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放課後遊戯(金魚の呪バージョン)(R18)

 
prologue
 
 
河原に行こうとかっちゃんが言った。
靴を脱いで躊躇なく川に入ってゆくかっちゃんに、自分も仲間たちも、たもを持ってついて行った。
水位は深いところでも膝までしかない浅瀬。水に浸した足がひんやりとして気持ち良かった。
かっちゃんはひょいひょいと中洲に向かって流れを渡っていく。
「待ってよ、かっちゃん」
置いていかれると焦ってしまい、川底の石に足取られて転んだ。辛うじて手を川底についたけれど、服は下着までぐっしょり濡れている。
馬鹿でえ、と振り返ってかっちゃんは笑う。だが、少しだけ歩くスピードを落としてくれた。慎重に歩いて中洲に到着し、たもを置いて座り込む。
日差しが強いおかげで、直ぐに服は乾いてきた。Tシャツの首元をめくると、皮膚の色が薄く褐色になっているのが見える。
「てめえ、もう日焼けしてんのか」
上から聞こえた声に、顔を上げて眼前を振り仰ぐ。いつの間にか、かっちゃんが立っていて自分を見下ろしていた。襟元に手をかけられ、肩までのばされる。
「は!かっこわり。こういうのは土方焼けってんだぜ」
「だって、半袖着てて日焼けしたら、皆こうなっちゃうよ。
見ろよ、と言ってかっちゃんはTシャツを脱ぐ。
「……かっちゃんは焼けてないね」
「まあな!俺は焼けたことねえよ」
かっちゃんの肌は髪の色と同じく色素が薄い。真夏でも日焼けしてるのを見たことがない。
たもを手に持ってかっちゃんは川に戻り、魚を獲りに行った。
彼を追おうと立ち上がり、川の浅瀬に足を浸す。透明度の高い水の中、幾つもの細長い影が揺らめく。
小魚だ。水草の間を縫って小さな魚たちが翻る。
半透明で大きな赤い尾鰭を持つ魚が数匹寄ってきた。動かない自分を岩か何かと思っているのだろうか。
足の周りをくるくると回遊したり、脹脛に隠れたり、まるで遊んでいるかのようだ。鱗に撫でられているようでくすぐったい。
足元をざぶんと網が掬った。
掬い上げたのはかっちゃんのたもだ。網目の中に、さっきの赤い尾鰭の魚が見える。
かっちゃんは魚ではなく、こっちをじっと見ている。
グッピーの鰭よりも赤い綺麗な紅色。
網の中で魚がぐったりとして、尾を震わせているのに気づいた。
「かっちゃん!魚、水につけてあげないと弱ってしまうよ」
焦って言う。キャッチアンドリリースの精神というわけではないが、魚は獲っても持ち帰らず、川に放してやるのが常だった。
「わーっとるわ」
しかし、かっちゃんはたもを摘んで魚をバケツに入れた。中には2匹の魚が泳いでいる。
グッピーだな」かっちゃんは言った。
「持って帰るの?」
「ああ、飼う」
皆と別れた後、追いかけてきたかっちゃんに呼び止められ、家に誘われた。
グッピーを水槽に入れるの見に来いや」とかっちゃんは言った。「うちにアクアリウムっていう、水草だけを育てている水槽があんだ。水草だけなんてつまんねえだろ。前から魚がいた方がいいって思ってたんだ」
水槽はリビングの窓際に置いてあった。かっちゃんは魚を両手に掬い上げ、水槽に入れた。
色とりどりの水草や珊瑚の林の中を、2匹の魚は気持ちよさそうに泳いでいる。
グッピー外来種だ。元々国内にはいなかった魚なんだぜ」
「かっちゃん、なんでも知ってるね」
「知んねえのかよ。こんなん常識だ」かっちゃんは得意げに言った。
「でも生態系に影響与えたりしねえから、野生化しても、ブラックバスみたいに駆除されたりしねえんだ」
「どこの川にもいるのにね」
「ああ、弱いから生かされてるんだ」
弱いから生かされている。その言葉は何故かちくりと胸を刺した。半透明の身体を揺らめかせる小さな姿。矮小さ故に存在を許された魚。
「だから、俺らが捕っても構わない魚なんだ」
水草の森から姿を現したグッピーは、赤い鰭をはためかせて泳ぎ、鼻先が硝子に触れると直角に曲がった。
魚は何故前に進めなくなったのかと、不思議に思っているかも知れない。この四角い世界にもう2匹しかいないなんて、きっと気付いてないだろう。
捉われたと知らず、いつの間にかどこにも行けなくなった魚たち。
大きな魚や鳥に狙われることのない、透明な硝子の壁に囲まれた世界と、危険に溢れた川の中とどっちがいいんだろう。
ガラス越しに見える風景は、魚からはどんな風に見えているんだろう。
 
 
Chapter・1
 
 
始めてキスをしたのは13歳の夏休み明け。
その日の放課後は、くすんだ水色の空に、水母のように透けた半月がぽうっと浮かんでいた。
 
誰かに呼び止められた気がして、出久は足を止めた。
よく知っている声だった。心を揺さぶられる声だった。校庭を見回したが、帰る生徒達の中に声の主はいない。
再び歩き出すと、校門側の木立に勝己が佇んでいるのが見えた。紫がかった影の中に沈むように。
急に足が泥に沈むように重くなる。
いつからなのか。幼馴染の勝己との間に生まれた距離。止めようもなく広がった間隔。
中学生になって初めての夏休みが過ぎた今、勝己の交友関係に自分は入っていない。話をするどころか、挨拶を交わすことも殆どない。
寂しくないかと言ったら嘘になる。けれども、もとよりアクティブな勝己と自分では性格が違いすぎた。幼い頃ならともかく、これからはお互い自分に合った環境で、新たな関係を築くべきなのだろう。
魚の水槽を変えるように。花を植え替えるように。そう自分を納得させた。
とはいえ、自分はいまだ新たな環境に慣れたとはいえないけれど。
しかしこの日は違った。足早に通り過ぎようと校門を出たところで
「おい、デク、無視してんじゃねえよ。ちょっと来いや」
と勝己に声をかけられ、強引に腕を取られた。
「無視なんて、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。僕に用なんてないと思って」やましくなどないのに反射的に狼狽えてしまう。「それで、かっちゃん、なんか用だった?」
「ああ?用がなきゃ呼ばねえわ、クソが。ちとツラ貸せや!」
「あの、用ならここで聞くよ。僕、早く帰って宿題しなきゃいけないんだ」
ふたりきりになってはいけないと勘が囁く。幼い頃ならともかく、今の彼には警戒せずにはいられない。
「お前帰宅部だろうが。全然時間あんだろ」
「確かにそうだけど」図星を指されてちょっと詰まる。「ノート纏めたり、オールマイトのニュースチェックしたり、やることいっぱいあるし」
と言ったが、勝己は全く聞く耳を持たない。
「ぶつぶつうるせえわ!てめえの事情なんざ知ったことか、クソが!」
引きずるようにして勝己に連れて来られたのは大橋の下。頭上を通る車の振動が橋桁に押しつけられた背中に響いてくる。
堤の上を通る人はいない。もしいても自分達の姿は橋桁の影に隠れて見えないだろう。
足元で拳大の石がごろりと転がり、バランスを崩しそうになった。
「転けてんじゃねえよ。てめえ、朝、挨拶しなかっただろ」
支えるように出久の肩に手を置くと、勝己は口を開いた。
「挨拶…?」日直で先生に呼ばれ、挨拶するタイミングがなかったな、と思い出す。「そうだった、かな。でも、僕が挨拶しても君は返してくれないし」
橋桁のひんやりした感触を背に感じながら言い返す。
「俺は挨拶しねえよ。だがてめえはしろや」
「え?なんで?返事がないのに挨拶しなきゃいけないの?」
「俺がそうしろっつったらしろや!
「わ、わかったよ。意味わかんないけど、わかったよ。これからは心がけるよ。もう帰っていいのかな?」
「ああ?あんだ、その言い草はよ。むかつくな」
どこが気に障ったのだろう。長く話せば話すほど、勝己の機嫌は悪くなるのが常だ。一刻も早くこの場を離れたいだけであるのに。
「ごめん、でも帰らせてほしい」
「口先だけで謝ってんじゃねえ、クソが!挨拶なんざどうでもいいんだよ。まだ話は終わってねえわ」
「え? どうでもいいの?」
なにがきっかけだったのか覚えていない。
さらなる数々の言いがかりに、口籠もりながらも言い返したように思う。
苛立った勝己に橋桁に強く押し付けられ、背中への衝撃に目を瞑った。その時だ。
顔の前に影が差し、唇に柔らかいものが触れた。
目を開けると、勝己の瞳が眼前にぼやけて見えた。
何が起こったのかわからなくて混乱する。
暫くして唇を重ねられたと知った。
触れ合った唇は離されることなく、角度を変えて押しつけられる。薄い唇の皮越しに伝わる勝己の体温。湿った感触。
「かっちゃん?」と問いかけた唇の隙間から、迷うように舌が差し入れられた。
入ってきた舌はくまなく口内を這い、大胆に自分の舌を絡め取る。口内を探られるくすぐったい感触。息が苦しくなると一時的に唇は離されるが、ひと呼吸するとまた塞がれてしまう。
さっきまで聞こえていた川のせせらぎの音が消えていった。橋の上を通る車の音も聞こえない。
口内でうねる水音が、内耳から大きく響いて頭を埋め尽くす。
「てめえ、顔赤くしやがって、興奮してんのかよ」
軽く上唇をつけたままに、かすれた声で勝己が揶揄う。
「違うよ、酸欠になっただけだ」
それか夕焼けのせいだ、と言い返そうとした言葉が、再び唇で塞がれて勝己に飲み込まれる。
いっそ食べ物だと思えばいいのか。そうだ、食べ物だ。口の中でこんな風に動く食べなんて、何かあるだろうか。
違和感に慣れようと耐えているうちに、頭の芯がぼうっとしてくる。
ようやく開放された。橋桁に背中を預けて、ずるずるとしゃがみ込む。嬲られた舌がふわっと痺れている。
「かっちゃん、いったいなに、あんのつもりで」
呂律のまわらない言葉で、問いかけながら顔を上げた。
目に入ったのは、荒っぽくキスを貪ったくせに、真っ赤になった勝己の顔。
荒く息を吐いて、誰にも言うんじゃねえぞと脅す余裕のない表情。
「いいな、誰かに言ったらコロスからな」
と念押しして、勝己は歩き去って行った。
橋の上を通る自動車の音が耳に戻ってきた。
出久はどちらのものともわからない唾液で濡れた唇を拭う。
勝己の考えていることがわからない。一度やって見たかったんだろうか。勝己の新しい遊びだろうか。怖くてとても聞けないけれど。
「ファーストキスだったのに酷いや」
我に返ると災難でしかない。でも殴られたり、ノートを破られるより、ずっとマシかも知れないと思った。
確かキスをする魚がいた。キッシンググラミーという名だっただろうか。雄同士が互いの口をくっつけるので、仲がいいのかと思いきや喧嘩をしているのだという。でもマツバスズメダイはツガイの雄が、求愛のためにキスをするという。
勝己はどっちだろう。いや、人と魚は違うし、考えるまでもないか。
でも、あの時、彼でもこんな風になるんだと、どこか奇妙な満足感を覚えていた。
よろっと腰を上げて立ち上がり、鞄を抱えて川縁を歩く。川面はあの頃と変わらず、鏡の欠片を散らしたように、きらきら光っている。
小さな頃ここでよく、勝己と魚やザリガニを獲ったりして遊んだ。川にざぶざぶと入って獲るのは勝己。自分はうまくできないので、たもを持つ彼の背中を見ていた。それはほんの数年前のことなのだ。
出久は橋の方を振り返った。太いワイヤーを渡した吊り橋仕様の大橋。縦に伸びた線は、空を細長い四角形に区画している。
まるで見えない怪獣を閉じ込める、巨大な檻のように。
 
 
Chapter・2
 
 
初めて性交したのは、3学期が始まった頃。
かじかんだ掌を擦り合わせ、マフラーで口元も覆って見上げた薄曇りの空。
 
その日の帰り道、足速に通り過ぎようとした勝己の家の前で、突然呼び止められた。
「よお、デク。帰宅部のくせして、随分遅え帰りじゃねえか」
凶悪な笑顔を浮かべて、勝己は玄関先に立っている。
帰宅時間をずらしていたのは、やはりバレているようだ。
キスをした日から気まずくなり、勝己と顔を合わせづらくなっていた。
勝己が何を考えて、あんなことをしたのかわからない。でもとても理由なんて聞けない。挨拶どころか、目を合わせることもできない。あれから勝己との間には、より一層距離ができていた。
あの時に感じた、形のない感情には蓋をした。
しかし、心理的な距離とは裏腹に、物理的な距離はある意味近くなっていたと言ってもいい。
勝己は交流がなかった頃から一転して、しばしば出久に絡んでくるようになった。事あるごとに出久が無個性であることを周囲に吹聴し、顔を見ればこづいたり悪態ついたり、酷くいじるようになった。
「今家に誰もいねえ。気使うこたねえ。上がれよ、デク」
勝己はクイっと顎をしゃくる。
「そうなんだ。誘ってくれて嬉しいよ。だけど、ごめん。僕用事があるし早く帰らなきゃ」
「用事だあ?どうせオタクノート書くとかだろ。ちょっと寄ってくだけだっつうんだ。時間とらせねえよ。それともなんだてめえ、俺の言うことが聞けねえのか?」
「そ、そんなことないよ、ええと、」
「他に説得力のある言い訳あんなら、言ってみろや。聞いてやっからよ」
「う……じゃあ、お邪魔します」
咄嗟に説得力のある嘘などつけない。偽るのはやめて従うことにした。仮に思いついても、断ることは許されないだろう。
久しぶりに入った勝己の家は、昔と殆ど変わってなかった。モデルハウスのような綺麗なリビングダイニング。吹き抜けの窓からの明るい光。テレビの設置してある壁はエコカラット。
ただ一つ、窓際にあったはずの水槽がなくなっている。
「なんで来た、てめえ」
背中を向けたまま、低い声で勝己は言った。
「なんでって、そんな、かっちゃんが入れって言ったから」
こっちを振り返った勝己の鋭い視線に、びくりと震える。
「は、は、俺が言ったからってか。俺の言うことなんざ、ひとつも聞かねえくせによ」
「そんなことないよ。ごくたまに、どうしても譲れないことがあるだけで」
「てめえ、ろくなことにならねえって思ってんだろ。いや、わかってんだろ。なのになんでノコノコと入ってこれんだ?」
彼は何が言いたいのだろう。来いと言ったくせに、来たことを非難されているようだ。理不尽な言葉に、怖いと思うより苛立ってきた。
「何か用があるんだよね?かっちゃん」
「用なんてねえよ」
「ないの?だったらなんで?」
返事はない。勢いでこのまま家を出た方がいいかも知れない。
しかし踵を返した途端、勝己は強く腕を掴んできた。
「誰が帰っていいと言ったよ」と言うなり、有無を言わさず出久の腕を引っ張り、リビング階段から階上に連れていく。
水槽は二階のホールの壁際に移してあった。光を反射して、天井に水面の影が揺らめいている。
勝己は水槽の前に立ち止まると、水槽をじっと見つめた。
水没した森のジオラマのような水槽。小さなぷくぷくと出る泡に押されて、中の水草が揺れる。しかし、魚らしきものは見当たらない。
「あの魚いないの?かっちゃん」
グッピーか?いるわけねえだろ。あれから何年経ったと思ってんだ。」
「そっか。2匹いたから繁殖してると思ってた」
「両方とも雄だったわ。増えるわけねえ」
「大きな水槽だし、魚増やせばよかったのに」
「他の魚なんざいらねえんだ」勝己は苛ついた口調で呟く。「ごちゃごちゃ言ってねえで来いよ、デク」
久しぶりに勝己の部屋に足を踏み入れた。
机とベッドと本棚、壁にかかってるのは時計とカレンダーのみ。飾り気のないシンプルな部屋だ。昔はゲーム機や玩具が、見えるところに置いてあったように思う。
「てめえ、なんで大人しく着いてきてんだ」
また勝己は理不尽な言葉を吐いた。
「だって、君がつれて来たんじゃないか」
「言われたから来んのかよ。嫌なら逆らえんだろ。必死で抗えよ。のこのこと来やがって、馬鹿じゃねえのか」
「え?意味がわからない。来いって言ったのは君じゃないか。矛盾してるよ。僕にどうしろって言うんだ」
「うるせえ!てめえがそんなだから俺はなあ」
いきなりベッドに投げ出された。不意打ちに面食らっているうちに、上にのしかかられる。殴られるのかと頭を庇い、目を瞑る。しかし、顔を覆った両手は剥がされ、頭上に纏められた。
「嫌なら最初から抗えよ」
凶悪な薄い笑みを浮かべた勝己は、出久のベルトを外し、ズボンを足から引き抜いた。思わぬ横暴な行為に抵抗が遅れる。
「うわ、かっちゃん!何すんだよ」
「誘っても家に入んな。引きずられても部屋に入んな。家に俺1人しかいねえってわかってんだろ!」
「何言ってんだ。わかんないよ、かっちゃん。もう帰るからズボン返してよ」
「てめえは入ってきちまったんだ。もう遅えわ」
地の底から響くような声だった。
シャツのボタンが外された。肌けた隙間から勝己の手が差し入れられる。
「なに?何してんだよ」
掌が胸をまさぐる。乳首を捏ねるように撫でられ、擽ったくて身体を捩る。
そろりと勝己が足の付け根に手を伸ばした。意を察して抵抗したものの、下着もあっさり剥ぎ取られ、脱がされた服はベッドの下に放られる。
裸の身体が勝己の視線にさらされる。恥ずかしくて落ち着かない。
「うっすい身体だな」じっと見つめて勝己は言う。
「あ、あの。何のつもりかわかんないけど、もう服着ていい?」
戸惑う出久の腕を戒めたまま、勝己は首元から腹へと肌を撫でる。内股を撫でられ、びくりとする。局部を避けるように、勝己の手が肌の上を滑る。
皮の分厚い勝己の掌は温かく、手つきは細やかだ。戸惑いつつも、摩られていると緊張が解けてゆく。
やっと腕の戒めが解かれた。しかし自由にしてくれたわけではない。勝己は押さえつけながら肌に触れ続ける。
縋るものを求めて、出久はシーツをぎゅっと掴む。
勝己はズボンの前を寛げた。シャツの裾から勃ちあがりかけたものが、ちらりと垣間見えた。
やばくないか?心の中で黄色い信号が点滅する。
予感は現実になった。下着も脱ぐと勝己は覆いかぶさって、体重をかけてきた。下半身を密着させ、剥き出しの局部を擦り付ける。
出久はびっくりして足を捩ったが、「動くんじゃねえ!」と怒鳴られ、身体が硬直した。
「直にくっつけるなんて、変な感じだね」
と平気を装って言うと、黙ってろと勝己は唸り、腰を小刻みに動かす。
柔らかくて弾力があるものが、熱を増してゆく。擦り付けられているうちに、触れ合う下肢の素肌が汗ばんできて、変に熱くなってきた。
勝己の息が荒い。デクの首元に勝己の唇が触れ、音を立てて吸い付く。場所を変えて舌先で舐めてはまた吸い付く。
顎を掴まれた。指が縁取るように唇をなぞる。
「デク、てめえは、」
と目を合わせて上擦った声で囁かれ、キスをされる。舌が唇を割るように入ってきて、口内を荒らす。息を盗まれて酸欠になりそうだ。
貪るようなキスと局部に押し当てられたもの。どうすればいい。ぼうっとして考えがまとまらない。
お互いの薄い陰毛が擦れて肌を擽る。押し当てられた勝己の性器が漲って硬くなってきたのを、自分の局部で知る。
勝己の吐息が荒い。興奮してるんだ。
硬くなったそれが、自分の局部から離された。
勝己が腰を上げたので、そり返った怒張が見えてしまった。
気づいて勝己は顔を赤くした。こっちまで恥ずかしくなって目を逸らす。
「あの、人が勃起してるのを初めて見たよ」
ここで逃げていれば良かったのだろう。だがこの時の出久は、ことが済んだと思って油断していた。
「見てんじゃねえよ!」
威嚇するように言われ、くるりとうつ伏せにされた。シーツに自分の性器がついてしまうのはいけないと焦るが、避けようがない。
しかし、すぐにそれどころではなくなった。
丸みを帯びた何かが尻の間に差し込まれ、窄まりを突いた。何度も擦り付けては、ぐっと押し付けられる。
ぞくっと戦慄した。まさか。いや、男同士だし、あり得ない。
上体をねじって振り向いた。
勝己のしようとしているのは、そのまさかに相違なかった。
「ふざけてるんだよね。真似事だよね。まさか本当に入れたりしないよね。かっちゃん」
裏返った声で尋ねたが、勝己は答えない。
「脅かそうとしてるだけだろ、ねえ、かっちゃん!」
「は?そう思うか?」
と勝己は眉間に皺を寄せ、右手で固定すると先端を強く押しつけた。くっと力を込めるかっちゃんのくぐもった声。
「や、なにを、ああ!」
ぬるっと窄まりを広げて、硬くなった勝己の陰茎が身体の中に入ってきた。
下から内部を押し上げられるような、感じたことのない感覚。
「嘘だろ、やだ、何してんだよ。抜いてよ。かっちゃん」
信じられない。キスとはレベルが違う。勝己の行動はあまりにも予想を越えていた。
「う、るせ。力抜けや、クソが」
先端から段々太くなるそれが、入り口を拡げてゆく。えらがぬるっと肉の門を通過した。もう侵入を止められない。
さっき見た勝己の屹立は相当太かった。なのにすんなり挿入されるなんておかしい。何か滑りの良くなるものを使ったに違いない。
「あ、はあ、痛いよ、こんなこと、変だよ。」
「は、だあってろ!」
逃げようとする腰を掴まれ、引き寄せられる。ゆっくりと少しだけ引き抜かれ、再度強く貫かれる。抜かれては押し込まれ、より一掃奥へと進められる。
体内に勝己の身体の一部が入ってくる違和感がたまらなくて、シーツを握りしめる。中でびくびくと震えた。別の生き物が体の中にいるかのようだ。 
動悸が耳元でうるさく脈打ってる。律動する勝己の動きに合わせるように、出久は「はあ、あ、あ、」と小刻みに喘ぎ声を上げて悶える。
「深く挿れっぞ」
笑いを含んだ掠れた声で勝己が告げる。腰をつかんでる手に力が込められた。自分の返事を待たずに肉の棒がずむっと、さらに奥に突き入ってくる。
「んっ―!」
圧迫感に声が出ない。搏動が頭を裂くように激しく鳴り響き、心臓が破れそうだ。体内を内側から抉る動きの違和感は半端ない。彼の陰毛が触れて尻に押しつけられたのを感じ、付け根まで全て納められたのだと知った。
熱いのか痛いのかわからない。勝己のものがどくどくと中で脈打ってるように感じる。
熱い息がうなじにかけられる。
「ふ、は!締め付けんな、力抜け」と掠れた声で勝己は囁く。
「無理、だよ」と答えた途端に涙が溢れた。「…なんで」
「べそかいてんじゃねえよ、クソが」
勝己の雄が引き抜かれてゆく。中が擦られてじわっと痺れが広がった。よかった。全部入れ終わったから、もう抜いてくれるんだ、と思ったがその期待は裏切られた。
油断して力を抜いたところを、一気に深く貫かれた。抉るように激しく抜き差しされ、悲鳴をあげる。
「あ、や、ああ、なんで?入ったからもういいだろ、あ、ああ!」
「クソが。動かさねえと気持ちよくなんねえだろ。てめえもわかんだろが」
だが、願いをきいてくれたのか、激しさは抑えられ、ゆっくりとした動きになった。
まるで犯している存在に支配者だと誇示するように、粘膜を擦り上げる血の通った彼の一部。
生々しい感触。焼け付くような感覚。
今だけ、今だけ我慢すればいいんだ、と揺さぶられながら、自分に言い聞かせる。好奇心を満たせばきっと気が済むはずだ。
その時、体内を痺れが駆け巡った。勝己の雄に敏感なところを擦られたらしい。はっあ、と息が漏れる。
「てめえ、感じやがったな。ここかよ」
笑うような声。気づかれた。探るように突かれて、また同じ部分を擦られる。喘ぎながら首を振る。
「あ、や、やだ、何これ、おかしくなる」
身体の中から痺れるような震えが広がり、自分の陰茎に熱が集まってきた。シーツを汚してしまわないかと気にしてしまう。それどころではないのに。
「や、はあ、ん、や、かっちゃ…」
「は!てめえ、俺のもんで感じてんのかよ。馬鹿じゃねえの」
腰が持ち上げられ、尻を突き出す姿勢にさせられる。猫の交尾のようだ。勃起し始めたそれが自重で圧迫されていたので、楽になった。
すると、勝己の指が纏わりつくようにそれに触れた。輪を作るように握って、前後に軽く扱き始める。
「え、触んないで、よ」
身体を屈めて、出久の耳元に口を寄せてくくっと笑うと、勝己は先端を爪で弾いた。同時に後孔の感じるところを執拗に責める。
浮かされたような喘ぎ声が抑えられない。さっきよりも強烈な快感による涙がじわりと浮ぶ。
「かっちゃん、そこ、なに、やめ…」
「そこは前立腺っつうんだ。てめえ、初めてで感じるとか、素質あんじゃねえのか」
何の素質だよ。と言い返したいのに、喘ぎ声混じりで言葉にならない。前と後を同時に責められて、おかしくなりそうだ。
勝己の律動が激しくなり、身体が壊れそうなほど揺さぶられる。
「くっそ。もう余裕ねえわ」
勝己が低く呻く。身体を貫く杭が身体の中で、一段と膨れて弾けたような気がした。
「はっは、ざまあみろ」と笑うように息を切らせて、勝己は背中に覆いかぶさってきた。
シャツ越しに感じる彼の肌の温み。肩にかかる吐息。臀部にはいまだとどまっている勝己の雄。
重みと体内の圧迫が漸く離され、解放された出久は身体を返して仰向けになり、勝己を仰いだ。
こんな彼を見たことがない、と思った。
いつも張り詰めて、強気にふるまう勝己の、快感に浸ったしどけない表情。
頬は紅潮し、瞳は潤んで、艶めいた、綺麗といってもいいような面差し。
勝己は装着していたコンドームを結んで捨てた。だから滑りがよかったのかと気づく。けれども何故か、体内が熱い液体に濡らされたように感じた。
勝己は再び覆い被さり、強く抱きしめてくる。
何故だろう。ほんとに何故だろう。蹂躙されたのに。どういうわけか彼をかわいいと思った。
彼の快感に蕩けた表情。それは痛みよりも勝る鮮烈な印象だった。
だから、深みに嵌っていったのかもしれない。
 
 
Chapter・3
 
 
屹立が身体を貫いた。
めりっと硬く漲った肉茎に侵入され、くっと息が詰まる。
違和感と痛みに堪えて力を抜く。さんざん嬲られた箇所は、勝己のそれを難なく呑み込んでゆく。
弛緩させれば痛みは鈍るけれど、感覚が消えていくわけではない。かえって鋭敏になり出久を苛む。熱い、固い、堪らなくなってシーツを掴む。
四つ這いにした出久の身体を手で固定して、勝己は無言で前後に腰を振り、繰り返し突き入れる。はっはっ、と駆けているように息を吐く。
もう何度交わっただろう。
勝己のベッドの上で、乳首を舐められ、陰茎を擦られ、身体を弄ばれ、動物の交尾のように貫かれる。
キスをした時から一年になるだろうか。けれども、学校での勝己の態度は変わらない。だから自分も変えられない。彼との距離は一向に縮まる気配はなかった。
なのに放課後はセックスの真似事をしている。
男同士だし恋人でもない。では僕らはなんなのだろう。
開かれたカーテンの向こうに空が見える。二重サッシの窓は閉まっているから、声は漏れないと勝己は言っていた。でも、誰かに見られてしまうんじゃないかと、気になってしまう。隣家の窓はこっちの部屋が見える位置にはないけれど、2人とも全裸なのだ。
突然、深く突き上げられた。
「んあ!」と嬌声じみた悲鳴を上げてしまった。
「おい、余所事考えてんじゃねえ」
「かっちゃ…別に僕は、何も考えてなんて、あ、あ」
「集中してねえだろ。上の空なのわかんだよ。てめえは感じてればいいんだ」
「だったらカーテンを閉めてよ。気になるじゃないか」
「だめだ。興が削がれんだろ」
身体を抉っていたものが引き抜かれた。ほっとする。やっとカーテンを閉めにいける。
「いらねえな」
身体を離した勝己は胡座をかき、ペニスからコンドームを剥がして捨てた。まだ達してないのに何故だろう。疑問に思いながら出久は起き上がる。
「おい、済んだと思ってねえだろうな、デク」
タックルするように押し倒された。うつ伏せにされ「脚を閉じろや」と命じられる。
太腿に跨った勝己は出久の尻を掴んで左右に広げた。亀頭のみを突っ込んで、引き抜いては挿れる動きを繰り返す。
雁で窄まりを何度も広げられるのは辛い。いっそ陰茎を全て挿入してくれた方がマシだと思う。堪えても声が出てしまう。
「は、は、所事なんざ考えられなくなったろ」勝己は嘲笑う。
「だから、誤解だよ、かっちゃん」
「ふん、嘘ついてもわかんだよ。ああ、ならいっそ場所変えるか。おい、降りろや」
ベッドから引き降ろされ、窓の近くの床に移動して、仰向けにされた。
「かっちゃん!」
「おら、見えねえってわかっただろ」
脚を曲げて広げられ、勝己の前で局部をさらされる。
確かに隣の窓は見えない。わかってたことだけど、そういう問題だろうか。
普段の帰宅時間なら、カーテンを閉めなくても薄暗がりになる。でも今日は半日登校だったからまだ昼間なのだ。
窄まりにあてがわれ挿入される。今度は深く入れられた。勝己はズシリと身体を重ね、ゆっくりと抽送し、唇を合わせ、深いキスをしてくる。
ベランダの上に見えるのは、秋の高く澄んだ青い空。一面にうろこ雲が広がっている。
うろこ雲は巻積雲、いわし雲とも呼ばれ、上空高くに浮かんでいて、氷の結晶でできている。さらに上空だと刷毛で描いたような薄い筋雲ができる。
あれがもし本当に魚の鱗ならば、空にはなんて巨大な魚がいるのだろう。
ベランダの手すりに、鶫が飛んできて止まった。不思議そうに首を傾げて、僕らを見ている。
生産性のない行為をしている、滑稽な僕らを。
人間だけが快楽のために行う、交尾じゃない交尾の紛い物。勝己にとってはきっと、苛むための行為でもあるだろう。
好奇心を満たせば済むなんて、間違いだった。一度したら味をしめる可能性を、なんで考えなかったんだろう。
必死で抵抗すればできたのだ。本来女性とすることなのだから。でも大人になったら、本当にこんなこと女性に出来るのだろうか。想像できない。勝己はそれを試してるんだろうか。
彼がわからない。自分がわからない。何故ここに来てしまうのだろう。
「あう!かっ…ちゃ」
「余所見すんなっつってるだろーが!」
ぐっと強く貫かれて、声を上げた。背中がしなる。勝己の動きに合わせて中を擦り上げるものが、脈打っている。
直だと違うな、溶けちまいそうだな、と勝己がつぶやく。
勝己の屹立を覆う皮膚が生々しく感じられる。締め付けると形がわかるほどに。
自分でペニスに触れようとすると、「おい、勝手に触んなよ」と手を払われた。
「かっちゃん、なんで」
「後ろだけで感じろよ」
「え?そんな、無理だよ。前も触らないと……」
「だめだ!俺のだけでいけよ。気持ちよがれよ」
威嚇するように低く言い、くっと笑うと勝己は男根を深々と捩じ込み、抽送させる。触れられないから自分のは萎えたままだ。
「おら、元気にしてやる」
「え、やだ、やめて」
勝己のしようとすることを察したが、止められない。勝己は腰を引き、隔てる膜のない剥き出しの雁で前立腺を擦り上げる。
「うあ、ああ、いやだってば」
鮮烈な刺激。全身に熱が這い上がる。
「おら!気持ちいいんだろうが。てめえの身体のこたあ、俺にはもうわかってんだ」
強制的に快感をひきずり出される。性器が熱くなり、血流が流れ込み首をもたげる。
「ケツだけでいけよ、デク」
「やだ、それだけは。それじゃまるで」
男じゃないみたいじゃないか、と思う。
デク、デク、と勝己は出久を揺さぶりながら名を呼ぶ。
心と裏腹に身体は快楽に溺れてゆく。熱が中心から駆け上がり、頭の中が白く染まった。
「は、は!後ろに突っ込まれるだけで、いくなんてよお、やらしい身体だなあ、おいデク」
「ひど、いよ」息が上がり、声が詰まる。絶頂に達してしまうなんて信じられなかった。
下腹に溢れた白濁に触れて、勝己は嘲笑する。
「てめえだけイキやがって。俺はイッてねえんだからな」
勝己は深く貫いて、奥を抉るように擦っては引き抜きそうなほど戻し、長いストロークで激しく動く。
「や、やめ」
過敏になった身体には辛い動きだった。しかし勝己は手加減してはくれない。
突き上げは次第に激しくなり、感じすぎて悶える声が止められない。激しく揺さぶられ、出久の背中がずりあがる。
深く貫いて勝己は獣のように唸った。後孔に熱い感触がじわりと広がる。中に吐精されたらしい。
汗ばんだ肌が重ねられる。ことが終わるといつも勝己は抱きしめてくる。
勝己の身体は、肩も胸も硬い筋肉に覆われてきて、ずしりと重みを感じる。1年前は少年の身体だったというのに。いまだにひょろい自分の体躯とは違う。
そういえば、勝己はつけていたコンドームをわざわざ外していた。洗わなきゃとぼんやり考える。最近つけてくれないことが多い。後始末が面倒だというのに。
勝己のやり方は、日が経つごとに身勝手になってきたようだ。
まるで追い立てられるかのように。
憔悴しているかのように。
何かを証明しようとしているかのように。
互いに気持ちいい行為だったはすなのに、どうして歯車がズレてきたのだろう。
時々抱かれていると、まるで自分が人ではなく、人の皮を被った肉袋のように思えてしまう。
「噛み付いたら殴んぞ」
と言うと勝己は口付けた。深く喘ぐ吐息を貪るように。
 
勝己の家からの帰り道に、遠回りをして公園に立ち寄った。臀部に慣れてしまった違和感を感じ、つつベンチに腰掛ける。
すぐには家に帰れない。母に心配をかけてしまう。自分は今きっと酷い顔をしているだろう。
密かに期待したのだ。この遊戯の行く先に。
この関係が、絡まった自分達の関係を少しは好転させてくれるのではないかと。
セックスした後の勝己は、心なしか機嫌が良くて、あたりもほんの少し柔らかい。
だから密かに期待した。
けれども、勝己は学校では相変わらず、馬鹿にしてきつくあたるのだ。放課後だけの秘密の行為は、昼間の関係を何も変えることはない。
普段と違う勝己を見れるのは、密かに嬉しかった。でも、その代償に勝己によって、自分の身体が変えられていく。
勝己の都合の良いように、開発されてゆく。お尻だけで絶頂になるなんておかしいのだ。
勝己の好奇心にたとえ悪気がなかったとしても、このまま続けていたら取り返しがつかなくなる。
そもそも友達を性欲処理の相手になんてするわけがない。自分にしたのは友達に戻るつもりなんてないからだ。
初めから勘違いしていた。なんで気づかなかった。いや、気づいているのに、気づかないふりをしていたのか。
こんなことで元に戻れるなんてどうして思ってしまったんだろう。
自分達の拗れた関係を元に戻せるなんて夢物語だったのだ。
もう止めよう。彼を避けよう。学校でも行き帰りでも目を合わせないようにしよう。帰り道にある勝己の家の前は足早に通り過ぎよう。
暫く頻繁に寄っていた勝己の家。勝己の部屋にも、きっともう来ることもない。
 
 
Chapter・4
 
 
背後でドアの鍵が閉まった音がした。
 
リビングには吹き抜けから、眩しい光が降り注いでいる。なのに、なぜか氷の城に入ったように錯覚する。
「おいデク、服を脱いで後を向いて、テーブルの前に立てや」
勝己が言った。何気なくも有無を言わせない口調。
「いやだよ。もう理由がないよ。大体、お、男同士でおかしいだろ」
「は?今更何下らねえこと言ってんだ。さんざんやっといておかしいだあ?」
「……もうやめたいんだ」
「戯言はもういい。脱げっつってんだ!」
放課後に学校の裏門からこっそり出ようとしたら、待ち伏せしていた勝己に捕まった。そのまま引きずるように、勝己の家に連れてこられて今に至る。
「てめえ、また下校時間をずらして、帰り道も変えてやがったな。裏門から出るたあ姑息なやり方しやがって。気づかれないと思ってんたんかよ」
出久は俯いた。この数日間、放課後は彼に近寄らないようにして、隠れて帰宅していた。けれど、見つからずにいたのではなく、泳がされていただけだったのか。
そうして今、逃げ道を塞がれ、無茶な要求をされている。
悪鬼のようなオーラを纏った彼を直視できない。心臓がばくばくと鳴り、身体が震える。
「なんで?しかもここはリビングじゃないか……こんなところでやるの?冗談だよね」
怖さを堪えて抗議すると、射るような眼で睨まれた。
「ああ?俺がやるっつったらやんだよ。さっさと脱げや!」
勝己の掌が爆ぜる。
この顔は本気だ。思い通りにするまで帰してくれないつもりだろう。ならさっさと済ませたほうがいい。
今だけだ。気が済めば解放してくれる。
本当にそうか?自分はまた彼の気が済めばと期待している。済むわけないと知っているのに。でも、他にどんな術があるというのか。
ゲームみたいにリセットしたくても、現実は出来やしない。
震える手でズボンを脱いで、足元に落とす。ちらっと勝己を仰ぐ。
「全部っつったろ」
ため息をつき、全裸になってテーブルに手をついた。両足の内側を蹴られ、脚を開くよう促される。
勝己の掌が尻を揉み、間を広げる。久しぶりに中心を触られて、ひっと声が出る。
「ほぐしてきてんだろうな」
「してないよ。してくるわけないだろ」
もう君とは、と言いかけて、無駄に怒らせ無い方がいいと口を噤む。
「どうやるのか、忘れちゃったよ」
「クソが……」
舌打ちして勝己は衣服を脱いだ。
明るい光の中に鍛えられた身体が現れる。下着から現れたそれは既に勃起している。
陽物を隠そうともしない、堂々とした伸びやかさ。何処かの彫像のような、均整のとれた完璧な肢体。
憧れざるを得ない身体に圧倒される。貧弱な自分との体格の違いが悔しい。自分もこんな体格なら、好きにさせたりしないのに。
「俺んち来る時は準備してこいや」
テーブルの上に上半身をうつ伏せにされ、彼の性器が中心に当てられた。すうっと血の気が下がる。
「嘘だろ、すぐに挿入するつもりなのか」
吃驚して身体を起こし、腰を捻って振り向く。
「おい、起きてんじゃねえ!後ろ向いて手つけよ」
争う暇もなく力づくで抑えられた。唾を飲み込む。手の震えが止まらない。
「怯えてんじゃねえ、クソデク。すぐに入れたりしねえよ。入んねえし」
勝己の指が後孔を突く。すぼまってんな。ローション塗ればなんとかなるか、と呟き、勝己はボトルから粘る液体を手に取る。
中に指がぬるりと入り込み、かき回し探るように蠢かされる。3本に増やされた指は、擬似的な性交のように、内壁を広げようと抽送する
治りかけの痒い瑕疵を引っ掻くように、快感がじわじわと広がってゆく。中心が熱く熟れて痺れてくる。あふっと声が漏れる。
「は!悶えてんじゃねえよ、デク」
勝己が嘲笑う。開発された身体が忌々しくも快感を期待してる。
「嫌だよ。こんなの間違ってる」
「うぜえ!正解か間違ってんのか、てめえの身体に聞いてやるわ」
勝己は自分の性器を握りこむようしてローションを塗り、再び出久の後孔に猛る性器を押し当て、強く突き上げる。
「ああ!」と叫ぶと口を抑えられた。
ぬるっと窄まりを押し拡げて入ってくる雄の印。
「はっは!黙れよなデク。外に聞こえんだろ」
「い、いきなり入れるなんて…ひど、あうっ」
突かれるたびにテーブルが軋む。上に置いてある果物籠が揺れて、林檎が転がり落ちた。
離れようとしても離してくれない。離れられない。
このままじゃ駄目なのに。入り組んで歪んで、絡まってしまった僕らの関係。間違ってると理解してるのに、深みに嵌ってしまって身動きが取れない。身体が溺れて心も道連れだ。
「距離を置こうとしてんだろ。てめえの望み通りにはさせねえ」
「距離を」置こうとしてるのは君じゃないか。という言葉は激しく貫かれた衝撃で継げられない。
「置こうとしただろうが!だが、てめえは来やがった。抵抗しもしねえで家に入ってきやがったくせに、文句言ってんじゃねえよ。てめえは迷ってんだろ。わかんだよ。てめえは俺のもんだ。何度言やあわかんだ」
「俺のものってなんなんだよ。だったら、僕は君にとって具体的になんなんだ」
出久は問うた。離れようとしても離してくれない根拠が、具体的にあるというのだろうか。
「ああ?」
「友達じゃないよね。子分なのか?家来なのか?ひょっとして奴隷とか思ってる?僕は君のじゃない。君は僕のことなんてなんとも思ってないだろ」
気のせいだっただろうか。
一瞬傷ついたような表情が、彼の顔に過ぎった気がした。
けれども、すぐに酷薄な笑いに打ち消される
「てめえなんざ、俺の、俺の玩具だ。ただの虫けらだ……」
まるで自分に言い聞かせるように彼は呟く。
「玩具…なんだ。ただ気持ちいいからなんだね。変わらないんだね、君は何も」
近づいたようでも、途方もなく離れている。空と海を分つように、どこまでも交わらない水平線に僕らは立っている。
「変わらねえのは、てめえだろうが!」勝己は怒鳴る。
「僕だって意思があるんだ。玩具になれって?僕は君の玩具じゃない」
「…ちげえわ、クソが」
引き抜かれほっとしたのもつかの間。ソファの上に引き倒され、仰向けにされて押さえつけられた。両手を封じてのしかかり、足を大きく開脚させられる。
「ちょっ、かっちゃん」
「クソデクのくせに、生意気だっつってんだ」
片足を抱え上げ、正常位で一気にずむっと深く挿れられる。背中が反るほど突き上げられる。
「ん、んー!」
衝撃で悲鳴を上げそうになるのを、必死で抑える。
勝己は強く腰を振り、引き抜いては貫いてゆく。手を拘束され、のしかかられる。彼の重さで上半身は動けない。足をばたつかせても、彼の腰を挟むことしかできない。
勝己は匍匐前進するように腰を上下させる。その動きの度に揺さぶられ、彼の肉体の一部が自分の中に食い込んでゆく。
「あ、あふ…ん」
肉壁はその形を思い出して存在を受け入れ、条件反射のように、痛みから別の感覚にすりかえる。
耳元に口を寄せて、せせら笑いながら勝己は囁く。
「何されるかわかってやがんのに、のこのついて来やがって。気持ちいいからセックスするだあ?それだけなのはてめえだろ」
「違うよ!はっ、はう」
「表情でわかんだよ。気持ちいいんだろうが。俺のもんでよがって喘いで、生意気な口聞いてるくせに、ざまあねえよな」
「したいわけじゃない……」
「はっ!嘘吐きやがれ。だったら死ぬ気で抵抗しろよ。やらねえくせに違うってのかよ」
噛み付くようにキスをされる。口内が乱暴に荒らされて苦しい。ピストン運動が激しくなる。
体内を抉られる痛みに混じる快感。
離れては触れる唇。
全身が快楽を貪ろうとする。
自分の感覚がままならない。
「デク、デク、てめえが思い通りになんのは。やってる時だけかよ。クソが。てめえは俺のなんなんだ」
勝己はデクの額に額をくっつける。温もりが伝わるけれど、近すぎて表情はわからない。
「一度だけで気が済むはずだったのに、なんで俺はてめえなんかに。なんでてめえは変わんねえままで、俺ばっかりが汚れていくんだ!虫ケラのくせに。んなこたあ、あっちゃいけねえんだ!」
勝己の叫び。助けを求める叫びだ。
分かりたくないのにわかってしまう。抵抗しようとする力が抜けてゆく。
僕は何を考えている。助けたいとでも思っているのか。この状況で。
無意識に背中にそっと腕を回していた。
勝己が動きを止めた。ほっと息をつく。
自分から遠ざけたくせに、近づいてくる。近づいていくと遠ざけようとする。
矛盾している。けれども僕もそうだ。近づいたら傷つけられるのに遠ざけられない。
「てめえ、舐めてんのか。どこまでも気に食わねえ」
折られそうなほど強く腕を掴まれた。
「思い通りにならねえなら、だったらてめえを殺しゃあいいか。なあデク」
「何を、言ってるんだ?」
「手に入ってるのに手に入らない。キリがない果てがない。なら殺すしかねえ。そんな映画があったよなあ」
子供の頃に見たフランス映画のことだろうか。題名は覚えていないけれど。
「あれは恋人同士だったよね。僕らの関係とは違う」
「俺らの関係はなんだ?ああ?」
逆に問うてくる勝己の両手が首をさする。長い指が優しく撫でる。親指で喉仏を撫でて柔らかく押す。
ゴクリと喉を鳴らす。
「本気なわけないよね。ヒーローを目指す君がするわけない」
「どうだろうなあ、デク」
勝己は貼り付けたような笑みを浮かべた。
勝己がするわけない。当たり前だ。
でも、彼の紅の瞳の色が揺れる。水の中で揺らめく魚の尾鰭ように。怖い。怖くてたまらない。
勝己はふっと笑う。
「ん、てめえ、感じてんのかよ。締めつけがきつくなったぜ」
「ちが、あ、あ、」
収縮したら、敏感な部分が勝己の屹立に刺激された。自ら誘因した快感に喘ぐ。
「はっ!馬鹿でえ」
勝己は覆い被さり、腰を打ち付ける。引き締まった身体に突き上げられ、互いの肌がぶつかりペタンペタンと音を立てる。
体内を抉り、粘膜を擦りあげて行き来する、勝己の硬い肉。隔てる皮膜がないゆえに、引っかかるように擦れる皮膚の感触。
堪えているような表情を浮かべて勝己は唸り、達すると、出久の首元に顔を埋める。
「てめえは俺のもんだ。てめえが認めようがなかろうが関係ねえ」
熱い息が言葉とともに、首筋に吹きかけられる。
 
誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。
よく知っている声だった。胸が痛くなるような声だった。
幾度も繰り返された交わりに疲労した身体を、ソファに横たえる。
衣服はなんとか身につけたけれど、流石にすぐには歩けない。帰りたくてもまだ帰れない。
吹き抜けの高い窓から、青い空が見える。
窓枠で長方形に区画された空。まるで檻の中のようだ。
硝子の壁に閉じ込められて出られない。水槽の中の回遊する魚のようだ。
意識がとろとろと遠のきそうになる中、誰かの手が髪に触れているのを感じた。
ごつごつした指が髪に差し込まれ、さらさらと優しい手つきで梳く。
頭の側に勝己が座っている気配はする。けれど、彼のわけがない。
きっともう夢を見ているのだ。
意識が深く深く沈んでゆく。
さらさらと、さらさらと優しい手が髪を梳く。
 
 
epilogue
 
 
ぶうんと何かが振動している
つぷつぷと泡が弾ける音がする
えらから酸素を取り込む
鰭を動かして水をかく
口を開け水とともに何かの粒を吸い込む
プランクトンではないが食べられるものらしい
濫立する鮮やかな緑の水草の向こうに一匹の魚が見え隠れする
赤い立派な尾鰭を持った雄だ
彼は悠然と泳いで水草に隠れてしまう
このところ彼ばかりをよく見かける
危険な大きな魚もザリガニも見かけない
こつんと口が何かに当たった
透明な何かが前にある
氷だろうか
このあたりの川にはやけに氷が多い。
しかも天を覆うのではなく川の中に垂直に張っている
尾鰭を振って進路を変えて海藻の中に入る
彼がいた
彼はぱくぱくと口を開けて身体をつついてくる
争うためではない
遊んでいるのだ
腹を、鰭を、鰓を身体中をつついてくる
こっちも軽くつつきかえす
口をくっつけてくる
離れては再びくっつける
水草が揺らめいている
つぷつぷと泡が弾けて天に昇ってゆく
 
 
 
END