴った。「なんであんな奴を中に入れるんだ」
 表情はマスクでわからないが、医師達もひそひそと囁きあって、不安がっているようだ。
 問われる前に、男は自ら口を開いた。
「壊里に頼まれたんだ。俺の腕は壊里に巻き戻させた」
 男は手錠で拘束された腕を上げて示した。
「この手で、俺がこいつを治してやるよ」
 医師達は信じていいのか問うように、相澤先生に視線を向けた。先生は頷いた。
「こいつの個性は治療だ。何かを破壊するような力はない」
「この手があれば、どんなに怪我でも治癒できる」男は掌を広げて言った。「壊里は完全には個性を制御できない。だから死に損ないのそいつに、巻き戻す個性は危険すぎて使えない。壊里に言われたさ。俺の身体の保証はできないが、俺を巻き戻すから、そいつを治してやってほしいとな。もし巻き戻しが止まらなくなったら、自分を壊していいとまで言ってな。全くいい女になったもんだぜ」
「わかってるな。腕を得ても、お前は逃げられないぞ」相澤先生が言った。「おかしなことをしたら止める」
「逃げねえよ。お前たちと取引したからな。俺は治った腕で親父を治させてくれるなら、他に望むことはないさ。それで貸し借りはなしだ」男は言った。
「ああ、約束しよう」
「それに、死柄木の野郎を喜ばせるのは、癪に障ってしょうがねえ。奴は大嫌いだ。だがデクと言ったか、こいつのことは認めてる。やりあった仲だしな」
 男の手が出久の額に置かれた。「じゃあ、やるぜ」
 男が目を瞑り、俯いた。暫くして、出久の身体がぴくりと震え、痙攣を始めた。
「おい!」と勝己は硝子を叩いた。クラスの奴らも背後でざわめいた。
 くそっ!びくともしねえ。壊してやろうか。いや、硝子を爆破したら追い出される。自分の自制心が忌々しい。
「慌てんな」と言い、男が硝子を隔てた勝己たちに視線を移した。
 暫くして、包帯で隠しきれてない出久の傷が、引いていくのが見えた。
「マジで治っていってるぜ。あいつ、ヴィランのくせに、ほんとに治しやがった」切島が感心したように言った。
 出久は咳き込んで、首を振った。マスクが剥がれた。深い呼吸を繰り返して薄目を開けた。硝子の向こうから、自分たちを認めたように、まっすぐな視線を寄越した。ぎこちなく薄く笑った。
 クソが。あの野郎、無理に笑顔を作ってやがる。安堵したと同時に、腹が立った。
「仕事は終わった。親父のいる病院に連れてってくれ」男は言った。
「ああ」と相澤先生は頷いた。「嬉しくはないかもしれんが、礼を言う」
「ふん、皮肉にしか聞こえねえな。約束は守れよ」
 男は相澤先生に連れられて、病室を出て行った。
 出久は回復した。だが個性は失われた。
 正確には個性を出せるほど、身体が持たなくなったということだろうか。
 暫くして出久は退院した。だが、誰とも連絡を取ることもなく、集まりにも顔を出さなくなった。いつの間にか事務所も辞めていて、誰にも何も言わずに姿を消し、音信不通になった。

「僕はてっきり、君に嫌われてると思ってたんだ」
 重ねた身体の下で、出久はぽつりと言った。
「はっ!何寝言言ってんだ、クソが。てめえのこたあ、気に食わねえよ」
「え、でもこういうこと、嫌いな相手とはしないよね?」
「丁度いいとこに、てめえがいただけだ」
「そういうものなの?オトナだなあ、かっちゃん」
 くそっ何言ってんだ俺は。納得すんなよ。クソデク。何も思ってなくて、てめえを抱けるかよ。
 勝己は出久の髪をくしゃっと掴み、荒っぽくキスをした。起き上がり、ソファの下に落とした衣服を拾う。
 出久は身体を起こし、浴衣を羽織って不格好に帯を締めなおす。
「一晩限りの関係なんて、僕は今まで理解できなかったけど、成り行きでこうなることあるんだね」
「はあ?」
 一晩?何言ってんだこいつは。
「付き合ってなくても、経験はあるって言ってたけど、そういうことなんだね。」
「はあああ?」
「ご、ごめん、ぼくが言うなって感じだよね。なんか、凄かったよ。人のもの触るのも触られるのも初めてだったし。君の身体が中に入ってくるなんて、強烈な体験だったけど。忘れられるかな。でも、忘れるよ。次会ったときは、普通にできるように頑張るよ」
 出久は早口でベラベラとまくし立てる。ムカついてきた。
 てめえ、ざけんなよ。勝手に解釈してんじゃねえよ。んな器用にやれっかよ。経験なんざほとんどねえわ。てめえにんなこと言えっかよ。見栄をはっただけだ。
 いや、問題はそこじゃねえ。
 こいつは一晩限りで、終わらせようとしてやがる。そういう話はしてたけどよ。てめえに勧めたわけじゃねえぞ。つい今まで俺に抱かれてたくせに、もう思い出みたいな口調で語りやがって。それとも、初めからそのつもりで受け入れたんかよ、出久のくせにてめえ。そうはさせるかよ。
「おいデク!てめえは」
 どういうつもりで、と問いただそうとしたところで、出久が口を開いた。
オールマイトアメリカに行くんだよ」
「あ?ああ、そうかよ」
 出鼻をくじかれる。なるほど。ヒーローの本場だ。昔オールマイトが敵の手を逃れて、暫く住んでいたと聞いた。かの地での活躍が、オールマイトを世界的に有名にしたと言える。
「それでね、僕もオールマイトと一緒に、アメリカに行くんだ。そのために英会話の勉強もしていたんだ」
「はあ?なんだと?」驚いて聞き返した。出久も以前のオールマイトと同じように、逃亡するというのか。
「そんでてめえ、いつ日本に戻んだよ」
「何年いることになるか、決まってないって。もう定住することになるかも知れない」
「てめえも一緒に、かよ」
「うん、僕もだよ。一ヶ月後にもう日本を出るから、それまでに部屋を引き払わなきゃいけないんだ。手続きはもう済んでる」
「はあ?すぐじゃねえか」
「うん。そうなんだ」出久は曖昧な笑みを浮かべた。「でも、行く前に君に会えてよかった」
 何を言いやがる。ふつふつと怒りがわいてくる。ふざけんなよてめえ。やっと会えたんだ。やっと抱いたんだ。やっと手に入れたんだ。これからじゃねえのかよ。クソが!クソが!
「おい、クソデク!」
 うかうかしてはいられない。ほんの1カ月後には、出久はアメリカに行っちまう。
「な、なに?かっちゃん」
「今回の件の見返りを寄越せよ」
「えええ?見返り?」
「そうだ!文無しのてめえに飯を食わせて、ホテルにまで泊めてやった上に、明日帰る電車賃まで、出してやるわけだからよ」
 顔を寄せて迫った。やっと捕まえたのに、逃してたまるかよ。たった一ヶ月という期限だとしても、ここで手離すわけにはいかない。
「そ、そうだね。ありがとうございます。かっちゃん。あの、僕は何をすればいい?」
「てめえがアメリカに行くまでの時間、全部俺に寄越せ!」
「えええ?」
 一晩限りでこれっきりとかぜってーねえわ。アメリカに行く前に、てめえとしてえことを、全部やりきってやる。
 この時、先のことなど何も考えてはいなかった。とにかく今、なんとかしなければと思ったのだ。

 翌日、勝己は出久と一緒に帰途に着いた。だが、住居兼事務所の自宅には戻らずに、そのまま出久の住処に押しかけた。
「学校側が、セキュリティがしっかりしてないといけないって、住むところを提供してくれたんだ。家具つきだから引っ越しも楽だったよ」
 雄英の敷地の側にあるが、門からは離れてる。白壁の意外と立派なマンションだ。
「寮もそうだったな。セメントスが作ったんじゃねえのか」
「あ、そうかもね。他にも学校関係の人が住んでるよ。空き部屋もあるから、時々先生が泊まったりしてるよ」
 勝己は出久の手からキーを取り上げてドアを開け、出久が入ると後ろ手に鍵をかけた。反転して出久をドアに押し付ける。
「いたた!かっちゃん?」
「てめえの時間、全部寄越すっつったよなあ、デク」
 出久の尻を剥き出しにして、自分のズボンの前を寛げた。その場で後ろから挿入する。征服したばかりの身体は、二度目の侵入をやすやすと許した。強く突き上げると、出久は、はあっと喘いで振り向いた。
「ああ、かっちゃん、待って」
「止められっか、クソが。てめえも協力しろや」
 こいつの家で、今やることに意味があるんだ。もう一時の気の迷いなどとは、言わせない。
 布が邪魔になって、出久の脚を大きく開けない。先端はするっと入っちまったが、これ以上深くは入れられないか。一旦雁首を引き抜き、対面姿勢になって、出久のズボンを引き下ろした。
「ちょっ、かっちゃん」と狼狽える出久の背中をドアに押し付ける。「首に捕まれや」と言い、太腿を持ち上げて膝裏から腕を入れ、尻を抱えて抱き上げた。脚がつかなくなり、不安定になった出久は慌てて肩に腕を回し、脚を勝己の腰に巻きつける。再度窄まりに熱を押し当て、下から突き上げる。
 出久は「ああ!」と悲鳴をあげた。先端がきゅうっと締め付けられる。出久の自重で、揺さぶるほどに食い込み、括れから肉茎と締め付けが移動する。深く暖かい内壁の中に沈めてゆく。
 尻を掴んで小刻みに揺さぶるうちに、感じ始めたのか、出久は押し殺した喘ぎ声をもらす。尻を持ち上げて、浅いところを刺激する。
「そこ、やだ、おかしくなる」
 腹に触れている、デクの性器が固くなってきた。上衣も着たままで玄関先でやるなんて、盛った動物のようだ。だが、部屋に入った途端に、待てなくなった。
 服を脱がす時間すら惜しくて、ベッドまでの距離すら長く感じた。理性も感情も吹っ飛んで、本能だけに支配されたようだ。こんなにも飢えていたのか。
「デク、口開けろや」と言い、唇を合わせて深くキスをする。口腔を探り、舐めて吸い、同時に尻を持ち上げては突き上げる。貪りつくす。
 ドクリと奔流がペニスの中に押しよせ、繋げられた身体に出口を求めた。腰を引き寄せ、強く突き上げ、出久の首元に顔を伏せて唸る。絶頂が訪れた。
「あ、かっちゃん」
「ふは、ああ、悪いかよ」引き抜いてから出そうなんて、微塵も思わなかった。息が上がる。
「いったんだ。中が濡れたみたい」出久がぼうっとした声で呟く。
「ああ?うるせえ」
「抜いたら、溢れちゃうよ」
「てめえ、煽んな、バカ」
 勝己は出久の耳をかりっと甘噛みした。


3.Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)


 カーテンの隙間から、日差しが細く指している。光はゆらゆらと移動し、隣に寝ている出久の髪を照らす。狭いベッドの中で、お互いの裸の肌が触れ合う。
 肩から腰まで、滑らかなラインを撫でる。胸に指を滑らせ平らな乳首を摩り、腹筋の割れ目を辿り、下腹の繁みの下の性器を弄ぶ。
 尻を撫でて抱きしめて、脚を挟み込み、双丘の間に勝己の性器を押し付ける。すん、と頸の匂いを嗅ぐ。
 俺のもんだ。ひとつに融け合うような感覚は、出久としか味わえやしない。
 小さく声を上げて身じろぎすると、出久は首を傾けて振り向いた。
「かっちゃん、もう朝だよ」
「やっと起きたんかよ。もう9時だわ、クソが」
「僕、そのまま寝ちゃったの?今日が休みでよかった。裸のままで寝るなんて初めてだ」
「やってから、そのまま寝るのも、だろうが」と揶揄う。「わわ」と出久は真っ赤になって、ベッドからそそくさと立ち上がった。
「かっちゃん、シャワー先に浴びていいよ。近くにご飯食べに行く?」
「食いもん、なんかねえのかよ」
「冷蔵庫の中何もないんだ。引っ越しするし。物減らさないといけないから」
「はあ?引っ越すつっても、あとひと月もあんだろーが!」勝己は起き上がって、出久の腕を掴んだ。「よし、買い物に行くぞ、クソデク」
 ふたりは近所のスーパーに連れ立って入った。弁当を手に取ろうとする出久の手を「いらねえ」と言ってはたく。卵やら玉ねぎやら、調理の必要な食材を籠いっぱいに放り込み、調味料も入れてレジに向かう。
「かっちゃんが作るの?」
「なに抜かしやがる。誰がてめえなんぞに作ってやるか!てめえも手伝うんだ、クソが」
「ええ!僕料理できないよ」
「飯の作り方くらい覚えろよ。アメリカで外食ばっかするつもりかよ」
 自分で言ったアメリカ、という言葉がちくんと胸を刺す。
「あ、そうか。うんそうだよね。何すればいいかな、かっちゃん」
「とりあえず、ご飯くらい炊けるよな」
「うん、もちろん出来るよ」
 そう答えたくせに、家に帰って準備を始めると、炊飯器を前にして出久は「あれ?どっちの目盛りに合わせればいい?」とまごついている。
「無洗米だからこっちだ」
「研がなくていいの?」
「ざっと1回洗えば十分だ。てめえ、全く自炊したことねえのかよ」
「うう、恥ずかしながら」
「それでよくもまあ、もちろんとか言えたもんだぜ。俺がやった方が早いが、猫の手でもマシだ」
 炊飯の後は味噌汁を作らせることにしたが、出久の手つきはおぼつかない。測った味噌を、そのまま汁に入れようとしたのが目に入り、といてから入れろと怒鳴る。
 台所にふたり並んで炊事しているなんて。まるで合宿の時のようだ。あの時はクラスの奴らも一緒だったが。
 もしも、このままてめえが日本にいて、一緒に住むのなら、どっちも働いてんだから、作るのは交互だろ。飯の一つも作れなきゃな。
 もしもだけどよ。
 ご飯に味噌汁に卵焼きに、お浸しにサラダ。いつもより時間がかかったが、まあいい、出久にしちゃ上出来だ。
 朝食の皿を並べて、テーブルに向かい合わせに座る。出久は自分の作ったものを「美味しい美味しい」と言いながら口に運ぶ。
「てめえ、学校から帰るのは何時だ」
「大体定時だよ。講師だからね。担任を持ってると大変そうだけどね。相澤先生はいつも残業してるよ」
「その講師の仕事はいつまで続けんだ」
「ギリギリまでやるよ。それに引き継ぎを必要とするような授業じゃない。ヒーロー歴史学は個性に関わらず、誰でもできる教科だから」
「てめえでも、役に立つってわけだ」
「うん」一拍おいて、出久は続ける。「無個性でも」
 それから、勝己の仕事の話や、ヒーロー集会で会ったクラスメート達の話になった。
 他愛無い会話が擽ったくて、胸が暖かくなる。


「おい、起きろてめえ。いつまで寝てんだ」
「お、おはよ、早起きだね。かっちゃん」
 勝己に叩かれた頭を摩りながら、出久は起き上がった。昨夜も勝己は出久の部屋に泊まった。ここ一週間、帰ってくるのは出久のマンションである。
「さっさと着替えろや。これからランニングに行くぞ。身体が鈍るわ」
 家から少し走ると、広い運動公園があった。ランニングコースの内側に、野球やサッカーのグラウンドがある。少し離れると木立に囲まれた小さな広場があり、滑り台やブランコなど、子供の遊具が設置されている。
「ここ、家の近くの公園を思い出すね」出久は懐かし気に言った。
「ああ、まあな」
 出久と一緒に遊んだことも、いじめたこともある。甘くて苦い、公園の思い出。
 飲み物を買うためにコンビニに立ち寄った。出久は花火に目を止める。
「もうそんな季節なんだ」と出久は微笑む。「花火、やったよね」
「ああ、ガキの頃な」
「かっちゃんは、ネズミ花火ばっかり火をつけて、僕に投げてきたよね」
「ばっかりたあ、なんだてめえ。チキンなてめえが逃げるからだ。それに、てめえらが尻込みする打ち上げ花火には、俺が火つけてやったろーが」
 飲み物を買ってきて公園に戻り、木陰で一休みする。
 ポカリを嚥下するデクの喉。舐めたくなる喉元から目を逸らす。歯を立てて噛み跡をつけたい。
「久々に走ったよ」額の汗を拭いて、出久は言った。
「ああ?なまってんじゃねえのか」
「君は毎日ジョギングしてるの?」
「たりめーだ。毎日鍛錬しねえで、ヒーローでいられるかよ」
「汗かくのはいいね。色々考えないですむから」
 何を考えたくないのか。芝生の上に寝転んで、出久は顔をタオルで覆っている。表情は見えない。
 子供の頃の夏の夜、花火とバケツとチャッカマンを持って、出久を誘って河原に行き、花火で遊んだ。ネズミ花火や蛇玉や打ち上げ花火だってあるのに、出久はいつも地味な花火を手に取った。
 出久の手の中の、今にも火の消えそうな線香花火。チリチリと細い火を吹く火を、心配そうに眺めているのを見かね、花火に火を継いでやった。にっこり笑う顔が、花火に照らされた。かっちゃんの掌の火花みたいだと、出久は言った。思い出すと、糸屑のように縺れて散る火花の、ぽしゅぽしゅっと弾ける音が、聞こえるようだ。
 大きな鳥の影が、広場を横切ってゆく。
 出久は空を仰いで、手を伸ばす。
「手が届くなんて、思ってなかったなあ」
 鳥の姿は遠く空の彼方に小さくなる。出久はそっと手を下ろした。
 こんなに早く失うとは思わなかったと、言っているように響いた。
 出久は瀕死の重傷を負った。助かったのは奇跡だ。単身ヴィランの元に向かう時に、前もって個性を譲渡した判断は間違ってない。だが、出久は死闘を生き延びた。生き延びてしまった。
 個性を譲渡してしまったことを、悔いているのか。オールマイトと同じように、壮年を過ぎてから譲渡したのなら、諦めがついたのか。個性の残滓すら、吹き飛んでしまった今。
「そろそろ戻るぜ」
「うん」
 起き上がり、出久は顔からタオルを取った。いつものような穏やかな顔をしている。

 警察から連絡があった。鞄が落し物として届けられたらしい。金だけはなくなっていたが、中身を聞くと他のものは無事のようだ。
「繁華街探し回るより、さっさと警察に届けりゃよかったんだ」
 まあ、うろついてやがったから、出久を見つけたわけだが。
「大したもの入ってなかったからね」
 出久は、ただ淡々と呟いた。


「ちゃんとしゃぶれよ」
 ベッドに浅く座った勝己。その股の間に出久は蹲って、勝己を見上げる。指で勝己の屹立したものを挟み、少し躊躇って先を咥える。
 出久が自分も口淫すると言ったのだ。勝己にばかりさせては申し訳ないと思ったのだろう。勿論、出久なら勝己がすれば、そう思うだろうと踏んでいた。出久の舌が亀頭を舐めて、唇がそろそろと肉茎を移動する感触。
 ふうっと息を吐く。温かい口内も気持ちいいが、なによりも、自分に奉仕している出久の表情が堪らない。髪を梳いて、紅色の頬を撫でると、上目遣いに見上げてくる。
「アイスキャンデーじゃねえぞ。そんな風にただ舐めてるだけじゃ、イけねえわ。こうやんだ、練習しろや」
 出久をベッドに引き上げて寝かせ、足を開脚させると、勝己は出久のものを咥えた。先端を舐めてから、深く口内に導いて頬張り、頬を窄め、内側で圧迫しながら抽送する。あ、あ、と出久が喘ぐ。わざと水音を立てるように、しゃぶる。
「かっちゃん、もういい、出そう、離して」
 出久は自分のものを呑ませるのを嫌がる。だから逆にやりたくなる。達して、口内でビクビクと、出久のものが震える感触がいい。
「や、だ、かっちゃん」
 出久は顔を覆って喘ぎ、ああ、と唸って脱力する。
「やだって言ったのに」と呟いて、羞恥に顔を赤くする。
 塩辛いそれを飲み干して、勝己はニヤリと笑う。てめえの出したもんだろう。
 全部、俺のもんだ。


 なし崩しに、勝己は出久の部屋に居ついた。
 スペアの合鍵を有無を言わせず奪取し、ヒーロー活動の後は、毎日出久の部屋に入り浸り、夜毎身体を繋いだ。
 思っても見なかった同居生活。他人が部屋にいる生活など、考えられなかったというのに、この安心感はなんなのだろう。
 ようは同居する相手次第なんだ。
 出久を独占している安心感。出久の存在はいつも心を波立たせ、苛つかせていたのに。自分だけの物になった途端に、こうも心が穏やかになるとは。幸せとはこういうものなのか。
 でもひと月後に失われてしまう。
 たとえ出久を追って自分もアメリカに行ったとしても、大した実績もツテもない今の自分では、ヒーローの仕事はできない。観光客か留学生が関の山だ。職業ヒーローとして行くとしたら準備が要る。少なくとも何ヶ月、もしくは何年かはかかるだろう。その間に出久との関係はどうなる。
 手放せるのか、俺は。腕枕で眠る出久。眼前ですうすうと呼吸している出久を、ぎゅうっと抱きしめる。
 温かい生きた身体。手放せるのか。出来ることなら閉じ込めてしまいたい。
 傷だらけの腕に触れ、白い傷跡を辿る。手足を折って仕舞えばいいんじゃないか。爆破して壊して仕舞えば、てめえはどこにもいけない。
 そんなこと、出来るわけがないだろうと、理性が囁く。


「そろそろ部屋を引き払わなければいけないんだ」
 朝食の支度をしながら、出久は言った。簡単な料理なら、出久はひと通り作れるようになっていた。
「ここを出んのか」勝己は問うた。
「一週間単位で借りてるけど、来週の半ばには出発するから。家具は備え付けだし、ほとんど自分のものは無いんだけどね。オールマイトグッズは別だけど。渡米に必要なものだけ残して、後は家に送るよ」
「まだ日にちあんだろ?」
「出発までホテルに泊まるか、家に戻るよ」
「なら俺の家に来いや」
 出久は驚いた表情をして、キッチンから顔を出した。
「ええ、行けないよ。そんな、悪いよ」
「ひと月俺といる約束だろうが!忘れてんじゃねえ」
「あ、そうだったね。でも」
「てめえは約束を違えるのかよ」
 出久は思案顔で答える。「じゃあ、ちょっとだけ。お世話になるね。すぐ僕はアメリカに行くし、荷物はスーツケースに入れて持ってくよ」
 出久は力をなくしても、名前だけは敵に知られている状態だ。親元に帰るのさえ、用心しなきゃならない。海外の方が国内よりもマシなのかもしれない。
 だが納得できやしない。このままでいられないのか。
 てめえとしたいことはまだあるんだ。一緒に居ればいるほど、したいことが増えていくんだ。幾らでも沸いてくるんだ。
 人と一緒に住むなんて、考えられなかった。自分の空間を人に乱されるなんて、厄介なだけだと決めつけていた。でも結局は誰と住むかってことだけだったんだ。一緒にいたい奴と一緒に住みたいと思うのは、当たり前のことなんだ。
 てめえと同じ空を見上げたい。青い空を、赤い夕日を、黄金色の朝焼けを。自分だけなら同じ空でも、てめえと眺めるのならば、毎日違う空なんだ。同じ時間を共有したいんだ。
 てめえはアメリカ行って何すんだ。オールマイトのコバンザメみたいなものじゃねえのか。ほんとにてめえが、行かなきゃいけねえなのか。
 だがこの一月足らすでは、アメリカに行くという、出久の決心は変えられなかった。奴の中で決定事項になっているのだ。今を幸せだと思うほどに、焦燥感と苛立ちが心を黒く覆ってゆく。


「あ、あ、」と出久は背をしならせて喘ぐ。
 ベッドのヘリに立たせて、後ろから激しく打ち付ける。腰を振りながら髪を掴み、さらに強く突き続け、スピードを上げる。
「かっちゃん、や、あ、あ、」
 引き抜いて、ベッドに仰向けにして、背中だけをつけて寝かせた。尻を浮かせて足を開かせ、覆い被さり、再び挿入する。慣らされた孔はすんなりと勝己を受け入れる。気分がいい。
「お尻が落ちちゃうよ」
 と出久は勝己の腰に脚を巻きつけ、肩に抱きついてくる。中もきゅうっと締め付けられる。
 身体を密着させ、下腹で柔らかいままの出久の陰茎を押さえつける。
「勃たねえな」
 激しく突く内にずり上がり、出久の尻はベッドに乗った。身体を起こして、内壁の浅いところをペニスの先で擦る。出久の身体と繋がった、陰嚢の下の結合部。ひくひくと窄まり、弛緩しては勝己を刺激する。
 デクは自分のものに、手を伸ばそうとした。
「おっとお、ちんこには触んなよ。させねえよ」
 出久の手を掴んで止める。すると、出久はもう一方の手を伸ばそうとした。
「させねえっつってんだろ」
 両手を一纏めにして片手で掴むと言った。「後ろだけでいけよ、デク」
「え、そんなの無理」
「正常位と後背位とどっちでやって欲しい。答えろや。あ?後背位か」
 返事を待たずに、出久の身体をひっくり返す。ベッドの上に上半身だけを乗せて腹ばいにさせ、膝は床につかせる。尻を突き出させて、腰を引き寄せるようにして、ぬぷりと挿入する。動かすほどに擦れ合う陰茎の皮膚と、出久の内壁。
 出久は「ん、ん、」と動きに合わせて、小さく息を詰まらせる。獣じみた体位。激しく腰を振り、揺さぶり続ける。身体がぶつかり、汗ばんだ皮膚がくっついては離れ、音をたてる。獣のような荒い息遣い。
 始めは慣れもあり、余裕にも見えた出久は、何度目かの挿入と射精で、次第に苦しげな喘ぎ声を上げ始めた。
 太腿を掴んで腰を振る。泣き出しそうな嬌声。ベッドが軋んでいるのか、出久の身体が軋んでいるのか。それとも、自分の胸が軋んでいるのか。
「いったかよ」
「ん、いったよ、もう」
 触れてみると、ペニスはくたりと、力なく項垂れている。
「は!いってねえじゃねえか」
「だって、無理、かっちゃん、もう」
「まだやめてやらねえぜ。てめえがいくまでやめねえ」
 仕置だからな。中に出してやる。後頭部を掴んで突き上げる。はあ、と出久が息を吐く。勝己は唸り、深く出久を穿つ。屹立がどくりと脈打ち、精を吹き出した。出久の体内深くに注がれる。


4. Man on a Mission(任務を追う男)


 今日からデクが家に来る。学校が終わったら、直接、勝己の家に来ると約束をした。
 出久が来たら、あの部屋を引き払って、服やらオールマイトグッズやらを、勝己の車でデクの実家に運ぶのだ。アメリカに持っていくものもあるらしいので、取りに行くついでだ。スーツケースは勝己の家に置いておき、渡米当日は出久を空港まで送る。
 ほんの数日の猶予。あいつの決心は固いとしても、それでもギリギリまで粘ってやる。
 だがおかしい。今から行くと連絡が来てからかなり経っている。とっくに到着していい時間なのに、出久はまだ来ない。携帯にもかけたが、何故か出やしない。
 業を煮やして、勝己は学校に連絡した。
『やあ、久しぶりだね。爆豪少年』
 電話に出たのはオールマイトだった。ナンバーワンヒーローオールマイト。高揚と悔しさと両方の感情が渦巻く。
 あんたはいつも、出久に他の世界を示して、手の届かないとこに、連れて行ってしまうんだ。
『デクはそっちにいんのか』ぶっきら棒に問うた。
『ああ、君が緑谷少年といてくれたんだよね。聞いてるよ』
『そーゆーこたあいいんだよ。デクいねえのか』
『まだ着いてないのかい?』
 出久はかなり前に、学校を出たという返事だった。携帯電話のGPSを確認すると、出久は繁華街の入り口付近にいて、動いてないという。
 胸騒ぎがした。
 繁華街に行ってみると、出久のスーツケースが道路の隅に置いてあり、側に携帯電話が落ちていた。大声で名を呼んだが、出久はいない。やはり何かあったのだ。携帯電話に手掛かりを残してないかと、適当にパスワードを入れてみる。
 開いた。やっぱりオールマイトの誕生日かよ。
 最近使ったアプリの中にカメラがあった。写真フォルダを確認してみると、人相の悪い知らない男が写っている。
「おい、ここで何かあったのかよ」
 近くの店の人に問うと、騒ぎを目撃したと言う。ついさっき、出久はヴィランに絡まれてる人を助けようとしたらしい。だが相手が『デク』だと知ったヴィランは、標的を出久に変更した。出久は車に連れ込まれ、どこかに連れていかれたという。
「あのクソカスが!」
 今の無力な状態も忘れやがって、ヘドロヴィランから俺を救おうとした時から、何も変わっちゃいねえ。あいつは誰もがプレーキを踏むところで、思いっきりアクセルを踏んじまうんだ。
 商店街の人が呼んだ警官に「こいつを知らねえか」と携帯にあった写真の男を見せた。他に、追跡可能なものを持ってないのが残念だ。
 警官は一目見て答えた。彼らは最近この辺りを根城にする、札付きのヴィランだという。なかなか警察も手を出せないらしい。
 聞きたくねえが仕方ねえ。情報が欲しい。オールマイトに連絡し、チンピラの顔写真を送った。彼はその手の情報はやはり詳しい。折り返すと言い、すぐに勝己に連絡が返ってきた。
『その男は、元ヴィラン連合に属していた奴だ。君一人では危険ではないか』
『ああ?誰に言ってんだよ』
『しかし、爆豪少年』
『心配すんじゃねえよ、オールマイト。暇してる奴らに応援を頼むからよ』
『君はひとりで行くつもりだろう』オールマイトは図星を指した。『早まるなよ。今もベストジーニストの元にいるのかね。では彼に伝えよう』
『いねえよ、いいってオールマイト。俺から言う』
 仕方ねえ。オールマイトを煩わせたくねえ。勝己はベストジーニストの事務所にコンタクトを取り、受付の者に早口で伝えた。すぐに声がベストジーニストに変わった。
『久しぶりじゃないか。今どうしてる』
『世間話してる暇はねえ、こっちは急いでんだ!』
 デクが攫われた経緯を手早く説明して、この辺のチンピラのたまり場はないかと聞いた。
『廃ビル街だろう』即座にベストジーニストは答えた。
『この辺の監視カメラ映像かなんかねえか。今日の夕方5時から7時までだ』
『ちょっと待ってくれ』電話の奥で、ベストジーニストの声が誰かに指示を飛ばした。
『廃ビル街の入り口に設置した路上カメラに一件、誰かが運ばれたような、不審な映像がある。今から場所を送る』
 すぐにリンクを貼ったメールが届いた。ビルの中に連れて行かれる、拘束された人影。
 居場所の目星はついた。『間違いねえ。デクだ。俺は先に行く』
『待て、先走るな』
『時間が惜しいんだ。俺は先に行く。手の空いたヒーロー連れて、この場所に来てくれ』
 ベストジーニストのとこは大手だけあって、ネットワークに優れている。事務所に所属すんのも悪くねえかもな、とちょっと思う。
 さてと行くか。溜まり場はシャッター街の奥にある廃ビルだ。

 メールの添付写真と見比べる。あの5階建てのビルだ。
 人影は見えねえが、入り口は見張りがいるかもしれねえ。ジャンプしてビルの屋上に降り立った。足音をさせないようにして、階下に降りる。用心しながら、埃っぽい廊下を進む。
 出久はどの部屋にいる。
 耳を澄ますと、ヴィランの声に混じって、微かに唸り声が聞こえる。階段を降りて、声のする部屋の前に着き、廊下から様子を伺う。
 か細い声が止んだ。数人の足音、人を殴る音。ヴィランの笑い声。
 頭が沸騰しそうになるのを、ぐっと堪える。応援が来るまで待機だ。
 ドアの小窓から覗いてみる。5、6人いるようだが、全員雑魚くせえチンピラだ。出久はどこにいる?
 再び掠れた唸り声が聞こえてきた。確かに出久の声だ。
 声の聞こえた方向に視線を移す。
 目の端に、縛られてボロクズのように、床に転がされた出久が見えた。
 またてめえは俺の知らねえところで。
 とたんに頭に血が上った。
 勝己はドアの鍵を爆破して壊し、ドアを蹴破った
 ヴィラン達は不意をつかれて、振り向いた。散弾のごとく光球を飛ばし、ヴィラン目掛けて狙い撃つ。ヴィラン達は慌てて武器を手にしたが、煙で視界を遮られ、まごついている。勝己はドアの側の男の背中を爆破し、後頭部を掴んで、床に叩きつけた。
 衝動的に動いてしまったが、冷静になってきた。不意打ちしたとはいえ、多勢に無勢の戦いだ。煙が充満している間に勝負をつける。奴らに自分の位置を悟らせちゃいけない。
 勝己は煙の中を俊敏に動き、1人1人、ヴィランを殴り倒していった。
「てめえが最後だ!」
 ボスらしき男を床に引き倒し、首を掴んで押さえつける。
 あっという間に制圧完了したようだ。
「てめえ、人のモンに手ェ出して、ただで済むと思ってんのかよ、ああ?クソが」
 男の顔を手で覆い、爆破しようと熱を貯める。
「頭吹っ飛ばしてやるわ、覚悟しな、クソが」
 男は悲鳴を上げ、首を振って逃れようと焦っている。チキン野郎が。本当に殺っちまおうか。
「ん、かっちゃんなの?」
 出久の声が聴こえた。個性の出力を途中で止め、倒れている出久に目を向ける。
「目を覚ましたんかよ、クソデク」
「危ない、かっちゃん」出久が掠れ声で囁いた。
 背後に誰が立っている気配がした。振り向いた。鉄の棒が目に入った。
 ヴィランが棒を振り上げて、勝己に殴りかかろうとしている。
 煙の中に隠れてやがったのか。こんな側に近付くまで気づかねえなんて。油断してたのか。
 瞬時に、勝己は片手を男に向けようとした。
 だめだ、間に合わねえ。畜生!
 しかし、自分にヒットすると思われた瞬間、男は後ろに吹っ飛んだ。
 何があった?
 側を掠めた風圧の方向。うつ伏せた出久に目を向ける。
「おい、デク」
 返事がない。また気を失ったらしい。見ると、出久の人差し指が紫色に変色し、潰れている。何が起こった?
 ひょっとして個性を使ったのか。体力のない状態で使ったから、あの程度の発現で、高1の時のように指を潰してしまったのか。
 いや、まだ判断するのは早計か。奴らに指を潰されたのかも知れねえしな。
 壁にぶち当たったヴィランは崩折れ、どろりと液状化した。体を液体にするヴィランか。こっそり背後に忍び寄って来やがったんだな。嫌なこと思い出させやがる。
 唸っているヴィラン達を、念のために再度一発ずつ殴り、気絶させた。
 勝己は出久に駆け寄り、抱き起こして揺さぶった。
「ああ、かっちゃんだ。1人で何人倒したの。すごいな。君は」
 腕の中で勝己を見上げ、それだけ言うと、出久はすうっと目を閉じた。
「デク!何やられてんだ、てめえ、このカスが、クソカスが!」
 階下から複数の足音が近づいてきた。聞き覚えのある声だ。ベストジーニストの事務所の面々が駆けつけたのだ。
ヴィランは伏せろ。抵抗すれば容赦しない」警告しながら、ベストジーニストが部屋に入ってきた。
「遅えわ、クソが」
「早まるなと言っただろう、爆豪くん。しかし、よくやったな」
 ベストジーニストは部下達にテキパキと指示し、ヴィランを全員捕らえた。他の部屋にいたヴィラン達も残らず捕縛すると、連行していった。
「爆豪くん、彼は病院に連れて行かなければ」
 ベストジーニストに宥められても、勝己は抱きしめた出久を、手放そうとしない。
「事情も聞かなきゃならない。君も署に来てもらわなければならないし、彼は手当てしなければ」
 言われて、勝己は渋々出久を引き渡した。


5. Best of Both Worlds(好いとこ取り)


 勝己はベストジーニストの事務所に立ち寄って、協力の礼を言い、出久を病院に迎えに行った。
 傷はほぼ治療されていた。指の変色も消えていた。力の発現などなかったかのように。手を掴んで指を確認する勝己を、出久は不思議そうに見つめた。
「行くぞ」と掴んだ指を絡ませて、手を引いた。
「あ、商店街にスーツケースが置きっぱなしだよ」
「クソが」忘れてた。
 スーツケースは商店街の店が預かってくれていた。車に積んで、出久をマンションに連れ帰った。
 どうせうちに来るんだ。そうでなくても、出久を今一人にはできない。
「あんな弱そうな奴らにやられてよ、不甲斐ねえな」
 うん、と出久は言葉少なに俯いて答える。ソファに膝を抱えて座る出久は、まるで子供のようだ。
「あんなんじゃ、アメリカ行っても、身を守れねえんじゃねえのかよ」
 だからここにいろよ、とは言えない。
 暫くして、悔しいな、と出久は呟いた。
「君や皆の活躍が、同級生として誇らしい。けれども、自分の無力さが辛い。君に並び立てないのが辛い。だから僕は、オールマイトについていくんだ」
「はあ?何言ってんだ」
「僕にも何か、できるかも知れないから」
「今のてめえが一緒にアメリカ行って、何ができんだ。クソでもしに行くのかよ。てめえは逃げてるだけじゃねえか」
 自分から、俺から、逃げてるのだ。頭にきた。
「でも、君とはいられないよ」
「俺と、だあ?」
 出久の声が震えている。顔を伏せたままで頭を振る。
「理由はあんのかよ!」声を荒げて勝己は問うた。
ヴィランから身を隠して、各地を転々としてた時ね」出久は顔を上げずに言う。「OFAを使いきって、力を失ってしまった僕に、皆すごく優しかったんだ。よくやった、ありがとうヒーローって。僕はそれが辛かった。だって、僕はもうヒーローじゃないんだ。誰かに何か危険なことがあっても守れない。何もできない。優しくされる価値なんてない。でも君だけは違った。厳しく接してくれた」
「あ?どこに褒めるとこがあんだ。無茶をしたてめえの、自業自得だろうが」
「うん、君は僕に意地悪でぞんざいで、ちょっとだけ優しくて、側にいて居心地よかった。そんな風に思うなんて、正直意外だったけど」
「昔のてめえに、戻ったようなもんだろうが。何が違うってんだ」
「うん、かっちゃんだからなんだなって。でも、もう無理だ」
「だったらなんでなんだ」
「もう無理だよ。気づいたんだ」出久は顔を上げた。「だって君は僕が無力になったのを喜んでるだろ」
「てめえ、なんだと!」
 いきなり何をわけのわからないことを、言ってやがる。
「喜んでるだろ。君のことならわかるよ。いざとなれば力づくで、言うことを聞かせられる。そうだろ。そうしなくても、できると思えるだけで違うんだ。今の僕は君に叶わない。それが悔しいんだ。一度は君と並び立つことができたんだよ。もう子供の頃みたいな、惨めなのは嫌なんだ」
 思わぬ出久の吐露に、勝己は凍りついた。出久は所在無さげに指を組み替え、益々縮こまる。
「そんなに、僕に力が無いのが嬉しい?」
「てめえ、ざけんなよ」ふつふつと怒りが込み上げてきた。「力づくで言うことを聞かせるだと?てめえを力で、意のままにできたことなんざ、一度もねえわ!何言ってやがる」
 弱っちいくせに、ぐずぐず口答えして、怯えながら逆らって、何一つ思いどおりにならなかった。それがてめえだ。
「ごめん、ごめん、かっちゃん」出久は首を振って、涙ぐんだ目を擦った。
「今の僕の中は真っ黒なんだ。君に再会したあの日、ほんとは僕は、皆に会おうと思ってたんだ。でも、いざとなると足が竦んだ。僕は本心から笑えるんだろうか。黒い心が顔に出てしまうんじゃないだろうか。子供の頃に君やクラスメイトを見て、感じていたような、羨ましくて妬ましくて、辛くて濁った心。そんな浅ましさが、顔に出てしまうんじゃないだろうか。そう思ったら、怖くて堪らなくなった」
 勝己は思い起こした。出久はなくした鞄が見つかったと聞いても、喜ばなかった。あれほど探していたのに、おかしいと思っていた。つまり、本当は鞄を探してなどいなかったのだ。
 あの夜、出久は逡巡していたのだ。旧友達に会いたくて会えずに、それでも迷って、繁華街を彷徨っていたのだ。
「自分が嫌になるよ。だから誰も僕を知らないとこに行きたいんだ。平気で皆に会えるようになるまで」
 勝己は拳を握りしめた。火花が出そうになるほど、掌が汗ばむ。
 見えない鳥を追いかける出久に、いつも腹を立てていた。いくら求めたって、手に入るわけがないんだ。いい加減わかれよと。でも見えなかったはずの鳥を出久は見つけた。
 鳥を手に入れた。飛べる羽根を手に入れた。
 苦々しかった。てめえはその羽根を何に使うのか。自分の力の誇示か、玉虫色の正義の施行のためなのか。
 認められたい、必要とされたい。そんな自己顕示欲ならまだいい。あくまで自分がかわいいのだから。
 てめえは違うんだ。人のために生きて、そのために箍を外して、自分を壊してしまう。
 そんな使い方で、いつまでも羽根を持てるわけがないだろう。
 てめえもいつか、オールマイトのように力を失う。そんな日が来たのなら、その時は俺が、てめえを力づくででも止めてやる。そう思っていたというのに。
 いつもいつも俺の知らねえところで、死にかけてボロボロになって。俺はそれを知りもしねえで、何もできねえんだ。
 あのまま死んじまったかも知れねえんだ。
「喜んで何が悪いんだ。ああ?デク」
 勝己は低い声で唸る。
 俺のいない間に、無謀な戦いで死にかけた出久。
 管に繋がれて力なくベッドに横たわる出久。
 医者にも見放されて、死を待つばかりだった出久。
 ヤクザ野郎に助けられて、瀕死の状態から回復した出久。
 力を失い、誰にも言わず、何処かに姿を消した出久。
 やっと、俺の手の中に落ちてきた出久。
 喜んじゃいけねえのかよ。
 もう出久はOFAに振り回されねえ。俺の知らねえところで、壊されたりしねえ。なのにてめえは、ちんけなプライドでぐだぐだ言いやがって。そんなものに構ってなんかいられるかよ。
「ふざけんなよ。てめえ!」勝己は出久に掴みかかる。「今のてめえに何ができんだ!」
 威嚇するつもりではないのに、掌から火花が散った。出久はあつ、と顔を顰めたが、子供の頃のように怯む様子はない。
 それを言ってはだめだと、頭で警告音が鳴る。長い間執拗に否定し続けてたから、こいつは萎縮した。怯えて煙たがって、俺から離れていった。
 追い詰めたって、遠ざかるだけなんだ。思い通りになんて、出来やしないんだ。また繰り返すのか。同じ間違いを。
 だが、わかっているのに止められない。
「もうヒーローじゃねえだろ、てめえは!今のてめえが誰を守ろうってんだ。なんにもできないくせによ!」
 出久が項垂れる。「君にはわからないよ。君は何でもできるし、何でも持ってるから」
「今のてめえじゃ、オールマイトを守れねえし、オールマイトだって、てめえを守っちゃくれねえ。誰かに守られるしかねえくせに、そんなザマで、アメリカ行ってどうするってんだ。ああ?」
「何も出来ないから、だからだよ」
「は!逃げてるだけじゃねえか!」
「でもここには、いられないんだ」
「弱え奴が、何の役に立つってんだ」
 そんなことを言いたいんじゃない。行くな行くな離れるなと、心は哭いている。こんな言い方じゃ、届くわけがないとわかってるのに。また間違った言葉を叫び続けている。
 ガキの頃と同じだ。焦りと警戒が攻撃に、行動を間違った方向に向かわせた。思いを持て余し、手に入れたいと足掻き。苦しみの中で悲しみの中で、敵意が頭をもたげた。俺の思いを知らないてめえに、舐められていると感じた。傷つけずにはいられず、何度も傷付けた。怖がられ避けられても、まだ傷つけた。でも、てめえは従うことなどなくて、何一つ思い通りにならなかった
 どうすれば叶うんだ。てめえを求めてやまないのに、自分の気持ちが、ままならない苛立ちが、てめえが同じように思ってくれない苛立ちが、てめえを傷つける。傷つけることで自分も傷つくだけなのに。
 飲み込んだ言葉が嵐になる。刃となり胸を切り刻む。裂かれた傷から血が噴き出す。ここから出せと苛む。
 胸に閉じ込めておくんだ。外に出しては駄目なんだ。そんなみっともないこと、言えるものか。言ってしまったら。
 だがとうとう口から言葉が溢れてしまった。
「てめえのせいだ!」
「かっちゃん?」出久はきょとんとして見つめ返す。
「俺がどれだけ長い間、苦しんできたと思ってんだクソが!俺の苦しみも辛さも、全部全部全部。てめえのせいなんだ!」
「え?かっちゃん?」
 何を言ってるんだ、俺は。むちゃくちゃなことを言ってる。わかってるのに止まらない。俺は俺の望む俺でありたいのに。いつもいつも、てめえは容易く、俺をぶっ壊しちまうんだ。
「くそっくそっ!てめえのせいで、いつも俺は!俺は何でも持ってるって言ったよなあ、おい!俺が何を持ってんのか、言ってみやがれ!力か?名声か?んなものはどうでもいいわ。てめえが側にいてもいなくても、俺の頭ん中はてめえでいっぱいなんだ。てめえが手に入らないなら、俺はなんにも持ってねえと、同じことなんだ!てめえをものにして、初めて力や名声なんてもんも喜べんだよ。このクソカス死ねやクソが!」
 一気に捲し立て、勝己は肩を震わせて荒く息を吐く。
 言っちまった。
 死ぬまで言わねえつもりだったのに。畜生が、情けねえ。クソが!
 出久はどう思った。出久、てめえは。
 見つめるうちに、出久の顔がみるみる真っ赤になっていった。
「え?あ、あの、え?ひょっとして僕、酷い勘違いしてたの?だって君は、そんなこと一言も、え?」
 出久は狼狽え、頭をふるっと震わせて両手で顔を覆った。
「何言ってんだよ、かっちゃん」
 耳が真っ赤になっている。伝わったのか。
「おい、面見せろ、デク」
「僕に、そんな価値はないよ」
 顔を隠したまま、デクは声を震わせる。
「てめえの価値なんざ、無個性の頃から一ミリたりとも、変わってねえよ」
 てめえが落水した自分に、手を差し伸べた時から。有象無象の中で、てめえだけが鮮明になった時から。
「僕はもう、君や皆と並び立てない。なのに、危険だけが以前の何倍もあるんだよ。そんなの」出久は顔を覆っていた手を下ろした。「君の足手纏いにだけは、なりたくないんだ」
「デク。てめえはどうしてえんだ」
「したいことが、出来るわけじゃないよ」
「出来るかどうかなんて、どうでもいいわ、クソが。てめえはどうしてえんだ、デク!」
 出久は黙って目を伏せた。このひと月の俺との生活で、てめえは何も感じなかったのかよ。このままの時間が続けばいいと、思わなかったのかよ。
「かっちゃん」出久は漸く口を開いた。「僕は」伏せた瞳が上げられ、勝己を見た。
 やっと出久と目を合わせた。視線が交錯する。
 その時、ドアベルの音が響いた。
「ふたりともいるんだろう、ちょっといいかな」
 扉の向こうから、オールマイトの声が聞こえた。
 出久がはっと顔をドアの方に向ける。
 クソが!来ると思ってたが、よりによって、今このタイミングで来るのかよ。
 出久はなんか言いかけたんだ。きっともう少しだったんだ。今しか言わねえ言葉なんだ。
 勝己は歯ぎしりをしてドアを睨んだ。
「爆豪少年、君の声は大きいから、聞こえてしまったよ。開けてもらっていいかな」オールマイトがまた声をかけた。
「まだこいつは行かせねえよ」
 勝己は低い声で呟く。
 オールマイト、あんただ。出久が鳥を見つけたんじゃなくて、鳥が出久を見つけたんだ。てめえのために、命でもなんでも、何もかも捧げる奴を。格好の獲物だよなあ。あんたはOFAのために、出久を贄にしたんだ。
 勝己はデクの手首を掴んだ。こっちを見ろと力を籠める。出久はドアに向けていた視線を勝己に戻したが、戸惑いの表情を浮かべ、再びドアを見つめる。ドアの向こうのオールマイトを。
 いや、違う。わかってんだ。
 無力なくせに向こう見ずで、命を顧みない出久。オールマイトから個性を譲渡されなければ、きっと何処かで無駄に命を落としてただろう。オールマイトはデクの危うさに気づいて、ほっとけなかったんだ。
 でも、もういらねえだろ。俺に返せよ。俺が最初に見つけたんだ。ずっと前から俺のなんだ。畜生。
「その話でもあるんだ。爆豪少年。ちょっと外に出ようか、二人とも」
「かっちゃん」
 自分の名を呼ぶ、出久の声は冷静だ。クソが!クソが!勝己はデクの手を放し、立ち上がると玄関に向かった。


 川辺りの遊歩道に、爽やかな初夏の風が吹き抜けていた。勝己はポケットに手を突っ込んで、オールマイトの後ろを歩く。出久は勝己の後ろを付いてきている。
「気持ちがいいところだね。ここは」
「ああ。河原のグラウンドが広くて、気軽にトレーニングがしやすいからよ」
「君は自分に必要なことを、よくわかってるね。爆豪少年」
 整備された河原では、数人の子供達が水切りをしていた。デクとも近くの河原でよくやった遊びだ。平らな石を水面に向かって投げ、石を連続ジャンプさせる。デクは浅い角度で飛ばすコツが、なかなか掴めなかった。
 子供達の投げた小石は、水面を弾いて、軽やかに向こう岸を目指して渡ってゆく。
 ふいに地面を影が過ぎった。白い鷺だ。滑空してきた鷺は川の中洲に降り立ち、羽根を震わせる。川面は銀の鱗のように煌めいている。
 オールマイトが立ち止まり、「緑谷少年」と出久を呼んだ。出久は小走りに駆けてきて、オールマイトの隣に立った。
「緑谷少年、君をアメリカに連れて行くのは、やめたほうがいいだろうね」
オールマイト
 出久の声は予期していたように、静かだった。
「誰も君を知らない場所で、君が心機一転、新しく始める何かを、見つけられればいいかと思ってたんだ。何かを見つけられれば、どこでも生きていけるからね。君を手助けできればと思ったんだよ」
「僕のために、ですか」
「うん」オールマイトは頷いた。「でも、逃げるのは君らしくないね。緑谷少年。君はいつも諦めずに、立ち向かっていくんだ」
 オールマイトは2人を振り返り、微笑んだ。ひょろりと細長いシルエット。河原にいる人々は彼が誰なのか、誰も気づいてないようだ。
「私は力を失った時、自分はもう、守られなければいけない身になったのだと知った。緑谷少年、君もそうなのだよ。君に私は守れないだろう。私も君も、今はヴィランに狙われる身だ。何処に行ったとしても、誰かに守られなければならないだろう」
「だから、日本を離れるんだよね。オールマイト」出久は言った。
「己の身を守るために、渡米するのではないよ、緑谷少年」
「でも、周りの皆が僕のせいで、ヴィランに狙われたら。僕は何も出来ないのに」
「緑谷少年、OFAのデメリットから、生まれる人間を作らないために、君が濃い繋がりを恐れているのは、知っているよ。家族を失い、悲しみから闇に堕ちた死柄木のように。でも、誰しも1人ではいられないのもわかるね」
「でも、大切な人達に、傷ついて欲しくないんです」
「私も君も自分の無力を、直視しなければいけない。人に守られなければならない事実を、呑み込まなければならない。だがそれを恥じることはないんだ。悪の標的になる者を守るのは危険だ。ことに正義の象徴ともなった私や君は。だからこそ、誰かが守ってくれるだろう。彼ではなくても誰かが仕事として、行うことになる。君は知らない他の人なら、危険を共に担ってもよいというのかね」
「そんなことは」
「冗談じゃねえ。他の奴にデクを守らせるなんてよ」
 黙ってられなくなり、勝己は割り込んだ。
 オールマイトは勝己に笑いかけた。頭に大きな手が乗せられる。
「爆豪少年は君を必要としている。君を守る力も、充分すぎるくらいある。ヒーローでなくても、人のためになれる道はあるよ。昔君にそう言ったことがあったね」
「はい、初めて会った時に」
「でも君はヒーローになった。素晴らしいことだよ。だが、誰しもいつかは、第二の道を選ばねばならない。私も君もね」
オールマイトはこれから、何をするつもりなんですか?」出久は尋ねた。
「私は世界中のヒーローが団結して、AFOのような巨悪に立ち向かう、架け橋になれればと思っているんだ。情報を共有し、国の垣根を越えて、協力体制を築きたい。そのために尽力しようと思ってる。死穢八斎會が君を助けたように、ヴィランは一枚岩ではない。個々の欲望に従い、各々個別の損得勘定で動く。ヴィランとはそういうものだ。一時的に協力関係を結んだとしても、絆は利己的で脆い。だが我々は悪に対して、一枚岩になることができる。私はそのために動くつもりだよ」
「凄いですね。オールマイト
「緑谷少年、君は違うだろう」
「それは…」と言いかけて、出久は言葉を継げなくなる。
「今回の一件もそうだね。君は目の前の、助けを求める誰かを、救わずにはいられない。遠くの目標を追うより、近くの誰かを救う。それが君の生き方だ」
「それは、そうかも知れないけど」
「君には共に歩もうという者がいる。彼は君を欲して、君を必要としているのだろう」
「あ?誰がそんなこと言ったよ!オールマイト
「違うのかい」
 勝己は舌打ちしてそっぽを向く。「あんたが言うなら、そういうことでもいい」
 彼にはお見通しなのだ。もう随分と昔から、見透かされていたのではないだろうか。そんな気がする。
「緑谷少年、君もいつも彼を気にせずにはいられない。ならばその意味するところは、わかっているのだろう。もう君たちは子供の頃のような、傷つけ方をしなくてよいのだと思うよ」
 オールマイトはそう言って笑った。痩せた身体でも昔と変わらない。見た人を勇気づける笑みだ。


epilogue Right Now


 ヒーロー活動を終えて帰宅し、勝己はリビングのドアを開けた。ソファに座って雑誌をめくってきた出久が、お帰りと言って顔を上げた。
「雄英の講師の口は断ってきたのか」と問うと、出久はうんと頷く。
「戻っていいって言われたけど、今の僕に学校で教えられることはないからね」
「じゃ、こっち来んだな。いいんじゃねえか。うちなら今のてめえでも、役に立つからよ」
 部屋着に着替えて出久の隣に座り、身体を引きよせて抱きしめる。ふわふわの髪に、唇で触れ、項にキスをする。出久は携帯の画像を勝己に示して見せた。
オールマイトから、写真付きのメールが来たよ。カリフォルニアから」
「ああ、一緒にいる奴は、見たことあるヒーローだな。アメリカの相棒か」
 出久は勝己と同居することになった。事務所にするつもりだった空き部屋は、出久の部屋になった。でも当然寝室は一緒だ。ベッドはダブルベッドに買い換えた。
 勝己はベストジーニストの事務所に戻った。出久が攫われた時に、ベストジーニストから、戻って来ないかと誘いを受けていたのだ。出久が日本に残ると決めたので、勝己は話を受けることにした。
 情報網の広さにしても、事務所の規模の大きさにしても、動かせる人員数にしても、頼りになることが身にしみたからだ。出久はいつまた、厄介な事態に陥らないとも限らない。いや、自分から考えなしに困難に飛び込んでいく間抜けなのだ。
 上に従わなきゃいけないのは癪に触るが、今の自分では出久を抱えるには力不足だ。いつか独立するとしても、力を付け、ネットワークを作ってからだ。
 出久の事情も伝えて、同じく事務所に勤めさせることにした。目の届くところに置いておくのが最善策だ。
「喜んで受け入れよう。お前のサイドキックとして。彼の知識は事務所の役に立つだろう」
 とベストジーニストは快諾してくれた。
 それに、確証が持てないから出久には言ってないが、あの時出久はおそらく個性を使ったのだろう。OFAの残滓は出久の中で、眠っているだけなのかも知れない。オールマイトも短い時間なら、今でもトゥルーフォームに戻れるのだ。
 いつか出久が、ヒーローに戻る日が来る可能性はある。
 そのためにも、事務所に属しておくのは悪いことじゃない。身体も鍛えさせて、ヒーローとしての感覚を研ぎ澄ましておくのだ。いつでも時が来たなら再起できるように。
「それにしても、お前が人のために動くとは意外だったな」
 ベストジーニストは感心したように言った。勝己は鼻を鳴らして答える。
「クソデクのためなんかじゃねえよ。まるっと全部、俺のためだ」


END


副題タイトルはヴァン・ヘイレンのライブアルバム「ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ」から

Dreams(夢)
Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)
Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)
Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)
Man on a Mission(任務を追う男)
Best of Both Worlds(好いとこ取り)
Right Now(今すぐ)

 

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