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白い庭白い猫

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 縁側に出て、白い玉砂利が敷き詰められた庭を見渡した。
 大きくて旧い日本家屋だ。元は寺社奉行の屋敷だったという。今は鬼灯や椿などの庭木が植えられているが、元はこの庭は白州だったのだろう。
 玉砂利に罪人が縛られて座し、広い縁側には奉行が座り、裁きを下していた場所。
 太宰はふっと笑う。元ポートマフィアの私にとって、随分皮肉な場所じゃないか。
 胡座をかいて座り、板敷の溝を指で辿る。着物の裾が脹脛を擽ぐる。洋服は衣紋掛けに掛けて鴨居に吊るし、引き出しに入ってた浴衣を着用することにしたけれど。和服は慣れないな。
 ここは特務課の種田長官から充てがわれた潜伏場所。横浜から遠く離れた、古都の外れの、古びた街中にある屋敷だ。 平屋で部屋は多く、広い居間に書庫に書斎、箪笥部屋に檜の浴室などを備えている。
 屋敷の外には2つの門がある。
 玄関から石畳を伸ばした先にある大門と、庭の生垣に隠れた狭い裏門。
 訪れる者はほぼいない。使用人の老婆だけが早朝に来て、朝昼晩の食事の用意をまとめて用意して帰る。梅干しのような顔をした、足腰の矍鑠とした老婆。朝寝坊が癖になってきたので、姿を見たのは一度きりだ。
 猫の鳴き声が聞こえて振り向いた。襖の隙間から、影がさらりと横切るのが見えた。丁度通り過ぎたところか。
 和服を着て猫と二人暮らしなんて、まるで小説家だ。日がな一日文机に向かい猫と戯れる。織田作の求めた生き方のようだなと思う。
 だが、その猫の姿を、未だに見たことがない。
 気配と鳴き声、二階から聞こえる足音。確かに家の中にいるようなのだが、いつも目を向けると姿はない。白い猫か黒い猫か、はたまた三毛猫なのか。
 経歴洗浄に2年か。ふうっと溜息をつく。途方もなく長く感じてしまう。今までしてきたことを考えれば仕様がないが。 種田長官からすれば、森さんへのしっぺ返しにもなるし、損はないだろうと計算して取引した。しかし、人に身を預けるのは頼りない。
 退屈すぎて何度も自殺を試みた。首を吊り、頚動脈を切り、手首を切って水に浸した。だが毎度、こと切れる前に息を吹き返してしまい、果たせない。包帯を巻く箇所が増えるばかりだ。
 苦しいのも痛いのも嫌だ。失敗するとそれしか残らないから、やる気が失せてしまった。
 縁側の縁から足を出して、ゆらゆらと揺らす。暇だ。書庫にある本でも読もうか。
 立ち上がろうとした瞬間、バイクのエンジン音の止まる音が、大門の方角から聞こえた。
 種田長官だろうか。だが、彼はいつも訪問するときは車ではなかったか、いきなりバイクで来たりするだろうか?
 いぶかしく思っていると、大門の方角から怒鳴り声が響いた。
「おい糞太宰!いるんだろうが!出て来やがれ。出てこねえと、この家ぶっ潰す」
 嘘だろう。中也じゃないか。追ってくる可能性は多少考慮していたが、何故今ここに、このタイミングで。最悪だ。
「隠れても無駄だぜ。裏は取れてんだよ。3つ数えたらこの屋敷潰すぞ。いーち、にー」
 みしり、と家屋が軋んだ。本当に潰すつもりのようだ。
「わかった、今出るよ」
 仕方なく重い腰を上げて、玄関に向かう。門を開けられた音がした。老婆が出入りするので閂はかかっていないのだ。引き戸を開けると、見慣れた黒スーツの黒帽子が立っていた。
 中也は勝ち誇るように笑った。 「よお、太宰」
「なんで中也なんかに、ここがわかったんだ」
「ああ?なんかとはなんだ。手前の作った情報網舐めてんじゃねえよ。他の組織や特務課の隠れ家の情報も、きちんと調べて揃えてんじゃねえか」
「…そうだったね。自分の優秀さが残念だよ」
 出奔する前に整理しておくべきだった。とはいえ、織田作を看取った後、そのまま戻らなかったのだから、無理な話か。
「抜かせ。家上がるぞ」
「断る」
 太宰の言葉を無視して、中也は、でけえ家だな手前には勿体ねえ、とぶつくさ言いながら居間に入った。中也はどかりと座卓に向かって片膝をついて座り、はす向かいに太宰は座った。
 「ちなみに聞くけど、ここに辿り着くまでに、何件家を潰したんだい」
「ああ?大したことねえよ」と言いながら、中也はこんくれえか、と両手の指を広げて示す。「空き家ばっかだったしな」
 どうだろう。もし隠れ家に人間がいたとしても、逃亡者ならば、マフィアに呼ばれて応えるわけがないと思うのだが。
「太宰、手前がいなくなって、マジで清々したぜ。だが居処の手掛かりがあるんじゃ、探さないわけにはいかねえよなあ」
「清々したのにかい?呆れるね。中也は随分と暇なんだな」
「手前を1人で野放しにしておけるかよ。自由に自殺しろと、言ってるようなもんじゃねえか」
「それが?何の問題もないだろう」
「あんだよ。自殺されちゃあ、手前を殺せねえだろ」
「おや、中也は組織を抜けた私を、殺しに来たのかい」にっこりと微笑んでみせる。「それなら話は別だ。歓迎しなきゃならないね」
「阿呆が。喜んでんじゃねえよ。殺せと命令されなきゃ殺さねえよ」
「それで、森さんはなんて命令を?」
「何も指示は出てねえよ」
「なんだ。では中也は命令もなしに来たのか。莫迦じゃないの」やれやれと溜息をついて、追い払う仕草で手を振る。「では、殺せないね。実に残念だ」
「森さんは手前を、追跡しようとしねえ」中也は声を低めた。「だが、探すなとも言われてねえ。俺の独断だ」
「独断ね。勝手な行動は組織人としてはどうかと思うよ。芥川くんの真似のつもりかい、中也」
「ああ、その芥川のことだがな」中也は神妙な口調になった。「手前が出てった後、芥川は手前を、血眼になって探してる。狂ったみてえに。奴は手前に捨てられたと思ってんだ。今や誰の言うこともきかねえ狂犬だ」
「そうか」彼のことだけは懸念していたが、やはり暴走してしまったか。
「手前が奴の手綱をとってやらねえで、どうすんだ」
「芥川くんに、ここを教えるつもりかい」
「は!狂乱状態の奴に言えるかよ。言うにしても、手前の返事をきいてからだ」
「心外だな。捨てられたのは私の方さ」
「あ?何言ってんだ?」
「本当さ。信じないのかい」
「太宰、首領は五代幹部会の、手前の席を埋めようとしねえ。ずっと空けたままにすると言ってんだ。手前を連れ戻してえんだ。戻るのを待ってんだ。何で手前を追わねえのか、首領は聞いても教えてくれねえが。俺にはわかる」中也は俯く。「失くして、初めてわかるもんがあるんだ」
 太宰は縁側に目を向ける。庭の樹木がさらさらと音を立て始めた。朝から空を重たい色の雲が覆っていたけれど、とうとう雨が降り始めたようだ。
「単独で敵のアジトに突入した、あのサンピンのせいか」
 太宰はゆっくりと視線を戻した。顔をあげた中也と視線が合う。
「ボスと刺し違えたんだろう。惜しい奴を亡くしたな」
「生は死を内包している。生きている限り死には抗えないよ」
あいつだけじゃねえ。あの事件では、大勢構成員がやられたと聞いた。俺がいればあれほどの犠牲を、出さずに済んだかも知れねえ」中也は悔しそうに歯噛みする。
「中也は彼を知ってたのかい」
「部署が違っても、あいつの顔くらいは知ってる」
「そう」太宰は再び庭に目を向ける。
「手前でも仲間の死を悼むんだな。太宰。手前にそんな情があるなんて、思わなかったぜ」
 そうだろうか。痛む、傷む、悼む。どれが私の心なのだろう。 霧雨に霞む庭の木々は、水煙の中に幻のように沈んでゆく。
「そういう人間らしい面が、手前にあると知ってたら、だったら、俺は」
 紡がれた中也の言葉がふいに途切れる。太宰は振り向いた。中也は視線を避けるように目を伏せる。
「いや、何でもねえ。だがそれがマフィアだ」
 情に厚い中也は、彼を悼んでるのか。中也にとっては、さほど親しくはない下級構成員だろう。羊の王であった頃には、容赦なく重力で潰していたマフィアの一員だ。だが今は、仲間であると混じりけない心で中也は悼む。
「だからこそ、無駄に死ぬ構成員を増やさねえためにも、手前が必要なんだ。組織に戻れよ。太宰」
「中也に私を連れ戻す権利があるのかい」
「ある。俺は相棒だからな」
「命令違反だろう」
「言ったろうが。追うなとは言われてねえよ」
 だが真相は、知らされていないだろう。森さんは敢えて中也の不在を狙って、ミミックを呼び寄せたのだ。計画にはその条件が必要だったから。
 だが知ったところで今更変わらないか。内務省と取引した証拠は何一つない。間諜だった安吾内務省に戻った今、証人もいない。異能許可証の取得が結果としてあるだけなのだから。中也は森さんの組織論に傾倒している。疑いもしないだろう。
 雨音に交じって、猫の鳴く声がした。
「猫の鳴き声だね」
「猫?んなもんどこにいんだ」
「私も姿を見たことはないけれどね、この家にはいるんだよ」
 微かな足音、通り過ぎた影、鳴き声が聞こえるだけだけれど。この屋敷には猫がいる。姿は見えないが気配はある。餌を皿に盛ってやれば、いつのまにか消えている。
「私は猫の世話で忙しいのさ。ああ、そろそろ餌をあげる時間だ」
「手前は言ったな。俺は一生手前の犬だとよ」
「おや、殊勝なことだ。自分で犬だと認めるのかい。中也」
 中也は苦々しい顔で睨んでくる。
「また来るからな」と言い捨てて中也は嵐のように去った。
 太宰はため息をついた。疲れた。相棒なら何をしてもいいのか。おそらく中也の行動も、森さんは折り込み済みなのだろう。
 首領に忠誠を誓いつつも、盲目に従うだけでなく、時にスタンドプレーに走る中也。
 太宰は畳の上に、仰向けになって寝転んだ。
 雨の音。水溜り。血溜まり。
 腕を交差して顔を覆う。
 自分の腕の中で冷たい骸となった友。
 結果が見えていたのに、何故織田作を止められなかったのだろう。そのために、安吾は密かに内務省の計画を、自分に漏らしたというのに。
 安吾も、何としても彼を救いたかったのだ。けれども。
首領の企みの結果であれど、犠牲は街中に広がるに至った。もはや事態の収束のためには、織田作の異能に頼る他になかった。ミミックの殲滅は最優先事項。組織に属すならば組織の利が優先する。幹部である以上、そう判断するしかなかった。
 そして、彼も復讐という死を望んでいた。
 もっと早くに森さんの企みに気づけたなら。かのミミックの首領が織田作を見つける前ならば防げたろうか。彼と私がただの友であるだけなら、彼を止められただろうか。
 ちらりと長い身体の何かが、目の端を横切った。
 姿が消えた縁側のほうを見やる。蛇だろうか。脚があったようにも思えるが。蜥蜴にしてはやけに長いようだった。
 やれやれ、何かが中也に連いて入って来たのかもしれない。

 

 

 次の日の朝、中也は再び屋敷にやって来た。
 朝食を済ませて縁側で涼んでいると、大門の方から、怒鳴り声が聞こえた。
 中也は玄関の引き戸を荒々しく開けて、ズカズカと上がり込み、居間に入って来た。図々しくも、茶くらい出ねえのかと言う。
「招かれざる客に、振る舞うものはないよ。冷蔵庫に麦茶があるから、勝手にやってくれ」
「茶だあ?酒はねえのか」
「ないよ。あっても出すわけないだろう」
「しけてんなあ」
 2つのコップと麦茶の入ったポットを持って、「昨日は雨で気づかなかったけどよ、風流な庭じゃねえか」と言いつつ中也は縁側に胡座をかいた。
 麦茶を注ぎながら、昨日と同様、組織に戻れと中也は迫る。
「首領は手前が腹括って、戻って来るのを望んでるんだ」
 そうだろうね。私に寝首を掻かれることを恐れながらも、私の能力を惜しんでる。だから殺すことはできないんだ。
「根拠はあるのかい」わかってて問いかける。
「手前はマフィアになるために生まれた男だ」中也は言いきかせようとするかのように、神妙な口調になる。「頭も性格も、根っからの闇の者だ。手前が手前らしく生きられるのは、マフィアしかねえだろ」
「15歳からマフィア業しか、してこなかっただけだよ」
「一般人みたいに、普通に仕事してる手前なんざ想像できねえ」
「いやいや、私は何でも出来るよ。中也と違ってね」
「うぜえ、例えできるとしてもな、手前ほどの野郎が、組織から足抜けできるわけねえだろう」
「できないと言われると、益々試してみたくなるよ」
「口の減らねえ野郎だ」
 また来るからな、と言い捨てて中也は去った。
 太宰は麦茶を冷蔵庫に戻し、居間に戻った。そういえば、今朝から猫の気配を感じない。どこかに遊びに行ったのだろうか。
 中也に言われるまでもなく、マフィアの仕事は向いているよ。 私が私らしく生きられる。 生きる意味が見つけられると思ったよ。はじめはね。
 だが抗争の日々の中で、生と死の意味はやがて褪せていった。心は再び麻痺していた。薄い皮膜越しに見える、錆びていく世界から、いつ旅立ってもよくなっていた。だが、任務は次々と押し寄せた。
 状況を読んで操作するのは造作無い。表の事象も裏の思惑も見抜き、最善の対処をする。何もかも予想通りに進む。ゲームのようにパズルのように。
 駒を思い通りに動かすのは面白かった。幾分かは退屈を紛らわせられた。相棒も部下もいたし友もいた。
 友。立場を越えたふたりの友。部署の違う織田作と安吾は、組織に属しながらも、任務を離れて会える友だった。揺れる自分を繋ぎ止めていた。
 森さんは私がマフィアに倦んできたのを、知っていたのだろう。だから友の命を測りにかけた。いつでもその機会を伺っていたのだろう。故に安吾を嵌めて、織田作を屠って、選択を迫ったのだ。
 組織への忠誠心と友のどちらをとるのかと。
 私に忠誠心など微塵もなかった。それを初めから承知であったのに。今更己と志を同じくせよと望んだのだ。
 私がどちらを選ぶかは、予想済みだっただろう。それでも組織を選択させようと、織田作の元に行かせる前に止めたのだ。
「私が私らしく生きられる、か」太宰は口に出して、皮肉に笑う。
 芥川君を導くこともできなかったのが私だ。彼は私に依存して暴走してしまった。生き残る術を教えるはずだったのに。
 情に飢えた子供は理解者を求める。誰かに好意を抱きたいと渇望する。口当たりのいい言葉を言う者に傾く。
 理解は容易い。求めるものも与える。だからと言って懐かせれば、踏み越えてこようとする。だから敢えて牽制する。
 他の方法を私は知らない。孤児に本当に必要なものは、違うのだろう。
 織田作の示した道は、私には到底向かないだろう。
 腰に暖かい気配。猫が私にもたれかかって蹲っているようだ。
「何処にいってたんだい」
 猫に問うてみる。温かい体温。振り向くと逃げてしまいそうな気がするので、そのままにしておく。
 生きる理由は見つからない。予測を越えるものは現れない。孤独を埋めるものは何処にもない。永遠に闇の中を彷徨う。
 まるで呪いの言葉のようじゃないか。

 

 

 その日は黄昏を過ぎてから、中也は現れた。
 陽の沈んだ小山の向こうから、夜の闇がひたひたと近づいていた。鈴を擦るような虫の声が、庭の叢から聞こえてくる。
「何度来ても無駄だよ。森さんに仕えるのは、私にはもう無理だ」
「手前もわかってんだろうが。首領も、首領の宿命に準じているに過ぎないんだ」
「どこの首領であってもそうだろうね。しかし須らく王とは、嫉妬深いものだよ、中也。組織の長である以上、家臣に唯一の忠誠を望むんだ」
 時に忠誠心を測るために、家臣の大切なものを弑するのだ。No.2が優秀なほど離反を疑う。己が地位を脅かすのではないかと恐れる。
「首領に私心はねえよ。何より組織を優先してる。手前も知ってるだろう」
「ああ、わかってるよ。一般論さ。でももし、森さんが首領として相応しくなくなるなら。どうする」
「潰す」即座に中也は答えた。「それが契約だ。構成員も首領も例外なく組織に殉じる。首領はそう言った。首領がこの言葉を守る限りは、俺は従う」
「殊勝な心掛けだね」
「手前は首領が、前首領を始末するのを、見たんだよな」
「私は目撃者で、いわば共犯だよ」
「なら首領も組織を私物化した末路は、知っているはずだ」
 だからこそ森さんは、疑い怖れるのだ。自分も同じ目に遭うのではないか、私が森さんに成り代わるのではないかと。愉快な妄想だ。
 だが王の不信も組織の毒となりえる。森さんは己の感情すらも、機械的に論理的解の構成要件としたに過ぎない。
「己が保身のためか、組織の維持のためか、中也に見分けられるとは思えないな」
 組織の理と個人の理の違いが拮抗しているならば、誰に見分けられるだろう。
「手前!」
 押し倒され、手足を押さえつけられた。喉に中也の手が回された。喉ぼとけを親指で押さえられる。
「組織のためには、手前を生かすわけにはいかねえ。森さんが手前を惜しんでも、手前が敵対組織に渡るほうが、何百倍も危険だ。他のマフィアでも、政府の機関でも、手前を欲しがるとこは数多数えきれねえ。手前の頭脳と異能を奪われれば、この俺の汚濁すら、切り札じゃなくなるんだ」
「私をこの世から排除するかい。嬉しいね。仲間思いの中也。仲間以外になら残酷になれる中也。 今の私はマフィアじゃない。 中也の仲間じゃない。死ねるのなら本望だ。中也の馬鹿力なら簡単だよ。ほら、ちょっと力を入れれば済む」
「手前、わざと俺を挑発しやがったな!」
 太宰は微笑む。
「もっと言おうか。芥川くんに僕を慕わせるのは簡単だった。彼の望むものを与えなければいい。中也を操るのも簡単だよ」
「どうやったってんだ」
「教えないよ」太宰は笑う。「中也は僕が気になるだろう。気にくわないのに追いかけてくるくらいにさ。私がそうさせたんだ」
「違えよ莫迦が。俺の意思だ!」
「意思なんて、あやふやなもの…」
 気づいたときには、唇が重ねられていた。温もりと感触。接吻とわかるまでに、些か時を要した。
「…欲情したのかい?中也」唇が離れて、ようやく思考が戻った。「そこまでは読めなかったな」
「ちげえよ。嫌がらせだ!」
「ああ、意表をつかれたよ。満足かい。でもこれでは嫌がらせにならな…」
 中也は言葉をみなまで言わせず、再び太宰の口を塞いだ。そのまま太宰を抱きしめる。
「誤算だったな。ざまあみろ」
「やれやれ」太宰は離された唇を摩る。「好意と情欲を勘違いするとはね。いまだ思春期の子供のようだな、君は。ああ、そうだった、精神年齢はまだ10代だったね」
「手前、減らず口もそこまでだ」
 中也は己の黒手袋を咥えて引き抜いた。いつも戒めのために隠されている手が現れる。中也の親指が太宰の唇をゆっくりなぞった。久しぶりの人肌か。触れる指は温かいな、と太宰は思う。
 首元に顔を伏せて、中也が囁いた
「生は命だ。命ってのは、この熱だ。体温だ。手前に教えてやる」
 顎を掴まれ、唇が重ねられた。深いキスは前戯に他ならなかった。
 唇から離れると中也の唇は首筋を辿った。時折吸い付かれるとちくりとした。舌の感触がした。喉ぼとけに歯を立てられた。一瞬噛みつかれるかと思った。中也の長い前髪が肌に落ちて肌を擽る。触れあった肌が熱を持つ。動くたびにしっとりと汗ばんでくる。互いの息遣いが重なり荒くなってくる。
 猫がいる、と太宰は言った。
 なら呼べよと中也は答える。
 猫は呼んでも、来やしないよと答えた。
 いや、呼べないはずだ。手前は猫を見ていない。
 奴はもういないと分かれよ。
 中也に組み敷かれ、身体を貫かれ、深く繋がれた。四肢が絡みつき、脈打つ質量が押し入り洞を埋める。
 体内で抜き挿しされる熱。盗まれる吐息。混じり合う呼吸。融解してゆく境界。
 天井から大蛇が這いずるような、重く床を擦る音がする。音は階段を重たげに擦りながら降りてくる。
 障子の向こうを、大蛇の影のようなものが悠然と横切るのが見えた。
 蛇は別名、長虫と呼ぶのだと思い出す。
 庭から聞こえる虫の声。鈴のように。せせらぎのように。虫は羽を震わせて音を鳴らす。羽の音を何故声と呼ぶのだろう。
 虫が何の為に鳴いているのかに思い至って、苦笑が漏れる。
「なに、笑ってんだ、余裕かよ。糞太宰」
 苛立った声と同時に、突き上げられた。衝撃に、ふっと吐息が漏れる。
「なんでもないよ。ちょっと可笑しくなっただけさ」
 そうか、呼んでいるのか。ならば声に相違ない。

 


 浴衣の帯を締め直し、腰を上げようとして太宰は呻いた。
 痛いと呟くと、中也は「は!ざまあみろ」と、してやったりといった表情で笑う。機嫌がいいのが癪に触る。
「疲れた。一歩も動けないよ」
「そうか、なら、風呂場に連れてってやろうか」
「冗談だろ。帰れ」
「はっ!手前のその面見ただけで、来た甲斐があったってもんだ」
 バイクのエンジン音が屋敷から離れていった。
 身体の奥に残る鈍痛が疼く。
 どこまでが森さんの計画であるのだろう。中也に何をさせるつもりなのだろう。
 煽ったのは藪蛇だったようだ。怒りで箍が外れたのか。それとも、身体を重ねれば、情が湧くとでも思ったのだろうか。私の読みが甘かった。 感情で動く中也は本来なら扱いやすいはずなのに。
 ふうっと深呼吸をして、気を落ち着かせる。私が出奔してからの中也の状況は、読み切れなかったのだ。 計算を誤ったのだと認めざるを得ない。
 出会った頃から、直情で単純で後先考えない男だった。 頭が冷えれば、とんだ黒歴史だったと気付くだろう。もう中也はここに顔を出せやしないだろう。
 結果的には予定通りだ。多少は暇つぶしになったけれども。
 理解は人を動かすための手段で武器だ。情報収集し観察し、呼吸をするように計算する。相手に最も適した演技をする。 他人の考えは読めるし、感情を操るのも容易いのだから。
 けれど、織田作と安吾の思考だけは読まなかった。あえて読まなかった。操る必要はないと思っていたからだ。
 3人で過ごしたあの酒場は、計算せずにいられる唯一の空間だった。あの場所でだけは孤独を忘れられた。織田作と安吾は居心地のいい距離を保ってくれた。 互いに踏み込まない友の距離。
 けれども、その距離は正しかっただろうか。
 安吾と織田作。かたや内務省の間諜と、かたや殺しを辞めた元殺し屋。私が彼らと友であるのは、森さんにとってリスクであり懸念であったろう。
 組織に価値を見いだせず、忠誠心もない。私は彼にとって、ただでさえ玉座の天頂に吊るされた、剣のようなものだったのだから。
 ミミックを誘引する森さんの計画は、不確定要素も含んでいた。事が成る前に私が真相に気づく可能性。故にまず最初に、彼らを巻き込んだのだ。
 もし私が真相に気づかず、すべてを内務省の陰謀と思いこんだなら。安吾内務省を敵視し、私はマフィアに身を沈めたろう。それでよかったはずだ。だが森さんは敢えて真相を示した。
 私に心許す存在を作るなと告げるために。
 首領は組織の存続という目的のために他を捨てる。目的があれば耐えられる。孤独が唯一の友となる。
 彼らを巻き込まずとも、私だけを殺す方が容易かったはずだ。私ならいつでも喜んでこの世を手放したのだから。
 だが森さんの望みは、私の排除ではなかった。 彼はいつだったか、私が自分に似ていると言った。私に望んだのだ。同じ枷の共有を。
 中也にも他の五代幹部の誰にも、そんな要求はしない。彼らには必要ないからだ。私が彼の片腕であったからだ。
 私と友となったから、織田作は贄となった。知り合わなければ今も生きていたのかも知れない。
 側にいて失われるのと、生きていても互いに知ることもなく、遠い存在でいるのと、私はどちらが良かったのだろう。

 

 

 翌日、予想に反して、中也は屋敷を訪れた。
 朝から雨が蕭蕭と降っていた。おかげで中也の黒帽子には細かな水玉が散り、黒い外套は濡れそぼっている。
「よくまあ顔を出せたものだね。ああ、私は気にしないよ。狂犬に手を噛まれたようなものだからね」
 予測が外れたことに、ほんの少しだけ苛立った。また計算に入れ損ねた数字があったのだろう。
 中也は答えない。 いつもと様子が違う。玄関に佇んだまま、廊下に上がろうとしない。
「タオルでも貸そうか。中也が風邪引こうが別に構わないけど。床が濡れるのは迷惑だからね」
 中也は顔を上げた。攻撃的な射るような瞳。だが言葉はない。
 怪訝に思って聞く。「中也、何しにきたんだ」
 ようやく中也は答えた。
「これからすぐに抗争に行く。ちと、てこずりそうだ」
「そうかい」入れ損ねた数字はそれだったか。「ごくろうさん。行ってらっしゃい」
「終わったら、俺はここに来るからな。最後の通告だ、糞太宰。俺と来い。手前は組織に戻んだよ」
「返事は何度もしたはずだよ。ねえ、聞いてた?」
「手前の道はマフィア以外ねえだろ。闇の世界が俺たちの住処だ。光の下なんぞありえねえ」
「中也が決めることじゃない」
「宙ぶらりんにしたままで、逃げんじゃねえよ」中也は苛ついた声で言った。「ここに残るってんならなあ、俺と戦え、太宰」
「は?私と本気でやるつもり?中也の攻撃は見切ってるけどなあ」
莫迦言え!手前の持久力も瞬発力も、俺と比べもんにならねえだろうが。手前の身体中の骨を折ってでも連れ帰る。手前を黙って行かせるほど、俺は甘かねえ」中也は声を低める。「他んとこに手前を渡せるかよ」
「それじゃ、私は出血多量で死ぬかもね。ああ、やっと私を殺してくれるのかい。なるほど、それはいい。いつも私の自殺の邪魔をしてくれた中也が、やっと願いを叶えてくれるわけだ」太宰は笑顔で答える。「とはいえ、私が死ねば汚濁を使えなくなるね」
 荒覇吐となった中也の姿は、具現化された死そのものだ。顕現する荒ぶる神。身体に絡みつく蛇のような痣も、禍々しく美しい。見られないのは惜しいなと、思う。
「手前がいなくても、使う他にねえ場面がきたなら使う。組織のためならな。それで死ぬなら天命だ」
「天命じゃない。それは自殺だよ。中也」思ったよりも冷たい声が出た。勿体無いじゃないか。
「手前が止めなきゃそうなるな、太宰」
「私が君の命を惜しむとでも?中也」
「どうだかな」中也は戸を開けて、振り向いた。「次に俺が来た時は、どっちかを選べよ、太宰」
 中也は言い捨てて、霧雨の中に去った。
 太宰は溜息をついた。全く、種田長官には呆れる。中也なんかにバレてしまうような場所では、潜伏にならないじゃないか。
 なんらかの手を打つべきだろうか。だが大門の屋根には、監視カメラが付いているはずだ。種田長官が中也の訪問を、知らないわけがない。いざとなれば手を打つつもりなのだろう。
 失くして初めてわかるものがある。中也は言った。
 その通りだね。 言われなくてもわかっている。彼はいない。もう戻らない。私が何をしようと、生き返ることはない。
 君はずっと前から知っていたのだろう。羊の王であった頃から、何人もの仲間を送って来たのだろう。
 私は初めて理解したのだよ。いつか失うとわかっていたとしても、失いたくない命だったのだ。安吾が事細かに記録していたように。駒のひとつひとつにも命があるのだ。
 失くすまで気づかなかったのだ。
 けれども、組織にいれば抗争と喧噪の日々の中で、私の世界は再び薄い皮膜に覆われるだろう。
 いつか大切な友の命もまた、私の中で風化してゆくだろう。記憶の中で塵となるだろう。
 夢のように、幻のように。
 私はそれが堪らなく厭わしいのだ

 

 

 庭に足音を聞いて、目が覚めた。
 玉砂利を踏みしめて近づいてくる、何者かの足音。布団から這い出て、縁側から辺りを見回した。庭には誰もいない。
 雨が上がり、陽射しが戻ってきた。白い眩い光が縁側に満ちている。
 足元で猫の鳴き声がした。脹脛に柔らかな毛が触れる。
 ようやく姿が見えるようだ。そう思って見下ろした。
 しかし猫の姿はない。側でまた猫が鳴いた。自分のすぐ隣で。見ると、影だけがちょこんと板敷きの上にある。
 影に手を伸ばしてみた。柔らかな毛に触れる。撫でると生き物の体温と感触がある。耳にひげに柔らかな和毛。見えないけれど、隣に猫はいる。
 門の向こう側から、三毛猫が生垣を飛び越えて入ってきた。太宰に向かって歩を進める。ルパンにいた猫に似ている。同じ猫だろうか。いや、間違いない。
「やあ、遠方からよく来てくれたね。久しぶりじゃないか」
 声をかけると、三毛猫は立ち止まった。視線が合った。
 猫は一声鳴くと、ぶるりと震えた。みるみるうちに猫の輪郭は崩れ、形が膨らんで伸び、人型を象り、壮年の紳士の形に変化した。紳士は軽く会釈をして挨拶を返し、太宰に微笑みかけた。
「そういうことでしたか。貴方が関わっていたんですね」太宰は微笑み返した。「なるほど、本当の潜伏はこれからなんですね」
 紳士は首肯して、するすると三毛猫の姿に戻った。猫はくるりと踵を返し、付いて来いと尾を立てた。
 太宰は鴨居から服を下ろした。浴衣を脱いで、久しぶりに洋装に袖を通す。
 見えない猫が縁側で鳴いた。目をやると、猫の影は縁側を越えて、畳の方に伸びていく。
 影の伸びが止まった。影は上背の高い、亡き友に似た影を形作った。
「もうここから出る時が来たようだよ」
 太宰は影に語りかけた。影は笑ったようだった。
「もう暫く、君の思い出に浸っていたかったよ。ねえ、どの門から出ればいいと思う?裏に狭い門があり、表に大きな門があるんだ」
 男の影は揺れて、裏門の方に顔を向け、腕を上げて指し示した。
 太宰は頷いた。「古の言葉にあるね。狭き門より入れ。 滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。 生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし」
 太宰は縁側から降りて、白州を横切り、裏門に向かった。
 抗争の日々の中で、生きる意味は次第に削れていった。けれど、3人で過ごした酒場でのひとときは、明日を生きようと思う僅かな理由だったよ。
 失われた生きる意味はもう戻らない。だが、友は私の中に踏み込んだ。彼の言葉は私の行く道を示した。予測を越えた確信を持って私に告げた。
 救う側になれ。弱者を救え、孤児を守れ。なんと困難な道だろう。
 善も悪もどうでもいい。どんな組織にも興味はない。けれども、君の救いたかった者は、私が救おう。それが君の生きた証となる。君のいた印となる。いつか君が忘れられたとしても、それは決して風化することはない。
 組織の理では身動きが取れなくても、外に出れば別の理があるのだ。
 気ままに怠惰に、猫のように戯れよう。悪夢ではない夢を見て、憂鬱ではない目覚めを迎えよう。
 君の示す道で、私がどう生きていくのか想像できないな。こんなことは初めてだ。予想がつかないのは、素敵なことだね。
 大門の方角から、バイクを乗り付けるエンジン音が響いた。抗争を終えた中也が駆けつけたのだろう。
 太宰は振り返った。中也、次に会うのはもう少し後になるよ。一生私の犬だという約束は勿論、反故にはならないよ。いつか君の命を、私は惜しむようになれるかな。それまでに汚濁を使ったりして、無駄に命を落としたりしてくれるなよ、相棒。
 太宰は生垣に向かって歩き出した。三毛猫に先導されて、狭い門を開け、大きく歩を踏み出す。
 山の端から薄っすらと虹が架かった。雲間から差す陽が広がり、空は眩い光に包まれた。
 縁側には、猫の影だけが残った。

 


魔法の言葉(全年齢版)

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prologue Dreams


 あれは出久だ
 中学生の時の冴えない出久だ
 おどおどして卑屈で、なのに反抗的で身の程知らずな幼馴染
 手を伸ばして、細い腕をつかむ。出久は振り返る。目を見開き驚きの表情を浮かべて。
 デク、デク。
 俺は声をかける。俺は何を言うつもりだ。
 ここからやり直すつもりなのか。やりなおせるのか。
 いや、だめだ。この頃はもう、てめえは俺に怯えてた。
 てめえがいつまでも、見えない鳥を追いかけていたから。
 無駄だとわかってるのに、追うのを諦めねえから。
 俺はいつも腹を立てて、てめえを追い詰めた。
 いつからだ。いつから。どこからだ。どこから間違えたんだ。
 俺に両肩を掴まれて、怯えながらも出久は俺を見上げる。


 何度も何度も見る夢だ。
 ずっと幼い頃から自問自答していた。
 なぜ出久だけが俺にとって特別なんだ。
 個性のない、ただの虫けらにすぎないのに。
 どうしようもなく求めているなんて。誰にも言えない。
 出久への気持ちなんて認められない、認めたくない。
 認めれば俺があいつの下になる。あいつの下になるなど耐えられない。
 認めればあいつに求められたくなる。思いを受け入れて欲しくなる。
 叶わなければ、あいつに何をするかわからない。
 俺がどうなるかわからない。
 あいつは容易く俺を壊すことができるのだ。
 弱みを握られるわけにはいけない。そんな存在があってはならない。
 あいつを俺より下だと思えば、意識しないでいられるに違いない。
 心の中から追い出せるに違いない。この苦しみから開放されるに違いない。
 何度も試みては果たせないけれども。
 気持ちを認めてどうなるというのだ。
 あいつは俺のものになるとでもいうのか。
 あいつも同じ気持ちになるとでもいうのか。
 手に入れることだけが安定を取り戻す方法なのに望めないんだ。行き止まりだ。
 囚われた気持ちは冷めることなく、永遠に続くだけなんだ。
 このままじゃいけないとわかってるのに。打開する術は見当たらない。


 細い肩を掴んで引き寄せ、正面から睨みつける。
 怖気付く瞳も、引けてる腰も、現実の出久そのままだ。
 これは夢だ。夢だから。
 今から本当のてめえには言えねえことを言う。
 てめえのせいだ。俺がこんなに苦しいのも、辛えのも。
 みんなみんなみんな、てめえのせいなんだ。


1. Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)


 書類の職業欄に、ヒーローと書けるようになってから随分経つ。
 勝己は座敷に上がると、ネクタイを緩めてポケットにしまった。コスチュームだけでなく正装まで必要だなんて、どうかしてる。
 今日、ヒーロー協会の全国集会が行われた。自由参加とはいえテレビカメラも入り、デモンストレーションも許可されており、各事務所にとっては宣伝の場でもある。しかし、ヒーロー活動の一環とはえいえ、面倒といえば面倒であるし、仕事を休むわけにもいかない。ということで、各事務所は勉強にもなると嘯き、若手を送り込んでいた。
 おかげで、遠方にもかかわらず、各地に散っていた雄英の同級生達が集結した。久しぶりだと盛り上がり、集会後は飲み会になだれ込むことになった。
「めんどくせえ。同窓会じゃあるまいしくだらねえ、帰る」と断ったが、上鳴が「緑谷がどうしてるか、聞きたくねえのか?」と釣ってきた。
 出久。名を聞くだけで、心にさざ波がたった。
「お前も知らねえんだろ。ヒーロー同士の交流少ねえもんな」
「てめえ、あのクソの行方知ってんのかよ」
「いや、俺は知んねえよ。あの事件以来、何処にいんのか全然わかんねえ」上鳴はふっと目を伏せた。「俺も気になってんだよ。でも今日は皆来てるしよ。中にはあいつの消息を知ってる奴も、いんじゃねえか?お前も知りてえだろ」
「あ?余計なお世話だ」
「もしかして、緑谷本人が来てるかもしんねえぞ!な、爆豪」
 でけえ声ではっきり言いやがって。黙れと念を込めて睨みつけた。
 飲み会の会場には、元クラスメイトがほぼ集まっていた。といってもたかだか20人だ。座敷に置かれた長い机に、全員収まっている。女どもは入り口近くに集まっていて、飯田や轟はその隣に座っている。よくつるんでいた奴らだ。いれば奴らの側にいるだろうが、やはり出久はいない。予想してはいたが。
「お前が来るなんて、珍しいな」轟が声をかけてきた。
「ああ?てめえこそ珍しいじゃねえか。結局親の事務所に入ったんだよなあ。親子で同じ事務所とか、仲良しかよ」
「仲良くはない。だが奴を否定せずに、近くにいて奴の器を測ることにした」
「は!知るかよ」
「ここに来れば、緑谷の消息がわかるかと思ったんだが」
 てめえもかよ。さらっと言いやがるところが忌々しい。
「爆豪、上鳴、こっちだ」
 瀬呂と切島が奥で手招きしている。奴らが陣取った場所に上鳴と向かった。切島が場所を空けて、座れと促す。
 飯田が立ち上がって、「まだ来てない者もいるが、時間だから始めよう」と言った。やはりあいつが幹事か。注文したビールが次々とテーブルに置かれ、リレー形式で手渡された。
「爆豪は緑谷の消息が、気になってんだとよ」
「誰がンなこと言った!死ねや!アホヅラ」
 勝手なことを言う上鳴の頭を叩く。頭を押さえて、ひでえと上鳴は呻いた。爆破しないだけありがたいと思え。
「緑谷か、知んねえなあ」瀬呂が答えた。「俺は同学年の奴らと事務所作ったから、情報弱者だぜ。大きい事務所に属してる奴のが、情報入んだろ。つーか爆豪、ベストジーニストんとこ行ったんだろ?卒業後にお前の勧誘来てたの、あそこだけだったもんな」
「あそこはすげえ大手じゃん。意外にインターンで気に入られたんだな。ま、俺もだけどな。その縁でファットガムのとこ行ったしよ」切島が言う。
「でも、こないだ辞めたって聞いたぜ?だよな、爆豪」どこから知ったのか、上鳴が口を挟む。
「うぜえ!余計なこと言ってんじゃねえ」
「はー?すげー事務所なのに、なんで辞めたんだよ。もったいねえな」
「くそっ!ほっとけよ」勝己はぐっと杯をあおる。「あそこは礼儀やらなにやら、うるっせえんだよ」
「ところでよ、知ってるか?緑谷のことだけどよ。」
 出久のことだと?隣のグループから聞こえる声に、耳をそばだてた。峰田だ。
「俺会ったんだぜ。ヴィラン連合との戦いで負傷してから、あいつ、所属していたヒーロー事務所も辞めて、行方がわからなかっただろ。実はよ、今雄英に戻ってんだぜ」
「はあ?馬鹿か!あいつも卒業してんだろうがよ!」
 我慢できず、勝己は怒鳴った。
「え、いや、いやいや、まさか生徒じゃねえよ。あいつ非常勤講師をしてんだとよ。俺が学校に行った時、たまたま会ったんだよ」
 いきなり話に入ってきた勝己に、峰田はしどろもどろになって、戸惑いつつも答える。
「何でてめえが、学校に行くんだ」
「在校生に進路の話して欲しいって、先生に頼まれたんだよ」
「ああ、俺も行ったことあるわ」
「爆豪呼ばれたことねえ?あー、お前は呼ばれねえか」
「うるせえ!」
「まあ、大抵は事務所を通じてくる話だしな」
「まだベストジーニストんとこにいれば、お前も呼ばれたんじゃねえか」
「クソが!」
 ベストジーニストの事務所からは、先月独立したばかりだ。元々上から押さえつけられるのは苦手だったし。仕事を選べねえのも気に食わなかった。はなっから仕事の仕方を覚えたら、独立するつもりだった。
 自分一人しかいないのに、名ばかりの個人事務所を開設したのは、とりあえず税金対策だ。みみっちいと言われようと、賢く立ち回るべきだろう。マンションの1室である自宅の一部を、リフォームしただけだしな
 交通機関がまだあるうちにと、早めに飲み会はお開きになった。家が近い奴らは、二次会になだれ込むらしい。
 一人になり、勝己は夜空を仰いだ。ネオンや街灯の灯りで星はかき消されている。
 雄英の奴らに会うと、一気に学生の頃の空気になるのが、妙にこそばゆい。懐かしいというほどの年月は経っていないが、たまにはいい。
 それに、収穫はあった。出久は雄英にいるのか。
 考えてみれば、あいつのことだ。一時的に身を眩ましたとしても、雄英にいるオールマイトから、そんなに長く離れたりしねえよな。しかし、そんな近くにいたというのに、偶然でも町でばったり会ったりしねえのかよ。
 まあいい、確認のために、明日にでも雄英に行ってみるか。別にあいつがどうってわけじゃなく、卒業生が学校訪問するだけの話だ。クソが。
 つらつら考えつつ、繁華街をぶらぶらと歩いた。ホテルには到着時にもうチェックインしてるし、まだ戻るつもりはない。しかし、まだ宵の口だから人通りが多いな。酔っ払いもふらついている。
 誰かと肩がぶつかり、ムカついて振り返った。
 視線を向けた先に、一瞬、見慣れたふわふわ頭が目の端に入る。
 なに?
 勝己は目を向けた。しかしその前に人並みに紛れて、見えなくなった。
 まさか、出久か。
 あいつのことを考えていたから、見た気がしただけか。
 いや、俺があいつを見間違えるはずがねえ。勝己は急いで引き返し、姿を見かけた通りを曲がって追いかけた。
 やはりいた。
 俯いてひょろひょろ歩いている黒髪の癖っ毛。間違いねえ。間抜け面で身の程知らずで、いつも心をかき乱す幼馴染。
「てめえ、クソデクか!」
 ビクリと震えて、人影は振り向いた。このやろう。でけえ目を丸くして、吃驚した顔しやがって。
「かっちゃん?なんでここに」
「てめえこそ!なんだてめえはよ。んっとにてめえ、ざけんじゃねえ」
 思いがけない再会に、罵倒の言葉も出ない。
「あ、そうか、君もヒーロー集会に来てたんだね」
「クソが。てめえも居たのか」
「いや、僕は」
 へらっと伺うように笑う顔に、さらに腹が立った。てめえ、マジふざけんなよ、この野郎。消息不明だったくせに、まるでこの1年の空白を忘れたかのように、へらへらしやがって。
「てめえ、何してんだ、こんなとこで」
「実は、鞄をなくしちゃって…」出久はもごもごと答える。「財布も携帯電話も入ってたから、ずっと探してて」
「相変わらずボケてんな、てめえは。いつなくしたんだ」
「ヒーロー集会の中継を、あのビルの大型ビジョンで見てたんだ」と出久はCMの流れるビルの壁面を指さす。「鞄は足元に置いてたんだけど、中継終わって気がついたらなくて」
「あ?置き引きじゃねえのか、てめえそれでも…」ヒーローか、と続けようとして、言葉を飲みこんだ。「しょうがねえな、クソが」」
 ふたりで散々通りを探したが、結局鞄は見つからなかった。誰かに拾われたか、盗まれたのだろうという結論に至り、警察に届けを出させた。
 出久は昼から何も食べてないと言うので、飯を食わせてやることにした。今から食える場所は24時間のファミレスくらいだ。もじもじしてやがるから、勝手にカツ丼を頼んでやった。
「ありがとう、かっちゃん。ご飯まで奢ってもらって」
 食事を終えて、心底ホッとした表情で出久は言った。
「泊まるとこはあんのか?」
「ううん、日帰りで帰るつもりだったから」
「クソが。間抜けなてめえに金貸してやってもいいが、もう電車ねえだろうが」
「そうだね、始発で帰るしかないね」
「仕方ねえ、俺と来いや」
「え?かっちゃん、どこに?」
 有無を言わさず、予約していたホテルに連れ込んだ。部屋は十分広いが、一人で宿泊する予定だったから、クイーンサイズとはいえベッドはひとつだ。
「ここ、一人部屋だよね。悪いよ」と出久は頑なに遠慮したが、グズグズすんなと部屋に蹴り入れた。
「文句言うな。こんな遅い時間に、アポ無しで入れるホテルなんてねえわ。せいぜいラブホくらいだぜ、クソが」
「そんな、文句なんてあるわけないじゃないか。いいの?本当、ありがとう。かっちゃん」おずおずと出久はソファに座った。「僕、ここで寝かせてもらうね」
 勝己は先にシャワーを浴びて、持ってきた部屋着に着替え、出久には備え付けの浴衣を渡した。ソファに座り、缶ビールを袋から取り出す。通りすがりにコンビニで買ってきたものだ。シャワー室から出てきた出久にサワーを放った。こいつが甘めの酒を好むのは知ってる。
「アルコールが入ってるが、飲めるよな」
「うん、ありがとう」
 出久は缶の蓋を開けて口をつけた。勝己は出久の上下する喉仏をじっと見つめる。
 てめえ何で、何も言わないで消えた、と言おうとしてやめる。わざわざ自分に言う理由はないのだ。げんに峰田の野郎は知っていた。偶然とはいえ。
「久しぶり、だよね」出久は呟くように口を開いた。
「ああ、てめえ何処にいた」
ヴィラン連合の残党が、追跡してくるかも知れないからって、暫く安全なところに身を隠してたんだよ。僕はもうOFAを使い果たしてしまったから」出久の声が沈んだ。
「OFAは誰かに継がせたのか」
「うん。覚えてるかな。翔太くん」
「ああ、林間学校の時のマセガキか」
「うん、彼はきっといいヒーローになる」
 本当は、と出久は続ける。「彼には渡したくなかったよ。彼はヒーローだったご両親を亡くしてるし、継承者になればヴィランに狙われて危険なんだと、彼自身が身をもってわかってたから。でも彼は良いと言ってくれた。連合との戦いの前に譲渡しなければ、OFAが僕で途絶えてしまう可能性があった。迷う余裕はなかった」
 出久はサワーをあおる。その右腕には以前にはなかった白い縫い目が走っている。ズタズタになった腕を縫い合わせた痕跡。
「幸い生き延びられたけど。皆のおかげだよ」
「は!マジで運でしかねえわ。実力だと勘違いしてんじゃねえぞ」
 きついなあ君は、と出久は苦笑した。
 出久の身体に残る傷跡が物語る、ヴィラン連合との死闘。通信を遮断された街一つを焦土にして、ヒーローにも民間人にも死傷者を多数出した事件。
 だが、自分はその場にいなかった。
「てめえ、集会の情報を聞いてやってきたんだろう。雄英のやつら来てたぜ。てめえは会ってかなくていいのかよ」
「うん、僕はヒーロー活動で来たんじゃないから」
「じゃ、てめえはなんで来た。非常勤講師の仕事じゃねえよな」
「え?かっちゃん知ってたの?」
「雄英の非常勤講師になったのは、オールマイトがいるからなんだろう。なんで隠してた」
「隠してたわけじゃないけど…」
 隠してやがったんだろうが。飯田達にも言ってねえんだから。言い訳がましいんだよ、てめえは。無力なくせに、何ができる。
 何もできないならば、自分の近くにいるべきだ、と思ったが口には出せなかった。
 空調の音が響く。缶の表面から雫がぽたりと流れ落ちる。
「てめえは、経験あるのか」
 ちょっと酔いが回ったせいか、口が滑った。気になってしょうがなかったことだ。
「え?ええ?なに?なんの経験?かっちゃん」
「誰かと体の関係になったこと、あんのかって聞いてんだ」
「え…直球だなあ」
 出久は誰とも、付き合うつもりはないと言っていた。その言葉通り、浮いた話は聞いたことがない。だがもし、あるなんて抜かしやがったら。
 自制が効かないかもしれねえ。
「…ないよ。そんな暇はなかったから」
「は!童貞かよ」ほっとして笑う。そうか、まだこいつの身体を知ってる奴は、誰もいないわけだ。
「そうだよ!機会もないし、付き合ったりしたら、相手を危険に巻き込んでしまうから」
「一晩だけの付き合いだって、あんだろが」
 出久は真っ赤になって首をぶんぶんと振った。
「そんなの、無理無理!付き合うつもりもないのにそんなこと、できないよ」
 初心な奴だ。てめえには到底無理だろうな。童貞ならなおさら、考えつきもしないだろう。奥手なだけのくせして、ご大層な大義名分をつけてやがって。
「でもこれからは、余裕ができるかもね」
「は!てめえが?」聞き捨てならねえ。譲渡したら交際も解禁ってか。うかうかしてらんねえ。出久が知らねえだけで、こいつを狙ってる奴は少なくねえんだ。
「いや、ダメかもね」
「あ?なんでだ。もうOFAはてめえん中にねえんだろ」
 即座に否定するのか。他にも否定する理由があるのか。
「OFAの元の持ち主も身内も、ヴィランに狙われるんだよ。危険に巻き込むわけにはいかないよ。死柄木みたいに、人生を狂わせてしまうかもしれない」
 死柄木。あいつの祖母は、オールマイトの師匠だという話だった。詳しくは知らねえが、一家を皆殺しにされたと聞く。OFAの持ち主はAFOに狙われる。家族までも。
 あの事件の後、死柄木は収監され、ヴィラン連合は壊滅した。だが、AFOは脱獄して行方をくらましている。
「大切な人を、そんな危険に遭わせるわけにはいかないよ」
 個性を失ってなお、OFAに縛られてやがるのか、てめえは。
「はっ!付き合う奴がヴィランより強けりゃ、いいんじゃねえか」
「そっか。そうだね」
 勝己に合わせつつ、からからと出久は笑う。てめえは全然そう思ってねえんだろう。丸わかりだ。
「かっちゃんは、経験ある、よね?もちろん」
「ああ?」
「あ、ごめん、君と恋バナしてるなんて、なんか意外すぎて」
「寄って来る女に事欠かねえよ、ばあか」
 めんどくせえから付き合ったりしねえがな、と心で付け加える。時間の無駄としか思えねえからな。すぐに恋人面しやがって鬱陶しいし、構わないと文句を言う。そこが良いという、上鳴達の気が知れねえ。ましてや同棲してる奴らなんて、もっとわかんねえ。他人が部屋にいるなんて、邪魔で落ち着かねえわ。1人のほうが気楽だろうがよ。
 だが、てめえもちっとは興味があるのか?
「知りてえのかよ。デク」
「あ、答えたくなかったらいいよ。色々あるよね」
 何を思って、色々とか言ってやがるのだろう。
「俺がどんくれえ経験あんのか、てめえで確認しろや」
 勝己は出久の側に移動し、身体を寄せて隣に座った。腕を掴んで顔を近づける。酒が入ったからなのか、恋バナもどきなんかしてる、雰囲気のせいなのか。
 喉から手が出そうなほど求めていたものが、容易く手に入りそうな予感。
「かっちゃん?」
 声も身体も。こいつの存在全てが今なお情欲を煽る。にじり寄って抱きしめた。首元に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、首筋にキスをして舐め上げる。出久は抵抗しない。そのまま出久をソファに押し倒し、見下ろしながら、自分のシャツを脱ぐ。
「ええと、引き締まってるね、かっちゃんの身体」
「てめえな、黙れや」
 出久の顎を掴み、唇を押し当ててキスをする。唇を舌で割り、口内に差し入れる。深いキスを交わしながら、出久の浴衣の帯を解く。
「なんか気持ちいい。キス、上手だね、かっちゃん」出久は呼吸を整えながら、顔を赤くして言う。
 浴衣の合わせ目から手を差し込み、肌に触れる。
「ん…、そこ、乳首だけど、ぺったんこだよ」
「うるせえ」
 興を削ぐようなことを言う唇を塞ぐ。舌を絡めとってはすり合わせる。
「キスに感じてんじゃねえかよ、てめえ」

 静かな部屋に、2人分の荒い息遣いが満ちる。全力疾走したみたいだ。掌を出久の胸に当てる。早鐘を打つような心臓の鼓動。
 出久は生きている。この掌の下で。死にかけたとは思えないくらい、心臓は激しく脈打っている。
 だがこの身体の中には、もうOFAは宿っていない。
 出久はヴィラン連合との戦いで、個性を使い果たしたのだ。


2. Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)


 出久が瀕死の重症を負ったというニュースが届き、勝己は病院に駆けつけた。
 既にプロヒーローとなって、数年経っていた。「デク」の名はオールマイト後継とまではいかないとしても、若手ヒーローの中では抜きんでて有名になりつつあった。無論、ヴィラン達にも。
 集中治療室のドアの前には、雄英の頃の同級生一堂が集まっていた。
 途中からヒーロー科に編入した、元B組の奴もいる。眠そうな顔をした、心操とかいう奴だ。あいつが敵を洗脳して、出久が呼び出された街を突き止めたという。
 丸ごと人質に取られた街。一刻を争う事態で、出久は連絡する術がなかったという。だが、単身敵地に飛び込むなんて、馬鹿のすることだ。急遽集められたヒーローが駆けつけなければ、どうなっていたことか。
 硝子の向こうの部屋に、寝かされている肢体が目に飛び込んだ。腕から足からコードが何本も伸び、顔には人工呼吸器をつけられている。肌の色は幽鬼のように白く、生気がない。
 あのクソバカが!勝己は硝子を叩いた。
「同じ現場にいたんだ」飯田がポツリと呟いた。「いつも彼は1番危険な所に飛び込んでいくけど、笑って帰ってくる。だから大丈夫だと思ったんだ」
「飯田、自分を責めんな。現場には俺もいたんだ。止めなかったのは俺も同じだ」轟は苦悶の滲む声音で言った。
「誰も止められないよ。デクくんが助けたいというなら。いつも助けてしまうんだもの。今回だって、大丈夫だって思っていたんやもん」麗日は泣きはらした顔をしている。
 クソが。てめえらはデクを過信してたんだ。あいつはただの身の程知らずなんだ。勝己は歯噛みした。俺はこんな馬鹿のために、泣いてなんかやらねえ。泣けるもんかよ。頭にきて涙なんか一滴も出ねえわ。
 だが、一番腹が立つのは、出久の危機をニュースで聞くまで、まるで知りもしなかった自分だ。
 出久は死ぬのか。また俺の知らねえところで戦っていたのか。いつもいつもそうだ。
 こんなことになるのなら、側に置いて見張っているべきだった。自分にその権利はないとしても関係ない。できるものなら、閉じ込めておくべきだった。
 頭を硝子に押し付ける。ひやりと固く冷たい、出久との間を隔てる硝子の壁。
 幼い頃からいつも、心のど真ん中を占めていた出久。
 自制心を失わせ、感情を揺さぶり、年が経つごとに存在感を増していった出久。
 高校を卒業するまで同じクラスで、目について目障りだった。目に入らないところに行けば、やっと俺は自分を取り戻せるのだと思っていた。心を占める邪魔者がいなくなれば、自由になれるのだと思っていた。けれども違った。側にいなくても、出久は図々しく心に居座った。
 出久を失ったら、心のど真ん中に穴が開くだけだ。虚は虚のままなのだ。この虚を埋めるものは、出久のほかにないのだ。
 手の届く側から離れるべきじゃなかった。
 ようやくわかったのに。なのに失われようとしている。距離を置いてしまったが故に、俺は間に合わなかった。 
 一生この虚を抱えたままでいろというのか。
「てめえ死ぬとか、ふざけんなよ!」
 低い声で呟く。再び硝子を叩く。爆豪くん、と背後で誰かが呼ぶ。
「クソが。殴りゃあ、起きんじゃねえのか、開けろや、ぶん殴ってやる」
 治療はもう終わってんだろ。もう待つしかねえんだろ。まだ中に入れないねえのか。
 皆が見守る中、集中治療室の扉が開いた。相澤先生と警官に連れられて、一人の男が入ってきた。短髪黒髪の痩せた男だ。
「ヤクザのなんとかって奴に似てねえか?」誰かがボソッと言った。
「あいつ、緑谷と戦った、死穢八斎會のオーバーホールじゃねえか!マスク付けてねえけど間違いねえ!」切島が叫んだ。
「おいマジか?」「刑務所にいんじゃねえのかよ」同級生の奴らが、我先に硝子の前に押し寄せ、不安げに騒ついた。
ヴィランじゃねえか!」勝己は怒鳴った。「なんであんな奴を中に入れるんだ」
 表情はマスクでわからないが、医師達もひそひそと囁きあって、不安がっているようだ。
 問われる前に、男は自ら口を開いた。
「壊里に頼まれたんだ。俺の腕は壊里に巻き戻させた」
 男は手錠で拘束された腕を上げて示した。
「この手で、俺がこいつを治してやるよ」
 医師達は信じていいのか問うように、相澤先生に視線を向けた。先生は頷いた。
「こいつの個性は治療だ。何かを破壊するような力はない」
「この手があれば、どんなに怪我でも治癒できる」男は掌を広げて言った。「壊里は完全には個性を制御できない。だから死に損ないのそいつに、巻き戻す個性は危険すぎて使えない。壊里に言われたさ。俺の身体の保証はできないが、俺を巻き戻すから、そいつを治してやってほしいとな。もし巻き戻しが止まらなくなったら、自分を壊していいとまで言ってな。全くいい女になったもんだぜ」
「わかってるな。腕を得ても、お前は逃げられないぞ」相澤先生が言った。「おかしなことをしたら止める」
「逃げねえよ。お前たちと取引したからな。俺は治った腕で親父を治させてくれるなら、他に望むことはないさ。それで貸し借りはなしだ」男は言った。
「ああ、約束しよう」
「それに、死柄木の野郎を喜ばせるのは、癪に障ってしょうがねえ。奴は大嫌いだ。だがデクと言ったか、こいつのことは認めてる。やりあった仲だしな」
 男の手が出久の額に置かれた。「じゃあ、やるぜ」
 男が目を瞑り、俯いた。暫くして、出久の身体がぴくりと震え、痙攣を始めた。
「おい!」と勝己は硝子を叩いた。クラスの奴らも背後でざわめいた。
 くそっ!びくともしねえ。壊してやろうか。いや、硝子を爆破したら追い出される。自分の自制心が忌々しい。
「慌てんな」と言い、男が硝子を隔てた勝己たちに視線を移した。
 暫くして、包帯で隠しきれてない出久の傷が、引いていくのが見えた。
「マジで治っていってるぜ。あいつ、ヴィランのくせに、ほんとに治しやがった」切島が感心したように言った。
 出久は咳き込んで、首を振った。マスクが剥がれた。深い呼吸を繰り返して薄目を開けた。硝子の向こうから、自分たちを認めたように、まっすぐな視線を寄越した。ぎこちなく薄く笑った。
 クソが。あの野郎、無理に笑顔を作ってやがる。安堵したと同時に、腹が立った。
「仕事は終わった。親父のいる病院に連れてってくれ」男は言った。
「ああ」と相澤先生は頷いた。「嬉しくはないかもしれんが、礼を言う」
「ふん、皮肉にしか聞こえねえな。約束は守れよ」
 男は相澤先生に連れられて、病室を出て行った。
 出久は回復した。だが個性は失われた。
 正確には個性を出せるほど、身体が持たなくなったということだろうか。
 暫くして出久は退院した。だが、誰とも連絡を取ることもなく、集まりにも顔を出さなくなった。いつの間にか事務所も辞めていて、誰にも何も言わずに姿を消し、音信不通になった。

「僕はてっきり、君に嫌われてると思ってたんだ」
 重ねた身体の下で、出久はぽつりと言った。
「はっ!何寝言言ってんだ、クソが。てめえのこたあ、気に食わねえよ」
「え、でもこういうこと、嫌いな相手とはしないよね?」
「丁度いいとこに、てめえがいただけだ」
「そういうものなの?オトナだなあ、かっちゃん」
 くそっ何言ってんだ俺は。納得すんなよ。クソデク。何も思ってなくて、てめえを抱けるかよ。
 勝己は出久の髪をくしゃっと掴み、荒っぽくキスをした。起き上がり、ソファの下に落とした衣服を拾う。
 出久は身体を起こし、浴衣を羽織って不格好に帯を締めなおす。
「一晩限りの関係なんて、僕は今まで理解できなかったけど、成り行きでこうなることあるんだね」
「はあ?」
 一晩?何言ってんだこいつは。
「付き合ってなくても、経験はあるって言ってたけど、そういうことなんだね。」
「はあああ?」
「ご、ごめん、ぼくが言うなって感じだよね。なんか、凄かったよ。人のもの触るのも触られるのも初めてだったし。君の身体が中に入ってくるなんて、強烈な体験だったけど。忘れられるかな。でも、忘れるよ。次会ったときは、普通にできるように頑張るよ」
 出久は早口でベラベラとまくし立てる。ムカついてきた。
 てめえ、ざけんなよ。勝手に解釈してんじゃねえよ。んな器用にやれっかよ。経験なんざほとんどねえわ。てめえにんなこと言えっかよ。見栄をはっただけだ。
 いや、問題はそこじゃねえ。
 こいつは一晩限りで、終わらせようとしてやがる。そういう話はしてたけどよ。てめえに勧めたわけじゃねえぞ。つい今まで俺に抱かれてたくせに、もう思い出みたいな口調で語りやがって。それとも、初めからそのつもりで受け入れたんかよ、出久のくせにてめえ。そうはさせるかよ。
「おいデク!てめえは」
 どういうつもりで、と問いただそうとしたところで、出久が口を開いた。
オールマイトアメリカに行くんだよ」
「あ?ああ、そうかよ」
 出鼻をくじかれる。なるほど。ヒーローの本場だ。昔オールマイトが敵の手を逃れて、暫く住んでいたと聞いた。かの地での活躍が、オールマイトを世界的に有名にしたと言える。
「それでね、僕もオールマイトと一緒に、アメリカに行くんだ。そのために英会話の勉強もしていたんだ」
「はあ?なんだと?」驚いて聞き返した。出久も以前のオールマイトと同じように、逃亡するというのか。
「そんでてめえ、いつ日本に戻んだよ」
「何年いることになるか、決まってないって。もう定住することになるかも知れない」
「てめえも一緒に、かよ」
「うん、僕もだよ。一ヶ月後にもう日本を出るから、それまでに部屋を引き払わなきゃいけないんだ。手続きはもう済んでる」
「はあ?すぐじゃねえか」
「うん。そうなんだ」出久は曖昧な笑みを浮かべた。「でも、行く前に君に会えてよかった」
 何を言いやがる。ふつふつと怒りがわいてくる。ふざけんなよてめえ。やっと会えたんだ。やっと抱いたんだ。やっと手に入れたんだ。これからじゃねえのかよ。クソが!クソが!
「おい、クソデク!」
 うかうかしてはいられない。ほんの1カ月後には、出久はアメリカに行っちまう。
「な、なに?かっちゃん」
「今回の件の見返りを寄越せよ」
「えええ?見返り?」
「そうだ!文無しのてめえに飯を食わせて、ホテルにまで泊めてやった上に、明日帰る電車賃まで、出してやるわけだからよ」
 顔を寄せて迫った。やっと捕まえたのに、逃してたまるかよ。たった一ヶ月という期限だとしても、ここで手離すわけにはいかない。
「そ、そうだね。ありがとうございます。かっちゃん。あの、僕は何をすればいい?」
「てめえがアメリカに行くまでの時間、全部俺に寄越せ!」
「えええ?」
 一晩限りでこれっきりとかぜってーねえわ。アメリカに行く前に、てめえとしてえことを、全部やりきってやる。
 この時、先のことなど何も考えてはいなかった。とにかく今、なんとかしなければと思ったのだ。

 翌日、勝己は出久と一緒に帰途に着いた。だが、住居兼事務所の自宅には戻らずに、そのまま出久の住処に押しかけた。
「学校側が、セキュリティがしっかりしてないといけないって、住むところを提供してくれたんだ。家具つきだから引っ越しも楽だったよ」
 雄英の敷地の側にあるが、門からは離れてる。白壁の意外と立派なマンションだ。
「寮もそうだったな。セメントスが作ったんじゃねえのか」
「あ、そうかもね。他にも学校関係の人が住んでるよ。空き部屋もあるから、時々先生が泊まったりしてるよ」
 勝己は出久の手からキーを取り上げてドアを開け、出久が入ると後ろ手に鍵をかけた。反転して出久をドアに押し付ける。
「いたた!かっちゃん?」
「てめえの時間、全部寄越すっつったよなあ、デク」

上衣も着たままで玄関先でやるなんて、盛った動物のようだ。だが、部屋に入った途端に、待てなくなった。
 服を脱がす時間すら惜しくて、ベッドまでの距離すら長く感じた。理性も感情も吹っ飛んで、本能だけに支配されたようだ。こんなにも飢えていたのか。
「デク、口開けろや」と言い、唇を合わせて深くキスをする。口腔を探り、舐めて吸い、同時に尻を持ち上げては突き上げる。貪りつくす。


3.Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)


 カーテンの隙間から、日差しが細く指している。光はゆらゆらと移動し、隣に寝ている出久の髪を照らす。狭いベッドの中で、お互いの裸の肌が触れ合う。
 肩から腰まで、滑らかなラインを撫でる。胸に指を滑らせ平らな乳首を摩り、腹筋の割れ目を辿り、下腹の繁みの下の性器を弄ぶ。
 尻を撫でて抱きしめて、脚を挟み込み、双丘の間に勝己の性器を押し付ける。すん、と頸の匂いを嗅ぐ。
 俺のもんだ。ひとつに融け合うような感覚は、出久としか味わえやしない。
 小さく声を上げて身じろぎすると、出久は首を傾けて振り向いた。
「かっちゃん、もう朝だよ」
「やっと起きたんかよ。もう9時だわ、クソが」
「僕、そのまま寝ちゃったの?今日が休みでよかった。裸のままで寝るなんて初めてだ」
「やってから、そのまま寝るのも、だろうが」と揶揄う。「わわ」と出久は真っ赤になって、ベッドからそそくさと立ち上がった。
「かっちゃん、シャワー先に浴びていいよ。近くにご飯食べに行く?」
「食いもん、なんかねえのかよ」
「冷蔵庫の中何もないんだ。引っ越しするし。物減らさないといけないから」
「はあ?引っ越すつっても、あとひと月もあんだろーが!」勝己は起き上がって、出久の腕を掴んだ。「よし、買い物に行くぞ、クソデク」
 ふたりは近所のスーパーに連れ立って入った。弁当を手に取ろうとする出久の手を「いらねえ」と言ってはたく。卵やら玉ねぎやら、調理の必要な食材を籠いっぱいに放り込み、調味料も入れてレジに向かう。
「かっちゃんが作るの?」
「なに抜かしやがる。誰がてめえなんぞに作ってやるか!てめえも手伝うんだ、クソが」
「ええ!僕料理できないよ」
「飯の作り方くらい覚えろよ。アメリカで外食ばっかするつもりかよ」
 自分で言ったアメリカ、という言葉がちくんと胸を刺す。
「あ、そうか。うんそうだよね。何すればいいかな、かっちゃん」
「とりあえず、ご飯くらい炊けるよな」
「うん、もちろん出来るよ」
 そう答えたくせに、家に帰って準備を始めると、炊飯器を前にして出久は「あれ?どっちの目盛りに合わせればいい?」とまごついている。
「無洗米だからこっちだ」
「研がなくていいの?」
「ざっと1回洗えば十分だ。てめえ、全く自炊したことねえのかよ」
「うう、恥ずかしながら」
「それでよくもまあ、もちろんとか言えたもんだぜ。俺がやった方が早いが、猫の手でもマシだ」
 炊飯の後は味噌汁を作らせることにしたが、出久の手つきはおぼつかない。測った味噌を、そのまま汁に入れようとしたのが目に入り、といてから入れろと怒鳴る。
 台所にふたり並んで炊事しているなんて。まるで合宿の時のようだ。あの時はクラスの奴らも一緒だったが。
 もしも、このままてめえが日本にいて、一緒に住むのなら、どっちも働いてんだから、作るのは交互だろ。飯の一つも作れなきゃな。
 もしもだけどよ。
 ご飯に味噌汁に卵焼きに、お浸しにサラダ。いつもより時間がかかったが、まあいい、出久にしちゃ上出来だ。
 朝食の皿を並べて、テーブルに向かい合わせに座る。出久は自分の作ったものを「美味しい美味しい」と言いながら口に運ぶ。
「てめえ、学校から帰るのは何時だ」
「大体定時だよ。講師だからね。担任を持ってると大変そうだけどね。相澤先生はいつも残業してるよ」
「その講師の仕事はいつまで続けんだ」
「ギリギリまでやるよ。それに引き継ぎを必要とするような授業じゃない。ヒーロー歴史学は個性に関わらず、誰でもできる教科だから」
「てめえでも、役に立つってわけだ」
「うん」一拍おいて、出久は続ける。「無個性でも」
 それから、勝己の仕事の話や、ヒーロー集会で会ったクラスメート達の話になった。
 他愛無い会話が擽ったくて、胸が暖かくなる。


「おい、起きろてめえ。いつまで寝てんだ」
「お、おはよ、早起きだね。かっちゃん」
 勝己に叩かれた頭を摩りながら、出久は起き上がった。昨夜も勝己は出久の部屋に泊まった。ここ一週間、帰ってくるのは出久のマンションである。
「さっさと着替えろや。これからランニングに行くぞ。身体が鈍るわ」
 家から少し走ると、広い運動公園があった。ランニングコースの内側に、野球やサッカーのグラウンドがある。少し離れると木立に囲まれた小さな広場があり、滑り台やブランコなど、子供の遊具が設置されている。
「ここ、家の近くの公園を思い出すね」出久は懐かし気に言った。
「ああ、まあな」
 出久と一緒に遊んだことも、いじめたこともある。甘くて苦い、公園の思い出。
 飲み物を買うためにコンビニに立ち寄った。出久は花火に目を止める。
「もうそんな季節なんだ」と出久は微笑む。「花火、やったよね」
「ああ、ガキの頃な」
「かっちゃんは、ネズミ花火ばっかり火をつけて、僕に投げてきたよね」
「ばっかりたあ、なんだてめえ。チキンなてめえが逃げるからだ。それに、てめえらが尻込みする打ち上げ花火には、俺が火つけてやったろーが」
 飲み物を買ってきて公園に戻り、木陰で一休みする。
 ポカリを嚥下するデクの喉。舐めたくなる喉元から目を逸らす。歯を立てて噛み跡をつけたい。
「久々に走ったよ」額の汗を拭いて、出久は言った。
「ああ?なまってんじゃねえのか」
「君は毎日ジョギングしてるの?」
「たりめーだ。毎日鍛錬しねえで、ヒーローでいられるかよ」
「汗かくのはいいね。色々考えないですむから」
 何を考えたくないのか。芝生の上に寝転んで、出久は顔をタオルで覆っている。表情は見えない。
 子供の頃の夏の夜、花火とバケツとチャッカマンを持って、出久を誘って河原に行き、花火で遊んだ。ネズミ花火や蛇玉や打ち上げ花火だってあるのに、出久はいつも地味な花火を手に取った。
 出久の手の中の、今にも火の消えそうな線香花火。チリチリと細い火を吹く火を、心配そうに眺めているのを見かね、花火に火を継いでやった。にっこり笑う顔が、花火に照らされた。かっちゃんの掌の火花みたいだと、出久は言った。思い出すと、糸屑のように縺れて散る火花の、ぽしゅぽしゅっと弾ける音が、聞こえるようだ。
 大きな鳥の影が、広場を横切ってゆく。
 出久は空を仰いで、手を伸ばす。
「手が届くなんて、思ってなかったなあ」
 鳥の姿は遠く空の彼方に小さくなる。出久はそっと手を下ろした。
 こんなに早く失うとは思わなかったと、言っているように響いた。
 出久は瀕死の重傷を負った。助かったのは奇跡だ。単身ヴィランの元に向かう時に、前もって個性を譲渡した判断は間違ってない。だが、出久は死闘を生き延びた。生き延びてしまった。
 個性を譲渡してしまったことを、悔いているのか。オールマイトと同じように、壮年を過ぎてから譲渡したのなら、諦めがついたのか。個性の残滓すら、吹き飛んでしまった今。
「そろそろ戻るぜ」
「うん」
 起き上がり、出久は顔からタオルを取った。いつものような穏やかな顔をしている。

 警察から連絡があった。鞄が落し物として届けられたらしい。金だけはなくなっていたが、中身を聞くと他のものは無事のようだ。
「繁華街探し回るより、さっさと警察に届けりゃよかったんだ」
 まあ、うろついてやがったから、出久を見つけたわけだが。
「大したもの入ってなかったからね」
 出久は、ただ淡々と呟いた。


 なし崩しに、勝己は出久の部屋に居ついた。
 スペアの合鍵を有無を言わせず奪取し、ヒーロー活動の後は、毎日出久の部屋に入り浸り、夜毎身体を繋いだ。
 思っても見なかった同居生活。他人が部屋にいる生活など、考えられなかったというのに、この安心感はなんなのだろう。
 ようは同居する相手次第なんだ。
 出久を独占している安心感。出久の存在はいつも心を波立たせ、苛つかせていたのに。自分だけの物になった途端に、こうも心が穏やかになるとは。幸せとはこういうものなのか。
 でもひと月後に失われてしまう。
 たとえ出久を追って自分もアメリカに行ったとしても、大した実績もツテもない今の自分では、ヒーローの仕事はできない。観光客か留学生が関の山だ。職業ヒーローとして行くとしたら準備が要る。少なくとも何ヶ月、もしくは何年かはかかるだろう。その間に出久との関係はどうなる。
 手放せるのか、俺は。腕枕で眠る出久。眼前ですうすうと呼吸している出久を、ぎゅうっと抱きしめる。
 温かい生きた身体。手放せるのか。出来ることなら閉じ込めてしまいたい。
 傷だらけの腕に触れ、白い傷跡を辿る。手足を折って仕舞えばいいんじゃないか。爆破して壊して仕舞えば、てめえはどこにもいけない。
 そんなこと、出来るわけがないだろうと、理性が囁く。


「そろそろ部屋を引き払わなければいけないんだ」
 朝食の支度をしながら、出久は言った。簡単な料理なら、出久はひと通り作れるようになっていた。
「ここを出んのか」勝己は問うた。
「一週間単位で借りてるけど、来週の半ばには出発するから。家具は備え付けだし、ほとんど自分のものは無いんだけどね。オールマイトグッズは別だけど。渡米に必要なものだけ残して、後は家に送るよ」
「まだ日にちあんだろ?」
「出発までホテルに泊まるか、家に戻るよ」
「なら俺の家に来いや」
 出久は驚いた表情をして、キッチンから顔を出した。
「ええ、行けないよ。そんな、悪いよ」
「ひと月俺といる約束だろうが!忘れてんじゃねえ」
「あ、そうだったね。でも」
「てめえは約束を違えるのかよ」
 出久は思案顔で答える。「じゃあ、ちょっとだけ。お世話になるね。すぐ僕はアメリカに行くし、荷物はスーツケースに入れて持ってくよ」
 出久は力をなくしても、名前だけは敵に知られている状態だ。親元に帰るのさえ、用心しなきゃならない。海外の方が国内よりもマシなのかもしれない。
 だが納得できやしない。このままでいられないのか。
 てめえとしたいことはまだあるんだ。一緒に居ればいるほど、したいことが増えていくんだ。幾らでも沸いてくるんだ。
 人と一緒に住むなんて、考えられなかった。自分の空間を人に乱されるなんて、厄介なだけだと決めつけていた。でも結局は誰と住むかってことだけだったんだ。一緒にいたい奴と一緒に住みたいと思うのは、当たり前のことなんだ。
 てめえと同じ空を見上げたい。青い空を、赤い夕日を、黄金色の朝焼けを。自分だけなら同じ空でも、てめえと眺めるのならば、毎日違う空なんだ。同じ時間を共有したいんだ。
 てめえはアメリカ行って何すんだ。オールマイトのコバンザメみたいなものじゃねえのか。ほんとにてめえが、行かなきゃいけねえなのか。
 だがこの一月足らすでは、アメリカに行くという、出久の決心は変えられなかった。奴の中で決定事項になっているのだ。今を幸せだと思うほどに、焦燥感と苛立ちが心を黒く覆ってゆく。


4. Man on a Mission(任務を追う男)


 今日からデクが家に来る。学校が終わったら、直接、勝己の家に来ると約束をした。
 出久が来たら、あの部屋を引き払って、服やらオールマイトグッズやらを、勝己の車でデクの実家に運ぶのだ。アメリカに持っていくものもあるらしいので、取りに行くついでだ。スーツケースは勝己の家に置いておき、渡米当日は出久を空港まで送る。
 ほんの数日の猶予。あいつの決心は固いとしても、それでもギリギリまで粘ってやる。
 だがおかしい。今から行くと連絡が来てからかなり経っている。とっくに到着していい時間なのに、出久はまだ来ない。携帯にもかけたが、何故か出やしない。
 業を煮やして、勝己は学校に連絡した。
『やあ、久しぶりだね。爆豪少年』
 電話に出たのはオールマイトだった。ナンバーワンヒーローオールマイト。高揚と悔しさと両方の感情が渦巻く。
 あんたはいつも、出久に他の世界を示して、手の届かないとこに、連れて行ってしまうんだ。
『デクはそっちにいんのか』ぶっきら棒に問うた。
『ああ、君が緑谷少年といてくれたんだよね。聞いてるよ』
『そーゆーこたあいいんだよ。デクいねえのか』
『まだ着いてないのかい?』
 出久はかなり前に、学校を出たという返事だった。携帯電話のGPSを確認すると、出久は繁華街の入り口付近にいて、動いてないという。
 胸騒ぎがした。
 繁華街に行ってみると、出久のスーツケースが道路の隅に置いてあり、側に携帯電話が落ちていた。大声で名を呼んだが、出久はいない。やはり何かあったのだ。携帯電話に手掛かりを残してないかと、適当にパスワードを入れてみる。
 開いた。やっぱりオールマイトの誕生日かよ。
 最近使ったアプリの中にカメラがあった。写真フォルダを確認してみると、人相の悪い知らない男が写っている。
「おい、ここで何かあったのかよ」
 近くの店の人に問うと、騒ぎを目撃したと言う。ついさっき、出久はヴィランに絡まれてる人を助けようとしたらしい。だが相手が『デク』だと知ったヴィランは、標的を出久に変更した。出久は車に連れ込まれ、どこかに連れていかれたという。
「あのクソカスが!」
 今の無力な状態も忘れやがって、ヘドロヴィランから俺を救おうとした時から、何も変わっちゃいねえ。あいつは誰もがプレーキを踏むところで、思いっきりアクセルを踏んじまうんだ。
 商店街の人が呼んだ警官に「こいつを知らねえか」と携帯にあった写真の男を見せた。他に、追跡可能なものを持ってないのが残念だ。
 警官は一目見て答えた。彼らは最近この辺りを根城にする、札付きのヴィランだという。なかなか警察も手を出せないらしい。
 聞きたくねえが仕方ねえ。情報が欲しい。オールマイトに連絡し、チンピラの顔写真を送った。彼はその手の情報はやはり詳しい。折り返すと言い、すぐに勝己に連絡が返ってきた。
『その男は、元ヴィラン連合に属していた奴だ。君一人では危険ではないか』
『ああ?誰に言ってんだよ』
『しかし、爆豪少年』
『心配すんじゃねえよ、オールマイト。暇してる奴らに応援を頼むからよ』
『君はひとりで行くつもりだろう』オールマイトは図星を指した。『早まるなよ。今もベストジーニストの元にいるのかね。では彼に伝えよう』
『いねえよ、いいってオールマイト。俺から言う』
 仕方ねえ。オールマイトを煩わせたくねえ。勝己はベストジーニストの事務所にコンタクトを取り、受付の者に早口で伝えた。すぐに声がベストジーニストに変わった。
『久しぶりじゃないか。今どうしてる』
『世間話してる暇はねえ、こっちは急いでんだ!』
 デクが攫われた経緯を手早く説明して、この辺のチンピラのたまり場はないかと聞いた。
『廃ビル街だろう』即座にベストジーニストは答えた。
『この辺の監視カメラ映像かなんかねえか。今日の夕方5時から7時までだ』
『ちょっと待ってくれ』電話の奥で、ベストジーニストの声が誰かに指示を飛ばした。
『廃ビル街の入り口に設置した路上カメラに一件、誰かが運ばれたような、不審な映像がある。今から場所を送る』
 すぐにリンクを貼ったメールが届いた。ビルの中に連れて行かれる、拘束された人影。
 居場所の目星はついた。『間違いねえ。デクだ。俺は先に行く』
『待て、先走るな』
『時間が惜しいんだ。俺は先に行く。手の空いたヒーロー連れて、この場所に来てくれ』
 ベストジーニストのとこは大手だけあって、ネットワークに優れている。事務所に所属すんのも悪くねえかもな、とちょっと思う。
 さてと行くか。溜まり場はシャッター街の奥にある廃ビルだ。

 メールの添付写真と見比べる。あの5階建てのビルだ。
 人影は見えねえが、入り口は見張りがいるかもしれねえ。ジャンプしてビルの屋上に降り立った。足音をさせないようにして、階下に降りる。用心しながら、埃っぽい廊下を進む。
 出久はどの部屋にいる。
 耳を澄ますと、ヴィランの声に混じって、微かに唸り声が聞こえる。階段を降りて、声のする部屋の前に着き、廊下から様子を伺う。
 か細い声が止んだ。数人の足音、人を殴る音。ヴィランの笑い声。
 頭が沸騰しそうになるのを、ぐっと堪える。応援が来るまで待機だ。
 ドアの小窓から覗いてみる。5、6人いるようだが、全員雑魚くせえチンピラだ。出久はどこにいる?
 再び掠れた唸り声が聞こえてきた。確かに出久の声だ。
 声の聞こえた方向に視線を移す。
 目の端に、縛られてボロクズのように、床に転がされた出久が見えた。
 またてめえは俺の知らねえところで。
 とたんに頭に血が上った。
 勝己はドアの鍵を爆破して壊し、ドアを蹴破った
 ヴィラン達は不意をつかれて、振り向いた。散弾のごとく光球を飛ばし、ヴィラン目掛けて狙い撃つ。ヴィラン達は慌てて武器を手にしたが、煙で視界を遮られ、まごついている。勝己はドアの側の男の背中を爆破し、後頭部を掴んで、床に叩きつけた。
 衝動的に動いてしまったが、冷静になってきた。不意打ちしたとはいえ、多勢に無勢の戦いだ。煙が充満している間に勝負をつける。奴らに自分の位置を悟らせちゃいけない。
 勝己は煙の中を俊敏に動き、1人1人、ヴィランを殴り倒していった。
「てめえが最後だ!」
 ボスらしき男を床に引き倒し、首を掴んで押さえつける。
 あっという間に制圧完了したようだ。
「てめえ、人のモンに手ェ出して、ただで済むと思ってんのかよ、ああ?クソが」
 男の顔を手で覆い、爆破しようと熱を貯める。
「頭吹っ飛ばしてやるわ、覚悟しな、クソが」
 男は悲鳴を上げ、首を振って逃れようと焦っている。チキン野郎が。本当に殺っちまおうか。
「ん、かっちゃんなの?」
 出久の声が聴こえた。個性の出力を途中で止め、倒れている出久に目を向ける。
「目を覚ましたんかよ、クソデク」
「危ない、かっちゃん」出久が掠れ声で囁いた。
 背後に誰が立っている気配がした。振り向いた。鉄の棒が目に入った。
 ヴィランが棒を振り上げて、勝己に殴りかかろうとしている。
 煙の中に隠れてやがったのか。こんな側に近付くまで気づかねえなんて。油断してたのか。
 瞬時に、勝己は片手を男に向けようとした。
 だめだ、間に合わねえ。畜生!
 しかし、自分にヒットすると思われた瞬間、男は後ろに吹っ飛んだ。
 何があった?
 側を掠めた風圧の方向。うつ伏せた出久に目を向ける。
「おい、デク」
 返事がない。また気を失ったらしい。見ると、出久の人差し指が紫色に変色し、潰れている。何が起こった?
 ひょっとして個性を使ったのか。体力のない状態で使ったから、あの程度の発現で、高1の時のように指を潰してしまったのか。
 いや、まだ判断するのは早計か。奴らに指を潰されたのかも知れねえしな。
 壁にぶち当たったヴィランは崩折れ、どろりと液状化した。体を液体にするヴィランか。こっそり背後に忍び寄って来やがったんだな。嫌なこと思い出させやがる。
 唸っているヴィラン達を、念のために再度一発ずつ殴り、気絶させた。
 勝己は出久に駆け寄り、抱き起こして揺さぶった。
「ああ、かっちゃんだ。1人で何人倒したの。すごいな。君は」
 腕の中で勝己を見上げ、それだけ言うと、出久はすうっと目を閉じた。
「デク!何やられてんだ、てめえ、このカスが、クソカスが!」
 階下から複数の足音が近づいてきた。聞き覚えのある声だ。ベストジーニストの事務所の面々が駆けつけたのだ。
ヴィランは伏せろ。抵抗すれば容赦しない」警告しながら、ベストジーニストが部屋に入ってきた。
「遅えわ、クソが」
「早まるなと言っただろう、爆豪くん。しかし、よくやったな」
 ベストジーニストは部下達にテキパキと指示し、ヴィランを全員捕らえた。他の部屋にいたヴィラン達も残らず捕縛すると、連行していった。
「爆豪くん、彼は病院に連れて行かなければ」
 ベストジーニストに宥められても、勝己は抱きしめた出久を、手放そうとしない。
「事情も聞かなきゃならない。君も署に来てもらわなければならないし、彼は手当てしなければ」
 言われて、勝己は渋々出久を引き渡した。


5. Best of Both Worlds(好いとこ取り)


 勝己はベストジーニストの事務所に立ち寄って、協力の礼を言い、出久を病院に迎えに行った。
 傷はほぼ治療されていた。指の変色も消えていた。力の発現などなかったかのように。手を掴んで指を確認する勝己を、出久は不思議そうに見つめた。
「行くぞ」と掴んだ指を絡ませて、手を引いた。
「あ、商店街にスーツケースが置きっぱなしだよ」
「クソが」忘れてた。
 スーツケースは商店街の店が預かってくれていた。車に積んで、出久をマンションに連れ帰った。
 どうせうちに来るんだ。そうでなくても、出久を今一人にはできない。
「あんな弱そうな奴らにやられてよ、不甲斐ねえな」
 うん、と出久は言葉少なに俯いて答える。ソファに膝を抱えて座る出久は、まるで子供のようだ。
「あんなんじゃ、アメリカ行っても、身を守れねえんじゃねえのかよ」
 だからここにいろよ、とは言えない。
 暫くして、悔しいな、と出久は呟いた。
「君や皆の活躍が、同級生として誇らしい。けれども、自分の無力さが辛い。君に並び立てないのが辛い。だから僕は、オールマイトについていくんだ」
「はあ?何言ってんだ」
「僕にも何か、できるかも知れないから」
「今のてめえが一緒にアメリカ行って、何ができんだ。クソでもしに行くのかよ。てめえは逃げてるだけじゃねえか」
 自分から、俺から、逃げてるのだ。頭にきた。
「でも、君とはいられないよ」
「俺と、だあ?」
 出久の声が震えている。顔を伏せたままで頭を振る。
「理由はあんのかよ!」声を荒げて勝己は問うた。
ヴィランから身を隠して、各地を転々としてた時ね」出久は顔を上げずに言う。「OFAを使いきって、力を失ってしまった僕に、皆すごく優しかったんだ。よくやった、ありがとうヒーローって。僕はそれが辛かった。だって、僕はもうヒーローじゃないんだ。誰かに何か危険なことがあっても守れない。何もできない。優しくされる価値なんてない。でも君だけは違った。厳しく接してくれた」
「あ?どこに褒めるとこがあんだ。無茶をしたてめえの、自業自得だろうが」
「うん、君は僕に意地悪でぞんざいで、ちょっとだけ優しくて、側にいて居心地よかった。そんな風に思うなんて、正直意外だったけど」
「昔のてめえに、戻ったようなもんだろうが。何が違うってんだ」
「うん、かっちゃんだからなんだなって。でも、もう無理だ」
「だったらなんでなんだ」
「もう無理だよ。気づいたんだ」出久は顔を上げた。「だって君は僕が無力になったのを喜んでるだろ」
「てめえ、なんだと!」
 いきなり何をわけのわからないことを、言ってやがる。
「喜んでるだろ。君のことならわかるよ。いざとなれば力づくで、言うことを聞かせられる。そうだろ。そうしなくても、できると思えるだけで違うんだ。今の僕は君に叶わない。それが悔しいんだ。一度は君と並び立つことができたんだよ。もう子供の頃みたいな、惨めなのは嫌なんだ」
 思わぬ出久の吐露に、勝己は凍りついた。出久は所在無さげに指を組み替え、益々縮こまる。
「そんなに、僕に力が無いのが嬉しい?」
「てめえ、ざけんなよ」ふつふつと怒りが込み上げてきた。「力づくで言うことを聞かせるだと?てめえを力で、意のままにできたことなんざ、一度もねえわ!何言ってやがる」
 弱っちいくせに、ぐずぐず口答えして、怯えながら逆らって、何一つ思いどおりにならなかった。それがてめえだ。
「ごめん、ごめん、かっちゃん」出久は首を振って、涙ぐんだ目を擦った。
「今の僕の中は真っ黒なんだ。君に再会したあの日、ほんとは僕は、皆に会おうと思ってたんだ。でも、いざとなると足が竦んだ。僕は本心から笑えるんだろうか。黒い心が顔に出てしまうんじゃないだろうか。子供の頃に君やクラスメイトを見て、感じていたような、羨ましくて妬ましくて、辛くて濁った心。そんな浅ましさが、顔に出てしまうんじゃないだろうか。そう思ったら、怖くて堪らなくなった」
 勝己は思い起こした。出久はなくした鞄が見つかったと聞いても、喜ばなかった。あれほど探していたのに、おかしいと思っていた。つまり、本当は鞄を探してなどいなかったのだ。
 あの夜、出久は逡巡していたのだ。旧友達に会いたくて会えずに、それでも迷って、繁華街を彷徨っていたのだ。
「自分が嫌になるよ。だから誰も僕を知らないとこに行きたいんだ。平気で皆に会えるようになるまで」
 勝己は拳を握りしめた。火花が出そうになるほど、掌が汗ばむ。
 見えない鳥を追いかける出久に、いつも腹を立てていた。いくら求めたって、手に入るわけがないんだ。いい加減わかれよと。でも見えなかったはずの鳥を出久は見つけた。
 鳥を手に入れた。飛べる羽根を手に入れた。
 苦々しかった。てめえはその羽根を何に使うのか。自分の力の誇示か、玉虫色の正義の施行のためなのか。
 認められたい、必要とされたい。そんな自己顕示欲ならまだいい。あくまで自分がかわいいのだから。
 てめえは違うんだ。人のために生きて、そのために箍を外して、自分を壊してしまう。
 そんな使い方で、いつまでも羽根を持てるわけがないだろう。
 てめえもいつか、オールマイトのように力を失う。そんな日が来たのなら、その時は俺が、てめえを力づくででも止めてやる。そう思っていたというのに。
 いつもいつも俺の知らねえところで、死にかけてボロボロになって。俺はそれを知りもしねえで、何もできねえんだ。
 あのまま死んじまったかも知れねえんだ。
「喜んで何が悪いんだ。ああ?デク」
 勝己は低い声で唸る。
 俺のいない間に、無謀な戦いで死にかけた出久。
 管に繋がれて力なくベッドに横たわる出久。
 医者にも見放されて、死を待つばかりだった出久。
 ヤクザ野郎に助けられて、瀕死の状態から回復した出久。
 力を失い、誰にも言わず、何処かに姿を消した出久。
 やっと、俺の手の中に落ちてきた出久。
 喜んじゃいけねえのかよ。
 もう出久はOFAに振り回されねえ。俺の知らねえところで、壊されたりしねえ。なのにてめえは、ちんけなプライドでぐだぐだ言いやがって。そんなものに構ってなんかいられるかよ。
「ふざけんなよ。てめえ!」勝己は出久に掴みかかる。「今のてめえに何ができんだ!」
 威嚇するつもりではないのに、掌から火花が散った。出久はあつ、と顔を顰めたが、子供の頃のように怯む様子はない。
 それを言ってはだめだと、頭で警告音が鳴る。長い間執拗に否定し続けてたから、こいつは萎縮した。怯えて煙たがって、俺から離れていった。
 追い詰めたって、遠ざかるだけなんだ。思い通りになんて、出来やしないんだ。また繰り返すのか。同じ間違いを。
 だが、わかっているのに止められない。
「もうヒーローじゃねえだろ、てめえは!今のてめえが誰を守ろうってんだ。なんにもできないくせによ!」
 出久が項垂れる。「君にはわからないよ。君は何でもできるし、何でも持ってるから」
「今のてめえじゃ、オールマイトを守れねえし、オールマイトだって、てめえを守っちゃくれねえ。誰かに守られるしかねえくせに、そんなザマで、アメリカ行ってどうするってんだ。ああ?」
「何も出来ないから、だからだよ」
「は!逃げてるだけじゃねえか!」
「でもここには、いられないんだ」
「弱え奴が、何の役に立つってんだ」
 そんなことを言いたいんじゃない。行くな行くな離れるなと、心は哭いている。こんな言い方じゃ、届くわけがないとわかってるのに。また間違った言葉を叫び続けている。
 ガキの頃と同じだ。焦りと警戒が攻撃に、行動を間違った方向に向かわせた。思いを持て余し、手に入れたいと足掻き。苦しみの中で悲しみの中で、敵意が頭をもたげた。俺の思いを知らないてめえに、舐められていると感じた。傷つけずにはいられず、何度も傷付けた。怖がられ避けられても、まだ傷つけた。でも、てめえは従うことなどなくて、何一つ思い通りにならなかった
 どうすれば叶うんだ。てめえを求めてやまないのに、自分の気持ちが、ままならない苛立ちが、てめえが同じように思ってくれない苛立ちが、てめえを傷つける。傷つけることで自分も傷つくだけなのに。
 飲み込んだ言葉が嵐になる。刃となり胸を切り刻む。裂かれた傷から血が噴き出す。ここから出せと苛む。
 胸に閉じ込めておくんだ。外に出しては駄目なんだ。そんなみっともないこと、言えるものか。言ってしまったら。
 だがとうとう口から言葉が溢れてしまった。
「てめえのせいだ!」
「かっちゃん?」出久はきょとんとして見つめ返す。
「俺がどれだけ長い間、苦しんできたと思ってんだクソが!俺の苦しみも辛さも、全部全部全部。てめえのせいなんだ!」
「え?かっちゃん?」
 何を言ってるんだ、俺は。むちゃくちゃなことを言ってる。わかってるのに止まらない。俺は俺の望む俺でありたいのに。いつもいつも、てめえは容易く、俺をぶっ壊しちまうんだ。
「くそっくそっ!てめえのせいで、いつも俺は!俺は何でも持ってるって言ったよなあ、おい!俺が何を持ってんのか、言ってみやがれ!力か?名声か?んなものはどうでもいいわ。てめえが側にいてもいなくても、俺の頭ん中はてめえでいっぱいなんだ。てめえが手に入らないなら、俺はなんにも持ってねえと、同じことなんだ!てめえをものにして、初めて力や名声なんてもんも喜べんだよ。このクソカス死ねやクソが!」
 一気に捲し立て、勝己は肩を震わせて荒く息を吐く。
 言っちまった。
 死ぬまで言わねえつもりだったのに。畜生が、情けねえ。クソが!
 出久はどう思った。出久、てめえは。
 見つめるうちに、出久の顔がみるみる真っ赤になっていった。
「え?あ、あの、え?ひょっとして僕、酷い勘違いしてたの?だって君は、そんなこと一言も、え?」
 出久は狼狽え、頭をふるっと震わせて両手で顔を覆った。
「何言ってんだよ、かっちゃん」
 耳が真っ赤になっている。伝わったのか。
「おい、面見せろ、デク」
「僕に、そんな価値はないよ」
 顔を隠したまま、デクは声を震わせる。
「てめえの価値なんざ、無個性の頃から一ミリたりとも、変わってねえよ」
 てめえが落水した自分に、手を差し伸べた時から。有象無象の中で、てめえだけが鮮明になった時から。
「僕はもう、君や皆と並び立てない。なのに、危険だけが以前の何倍もあるんだよ。そんなの」出久は顔を覆っていた手を下ろした。「君の足手纏いにだけは、なりたくないんだ」
「デク。てめえはどうしてえんだ」
「したいことが、出来るわけじゃないよ」
「出来るかどうかなんて、どうでもいいわ、クソが。てめえはどうしてえんだ、デク!」
 出久は黙って目を伏せた。このひと月の俺との生活で、てめえは何も感じなかったのかよ。このままの時間が続けばいいと、思わなかったのかよ。
「かっちゃん」出久は漸く口を開いた。「僕は」伏せた瞳が上げられ、勝己を見た。
 やっと出久と目を合わせた。視線が交錯する。
 その時、ドアベルの音が響いた。
「ふたりともいるんだろう、ちょっといいかな」
 扉の向こうから、オールマイトの声が聞こえた。
 出久がはっと顔をドアの方に向ける。
 クソが!来ると思ってたが、よりによって、今このタイミングで来るのかよ。
 出久はなんか言いかけたんだ。きっともう少しだったんだ。今しか言わねえ言葉なんだ。
 勝己は歯ぎしりをしてドアを睨んだ。
「爆豪少年、君の声は大きいから、聞こえてしまったよ。開けてもらっていいかな」オールマイトがまた声をかけた。
「まだこいつは行かせねえよ」
 勝己は低い声で呟く。
 オールマイト、あんただ。出久が鳥を見つけたんじゃなくて、鳥が出久を見つけたんだ。てめえのために、命でもなんでも、何もかも捧げる奴を。格好の獲物だよなあ。あんたはOFAのために、出久を贄にしたんだ。
 勝己はデクの手首を掴んだ。こっちを見ろと力を籠める。出久はドアに向けていた視線を勝己に戻したが、戸惑いの表情を浮かべ、再びドアを見つめる。ドアの向こうのオールマイトを。
 いや、違う。わかってんだ。
 無力なくせに向こう見ずで、命を顧みない出久。オールマイトから個性を譲渡されなければ、きっと何処かで無駄に命を落としてただろう。オールマイトはデクの危うさに気づいて、ほっとけなかったんだ。
 でも、もういらねえだろ。俺に返せよ。俺が最初に見つけたんだ。ずっと前から俺のなんだ。畜生。
「その話でもあるんだ。爆豪少年。ちょっと外に出ようか、二人とも」
「かっちゃん」
 自分の名を呼ぶ、出久の声は冷静だ。クソが!クソが!勝己はデクの手を放し、立ち上がると玄関に向かった。


 川辺りの遊歩道に、爽やかな初夏の風が吹き抜けていた。勝己はポケットに手を突っ込んで、オールマイトの後ろを歩く。出久は勝己の後ろを付いてきている。
「気持ちがいいところだね。ここは」
「ああ。河原のグラウンドが広くて、気軽にトレーニングがしやすいからよ」
「君は自分に必要なことを、よくわかってるね。爆豪少年」
 整備された河原では、数人の子供達が水切りをしていた。デクとも近くの河原でよくやった遊びだ。平らな石を水面に向かって投げ、石を連続ジャンプさせる。デクは浅い角度で飛ばすコツが、なかなか掴めなかった。
 子供達の投げた小石は、水面を弾いて、軽やかに向こう岸を目指して渡ってゆく。
 ふいに地面を影が過ぎった。白い鷺だ。滑空してきた鷺は川の中洲に降り立ち、羽根を震わせる。川面は銀の鱗のように煌めいている。
 オールマイトが立ち止まり、「緑谷少年」と出久を呼んだ。出久は小走りに駆けてきて、オールマイトの隣に立った。
「緑谷少年、君をアメリカに連れて行くのは、やめたほうがいいだろうね」
オールマイト
 出久の声は予期していたように、静かだった。
「誰も君を知らない場所で、君が心機一転、新しく始める何かを、見つけられればいいかと思ってたんだ。何かを見つけられれば、どこでも生きていけるからね。君を手助けできればと思ったんだよ」
「僕のために、ですか」
「うん」オールマイトは頷いた。「でも、逃げるのは君らしくないね。緑谷少年。君はいつも諦めずに、立ち向かっていくんだ」
 オールマイトは2人を振り返り、微笑んだ。ひょろりと細長いシルエット。河原にいる人々は彼が誰なのか、誰も気づいてないようだ。
「私は力を失った時、自分はもう、守られなければいけない身になったのだと知った。緑谷少年、君もそうなのだよ。君に私は守れないだろう。私も君も、今はヴィランに狙われる身だ。何処に行ったとしても、誰かに守られなければならないだろう」
「だから、日本を離れるんだよね。オールマイト」出久は言った。
「己の身を守るために、渡米するのではないよ、緑谷少年」
「でも、周りの皆が僕のせいで、ヴィランに狙われたら。僕は何も出来ないのに」
「緑谷少年、OFAのデメリットから、生まれる人間を作らないために、君が濃い繋がりを恐れているのは、知っているよ。家族を失い、悲しみから闇に堕ちた死柄木のように。でも、誰しも1人ではいられないのもわかるね」
「でも、大切な人達に、傷ついて欲しくないんです」
「私も君も自分の無力を、直視しなければいけない。人に守られなければならない事実を、呑み込まなければならない。だがそれを恥じることはないんだ。悪の標的になる者を守るのは危険だ。ことに正義の象徴ともなった私や君は。だからこそ、誰かが守ってくれるだろう。彼ではなくても誰かが仕事として、行うことになる。君は知らない他の人なら、危険を共に担ってもよいというのかね」
「そんなことは」
「冗談じゃねえ。他の奴にデクを守らせるなんてよ」
 黙ってられなくなり、勝己は割り込んだ。
 オールマイトは勝己に笑いかけた。頭に大きな手が乗せられる。
「爆豪少年は君を必要としている。君を守る力も、充分すぎるくらいある。ヒーローでなくても、人のためになれる道はあるよ。昔君にそう言ったことがあったね」
「はい、初めて会った時に」
「でも君はヒーローになった。素晴らしいことだよ。だが、誰しもいつかは、第二の道を選ばねばならない。私も君もね」
オールマイトはこれから、何をするつもりなんですか?」出久は尋ねた。
「私は世界中のヒーローが団結して、AFOのような巨悪に立ち向かう、架け橋になれればと思っているんだ。情報を共有し、国の垣根を越えて、協力体制を築きたい。そのために尽力しようと思ってる。死穢八斎會が君を助けたように、ヴィランは一枚岩ではない。個々の欲望に従い、各々個別の損得勘定で動く。ヴィランとはそういうものだ。一時的に協力関係を結んだとしても、絆は利己的で脆い。だが我々は悪に対して、一枚岩になることができる。私はそのために動くつもりだよ」
「凄いですね。オールマイト
「緑谷少年、君は違うだろう」
「それは…」と言いかけて、出久は言葉を継げなくなる。
「今回の一件もそうだね。君は目の前の、助けを求める誰かを、救わずにはいられない。遠くの目標を追うより、近くの誰かを救う。それが君の生き方だ」
「それは、そうかも知れないけど」
「君には共に歩もうという者がいる。彼は君を欲して、君を必要としているのだろう」
「あ?誰がそんなこと言ったよ!オールマイト
「違うのかい」
 勝己は舌打ちしてそっぽを向く。「あんたが言うなら、そういうことでもいい」
 彼にはお見通しなのだ。もう随分と昔から、見透かされていたのではないだろうか。そんな気がする。
「緑谷少年、君もいつも彼を気にせずにはいられない。ならばその意味するところは、わかっているのだろう。もう君たちは子供の頃のような、傷つけ方をしなくてよいのだと思うよ」
 オールマイトはそう言って笑った。痩せた身体でも昔と変わらない。見た人を勇気づける笑みだ。


epilogue Right Now


 ヒーロー活動を終えて帰宅し、勝己はリビングのドアを開けた。ソファに座って雑誌をめくってきた出久が、お帰りと言って顔を上げた。
「雄英の講師の口は断ってきたのか」と問うと、出久はうんと頷く。
「戻っていいって言われたけど、今の僕に学校で教えられることはないからね」
「じゃ、こっち来んだな。いいんじゃねえか。うちなら今のてめえでも、役に立つからよ」
 部屋着に着替えて出久の隣に座り、身体を引きよせて抱きしめる。ふわふわの髪に、唇で触れ、項にキスをする。出久は携帯の画像を勝己に示して見せた。
オールマイトから、写真付きのメールが来たよ。カリフォルニアから」
「ああ、一緒にいる奴は、見たことあるヒーローだな。アメリカの相棒か」
 出久は勝己と同居することになった。事務所にするつもりだった空き部屋は、出久の部屋になった。でも当然寝室は一緒だ。ベッドはダブルベッドに買い換えた。
 勝己はベストジーニストの事務所に戻った。出久が攫われた時に、ベストジーニストから、戻って来ないかと誘いを受けていたのだ。出久が日本に残ると決めたので、勝己は話を受けることにした。
 情報網の広さにしても、事務所の規模の大きさにしても、動かせる人員数にしても、頼りになることが身にしみたからだ。出久はいつまた、厄介な事態に陥らないとも限らない。いや、自分から考えなしに困難に飛び込んでいく間抜けなのだ。
 上に従わなきゃいけないのは癪に触るが、今の自分では出久を抱えるには力不足だ。いつか独立するとしても、力を付け、ネットワークを作ってからだ。
 出久の事情も伝えて、同じく事務所に勤めさせることにした。目の届くところに置いておくのが最善策だ。
「喜んで受け入れよう。お前のサイドキックとして。彼の知識は事務所の役に立つだろう」
 とベストジーニストは快諾してくれた。
 それに、確証が持てないから出久には言ってないが、あの時出久はおそらく個性を使ったのだろう。OFAの残滓は出久の中で、眠っているだけなのかも知れない。オールマイトも短い時間なら、今でもトゥルーフォームに戻れるのだ。
 いつか出久が、ヒーローに戻る日が来る可能性はある。
 そのためにも、事務所に属しておくのは悪いことじゃない。身体も鍛えさせて、ヒーローとしての感覚を研ぎ澄ましておくのだ。いつでも時が来たなら再起できるように。
「それにしても、お前が人のために動くとは意外だったな」
 ベストジーニストは感心したように言った。勝己は鼻を鳴らして答える。
「クソデクのためなんかじゃねえよ。まるっと全部、俺のためだ」


END


副題タイトルはヴァン・ヘイレンのライブアルバム「ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ」から

Dreams(夢)
Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)
Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)
Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)
Man on a Mission(任務を追う男)
Best of Both Worlds(好いとこ取り)
Right Now(今すぐ)

 

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魔法の言葉(R18版)

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prologue Dreams


 あれは出久だ
 中学生の時の冴えない出久だ
 おどおどして卑屈で、なのに反抗的で身の程知らずな幼馴染
 手を伸ばして、細い腕をつかむ。出久は振り返る。目を見開き驚きの表情を浮かべて。
 デク、デク。
 俺は声をかける。俺は何を言うつもりだ。
 ここからやり直すつもりなのか。やりなおせるのか。
 いや、だめだ。この頃はもう、てめえは俺に怯えてた。
 てめえがいつまでも、見えない鳥を追いかけていたから。
 無駄だとわかってるのに、追うのを諦めねえから。
 俺はいつも腹を立てて、てめえを追い詰めた。
 いつからだ。いつから。どこからだ。どこから間違えたんだ。
 俺に両肩を掴まれて、怯えながらも出久は俺を見上げる。


 何度も何度も見る夢だ。
 ずっと幼い頃から自問自答していた。
 なぜ出久だけが俺にとって特別なんだ。
 個性のない、ただの虫けらにすぎないのに。
 どうしようもなく求めているなんて。誰にも言えない。
 出久への気持ちなんて認められない、認めたくない。
 認めれば俺があいつの下になる。あいつの下になるなど耐えられない。
 認めればあいつに求められたくなる。思いを受け入れて欲しくなる。
 叶わなければ、あいつに何をするかわからない。
 俺がどうなるかわからない。
 あいつは容易く俺を壊すことができるのだ。
 弱みを握られるわけにはいけない。そんな存在があってはならない。
 あいつを俺より下だと思えば、意識しないでいられるに違いない。
 心の中から追い出せるに違いない。この苦しみから開放されるに違いない。
 何度も試みては果たせないけれども。
 気持ちを認めてどうなるというのだ。
 あいつは俺のものになるとでもいうのか。
 あいつも同じ気持ちになるとでもいうのか。
 手に入れることだけが安定を取り戻す方法なのに望めないんだ。行き止まりだ。
 囚われた気持ちは冷めることなく、永遠に続くだけなんだ。
 このままじゃいけないとわかってるのに。打開する術は見当たらない。


 細い肩を掴んで引き寄せ、正面から睨みつける。
 怖気付く瞳も、引けてる腰も、現実の出久そのままだ。
 これは夢だ。夢だから。
 今から本当のてめえには言えねえことを言う。
 てめえのせいだ。俺がこんなに苦しいのも、辛えのも。
 みんなみんなみんな、てめえのせいなんだ。


1. Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)


 書類の職業欄に、ヒーローと書けるようになってから随分経つ。
 勝己は座敷に上がると、ネクタイを緩めてポケットにしまった。コスチュームだけでなく正装まで必要だなんて、どうかしてる。
 今日、ヒーロー協会の全国集会が行われた。自由参加とはいえテレビカメラも入り、デモンストレーションも許可されており、各事務所にとっては宣伝の場でもある。しかし、ヒーロー活動の一環とはえいえ、面倒といえば面倒であるし、仕事を休むわけにもいかない。ということで、各事務所は勉強にもなると嘯き、若手を送り込んでいた。
 おかげで、遠方にもかかわらず、各地に散っていた雄英の同級生達が集結した。久しぶりだと盛り上がり、集会後は飲み会になだれ込むことになった。
「めんどくせえ。同窓会じゃあるまいしくだらねえ、帰る」と断ったが、上鳴が「緑谷がどうしてるか、聞きたくねえのか?」と釣ってきた。
 出久。名を聞くだけで、心にさざ波がたった。
「お前も知らねえんだろ。ヒーロー同士の交流少ねえもんな」
「てめえ、あのクソの行方知ってんのかよ」
「いや、俺は知んねえよ。あの事件以来、何処にいんのか全然わかんねえ」上鳴はふっと目を伏せた。「俺も気になってんだよ。でも今日は皆来てるしよ。中にはあいつの消息を知ってる奴も、いんじゃねえか?お前も知りてえだろ」
「あ?余計なお世話だ」
「もしかして、緑谷本人が来てるかもしんねえぞ!な、爆豪」
 でけえ声ではっきり言いやがって。黙れと念を込めて睨みつけた。
 飲み会の会場には、元クラスメイトがほぼ集まっていた。といってもたかだか20人だ。座敷に置かれた長い机に、全員収まっている。女どもは入り口近くに集まっていて、飯田や轟はその隣に座っている。よくつるんでいた奴らだ。いれば奴らの側にいるだろうが、やはり出久はいない。予想してはいたが。
「お前が来るなんて、珍しいな」轟が声をかけてきた。
「ああ?てめえこそ珍しいじゃねえか。結局親の事務所に入ったんだよなあ。親子で同じ事務所とか、仲良しかよ」
「仲良くはない。だが奴を否定せずに、近くにいて奴の器を測ることにした」
「は!知るかよ」
「ここに来れば、緑谷の消息がわかるかと思ったんだが」
 てめえもかよ。さらっと言いやがるところが忌々しい。
「爆豪、上鳴、こっちだ」
 瀬呂と切島が奥で手招きしている。奴らが陣取った場所に上鳴と向かった。切島が場所を空けて、座れと促す。
 飯田が立ち上がって、「まだ来てない者もいるが、時間だから始めよう」と言った。やはりあいつが幹事か。注文したビールが次々とテーブルに置かれ、リレー形式で手渡された。
「爆豪は緑谷の消息が、気になってんだとよ」
「誰がンなこと言った!死ねや!アホヅラ」
 勝手なことを言う上鳴の頭を叩く。頭を押さえて、ひでえと上鳴は呻いた。爆破しないだけありがたいと思え。
「緑谷か、知んねえなあ」瀬呂が答えた。「俺は同学年の奴らと事務所作ったから、情報弱者だぜ。大きい事務所に属してる奴のが、情報入んだろ。つーか爆豪、ベストジーニストんとこ行ったんだろ?卒業後にお前の勧誘来てたの、あそこだけだったもんな」
「あそこはすげえ大手じゃん。意外にインターンで気に入られたんだな。ま、俺もだけどな。その縁でファットガムのとこ行ったしよ」切島が言う。
「でも、こないだ辞めたって聞いたぜ?だよな、爆豪」どこから知ったのか、上鳴が口を挟む。
「うぜえ!余計なこと言ってんじゃねえ」
「はー?すげー事務所なのに、なんで辞めたんだよ。もったいねえな」
「くそっ!ほっとけよ」勝己はぐっと杯をあおる。「あそこは礼儀やらなにやら、うるっせえんだよ」
「ところでよ、知ってるか?緑谷のことだけどよ。」
 出久のことだと?隣のグループから聞こえる声に、耳をそばだてた。峰田だ。
「俺会ったんだぜ。ヴィラン連合との戦いで負傷してから、あいつ、所属していたヒーロー事務所も辞めて、行方がわからなかっただろ。実はよ、今雄英に戻ってんだぜ」
「はあ?馬鹿か!あいつも卒業してんだろうがよ!」
 我慢できず、勝己は怒鳴った。
「え、いや、いやいや、まさか生徒じゃねえよ。あいつ非常勤講師をしてんだとよ。俺が学校に行った時、たまたま会ったんだよ」
 いきなり話に入ってきた勝己に、峰田はしどろもどろになって、戸惑いつつも答える。
「何でてめえが、学校に行くんだ」
「在校生に進路の話して欲しいって、先生に頼まれたんだよ」
「ああ、俺も行ったことあるわ」
「爆豪呼ばれたことねえ?あー、お前は呼ばれねえか」
「うるせえ!」
「まあ、大抵は事務所を通じてくる話だしな」
「まだベストジーニストんとこにいれば、お前も呼ばれたんじゃねえか」
「クソが!」
 ベストジーニストの事務所からは、先月独立したばかりだ。元々上から押さえつけられるのは苦手だったし。仕事を選べねえのも気に食わなかった。はなっから仕事の仕方を覚えたら、独立するつもりだった。
 自分一人しかいないのに、名ばかりの個人事務所を開設したのは、とりあえず税金対策だ。みみっちいと言われようと、賢く立ち回るべきだろう。マンションの1室である自宅の一部を、リフォームしただけだしな
 交通機関がまだあるうちにと、早めに飲み会はお開きになった。家が近い奴らは、二次会になだれ込むらしい。
 一人になり、勝己は夜空を仰いだ。ネオンや街灯の灯りで星はかき消されている。
 雄英の奴らに会うと、一気に学生の頃の空気になるのが、妙にこそばゆい。懐かしいというほどの年月は経っていないが、たまにはいい。
 それに、収穫はあった。出久は雄英にいるのか。
 考えてみれば、あいつのことだ。一時的に身を眩ましたとしても、雄英にいるオールマイトから、そんなに長く離れたりしねえよな。しかし、そんな近くにいたというのに、偶然でも町でばったり会ったりしねえのかよ。
 まあいい、確認のために、明日にでも雄英に行ってみるか。別にあいつがどうってわけじゃなく、卒業生が学校訪問するだけの話だ。クソが。
 つらつら考えつつ、繁華街をぶらぶらと歩いた。ホテルには到着時にもうチェックインしてるし、まだ戻るつもりはない。しかし、まだ宵の口だから人通りが多いな。酔っ払いもふらついている。
 誰かと肩がぶつかり、ムカついて振り返った。
 視線を向けた先に、一瞬、見慣れたふわふわ頭が目の端に入る。
 なに?
 勝己は目を向けた。しかしその前に人並みに紛れて、見えなくなった。
 まさか、出久か。
 あいつのことを考えていたから、見た気がしただけか。
 いや、俺があいつを見間違えるはずがねえ。勝己は急いで引き返し、姿を見かけた通りを曲がって追いかけた。
 やはりいた。
 俯いてひょろひょろ歩いている黒髪の癖っ毛。間違いねえ。間抜け面で身の程知らずで、いつも心をかき乱す幼馴染。
「てめえ、クソデクか!」
 ビクリと震えて、人影は振り向いた。このやろう。でけえ目を丸くして、吃驚した顔しやがって。
「かっちゃん?なんでここに」
「てめえこそ!なんだてめえはよ。んっとにてめえ、ざけんじゃねえ」
 思いがけない再会に、罵倒の言葉も出ない。
「あ、そうか、君もヒーロー集会に来てたんだね」
「クソが。てめえも居たのか」
「いや、僕は」
 へらっと伺うように笑う顔に、さらに腹が立った。てめえ、マジふざけんなよ、この野郎。消息不明だったくせに、まるでこの1年の空白を忘れたかのように、へらへらしやがって。
「てめえ、何してんだ、こんなとこで」
「実は、鞄をなくしちゃって…」出久はもごもごと答える。「財布も携帯電話も入ってたから、ずっと探してて」
「相変わらずボケてんな、てめえは。いつなくしたんだ」
「ヒーロー集会の中継を、あのビルの大型ビジョンで見てたんだ」と出久はCMの流れるビルの壁面を指さす。「鞄は足元に置いてたんだけど、中継終わって気がついたらなくて」
「あ?置き引きじゃねえのか、てめえそれでも…」ヒーローか、と続けようとして、言葉を飲みこんだ。「しょうがねえな、クソが」」
 ふたりで散々通りを探したが、結局鞄は見つからなかった。誰かに拾われたか、盗まれたのだろうという結論に至り、警察に届けを出させた。
 出久は昼から何も食べてないと言うので、飯を食わせてやることにした。今から食える場所は24時間のファミレスくらいだ。もじもじしてやがるから、勝手にカツ丼を頼んでやった。
「ありがとう、かっちゃん。ご飯まで奢ってもらって」
 食事を終えて、心底ホッとした表情で出久は言った。
「泊まるとこはあんのか?」
「ううん、日帰りで帰るつもりだったから」
「クソが。間抜けなてめえに金貸してやってもいいが、もう電車ねえだろうが」
「そうだね、始発で帰るしかないね」
「仕方ねえ、俺と来いや」
「え?かっちゃん、どこに?」
 有無を言わさず、予約していたホテルに連れ込んだ。部屋は十分広いが、一人で宿泊する予定だったから、クイーンサイズとはいえベッドはひとつだ。
「ここ、一人部屋だよね。悪いよ」と出久は頑なに遠慮したが、グズグズすんなと部屋に蹴り入れた。
「文句言うな。こんな遅い時間に、アポ無しで入れるホテルなんてねえわ。せいぜいラブホくらいだぜ、クソが」
「そんな、文句なんてあるわけないじゃないか。いいの?本当、ありがとう。かっちゃん」おずおずと出久はソファに座った。「僕、ここで寝かせてもらうね」
 勝己は先にシャワーを浴びて、持ってきた部屋着に着替え、出久には備え付けの浴衣を渡した。ソファに座り、缶ビールを袋から取り出す。通りすがりにコンビニで買ってきたものだ。シャワー室から出てきた出久にサワーを放った。こいつが甘めの酒を好むのは知ってる。
「アルコールが入ってるが、飲めるよな」
「うん、ありがとう」
 出久は缶の蓋を開けて口をつけた。勝己は出久の上下する喉仏をじっと見つめる。
 てめえ何で、何も言わないで消えた、と言おうとしてやめる。わざわざ自分に言う理由はないのだ。げんに峰田の野郎は知っていた。偶然とはいえ。
「久しぶり、だよね」出久は呟くように口を開いた。
「ああ、てめえ何処にいた」
ヴィラン連合の残党が、追跡してくるかも知れないからって、暫く安全なところに身を隠してたんだよ。僕はもうOFAを使い果たしてしまったから」出久の声が沈んだ。
「OFAは誰かに継がせたのか」
「うん。覚えてるかな。翔太くん」
「ああ、林間学校の時のマセガキか」
「うん、彼はきっといいヒーローになる」
 本当は、と出久は続ける。「彼には渡したくなかったよ。彼はヒーローだったご両親を亡くしてるし、継承者になればヴィランに狙われて危険なんだと、彼自身が身をもってわかってたから。でも彼は良いと言ってくれた。連合との戦いの前に譲渡しなければ、OFAが僕で途絶えてしまう可能性があった。迷う余裕はなかった」
 出久はサワーをあおる。その右腕には以前にはなかった白い縫い目が走っている。ズタズタになった腕を縫い合わせた痕跡。
「幸い生き延びられたけど。皆のおかげだよ」
「は!マジで運でしかねえわ。実力だと勘違いしてんじゃねえぞ」
 きついなあ君は、と出久は苦笑した。
 出久の身体に残る傷跡が物語る、ヴィラン連合との死闘。通信を遮断された街一つを焦土にして、ヒーローにも民間人にも死傷者を多数出した事件。
 だが、自分はその場にいなかった。
「てめえ、集会の情報を聞いてやってきたんだろう。雄英のやつら来てたぜ。てめえは会ってかなくていいのかよ」
「うん、僕はヒーロー活動で来たんじゃないから」
「じゃ、てめえはなんで来た。非常勤講師の仕事じゃねえよな」
「え?かっちゃん知ってたの?」
「雄英の非常勤講師になったのは、オールマイトがいるからなんだろう。なんで隠してた」
「隠してたわけじゃないけど…」
 隠してやがったんだろうが。飯田達にも言ってねえんだから。言い訳がましいんだよ、てめえは。無力なくせに、何ができる。
 何もできないならば、自分の近くにいるべきだ、と思ったが口には出せなかった。
 空調の音が響く。缶の表面から雫がぽたりと流れ落ちる。
「てめえは、経験あるのか」
 ちょっと酔いが回ったせいか、口が滑った。気になってしょうがなかったことだ。
「え?ええ?なに?なんの経験?かっちゃん」
「誰かと体の関係になったこと、あんのかって聞いてんだ」
「え…直球だなあ」
 出久は誰とも、付き合うつもりはないと言っていた。その言葉通り、浮いた話は聞いたことがない。だがもし、あるなんて抜かしやがったら。
 自制が効かないかもしれねえ。
「…ないよ。そんな暇はなかったから」
「は!童貞かよ」ほっとして笑う。そうか、まだこいつの身体を知ってる奴は、誰もいないわけだ。
「そうだよ!機会もないし、付き合ったりしたら、相手を危険に巻き込んでしまうから」
「一晩だけの付き合いだって、あんだろが」
 出久は真っ赤になって首をぶんぶんと振った。
「そんなの、無理無理!付き合うつもりもないのにそんなこと、できないよ」
 初心な奴だ。てめえには到底無理だろうな。童貞ならなおさら、考えつきもしないだろう。奥手なだけのくせして、ご大層な大義名分をつけてやがって。
「でもこれからは、余裕ができるかもね」
「は!てめえが?」聞き捨てならねえ。譲渡したら交際も解禁ってか。うかうかしてらんねえ。出久が知らねえだけで、こいつを狙ってる奴は少なくねえんだ。
「いや、ダメかもね」
「あ?なんでだ。もうOFAはてめえん中にねえんだろ」
 即座に否定するのか。他にも否定する理由があるのか。
「OFAの元の持ち主も身内も、ヴィランに狙われるんだよ。危険に巻き込むわけにはいかないよ。死柄木みたいに、人生を狂わせてしまうかもしれない」
 死柄木。あいつの祖母は、オールマイトの師匠だという話だった。詳しくは知らねえが、一家を皆殺しにされたと聞く。OFAの持ち主はAFOに狙われる。家族までも。
 あの事件の後、死柄木は収監され、ヴィラン連合は壊滅した。だが、AFOは脱獄して行方をくらましている。
「大切な人を、そんな危険に遭わせるわけにはいかないよ」
 個性を失ってなお、OFAに縛られてやがるのか、てめえは。
「はっ!付き合う奴がヴィランより強けりゃ、いいんじゃねえか」
「そっか。そうだね」
 勝己に合わせつつ、からからと出久は笑う。てめえは全然そう思ってねえんだろう。丸わかりだ。
「かっちゃんは、経験ある、よね?もちろん」
「ああ?」
「あ、ごめん、君と恋バナしてるなんて、なんか意外すぎて」
「寄って来る女に事欠かねえよ、ばあか」
 めんどくせえから付き合ったりしねえがな、と心で付け加える。時間の無駄としか思えねえからな。すぐに恋人面しやがって鬱陶しいし、構わないと文句を言う。そこが良いという、上鳴達の気が知れねえ。ましてや同棲してる奴らなんて、もっとわかんねえ。他人が部屋にいるなんて、邪魔で落ち着かねえわ。1人のほうが気楽だろうがよ。
 だが、てめえもちっとは興味があるのか?
「知りてえのかよ。デク」
「あ、答えたくなかったらいいよ。色々あるよね」
 何を思って、色々とか言ってやがるのだろう。
「俺がどんくれえ経験あんのか、てめえで確認しろや」
 勝己は出久の側に移動し、身体を寄せて隣に座った。腕を掴んで顔を近づける。酒が入ったからなのか、恋バナもどきなんかしてる、雰囲気のせいなのか。
 喉から手が出そうなほど求めていたものが、容易く手に入りそうな予感。
「かっちゃん?」
 声も身体も。こいつの存在全てが今なお情欲を煽る。にじり寄って抱きしめた。首元に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、首筋にキスをして舐め上げる。出久は抵抗しない。そのまま出久をソファに押し倒し、見下ろしながら、自分のシャツを脱ぐ。
「ええと、引き締まってるね、かっちゃんの身体」
「てめえな、黙れや」
 出久の顎を掴み、唇を押し当ててキスをする。唇を舌で割り、口内に差し入れる。深いキスを交わしながら、出久の浴衣の帯を解く。
「なんか気持ちいい。キス、上手だね、かっちゃん」出久は呼吸を整えながら、顔を赤くして言う。
 浴衣の合わせ目から手を差し込み、肌に触れる。
「ん…、そこ、乳首だけど、ぺったんこだよ」
「うるせえ」
 興を削ぐようなことを言う唇を塞ぐ。舌を絡めとってはすり合わせる。ズボンの前が膨らみ、待ち望んだ獲物を前にはちきれそうだ。
 キスを交わしながら、ズボンを脱いだ。欲望がぶるんと姿を現す。キスをしながら、出久の股に下着ごしに触れる。固い。少し勃ち上がっているようだ。出久が勝己の手を押えて、熱を帯びた目で見上げて首を振る。阿呆か、今更止まれるわけねえだろうが。
「キスに感じてんじゃねえかよ、てめえ」
 デクの浴衣をはだけて、下着の中に手を忍ばせ、陰茎に指を沿わせる。
「わ、かっちゃん、そんなところ」
 余計なことを言う前に、再び口を塞ぎ、下着を脱がす。着物は脱がし易くていい。簡単に全裸にできる。脱がせた浴衣はソファに敷き、その上に横たわり、身体を重ねてキスを交わす。擦れ合う肌。押し付けあう局部。熱が身体に灯り、燃えるようだ。
 下肢の間に腕を伸ばし、出久の性器に指を絡ませる。人差し指と親指で輪を作り、上下に扱く。竿の皮膚が縒れて、芯が固くなってくる。完全に勃たせた。出久の呼吸が乱れて喘ぎ声が漏れる。首筋に唇を這わせる。キスをして、肌に跡をつける。
「触ってみろや」
 出久の手を取り、自分のペニスに触れさせる。出久はおそるおそる先端を撫でて、幹をなぞる。
「かっちゃんのおっきいね。勃起してるの初めて見た」
「俺がしたみてえに、擦ってみろや」
 出久は促されるままに、指を滑らせて勝己のペニスを擦りあげる。出久が自分のものを摩っている。堪らない。だが、遠慮がちなのがもどかしい。
「そんな擦り方でいけるかよ」
 出久の手をどかして、出久と自分のものと束ねて握った。くっつけて一緒に擦り始める。
「あ、あ、もう、出る、あ、かっちゃ…」
 出久は悶えた。手の中でビクビクと震え、出久のものが白濁を垂らす。
はええな、てめえ」
「ごめん、出るって言ったのに」
 ティッシュで拭き取って、見つめる。自分の手で出久のものを屹立させ、いかせたことに興奮する。だが、まだこれからだ。指を舐めて手を出久の尻に回し、揉みながら、窄まりを指で掠める。びくっと出久が反応したので、キスをして口を塞いだ。するりと指を入れて、円を描くように動かして解す。このあたりのはずだ。指をぐっと第二関節まで入れて、指を曲げて探る。
「ああ!なに、今の」
 出久の身体がはねた。
「当たりか。ここがてめえの前立腺だろ。どうだ、気持ちいいかよ」
 ん、ん、と悶えるのが堪らない。再び勃起したところで、扱いて、抜いてやる。
「またいきやがって。やらしい身体してんな」
 てめえの出したもんだぜ、と掌を見せると、やめてよ、とデクは羞恥で顔を隠した。拭き取った紙を屑篭に投げ捨てる。
 脱力した出久の脚を肩に抱えあげた。窄まりが眼前に晒される。自分が触れるまで、誰も触れたことのなかった秘所だ。買い物袋を探り、ローションのボトルを取り出す。酒と一緒にこっそり買ったものだ。痛さで嫌がられんのは困るからな。ローションを窄まりに塗りこんで丁寧に解す。自分のペニスにもローションを塗って、出久の後孔に押し付ける。
「いくぞ、クソデク」
 ぐっと突き上げると、吸い込まれるように、スムーズにぬるりと沈んだ。あうっと出久は呻く。腰を振り、ゆるゆると貫いてゆく。締め付けが気持ちいい。勝己の猛った雄を呑み込んで、窄まりがひくりと震える。出久の手はシーツを泳ぐように掻き、声を押さえて、勝己の挿入に耐えている。
「どうだ、デク」
「中から内臓を押されるみたいだ。あ、ん」
 男と身体を繋ぐのは骨が折れる。本来性交に使う器官ではないのだから。初めてというなら尚更辛いだろう。だがやめられやしない。
 肌、体温、命の確かな感触。てめえはここにいる。髪に手を差し入れて、後頭部を掴んで引き寄せ、口付ける。吐息を貪る。性器を括れの際まで引き抜き、突き入れる。深く入れては引き抜き、再び穿っては貫く。
 締め付けが緩まるときに突き入ると楽に入る。コツを掴み、次第にスムーズに動けるようになってきた。
「あ、あふ、かっちゃん」
「入っちまうもんだな。てめえん中に根元まで収まっちまったぜ」
 肩からデクの足を下ろして、体を繋げたまま、両足を揃えて横に倒した。中をぐるりと抉られてデクは「ああ!」と声を上げ、苦悶の表情を浮かべる。
 ちときつかったかも知れねえが、これから快感を引き出してやる。気持ちいいと思わせねえと意味がねえ。
 激しく求めそうになる心を堪え、出久の身体をくの字に曲げて、勝己は浅い箇所をぬちぬちと様子を見ながら、小刻みに動かす。同時に亀頭を摘んで擦ってやる。指に挟んだ肉が芯を持ち、硬くなってきた。はっはっと短く呼吸する息遣いが甘い。感じているのを隠そうとしている。もどかしい。
「感じてんだろ。声、出せよな」
 汗ばんで頬に張り付いた出久の髪を梳く。勝己はニヤリと笑みを浮かべる。デクの中を行き来する己の欲望。いい光景だ。堪らねえ。
 スピードを上げるとデクは喘ぎ、シーツを爪で引っ掻いて悶える。やっと手に入れたという征服感と安堵が胸に満ちてゆく。腰が次第に熱くなってきた。射精の兆し。中に出そうか迷ったが、初めてなのだからやめておくか。性器に向かって熱の塊が走る。ギリギリで引き抜いて、出久の身体を仰向けに返した。亀頭を出久の腹に先を押し付け射精する。
 静かな部屋に、2人分の荒い息遣いが満ちる。全力疾走したみたいだ。掌を出久の胸に当てる。早鐘を打つような心臓の鼓動。
 出久は生きている。この掌の下で。死にかけたとは思えないくらい、心臓は激しく脈打っている。
 だがこの身体の中には、もうOFAは宿っていない。
 出久はヴィラン連合との戦いで、個性を使い果たしたのだ。


2. Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)


 出久が瀕死の重症を負ったというニュースが届き、勝己は病院に駆けつけた。
 既にプロヒーローとなって、数年経っていた。「デク」の名はオールマイト後継とまではいかないとしても、若手ヒーローの中では抜きんでて有名になりつつあった。無論、ヴィラン達にも。
 集中治療室のドアの前には、雄英の頃の同級生一堂が集まっていた。
 途中からヒーロー科に編入した、元B組の奴もいる。眠そうな顔をした、心操とかいう奴だ。あいつが敵を洗脳して、出久が呼び出された街を突き止めたという。
 丸ごと人質に取られた街。一刻を争う事態で、出久は連絡する術がなかったという。だが、単身敵地に飛び込むなんて、馬鹿のすることだ。急遽集められたヒーローが駆けつけなければ、どうなっていたことか。
 硝子の向こうの部屋に、寝かされている肢体が目に飛び込んだ。腕から足からコードが何本も伸び、顔には人工呼吸器をつけられている。肌の色は幽鬼のように白く、生気がない。
 あのクソバカが!勝己は硝子を叩いた。
「同じ現場にいたんだ」飯田がポツリと呟いた。「いつも彼は1番危険な所に飛び込んでいくけど、笑って帰ってくる。だから大丈夫だと思ったんだ」
「飯田、自分を責めんな。現場には俺もいたんだ。止めなかったのは俺も同じだ」轟は苦悶の滲む声音で言った。
「誰も止められないよ。デクくんが助けたいというなら。いつも助けてしまうんだもの。今回だって、大丈夫だって思っていたんやもん」麗日は泣きはらした顔をしている。
 クソが。てめえらはデクを過信してたんだ。あいつはただの身の程知らずなんだ。勝己は歯噛みした。俺はこんな馬鹿のために、泣いてなんかやらねえ。泣けるもんかよ。頭にきて涙なんか一滴も出ねえわ。
 だが、一番腹が立つのは、出久の危機をニュースで聞くまで、まるで知りもしなかった自分だ。
 出久は死ぬのか。また俺の知らねえところで戦っていたのか。いつもいつもそうだ。
 こんなことになるのなら、側に置いて見張っているべきだった。自分にその権利はないとしても関係ない。できるものなら、閉じ込めておくべきだった。
 頭を硝子に押し付ける。ひやりと固く冷たい、出久との間を隔てる硝子の壁。
 幼い頃からいつも、心のど真ん中を占めていた出久。
 自制心を失わせ、感情を揺さぶり、年が経つごとに存在感を増していった出久。
 高校を卒業するまで同じクラスで、目について目障りだった。目に入らないところに行けば、やっと俺は自分を取り戻せるのだと思っていた。心を占める邪魔者がいなくなれば、自由になれるのだと思っていた。けれども違った。側にいなくても、出久は図々しく心に居座った。
 出久を失ったら、心のど真ん中に穴が開くだけだ。虚は虚のままなのだ。この虚を埋めるものは、出久のほかにないのだ。
 手の届く側から離れるべきじゃなかった。
 ようやくわかったのに。なのに失われようとしている。距離を置いてしまったが故に、俺は間に合わなかった。 
 一生この虚を抱えたままでいろというのか。
「てめえ死ぬとか、ふざけんなよ!」
 低い声で呟く。再び硝子を叩く。爆豪くん、と背後で誰かが呼ぶ。
「クソが。殴りゃあ、起きんじゃねえのか、開けろや、ぶん殴ってやる」
 治療はもう終わってんだろ。もう待つしかねえんだろ。まだ中に入れないねえのか。
 皆が見守る中、集中治療室の扉が開いた。相澤先生と警官に連れられて、一人の男が入ってきた。短髪黒髪の痩せた男だ。
「ヤクザのなんとかって奴に似てねえか?」誰かがボソッと言った。
「あいつ、緑谷と戦った、死穢八斎會のオーバーホールじゃねえか!マスク付けてねえけど間違いねえ!」切島が叫んだ。
「おいマジか?」「刑務所にいんじゃねえのかよ」同級生の奴らが、我先に硝子の前に押し寄せ、不安げに騒ついた。
ヴィランじゃねえか!」勝己は怒鳴った。「なんであんな奴を中に入れるんだ」
 表情はマスクでわからないが、医師達もひそひそと囁きあって、不安がっているようだ。
 問われる前に、男は自ら口を開いた。
「壊里に頼まれたんだ。俺の腕は壊里に巻き戻させた」
 男は手錠で拘束された腕を上げて示した。
「この手で、俺がこいつを治してやるよ」
 医師達は信じていいのか問うように、相澤先生に視線を向けた。先生は頷いた。
「こいつの個性は治療だ。何かを破壊するような力はない」
「この手があれば、どんなに怪我でも治癒できる」男は掌を広げて言った。「壊里は完全には個性を制御できない。だから死に損ないのそいつに、巻き戻す個性は危険すぎて使えない。壊里に言われたさ。俺の身体の保証はできないが、俺を巻き戻すから、そいつを治してやってほしいとな。もし巻き戻しが止まらなくなったら、自分を壊していいとまで言ってな。全くいい女になったもんだぜ」
「わかってるな。腕を得ても、お前は逃げられないぞ」相澤先生が言った。「おかしなことをしたら止める」
「逃げねえよ。お前たちと取引したからな。俺は治った腕で親父を治させてくれるなら、他に望むことはないさ。それで貸し借りはなしだ」男は言った。
「ああ、約束しよう」
「それに、死柄木の野郎を喜ばせるのは、癪に障ってしょうがねえ。奴は大嫌いだ。だがデクと言ったか、こいつのことは認めてる。やりあった仲だしな」
 男の手が出久の額に置かれた。「じゃあ、やるぜ」
 男が目を瞑り、俯いた。暫くして、出久の身体がぴくりと震え、痙攣を始めた。
「おい!」と勝己は硝子を叩いた。クラスの奴らも背後でざわめいた。
 くそっ!びくともしねえ。壊してやろうか。いや、硝子を爆破したら追い出される。自分の自制心が忌々しい。
「慌てんな」と言い、男が硝子を隔てた勝己たちに視線を移した。
 暫くして、包帯で隠しきれてない出久の傷が、引いていくのが見えた。
「マジで治っていってるぜ。あいつ、ヴィランのくせに、ほんとに治しやがった」切島が感心したように言った。
 出久は咳き込んで、首を振った。マスクが剥がれた。深い呼吸を繰り返して薄目を開けた。硝子の向こうから、自分たちを認めたように、まっすぐな視線を寄越した。ぎこちなく薄く笑った。
 クソが。あの野郎、無理に笑顔を作ってやがる。安堵したと同時に、腹が立った。
「仕事は終わった。親父のいる病院に連れてってくれ」男は言った。
「ああ」と相澤先生は頷いた。「嬉しくはないかもしれんが、礼を言う」
「ふん、皮肉にしか聞こえねえな。約束は守れよ」
 男は相澤先生に連れられて、病室を出て行った。
 出久は回復した。だが個性は失われた。
 正確には個性を出せるほど、身体が持たなくなったということだろうか。
 暫くして出久は退院した。だが、誰とも連絡を取ることもなく、集まりにも顔を出さなくなった。いつの間にか事務所も辞めていて、誰にも何も言わずに姿を消し、音信不通になった。

「僕はてっきり、君に嫌われてると思ってたんだ」
 重ねた身体の下で、出久はぽつりと言った。
「はっ!何寝言言ってんだ、クソが。てめえのこたあ、気に食わねえよ」
「え、でもこういうこと、嫌いな相手とはしないよね?」
「丁度いいとこに、てめえがいただけだ」
「そういうものなの?オトナだなあ、かっちゃん」
 くそっ何言ってんだ俺は。納得すんなよ。クソデク。何も思ってなくて、てめえを抱けるかよ。
 勝己は出久の髪をくしゃっと掴み、荒っぽくキスをした。起き上がり、ソファの下に落とした衣服を拾う。
 出久は身体を起こし、浴衣を羽織って不格好に帯を締めなおす。
「一晩限りの関係なんて、僕は今まで理解できなかったけど、成り行きでこうなることあるんだね」
「はあ?」
 一晩?何言ってんだこいつは。
「付き合ってなくても、経験はあるって言ってたけど、そういうことなんだね。」
「はあああ?」
「ご、ごめん、ぼくが言うなって感じだよね。なんか、凄かったよ。人のもの触るのも触られるのも初めてだったし。君の身体が中に入ってくるなんて、強烈な体験だったけど。忘れられるかな。でも、忘れるよ。次会ったときは、普通にできるように頑張るよ」
 出久は早口でベラベラとまくし立てる。ムカついてきた。
 てめえ、ざけんなよ。勝手に解釈してんじゃねえよ。んな器用にやれっかよ。経験なんざほとんどねえわ。てめえにんなこと言えっかよ。見栄をはっただけだ。
 いや、問題はそこじゃねえ。
 こいつは一晩限りで、終わらせようとしてやがる。そういう話はしてたけどよ。てめえに勧めたわけじゃねえぞ。つい今まで俺に抱かれてたくせに、もう思い出みたいな口調で語りやがって。それとも、初めからそのつもりで受け入れたんかよ、出久のくせにてめえ。そうはさせるかよ。
「おいデク!てめえは」
 どういうつもりで、と問いただそうとしたところで、出久が口を開いた。
オールマイトアメリカに行くんだよ」
「あ?ああ、そうかよ」
 出鼻をくじかれる。なるほど。ヒーローの本場だ。昔オールマイトが敵の手を逃れて、暫く住んでいたと聞いた。かの地での活躍が、オールマイトを世界的に有名にしたと言える。
「それでね、僕もオールマイトと一緒に、アメリカに行くんだ。そのために英会話の勉強もしていたんだ」
「はあ?なんだと?」驚いて聞き返した。出久も以前のオールマイトと同じように、逃亡するというのか。
「そんでてめえ、いつ日本に戻んだよ」
「何年いることになるか、決まってないって。もう定住することになるかも知れない」
「てめえも一緒に、かよ」
「うん、僕もだよ。一ヶ月後にもう日本を出るから、それまでに部屋を引き払わなきゃいけないんだ。手続きはもう済んでる」
「はあ?すぐじゃねえか」
「うん。そうなんだ」出久は曖昧な笑みを浮かべた。「でも、行く前に君に会えてよかった」
 何を言いやがる。ふつふつと怒りがわいてくる。ふざけんなよてめえ。やっと会えたんだ。やっと抱いたんだ。やっと手に入れたんだ。これからじゃねえのかよ。クソが!クソが!
「おい、クソデク!」
 うかうかしてはいられない。ほんの1カ月後には、出久はアメリカに行っちまう。
「な、なに?かっちゃん」
「今回の件の見返りを寄越せよ」
「えええ?見返り?」
「そうだ!文無しのてめえに飯を食わせて、ホテルにまで泊めてやった上に、明日帰る電車賃まで、出してやるわけだからよ」
 顔を寄せて迫った。やっと捕まえたのに、逃してたまるかよ。たった一ヶ月という期限だとしても、ここで手離すわけにはいかない。
「そ、そうだね。ありがとうございます。かっちゃん。あの、僕は何をすればいい?」
「てめえがアメリカに行くまでの時間、全部俺に寄越せ!」
「えええ?」
 一晩限りでこれっきりとかぜってーねえわ。アメリカに行く前に、てめえとしてえことを、全部やりきってやる。
 この時、先のことなど何も考えてはいなかった。とにかく今、なんとかしなければと思ったのだ。

 翌日、勝己は出久と一緒に帰途に着いた。だが、住居兼事務所の自宅には戻らずに、そのまま出久の住処に押しかけた。
「学校側が、セキュリティがしっかりしてないといけないって、住むところを提供してくれたんだ。家具つきだから引っ越しも楽だったよ」
 雄英の敷地の側にあるが、門からは離れてる。白壁の意外と立派なマンションだ。
「寮もそうだったな。セメントスが作ったんじゃねえのか」
「あ、そうかもね。他にも学校関係の人が住んでるよ。空き部屋もあるから、時々先生が泊まったりしてるよ」
 勝己は出久の手からキーを取り上げてドアを開け、出久が入ると後ろ手に鍵をかけた。反転して出久をドアに押し付ける。
「いたた!かっちゃん?」
「てめえの時間、全部寄越すっつったよなあ、デク」
 出久の尻を剥き出しにして、自分のズボンの前を寛げた。その場で後ろから挿入する。征服したばかりの身体は、二度目の侵入をやすやすと許した。強く突き上げると、出久は、はあっと喘いで振り向いた。
「ああ、かっちゃん、待って」
「止められっか、クソが。てめえも協力しろや」
 こいつの家で、今やることに意味があるんだ。もう一時の気の迷いなどとは、言わせない。
 布が邪魔になって、出久の脚を大きく開けない。先端はするっと入っちまったが、これ以上深くは入れられないか。一旦雁首を引き抜き、対面姿勢になって、出久のズボンを引き下ろした。
「ちょっ、かっちゃん」と狼狽える出久の背中をドアに押し付ける。「首に捕まれや」と言い、太腿を持ち上げて膝裏から腕を入れ、尻を抱えて抱き上げた。脚がつかなくなり、不安定になった出久は慌てて肩に腕を回し、脚を勝己の腰に巻きつける。再度窄まりに熱を押し当て、下から突き上げる。
 出久は「ああ!」と悲鳴をあげた。先端がきゅうっと締め付けられる。出久の自重で、揺さぶるほどに食い込み、括れから肉茎と締め付けが移動する。深く暖かい内壁の中に沈めてゆく。
 尻を掴んで小刻みに揺さぶるうちに、感じ始めたのか、出久は押し殺した喘ぎ声をもらす。尻を持ち上げて、浅いところを刺激する。
「そこ、やだ、おかしくなる」
 腹に触れている、デクの性器が固くなってきた。上衣も着たままで玄関先でやるなんて、盛った動物のようだ。だが、部屋に入った途端に、待てなくなった。
 服を脱がす時間すら惜しくて、ベッドまでの距離すら長く感じた。理性も感情も吹っ飛んで、本能だけに支配されたようだ。こんなにも飢えていたのか。
「デク、口開けろや」と言い、唇を合わせて深くキスをする。口腔を探り、舐めて吸い、同時に尻を持ち上げては突き上げる。貪りつくす。
 ドクリと奔流がペニスの中に押しよせ、繋げられた身体に出口を求めた。腰を引き寄せ、強く突き上げ、出久の首元に顔を伏せて唸る。絶頂が訪れた。
「あ、かっちゃん」
「ふは、ああ、悪いかよ」引き抜いてから出そうなんて、微塵も思わなかった。息が上がる。
「いったんだ。中が濡れたみたい」出久がぼうっとした声で呟く。
「ああ?うるせえ」
「抜いたら、溢れちゃうよ」
「てめえ、煽んな、バカ」
 勝己は出久の耳をかりっと甘噛みした。


3.Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)


 カーテンの隙間から、日差しが細く指している。光はゆらゆらと移動し、隣に寝ている出久の髪を照らす。狭いベッドの中で、お互いの裸の肌が触れ合う。
 肩から腰まで、滑らかなラインを撫でる。胸に指を滑らせ平らな乳首を摩り、腹筋の割れ目を辿り、下腹の繁みの下の性器を弄ぶ。
 尻を撫でて抱きしめて、脚を挟み込み、双丘の間に勝己の性器を押し付ける。すん、と頸の匂いを嗅ぐ。
 俺のもんだ。ひとつに融け合うような感覚は、出久としか味わえやしない。
 小さく声を上げて身じろぎすると、出久は首を傾けて振り向いた。
「かっちゃん、もう朝だよ」
「やっと起きたんかよ。もう9時だわ、クソが」
「僕、そのまま寝ちゃったの?今日が休みでよかった。裸のままで寝るなんて初めてだ」
「やってから、そのまま寝るのも、だろうが」と揶揄う。「わわ」と出久は真っ赤になって、ベッドからそそくさと立ち上がった。
「かっちゃん、シャワー先に浴びていいよ。近くにご飯食べに行く?」
「食いもん、なんかねえのかよ」
「冷蔵庫の中何もないんだ。引っ越しするし。物減らさないといけないから」
「はあ?引っ越すつっても、あとひと月もあんだろーが!」勝己は起き上がって、出久の腕を掴んだ。「よし、買い物に行くぞ、クソデク」
 ふたりは近所のスーパーに連れ立って入った。弁当を手に取ろうとする出久の手を「いらねえ」と言ってはたく。卵やら玉ねぎやら、調理の必要な食材を籠いっぱいに放り込み、調味料も入れてレジに向かう。
「かっちゃんが作るの?」
「なに抜かしやがる。誰がてめえなんぞに作ってやるか!てめえも手伝うんだ、クソが」
「ええ!僕料理できないよ」
「飯の作り方くらい覚えろよ。アメリカで外食ばっかするつもりかよ」
 自分で言ったアメリカ、という言葉がちくんと胸を刺す。
「あ、そうか。うんそうだよね。何すればいいかな、かっちゃん」
「とりあえず、ご飯くらい炊けるよな」
「うん、もちろん出来るよ」
 そう答えたくせに、家に帰って準備を始めると、炊飯器を前にして出久は「あれ?どっちの目盛りに合わせればいい?」とまごついている。
「無洗米だからこっちだ」
「研がなくていいの?」
「ざっと1回洗えば十分だ。てめえ、全く自炊したことねえのかよ」
「うう、恥ずかしながら」
「それでよくもまあ、もちろんとか言えたもんだぜ。俺がやった方が早いが、猫の手でもマシだ」
 炊飯の後は味噌汁を作らせることにしたが、出久の手つきはおぼつかない。測った味噌を、そのまま汁に入れようとしたのが目に入り、といてから入れろと怒鳴る。
 台所にふたり並んで炊事しているなんて。まるで合宿の時のようだ。あの時はクラスの奴らも一緒だったが。
 もしも、このままてめえが日本にいて、一緒に住むのなら、どっちも働いてんだから、作るのは交互だろ。飯の一つも作れなきゃな。
 もしもだけどよ。
 ご飯に味噌汁に卵焼きに、お浸しにサラダ。いつもより時間がかかったが、まあいい、出久にしちゃ上出来だ。
 朝食の皿を並べて、テーブルに向かい合わせに座る。出久は自分の作ったものを「美味しい美味しい」と言いながら口に運ぶ。
「てめえ、学校から帰るのは何時だ」
「大体定時だよ。講師だからね。担任を持ってると大変そうだけどね。相澤先生はいつも残業してるよ」
「その講師の仕事はいつまで続けんだ」
「ギリギリまでやるよ。それに引き継ぎを必要とするような授業じゃない。ヒーロー歴史学は個性に関わらず、誰でもできる教科だから」
「てめえでも、役に立つってわけだ」
「うん」一拍おいて、出久は続ける。「無個性でも」
 それから、勝己の仕事の話や、ヒーロー集会で会ったクラスメート達の話になった。
 他愛無い会話が擽ったくて、胸が暖かくなる。


「おい、起きろてめえ。いつまで寝てんだ」
「お、おはよ、早起きだね。かっちゃん」
 勝己に叩かれた頭を摩りながら、出久は起き上がった。昨夜も勝己は出久の部屋に泊まった。ここ一週間、帰ってくるのは出久のマンションである。
「さっさと着替えろや。これからランニングに行くぞ。身体が鈍るわ」
 家から少し走ると、広い運動公園があった。ランニングコースの内側に、野球やサッカーのグラウンドがある。少し離れると木立に囲まれた小さな広場があり、滑り台やブランコなど、子供の遊具が設置されている。
「ここ、家の近くの公園を思い出すね」出久は懐かし気に言った。
「ああ、まあな」
 出久と一緒に遊んだことも、いじめたこともある。甘くて苦い、公園の思い出。
 飲み物を買うためにコンビニに立ち寄った。出久は花火に目を止める。
「もうそんな季節なんだ」と出久は微笑む。「花火、やったよね」
「ああ、ガキの頃な」
「かっちゃんは、ネズミ花火ばっかり火をつけて、僕に投げてきたよね」
「ばっかりたあ、なんだてめえ。チキンなてめえが逃げるからだ。それに、てめえらが尻込みする打ち上げ花火には、俺が火つけてやったろーが」
 飲み物を買ってきて公園に戻り、木陰で一休みする。
 ポカリを嚥下するデクの喉。舐めたくなる喉元から目を逸らす。歯を立てて噛み跡をつけたい。
「久々に走ったよ」額の汗を拭いて、出久は言った。
「ああ?なまってんじゃねえのか」
「君は毎日ジョギングしてるの?」
「たりめーだ。毎日鍛錬しねえで、ヒーローでいられるかよ」
「汗かくのはいいね。色々考えないですむから」
 何を考えたくないのか。芝生の上に寝転んで、出久は顔をタオルで覆っている。表情は見えない。
 子供の頃の夏の夜、花火とバケツとチャッカマンを持って、出久を誘って河原に行き、花火で遊んだ。ネズミ花火や蛇玉や打ち上げ花火だってあるのに、出久はいつも地味な花火を手に取った。
 出久の手の中の、今にも火の消えそうな線香花火。チリチリと細い火を吹く火を、心配そうに眺めているのを見かね、花火に火を継いでやった。にっこり笑う顔が、花火に照らされた。かっちゃんの掌の火花みたいだと、出久は言った。思い出すと、糸屑のように縺れて散る火花の、ぽしゅぽしゅっと弾ける音が、聞こえるようだ。
 大きな鳥の影が、広場を横切ってゆく。
 出久は空を仰いで、手を伸ばす。
「手が届くなんて、思ってなかったなあ」
 鳥の姿は遠く空の彼方に小さくなる。出久はそっと手を下ろした。
 こんなに早く失うとは思わなかったと、言っているように響いた。
 出久は瀕死の重傷を負った。助かったのは奇跡だ。単身ヴィランの元に向かう時に、前もって個性を譲渡した判断は間違ってない。だが、出久は死闘を生き延びた。生き延びてしまった。
 個性を譲渡してしまったことを、悔いているのか。オールマイトと同じように、壮年を過ぎてから譲渡したのなら、諦めがついたのか。個性の残滓すら、吹き飛んでしまった今。
「そろそろ戻るぜ」
「うん」
 起き上がり、出久は顔からタオルを取った。いつものような穏やかな顔をしている。

 警察から連絡があった。鞄が落し物として届けられたらしい。金だけはなくなっていたが、中身を聞くと他のものは無事のようだ。
「繁華街探し回るより、さっさと警察に届けりゃよかったんだ」
 まあ、うろついてやがったから、出久を見つけたわけだが。
「大したもの入ってなかったからね」
 出久は、ただ淡々と呟いた。


「ちゃんとしゃぶれよ」
 ベッドに浅く座った勝己。その股の間に出久は蹲って、勝己を見上げる。指で勝己の屹立したものを挟み、少し躊躇って先を咥える。
 出久が自分も口淫すると言ったのだ。勝己にばかりさせては申し訳ないと思ったのだろう。勿論、出久なら勝己がすれば、そう思うだろうと踏んでいた。出久の舌が亀頭を舐めて、唇がそろそろと肉茎を移動する感触。
 ふうっと息を吐く。温かい口内も気持ちいいが、なによりも、自分に奉仕している出久の表情が堪らない。髪を梳いて、紅色の頬を撫でると、上目遣いに見上げてくる。
「アイスキャンデーじゃねえぞ。そんな風にただ舐めてるだけじゃ、イけねえわ。こうやんだ、練習しろや」
 出久をベッドに引き上げて寝かせ、足を開脚させると、勝己は出久のものを咥えた。先端を舐めてから、深く口内に導いて頬張り、頬を窄め、内側で圧迫しながら抽送する。あ、あ、と出久が喘ぐ。わざと水音を立てるように、しゃぶる。
「かっちゃん、もういい、出そう、離して」
 出久は自分のものを呑ませるのを嫌がる。だから逆にやりたくなる。達して、口内でビクビクと、出久のものが震える感触がいい。
「や、だ、かっちゃん」
 出久は顔を覆って喘ぎ、ああ、と唸って脱力する。
「やだって言ったのに」と呟いて、羞恥に顔を赤くする。
 塩辛いそれを飲み干して、勝己はニヤリと笑う。てめえの出したもんだろう。
 全部、俺のもんだ。


 なし崩しに、勝己は出久の部屋に居ついた。
 スペアの合鍵を有無を言わせず奪取し、ヒーロー活動の後は、毎日出久の部屋に入り浸り、夜毎身体を繋いだ。
 思っても見なかった同居生活。他人が部屋にいる生活など、考えられなかったというのに、この安心感はなんなのだろう。
 ようは同居する相手次第なんだ。
 出久を独占している安心感。出久の存在はいつも心を波立たせ、苛つかせていたのに。自分だけの物になった途端に、こうも心が穏やかになるとは。幸せとはこういうものなのか。
 でもひと月後に失われてしまう。
 たとえ出久を追って自分もアメリカに行ったとしても、大した実績もツテもない今の自分では、ヒーローの仕事はできない。観光客か留学生が関の山だ。職業ヒーローとして行くとしたら準備が要る。少なくとも何ヶ月、もしくは何年かはかかるだろう。その間に出久との関係はどうなる。
 手放せるのか、俺は。腕枕で眠る出久。眼前ですうすうと呼吸している出久を、ぎゅうっと抱きしめる。
 温かい生きた身体。手放せるのか。出来ることなら閉じ込めてしまいたい。
 傷だらけの腕に触れ、白い傷跡を辿る。手足を折って仕舞えばいいんじゃないか。爆破して壊して仕舞えば、てめえはどこにもいけない。
 そんなこと、出来るわけがないだろうと、理性が囁く。


「そろそろ部屋を引き払わなければいけないんだ」
 朝食の支度をしながら、出久は言った。簡単な料理なら、出久はひと通り作れるようになっていた。
「ここを出んのか」勝己は問うた。
「一週間単位で借りてるけど、来週の半ばには出発するから。家具は備え付けだし、ほとんど自分のものは無いんだけどね。オールマイトグッズは別だけど。渡米に必要なものだけ残して、後は家に送るよ」
「まだ日にちあんだろ?」
「出発までホテルに泊まるか、家に戻るよ」
「なら俺の家に来いや」
 出久は驚いた表情をして、キッチンから顔を出した。
「ええ、行けないよ。そんな、悪いよ」
「ひと月俺といる約束だろうが!忘れてんじゃねえ」
「あ、そうだったね。でも」
「てめえは約束を違えるのかよ」
 出久は思案顔で答える。「じゃあ、ちょっとだけ。お世話になるね。すぐ僕はアメリカに行くし、荷物はスーツケースに入れて持ってくよ」
 出久は力をなくしても、名前だけは敵に知られている状態だ。親元に帰るのさえ、用心しなきゃならない。海外の方が国内よりもマシなのかもしれない。
 だが納得できやしない。このままでいられないのか。
 てめえとしたいことはまだあるんだ。一緒に居ればいるほど、したいことが増えていくんだ。幾らでも沸いてくるんだ。
 人と一緒に住むなんて、考えられなかった。自分の空間を人に乱されるなんて、厄介なだけだと決めつけていた。でも結局は誰と住むかってことだけだったんだ。一緒にいたい奴と一緒に住みたいと思うのは、当たり前のことなんだ。
 てめえと同じ空を見上げたい。青い空を、赤い夕日を、黄金色の朝焼けを。自分だけなら同じ空でも、てめえと眺めるのならば、毎日違う空なんだ。同じ時間を共有したいんだ。
 てめえはアメリカ行って何すんだ。オールマイトのコバンザメみたいなものじゃねえのか。ほんとにてめえが、行かなきゃいけねえなのか。
 だがこの一月足らすでは、アメリカに行くという、出久の決心は変えられなかった。奴の中で決定事項になっているのだ。今を幸せだと思うほどに、焦燥感と苛立ちが心を黒く覆ってゆく。


「あ、あ、」と出久は背をしならせて喘ぐ。
 ベッドのヘリに立たせて、後ろから激しく打ち付ける。腰を振りながら髪を掴み、さらに強く突き続け、スピードを上げる。
「かっちゃん、や、あ、あ、」
 引き抜いて、ベッドに仰向けにして、背中だけをつけて寝かせた。尻を浮かせて足を開かせ、覆い被さり、再び挿入する。慣らされた孔はすんなりと勝己を受け入れる。気分がいい。
「お尻が落ちちゃうよ」
 と出久は勝己の腰に脚を巻きつけ、肩に抱きついてくる。中もきゅうっと締め付けられる。
 身体を密着させ、下腹で柔らかいままの出久の陰茎を押さえつける。
「勃たねえな」
 激しく突く内にずり上がり、出久の尻はベッドに乗った。身体を起こして、内壁の浅いところをペニスの先で擦る。出久の身体と繋がった、陰嚢の下の結合部。ひくひくと窄まり、弛緩しては勝己を刺激する。
 デクは自分のものに、手を伸ばそうとした。
「おっとお、ちんこには触んなよ。させねえよ」
 出久の手を掴んで止める。すると、出久はもう一方の手を伸ばそうとした。
「させねえっつってんだろ」
 両手を一纏めにして片手で掴むと言った。「後ろだけでいけよ、デク」
「え、そんなの無理」
「正常位と後背位とどっちでやって欲しい。答えろや。あ?後背位か」
 返事を待たずに、出久の身体をひっくり返す。ベッドの上に上半身だけを乗せて腹ばいにさせ、膝は床につかせる。尻を突き出させて、腰を引き寄せるようにして、ぬぷりと挿入する。動かすほどに擦れ合う陰茎の皮膚と、出久の内壁。
 出久は「ん、ん、」と動きに合わせて、小さく息を詰まらせる。獣じみた体位。激しく腰を振り、揺さぶり続ける。身体がぶつかり、汗ばんだ皮膚がくっついては離れ、音をたてる。獣のような荒い息遣い。
 始めは慣れもあり、余裕にも見えた出久は、何度目かの挿入と射精で、次第に苦しげな喘ぎ声を上げ始めた。
 太腿を掴んで腰を振る。泣き出しそうな嬌声。ベッドが軋んでいるのか、出久の身体が軋んでいるのか。それとも、自分の胸が軋んでいるのか。
「いったかよ」
「ん、いったよ、もう」
 触れてみると、ペニスはくたりと、力なく項垂れている。
「は!いってねえじゃねえか」
「だって、無理、かっちゃん、もう」
「まだやめてやらねえぜ。てめえがいくまでやめねえ」
 仕置だからな。中に出してやる。後頭部を掴んで突き上げる。はあ、と出久が息を吐く。勝己は唸り、深く出久を穿つ。屹立がどくりと脈打ち、精を吹き出した。出久の体内深くに注がれる。


4. Man on a Mission(任務を追う男)


 今日からデクが家に来る。学校が終わったら、直接、勝己の家に来ると約束をした。
 出久が来たら、あの部屋を引き払って、服やらオールマイトグッズやらを、勝己の車でデクの実家に運ぶのだ。アメリカに持っていくものもあるらしいので、取りに行くついでだ。スーツケースは勝己の家に置いておき、渡米当日は出久を空港まで送る。
 ほんの数日の猶予。あいつの決心は固いとしても、それでもギリギリまで粘ってやる。
 だがおかしい。今から行くと連絡が来てからかなり経っている。とっくに到着していい時間なのに、出久はまだ来ない。携帯にもかけたが、何故か出やしない。
 業を煮やして、勝己は学校に連絡した。
『やあ、久しぶりだね。爆豪少年』
 電話に出たのはオールマイトだった。ナンバーワンヒーローオールマイト。高揚と悔しさと両方の感情が渦巻く。
 あんたはいつも、出久に他の世界を示して、手の届かないとこに、連れて行ってしまうんだ。
『デクはそっちにいんのか』ぶっきら棒に問うた。
『ああ、君が緑谷少年といてくれたんだよね。聞いてるよ』
『そーゆーこたあいいんだよ。デクいねえのか』
『まだ着いてないのかい?』
 出久はかなり前に、学校を出たという返事だった。携帯電話のGPSを確認すると、出久は繁華街の入り口付近にいて、動いてないという。
 胸騒ぎがした。
 繁華街に行ってみると、出久のスーツケースが道路の隅に置いてあり、側に携帯電話が落ちていた。大声で名を呼んだが、出久はいない。やはり何かあったのだ。携帯電話に手掛かりを残してないかと、適当にパスワードを入れてみる。
 開いた。やっぱりオールマイトの誕生日かよ。
 最近使ったアプリの中にカメラがあった。写真フォルダを確認してみると、人相の悪い知らない男が写っている。
「おい、ここで何かあったのかよ」
 近くの店の人に問うと、騒ぎを目撃したと言う。ついさっき、出久はヴィランに絡まれてる人を助けようとしたらしい。だが相手が『デク』だと知ったヴィランは、標的を出久に変更した。出久は車に連れ込まれ、どこかに連れていかれたという。
「あのクソカスが!」
 今の無力な状態も忘れやがって、ヘドロヴィランから俺を救おうとした時から、何も変わっちゃいねえ。あいつは誰もがプレーキを踏むところで、思いっきりアクセルを踏んじまうんだ。
 商店街の人が呼んだ警官に「こいつを知らねえか」と携帯にあった写真の男を見せた。他に、追跡可能なものを持ってないのが残念だ。
 警官は一目見て答えた。彼らは最近この辺りを根城にする、札付きのヴィランだという。なかなか警察も手を出せないらしい。
 聞きたくねえが仕方ねえ。情報が欲しい。オールマイトに連絡し、チンピラの顔写真を送った。彼はその手の情報はやはり詳しい。折り返すと言い、すぐに勝己に連絡が返ってきた。
『その男は、元ヴィラン連合に属していた奴だ。君一人では危険ではないか』
『ああ?誰に言ってんだよ』
『しかし、爆豪少年』
『心配すんじゃねえよ、オールマイト。暇してる奴らに応援を頼むからよ』
『君はひとりで行くつもりだろう』オールマイトは図星を指した。『早まるなよ。今もベストジーニストの元にいるのかね。では彼に伝えよう』
『いねえよ、いいってオールマイト。俺から言う』
 仕方ねえ。オールマイトを煩わせたくねえ。勝己はベストジーニストの事務所にコンタクトを取り、受付の者に早口で伝えた。すぐに声がベストジーニストに変わった。
『久しぶりじゃないか。今どうしてる』
『世間話してる暇はねえ、こっちは急いでんだ!』
 デクが攫われた経緯を手早く説明して、この辺のチンピラのたまり場はないかと聞いた。
『廃ビル街だろう』即座にベストジーニストは答えた。
『この辺の監視カメラ映像かなんかねえか。今日の夕方5時から7時までだ』
『ちょっと待ってくれ』電話の奥で、ベストジーニストの声が誰かに指示を飛ばした。
『廃ビル街の入り口に設置した路上カメラに一件、誰かが運ばれたような、不審な映像がある。今から場所を送る』
 すぐにリンクを貼ったメールが届いた。ビルの中に連れて行かれる、拘束された人影。
 居場所の目星はついた。『間違いねえ。デクだ。俺は先に行く』
『待て、先走るな』
『時間が惜しいんだ。俺は先に行く。手の空いたヒーロー連れて、この場所に来てくれ』
 ベストジーニストのとこは大手だけあって、ネットワークに優れている。事務所に所属すんのも悪くねえかもな、とちょっと思う。
 さてと行くか。溜まり場はシャッター街の奥にある廃ビルだ。

 メールの添付写真と見比べる。あの5階建てのビルだ。
 人影は見えねえが、入り口は見張りがいるかもしれねえ。ジャンプしてビルの屋上に降り立った。足音をさせないようにして、階下に降りる。用心しながら、埃っぽい廊下を進む。
 出久はどの部屋にいる。
 耳を澄ますと、ヴィランの声に混じって、微かに唸り声が聞こえる。階段を降りて、声のする部屋の前に着き、廊下から様子を伺う。
 か細い声が止んだ。数人の足音、人を殴る音。ヴィランの笑い声。
 頭が沸騰しそうになるのを、ぐっと堪える。応援が来るまで待機だ。
 ドアの小窓から覗いてみる。5、6人いるようだが、全員雑魚くせえチンピラだ。出久はどこにいる?
 再び掠れた唸り声が聞こえてきた。確かに出久の声だ。
 声の聞こえた方向に視線を移す。
 目の端に、縛られてボロクズのように、床に転がされた出久が見えた。
 またてめえは俺の知らねえところで。
 とたんに頭に血が上った。
 勝己はドアの鍵を爆破して壊し、ドアを蹴破った
 ヴィラン達は不意をつかれて、振り向いた。散弾のごとく光球を飛ばし、ヴィラン目掛けて狙い撃つ。ヴィラン達は慌てて武器を手にしたが、煙で視界を遮られ、まごついている。勝己はドアの側の男の背中を爆破し、後頭部を掴んで、床に叩きつけた。
 衝動的に動いてしまったが、冷静になってきた。不意打ちしたとはいえ、多勢に無勢の戦いだ。煙が充満している間に勝負をつける。奴らに自分の位置を悟らせちゃいけない。
 勝己は煙の中を俊敏に動き、1人1人、ヴィランを殴り倒していった。
「てめえが最後だ!」
 ボスらしき男を床に引き倒し、首を掴んで押さえつける。
 あっという間に制圧完了したようだ。
「てめえ、人のモンに手ェ出して、ただで済むと思ってんのかよ、ああ?クソが」
 男の顔を手で覆い、爆破しようと熱を貯める。
「頭吹っ飛ばしてやるわ、覚悟しな、クソが」
 男は悲鳴を上げ、首を振って逃れようと焦っている。チキン野郎が。本当に殺っちまおうか。
「ん、かっちゃんなの?」
 出久の声が聴こえた。個性の出力を途中で止め、倒れている出久に目を向ける。
「目を覚ましたんかよ、クソデク」
「危ない、かっちゃん」出久が掠れ声で囁いた。
 背後に誰が立っている気配がした。振り向いた。鉄の棒が目に入った。
 ヴィランが棒を振り上げて、勝己に殴りかかろうとしている。
 煙の中に隠れてやがったのか。こんな側に近付くまで気づかねえなんて。油断してたのか。
 瞬時に、勝己は片手を男に向けようとした。
 だめだ、間に合わねえ。畜生!
 しかし、自分にヒットすると思われた瞬間、男は後ろに吹っ飛んだ。
 何があった?
 側を掠めた風圧の方向。うつ伏せた出久に目を向ける。
「おい、デク」
 返事がない。また気を失ったらしい。見ると、出久の人差し指が紫色に変色し、潰れている。何が起こった?
 ひょっとして個性を使ったのか。体力のない状態で使ったから、あの程度の発現で、高1の時のように指を潰してしまったのか。
 いや、まだ判断するのは早計か。奴らに指を潰されたのかも知れねえしな。
 壁にぶち当たったヴィランは崩折れ、どろりと液状化した。体を液体にするヴィランか。こっそり背後に忍び寄って来やがったんだな。嫌なこと思い出させやがる。
 唸っているヴィラン達を、念のために再度一発ずつ殴り、気絶させた。
 勝己は出久に駆け寄り、抱き起こして揺さぶった。
「ああ、かっちゃんだ。1人で何人倒したの。すごいな。君は」
 腕の中で勝己を見上げ、それだけ言うと、出久はすうっと目を閉じた。
「デク!何やられてんだ、てめえ、このカスが、クソカスが!」
 階下から複数の足音が近づいてきた。聞き覚えのある声だ。ベストジーニストの事務所の面々が駆けつけたのだ。
ヴィランは伏せろ。抵抗すれば容赦しない」警告しながら、ベストジーニストが部屋に入ってきた。
「遅えわ、クソが」
「早まるなと言っただろう、爆豪くん。しかし、よくやったな」
 ベストジーニストは部下達にテキパキと指示し、ヴィランを全員捕らえた。他の部屋にいたヴィラン達も残らず捕縛すると、連行していった。
「爆豪くん、彼は病院に連れて行かなければ」
 ベストジーニストに宥められても、勝己は抱きしめた出久を、手放そうとしない。
「事情も聞かなきゃならない。君も署に来てもらわなければならないし、彼は手当てしなければ」
 言われて、勝己は渋々出久を引き渡した。


5. Best of Both Worlds(好いとこ取り)


 勝己はベストジーニストの事務所に立ち寄って、協力の礼を言い、出久を病院に迎えに行った。
 傷はほぼ治療されていた。指の変色も消えていた。力の発現などなかったかのように。手を掴んで指を確認する勝己を、出久は不思議そうに見つめた。
「行くぞ」と掴んだ指を絡ませて、手を引いた。
「あ、商店街にスーツケースが置きっぱなしだよ」
「クソが」忘れてた。
 スーツケースは商店街の店が預かってくれていた。車に積んで、出久をマンションに連れ帰った。
 どうせうちに来るんだ。そうでなくても、出久を今一人にはできない。
「あんな弱そうな奴らにやられてよ、不甲斐ねえな」
 うん、と出久は言葉少なに俯いて答える。ソファに膝を抱えて座る出久は、まるで子供のようだ。
「あんなんじゃ、アメリカ行っても、身を守れねえんじゃねえのかよ」
 だからここにいろよ、とは言えない。
 暫くして、悔しいな、と出久は呟いた。
「君や皆の活躍が、同級生として誇らしい。けれども、自分の無力さが辛い。君に並び立てないのが辛い。だから僕は、オールマイトについていくんだ」
「はあ?何言ってんだ」
「僕にも何か、できるかも知れないから」
「今のてめえが一緒にアメリカ行って、何ができんだ。クソでもしに行くのかよ。てめえは逃げてるだけじゃねえか」
 自分から、俺から、逃げてるのだ。頭にきた。
「でも、君とはいられないよ」
「俺と、だあ?」
 出久の声が震えている。顔を伏せたままで頭を振る。
「理由はあんのかよ!」声を荒げて勝己は問うた。
ヴィランから身を隠して、各地を転々としてた時ね」出久は顔を上げずに言う。「OFAを使いきって、力を失ってしまった僕に、皆すごく優しかったんだ。よくやった、ありがとうヒーローって。僕はそれが辛かった。だって、僕はもうヒーローじゃないんだ。誰かに何か危険なことがあっても守れない。何もできない。優しくされる価値なんてない。でも君だけは違った。厳しく接してくれた」
「あ?どこに褒めるとこがあんだ。無茶をしたてめえの、自業自得だろうが」
「うん、君は僕に意地悪でぞんざいで、ちょっとだけ優しくて、側にいて居心地よかった。そんな風に思うなんて、正直意外だったけど」
「昔のてめえに、戻ったようなもんだろうが。何が違うってんだ」
「うん、かっちゃんだからなんだなって。でも、もう無理だ」
「だったらなんでなんだ」
「もう無理だよ。気づいたんだ」出久は顔を上げた。「だって君は僕が無力になったのを喜んでるだろ」
「てめえ、なんだと!」
 いきなり何をわけのわからないことを、言ってやがる。
「喜んでるだろ。君のことならわかるよ。いざとなれば力づくで、言うことを聞かせられる。そうだろ。そうしなくても、できると思えるだけで違うんだ。今の僕は君に叶わない。それが悔しいんだ。一度は君と並び立つことができたんだよ。もう子供の頃みたいな、惨めなのは嫌なんだ」
 思わぬ出久の吐露に、勝己は凍りついた。出久は所在無さげに指を組み替え、益々縮こまる。
「そんなに、僕に力が無いのが嬉しい?」
「てめえ、ざけんなよ」ふつふつと怒りが込み上げてきた。「力づくで言うことを聞かせるだと?てめえを力で、意のままにできたことなんざ、一度もねえわ!何言ってやがる」
 弱っちいくせに、ぐずぐず口答えして、怯えながら逆らって、何一つ思いどおりにならなかった。それがてめえだ。
「ごめん、ごめん、かっちゃん」出久は首を振って、涙ぐんだ目を擦った。
「今の僕の中は真っ黒なんだ。君に再会したあの日、ほんとは僕は、皆に会おうと思ってたんだ。でも、いざとなると足が竦んだ。僕は本心から笑えるんだろうか。黒い心が顔に出てしまうんじゃないだろうか。子供の頃に君やクラスメイトを見て、感じていたような、羨ましくて妬ましくて、辛くて濁った心。そんな浅ましさが、顔に出てしまうんじゃないだろうか。そう思ったら、怖くて堪らなくなった」
 勝己は思い起こした。出久はなくした鞄が見つかったと聞いても、喜ばなかった。あれほど探していたのに、おかしいと思っていた。つまり、本当は鞄を探してなどいなかったのだ。
 あの夜、出久は逡巡していたのだ。旧友達に会いたくて会えずに、それでも迷って、繁華街を彷徨っていたのだ。
「自分が嫌になるよ。だから誰も僕を知らないとこに行きたいんだ。平気で皆に会えるようになるまで」
 勝己は拳を握りしめた。火花が出そうになるほど、掌が汗ばむ。
 見えない鳥を追いかける出久に、いつも腹を立てていた。いくら求めたって、手に入るわけがないんだ。いい加減わかれよと。でも見えなかったはずの鳥を出久は見つけた。
 鳥を手に入れた。飛べる羽根を手に入れた。
 苦々しかった。てめえはその羽根を何に使うのか。自分の力の誇示か、玉虫色の正義の施行のためなのか。
 認められたい、必要とされたい。そんな自己顕示欲ならまだいい。あくまで自分がかわいいのだから。
 てめえは違うんだ。人のために生きて、そのために箍を外して、自分を壊してしまう。
 そんな使い方で、いつまでも羽根を持てるわけがないだろう。
 てめえもいつか、オールマイトのように力を失う。そんな日が来たのなら、その時は俺が、てめえを力づくででも止めてやる。そう思っていたというのに。
 いつもいつも俺の知らねえところで、死にかけてボロボロになって。俺はそれを知りもしねえで、何もできねえんだ。
 あのまま死んじまったかも知れねえんだ。
「喜んで何が悪いんだ。ああ?デク」
 勝己は低い声で唸る。
 俺のいない間に、無謀な戦いで死にかけた出久。
 管に繋がれて力なくベッドに横たわる出久。
 医者にも見放されて、死を待つばかりだった出久。
 ヤクザ野郎に助けられて、瀕死の状態から回復した出久。
 力を失い、誰にも言わず、何処かに姿を消した出久。
 やっと、俺の手の中に落ちてきた出久。
 喜んじゃいけねえのかよ。
 もう出久はOFAに振り回されねえ。俺の知らねえところで、壊されたりしねえ。なのにてめえは、ちんけなプライドでぐだぐだ言いやがって。そんなものに構ってなんかいられるかよ。
「ふざけんなよ。てめえ!」勝己は出久に掴みかかる。「今のてめえに何ができんだ!」
 威嚇するつもりではないのに、掌から火花が散った。出久はあつ、と顔を顰めたが、子供の頃のように怯む様子はない。
 それを言ってはだめだと、頭で警告音が鳴る。長い間執拗に否定し続けてたから、こいつは萎縮した。怯えて煙たがって、俺から離れていった。
 追い詰めたって、遠ざかるだけなんだ。思い通りになんて、出来やしないんだ。また繰り返すのか。同じ間違いを。
 だが、わかっているのに止められない。
「もうヒーローじゃねえだろ、てめえは!今のてめえが誰を守ろうってんだ。なんにもできないくせによ!」
 出久が項垂れる。「君にはわからないよ。君は何でもできるし、何でも持ってるから」
「今のてめえじゃ、オールマイトを守れねえし、オールマイトだって、てめえを守っちゃくれねえ。誰かに守られるしかねえくせに、そんなザマで、アメリカ行ってどうするってんだ。ああ?」
「何も出来ないから、だからだよ」
「は!逃げてるだけじゃねえか!」
「でもここには、いられないんだ」
「弱え奴が、何の役に立つってんだ」
 そんなことを言いたいんじゃない。行くな行くな離れるなと、心は哭いている。こんな言い方じゃ、届くわけがないとわかってるのに。また間違った言葉を叫び続けている。
 ガキの頃と同じだ。焦りと警戒が攻撃に、行動を間違った方向に向かわせた。思いを持て余し、手に入れたいと足掻き。苦しみの中で悲しみの中で、敵意が頭をもたげた。俺の思いを知らないてめえに、舐められていると感じた。傷つけずにはいられず、何度も傷付けた。怖がられ避けられても、まだ傷つけた。でも、てめえは従うことなどなくて、何一つ思い通りにならなかった
 どうすれば叶うんだ。てめえを求めてやまないのに、自分の気持ちが、ままならない苛立ちが、てめえが同じように思ってくれない苛立ちが、てめえを傷つける。傷つけることで自分も傷つくだけなのに。
 飲み込んだ言葉が嵐になる。刃となり胸を切り刻む。裂かれた傷から血が噴き出す。ここから出せと苛む。
 胸に閉じ込めておくんだ。外に出しては駄目なんだ。そんなみっともないこと、言えるものか。言ってしまったら。
 だがとうとう口から言葉が溢れてしまった。
「てめえのせいだ!」
「かっちゃん?」出久はきょとんとして見つめ返す。
「俺がどれだけ長い間、苦しんできたと思ってんだクソが!俺の苦しみも辛さも、全部全部全部。てめえのせいなんだ!」
「え?かっちゃん?」
 何を言ってるんだ、俺は。むちゃくちゃなことを言ってる。わかってるのに止まらない。俺は俺の望む俺でありたいのに。いつもいつも、てめえは容易く、俺をぶっ壊しちまうんだ。
「くそっくそっ!てめえのせいで、いつも俺は!俺は何でも持ってるって言ったよなあ、おい!俺が何を持ってんのか、言ってみやがれ!力か?名声か?んなものはどうでもいいわ。てめえが側にいてもいなくても、俺の頭ん中はてめえでいっぱいなんだ。てめえが手に入らないなら、俺はなんにも持ってねえと、同じことなんだ!てめえをものにして、初めて力や名声なんてもんも喜べんだよ。このクソカス死ねやクソが!」
 一気に捲し立て、勝己は肩を震わせて荒く息を吐く。
 言っちまった。
 死ぬまで言わねえつもりだったのに。畜生が、情けねえ。クソが!
 出久はどう思った。出久、てめえは。
 見つめるうちに、出久の顔がみるみる真っ赤になっていった。
「え?あ、あの、え?ひょっとして僕、酷い勘違いしてたの?だって君は、そんなこと一言も、え?」
 出久は狼狽え、頭をふるっと震わせて両手で顔を覆った。
「何言ってんだよ、かっちゃん」
 耳が真っ赤になっている。伝わったのか。
「おい、面見せろ、デク」
「僕に、そんな価値はないよ」
 顔を隠したまま、デクは声を震わせる。
「てめえの価値なんざ、無個性の頃から一ミリたりとも、変わってねえよ」
 てめえが落水した自分に、手を差し伸べた時から。有象無象の中で、てめえだけが鮮明になった時から。
「僕はもう、君や皆と並び立てない。なのに、危険だけが以前の何倍もあるんだよ。そんなの」出久は顔を覆っていた手を下ろした。「君の足手纏いにだけは、なりたくないんだ」
「デク。てめえはどうしてえんだ」
「したいことが、出来るわけじゃないよ」
「出来るかどうかなんて、どうでもいいわ、クソが。てめえはどうしてえんだ、デク!」
 出久は黙って目を伏せた。このひと月の俺との生活で、てめえは何も感じなかったのかよ。このままの時間が続けばいいと、思わなかったのかよ。
「かっちゃん」出久は漸く口を開いた。「僕は」伏せた瞳が上げられ、勝己を見た。
 やっと出久と目を合わせた。視線が交錯する。
 その時、ドアベルの音が響いた。
「ふたりともいるんだろう、ちょっといいかな」
 扉の向こうから、オールマイトの声が聞こえた。
 出久がはっと顔をドアの方に向ける。
 クソが!来ると思ってたが、よりによって、今このタイミングで来るのかよ。
 出久はなんか言いかけたんだ。きっともう少しだったんだ。今しか言わねえ言葉なんだ。
 勝己は歯ぎしりをしてドアを睨んだ。
「爆豪少年、君の声は大きいから、聞こえてしまったよ。開けてもらっていいかな」オールマイトがまた声をかけた。
「まだこいつは行かせねえよ」
 勝己は低い声で呟く。
 オールマイト、あんただ。出久が鳥を見つけたんじゃなくて、鳥が出久を見つけたんだ。てめえのために、命でもなんでも、何もかも捧げる奴を。格好の獲物だよなあ。あんたはOFAのために、出久を贄にしたんだ。
 勝己はデクの手首を掴んだ。こっちを見ろと力を籠める。出久はドアに向けていた視線を勝己に戻したが、戸惑いの表情を浮かべ、再びドアを見つめる。ドアの向こうのオールマイトを。
 いや、違う。わかってんだ。
 無力なくせに向こう見ずで、命を顧みない出久。オールマイトから個性を譲渡されなければ、きっと何処かで無駄に命を落としてただろう。オールマイトはデクの危うさに気づいて、ほっとけなかったんだ。
 でも、もういらねえだろ。俺に返せよ。俺が最初に見つけたんだ。ずっと前から俺のなんだ。畜生。
「その話でもあるんだ。爆豪少年。ちょっと外に出ようか、二人とも」
「かっちゃん」
 自分の名を呼ぶ、出久の声は冷静だ。クソが!クソが!勝己はデクの手を放し、立ち上がると玄関に向かった。


 川辺りの遊歩道に、爽やかな初夏の風が吹き抜けていた。勝己はポケットに手を突っ込んで、オールマイトの後ろを歩く。出久は勝己の後ろを付いてきている。
「気持ちがいいところだね。ここは」
「ああ。河原のグラウンドが広くて、気軽にトレーニングがしやすいからよ」
「君は自分に必要なことを、よくわかってるね。爆豪少年」
 整備された河原では、数人の子供達が水切りをしていた。デクとも近くの河原でよくやった遊びだ。平らな石を水面に向かって投げ、石を連続ジャンプさせる。デクは浅い角度で飛ばすコツが、なかなか掴めなかった。
 子供達の投げた小石は、水面を弾いて、軽やかに向こう岸を目指して渡ってゆく。
 ふいに地面を影が過ぎった。白い鷺だ。滑空してきた鷺は川の中洲に降り立ち、羽根を震わせる。川面は銀の鱗のように煌めいている。
 オールマイトが立ち止まり、「緑谷少年」と出久を呼んだ。出久は小走りに駆けてきて、オールマイトの隣に立った。
「緑谷少年、君をアメリカに連れて行くのは、やめたほうがいいだろうね」
オールマイト
 出久の声は予期していたように、静かだった。
「誰も君を知らない場所で、君が心機一転、新しく始める何かを、見つけられればいいかと思ってたんだ。何かを見つけられれば、どこでも生きていけるからね。君を手助けできればと思ったんだよ」
「僕のために、ですか」
「うん」オールマイトは頷いた。「でも、逃げるのは君らしくないね。緑谷少年。君はいつも諦めずに、立ち向かっていくんだ」
 オールマイトは2人を振り返り、微笑んだ。ひょろりと細長いシルエット。河原にいる人々は彼が誰なのか、誰も気づいてないようだ。
「私は力を失った時、自分はもう、守られなければいけない身になったのだと知った。緑谷少年、君もそうなのだよ。君に私は守れないだろう。私も君も、今はヴィランに狙われる身だ。何処に行ったとしても、誰かに守られなければならないだろう」
「だから、日本を離れるんだよね。オールマイト」出久は言った。
「己の身を守るために、渡米するのではないよ、緑谷少年」
「でも、周りの皆が僕のせいで、ヴィランに狙われたら。僕は何も出来ないのに」
「緑谷少年、OFAのデメリットから、生まれる人間を作らないために、君が濃い繋がりを恐れているのは、知っているよ。家族を失い、悲しみから闇に堕ちた死柄木のように。でも、誰しも1人ではいられないのもわかるね」
「でも、大切な人達に、傷ついて欲しくないんです」
「私も君も自分の無力を、直視しなければいけない。人に守られなければならない事実を、呑み込まなければならない。だがそれを恥じることはないんだ。悪の標的になる者を守るのは危険だ。ことに正義の象徴ともなった私や君は。だからこそ、誰かが守ってくれるだろう。彼ではなくても誰かが仕事として、行うことになる。君は知らない他の人なら、危険を共に担ってもよいというのかね」
「そんなことは」
「冗談じゃねえ。他の奴にデクを守らせるなんてよ」
 黙ってられなくなり、勝己は割り込んだ。
 オールマイトは勝己に笑いかけた。頭に大きな手が乗せられる。
「爆豪少年は君を必要としている。君を守る力も、充分すぎるくらいある。ヒーローでなくても、人のためになれる道はあるよ。昔君にそう言ったことがあったね」
「はい、初めて会った時に」
「でも君はヒーローになった。素晴らしいことだよ。だが、誰しもいつかは、第二の道を選ばねばならない。私も君もね」
オールマイトはこれから、何をするつもりなんですか?」出久は尋ねた。
「私は世界中のヒーローが団結して、AFOのような巨悪に立ち向かう、架け橋になれればと思っているんだ。情報を共有し、国の垣根を越えて、協力体制を築きたい。そのために尽力しようと思ってる。死穢八斎會が君を助けたように、ヴィランは一枚岩ではない。個々の欲望に従い、各々個別の損得勘定で動く。ヴィランとはそういうものだ。一時的に協力関係を結んだとしても、絆は利己的で脆い。だが我々は悪に対して、一枚岩になることができる。私はそのために動くつもりだよ」
「凄いですね。オールマイト
「緑谷少年、君は違うだろう」
「それは…」と言いかけて、出久は言葉を継げなくなる。
「今回の一件もそうだね。君は目の前の、助けを求める誰かを、救わずにはいられない。遠くの目標を追うより、近くの誰かを救う。それが君の生き方だ」
「それは、そうかも知れないけど」
「君には共に歩もうという者がいる。彼は君を欲して、君を必要としているのだろう」
「あ?誰がそんなこと言ったよ!オールマイト
「違うのかい」
 勝己は舌打ちしてそっぽを向く。「あんたが言うなら、そういうことでもいい」
 彼にはお見通しなのだ。もう随分と昔から、見透かされていたのではないだろうか。そんな気がする。
「緑谷少年、君もいつも彼を気にせずにはいられない。ならばその意味するところは、わかっているのだろう。もう君たちは子供の頃のような、傷つけ方をしなくてよいのだと思うよ」
 オールマイトはそう言って笑った。痩せた身体でも昔と変わらない。見た人を勇気づける笑みだ。


epilogue Right Now


 ヒーロー活動を終えて帰宅し、勝己はリビングのドアを開けた。ソファに座って雑誌をめくってきた出久が、お帰りと言って顔を上げた。
「雄英の講師の口は断ってきたのか」と問うと、出久はうんと頷く。
「戻っていいって言われたけど、今の僕に学校で教えられることはないからね」
「じゃ、こっち来んだな。いいんじゃねえか。うちなら今のてめえでも、役に立つからよ」
 部屋着に着替えて出久の隣に座り、身体を引きよせて抱きしめる。ふわふわの髪に、唇で触れ、項にキスをする。出久は携帯の画像を勝己に示して見せた。
オールマイトから、写真付きのメールが来たよ。カリフォルニアから」
「ああ、一緒にいる奴は、見たことあるヒーローだな。アメリカの相棒か」
 出久は勝己と同居することになった。事務所にするつもりだった空き部屋は、出久の部屋になった。でも当然寝室は一緒だ。ベッドはダブルベッドに買い換えた。
 勝己はベストジーニストの事務所に戻った。出久が攫われた時に、ベストジーニストから、戻って来ないかと誘いを受けていたのだ。出久が日本に残ると決めたので、勝己は話を受けることにした。
 情報網の広さにしても、事務所の規模の大きさにしても、動かせる人員数にしても、頼りになることが身にしみたからだ。出久はいつまた、厄介な事態に陥らないとも限らない。いや、自分から考えなしに困難に飛び込んでいく間抜けなのだ。
 上に従わなきゃいけないのは癪に触るが、今の自分では出久を抱えるには力不足だ。いつか独立するとしても、力を付け、ネットワークを作ってからだ。
 出久の事情も伝えて、同じく事務所に勤めさせることにした。目の届くところに置いておくのが最善策だ。
「喜んで受け入れよう。お前のサイドキックとして。彼の知識は事務所の役に立つだろう」
 とベストジーニストは快諾してくれた。
 それに、確証が持てないから出久には言ってないが、あの時出久はおそらく個性を使ったのだろう。OFAの残滓は出久の中で、眠っているだけなのかも知れない。オールマイトも短い時間なら、今でもトゥルーフォームに戻れるのだ。
 いつか出久が、ヒーローに戻る日が来る可能性はある。
 そのためにも、事務所に属しておくのは悪いことじゃない。身体も鍛えさせて、ヒーローとしての感覚を研ぎ澄ましておくのだ。いつでも時が来たなら再起できるように。
「それにしても、お前が人のために動くとは意外だったな」
 ベストジーニストは感心したように言った。勝己は鼻を鳴らして答える。
「クソデクのためなんかじゃねえよ。まるっと全部、俺のためだ」


END


副題タイトルはヴァン・ヘイレンのライブアルバム「ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ」から

Dreams(夢)
Right Here, Right Now(此処で、今すぐ)
Won't Get Fooled Again (二度と騙されない)
Ain't Talkin' 'Bout Love(叶わぬ賭け)
Man on a Mission(任務を追う男)
Best of Both Worlds(好いとこ取り)
Right Now(今すぐ)

 

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デート(全年齢版)

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爆殺王:おい、クソデクには付き合ってる奴はいねえんだな

 

切島:今んとこあいつに彼女いるとかいう話は聞いたことねえよ

 

爆殺王:は!だろうよ!

 

切島:で、お前はどうなんだよ

 

爆殺王:ああ?クソデクにいねえのに、んな浮ついたことしてられっかよ

 

切島:それってよ、緑谷に恋人ができるまで、お前も恋人作らねえってことかよ。緑谷に恋人出来たらどーすんだ

 

爆殺王:ああ?デクにンな相手ができるわけねえだろ

 

切島:わかんねえぞ。あいつ優しいからよ。緑谷に気がなくても、グイグイ押されたら付き合っちゃうかもしんねえぞ

 

爆殺王:はさなやたややはさ

 

切島:おいおい、何て書いてんだ。読めねえぞ。取り乱してんのか

 

爆殺王:俺は冷静だ!くだらねえこと連絡してくんな。うぜえわ

 

切島:お前が聞いたんだろーがよ。あいつに先越されるほうが、お前ムカつくんじゃねえかよ

 

爆殺王:デクが誰かと付き合えるわけねえだろ。オールマイトの話しかしねえオタクだぜ。集中すると人の話なんも聞かねえし。そんじょそこらの奴がついてけるかよ

 

うぇーい:あいつのことよくわかってんじゃんよ。じゃ、お前が付き合っちゃえよ、爆豪

 

切島:お、上鳴。うっす

 

うぇーい:うっす。なんか面白そうな話してんじゃん。混ぜろよな。お前が一番緑谷をよく分かってるってんだろ、爆豪。気になんだったらよ。お前が付き合っちゃえばいいんじゃん

 

爆殺王:さあまさたかむはます

 

切島:なんだ、また取り乱してんのか

 

爆殺王:うるせえ!俺はいつも冷静だ!クソが

 

うぇーい:俺はぴったりだと思うぜ、お前ら。破れ鍋に綴じ蓋っていうだろ。緑谷みたいな一見まともそうに見えて、ぶっ壊れた奴には、お前みたいな直情に見えて、実は沈着冷静な奴が合ってると思うぜ。マジで。な、切島もそう思うだろ?

 

切島:ああ、先越されることもなくなるし、一石二鳥じゃねえか

 

爆殺王:無責任なこと言ってんじゃねえよ。クソが

うぇーい:緑谷に聞いてみりゃいいじゃん

 

爆殺王:ああ?デクに舐められてたまるかよ

 

切島:緑谷は好意を示してくれた相手を、舐めたりしねえだろ

 

爆殺王:好意??はあ?誰が誰にだ

 

切島:お前ここまできて…

 

うぇーい:まあ、面と向かって告白して振られたら、その後どう付き合ったらいいのか、困っちまうよな

 

爆殺王:さたはたたさたかまなまほ

 

切島:落ち着け爆豪

 

うぇーい:じゃあよ、なんなら取り持ってやろうか?俺らが呼び出してそれとなく聞いてやるよ。OKだったら決まりだし、断られたらなかったことにできるしよ。直接言うんじゃねえから平気だろ

 

爆殺王:は!あいつがOKするわけねえ。クソが

 

切島:てことは、OKなら付き合いてえんだな?あいつの真意が、はっきりすりゃいいんだよな。じゃ、お膳立てしてやるからよ

 

爆殺王:勝手にしろ!


1


「緑谷、こっちだ、こっち」
 ファミレスの店内に入った途端に名を呼ばれた。出久は声のする方に視線を向ける。奥の窓際の席に、上鳴と切島が座っていた。上鳴が「こっちこっち」と手招きしている。
「ごめん、遅れちゃって。待たせちゃったよね」
「いや、そうでもねえよ。遅れるってライン見たから、こっちも合わせたしよ」
 切島は出久に隣の席を勧めた。
「うん。ほんと久しぶりだね。上鳴君、切島君」
「お互い新社会人だし、何かと忙しいよな」
 そう言うと、上鳴はメニューを広げる。
「夕飯まだだろ?腹減ったし、色々摘もうぜ。ファミレス飲みっていいよな、安くてさ。俺金なくてよ」
 昨夜、上鳴と切島の2人で、明日の仕事帰りに会わないかと連絡があった。切島が出張でこっちに来るという。二つ返事でOKした。
 雄英を卒業してから、級友達はヒーロー事務所に入ったり、大学に進学したりと、それぞれの道を歩み出し、新生活が始まっていた。
 毎日クラスで顔を会わせていたのに、上鳴も切島も随分大人びてみえる。数カ月経っただけなのに。不思議な感じだ。
 かっちゃんはどうしてるかな。2人の顔を見るとつい思ってしまう。
 勝己は自分から人とつるむ方じゃなかったけれど、昔から周りに人が集まってきた。雄英にいた頃は、彼らのような元気な男子が、よく勝己の周りにいた。
 一年生の頃、上鳴に勝己が怖くなかったのか、と聞いたことがある。
 上鳴は言った。「だってよ、あいつ意外と良い奴じゃん。ああ見えて親分肌で面倒見いいしよ。テスト勉強ん時とか結構助けてもらってるぜ」それに、と不敵な表情で続けた。「俺はあいつと喧嘩しても、いい勝負だと思ってるからよ」
 強個性ならではの返事だった。
 切島に聞いた時は「あいつ強いし男気あんじゃん」と彼らしい答えが返ってきた。
「俺みたいな微妙な個性だと、やっぱ憧れちまうよな」と苦笑いする彼に、幼い頃の純粋な気持ちで、勝己を仰いでいた自分がダブった。
 小さな頃は自分も彼らと同じように。混じり気のない感情でもって、勝己と接していたのだ。万能感に溺れて、彼が変わってしまうまでは。
 でも、自分に見えてないだけで、今の彼の中にだって、あの頃の勝己がいるのかも知れない。無邪気で悪戯っ子な彼が。だからこそ幼い自分は、彼が変わってしまっても、惹かれていたのだろうから。
 ともあれ、彼らの言葉は、勝己への認識改めさせずにはいられなかった。勝己の乱暴な口調と態度は、三年間変わることはなかった。けれども、反射的なものだと思えば、次第に口の悪さにも慣れてきた。
 勝己との関係が段々好転してきたのは、他の見方を促してくれた、彼らのおかげでもあるのだ。
 卒業後、勝己はヒーロー事務所に入り、一人暮らしを始めた。寮生活で毎日顔を会わせていたのに、今はほぼ会うことがない。ヒーロー活動の現場でごくたまにニアミスするくらいだ。
 おかげで心穏やかな日々だけれど、いつも心をざわつかせていた存在がいない状態は、妙に気持ちを落ち着かなくさせる。
「なに食う?俺、唐揚げとピザがいいな。お前らは?」
 上鳴メニューを差し出した。受け取った切島はページをめくる。
「俺は刺身とタコの唐揚げと、枝豆は外せねえな」
「僕はええと、いっぱいあって決められないよ」
「焦んなくても、後で追加すりゃいいだろ。じゃ、とりあえず頼むな」
 ウエイトレスを呼んで注文すると、席を立って順番にドリンクバーに向かった。
「お前ら近況どうだ。俺はなかなか長続きしなくてよ。次の事務所が決まるまでバイト生活だ」
 レモンスカッシュを手にして、上鳴は席に着いた。
「お前の個性すげえ便利だけどな。攻撃にも使えるし、電力も使えんじゃん」切島が言った。
「そうそう、引く手数多なんだぜ。だからなかなか決め手がねえっていうか、決められねえんだよな」
「お前なあ、だから金欠なんだろ。真面目にやれってんだ」
「まだ自由にしてえっていうかさ。なあ、緑谷はなんか知んねえ事務所に行ったよな。もっと有名なとこ行くかと思ったぜ」
「うん、グラントリノのとこだよ。まだ教えてもらいたいことがいっぱいあるんだ。オールマイトも時々来てくれるんだよ」
「切島、お前はファットガムんとこ行ったよな」
「ああ、インターンで世話になったしな」
「大阪どうよ」
「居心地いいぜ。食い物美味いし、ノリが良いしよ。でもやっぱ、ファットガムがマジでカッコいいんだよ。ああなりてえよな」
 インターンの話から、自然に話題は高校の頃の思い出に移った。
「1年の頃、お前と爆豪、すっげえ喧嘩したよな」上鳴はにやにや笑って言った。「謹慎くらうほどの喧嘩なんて、あいつならともかく、緑谷は意外だったぜ」
 切島が肘でこずいた。「時々熱いよな、お前」
「あー、うん、まあ僕も意外だったというか、勢いで」
 売られた喧嘩を買うなんて、我ながら、らしくなかった。勝己が悩んでるなんて思わなくて、というより、あの勝己が悩むことがあるなんてと驚いた。そんな彼のSOSだ。助けなきゃいけない、自分にしか出来ないことなんだと思った。受けて立つしかなかった。怒られたけど、あれで良かったんだ。
「やっぱ男は拳で語らなくちゃな。殴り合って分かり合うって、男らしいぜ」
「いや、かっちゃんとわかり合ったかどうかは、微妙だけど」
「あれからお前ら、無闇に揉めなくなったじゃねえの。結果オーライだぜ」
「雨降って地固まるってやつだよな。話さなきゃわかんねえことはあるからよ」
 切島に追従して、上鳴がうんうんと頷く。本当にその通りだ。
 彼らと話していて思う。グラウンドベータで喧嘩した時。勝己は言っていた。出久が何を考えているのか、ずっとわからなくて、苛ついていたのだと。見下ろしていると思ってたなんて、吃驚した。観察してただけなのに、そんな風に取られてたなんて。
 とはいえ追いつきたかったのは本当だ。それは以前に彼にも言ったことだ。個性の性質も違うし、追い越しようがないけれど、気持ち的な部分でというか。
 もっと早くに誤解を解いてればよかったと思う。でも言ってくれなきゃわからない。以前のかっちゃんは、僕の話なんてまるで聞いてくれなくて、会話にならなかった。本当、人が何考えてるかなんて、わからない。
「どうしたよ、緑谷、ぼうっとしてよ」
 上鳴の声に、過去の世界に沈んでいた意識が、現在に引き戻される。
「うん、益体も無いことだけれど、もしかっちゃんと普通の幼馴染らしく仲良くしてたら、君達のような関係になれたのかなって思って」
「あー、ちょっと無理じゃねえかな」
 上鳴にさらっと返された。恥ずかしくなって、言い訳じみた返事をしてしまう。
「そうだよね。流石に性格が違いすぎて合わないよね、だったらいいなって思って」
「いや、違うって、誤解すんなよ!無理ってのはそういう意味じゃねえよ。じゃなくて、爆豪にとって難しいっつーか、別の意味でよ。いい意味で!なあ、切島」上鳴は焦った様子で切島に振った。
「そうそう、爆豪はさ、自分だけの測りを持ってて、他人の評価なんて、気にしねえ奴だったろ。俺らはもちろん、先生の評価すら屁でもねえ。でも、唯一、お前にどう見られてるかだけは、気にしてんだよな。なんつーか、緑谷は特別なんだよ」
「そんなことないと思うよ」
 フォローしてくれる気持ちは嬉しいけど、友達になれないのに特別なんて、意味がわからない。
「さてと、ところでさ、」と何気ない調子を装って、上鳴が口を開いた。
「お前さ、浮いた噂全くねえけど、付き合ってる奴いたりすんの?」
「ううん、ないよ。全然」
「交際に興味ない口か?」
「え?そんなことないよ。縁がないだけだよ。ヒーローの仕事の忙しさにかまけて、そっちは疎かになってるだけ」
「じゃあよ、紹介したい奴がいんだけどよ。どうだ?」
「ええ?今日の話って、そういう話だったの?」
「まあな、お前も興味あんだろ?」
「それはまあ、なくはないよ、でも、こ、心の準備が」
「こういうのは勢いだぜ」
「そういうもんなの?」
「そうそう、考えるよりノリと勢いだぜ」切島も調子を合わせた。
 うわあ、ドキドキする。お付き合いするなんてはじめてだ。中高生の頃は恋愛にほんのり憧れたりしたけれど、結局、雄英三年間は何もないままに卒業。社会人になったらますます縁遠くなった。
「その子って、どんな人?」
「ああ、まあ、いい奴だぜ。ちーっと気が強いけど」
 何故か上鳴は口ごもった。
「か、かわいい子かな」
 顔はそんなに気にしないけど、でもちょっとは気になる。
「あー、面はいい方だな。割と整ってるぜ」
 と言いながら、上鳴の視線が泳ぐ。何かおかしい。
「上鳴、言わねえわけにいかねえだろ」
「だよなあ…言わねえで会わせちゃえばいっかと思ったけど」
 切島に窘められ、上鳴はくるっと向き直って真顔になった。
「あのな、紹介したい奴って、爆豪なんだ」
「え?」
「爆豪がお前と付き合いたいらしいんだ」
「え?何言ってんの?」
「冗談じゃなくて、マジだぜ」切島が上鳴の後を継ぐように言った。
「あいつモテるくせに誰とも付き合わねえし。興味ねえのかって聞いたら、逆にお前に恋人がいるのか聞かれたんだよ」
「それ、ただ聞いただけじゃないの」
「信じねえのかよ。まあ、そうだよな。仕方ねえ、見せてやるよ。これがそのやりとりした時のグループラインなんだけどよ」
「かっちゃん、グループラインしてるの?へえ、意外」
「高校んときあいつに勉強のこと聞くために作ったグループ「バカの壁」だ。ひでえだろ。あいつの命名だ。上鳴もいるし、常闇とか瀬呂もいる。そのまま高校ん時の奴との連絡に使ってんだ。で、こん時はあいつに近況聞いて、えーと、こっから読んでみろ」
 切島はスマホの画面をスクロールすると、出久に差し出した。

「というわけだ。信じるか」
「信じがたいけど、信じるしかないよね…」
 さっきの、友達は無理ってそういう意味だったのか。額にじっとりと変な汗が出た。
「僕、押されたら付き合っちゃうように見える?」
「見えるぜ。てか、押されねえとつきあわねえって感じだな」
 切島は揶揄うように言った。そんなことない、とは言えない。ヒーローになった今でも、自分が誰かの恋愛対象になれるなんて思えない。きっと恋愛ってふわふわして甘い。そんな想像をするけれど、別世界の気がしてならない。
「お前が独り身でいる限り、爆豪は諦められねえんだよ。あいつは誰とも付き合えねえんだ」
「でも、でも、あのかっちゃんだよ。そういう雰囲気なんて、今も昔も片鱗もないよ」
「お前が気づいてねえだけだ。俺らは近くにいたからわかってんだよ。でなきゃあんなプライドの高い奴が、俺らの計画に乗ってくるわけねえだろ。あいつは自分じゃ絶対言えねえんだ」
「緑谷にはいつも偉そうでいたいんだろーな。ほんっとめんどくせえよな」上鳴が呆れたように口を挟む。「お前がダメだってんなら、きっぱりふってくれりゃいいんだ。そしたらスッキリして、あいつも前に進めんじゃね」
「明日の土曜日、待ち合わせ場所に、上鳴があいつ連れて来るからよ。もし嫌なら、お前来ないでくれよな。それが返事ってとこにするからよ。何もなかったことにして、今まで通りに出来るしよ。でももし付き合ってもいいってんなら、迎えに行くから、俺と一緒に来てくれよな」
 最終列車に飛び乗って、家に帰って来た。
 遅くなってしまった。リビングの灯りは既に消えている。母は寝ているのだろう。音を立てないように部屋に入り、ベッドに突っ伏す。平日は始発で出ないといけないから、母と顔を会わせるのは週末くらいだ。毎日寝るためだけに帰っているようなものだ。
「あー、どうしよう」落ち着いてよく心に問う。
 本気なのかっちゃん?彼らが言うなら本当なのだろう。かっちゃんが嘘をつく理由なんてない。証拠のラインだってあるんだ。
 人と付き合ったことなんてないし、そもそも考えたこともない。自分にとって晴天の霹靂だ。紹介されるのが男で、しかも相手が勝己だなんて。現場でたまたま会う時だって、恋愛を匂わせる雰囲気なんて微塵もないのに。
 でも本当に勝己が思ってくれているのだとしたら。
 幼い頃からの憧れと畏怖の対象。幼馴染に抱く思いとしては入り組んでいて、名前のつけられない感情を引き起こす幼馴染。彼が恋人になるなんて想像もできない。不安しかない。
 ならやめたほうがいいのかな。けれども、理由は?
 勝己は高校の時までは荒々しくて、粗暴だった。いや、過去形ではなく今も粗暴だけど、卒業後の彼は、真面目にヒーロー活動をしている。気が合うかといえばまるで合わない。でも、昔と違って、普通に話だってできる。
 いつも心の中にいて、気にせずにいられない存在。
 なぜだろう。おかしいな。問題点を探しても、確固とした断る理由にならない。ただ、漠然とした不安という感情だけだ。ならば。
 出久は身体を起こした。付き合いたいと言ってくれたのだ。元より恋愛自体が自分にとって未知の世界なのだ。たとえ相手が勝己でも誰であっても、未知なのは同じじゃないか。挑戦するいい機会だと思おう。飛び込んでみなければ何も変わらない。


2


「おお、来たんだな。緑谷」
 駅前のコンビニの前に立っていた切島が、こちらに向かって手を上げた。出久は改札を出ると足早に駆け寄る。
「うん、約束通り、僕行くよ」
「おお!そうこなくちゃな」
「かっちゃんの真意を知りたいんだ」
「おい、知るイコール付き合うことになんぞ。本当にいいのか?流されてねえよな」
「うん。大丈夫。僕決めたから」
「そうか。いやー、良かった。俺らもあいつに殺されないで済むわ」
「え?命懸けだったの?」
「いやいや、冗談だって。でもよ、ハッパかけたからには、いい方向に転がって欲しいじゃんよ」
 商店街に入ると、いきなり人の波に飲まれそうになった。休みの日は人でごった返している。はぐれないように切島の背中を追った。
 漸く待ち合わせのファーストフード店に到着した。外に設置してあるテーブル席に、ホッとした表情の上鳴と、険しい表情の勝己が座っている。
「遅えわ!クソが」
 まだ約束の時間前だけど、と思いつつ「ごめん」と出久は謝った。
「行くぞ。デク」勝己はすぐに席を立った。「え?皆でご飯食べるんじゃないの?」
「いやいや、デートの邪魔はしねえよ」
「じゃ、後はお若い2人でごゆっくり」
「うるせえ。クソが!さっさといけや
 上鳴と切島はにやにや笑いながら、店内に入っていった。
 すぐにふたりきりにされるなんて、思わなかった、どうしよう。
 勝己は出久に向かい「離れんなよ、クソナード」と声をかけた。緊張してしまい、うんうん、と数回頷く。
 再び商店街の人混みに戻ることになった。勝己はすいすいと、器用に人の間をすり抜けてゆく。出久は必死で背中を追ったものの、人の波にぶつかり押されてしまった。見失いそうだ。
「かっちゃん、待って」と声をかけた。
「ああ?」と勝己は振り向いて、眉根を寄せる。「てめえ、ついて来いっつったろーが」
「だって、かっちゃん、足早いよ」
 人混みの中でほらよ、と伸ばされた手を掴んだ。力強く温かい。
 散々な目にあった思い出しかない、爆破の個性を持つ彼の掌。それを頼もしいと思うなんて。
 漸く商店街を抜けることが出来た。ほっとする。しかし手は繋げられたまま、離されない。
 男同士で手を繋いで、往来を歩いているなんて。恥ずかしくなり、そっと指を緩めた。しかし、勝己の手はさらにぎゅっと掴んでくる。
 え?まだ、離しちゃだめなのか。かっちゃんの表情は変わらないけど。付き合ってるから、なのかな。ぽっぽっと頬が熱くなってきた。
 周りの人から、どう見られているんだろう。つい人目を気にして、キョロキョロしてしまう。でも誰も自分達を気にしてないようだ。今の時代、性別も体格も個性によっても、多様なカップルがいるから、珍しくないのだろうか。
 ショーウィンドウ自分達が映っている。周囲に溶け込んで違和感がない、ように見える。だんだんと手を繋いでることが、気にならなくなってきた。
「ここだ」と勝己はレトロ風の洋食屋の扉を開けた。りん、と澄んだドアベルの音が鳴る。
 繋いだ手がやっと解かれた。ほっとしたけれど、少し寂しく感じる。
 店内の灯りは抑えられていて仄暗い。燻んだ木造りの内装はヨーロッパ風に揃えられ、アンティークな時計やバースタンドがある。雰囲気があってかっこいい。案内されたテーブルには、グラスにロウソク型の電球が入っていて、暖かな光が灯っている。ちかちかと瞬いて本物の炎のようだ。
ビーフカツでいいな。この店の名物だ。てめえ、カツ好きだろ。」
「うん、好きだよ。豚カツとかメンチカツならよく食べるけど。へえ、牛カツなんて初めてだ」
 値段も意外とリーズナブルだ。勝己はウェイターを呼んで注文を取り、メニューを閉じると黙ってしまった。
 緊張で喉が乾いた。お冷を口に含んで舌を潤す。なんか、話題話題。大丈夫。今のかっちゃんは無闇に怒ったりしない、はずだよね。もじもじと顔を上げると、勝己の視線とかちあった。
「デクてめえ、まだ家から通ってんだな。てめえの職場から遠いのによ」
 勝己が先に口を開いた。
「うん、事務所まで特急で数時間だよ。でも通えなくはないし」
 始業時間が特に決まってないから、家から通えるのだ。でもできるだけ、早起きするようにしている。帰り時間はヒーロー活動次第だから読めない。終電を過ぎてしまって、事務所に泊めてもらうこともしばしばある。
「俺のマンションからのが近えよな」と勝己は職場の住所を告げた。
「へえ、事件現場で時々会うし、同じ市内だとは知ってたけど、近所だったんだね。かっちゃんはすぐ一人暮らし始めたよね」
「は!家から事務所まで距離あんだ。たりめーだろーが。元々卒業したら、家出ると決めてたからよ」
「一人暮らし始めた人多いね。皆、全国に散ってしまったもんね」
 料理がテーブルに置かれた。しばし舌鼓を打つ。牛のカツは豚とはまた違う味で新鮮だ。美味しい美味しいとパクつく出久を、勝己はガキかてめえ、と呆れたように揶揄する。
「オイデク、来週空いてんのか」
 まっすぐに出久を見据えて、勝己が尋ねた。暖色の灯りに浮かび上がる表情が、妙に真剣で緊張する。けれど、開いてるって?何を聞きたいんだろう。
「うん?何が?」
「週末の予定だ。わかんだろーがよ、クソが」
「え?僕ら、来週も会うの?」
「ああ!たりめーだろーが!」
「ごめん。そっか、そういうもんか。予定確認しないとはっきり言えないけど、多分空いてるよ」
「じゃあ、来週土曜日の10時、てめえんちに迎えに行く。いいな」
 直ぐに次の約束を取り付けられ、時間まで決まってしまった。
 店を出ると、勝己は手を差し出した。繋げってことだよね、違うのかな、と逡巡していると、引っ手繰るように手を掴まれた。再び手を繋いで往来を歩くことになった。今度は五本の指を絡ませるようにして。
 その日はゲームセンターやスポーツ店に立ち寄ったり、街を散策して、駅で別れた。
 階段を登りかけて振り向いた。改札を隔てた向こう側に、勝己は去らずに立っている。出久と視線が合うと、勝己はしかめ面して顔を背けた。
 家までの帰り道、団地の手前の角を曲がれば、勝己の実家がある。どこから帰っても、この曲がり角まではいつも一緒だった。駅で別れるのは変な感じだ。
 手のひらを広げてみた。肉厚で力強い掌の感触が残っている。


3


 インターホンが鳴った。席を立とうとした母に自分が出るからと言い、慌ててドアを開けると、勝己が立っていた。
 幼い頃の姿がフラッシュバックする。
 まだ勝己との関係に距離ができる前までは、家によく迎えにきてくれた。
 自分は幼稚園や小学校から帰ったら、パソコン開き、オールマイトの動画に齧り付いて、家にこもりがちだった。でも晴れた日には、いつも勝己が呼びに来た。
「さっさと来いや、行くぞ」
 あの頃は勝己が誘いに来ると、喜んで外に遊びに出ていたのだ。
 勝己は出久の顔を見るなり眉根を寄せた。
「まだ着替えてねえのかよ!遅えわ、クソデク。俺が来る前に準備しとけとや」
 まだ10時には15分も前なんだけどな、と思いながら「ごめん」と謝っておく。
「てめえ、先週この映画見てえって言ってたよな」
 スマホ画面を目の前につきつけられた。表示されているのは映画会社のサイト。今月封切られたばかりの、ハリウッドのヒーロー映画だ。
「うん。このシリーズは全部見てるよ。配信されるの待って、見ようと思ってるんだ。役者の個性が本物だから、迫力が凄いんだよね。でも今回の新キャラは時間を操る超人だから、さすがに…」
「うぜえ、薀蓄はいらねえわ。てめえはこれ見てえんだな。なら見に行くぞ」
「でも、待てば配信で見れるんだよ」
「ああ?クソが!さっさと着替えろや。行くぞ」
 勝己は有無を言わせず、出久を急き立てた。電車に乗って移動し、映画館に到着した。めあての映画は3階のようだ。上映スケジュールを確認してほっとする。
「もうすぐ始まるね。いい席が残ってるといいけど」
 発券機でチケットを買おうと財布を出すと、勝己に制せられた。
「てめえが遅えからもう買ったわ」
 手に持った2枚のチケットをひらっと示す。一緒にいたのにいつの間に買ったのだろう。
「あ、ありがとう。じゃあ僕の分払うよ」
「いらねえ」
「え?でも」
「いらねえって言ってんだ!クソが」
「だって、奢ってもらう理由がないよ」
「クソナードが!なら飲みモンでも買えや」
「え、全然安いけど。じゃあポップコーンも買う?」
「いらねえ。映画見てんのにボリボリうるせえ音させんのは、性に合わねえ」
 ブラックのアイスコーヒーと炭酸飲料を買って、席に着いた。上映時間が迫ってくる。わくわくしてきた。
「浮かれてんな。てめえ」
「映画館で映画見るなんて、久しぶりかも」
「俺もだ。つーか、家でも映画なんざほとんど見ねえ」
 チケットの値段は高いし、好きなシーンを繰り返し見たり出来ないけど、大画面と臨場感のある音響で見るのは楽しみだ。ここにいる皆がわくわくしながら上映を待っているんだ。一緒に一つのものを見る一体感っていいな。
 でも、かっちゃんはそんなに映画見ないんだっけ。僕に合わせてくれたのか。
 客電がすうっと消えた。次回上映作の宣伝映像が始まる。気分が高揚してきた。
 ふと、勝己の手が手の甲に置かれた。驚いて胸が跳ねる。
 爆破の衝撃に耐える、皮の厚いゴツっとした温かい掌だ。ただ置かれてるだけ、なのに。何故だろう。動悸が早くなってきた。
 画面が何かに遮られ、見えなくなった。
 真っ暗な影は勝己の顔だ、表情はわからない。スクリーンが見えないな、と顔を傾ける。勝己の顔が近づいた。
 柔らかいものが唇を掠めて、すっと離れた。
 唇に残る微かな温もり。かっちゃん僕にキスした?いや、今のはキスだったの?事故じゃないの?柔らかくて、温かくて、ぷにゅっとして。
 映画会社のマークが出て、本編が始まった。けれど、映画の内容が全然頭に入ってこない。
 勝己の指にするっと手の甲をなぞられた。擽ったいのにドキドキする。骨に沿ってするすると撫でられ、また手の甲の上に重ねられ、ぎゅっと握られる。
 スクリーンの光に仄白く照らされた勝己の横顔は、いつになく静かで、表情は読めない。
 エンディングが流れ、客電が着いた。
 顔が赤くなってるのではないだろうか。手で頬を覆い「お、面白かったね」と誤魔化すように言った。本当は勝己の悪戯が気になって映画どころではなかった。
「ああ」と生返事が返ってきた。
 ロビーに出ると「おいデク」と呼ばれ、腕をくいっと引かれた。映画館の片隅に連れていかれる。
 壁に背を押し付けられ、顎を掴まれて再度キスをされる。やわらかな感触。さっきのは事故ではなかったのだ。唇が離れるとほうっと息を吐いた。でも鼻先が触れるほどに顔は近いままだ。
「口開けや」
 言われるままに薄く口を開いた。勝己の唇が被さる。今度は掠めるだけじゃない、粘膜の擦れ合う濃厚なキス。水音が口内から鼓膜を震わせる。
 唇が離れても、頭がぼうっとして、胸の動悸がおさまらない。
 駅から歩く夕暮れの帰り道、唇の感触を思い出してまた鼓動が早くなる。今も近所に住んでたなら、帰り道もずっと一緒だった。ちょっと寂しく思ってしまう。でも、きっと平静でいられなかっただろうから、これで良かったのかも。
 来週は行くまでに準備しとけや、と勝己は言った。またデートの約束をした。
 ふわふわして甘い。これが恋愛なのかな。


4


 大水槽の中を揺蕩う海月の群れ。薄いレースの衣を着ているような、半透明の儚い幻。でも本当はゼリーのような手触りなのを知っている。
 綿飴をちぎったような雲の浮かぶ空
 波打ち際を撫でる白い泡。
 青い海から顔を出した薄黄色の頭
 波を蹴立てて近づいてくる幼い勝己。
 ぽてりと手に乗せられた、透明なすべすべした塊。
 これは何なのと問うと、海月だと言った。
 刺されると慌てたら、ミズクラゲは刺したりしねえよと笑った。
 ひんやりとして身動きしない、つるりとした手触り。
 本当に生き物なんだろうかと思った。
 掌に乗せたまま海水に浸して離したら、海月はするりと波に浚われ、ゆらゆらと泳いでいった。
 陽光の下の眩ゆく煌めく波
 遠い日の夏の海。
 ここは海ではないけれども。水槽の中を青い照明が淡く照らす。館内にいる人々も静かに影に沈み、音もなくて深海のようだ。
 まるで夜の海に、2人きりでいるかのような錯覚を起こす。だけど何故だろう。
 出久は隣に立っている勝己を窺い見た。ほの青く照らされた顔は静かで、表情は読み取れない。
 今日は勝己の車で連れてこられた、水族館の中にいる。
 お昼過ぎに「おい、着いたぞ。出て来いや」と勝己から携帯で呼び出された。
 ドアを開けても誰もいなくて、でも呼ぶ声が聞こえて、下を見下ろした。団地の入り口前に停車した目立つ赤い車の中から、勝己が姿を見せた。てっきり今日も電車だと思っていた。
 勝己の車の助手席に座るのは、初めてなので緊張した。でも、海沿いの道を走るのは爽快で、リラックスしてくると、自然に感嘆の声が出た。
 しかし、初めこそ返事を返していた勝己の言葉数は、目的地に近づくにつれ、次第に少なくなっていった。
 ここに来てからは、ほぼ沈黙している。
 どうしたんだろう。僕何かしたのかな。
「オイ、クソデク、今日で何回目のデートだ?」
 やっと勝己は口を開いた。
「え?3回目だよね?」
「そうだ。3回目ともなれば決めなきゃいけねえ。わかってんだろうな」
「ええ?」
 出久は驚いて聞き返した。付き合うかどうか決めるってことなのか?まだ勝己は決めかねていたのだろうか。いや、初めから付き合ってから、決めるつもりだったのか。
 そういえば、勝己からは好きとも何とも言われてない。上鳴くん達がそう言ってただけで、勝己自身の気持ちを聞いたわけじゃないのだ。
「僕らまだ付き合ってなかったの?」
 出久は問うた。やっぱりやめるって言われたらどうしよう。急に置き去りにされた気分になった。
 勝己に会うのが、楽しみになっていた。こんな風に一緒に過ごすのが、ずっと続くのだと思っていた。気持ちが彼にどんどん傾いて行くのを感じていた。もうおしまいなのなら、この気持ちはどこに行けばいいのだろう。元になんて戻れない、戻せない。
「あ?違えわ!死ねやクソカス!ざけんな!てめえはまだ、んな世迷言を。クソカスが!クソが。クソが!」
「か、かっちゃん?」
 あまりの剣幕に圧倒された。勝己は射るような目で出久を睨みつける。
「付き合ってねえのかだと?てめえよくもそんな戯言を言えるよなあ」
「でも、君は何も言わないから」
「言わなきゃわかんねえのか!クソが!てめえはこ、恋人だろうが」
「恋人?」ボワッと顔が熱くなった。「3回しか会ってないのに恋人って、わかんないよ。実感ないよ」
「ああ?わかんねえだと?ざけんな!そうでなきゃあ、俺が貴重な休日の時間割いて、デートしたりするかよ。前もってチケット買ったりするかよ。わざわざ車出して、水族館くんだりまで来るかよ!わかれやボケ!」
 安堵が胸に広がった。こんなにも嬉しくなるなんて。
「良かった」頬が緩んで、笑みが零れる。
「ああクソ、クソボケが!来いデク!」
 勝己に腕を掴まれ、引き摺られるように水族館を出た。車に押し込まれる。
「クソがクソが!」と連呼しながら勝己は車を飛ばす。
「てめえは自覚が足んねえようだな。クソデク。決めるってのは覚悟だ。俺のもんになる覚悟だ!つっても、今更てめえにはもう選択権はねえ。確認しただけだ」
 海沿いの道から進路が変えられた。帰り道ではない方向だ。街中を走り、タワーマンションに到着した。地下の駐車場に車を停め、上に上がった。勝己がカードキーをタッチすると、自動ドアが開いた。
「ここ、かっちゃんのマンション?すごいね」
「クソが。セキュリティを考えりゃ、これくらい普通だ。プロヒーローの常識だろーが」
 堅実な勝己らしい返答だった。エレベーターは上昇し、扉が開いた。うっかりして見てなかったけど、何階なんだろう。廊下にある細い窓から夜景が見える。窓の半分が以上が夜空ということは、相当上の階からの景色だ。
 腕を引かれ、勝己の部屋に入る。壁にある機械にカードキーを差し込むと、自動で足元の灯りがついた。廊下を抜けるとリビングがあり、カーテンのかかった大きな窓がある。リビングの間接照明の灯りも自動でつくようだ。壁がほの明るい光に照らされている。
「灯りのスイッチは?」
「あ?ついてんだろ。これで十分だ」
「ちょっと暗くないかな」
 問うと何故か睨まれた。
「景色見ていい?」と聞くと「後にしろや。その前にシャワー浴びろ」と浴室に押し込まれた。
 ひょっとして、今から?
 勝己の部屋に2人きり。身体を洗っていると、じわじわと実感がわいてきた。頭がふわあっと熱くなってくる。かっちゃん本気なんだ。
 浴室を出ると、すぐに勝己が入れ替わりに入った。勝己がシャワーを浴びてる間、悶々と考える。服は着ていいよね、とシャツに袖を通す。
 カーテンをそっと捲った。向かいのビルはホテルかな。ガラス張りのエレベーターが上がって行く。眼下には街の灯りが散らばって星のようだ。
 カーテンを摘む指先が震えているのに気づいた。いつかするのかなとは思ってたけど、もっと先だと思ってた。
 それに、何も調べてない。男同士でどんなことする気なんだろ。調べたらわかるだろうけど、なんて言葉で検索すればいいんだろ。
 かっちゃんは洗うの早いから、すぐ浴室から出てきてしまう。時間がない。
 そもそも、大事なことを確認してない。それ次第で、準備も心構えも変わってくる。
 出久は携帯を手に取り、ラインを開いた。


5


デク:@切島 今時間ある?

 

切島:緑谷か、どうだ、爆豪と上手くやってるか?

 

デク:うん。それで、切島くん、あの、聞きたいんだけど、男同士だと、あれの時どうするのかな

 

切島:あー…、なるほどね。まあ、やるこたあ男女と変わんねえんじゃねえの?人間だし

 

デク:でもその、男女なら役割がはっきりしてるよね。かっちゃんは男役と女役とどっちのつもりなんだろ

 

うぇーい:おっとお、面白い話してんじゃん

 

切島:おう、上鳴

 

うぇーい:おいおい、そりゃあ、愚問だぜ、緑谷。あの爆豪だぜ。わかりきってんじゃねえか

 

デク:そ、そうだよね。やっぱりそっかあ

 

うぇーい:なに、お前ら、もうそこまでいってんのか

 

デク:違うよ。そのうちそんな時が来たらってことだよ。何も調べてなくて。でも、さ、触りっこくらいだよね。初めてだもんね

 

切島:そーだなー、いきなりはねえだろ。あいつも多分経験ないだろうしな

 

うぇーい:いやいや、甘えんじゃねえか。爆豪だぞ。手加減する玉かよ

デク:そ、そうか。でもなんか用意必要だよね

 

うぇーい:ラブホなら色々揃ってんだろ

 

デク:いや、普通に部屋だから、ああ、違う、普通のホテルの部屋だった場合ってことだよ

 

切島:緑谷、ここまで来て、切羽詰まったお前の状況が、わからねえ俺らじゃねえぞ。爆豪んちかよ。ならきっと用意…

 

 浴室のドアが乱暴に開けられ、驚いて心臓が飛び出そうになった。
「おい、デク!」と勝己が怒鳴った。
 切島からの文面を読みきれず、慌ててスマホの電源を切った。タンクトップとハーフパンツを身につけた勝己は、出久を見て顔をしかめる。
「ああ?んだてめえ、しっかり着込みやがって。しかもスマホ持って何してやがる」
「な、なんでもないよ」
「おいこら。見せろや」
 ズカズカと近づいてきた勝己に、あっという間にスマホを取り上げられた。
「あ、あ、かっちゃん」
 勝己は「最近使ったアプリ」を確認し、「ふん、あいつらとのグループラインかよ」と言うとラインを開いた。画面を見る勝己の目が、みるみる釣り上がってゆく。ああ、やばい。
「てめえざけんな!奴らに何聞いてやがんだ!クソナード!阿呆かよ」
「ごめん、僕動転してて」
 それとなく尋ねるつもりだったのに、彼らに気取られてしまった。かあっと?が熱くなる。勝己は烈火の如く怒ってる。何してんだろ、僕。
「クソがぁ!」と吐き捨てて、勝己はスマホをソファに放り投げた。
 肩でぜいぜいと息をして、頭から湯気が出てるようだ。本当に湯気出てる。風呂上がりだからか。そうじゃなくて、どうしよう。怒らせてしまった。
「だが、覚悟はしてるってこったな。クソデク。知りてえんなら教えてやるわ」
「かっちゃん?」
 振り向いた勝己は、にかっと悪辣に笑っている。
 肩を抱かれて、ベッドルームに連れていかれ、押し倒された。
「こういうことだ。てめえは俺の下だ!」
 勝己は出久の下腹に乗り上げ、馬乗りになった。ハーフパンツが押し上げられ膨らんでいるのが目に入る。
 かっちゃんのかっちゃんが、もうかっちゃん状態だ。なんでもうこんなに?
 出久の両腕はシーツに押し付けられ、拘束された。
「触りっこだけとか有り得ねえわ。ガキじゃあるめえし。フルコースに決まってんだろーが」
「ちょ、かっちゃん待って」
「は!今更嫌だとか聞かねえぞ。奴らに知られちまったんじゃあ、もう引くわけにはいかねえしよ。引くつもりはハナっからなかったけどな」
「そ、そうじゃないけど」
 雰囲気も前触れもなく、始まってしまうのか。付き合うことすら未知だった自分にとって、展開が急すぎる。目が回る。
「てめえ、怖気付いたのかよ」
「まだ早すぎるかな、て」
「段階は踏んだ。てめえに心の準備時間は十分やったろーが」
「でも、3回しかデートしてないのに」
「黙れや、クソが」
 勝己は屈み込み、顔を近づける。「どんだけ待ったと思ってんだ。観念しろや、クソデク」


6


 カーテンを開けると、早朝の明るい日差しが差し込んできた。ダイニングが眩い光に満たされる。出久は窓の外を見下ろした。
 見晴らしがいい。遥か向こうには港があるのだろう。荷下ろしのクレーンが見える。昨夜はビルの窓灯りが星のように見えたけれど、彼方にあるのは高層ビル以外の何者でもない。
 キッチンから勝己が顔を出した。「あり合わせのもんだ」と言いながら、テーブルに朝食を乗せた盆を置く。皿には温めたクロワッサンとベーコンエッグとコーヒーが乗っている。
 昨夜は疲労と痛みでとても動けず、シャワーを浴びた後、勝己の部屋に泊まった。今もあそこにまだ挟まってるみたいだ。
 セミシングルのベッドに、勝己に抱きしめられて眠った。背中に感じる温もり。微睡みの中で、ダブルにしねえとな、と勝己が呟いてたような気がする。
「おいデク、来週末から同棲だ。迎えに行くからな」
 クロワッサンを齧りながら、勝己が告げた。びっくりして顔を上げる。
「ええ!早すぎるよ」
 昨晩、半ば脅迫まがいに責められて根を上げ、要求を飲むしかなかった。しかし、来週だなんて。
「てめえはうちに来るっつったよな」
「言ったよ、言ったけど」
「早かろうが遅かろうが、同じだろうが!それまでに、最低限の身の回りの荷物をまとめとけや。部屋の準備はしておいてやる。細けえもんはおいおい、揃えていきゃいい」
「待って、聞いてよ、かっちゃん」
「ああ?ぐだぐだ言ってんじゃねえ。てめえはOKしたろーが!もう決定事項だ」
 たった3回の逢瀬で全部決まってしまった。あれよあれよと事態が進んでしまい、思考が追いつかない。迷う暇は与えられないようだ。
 強引で自分勝手で、僕の言うことなんて、何一つ聞いてくれない。
 でも奇妙なことに、今はそれでも、断る理由が見つからないのだ。
 ふわふわして甘いような、足が地につかないような。でもそんな夢心地から、あっという間に卒業させられてしまった。もう少し浸っていたかったと思うのは、贅沢なんだろうか。
「僕は初めてなんだよ、かっちゃん」
 負け惜しみじみた言葉を呟くと、勝己の手が出久の頭をがしりと掴んで引き寄せた。
「ああ?初めて?何言ってんだてめえ。初めて初めてってなあ、オイ」
 正面から見据えられてドキッとする。赤い瞳がすうっと細められた。
「耳かっぽじって、よく聞きやがれ。てめえの初めての男も、最後の男も俺だからな」
 そう告げると勝己は悪戯っぽく笑った。


END

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デート(R18版)

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爆殺王:おい、クソデクには付き合ってる奴はいねえんだな

 

切島:今んとこあいつに彼女いるとかいう話は聞いたことねえよ

 

爆殺王:は!だろうよ!

 

切島:で、お前はどうなんだよ

 

爆殺王:ああ?クソデクにいねえのに、んな浮ついたことしてられっかよ

 

切島:それってよ、緑谷に恋人ができるまで、お前も恋人作らねえってことかよ。緑谷に恋人出来たらどーすんだ

 

爆殺王:ああ?デクにンな相手ができるわけねえだろ

 

切島:わかんねえぞ。あいつ優しいからよ。緑谷に気がなくても、グイグイ押されたら付き合っちゃうかもしんねえぞ

 

爆殺王:はさなやたややはさ

 

切島:おいおい、何て書いてんだ。読めねえぞ。取り乱してんのか

 

爆殺王:俺は冷静だ!くだらねえこと連絡してくんな。うぜえわ

 

切島:お前が聞いたんだろーがよ。あいつに先越されるほうが、お前ムカつくんじゃねえかよ

 

爆殺王:デクが誰かと付き合えるわけねえだろ。オールマイトの話しかしねえオタクだぜ。集中すると人の話なんも聞かねえし。そんじょそこらの奴がついてけるかよ

 

うぇーい:あいつのことよくわかってんじゃんよ。じゃ、お前が付き合っちゃえよ、爆豪

 

切島:お、上鳴。うっす

 

うぇーい:うっす。なんか面白そうな話してんじゃん。混ぜろよな。お前が一番緑谷をよく分かってるってんだろ、爆豪。気になんだったらよ。お前が付き合っちゃえばいいんじゃん

 

爆殺王:さあまさたかむはます

 

切島:なんだ、また取り乱してんのか

 

爆殺王:うるせえ!俺はいつも冷静だ!クソが

 

うぇーい:俺はぴったりだと思うぜ、お前ら。破れ鍋に綴じ蓋っていうだろ。緑谷みたいな一見まともそうに見えて、ぶっ壊れた奴には、お前みたいな直情に見えて、実は沈着冷静な奴が合ってると思うぜ。マジで。な、切島もそう思うだろ?

 

切島:ああ、先越されることもなくなるし、一石二鳥じゃねえか

 

爆殺王:無責任なこと言ってんじゃねえよ。クソが

 

うぇーい:緑谷に聞いてみりゃいいじゃん

 

爆殺王:ああ?デクに舐められてたまるかよ

 

切島:緑谷は好意を示してくれた相手を、舐めたりしねえだろ

 

爆殺王:好意??はあ?誰が誰にだ

 

切島:お前ここまできて…

 

うぇーい:まあ、面と向かって告白して振られたら、その後どう付き合ったらいいのか、困っちまうよな

 

爆殺王:さたはたたさたかまなまほ

 

切島:落ち着け爆豪

 

うぇーい:じゃあよ、なんなら取り持ってやろうか?俺らが呼び出してそれとなく聞いてやるよ。OKだったら決まりだし、断られたらなかったことにできるしよ。直接言うんじゃねえから平気だろ

 

爆殺王:は!あいつがOKするわけねえ。クソが

 

切島:てことは、OKなら付き合いてえんだな?あいつの真意が、はっきりすりゃいいんだよな。じゃ、お膳立てしてやるからよ

 

爆殺王:勝手にしろ!


1


「緑谷、こっちだ、こっち」
 ファミレスの店内に入った途端に名を呼ばれた。出久は声のする方に視線を向ける。奥の窓際の席に、上鳴と切島が座っていた。上鳴が「こっちこっち」と手招きしている。
「ごめん、遅れちゃって。待たせちゃったよね」
「いや、そうでもねえよ。遅れるってライン見たから、こっちも合わせたしよ」
 切島は出久に隣の席を勧めた。
「うん。ほんと久しぶりだね。上鳴君、切島君」
「お互い新社会人だし、何かと忙しいよな」
 そう言うと、上鳴はメニューを広げる。
「夕飯まだだろ?腹減ったし、色々摘もうぜ。ファミレス飲みっていいよな、安くてさ。俺金なくてよ」
 昨夜、上鳴と切島の2人で、明日の仕事帰りに会わないかと連絡があった。切島が出張でこっちに来るという。二つ返事でOKした。
 雄英を卒業してから、級友達はヒーロー事務所に入ったり、大学に進学したりと、それぞれの道を歩み出し、新生活が始まっていた。
 毎日クラスで顔を会わせていたのに、上鳴も切島も随分大人びてみえる。数カ月経っただけなのに。不思議な感じだ。
 かっちゃんはどうしてるかな。2人の顔を見るとつい思ってしまう。
 勝己は自分から人とつるむ方じゃなかったけれど、昔から周りに人が集まってきた。雄英にいた頃は、彼らのような元気な男子が、よく勝己の周りにいた。
 一年生の頃、上鳴に勝己が怖くなかったのか、と聞いたことがある。
 上鳴は言った。「だってよ、あいつ意外と良い奴じゃん。ああ見えて親分肌で面倒見いいしよ。テスト勉強ん時とか結構助けてもらってるぜ」それに、と不敵な表情で続けた。「俺はあいつと喧嘩しても、いい勝負だと思ってるからよ」
 強個性ならではの返事だった。
 切島に聞いた時は「あいつ強いし男気あんじゃん」と彼らしい答えが返ってきた。
「俺みたいな微妙な個性だと、やっぱ憧れちまうよな」と苦笑いする彼に、幼い頃の純粋な気持ちで、勝己を仰いでいた自分がダブった。
 小さな頃は自分も彼らと同じように。混じり気のない感情でもって、勝己と接していたのだ。万能感に溺れて、彼が変わってしまうまでは。
 でも、自分に見えてないだけで、今の彼の中にだって、あの頃の勝己がいるのかも知れない。無邪気で悪戯っ子な彼が。だからこそ幼い自分は、彼が変わってしまっても、惹かれていたのだろうから。
 ともあれ、彼らの言葉は、勝己への認識改めさせずにはいられなかった。勝己の乱暴な口調と態度は、三年間変わることはなかった。けれども、反射的なものだと思えば、次第に口の悪さにも慣れてきた。
 勝己との関係が段々好転してきたのは、他の見方を促してくれた、彼らのおかげでもあるのだ。
 卒業後、勝己はヒーロー事務所に入り、一人暮らしを始めた。寮生活で毎日顔を会わせていたのに、今はほぼ会うことがない。ヒーロー活動の現場でごくたまにニアミスするくらいだ。
 おかげで心穏やかな日々だけれど、いつも心をざわつかせていた存在がいない状態は、妙に気持ちを落ち着かなくさせる。
「なに食う?俺、唐揚げとピザがいいな。お前らは?」
 上鳴メニューを差し出した。受け取った切島はページをめくる。
「俺は刺身とタコの唐揚げと、枝豆は外せねえな」
「僕はええと、いっぱいあって決められないよ」
「焦んなくても、後で追加すりゃいいだろ。じゃ、とりあえず頼むな」
 ウエイトレスを呼んで注文すると、席を立って順番にドリンクバーに向かった。
「お前ら近況どうだ。俺はなかなか長続きしなくてよ。次の事務所が決まるまでバイト生活だ」
 レモンスカッシュを手にして、上鳴は席に着いた。
「お前の個性すげえ便利だけどな。攻撃にも使えるし、電力も使えんじゃん」切島が言った。
「そうそう、引く手数多なんだぜ。だからなかなか決め手がねえっていうか、決められねえんだよな」
「お前なあ、だから金欠なんだろ。真面目にやれってんだ」
「まだ自由にしてえっていうかさ。なあ、緑谷はなんか知んねえ事務所に行ったよな。もっと有名なとこ行くかと思ったぜ」
「うん、グラントリノのとこだよ。まだ教えてもらいたいことがいっぱいあるんだ。オールマイトも時々来てくれるんだよ」
「切島、お前はファットガムんとこ行ったよな」
「ああ、インターンで世話になったしな」
「大阪どうよ」
「居心地いいぜ。食い物美味いし、ノリが良いしよ。でもやっぱ、ファットガムがマジでカッコいいんだよ。ああなりてえよな」
 インターンの話から、自然に話題は高校の頃の思い出に移った。
「1年の頃、お前と爆豪、すっげえ喧嘩したよな」上鳴はにやにや笑って言った。「謹慎くらうほどの喧嘩なんて、あいつならともかく、緑谷は意外だったぜ」
 切島が肘でこずいた。「時々熱いよな、お前」
「あー、うん、まあ僕も意外だったというか、勢いで」
 売られた喧嘩を買うなんて、我ながら、らしくなかった。勝己が悩んでるなんて思わなくて、というより、あの勝己が悩むことがあるなんてと驚いた。そんな彼のSOSだ。助けなきゃいけない、自分にしか出来ないことなんだと思った。受けて立つしかなかった。怒られたけど、あれで良かったんだ。
「やっぱ男は拳で語らなくちゃな。殴り合って分かり合うって、男らしいぜ」
「いや、かっちゃんとわかり合ったかどうかは、微妙だけど」
「あれからお前ら、無闇に揉めなくなったじゃねえの。結果オーライだぜ」
「雨降って地固まるってやつだよな。話さなきゃわかんねえことはあるからよ」
 切島に追従して、上鳴がうんうんと頷く。本当にその通りだ。
 彼らと話していて思う。グラウンドベータで喧嘩した時。勝己は言っていた。出久が何を考えているのか、ずっとわからなくて、苛ついていたのだと。見下ろしていると思ってたなんて、吃驚した。観察してただけなのに、そんな風に取られてたなんて。
 とはいえ追いつきたかったのは本当だ。それは以前に彼にも言ったことだ。個性の性質も違うし、追い越しようがないけれど、気持ち的な部分でというか。
 もっと早くに誤解を解いてればよかったと思う。でも言ってくれなきゃわからない。以前のかっちゃんは、僕の話なんてまるで聞いてくれなくて、会話にならなかった。本当、人が何考えてるかなんて、わからない。
「どうしたよ、緑谷、ぼうっとしてよ」
 上鳴の声に、過去の世界に沈んでいた意識が、現在に引き戻される。
「うん、益体も無いことだけれど、もしかっちゃんと普通の幼馴染らしく仲良くしてたら、君達のような関係になれたのかなって思って」
「あー、ちょっと無理じゃねえかな」
 上鳴にさらっと返された。恥ずかしくなって、言い訳じみた返事をしてしまう。
「そうだよね。流石に性格が違いすぎて合わないよね、だったらいいなって思って」
「いや、違うって、誤解すんなよ!無理ってのはそういう意味じゃねえよ。じゃなくて、爆豪にとって難しいっつーか、別の意味でよ。いい意味で!なあ、切島」上鳴は焦った様子で切島に振った。
「そうそう、爆豪はさ、自分だけの測りを持ってて、他人の評価なんて、気にしねえ奴だったろ。俺らはもちろん、先生の評価すら屁でもねえ。でも、唯一、お前にどう見られてるかだけは、気にしてんだよな。なんつーか、緑谷は特別なんだよ」
「そんなことないと思うよ」
 フォローしてくれる気持ちは嬉しいけど、友達になれないのに特別なんて、意味がわからない。
「さてと、ところでさ、」と何気ない調子を装って、上鳴が口を開いた。
「お前さ、浮いた噂全くねえけど、付き合ってる奴いたりすんの?」
「ううん、ないよ。全然」
「交際に興味ない口か?」
「え?そんなことないよ。縁がないだけだよ。ヒーローの仕事の忙しさにかまけて、そっちは疎かになってるだけ」
「じゃあよ、紹介したい奴がいんだけどよ。どうだ?」
「ええ?今日の話って、そういう話だったの?」
「まあな、お前も興味あんだろ?」
「それはまあ、なくはないよ、でも、こ、心の準備が」
「こういうのは勢いだぜ」
「そういうもんなの?」
「そうそう、考えるよりノリと勢いだぜ」切島も調子を合わせた。
 うわあ、ドキドキする。お付き合いするなんてはじめてだ。中高生の頃は恋愛にほんのり憧れたりしたけれど、結局、雄英三年間は何もないままに卒業。社会人になったらますます縁遠くなった。
「その子って、どんな人?」
「ああ、まあ、いい奴だぜ。ちーっと気が強いけど」
 何故か上鳴は口ごもった。
「か、かわいい子かな」
 顔はそんなに気にしないけど、でもちょっとは気になる。
「あー、面はいい方だな。割と整ってるぜ」
 と言いながら、上鳴の視線が泳ぐ。何かおかしい。
「上鳴、言わねえわけにいかねえだろ」
「だよなあ…言わねえで会わせちゃえばいっかと思ったけど」
 切島に窘められ、上鳴はくるっと向き直って真顔になった。
「あのな、紹介したい奴って、爆豪なんだ」
「え?」
「爆豪がお前と付き合いたいらしいんだ」
「え?何言ってんの?」
「冗談じゃなくて、マジだぜ」切島が上鳴の後を継ぐように言った。
「あいつモテるくせに誰とも付き合わねえし。興味ねえのかって聞いたら、逆にお前に恋人がいるのか聞かれたんだよ」
「それ、ただ聞いただけじゃないの」
「信じねえのかよ。まあ、そうだよな。仕方ねえ、見せてやるよ。これがそのやりとりした時のグループラインなんだけどよ」
「かっちゃん、グループラインしてるの?へえ、意外」
「高校んときあいつに勉強のこと聞くために作ったグループ「バカの壁」だ。ひでえだろ。あいつの命名だ。上鳴もいるし、常闇とか瀬呂もいる。そのまま高校ん時の奴との連絡に使ってんだ。で、こん時はあいつに近況聞いて、えーと、こっから読んでみろ」
 切島はスマホの画面をスクロールすると、出久に差し出した。

「というわけだ。信じるか」
「信じがたいけど、信じるしかないよね…」
 さっきの、友達は無理ってそういう意味だったのか。額にじっとりと変な汗が出た。
「僕、押されたら付き合っちゃうように見える?」
「見えるぜ。てか、押されねえとつきあわねえって感じだな」
 切島は揶揄うように言った。そんなことない、とは言えない。ヒーローになった今でも、自分が誰かの恋愛対象になれるなんて思えない。きっと恋愛ってふわふわして甘い。そんな想像をするけれど、別世界の気がしてならない。
「お前が独り身でいる限り、爆豪は諦められねえんだよ。あいつは誰とも付き合えねえんだ」
「でも、でも、あのかっちゃんだよ。そういう雰囲気なんて、今も昔も片鱗もないよ」
「お前が気づいてねえだけだ。俺らは近くにいたからわかってんだよ。でなきゃあんなプライドの高い奴が、俺らの計画に乗ってくるわけねえだろ。あいつは自分じゃ絶対言えねえんだ」
「緑谷にはいつも偉そうでいたいんだろーな。ほんっとめんどくせえよな」上鳴が呆れたように口を挟む。「お前がダメだってんなら、きっぱりふってくれりゃいいんだ。そしたらスッキリして、あいつも前に進めんじゃね」
「明日の土曜日、待ち合わせ場所に、上鳴があいつ連れて来るからよ。もし嫌なら、お前来ないでくれよな。それが返事ってとこにするからよ。何もなかったことにして、今まで通りに出来るしよ。でももし付き合ってもいいってんなら、迎えに行くから、俺と一緒に来てくれよな」


 最終列車に飛び乗って、家に帰って来た。
 遅くなってしまった。リビングの灯りは既に消えている。母は寝ているのだろう。音を立てないように部屋に入り、ベッドに突っ伏す。平日は始発で出ないといけないから、母と顔を会わせるのは週末くらいだ。毎日寝るためだけに帰っているようなものだ。
「あー、どうしよう」落ち着いてよく心に問う。
 本気なのかっちゃん?彼らが言うなら本当なのだろう。かっちゃんが嘘をつく理由なんてない。証拠のラインだってあるんだ。
 人と付き合ったことなんてないし、そもそも考えたこともない。自分にとって晴天の霹靂だ。紹介されるのが男で、しかも相手が勝己だなんて。現場でたまたま会う時だって、恋愛を匂わせる雰囲気なんて微塵もないのに。
 でも本当に勝己が思ってくれているのだとしたら。
 幼い頃からの憧れと畏怖の対象。幼馴染に抱く思いとしては入り組んでいて、名前のつけられない感情を引き起こす幼馴染。彼が恋人になるなんて想像もできない。不安しかない。
 ならやめたほうがいいのかな。けれども、理由は?
 勝己は高校の時までは荒々しくて、粗暴だった。いや、過去形ではなく今も粗暴だけど、卒業後の彼は、真面目にヒーロー活動をしている。気が合うかといえばまるで合わない。でも、昔と違って、普通に話だってできる。
 いつも心の中にいて、気にせずにいられない存在。
 なぜだろう。おかしいな。問題点を探しても、確固とした断る理由にならない。ただ、漠然とした不安という感情だけだ。ならば。
 出久は身体を起こした。付き合いたいと言ってくれたのだ。元より恋愛自体が自分にとって未知の世界なのだ。たとえ相手が勝己でも誰であっても、未知なのは同じじゃないか。挑戦するいい機会だと思おう。飛び込んでみなければ何も変わらない。


2


「おお、来たんだな。緑谷」
 駅前のコンビニの前に立っていた切島が、こちらに向かって手を上げた。出久は改札を出ると足早に駆け寄る。
「うん、約束通り、僕行くよ」
「おお!そうこなくちゃな」
「かっちゃんの真意を知りたいんだ」
「おい、知るイコール付き合うことになんぞ。本当にいいのか?流されてねえよな」
「うん。大丈夫。僕決めたから」
「そうか。いやー、良かった。俺らもあいつに殺されないで済むわ」
「え?命懸けだったの?」
「いやいや、冗談だって。でもよ、ハッパかけたからには、いい方向に転がって欲しいじゃんよ」
 商店街に入ると、いきなり人の波に飲まれそうになった。休みの日は人でごった返している。はぐれないように切島の背中を追った。
 漸く待ち合わせのファーストフード店に到着した。外に設置してあるテーブル席に、ホッとした表情の上鳴と、険しい表情の勝己が座っている。
「遅えわ!クソが」
 まだ約束の時間前だけど、と思いつつ「ごめん」と出久は謝った。
「行くぞ。デク」勝己はすぐに席を立った。「え?皆でご飯食べるんじゃないの?」
「いやいや、デートの邪魔はしねえよ」
「じゃ、後はお若い2人でごゆっくり」
「うるせえ。クソが!さっさといけや
 上鳴と切島はにやにや笑いながら、店内に入っていった。
 すぐにふたりきりにされるなんて、思わなかった、どうしよう。
 勝己は出久に向かい「離れんなよ、クソナード」と声をかけた。緊張してしまい、うんうん、と数回頷く。
 再び商店街の人混みに戻ることになった。勝己はすいすいと、器用に人の間をすり抜けてゆく。出久は必死で背中を追ったものの、人の波にぶつかり押されてしまった。見失いそうだ。
「かっちゃん、待って」と声をかけた。
「ああ?」と勝己は振り向いて、眉根を寄せる。「てめえ、ついて来いっつったろーが」
「だって、かっちゃん、足早いよ」
 人混みの中でほらよ、と伸ばされた手を掴んだ。力強く温かい。
 散々な目にあった思い出しかない、爆破の個性を持つ彼の掌。それを頼もしいと思うなんて。
 漸く商店街を抜けることが出来た。ほっとする。しかし手は繋げられたまま、離されない。
 男同士で手を繋いで、往来を歩いているなんて。恥ずかしくなり、そっと指を緩めた。しかし、勝己の手はさらにぎゅっと掴んでくる。
 え?まだ、離しちゃだめなのか。かっちゃんの表情は変わらないけど。付き合ってるから、なのかな。ぽっぽっと頬が熱くなってきた。
 周りの人から、どう見られているんだろう。つい人目を気にして、キョロキョロしてしまう。でも誰も自分達を気にしてないようだ。今の時代、性別も体格も個性によっても、多様なカップルがいるから、珍しくないのだろうか。
 ショーウィンドウ自分達が映っている。周囲に溶け込んで違和感がない、ように見える。だんだんと手を繋いでることが、気にならなくなってきた。
「ここだ」と勝己はレトロ風の洋食屋の扉を開けた。りん、と澄んだドアベルの音が鳴る。
 繋いだ手がやっと解かれた。ほっとしたけれど、少し寂しく感じる。
 店内の灯りは抑えられていて仄暗い。燻んだ木造りの内装はヨーロッパ風に揃えられ、アンティークな時計やバースタンドがある。雰囲気があってかっこいい。案内されたテーブルには、グラスにロウソク型の電球が入っていて、暖かな光が灯っている。ちかちかと瞬いて本物の炎のようだ。
ビーフカツでいいな。この店の名物だ。てめえ、カツ好きだろ。」
「うん、好きだよ。豚カツとかメンチカツならよく食べるけど。へえ、牛カツなんて初めてだ」
 値段も意外とリーズナブルだ。勝己はウェイターを呼んで注文を取り、メニューを閉じると黙ってしまった。
 緊張で喉が乾いた。お冷を口に含んで舌を潤す。なんか、話題話題。大丈夫。今のかっちゃんは無闇に怒ったりしない、はずだよね。もじもじと顔を上げると、勝己の視線とかちあった。
「デクてめえ、まだ家から通ってんだな。てめえの職場から遠いのによ」
 勝己が先に口を開いた。
「うん、事務所まで特急で数時間だよ。でも通えなくはないし」
 始業時間が特に決まってないから、家から通えるのだ。でもできるだけ、早起きするようにしている。帰り時間はヒーロー活動次第だから読めない。終電を過ぎてしまって、事務所に泊めてもらうこともしばしばある。
「俺のマンションからのが近えよな」と勝己は職場の住所を告げた。
「へえ、事件現場で時々会うし、同じ市内だとは知ってたけど、近所だったんだね。かっちゃんはすぐ一人暮らし始めたよね」
「は!家から事務所まで距離あんだ。たりめーだろーが。元々卒業したら、家出ると決めてたからよ」
「一人暮らし始めた人多いね。皆、全国に散ってしまったもんね」
 料理がテーブルに置かれた。しばし舌鼓を打つ。牛のカツは豚とはまた違う味で新鮮だ。美味しい美味しいとパクつく出久を、勝己はガキかてめえ、と呆れたように揶揄する。
「オイデク、来週空いてんのか」
 まっすぐに出久を見据えて、勝己が尋ねた。暖色の灯りに浮かび上がる表情が、妙に真剣で緊張する。けれど、開いてるって?何を聞きたいんだろう。
「うん?何が?」
「週末の予定だ。わかんだろーがよ、クソが」
「え?僕ら、来週も会うの?」
「ああ!たりめーだろーが!」
「ごめん。そっか、そういうもんか。予定確認しないとはっきり言えないけど、多分空いてるよ」
「じゃあ、来週土曜日の10時、てめえんちに迎えに行く。いいな」
 直ぐに次の約束を取り付けられ、時間まで決まってしまった。
 店を出ると、勝己は手を差し出した。繋げってことだよね、違うのかな、と逡巡していると、引っ手繰るように手を掴まれた。再び手を繋いで往来を歩くことになった。今度は五本の指を絡ませるようにして。
 その日はゲームセンターやスポーツ店に立ち寄ったり、街を散策して、駅で別れた。
 階段を登りかけて振り向いた。改札を隔てた向こう側に、勝己は去らずに立っている。出久と視線が合うと、勝己はしかめ面して顔を背けた。
 家までの帰り道、団地の手前の角を曲がれば、勝己の実家がある。どこから帰っても、この曲がり角まではいつも一緒だった。駅で別れるのは変な感じだ。
 手のひらを広げてみた。肉厚で力強い掌の感触が残っている。


3


 インターホンが鳴った。席を立とうとした母に自分が出るからと言い、慌ててドアを開けると、勝己が立っていた。
 幼い頃の姿がフラッシュバックする。
 まだ勝己との関係に距離ができる前までは、家によく迎えにきてくれた。
 自分は幼稚園や小学校から帰ったら、パソコン開き、オールマイトの動画に齧り付いて、家にこもりがちだった。でも晴れた日には、いつも勝己が呼びに来た。
「さっさと来いや、行くぞ」
 あの頃は勝己が誘いに来ると、喜んで外に遊びに出ていたのだ。
 勝己は出久の顔を見るなり眉根を寄せた。
「まだ着替えてねえのかよ!遅えわ、クソデク。俺が来る前に準備しとけとや」
 まだ10時には15分も前なんだけどな、と思いながら「ごめん」と謝っておく。
「てめえ、先週この映画見てえって言ってたよな」
 スマホ画面を目の前につきつけられた。表示されているのは映画会社のサイト。今月封切られたばかりの、ハリウッドのヒーロー映画だ。
「うん。このシリーズは全部見てるよ。配信されるの待って、見ようと思ってるんだ。役者の個性が本物だから、迫力が凄いんだよね。でも今回の新キャラは時間を操る超人だから、さすがに…」
「うぜえ、薀蓄はいらねえわ。てめえはこれ見てえんだな。なら見に行くぞ」
「でも、待てば配信で見れるんだよ」
「ああ?クソが!さっさと着替えろや。行くぞ」
 勝己は有無を言わせず、出久を急き立てた。電車に乗って移動し、映画館に到着した。めあての映画は3階のようだ。上映スケジュールを確認してほっとする。
「もうすぐ始まるね。いい席が残ってるといいけど」
 発券機でチケットを買おうと財布を出すと、勝己に制せられた。
「てめえが遅えからもう買ったわ」
 手に持った2枚のチケットをひらっと示す。一緒にいたのにいつの間に買ったのだろう。
「あ、ありがとう。じゃあ僕の分払うよ」
「いらねえ」
「え?でも」
「いらねえって言ってんだ!クソが」
「だって、奢ってもらう理由がないよ」
「クソナードが!なら飲みモンでも買えや」
「え、全然安いけど。じゃあポップコーンも買う?」
「いらねえ。映画見てんのにボリボリうるせえ音させんのは、性に合わねえ」
 ブラックのアイスコーヒーと炭酸飲料を買って、席に着いた。上映時間が迫ってくる。わくわくしてきた。
「浮かれてんな。てめえ」
「映画館で映画見るなんて、久しぶりかも」
「俺もだ。つーか、家でも映画なんざほとんど見ねえ」
 チケットの値段は高いし、好きなシーンを繰り返し見たり出来ないけど、大画面と臨場感のある音響で見るのは楽しみだ。ここにいる皆がわくわくしながら上映を待っているんだ。一緒に一つのものを見る一体感っていいな。
 でも、かっちゃんはそんなに映画見ないんだっけ。僕に合わせてくれたのか。
 客電がすうっと消えた。次回上映作の宣伝映像が始まる。気分が高揚してきた。
 ふと、勝己の手が手の甲に置かれた。驚いて胸が跳ねる。
 爆破の衝撃に耐える、皮の厚いゴツっとした温かい掌だ。ただ置かれてるだけ、なのに。何故だろう。動悸が早くなってきた。
 画面が何かに遮られ、見えなくなった。
 真っ暗な影は勝己の顔だ、表情はわからない。スクリーンが見えないな、と顔を傾ける。勝己の顔が近づいた。
 柔らかいものが唇を掠めて、すっと離れた。
 唇に残る微かな温もり。かっちゃん僕にキスした?いや、今のはキスだったの?事故じゃないの?柔らかくて、温かくて、ぷにゅっとして。
 映画会社のマークが出て、本編が始まった。けれど、映画の内容が全然頭に入ってこない。
 勝己の指にするっと手の甲をなぞられた。擽ったいのにドキドキする。骨に沿ってするすると撫でられ、また手の甲の上に重ねられ、ぎゅっと握られる。
 スクリーンの光に仄白く照らされた勝己の横顔は、いつになく静かで、表情は読めない。
 エンディングが流れ、客電が着いた。
 顔が赤くなってるのではないだろうか。手で頬を覆い「お、面白かったね」と誤魔化すように言った。本当は勝己の悪戯が気になって映画どころではなかった。
「ああ」と生返事が返ってきた。
 ロビーに出ると「おいデク」と呼ばれ、腕をくいっと引かれた。映画館の片隅に連れていかれる。
 壁に背を押し付けられ、顎を掴まれて再度キスをされる。やわらかな感触。さっきのは事故ではなかったのだ。唇が離れるとほうっと息を吐いた。でも鼻先が触れるほどに顔は近いままだ。
「口開けや」
 言われるままに薄く口を開いた。勝己の唇が被さる。今度は掠めるだけじゃない、粘膜の擦れ合う濃厚なキス。水音が口内から鼓膜を震わせる。
 唇が離れても、頭がぼうっとして、胸の動悸がおさまらない。
 駅から歩く夕暮れの帰り道、唇の感触を思い出してまた鼓動が早くなる。今も近所に住んでたなら、帰り道もずっと一緒だった。ちょっと寂しく思ってしまう。でも、きっと平静でいられなかっただろうから、これで良かったのかも。
 来週は行くまでに準備しとけや、と勝己は言った。またデートの約束をした。
 ふわふわして甘い。これが恋愛なのかな。


4


 大水槽の中を揺蕩う海月の群れ。薄いレースの衣を着ているような、半透明の儚い幻。でも本当はゼリーのような手触りなのを知っている。
 綿飴をちぎったような雲の浮かぶ空
 波打ち際を撫でる白い泡。
 青い海から顔を出した薄黄色の頭
 波を蹴立てて近づいてくる幼い勝己。
 ぽてりと手に乗せられた、透明なすべすべした塊。
 これは何なのと問うと、海月だと言った。
 刺されると慌てたら、ミズクラゲは刺したりしねえよと笑った。
 ひんやりとして身動きしない、つるりとした手触り。
 本当に生き物なんだろうかと思った。
 掌に乗せたまま海水に浸して離したら、海月はするりと波に浚われ、ゆらゆらと泳いでいった。
 陽光の下の眩ゆく煌めく波
 遠い日の夏の海。
 ここは海ではないけれども。水槽の中を青い照明が淡く照らす。館内にいる人々も静かに影に沈み、音もなくて深海のようだ。
 まるで夜の海に、2人きりでいるかのような錯覚を起こす。だけど何故だろう。
 出久は隣に立っている勝己を窺い見た。ほの青く照らされた顔は静かで、表情は読み取れない。
 今日は勝己の車で連れてこられた、水族館の中にいる。
 お昼過ぎに「おい、着いたぞ。出て来いや」と勝己から携帯で呼び出された。
 ドアを開けても誰もいなくて、でも呼ぶ声が聞こえて、下を見下ろした。団地の入り口前に停車した目立つ赤い車の中から、勝己が姿を見せた。てっきり今日も電車だと思っていた。
 勝己の車の助手席に座るのは、初めてなので緊張した。でも、海沿いの道を走るのは爽快で、リラックスしてくると、自然に感嘆の声が出た。
 しかし、初めこそ返事を返していた勝己の言葉数は、目的地に近づくにつれ、次第に少なくなっていった。
 ここに来てからは、ほぼ沈黙している。
 どうしたんだろう。僕何かしたのかな。
「オイ、クソデク、今日で何回目のデートだ?」
 やっと勝己は口を開いた。
「え?3回目だよね?」
「そうだ。3回目ともなれば決めなきゃいけねえ。わかってんだろうな」
「ええ?」
 出久は驚いて聞き返した。付き合うかどうか決めるってことなのか?まだ勝己は決めかねていたのだろうか。いや、初めから付き合ってから、決めるつもりだったのか。
 そういえば、勝己からは好きとも何とも言われてない。上鳴くん達がそう言ってただけで、勝己自身の気持ちを聞いたわけじゃないのだ。
「僕らまだ付き合ってなかったの?」
 出久は問うた。やっぱりやめるって言われたらどうしよう。急に置き去りにされた気分になった。
 勝己に会うのが、楽しみになっていた。こんな風に一緒に過ごすのが、ずっと続くのだと思っていた。気持ちが彼にどんどん傾いて行くのを感じていた。もうおしまいなのなら、この気持ちはどこに行けばいいのだろう。元になんて戻れない、戻せない。
「あ?違えわ!死ねやクソカス!ざけんな!てめえはまだ、んな世迷言を。クソカスが!クソが。クソが!」
「か、かっちゃん?」
 あまりの剣幕に圧倒された。勝己は射るような目で出久を睨みつける。
「付き合ってねえのかだと?てめえよくもそんな戯言を言えるよなあ」
「でも、君は何も言わないから」
「言わなきゃわかんねえのか!クソが!てめえはこ、恋人だろうが」
「恋人?」ボワッと顔が熱くなった。「3回しか会ってないのに恋人って、わかんないよ。実感ないよ」
「ああ?わかんねえだと?ざけんな!そうでなきゃあ、俺が貴重な休日の時間割いて、デートしたりするかよ。前もってチケット買ったりするかよ。わざわざ車出して、水族館くんだりまで来るかよ!わかれやボケ!」
 安堵が胸に広がった。こんなにも嬉しくなるなんて。
「良かった」頬が緩んで、笑みが零れる。
「ああクソ、クソボケが!来いデク!」
 勝己に腕を掴まれ、引き摺られるように水族館を出た。車に押し込まれる。
「クソがクソが!」と連呼しながら勝己は車を飛ばす。
「てめえは自覚が足んねえようだな。クソデク。決めるってのは覚悟だ。俺のもんになる覚悟だ!つっても、今更てめえにはもう選択権はねえ。確認しただけだ」
 海沿いの道から進路が変えられた。帰り道ではない方向だ。街中を走り、タワーマンションに到着した。地下の駐車場に車を停め、上に上がった。勝己がカードキーをタッチすると、自動ドアが開いた。
「ここ、かっちゃんのマンション?すごいね」
「クソが。セキュリティを考えりゃ、これくらい普通だ。プロヒーローの常識だろーが」
 堅実な勝己らしい返答だった。エレベーターは上昇し、扉が開いた。うっかりして見てなかったけど、何階なんだろう。廊下にある細い窓から夜景が見える。窓の半分が以上が夜空ということは、相当上の階からの景色だ。
 腕を引かれ、勝己の部屋に入る。壁にある機械にカードキーを差し込むと、自動で足元の灯りがついた。廊下を抜けるとリビングがあり、カーテンのかかった大きな窓がある。リビングの間接照明の灯りも自動でつくようだ。壁がほの明るい光に照らされている。
「灯りのスイッチは?」
「あ?ついてんだろ。これで十分だ」
「ちょっと暗くないかな」
 問うと何故か睨まれた。
「景色見ていい?」と聞くと「後にしろや。その前にシャワー浴びろ」と浴室に押し込まれた。
 ひょっとして、今から?
 勝己の部屋に2人きり。身体を洗っていると、じわじわと実感がわいてきた。頭がふわあっと熱くなってくる。かっちゃん本気なんだ。
 浴室を出ると、すぐに勝己が入れ替わりに入った。勝己がシャワーを浴びてる間、悶々と考える。服は着ていいよね、とシャツに袖を通す。
 カーテンをそっと捲った。向かいのビルはホテルかな。ガラス張りのエレベーターが上がって行く。眼下には街の灯りが散らばって星のようだ。
 カーテンを摘む指先が震えているのに気づいた。いつかするのかなとは思ってたけど、もっと先だと思ってた。
 それに、何も調べてない。男同士でどんなことする気なんだろ。調べたらわかるだろうけど、なんて言葉で検索すればいいんだろ。
 かっちゃんは洗うの早いから、すぐ浴室から出てきてしまう。時間がない。
 そもそも、大事なことを確認してない。それ次第で、準備も心構えも変わってくる。
 出久は携帯を手に取り、ラインを開いた。


5


デク:@切島 今時間ある?

 

切島:緑谷か、どうだ、爆豪と上手くやってるか?

 

デク:うん。それで、切島くん、あの、聞きたいんだけど、男同士だと、あれの時どうするのかな

 

切島:あー…、なるほどね。まあ、やるこたあ男女と変わんねえんじゃねえの?人間だし

デク:でもその、男女なら役割がはっきりしてるよね。かっちゃんは男役と女役とどっちのつもりなんだろ

 

うぇーい:おっとお、面白い話してんじゃん

 

切島:おう、上鳴

 

うぇーい:おいおい、そりゃあ、愚問だぜ、緑谷。あの爆豪だぜ。わかりきってんじゃねえか

 

デク:そ、そうだよね。やっぱりそっかあ

 

うぇーい:なに、お前ら、もうそこまでいってんのか

 

デク:違うよ。そのうちそんな時が来たらってことだよ。何も調べてなくて。でも、さ、触りっこくらいだよね。初めてだもんね

 

切島:そーだなー、いきなりはねえだろ。あいつも多分経験ないだろうしな

 

うぇーい:いやいや、甘えんじゃねえか。爆豪だぞ。手加減する玉かよ

 

デク:そ、そうか。でもなんか用意必要だよね

 

うぇーい:ラブホなら色々揃ってんだろ

 

デク:いや、普通に部屋だから、ああ、違う、普通のホテルの部屋だった場合ってことだよ

 

切島:緑谷、ここまで来て、切羽詰まったお前の状況が、わからねえ俺らじゃねえぞ。爆豪んちかよ。ならきっと用意…

 

 浴室のドアが乱暴に開けられ、驚いて心臓が飛び出そうになった。
「おい、デク!」と勝己が怒鳴った。
 切島からの文面を読みきれず、慌ててスマホの電源を切った。タンクトップとハーフパンツを身につけた勝己は、出久を見て顔をしかめる。
「ああ?んだてめえ、しっかり着込みやがって。しかもスマホ持って何してやがる」
「な、なんでもないよ」
「おいこら。見せろや」
 ズカズカと近づいてきた勝己に、あっという間にスマホを取り上げられた。
「あ、あ、かっちゃん」
 勝己は「最近使ったアプリ」を確認し、「ふん、あいつらとのグループラインかよ」と言うとラインを開いた。画面を見る勝己の目が、みるみる釣り上がってゆく。ああ、やばい。
「てめえざけんな!奴らに何聞いてやがんだ!クソナード!阿呆かよ」
「ごめん、僕動転してて」
 それとなく尋ねるつもりだったのに、彼らに気取られてしまった。かあっと?が熱くなる。勝己は烈火の如く怒ってる。何してんだろ、僕。
「クソがぁ!」と吐き捨てて、勝己はスマホをソファに放り投げた。
 肩でぜいぜいと息をして、頭から湯気が出てるようだ。本当に湯気出てる。風呂上がりだからか。そうじゃなくて、どうしよう。怒らせてしまった。
「だが、覚悟はしてるってこったな。クソデク。知りてえんなら教えてやるわ」
「かっちゃん?」
 振り向いた勝己は、にかっと悪辣に笑っている。
 肩を抱かれて、ベッドルームに連れていかれ、押し倒された。
「こういうことだ。てめえは俺の下だ!」
 勝己は出久の下腹に乗り上げ、馬乗りになった。ハーフパンツが押し上げられ膨らんでいるのが目に入る。
 かっちゃんのかっちゃんが、もうかっちゃん状態だ。なんでもうこんなに?
 出久の両腕はシーツに押し付けられ、拘束された。
「触りっこだけとか有り得ねえわ。ガキじゃあるめえし。フルコースに決まってんだろーが」
「ちょ、かっちゃん待って」
「は!今更嫌だとか聞かねえぞ。奴らに知られちまったんじゃあ、もう引くわけにはいかねえしよ。引くつもりはハナっからなかったけどな」
「そ、そうじゃないけど」
 雰囲気も前触れもなく、始まってしまうのか。付き合うことすら未知だった自分にとって、展開が急すぎる。目が回る。
「てめえ、怖気付いたのかよ」
「まだ早すぎるかな、て」
「段階は踏んだ。てめえに心の準備時間は十分やったろーが」
「でも、3回しかデートしてないのに」
「黙れや、クソが」
 勝己は屈み込み、顔を近づける。「どんだけ待ったと思ってんだ。観念しろや、クソデク」
 身体が重ねられる。硬く膨らんだものが股に押し付けられる。ごりっとした肉感的な感触。唇が塞がれた。滑ったものが口内に侵入する。角度を変えて幾度も重ねられ、湿った音を立てる。離された唇は首筋を滑り落ちてゆく。ちゅっと音を立てて吸い、跡を付けてゆく。シャツが肌蹴られ、勝己の掌が這う。指先が平たい乳首を嬲る。片方を指に変わって舌先で触れる。乳首を咥えて舌が形をなぞる。
 かっちゃんが僕の胸を舐めてるのか。本当に、するんだ。擽ったいような変な心持ちになり、身体を捩ると、カリッと乳首を甘噛みされた。んん、と声を出すと、勝己はふっと笑う。
 勝己はハーフパンツを脱いで、ベッド下に放った。勃ち上がったペニスが露わになる。タンクトップは着たままだ。出久も下半身だけを剥き出しにされた。
 股の間に勝己の腕が降りて、ぬるりとしたものが窄まりに塗られた。ひゅうっと息を飲む。勝己はローションボトルをサイドテーブルに置いた。後孔に塗られたものかな。あれが用意なのか。
 勝己は出久の上半身をキスで責めながら、入れた指を広げるように巧みに蠢かす。肌を象るように滑る、意外なほど優しい愛撫。同時に内部を探る鮮烈な感覚。声が上ずって掠れる。自分の声ではないようだ。
 足を左右に広げられる。人に晒すことのない部分に感じる視線。恥ずかしくて足を閉じたくなるのを堪える。猛る勝己の印が押し当てられた。
「いいな」と勝己は低い声で囁く。
 返事をする前に、熱いものがぐっと押し入ってきた。出久は「あうぅ」と声をあげた。
「は、は。てめえン中にめり込んだな」
 ローションの滑りで、窄まりを締めても、なんなく潜ってくる。勝己は腰を揺さぶった。さらに体内に屹立が食い込んだ。太い先端で、狭い場所があり得ないくらい広げられ、そこに肉茎がぬっと押し入る。猛々しくさらに奥深く。
 無意識のうちに、勝己の胸に手を当てていた。硬くて鍛えられた胸筋だ。間接照明の光で柔らかな印影がついて、まるで彫像のようで、とても綺麗だ。
 抵抗すると思われたのか、腕を頭の上に纏めて押さえられた。深く突き上げられ、「んあっ」と喘いで、仰け反る。
 大股を開かれて、勝己と股を密着させて、猛る性器に貫かれてる。揺さぶられ、中を前後に動くそれに、肉を擦られる。生々しい感覚。激しい動きにお互いの肌が汗ばむ。
 痛みの中に知らない感覚が混じってきた。痺れるような何か。腹の奥から性器を掴んでくるような快感。堪えきれず、喘ぎ声が漏れる。
 息遣いを荒くしながら勝己が聞く。「何考えてんだ、デク」
「君とこうしてるなんて、ほんの少し前まで考えもしなかったなって」
「はっは、俺は考えてたぜ。ガキの時から、てめえとの関係が続くんなら、いつかはこうなるしかねえってな。てめえとの関係が拗れても、拗れなくても。他の道なんてねえんだ」
 ぎしっとベッドが軋む。強く突き上げられるたびに、背中がしなる。揺さぶられる振動。浅いところを嬲り、奥に潜っては翻弄する熱。突き上げられるたびに、背中がしなる。
 手首が解放された。代わりに勝己の腕は出久の肩を掴んだ。逃すまいとするように、ぐっと指が食い込む。出久は勝己の肩に縋りつくように腕を回した。タンクトップ越しの逞しい背中。律動に合わせて盛り上がる肩の筋肉。
「かっちゃん」痛みなのか何なのか、涙が滲む。
「痛えんか、出久」
「初めてだから。でも、だ、大丈夫、かっちゃんは?」
「やべえな。すげえいいわ、てめえが俺の下で喘いでるってのも堪んねえ」
 答えながら、勝己は奥を突き上げた。「んあっ」と出久は嬌声を上げる。
「その声、もっと聞かせろや。なあ、デク」
「男同士って、触りっこくらいだと思ってた」出久はぽつりと言う。
「あ?」
「だって、したことないし。女の子ともしたことないけど」
 勝己は肘をついて上半身を斜めに起こし、隙間を作ると、勃ちかけたデクの性器の先端を手に包んだ。
「ちょ、かっちゃん」
「デク、てめえはもう、他の男はもちろん、女も一生抱けねえし、抱かせねえ」ニヤッと悪戯ぽく笑って続ける。「だから何処にも入れることのねえ、てめえの息子に、てめえん中に入れた感触と同じもん、感じさせてやるわ」
 勝己のものがえらで内壁を擦りながら、ゆるっと外に出てゆく。嫌でも形を感じてしまい、「ん、ん、」と生々しい感覚に悶える。全て引き抜かれた。圧迫がなくなりホッとする。
「俺の手でな。まず先っぽな」
 上半身を起こすと、勝己は出久のものに指を這わせ、先端を摘む。雁首がきゅっと締められては緩められる。あ、あ、と声を出てしまった。
「は、先っぽから絞るような、こういう感触だぜ。どうだ」
 勝己は先端の太い部分だけを、突き入れては引き抜いて、窄まりを繰り返し広げる。
「ああ、やだ、うあ」
 自分の敏感なところを、2つ同時に責められ、痛みと快感に喘ぎ声が出そうになる。
「次はここな」
 勝己は出久の竿を、半分くらいの位置で握った。すぐに腰を振って、ぐっと挿入する。いきなりの衝撃に、出久は仰け反った。出久を扱くのに合わせて、勝己は律動を始める。
「あ、ん、かっちゃん」
「浅いとこにいい場所あんだろ。さっき悶えてたもんな。なあ、教えろや。ここか」
「やだよ、おかしくなる、教えない、ああ!」
 甘い痺れが身体の奥から広がっていく。
「ここか、てめえの身体は正直だな、クソが」
 勝己は容赦なく責めたてる。擦られるたびに押し寄せる快感に、デクは首を振って耐えた。乱れる自分を勝己は満足そうに見下ろしている。
「奥まで入れるとこうだ」
 勝己は掌がぺニス全体を包んだ。同時に深く挿入されて、ひあっと悲鳴をあげる。
 勝己の掌が緩急をつけて、出久のものを上下に扱く。体内を抉る勝己の性器の動きも、激しくなり緩くなり、リズムを合わせる。付け根から先端まで扱きながら、勝己は腰を揺する。
 繋げられた身体と感覚。どこまでが勝己の身体で、どこまでが自分の身体なのか、わからなくなる。
 次第にデクを嬲る手の動きが、疎かになってきた。出久の上に覆いかぶさると、勝己は腰を引き、ずんっと奥まで突き上げる。先端から根本まで長いストロークで揺さぶる。
 勝己の律動が激しくなった。出久は勝己の肩にしがみつく。
 勝己は「は、は、」と息を吐き、「くそ!デク、デク」と名を呼んだ。
 ぐっと腰を押し付けて勝己は低く唸った。ぶるりと屹立が中で震える。
 かっちゃん、達したんだ。体内で射精されたのを想像する。勝己の腹に押さえられ、デクのものも達した。頭の中が真っ白になった。腹の上が温く濡れた感触。
「一緒にいったな。デク」
「う…ん」頭がふわふわする。濃厚な夢の中のようだ。
「おいデク、もう一回やるぞ」
「え?嘘」
 吃驚して、飛びかけた意識が戻ってきた。勝己は「あちい」とタンクトップを脱ぎ捨てると再び覆い被さった。

 

「あ、あ、はあ、もう無理だよ、お願い、かっちゃん」
 4回目の挿入が為されんとし、出久は懸命に押し留めて懇願した。全力疾走したかのように疲労して、息切れがする。
「は!まだまだ夜はこれからだろうが」
 不満げな返事が返ってくる。勝己の方が激しく運動しているというのに、疲れてないのだろうか。恐るべき無尽蔵の体力だ。
「か、かっちゃん、お腹空かない?身体洗って、夜ご飯食べようよ」
「ああ?乗ってきてんだろーが、クソが」
「それに、だって、その、中に君のが」
「クソが」
 何かを思いついたように、ニヤッと笑うと勝己は言った。
「ああ、まあいい、先入れ」
 気になる笑みに不安を感じつつ、シャワーのコックを捻った。その瞬間に、ドアの取っ手が回る音がした。勝己が浴室に入ってくる。綺麗に割れた腹筋、鍛えられた身体だ。いや、見惚れてる場合じゃない。下半身を見て戦慄する。勝己の分身は元気なままだ。
「ええ?一緒に入るの?」
「ケツ突きだせや。クソデク。中のもん出してやる」
「え、やだよそんなの」
「てめえ、自分で出来んのかよ」
 返事に詰まってしまった。射精されたところまで指が届くとは思えない。
「は!馬鹿が」
 有無を言わさず、壁を向いて腰を突き出す態勢にされる。勝己の長い指とシャワーで中を洗われた。
 ことが済んでぼうっとしてると、窄まりに再び勝己の指が入ってきた。回すように解される。敏感になってる箇所を触れられ「ふあ、あ」と声が出てしまう。
 ぬるっと指より太い何かが押し付けられた。これ、かっちゃんのだ。
 戦慄して振り向くと、間近に勝己の顔があった。ふうっと耳に息を吹きかけられる。勝己は囁いた。
「勃たせたままにしろってのかよ。クソデク」
 背後から腰を引き寄せられ、固定された。勝己のものが触れ、先端がぬぷりと潜ってくる。
「あ、はあ、かっちゃん、もう」
「壁に手えつけや、デク」
 疲労して力が入らない。侵入を阻めるわけがない。やすやすと穿たれる。硬く熱いものが、ゆっくりと深く挿入される。
 尻にぺたりと勝己の陰嚢が触れた。全部入ったんだ。はあ、はあ、と息を吐く。
 勝己は動くことなく、熱いそれは中に収まったまま、圧迫し存在を主張する。勝己の腕が脇腹から胸に回された。力強い腕に後ろから抱きしめられる。
「俺が初めての相手んなると、思ってなかったっつったな。クソデク」
「うん、だって想像もしな、ああ!」
 腕がするっと下り、腰を捕まれて、ぱん、と尻に肌が打ち付けられた。
「言うよなあ!こっちはてめえしか、考えてなかったってのによ。クソナード!」
 再び強く打ち付けられる。
「あ、あ、かっちゃん」
「クソデクてめえ、うちに来いや。ここはてめえの職場から近えって言ったろうが。てめえも遠方から通うより、その方が楽できんだろ」
「え?何言ってんの」
「いつまでも親の脛を、齧ってるわけにゃいかねえだろ。部屋は余ってんだ。一部屋てめえにやる。家賃は折半だ。悪い話じゃねえよな」
「でも、いきなりそんな…」
 職場に近くて家賃も折半。確かにいい話なのかもしれないけれど。でも、一緒に住んだりしたら、こんな風に、毎日抱かれることになるのではないだろうか。とても身がもたない。
「うんと言わねえと、抜いてやらねえぞ。いかねえように、ゆっくりやってやる。どうすんだ。ああ?デク」
 勝己はゆるりと焦らすように突き上げた。体内に挿入される熱に擦られて、「ああ、ん」と喘ぎ声が漏れる。熱は出ていってもまた入ってきた。じっくり炙るように責められる。膝が砕けそうになり、足が縺れ、勝己の腕に支えられる。
 うん、て言うまで、やめてくれない気だ。酷い。
 堪らなくなり「わかったよ、かっちゃん」と出久は切れ切れの言葉で答えた。
「よし、言ったな、クソデク」
 出久の手首を掴んで壁に抑えつけ、勝己は腰を引いて強く打ち付けた。屹立が深く貫いてくる。体内を押し上げられる感覚に、ふあ、と声が出てしまった。勝己は激しく律動する。柔い内壁を擦られて、感覚が溶けていくようだ。ひたりと重なった身体は、相手の思う様に揺さぶられる。


6


 カーテンを開けると、早朝の明るい日差しが差し込んできた。ダイニングが眩い光に満たされる。出久は窓の外を見下ろした。
 見晴らしがいい。遥か向こうには港があるのだろう。荷下ろしのクレーンが見える。昨夜はビルの窓灯りが星のように見えたけれど、彼方にあるのは高層ビル以外の何者でもない。
 キッチンから勝己が顔を出した。「あり合わせのもんだ」と言いながら、テーブルに朝食を乗せた盆を置く。皿には温めたクロワッサンとベーコンエッグとコーヒーが乗っている。
 昨夜は疲労と痛みでとても動けず、シャワーを浴びた後、勝己の部屋に泊まった。今もあそこにまだ挟まってるみたいだ。
 セミシングルのベッドに、勝己に抱きしめられて眠った。背中に感じる温もり。微睡みの中で、ダブルにしねえとな、と勝己が呟いてたような気がする。
「おいデク、来週末から同棲だ。迎えに行くからな」
 クロワッサンを齧りながら、勝己が告げた。びっくりして顔を上げる。
「ええ!早すぎるよ」
 昨晩、半ば脅迫まがいに責められて根を上げ、要求を飲むしかなかった。しかし、来週だなんて。
「てめえはうちに来るっつったよな」
「言ったよ、言ったけど」
「早かろうが遅かろうが、同じだろうが!それまでに、最低限の身の回りの荷物をまとめとけや。部屋の準備はしておいてやる。細けえもんはおいおい、揃えていきゃいい」
「待って、聞いてよ、かっちゃん」
「ああ?ぐだぐだ言ってんじゃねえ。てめえはOKしたろーが!もう決定事項だ」
 たった3回の逢瀬で全部決まってしまった。あれよあれよと事態が進んでしまい、思考が追いつかない。迷う暇は与えられないようだ。
 強引で自分勝手で、僕の言うことなんて、何一つ聞いてくれない。
 でも奇妙なことに、今はそれでも、断る理由が見つからないのだ。
 ふわふわして甘いような、足が地につかないような。でもそんな夢心地から、あっという間に卒業させられてしまった。もう少し浸っていたかったと思うのは、贅沢なんだろうか。
「僕は初めてなんだよ、かっちゃん」
 負け惜しみじみた言葉を呟くと、勝己の手が出久の頭をがしりと掴んで引き寄せた。
「ああ?初めて?何言ってんだてめえ。初めて初めてってなあ、オイ」
 正面から見据えられてドキッとする。赤い瞳がすうっと細められた。
「耳かっぽじって、よく聞きやがれ。てめえの初めての男も、最後の男も俺だからな」
 そう告げると勝己は悪戯っぽく笑った。


END

 

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インフォメーション2019年3月~

最新情報です。下に行くほど新しいニュースです。母艦サイトのINFOや自作創作小説カテゴリー に内容紹介文を詳しく載せてます。母艦サイトへのリンク→BLUE HUMANhttps://hiten-alice.hatenadiary.jp/

2019/03/23 勝デク小説「清書森の竜騎士と勇者の卵【十傑パロ】」をUPしました。
2019/03/23 勝デク小説「清書森の竜騎士と勇者の卵【十傑パロ】(全年齢用)」をUPしました

2019/04/23 勝デク小説「デート」をUPしました。

2019/04/23 勝デク小説「デート(全年齢版)」をUPしました。

2019/09/06 勝デク小説「魔法の言葉(R18版)」をUPしました。

2019/09/06 勝デク小説「魔法の言葉(全年齢版)」をUPしました。

2019/09/30 文スト小説「白い庭白い猫」をUPしました。

 

清書森の竜騎士と勇者の卵【十傑パロ】(全年齢用)

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序章


 光り射す林の中を少年は駆ける。
 胸を高鳴らせ、息を弾ませて。
 彼はもう来てるだろうか。
 少年は期待に胸を膨らませる。
 木陰を抜けた先に見えるのは高原。空の青と地の緑に二分割され、鮮やかに目映く開ける。広がる草原は一面に腰の高さほどの草に覆われ、草は風になぶられて波のように畝る。
 少年は草の波に足を踏み入れた。指先で穂先を撫でて歩く。さわさわと緑を渡る風が気持いい。
 林から30歩ほど離れたところで、少年は草の間にしゃがんだ。いつもこのくらいの時間に彼は来るんだ。高原の向こうにある森の中から。少年は目を凝らす。
 来た。彼だ。
 茂みの間から仔竜がひょこっと現れた。甲高い声で鳴いて羽搏き、空高く舞い上がって旋回する。
 続いて少年が現れた。蒲公英色の髪、竜の民独特の首飾りを首にかけ、肩に獣の毛皮を纏っている。自分と同じくらいの年だろうか。心が高揚する。
 竜の民の少年は「おい、降りて来いや!クソが」と悪態をつきながら仔竜を呼んだ。随分荒っぽい口調だ。でもそれすらかっこいい。
 仔竜は少年の元に舞い降り、籠手を装着した少年の腕に止まる。
「行け!」と少年は仔竜を飛ばしては「来い!」と呼び戻し、腕に止まらせる練習を繰り返す。
 あの仔竜は赤竜だ。まだ大鷲くらいの大きさだから腕にも止まれるけれど、そのうち人を乗せられるくらいに大きくなる。
「獲れ!」少年は仔竜を放った。
 仔竜は赤い矢のように飛んで草叢の中に潜り、小さな獣を鉤爪に掴んで舞い上がる。悠々と空中で獲物を放り投げ、一呑みにすると、少年の元に戻って行った。「よし!」と少年は満足そうに笑む。
 狩りの訓練をしているんだ。彼は竜騎士なんだ。
 竜と共に生きる竜の民。その中でも竜騎士となれる者は多くはなく、子供の頃から修行を積むのだと、本で読んだことがある。彼は少年の身でありながら、竜騎士として竜を躾けているのだろう。
 滑るように空を切り、青空を滑空する赤銅色の仔竜。太陽みたいな金髪を靡かせる幼い竜騎士。彼の腕に降り立つ仔竜。胸が高鳴る。
 ふと、くるり竜騎士の少年が振り向いた。
 視線が合ったような気がした。どくんと胸が鳴る。え?かなり離れてるし、草の影に隠れてるから僕の姿は見えないはず。
 彼は口角を上げて悪戯っぽく笑う。
 僕の他には誰もいない、よね。見つかった?
 腰を屈めたまま後退りし、そろそろとその場を離れ、林の中に駆け込んだ。
「おい、てめえ、出てこいや!」
 少年の怒鳴り声が聞こえる。荒っぽい呼び声。焦って足が縺れ、転びそうになる。
 やっぱり見つかってしまったんだ。彼は勝手に見てたことを怒ってるのだろうか。そうだよね。竜騎士の修行の邪魔になったんだ。
 それに、竜の森に来たなんて、母が知ったらなんと言われるか。竜が棲む危険な場所。本当は子供は来ちゃ行けないんだから。
 林道をつんのめりながら走り抜けて、村に続く道に戻ってきた。帰り道を2、3歩、歩いて振り返る。
 彼は追ってきてはいないようだ。今度は見つからないように、用心しよう。もっと彼を見ていたい
 ほうっと息を吐いて、少年は呟く。
 かっこよかったな。僕も彼のようになりたいな。


第一章


 大木の下で、仔竜と金の髪の少年が眠っている。
 木漏れ陽が風で揺らめき、少年の身体に斑らに影を作る。木の葉がひらりと少年の頬に落ちる。
 クゥンと仔竜が鳴いた。少年は「しっ、黙ってろ」と仔竜の頭を押さえる。
 こいつも気配を察知したのだろう。声を押さえて「寝たふりしてろよ」と言い聞かせる。言ってもわからないだろうけどな。
 木の葉を踏んで、子供の軽い足音が近づいてきた。クゥン、とまた仔竜が鳴いた。
「え?なんでここにいるの?」と狼狽える声に、薄目を開ける。少年が屈んで自分の顔を覗き込んでいた。
 緑がかった黒髪に大きな瞳。近くで顔を見るのははじめてだけど、間違いない。こいつだ。
 目を開けてにんまりと笑むと、緑色の髪の少年は驚いたようで、大きな目を丸くした。「わあ、起きてたの?」
 少年は慌てて一歩後退り、尻餅をついた。
 金髪の少年は身体を起こし、むんず、と少年の腕を掴んだ。びくつく少年ににじり寄って顔を近づける。
「てめえ、気持ちよく寝てんのに起こすんじゃねえよ」
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「は!ばあか、寝てねえよ。お前時々原っぱにきてた奴だろ。いつも俺を見てるよな。やっと捕まえたぜ」
「う、うん、僕だけど。なんで僕だってわかったの?」
「ああ、匂いでわかるぜ」
「匂いで?そんなに匂う?」
 緑色の髪の少年は、袖をくんくんと嗅ぐ。
竜騎士は竜の感覚の一部を共有すっから、普通の人間より感覚が鋭くなんだよ。それより聞きたいことがあんだよ。てめえ、なんでいつも逃げんだ。呼んでんだろーがよ」
「だって、勝手に見てたから、怒ってるかと思って」
「あ?怒ってねえわ」
「だって、君の声が怒ってたから」
「この声は地声だってんだ。クソが。見たけりゃあいくらでも見せてやるわ」
「それに、訓練してるの、邪魔したくなかったんだ」
「てめえが見てるからって気にするかよ。それとも、陰から見てるだけがいいのかよ」
 金髪の少年は立ち上がって、少年に手を差し出した。
「なあおい、俺と遊ぼうぜ」
「え?いいの?」少年の顔がぱあっと明るくなった。「すごく嬉しい。でも、邪魔にならない?」
「ならねえっつったろーが。そうだ、うち来いよ。ええと、そういやてめえ、名前はなんてえんだ」
「デクだよ。苗字は緑谷。君は?」
「勝己。爆豪勝己だ」
「じゃあ、かっちゃんだ?」
「てめえデク!勝手に呼び名変えてんじゃねえ」
「ごめん、じゃあ、勝己くん?」
 デクは伺うように問うた。勝己は眉を寄せて首を傾げる。竜の谷では呼び捨て以外で呼ばれたことはない。こっちが呼び捨てでデクって言ってんだから、普通呼び捨てにしねえか?だが、くん付けよりはマシか。
「きめえ。やっぱかっちゃんで構わねえよ」
「じゃあ、かっちゃん、よろしくね」
 かっちゃん、か。ちょっとこそばゆい。でも悪くねえ。
「じゃあ来いよ、デク」
 勝己はデクの手を引いて、森の中に連れて行った。
「いいのかな、子供がひとりで森の中に入っちゃいけないって、言われてるんだ」と言いながらも裏腹に、デクの声は弾んでいる。
「ひとりじゃねえだろ。俺と一緒だろうが」
「森には竜がいるから、危ないからって言われてるんだ。」
「ばっかじゃねえのか。野生の竜はこのへんにはいねえ」
「そうなの?だって、皆そう言ってるよ。竜を見たら逃げろって」
「まあ、ガチで野生の竜なら危ねえな。でもいんのはもっと森の奥地だ。人里の近くにはめったに来ねえよ。竜の民の集落周りにはいるけどな。あいつらは人に慣れてっから」
「危険な野生の竜を見たことはある?」
「竜の渓谷にいるらしいけどよ。野生っつーかレベルが違うらしい。大きさが桁違いなんだとよ。大人の竜騎士じゃねえと危なくて行けねえよ」
「君みたいな子供の竜騎士は初めて見たよ。普通の竜の民や、大人の竜騎士は時々市場で見かけるけど」
竜騎士目指す奴は一人前にならないと、森の外に出られねえからな。竜が後をずっとついてくるからよ」
 おしゃべりしながら歩いて、いつの間にか勝己の小屋に到着した。大木の根本の間に挟まるように建てられている、茅葺建ての小屋だ。
「入れよ、デク」勝己はドアを開けた。
「お、お邪魔します。お父さんやお母さんは?」
「いねえよ。ひとり暮らしだ。竜騎士の修業はまず竜を慣らすために、四六時中竜と一緒に暮らすんだ」
「え?いつも君ひとりなの?」
「んなわけねえだろ。飯どうすんだよ。森の奥に竜の民の集落があるからよ。そっから親が来んだよ。俺は時々しか帰らねえけどな。どこまで進んだとか真面目にやってんのかとかうるせえし。集落の中じゃあ、竜を繋いで連れてかなきゃいけねえから、面倒なんだ。こいつ繋がれんの嫌がるからよ」
 と言って、勝己は傍の竜を小突く。竜は仕返しとばかりに勝己の手に噛み付いた。
「あ、くそ、てめえ!」
 はたこうとしてぶるんと腕を振ると、竜は飛んで逃げ、梁の上に止まった。
「クソが!まだ赤ん坊だから、全然言うこと聞きゃしねえ。」
「赤竜だよね。すっごく大きくなるんだよね」
「よく知ってんじゃねえか。そのうち家ん中に入れなくなるから、でけえ寝床作んなきゃいけねえ。そん時ついでに家も大きくすんだ。武器とか飾ってかっこよくしてやるんだ」
「すごいなあ。自分の家作っちゃうなんて」
 勝己はダイニングの椅子を引いて座り、デクにも椅子を勧めた。
「なあ、腹空かねえか?」
「え、うん、大丈夫だよ」
「俺が腹ペコなんだ。待ってろ」
 キッチンに何か食べ物はないかと探し、干し肉とチーズを持ってきて、テーブルに乗せる。
「菓子とか俺食わねえから、ねえんだ。今度親に持って来させる」
「そんな、いいよ、いいよ」
 デクは干し肉を裂いてちまちまと噛む。なかなか噛みきれないようで、頬をふくふくさせて咀嚼している。
 リスみてえだ。もしゃもしゃのくせっ毛もリスの尻尾みてえ。見ていて飽きねえ。
 デクは竜騎士に興味津々で、次から次へと質問し、聞かれるままに勝己は話続けた。
「森は竜の民のテリトリーだ。竜の民は竜と共に暮らしてんだ。でも、竜騎士になれるのは一握りなんだぜ。俺の他にも見習い竜騎士はいるし、山頂の演習場には、皇国の竜騎士を勤めている先生が来る。俺らは毎日集まって修行してんだ。俺が1番成績いいんだぜ」
「すごいね!かっちゃん。竜騎士ってかっこいいよね」
「おお、かっこいいだろうが」
 仔竜がデクの前に降りてきた。てくてくと側に寄っていく。デクはそろっと手を伸ばした。
「おい、気をつけろ、噛みつかれるぞ」
 竜はふんふんとデクの匂いを嗅ぐと、赤い舌でデクの手を舐める。
「ふふ、擽ったいね」
 デクは笑って仔竜の喉を摩った。竜は気持ち良さげに目を瞑り、出久の脚に身体を擦り付ける。
「おいてめえ!デクには態度違うじゃねえかよ、クソが」
 勝己は竜を罵り、追い払うように手を振る。でも竜はデクの足の側から離れない。
「こいつ、てめえが気に入ったみてえだな。契約したわけでもねえのに」
「この竜、なんて名前なの?」
「契約したら名付けちゃいけねえんだ。名を付けると自分と別の個体になるからな。こいつはペットとかじゃねえ。俺の武器で右腕なんだ」
「へえー、かっちゃんは竜と契約してるんだね。契約なんて、大人みたいだ。竜となんてどうやってしたの?呪文とか?」
竜騎士は竜と血を交換して契約を結ぶんだ。竜の血を舐めて、竜に俺の血を舐めさせて主従関係になる。でも、こいつ、てんで命令きかねえけどな」
「頭撫でても平気かな?」
 デクはそろっと仔竜の頭を撫でた。竜はグルグルと喉を鳴らす。
 こいつはデクを受け入れたようだ。俺もデクを気に入った。竜と竜騎士は感覚の一部を共有する。だからかもな。
 竜を怖がらず、素直にかっこいいという。穏やかなくせに、禁じられてる森に来たり、竜に触ったり、変に度胸がある。変わった奴だ。竜騎士仲間は単純で荒々しい奴が多いから新鮮だ。
「かっちゃん、ぼくんちにくる?」デクは言った。
「言ったろうが。竜騎士は一人前になるまで、村には行けねえってよ。竜は主と決めた竜騎士の後をどこまでもついてくんだ。躾のされてねえ竜を、森の外に出すわけにはいかねえからよ」
 それが竜の民と村の人々との取り決めだ。竜騎士の修行をする森の近くの村には、竜騎士自らが結界を張ってる。躾の済んだ印である、足環をつけてない竜とその主の竜騎士は、結界の中には入れない。
「こんなに大人しいのに」
「それはてめえの前だからだろ。いつもはこうじゃねえ。俺は一人前になるまで、村に入れねえんだ」
「不便じゃない?」
「いんや、竜の民の集落には、普通に店もあるし、なんでもあるぜ。村に行かなくても何も困らねえよ。それに、大きな街には行けるしな」
 人口の多い街は、不慮の事態には竜騎士や魔法使いが対処出来るので、結界は張られてない。もし結界を張れば、魔物が入れなくなるものの、亜人や半妖との交流などに支障が出る。
 今までは困らなかった。でも今デクの家に行ってみたいと思っている自分がいる。
「ねえ、試してみようよ。手を繋いで行けば越えられるかも」
 差し伸べられたデクの手。どきりと胸が跳ねる。
 さっきは自分から掴んだのに。なんでだ。デクから手を繋ごうとしている。だからなのか。
 照れ隠しに乱暴にむずっとその手を掴んで、先に立って歩く。デクの後ろをてくてくと仔竜がついてくる。
 森を抜けて、高原を過ぎて、林を歩いて、村への道が見えた。ここまで来たのは初めてだ。
 恐る恐る、道に足を踏み入れる。数歩歩いた。行けるのか?
 だが、気づくと林の入り口に引き戻されていた。
「あれえ?」
「な、行けねえだろ」
 わかってたことだけど、勝己は少し落胆した。
「ほんとだ。僕も帰れないの?」
「手を離せば帰れんだろ」
 するりと指が離れてしまった。小さな手の温もりを惜しみ、指が名残惜しく空をかく。
「じゃあまた来るね、かっちゃん」
「ああ、来いよ」
「友達に言ってもいい?皆も来たがるかも。連れてきていい?」
「てめえらは、親に竜の森に行くなって、言われてんだろ」
「怖くないって言ったら、きっと来るよ。ね、一緒に遊ぼうよ」
 デクは村の方に駆けてゆき、振り向いて手を振った。姿が見えなくなるまで見送ってから、帰途につく。
 デクと繋いだ手がホワホワと温かい。あいつは明日も来るんだな。今までみたいに逃げたりしないで。

 次の日、デクは数人の子供達を連れてやってきた。デクより小せえ子供達だ。「森に来ちゃいけないんだよ」と口々に言いながら。ビクビクしている。
 勝己は林の入り口まで迎えに出たが、竜は警戒して木々の中に隠れてしまった。枝の間から様子を伺っている。勝己が「おい、降りてこい」と呼んでも来ない。
「しょうがねえな、あいつ」
「あれ、怖がっちゃったのかな」
「いや、そんなわけねえ」
「何処にいるの?」「ほんとにいるの?」「竜なのに」と子供達が口々に囃し立てる。
 いきなり、竜は劈くような鳴き声を発した。耳がビリビリとするような吠え声。
 子供達は仰天して、村のほうに逃げて行った。「エリちゃん、洸太くん、みんな、怖いことないよ」とデクが呼びかけたが、子供達の影はもう遠い。
「は!怖くねえわけねえんだよ、これでも竜だぜ」
「ごめんね。かっちゃん」
「へ!あの反応が普通だわ。おかしいのはてめえなんだ」
「ごめんね、でも、わかってくれると思うんだ」
 デクは気にしてるようだが、別に他の奴らが来ようと来まいと構わねえ。来るのはデクだけでいい。
「そうだ。かっちゃん、これあげる」とデクは小さな巾着をポケットから取り出した。
「なんだそれ」
 袋を開けると、カラフルで半透明のトゲトゲの粒がいくつも入っている。
金平糖だよ」
「知っとるわ。クソが」
「お母さんが作ってくれたんだ。君の話をしたら、持って行ったらって」
 勝己は金平糖を口に含んで、がりっと噛んだ。ジュワッと広がる甘味。
「甘ったるいな」
「それはそうだよ。砂糖だもの」
「甘いもんは得意じゃねえ」
「そうなの?」
 しゅん、とデクの元気がなくなる。しょうがねえな。
「だが貰っとく」と勝己は袋をポケットにしまった。


第二章


 月日は巡った。
 あれから村の子供も、たまに林の中に入って来るようになった。だが、村への道が見えるところまでで、それ以上は踏み込んで来ない。仔竜が威嚇したし、親に森の中までは近付かないように言われてるのだろう。
 毎日高原を越えて、森にやって来るのはデクだけだ。デクが来た時は、仔竜は逃げずに姿を見せて、近寄っていく。
「かっちゃん!」と大きな声を出して、高原をデクが走ってきた。
 仔竜はデクの側に寄り、首を曲げてデクの顔に頭をすり寄せる。
「大きくなったね。僕よりずっと背が高くなったね。かっちゃんが腕に乗せてたのが嘘みたいだ」
「は!今乗せたら腕が潰れちまうわ」
 もう仔竜とはいえない。竜は成長して堂々たる体躯に育っていた。もう馬くらいの大きさはある。竜はクゥンと鳴き、首を曲げてまたデクに頬ずりする。
 初めて会った時から幾年たったことか。もう竜はすっかりデクに懐いていた。
 だがまだ、勝己の命令を聞かない。いつも竜は勝己の後をついてくる。待てができるようにならないと、足環は貰えない。村には行けないのだ。
 デクの方から来るから、別にいいんだけどよ。
 勝己は竜に跨り「乗れよ」とデクに向かって手を伸ばした。
「え、ええ、乗れないよ」
「馬ならあんだろ。変わんねえよ」
「いや、全然違うから。わ!かっちゃん」
 怖がるデクの腕を引っ張り、勝己の前に跨らせる。
「え、え、わ、高いよ、かっちゃん」
「乗せてやるよ。こいつが気に入ってっからよ。デクだけだからな」
 竜は甲高く吠えると、翼を打ち下ろし、空高く舞い上がった。
「うわあ、高いよ!かっちゃん」
「捕まってろよ」
 勝己はデクの脇腹をしっかりと抱いた。
 初めは怖がって竜の首にしがみついていたデクだが、次第に慣れてきたのか、顔を上げて眼下の景色を見渡し始めた。「わあっ」と声を上げて喜んでいる。
 竜は森の上を旋回した。デクは竜の首にしがみつく。風がデクのくせっ毛をなぶる。
「おい、やれや!」
 勝己は命じた。すると、竜はボンボンと火球を吐いた。赤い火の玉は破裂音を立てて弾ける。
「わあ!すごい」とデクが歓声を上げる。「赤竜は爆破の力を持ってるんだよね。すごいや」
「ああ、見せんの初めてだな。森の中じゃ危なくて、できねえからな」
 勝己は「見てろよ」と掌をデクの前に翳す。パリパリっと火花が散り、弾けた。
「え?かっちゃんもできるの?」とデクは目をキラキラさせる。
「いずれは俺も、爆破の力を使えるようになんだぜ。竜騎士は竜の力も共有するからよ」
「すごいね。かっちゃんは」
 デクは俯いて、あのね、と口籠る。
「んだよ、聞こえねえ」勝己は促した。
「僕ね、勇者になりたいんだ。オールマイトみたいな、生きた伝説の勇者に」
 オールマイト。大陸に並ぶべくもない勇者の名だ。皇国に属する勇者でありながらも、ひとところに留まらず、村や町を巡って悪漢を成敗したり、魔物退治したりしているという。勝己は吹き出した。
「あ?はっはっ!てめえが?似合わなすぎるだろうが。てめえは村人Aが似合いだろ。腕だって細っこいし、胴回りだってヘナチョコだ」
 デクの腰に腕を回す。細っこくて片腕で一回りできそうだ。腕力も腹筋もない。大きな差はなかった子供の頃に比べて、日々鍛えている自分との差は歴然としている。
「だって、僕だってかっちゃんみたいに、かっこよくなりたいんだ」
「ああ?なれるわけねーだろーが」
 かっちゃんにはわからないよ、とぽつんとデクは呟いた。
 竜騎士と違って、勇者には条件も定義もない。だから目指すってのか。誰がどう見ても無理だろうが。実の伴わねえ自称勇者が関の山だ。こいつが益体もないことを言うと苛々する。
 なんなくていいじゃねえか。てめえはずっと俺の側にいて俺を見てろよ
 山頂の近くまで飛んできて、竜は演習場に降り立った。拓けた場所に、樽や大岩や大木の柱が置かれている。
「かっちゃん達はここでいつも訓練してるんだね。わあ、訓練の跡があるね」
 さっきまでのやりとりを忘れたように、デクは生き生きとして岩の焦げ跡に近寄り、ぺたぺた触った。柱や樽も、いずれも欠けたり氷が張り付いていたり、いくつもの傷がついたりしてる。
「ああ、それは火竜や氷竜の訓練でついた跡だ。今日の訓練は休みなんだ。先生が皇国の都に召集されてっからよ」
 竜騎士見習いは演習場で毎日訓練を行う。竜の習性や能力の使い方などの座学もあるが、ほぼ実践だ。
竜騎士の先生って怖い?」
「みんな怖がってっけど、別に俺は怖かねえよ」
 怖いと言うより、厳しいのだ。今までに何人もの竜騎士見習いが、失格にさせられている。志願者をまとめて失格にしたこともある、漆黒の服を纏う黒竜竜騎士。魔法や呪いを無効化する、黒竜の能力の使い手だ。
 ポツポツと雨が降り始めた。もう少し見せてやったら戻るか、と思っているうちに、あっという間に大雨になった。
「うわー、どうしよう、かっちゃん。今戻ったらずぶ濡れになるよね」
「ああ、でも空は明るいし、通り雨だろ。止むまで一休みすっか」
 勝己は演習場内の丸太小屋に、デクを連れて行った。先に入ってろと言い、竜を専用の休憩所に引いていく。今の5倍の大きさになっても、何頭でも入れる天井の高いホールだ。小屋に戻り、暖炉に火を焼べて、濡れた服を脱いで広げた。半裸で火の前に2人で並んで胡座をかいて座る。
 パチパチと火が爆ぜる。
 暖炉に寄り過ぎると顔が火照ってきた。でも肌は冷えたままだ。デクに身体を寄せて、ぺたりと濡れた肌をくっ付ける。
「今日村にね、オールマイトが来たんだ。伝説の勇者オールマイトだよ」
 手足がぬくもってきた頃に、ぽつりとデクは言った。
「ふうん」
 生返事を返す。皇国の英雄オールマイト。だからデクは勇者になりたいなんて言い出したのか。オールマイトは同じ皇国の竜騎士である先生も面識があるらしい。名前が出ると「あの人はいつもふらふらして全然捕まらん」と苦々しくぼやいている。
「明日、オールマイトが泊まってる宿に、会いに行こうと思ってるんだ。それでね、僕、稽古をつけてくれるように、頼もうかと思ってるんだ」
「はあ?何言ってんだ、てめえ」
「強くなって、いつか冒険の旅に出たいんだ」
「言ったろうが、てめえには向いてねえ」
「そんなの、わかんないだろ」
「てめえはチビだし、腕だってこんな細っこいくせに」
 と勝己はデクの二の腕を掴んだ。すべすべした滑らかな肌。勇者なんて全然にあわねえ。
「それは……かっちゃんに比べたら貧弱だけど」と、デクはもごもご口籠る。
「肩も細えし」と肩に触れる。「胸も薄いじゃねえか」胸に手を当てて撫でる。まだ濡れた身体。雨の匂い。
「かっちゃん?」
 胸から離されない勝己の掌に戸惑って、デクは身を捩る。
 勝己は顔を寄せてデクの首元を嗅ぎ、首筋を流れる雨の雫を舐める。
「ひゃあ、くすぐったいよ」
 デクはころころと笑う。
 触れている肌は冷たいのに、何故か身体の奥が熱くなってきた。
 ゴクリと唾を飲み込むと「脱げよ」と勝己は言った。
「え?」とデクは戸惑う。
「風邪引いちまうだろ。下も脱げってんだ」と言い、勝己はすぐさま下着を脱いだ。
「ええ!かっちゃん、裸だよ、裸!」
「濡れた下着にズボン履くのかよ。何照れてんだ、男同士だろうが」
「そ、そうだね。でも恥ずかしいな」
 顔を赤くしつつも納得したようだ。デクは素直に下着を脱いだ。
 膝を抱えて座るデクににじり寄り、震える手で肌に触れる。デクの胸を辿り、指先で腹を辿る。
「かっちゃん?なに?」と不思議そうに問うデクに構わずに、抱き寄せて腰に掌を滑らせて撫でる。かっちゃん、とデクもおずおずと肩に触れてきた。
 触りあってじゃれているうちに、デクの肩を押して絨毯に組み伏せた。デクの頭の横に手をついて見下ろす。
「かっちゃん?」
 デクの瞳が暖炉の炎を映して揺らめく。冷たい肌をひたりと合わせた。重ねた身体の下で、出久の身体が震えている。
「か、かっちゃん」
「なあ、温かくなんだろ」
 衝動を誤魔化そうとして勝己は言った。触れたい。止めたくない、流されていろと祈る。
「あ、そうか、なるほど。うん。あったかいよ」
 容易くデクは納得したらしい。抱きしめて身体を摩る。身体を弄り摘んだり擽ったり悪戯する。デクの手が迷うように腕に肩に置かれ、遠慮がちに摩る。
 何気ない調子で性器を押し付けた。すりっと揺する。擽ったいとデクは笑った。肌をくっつけてると温かくなってきた。身体の奥にも火が灯る。
 頬を手で挟んで顔を見つめて、冷たい唇に触れる。むにっと何度も押し付ける。デクは雰囲気に呑まれたのか、抵抗することなく目を瞑る。
 もっと触れたい。口の中は唇よりも熱いはずだ。ちょっとだけ触れるくらい構わねえだろ。
 ふはっと開けられたデクの口をがぶりと塞ぐ。デクの舌を探り、舌先で突いて舐める。
 思ったとおり熱いな。それに柔くて気持ちいい。唇を離してデクの瞳を間近で見つめる。
「気持ちいいな。てめえは?デク」
「うん、でも、なんか変だ」
 デクの瞳は誘うように潤んでいる。
「もう一回やらせろ」
 今度は舌をもっと深く差し入れて、舌を絡ませて深いキスをする。美味いものを味わうように、もっと寄越せと口内を探る。
 身体をぴったりとくっつけて、くちゅりと口を吸い、肌を摩り合う。身体の奥から火が燃え広がるように、触れている肌が熱くなってきた。デクに足を絡ませて局部を押し付け、擦りつける。薄い茂みが擦れる。
 顔の火照りは、暖炉の炎のせいだけではないのだろう。
 漸く雨が上がった。
「行こうよ、かっちゃん」とデクが言った。
 勝己は無言で、そろっと重ねた身体を離した。ひやりと肌が寒くなる。
 乾かしていた服をほらよ、とデクに投げた。ちょっと生乾きだ。服を着てしまうと照れ臭さくなった。触れ合っているときは平気だったのに。
「おい、クソデク、帰んぞ」
 ぶっきら棒に言うと、デクが小さな声でうん、と返事をした。デクも照れたように俯いている。
 演習場を後にして森に戻り、デクと手を繋いで林を歩く。当然のように竜も付いてくる。濡れた葉が雫をほろほろと落とす樹々の下。もっと帰り道が長ければいいのに。そう思っているうちに、村の入り口が見えた。
「じゃ、かっちゃん」とデクは言う。ちょっと目を伏せてもじもじしながら。
 離したくない。だが、離さないわけにはいかない。名残惜しく思いながら手を解く。
「明日も来いよ。デク」勝己はぶっきら棒に告げる。
 デクはふわあっと顔を赤らめて、下を向いた。頭を引き寄せて「来いよな」と念を押す。覗き込むように顔を近づける。
 翡翠の色の瞳が揺れている。デクの迷いを映しているようだ。
「なあおい、デク、答えろや!」
 返事をしないのに焦れて、勝己は声を荒らげる。デクはもじもじと視線を上げ、上目遣いに勝己を見た。
「かっちゃん、あんなこと、駄目なんじゃないかな」
「はあ?今更何言ってんだ」
「でも、まるで、大人のすることみたいだった」
「おい!」と勝己はデクの頬を、ぱんっと音を立てて両手で挟む。
「いったあ!かっちゃん、なんだよ」
「てめえも気持ちよかったって言ったよな」
「う、うん」
「大人のすることってなあ、てめえ幾つだ。俺と同じ歳だろうが」
「うん、そうだけど。だけど大人とは言えないかなって」
「毛だって生えてっし、精通もしてんだろ。十分大人だろうが」
「ちょ、かっちゃん」デクはさらに顔を赤らめ、小さな声で答える。「一応、してるけど」
「じゃあいいじゃねえか。明日も来るよな」
 と、ドスをきかせると、こくこくとデクは首を縦に振る。
「よし、てめえ、来なかったら承知しねえぞ」
 デクは真っ赤な顔のまま、こくんと首肯する。約束は取り付けた。勝己は漸く手を離してやる。
 村に向かうデクの姿を見送り、姿が見えなくなってから小屋に戻った。
 ドアを開けるとふわっといい匂いがした。留守の間に母親が来ていたようだ。部屋に匂いが充満している。
 台所に入って鍋の蓋を開けると、美味そうなシチューが入ってる。量が多いな。今日と明日の分か。村に帰す前に家に寄れば良かったな。デクに食わせてやれたのに。
 まあいい、明日来たら食わせてやるか。
 デクがまた持ってきた金平糖を口に入れた。舌で転がすと、やわやわと溶けていく。甘ったるい。まるでデクとのキスみたいだ。
 デク、と名を心の中で呼ぶ。デクのことを考えるだけで動悸が早くなる。
 甘ったるくて、変な時間だった。あいつの身体に触れて、キスをして、肌を合わせて体温を分け合った。濃密な膜で覆われたように、外の雨音も風の音も消えた。世界に二人しかいないみたいだった。
 次はデクをどうしてやろう。またキスをして、身体に触って、その後はきっと、そうだ。
 やっと理解した。幼い時に出会ってから、デクに対してずっと疼いていた感覚。
 あれが正解なんだ。デクだってわかったはずだ。
 キスだけじゃなくて、肌にも唇で触れたい。手で触れるだけじゃ足りないんだ。
 明日が早く来ればいい。あの続きを早くしたい。


 翌日、デクは日が昇るより早く、目が覚めてしまった。
 外はまだ暗くて瞼は重い、でも眠れない。ベッドでうつらうつらと時を過ごしていたら、カーテンの隙間から顔に陽が差して、再び目が覚めた。
 いつのまにか二度寝してしまったらしい。
 階下に降りると、母親は朝食の支度中だった。母親より早く起きて、ひとっ走りするのを習慣にしているのだが、今日は寝坊したようだ。
「珍しく遅かったわね」
「ごめん、お母さん」
「いいのよ、疲れてたんでしょ」
 鶏の卵を取ってきてくれるかしら、と頼まれ、鶏小屋に向かった。鶏のお腹の下から卵を取り、割らないように丁寧に籠に入れる。今食べる分と市場に持っていく分。売る分の卵を数えなきゃいけないのに、心は別のことに乱された。
 市場から帰ったら、僕は今日も森に行くんだろうか。
 来なかったら承知しねえ。
 帰り際の勝己との約束を反芻する。真剣な声を思い出す。
 かっちゃんは明日も来いと言っていた。キスしちゃった。キスだけじゃなく、裸で身体に触り合ったりした。大人がするみたいに。
 かっちゃんの指が触れた場所。思い出すと顔が熱くなり、ゴシゴシと顔をさする。
 朝食を済ませて、余った卵を包んで袋に入れた。母親に卵売りに行ってくるねと声をかけて、市場に出かける。
 朝からずっと、昨夜のことが頭から離れない。今日森に行ったら、どうなっちゃうんだろう。
 かっちゃん何するんだろ。また触り合うんだろうか。かっちゃんにとっては大したことじゃないのかな。大人の真似事みたいな、新しい遊びに過ぎないのかな。でも、僕はきっとかっちゃんでいっぱいになっちゃう。今だって朝から頭の中が、かっちゃんでいっぱいだ。
 でも、気持ちいいからって、こんなことしていいんだろうか。恋愛したこともないのに。擬似恋愛みたいになったりしたら、どうしよう。戻れないかもしれないのに。かっちゃんは迷わないのかな。
 悶々としたまま、市場に到着した。中央広場に集まっている人々がざわついている。いつも市場は喧騒としているけれど、今日はちょっと様子が違うようだ。大道芸が終わった後のような、浮ついた賑やかさ。
「何かあったの?」
 いつも卵を買ってくれる、食料品店のおじさんに尋ねてみた。
「君!もっと早く来たら良かったね」
 とおじさんは興奮冷めやらぬ調子で言った。
「昨日村に来た勇者オールマイトが、広場で暴れてた悪漢どもをやっつけたんだよ。すごかったよ。店に因縁をつけた悪漢達が片手で一捻りだったよ」
 憧れのオールマイト。すっかり忘れてた。こんな大事なことを忘れてたなんて。今日は早く起きて、彼の宿泊している宿屋に行こうと思ってたのに。
オールマイト、今どこにいるの?宿にいる?」
「もう村を出るところだったみたいだよ。荷物を持ってたからね。村はずれにいるんじゃないかな」
「ありがとう!」
 デクは走った。急がなくっちゃ。今追わないと会えなくなる。かっちゃんには後で言おう。会いに行くのは明日でもいいよね。今は彼を追わなければ。
 同じ年くらいの子供は、家業を継いだり、技術を身につけるために奉公に出たり、町の学校に行ったりと、それぞれ動き出している。自分も夢のためには、足踏みしていてはいけないのだ。
 勇者になりたい。不可能だと言われても笑われても。
 かっちゃんは反対するかも知れないけれども。どうしても。夢を叶えたいんだ。


「クソが!あの野郎」
 その日の夕方になっても、デクは来なかった。次の日も来なかった。
 勝己は腹を立てて毒づいた。「クソデクが、ふざけんじゃねえぞ。約束違えやがって!」
 身体に触れたことを、触れ合うことを、デクは迷っていた。だから来ないのか。嫌だったのか。だが、あいつも気持ちいいと言ってた筈だ。身体の境界がなくなって溶け合うような感覚を。
 今更怖気付いたのかよ。離れようったって離さねえぞ。
 勝己は待った。待つしかないのだ。半人前の竜騎士である自分は村には入れない。デクを問い質したくても果たせないのだ。
 デクが姿を見せないままに1週間が過ぎた。
 俺をこんな待たせやがって、こんな思いをさせやがって。あいつ、今度会ったらぶっ殺してやる。
 とはいえ、待ってばかりもいられない。竜騎士の修行も本格化してきたのだ。
 演習場に黒竜の巨躯が舞い降り、竜の背から黒装束の男が降りた。相澤先生だ。
 黒竜の使い手である相澤先生は、皇国の竜騎士の中ではあまり知られていない。自分も先生と生徒として会うまで知らなかった。竜騎士でもないくせにデクは知っていたらしいが。
「全員揃ってるか。じゃあ、竜から降りて並べ。さっさとしろ」
 相澤先生は不機嫌そうに言うと、居並ぶ竜騎士の卵達を見渡し「全員いるな」と確認した。
 山頂の広場に集った生徒達は、先生の号令で竜に乗ると、一斉に空に舞い上がった。竜の群れの羽ばたきは、突風となり土埃を巻き上げる。
 竜騎士は子供の頃から竜に慣れさせ懐かせ、竜が主人の命令を聞くようにする。その後、成長に合わせてそれぞれの竜と同調し、竜の力を使いこなせるようにする。
 勝己は竜との同調をいち早くマスターし、赤竜の力である爆破の能力も使えるようになっていた。
 だが、竜はいまだに肝心の「待て」の命令を聞かない。
「普通は、待てが出来てからの竜との同調だろ。順番逆じゃねえか」
「お前の竜、頭悪いんじゃねえのか」
 他の竜騎士見習い達に揶揄され、勝己は頭にきて睨みつけた。
「あ?喧嘩売ってんのか」
「怒ったのかよ、本当のことじゃねえか」
 勝己の後ろに控えている竜が首をもたげた。見習い達の竜も近付いてきて、一触即発の緊張感が張り詰める。
「お前ら!揉めると落第にするからな。爆豪、苛々をおさめろ。竜が荒れるぞ」
 相澤先生は駆けつけて、竜達を宥め、見習い達を「遊んでる暇はないぞ。散れ!」と追い払った。だが勝己には「お前は残れ」と告げた。
「説教かよ。売られた喧嘩を買っただけだ。あいつら竜を制御できるからって、その一点だけでこの俺を見下しやがってよ。うんざりだ」勝己は憮然とする。
「面倒を増やすな。相手にすることはないだろう。竜との同調はお前の方が先を行ってるんだぞ」嘆息して相澤先生はぼやく。「焦る気持ちはわからんでもないがな」
「同調できても、こいつ命令をきかねえんだ」
「お前に似て勝気な竜だからな、上からの命令をなかなか聞かない性質のようだな」
「クソが。何とかならねえのかよ」
「同調は出来てるんだ。お前の竜も、もう間も無く従うようになるだろう」
 だが、その「間もなく」に勝己は何年待たされていることか。まだ竜の力を同調出来てない奴らの方が、もうとっくに竜を制して足環を手に入れ、村にも行けるようになっているというのに。最初に竜と同調した自分が、他の奴らにどんどん追い抜かれる。勝己は日々焦燥感に駆られ、苛ついた。
「もう竜がついてこないように出来ねえのかよ」勝己は先生に問うた。
「足環を得られなきゃ無理だな。今の状態のお前と竜ではまだ与えられん。未熟な竜が結界は越えられないのは、危険だからだ。結界は村を守るためにある。今すぐどうしても森から出たけりゃ、竜騎士になるのをやめるしかないぞ」
「今更辞めるなんてできんのかよ。契約した竜はどうなる。野性に戻んのかよ」
「一度竜騎士と契約した竜は野性には戻れんが、なに、別の者と新しく契約を結べば済むことだ。でないと竜騎士が死んだ時に困るだろう。竜は人間よりも遥かに長命だからな。主1人に縛られることはない」
「なんで子供に仔竜を契約させんだ。躾のされた大人の竜でいいじゃねえか」
「大人の竜は子供の命令など、なかなかきかんぞ。それに、仔竜の躾は、子供の竜騎士にさせると同調するのが早いんだ。仔竜は大人の竜騎士に慣れるのに時間がかかる。大人は本能だけで動かないからな。損得や理性は邪心となり、竜との交感の邪魔をする。子供は本能と感情の動物だ。感受性が高く純粋な子供の感情が、真っ直ぐに竜の感情を育てて感応する。竜騎士は竜の鋭敏な感覚の一部を共有する。竜の力の一部も使えるようになる。お前のように爆破の力とかな。共感することで互いに優れた竜と竜騎士となれる。もちろん相性もあるがな」
 勝己は側で蹲る竜を振り見る。こいつがデクにだけ懐いてたのは、竜が俺と共感してたからなんだろう。でも、だったらなんでなんだ。
「お前、竜騎士を辞めたいのか」相澤先生は問うた。
「ああ?聞いただけだ」勝己は顔を顰める。「辞めねえよ。自分で決めた道だ。それだけはねえ」
「ならば、お前、村に会いたい奴でもいるのか」
「いねえよ!」
「いるのか。なるほどな」
「あんたどこに耳ついてんだよ。いねえってんだ!」
 ムキになって言い返す勝己に、先生は溜息をつく。「まあいい、仮にいたとしての話だがな、思う相手に同調しか出来てない、今の半端な段階で会うのは、関心せんな。お前も竜も共に制御できてないってことだからな。逆にお前の方が、竜の本能に呑まれて流されかねんぞ」
 あんたにはわかんねえだろーが、関係ねえだろーが、という反論の言葉を飲み込む。竜がグルルと唸る。勝己の感情に同調しているのだろう。こいつは俺の鏡だ。上から押さえられるのを嫌う。そして、デクを気に入っている。
 修行中であっても、森から森へは渡れるし、国境の道や街や遠方の皇国の都にも行ける。街や都は魔物や半妖でも、関所を通過すれば問題はなく、誰にでも開かれているからだ。ゆえに防衛のため、それらを制する魔法使いや僧侶は、町や都に集中している。
 竜騎士のいる森に近い村にはかならず結界がある。自分達は結界の張ってある村にだけは入れないのだ。もちろん結界のない村になら入れるが。
 林の出口に立って、村への入り口を睨む。ここから先は自分は行けない。
 大きくなっても竜は、それでも自分の後をついてくる。気性が荒くて勝己の命令をあまり聞かない。てめえは俺にそっくりだ。
 竜がついてくる以上、村に行くことなどできない。
 すぐ近くにいるというのに手が届かないなんて。思いは募るばかりだ。憤りが膨れ上がるばかりだ。
 デクは来なくなった。姿を見ることなく、月日が流れ、季節が巡る。
 竜は隆々とした体躯に育った。自分ももう子供じゃない。身体も心も成長した。確かな衝動で、あいつに会いたいし、触れたい。
 デク、早く来い。他の奴らが来ねえのは構わねえ。てめえは来なきゃいけねえんだ。俺の方からは行けねえんだ。わかってんだろうが。
 てめえだけを何故こんな風に求めてしまうんだ。なんでこんなに苦しいんだ。クソが!なぜ来ないんだ。


第三章


 声が聞こえた。
 勝己は目を覚ますと飛び起きた。
 空耳だろうか。目を瞑り、感覚を研ぎ澄ます。まだ明け方の森の中に靄が残る時間。
 間違いない。あいつの匂いがする。村の方角じゃない。森の側からだ。
 だが血の臭いが混じっている。嫌な予感にぞわっと総毛立った。勝己は急いで着替えると、竜に飛び乗った。
 竜は森の上を風を巻いて飛翔する。村から村に渡る道には結界はない。薄闇に目を凝らす。
 また悲鳴が聞こえた。何処だ。
 眼下には切り立った崖の上に作られた道がある。一本道だ。悲鳴をたどって道を目で追った。
 見えた。馬車が盗賊に襲われているようだ。デクは馬車の中にいるのか。
 竜はバサリと翼を打ち下ろし、馬車の側に降り立った。いきなり現れた竜に盗賊達は固まった。勝己は竜の頭に立ち、盗賊達を見下ろして怒鳴った。
「何してやがる!てめえら」
「てめえには関係ねえ、クソ!竜なんざ屁でもねえよ、降りてこいクソが」
 盗賊は勝己を見上げて、後退りながら虚勢を張る。怖気づいてんのがバレバレだ、間抜けが。今や竜は象をも超える巨躯に育っていた。
「そうもいかねえな。てめえら邪魔だ!退けカスが!」
 掌を盗賊に向けると、勝己は火球を飛ばして盗賊達の武器を爆破した。武器を失い怯んだ盗賊達を竜が容赦なく蹴散らす。盗賊達は略奪した金品を捨てて、一目散に逃げ出した。
「は!だらしねえ奴らだ」
 盗賊達の逃げる先を一瞥し、勝己は馬車に視線を移した。馬車の車輪の後ろに怯えた初老の男が縮こまっている。服装からして御者のようだ。勝己と目が合うとさらに怯えた表情になった。
 男に構わず「おいデク!」と怒鳴り、馬車の中を覗いた。中には数人の客がいたが、デクはいない。
「おい、もう盗賊はいねえよ。聞きてえことがある。俺くらいの歳のもしゃもしゃ頭の馬鹿面した奴が乗ってなかったか?」
 客達を見渡して勝己は問うた。
「若い男の子がいたよ。その子のことかな」誰かが答えた。中年の男だ。
「なんで今、ここにいねえんだ。そいつに何かあったんかよ」
「私達は盗賊に順番に外に出るように言われたんだ。だが、泣きだした子供が竦みあがって動けなくなり、盗賊につまみ出されてしまった。その少年は抗議して馬車を出て、突っかかっていったんだ」
「そいつは何処にいる」
「すまない、外の様子はあまりわからなかったんだ」
「小さな子をかばって、一緒に崖から落ちてしまったよ」背後から声がした。車輪に隠れていた御者だ。「私は怖くて、見ていることしか出来なかった」
 勝己は崖の下を覗いた。木々に隠されて見えないが、崖の下からは確かにデクの匂いがする。
 竜に飛び乗って崖の下に降り、デクの姿を探した。
「何処だ!デク」
 返事のできない状態なのか。もしもあいつが。いや、考えるな。
 竜が首を左右に振って一点を指し、迷いのない足取りで歩き出した。森の中に入ってゆく。
「お前、わかんのか?」
 デクを探していることを、こいつは理解しているのか。ともかく、勝己は竜についていった。暫く歩くと竜は立ち止まり、勝己を振り向いて、クウっと鳴いた。
「見つけたんか」
 折れた木の枝と共に、倒れている小柄な身体。間違いないデクだ。
「まさかてめえ。デク!クソが!デク!」名を呼んで駆け寄った。
 頭部からドクドクと血が流れている。頭だけじゃなく身体も傷だらけだ。服は裂けてボロボロだ。
 身体をそっと起こしてみる。デクは腕に子供を包み込むようにしっかり抱いていた。子供は気を失っているがほぼ無傷だ。子供を腕から離して地面に寝かせ、デクの呼吸を調べてみる。か細いが、息はしている。腕や足も変な方向に曲がったりしてはない。気絶しているだけだ。
「自分の身体でこの子を庇ったのか。てめえが死んだらどうすんだ。は!英雄になりたいとかほざいてたくせによ。ざまあねえな」
 ほっとした。ぐったりした身体の下に腕を回し、そっと抱きしめる。
「大丈夫ですか?」と御者が崖の上から声をかけてきた。
「ああ、無事だ」
 デクを残して、子供だけを抱えて竜に乗る。心配そうに崖下を覗いていた御者に子供を渡した。両親らしき男女が駆け寄ってきて、頭を下げて子供を抱きしめた。
「もう1人いませんでしたか?その、その子を助けた少年が」
「知らねえ。そいつしか見つからなかったぜ。探しといてやるから、さっさと出発しろよ」
「彼が貴方の探してる人ではなかったんですか」
「いや、俺の勘違いだったわ、じゃあな」
 御者に問われ、そらっとぼけて答えると、勝己は竜に跨って崖下に戻った。傷だらけのデクを竜の背に乗せて抱きかかえる。デクは渡せない。森に連れて帰るのだ。

 デクをベッドに寝かせて衣服を脱がせた。ちょっと驚いた。自分ほどではないにせよ、そこそこ鍛えられた身体だ。全裸にして血や砂を清潔な布で拭き取り、傷の深さを確かめる。
 肌を綺麗にすると、傷の一つ一つは思ったより深くない。骨が折れたり肉が削げたりはしてないようだ。手足の皮膚の擦過傷は多くても外傷は浅い。樹木の枝がクッションになったのだろう。ただ、頭の傷だけは気になる。後遺症がなければいいが、意識が戻らないとわからない。
 傷を治すために薬草を口に含み、噛み潰して、デクの身体に跨り、屈みこんで傷口を舐める。
 やっとだ。やっと面を見せやがった。
 デクが来なくなって、何か月経ったことだろう。何年経ったことだろう。随分成長したけれど幼い面影は色濃く残る。
 デクの右手の掌を開いた。豆を潰した跡がある。剣の稽古でもしているのか。くっと喉の奥で笑う。掌を舐めて一本ずつ指を舐める。
 てめえに勇者様なんて似合わねえぜ。ちょっと稽古して多少筋肉をつけて、強くなったつもりでいるから、こんな目に遭うんだ。額のキズを舐めてキスをする。血の味。頭に包帯を巻いてから、首筋に舌を這わせる。胸の傷を舐め、太腿を持ち上げて舌を這わせる。
 傷を舐めてゆくうちに、下腹が熱くなってきた。陰茎が硬くなってきたのを自覚する。勃起したようだ。情欲。所有したいという証。
 こいつが欲しい。
 思いが膨らんで弾けそうだ。
 欲しくて目眩がする。
 脳が欲望に塗りつぶされる。
 本能に呑まれるとは、こういうことなのか。
 抑えきれない。
「あの時の続きをしてやろうか、なあデク」
 勝己は指先の皮膚を噛み切った。ぷつりと皮膚が切れ、血が玉になりとろりと吹き出す。指先をデクの唇に塗り、指を口に含ませる。唇が赤く染まった。深くキスをして、舌をデクの舌に絡める。
 契約の血だ。竜に行ったように。
 これでてめえは俺のだ。
 デクの傷はもう塞がってきている。薬草の効果が出て来ているようだ。朝には綺麗に治るだろう。
 下腹部に跨り、身体を重ねてデクに欲望を擦り付ける。衣服が邪魔だ。服を脱いで裸の素肌を重ねる。あの雨の夜に触れたように、隙間なく。ぴくりとデクの身体が反応する。
「おい」と声をかけてみる。「起きろや、なあ」
 デクは薄眼を開けたようだが、また瞑ってしまう。薬には麻酔効果もあるから、意識が朦朧としているようだ。
 今抱いてしまおうか。まだ目を覚ましそうにない。だがもう待てない。衝動が止められない。
 腹の底で獣の如き本能が渦を巻く。

 覆い被さり、はっはっと荒くなった息を整える。首元に息を吹きかけ、デク、と名を呼ぶ。抱かれながらも目を覚まさない。呑気な野郎だ。
 デクの額に額をくっつけて、デク、ともう一度呼びかけ、唇を這わせて深くキスをする。

 朝の光が窓から差し込んでいた。
 隣に眠るデクの頬にそっと触れる。瞼がピクリと動いたが、目を覚まさない。肌に治りかけた傷跡と、勝己の付けた赤い所有の証が、入り混じり散らばっている。
 勝己はにっと悪戯っぽく笑い、服を身につけると、デクを起こさないようにそっとドアを閉めた。
 早朝は竜の食事の時間だ。勝己は竜を寝床から連れ出すと、狩場に連れていった。
 デクと会った高原には小動物しかいない。大きくなってからは、森の奥にある別の草原に狩場を変えている。中型の獣だけではなく半妖も生息している場所だ。野生の本能を失わないためにも、竜騎士の竜は生きた獲物を必要とする。狩で足りない分を竜用の餌で補う。
 竜に声をかけて、自由に狩をさせながら、勝己はこれからのことを思案する。
 傷が治るまでデクは帰さない。治っても帰さない。契約をしたのだ。もう俺のものだ。あいつの意思など知ったことが。何年も俺を待たせやがったあいつが悪いんだ。
 適度に竜に獲物を食わせ、小屋に戻った。だがドアの前で勝己は異変に気付いた。
 おかしい。しっかり締めたはずのドアに隙間がある、まさか。
 嫌な予感は的中した。ベッドはもぬけの殻になっていた。
「おいデク!」と呼びかけるが、家の中は静まり返っている。何処にもデクはいない。
「何処に行きやがった!逃げやがったのか。許さねえ」
 小屋の周りに足跡を見つけて森の中を追った。だが、行けども行けども姿は見当たらない。いつ出て行ったんだ。ずっと前なのか。もう森から出ちまったのか。勝己は焦った。村の方向に向かって林を駆ける。後ろを竜もついてくる。
 あいつには子供の頃から見知った帰り道だ。もう林を抜けたのか。もう村に着いたのか。
 次はいつ会えるんだ。いや、次などあるのか。
 村への入り口が見えるところまで辿り着いた。林はここまでだ。着いてきた竜も立ち止まる。デクの姿はどこにもなかった。
 ここからは結界が立ちはだかるのだ。勝己には越えられない見えない壁。
「デク!デク!てめえこのクソが!クソが!」
 聞こえないと知りながらも何度も叫ぶ。村への道を数歩進めてみたが、いつかと同じように、見えない結界を踏んだ途端に、林の入り口に戻されてしまう。
「くそが!目を離したのは、ほんの少しの間だけだったろーが。それだけで失っちまうのかよ。どれだけ待ったと思ってんだ。ふざけんなよ。デク!」
 竜を睨みつけ、勝己は怒鳴った。「お前、ついてくんなよ!」
 竜は首をくいっと振る。
「ついてくんな!てめえがついてくるから、あいつを追えねえんだ」
 竜は吠える。
「クソが!」勝己は叫んで木を殴りつけた。「クソカスが!」殴り続けて手の皮がむけて血が幹にこびりつく。
「クソが……」頭を幹に付けて俯いて呟く。
 違う。八つ当たりだ。
 竜騎士になる夢のために、竜と契約したのは俺だ。デクを攫って本能に呑まれて抱いたのも、安心しちまって隙を作ったのも、俺だ。
 座り込んで頭を抱え、気を沈める。竜が隣に座して頭を垂れる。勝己の気持ちに感応して荒ぶり、静まれば落ち着くのだ。頭を撫でると、竜はすりすりとその頭を勝己の手に押し付ける。
「お前もデクに会いてえのか。だから俺に付いてくるんだな」
 クウ、と肯定するかのように竜は啼く。
 俺と同調しなかったなら、竜の本能のままに生きただろう。だがこいつは俺の竜となった。俺と同調していないこいつは知らない。知ることもない。
 制御しなきゃならないのは竜じゃない。俺の心だ。
 お前はペットや友達なんかじゃない。俺の武器であり右腕なんだ。
 猟師の猟犬のように、鷹匠の鷹のように。それが竜騎士の竜なんだ。
 街道には盗賊やならず者だけではなく、魔物も潜んでいる。竜の森の側だけではなく、魔物が多く出る地帯には、結界を張っている村が多い。危険を排除するために結界は強力に張られる。首輪のない竜を連れた竜騎士の卵が村には入れないのは、野生の竜は魔物と判別されるからだ。
 こいつはまだ魔物なんだ。俺が竜騎士の竜にしてやらなきゃいけないのだ。
「デクに会うんだ。そのために、1日でも早く一人前にならなくちゃあな」
 竜騎士となって森を出て、デクに会うのだ。勝己は竜の丸太のような首を撫でる。
「なあ、てめえも同じだろ」
 竜はクゥンと鳴いて首を傾ける。


「訓練に熱が入るようになったな」
 一番に課題を済ませて戻って来た勝己に、先生が目を細めて声をかける。
「あ?もともと俺ぁ真面目だ」
「そうだな。以前からお前は訓練自体には、真面目に取り組んでいた。何か吹っ切れたようだな。いい傾向だ」
 勝己は目的を得たことで、闇雲ではなく効率的に力をつけていった。先生も驚くほどに目覚ましく成長した。勝己の意思が伝わっているかのように、竜は忠実に従うようになった。竜の力の一部を勝己の掌に移すことで、安定して爆破する能力を得た。これで竜と変わらないくらいの火力を得られる。
「勉強熱心だな。目標がはっきりしたようだな。あの村、か」と先生は感心したように言う。
「ああ?なんか文句あんのかよ」
「いや、目的がなんであれ、一人前の竜騎士になれば文句はない。思うことで強くなれるなら、それもいいだろう」
 先生に褒められるとこそばゆい。「へっ」とそっぽを向く。
「先生、あれ、いつ貰えんだ?」勝己は問うた。
「足環だな。この分なら間もなく渡せるだろう」
 待ちに待った、とうとうその時が来た。
 数日後、演習の終わりに、先生が竜騎士の証である金の輪を、手にジャラリと下げてきた。権利を得た竜騎士見習い達に順番に渡してゆく。
「これが竜騎士の証だ」
 勝己の手に金の輪が手渡された。呪文が表面に刻字されている。普通の腕輪のサイズだが、竜の脚に触れると伸びて巻きつく仕様だ。
 呪文を呪物の表面に刻む魔法は、竜の民独特の呪術だ。結界を張る術と同様に、竜騎士を目指すのならマスターする必要がある。訓練の合間に練習をして、勝己も多少は使えるようになった。
「無造作じゃねえかよ」
「わざわざ箱に入れて、リボンでもつけて欲しかったのか。非効率だろう」
「へっ、いらねえよ」
「お前は熱心に修行を行ってたからな。今まで多くの竜騎士を教えてきたが、お前ほど早く竜と同調できるようになり、さらに竜の力を使いこなせるようになった奴はいないぞ」
「は!俺を誰だと思ってんだ。当然だってんだ」
「竜を制御するのは一番遅かったがな。お前ならすぐにも卒業できそうだな。そうすれば好きな場所に行けるし、住むことも出来る。試験を受ければ、皇国の竜騎士にもなれるぞ」
「あんたと同じ皇国の竜騎士か。まあ考えとくわ」
 早速、勝己は竜に足環を装着した。竜は違和感を感じたのか、ふるっと脚を振ったが、嫌がりはしない。
 鍛錬が終わり小屋に戻ると、「いいな、ここで待てよ」と竜に命じてみた。
 竜は大人しく蹲った。勝己が離れても身体を起こさない。
 よし、ちゃんと言うことをきくな。もうついてこないな。
 竜騎士の竜となったので、村に連れて行けるのだが、まずは自分だけでデクのところに行きたかった。森を出て高原を抜け、林のはずれについた。
 村が見える。デクのいる村が。
 すうっと息を吸い、道に足を踏み入れる。2歩3歩と足を進める。
 歩いていける。もう林の入り口に戻されることはない。村に入れる。勝己は走り出した。
 デク、デク、くそが!
 気分が高揚した。この日をどれだけ待っただろうか。駆けて、駆けて、村の入り口に到着した。
 デクの家はどこだろう。道行く人に尋ねて、ようやくデクの家を見つけた。キノコみたいな形のこじんまりした家だ。郵便受けの周りには、色とりどりの花が植えられた花壇がある。母親の趣味なんだろうか。
「デク!出て来い!」
 ドアをノックすると。母親が顔を出した。顔立ちにデクの面影がある。勢いを削がれた。
「あらまあ、お友達?」
「デクは何処にいんだ」
 挨拶も忘れて聞くと、母親はすまなそうに答えた
「ごめんなさいね。暫く前に旅に出たのよ」
 勝己を招き入れると、デクがこれまで何をしていたのかを母親は語った。
「勇者になるのが昔からあの子の夢だったの。だから、憧れていた勇者が村を訪れた時に、後を追って行ったのよ。」
 オールマイトが来たって言ってた、あの日か。
「弟子になるって手紙が届いて、びっくりしたわ。オールマイトにそのまま皇国の都に連れて行ってもらって、彼のところで修行して稽古をつけてもらったそうなの」
 母親は微笑んで言う。デクの掌にあった豆の跡。あいつは俺が知らねえ間に、オールマイトの下で勇者になる修行をしてたってことか。
「皇国の都は遠いから、そうそう帰れないけれど、手紙を毎日書いてくれたのよ。でも、数ヶ月前に怪我をして帰って来たの。盗賊に襲われたと聞いて、荷物だけが届いたから、とても心配してたんだけど。次の日に無事に帰って来てくれて、ほっとしたわ。服がボロボロになっていたけど、何故か傷は治ってたのよね」
 ちくりと胸が痛む。俺の家にいたんだ。親がいることは考えないようにしていた。帰したくなかった。やっと会えたんだ。
「でも、頭を打った後遺症かしら、子供の頃の記憶に、ほんの少し飛んでるところがあるみたいだったわ。少し前まで静養を兼ねて家にいたんだけれど。ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに。そのうちあの子、旅先から手紙を出してくれると思うわ」
 そんなに待てない。デクの家を出ると、口笛を吹いて竜を呼んだ。竜は上空を滑空して勝己の側に舞い降りる。竜に跨って空に舞い上がると、勝己は吠えた。
「クソが!クソが!クソデクが!」
 都なら未熟な竜騎士や竜でも、簡単に入れんじゃねえか。あいつがいたと知ってれば、会いに行けたんだ。あいつ、それを知ってて黙ってたんじゃねえのか。勇者だと?似合わねえだろ、てめえには。俺との約束よりオールマイトを優先しやがって。
 旅に出ただと?一体何処にいったんだ。旅の目的とやらはなんだ。どの方向に行ったのかもわからねえ。
 もう安穏と森にいられるものか。クソが。あいつを追うわけじゃない。そろそろ森にも飽いただけだ。
 勝己は森に戻り、旅支度を始めた。赤いマントを羽織り、玄関の柱に呪文を刻んで術をかけ、小屋を縮めて、掌大になった小屋を袋に入れた。もしもデクが森にきた時のために、呪文を刻んだ使い魔を放っておく。
 竜に背中に飛び乗り「行くぞ」と声をかける。竜は返事をするように吠える。
「あいつを、デクを捕まえるんだ」


第四章


 焚き火の中でパチパチと火の粉が爆ぜる。
 揺らめく焔を見ていると、なにかを思い出せそうになるけれど、浮かんだはずの光景はすぐに泡のように消えてしまう。
「そろそろ交替するか」
 轟がむくりと身体を起こした。
「まだいいよ、轟君。僕、眠れないから」
「どうした。緑谷」
「うん、ちょっとね」
 デクは小枝を火に焚べる。旅に出てすぐに、デクは兵士の飯田と魔法使いの麗日に出会い、魔物を退治するために旅に出たという王子の轟に出会った。3人は意気投合し、轟と目的を一にして共に旅を続けている。
 近くに宿が見つからず、今夜は夜営となった。獣や魔物が寄って来ないように、交替で火の番をしている。
「轟くん、君は何故旅を始めたの。王子様なんだよね」デクは聞いた。
「様はつけんなよ。俺は父親である王に反抗して出奔したんだ。父は横暴だが、不思議なことに民に慕われてもいる。王として認めざるを得ない。だから奴より強くなりてえんだ」
「すごい目標だね。轟くんならいい王になれそうだよ」
「遠い道のりだ。皇国で村を襲い、人々を苦しめているという魔物を退治すれば、何かが変わるかも知れないと思った。人助けのためとは言い切れねえ。邪念かも知れねえが」
「ううん、そんなことない。すごいよ。皆すごい。飯田くんは騎士である憧れの兄を目指して武者修行、麗日さんは魔女になるために見聞を広げる勉強中だって。皆旅をする理由があるんだね」
「お前はどうなんだ?」
 デクは焚き火を見つめる。焔が小さく弾けて火の粉が散る。
「僕は記憶の欠片を探してるんだ」
「記憶?何があったんだ」
 轟に問われ、デクは逡巡した末に答えた。
「昔、僕の乗ってた馬車が盗賊に襲われてね、その時負傷したショックで、記憶がちょっと欠けてるんだ。子供の頃の思い出とか疎らに忘れてるんだよ」
 最近、段々と記憶の欠けていた部分を取り戻してきた。冒険が脳に刺激を与えるのかも知れない。旅に出てよかったと思う。
「街道の盗賊は質が悪い。皆殺しにして金品を奪うのが常だ。よく無事でいられたな」
「盗賊が子供を追いかけていて、僕はその子供を庇って、抱いて崖から落ちたって、後で同じ馬車に乗ってた村の人から聞いたよ」
「そりゃ大怪我をしたんじゃねえか。よく生きてたな。」
「それがね、崖から落ちたはずなんだけど、起きたら一人で知らない小屋の中にいたんだよ。小屋というか、お屋敷みたいな大きさだったけど。手当てされてて、身体に傷はほとんどなかったんだ」
「そうか、助けられたんだな」
「それが、多分違うんだよ。そこは盗賊の住処だったと思うんだ」
「は?お前を襲った盗賊のか?」
「多分そうだと思う。なんか物騒な武器がいっぱいあったし、普通の人の住居じゃなかったんだ」
 衣服を脱がされて、陵辱されていたらしいことは黙っておくことにした。
 見知らぬベッドで目覚めて立ち上がったら、あらぬところが痛み、後孔から精液が溢れて、脚を伝って流れた。よく見たら身体にも鬱血した赤い跡があった。男なのになんで僕が、と信じられなかったけど、犯されたのが気絶してる間でよかったとも思った。もし意識がある時に組み敷かれてたらと思うと、ぞっとする。
「盗賊に攫われたってことか。しかし、おかしな話だな。盗賊がわざわざ傷を負った緑谷を、住処に連れてきたのか?おまけに傷の手当てまでしてくれてよ」
「確かに不思議なんだけどね。僕が起きた時は誰もいなかったし、姿を見てはいないから、本当に盗賊の家だったのかはわかんないんだけどね」
「その後、お前はどうしたんだ」
「小屋の中を探索して、助けた子供とか、他に捕まってる人がいないことを確認してから、急いで脱出したよ。盗賊が戻る前に出て行かなきゃと焦ってたんだ。小屋を出ると森の中だったんだけど、僕の村の近くだったから自力で帰れたんだよ」
「森の中でよく迷わなかったな」
「そういえばそうだね。必死だったからかな。まるで知ってる道みたいに、帰り道がわかったよ」
 後で一緒の馬車に乗ってた人から話を聞いた。通りがかった竜騎士が、その子を助けてくれたそうだ。目つきの鋭い竜騎士で威圧感があって、一瞬魔物なのかと思ったという。その竜騎士には子供を助けてくれてありがとうって、いつか会えたならお礼を言いたい。
 それに竜騎士といえば、思い出す人がいる。犯されたと知っても、そこまでショックではなかったのは、子供の頃の経験のせいだろうか。男同士でも触れ合えるのだと。
 竜騎士の少年とは友達だった。よく一緒に遊んだ。
 あれは森に遊びに行った時のことだ。竜騎士の少年とふたりきりで小屋で雨宿りをした。どういうきっかけだったのか。抱き合って、身体を温めるように触りあった。ふたりともどうかしてたのかも知れない。
 でもその竜騎士の少年の顔は、朧げでよく思い出せない。いまだ欠けている記憶のひとつだ。
 会えば思い出せるだろうか。会っても分からなかったら、悲しい。
 雨宿りの後の翌日のことは覚えている。帰り際に彼は明日も来いと言っていた。
 また会ったら続きをしようと言われるんだろうか。何事もなかったように接してくるだろうか。どうすればいいのかわからなくて迷った。
 戯れの延長。男女の交わりの真似事。でも、進んでしまったら戻れない予感がした。  暖炉の炎を映して揺らめく彼の赤い瞳。唇が触れるたびに焼かれるような。身体の奥に火が灯るような。
 悶々と眠れない夜を過ごした翌日の朝。前日から訪れていた、オールマイトが村を出たと聞いて、慌てて後を追った。山を1つ越えて2つ越えて、やっと追いついた。憧れの勇者の顔を見た途端に、力が抜けてぶっ倒れてしまった。
「そんな遠くの村から追って来たのかい」とオールマイトは驚き、呆れたようだったけれど、でもその根性は勇者の素質があると見初められた。
「勇者は自分を捨てて人々のために戦うのだ。それが出来る者は多くはない。君にはできるかい?」と子供の自分に対して、真剣に言ってくれた。思いがけず夢が叶う可能性に舞い上がった。竜騎士の彼のようになれるかも知れない。
 このことを彼に話したい、と思ってはたと考えた。いつも勇者への憧れを口にするたびに、彼は自分には無理だと言った。時に癇癪を起こすくらいに。彼の言は正しくて、自分はいつも萎縮していた。
 彼はきっと反対する。勘のいい彼のことだ。言わなくても、会えば勘付かれてしまうだろう。でも、勇者として一人前になれば認めてくれるんじゃないだろうか。
 今は会えない。まだ会わない。迷う心に言い訳して理由にした。それに、オールマイトは皇国の都への帰途を急いでいて、引き返す暇はないという。勇者になるチャンスは今しかないのだ。
 宿で母宛に手紙を書いて投函してから、そのままオールマイトについて行って都にとどまり、弟子になって修行した。森に住む彼には、いつか勇者となった暁に、会って話そうと思った。
 憧れの勇者との鍛錬に夢中になり、日々は矢のように過ぎた。考えるのを先延ばしにしているうちに、彼との約束は遠くなってしまった。
 きっと彼は約束なんてとっくに忘れてるだろう。今頃はすごい竜騎士になっているだろう。皇国の竜騎士となった彼と、いつか都で会うこともあるかも知れない。まだまだ駆け出し勇者の自分などでは、到底比較にならないだろうな。いつか彼が認めてくれるくらいになったら、会いたい。
 それとも、まだあの森にいるのだろうか。冒険の旅の何処かで、会うこともあるだろうか。子供の頃からの付き合いではあるけれど、彼は覚えていてくれるだろうか。元気にしているだろうか。
 彼の顔を思い出したい。彼の顔は朧にしか思い出せないけれども。太陽のような少年だったことだけは覚えている。
「静かに!声を出すなよ」
 轟は焚き火を踏み潰した。
 どうしたの?と目で問うと、轟は音を聞くように、耳を示した。
 獣の臭い。大勢の人々の重い足音。何か近づいてきてる。
 そっとふたりを起こせ、と轟が促し、麗日と飯田を揺り起こすと、繁みの陰に隠れる。麗日が「長い時間は持たへんけど」と皆に気配を隠す術をかけた。
 獣の臭いが近づいてきた。暗がりにようやく目が慣れて見えてきた。
 狼の頭部に筋肉隆々とした人の身体の魔獣。ワーウルフの群れだ。唸り声を上げ、列をなして麓に向かってゆく。
「下の村が危ねえ」轟は刀の柄に手をかけた。
「だが、数が多いぞ。僕たちだけで戦えるだろうか」飯田が言った。
「でも、ほっとけないよ。魔物への結界を張ってる村は多くないんだ」
 デクは思い出す。魔物に蹂躙された村は酷い有様だった。無造作に転がる屍、負傷した人々、泣いている子供。家屋は壊され、血の臭いと静けさに包まれる。戦の後のような惨状。そんな地獄が一晩で起こるのだ。
 デクの言葉に轟は頷いた。
「麗日の魔法の効果で、暫く奴らは俺達の気配に気づかねえだろう。俺達の人数にも。魔法が効いているうちに、不意を打つしかねえな」
「うん、やろう」デクは首肯した。
「無理をしては駄目だぞ。今は脅かして奴らを追い払えればいい。その後で麓の村に警戒するよう伝えよう」飯田が言った。
 4人は目配せをすると、それぞれの武器を手にして、一斉にワーウルフの群れに突っ込んでいった。
 デクはワーウルフに対峙すると、剣を振るった。刃がワーウルフの身体にめり込む。相手の動きより自分の方が早い。剣の訓練の賜物だ。刃を抜いた傷口から血が吹き出しワーウルフは地面に転がって叫んだ。
 重たい肉を斬る感触。初めて生きた身体を斬った。
 だが狼狽える暇はない。皆も戦っているのだ。デクはしっかりしろ、僕、と気を取り直して剣を構え直す。
 ふわり、と黒い小さな人型が目の前を横切った。
 どこから来たのか、ひらひらと舞う。蝶なのか。
 黒い蝶のようなものは、何匹も揺蕩うように舞っている。剣に触れるとそれはボロリと崩れた。蝶じゃないのか。なんだろう。
 でも、構ってはいられない。デクは次のワーウルフに刃を向ける。
「群れはあの山から降りてきてるようだ」
 轟が言った。黒々と聳える山は、村で聞いた、火の山という名前の山だ。


 竜に乗って空を飛んで彷徨って、いくつも山を越え谷を越えた。
 幾日日々が過ぎたことだろう。
 勝己は村に降りては、デクらしき人相の旅人の情報を探し、尋ねて回った。だが人1人などそう簡単に探し出せるわけがない。しかもそばかす顔で童顔という以外に、デクに大して特徴がないのもある。別の方法を考えなきゃいけない。
「皇国から来た、オールマイトの弟子って言ってる奴のことを、聞いたことねえか」
 デクは皇国の都でオールマイトに師事していたのだ。吹聴しているかわからないが。ともかく特徴に加えて尋ねて回った。すると、確かではないが、ちらっとそう言っていた旅人を見たという者がいた。
 立ち寄った村々で冒険者達に声をかけてる若い一団がおり、その中に皇国から来た剣士がいたらしい。仲間にオールマイトの弟子と言われていたが、地味な人相の奴で、吹いているんじゃないかと思ったという。
 目立たない奴だから確実とはいえないが、数少ない手がかりだ。奴らが冒険者を勧誘しているのは、ここ数年、この辺り一帯を襲撃している魔物を退治するために、仲間を集めるためらしい。
 勝己は竜に乗って山に飛び、木々の開けた場所に降り立つと、竜から降りて辺りを見渡した。
 元は火の山とか呼ばれてる山だが、魔物が巣食ってからは、魔の山とも呼ばれているという。麓の村を荒らす魔物が出現するのはこの山だと聞いた。
 だが妙だな。と勝己は疑問に思う。
 魔物の気配が全くしない。目を閉じて気配を感じようと感覚を研ぎ澄ます。妖気はない。だが、微かな魔の淀みが山頂から感じられた。
 竜に飛び乗って、上空から火口を見下ろして理解した。空間に歪みがあるのだ。
 火口付近に降りて目を凝らした。手を伸ばして空間に触ってみると、火口が水面のように波打ち、波紋が浮かんで消えた。火口の上に一枚透明な皮膜が被さっているようだ。
 魔の気配が強まってきた。見ているうちに、皮膜が薄くピリピリと避けていく。
 中に闇が見えた。真黒な闇はゆるっと寝返りするように蠢めいた。勝己は身構えた。何かが出て来る。
 裂け目から這い出したのは、掌大の黒い人型だった。これが魔物なのか。拍子抜けした。小さな魔物はふらふらと形を成して崩れながら歩む。
 そういうことか。山に魔物は棲んでいないが、時折火口が魔物の住処と繋がるのだ。
 魔の山とも呼ばれているようだが、魔物はこの山に棲んでるわけではなく、来訪者なのだ。
 勝己は出てきたばかりの黒い魔物を摘んで「お家に帰れや」と皮膜の裂け目に押しこんだ。しかし、人型は後から後から這い出してきて、蝶のようにひらひらと舞った。
 暫くして裂け目が縫い合わせられたように消えた。黒い蝶共は全てボロリと崩れて霧散する。
 ほっと息をつく。空間が繋がる時は危険だが、空間が閉じれば消える。魔物がいない時はただの山だ。
 もっとも、真に凶悪な魔物が棲んでいるのなら、デク如き駆け出しの勇者なんかの手には負えない。ベテランの勇者や竜騎士や魔法使いの出番となるだろう。彼らが来ないのなら、今は脅威ではないということだ。まだ見つけられてないだけかも知れないが。
 空間のほころびは閉じられないが、大して大きくはない。力のある魔法使いならば、歪みに結界を張ることはできるだろう。
 だがそんなことは俺の仕事ではない。
 デクを待ち伏せるのだ。今どこをふらついてやがるのかはわからないが、そのうちあいつは必ずこの魔の山に来るはずだ。
 山の中腹に降り立つと、勝己は小箱を地面に置き、術をかける。小箱は膨らみ、元の小屋の大きさに戻った。
 森の中なら気にならなかったが、どうも小せえな。
 小屋を岸壁に沿って膨らまし、貴族の館のような装飾を加えてみる。中庭や門を付け加える。我ながらいい趣味だ。ここにアジトを構えておけば、デクが通り掛かればわかるはずだ。
 もっとも待つだけなんて焦れったくてできねえ。勝己は人形を取り出して息を吹きかける。人形はむくむくと大人の背丈ほどに大きくなった。
 呪文を刻んだ簡易魔道具の即席ゴーレムだ。見張りに置いておけばいいだろう。
 背後に聳える山頂に裂け目が出来ると、そこから這い出てきた魔物がこの山をうろつくだろう。だが、小物の魔物は結界を張ったこの屋敷の辺りには入れないはずだ。
 魔の山待ち伏せながら、デク達勇者一行の足取りを追う。両方から攻めていけば効率よく探せるはずだ。


「いよいよ魔物退治に行くときがきたな」
 鼻息を荒くして飯田が言った。
「ああ、皆が集まったら、魔の山に出発しよう」と轟も調子を合わせる。
「仲間を集めよう」と言ったのは飯田だった。
 ワーウルフの群れは辛くも追い払うことが出来たが、不意を打ったからなし得たに過ぎない。体力的にもギリギリだった。駆け出しの自分たち4人だけでは、とても魔物の群れに叶うはずがない。
 魔物は群れで村を襲うという。退治するには、数にはまず数。魔物を根絶やしにするためにはもっと大勢の仲間が必要だ。
 村々を周り、冒険者たちに呼びかけ、20人弱の仲間を集めることができた。
 今日は決行の日だ。あらかじめ決めていた時刻になり、全員が合流した。冒険者達は勇んで魔の山と呼ばれる山に足を踏み入れた。
 山の五合目辺りに近づくにつれ、空はどんよりと曇り、嵐の前のような暗さになってゆく。
 どこからか、魔物達の息遣いが聞こえる。
「油断するなよ。敵の巣窟に入ったんだ」
 轟は辺りを見渡し、声を潜める。
「うん、わかってる」
 デクは剣の柄に手をかけて歩く。何処からか、ひらひらといつか見た黒い蝶が飛んできてデクの周りを舞う。害はなさげだけど、鬱陶しい。はらりと木の葉が眼前に落ちてきた。歩みを進めると、また木の葉が落ちてくる。頭上を見上げてひゅっと声を呑んだ。赤い動物の目がいくつも枝葉の間から覗いている。
「上だ!」デクが叫ぶのと、ゴブリンたちが降ってくるのは同時だった。
 小物だが、数が多い。斬りつけると青味がかった血を吹き出す。ゴブリン達に追われつつ戦いながら、山道を駆け抜けた。
「山に住む魔物はワーウルフじゃなかったのか。同じ場所に違う魔物が群生することはあまりないんだが」轟は言う。
「確かにおかしいね。村によって襲ってきた魔物が違ってたみたいだし」デクは息を切らしながら答える。
「まだ他にも見知らぬ魔物が出てくるかも知れない。油断するなよ」
「ていうかよ、きりがねえぜ」「全滅させんのか、巣を探して叩くのか、どっちにすんだよ」冒険者達はデクに問うた。轟と飯田もデクに顔を向ける。
「巣を探すんだ」デクは答える。「多分だけど、これだけ統率された群れなんだ。巣ではないにしても、何か起点があると思う」
「了解!戦うより切り抜けるってこったな」
 追ってくるゴブリンと戦いながら、なんとか振り切り、山の中腹まで辿り着いた。森が途切れ、聳り立つ岸壁が剥き出しになった岩場になった。
「此処じゃねえか」轟が言った。
 山の中には似合わない館が崖に沿うように建っている。いかにも魔王の館らしい雰囲気で、豪奢で禍々しい。
 だが、何故だろう。デクは首を傾げた。見たことのない屋敷なのに、どこか、見覚えがある。本当に魔物の住処なのだろうか。あんなにいた魔物が、屋敷の周りにいないのも気になる。
「まず俺たちだけで入ってみよう、緑谷君、轟君」と飯田が言った。
「ああ。もし罠だったら、全員でいくのはまずいからな」轟が答える。
「うちも行くよ。皆は隠れててね。危険だったら、うちがこの子を飛ばして皆に知らせるよ」
 麗日は杖を振った。杖の先から小鳥が飛び出てきて、麗日の帽子に止まった。
 先遣隊のデク、飯田、麗日、轟4人は屋敷の門をくぐった。アプローチを進むと、中庭の隅からゴーレムが歩いてきた。4人は身構えたが、ゴーレムは攻撃はしてこない。4人の後をのそりとついてくるだけのようだ。
 待っていたと語りかけるように、ザワザワと森が騒めいた。


第五章


「は、は!やっと来やがったのかよ。デク」
 勝己は方々を巡って、アジトに戻ってきた。使役する使い魔から報告を受けたのは、その翌日の午後だった。
 ゴーレムの目を通した鏡で確認すると、遠目に4人の旅人が門を開けて入ってきたのが映った。中の1人は待ち望んだ来客だ。
 デク。やっと来やがったな。読み通りだ。
 旅人達が玄関に近づいてくると、勝己は使い魔に命じて、扉を開けさせた。自動で開く扉に彼らは戸惑ったようだが、4人とも屋敷に入ってきた。
 奴らがてめえの仲間かよ。クソデク。しれっと平気な顔でよく俺の前に来られたものだ。怒りで頭が熱くなる。
 4人が広間に入って来たところで、指をパチンと鳴らす。途端に館が消えた。館の中にいたはずが、いきなり館が消えて外に出ていることに、奴らは戸惑っているようだ。縮めた屋敷を拾い、箱の中に戻して蓋を閉める。
 館の中より外のほうが暴れやすいからな。
 勝己に気づいて、デクがこっちを向いた。
「君は……」
 デクの声に、他の奴らもこちらを向いた。デク、驚いたろうが。俺がここにいるなんて思いもしなかったよな。
「てめえ、なんか用かよ、ああ?」
 そう嘯いて、口笛を吹いて竜を呼んだ。
 竜は舞い降りて、デクを認めて吼える。気づいたかお前も。待ち望んだ瞬間だ。勝己は竜の頭上に飛び乗り、ニヤリと笑ってデクを見下ろす。
 デクは勝己を見上げて、口を開こうとした。
「この山に住んでるのはお前か」デクが答える前に、轟が言った。
「あ?それがどうした」
 うるせえ、なんでてめえが聞くんだと勝己は鼻を鳴らす。
「麓の村が迷惑をしている。魔物を放つのをやめてくれないか」と飯田がその後を続ける。
「なんの話かわからねえな」
 こいつら、俺が魔王で、ここが魔物の住処とやらだと勘違いしてんのか。失礼な奴らだ、クソが。魔物の根城なんざねえ。魔物の出てくる火口は山頂だ。だが、今は関係ねえ。こいつらが、デクが来るのをずっと待っていたんだ。
「口で言ってもわからないなら腕付くでということになるが」と轟が睨む。
「おもしれえ、やってみろよ」
「待って!ねえ、君はほんとに魔物なの?」
 思案顔をしていたデクがやっと口を開いた。「人間にしかみえないんだけど」
 何言ってんだこいつ。
「俺だ!デクてめえ……」
 この俺に、ほかに言うことはねえのかよ、と勝己が言う前に「騙されたらあかん!魔物は人間に化けるんよ」と麗日に遮られた。
「そうだ。人間に化けて騙すのが奴らの手口だ」
 とデクの隣にいた飯田が一歩踏み出す。
「でも彼は人間みたいだよ。ねえ、君が本当に麓の村を魔物に襲わせてたの?」
「ああ?だから何の話だっつってんだろ。俺は魔物じゃねえ!竜騎士だ」
 何か変だ。一拍置いて、勝己はおもむろに口を開いた。
「まさかとは思うが。てめえはこの俺を忘れたのか?」
「えっ?誰が?」と、デクは仲間を見回した。
 間抜け過ぎて腹が立つ。後遺症はほんの少しだと聞いたぜ。違うじゃねえか。よりによって俺のことを忘れたんかよ。ざけんなよ。はらわたが煮えくりかえる。
「てめえだクソが。おいデク!てめえは俺と何度も会ったことがあるはずだ。俺はすぐにわかったぜ」
「お前、やつの友達だったのか」
 驚いた顔で轟がデクに尋ねたが、デクは首を横に振った。
「君が僕の?嘘。覚えてないよ。竜騎士の友達なんて、いたら忘れないよ」
「子供の頃だ!くそが!」
 勝己は竜から飛び降りて、「ああ?てめえ、よく俺の面あ見ろや」とデクの胸倉を掴んで怒鳴る。
「おい、お前」と駆け寄ろうとする轟に、竜が立ちはだかり吠える。
「え、待って、竜騎士だよね。子供の頃、村の近くの森の中に竜がいるって聞いてたよ。でも竜騎士の竜だから安全だって、そう言ってた竜騎士の友達がいて、よく遊んだ記憶があるけど、竜は初めはちっちゃくて……」
 デクは記憶の底を辿るような表情になり、ハッとして、勝己に視線を合わせる。
 やっと気づいたのかよ
竜騎士の子供って君だったのか?ええ!すごくイメージが違うんだけど」
「ああ?んだとゴラア!誰のせいだと思ってやがる」
「太陽みたいだったのに。結びつかなかった」
「よく言うよな!てめえ。ああ、俺だ。てめえを竜に乗せてやったりしたのによ。いきなりてめえは来なくなったんだ」
「それは、勇者のところで修行を始めたから、ほとんど村にいなかったし。たまに村に帰った時も森に行かなくなったんだ。時間が経ってしまうと、会う理由が見つからなくて」
「てめえは大人になってから、一度だけ森に来たはずだ」
「ええ?行った覚えはないよ」
 ああ、くそ!覚えてないのだ。こいつは何も。眠ってやがったから、抱かれたことも知らないのだ。こっちはずっと囚われたままだと言うのに。
「何もかも忘れちまったのか。てめえはそういう奴だよな。クソが」
「でもでも、この災厄の原因は君なのか?何で悪い魔物みたいなことをするんだよ」
「魔物が本当のことを言うはずがねえぞ。お前の知り合いのふりをしてんじゃねえのか」轟が口を挟む。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」
 勝己はデクの胸を強く押して突きとばした。デクはよろめいて尻餅をつく。
「こんなとこでてめえと会うとはな!やんのか?やんねえのか?ああ?かかってこいやデク!」
 デクは勝己を見上げた。いや、視線は自分に向けられてはいない。デクは勝己の肩越しに背後を見ている。
 背後に巨大な何かの気配。ぞわりと総毛立った。何かがいる。
 勝己は振り向いた。
「魔物だ!」というデクの声。
 巨人が立っていた。森の樹木より高く聳え立つ巨漢。あんなでかいが出て来れるほど、結界は大きくなかったはずだ。地響きがした。まだ遠いが近づいてきている。
「火口の穴が広がったのか」
「え?なんか知ってるの?ええと」
 勝己の呟きが聞こえたのか、デクは問うた。「君は、あ、君の名前は?」
「俺の名前まで忘れてんのかよ。聞くな、クソが。思い出せやカス!クソカス!」
 腹が立って、勝己は罵倒した。
「ごめん、何か知ってるなら、教えて欲しいんだ」
 ムカついたが、今はデクの頭は魔物退治でいっぱいだ。他のことは考えられないだろう。仕方なく答えてやる。
「てめえらの言う魔物は、火口にある空間の歪みから来訪してんだ。森の中に魔物が潜んでるわけじゃねえ」
「それで、予想外の種類の魔物が湧いてきたんだね」
「なんでお前が知ってるんだ」
 轟が口を開いた。素直にデクは信じたようだが、轟は疑っているようだ。
「クソが!空から見たらわかんだよ」
「火口の入り口を閉じれば、魔物は出て来ないということなのか?」飯田が聞いた。「なら火口に行かなきゃならないが、閉じられるだろうか」
「お前の言うことが本当ならな」
 轟の言い草にムカついて、言い返そうとした瞬間、魔物の群れが巨人の後から沸いて来た。ワーウルフにゴブリン、リザードントロールガーゴイル、他にも名前も知らない魔物達の群れが大挙して突進してくる。
「もういいよな!いくぜ!」
 誰かの声が聞こえた。
 デク達が勧誘した勇者や魔法使い達か。奴らは一斉に飛び出して魔物の方に押し寄せた。
 勇者や魔物が入り乱れての乱闘が始まった。
「君との話は後でいい?今は僕戦わなきゃいけないんだ」
「ああくそ!知るかよ!邪魔が入ったぜ。片付けたらてめえ、話があるから俺と来いや」
「う、うん、わかった」
 デクは腰に下げた剣をすらりと抜いた。勇者気取りでムカつく。しかし、デクとまた約束をしたのだ。今度こそ守らせてやる。
 勝己はデクの傍に立ち、剣を構えて魔物と向き合う。
「君も戦ってくれるの?ありがとう」
「うぜえわ!クソが!黙ってろ!」
 勝己は苦々しく怒鳴る。
 デクの立ち回りは認めざるを得ないくらい見事なものだった。オールマイトに師事しただけはある。
 乱戦の中、デクと背中合わせになった時に、勝己は言った。
「俺は魔の山、いや、魔物の棲む異界と繋がった、この山に来たのは最近だ。住んでやしねえ」
 勝己は右手で魔物を切り裂き、左手からは火球を飛ばして敵を爆破した。デクは魔物の手足を狙って切り伏せているようだ。戦闘力さえ奪えばいいと考えているのか。甘えんだよ、クソが。
「魔物の山と知ってて?なんで君はわざわざこんな危険な場所に来たんだ」
「てめえらがいつか来ると踏んでたからだ」
「手伝ってくれるために?」
「クソが!ちげえよ!てめえは馬車に乗ってた時、崖から落ちたことがあったろうが」
「え?なんで知ってるの?」
 デクは勝己を目を丸くして、勝己を振り向く。
「もしかして、あの時、助けてくれた竜騎士って君だったんだね。子供を助けてくれたんだよね」
「子供を助けたのはてめえだ。俺じゃねえ。俺はてめえを…そうだ。てめえは俺に借りがあるんだ。借りを返せ!そのためにてめえを待ってたんだ」
 デクとの間に魔物が割って入った。「クソが!邪魔だ」と勝己は左手を向けて、容赦なく魔物を爆破すると、振り向いて問うた。
「どうなんだ、デク!」
「今のうちに君に話したいんだ」デクは言った。
「あんだ?」
「僕は君のことは覚えてるよ。でも今の君と繋がらないんだ。君とどんな時を過ごしたかも、あまり覚えてないんだ。怪我のせいでもあるけど。日々の鍛錬の中で、自分のことで手いっぱいだったし。子供の頃の記憶は薄れていくものだから」
「んだと、てめえ」
「でも覚えてることもあるよ。楽しかったこともあったけど、嫌なことも、あったよね」
「ああ?こんな時にまだ怒らせてえのか。てめえは!」
「でも、きっと。僕は君にもう一度出会うために、旅に出たんだ」
 勝己に向けるデクの視線に嘘はない。記憶の中の空白にいる、かつての己を探していたというのは真実だろう。
 まっすぐな迷いのない瞳で、俺を見つめるデク。
 だが、記憶の欠けた今のてめえが俺に抱く感情はなんだ。まっとうな幼馴染の情でしかないんじゃないのか。
 あの訓練所での雨宿りで、身体を重ねて触れ合った。あの瞬間をあの気持ちを、デクが覚えてないのなら。
 この気持ちは何処に行けばよいのだろう。
 求めて探して、やっと見つけたデク。勇者然として戦うデク。俺を知らないデク。
 てめえは俺との約束よりもオールマイトを追うことを選んだ。
 そんなに勇者になりたかったのか。俺の側にいるよりも。
 取り返しがつかないとわかっていたとしても、お前はそうしたのか?
 不安と焦燥に、すうっと心臓が冷えていく。
 デクが魔物に押されてバランスを崩した。勝己は魔物に手を当てて爆破で吹っ飛ばし「馬鹿かてめえは!」と苛立ち紛れに怒鳴りつける。
「ご、ごめん。竜騎士って凄いね。魔法も使えるんだ」
「うぜえわ!魔法じゃねえ。竜の力だ、ああもう!黙れ、クソカス!」
 こいつが覚えてんのかどうか、確認すんのは後だ。今は考えんな。
 背中を預けた方が、戦いやすい。デクと掛け合いをしながら、魔物達を倒してゆく。
 地響きが大きくなった。勝己の爆破で立ち込めた煙の向こうに、巨人の姿が聳え立つ。
 いつからいたのか、小山のような巨体がもう間近に迫っていた。あんなでかい魔物が出てこれるくらいに、裂け目が広がったのだ。甘く見ていたが、さっさと結界を張った方がよかったのか。背中を冷や汗が伝う。
「奴を倒さないとまずいぞ。余力のある奴はいるか!」飯田が声を張り上げた。
「わりい、こっちは魔物で手いっぱいだ」「すまねえ、こっちも無理だ」仲間たちが口々に答える。
「君は行ける?」デクが勝己を振り見て問うた。
「誰に向かって言ってんだ、てめえ。余裕だわ」
「じゃあ、行こう!」
「クソが。デクのくせに生意気なんだクソが」
「僕のくせにって」とデクは戸惑う。「僕は僕でその」
「ああくそ!行くぞ」調子が狂う。やりにくくて仕方がない。
 勝己とデクは巨人の足元に走り寄り、剣を構えた。デクの剣をよく見ると、駆け出しの勇者にしては身の丈に合わねえ立派な剣だ。薄っすらと発光している。ただの剣じゃねえんだろう。
「行くぜ。俺が足止めしたらてめえが斬れよ。一回じゃねえ、何度も斬れ!手足だけ切るとか、舐めてんなよ」
「わかってる」
「爆破して、肉を削いで骨を斬る、数打ちゃなんとかなんだろ」
 巨人が勇者達をなぎ払おうと両手を挙げた。その隙に勝己は巨人の足元の地面を爆破する。
 倒れはしないものの、巨人はぐらりと態勢を崩した。
「行けや!クソが」
「うん!」
 デクはジャンプして巨人に斬りかかった。剣が眩い閃光を放つ。デクは剣を振りかぶり、巨人の天頂から剣を打ち下ろした。一回振り下ろすだけで、巨人は頭から足までざっくりと裂けた。巨体は真っ二つに分かれて、ぐらりと左右に倒れていく。断面から青い血がどくどくと吹き出して、血溜まりを作ってゆく。
 デクはすっ転んで尻もちをついた。起き上がろうとしても腕が震え、立てないらしい。腕が痙攣しているようだ。
 まるで剣に振り回されているようだ。見た目通り、デクには見に余る武器なんだろう。
 痙攣が治ったのか、デクは立ちあがり、ぎこちなく勝己に笑いかけた。勝己は苦々しく睨みつける。
 魔物はほぼ退治した。生き残った僅かな魔物は逃げて行ったが、数匹程度だから脅威にはならないだろう。冒険者達は歓声をあげ、地面に座り込んで笑い合う。
「やった、やっつけたね。これで麓の村の人達に安心してもらえるね」
「麓の奴らなんざ知るかよ」
 素直に喜んでいるデクに、ふうっと勝己は息をつく。
「待って」とデクははっとして勝己に言う。「君は言ってたよね、魔物は火口の空間の歪みから出てきたって。じゃあ、それを塞がないといけないんだよね」
「はっは!でめえ、俺の言ったこと信じてんのかよ」勝己は皮肉な口調で返す。
「信じるっていうか、だって、ほんとでしょ?君が嘘を言う理由がないから」
「俺のなにがわかるってんだ?ああ?俺の名前も知らねえんだろーがよ!」
「ごめん。でも、あるんでしょ?その裂け目に行かなきゃ」
 勝己は舌打ちして、竜を呼んだ。舞い降りて来た竜の背に跨って「乗れよ」とデクに手を差し出す。デクはすかさず手を握って勝己の後ろに乗り、勝己の腰に腕を回した。
「ありがとう」
「てめえには話があるからな。火口の様子を見てえんだろ」
「うん」とデクは答えて「先に行ってるね」と仲間に言った。
「ああ、そいつを信じたわけじゃねえが、頼む」と轟はデクに向かって言った。
 あの半分野郎、いちいちムカつく言い方する奴だ。いけすかねえ。
「動ける奴だけでいいから、山頂に向かうぞ」
 飯田は疲労困憊して脱力している仲間たちに呼びかけた。のろのろとした動きながら、全員が立ち上がる。
 上空から勝己とデクは火口を見下ろした。空間の裂け目は火口よりも大きく広がっている。内部は噴火しているかのように真っ赤だ。地の底から響くような魔獣の声がする。
「何かが出てくるよ」デクは言った。
 見ているうちに、裂け目から黒い小さな人型が、ぞろぞろと這い出してきた。
「こいつら。前にも見たやつらだ」
「黒い蝶だ。僕も見たよ。裂け目から来たんだね。
「んだと?てめえも見たのか。こいつら、なんなんだ」
 人型はぬるぬると合体すると、長虫のように撓った。さらに別の場所でも合体して地面をずるずると這う。裂け目から延びた触手のようだ。いや、触手なんだ。でかいものが触手を伸ばして登って来ようとしてるんだ。
「来させちゃいけねえものがいるようだな。だが、ちょっと遅かったようだぜ」
 裂け目を広げて、巨大な黒い塊がせり上がってきた。火口に蓋をするドームのようだ。体表に文字のような赤い模様がうねって流動している。
 触手は集まってくねり、竜に向かって鞭のように飛んできた。すんでのところで避けたが、触手は勝己の頭のすぐ側を掠めた。鋭い風圧。まともに当たっていれば頭が吹っ飛んでたろう。肝が冷えた。
「うわ!大丈夫?」
「クソが。俺の心配すんじゃねえ!」
「どうしよう。出てきちゃうよ」
「奴の真上を飛ぶからよ。てめえはあれの上に飛び降りろ」
「え?本気で言ってる?裂け目に落ちちゃうよ」
「馬鹿かてめえは。落ちねえわ。奴の身体で裂け目はぱんぱんに塞がってんだろうが!奴にてめえの剣をぶっ刺せよ。クソが!その剣は相当強力なんだろうが。傷をひとつ作れればいい。てめえがやったら俺が傷口を大火力で爆破する。倒せねえだろうけど、怯んで引っこむかも知れねえ。その隙に結界を張ればいい。いいか、同時にやるぞ」
「うん、わかった!」
 触手を避けて裂け目に迫り、竜が真上を飛んだところでデクは魔物の上に飛び降りた。すぐさま剣を抜いて火口の魔物に切りかかる。デクの振り上げた剣は魔物にめり込み、体表面を切り開いた。
 火口を下に向かって這っていた触手が一斉に引き返し、デクに向かった。
「うわ!」とデクは触手を剣で弾き飛ばしたが、息つく間もなく次の触手が襲ってくる。デクは触手と鍔迫り合いを始めた。
「ああクソ!邪魔だ!さっさと火口からどけやデク!」
 苛々して勝己は怒鳴った。
「わかってる、けど、待って」
「じれってえな。てめえがそこにいると爆破できねえだろうが」
 触手がバラバラに散り人型に戻り、さらに矢尻のように変形してデクを襲撃する。剣で弾かれても飛び回り、デクを取り囲む。
 剣では避けきれねえ。
「クソが、おい、突っ込め」
 勝己に命じられ、竜は火口に向かって滑空した。勝己は火口に飛び降り、「どけ!」とデクを突き飛ばすと、火球を飛ばし、矢尻を次々と薙ぎ払った。矢尻は火球に呑み込まれ、連鎖的に爆破してゆく。
「ありがとう、すごいね、君は」
「てめえがぐずぐずしてっからだ!クソが!」
 勝己は魔物の傷口に手を押し当てた。ぶるぶると脈打つ、気味の悪い生温かい肉の手触り。
「はっ、くたばれや!クソがあ」と最大火力で爆破する。
 魔物の内部が赤々と燃える、体表で渦を巻いていた模様の流動が止まる。続いて表皮にひび割れが走り、内部から膨れ上がると柘榴のように裂けた。
「やったか」
 魔物はぶくりと跳ねると、ズルズルの裂け目の闇に吸い込まれてゆく。人型は中空で燃え尽きるように崩れ、触手とばたりと落下して霧散した。闇が縫われるように、空間の裂け目が綴じてゆくと、その下に本来の山の火口が現れた。
 熱気が上がってくる。
「え?噴火、する?」
「やべえ。離れっぞ、デク」
 2人は慌てて火口から駆け下りた。背後で大爆発が起こった。風圧で辺りに石が飛び散る。火口からもうもうと黒煙が立ち上る。
「うわあ!」と悲鳴が聞こえた。
 振り返って見ると、爆風で飛び散る岩に当たって、デクが飛ばされていた。
「おい、バカが!踏ん張れや。クソが!」
 幸い吹っ飛ばされたデクは竜が空中でキャッチした。ほっとする。勝己も竜の頭部にジャンプして飛び乗った。
 火口を振り返る。蒸気の煙はもくもくと出ているが、幸い溶岩は出てきてはいない。
 煙を避けて火口から距離をとる。勇者たちが山を登ってくるのが見えた。「その辺に降ろせ」と竜に命じた。竜はそっと脚に掴んでいたデクを地面に降ろした。
「おい、起きろや」と頬を叩くと、デクは目を開けて咳き込んだ。
「煙を吸い込んだんかよ」
「ちょっとだけ。空間の裂け目は閉じたのかな」
「んなこたあ、わかるかよ。クソが」
 暫くすると、暗黒の雲が晴れて、雲間から光が差してきた。魔物の気配も消えた。
「どうやら無事に裂け目は閉じたらしいな」
 真っ先に追いついてきた轟が言った。飯田、麗日もその後に追いついてきた。
「結界を張れるか?麗日くん」飯田が聞いた。
「魔物が出てこない間なら、いけるよ」
「またいつ口が開くかわからない。急いでやってくれ」
 他の冒険者達も山頂にぞろぞろと集まってきた。
「結界を張るよ、皆。他にもできる人いる?いたら火口に集まって」
 麗日が呼びかけ、数人の魔法使い達が火口周りに集まった。輪になると呪文を唱える。
「ここ火山だったのかよ。噴火したろ。下まで石が飛んで来たぜ」
「巨人の魔物の死体が消えたぜ。逃げた奴らも消えたんじゃねえか」
「やったな!ああ、俺らやるよな。もう立派な勇者だよな」
 彼らは口々に喜び合う。デクもぼろぼろになった剣を鞘に納めて笑っている。
「刃こぼれしたな。ゴミだろーが。捨ててけよ」
 勝己が言うと、デクは剣の紋章を隠すように柄を握る。
「ううん、捨てられないよ、この剣は。ええと、もったいないから」
オールマイトからもらったんだろ」
「ええ?なんで」
「は!図星かよ」
「君にはわかっちゃったか。そうだよ。オールマイトに貰ったんだ。また打ち直してもらうよ」
「ふん、どおりで、てめえには荷が勝ちすぎた代物だと思ったぜ」
 どういう経緯なのかはわからないが、オールマイトが自分の剣をやるくらいだ。デクに見込みがあると思ったんだろう。デクは大切そうに剣の柄を撫でている。
「秘密なんだ。誰にも言わないでね」
「あ?言わねえよ。興味もねえ。んじゃま、デク、もういいな」勝己はデクの腕を掴んだ。「てめえは連れてくぜ」
「今?え?今?待ってよ、まだ皆に」
 勝己はデクの腰を横抱きに抱えると、竜の背に飛び乗った。デクを前に座らせて腰を抱く。
「彼をどうする気だ」飯田が聞いた。
「こいつに話があんだよ」
 火口に向かった時に、勝己の腰に回された腕の温もり。このまま手放すことなんて出来やしない。デクが何を忘れていて何を覚えているのか、はっきりさせなくては気が済まない。
「どうせこいつの村は、俺の森の近くだしな。家に送ってやるわ。オラデク、ちゃんと竜の首に捕まれや」
「ちゃんと送るんだろうな」と轟が訝しげに言う。「いいのか、緑谷」
「う、うん。彼と約束したんだ。ずっと昔に。それに、久しぶりに母さんにも会いたいし」
「というわけだ。じゃあな」
 勝己とデクを乗せて、竜は空高く上昇する。
「すごいね。皆がもうあんなに小さくなっちゃった」
「てめえは乗ったとこあんだろーが。覚えてねえのか」
「うん、竜に乗ったなんて、素敵なことだね。思い出したいな。ところで、ねえ、君の名前…」
「デクてめえ、ずっと前の約束は覚えてんだな」
 デクの言葉を遮り、勝己は問うた。
「あ、うん、子供の時の約束」
「ふうん、そうかよ」
「ねえ、君の名前教えて」
「クソが!教えねえよ。てめえで思い出せや」
 勝己は不機嫌な声で返し、デクを抱く腕に力を籠める。


第六章


 竜はデクの家の前に舞い降りた。
「ここだろ」と勝己が言うと、デクは「僕の家知ってたの?うん、そうだよ」と頷いて窓を指さした。
「ここが僕の部屋だよ。二階の高さと同じなんて。屋根を渡って直接入れそうだね」と言いつつ、竜の背中を滑り降りる。
「本当に送ってくれたんだね。ありがとう」
「うぜえわ、クソが」
「話があるんだよね。うちに寄ってく?」
「いらねえよ」と言ってからボソリと「話の続きは夜だ」と付け加えて勝己は竜に命じて飛び立った。
 家に戻る前に、勝己は演習場を訪れた。相澤先生に魔の山の出来事を伝えるためだ。
 先生は皇国のどこかに結界の綻びがあることは、気づいていたらしい。
「現れては消える裂け目か。なかなか見つからないわけだ。お前よくやったな」
「俺だけじゃねえ。俺くらいの年齢の奴らも20人ばかり来てて、一緒にやった。名前も知らねえけどよ」
 自分だけの手柄じゃないのに褒められるのは癪に触る。本当に俺だけの手柄ならともかく。
「そうだな、きっとその冒険者達も英雄になるだろう。これからお前とも縁があるだろうな」
「そいつはごめんだな」
「都から結界師を送ることにしよう。完全なる封印を施したほうがいいだろう。異界の魔物か。オールマイトが気にしていたな。どんな奴だった」
「でけえ触手の化けもんだ。ばらけて黒い蝶みたいなもんにもなった。身体の表面に文字みてえな模様があって、グルグル流動してたぜ。デクはワーウルフの群を先導するように飛ぶ黒い蝶を見たらしい。奴らを操ってたのかも知んねえ」
「デク?オールマイトの弟子に、そういう名前の子供がいたな」
「今の話に関係ねえだろーが」
「おそらくその黒い蝶は魔物の使い魔だな。触手の魔物もそうだろう。魔物は体表に呪文を刻まれて、誰かに操られてたんだろう」
「呪文使いがいるのか。魔法使いとか竜騎士なのかよ」
「わからんが、闇落ちしたそういうやつらの可能性はあるな。操っていた親玉は隠れていて、姿を現していないんだろうな。今回は異界の入り口が閉じれば、顕現できなくなる魔物だったのが、不幸中の幸いか。またこちらに来る機会を狙ってるかも知れんな。面倒なことだ。皇国の竜騎士にお前みたいな経験者がいると、ありがたいんだが」
「興味ねえよ。じゃ、報告はしたぜ」
 踵を返した勝己を相澤先生は呼び止める。
「待て。お前の言うデクって奴がオールマイトの弟子なら、皇国の勇者に仮登録されてるぞ」
「ああ?あいつが?」
「間違いないな。どうだ、お前も皇国の竜騎士になるか?考えておけよ」
「クソが!考えるまでもねえ」
 相澤先生の思う壺かと思うと、ちょっと癪に触るが、デクに遅れを取れるかよ

 
 深夜。勝己はデクの家を訪れた。
 竜の頭からデクの家の屋根に飛び移ると、コンコンとデクの部屋の窓を叩く。
「どうしたの?こんな夜中に」と寝ぼけながら窓から出久が顔を出した。
 窓枠に足をかけて「来いよ」と呼ぶ。デクは「ええ?」と言って目を丸くした。
「てめえ、俺は話があるって言ったよな」
「うん、でもこんな、夜中だよ、」
「ごちゃごちゃうるせえ!さっさとうちに来い」
 着替えたデクの腕を引いて窓から連れ出し、座らせていた竜の背に飛び乗る。デクを前に乗せて腰を抱いた。竜は高く空に舞い上がる。
 夜の空を見下ろして、デクは感嘆の声をあげた。
「乗ったことあるね。僕!上空から見た村。夜じゃなかったけど、この景色覚えてるよ」
「ああ、もっと思い出させたるわ」
 竜の背に乗ったまま森の中に入り、勝己の住居に到着した。デクは「あれ?」と声を上げる。
「この小屋に見覚えあるよ。おっきな小屋。君の家だったんだね。僕が怪我をした時、ここで目が覚めたんだ。てっきり盗賊の家かと思ってたよ」
「んだとゴラア!」
「ごめん、ほんとにごめん。君の昔の家はもっと小さかったでしょ。内装も変わってたし、武器が沢山飾ってあったし。てっきり危ない人の家かなって思ったんだ。君が助けてくれたんだね」
「クソが!まあ、んなこたあいい」
 勝己は身体を寄せて、後ろからデクの顎を掴んだ。戸惑っているデクの耳元に囁く。
「てめえは目が覚めたとき、なんで小屋から逃げやがった」
「ご、ごめん、お礼もしないで」
「誰かに犯されたんだよな、だからか」
「え、え、なんで知って」
「は!知らねえわけねえだろーが」
「そっか。助けてくれたんだもんね」デクの声が小さくなってゆく。「うん。それでびっくりして逃げ出したんだ。助けてくれたのにごめん。盗賊が僕なんかになんでって感じだけど、詳しくはその」
 デクは口籠もった。そういうことかよ、と勝己は呟く。居たたまれなくなり、デクは竜から降りようとした。しかし、勝己は腰に回した腕を離さず「待てや」と引き止める。
「おい、まだ降りんじゃねえよ、クソが」
「え?君の家はここなんだよね」
「後でだ。まだてめえが見なきゃなんねえ場所があんだ。これからそこに行く」
 竜は再び飛び立ち、山頂の竜騎士の演習所に到着した。
 竜から降りると「来いよ」と、勝己はデクの手を繋いで小屋に向かった。「あ、ここは」とか言いながらキョロキョロしているデクを、勝己は引っ張るようにして小屋の中に招き入れる。
「ああ、覚えてるよ。暖炉があって、ふかふかの絨毯が敷いてあって。僕、ここに来たことあるよね」
「観察すんのは後にしろや」
 デクを促し、抱えるように寝室に連れて行くと、勝己はデクをベッドにうつ伏せにして押し倒した。
「何?なんだよ?」
「話があるっつったろ。てめえは約束覚えてんだよな。そう言ったな」
 デクは身体を捩って振り向き、目を合わせて戸惑い、ほうっと息をついて、答える。
「……覚えてる、けど」
「この小屋を覚えてんなら、ここで何したかも覚えてんだな」
 竜の上でデクの身体に腕を回した、掌で密かに弄った、服越しに伝わる温もり。デクの直に肌に触れたい。諦めるなんてできやしない。時間の経過と成長で、デクの気持ちが変質してしまったとしても。何もせずに手放せるものか。
 あの時間を覚えているのなら脈はある。
 デクの下着を膝まで下げて、尻を剥くと背後から覆いかぶさり、体重をかける。
「ちょ、何すんだよ!」デクは足をばたつかせる。
「は!今更なんだってんだ。暴れんな。クソが。こういうことしたの覚えてるよな。俺と何してたか、てめえは覚えてんだろ」
 デクの抵抗が止んだ。勝己はにっと笑い、さらに問いかける。
「あの時俺らは何をしてた?なあデク、言ってみろや」
「その、うん、覚えてるよ。僕は君と、さ、触りっこしたね。でも、あれは。うわ!なんかお尻にあたってるよ」
「当ててんだ、ばあか」
 服越しに勃起したものをと押し当て、慌てるデクの双丘の間にするっと滑らせる。
「あ、これまさか、いや、違うよね」
「そう思うか?続きをするって約束覚えてんだよなあ、デク。続きが何かわからねえとは言わせねぇ。てめえを助けたのも俺だけどな、てめえを抱いたのも俺だ」
「ええ!嘘だよね。君がそんなことするわけな……」
「はっは!俺の何がわかるってんだ?これでもそう言えんのかよ。あ?」
 笑うと、勝己はズボンの前を寛げ、窄まりに雁首を押し付ける。先走りを擦り付け、ぬるっとノックして受け入れろと迫る。びくっとデクの身体が震えた。
「や、やめようよ」
「本能ってやつが勝っちまう時もあんだよ。どうしようもなくな、あの時もそうだった」
 雨宿りの時も、気を失ったデクを抱いた時も。
「流されて、雰囲気に呑まれてしまったんじゃないか。本当の気持ちなのかどうかわからないよ」
「ごちゃごちゃうるせえ!今のてめえなら、本気出せば、俺を押しのけることくらいできんだろ。簡単にはさせねえけどな。てめえが続きはしねえってんなら、もう二度とてめえに会わねえ」
「そんな、やっと君に会えたのに」
「どっちかしかねえんだ。なあ、どっちにすんだ。デク」
 シャツをたくし上げて、背中のラインを撫でる。
「あの時の続きするってよお、約束したろうが」とぐっと腰を前に振り、押し付ける。
 眠ってる間じゃあ意味がねえんだ。ちゃんとてめえがてめえの意思で、俺を受け入れなきゃ意味がねえんだ。デク。
 「……どっちかしかないなら」漸くデクは答えた。「わかったよ。君の名前教えてくれるなら」
 勝己はにんまりと笑う。
「覚悟しろや、デク」

 てめえには言いたいことが山ほどあんだよ。


終章


 勝己に手を引かれ、デクは森の奥に向かって歩いていた。今の竜の狩場に連れていってくれるという。
 聳え立つ巨木が光を遮り、一抱えもある太い根は地面を迷路のように這って穿つ。普通の人が足を踏み入れない奥地だ。勝己の手を離してしまうと迷ってしまいそうだ。森のさらに奥深くには竜だけが棲む渓谷があり、聳える如く雄大な竜が群れをなしているのだろう。勝己の竜は巨体を揺らし、後ろを着いてくる。
 やっと木が途切れ、光の溢れる草原に到着した。一面の黄金色が風に揺れる。
「俺を見てろよ、デク」
 そう言うと、勝己は竜の背に跨った。竜はクウっと鳴き、大きな翼を打ち下ろして飛翔する。草原の草が波打つ。竜は上空を旋回し、叢に触れるすれすれに滑空し、急上昇し、再び草原に戻ってきた。
 青い空を縫って飛ぶ赤い竜の巨躯は、昼間の流星のようだ。
 凄いや、と言うと、勝己は褒めてんじゃねえと言いつつ、誇らしげに胸を張る。
 金色の草原に大きな竜に乗って降り立つ姿。小さな時から、草原で竜といる君に見惚れていた。
 君の腕に鷹のように乗っていた竜は、今は僕の家よりも大きくて逞しい。
 竜騎士の卵だった君を、禁忌の森に毎日のように見に行った。
 君は草原の葉陰に隠れて見ていた僕を見つけた。
 再会した君は、僕自身が見失った僕を見つけた。
「どうした、デク」
「かっこいいなと思って」
「褒めんじゃねえ。クソカスが」
 そっぽを向いてしまった。照れているんだろうか。
「都に戻んのか」
「うん。オールマイトに報告しなきゃ」
「俺も行くぞ。皇国の竜騎士の試験を受けなきゃいけねえからな」
「え?」吃驚した。「かっちゃんはとっくに登録してるかと思ってたよ」
「まだ皇国の竜騎士に、登録する必要性を感じなかっただけだ。クソが!」
「ごめん、でも嬉しいな。僕も登録してるんだよ。仮だけど」
「知っとるわ」勝己は不貞腐れたように鼻を鳴らす。「俺はてめえより先に進むぜ」
「僕も早く仮が取れるように頑張るよ」
 勝己は竜に、自由に狩をしてろと命じると、こっちを振り向いた。真剣な目でデクを見つめる。
 なんだろう。どきりと胸が跳ねる。
「デク、てめえに聞きたいことがある」
「なに?かっちゃん」
「てめえは俺よりもオールマイトに、いや……てめえが勇者を目指したのは、あの日オールマイトに会ったからなのかよ」
 空を滑空する竜の雄叫びが聞こえる。甲高い声が黄金色の草原に響き渡る。
「多分、違うよ」少し思案して、デクは答えた。
 君は僕が勇者を目指すのを反対していた。だから伝えなかった。いくらでも伝える方法はあったのに。きっと心が揺らいでしまうと思ったから。でも、勇者になったら君に会いたいと思った。
 誰よりも君に。
オールマイトのおかげで夢が叶ったよ。でも勇者になりたいと思ったのは、彼のせいじゃない。君に会ったからだよ」
「ああ?」
「一番身近な君が僕の英雄だったからなんだ。初めはね、僕は君をこっそり見てるだけで、満足だったんだ。でも君が僕を見つけて、僕に来いと言ってくれた。遊ぼうって言ってくれた。君と一緒に遊ぶうちに、足りなくなったんだ。僕は君みたいになりたいと思った。いや、並び立ちたいと願ったんだ。勇者なんて憧れるだけの遠い夢だった。君が竜騎士を目指してたから、君に会ったから、君と過ごしたから、勇者になりたくなったんだ」
「は!俺のおかげってか、ったくよお」
「うん、かっちゃんのおかげだ」
「クソが」
 勝己は眉を寄せて、はあっと息を吐いて頭を掻く。呆れたような、ほっとしたような複雑な表情で。
「僕は、君と並び立ててるのかな」
 デクはおずおずと尋ねる。勇者にはまだほど遠いとは思うけれど。
「ばあか。てめえ、ほんっとクソナードだな。俺と並ぼうなんて百年早いわ!だがな!てめえの居場所は、俺の側しかねえだろうが」
 風が巻き上がり、草原が円形に波打った。悠然と巨躯が降り立つ。竜は勝己の後ろに身体を横たえて控えると、翼を畳んでクゥンと鳴いた。


END