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ソーダ色の思い出(「放課後遊戯」から)

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「勝己、いずくくんが来たよ!」
玄関に出たのはかっちゃんのお母さんだ。雰囲気がよく似てる。でもそう言うとかっちゃんはすごく怒る。
「おお、上がれや。デク」
リビングに繋がるドアの向こうから、声だけ飛んできた。かっちゃんのお母さんに続いて部屋に入ると、ソファに寝転んでいたかっちゃんが起き上がった。開けてくれた隣に座る。スプリングが跳ねてかっちゃんと二の腕が触れ合う。
リビング階段に吹き抜け。大きな窓に嵌った格子が青い空を四角く切り取っている。高い天井が外国の教会みたいに思えて荘厳に感じる。窓に嵌められているのは青いステンドグラスだろうか。
白いテーブルの上には林檎や梨が盛られた果物籠。広くて整頓されたリビングは、綺麗すぎてモデルハウスのようで落ち着かない。自分の家は団地だから平面アップダウンがあるかっちゃんの家は、いつ来ても素敵だと思う。
「かっちゃん、映画見てたの?」
壁にかかった大きなテレビ外国の映画がついてるので問うた。ちらりとエッフェル塔が映った。石畳にくねるように曲がった街灯。フランス映画のようだ。
「ちげえよ。親が見てんだ。全然俺の趣味じゃねえわ。うんと古い映画だしよ」
と言いつつもかっちゃんの視線は画面に向けられている。
かっちゃんは他の友達を家には呼ばない。お母さんに禁止されてるそうだ。
一度何故なのか訊いたら、「どう考えてもあいつら呼んだら家ん中で騒いじまうだろ。あいつらとは外で遊ぶのがいいんだ」と言い、「てめえは別だからな。呼んだら来い」と付け加えた。
かっちゃんのお母さんがソーダ水を出してくれた。カットグラスの中の薄青い色。氷が溶けてチリっと鳴った。コップの表面についた水滴が光を反射して煌めく。滴り落ちる雫を指で辿る。ソーダ水は口に含むと花火のように弾けた。冷たくて美味しい。
「勝己、おやつ食べたら部屋行きな」
お菓子の入った籠をテーブルにおいて、かっちゃんの頭を叩いてお母さんが言った。
「じゃ、もうかっちゃんの部屋に行く?」
「菓子食えデク」とかっちゃんは籠を寄せてくる。「まだいかねえの。最後まで見てえし」
「やっぱりかっちゃん、この映画見てたんじゃないか。面白いんだね」
「全然面白かねえわ、クソが。つい見ちまったから、この先どうなんのか気になるだけだ」
画面の中では女装した男が病院に入り込み、病室で眠っている女性を絞殺した。まさかそうなるとは思わなかった。かっちゃんもひゅっと息を呑んでいる。
「うわあ、びっくりした。サスペンスなんだね」
「ちげえよ。バカ」
かっちゃんは即座に否定した。
「え、でも、殺人事件が起こったよ」
「この女はこいつの恋人だ」
「え、恋人なの?
「だから手にかけるんだ」
「なんで?恋人なのに?」
そう聞いたとき、彼が答えた言葉を覚えていない。かっちゃんはなんと答えたのだろう。
 
配信映画の中にそれがあった。
思い出す。
夏の午後、空を溶かした様なソーダ水、グラスを濡らしテーブルに滴る雫。
家に遊びに行ったときに、かっちゃんがテレビで見ていた午後のロードショー
フランスの映画だった。
ベティブルー」確かそんな題名だった。
パッケージ写真は深い青い背景と頬杖をついてどこか上を見ている女性。
サスペンスではなかった。彼が言ったように恋愛映画だった。
オープニングに悲恋を予想させるサクソフォンのソロが流れた。
出会ってすぐに恋人同士となったふたり。楽しく過ごしていたのに、突然心が壊れてしまった恋人。悲しい恋愛映画だった。
何故別れなかったのだろう。悲劇となる前に。殺してしまう前に。
「フランスの恋愛映画は出会って別れるまでの話なのよ」
と母は言った。
「恋人関係の始まりから終わりまでを描くの。アメリカ映画は出会って、別れて、復縁するまでのストーリーが多いけれど。物語としてはともかく、普通は復縁するなんてあまりないわ。恋愛は一期一会よ」
「なら、辛いことになる前に手を離してしまえばいいのに。それが正しいよね」
「過ごした時が美しいほどに固執してしまうのよ。
手を離せば終わりだと思うから、ふたりの時がもう二度と戻って来ないと思うから。辛くても苦しくても、耐えがたくても、手離せないものなのよ」
だから一緒にいる時を大切にするのよ、と母は笑って言った。
関係の終わりまでを、とことんまで突き詰めて、初めて見えるものもあるのだろうか。
予測できたのではないのだろうか。
予測していても選んでしまうのだろうか。
カタストロフが待っているかもしれない
そんな底知れない世界
怖くないのだろうか。
病院に忍び込み恋人の首を締める結末。
捕まることもなく、後を追うこともなく。
彼はこの先にどうなったのだろう。
 
「見終わったし、二階に上がるか」
伸びをしてかっちゃんが言った。
「え、ここで終わりなの」
「ああ?見りゃわかんだろーが」
「でも、あの人どうなったの?わかんないよ」
「んなこた、どうでもいいんだ。サスペンスじゃねえっつってんだろ」
「そうだけど。面白かった?」
「面白くねえよ。でも何言いたいのかはわかる」
「えー、じゃあ、教えて。かっちゃん。最後しか見てないけれど。恋人なのになんであんなことしたの」
悪い人間ではないのに、普通の人なのに、愛する人を手にかけるなんて理解できない。
かっちゃんはこちらに顔を向けた。じっと見つめてくる。
「当たり前だろ。こいつのもんだったんだから」
静かな声でかっちゃんは答えた。
「え、だったら、なんで、殺したりするの」
「こいつのもんだってことを忘れたりするからだ」
「好きだったのに?その気持ちはどこに行ってしまったの」
「そのままあんだよ。消えてねえからこそあいつはやったんだ」
「そんなの、怖いね」
底知れない何か、そんなものに囚われることがあるのだろうか。
「この人の気持ちがわかるの?」
「ああ、まあな」
「かっちゃんもそうなるかも知れないの?」
座面についた手にかっちゃんの手が重ねられた。
「馬鹿かてめえは。わかるってだけだ。そんなことにはならねえ。なるわけねえだーが」
指を組む様にしてぎゅっと手を掴まれる。
「絶対にな」
そう言って、かっちゃんは青いソーダ水を飲み干した。
 
映画のエンディングで流れたのは爽やかな弦楽器の旋律。
劇中でヒロインがピアノで辿々しく引いたメロディと同じ曲。
映画の意味はわからなかったのに曲は覚えている。明るくはなく、物悲しくもない。
草原を吹き渡る口笛のような、耳に残って離れない音楽。
夏の午後にかっちゃんと一緒に聞いた。
こんな綺麗な曲を僕は他に聞いたことがない。
 
それは泡沫だったのかも知れない
泡の影に垣間見えた底知れない未来 
弾けては消え舌を刺す泡の粒のように
青く揺蕩うソーダ
空を切り抜く窓硝子
水底のような瑠璃色の空
冷えたグラスと掌の温もり
 
 
END