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胡蝶の通い路・前篇(共通版)

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前編

序章

 破裂音と閃光。
 掌を発火させた勝己の身体が宙に浮き、出久の眼の前を跳んでいく。
 爆音が木々を縫って遠く木霊する。
「待ってよ、かっちゃん」
 出久は息を切らせて勝己に続いて跳躍した。
 山道を登るほどに急斜面になる。駆けるより跳ぶ方が早いけれど、着地の足場を間違えるとよろけそうになるのて注意が必要だ。
 日本とは違う形の鬱蒼とした木々が生い茂る。この山は富士山より遥かに標高が高いのだ。森を抜けてからやけに息切れする。空気が薄くなってきたのではないだろうか。
 道がなくなり、足元はごろごろと岩が転がる地面になってきた。後ろを振り返るが誰の姿も見えないし、声も聞こえない。後続のクラスメイト達をかなり引き離してしまったようだ。
「待ってよ、かっちゃん、みんな僕らに追いついて来てないよ」
「へっ!知ったことかよ。そう言うてめえも離れちまってんだろうが!」
「だって、このまま班からはぐれちゃったらまずいよ」
「はあ?馬鹿かてめえは!目的地は山頂だろうが。一本道だ。はぐれようがねえわ」
 怒鳴る勝己の声には全く疲れた様子はない。
 出久はその背中に懸命に呼びかける。「かっちゃん、皆を待とうよ。競争じゃないんだから」
「るせえ!てめえにだけは負けねえ!」
 勝己は一層スピードを上げた。自分が追いかけているのがいけないのだろうか。でも、これでも一応班長なのだ。彼を1人にはできない。
 空気が湿って靄が立ち込めて来た。爆破の煙と混じって視界が阻まれる。
 息を切らせて白煙に溶けてしまいそうな勝己の閃光を追う。
 轟音が止んだ。
 勝己が立ち止まったらしい。山頂に到着したのだろう。
 霧の向こうに勝己の姿が見えた。追い付いて勝己の側に歩み寄る。
 空気が薄いせいか急いだせいか。胸が苦しくて、ひゅうひゅうと肩で息をする。眼下を見下ろしても、霧がかかっていて景色が見渡せない。
 隣の勝己を見ると全く息が上がっていないようだ。信じられない。なんて体力なんだろう。
 勝己は出久に気づいているのかいないのか、目を見開いて虚空を見つめている。
「かっちゃん?」
 出久は彼の視線の先を追い、息を呑んだ。
 あれはなんだ。
 ぞくりとして、思わず勝己の腕を縋り付くように掴んでいた。
 虚空に大きな巨人の影が2つ、揺らめいていた。



 海外で行われる山岳合宿まで2週間を切っていた。
 合宿内容は高地訓練やレクリエーションで、10日間の日程だ。クラスごとに分かれて別の宿舎に宿泊する。パスポートを用意したりスーツケースなど旅行用品を揃えたり、生徒たちは買い物や準備に忙しい。出久も含めて、長期宿泊の海外旅行自体が珍しい生徒も多い。
「学校の授業で海外に行けるなんて思わなかったね」「必需品以外にも色々要るよね。遊ぶものとか、何持って行こうか」「みんな、訓練だぞ。遊びじゃないんだ」「何言ってんだよ。固いこと言うなよな」
 出発が近くなるほどに、皆浮き足立ってきた。
「楽しみだね!デク君」
「うん!皆で海外行けるなんて思わなかったよ」
 うきうきと話しかけてくる麗日に、出久も嬉しくなって答える。
「今日のHRでは部屋割りを兼ねた班分けがあるぞ」飯田はそわそわ落ち着かない様子だ。「くじで決めるのか、自由に決めていいのかわからないが」
 いつも以上に手を振って、ちょっと挙動不審な飯田が微笑ましい。
「飯田君と麗日さんと同じ班になれるといいね」
 二人と一緒ならきっともっと楽しいに違いない。クラスの誰とでも楽しいだろうけど。 誰とでも、と考えてきゅっと胸が痛む。
 HRの時間になった。教室に入って来た相澤先生は檀上に立つと、手に持った紙束を示した。
「山岳合宿の日程表を配るぞ。荷物はそれを見て確認するように。コスチュームは別便で運ぶが、身の回りのものは自分で管理しろよ」それから、と相澤先生は別紙を取り出し、「班分けはこっちで決めておいたからな」と告げた。
「えー?」とざわめく生徒たちに「遊びじゃねえぞ、お前ら、異論は認めん」とピシャリと言うと、相澤先生は早速黒板に班分けの名前を書き付けていく。
「嘘だろ」
 黒板を見て、出久はつい口に出してしまった。慌てて前の席の幼馴染の背中を伺う。かっちゃんに聞こえちゃったかな。聞こえてなければいいけど。特に反応はないのでほっとする。
 出久と勝己は同じ班に振り分けられていた。5人で1組の4班構成。出久の班は自分と勝己と轟と切島と上鳴。麗日、飯田とは別の班だ。
「じゃあ、お前ら班に分かれてプリントに従って係を決めろ。俺は寝る」
 そう言うと、相澤先生は後は任せたとばかりに寝袋に潜ってしまった。
 皆はごとごとと机を動かし班に分かれた。出久は向かい側に座った勝己にちらりと目をやる。眼光鋭い紅い瞳と視線がぶつかり、慌てて目を伏せる。
 勝己とは暫く話してない。彼は最近ずっとぴりぴりしているのだ。出久に対してだけ。
 出久の顔を見ると眉根をぎゅっと寄せて顔を顰める。近寄ると鋭い目で威嚇され、話かけようとすると怒鳴られる。まるで入学間もない頃のようだ。何故だかわからない。
 何か僕が君の気に入らないことをしたのかな。だんだん普通に話せるようになってきて、嬉しかったのに。君もそうなんだと思ってたのに。勝己のことを考えると胸がちくんと痛くなる。怒らせるようなことをした心当たりはない。そのうち治まるかと期待しているけど、今日もやはり機嫌が悪いようだ。
「リーダーは誰がやるよ?」と上鳴。
「緑谷はどうだ?お前割としっかりしてるしよ」と切島。
 出久はびっくりして首を振った。「えええええ!僕なんかダメだよ」
「いいんじゃねえか。この班に他にリーダーに向いてる奴はいねえよ」轟も2人に追従する。
「そんな、切島くんがいいと思うよ、頼りになるし」
 上鳴もそうだが、勝己に物怖じせず話しかけられる人がいいのではないだろうか。つい勝己を基準に考えてしまう。
「いや、俺向いてねえよ。俺さあ、結構流されやすいんだぜ。まとめらんねえって」
「だよなー、このメンバーだよ?飯田とか八百万とか、リーダーやってくれそうな奴は皆他の班いっちゃったしよ。頼む!緑谷。お前しかいないんだ」冗談めかして上鳴が片手で拝む。
「そんなあ」
 そっと視線を送るが、勝己はまるで興味なさ気にそっぽを向いている。
「爆豪は異論あるか?」轟が問いかけた。
「うるせえわ!勝手にしろや」
「賛成ってことだな」
「うぜえ!」勝己は苦虫を噛み潰したような顔で轟を睨みつけた。
 あれ、勝手にしろって。決定しちゃった?
「もちろんフォローはするからよ。な、緑谷頼むわ」切島はポンポン、と出久の肩を叩く。
 キャンプファイヤー、登山などのイベントごとの係も決まった。各班もそれぞれすべて決まったところで相澤先生を起こし、机を元に戻して解散になった。
 予鈴が鳴り、すぐさま勝己は教室を出て行った。出久は慌ててその跡を追った。同じ班になったのだ。こんなギクシャクした関係のままじゃいけない。なんとかしなければ。
「かっちゃん、話があるんだ、待ってよ」
 呼びかけるが、勝己の返事はない。聞いてないフリをしてどんどん歩いて行ってしまう。
「かっちゃん、お願いだよ、聞いてよ。同じ班になったんだよ。僕らが揉めてたら皆に迷惑がかかるよ」
「知ったことかよ!話しかけんな、クソが」
 返事はしてくれたものの、案の定取りつく島もない。こんな風に怒鳴られたら、以前なら萎縮してしまっただろう。でも今は彼の理不尽な物言いに対して、多少は言い返せる。君との関係は回復したはずだろ。誤解は解けたはずじゃないか。
「かっちゃんどうしたの。何怒ってるんだよ。僕何かした?」
「話かけんなつったろーが!」
 振り返った勝己の形相は明らかな怒りを帯びている。出久は怯んで反射的に後退った。勝己の腕がぐんっと伸びてきた。肩を掴まれ、廊下の壁にどすんと背を打ち付けられる。
「いた!か、かっちゃん?」
「皆の迷惑?てめえの心配はそんなことかよ。んなもん関係ねえわ」
 苛立ちを滲ませた勝己の声音。
「皆、じゃない」取り繕った言い方は彼には通じない。「僕が辛いんだ。君が怒ってると」
「はっは!てめえかどう感じてようが知ったことかよ」
「かっちゃんが何で苛ついてるのかわからないよ」そう言って出久は俯いた。「教えてよ」
 肩に彼の指が食い込んでくる。骨を砕かれそうなほど強く掴まれる。痛い。勝己は押し黙り、暫くして低い声で答えた。
「てめえは危機感がねえんだよ。俺がもうてめえに何もしねえと思ってんだろ」
「だって、しないよね、君とはもう」
「わかんねえぜ。俺が何を考えているか、てめえは知らねえだろ」
「それは君が教えてくれないからだろ」
「教えろってのかよ。てめえ、舐めてんのか!ああ?デク」
「どうしてそうなるんだよ。舐めてるなんて、違うって言ったよ僕は。君に憧れてたんだって」
「憧れ、憧れ。てめえはいつもそうだよな。はっ!くだらねえ」
 ぐっと肩を掴んでから離すと、勝己は舌打ちして行ってしまった。出久は解放された肩を擦る。
 勝己の考えてることがわからない。ほんの少し前まで、穏やかに話せていたのだ。もちろん比較的、ではあるけど。以前のようなギスギスした空気ではなくなったのだ。
 互いの心の内をぶちまけたことで蟠りが消えて、彼に近づけたと思った。そのうち子供の頃のようないい関係に戻れるじゃないかと、期待してしまった。期待してしまったからから余計に辛いのだろうか。こんな気持ちで合宿を迎えなければいけないなんて。
 勝己の指に捕まれた肩がじんじんと痺れていた。



 霧の中だ。右も左もミルク色の濃霧に包まれている。
 どのくらい彷徨っているのだろう。沼地が近いのか、水音が聞こえる。足元が泥濘む。合宿所の近くに沼はないはずだ。踵を返して反対側に向かって歩くことにする。視界はより濃い白に包まれ視界が遮られる。
 櫟なのか杉なのか、木の枝が肩にパサリと触れた。ぶつからないように手を周囲に伸ばして、ざらりとした幹を触りながら歩く。足元が乾いた地面になってきた。石や木の根でゴツゴツとしている。
 進む先に、虹のような光の輪が浮かんでいる。森の出口はあの方向だろうか。ふわりと誰かの影が輪の中を横切ったような気がした。
 木々の迷い路の向こうに、やっと合宿所が姿を現した。

 出久が合宿所に辿り着くと、玄関に誰かが立っているのが見えた。相澤先生だ。
「緑谷、なのか?」
 深刻そうな表情だ。心配をかけたに違いない。来い、と部屋に来るように指示される。
 相澤先生の後に続いて廊下を歩きながら「すいません。道に迷ってしまったみたいです」と出久は言った。
「そのことだがな、緑谷」相澤先生が立ち止まって問う。「お前、いつから迷っていたのか覚えてるか?」
「え、えーとよくは。気がついたら霧の中でした」
 むむ、と唸って相澤先生は腕を組んだ。何か問題があったのだろうか。出久は不安になってきた。
「あの、僕なんかしたんでしょうか」
 ガシガシと頭を掻くと、「あのな」と相澤先生は徐ろに口を開いた。
「緑谷、今日からお前は爆豪と2人だけで同室になれ」
「ええ?かっちゃんとですか?なんで?」
 吃驚して聞き返した。現在は班ごとに分かれて大部屋を使っている。出久と勝己は5つ並べられたベッドの端と端だ。
「屋根裏に4人部屋がある。そこを使え。今連れて行ってやる。後で荷物を持って来い」 動揺する出久に、来ればわかると相澤先生は話を終わらせた。
 相澤先生の部屋に入ると、誰かががソファに座っているのが目に入った。
「かっちゃん?」
 勝己は入ってきた出久を見て顔をしかめた。鼻を鳴らして目を逸らす。
「こいつと同室ってなんでなんだよ。訳を教えろよ」
 既に話は聞いていたらしい。ふてぶてしく問う勝己に、「お前も来い」と相澤は人差し指でくいっと手招きする。
 勝己は億劫そうに立ち上がり、ドアの側でどけとばかりに出久に肩をぶつけた。不服なのはお互い様じゃないか、と思うが言い返せない。出久は勝己の後ろを少し離れて歩いた。
 宿泊に使ってない屋根裏の部屋。掃除はされていて、部屋の左右の端に二段ベッドが設置してある4人部屋だ。ドアの正面には大きな窓がある。流石に大部屋より狭いが天井は高くて意外と広く感じる。三角屋根なので、壁の途中から中心に向かってスロープになっている、天井の真ん中あたりに四角い天窓があって青空が覗いてる。
 勝己が訊いた。「で、理由はなんだよ」
「これを見りゃわかる」と相澤は2段ベッドを示した。
「ああ?何もねえじゃねえか」
「下段じゃない。上段を見ろ」
 相澤先生に従い、出久は左、勝己は右のベッドの梯子を上った。盛り上がった布団。誰かが寝てる?
「ええ!これは、僕?」
 布団の上に横たわるのは自分とそっくりな人物だった。
 向かい側のベッドで勝己が「ああ?んだよこれはよ!なんのドッキリだ」と怒鳴る。
「見ての通り、お前らにそっくりな人体だ」相澤が言った。
「これ、偽物ですか?」
 恐る恐る頬に触れてみる。ふにゅっと弾力のある皮膚の感触。体温はあるし、顔に手をかざすと呼吸してるのがわかる。
 相澤は頭を掻きながら「とりあえず今朝のことを話そう」と言った。
 朝食の前、班の者たちが相澤先生の部屋に、出久と勝己がいくら起こしても起きないと狼狽えながら報告に来た。彼らは先に朝食に行かせて確認に行くと、彼らの言う通り2人とも泥のように眠っていた。いくら呼んでも、揺すっても叩いても起きなかった。
「こりゃあ流石におかしい、とふと窓を見たら、丁度爆豪が森の中から現れるのが見えてな。生徒達に見つからないよう、とりあえず俺の部屋に連れてきたんだ。理由はわからんが、ひょっとしたら緑谷も現れるんじゃないかと思ってな。騒ぎにならないようお前らの身体をここに移送したところで、予想通り緑谷も現れたというわけだ」
「どういうことなんでしょう」梯子を降りて、出久は相澤に問うた。
「2人ともは昨夜はちゃんと就寝してる。間違いない。どちらかが偽者とすれば、森の中から現れるまでの記憶が曖昧な分、お前らの方が偽物の確率が高いかもな」
「はああ?何言ってんだあんた!偽者なわけねえだろ。それとも俺は生霊だってのかよ。全然、身体に触れんじゃねえか」
 勝己はいきなり出久の腕を掴んで振った。え?とびっくりしていると、勝己は自分の行動に気づいて舌打ちし、ぶんっと乱暴に腕を離す。ぷっと相澤先生が吹き出した。
「仲良いな、お前ら」
「どこがだ!あんたの目は節穴かよ!」
「噛み付くな爆豪。俺も何が起こったのかわからないんだ。生霊なのかドッベルゲンガーなのか。初めは何らかの個性にかけられたのかと思ったんだが」
「まさかヴィラン連合、ですか?」
 以前に合宿所を襲撃された時に、分身を作る個性を持った奴がいた。彼らがまたやって来たのだろうか。背筋が寒くなる。
「いや、ここにヴィランがいないのは確認済みだ。以前のようなヴィラン連合の乱入を避けるための海外合宿なんだからな。念入りに調査したし、監視体制も整っている。1か所に固まると狙われた時に危険だから、A組とB組で宿泊施設を分散させて、連絡を密にすることにしたしな。だから安心してたんだが、かえって油断してたかもな」 
 相澤先生は2人に向き直った。「前日に何かあったか思い出してくれ。手がかりになるかも知れん」
 変わったことと言えばと、緑谷は昨日の訓練のことを話した。山頂に2人が前後して一番乗りした時、虹に囲まれた2つの大きな影を見たこと。皆が来た時にはもう薄れて消えてしまったこと。それはブロッケン現象というのだと誰かが言っていた。
「霧の中を彷徨っていた時にも、同じような虹が現れました。その中に誰かの影を見た気がします。かっちゃんも見た?」
 ちらっと伺うが、勝己は黙ったままだ。
ブロッケン現象か。霧の中でよく起こる現象だな。対象に背後から太陽の光が当たって、影の側にある霧の粒で光が散乱し、影の周りに虹のような光の輪を作り出すんだ。ブロッケンの妖怪とも呼ばれるな。車のサーチライトとかでも起こるそうだ」
「関係あるんでしょうか」
「ふうむ、ただの自然現象なんだが。関連があるのかどうかはわからんな。未知のヴィランの可能性も捨てきれんし。しかし基本的にヴィランは人の多い都市部に集中しやすいんだが」
「僕ら、どうすればいいんでしょう」
「残念だがすぐに発つことはできん。海外のデメリットだな。まだこの現象に危険があるのかどうかも不明だしな。今までも同様のことがあったのか、情報を集めて対処法を探す。暫くの間、他の生徒達には隠すことにする。騒ぎになるからな」
 沈黙していた勝己が徐ろに口を開く。「この本体とやらが起きればどうなる。俺は消えるのか」
 勝己の言葉にぞくっと震えがくる。そうだ、もしも偽者が僕らの方ならば、何が起こるのかわからない。
「自分が消えるくらいなら、元とやらを爆破してやりゃいいよなあ」と勝己は右手をベッドに向けた。パチパチと火花が舞う。
「だめだよ。かっちゃん!もしそっちが本体だったら、爆破したら僕らも消えちゃうかもしれないよ」
「ああ?うっせえわ、デク!やってみなきゃわかんねえだろうが」
「やって消えちゃったら、手遅れじゃないか!」
 火花がスッと消えた。わかってくれたのかとほっとする。いや、勝己が収めたわけではなく、相澤先生が個性を使ったようだ。
「あー黙れ黙れ。とりあえず行事に参加してこい。起きてるのはお前らなんだから。本体の代わりにやることは山ほどある」
「たりめーだ、てか、代わりじゃねえわ!こっちが本物なんだからよ!」
 相澤先生から時々眠る身体を寝返りさせるようにと指導される。床ずれ予防と様子を確認するためで、何か変化があればすぐに報告するようにと。
 勝己は不服そうに言う。「めんどくせえ。俺はやんねえよ。デク、てめえはやりたきゃやれや」
「かっちゃん駄目だよ」
「指図すんなや、クソが」
「お前らな。二人ともやれ!」苛ついた様子で相澤先生が言った。
 ちっと舌打ちして勝己はドアに向かう。
「待って、かっちゃん」
 止めようとつい腕に触れてしまった。途端に勝己はくるっと振り向き、威嚇するように睨んだ。
「触んな、クソが」
「ごめん。 かっちゃん、でも」
「爆豪、お前な、イライラすんのはわからんでもないが、八つ当たりするなよ」と相澤先生が窘めるが「あんたにはわかんねえよ!」と勝己は怒鳴る。出久は為すすべなくおろおろするばかりだ。
 ふうっと勝己は息を吐く。「荷物持ってくんだよ。隠しとくには他に手がねえんだろ。ちゃっちゃとこのめんどくせえ事態をなんとかしろよな」
「ああ、わかってる」
 勝己が去るとぽん、と相澤先生が慰めるように肩を叩いた。
「あいつもとりあえず納得はしたようだな。お前らの身体だ。頼んだぞ」
 出久は溜息をついた。厄介なことになってしまった。その上また勝己を怒らせてしまった。同室になんてなったら、怒らせる元がさらに増えそうだ。先が思いやられる。
 勝己は触んなと言って怒ることが多い気がする。別に触りたくて触ったりしない。でも和解する前だって、ここまで酷くなかったんじゃないだろうか。なんでこんな風になってしまったのだろう。検討がつかない。自分に原因があるなら教えて欲しい。
 それとも今の自分が偽物だから、知らないだけなのか?この気持ちも偽物で、悩みは眠ってる方の自分のものなのだろうか。
 本物と偽物と何が違うというのだろう。
 この日のスケジュールを終えて、就寝時間になった。相澤先生は2人だけ同室にする理由を、様子を見るためだとクラスの皆に説明した。
「寝る」と言うと勝己はさっさと上に行ってしまった。
「3人になっちまったぜ。さみしー」上鳴は大袈裟に嘆く。
「別に寝るだけだろ、班が変わるわけじゃねえし」と轟は平然としている。
「てめえはそうだろーけどよ!楽しいのは夜だろ!夜!男同士で色々語り合いたいじゃねえか」
切島は心配そうに言う。「緑谷、2人で大丈夫か?爆豪と仲良くできそうか?最近あいつまたお前にきついけどよ」
「うん、寝るだけだし、ね」なるべく平気に聞こえるよう出久は答える。
 班の皆と別れて、出久は屋根裏の部屋のドアを開けた。勝己は既にベッドに入っている。もう寝てるのだろうか。
「かっちゃん、起きてる?」
「起きてねえよ」
「起きてるじゃないか。ねえ、これからどうしよう」
「うるせえ!クソバカナードが!寝ろ!うぜえわ」
 取り付く島もない。ベッドから見上げると天窓から沢山の星が見える。空気が澄んでるからだろう。降ってきそうなほどの光の群れだ。
 日本から見える星座とは違うのかな。北半球は同じなんだっけ。一際目映く輝いている星は夏の大三角形のひとつかな。こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星だ。天の川に遮られて一年に一度しか会えない。
 年に一度でも会えればいいよ。思いあっているのなら。天の川ではないけれど、君との隔たりを飛び越えられたらいいのに。
 部屋の窓は大きくて月明かりが眩しいくらい。床に映る窓の格子の影が檻のようで、まるで閉じ込められてるみたいだ。影に蝶の模様がある。気づかなかったけど、窓枠の飾りだろうか。いや窓枠に蝶が止まっているんだ。
 この部屋に自分と勝己の二人きりのようなのに、ベッドの上段には同じ顔をした者達がいるのだ。おかじな感じだ。
 こちらがが本物なのか向こうが本物なのか。
 


 翌朝。出久が食堂に入ると、既に班の3人は席に座っていた。「こっちだ緑谷」と席に手招きされる。
 テーブルには朝食の味噌汁と鮭や海苔などのおかずが用意され、お櫃が各テーブルに一つずつ置かれている。御飯だけはセルフサービスだ。班の全員揃ってからよそうのだろう。
「爆豪と2人で大丈夫だったか?」と轟が聞いた。
「うん、昨日はほんとに寝るだけだったし」
「日中は俺らも一緒にいるんだ。あまり深刻になるなよ」
「あ、ありがとう」
「まあ、お前らが仲直りすんのが1番だがな」
 轟も気遣ってくれている。勝己と仲直りなんていつできるんだろう。そもそも仲違いの理由がわからないのだ。というか、幼い頃から考えると仲良しだったのは遙か昔だ。僕らの仲直りってどんな形なんだろうと考えてしまう。
「爆豪はいねえみてえだが」
「うん、声かけたけど先に行けって言われて」
 きっと自分と一緒に降りたくないのだと気分が沈む。
「あいつ二度寝してんのか」と上鳴が揶揄うように言った。
 勝己が階段を駆け下りてきた。「してねえわ!クソが!」
「おう、爆豪!お前らいねえから寂しかったぜ」と慌てて上鳴は取り繕う。「轟マジですぐ寝ちまうしよ。夜中まで恋バナとかしてえじゃねえかよ、なあ」
「悪いな。眠気には勝てねえんだ」と轟。
「恋バナじゃなくて、エロ話だったろーが」と切島はあきれる。
「それな。楽しかったよな」
「う、んー、まあな」とボソボソと切島が答える。
 ほんとに流されやすいんだなあ、切島くん。皆と同じ部屋なら面白かっただろうな。寝不足になりそうだけれど。上鳴君の勢いでかっちゃんも恋バナに参加させられたりしたかな。うるせえって怒ってたかな。黙って聞いてるほうかも。そういうかっちゃんも見てみたかったな。
 「おい、飯!てめえらちゃっちゃと受け取れ!」
 考えに耽ってる間に、いつの間にか勝己が全員の御飯をよそっていたようだ。
 
 午前のトレーニングが終わった時、「ねえねえ、屋根裏の部屋はどんなの?見せて」と別の班の芦戸がやってきた。
「僕はいいんだけど、かっちゃんに聞かないとわからないよ」出久は困って勝己を引き合いに出した。
「あいつがいないからいいんじゃん」「だな、屋根裏部屋なんてみたことねえし、俺も見てえ」上鳴、切島も乗って来た。
 これはまずいぞ。部屋の中には眠る自分達の身体があるのだ。勝己は何処に行ったんだろう。トレーニングの後で姿が見えなくなった。こんな時に彼ならうまく彼らを断ってくれるのに。うまくというか、勝己の有無を言わさない物言いは、こういう時こそ必要なんじゃないだろうか。
 いや、そんな頼りかたないよね。身勝手すぎる。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
 慌てて出久は部屋に戻り、ベッドの上段の自分の頭に布団を被せ、さらに荷物をのせて身体を隠した。勝己の顔も隠さなくては。だが、梯子を下りている間に、皆がどやどやと部屋に入って来てしまった。間に合わなかった。隠しそこねた勝己の顔が布団から出たままだ。
 天井を仰いて切島が言った。「おお、天井たっけな。3段ベッドでもいけそうじゃねえの」
「うん、結構広く感じるよね」出久は落ちつかない。。
「お前ら下段に寝てんのかよ。2段ベッドは上段の方がいいんだぜ」
「あ、あ、待って上鳴くん!」
 上鳴が2段ベッドの梯子をひょいひょいと登っていってしまった。止める間もない。「おー?爆豪?」と上鳴が声を上げた。
 勝己の身体が見つかってしまった。出久は慌てたがもう遅い。なになに?と芦戸も梯子を上って、ベッドを覗いてウケている。
「意外と寝顔かわいいね、爆豪。いつもこんな顔してればいいのにね」
「こんな時間に昼寝してんのかよ。昼飯前じゃん」
「う、うん、疲れてたみたい」出久は冷や冷やしつつ答える。
「へえ、タフネスのあいつがね」
 まずいぞ。もし皆がこの後、部屋の外でかっちゃんを見かけたら、きっとおかしいと思うだろう。かっちゃんどこにいるんだよ。連絡しようとポケットから携帯を取り出して、ふと窓の外に目をやる。勝己だ。丁度広場を横切っている。
 森の中でトレーニングをしていたんだろうか。よかった、合宿所の中にはいなかったんだ。出久はこっそりメールを送信する。そういえば携帯、山の上だけど通じるのかな。アンテナは立ってるけど。
『部屋に入れただあ。このクソバカが!』案の定怒りの返信が届いた。
『だから、合宿所の入り口から入らないで直接部屋に来てね』と送信する。
「じゃ、そろそろ行くわ。午後はトレーニングだしよ。爆豪そろそろ起こしとけよ」切島が言った。
「きちいよなあ、高地トレーニング。すぐ息が上がっちまう」上鳴が弱音を吐く。
 皆が去った後、出久は窓を開けて手を振り、その場を離れた。外から爆音が聞こえた。跳んできた勝己は窓枠に掴まり、桟に足をかけて部屋に入ってくる。
「あ、かっちゃん、靴脱いで」
「てめえ、ふざけんな!」
 勝己は靴を投げ捨てると、出久の言葉を遮り、目を吊り上げて出久に掴みかかった。首元を掴んで締め上げる。
「く、苦し、ご、ごめんね、かっちゃん、止められなかった。合宿所の部屋は鍵ないし」
「身体張って止めろや。クソが!」
 なんだなんだとクラスメイト達が部屋に戻ってきた。まだ近くにいたらしい。勝己の爆音のせいかも知れない。危なかった。
「おい、起きて早々に喧嘩すんなよ、爆豪」と切島が割って入った。
「寝てねえわ!」と勝己は怒鳴る。
「何言ってんだよ。お前昼寝してただろ」
「クソが!寝てたわ!うるせえわ、てめえら出てけ」
 パンパンと勝己は掌から爆破音を出して皆を威嚇する。
「わーったわーった。もう行くって。寝起きで機嫌悪いみてえだな」上鳴が言った。「緑谷にあんまり苦労かけんなよ、爆豪」
「かけられてんのはこっちだ!クソが!」
 2人きりになったところで勝己が振り返って睨んだ。「気いつけろバカが!」
「うん、ごめん」
「全く、いつまで隠してりゃいいんだ」
 
 昼はトレーニングに飯盒炊爨、夜はレクリエーションにと、その日の合宿スケジュールは慌ただしく過ぎた。
 沸点が低いので飯盒炊飯には、圧力鍋を使用することになった。班ごとに支給されたが、皆圧力鍋で調理をしたことがなく、使い方がわからないと戸惑っていた。意外なことに勝己は知っており「強火にして沸いたら弱火にすんだ。蒸気口を開くんじゃねえぞ」と聞かれるたびに答えていた。
 流石なんでもできるんだなと感心する。そういえば、登山が趣味だったっけ。山に慣れてるのかも知れない。すごいなあ、かっちゃん、なんて昔みたいに言ったら爆破されちゃいそうだけど。山での調理もトレーニングの一環だそうで、空気が薄いからこそできることらしい。高地トレーニングも色々あるようだ。
 夕食後、歯磨きを終えて出久は鏡を見た。
 腕に触り、顔を触る。自分が偽物とは思えない。身体の様子もおかしいところはない。何も変わらない。ただ部屋には自分達ではない別の自分達が眠っている。
 出久はベッドの上段に登った。自分の身体に顔を寄せるとちゃんと寝息が聞こえる。ころんと横向きに寝返りさせる。
 勝己は自分の体を寝返りさせないつもりなのだろうか。床ずれができるかも知れないし、そうじゃなくても動かした方がいいんじゃないだろうか。彼がやらないなら自分がやっておこう。
 出久は勝己のベッドの上段に移って布団を捲った。眠る勝己は眉間に皺もなく穏やかな顔をしている。芦戸の言っていたように、いつもこんな顔をしてればいいのに。すうすうと息も静かだ。血色もよくてすぐにも起き出しそうだ。
「かっちゃん、いいよね」と誰も聞いてないのに断って身体を横向きに動かす。
「かっちゃん、起きてる?」と眠る勝己に呼びかける。
 同じ言葉をかけて、昨夜は怒鳴られた。
「眠ってる君は側に寄っても怒らないね」
 まじまじと顔を見つめる。ここで眠っている君は穏やかなのに。
 一体君は何を憤ってるんだ。僕らは心を曝け出しあって、分かり合えたんじゃないのか。あれは一時的な錯覚だったのか。何でもすぐに出来てしまう君は僕のヒーローだったんだ。嘘なんかじゃない。
 そう素直に告げても今は怒るだろうね。僕は君とわかり合いたいよ。君ともっと話したい。いつかは君に並び立ちたい。おこがましいことなんだろうか。
 そろっと金糸のような髪に触る。君はちょっと触れるだけでも烈火の如く怒るから。今だけは、眠ってる君になら触ってもいいだろうか。硬くて刺さる毛先は金の針のようだ。
 指を髪に潜らせて滑らせる。結ぼっているのか途中で指がくくっと止まる。何度か丁寧に滑らせる内に、毛先まで指が通せるようになった。
「ブラシの代わりに指で梳いておこうかな。起きたらくしゃくしゃの頭というのも考えものだよね。ああ、僕はくしゃくしゃだけど、かっちゃんはトゲトゲだね」
 天頂の髪を梳いてから前髪を梳く。指先が額に触れる。硬い髪質だけど、手触りは絹糸みたいでサラサラだ。金色の生糸だ。肌の色素が薄いから、目を開ければ肌に赤い瞳が映えるだろう。この距離でその赤を見たいな、と思う。ふっと苦笑する。それって胸倉掴まれてる時だ。
 眠っている方の勝己が目覚めたら、起きている勝己はどうなるのだろう。かわりに眠ってしまうのだろうか。


to be continued