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「フラワー・インフェルノ(魔法の言葉 ・前日譚)」

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もはや見えぬ光よ
かつて私のものだった光よ
もう一度私を照らしてくれ……
やっとたどり着いた
人生は始まったところで終わるのだ

ピエル・パオロ・パゾリーニ
         「アポロンの地獄」より

 

 壁面時計の長針と短針がカチリと重なる。

 時は正午、12時ジャストだ。
 晴れた空の天頂に、太陽は支配者のように輝き、光に灼かれて逃げ遅れた雲がぽつぽつと散らばっている。
 駅から伸びる歩行者専用デッキに立って、僕は周囲を見渡した。
 歩行者デッキはバスロータリーに覆い被さり、片方の端はデパートの二階の入り口に、もう片方は歩道に降りる階段に繋がっている。
 中心は広場になっていて、大きな円弧の上に立つ人物のオブジェが置かれている。片足立ちで空を見上げているその姿は、青い空を背にしてひとり、儚く危うく見える。今にも転んでしまいそうだ。
 手すりに手を置いて、バスロータリーを見下ろした。歩道を歩く幾人かの疎らな人影。駅の周りを取り囲む低層のビルや商店街。その先に高層ビルが1棟聳えている。都心のように喧騒としてはいない、静かな街だ。平日昼間の地方都市。
 ヴィランが潜んでるなんて、到底思えない。
 覚悟して単身この街に乗り込んだけれど、悪戯だったのだろうか。
 けれども、携帯の電波を確認すると、圏外になっていた。田舎ならいざ知らず、中都市の街中であり得ない。街の通信網を遮断したと言っていたのは、本当だったようだ。ピリッと空気が張り詰めた。
 フルカウルにして身構える。皮膚の下を軽微な電流が流れるような感覚。携帯が繋がらないのに、道を歩く誰にも慌てているような様子がない。何故だろう。偽の情報が流されているのだろうか。悪戯などではない、周到な計画の下で。


 ヴィラン連合から呼び出されたのは、数時間前だった。
 街中をパトロールしている時、突然携帯に着信があった。知らない番号だったので、不審に思ったものの、人通りのない横道に入って応答した。
『やあ、久しぶりだな、ガキ。いや、もうガキじゃないか』
 耳障りなざらついた男の声が聞こえた。
 死柄木。姿を晦ましたヴィラン連合のボス。
「僕に何の用だ」
 直接コンタクトを取ってくるなんて、何か魂胆があるのか。今どこに潜んでいるんだろう。なんとか知る手段はないだろうか。
『何、いいところに招待しようと思ってさ』死柄木は楽しそうに言った。『でも大勢招待したくはねえんだよな。なあ、お前一人で来いよ、ヒーローデク。俺の居場所を調べようとか、余計な事すんなよ。通信は傍受している。そういう便利な個性を持った奴がいるからな。ヒーローにコンタクトを取ればすぐにわかるぞ』
「僕が行かなければ、どうするんだ」
『あー、そうだな。お前がもし1人で来なければ、ある街が一瞬で吹き飛ばされることになるな。B街のようにな。ニュースになってたろ。あれさ、俺の仕業だと思わなかったか?』
 ひゅうっと息を呑んだ。
 数日前、街一つが一瞬で消えた事件があった。現場にあったのは、地面ごと抉られたようなクレーターの跡。僕も現場に行ったけれど、クレーターの内側には広大な土地が広がっているだけで、被害者も手がかりも、何一つ見つからなかった。犯行声明もなく、原因不明の事件としていまだ調査中だ。
 だが、現場に残されたコンクリートの外壁の欠片は、触れただけで粉々に砕けた。瞬間、死柄木の個性が頭を過ったのは確かだ。
「お前が首謀者だとしたら、何のためにやったんだ!」
『かっかすんなよ。なに、ちょっとした実験だよ』
「実験…?実験なんかで、そんな」
 あの事件は、やはりヴィラン連合の仕業だったのか。いや、現場に手掛かりがなかったように、ヴィラン連合の仕業だという証拠も何一つないのだ。騙っている可能性もある。奴らは無関係な事件に便乗して、僕をおびき寄せようとしているのかもしれない。
『どうした?返事がないぞ、おい。どうしようかなー。そうだ、1時間後に実行することにしよう。またニュースになるよなあ。知ってて見殺しにしたなら、今度はお前のせいだぜ。なあ、どうする、ヒーロー』
 明らかな罠をちらつかせながら、死柄木は言った。
「わかった」そう答えるしかなかった。「何処に行けばいい」
『場所は教えられないな。先回りされちゃ面白くないだろう。ルートは道中指示してやるよ、さあ、パーティと行こうじゃないか』
 通話は切れた。ざらっとした嘲笑い声が耳に残った。
 たとえ行ったとしても、奴らが約束を守るだろうか。でも、本当にヴィラン連合の仕業だとしたら、現地に行けば惨劇を阻止できるかも知れないんだ。少なくとも街を破壊する理由はなくなるはずだ。ヴィランは街の人達じゃなく僕を狙うだろう。
 敵が大勢いても片っ端からやっつけよう。大丈夫、OFAがあればなんとかなる。一方的にやられたりするものか。


 僕は携帯をしまった。
 ここは街中だ。隔絶された場所じゃないんだ。たとえ外部に通信できなくても、ヴィランによって騒ぎが起これば、きっと近隣のヒーロー達が駆けつけてくれる。
 僕はそれまでもちこたえられればいい。
 歩行者専用デッキを降りて、バスロータリーの周辺を用心しながら歩く。バスやタクシーの運転手、待合場所に並ぶ人々、一般人に怪しげな人はいないようだ。
 死ぬかもしれない、と思った。だからOFAは譲渡した。
 行き先を掴ませないようにする措置だろう。路地を進ませたかと思えば、ビルの上に行くよう指示されたり、行きつ戻りつ、右に左にと迂回させられた。その間ひとりのヒーローにも遭遇することはなかった。彼らが巡回していそうな場所は、巧みに避けられていた。
 けれど幸いにも、経路の途中に洸太くんの通う中学校があった。一か八か、お手洗いに行くと偽って学校に立ち寄り、こっそり彼に会うことができた。彼は未成年で一般人だから、彼らもその存在を知らない。故に接触することが出来たのだろう。
 とはいえ、猶予はほんの数分。詳しい説明は一言二言で、ほとんど髪の毛を一本ちぎって差し出すことしかできなかった。しかし、個性の譲渡という突飛な話を、彼は真剣に聞いてくれ、快諾してくれた。
 胸が痛んだ。林間学校の一件から、彼は両親への蟠りが解けて明るくなった。ヒーローを目指すようになり、来年は雄英の入試を受けるときいた。でも彼にはヒーロー向きの立派な個性がある。無個性だった故に、望んでOFAを継承した僕とは違うのだ。望んでいるわけではないのに、押し付けるようなことをしてしまった。危険に巻き込んでしまうというのに。
 歴代の保持者も、後継者に悩んだのだろうか。誰でもいい。ヒーローに連絡できたなら、彼を巻き込まずに済んだのに。

―自殺志願かよ、クソが!

 幼馴染の声が脳裏に響く。
 かっちゃんはどうしているだろう。暫く会ってないな。君ならきっと僕を罵倒するだろうな。
 我ながら不思議に思う。こんな時でも思うのは他の誰でもない、君のことだなんて。死地に向かう前に、一目でもいいから、君に会いたかった。
 まるでほんの数日前であるかのように、鮮やかな思い出が脳裏に去来した。
 幼い頃から雄英卒業の日まで、同じ時を過ごした君との、酸っぱくて、苦くて、痛い、すれ違いの思い出の数々。和解してからの和やかで幸せな日々。OFAの秘密を共有する者として、関わる機会は前よりぐんと多くなり、時々言い合いをすることもあった。けれども、それもまた、対等になれた証と思えて嬉しかった。
 そういえば、卒業式の日のことだ。君はあの時、何を言おうとしたのだろう。


 式が終わり、卒業証書を手に講堂を出た僕は、ふと渡り廊下で立ち止まった。
 幼いころから憧れた雄英高校。3年間の学校生活は長いようで、あっという間に過ぎてしまった。校門を出ればもう雄英の生徒ではなくなる。立ち去りがたくて、足が動かなくなった。
 扉の側の花壇を何気なく眺めた。僕の背後を、みんなが通り過ぎていった。
 花壇に植えられた樹には、ふっくらとした蕾がいくつも付いていた。どんな花が咲いていたんだろう。
「ぼさっとしてんじゃねえ。クソデク!何見てやがる」
 通りかかった君は、立ち止まり、僕に問うた。
「かっちゃん。いやその、この木は入学した時からあるけど、前はずっと丈が低かったのにねって思って」
「ああ、杏の木だ」君は花壇に顔を向けて言った。「まだ花咲くには早えな。三月下旬に薄紅の花が咲くんだ」
「かっちゃん、なんでもよく知ってるね」
「そのくれえ、常識だっつーんだ!てめえはなんで知らねえんだ」
 みんながみんな知ってるとは思えないのだけど。知ってて当たり前のような物言いは、実にかっちゃんらしい。
「そっか、花が咲く前に卒業だね。毎年咲いてたんだろうけど、気づかなかった。見たかったな」
 満開の淡い紅の花はきっと華やかで綺麗だろう。たとえ誰にも気づかれなくても、密かに蕾をつけてまた花は咲く。

 あんずよ花咲け
 地ぞ早に輝け
 あんずよ花着け
 あんずよ燃え

 室生犀星の詩だったろうか。小学生の時に国語の授業で暗記させられた。
「おい、クソデク」耳元の側から声が聞こえた。
 いつの間にか、かっちゃんは肩が触れるほどに、側に寄ってきていた。吃驚して胸が跳ねた。
「俺は卒業後はK市に行く」かっちゃんは言った。
「そっか、遠いね」離れた土地だ。飛行機でなければ何時間もかかる。簡単には会えなくなる。
「てめえとの腐れ縁もここまでだ、デク。もうてめえの面を見なくて済むと思うと、せいせいするわ」
 なにかと思えば、卒業だというのにそんな憎まれ口。かっちゃんらしいけれど。
「そうだね。物心つかない頃から一緒だもんね。長い付き合いだったね」と調子を合わせた。「かっちゃんとは色々あったね。遊んだり、揶揄われたり、虐められたり、喧嘩したり。それから、和解したり」
 思い出せば、僕の人生のどの場面にも君がいた。
「てめえの秘密を知ったりな」
「うん、それは僕のミスだけど」
 君に嘘をつきたくなくて、隠さなきゃいけないってことを忘れた。「でも僕的には、秘密を知っている人が同じ学校にいること、すごく心強かった」
「は!てめえは迂闊なんだ。あの後もたびたびボロを出しそうになってたろうが。もう俺はてめえの尻拭いはできねえぞ」
「う、うん、気をつけるよ」
 卒業すれば、もう別々になるとわかっていたのに。
 寂しいと思う心にこっそり蓋をして、僕は綻びかけた杏の蕾に目を移した。
 蕾を見ているうちに、言葉がするっとこぼれ落ちた。
 言うつもりじゃなかった言葉。
「僕はね。かっちゃんとは、ずっと一緒なんじゃないかと、心のどこかで思っていたんだ。おかしいよね」
 良くも悪くも心の中には、いつも君の定位置があった。僕のとても柔らかい部分に隣接した場所。君だけにかき乱される場所。
 そこがいずれ誰かに取って代わる日が、来るのだろうか。
 くだらねえと揶揄されるかと思ったけど、君は何も言わなかった。会話は途切れた。渡り廊下を通る生徒も、ひとりふたりと少なくなった。そろそろ行かなきゃならない。
 歩き出そうとしたその時、君は僕の腕を掴んだ。
「まだ話は終わってねえ」
 そう言って、痛いくらい掴んで離さなかった。
 視線が交錯した。真っ直ぐに睨んでくる赤い瞳に囚われた。
 君の口元が歪んで、少し開いた。でも言葉はなかなか継がれなかった。布越しにも君の高い体温が伝わった。強い視線を、息を止めて見つめた。
「おーい、緑谷」
 誰だっただろうか、クラスの友達に名を呼ばれた。
 クソが、と呟く声とともに、腕の拘束は解かれた。そのまま踵を返して、君は立ち去った。
 あの時の君の言葉の続きを、いつか聴くことができるだろうか。

 

 ひらひらと、目の前を薄桃色の花びらが舞った。
 桜の花?こんな季節に花びらが散るなんて、狂い咲きなのだろうか。周囲を見渡してみたが、近くに桜の木は植えられてはいない。
 思案する暇もなく、あっという間に、辺り一帯が桜吹雪に包まれ、僕を中心にして渦を巻いた。
 ヴィランの攻撃なのか。しかし、周囲の通行人は平然としている。この花吹雪は僕にだけ見えてるらしい。ではこれは幻覚だ。いつの間にか敵の個性にかかってしまったのだ。
 側を通り過ぎたはずの男が、ぶらぶらと戻ってきた。しかし桜吹雪で顔がよく見えない。
 突然、男は拳を握って殴りかかってきた。身構えたが、押し寄せる桜の花弁に視界を遮られる。距離感が掴めない。
 だが、パンチは僕の方が早い。
 花弁の隙間から見えた拳を避けて、男を殴り倒す。
 風圧で桃色の欠片は散らばり、空気に溶けるように消えた。
 目眩しの個性か。しかし、このヴィランを倒したからといって、当然終わりではないようだ。横道からヴィランが数人現れた。背後からも迫ってくる。
 一人対大勢では分が悪い。個性で一気に吹っ飛ばすことはできるけど、歩道を歩いている人を巻き込んでしまう。
「危ないです!避けて」と声を上げた。近くを歩いていた人は気づいて、足早に離れてくれたが、離れたところにいる通行人は、こちらに全く気づかない風情で平然としている。インナーヘッドホンでもつけているのだろうか。これではスマッシュは撃てない。
 じりじりと囲まれるように逃げ場を塞がれ、追い詰められる。一旦引こう。
 僕は背後のビルの中に駆け込んだ。エントランスは広く吹き抜けになっていて、エスカレーターが3、4階まで長く伸びている。
 ビルの中で働いている人に迷惑をかけてしまうけれど、外部に連絡してもらえる可能性がある。
 追ってきたヴィランを倒して、エスカレーターを駆け上がる。ヴィラン達も怒号をあげながら上がってきた。追いつかれる。
 3階に上がりきる途中で振り向き、指を弾いてスマッシュを撃った。出力は抑えたが、ヴィラン達は折り重なるようにして、1階まで転げ落ちていった。
 すぐにまた追ってくるだろう。時間稼ぎにしかならない。非常口かどこかから脱出して、体制を整えよう。一般人のいるビルの中で、そうそうスマッシュは撃てない。肉弾戦で一人一人倒していくしかない。
 階下にはヴィラン達が続々と集まってきている。何人相手にすればいいんだろう。
 エスカレーターが途切れたので、通路に入った。片面は壁が硝子張りのオフィス、片側にはドアが並んでいる。
 なんだろう。通路に人の頭部大の水の玉がいくつか浮いている。立ち止まって、後ろを振り返った。ヴィランは追ってきていない。用心しながら水玉に近寄ってみる。なんらかの個性には違いないけれど、この水玉は罠なのか?ほっといた方がいいのか?破壊した方がいいのか?
 僕に気づいた男の人が、硝子の向こうからこっちを見た。他の人にも伝えているようだ。「隠れて」と叫んだが、中年男性が「ちょっと君」と言いながら、オフィスから出てきた。
 彼の側に水玉が近づいてゆく。警告する間もなく、男性は「なんだ?これ」と言い水玉に触れた。
 途端に、水玉が砕けるように割れる。
 解放された水は生き物のようにくねり、男性の頭を包みこんだ。
 やはり罠だったのか!
 男性は水玉の中で泡を吐き、倒れて苦しげにもがいている。外せないかと水玉に入れた指は、ざぶざぶと水をかき混ぜるだけで、取ることはできない。
 この人が窒息してしまう。どうすればいい。風圧ならば一気に吹き飛ばすことはできるだろうか。
 迷ってる場合じゃない。危険だけど試してみるしかない。
 注意深く顔を避けて、小指を曲げて慎重に弾き、スマッシュを撃つ。
 水玉は弾けて蒸発し、男性は苦し気に咳き込んだ。
 騒めくオフィスの人々に「危険だから、出てこないでください」と声をかける。男性の背中をさすり、無事を確認する。
 安堵して、ふう、と息を吐いて立ち上がった瞬間、うっかり背後に浮遊してきた水玉に肩が触れた。
 まずい!と思う間も無く水玉は割れ、中の水が僕の頭を覆うように広がった。
 咄嗟にスマッシュで弾き、背後に跳ねて距離を取ったが、今度は別の水玉が足元にぶつかった。
 破裂して中から出た水は、右足に絡みつき、絞るようにぎゅっと水圧をかけてきた。足を振っても水玉は取れない。筋肉が潰されそうだ。スマッシュで水玉を吹き飛ばす。
 脚を摩り、曲げてみる。骨が折れてはいないみたいだけど、今ので右足にダメージが入った。締められた脹脛が痛む。
 他にも誰かがこの水玉に触れると危険だ。一気に吹き飛ばしてしまわないと、犠牲者が増える。
 僕は廊下の向こうの窓に向かって構えた。ガラス張りのオフィスには風圧がかからないよう、角度を調整する。
 2つ指を曲げて構えて、スマッシュを撃った。
 窓硝子が割れ、浮かんでいた水玉は全て外に吹き飛ばされた。水玉は散開し、細かい飛沫となって、蒸発した。
 これで大丈夫だ、と一息つく間もない。「奴がいたぞ!」と怒鳴り声が聞こえた。今のスマッシュでヴィランにみつかってしまったらしい。
「騒がしいな、一体なんだ」とぼやきながら、硝子張りではない向かい側のドアから、中年の男性が出てきた。
「出てきちゃダメです、ヴィランがいる。逃げて!」と声をかけた。だが遅かった。角から1人のヴィランが現れて、ダッシュでこっちに走ってきた。
 ヴィランに気づいた男性は硬直している。間に合わなかった。今は男性をヴィランから庇いながら戦うしかない。
 ヴィランは腕を広げ、掌からいくつも水泡を吹き出した。水泡はみるみる大きくなり、僕の頭を狙って浮遊してくる。
 水玉の地雷を出すヴィランはこいつだ。
 怯える男性を背後に隠し、水玉を避けて、スマッシュを撃てるように構える。じりじりとガラス張りの壁を伝い、ドアに辿り着く。
「入ったら鍵を掛けてください」と囁き、素早くドアを開けて、男性をオフィスに押し込んだ。
 よし、身軽になった。
「は!遅えよ、ヒーロー」
 ヴィランの勝ち誇った声が聞こえたその瞬間、とぷんと水泡が頭を包んだ。冷たい。目の前が歪み、息ができなくなる。
 ヴィランが近づいてきた。とどめを刺すつもりだ。水泡を出し、相手を窒息させる危険な個性。
 だが、予期していたことだ。
 水を吸いこまないように、息を止めて蹲った。ヴィランは油断している。
 今だ。
 くるっと身体を起こして振り向き、男の脛を蹴って足払いをした。倒れたところで腹に鋭く蹴りを入れる。ヴィランは避ける間もなく、吹っ飛んで昏倒した。
 水玉のヘルメットは霧散した。呼吸出来るようになり、大きく息を吸い込む。他の水泡も蒸発していく。これで罠もなくなった。
 立ち上がり、オフィスの人々に声をかける。
ヴィランが大勢侵入してきてます。ここは、危険です。外に避難できればいいんですが、危険なのでまだ外に出ないで、今は隠れてください」
 僕が移動すればヴィランも続いてくる。その後なら避難できるだろう。
「なんとかヒーローに連絡できませんか」硝子越しに先ほどの男性に問うた。
「そうしたいところなんだが、朝から携帯もパソコンも不安定なんだ。市内では問題ないんだが、まだ外部には連絡できなくてね。午後には復旧すると市から通達があったんだが」
「恐らく偽の情報だと思います」
 硝子の向こうから、溜息と共に返事が返ってきた。「これからどうなってしまうんだ」
「大丈夫です。僕がいます」
 何の根拠もないけれど、男性に向かって微笑む。僕はヒーローだ、みんなを不安にさせちゃいけない。とりあえず危険な水玉の地雷は吹き飛ばしたんだ。後は僕がここから離ればいい。
 廊下に出ると、左右からヴィランの怒号が聴こえてきた。挟み撃ちだ。どっちにも行けない。正面の非常階段のドアを開け、階段を駆け上がる。
 いきなり脹脛に突き刺されたような痛みが走った。
 何が起こった?
 見ると、右足脹脛が黒い棘に貫かれていた。棘は床から突き出したのだ。足の裏は靴底に守られたが、脹脛は防げなかった。棘を折って引き抜くと、血が吹き出して布地に染み出てきた。
 棘の生えてきた場所を確認する。何の装置もないように見える。けれども、足元にいくつもの丸い黒ずんだシミがある。見上げると、上も壁も、階段一面に黒いシミが浮き出ている。ここも罠が張られていた。誘い込まれたのだ。
 階下から大勢のヴィラン達の声が轟いてきた。引き返せない。
 黒いシミは避けきれない。ならば棘に貫かれるより早く移動するしかない。
 勢いよくジャンプして、天井を蹴る。
 シミから棘、が僕を狙って飛び出した。
 棘をかわして、壁に向かってジャンプする。
 床から棘が勢いよく数本伸びてきた。
 腕を払って棘を折り、床を蹴って壁に跳ぶ。
 しまった、シミを踏んでしまった。棘が飛び出てくる。
 先端が身体に届く前に、反対側の壁に跳ぶ。
 反動をつけ、壁や天井を蹴り、次々と跳ねて、階段を上る。
 シミを踏まないようにしていたのだが、影にも反応するようだ。通り過ぎるそばから、床だけでなく天井や床からも、棘が飛び出てくる。
 鋭い切先が服を破り、身体を掠める。手足が棘に貫かれ、血が階段に飛び散る。
 駆け抜けたのは、ほんの数秒のことだったろう。ようやく最上階に辿り着いた。水玉と棘でダメージを受けた右足を引き摺りながら、屋上のドアを開ける。


 見えるのは広く開けた遠い風景だった。
 白いコンクリートの床にヘリポート。このビルは歩行者歩道から見えた、唯一の高層ビルだ。周囲からぽんと浮き出た塔のようなビル。
 疎らにあった雲はもう何処かに消え、青ざめた空はどこまでも広がっている。
 蒼い牢獄だ。
 最上階に上ってきて、僕はどう脱出しようと思ったのだろう。地上から何十、何百メートルあるのだろうか。負傷した身では、ここから落ちれば流石にただでは済まない。
 ヘリポートに助けが来るわけがない。ここには僕の他にヒーローはいない。下からはヴィランが追って来ている。轟くような大勢の足音。敵の人数が膨れ上がっているのがわかる。
 開け放したままのドアから、ヴィラン達が現れ、下卑た笑みを浮かべた。
「行き止まりだぜ。観念するんだな」
「飛び降りてみるか、ヒーロー。うまく着地できれば助かるかもしんねえぞ。下には俺たちの仲間が待ってるがな」
 迫ってくるヴィラン達を睨みつけ、フルカウルになる。右足にずきんと痛みが走った。棘と水玉から食らったダメージだ。この状態でどのくらい戦えるだろう。
 空を仰ぐ。天空には遮るもののない太陽。
 あの日も空は澄んで青かった。
 太陽のようだと憧れた
 あんな風になりたいと思った
 眩しくて、触れたくて、手を伸ばした。
 自惚れてたのかな。1人で攻略できると思ったなんて。
 僕はこのビルに誘い込まれたのだ。いや、この街に到着した時から、死柄木からの携帯に出た時から、初めから罠は張られていたのだ。
 でも、他に方法は思いつかなかった。もし行かなければ、死柄木は住んでいる人々諸共に、この街を破壊しただろう。駅の周りにいた人達も、さっきこのビルで会った人達も、塵にされてしまっただろう。それをわかっていて見殺しにするなんて、僕にはできなかった。たとえ罠だと解っていても。

 お母さん、ごめんなさい。
 オールマイト、ごめんなさい。
 この結果は僕が選んだんだ。
 他のヒーローなら、どうしただろう。
 オールマイトなら、どうしただろう。
 かっちゃんなら、どうしただろう。

 獲物を追い詰めた優越感だろう。ヴィラン達は僕を取り巻くように広がり、ゆっくりと迫ってくる。

―てめえは阿呆だ。緻密に計画するくせに、土壇場で考えなしに飛び出しやがる

 かっちゃんに何度も怒られた。成長してないな、僕は。
 1人でどこまでやれるだろう。でも、むざむざやられたりしない。僕は逃げに来たんじゃない。戦いに来たんだ。負けるものか。足掻いて藻掻いて、最後まで戦い切ってやる。 フルカウルのパーセンテージを引き上げる。
 25パーセント、50パーセント。
 全身の筋肉が弾けて、血液が沸騰するみたいに感じる。
 80パーセント。

「緑谷!」
 空耳だろうか、僕を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声。
 見上げた空から白い何かが、孤を描きながら、飛んでくる。
 飛行機雲?いや、縄のような何かのような。
 考えている内に、飛んできたものが蛇のようにしなり、腰回りにぐるりと巻きついた。
 これは、縄じゃなくて布だ。
 ぐんっと凄い力で白い布に引っ張られ、勢いよくビルの手すりの側に引き寄せられる。更に引っ張られて身体はホップし、手すりを越えて高く宙に浮遊する。
 視界に映る景色が青い空から逆さの街になった。
 真っ逆さまにビルから落下していると気づき、僕は悲鳴を上げた。
 まずい、ヴィランがまさか、ビルの下から来るなんて思わなかった。
 落下しながら、なんとか外せないかと、拘束する布を掴んで気づく。
 待てよ。よく見ると、この布は見覚えのある色と感触をしている。相澤先生の布に似ているような。
 まさか先生が来てる?
 アスファルトに叩きつけられると思って目を瞑った瞬間、誰かの腕に抱きとめられた。
「ドンピシャ!」
 聞き覚えのある別の誰かの声。薄目を開けると、いくつもの懐かしい顔が見えた。雄英の同級生の面々だ。安堵した表情で僕を取り囲んでいる。抱きとめてくれたのは飯田君だ。
「みんな!」
「全く、お前は馬鹿か」
 隣でふわふわと浮いている男が、静かに呟く。白い布がするすると解かれ、彼の首に巻きついて襟巻き状になる。
「え?心操くん?」
ヴィランを洗脳して、このビルに案内させてなきゃあ、やべえとこだったぜ」と心操くんは言い、「おい、解除してくれ」と麗日さんを振り見て、地面に降り立った。
「危なかったな、緑谷くん」飯田君の心配げな声。息が上がっていて、青ざめている。
「飯田がダッシュして、抱きとめたんだ。と轟君が説明する。
「何処に落ちても受け止められるように、ネット張ったのによ。いらなかったじゃねえか、飯田」
 瀬呂君が呆れたように笑う。見ると、ビルの玄関口付近には瀬呂君のテープが、大きなハンモック状に張り巡らされている。
「僕はビルの屋上から落ちたんだよ?すごいGがかかったよね。飯田くん、腕は折れてない?大丈夫?」
「問題ない。抱きとめる瞬間に麗日君が軽くしてくれた。レシプロバーストを使ったから足はエンストしてるが、大丈夫!すぐ復活する」飯田君の脹脛からは黒い煙が上がっている。
「無理してくれたんだ、ごめん。ううん、ありがとう」
「間に合ってよかったよ、立てる?」側で麗日さんが泣き笑いの表情を浮かべている。
 皆が駆けつけてくれた。
「どうした、緑谷君、目が潤んでるぞ。痛いのか」
「ううん。ヒーローが来てくれるってことは、こんなに嬉しいんだなって思って」
「ばっかだなあ、お前もヒーローだろ、緑谷!」切島君が言う。「俺たちは仲間を助けに来たんだっての」
 ビルの前庭の木立の中に連れていかれ、木の幹に寄りかかるように降ろされた。
「どうしてここがわかったの」僕は問うた。誰にも告げてないし、僕自身到着するまで何処に連れて行かれるのか、わからなかった。
「最初から話そう。洸太君が連絡してくれたんだ」飯田君が言った。「君がどこにいるのかも、何が起こったのかもわからないから、誰も信じてくれない。でも緑谷君が危ないらしいと」
「皆に一斉送信して、返信きた奴に声をかけて、皆でヴィラン連合の奴を手当たり次第に捕まえたんだぜ。勝手に動いたりして、上司のプロヒーローに見つかったらやべえけどよ。奴らの誰が情報持ってるかわかんねえしよ」上鳴が言った。
「捕まえてしまえば、後は心操の出番だ」と切島がくいっと指で示す。「こいつが一番の功労者だぜ。片っ端からヴィラン連合の奴を洗脳して、計画を知ってる奴を見つけ出して、ここまで案内させたんだ」
「すごい!心操君の個性はほんとにすごいな」
 ヴィラン向きの個性だと悩んでいた心操君。味方にいればこんなに頼もしいんだ。
「もうすぐ他のプロヒーローも来る」照れたのか、心操君はそっぽを向いてしまった。「1人で戦ってんじゃねえよ。緑谷」
「触るけど、痛くねえか」瀬呂君がテープをちぎって、僕の腕をそっと掴んだ。
「大丈夫。そんな痛くないから」
「今は縛るくらいの応急処置しかできねえけどよ。リカバリーガールが来たら、ちゃんと治療してもらおうな」
 棘に裂かれた傷は深くはないが、思ったより多い。手足の出血箇所にテープを巻かれなら、ちらちらと周りを見回す。
「爆豪は来てねえんだ。連絡つかなくてよ」
「え、僕は何も、かっちゃんなんて、誰も、探してないよ」
 心を読まれていたのかと慌てて、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
「ま、連絡ついても、あいつのとこからは相当距離あっから、来るのは難しかっただろうけどな。爆豪がいりゃあ、強力な戦力になんだがな。よし、済んだ」
 瀬呂君はビルの方を振り向いて言う。「これから始まんだからよ」
 怒号が近づいてくる。ヴィラン達がビルの入り口から出てきたのだ。僕を逃してしまい、屋上から引き返してきたのだろう。
「おいでなすったな。行ってくるぜ。緑谷は暫く休んでろよ」
 皆がビルの入り口に押し寄せ、ヴィラン達を取り囲んだ。今や彼らは顔の知れたプロヒーローだ。ヴィラン達は思わぬ事態に怯んで、散り散りになって逃げていく。
 その時、街の中で爆発音が轟いた。
 爆発は次々と連鎖的に響き、地面がぐらぐらと揺れる。一瞬かっちゃんが来たのかと思った。だが人々の悲鳴が聞こえてくる。違う、かっちゃんなわけがないじゃないか。ヴィランの別働隊だろう。
「はいはい、うぜえヒーローどもが。羽虫みたいに湧いてきやがって。まあいい、ならばプランBに移行するだけだ。精々プロヒーローを集めろよ。シビルウォーはこれからだ」
 死柄木の声が、街頭スピーカーから流れてくる。
「俺は向こうに行くぞ」轟君が爆発のあった方向に走ってゆく。
「やはりヴィラン連合か。皆、気を引き締めるんだ」飯田君はトントンと足踏みする。「大丈夫、足は回復してきた。僕も行ってくる」とダッシュして轟君に続いた。
「ああ、これからだな、プロヒーローが来る前に、すこしでもヴィラン共の頭数を減らしとこうぜ、なあ、皆!」
 切島君が拳を握って振り上げ、皆が肯く。
 さらに爆破音が轟き、それと共にそこかしこのビルから黒煙が立ち上り、空を墨を吐いたように禍々しく染めてゆく。ヒーローたちはそれぞれの戦場に散っていった。
 腕をついて身体を起こす。ずきっと痛みが走った。でも休んでなんていられない。戦闘に参加できなくても、避難誘導くらいならできる。
 不意に誰かに右腕を触られた感触がした。
 途端に腕が燃やされたように熱くなる。
 振り返って戦慄した。掌大の黒い空間から手が生えて、僕の手首に触れているのが見えた。
 ほんのゼロコンマ何秒の一瞬。
 危険を感じてすぐに手を引っ込めたが、グローブが崩れて、瀬呂くんのテープが粉になり、皮膚がパリパリと裂けて剥落してゆく。
「あー、残念。もうちょっとで塵にしてやれたのにな」
 ワープゲートから半身を出して、死柄木が笑っている。
「死柄木、やはりお前が!」
 二の腕まで皮膚が剥がれた。あかむけになった腕に血が滲んでくる。大丈夫だ。痛いけど動かせる。スマッシュは撃てる。
「俺のことより、いいのか?ヒーロー」
 死柄木は、くいっとビルに顔を向けた。促されるままに振り返る。ビルの中から悲鳴が聞こえてきた。僕が出てきたばかりのビルだ。そういえば、ヴィランは出てきたけど、中にいた人達は避難できたんだろうか。
「助けてやるんだろ、救えない人間はいないんだろ。ヒーロー。したいようにしろよ。邪魔はしねえよ。俺はこれから別件で忙しいんだ。行かなきゃならないところがあるからな」
 別件って何のことだろう。問い返す前にワープゲートが閉じた。何事もなかったかのように空間が揺らいで元に戻る。
「緑谷くん、何か声が聞こえたが……その腕どうした!血塗れになってるじゃないか。何があったんだ」戻ってきた飯田が驚いて言った。
「これは、その、大丈夫だよ。それより、あのビルに誰か残されてる。悲鳴が聞こえたんだ。僕が入った時、中に一般の人がいたんだよ。きっと避難出来なかったんだ」
「わかった。僕が行こう」
「ううん、僕が行く。さっき入ったばかりのビルだ。勝手はわかってる」
「デクくんは休んでて。ぼろぼろだよ」駆けつけた麗日さんも、心配そうな眼差しを向けてくる。
 またビルから悲鳴が聞こえる。
「大丈夫。僕が行かなきゃ」と走り出し、振り返ってふたりに笑いかける。「助けたら合流するから」
 ビルの中を駆け上がり、火の手のある階に向かい、悲鳴の聞こえてくる方角に向かう。オフィスのドアを次々に開けたが、誰もいない。いくつめかのドアを開けると、何人かの人が集まっていた。部屋の隅に縮こまって固まっている。
「大丈夫ですか」
 声をかけると、彼らはそろって一斉に振り返った。
 何かおかしい、ロボットのような動きだ。
 彼らの目から光りが消えた。顔がひしゃげて膨れ、ひび割れた表皮の隙間から光りが漏れ出た。
 人間じゃない。これは罠だ。
 人であったものの頭が次々と弾ける。
 閃光。咄嗟に腕で頭を庇った。
 右腕に千々に引き裂かれるような痛みが走る。破裂音と共にあたり一面が光に包まれた。


 この戦いが終わったら、かっちゃんに会いに行こう。
 煙たがれるかもしれないけど、罵倒されるかもしれないけど。
 でも、会いたいんだ。


 赤い雫が雪のように舞っている。
 僕の血飛沫なのだろうか。腕の手当てをしてなかったから、血管から溢れてしまったんだろうか。
 地面に張り付いて動かない腕から、ぽたりぽたりと雫が滴る。
 雫は跳ねて、群れをなした魚のように宙を遊泳する
 紅色の玉は日に透けて、宝石のようだ。華やかで綺麗だ。
 見ているうちに、赤い雫はいつしか花弁に変わった。花弁の幻を見せるヴィランの個性攻撃だろうか。
 揺蕩う内に花弁の色は薄紅色に変わってゆく。
 桃の花だろうか、梅の花だろうか。桜の花だろうか。
 横たわる身体に花弁が降り積もる。花弁は絨毯のように地面を覆っていく。身体は指ひとつ動かない。
「杏の花だ、わかんだろ」
 誰かの声が聞こえる。
 その声音は幼馴染に似ている。
 ああ、杏の花か。いつだかそんな話をした
 花吹雪の中に、誰かが立っている。
 誰なのだろう、首を傾けて目を凝らす。
 彼はこっちを向いて自分に話しかける。
「やっと咲いたんだぜ。クソナード」
 花が渦を巻く。花弁の雨の中にいるのは、会いたくて堪らなかった幼馴染。
 彼はこちらに歩いてくる。蹴散らされた花弁が足元を舞う。
「なあ、わかんだろ、デク」
 彼はすぐ脇に近づいてきて僕を見下ろす。
 笑っているんだろうか。怒っているんだろうか。逆光になってるから君の顔がよく見えない。
 回り込んだ光が、彼の輪郭を明るく縁取る。赤い血潮と同じ色の瞳が、とても綺麗だなと思う。
「まだ話は終わってねえ」
 蹲み込んで見下ろしてくる鋭い眼差しが、三日月のように細くなる。

 

 瞼の裏が明るい。
 ざわめきが聞こえる。
 重い瞼を開いてみた。
 茫洋と滲んでよく見えないけれど、うっすらと光を感じる。
 幾人かの人が僕を取り囲んでいるようだ。
 ここは何処なんだろう。
 次第に周囲がはっきり見えてきた。白衣の人達がひとりふたり、離れたところにも何人かいる。医務室か、病院の中だ。相澤先生とお医者さん、あと誰だろう、黒服の男の人。会ったことあるような気もするけれど。
 僕助かったんだ。
 壁一面の大きなガラス窓の向こうに、皆の顔が見える。すごく心配そうな表情でこちらを見ている。
 よかった、皆無事だったんだ。
 かっちゃんもいる。目を釣り上げて、ものすごく怒った顔してる。聞こえないけれど、怒鳴っているようだ。きっと僕を罵倒しているのだろう。
 君も心配してくれたのかななんて、勘違いしそうになる。
 心配ないよ。だって、生きてるんだ。
 生き延びることができたんだ。
 OFAはもう失われたけれど。みんながいる。先生達もいる。
 君がいる。
 ああ、大丈夫だって知らせなくちゃ。でも身体が固まってしまって、小指一本たりとも動かない。口の中も切ってるみたいだ。血の味がする。
 痛いなと思いながら、頬を上に上げる。

 僕はちゃんと笑顔を作れてるだろうか。

 

 END

 


 杏の花言葉
「臆病な愛 早すぎた恋」