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橙色の思い出(「たったひとつの冴えたやりかた」から)

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「疲れたよ、かっちゃん」
 ふうふうと息を弾ませて、僕は前を歩くかっちゃんに呼びかける。
 裏山を流れる川の上流に遡って、随分と歩いてきた気がする。
 鶺鴒だろうか。川面をついっと滑るように飛んでいる。
 セキレイイザナミイザナギが、尾を振るの見て何かを知ったんだっけ。前にかっちゃんが得意げに教えてくれたけど、思い出せない。
 川べりの岩が下流に比べて、かなり大きくなってきた。ゴツゴツした岩で足が滑りそうになる。
 ふいっと前を赤蜻蛉が横切った。
「だらしねえな、デク」
 かっちゃんが手を伸ばした。僕はその手に縋るように捕まる。肉厚な掌はしっかりしてて頼もしくて、安心する。
 そのまま手を繋いで歩を進めた。川の流れが次第に細くなり、岩を穿った小ぶりな滝に繋がってゆく。
 ようやくかっちゃんは立ち止まった。着いたぜ。と顎をしゃくる。
 見上げると、空を覆うように2つの大きな岩が聳えていた。大きな岩と岩は寄り添うようにくっついている。岩の間に挟まれて、人がやっと通れるくらいの隙間があり、隙間の向こうには遠く山の端が見える。
「もうちょっと待てや。そろそろだ」
「何?何か起こるの?かっちゃん」
「黙って見てろや」
 かっちゃんはウキウキしてるみたいだ。
 ふと、岩の隙間の上部がキラリと光った。
「何なに?」
 隙間を覗いてみると、紅色の夕陽が見えた。陽が降りるに連れ、眩しく光が射し込んで広がり、両方の岩肌を橙色に塗りつぶしてゆく。美しさに疲れも吹っ飛んだ。
「すごく綺麗だね。かっちゃん」
「こないだ山登ってて、ここを見つけたんだぜ。俺の特別な場所だ」と言い、くるっと僕を見る。「てめえだから見せてやんだからな」
 かっちゃんは得意げだ。特別と聞いて嬉しくなった。手を繋いだまま、しばらく見惚れているとかっちゃんが口を開いた。
「デク、見せてやったんだから、てめえの特別を寄越せよ」
「え?見返りがいるの?」びっくりして聞き返した。
「たりめーだ、クソが!」
 頼んだわけでもないのに、お礼を要求されるんだ。やっぱりかっちゃんだった。
 とはいえ、夕陽はとても綺麗だし、かっちゃんの言葉が嬉しかった。
 僕にも彼に見せられるような、いい景色はないだろうかと考えてみたが、思いつかない。
「ごめん、かっちゃん。僕は素敵な場所なんて知らないんだ」
「クソが。場所じゃねえ」
「じゃあ、もの?」まさかと思って、恐る恐る聞いた。「僕のオールマイトのフィギュアとか?」
「クソが!てめえのお宝なんぞいんねえ。俺はてめえみてえなコレクターじゃねえよ」
「でも、僕は何も持ってないんだよ」
 君と違って、という言葉は飲み込む。ここで言う言葉じゃない。
「あんだろ。てめえの特別を寄越せって言ってんだ」
「だから、持ってないよ」
 かっちゃんはふくっと膨れてしまった。
「わかんないよ。かっちゃん」
「クソナードが」
 それっきりかっちゃんは黙ってしまった。視線を僕から外して、岩に向けてしまう。怒ったのだろうか。そっと顔を伺う。
 眉間に皺は寄ってないし、そんなに機嫌を損ねたわけじゃないようだ。
 かっちゃんは僕の手をきゅっと握り直し、そのまま一緒にポケットに入れた。ジャンパーの中で、かっちゃんの手がすりすりと僕の手を摩る。
 川からの風で思ったより冷えていたみたいだ。かっちゃんの体温に手が温められる。
「特別を寄越せや」
 かっちゃんはぽつりと繰り返す。
 岩の隙間から覗く橙色の空が朱い色に染まってゆく。
 夕陽は色の白い幼馴染の頬も赤く染めていく。

END