碧天飛天の小説サイト

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かたなしなるもの

 白砂が裸足の指の間から溢れる。
 ひと足踏むごとに、サクサクと鳴る砂が心地いい。
 振り返れば、浜辺の小屋が小さく見える。海岸線に沿って、随分遠くまで歩いてきたらしい。
 少年は砂を両手に掬った。粒がキラキラと光りながら、風に乗って散らばる。この辺りの砂は水晶が混じっているようだ。
 少年は砂を使って細工物を作ることを生業としている、砂採りだ。
 砂を小瓶に詰めて瓶にリボンをつけたり、貝を貼ったりして装飾品を作り、市場で売る。珊瑚や水晶の混じった砂の細工物はそれなりに売れ、少年1人の食を支えるくらいにはなった。
 暫く歩くと、白い岩に囲まれた入り江があった。初めてくる場所だ。純白の砂。ひたひたと静かに波が打ち寄せる。
 少年は浜辺に降りた。すると、波がざぶりと持ち上がり、少年の前に大きな生き物が現れた。
 彼の背丈より大きいが、見上げるほどでもない。初めて会う生き物だ。
 目も口もない丸い大きな頭部は半透明で、海月のように透けて、レースのようなひらひらした鰭を纏っている。
「こんにちは」と少年が挨拶すると、その生き物も「やあ、こんにちは」挨拶を返し「君はどこから来たんだい?」と問うた。
「向こうの浜辺から来たんだ」と少年は指差した。「僕は砂採りなんだ。綺麗な砂を集めてる。ここの浜辺は綺麗だね」
「そうだろ。ゆっくりしていけばいいよ」
 生き物は得意げに言った。
 少年は入り江を散策し、白い砂浜に腰を下ろした。
 生き物は先端の平たい触手で、砂つぶを拾っては浴びた。砂は粘液で肌にくっついてキラキラと光る。
 少年が「綺麗だね」と言うと、生き物は「そんなことないよ」と言いながら、見せびらかすようにくるりと回る。
「こんな貝だってあるんだよ」
 生き物は桜色の貝殻を触手で拾っては見せた。「あげるよ」と言って様々な貝殻を沢山くれる。
「ありがとう」
 少年は上着を脱いで貰った貝殻を包んだ。
「海の中では僕は人気者なんだ」と生き物は言う。「綺麗だとよく言われるし、鯨や鯱とも友達だ」
 海の中のことなど自分に関係ないし、なんとも思わない。けれど、機嫌よく話すので、「それは良いね」と曖昧に相槌を打つ。
 生き物は砂に詳しい。砂つぶに混じったものをあれは硝子、あれは瑪瑙、あれは琥珀と解説して器用に選り分ける。「綺麗な粒だけをつけたいんだ」と集めた砂を浴びる。
「そろそろ帰るよ」と少年は腰を上げた。
「明日またおいでよ」と生き物は言い、触手を差し出した。
 握手をする。
 寒天か葛切りのような、つるつるひんやりとした手触り。
 小屋に帰り、貰った色とりどりの貝殻を机に出して、山に盛った。少年は微笑んだ。1人浜辺に来て初めての友達だ。なんの生き物なのかわからないけれど。話をしてて楽しかった。
 そうだ。せっかく貰ったのだから。少年は貝殻に穴を開け、繋いでいくつも首飾りを作る。
 次の日入り江に行くと、待っていたように、生き物が海から上がってきた。
「昨日の貝、首飾りに加工したら、結構売れたんだ。ありがとう」と少年は礼を言う。
「へえ」と生き物からなにか含みのある返事が返ってくる。
 貝は売るための材料にくれたのではないのか?少年は砂採りなのだと言ったのに。少しだけ引っかかったがすぐに忘れた。
「泳がないか」と生き物が誘った。
 少年は生き物に続いて海に潜った。遠くに生き物と同じような、キラキラしたものが何頭も泳いでいる。周りを魚達が取り囲んで舞っている。綺麗な魚を引き連れてた、王様の行列のようだ。
「華やかだね」と少年は見惚れる。
「あんなの綺麗に見えても、ただ砂つけてるだけじゃないか。貝や珊瑚までくっつけて、節操がない。綺麗な砂をだけを選んでつけなきゃ意味がないよ」と生き物は不機嫌そうに言う。
 そんなに違うかなと少年は思う。
 生き物は同類の飾り方が自分に似ている時も、微妙な反応を示す。貝殻や珊瑚で飾ってたり、自分の飾り方と遠いときは褒める。まだまだと思うものは励ましている。だが、綺麗で独創的で優れてるとしか思えないのに、批判する時がある。
 褒める時はいいけど、批判する時は含みがある。僕に言わなくていいのに、まるで僕にもそう思えと思ってるみたいだとちらっと思う。
 だが、だんだんわかってきた。生き物がくさすのは意識している時らしい。ほめるのは意識しない時だ。ライバル視が羨望になり、それを口にせずにおれないのだ。批判は認めてる証なのだと思うと、逆に批判するものほど優れているのだなと見るようになった。
「ここの砂はどれも綺麗だと思うよ」と少年が言うと「そうだろ」と生き物は胸をはる。
 ここの生き物達は、綺麗な砂の在りかをよく知っている。水晶の白や翡翠の緑やサファイアの青やアメジストの紫やルビーの紅や琥珀の橙。身を飾るために砂を纏う。
 僕は砂採りなのだから纏ったりはしない。でも、砂を売りたいな。ここの砂で作った装飾品を好ましいと思う人は、きっと沢山いるだろう。
 少年は岩場の青や紅の砂を採集し、浜辺のさまざまな色の砂を掬って袋に収める。
 砂を加工するととても綺麗だろうな。入り江の生き物達が身体に纏っているように、紙や板にくっつけてもいい。水槽にいれても綺麗だろう。植木鉢に撒いても綺麗だろう。
 少年は集めた砂を色ごとに分け、持ってきた画用紙に糊を塗って砂を撒いた。紙の上で砂は絵の具となり、鮮やかに形を作る。少年は虹と海の絵を描いた。
 生き物が近寄って来た。
「見て。砂で描いてみたんだ」と少年は言った。
 だがそれを見てた生き物は、少年から紙を取り上げた。パラパラと砂が零れる。
 あまりのことにすぐには声が出なかった。
「せっかく描いたのに、何するんだよ」
 少年が抗議すると、生き物は怒鳴った。
「何を取った」
 びっくりしている少年の手から袋を奪い、生き物はその砂を頭から浴びた。
「この場所の砂は全て私のものだ。一粒たりとも取ることは許さない。君は他の場所で取ればいいじゃないか。ふん、こんなの描いても売れるもんか」
 生き物は紙をぺらっと地面に捨て、あからさまに不機嫌な様子で海に潜ってしまった。
 少年はあっけに取られた。貝は沢山くれたくせに、何を怒っているんだろう。砂は纏うもので、砂絵は違うとでも言うのだろうか。僕の砂絵が売れようが売れまいが、生き物には関係ないだろうに。
 ならば魚ならばいいだろうか。入り江の魚は赤や青や色とりどり。鮮やかに水槽に映えるだろう。
 少年は網を投げて入り江の小魚を捕り、魚籠に入れた。魚籠の中で魚はぴちぴちと跳ねる。
 すると「何をしている」と怒鳴り声がした。
 ザブリと大きな水音と共に、生き物が波の間から現れた。皮膚を赤黒く染めて烈火のごとく怒っている。生き物は素早く触手を伸ばして、彼から魚の入った魚籠を奪った。
「ちょっと、何するんだよ」
「盗っ人め」生き物は唸り声を上げ、少年を罵倒した。
 生き物の丸い顔に筋目が走った。丸い頭の下から細かい歯のついた大きな口が現れ、頭部が割れてヒトデのように大きく開いた。少年は戦慄し後退りする。生き物は魚籠の中を口にあけて、次々と魚を丸呑みにした。
「ここの魚は全て私のものだ。一匹たりとて奪うのは許さない。盗っ人、盗っ人、なんて悪いことをするんだ。自分でわからないのか」
「全て?何言ってんの」
「私の言うことをきかないと、友達をやめるからな」
 生き物は言い捨てて 海に潜ってしまった。
 少年は家に戻り、ベッドに座ると頭をクシャクシャとかいた。
 酷く心が疲労している。僕は落ち込んでいるのだ。生き物を怒らせた。何か僕が悪いことをしたんだろう。怒らせるのは辛いことだ。
 だが時間が経つにつれ、もやもやと違う感情が渦巻いてきた。
 生き物は僕の何を悪いと言ってるんだ。わからない。生き物は自分を盗っ人と呼んだ。だが同じ入り江の同種族のもの達には言わない。ぶつくさと文句を言うだけだ。
 同じ入り江に在るものでも、貝殻を取っても文句を言われたことはない。
 自分はいつも通り砂を取っただけだ。それが生業なのだから。僕は果たして悪いことしたんだろうか?
 苛立ちも生まれてきた。言うことをきかないと友達をやめるからなってなんだ。

 翌日、少年はいつものように浜辺に出たものの、はたと立ち止まった。裸足の足を見下ろす。
 何処に行こうか。右側に行けば船着場、左に行けば生き物のいる入り江。どっちに行くか迷った。毎日会ってた生き物だけど、今日はあまり会いたくない。
 迷ったすえ、船着場に向かって歩くことにした。
 船着場に到着し、桟橋に腰掛けた。並んだ船を眺める。桟橋に座って足をゆらゆらとさせる。水面に映る黒い影が足と一緒に揺れる。数匹の黒い魚の影が脚の影を追う。
 お昼過ぎになった。そろそろ食事時だし、帰ろうか。
 水面を眺めていると「やあ、水を一杯くれないか」と遠くから声をかけられた。
 桟橋の向こうから、1人の青年が手を振って歩いてくる。
「いいよ」と少年は水筒を渡した。
 青年は喉を鳴らして水飲むと少年に水筒を返し、「悪い。残り少なくなっちまった」と謝った。
「いいよ、僕はそんなに喉乾いてないから」
「すまない。俺は漁師だ。この辺りは俺の漁場だ。君を知ってるよ。よく向こうの入り江で化物と話してる子だね」
 青年は入り江の方向を指差した。
「化物じゃないよ。僕の友達だよ。ひどいな」
「ではあの生き物はなんだ。魚か海月か」
「僕もよくわからないんだけど。化物じゃないよ」
「ふうん、今日は入り江に行かないのか?」
「ちょっとね」
 漁師は少年の隣に座り、顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ。元気がないようだな」
「怒らせてしまったんだ」
 少年は生き物との間にあった出来事を漁師に話した。誰かに話したかった。
 漁師は「ふん」と鼻を鳴らす。
「そいつは随分自慢が好きみたいだな。自分はこんなに綺麗だ、こんなに知り合いがいるってひけらかしてる。お前を羨ましがらせようとしてんじゃねえのか。俺なら自慢話うぜえって聞いてらんねえよ。そいつに知り合いを紹介してくれと言ったら、嫌な顔するんだろうな」
「知らないくせに。会ったことないのにわからないだろ」
「そいつの自慢話聞いて、面倒くさくねえか」
「別に、羨ましくないし。知らない人達の関係に興味ないし。そういう話したいんだなと思うだけ」
「お前に自分を凄い奴だと評価しろと言ってるように聞こえるけどな。お前はそいつを凄い奴だと思ってるのか?」
 少年はちょっと考えて答える。「そうは思ってないかな。尊敬する部分もあるよ。砂のことよく知ってるし、砂を自分を飾るのに使うなんて、面白いと思う。僕にとっては砂は装飾品を作る材料だから。僕は対等だと思ってるつもりなんだ。海と陸で住むとこは違うけど。似たところもあるし」
「そいつはお前をどう思ってるんだろうな」
 少年は考える。「向こうも対等だと思ってると、そう思ってたけど。でも、よくわからなくなったよ。砂や魚のことなんかであんなに怒るなんて。ほかの魚や海豚や鯨だっているし、他に砂で飾ってる生き物もいる。なんで僕にだけダメだと言うのかわからないんだ」
「理不尽だと思うんだな」
「怒らせたくないよ。でも、納得できないんだ」
「俺もそれは理不尽だと思うぜ」
「そう思う?」
「その化物は入り江の所有者じゃないだろう。他の魚と同様に棲んでるだけだ。入り江はそいつの領土ではあるまい。砂浜もそいつのものでもあるまい。魚もそいつのために周りにいるのではない。砂も海も誰のものでもない。そいつが作ったものではないのだから。砂は砂、魚は魚だ。自分のものなどと言える理はないだろう」
「僕もそう思ってたんだけど」
 入り江の者達は砂で、自分の思うように飾っているのだ。装飾品と身を飾るの違いはあるにしても、砂を使いたいと思ってはいけないのだろうか。
「たかが砂や魚で、なぜそんなことを言うのか、俺はそいつを知らないからわからねえけどな。そいつが自分が正しくて、お前が悪いと思わせたいってことはわかるぜ」
「でも、仲良くしたいんだ。友達だし。砂や魚は欲しいよ。でも怒らせたくはない」
「よし、待ってろよ」
 漁師は船の中に入り、魚籠を2つ持って戻ってきた。片方の魚籠から小魚を出し、もうひとつの魚籠に分けると、少年に渡す。
「俺が捕った魚を君にやるよ。持ち主は獲った俺だから、そいつは何も言えないはずだ」
 緑や青や色とりどり。確かに入り江の魚だ。
「いいの?」
「構わねえよ。勝手に網に入ってた魚だ。食えねえし、いらねえから、海に返そうと思ってた」
「ありがとう。嬉しい」
「俺はどんなに綺麗だろうと、砂なんかに興味はない。小さくて綺麗な魚よりも、大きくて旨い魚の方が何倍もいい。それが俺にとって価値あるものだ。その化物にとっての価値あるものもお前とは違うだろう」漁師は続ける。「お前にとって価値あるものはなんだ」
 夕刻になり、少年が小屋に戻ると、玄関の前で蠢く影がいた。目を凝らすと、彼の家の前にいるのはあの生き物だった。
「来るのが遅いから来たよ」と生き物は言った。
 怒っているかと思っていたのに上機嫌だ。どういうわけだろう。
「ところでさ。さっき誰と話してた」
 と生き物は聞く。何気ない調子で聞いているつもりだろうが、どこからか見てたのだろうか。ちょっと嫌だな、思う。
 生き物の透明だった表皮が、うっすらと灰色に濁って見える。
「漁師だって言ってたよ」答えると「あの盗人が」と生き物は憤り、さらに表皮を濁らせた。
「あいつの言うことなど聞いてはいけない」
 まるで指図するような口調に、嫌だな、と思う。生き物は魚の入った籠を見つけて触手で触れた。
「この籠の中身はなんだい?」
「あ、それはその漁師からもらった魚が入ってるんだ」
 少年は魚籠を取ろうとしたが、その手は遮られた。生き物は籠の中を見て怒鳴った。
「これは私のものじゃないか!」
「違うよ。漁師が捕って僕にくれたんだ」少年は魚籠を取り返して抱きしめた。「もとは漁師のものだったんだよ」
「盗っ人、盗っ人!」
 生き物は怒鳴ると、触手を伸ばして魚籠を取り上げた。
「痛!」と少年は手をひっこめて指を見る。ぷくりと針でついたような血が吹き出てきた。生き物の触手に棘が付いているのに、はじめて気がついた。
「その魚は私のものだ」
 生き物はみるみるどす黒く色を変えた。深海魚のようにぬらぬらした表皮。棘のついた触手。
 頭が天頂部から裂けてひとでのように開いた。細かい歯のある口が現れ、魚籠から魚を触手で取り出し、ぱくりと食らった
 目の前にいるのは、醜悪な化物だ。
「返して!」と叫び、少年は生き物から魚籠を奪い返した。弾みで魚は床にばら撒かれ、ぴちぴちと跳ねる。
 化物が魚を拾っている間に、少年は船着場にむかって駆け出した。漁師が船に乗り込もうとしているのが見えた。
「待ってよ」と桟橋を走りながら少年は声を上げた。
「なんだ?血相変えて。今船を出すところだぞ」
「お願い、一緒に乗せて」
「お前も漁師になるのか」漁師は問うた。
「入り江で釣りはしたことあるけど、船で漁はしたことがないよ。まだどうするか決められないけれど、一緒に船に乗りたいんだ」と答えた。
「よし、来い!」
 漁師は少年の手を引いて、甲板に引き上げた。
 船は出航した。

 漁師の船は魚を求めて航海を続ける。港に寄っては魚を売り、また航海に出る。
 少年は漁の手伝いをする。漁師の食事を作ったり、一緒に船の掃除もする。でも漁師にはなれそうもない。そう言うと、構わねえから乗ってろよと漁師は言う。漁場の浜辺に寄った時は、時々瓶に砂を詰めてみる。
 立ち寄る浜辺には、それぞれ彩り豊かな砂がある。それぞれの良さがある。珊瑚や貝殻を混ぜて、瓶に色とりどりの砂を詰めれば虹のように華やかだ。市場に漁師の魚と一緒に持っていくと、買っていく人もいる。
「綺麗なものだな。女子供が喜ぶ」と漁師は言う。
 穏やかに日々が過ぎたある日、少年は漁師に言った。
「あの入り江に行ってみたいんだ」
「あれと仲直りしたいのか。あいつは望んでないかも知れないぞ」
「頭にきたけれど、それは向こうも同じじゃないかと思うんだ。お互いの譲れないとこはあるけど、非を認めあえば解決できると思うんだ」
 漁師は眉根を寄せて言う。「正直、俺がお前にやった魚をちょろまかす奴なんざ、俺は評価しないぜ。俺を盗人と言いやがって。俺はどこでだって魚を獲ってやるぜ。それを盗人と言うならそいつも盗人だろう。詐欺師や盗人ほど自分が同じ被害に遭うと、烈火のごとく憤るもんだ。ふざけた話だが、詐欺師も盗人も自分だけが得をしたいもんだからな」
「でも、怒ってたから口が滑っただけで、本気じゃなかったかもしれない」
「思ってもねえことは言わねえよ。俺のことまで盗っ人と言いやがったのは本気だろう。腹が立つ話だぜ」
「でも、君には面と向かってそんなことは言わないと思うよ」
「言わなきゃいいってもんじゃねえよ。だが、お前にだけ言うなら、尚更怒っていいと思うぜ。やつはお前より砂や魚の方が大事なんだろう」
「そんなことないと思うけど」
「俺は砂なんかに興味ない。君やそいつに価値があるものであっても、俺には塵芥に等しいぜ。人より物が大事とは思えないしな。だが、そいつはその塵芥が上なんだろう 」
 そうなんだろうか。仲が良いと思っていたのは自分の方だけだったのだろうか。
「でなければ不条理なことを言っても平気なくらい、お前を舐めてたってことだろうな。盗人と言われたんだろ。盗人なんて仲の良い奴に普通は言わねえよ。家に来た時そいつが上機嫌だったのは、気が済んだからだ。でも俺のやった魚を見て逆上したんだろう。思い通りになってなかったからだろうさ」
「でも、思い通りにすることに、なんの意味があるんだろう」
「上に立ちたいんだろうよ。自分の思い通りにするために、わざと怒ったり泣いたりしてみせる奴もいるんだ。そいつの怒りは本物なのか。お前の行動の支配が目的だったのではないのか?そうじゃないと言い切れるのか?お前はそれでもその化物と付き合っていけるのか」
「それは、わからないよ」
「もしあいつが変わってなかったなら、お前はどうするんだ」
「わからないよ。会ってみないことには」少年は、はっと気づいて、漁師を見つめる。「心配してくれるんだね」
「そういうわけじゃないが」漁師は少年の頭を撫でて言う。「いい結果が出るといいな」
 船は入り江の隅の、自然の岩で出来た船着場に着いた。少年を下ろし、漁師は一回りしたら戻ると言って船を出した。
 漁師の船がいなくなると、生き物が岩の隅から顔を出した。何事もなかったように少年に近寄ると、話しかけてきた。
「久しぶりだね。どうしてたんだい」
「船に乗ってたんだよ」
「あの漁師の船かい。あ、そうだ。君が置いていった魚は干物にしたからあげるよ」
 生き物は魚籠を差し出した。中に小魚の干物が入っている。僕奪ったくせにとちょっと鼻白む。漁師から貰った魚だ。断る理由はないので受け取る。
「遊んで行かないか」と生き物は言う。
 生き物はいつものように、透明な皮膚にキラキラした砂を纏っていた。だが目を凝らすと表皮の下の黒い表皮が透けてみえる。
 目を逸らして、少年は化物と話をした。いつかのように砂の話、魚の話。でも、話題は同じなのに何故か楽しいと思えない。
 揉めた時のことも、どうしても切り出せない。その話をして仲直りに来たつもりなのに、言う気になれない。何故なんだろう。
 生き物の表皮の下で、ぐにょりと黒い真皮が蠢く。少年は気持ち悪くて、吐き気をもよおしそうになった。見ないふりをしながら話すのが辛くなってきた。
 少年の意を組んだかのように、岩場の船着場に船が到着し、漁師に呼ばれた。
「じゃあそろそろ行くよ」と少年は立ち上がった。
「そうかい、またおいでよ」
 生き物が握手をしようと触手を伸ばした。
 透明な触手の下に鋭い棘が動く。少し躊躇したが、握手をする。
 ぐちゃりと軟かくぬめっとした気持ち悪い感触。急いで手をもぎ離した。なんでもないよ、と無理に笑顔を作り、少年は急いで船に戻った。
 船は出港した。漁師が隣に来て、少年の肩を抱いた。温かさにほっとする。
「平気か」と漁師に尋ねられ、少年はほろほろと泣いた。
「貴方は結果を予想してたんだね」
「そいつは自分は何一つ悪くないと思っているのだろう。君の怒りに気付いていないのだろう。ならば話などできないと思っていたよ」
「友達だったんだ」少年は嗚咽をこらえた。「話すのは楽しかったし、物知りでいろんなこと教えてくれたし、親切な時もあった」
「そうか」
「一緒に過ごすのが、僕の好きな時間だったんだ」
「そうか」
 僕は自分がどうしたいのか、選ぶつもりだった。会って決めようと思っていた。でも選ぶ余地などなかった。生き物を見るのも触れるのも、気持ち悪かった。
 かの生き物は、僕の目には元のように映っていると思っているのだろう。黒い真皮が透けて見えていると知らずに。
 彼はあやすように少年の肩を撫でて言った。
「俺には大したことには思えないよ。たかが砂や小魚が原因で揉めるなんて、くだらないことだ。だが問題は表層ではなく、根にあるんだろう。それが君に選択させたんだ」
「前と違って、生き物の話すことがひとつも心に入って来ないんだ。楽しくないんだよ」
 生き物の頭部には牙があり、触手には棘があるのだと、今の僕は知っている。牙は僕の魚を喰らい、棘は僕を傷つけた。
「例え他人を害することでも、思うだけなら、知られなければ、行動に移さなければ、罪じゃない。だが、相手の標的が自分と知っては難しいだろう。しかも行動するなら、まず共にはいられないだろう」
「前はそうではなかったよ。いい生き物だったんだ」
「良いだけの者なんていないよ。君も相手にとって、良いだけの者ではなかったんだろう」
「お互い良い者ではいられないのかな」
「だから君を悪と罵り、良い者に戻そうとしたんだ。自分に都合の良い者にな。自分を被害者に据えたい者にとって、自分を加害者と思いやすい者は格好の獲物だ。強気な者には言わない。俺から見ると君に悪いところなどないよ。変える必要もないんだ」
「ずっと友達だと思っていたんだ。そうじゃなかったんだろうか」
 生き物にとって自分は間抜けに見え、御し易かったのだろうか。だから自分の価値観を押し付け、操ろうとしたのだろうか。
「友達だったんだろう。けれども、誰しも調子の悪い時には醜くなり、調子の良い時には美しくなるもんだ。どちらも本当の姿なのだろう。嫉妬、虚栄、恐れ、欲望、渇望、醜さの種は様々だ。悪い時にこそ本性は出る。誰も進んで醜くなりたくはないんだ」漁師は空仰ぐ。「だが避けられない」
「気持ち悪かったんだ」
 生き物は、海を住処とする他の者の前では、晒さぬであろう醜い姿を、少年には平気で晒した。
「あんなのは見たくなかった。気持ち悪かったんだ。会ったらもう終わりだなんて、思わなかったよ」
「だからこそ人は上辺を美しく装うんだ。エゴを正しいことのように嘯き、自分は被害者と吹聴する。自分の言動の影響力を知っていて口にするのだ。思い通りにしようとして貶めるんだ。だが、装うのにかまけて、その醜さに気づかないんだろう」
「なんで言うんだろう。なんで見せるんだろう。僕なら隠して飲み込んでしまうのに」
「少しでも相手への影響力を持つのなら、王が家臣に、上司が部下に、先輩が後輩に、先生が生徒に、親が子供に、その影響力を行使しない方が珍しいくらいだろう。意が通らない相手には決して言わない。言う相手は選んでるってことだ」
「僕らに上下関係なんかなかったのに」
 いや、対等だと思ってなかったならば、あれの言動も行動も納得できてしまう。理不尽に見えたのは前提が違ったのだと。相手が嫌うわけがないと、奢るからできるのだ。
「はじめは違ったかもな。関係は移ろいゆくものだ」漁師は言う。「醜さを現した者もいずれ、何事もなかったように、装いなおすだろう。美しさも以前のように戻るだろう。だがお前にはあれの表皮の下が見える。もう見ないふりはできない。いつかはその状態を受け入れたとしても、同じ状況になれば、またあれは君に醜さを露呈するのだと知っている」
 生き物は僕を抑えつけようとした。僕は自分が流されやすいと知ったけど、あれはきっと前から知っていた。ならば似た状況には陥れば、同じことはまた起きる。
 操ろうとする者に心を許してはならない。操られたりしない強い人には違うとしても。僕にとってこれほど醜いものはない。これほどの悪はないのだ。美しく見えていたものは失われた。
「もう2度と元には戻らないのかな」
「安心しろよ。今失ったものがあっても得るものもあるさ」
 彼は遠くなる入り江を振り返った。もう生き物はいない。
「あれはもう海の中に戻ったんだろう。そこがあれの居場所だ。君とは違う。君はあの島を出て俺の船に乗ったんだ。入り江を訪れない限り会うこともないよ」
「もう会わない方がいいのかな」
「気持ち悪いと思ったのだろう。それでも、毎日顔を会わせるなら、幻滅した心を慣らして、付き合い方を探せただろう。そうする手もある」
「もう無理だよ」
 入り江に行きたいと思えない。会っても辛いだけだ。
「ならば毎日顔を会わせる必要がないのを、今は幸いだと思うしかない」
「そんなことが幸いだなんて」だがそう思っている自分がいる。
「距離を置くのも必要だってことだ。だが、それは自分の見方を変えるためだ。相手が変わるなんて期待はしない方が無難だろう。君の怒りをあれは知ることはないからだ。変わらない前提での在り方を探る方がいい」
「もう心を許すことはできないんだね」
「相手との丁度いい距離がわかれば、いつか平常心で会えるかも知れない。それまでに、何が醜さの引鉄になるのか見極めるんだ。相容れない存在なのだと、心に留めて警戒するんだ。むき出しの心で会う相手ではないと。君の身を守るために。心を守るために」
「きっと生き物にとっては、僕が悪なんろうだね」
「そうだろうな。悪とするものも怒りを感じるものも、人によって違う。あれにあれの悪があるように。君に君の悪がある。絶対悪もあるけれど、大抵の悪は相対的なものだ。人の数だけ悪がある」それから、と漁師は付け加える。「何に喜ぶかより何に怒るかの方が、善とするものより悪とするものが、人を分けるものだ。きみが何を悪として何に怒りを感じるのか、考えるといい」海を見ていた漁師は少年に視線を移した。「それが君が君たる証だ」
「貴方にもあるの?」
「もちろんあるよ。つきあってればそのうちわかるさ」と彼は笑う。
 漁師にも僕のようなことがあったのだろうか。少年は漁師の瞳が青みがかった碧色であるのに気づいた。髪は日に焼けて小麦色になっているが、元は栗色であることにも気づいた。
「君があの日、船着場に向かって歩いたから、俺に会ったように。違う場所には違う世界があるんだ。見ろよ。海は広大なんだ」
 彼は立ち上がって船の帆を張った。帆は風を含んでスピードを増す。入り江はどんどん遠くなっていく。
「向こうは向こうで楽しくやってるさ。こっちはこっちで楽しくやらないとな」漁師はまた笑う。
 船はさわさわと海を切り裂いて進んでゆく。少年は海水に手を浸した。冴えざえと冷たい潮。握手をした時の生き物の感触が洗い流されてゆく。飛沫が飛んで袖を濡らす。
 波は海の皮膚のようだ。飛沫は海の血潮であるのだろうか。いつか傷口は塞がり、泡となり再び波となり打ち寄せるだろう。
 この僕もいつかそうなれる。

 

END