碧天飛天の小説サイト

飛天の小説置き場です。本業絵描きですが萌えを吐き出したく作りました。二次創作からオリジナルまで色々予定してます。無断転載を禁じます。よろしくお願いいたします。母艦サイトはBLUE HUMAN http://d.hatena.ne.jp/hiten_alice/ です。

胡蝶の通い路・後編(全年齢版)

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後篇

 勝己は扉のノブに手をかけてはたと止まった。
 密やかな声に耳を澄ます。出久の声だ。
 眠っている自分にこっそり語りかけている。くしゃくしゃだとかトゲトゲだとか。聞いたことのないような優しい口調で。部屋に入れば何かを壊してしまいそうだ。掌が硬直したように固まってしまう。
 いや、何が壊れるっていうんだ。出久が余計なことをしてやがるだけだ。音を立てないようにそっとノブを回してドアを開け、隙間から部屋を覗く。二段ベッドの上段にいる出久は気づいていないようだ。優しく語りかけながら、眠っている勝己の髪を梳いている。こんな出久を見たことがない。声をかけられない。
 眠る自分の身体に話しかける出久を見ているとだんだんムカついてきた。俺にはあんな風に話すことも、笑うこともねえじゃねえか。ああそうだ、誰のせいだといえば俺のせいだ。
 我慢がならなかったんだ。
 ここ最近出久に対して苛ついている。隠すことは出来ないし、するつもりもない。苛立ちに任せて怒鳴り散らすとあいつは戸惑い。怯えるあいつの面を見て、一瞬だけ溜飲が下がる。その後は胸を掻き毟りたくなるくらい苦しくなる。その繰り返しだ。
 昔のように堂々巡りになるだけだ、間違った方法だと。わかっていてもそうする以外、手段が浮かばねえんだ。
 グラウンドベータで対決して以後、出久は日毎に打ち解けてきた。いつも自分の顔を見ると、機嫌を伺うようにおどおどしていた出久が、物怖じせずに話しかけてくる。それだけでも長年のストレスが融解していった。柔らかな陽の下の木漏れ日のような。これがずっと求めていた関係なのだと思った。思い込もうとした。
 だが次第に違和感を否定できなくなった。燠火のように腹の底で燻るもの。それが何なのか認識したのはあの日だ。
 いつものように出久はトレーニングを済ませて寮に戻ってきた。自分は共有スペースに向かうために階段を降りていたところで、階段を駆け上がってきた出久と階段の踊り場でぶつかり、組み伏せる形で転んだ。
 身体の下に出久がいる。
 汗ばんだ出久の身体の存在感に、Tシャツ越しの体温に、心臓が早鐘を打った。ざあっと頭に血が上り、下腹部が熱くなった。
 重なった身体の、押し付けた下腹部の、股間の膨らみに気づかれたんじゃないか。
 だが、あいつは平然として言った。
「ごめんね、よそ見してたよ」
 顔色も変えることもなくだ。俺が勃っていることもわかっただろうに、気にしてないのだ。組み伏せられても何とも思わないのだ、出久の野郎は。ふつふつと怒りが沸いた。
「気いつけろ!クソカスナード!」
 不機嫌を露わにして返しても、俺の苛立ちに気づきもしない。へらっと謝罪の言葉をまた繰り返すだけだ。以前なら、俺が何らかのアクションをすれば出久はビクついていだろう。俺の機嫌を探るように見つめてきただろう。あいつを追い詰める俺の高揚と、あいつの緊張はある意味で共通していたのだ。今はどうしようもなく乖離している。
 あいつに覚える勃起の感覚を、興奮しているからだとか疲れてるからだとか、もう言い訳は出来ないのだ。俺はここから始まると思っていた。なのに、出久にとって俺との関係はここがゴールなんだ。俺とあいつとは望む未来形が違うのだ。どこまで行っても平行線なんだ。
 このままではだめだと確信した。壊さねばならないのだ。弛緩した関係に落ちて身動きが取れなくなる前に。
 生温い関係なんざいらねえ。んなものは糞食らえだ。
 俺の持っていた万能感を、さらに増長させたくせに、それを根こそぎ奪った出久。俺を満たすものはあいつが持っているのだ。取り戻さなきゃいけないのだ。悔しいのも苦しいのも、あいつのせいなのだ。そんな風に思い込んで。ぶつかり合って、弱さを認めて、自分を包んでいた殻が剥がれ落ちて、それでも残ったもの。それだけが確かなもの。
 あいつが欲しい。必ず手に入れてやる。
 きっとそれだけだったのだ。ならば無自覚な内から何年思い続けてきたと思っているのか。どれだけ想いを拗れさせてきたと思っているのか。
 吐き出せない想いが胸に溜まってゆく。顔を見るだけで息が詰まって日に日に苦しくなる。苛立ちはつのるばかりだった。なまじ期待してしまった故に、自覚してからは一層憎らしくなった。まだこれまでのギスギスした関係の方がマシだとすら思ったのだ。
 てめえに俺という存在を刻み付けられないで、何の意味がある。てめえは俺の気持ちを逆立てるくせに何も気付いてやしない。穏やかな関係なんざ俺たちには似合わねえ。俺はてめえを壊してえんだ。てめえが何を望んでいたとしても。
 クソがクソが!腹が立ってしょうがねえ。こそこそ見ているなんて、俺らしくねえんだよ。
「おいデク!」
 と怒鳴り、勝己は勢いよくドアを開けた。出久はびくりと震え、慌てた様子で勝己の方を振り返る。
「な、何、かっちゃん」
「今てめえ」と言いかけて勝己は踏みとどまった。言えば出久が眠ってる自分の髪を梳いているのを、覗いていたことがバレてしまう。「何でもねえ」と怒鳴って誤魔化す。
「ね、寝返りさせてたんだよ、かっちゃん」
 見られていたとも知らずに、言い訳する出久に心底苛ついた。
 
 その夜は広場でキャンプファイヤーが行われた。A組とB組合同での開催だ。
 夕暮れになりB組の面々が合宿所に押し寄せてきた。
「おう!切島」「おう鉄哲!」と似た者同士で拳をぶつけて挨拶し合っている。女子達は「久しぶりー」「もっと合同イベントやりたいよね」と盛り上がっている。出久は班長同士で集まっているようだ。「1年生の時の林間学校ではできなかったからね。途中で中断してしまったからね」と物真似野郎がこっちを見ながら、思い出したくないことを蒸し返してきた。クソうぜえ。殺意を込めて睨みつける。
 広くはないロビーがごった返してきて、喧しくなってきた。「班ごとに点呼をかけろ。全員揃ったら広場に出るように」と先生達が声をかけた。
 広場では星明りと合宿所の明かり以外に光がない。少し離れるだけで、視界が黒いビロードのような闇に包まれる。
 昼のうちに組んだ木組みに轟が火を付けた。ビロードを闇を焦がし、炎は次第に大きくなりパチパチと火花が爆ぜる。安定したところで、皆が輪になって炎を取り囲んだ。
 火焔は舞い上がり、火の粉を吹いて闇を焦がす。金色の粉に煽られ、色鮮やかな蝶が幻のように現れた。眩さに誘われたのだろうか。蝶は焔と遊んでいるかのように戯れ、橙色の舌に巻かれて捉えられ、舞うように火に飛び込む。途端に蝶は影となり消えてしまった。跡を追うように、一匹また一匹と、炎に向かって蝶が飛んでくる。
 身を焦がすとも知らずに炎に近寄る蝶に、誰も気づいてないのか、A組の奴らもB組の奴らも皆笑ってやがる。何がおかしいんだ。
 炎から目を離している間に蝶がいなくなった。燃やし尽くしてしまったのか。
 いや、蛾じゃあるまいし、夜に蝶なんて飛ばないだろう。幻影だったのだろうか。俺しか見てないのか。出久は見ていただろか。
 勝己は輪の中に出久の姿を探した。名前も覚えてねえB組の連中を4,5人おいて出久は立っていた。癖っ毛が炎のように揺らめいている。焔に照らされた顔は嬉しそうでやけに眩しい。てめえはそんな顔もしやがるんだな。一瞬見惚れてしまう。網膜に焼き付く。
 あれは俺のだ。胸に焼きつくような痛みが走る。なんでこの手の中にいないんだ。
 先生の指示で輪になった隣同士で手を繋ぎ始めた。勝己はじっと掌を見つめる。厚い皮膚に覆われた、爆破の衝撃に耐える掌。苛ついて苛ついて、いつかのように、また俺はあいつの手を突き放したんだ。
 輪から出ると、勝己は「どけ!」と出久の隣の生徒を押しやって、繋いでいた手をもぎ離し、隣におさまった。
「え!なに?かっちゃん?」と躊躇する出久の手を構わずにぎゅっと握る。出久は驚いて目を見開いたが、たどたどしく指を折り、手を繋いでぎこちなく勝己に微笑みかけた。
 出久の作り笑いだ。反射的に勝己の眉根に縦皺が寄った。見るたびに苛立ってしょうがなかった。本当の笑みを向けるようになってきてたのだ。もっと先を渇望してやまなくて、苛立ちでてめえを遠ざけた。
 永劫に交わらない平行線なんて耐えられない。それでも手放すことなんてできない。どうすればよかったんだ。
 掌の温もり。じわりと侵食してくる出久の体温。
 俺のもんだ。
 炎は空気を孕んで巻き上げる。火の粉が夜に吸い込まれ、星になってゆく。

 夜が明けたようだ。
 瞼の裏が赤くなり、明るさを感じる。だが何故か目が開けられない。
「眠ってる君は側に寄っても怒らないね」と囁く聞き慣れた声。ころころと鼓膜を擽る出久の声。
 優しく髪を梳く出久の指。勝手にてめえ、俺に触んな。髪に差し込まれた指が丁寧に髪を撫でる。触れられた頭皮の箇所がさわっと痺れる。すぐ傍に座っている出久の気配。動悸が早くなる。前髪を梳いていた指が額を撫でる。擽ったいけれど気持ちいい。
 ドアが開く音。
「おいデク!」
 自分の声が聞こえた。するっと手が離れてゆく。
「な、何、かっちゃん」と狼狽したような出久の声が応じた。
 出久は梯子を降りて行った。待てよと引き止めたい。今のはなんのつもりだと問い詰めたい。なのに目は開けられず身体は動かない。クソが!
 てめえはいつもそうだ。近づいてきてはそっと触れて、すぐ離れるんだ。てめえが気まぐれに触れるだけで、俺がどう思うのか考えもしねえんだろ。
 自分の弱さを認めたことで、確かに俺は楽になった。てめえとガキの頃みたいに話せるようになった。だから俺は高望みをしちまった。てめえが手に入るんじゃねえかと。だがてめえは俺とお友達ごっこができれば満足なんだ。この先なんてねえんだ。くだらねえ。
 俺は違う。てめえは考えたこともねえだろ。俺がてめえに欲情してるなんてよ。抱きてえって衝動を押さえつけてるなんて、ありえねえんだろ。
 触れたらきっと押さえ切れねえ。今までてめえに対しての衝動を、律したことなんか一度もねえのに、今になって忍耐が必要になるなんて。なのにてめえは知りもしねえで、お気楽に俺に触れやがって。
 目が覚めて飛び起きた。まだ日の出の前の薄暗さだ。
 なんだ今の夢は。ただの夢にしてはやけに生々しかった。髪にまだデクの手の感触が残っているようだ。隣のベッドで出久は静かに寝息を立てている。
 まさか、眠ってる自分の身体に入ったのか?
 話していた内容は昨日の昼間にしていたあいつとの会話だった。昨日の自分の中だったのか。あり得ない。ただ記憶が夢で再現されただけじゃないのか。ならば頭皮に髪に残るあいつの感触はなんだ。
「おはよう、かっちゃん」
 起きた出久は伺うように挨拶してきた。昨日のキャンプファイヤーで手を繋いだからか、心なしか気を許しているようだ。あんだけで弛緩してんじゃねえと、ちょっといらっとする。出久は呑気に布団を畳みはじめた。こいつはどうなんだろう。
「おいデク、変な夢を見なかったか」と聞いてみた。
 出久はきょとんとしている。「昨日の夢は覚えてないよ。かっちゃんがそんなこと聞くなんて、どうしたの?」
「どうもしねえわ。うぜえ」
 こいつは見てねえのか。ならただの夢に過ぎないのだろうか。

 その夜、勝己は出久のベッドの上段に上がり、眠る出久の枕元に座った。穏やかに寝入っている顔を見つめる。出久は風呂に入ってるから暫くは戻って来ない。
 そっと頬に触れる。柔らかくてすべすべした手触り。そばかすを数えるようにつつく。指を滑らせて、唇を形どるように撫でる。
 てめえは夢ですら中途半端なんだよ。たとえ夢の中であったとしても、てめえが俺に触れるなら。俺も触ってやるわ。
 勝己は出久に顔を近づけて、そっと触れるだけのキスをした。柔くて温かい。足りない。全然足りない。顎を掴んで口を開かせ唇を塞ぐ。口内に舌を差し入れて舌先で舐める。歯列を舐めて出久の舌に触れる。アイスクリームを舐めるように、濡れた柔らかさを味わう。離してもう一度、今度はもっと舌を絡ませて深いキスをする。夢中になってキスを繰り返す。唇が離れるたびに濡れた音がする。
 わかってたことだ。触れてしまったら止められないってことは。
 部屋の外で足音が聞こえた。聞き慣れた靴音。出久が戻ってきたのだ。それでももう少しだけ、後一回だけとキスを続ける。浅ましく求めてしまう。
 出久がドアを開けた。ベッドの上段を見上げて首を傾げ、「何してるの?」と問うてくる。勝己は徐ろに頭を上げた。気づかれてはいないようだ。
 勝己は何食わぬ顔で答えた。「何でもねえよ。てめえが息してんのか顔見て確認してただけだ」
「そう、なんだ。ありがとう。かっちゃん」
 ベッドからジャンプして飛び降り、勝己は出久に告げた。「デク、今日から交替だ。俺が身体の面倒みてやるわ。俺のもてめえのも両方な」
「え?かっちゃんが?」
「今までご苦労だったな」
 勝己はにやりと笑った。あ、うん。と出久は何か言いたげにしていたが、何も言わずに目を逸らした。



 かっちゃんは何してたんだろう。僕の身体がある方のベッドで。顔を見てただけだと言っていたけれど。嘘をつく理由はないから、彼が言うならそうなんだろう。でもなんで僕の顔なんか。聞きたいけど、怒られそうで聞けない。
 かっちゃんは僕と入れ替わりに風呂に入りに行ったから、まだ暫くは戻ってこない。戻って来たら聞いてみようか。空の隣のベッドを見ながらうとうとして、出久はいつの間にか眠りについた。
 外が明るい。瞼の中に光が射してくる。朝になったみたいだ。なのに目が開けられない。身体も動かせない。金縛りだろうか。
 側に人の気配を感じる。顔の上に被さる体温。唇に柔らかいものが触れる。誰かの唇だ。触れては離れる温もり。誰かの手が顎を掴んで口を開けさせた。唇を割って入って来たのは人の舌だ。ピタリと唇が合わせられ、口内を柔らかい舌が這う。口腔を余さず探られる。吐息を奪われる。舌を舐め上げられ、戯れるように絡む水音が直接耳に響く。ディープキスされてるのか。どうしよう。逃げられない。焦るのに身体が動かない。誰なんだ。
 甘い匂いが鼻先を掠める。嗅いだことのあるような匂い。
 そんなはずない。気づいてはいけない。頭の中で警鐘が鳴る。
 何してるの、という声が聞こえる。名残惜し気に唇が離れた。覆い被さっていた人物が答える。
 何でもねえよ、息してんのか確認してただけだ。
 かっちゃんの声?今のはかっちゃんなのか?
 驚いて飛び起きた。天窓には星明かり。瞼の裏は明るかったからてっきり朝だと思ったのに、まだ夜だったのか。動悸が速い。心臓が咽喉から飛び出そうだ。なんて夢見てしまったんだ。かっちゃんがそんなことするはずないじゃないか。昨日と同じ会話をしていた。きっと記憶を元にした僕の妄想だ。
 眠ったらまた見てしまうかも知れない。出久はまんじりともせずに夜を過ごし、白々と夜が明けてほっとした。
 勝己を起こさないように、音を立てないようにして部屋を出ると、洗面所に向かった。夢のはずなのに口の中に生々しく蘇る口付けの感触。朝なんだし、歯を磨いてから戻ることにしよう。
 だが、歯磨きを済ませて何度うがいをしても、どうしても夢の中でのキスの感触が消えない。
 唾液の味。口腔の粘膜を探る柔らかさ。脳に直接的聞こえた舌の触れ合う音。
 顔が火照ってしょうがない。振り払うように水飛沫を上げて顔を洗う。顔を上げると鏡の中に勝己の顔が見えた。いつの間にか勝己が背後に立っていたのだ。
「うわ!かっちゃん」
「てめ、飛沫が撥ねんだろが!クソが!」
「ごめん、拭いておくよ」
 出久は首にかけていたタオルで鏡を拭く。ゴシゴシ拭くとかえって鏡面が曇ってしまった。
「なあ、デク」背後で勝己が言う。「昨日変な夢見てねえか?」
 問われてどきりとする。まるで見透かされているような口調。あんな夢見たなんて、君が知るわけないのに。聞かれたって誰にも言えるわけ無い。君に、言えるわけない。
 曇った鏡から目を離さずに「別に夢なんて見てないよ」と答える。
「夢を見てないと思ってる奴でも、本当は見てるらしいぜ。忘れてるだけでよ」
「そ、そうなんだ。詳しいね」動揺してしまって振り返れない。とても今は顔を直視できない。
「ふうん」納得してはいないような訝しげな声だ。「こっち向いて答えろよ、デク」
 耳のすぐ後ろで低く囁かれた。ひゅっと息を呑む。皮膚がざわつく。
「なあ、デク」勝己の手が肩に触れた。
「爆豪、緑谷、ここにいたのか。朝飯の前にちょっと部屋に来てくれ」
 入り口の向こうから呼びかける声。相澤先生だ。身体の硬直が解けてゆく。
「ああ?んだよ」
 勝己が背後から離れて、洗面所を出て行った。安堵して肩の力が抜けた。

「何かわかったんですか」
「まだ原因はわからない。やはり俺達の他にこの付近には誰もいなかった。衛星も監視カメラも確認したし、改竄の後もない。個性を食らったわけでもないようだ。」
 出久の問いかけに、パソコン内のカメラの映像を示して、相澤先生は言った。
 勝己は憤慨した。「結局なんもわかんねえんじゃねえか」
「だが手がかりはなくはない。宿泊施設の関係者に聞いたが、この山では時折不可思議な出来事が起こるらしい」
「どんなことがあったってんだ」
「数年前のことだ。山に登った子供達が合宿所で過ごしている内に、いつの間にか人数が1人増えていたそうだ。だが誰が増えたのかわからない。なにかの手違いなのかと思ってそのまま過ごしたが、数日たって下山する頃には、減って再び元の人数に戻っていたらしい。今度は逆に誰が減ったのかわからなかったそうだ」
「本当かよ。嘘くせえ」
「登山者の中に子供がいるときに、たまにこういった現象が起こるらしい。全く同じではなくても、類似の記録がいくつもあった。原因はわからないが、こういった現象は山にいる間だけで、下山する頃には元に戻っていたそうだ。今まで何事もなく済んでいるので公にしてないらしい」
 出久は問うた。「ほっといていいんですか」
「調査はしたそうだが、個性の発現以後そういった学問は廃れ気味でな、専門家が少ないんで難航しているようだ」
「人に宿る個性でも、超常現象レベルのものもありますもんね」
 轟や八百万の個性も勝己の個性も、個性の時代だからこそ普通に受け入れられているが、物理現象としては相当不可思議といえる。無論、OFAも。
「何かの個性の残滓が残っていたのかも知れないが、どちらかと言うと、やはり現象というべきだろう」相澤先生はふうっと息を吐いて続ける。「しかし、原因と思われる子供はいたらしいな」
 勝己が乗り出した。「やっぱりいんじゃねえか、犯人がよ」
「え、でも個性ではないんですよね」出久は問うた。
「説明しにくいことだがな」相澤先生は続ける。「今までの事件の共通項は、子供達の中にえらく不安定な者がいたということなんだ。精神的にまいってたり鬱屈してたり、逆にハイになってたりな。そんな極端な心の波動が外部に影響を与えることがあるらしい」
「つまり今回も誰か原因になる奴がいるってことか。そうだな?」と勝己。
「ああ、おそらくだが」相澤先生は椅子を回して向き直る。「原因はお前達の方にあるようだな」
「はああ?俺らのせいだって言うのかよ!冗談言えよ」勝己はいきり立った。「そりゃあ憶測でしかねえんだろ」
 相澤先生は静かに語る。「お前らに起こった現象なんだから、原因もお前ら自身と考えるのが自然だろうが。まあ確証はない。ただ、子供の精神力は強いんだよ。お前達の考える以上にな。現実を覆し幻を具現化させてしまうほどに」
「やっぱり分身作るとか、そういう個性の奴がいただけじゃないのかよ」
「残念だが該当するような個性の者はいなかったそうだ」
「新たに個性を得た奴がいたんじゃねえのか」
「個性は4歳までしか発動しない。例外はない。知っているだろう」
 ちらっと勝己を伺って出久は返事をする。「はい、そうですね」
 勝己は鼻を鳴らした。出久の個性が高校になっていきなり発現したと思われていた頃は、随分勝己を悩ませていただろう。
「だから現象としか言いようのないものだ。もう一度聞くが、お前達に合宿所に戻るまでの記憶はあるのか」
「言ったじゃねえか。ねえよ。霧の中で彷徨っていただけだ」勝己が言う。
「その前に何してたか覚えてるか。森の中に入ったことじゃなく、その前までの記憶だ」
 出久が答える。「その前って、ベッドに入って眠って。気が付いたら森の中を歩いていたんです」
「なるほど。前の夜に睡眠した自覚はあるんだな」相澤先生はふっと笑った。「ひょっとして、お前たちは夢の中から来たのかも知れないな」
「はあ?何言ってんだ」勝己は言う。
「仮定だがな、お前たちは今、夢を見ているのかも知れんぞ。この合宿の夢をな。今話してる俺もお前らにとっては夢なんじゃないか」
「先生?そんなこと」
 これが夢だなんて。飯盒炊飯もキャンプファイヤーも夢だなんて。出久はぐらりと足元が揺れたような気がした。
 相澤先生は言う。「ま、冗談だがな」
「やめろよ、笑えねえ!」勝己は怒って言い返す。
「で、夜は眠れるのか?」
「ああ?ちゃんと寝てるわ!」
「どうだ、夢は見るのか」
 一拍おいて勝己は答える。「夢なんざなんも見てねえよ」
「僕も見てないです」出久は嘘をついた。
 その他に眠ってる自分達の身体に何か変わったことはないかと細かく聞かれ、何もないと二人とも答えた。
「変化なしか、様子を見るしかないな。今までのところ他の生徒達には何も起こってないようだ」
 引き続き隔離するかのように、屋根裏部屋で寝ることになったが、意外なことに勝己は大人しく同意した。同室になった当初はあんなに文句を言っていたのに。
 朝食の時間が近くなったので、2人は相澤先生の部屋を退出した。何故か歩調を合わせて勝己は出久の隣を歩いている。見られているようで落ち着かない。
 勝己が口を開いた。「てめえ、夢見てねえのか」
「え?な、ないよ」ちょっと狼狽える。夢は見てるがとても言えない。
「かっちゃんも夢、見てないんだよね」
「聞いてんのは俺だ」
「見てないよ。本当だよ」
 勝己が睨んでいる。見透かされているようで目を合わせられない。君が知るはずもないのに。

 夜が来てしまった。
 勝己のベッドからは寝息が聞こえてくる。もう眠ったようだ。
 出久は溜息をついた。眠りたくない。またあんな夢を見てしまうかも知れない。だがベッドに入るとあっという間に睡魔が押し寄せた。
 瞼の裏はとても明るい。どうやら昼間のようだ。梯子を登ってくる足音。ベッドがミシリと音を立てて軋んだ。顔の上に人の気配。唇に吐息を感じた。
 誰かがキスを落とした。唇の感触は生々しくて夢とは思えない。指一つ動かせない。自分の上にいる人物はキスをしながら布団を剥がした。誰かの掌が身体に触れる。服の上から愛撫する。
 Tシャツの裾から手が潜り込み、腹から胸を摩り、乳首を指先で撫でて摘む。ごつごつした手が動けない自分を弄ぶ。それなのに身動きできない。相手のなすがままだ。この掌をよく知っている。手の持ち主がデク、と囁いた。
 切なげにデク、と名を呼ぶ勝己の声。何度も何度も。こんな優しい声なんて聞いたことがない。肌を探る手つきも優しくて、出久の気持ちは落ち着いてきた。だがそれは短い間だった。
 腹を撫でていた手がハーフパンツの中に潜り込んできた。動転して目を開けようとしたができない。手は暫く布の上から性器を撫でていたが、するりとボクサーパンツの中に入って来た。強制的に快感を煽られ、嫌だと思っても指一つ動かせない。気持よくて怖い。知らない感覚を呼び覚まされる。やめてと声を出そうとしても果たせない。
 目が覚めた。天窓から笑ってるような形の月が見えた。
 声を上げてしまってやしないだろうか。シャツの中は汗だくだ。股間が膨れている。恐る恐る触れたが、濡れてはいない。夢精してなかったようでほっとする。
 また変な夢を見てしまったのだ。感触が残っていて本当に起きたことのようだ。でもまさか。かっちゃんがそんな、僕に悪戯なんてするわけないじゃないか。万が一そんなことされたとしたら、流石に起きるだろう。
 何度もあんな夢を見るなんて、彼への冒涜だ。ひょっとして僕の願望なのか。違う。彼への気持ちは憧れだ。そんなのあるわけない。
 そろっと起き出してトイレに向かった。用を足そうと前をくつろげ、手が硬直する。
 まるで本当にあったことのように生々しく蘇ってくる。なんでこんな夢を見るんだ僕は。おかしくなりそうだ。
 この日も勝己はいつもどおり剣呑としていた。食事中もトレーニングの間も変わらない。けれども、時々探るような視線を向けられている気がした。
 夢を思い出してしまって、彼の顔をまともに見られない。僕はどんな顔をしているんだろう。


6


 夕食が終わり、勝己の後に風呂を済ませて、出久は部屋に向かった。
 明日で合宿は終わる。前例通りというなら、原因不明のこの事象も終わるのだろうか。 変な夢も、見なくなるだろうか。先生は様子を見ると言ってたけど、もし何も変わらなかったらどうなるんだろう。考えに耽りながら部屋のドアを開けた。
「遅かったじゃねえか、デク」
 低い勝己の声。暗い部屋の中、勝己が窓枠に座っている。月明かりに髪が金の焔のように揺らめいている。瞳の赤が光を反射して、まるで猛禽類のようだ。捕食されると錯覚したかのように体が震え、ざわっと総毛だつ。
「待ってたぜ、デク」
「かっちゃん?電気つけないの?部屋暗いよ」
 恐れを堪えて明かりのスイッチを入れようと壁を探すと「つけんな!」と勝己は吠えた。びくっと手が止まる。
「デクてめえ、昨日はどんな夢を見たんだ?」
「何も、夢なんて何も見てないよ」
「見てんだろ?しかも誰にも言えないようなやつをよ」
 心臓が跳ねる。まるで夢の内容を知っているような口調だ。君が知るわけない。あんな淫夢のような夢。
「そういうかっちゃんはどうなんだよ」逆に問うた。
「俺は見てるぜ。毎日な。どんな夢か聞きてえか?」
 デクはゴクリと唾を飲んだ。聞いてはいけない気がして、首を横に振る。勝己がくくっと笑った。
「そこで眠ってる俺らはどんな夢を見てるんだろうな。デク」
「え?考えたこともないよ」突然話題を変えられて戸惑う。
「合宿の夢を見てるのかもな。今この時、てめえが入って来て、俺がこの窓枠に座ってる、この瞬間を夢に見てるのかもな。そう思わねえか」
「それじゃまるで、僕らが彼らの見ている夢みたいだね」
「ああ、かも知れねえぜ」
「相澤先生の言ってたのは冗談だよ、かっちゃん、ねえ、電気付けようよ」
「冗談、じゃねえんだよ」
 出久がスイッチに手を伸ばした途端、手元に爆発の火花が飛んできた。
「付けんなっつってんだろーが!」
「あぶないよ、かっちゃん。スイッチに当たったら壊れちゃうよ」
「てめえが余計な事しなきゃやんねえよ」
 仕方なく照明をつけずにドアを閉めた。月明かりだけが部屋を青白く照らしている。
 勝己が言った。「なあ、デク、俺はこの部屋に来た初日から、眠るとあの身体にオーバーラップしてたんだぜ。知ってたか?」
 頭が真っ白になった。まさか、眠っていると思っていた身体に、勝己の意識があったのか。自分がしていたことを、勝己は知ってるのか?
「嘘だろ?かっちゃん」
「やっぱり知らなかったんだな。だろうよ。てめえが寝てる俺に呼びかけてんのも、俺の髪梳いてんのも知ってるぜ。デク。俺がてめえを部屋に呼びに来た声まで聴いてる。間違いなく俺はその身体ん中にいたんだ」
 かあっと顔が熱くなった。薄暗がりで良かった。きっと顔に出てしまっている。
 でも、冷静になれ。勝己はカマをかけてるだけかも知れないのだ。肯定してはいけない。
「そういう、夢だっただけじゃないのかな?」出久は平静を装った。
「それを確かめようと、てめえと交代したんだ。眠ってる身体ん中に、てめえがいんのか呼びかけた。俺の声聞こえてたんじゃねえか?」
 聞こえてた。デクと呼ぶ声。でも、それだけじゃない。とても言えない。
「ああ、呼んだだけじゃねえわ。確かめようとてめえに触れちまってな。歯止めがかからなくなった。俺が何したか、てめえ、知ってるよな?」
「かっちゃん、まさか」
「キスの味はどうだった?デク」勝己が言った。「寝てても勃つんだな。気持ち良かったか?」
 身体の中で僕が覚醒しているのを知ってたのに、かっちゃんは僕の肌に触れて、僕のあれに触ってたのか。頭に上った熱で目眩がしそうだ。
「てめえは顔に出るよなあ。デク」勝己はさもおかしそうに笑う。「てめえは俺より先にはオーバーラップしてなかった。てめえがそうなったのは、俺と交替してからだろう。眠るてめえにキスしてから、態度がガラッと変わったからな。てめえは眠る身体には意識がねえと思ってたわけだよな。だから俺に触ったんだろ」
 出久は震える声で言った。「ごめん、知っていたら、触れたりしなかった。君は怒るってわかってたから、でも僕は」
「てめえの言い訳なんざどうでもいいんだよ。俺がなんでてめえに触れたのか、気になんねえのか。聞かねえのか?聞けよ!デク」
 触るなって言ってたのに僕が君に触ったから、仕返しされてたんじゃないだろうか。僕を辱めて。面と向かうとそうとしか思えない。何故こんな手段を。
「なんでこんな悪戯、したんだ?」
「悪戯か!は!てめえはすぐにてめえ勝手に解釈しやがる。クソが!まあいい、どうせこれからじっくり教えてやんだからよ。俺は謝らねえぜ。てめえは俺に触れたかったんだろ。俺も触れたかったんだ。なら同罪じゃねえか。罪とは思わねえ」
「かっちゃん」お互い様だから水に流そう、てことだろうか。
「この現象ってやつの仕組みの話だけどな」勝己は首を傾ける。「この身体が眠った時だけ、元の身体に戻ってるんだろうな」
「あっちの身体が本物だって認めるんだね、かっちゃん。じゃあ、僕らは」
「相澤先生の言った通り、俺らは元の身体の見ている夢なんだろうよ。夢が形を成して浮遊してるんだ。意識が身体に戻りつつある今、ほどなくこの身体の方は消えんだろ。多分、明日には。そういう気がすんだよ」
「じゃあ、あっちの身体で目覚めるんだ」こっちは消える。恥ずかしい思いごと、この身体は消えてしまえるのか。そうして、自分たちは元の身体に戻れるのか。
「いや、どっちの身体が消えちまうのかはわかんねえか。どちらが残るにしろ一つに戻るんだろ。だが、意識が眠る身体の方に戻ったら、この身体で経験したことは忘れちまうのかも知れねえ」
「元に戻るんだよ。かっちゃん」それでいいんじゃないか、と思う。
「ああ、だけど忘れちゃいけねえことがあんだろうが、デク」
 勝己の瞳がすうっと細められる。「俺がてめえにしてたことはてめえにバレた。てめえが眠る俺に何してたのか、俺は知った。てめえの本心が知りたくて随分回り道しちまった。やっとてめえの気持ちがわかったってのによ」
 勝己は窓枠から降りてゆらりと立ち上がった。「なのに、もし消えるってんなら、忘れちまうかも知れねえんなら、元の木阿弥だ。せめてその前にてめえを手に入れる」
 薄暗がりの中で、勝己の赤い瞳だけが爛々と野生動物のように光った。捕食される、と頭の中に警鐘が鳴り響く。でも金縛りにかかったように手足が動かない。勝己は壁際に出久を追い詰めた。
「待って!仮定だろ、かっちゃん」
「なあ、デクてめえも俺に触ってたろ。こうやって髪に触ってたよな」
 勝己は出久の手を掴んで髪に触らせる。指先にさらさらと触れる髪。眠っていた勝己の髪と同じ手触り。
「てめえは顔にこう、触ってたよな」勝己はさらに頬に掌を当てさせる。
「ごめん。かっちゃん」
「ああ?何をあやまってんだ。俺もてめえに触ってんだ」少し苛立ちが勝己の声に滲んだ。ごくっと勝己の喉仏が上下する。「デク、触んぞ」
 Tシャツが捲られ、出久の肌を勝己の掌が滑る。指先が乳首に触れて円を描くようになぞる。出久の反応を引き出すように丁寧に愛撫する。
 あ、と声を出してしまった。足の力が抜けてしまい、壁にもたれかかったまま、ずるずると崩折れて床に腰をつける。勝己もしゃがんで膝をつき、五指で胸筋の間をなぞる。指は腹筋に降りて文字を描くように触れる。夢で感じたのと同じ性的な指の感触だ。吐息が震える。
「寝てるてめえに触るよりずっといいな。反応があるからよ」
 くっと笑うと、勝己の手は出久の下腹部を撫でてハーフパンツの中に入った。夢と同じように、下着の上から出久のものを撫でる。
 震える声で出久は「かっちゃん」と呼んだ。
「なんだ、デク」と囁きながら勝己が唇を重ねる。貪るようなキスをする。ねっとりと口内を味わって、唇が離される。
「甘えな。夕飯のデザートか、歯磨いたんかよ」勝己は揶揄うように言った。
「磨いたよ」
「ああ、じゃあ、これはてめえの味か」
 にっと笑い、勝己は再び唇を奪うと、キスをしながら床に組み伏せた。出久のTシャツを剥ぎ取り、勝己も脱いで肌を重ねる。均整のとれた筋肉質な身体の重み。勝己の唇が顎を辿り、首元まで降りてゆく。肌に唇を滑らせ、吸い上げる。さっき捏ねられて、膨れた乳首を舐めあげる。唇と舌で肌に与えられる、感じたことのない感覚。
「こんなの、間違ってるよ」震えが止まらない。「夢に踊らされてるんだ」
「それがどうした。逃げんな」
「かっちゃんだって、わかってるだろ」
 出久は身体をずらして重みから逃れようとした。だが、勝己は緩慢に逃げをうつ身体を返して俯せにし、腰を持ち上げる。
「今更逃げんな、デク」
 勝己が顔を近づけてくる。
 月明かりに青白く照らし出された端正な輪郭。美しい金の獣だ。一瞬、この獣になら食われてもいいと思ってしまうほどに。
「デク、てめえから始めたんだ。眠ってる俺にてめえが触れた時からな」


7


 霧に包まれた山頂で、虹の中に見えた2つの影。
 並んで仲良く見えた2人の姿。
 あれが僕らであったなら。あの時僕はそう思ったのだ。
 隣で一緒に見上げていた君も、そう思っていたのだろうか。


 瞼の裏に光が射した。天窓からの光。朝の光。出久は目を覚ました。
 昨日よりも天井が近い。二段ベッドの上段だからだ。ということは眠っていたほうの身体だ。元の身体に戻ったということなのか。
 身体を起こした。ずっと寝ていたから身体の節々が凝ってる。だが身体の内部に残るこの痛みはなんだろう。彼との性交による痛みなのだろうか。この身体ではないはずなのに。いや、あれはひょっとしてこの身体だったのか?
「おいデク」
 反対側のベッドで勝己が立膝をついて出久を見つめている。
「かっちゃん」
 君も目覚めたんだな。射るような強い視線。下段のベッドに勝己の身体はない。ならば自分の身体も下段にないのだろう。
 勝己は跳躍してデクのベッドに飛び移った。反動でぎしっと軋む。
「てめえ、やっと起きやがったか。遅えわ」
 勝己は出久の手を取って自分の頬に当てる。温かい肌。君の体温。
 出久は口を開いた。「僕達は偽物なのかな。本物なのかな」
 勝己は出久の頬に手を伸ばし、さらさらと撫でる。指が顎を辿り首筋に下りて、まるで確かめるように触れてゆく。出久は擽ったくなり、ふふっと笑う。
 勝己は鼻先に顔を近づけた。赤い虹彩が灯火のようだ。
「デク、んなこたあ、どっちでもいいわ」
 勝己は囁いた。その言葉を呑ませるかのように、触れた唇をそっと重ねた。

END

 

胡蝶の夢
 荘子の故事から
 自他の区別がつかない境地。
 目的意識に縛られない自由な境地。
 または現実と夢の区別がつかないことのたとえ。
 人生のはかなさのたとえ。
 もしくは物の形は変化しても本質は変わらないということ。

 

胡蝶の通い路・後編(R18版)

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後篇

 勝己は扉のノブに手をかけてはたと止まった。
 密やかな声に耳を澄ます。出久の声だ。
 眠っている自分にこっそり語りかけている。くしゃくしゃだとかトゲトゲだとか。聞いたことのないような優しい口調で。部屋に入れば何かを壊してしまいそうだ。掌が硬直したように固まってしまう。
 いや、何が壊れるっていうんだ。出久が余計なことをしてやがるだけだ。音を立てないようにそっとノブを回してドアを開け、隙間から部屋を覗く。二段ベッドの上段にいる出久は気づいていないようだ。優しく語りかけながら、眠っている勝己の髪を梳いている。こんな出久を見たことがない。声をかけられない。
 眠る自分の身体に話しかける出久を見ているとだんだんムカついてきた。俺にはあんな風に話すことも、笑うこともねえじゃねえか。ああそうだ、誰のせいだといえば俺のせいだ。
 我慢がならなかったんだ。
 ここ最近出久に対して苛ついている。隠すことは出来ないし、するつもりもない。苛立ちに任せて怒鳴り散らすとあいつは戸惑い。怯えるあいつの面を見て、一瞬だけ溜飲が下がる。その後は胸を掻き毟りたくなるくらい苦しくなる。その繰り返しだ。
 昔のように堂々巡りになるだけだ、間違った方法だと。わかっていてもそうする以外、手段が浮かばねえんだ。
 グラウンドベータで対決して以後、出久は日毎に打ち解けてきた。いつも自分の顔を見ると、機嫌を伺うようにおどおどしていた出久が、物怖じせずに話しかけてくる。それだけでも長年のストレスが融解していった。柔らかな陽の下の木漏れ日のような。これがずっと求めていた関係なのだと思った。思い込もうとした。
 だが次第に違和感を否定できなくなった。燠火のように腹の底で燻るもの。それが何なのか認識したのはあの日だ。
 いつものように出久はトレーニングを済ませて寮に戻ってきた。自分は共有スペースに向かうために階段を降りていたところで、階段を駆け上がってきた出久と階段の踊り場でぶつかり、組み伏せる形で転んだ。
 身体の下に出久がいる。
 汗ばんだ出久の身体の存在感に、Tシャツ越しの体温に、心臓が早鐘を打った。ざあっと頭に血が上り、下腹部が熱くなった。
 重なった身体の、押し付けた下腹部の、股間の膨らみに気づかれたんじゃないか。
 だが、あいつは平然として言った。
「ごめんね、よそ見してたよ」
 顔色も変えることもなくだ。俺が勃っていることもわかっただろうに、気にしてないのだ。組み伏せられても何とも思わないのだ、出久の野郎は。ふつふつと怒りが沸いた。
「気いつけろ!クソカスナード!」
 不機嫌を露わにして返しても、俺の苛立ちに気づきもしない。へらっと謝罪の言葉をまた繰り返すだけだ。以前なら、俺が何らかのアクションをすれば出久はビクついていだろう。俺の機嫌を探るように見つめてきただろう。あいつを追い詰める俺の高揚と、あいつの緊張はある意味で共通していたのだ。今はどうしようもなく乖離している。
 あいつに覚える勃起の感覚を、興奮しているからだとか疲れてるからだとか、もう言い訳は出来ないのだ。俺はここから始まると思っていた。なのに、出久にとって俺との関係はここがゴールなんだ。俺とあいつとは望む未来形が違うのだ。どこまで行っても平行線なんだ。
 このままではだめだと確信した。壊さねばならないのだ。弛緩した関係に落ちて身動きが取れなくなる前に。
 生温い関係なんざいらねえ。んなものは糞食らえだ。
 俺の持っていた万能感を、さらに増長させたくせに、それを根こそぎ奪った出久。俺を満たすものはあいつが持っているのだ。取り戻さなきゃいけないのだ。悔しいのも苦しいのも、あいつのせいなのだ。そんな風に思い込んで。ぶつかり合って、弱さを認めて、自分を包んでいた殻が剥がれ落ちて、それでも残ったもの。それだけが確かなもの。
 あいつが欲しい。必ず手に入れてやる。
 きっとそれだけだったのだ。ならば無自覚な内から何年思い続けてきたと思っているのか。どれだけ想いを拗れさせてきたと思っているのか。
 吐き出せない想いが胸に溜まってゆく。顔を見るだけで息が詰まって日に日に苦しくなる。苛立ちはつのるばかりだった。なまじ期待してしまった故に、自覚してからは一層憎らしくなった。まだこれまでのギスギスした関係の方がマシだとすら思ったのだ。
 てめえに俺という存在を刻み付けられないで、何の意味がある。てめえは俺の気持ちを逆立てるくせに何も気付いてやしない。穏やかな関係なんざ俺たちには似合わねえ。俺はてめえを壊してえんだ。てめえが何を望んでいたとしても。
 クソがクソが!腹が立ってしょうがねえ。こそこそ見ているなんて、俺らしくねえんだよ。
「おいデク!」
 と怒鳴り、勝己は勢いよくドアを開けた。出久はびくりと震え、慌てた様子で勝己の方を振り返る。
「な、何、かっちゃん」
「今てめえ」と言いかけて勝己は踏みとどまった。言えば出久が眠ってる自分の髪を梳いているのを、覗いていたことがバレてしまう。「何でもねえ」と怒鳴って誤魔化す。
「ね、寝返りさせてたんだよ、かっちゃん」
 見られていたとも知らずに、言い訳する出久に心底苛ついた。
 
 その夜は広場でキャンプファイヤーが行われた。A組とB組合同での開催だ。
 夕暮れになりB組の面々が合宿所に押し寄せてきた。
「おう!切島」「おう鉄哲!」と似た者同士で拳をぶつけて挨拶し合っている。女子達は「久しぶりー」「もっと合同イベントやりたいよね」と盛り上がっている。出久は班長同士で集まっているようだ。「1年生の時の林間学校ではできなかったからね。途中で中断してしまったからね」と物真似野郎がこっちを見ながら、思い出したくないことを蒸し返してきた。クソうぜえ。殺意を込めて睨みつける。
 広くはないロビーがごった返してきて、喧しくなってきた。「班ごとに点呼をかけろ。全員揃ったら広場に出るように」と先生達が声をかけた。
 広場では星明りと合宿所の明かり以外に光がない。少し離れるだけで、視界が黒いビロードのような闇に包まれる。
 昼のうちに組んだ木組みに轟が火を付けた。ビロードを闇を焦がし、炎は次第に大きくなりパチパチと火花が爆ぜる。安定したところで、皆が輪になって炎を取り囲んだ。
 火焔は舞い上がり、火の粉を吹いて闇を焦がす。金色の粉に煽られ、色鮮やかな蝶が幻のように現れた。眩さに誘われたのだろうか。蝶は焔と遊んでいるかのように戯れ、橙色の舌に巻かれて捉えられ、舞うように火に飛び込む。途端に蝶は影となり消えてしまった。跡を追うように、一匹また一匹と、炎に向かって蝶が飛んでくる。
 身を焦がすとも知らずに炎に近寄る蝶に、誰も気づいてないのか、A組の奴らもB組の奴らも皆笑ってやがる。何がおかしいんだ。
 炎から目を離している間に蝶がいなくなった。燃やし尽くしてしまったのか。
 いや、蛾じゃあるまいし、夜に蝶なんて飛ばないだろう。幻影だったのだろうか。俺しか見てないのか。出久は見ていただろか。
 勝己は輪の中に出久の姿を探した。名前も覚えてねえB組の連中を4,5人おいて出久は立っていた。癖っ毛が炎のように揺らめいている。焔に照らされた顔は嬉しそうでやけに眩しい。てめえはそんな顔もしやがるんだな。一瞬見惚れてしまう。網膜に焼き付く。
 あれは俺のだ。胸に焼きつくような痛みが走る。なんでこの手の中にいないんだ。
 先生の指示で輪になった隣同士で手を繋ぎ始めた。勝己はじっと掌を見つめる。厚い皮膚に覆われた、爆破の衝撃に耐える掌。苛ついて苛ついて、いつかのように、また俺はあいつの手を突き放したんだ。
 輪から出ると、勝己は「どけ!」と出久の隣の生徒を押しやって、繋いでいた手をもぎ離し、隣におさまった。
「え!なに?かっちゃん?」と躊躇する出久の手を構わずにぎゅっと握る。出久は驚いて目を見開いたが、たどたどしく指を折り、手を繋いでぎこちなく勝己に微笑みかけた。
 出久の作り笑いだ。反射的に勝己の眉根に縦皺が寄った。見るたびに苛立ってしょうがなかった。本当の笑みを向けるようになってきてたのだ。もっと先を渇望してやまなくて、苛立ちでてめえを遠ざけた。
 永劫に交わらない平行線なんて耐えられない。それでも手放すことなんてできない。どうすればよかったんだ。
 掌の温もり。じわりと侵食してくる出久の体温。
 俺のもんだ。
 炎は空気を孕んで巻き上げる。火の粉が夜に吸い込まれ、星になってゆく。

 夜が明けたようだ。
 瞼の裏が赤くなり、明るさを感じる。だが何故か目が開けられない。
「眠ってる君は側に寄っても怒らないね」と囁く聞き慣れた声。ころころと鼓膜を擽る出久の声。
 優しく髪を梳く出久の指。勝手にてめえ、俺に触んな。髪に差し込まれた指が丁寧に髪を撫でる。触れられた頭皮の箇所がさわっと痺れる。すぐ傍に座っている出久の気配。動悸が早くなる。前髪を梳いていた指が額を撫でる。擽ったいけれど気持ちいい。
 ドアが開く音。
「おいデク!」
 自分の声が聞こえた。するっと手が離れてゆく。
「な、何、かっちゃん」と狼狽したような出久の声が応じた。
 出久は梯子を降りて行った。待てよと引き止めたい。今のはなんのつもりだと問い詰めたい。なのに目は開けられず身体は動かない。クソが!
 てめえはいつもそうだ。近づいてきてはそっと触れて、すぐ離れるんだ。てめえが気まぐれに触れるだけで、俺がどう思うのか考えもしねえんだろ。
 自分の弱さを認めたことで、確かに俺は楽になった。てめえとガキの頃みたいに話せるようになった。だから俺は高望みをしちまった。てめえが手に入るんじゃねえかと。だがてめえは俺とお友達ごっこができれば満足なんだ。この先なんてねえんだ。くだらねえ。
 俺は違う。てめえは考えたこともねえだろ。俺がてめえに欲情してるなんてよ。抱きてえって衝動を押さえつけてるなんて、ありえねえんだろ。
 触れたらきっと押さえ切れねえ。今までてめえに対しての衝動を、律したことなんか一度もねえのに、今になって忍耐が必要になるなんて。なのにてめえは知りもしねえで、お気楽に俺に触れやがって。
 目が覚めて飛び起きた。まだ日の出の前の薄暗さだ。
 なんだ今の夢は。ただの夢にしてはやけに生々しかった。髪にまだデクの手の感触が残っているようだ。隣のベッドで出久は静かに寝息を立てている。
 まさか、眠ってる自分の身体に入ったのか?
 話していた内容は昨日の昼間にしていたあいつとの会話だった。昨日の自分の中だったのか。あり得ない。ただ記憶が夢で再現されただけじゃないのか。ならば頭皮に髪に残るあいつの感触はなんだ。
「おはよう、かっちゃん」
 起きた出久は伺うように挨拶してきた。昨日のキャンプファイヤーで手を繋いだからか、心なしか気を許しているようだ。あんだけで弛緩してんじゃねえと、ちょっといらっとする。出久は呑気に布団を畳みはじめた。こいつはどうなんだろう。
「おいデク、変な夢を見なかったか」と聞いてみた。
 出久はきょとんとしている。「昨日の夢は覚えてないよ。かっちゃんがそんなこと聞くなんて、どうしたの?」
「どうもしねえわ。うぜえ」
 こいつは見てねえのか。ならただの夢に過ぎないのだろうか。

 その夜、勝己は出久のベッドの上段に上がり、眠る出久の枕元に座った。穏やかに寝入っている顔を見つめる。出久は風呂に入ってるから暫くは戻って来ない。
 そっと頬に触れる。柔らかくてすべすべした手触り。そばかすを数えるようにつつく。指を滑らせて、唇を形どるように撫でる。
 てめえは夢ですら中途半端なんだよ。たとえ夢の中であったとしても、てめえが俺に触れるなら。俺も触ってやるわ。
 勝己は出久に顔を近づけて、そっと触れるだけのキスをした。柔くて温かい。足りない。全然足りない。顎を掴んで口を開かせ唇を塞ぐ。口内に舌を差し入れて舌先で舐める。歯列を舐めて出久の舌に触れる。アイスクリームを舐めるように、濡れた柔らかさを味わう。離してもう一度、今度はもっと舌を絡ませて深いキスをする。夢中になってキスを繰り返す。唇が離れるたびに濡れた音がする。
 わかってたことだ。触れてしまったら止められないってことは。
 部屋の外で足音が聞こえた。聞き慣れた靴音。出久が戻ってきたのだ。それでももう少しだけ、後一回だけとキスを続ける。浅ましく求めてしまう。
 出久がドアを開けた。ベッドの上段を見上げて首を傾げ、「何してるの?」と問うてくる。勝己は徐ろに頭を上げた。気づかれてはいないようだ。
 勝己は何食わぬ顔で答えた。「何でもねえよ。てめえが息してんのか顔見て確認してただけだ」
「そう、なんだ。ありがとう。かっちゃん」
 ベッドからジャンプして飛び降り、勝己は出久に告げた。「デク、今日から交替だ。俺が身体の面倒みてやるわ。俺のもてめえのも両方な」
「え?かっちゃんが?」
「今までご苦労だったな」
 勝己はにやりと笑った。あ、うん。と出久は何か言いたげにしていたが、何も言わずに目を逸らした。



 かっちゃんは何してたんだろう。僕の身体がある方のベッドで。顔を見てただけだと言っていたけれど。嘘をつく理由はないから、彼が言うならそうなんだろう。でもなんで僕の顔なんか。聞きたいけど、怒られそうで聞けない。
 かっちゃんは僕と入れ替わりに風呂に入りに行ったから、まだ暫くは戻ってこない。戻って来たら聞いてみようか。空の隣のベッドを見ながらうとうとして、出久はいつの間にか眠りについた。
 外が明るい。瞼の中に光が射してくる。朝になったみたいだ。なのに目が開けられない。身体も動かせない。金縛りだろうか。
 側に人の気配を感じる。顔の上に被さる体温。唇に柔らかいものが触れる。誰かの唇だ。触れては離れる温もり。誰かの手が顎を掴んで口を開けさせた。唇を割って入って来たのは人の舌だ。ピタリと唇が合わせられ、口内を柔らかい舌が這う。口腔を余さず探られる。吐息を奪われる。舌を舐め上げられ、戯れるように絡む水音が直接耳に響く。ディープキスされてるのか。どうしよう。逃げられない。焦るのに身体が動かない。誰なんだ。
 甘い匂いが鼻先を掠める。嗅いだことのあるような匂い。
 そんなはずない。気づいてはいけない。頭の中で警鐘が鳴る。
 何してるの、という声が聞こえる。名残惜し気に唇が離れた。覆い被さっていた人物が答える。
 何でもねえよ、息してんのか確認してただけだ。
 かっちゃんの声?今のはかっちゃんなのか?
 驚いて飛び起きた。天窓には星明かり。瞼の裏は明るかったからてっきり朝だと思ったのに、まだ夜だったのか。動悸が速い。心臓が咽喉から飛び出そうだ。なんて夢見てしまったんだ。かっちゃんがそんなことするはずないじゃないか。昨日と同じ会話をしていた。きっと記憶を元にした僕の妄想だ。
 眠ったらまた見てしまうかも知れない。出久はまんじりともせずに夜を過ごし、白々と夜が明けてほっとした。
 勝己を起こさないように、音を立てないようにして部屋を出ると、洗面所に向かった。夢のはずなのに口の中に生々しく蘇る口付けの感触。朝なんだし、歯を磨いてから戻ることにしよう。
 だが、歯磨きを済ませて何度うがいをしても、どうしても夢の中でのキスの感触が消えない。
 唾液の味。口腔の粘膜を探る柔らかさ。脳に直接的聞こえた舌の触れ合う音。
 顔が火照ってしょうがない。振り払うように水飛沫を上げて顔を洗う。顔を上げると鏡の中に勝己の顔が見えた。いつの間にか勝己が背後に立っていたのだ。
「うわ!かっちゃん」
「てめ、飛沫が撥ねんだろが!クソが!」
「ごめん、拭いておくよ」
 出久は首にかけていたタオルで鏡を拭く。ゴシゴシ拭くとかえって鏡面が曇ってしまった。
「なあ、デク」背後で勝己が言う。「昨日変な夢見てねえか?」
 問われてどきりとする。まるで見透かされているような口調。あんな夢見たなんて、君が知るわけないのに。聞かれたって誰にも言えるわけ無い。君に、言えるわけない。
 曇った鏡から目を離さずに「別に夢なんて見てないよ」と答える。
「夢を見てないと思ってる奴でも、本当は見てるらしいぜ。忘れてるだけでよ」
「そ、そうなんだ。詳しいね」動揺してしまって振り返れない。とても今は顔を直視できない。
「ふうん」納得してはいないような訝しげな声だ。「こっち向いて答えろよ、デク」
 耳のすぐ後ろで低く囁かれた。ひゅっと息を呑む。皮膚がざわつく。
「なあ、デク」勝己の手が肩に触れた。
「爆豪、緑谷、ここにいたのか。朝飯の前にちょっと部屋に来てくれ」
 入り口の向こうから呼びかける声。相澤先生だ。身体の硬直が解けてゆく。
「ああ?んだよ」
 勝己が背後から離れて、洗面所を出て行った。安堵して肩の力が抜けた。

「何かわかったんですか」
「まだ原因はわからない。やはり俺達の他にこの付近には誰もいなかった。衛星も監視カメラも確認したし、改竄の後もない。個性を食らったわけでもないようだ。」
 出久の問いかけに、パソコン内のカメラの映像を示して、相澤先生は言った。
 勝己は憤慨した。「結局なんもわかんねえんじゃねえか」
「だが手がかりはなくはない。宿泊施設の関係者に聞いたが、この山では時折不可思議な出来事が起こるらしい」
「どんなことがあったってんだ」
「数年前のことだ。山に登った子供達が合宿所で過ごしている内に、いつの間にか人数が1人増えていたそうだ。だが誰が増えたのかわからない。なにかの手違いなのかと思ってそのまま過ごしたが、数日たって下山する頃には、減って再び元の人数に戻っていたらしい。今度は逆に誰が減ったのかわからなかったそうだ」
「本当かよ。嘘くせえ」
「登山者の中に子供がいるときに、たまにこういった現象が起こるらしい。全く同じではなくても、類似の記録がいくつもあった。原因はわからないが、こういった現象は山にいる間だけで、下山する頃には元に戻っていたそうだ。今まで何事もなく済んでいるので公にしてないらしい」
 出久は問うた。「ほっといていいんですか」
「調査はしたそうだが、個性の発現以後そういった学問は廃れ気味でな、専門家が少ないんで難航しているようだ」
「人に宿る個性でも、超常現象レベルのものもありますもんね」
 轟や八百万の個性も勝己の個性も、個性の時代だからこそ普通に受け入れられているが、物理現象としては相当不可思議といえる。無論、OFAも。
「何かの個性の残滓が残っていたのかも知れないが、どちらかと言うと、やはり現象というべきだろう」相澤先生はふうっと息を吐いて続ける。「しかし、原因と思われる子供はいたらしいな」
 勝己が乗り出した。「やっぱりいんじゃねえか、犯人がよ」
「え、でも個性ではないんですよね」出久は問うた。
「説明しにくいことだがな」相澤先生は続ける。「今までの事件の共通項は、子供達の中にえらく不安定な者がいたということなんだ。精神的にまいってたり鬱屈してたり、逆にハイになってたりな。そんな極端な心の波動が外部に影響を与えることがあるらしい」
「つまり今回も誰か原因になる奴がいるってことか。そうだな?」と勝己。
「ああ、おそらくだが」相澤先生は椅子を回して向き直る。「原因はお前達の方にあるようだな」
「はああ?俺らのせいだって言うのかよ!冗談言えよ」勝己はいきり立った。「そりゃあ憶測でしかねえんだろ」
 相澤先生は静かに語る。「お前らに起こった現象なんだから、原因もお前ら自身と考えるのが自然だろうが。まあ確証はない。ただ、子供の精神力は強いんだよ。お前達の考える以上にな。現実を覆し幻を具現化させてしまうほどに」
「やっぱり分身作るとか、そういう個性の奴がいただけじゃないのかよ」
「残念だが該当するような個性の者はいなかったそうだ」
「新たに個性を得た奴がいたんじゃねえのか」
「個性は4歳までしか発動しない。例外はない。知っているだろう」
 ちらっと勝己を伺って出久は返事をする。「はい、そうですね」
 勝己は鼻を鳴らした。出久の個性が高校になっていきなり発現したと思われていた頃は、随分勝己を悩ませていただろう。
「だから現象としか言いようのないものだ。もう一度聞くが、お前達に合宿所に戻るまでの記憶はあるのか」
「言ったじゃねえか。ねえよ。霧の中で彷徨っていただけだ」勝己が言う。
「その前に何してたか覚えてるか。森の中に入ったことじゃなく、その前までの記憶だ」
 出久が答える。「その前って、ベッドに入って眠って。気が付いたら森の中を歩いていたんです」
「なるほど。前の夜に睡眠した自覚はあるんだな」相澤先生はふっと笑った。「ひょっとして、お前たちは夢の中から来たのかも知れないな」
「はあ?何言ってんだ」勝己は言う。
「仮定だがな、お前たちは今、夢を見ているのかも知れんぞ。この合宿の夢をな。今話してる俺もお前らにとっては夢なんじゃないか」
「先生?そんなこと」
 これが夢だなんて。飯盒炊飯もキャンプファイヤーも夢だなんて。出久はぐらりと足元が揺れたような気がした。
 相澤先生は言う。「ま、冗談だがな」
「やめろよ、笑えねえ!」勝己は怒って言い返す。
「で、夜は眠れるのか?」
「ああ?ちゃんと寝てるわ!」
「どうだ、夢は見るのか」
 一拍おいて勝己は答える。「夢なんざなんも見てねえよ」
「僕も見てないです」出久は嘘をついた。
 その他に眠ってる自分達の身体に何か変わったことはないかと細かく聞かれ、何もないと二人とも答えた。
「変化なしか、様子を見るしかないな。今までのところ他の生徒達には何も起こってないようだ」
 引き続き隔離するかのように、屋根裏部屋で寝ることになったが、意外なことに勝己は大人しく同意した。同室になった当初はあんなに文句を言っていたのに。
 朝食の時間が近くなったので、2人は相澤先生の部屋を退出した。何故か歩調を合わせて勝己は出久の隣を歩いている。見られているようで落ち着かない。
 勝己が口を開いた。「てめえ、夢見てねえのか」
「え?な、ないよ」ちょっと狼狽える。夢は見てるがとても言えない。
「かっちゃんも夢、見てないんだよね」
「聞いてんのは俺だ」
「見てないよ。本当だよ」
 勝己が睨んでいる。見透かされているようで目を合わせられない。君が知るはずもないのに。

 夜が来てしまった。
 勝己のベッドからは寝息が聞こえてくる。もう眠ったようだ。
 出久は溜息をついた。眠りたくない。またあんな夢を見てしまうかも知れない。だがベッドに入るとあっという間に睡魔が押し寄せた。
 瞼の裏はとても明るい。どうやら昼間のようだ。梯子を登ってくる足音。ベッドがミシリと音を立てて軋んだ。顔の上に人の気配。唇に吐息を感じた。
 誰かがキスを落とした。唇の感触は生々しくて夢とは思えない。指一つ動かせない。自分の上にいる人物はキスをしながら布団を剥がした。誰かの掌が身体に触れる。服の上から愛撫する。
 Tシャツの裾から手が潜り込み、腹から胸を摩り、乳首を指先で撫でて摘む。ごつごつした手が動けない自分を弄ぶ。それなのに身動きできない。相手のなすがままだ。この掌をよく知っている。手の持ち主がデク、と囁いた。
 切なげにデク、と名を呼ぶ勝己の声。何度も何度も。こんな優しい声なんて聞いたことがない。肌を探る手つきも優しくて、出久の気持ちは落ち着いてきた。だがそれは短い間だった。
 腹を撫でていた手がハーフパンツの中に潜り込んできた。動転して目を開けようとしたができない。手は暫く布の上から性器を撫でていたが、するりとボクサーパンツの中に入って来た。出久の性器に指が巻きつけられる。指は輪を作るように肉茎を掴んで摩る。扱く手つきは巧みで、次第に血液が集まり膨張してきたのがわかる。衣擦れの音が耳を犯す。強制的に快感を煽られ、嫌だと思っても指一つ動かせない。気持よくて怖い。知らない感覚を呼び覚まされる。やめてと声を出そうとしても果たせない。
 目が覚めた。天窓から笑ってるような形の月が見えた。
 声を上げてしまってやしないだろうか。シャツの中は汗だくだ。股間が膨れている。恐る恐る触れたが、濡れてはいない。夢精してなかったようでほっとする。
 また変な夢を見てしまったのだ。感触が残っていて本当に起きたことのようだ。でもまさか。かっちゃんがそんな、僕に悪戯なんてするわけないじゃないか。万が一そんなことされたとしたら、流石に起きるだろう。
 何度もあんな夢を見るなんて、彼への冒涜だ。ひょっとして僕の願望なのか。違う。彼への気持ちは憧れだ。そんなのあるわけない。
 そろっと起き出してトイレに向かった。用を足そうと前をくつろげ、雁首を摘んだ途端にビクリと手が硬直する。性器を触り弄んできた指の感触。先端を撫でて抉れた部分をくるりとなぞる巧みな手つき。
 まるで本当にあったことのように生々しく蘇ってくる。なんでこんな夢を見るんだ僕は。おかしくなりそうだ。
 この日も勝己はいつもどおり剣呑としていた。食事中もトレーニングの間も変わらない。けれども、時々探るような視線を向けられている気がした。
 夢を思い出してしまって、彼の顔をまともに見られない。僕はどんな顔をしているんだろう。


6


 夕食が終わり、勝己の後に風呂を済ませて、出久は部屋に向かった。
 明日で合宿は終わる。前例通りというなら、原因不明のこの事象も終わるのだろうか。 変な夢も、見なくなるだろうか。先生は様子を見ると言ってたけど、もし何も変わらなかったらどうなるんだろう。考えに耽りながら部屋のドアを開けた。
「遅かったじゃねえか、デク」
 低い勝己の声。暗い部屋の中、勝己が窓枠に座っている。月明かりに髪が金の焔のように揺らめいている。瞳の赤が光を反射して、まるで猛禽類のようだ。捕食されると錯覚したかのように体が震え、ざわっと総毛だつ。
「待ってたぜ、デク」
「かっちゃん?電気つけないの?部屋暗いよ」
 恐れを堪えて明かりのスイッチを入れようと壁を探すと「つけんな!」と勝己は吠えた。びくっと手が止まる。
「デクてめえ、昨日はどんな夢を見たんだ?」
「何も、夢なんて何も見てないよ」
「見てんだろ?しかも誰にも言えないようなやつをよ」
 心臓が跳ねる。まるで夢の内容を知っているような口調だ。君が知るわけない。あんな淫夢のような夢。
「そういうかっちゃんはどうなんだよ」逆に問うた。
「俺は見てるぜ。毎日な。どんな夢か聞きてえか?」
 デクはゴクリと唾を飲んだ。聞いてはいけない気がして、首を横に振る。勝己がくくっと笑った。
「そこで眠ってる俺らはどんな夢を見てるんだろうな。デク」
「え?考えたこともないよ」突然話題を変えられて戸惑う。
「合宿の夢を見てるのかもな。今この時、てめえが入って来て、俺がこの窓枠に座ってる、この瞬間を夢に見てるのかもな。そう思わねえか」
「それじゃまるで、僕らが彼らの見ている夢みたいだね」
「ああ、かも知れねえぜ」
「相澤先生の言ってたのは冗談だよ、かっちゃん、ねえ、電気付けようよ」
「冗談、じゃねえんだよ」
 出久がスイッチに手を伸ばした途端、手元に爆発の火花が飛んできた。
「付けんなっつってんだろーが!」
「あぶないよ、かっちゃん。スイッチに当たったら壊れちゃうよ」
「てめえが余計な事しなきゃやんねえよ」
 仕方なく照明をつけずにドアを閉めた。月明かりだけが部屋を青白く照らしている。
 勝己が言った。「なあ、デク、俺はこの部屋に来た初日から、眠るとあの身体にオーバーラップしてたんだぜ。知ってたか?」
 頭が真っ白になった。まさか、眠っていると思っていた身体に、勝己の意識があったのか。自分がしていたことを、勝己は知ってるのか?
「嘘だろ?かっちゃん」
「やっぱり知らなかったんだな。だろうよ。てめえが寝てる俺に呼びかけてんのも、俺の髪梳いてんのも知ってるぜ。デク。俺がてめえを部屋に呼びに来た声まで聴いてる。間違いなく俺はその身体ん中にいたんだ」
 かあっと顔が熱くなった。薄暗がりで良かった。きっと顔に出てしまっている。
 でも、冷静になれ。勝己はカマをかけてるだけかも知れないのだ。肯定してはいけない。
「そういう、夢だっただけじゃないのかな?」出久は平静を装った。
「それを確かめようと、てめえと交代したんだ。眠ってる身体ん中に、てめえがいんのか呼びかけた。俺の声聞こえてたんじゃねえか?」
 聞こえてた。デクと呼ぶ声。でも、それだけじゃない。とても言えない。
「ああ、呼んだだけじゃねえわ。確かめようとてめえに触れちまってな。歯止めがかからなくなった。俺が何したか、てめえ、知ってるよな?」
「かっちゃん、まさか」
「キスの味はどうだった?デク」勝己が言った。「寝てても勃つんだな。気持ち良かったか?」
 身体の中で僕が覚醒しているのを知ってたのに、かっちゃんは僕の肌に触れて、僕のあれに触ってたのか。頭に上った熱で目眩がしそうだ。
「てめえは顔に出るよなあ。デク」勝己はさもおかしそうに笑う。「てめえは俺より先にはオーバーラップしてなかった。てめえがそうなったのは、俺と交替してからだろう。眠るてめえにキスしてから、態度がガラッと変わったからな。てめえは眠る身体には意識がねえと思ってたわけだよな。だから俺に触ったんだろ」
 出久は震える声で言った。「ごめん、知っていたら、触れたりしなかった。君は怒るってわかってたから、でも僕は」
「てめえの言い訳なんざどうでもいいんだよ。俺がなんでてめえに触れたのか、気になんねえのか。聞かねえのか?聞けよ!デク」
 触るなって言ってたのに僕が君に触ったから、仕返しされてたんじゃないだろうか。僕を辱めて。面と向かうとそうとしか思えない。何故こんな手段を。
「なんでこんな悪戯、したんだ?」
「悪戯か!は!てめえはすぐにてめえ勝手に解釈しやがる。クソが!まあいい、どうせこれからじっくり教えてやんだからよ。俺は謝らねえぜ。てめえは俺に触れたかったんだろ。俺も触れたかったんだ。なら同罪じゃねえか。罪とは思わねえ」
「かっちゃん」お互い様だから水に流そう、てことだろうか。
「この現象ってやつの仕組みの話だけどな」勝己は首を傾ける。「この身体が眠った時だけ、元の身体に戻ってるんだろうな」
「あっちの身体が本物だって認めるんだね、かっちゃん。じゃあ、僕らは」
「相澤先生の言った通り、俺らは元の身体の見ている夢なんだろうよ。夢が形を成して浮遊してるんだ。意識が身体に戻りつつある今、ほどなくこの身体の方は消えんだろ。多分、明日には。そういう気がすんだよ」
「じゃあ、あっちの身体で目覚めるんだ」こっちは消える。恥ずかしい思いごと、この身体は消えてしまえるのか。そうして、自分たちは元の身体に戻れるのか。
「いや、どっちの身体が消えちまうのかはわかんねえか。どちらが残るにしろ一つに戻るんだろ。だが、意識が眠る身体の方に戻ったら、この身体で経験したことは忘れちまうのかも知れねえ」
「元に戻るんだよ。かっちゃん」それでいいんじゃないか、と思う。
「ああ、だけど忘れちゃいけねえことがあんだろうが、デク」
 勝己の瞳がすうっと細められる。「俺がてめえにしてたことはてめえにバレた。てめえが眠る俺に何してたのか、俺は知った。てめえの本心が知りたくて随分回り道しちまった。やっとてめえの気持ちがわかったってのによ」
 勝己は窓枠から降りてゆらりと立ち上がった。「なのに、もし消えるってんなら、忘れちまうかも知れねえんなら、元の木阿弥だ。せめてその前にてめえを手に入れる」
 薄暗がりの中で、勝己の赤い瞳だけが爛々と野生動物のように光った。捕食される、と頭の中に警鐘が鳴り響く。でも金縛りにかかったように手足が動かない。勝己は壁際に出久を追い詰めた。
「待って!仮定だろ、かっちゃん」
「なあ、デクてめえも俺に触ってたろ。こうやって髪に触ってたよな」
 勝己は出久の手を掴んで髪に触らせる。指先にさらさらと触れる髪。眠っていた勝己の髪と同じ手触り。
「てめえは顔にこう、触ってたよな」勝己はさらに頬に掌を当てさせる。
「ごめん。かっちゃん」
「ああ?何をあやまってんだ。俺もてめえに触ってんだ」少し苛立ちが勝己の声に滲んだ。ごくっと勝己の喉仏が上下する。「デク、触んぞ」
 Tシャツが捲られ、出久の肌を勝己の掌が滑る。指先が乳首に触れて円を描くようになぞる。出久の反応を引き出すように丁寧に愛撫する。
 あ、と声を出してしまった。足の力が抜けてしまい、壁にもたれかかったまま、ずるずると崩折れて床に腰をつける。勝己もしゃがんで膝をつき、五指で胸筋の間をなぞる。指は腹筋に降りて文字を描くように触れる。夢で感じたのと同じ性的な指の感触だ。吐息が震える。
「寝てるてめえに触るよりずっといいな。反応があるからよ」
 くっと笑うと、勝己の手は出久の下腹部を撫でてハーフパンツの中に入った。夢と同じように、下着の上から出久のものを撫でる。
 震える声で出久は「かっちゃん」と呼んだ。
「なんだ、デク」と囁きながら勝己が唇を重ねる。貪るようなキスをする。ねっとりと口内を味わって、唇が離される。
「甘えな。夕飯のデザートか、歯磨いたんかよ」勝己は揶揄うように言った。
「磨いたよ」
「ああ、じゃあ、これはてめえの味か」
 にっと笑い、勝己は再び唇を奪うと、キスをしながら床に組み伏せた。出久のTシャツを剥ぎ取り、勝己も脱いで肌を重ねる。均整のとれた筋肉質な身体の重み。勝己の唇が顎を辿り、首元まで降りてゆく。肌に唇を滑らせ、吸い上げる。さっき捏ねられて、膨れた乳首を舐めあげる。唇と舌で肌に与えられる、感じたことのない感覚。
「こんなの、間違ってるよ」震えが止まらない。「夢に踊らされてるんだ」
「それがどうした。逃げんな」
「かっちゃんだって、わかってるだろ」
 出久は身体をずらして重みから逃れようとした。だが、勝己は緩慢に逃げをうつ身体を返して俯せにし、腰を持ち上げる。。
「今更逃げんな、デク」勝己は言い、出久のハーフパンツを脱がすと、尻を剥き出しにして、背中に覆い被さった。前に回された勝己の手がペニスに触れる。
「わ、かっちゃん、やだ」
 急所を掴まれた。身体から力が抜ける。
「はは!動けねえだろ。心配すんな。気持よくさせてやるわ」
 勝己のゴツゴツした掌が出久の肉茎に絡みついた。巧みに動き、雁首の下に指を巻きつけて揉んでは扱く。夢と同じやり方だ。
「ん、や、やめようよ、かっちゃん」声が上擦ってしまう。
「はっ!途中でやめていいのかよ。んな声で言われても説得力ねえわ。いいんだろ、デク、なあ」
 快感に抗えない。あっという間に勃ってしまい、勝己の手の中に射精してしまった。勝己は腰を引き寄せて双臀を掴んで開いた。誰にも見られたことの無い場所。中心が彼の前に晒される。何をされるんだろう、とぼんやりと考える。柔らかい感触が掠め、窄まりを触れては濡らした。はたと舌の感触だと気付いた。勝己は舐めている。あまりのことに出久は動転した。
「かっちゃん、何してんだよ!」
「石鹸の香りすんな」
 そう言って勝己は唾液を塗りつけて、中に塗り込めるようにして指と舌で解す。
「やだ、舐めるなんて、やだよ、おかしいよ」
 中心を這う暖かい舌。恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。「お願いだよ、変だよ」
 出久の懇願を聞かないふりをして勝己は行為を続けた。後孔を降りて肉袋を咥えて舐め上げる。痺れるような感覚が這い上がってくる。丹念に舐めほぐしてやっと離してくれた。頭がぼうっとする。
「デク、ほっとしてんじゃねえぞ。入れるぜ」
 勝己は俯せのままで出久の脚を開き、窄まりに性器を押し付けた。丸みを帯びた熱い肉の感触。惚けていた頭が醒める。
「ちょ、かっちゃん待ってよ!嘘だろ、無理だって」
「クソが、待てるかよ!入れてから待ってやる」
「それじゃ遅いだろ!」
 勝己は本気だ。出久はもがいた。勝己の唇が首に触れる。舌が頸を舐めて軽く噛み付く。驚いて首を動かすと、歯型が付きそうなほどぐっと歯が食い込んだ。
「痛い!ひどいよ」
 首に噛み付いて抑え込むなんて、猫の交尾のようじゃないか。出久は首を捻って振り向いた。途端に力強い手が頭を掴んだ。
 勝己が顔を近づけてくる。
 月明かりに青白く照らし出された端正な輪郭。美しい金の獣だ。一瞬、この獣になら食われてもいいと思ってしまうほどに。
「デク、てめえから始めたんだ。眠ってる俺にてめえが触れた時からな」
 深く口付けをすると、勝己は腰を押し付けた。太腿をがっしりと掴まれて足を閉じられない。
 熱の塊が敏感な部分をじらすようにつついて擦り、窄まりを探り当てた。とたんに熱は硬い肉棒となり内部に押し入ってきた。
「い、た!あ、かっちゃん」
 雁首を沈められ、引き抜かれ、また入れられる。先端使って入り口を広げるつもりなんだろうか。何度も太い部分だけを入れられるのが辛い。挿入されるたびに息が詰まり、ん、んとこらえきれない声が漏れる。
「もっと奥に入れて欲しいんか、ならそう言えや、デク」
 窄まりを攻められるより、いっそその方が楽になれるだろうか。でも言えるわけない。
「そうか、楽にしてやるよ」
 出久の思考を読んだように、勝己が腰を打ち付けた。勃起がぐっと深く入ってきた。
「あ、うあ、かっちゃん」
 楽になれるなんて、なんで思ったんだろう。痛くて苦しくて堪らない。狭い内壁が擦られて腹中を熱い生肉に押し上げられる。
 自分の意思とは関係なく、内部がうねるように動いて勝己のペニスを締めつけている。雁首、肉茎、彼の男根の形を知覚する。突かれるたびに喘いでしまう。
「やらしい声、煽んなよ、デク」
「な、だって、かっちゃんが」
 勝己は覆い被さると、二の腕を押さえつけて強く腰を揺する。串刺しにする勢いで深く貫く。肌が打ち付けられ音を立てる。
「はぅ、あ!」出久は悲鳴をあげた。
「で、何だ。言ってみろ」
 息も絶え絶えでとても言葉が継げない。言わせないようにしてるとしか思えない。
「待ってやってんだろお。言えや。喋れねえんかよ」
 勝己はスピードを緩めた。腰を少し引いては挿れる動きで中を丹念に擦る、小刻みに前後に揺さぶる。擦られたところから焼きつくされてしまいそうだ。内部から侵されてゆく。
「は、あ、かっちゃん」
 自分の声に甘さが混じる。勝己の動きが変わった。深く挿入して止めては掻き回すような緩やかな動き。中を慣らしているようだ。
「は、は、いいのかよ。デク。俺ので感じてんのかよ」
「違う、や、あ」
「認めろよ。俺ので感じてんだろ。てめえん中、すっげえいいわ」
「何言ってんだ、ああ、やめ、」
 勝己は陰茎の先端だけ中に残し、ギリギリまで引き抜いて突き入れた。勢いよく腰を振って激しく律動する。陰嚢が窄まりの下に打ち付けられ、男根は出久の体内を激しく抉り、揺さぶる。 確かな身体の感触。内部を焦がす融けそうな熱。自分の意思とは関係なく彼を求めて絡みつく粘膜。
「は、はあ、出すぜ、デク」
「あ、や、何を」
 射精するってこと?と思い当たった瞬間、登りつめた勝己は唸り声を上げて、中で逹した。熱い飛沫が体内に注がれる。
「は、あ、かっちゃん」首を起こし、出久は背後を振り向いた。
 勝己は引き抜いたペニスの先を押して白濁を出し切り、出久の窄まりに擦りつけている。
「ふは、は、てめえを抱いたぜ。デク」勝己は嬉しそうに笑う。「やっとだ。はっ!やっとだ!あんなに身の内を荒れ狂っていた嵐が、嘘みてえに凪いでゆくわ」
 勝己はどさりと出久の上に身体を重ねた。背中に触れてる勝己の逞しい上半身。肩口に伏せた顔。呼吸が荒い。高地トレーニングでは息切れひとつしてなかった勝己なのに。自分も息が上がってるのだけれど。
「でもまだ全然足りねえ。てめえまだいけんだろ」
「え、む、無理だよ」
 有無を言わさず、ぐったりした身体が抱き起こされ、引き摺られる。よたよたした足取りで2人はベッドにもつれ込んだ。
「は、はあ!」
 勝己に貫かれて出久は喘ぐ。足首を掴まれ、脚を大きく開かされ、正常位で貫かれて激しく揺さぶられる。見下ろす勝己の顎から汗が滴り落ちる。
 勝己の腕が背に回り、出久を抱きしめる。汗ばんだ互いの肌が滑る。まるで水の中のにいるかのようだ。二人して溺れてるみたいだ。ベッドに移動してからどれだけ経ったのだろう。
 下肢を絡ませ合う。唇を啄んでは深く合わせるキスをする。息継ぎをするようにキスを交わす。口付けは互いを生かすための人工呼吸であるかのようだ。
 何度も体の中に射精されて激しく抱かれて、感覚が麻痺していくみたいだ。痛いはずなのに気持ちよく感じるなんて。感覚のどこか壊れちゃったのかな。
 抱き合うことが、まるで約束されていたことのように錯覚する。身体の中を擦る君の屹立に、知らなかった快感を引きずり出される。君を受け入れる部分が自分の中にあるなんて知らなかった。
 体内を行き来する熱く硬いペニスの感触。勝己の一部が出久を貫き、存在を主張する。はっはっと勝己の息は荒く、突き上げては腰を引き、また突き上げる。
 天窓の向こうに、蝶が二匹飛んでいるのが見えた。蒼い月明かりが、ひらひらと舞うシルエットを映し出す。蝶達は窓枠に舞い降りてきて羽を休める。寄り添いながら羽搏く。出久は覆い被さる勝己の肩にそっと触れては離し、また触れる。
「おい」勝己は言う。「デク、じれってえな。腕を俺の首に回しゃあいいだろ」
「でも、触るなって、いつも君は怒るじゃないか」
「クソが!てめえはほんっとクソナードだな。抱きつかねえと怒んぞ」
 そろりと勝己の首元に腕を回す。勝己がにやっと笑い、肩口に顔を伏せて耳朶を甘噛みする。
 奥まで貫かれる身体。デク、と吐息混じりに呼ぶ勝己の声。応えるように喘ぎ声を上げる。上擦った声は、とても自分のものとは思えない。達したのか、ぐっと深く突き入れると勝己は低い声で唸った。


7


 霧に包まれた山頂で、虹の中に見えた2つの影。
 並んで仲良く見えた2人の姿。
 あれが僕らであったなら。あの時僕はそう思ったのだ。
 隣で一緒に見上げていた君も、そう思っていたのだろうか。


 瞼の裏に光が射した。天窓からの光。朝の光。出久は目を覚ました。
 昨日よりも天井が近い。二段ベッドの上段だからだ。ということは眠っていたほうの身体だ。元の身体に戻ったということなのか。
 身体を起こした。ずっと寝ていたから身体の節々が凝ってる。だが身体の内部に残るこの痛みはなんだろう。彼との性交による痛みなのだろうか。この身体ではないはずなのに。いや、あれはひょっとしてこの身体だったのか?
「おいデク」
 反対側のベッドで勝己が立膝をついて出久を見つめている。
「かっちゃん」
 君も目覚めたんだな。射るような強い視線。下段のベッドに勝己の身体はない。ならば自分の身体も下段にないのだろう。
 勝己は跳躍してデクのベッドに飛び移った。反動でぎしっと軋む。
「てめえ、やっと起きやがったか。遅えわ」
 勝己は出久の手を取って自分の頬に当てる。温かい肌。君の体温。
 出久は口を開いた。「僕達は偽物なのかな。本物なのかな」
 勝己は出久の頬に手を伸ばし、さらさらと撫でる。指が顎を辿り首筋に下りて、まるで確かめるように触れてゆく。出久は擽ったくなり、ふふっと笑う。
 勝己は鼻先に顔を近づけた。赤い虹彩が灯火のようだ。
「デク、んなこたあ、どっちでもいいわ」
 勝己は囁いた。その言葉を呑ませるかのように、触れた唇をそっと重ねた。

END

 

胡蝶の夢
 荘子の故事から
 自他の区別がつかない境地。
 目的意識に縛られない自由な境地。
 または現実と夢の区別がつかないことのたとえ。
 人生のはかなさのたとえ。
 もしくは物の形は変化しても本質は変わらないということ。

胡蝶の通い路・前篇(共通版)

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前編

序章

 破裂音と閃光。
 掌を発火させた勝己の身体が宙に浮き、出久の眼の前を跳んでいく。
 爆音が木々を縫って遠く木霊する。
「待ってよ、かっちゃん」
 出久は息を切らせて勝己に続いて跳躍した。
 山道を登るほどに急斜面になる。駆けるより跳ぶ方が早いけれど、着地の足場を間違えるとよろけそうになるのて注意が必要だ。
 日本とは違う形の鬱蒼とした木々が生い茂る。この山は富士山より遥かに標高が高いのだ。森を抜けてからやけに息切れする。空気が薄くなってきたのではないだろうか。
 道がなくなり、足元はごろごろと岩が転がる地面になってきた。後ろを振り返るが誰の姿も見えないし、声も聞こえない。後続のクラスメイト達をかなり引き離してしまったようだ。
「待ってよ、かっちゃん、みんな僕らに追いついて来てないよ」
「へっ!知ったことかよ。そう言うてめえも離れちまってんだろうが!」
「だって、このまま班からはぐれちゃったらまずいよ」
「はあ?馬鹿かてめえは!目的地は山頂だろうが。一本道だ。はぐれようがねえわ」
 怒鳴る勝己の声には全く疲れた様子はない。
 出久はその背中に懸命に呼びかける。「かっちゃん、皆を待とうよ。競争じゃないんだから」
「るせえ!てめえにだけは負けねえ!」
 勝己は一層スピードを上げた。自分が追いかけているのがいけないのだろうか。でも、これでも一応班長なのだ。彼を1人にはできない。
 空気が湿って靄が立ち込めて来た。爆破の煙と混じって視界が阻まれる。
 息を切らせて白煙に溶けてしまいそうな勝己の閃光を追う。
 轟音が止んだ。
 勝己が立ち止まったらしい。山頂に到着したのだろう。
 霧の向こうに勝己の姿が見えた。追い付いて勝己の側に歩み寄る。
 空気が薄いせいか急いだせいか。胸が苦しくて、ひゅうひゅうと肩で息をする。眼下を見下ろしても、霧がかかっていて景色が見渡せない。
 隣の勝己を見ると全く息が上がっていないようだ。信じられない。なんて体力なんだろう。
 勝己は出久に気づいているのかいないのか、目を見開いて虚空を見つめている。
「かっちゃん?」
 出久は彼の視線の先を追い、息を呑んだ。
 あれはなんだ。
 ぞくりとして、思わず勝己の腕を縋り付くように掴んでいた。
 虚空に大きな巨人の影が2つ、揺らめいていた。



 海外で行われる山岳合宿まで2週間を切っていた。
 合宿内容は高地訓練やレクリエーションで、10日間の日程だ。クラスごとに分かれて別の宿舎に宿泊する。パスポートを用意したりスーツケースなど旅行用品を揃えたり、生徒たちは買い物や準備に忙しい。出久も含めて、長期宿泊の海外旅行自体が珍しい生徒も多い。
「学校の授業で海外に行けるなんて思わなかったね」「必需品以外にも色々要るよね。遊ぶものとか、何持って行こうか」「みんな、訓練だぞ。遊びじゃないんだ」「何言ってんだよ。固いこと言うなよな」
 出発が近くなるほどに、皆浮き足立ってきた。
「楽しみだね!デク君」
「うん!皆で海外行けるなんて思わなかったよ」
 うきうきと話しかけてくる麗日に、出久も嬉しくなって答える。
「今日のHRでは部屋割りを兼ねた班分けがあるぞ」飯田はそわそわ落ち着かない様子だ。「くじで決めるのか、自由に決めていいのかわからないが」
 いつも以上に手を振って、ちょっと挙動不審な飯田が微笑ましい。
「飯田君と麗日さんと同じ班になれるといいね」
 二人と一緒ならきっともっと楽しいに違いない。クラスの誰とでも楽しいだろうけど。 誰とでも、と考えてきゅっと胸が痛む。
 HRの時間になった。教室に入って来た相澤先生は檀上に立つと、手に持った紙束を示した。
「山岳合宿の日程表を配るぞ。荷物はそれを見て確認するように。コスチュームは別便で運ぶが、身の回りのものは自分で管理しろよ」それから、と相澤先生は別紙を取り出し、「班分けはこっちで決めておいたからな」と告げた。
「えー?」とざわめく生徒たちに「遊びじゃねえぞ、お前ら、異論は認めん」とピシャリと言うと、相澤先生は早速黒板に班分けの名前を書き付けていく。
「嘘だろ」
 黒板を見て、出久はつい口に出してしまった。慌てて前の席の幼馴染の背中を伺う。かっちゃんに聞こえちゃったかな。聞こえてなければいいけど。特に反応はないのでほっとする。
 出久と勝己は同じ班に振り分けられていた。5人で1組の4班構成。出久の班は自分と勝己と轟と切島と上鳴。麗日、飯田とは別の班だ。
「じゃあ、お前ら班に分かれてプリントに従って係を決めろ。俺は寝る」
 そう言うと、相澤先生は後は任せたとばかりに寝袋に潜ってしまった。
 皆はごとごとと机を動かし班に分かれた。出久は向かい側に座った勝己にちらりと目をやる。眼光鋭い紅い瞳と視線がぶつかり、慌てて目を伏せる。
 勝己とは暫く話してない。彼は最近ずっとぴりぴりしているのだ。出久に対してだけ。
 出久の顔を見ると眉根をぎゅっと寄せて顔を顰める。近寄ると鋭い目で威嚇され、話かけようとすると怒鳴られる。まるで入学間もない頃のようだ。何故だかわからない。
 何か僕が君の気に入らないことをしたのかな。だんだん普通に話せるようになってきて、嬉しかったのに。君もそうなんだと思ってたのに。勝己のことを考えると胸がちくんと痛くなる。怒らせるようなことをした心当たりはない。そのうち治まるかと期待しているけど、今日もやはり機嫌が悪いようだ。
「リーダーは誰がやるよ?」と上鳴。
「緑谷はどうだ?お前割としっかりしてるしよ」と切島。
 出久はびっくりして首を振った。「えええええ!僕なんかダメだよ」
「いいんじゃねえか。この班に他にリーダーに向いてる奴はいねえよ」轟も2人に追従する。
「そんな、切島くんがいいと思うよ、頼りになるし」
 上鳴もそうだが、勝己に物怖じせず話しかけられる人がいいのではないだろうか。つい勝己を基準に考えてしまう。
「いや、俺向いてねえよ。俺さあ、結構流されやすいんだぜ。まとめらんねえって」
「だよなー、このメンバーだよ?飯田とか八百万とか、リーダーやってくれそうな奴は皆他の班いっちゃったしよ。頼む!緑谷。お前しかいないんだ」冗談めかして上鳴が片手で拝む。
「そんなあ」
 そっと視線を送るが、勝己はまるで興味なさ気にそっぽを向いている。
「爆豪は異論あるか?」轟が問いかけた。
「うるせえわ!勝手にしろや」
「賛成ってことだな」
「うぜえ!」勝己は苦虫を噛み潰したような顔で轟を睨みつけた。
 あれ、勝手にしろって。決定しちゃった?
「もちろんフォローはするからよ。な、緑谷頼むわ」切島はポンポン、と出久の肩を叩く。
 キャンプファイヤー、登山などのイベントごとの係も決まった。各班もそれぞれすべて決まったところで相澤先生を起こし、机を元に戻して解散になった。
 予鈴が鳴り、すぐさま勝己は教室を出て行った。出久は慌ててその跡を追った。同じ班になったのだ。こんなギクシャクした関係のままじゃいけない。なんとかしなければ。
「かっちゃん、話があるんだ、待ってよ」
 呼びかけるが、勝己の返事はない。聞いてないフリをしてどんどん歩いて行ってしまう。
「かっちゃん、お願いだよ、聞いてよ。同じ班になったんだよ。僕らが揉めてたら皆に迷惑がかかるよ」
「知ったことかよ!話しかけんな、クソが」
 返事はしてくれたものの、案の定取りつく島もない。こんな風に怒鳴られたら、以前なら萎縮してしまっただろう。でも今は彼の理不尽な物言いに対して、多少は言い返せる。君との関係は回復したはずだろ。誤解は解けたはずじゃないか。
「かっちゃんどうしたの。何怒ってるんだよ。僕何かした?」
「話かけんなつったろーが!」
 振り返った勝己の形相は明らかな怒りを帯びている。出久は怯んで反射的に後退った。勝己の腕がぐんっと伸びてきた。肩を掴まれ、廊下の壁にどすんと背を打ち付けられる。
「いた!か、かっちゃん?」
「皆の迷惑?てめえの心配はそんなことかよ。んなもん関係ねえわ」
 苛立ちを滲ませた勝己の声音。
「皆、じゃない」取り繕った言い方は彼には通じない。「僕が辛いんだ。君が怒ってると」
「はっは!てめえかどう感じてようが知ったことかよ」
「かっちゃんが何で苛ついてるのかわからないよ」そう言って出久は俯いた。「教えてよ」
 肩に彼の指が食い込んでくる。骨を砕かれそうなほど強く掴まれる。痛い。勝己は押し黙り、暫くして低い声で答えた。
「てめえは危機感がねえんだよ。俺がもうてめえに何もしねえと思ってんだろ」
「だって、しないよね、君とはもう」
「わかんねえぜ。俺が何を考えているか、てめえは知らねえだろ」
「それは君が教えてくれないからだろ」
「教えろってのかよ。てめえ、舐めてんのか!ああ?デク」
「どうしてそうなるんだよ。舐めてるなんて、違うって言ったよ僕は。君に憧れてたんだって」
「憧れ、憧れ。てめえはいつもそうだよな。はっ!くだらねえ」
 ぐっと肩を掴んでから離すと、勝己は舌打ちして行ってしまった。出久は解放された肩を擦る。
 勝己の考えてることがわからない。ほんの少し前まで、穏やかに話せていたのだ。もちろん比較的、ではあるけど。以前のようなギスギスした空気ではなくなったのだ。
 互いの心の内をぶちまけたことで蟠りが消えて、彼に近づけたと思った。そのうち子供の頃のようないい関係に戻れるじゃないかと、期待してしまった。期待してしまったからから余計に辛いのだろうか。こんな気持ちで合宿を迎えなければいけないなんて。
 勝己の指に捕まれた肩がじんじんと痺れていた。



 霧の中だ。右も左もミルク色の濃霧に包まれている。
 どのくらい彷徨っているのだろう。沼地が近いのか、水音が聞こえる。足元が泥濘む。合宿所の近くに沼はないはずだ。踵を返して反対側に向かって歩くことにする。視界はより濃い白に包まれ視界が遮られる。
 櫟なのか杉なのか、木の枝が肩にパサリと触れた。ぶつからないように手を周囲に伸ばして、ざらりとした幹を触りながら歩く。足元が乾いた地面になってきた。石や木の根でゴツゴツとしている。
 進む先に、虹のような光の輪が浮かんでいる。森の出口はあの方向だろうか。ふわりと誰かの影が輪の中を横切ったような気がした。
 木々の迷い路の向こうに、やっと合宿所が姿を現した。

 出久が合宿所に辿り着くと、玄関に誰かが立っているのが見えた。相澤先生だ。
「緑谷、なのか?」
 深刻そうな表情だ。心配をかけたに違いない。来い、と部屋に来るように指示される。
 相澤先生の後に続いて廊下を歩きながら「すいません。道に迷ってしまったみたいです」と出久は言った。
「そのことだがな、緑谷」相澤先生が立ち止まって問う。「お前、いつから迷っていたのか覚えてるか?」
「え、えーとよくは。気がついたら霧の中でした」
 むむ、と唸って相澤先生は腕を組んだ。何か問題があったのだろうか。出久は不安になってきた。
「あの、僕なんかしたんでしょうか」
 ガシガシと頭を掻くと、「あのな」と相澤先生は徐ろに口を開いた。
「緑谷、今日からお前は爆豪と2人だけで同室になれ」
「ええ?かっちゃんとですか?なんで?」
 吃驚して聞き返した。現在は班ごとに分かれて大部屋を使っている。出久と勝己は5つ並べられたベッドの端と端だ。
「屋根裏に4人部屋がある。そこを使え。今連れて行ってやる。後で荷物を持って来い」 動揺する出久に、来ればわかると相澤先生は話を終わらせた。
 相澤先生の部屋に入ると、誰かががソファに座っているのが目に入った。
「かっちゃん?」
 勝己は入ってきた出久を見て顔をしかめた。鼻を鳴らして目を逸らす。
「こいつと同室ってなんでなんだよ。訳を教えろよ」
 既に話は聞いていたらしい。ふてぶてしく問う勝己に、「お前も来い」と相澤は人差し指でくいっと手招きする。
 勝己は億劫そうに立ち上がり、ドアの側でどけとばかりに出久に肩をぶつけた。不服なのはお互い様じゃないか、と思うが言い返せない。出久は勝己の後ろを少し離れて歩いた。
 宿泊に使ってない屋根裏の部屋。掃除はされていて、部屋の左右の端に二段ベッドが設置してある4人部屋だ。ドアの正面には大きな窓がある。流石に大部屋より狭いが天井は高くて意外と広く感じる。三角屋根なので、壁の途中から中心に向かってスロープになっている、天井の真ん中あたりに四角い天窓があって青空が覗いてる。
 勝己が訊いた。「で、理由はなんだよ」
「これを見りゃわかる」と相澤は2段ベッドを示した。
「ああ?何もねえじゃねえか」
「下段じゃない。上段を見ろ」
 相澤先生に従い、出久は左、勝己は右のベッドの梯子を上った。盛り上がった布団。誰かが寝てる?
「ええ!これは、僕?」
 布団の上に横たわるのは自分とそっくりな人物だった。
 向かい側のベッドで勝己が「ああ?んだよこれはよ!なんのドッキリだ」と怒鳴る。
「見ての通り、お前らにそっくりな人体だ」相澤が言った。
「これ、偽物ですか?」
 恐る恐る頬に触れてみる。ふにゅっと弾力のある皮膚の感触。体温はあるし、顔に手をかざすと呼吸してるのがわかる。
 相澤は頭を掻きながら「とりあえず今朝のことを話そう」と言った。
 朝食の前、班の者たちが相澤先生の部屋に、出久と勝己がいくら起こしても起きないと狼狽えながら報告に来た。彼らは先に朝食に行かせて確認に行くと、彼らの言う通り2人とも泥のように眠っていた。いくら呼んでも、揺すっても叩いても起きなかった。
「こりゃあ流石におかしい、とふと窓を見たら、丁度爆豪が森の中から現れるのが見えてな。生徒達に見つからないよう、とりあえず俺の部屋に連れてきたんだ。理由はわからんが、ひょっとしたら緑谷も現れるんじゃないかと思ってな。騒ぎにならないようお前らの身体をここに移送したところで、予想通り緑谷も現れたというわけだ」
「どういうことなんでしょう」梯子を降りて、出久は相澤に問うた。
「2人ともは昨夜はちゃんと就寝してる。間違いない。どちらかが偽者とすれば、森の中から現れるまでの記憶が曖昧な分、お前らの方が偽物の確率が高いかもな」
「はああ?何言ってんだあんた!偽者なわけねえだろ。それとも俺は生霊だってのかよ。全然、身体に触れんじゃねえか」
 勝己はいきなり出久の腕を掴んで振った。え?とびっくりしていると、勝己は自分の行動に気づいて舌打ちし、ぶんっと乱暴に腕を離す。ぷっと相澤先生が吹き出した。
「仲良いな、お前ら」
「どこがだ!あんたの目は節穴かよ!」
「噛み付くな爆豪。俺も何が起こったのかわからないんだ。生霊なのかドッベルゲンガーなのか。初めは何らかの個性にかけられたのかと思ったんだが」
「まさかヴィラン連合、ですか?」
 以前に合宿所を襲撃された時に、分身を作る個性を持った奴がいた。彼らがまたやって来たのだろうか。背筋が寒くなる。
「いや、ここにヴィランがいないのは確認済みだ。以前のようなヴィラン連合の乱入を避けるための海外合宿なんだからな。念入りに調査したし、監視体制も整っている。1か所に固まると狙われた時に危険だから、A組とB組で宿泊施設を分散させて、連絡を密にすることにしたしな。だから安心してたんだが、かえって油断してたかもな」 
 相澤先生は2人に向き直った。「前日に何かあったか思い出してくれ。手がかりになるかも知れん」
 変わったことと言えばと、緑谷は昨日の訓練のことを話した。山頂に2人が前後して一番乗りした時、虹に囲まれた2つの大きな影を見たこと。皆が来た時にはもう薄れて消えてしまったこと。それはブロッケン現象というのだと誰かが言っていた。
「霧の中を彷徨っていた時にも、同じような虹が現れました。その中に誰かの影を見た気がします。かっちゃんも見た?」
 ちらっと伺うが、勝己は黙ったままだ。
ブロッケン現象か。霧の中でよく起こる現象だな。対象に背後から太陽の光が当たって、影の側にある霧の粒で光が散乱し、影の周りに虹のような光の輪を作り出すんだ。ブロッケンの妖怪とも呼ばれるな。車のサーチライトとかでも起こるそうだ」
「関係あるんでしょうか」
「ふうむ、ただの自然現象なんだが。関連があるのかどうかはわからんな。未知のヴィランの可能性も捨てきれんし。しかし基本的にヴィランは人の多い都市部に集中しやすいんだが」
「僕ら、どうすればいいんでしょう」
「残念だがすぐに発つことはできん。海外のデメリットだな。まだこの現象に危険があるのかどうかも不明だしな。今までも同様のことがあったのか、情報を集めて対処法を探す。暫くの間、他の生徒達には隠すことにする。騒ぎになるからな」
 沈黙していた勝己が徐ろに口を開く。「この本体とやらが起きればどうなる。俺は消えるのか」
 勝己の言葉にぞくっと震えがくる。そうだ、もしも偽者が僕らの方ならば、何が起こるのかわからない。
「自分が消えるくらいなら、元とやらを爆破してやりゃいいよなあ」と勝己は右手をベッドに向けた。パチパチと火花が舞う。
「だめだよ。かっちゃん!もしそっちが本体だったら、爆破したら僕らも消えちゃうかもしれないよ」
「ああ?うっせえわ、デク!やってみなきゃわかんねえだろうが」
「やって消えちゃったら、手遅れじゃないか!」
 火花がスッと消えた。わかってくれたのかとほっとする。いや、勝己が収めたわけではなく、相澤先生が個性を使ったようだ。
「あー黙れ黙れ。とりあえず行事に参加してこい。起きてるのはお前らなんだから。本体の代わりにやることは山ほどある」
「たりめーだ、てか、代わりじゃねえわ!こっちが本物なんだからよ!」
 相澤先生から時々眠る身体を寝返りさせるようにと指導される。床ずれ予防と様子を確認するためで、何か変化があればすぐに報告するようにと。
 勝己は不服そうに言う。「めんどくせえ。俺はやんねえよ。デク、てめえはやりたきゃやれや」
「かっちゃん駄目だよ」
「指図すんなや、クソが」
「お前らな。二人ともやれ!」苛ついた様子で相澤先生が言った。
 ちっと舌打ちして勝己はドアに向かう。
「待って、かっちゃん」
 止めようとつい腕に触れてしまった。途端に勝己はくるっと振り向き、威嚇するように睨んだ。
「触んな、クソが」
「ごめん。 かっちゃん、でも」
「爆豪、お前な、イライラすんのはわからんでもないが、八つ当たりするなよ」と相澤先生が窘めるが「あんたにはわかんねえよ!」と勝己は怒鳴る。出久は為すすべなくおろおろするばかりだ。
 ふうっと勝己は息を吐く。「荷物持ってくんだよ。隠しとくには他に手がねえんだろ。ちゃっちゃとこのめんどくせえ事態をなんとかしろよな」
「ああ、わかってる」
 勝己が去るとぽん、と相澤先生が慰めるように肩を叩いた。
「あいつもとりあえず納得はしたようだな。お前らの身体だ。頼んだぞ」
 出久は溜息をついた。厄介なことになってしまった。その上また勝己を怒らせてしまった。同室になんてなったら、怒らせる元がさらに増えそうだ。先が思いやられる。
 勝己は触んなと言って怒ることが多い気がする。別に触りたくて触ったりしない。でも和解する前だって、ここまで酷くなかったんじゃないだろうか。なんでこんな風になってしまったのだろう。検討がつかない。自分に原因があるなら教えて欲しい。
 それとも今の自分が偽物だから、知らないだけなのか?この気持ちも偽物で、悩みは眠ってる方の自分のものなのだろうか。
 本物と偽物と何が違うというのだろう。
 この日のスケジュールを終えて、就寝時間になった。相澤先生は2人だけ同室にする理由を、様子を見るためだとクラスの皆に説明した。
「寝る」と言うと勝己はさっさと上に行ってしまった。
「3人になっちまったぜ。さみしー」上鳴は大袈裟に嘆く。
「別に寝るだけだろ、班が変わるわけじゃねえし」と轟は平然としている。
「てめえはそうだろーけどよ!楽しいのは夜だろ!夜!男同士で色々語り合いたいじゃねえか」
切島は心配そうに言う。「緑谷、2人で大丈夫か?爆豪と仲良くできそうか?最近あいつまたお前にきついけどよ」
「うん、寝るだけだし、ね」なるべく平気に聞こえるよう出久は答える。
 班の皆と別れて、出久は屋根裏の部屋のドアを開けた。勝己は既にベッドに入っている。もう寝てるのだろうか。
「かっちゃん、起きてる?」
「起きてねえよ」
「起きてるじゃないか。ねえ、これからどうしよう」
「うるせえ!クソバカナードが!寝ろ!うぜえわ」
 取り付く島もない。ベッドから見上げると天窓から沢山の星が見える。空気が澄んでるからだろう。降ってきそうなほどの光の群れだ。
 日本から見える星座とは違うのかな。北半球は同じなんだっけ。一際目映く輝いている星は夏の大三角形のひとつかな。こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星だ。天の川に遮られて一年に一度しか会えない。
 年に一度でも会えればいいよ。思いあっているのなら。天の川ではないけれど、君との隔たりを飛び越えられたらいいのに。
 部屋の窓は大きくて月明かりが眩しいくらい。床に映る窓の格子の影が檻のようで、まるで閉じ込められてるみたいだ。影に蝶の模様がある。気づかなかったけど、窓枠の飾りだろうか。いや窓枠に蝶が止まっているんだ。
 この部屋に自分と勝己の二人きりのようなのに、ベッドの上段には同じ顔をした者達がいるのだ。おかじな感じだ。
 こちらがが本物なのか向こうが本物なのか。
 


 翌朝。出久が食堂に入ると、既に班の3人は席に座っていた。「こっちだ緑谷」と席に手招きされる。
 テーブルには朝食の味噌汁と鮭や海苔などのおかずが用意され、お櫃が各テーブルに一つずつ置かれている。御飯だけはセルフサービスだ。班の全員揃ってからよそうのだろう。
「爆豪と2人で大丈夫だったか?」と轟が聞いた。
「うん、昨日はほんとに寝るだけだったし」
「日中は俺らも一緒にいるんだ。あまり深刻になるなよ」
「あ、ありがとう」
「まあ、お前らが仲直りすんのが1番だがな」
 轟も気遣ってくれている。勝己と仲直りなんていつできるんだろう。そもそも仲違いの理由がわからないのだ。というか、幼い頃から考えると仲良しだったのは遙か昔だ。僕らの仲直りってどんな形なんだろうと考えてしまう。
「爆豪はいねえみてえだが」
「うん、声かけたけど先に行けって言われて」
 きっと自分と一緒に降りたくないのだと気分が沈む。
「あいつ二度寝してんのか」と上鳴が揶揄うように言った。
 勝己が階段を駆け下りてきた。「してねえわ!クソが!」
「おう、爆豪!お前らいねえから寂しかったぜ」と慌てて上鳴は取り繕う。「轟マジですぐ寝ちまうしよ。夜中まで恋バナとかしてえじゃねえかよ、なあ」
「悪いな。眠気には勝てねえんだ」と轟。
「恋バナじゃなくて、エロ話だったろーが」と切島はあきれる。
「それな。楽しかったよな」
「う、んー、まあな」とボソボソと切島が答える。
 ほんとに流されやすいんだなあ、切島くん。皆と同じ部屋なら面白かっただろうな。寝不足になりそうだけれど。上鳴君の勢いでかっちゃんも恋バナに参加させられたりしたかな。うるせえって怒ってたかな。黙って聞いてるほうかも。そういうかっちゃんも見てみたかったな。
 「おい、飯!てめえらちゃっちゃと受け取れ!」
 考えに耽ってる間に、いつの間にか勝己が全員の御飯をよそっていたようだ。
 
 午前のトレーニングが終わった時、「ねえねえ、屋根裏の部屋はどんなの?見せて」と別の班の芦戸がやってきた。
「僕はいいんだけど、かっちゃんに聞かないとわからないよ」出久は困って勝己を引き合いに出した。
「あいつがいないからいいんじゃん」「だな、屋根裏部屋なんてみたことねえし、俺も見てえ」上鳴、切島も乗って来た。
 これはまずいぞ。部屋の中には眠る自分達の身体があるのだ。勝己は何処に行ったんだろう。トレーニングの後で姿が見えなくなった。こんな時に彼ならうまく彼らを断ってくれるのに。うまくというか、勝己の有無を言わさない物言いは、こういう時こそ必要なんじゃないだろうか。
 いや、そんな頼りかたないよね。身勝手すぎる。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
 慌てて出久は部屋に戻り、ベッドの上段の自分の頭に布団を被せ、さらに荷物をのせて身体を隠した。勝己の顔も隠さなくては。だが、梯子を下りている間に、皆がどやどやと部屋に入って来てしまった。間に合わなかった。隠しそこねた勝己の顔が布団から出たままだ。
 天井を仰いて切島が言った。「おお、天井たっけな。3段ベッドでもいけそうじゃねえの」
「うん、結構広く感じるよね」出久は落ちつかない。。
「お前ら下段に寝てんのかよ。2段ベッドは上段の方がいいんだぜ」
「あ、あ、待って上鳴くん!」
 上鳴が2段ベッドの梯子をひょいひょいと登っていってしまった。止める間もない。「おー?爆豪?」と上鳴が声を上げた。
 勝己の身体が見つかってしまった。出久は慌てたがもう遅い。なになに?と芦戸も梯子を上って、ベッドを覗いてウケている。
「意外と寝顔かわいいね、爆豪。いつもこんな顔してればいいのにね」
「こんな時間に昼寝してんのかよ。昼飯前じゃん」
「う、うん、疲れてたみたい」出久は冷や冷やしつつ答える。
「へえ、タフネスのあいつがね」
 まずいぞ。もし皆がこの後、部屋の外でかっちゃんを見かけたら、きっとおかしいと思うだろう。かっちゃんどこにいるんだよ。連絡しようとポケットから携帯を取り出して、ふと窓の外に目をやる。勝己だ。丁度広場を横切っている。
 森の中でトレーニングをしていたんだろうか。よかった、合宿所の中にはいなかったんだ。出久はこっそりメールを送信する。そういえば携帯、山の上だけど通じるのかな。アンテナは立ってるけど。
『部屋に入れただあ。このクソバカが!』案の定怒りの返信が届いた。
『だから、合宿所の入り口から入らないで直接部屋に来てね』と送信する。
「じゃ、そろそろ行くわ。午後はトレーニングだしよ。爆豪そろそろ起こしとけよ」切島が言った。
「きちいよなあ、高地トレーニング。すぐ息が上がっちまう」上鳴が弱音を吐く。
 皆が去った後、出久は窓を開けて手を振り、その場を離れた。外から爆音が聞こえた。跳んできた勝己は窓枠に掴まり、桟に足をかけて部屋に入ってくる。
「あ、かっちゃん、靴脱いで」
「てめえ、ふざけんな!」
 勝己は靴を投げ捨てると、出久の言葉を遮り、目を吊り上げて出久に掴みかかった。首元を掴んで締め上げる。
「く、苦し、ご、ごめんね、かっちゃん、止められなかった。合宿所の部屋は鍵ないし」
「身体張って止めろや。クソが!」
 なんだなんだとクラスメイト達が部屋に戻ってきた。まだ近くにいたらしい。勝己の爆音のせいかも知れない。危なかった。
「おい、起きて早々に喧嘩すんなよ、爆豪」と切島が割って入った。
「寝てねえわ!」と勝己は怒鳴る。
「何言ってんだよ。お前昼寝してただろ」
「クソが!寝てたわ!うるせえわ、てめえら出てけ」
 パンパンと勝己は掌から爆破音を出して皆を威嚇する。
「わーったわーった。もう行くって。寝起きで機嫌悪いみてえだな」上鳴が言った。「緑谷にあんまり苦労かけんなよ、爆豪」
「かけられてんのはこっちだ!クソが!」
 2人きりになったところで勝己が振り返って睨んだ。「気いつけろバカが!」
「うん、ごめん」
「全く、いつまで隠してりゃいいんだ」
 
 昼はトレーニングに飯盒炊爨、夜はレクリエーションにと、その日の合宿スケジュールは慌ただしく過ぎた。
 沸点が低いので飯盒炊飯には、圧力鍋を使用することになった。班ごとに支給されたが、皆圧力鍋で調理をしたことがなく、使い方がわからないと戸惑っていた。意外なことに勝己は知っており「強火にして沸いたら弱火にすんだ。蒸気口を開くんじゃねえぞ」と聞かれるたびに答えていた。
 流石なんでもできるんだなと感心する。そういえば、登山が趣味だったっけ。山に慣れてるのかも知れない。すごいなあ、かっちゃん、なんて昔みたいに言ったら爆破されちゃいそうだけど。山での調理もトレーニングの一環だそうで、空気が薄いからこそできることらしい。高地トレーニングも色々あるようだ。
 夕食後、歯磨きを終えて出久は鏡を見た。
 腕に触り、顔を触る。自分が偽物とは思えない。身体の様子もおかしいところはない。何も変わらない。ただ部屋には自分達ではない別の自分達が眠っている。
 出久はベッドの上段に登った。自分の身体に顔を寄せるとちゃんと寝息が聞こえる。ころんと横向きに寝返りさせる。
 勝己は自分の体を寝返りさせないつもりなのだろうか。床ずれができるかも知れないし、そうじゃなくても動かした方がいいんじゃないだろうか。彼がやらないなら自分がやっておこう。
 出久は勝己のベッドの上段に移って布団を捲った。眠る勝己は眉間に皺もなく穏やかな顔をしている。芦戸の言っていたように、いつもこんな顔をしてればいいのに。すうすうと息も静かだ。血色もよくてすぐにも起き出しそうだ。
「かっちゃん、いいよね」と誰も聞いてないのに断って身体を横向きに動かす。
「かっちゃん、起きてる?」と眠る勝己に呼びかける。
 同じ言葉をかけて、昨夜は怒鳴られた。
「眠ってる君は側に寄っても怒らないね」
 まじまじと顔を見つめる。ここで眠っている君は穏やかなのに。
 一体君は何を憤ってるんだ。僕らは心を曝け出しあって、分かり合えたんじゃないのか。あれは一時的な錯覚だったのか。何でもすぐに出来てしまう君は僕のヒーローだったんだ。嘘なんかじゃない。
 そう素直に告げても今は怒るだろうね。僕は君とわかり合いたいよ。君ともっと話したい。いつかは君に並び立ちたい。おこがましいことなんだろうか。
 そろっと金糸のような髪に触る。君はちょっと触れるだけでも烈火の如く怒るから。今だけは、眠ってる君になら触ってもいいだろうか。硬くて刺さる毛先は金の針のようだ。
 指を髪に潜らせて滑らせる。結ぼっているのか途中で指がくくっと止まる。何度か丁寧に滑らせる内に、毛先まで指が通せるようになった。
「ブラシの代わりに指で梳いておこうかな。起きたらくしゃくしゃの頭というのも考えものだよね。ああ、僕はくしゃくしゃだけど、かっちゃんはトゲトゲだね」
 天頂の髪を梳いてから前髪を梳く。指先が額に触れる。硬い髪質だけど、手触りは絹糸みたいでサラサラだ。金色の生糸だ。肌の色素が薄いから、目を開ければ肌に赤い瞳が映えるだろう。この距離でその赤を見たいな、と思う。ふっと苦笑する。それって胸倉掴まれてる時だ。
 眠っている方の勝己が目覚めたら、起きている勝己はどうなるのだろう。かわりに眠ってしまうのだろうか。


to be continued

インフォメーション2018年5月~

最新情報です。上に行くほど新しいニュースです。母艦サイトのINFOや自作創作小説カテゴリー に内容紹介文を詳しく載せてます。母艦サイトへのリンク→Blue Human

2018/05/07 勝デク小説「続・優しい時間」をUPしました。

2018/06/15 勝デク小説「胡蝶の通い路・前篇(共通版)」をUPしました。

2018/06/25 勝デク小説「胡蝶の通い路・後篇(R18版)」をUPしました。

2018/06/25 勝デク小説「胡蝶の通い路・後篇(全年齢版)」をUPしました。

続・優しい時間(R18)

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 繁華街からひとつ角を曲がると街は影を纏うようだ。
 喧騒から遠ざかり曲がりくねった狭い坂道を登った。街灯が疎らになり、別の世界であるかのように闇が濃くなる。
 魔物が潜んでいるようだ、と思う。後ろをついてくる戸惑う足取り。勝己は振り返り、足音の主の腕をぐいっと掴んで引き寄せた。探るように指を絡める。掌から甲にかけて皮膚を横断する盛り上がった傷跡の感触。確かに出久のものだ。繋いだ手を握りしめて逃げないように力を込める。
「あの、かっちゃん?どこ行くの?もう電車に乗らないと帰れないよ」おずおずと出久が言う。
「はあ?ここからじゃもう間に合わねえだろうが!」
 帰してたまるものか。わざと電車に間に合わない時間まで連れ回したのだから。初めからこのホテル街に連れ込むつもりだったのだ。健全な夜の遊び場の散策で終わるはずないだろうが。繁華街は一皮むけば夜を営む建物が並び立つ魔窟なのだから。
「ここにするか」
 シンプルな装飾のホテルを選んでエントランスに入った。
「でも、でも、僕ら未成年だよ。無理だよ。入れてくれないよ」となおも臆する出久に「店員に対面しねえで入れるとこもあんだよ」と苛々しながら返す。そんなことは既に調査済みだ。
 タッチパネルから適当な部屋を選ぶ。大体ラブホテルに来ることになったのは誰のせいだと思ってるんだ。元はといえばてめえがわがまま言うからだろうがよ。


 雄英が全寮制になったのは正直嬉しいと思った。毎日出久と寝起きを共にできる。これで好きなときに好きなだけ出久を抱くことができるのだと。ガキの頃から気の遠くなるほど長い間思い続けてきて、やっと恋人といえる関係になったのだ。どれだけ抱いても足りないくらいだ。
 しかしそう都合よくはいかなかった。どういうわけか出久が拒んだのだ。
「無理だよ、かっちゃん。皆がいるのに寮でなんてできるわけないだろ。壁ごしに隣の部屋に声が聞こえてしまうかもしれないよ。週末に家に帰った時でいいんじゃないかな」とわけのわからないことを言う出久に「全然足んねえんだよ!てめえ、俺を干からびさせるつもりかよ。ふざけんな、クソが!」とムカついて怒鳴りちらした。だが出久は譲らなかった。仕方なく渋々折れるしかなかった。
 不本意だがこっちから告白したせいか、出久にあまり強く出られないのだ。はじめに折れて折れて始まったのがいけなかったかも知れねえ。あいつはああ見えて頑固だ。ゴネれば俺が折れると思ってやがる。何事も最初が肝心ってやつだ。クソ忌々しい。
 デクの奴は俺ほどやりてえわけじゃねえのかよ。やってる時は気持ち良さげによがってるくせによ。つき合い始めてすぐにがっついてやっちまったから、あいつの考えがわかんねえ。
 毎日すぐ側に、手の届くところにいるのだ。登校してから下校までずっと同じ空間にいる。朝も夜も同じ寮の中にいるのだ。2人きりになる機会だって何度もあるのだ。すんなりと伸びた首筋にしゃぶりつきたいと思っても、週末までお預けだと。頸、唇、Tシャツの下に隠された肌。あいつを見ているだけで触れた感触が、体温が、身体の奥の熱さが蘇る。付き合ってんじゃねえのかよ、俺らはよ。
 欲求不満で我慢ならなくなり、一計を案じた。寮じゃなければ文句ねえんだろう。外に連れ出して一晩中いじめ抜いてやるわ、と。


 エレベーターで3階に上がり、部屋に入って鍵をかけた。
 綺麗に掃除された部屋。大きなベッドと奥にある硝子張りのシャワールーム。湯船まで透明だ。片方の壁は一面の鏡張りで、出久と自分の姿が映っている。鏡の中の出久は不安そうにちらちらと勝己の様子を伺っている。勝己の面は眉根をぎゅっと寄せて不機嫌なのがもろに出ている。見上げると天井も格子柄の鏡張りだ。
 枕元のパネルで間接照明を少し明るめに調整した。顔がよく見えるほうがいい。ついでにドレッサーの引き出しを開けた。何も入ってない。ベッドサイドにコンドームにジェルや性玩具の自販機がある。コンドームは用意してきてはいるが、他の玩具は見たことがない。折角だから使わせてもらおう。勝己はにやっと笑う。
 一通り確認して、枕元に自販機で購入した玩具を並べる。支払いは自動精算機での後払いだ。出久はそわそわと落ち着かない。
 シャワールームを開ける。シャワーだけでもいいが、湯船があるなら浸かりたい。蛇口を捻り湯を張った。ドアを閉めると湯気が透明な壁を白く曇らせてゆく。
「風呂に入んぞ、デク」
 と言うとビクッと出久が震える。ことここに及んでのその反応にイラッとする。
「今更なんだてめえ!ラブホ入った時点でわかってんだろうが」
「でもでも、明日は学校あるんだよ」
「ああ?問題ねえだろ。早く起きて朝イチで登校すりゃいいだろうが!」
 腹立ち紛れに出久のコートの襟をつかんで引きよせる。鼻先が触れそうな距離。そういやキスもあんまりしてねえぞ。学校でも寮でも人目につくからと出久が気にしやがるからだ。クソが!
 顎を掴んで噛みつくようなキスをする。唇から伝わる出久の体温。久しぶりの柔らかさ。舌を差し入れて口内を乱暴に荒らす。「ん、ふ」と出久が甘い吐息を漏らす。唇を離して角度を変えてまたキスをする。ほんと、全然足んねえわ。
 ぐずぐずしている出久のコートを脱がせ、「さっさと服全部脱げよ、おら!」とひん剥いて出久をシャワールームに叩き込む。床に落とした出久の服を椅子の上に投げつけ、イライラしながらベッドに腰掛ける。
 キスにちゃんと応えてるくせによ。往生際の悪い奴だ。学校だから寮だから、それが何だってんだ、クソが!
 透明な湯船に肩まで浸かっている出久。湯気に曇った硝子越しでも湯の中で赤く染まった身体が丸見えだ。首元から背中のライン、太腿、折り曲げられた膝に脹脛。
 ずくりと勃起の感覚。身体は待てねえみてえだ。俺も入るとするか。
 勝己がシャワー室のドアを開けると、「え、かっちゃんも入るの?」と出久は驚き、勝己の下半身に視線を移して狼狽える。こっちは準備万端だっつうんだ。
 つま先を浸けて湯温を確認する。自分にはちょっとぬるめだ。湯舟にザブンと飛沫を立てて入り、出久と向かい合わせに膝を立ててしゃがむ。出久の膝の間に片膝を挟ませる。
 出久は目のやり場に困っているようだ。そっとつま先を前に滑らせる。陰嚢をふよんと突いて口角を上げる。出久は「わあ!」と慌てて立ち上がる。
「かかか、かっちゃん、僕、身体洗うね」
「はっ!んじゃま、俺もそうするわ」
 洗い場には透明で凹型に縦に割れ目の入った椅子が2つある。腕が一本通るくらいの割れ目だ。座らせたまま性器を弄れるわけだな。所謂スケベ椅子ってやつだ。
 前の椅子に出久に座るように言い、勝己は後ろに座って出久の背後から腕を回し、下腹部に指を滑らせる。体毛の下のその先の、敏感な部分に指を下ろす。
 「ちょ、や、かっちゃん」と慌てる出久の、まだ元気のない性器を指先で摩り、亀頭を摘んでやわやわと愛撫する。いやいやと出久は首を振り、きゅうっと肩を竦ませる。暫く擦っていると静かになった。息を潜めて耐えている。性器の芯が育って元気になってきたな。椅子の割れ目から手を入れて出久の窄まりと睾丸の間を触る。出久はひゃあっと色気のない声を上げる。指を後ろに引いて窄まりをつつき、撫でる。
「便利な構造だな、この椅子。座ったままで慣らせんじゃねえか」
「や、かっちゃん、僕、自分で」
「させねえよ、クソナード」
 ボディシャンプーを手指にとって滑らせ、ずぶりと指を埋めて内部を捏ねる。
「あ!ああ、かっちゃん」
「暴れんな!」
 跳ねる出久の身体を片腕で押さえる。ぐにぐにと指を入れては引き抜いて慣らす。
 出久の身体の外側も内部も余さず洗ってやった。湯舟に浸かり出久を背後から抱いて膝の上に乗せる。前に回した腕で強く抱きしめ、ペニスを扱いてやる。出久は茹だったみたいに肌が赤くなっている。項をペロリと舐めてキスをする。勝己の勃起に出久の尻が乗っかり、双丘で挟んで刺激してくる。
「あ、あ、かっちゃん、もう、動かさないで」
「デク、いっちまえよ」と吐息だけの声で耳元で囁く。
 出久はふるっと震えるが、「お願いだよかっちゃん。お湯を汚したくないよ」と懇願する。
「しょうがねえな」
 どうせ湯は抜いちまうのによ。出さないよう勃起の先端を抑えてやる。はあ、と出久はほっとしたように溜息を吐く。つれえんじゃねえのか。出さねえと身体に熱が篭もるだけだろうが。
 悶える出久を抱えて立たせ、バスタオルでざっくりと水分を拭き取った。ベッドに横たえてペニスを咥えてやる。出久の味だ。
「や、ダメだよ、かっちゃん、出ちゃう、あ、ああ、あふう」
 出久はすぐに達した。口内のものを飲み込んで上半身を抱き上げ、キスをする。舌を絡めるキス。舌先から裏側を舐め頬の内側もぬるぬると舐めて犯す。
「ん、苦いね」唇が離れるととろんとした瞳で出久が言う。
「ばあか。てめえの味だろうがよ」
 再び寝かせて湯上がりの肌にキスの雨を降らせる。ほんのり赤くなった肌に吸い付き、さらに赤い痕をつけてゆく。
「あ、跡はまずいよ。明日学校だよ、かっちゃん」弱々しい声で出久が抗議する。
「体育ねえんだから構わねえだろ」
「キ、キスマーク、一日経っても取れない時もあるんだよ」
「いちいちうるせえわ!俺に指図すんな、クソが」イラッとして続ける。「大体今更だろうが。隠す必要ねえだろ。クラスの奴ら皆俺らのこと知ってんだからよ」
「だからだよ!虫さされとか言い訳しても誤魔化せないじゃないか」
 ぐたぐた言う口を塞いでやる。
 出久の頭の横に座り、「出久、口開けろ」と言う。出久は上目遣いに勝己に目を向けると、そろっと口を開く。腰を進めて出久の口腔内にペニスを突き入れる。出久の舌先が先端を舐め、ねっとり熱い粘膜が性器を擦る。勝己はさらに奥に突き入れる。出久は頬を窄めて口内を狭くして竿を軽く締め付ける。
 腰を前後に振り、出久の口淫を堪能する。不慣れで決して上手くはない。俺の方が遥かに上手いだろう。だが出久の拙いそれがまた唆るのだ。
 足を大きく開かせて膝を立たせる。ジェルを指で捏ねて温め、後孔に人差し指を突き入れる。第一関節、第二関節、根元まで入れて掻き回す。
 熟れた後孔は出久の内部への道だ。何考えてんのかわかんねえ出久を暴く手がかりだ。快楽に溺れさせてやるわ。引き抜き、突き入れる動きを繰り返し、念入りに広げてやる。指を二本をぐりぐりと捻じいれる。内部を捏ねるたび潤滑油と粘膜が擦れて滑った水音を立てる。いやらしくて耳に心地よい。出久はあふ、と悶える。
 準備は整った。いつもならもう挿れているところだが。勝己はついっと枕元に視線をやる。整然と並んだ性玩具。一つ一つを品定めする。コードのついたカプセル錠みたいなローター。これを試してみようか。
 コードを伸ばし、カプセルで出久の乳首を摩りスイッチを入れる。ブウンと軽いバイブ音。
「ん、あ、かっちゃん、なに?」
 振動に悶える出久。乳首がぷくりとたってきた。チュッとくちづけして舌で転がし、もう片方の乳首をローターで撫でる。
「過敏だな、てめえの乳首立ってんぞ」
「変なことしないでよ、かっちゃん」
「はっ!もっと変なことしてやろうか、デクよお」
 勝己は枕元に手を伸ばし、陰茎と陰嚢を忠実に模した半透明の張り型を見せてにやっと笑う。
 出久は目を見開き、「え、それは、ないよね?かっちゃん」と怯える。
 スイッチを入れるとそれは蛇のようにくねくねとくねる。
「いい動きだよなあ、デク」
「なにそれ、まさか。僕の中に?嘘だろ?」
「そのまさか、しかねえだろうが」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 嫌がる出久を押さえつけ、両足を太腿の上に抱え上げる。
「折角の機会だからよ、味わってみろや」
 張り型の先端をひくつく出久の窄まりに擦り付けると、ぬるりと挿入する。
「やっ、ああ!」
 出久は足を閉じようとするが勝己の胴を挟むだけで果たせない。張り型をずぶりとさらに体内に沈めてゆく。
「俺のより細えんだ。入んだろ」
 出久は目を瞑り、ん、ん、と声を抑える。ほとんど挿入したところでスイッチを入れた。ぶうんと玩具が震え始める。
「ああああ!」と出久は悲鳴を上げる。「やだ、なにこれ、かっちゃん、いや、やだよ」
 出久はあられもなく悶える。中をあのくねりに擦られているのだろう。半分ほど引き抜いてみる。張り型のくねる動きにひくつく窄まりはなかなかいやらしい。もっといたぶってやる。引いては押し込んでゆっくりと抽送させる。短い悲鳴がやがて嬌声のように変わる。次第に出久の性器が勃起してきた。
「んん、あ、かっちゃん」
 息も絶え絶えに出久は勝己を呼ぶ。潤んだ目で見上げる。唇が何かを言いたげだ。
「なんだ」と促す。ぐっと押し込んでスイッチをオフにする。
「君がいい」出久は言う。「こんなものじゃなくて君がいいよ」
 なんて言った、デク。
 俺を欲しいって言ったのか?
「俺が、いいのかよ、デク」
 胸が痛いくらいに騒めく。これは悦びだ。思いがけず出久から求めてやまなかった言葉を引き出した。
「もっかい言えよ。クソナード」
「君が、いいよ。かっちゃん」
「そうかよ、俺が欲しいんだな。デク」
「そうだ、よ」
 気分が高揚する。挿れてえ。めちゃくちゃにしてやりてえ。
 見たこともない悶え方をする出久を見るのも愉快だが、俺は全然気持ちよくねえしな。そろそろ突っ込んでやりてえ。 
 とはいえ普通にやったってつまらねえな。
 後孔から張り型を引き抜いてやる。穴はひくついて閉じられ、窄まりに戻る。
 ほっとした様子の出久の身体をひっくり返して四つ這いにさせた。背後に被さり、半勃起した出久の性器を掌で包みこみ撫でる。
「ケツ上げろよ。デク」
「ん、うん」
 玩具の刺激が強かったか。ぐったりとした出久は頭をシーツにつけて腰を上げる。勝己はローターを手に取り、出久の中にぐっと押し込む。
「んん、かっちゃん?何か入れた?」
 ぼんやりとした声で出久が訊いた。
「ああ、いいもんだぜ」といいざまに勝己はローターのスイッチを入れる。
「あ、いや!かっちゃん。そういうのやだって言ったのに、やあ」と出久は身悶える。
「てめえの欲しいもんもくれてやるから安心しろよ」
 ニヤリと笑い、勝己はコンドームを装着して出久の腰を掴んで引き寄せると「ほらよ!」と、ローターを入れたままの窄まりにペニスを当てて深く突き入れた。
「ああ!」出久は悲鳴を上げる。
 先端に触れるローターの振動。勝己はそれを内部の奥深くに押し込み、擦り付けるようにジリジリと突き上げる。 性玩具で広げられた窄まりは、易々と勝己を受け入れてゆく。
「いや、ああ、かっちゃん」
 出久の声がすすり泣きのように変わる。ローターはさらに深く潜り出久の中を蹂躙しているだろう。陰茎に絡むローターのコードからも震えが竿に伝わる。やべえ、こっちも振動でいっちまいそうだ。早すぎるわ。スイッチをオフにする。
「いや、いやだ、かっちゃん」
 出久は堪らずに吐精した。収縮した内壁が勝己を締め付けてきゅうっと刺激する。勝己はふう、と息をついて射精感を受け流す。あぶねえ、まだ早えわ。
 バックだと普通は出久の表情は見えない。だが鏡張りの壁なので顔がよく見える。射精した瞬間の出久の朦朧とした表情。唆る。堪らない。振動の余韻のせいか、ヒクヒクと肉襞が震える。
 出久の陰茎に指を滑らせて摘む。竿を摘むと芯がある。射精したばかりなのにまた勃起仕掛けてるようだ。
「はは、やらし、てめえもやりてえんじゃねえのかよ。寮ではやりたくねえとか、すかしやがって」
「違うんだよ」息を切らせて、途切れ途切れに出久は言葉を紡ぐ。「やりたくないんじゃ、ないよ」
「んだよ、わけでもあんのかよ」
「正直に言えばやめてくれる?」と出久は訊く。
 やめる?何をだ。全然足んねえわ。ざけんじゃねえぞ、クソが!内心の悪態を押し殺しつつ先を促す。
「理由があるのか。言ってみろよ」
「その、ええと、言いにくいんだけど」
 もじもじと煮え切らねえな。じれってえわ。
「デェク、またスイッチ入れっぞォ」
「待って待って!わかった、言うよ」
 出久は振り返り、勝己と目を合わせてくる。真っ直ぐ目を合わせるのは出久の癖だ。こんな時でも律儀に勝己を直視する。
「エッチした次の日、君の顔が見れないんだ」
「はああ?」
 またかよ。またなのかよ。付き合って間もない頃に、てめえは俺の顔が見れないと言いやがった。あれからどんだけ経ったと思ってんだ。てめえはまたぐちゃぐちゃと考えてんのかよ。何処に迷う理由があんだよ。てめえは俺のだろうが。ふつふつと腸が煮えくり始める。
「恥ずかしくて、見れないんだ」出久はぽそりと続ける。「かっちゃんの顔を見ると、どんなことしたかとか、されたこととか、思い出して恥ずかしくなってしまう。君のどこを見ても、指とか見ただけでも思い出しちゃうんだ。君に触れられた感触とか君の身体の重みとか。キスをした舌の動きとか、君のものが中に入ってくる圧迫感とか蘇ってきちゃうんだよ。すごくすごく恥ずかしいんだよ」
 張り詰めていた気がすうっと抜けた。こいつ、それが理由だったのかよ。俺とのセックスを思い出すからっていうのかよ。
 思い出せばいいじゃねえか。ずっと俺のこと考えてればいいじゃねえか。俺もそうなんだからよ。てめえの身体を表情を反応を、何度も反芻してんだからよ。あああ、なんだよてめえ。マジかよこのクソナードが!
 勝己は出久の中からペニスを抜き、ローターも引き抜いた。はあ、と出久は溜息をつく。ほっとする間など与えてやらねえ。出久の身体を横倒しにして添い寝し、背後から抱える。片方の太腿を抱え上げ、コンドームを外すと陰茎に手を添えて再び中に押し込む。
「う、うあ、え?かっちゃん」
「それ聞いてやめるわけねえだろーが。なあデク」
「でもでも、感触が違うよ。コンドーム、外した?」
「ああ、わかっか。さっきよりスムーズに入らねえもんな」
「なんで?どうして外しちゃったんだよ?」
「生でしたくなったわ。こっちのが気持ちいいしよ」とぐいっと突き上げる。怒張が窄まりに深くめり込む。
「ああ!」と叫び、シーツを掴んで勝己の挿入に耐える出久。
 正面の鏡の壁に勝己に貫かれている出久が映っている。恍惚とした表情。繋げられた身体、勝己の律動に合わせて出久のペニスが揺れる。
「てめえも気持ちよくしてやっからよ」
 勝己は出久の足を下ろし、いったんペニスを引き抜いて身体を起こした。出久の両足を揃えて身体をくの字に曲げさせると、再び先端を押し当て、腰を前に強く振って勃起を根元まで埋める。衝撃に「う、あ」と悶える出久の陰茎を掴んで、扱きながら腰を打ち付ける。
「中でいくぜ、デク」
「は、あ!はあ、かっちゃん。酷いよ、明日学校なのに」
「洗えばいいだろうが。ああ、俺がちゃんと洗ってやるわ」
「それ、もっと恥ずかしいから」
「はっは!さんざん悩ませやがってよ。覚悟しろよ。もう寮でもどこでも容赦しねえでやってやるわ」


 勝己の性器に中を荒々しく掻き回されて、もう無理だと出久は音をあげる。構わずに背後から抱きしめて深く突き上げる。
 獣の交尾のような姿勢は興奮する。
 何度目の挿入になるだろう。俺は余裕だが出久は限界か。だが喘ぐ声は甘い。様子を見ながら小刻みにペニスを動かす。先端で丹念に探る。気持ちいいところを擦られ、声を殺して感じているのを隠そうとする出久。髪をかきあげ、頸を舐めて噛んで背骨のひとつひとつを順に口付ける。
 、俺は出久の感覚全てを支配しているんだ。
 勝己は満足して笑う。引き抜き、突き上げ、激しくピストン運動をする。ガクガクと身体を揺さぶる。肌を打ち付ける。シーツが乱れ、ベッドのスプリングが軋む。
「デク、デク、ふ、は、はあ」
 勝己は名を呼び、獣の如く唸る。背筋から痺れが走り、中心に熱が集まり内部で達する。出久の中に注がれる勝己の精。
 勝己は笑う。
 鏡の中の勝己も。満足そうに。笑う。

 

END

ダイバーダウン(全年齢バージョン)

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prologue


「すごいなあ、かっちゃん」
 そう無邪気に話しかけてくる柔らかく高い声。
 振り向くと俺の後ろを小柄な子供が後を付いて来ているのが見える。よたよたした転びそうな足取り。少しスピードを落して歩みを合わせてやる。
 ここはよく遊んだ裏山の森だ。薄っすらと黄色や赤に色づいた木々の下の小道を、さくさくと木の葉を踏んで歩く。 風が枝葉を震わせて木漏れ陽を散らす。チチチと木霊する名も知らない野鳥の鳴き声。
 後ろをついてきている誰か。顔は霞がかかったように朧気で思い出せない。名前もわからない。けれども、俺はそいつが気になってしょうがない。遅れずに付いて来ているかと振り向いては、いるのを確認して安心する。
 見失ってはいけない。あれは俺のものだ。大切なものなのだと心のどこかが知らせている。


1


 俺の頭から何かが抜け落ちている気がする。
「おはよう」
「爆豪、お前大丈夫か?」
「おっはー、爆豪、もう学校来ていいの?」
「マジでもう大丈夫なのかよ」
 教室に入るなり、クラスの奴らが俺に口々に喋りかけてきた。いつもそんなに話したりしねえ奴まで聞いてくるので、ちょっとイラっとする。
「何がだよ」
「何言ってんだ。ヴィランが出たんだろ」
「ああ?」
 そうだ。俺は夜に学校を抜け出そうとして、門外でヴィランに会った。それからどうなったのかは覚えてない。気づいたら保健室にいたのだ。こいつら俺を心配してんのかよ。うぜえ。俺を気遣うんじゃねえよ。
「うるせーぞ、お前ら。授業始めるからさっさと座れ」
 相澤先生が教室に入って来たので、慌てて皆は席に戻っていった。壇上に立つと、相澤先生は眠そうな目で教室を見回して口を開く。
「あー、皆知ってのことだと思うが、昨晩校門の前でヴィランが出没して、爆豪が襲われた。幸い先生達が駆けつけて撃退したがな。攫うつもりだったのかどうか、現在取り調べ中だ」
「またかよ。お前、よほどヴィランに好かれてんだな」
「うるせえ!」
 上鳴に揶揄されて俺は声を荒げる。嫌なこと思い出させやがって。
「爆豪の記憶に多少の混乱が起きてるようだが、学校生活に支障はない程度だ。皆もそのつもりで暖かく見守ってやってくれ」
 相澤先生の言葉でまた教室が騒がしくなる。
「混乱ってなんだ、爆豪。記憶喪失かなんかなのかよ」切島が問うてきた。
「何も忘れてねえよ」
「俺の名前覚えてるか?」
「俺の名前は?」切島に続いて上鳴も続いて聞いてくる。
「なめとんか!知っとるわ、クソ髪アホ面のデッドエンドコンビだろーが」
「ひでえ。グレードアップすんなよ。赤点コンビでいいだろ。うわ、自分で言っちまった」
「なんだよ、いつもの爆豪かよ」
 他の奴らも口々に「俺の名前はわかるか?」と聞いてくるので苛々してきた。
「うるっせえ!入学してからの記憶はまるっとしっかりあるってんだ」
 一人を除いて高校から知り合った奴らばかりだ。 でもクラスメイトの名前も個性も全部覚えてるようだし。記憶に混乱が起きてると言われても、 比較材料がないから断言できないが。確かにこれからの学校生活に問題はない。
 でも何だろう。何か足りない。俺はいつも苛立っていたような気がする。だがなぜ苛立っていたのかが思い出せないのだ。
「いつまではしゃいでるつもりだ。静かにしろ。さっさと教科書開け」
 先生の一言でざわついた空気が静まり返った。俺は教科書を開いて頬杖をつく。
 同じ中学から来た奴はクラスにひとりいる。小学校も一緒だったはずだ。はずだというのは、入学以前のこいつは記憶にないからだ。クラスが違ったんだろうか。俺はそっと後の席を振り向く。緑がかった髪のそいつは目が合うとビクッと反応し、そっと問うてきた。
「その、大丈夫?」
「は?別に」
 そいつの袖口からちらりと腕に巻かれた包帯が見えた。よく見ると鎖骨あたりにも包帯が巻かれているようだ。俺は前に向き直る。人のこと言えんのかよ。てめえも怪我してんじゃねえかよ。少しだけいらっとした。
 窓の外に目をやる。夢で見たような色づき始めた樹木。こいつ、デクはいつも俺の後ろをついてきた幼馴染とは別人だ。もしあいつだったら顔見てわからないはずがねえ。毎日裏山や公園で遊んだ。家にだってよく遊びに行った。そういう奴をいくらガキの頃だからって、見分けられねえわけがねえ。感情的に繋がらないはずはねえ。
 それに顔のわからねえあいつは無個性だったはずだ。それだけは確かだ。だからデクはあり得ねえ。
 デクはクラスでもトップクラスの個性を持ってやがる。童顔に似合わねえパワー増強型の個性。あんな派手な個性持ちの奴に覚えがないなんて変な話だ。だが小学校でも中学校でも原則的に個性の使用は禁止だったから、あまり周りに見せてなかっただけかも知れねえ。使えば身体が壊れるような自壊型の個性なんて、そうそう使用できるもんでもないだろう。
「次の単元は伊勢物語 芥川だ。予習してこいよ。今日はここまで」
 授業が終わり、相澤先生は気怠げに教室を出て行った。休み時間になると、クラスメイトが俺の机を取り囲んだ。
「緑谷のことも、覚えてるんだよな」と上鳴がちょっと躊躇ってから尋ねる。
「ああ、デクだろ」
「んん?お前、つっかかんねえんだな」
「は?」
「さっきもだけどよ。なんかフツーに緑谷と話してたし。いっつも名前出すだけでも怒ってたじゃんよ」
「はあ?別に腹立たねえのに、なんで怒んなきゃいけねえんだ」
 上鳴は「ほおー」と感心したんだか驚いたんだかわからない声を上げる。確かに最初の授業で俺は奴に負けた。結構前のことだが、それからずっと根に持っていると思われてんのか。いくら何でもそりゃねえだろ。
「なあ?」
 と言いながら後ろを向くと、デクは慌てて開いていた本で顔を隠した。
「おい、何顔隠してんだ」
 本を取り上げてなぜかびびってるデクに問うと、「な、なんでもないよ」とデクは顔を隠すように机に突っ伏してしまう。
「まあまあ、爆豪、腹立ってねえんだろ。ほら、他の奴も確認しなきゃよ。な?こいつは?」
 上鳴は焦った様子で言うと適当に周りを指差した。
「俺の名は覚えてるか」
 通りがかった半分野郎が興味なさげに口を開く。
「轟」
「正解だ。よかったな爆豪」
「舐めてんのか、てめえ!」
「まあまあ、次、次行こうぜ、爆豪、ほら、こいつは?」
 次々名前を答えながらも、後ろの席のデクが気になってしょうがない。デクは俺の顔を見るとおどおどしやがる。強えくせにわけわかんねえ。そりゃ負けた時は腹が立ったんだろうけど。もうどんな気持ちだったか覚えてねえよ。いまだにそれを引きずるわけねえだろ。俺をそんな偏狭だと思ってんのかよ。逆に腹立つぜ。
 ちょっと言ってやるかと後ろを振り返った。が、デクがいねえ。教室の中を見回すと窓の側で飯田や麗日とだべってやがるのが目に入った。
「デク、おい」と言い、席を立とうとすると「まあまあ」と慌てた口調の切島に宥められた。
「あっちはあっちでつるんでるわけだし。こっちはこっちでさ、な」
「別にお前らとつるんでるつもりはねえよ。てめえらが寄ってくるだけだろ」
「ひっでえな。つーか、爆豪の平常運転だな」
 同じ中学出身とはいえ、あいつはあいつの友達がいるし。俺にもいつの間にか取り巻く奴らがいる。普通のことだ。だが何かいらっとする。さっきも感じた。時々何故ふいに苛つくのだろう。


 夕食の前に親に「ちょっとだけだからよ」とことわって外に出た。
 俺は近所の幼馴染のいる団地に駆けていく。あいつも俺も一人っ子だから、家に帰ると親しかいねえ。だから暇してるだろうと時間を問わず気兼ねなくしょっちゅう遊びに行った。
 ドア横のチャイムを押して名を呼んだ。あいつはすぐにドアを開けて出てきて、いつも顔を輝かせて俺を見る。
 あいつはヒーローオタクだった。ヒーロー図鑑といっていいくらい名前も能力も色々知っていた。その知識にも分析・解析にも舌を巻いた。特にオールマイトのことは夢中になって喋った。オールマイトは俺にも憧れだから、あいつと話していると話が尽きなかった。
 あいつはオールマイトグッズのコレクターだった。多くはない小遣いをほぼグッズにつぎ込んでいた。部屋に行くたびにどんどん増えるグッズには驚くというより呆れた。
「こんなに必要かよ。棚も壁もごちゃごちゃして台無しじゃねえか」
「だって、また新しいのが出たんだもん。このフィギュアは新作で」
 と新作のフィギュアを手にしたあいつにひとくさり説明を聞かされる。
「いくらあっても足りないのかよ。欲張りな奴だな」
「うん」とあいつは頷き、フィギュアを胸に抱いて言う。
「いくらフィギュア集めたってなあ、てめえに個性が出るわけじゃねえぞ」
「そんなこと思ってない」とあいつは言って、きゅっとフィギュアを抱きしめる。
「でも……かわりなのかも。本当に欲しいものは目に見えないものなんだ。それが手に入るなら死んでもいい」
「あほか。死んだら終わりだろうが」
「違うよ、例えだよ。なんでも持ってる君にはわからないかも知れないけど」
「ああ、わかんねえな」
「いいなあ、かっちゃんは」
 あいつはよくそう言っていた。身体も小さくて無個性なこいつには、欲しいものが沢山あるんだろう。俺に真っ直ぐ向けていた瞳で、時折何処か遠くを見つめるようになった。
「そのうち俺がヒーローになったら、俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 俺が言うと、あいつは一瞬きょとんとして「あはは」と笑った。いらっとして「飾るんだろうな」ともう一度聞く。
「俺がヒーローになれないとでも思ってんのかよ。ああ?」
 そう言って威嚇すると、あいつは慌てて言い訳した。
「そうじゃなくて、いつも近くにいる人の似姿のフィギュアを飾るのはないかなーと」
 そうじゃないだろう。わかってんだよ。てめえはオールマイト以外は飾る気がねえんだ。他のヒーローのフィギュアも持ってるくせに、飾ってるのはオールマイトだけじゃねえか。そこで冗談でも飾ると言わないのが酷く憎らしくなった。拳を握ってもう一度尋ねる。
「俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 気に入らない返事をしたら殴ってやる。



 草を踏み分ける足音が微かになった。ついてきているかと不安になり振り向く。霞のかかったように顔がわからない誰かが、離れてしまっているのではないかと。裏山ではぐれてしまったのではないかと。
 
 つんつんと背を突付かれる。弾かれたように後ろを振り向く。
「寝てちゃダメだよ」
 デクが声を潜める。居眠りをして昔の夢を見ていたらしい。後ろの席に座っているのは幼馴染じゃなくデクだ。一瞬あいつかと思った。
「寝てねえよ」
 と言ったものの眠っていたのは歴然だ。ノートにはミミズがのたくったような文字が踊っている。めんどくせえ。
 さっき思い出した昔の出来事を反芻する。うきうきとしたりムカついたり、感情の付随する思い出だった。あいつの家にしょっちゅう遊びに行っていたこととか、いちいち何があったかなんて映像的な記憶でしか覚えちゃいねえ。けれども、その時の感情を覚えている思い出もあったのか。
 あの後あいつはなんと返事をして、俺はどうしたんだろう。それよりノートの酷い字を消さなくては。だが消しゴムが見当たらない。机の周囲を見回したがない。落としてどこかに転がっちまったか。俺はもう一度後ろを振り向く。
「なに?先生に見つかっちゃうよ」デクは驚いた顔をしてひそっと言う。
「おい、消しゴム貸せよ」
「え?」
 デクの返事を待たずに勝手に消しゴムをひったくり、ゲシゲシと使って返す。
「ほらよ。別にいいだろ」
「う、うん」
 普通に接して普通に話してるつもりなのに、デクはなぜかびっくりするような顔をする。どこか愉快だ。地味な奴なのに何故かどこにいても目につくので、近づいてちょっかいをかけたくなる。
 昼食の時間になった。
「何処行くんだよ、爆豪」と上鳴に声をかけられたが「気が乗らねえ」と売店に向かう。
 食堂で食う気がしない。パンを買って屋上に続く階段を登り、扉を開ける。屋上に踏み出すと濃い影が足元に落ちた。紺碧の空の下。ここで食うのは気持ちよさそうだ。眩しく白い貯水槽の向こうに先客が見えた。屋上を囲む金網を背にして座り込んでいる。
「よお、デク」と俺は声をかける。
「え、え、何で君が」
 デクは開いていたノートを閉じた。横にも数冊のノートが積まれている。デクはそれを隠そうとするように掌をノートの上に載せる。
「お前もパンかよ。食堂に行かねえのか」
「うん、今日は」
「俺もだ」
 俺はデクの方に歩み寄ると、隣にしゃがんでパンの袋を破る。デクが目を丸くして聞く。
「え、ここで?」
「別にいいだろ」
「ああ、うん、君がいいなら」
「俺が?いいから座ってんだろ。変な言い方すんなよ」
「そうだね、ごめん」
 焼きそばパンに齧りつきながらノートを見やる。
「それ、お前のか」
「え?うん、そうだけど。あ……、待って」
「隠してんじゃねえよ」
 ノートの上からデクの手をどけると、表紙にマジックで書かれた文字が目に入る。
「ヒーローノート?」
 ふっと記憶の中に似たものがあったような気がした。熱心にノートを書いていた誰かの姿。
「見てもいいか?」
「ええ?」
 やけに驚くデクの返事を待たずに、1冊手に取ってページを捲った。ノートの中にはクラスの奴らの個性か図解入りで載っている。注釈もついてどれもびっしりとページが埋めてある。
「すげえな」
「そ、そうかな。今日体育があるだろ。それまでに皆の個性を確認して書き加えておきたくて」
「俺のもあんのか?」
「君のは、ある、けど」
「けどってなんだよ。当然あんだよな。あんなら見せろよ」
「そんな、面白くないよ」
「はあ?俺の個性が面白くねえってのか」
「違うよ、君の個性は凄いから、面白くないなんて」
 デクは慌てて否定する。こいつが俺を評価してんのはわかってて言った。こう言えばことわれねえだろ。
「だったら見せろよ」
 それでも押し問答の末、デクはやっと一冊のノートをそっと差し出した。縁が焦げてページが水濡れした後みたいにうねっている。
「なんか、これだけボロっちいな」
「それは君が……」
 と言いかけて何故かデクは言葉を切る。
「何だよ」
 と促すとデクは小声で「古いノートだからね」と曖昧に言葉を濁す。ちょっと引っかかったがとりあえずノートを受け取る。
 俺が表紙を摘まむ指に、デクは何故か心配そうに視線を送ってくる。
「んだよ、汚したりしねえよ」
 焦げたページの縁を破らないようにそっと捲る。早速1ページ目に俺の図解が現れた。
「これ俺かよ。なんか他のやつより背が小せえな」
「あ、あれ?そんなのあった?子供の頃の君だから。あ、偶々君を見かけたことがあったんじゃないかな。その時に書いたんじゃないかな、きっと、君はほら凄い個性で近所で有名だったから」
 デクは言い訳するように早口に捲したてた。ごまかそうとしてるみてえだ。だが、子供の頃の思い出にデクみてえな奴はいない。幼馴染の奴を全部覚えてやしねえけど、一緒に遊んでたんなら、こいつがいたんなら覚えてる自信がある。
「お前、家近所なんだろ。学区が同じなんだからよ。見てねえで一緒に遊んだらよかったのによ」
「それはまあ。それより、その次のページに大きくなったかっ、……君の図解もあるよ」
 急かすのでページを捲ると、デクの言う通り次のページにはコスチューム姿の俺の図解があった。機能についての解説もついてる。
「俺がガキの頃もこういうことが好きな奴がいたぜ」
 あいつもよくノートにヒーローを書いていた。自由帳じゃなくこんな感じの大学ノートに何冊も。中身を見たことはないが覚えている。
「へ、へえ、そうなんだ。奇遇だね。僕は知らないけど」
「お前、同じ地区で同じ学校にいたのなら、ちったあ知ってんじゃねえの」
「昔ことだし、覚えてないよ」
「そうかよ。そうかも知れねえな」
 子供の頃の記憶なんてぼんやりしたものだ。遊び友達だって毎回決まったもんじゃないし、クラスが変われば話もしねえ。ガキの頃俺の周りにいた奴らは、名前だってテキトーに呼んでたし、ちゃんと覚えてやしない。
 でもあいつの名前だけは忘れるわけがねえ。俺が渾名を付けたんだから。素直で揶揄うと面白いから、思い付きで付けた渾名でずっと呼んでた。なんて名前を付けたんだろう。なんで忘れてるんだろう。
 あいつは俺を「かっちゃん」と呼んでた。ころころした鈴みたいな声で呼ばれると胸が温かくなった。それは覚えてるのに。胸にポッカリと開いた穴。このまま忘れちまうんじゃないかという焦燥感と喪失感。
 でも何故だろう。デクと話していると宙ぶらりんな不安が紛れるような気がする。
 パンを食い終わって、デクはジュースを飲み切らないまま下に置くと、胸ポケットからシャーペンを取り出してノートに書きこみ始めた。はじめはちらちらと俺を気にしていたが、次第に書くのに没頭してきたようだ。
 カリカリと紙をシャーペンが滑る音。さわさわと吹き抜ける心地いい風。眠くなってきた。ちと睡眠取るか。丁度いい枕もあるし。こいつは嫌と言わねえだろ。そんな気がする。
 俺はデクの膝に頭を乗せた。ちと筋肉質で硬めの膝枕だな。男の膝だしな。
「ちょ……え?かっ、君、どうしたの」
「10分経ったら起こせよ」
「教室に戻った方がよくない?」
「うっせえ、今眠いんだ、今寝てえんだ。黙って膝貸せよ」
 蒼い空に淡く白い三日月がふうわりと浮かんでいる。幻のような昼中の月。
 眠りに落ちる前にデクの呟く声が聞こえた。
「君はそんな人じゃないはずだろ……」
 少し寂し気な声音に聞こえたのは微睡の中だったからだろうか。


 午後の体育の授業はリレーだ、高低差のある建物の間を縫って進むコース。上を行っても下を行ってもいい。
 建物の上を爆破で跳んで俺がバトンを渡すと、デクはポンポンジャンプして障害を飛び越える。あいつのパワーはどこから来るんだろう。反動つけてるとはいえ軽く蹴るだけで高く跳んじまう。パンチだってそうだ。俺みたいに爆風じゃねえし。筋力にしては、あれじゃまだまだ筋肉量足んねえだろ。そういう個性だっつったらそれまでだけどよ。それにしても。
「お前の動き、俺の真似だろ」
 待機場所に戻って来たデクに話しかける。
「う、うん。わかっちゃった?」
 デクの語尾が小さくなる。まるで俺に怒られると思ってるかのように。
「責めてねえ。別にジャンプ自体が俺のオリジナルっつーわけじゃねえし。お前、やっぱり俺をよく見てやがるな」
「君はすごい人から」
「まあな」
 素直に褒められて悪い気はしない。だが奴が不思議そうな顔をして俺を見る。
「怒らないんだね」
「だからよ、なんで俺が怒るんだ。俺がすげえんだろ。てめえが真似ても俺ほどじゃねえしな」
「それはそうだよ。まだ君には全然追いつけない」
 ふっとデクの唇から笑みが溢れる。初めて俺の前で笑ったんじゃないだろうか。胸がじんわりと温かくなる。他の奴らにはいつも見せてる笑みだ。いつも俺の前では何故か強張った表情しか見せなかった。気にしないようにしても引っかかって、多分少しムカついていたのだということに、今気がついた。
 向こうでデクを飯田が呼んでいる。
「じゃあ……」
 と言うとデクは走ってゆく。思わず俺は手を伸ばした。が、届かない。俺は引き止めようとしたのか。なんで。空を掴んで腕を下ろす。
「絡まれてたんじゃないのか、緑谷くん」
「飯田くん、違うよ」
 飯田の声はでかい。あの野郎、会話聞こえてんだよ。俺がデクに何かするとでも思ってんのかよ、クソが。ムカついて怒鳴ろうとしたところを、背後から唐突に肩を小突かれる。
「んだよ!殺すぞてめえ!」
 威嚇しながら振り向いた。切島と上鳴がニヤニヤと笑っている。
「俺らもお前呼んでたんだけどな、気づかなかったのかよ」切島が言う。
「はあ?てめえ声ちっせえんじゃねえのか。聞こえねえよ」
「最近よく緑谷と話してるよな。爆豪。怒りもせず」上鳴が言う。
「だからなんで俺が怒るんだ」
「常識じゃあそうだけどよ。お前、緑谷には何かっつーとすぐ怒ってたしよ」
 切島の言い方だと俺が常識ねえみてえだぞ。あるわ。
「ちょっと前だって夜中にあいつと大喧嘩して謹慎食らってたじゃねえか」
 上鳴が言うその喧嘩をした覚えはある。とても頭にきていたとも思う。なんでそんなに怒ったのだろう。その時の感情は覚えてない。処罰されて寮内をあいつと清掃したことも覚えているのに。
「うるせえ。なんか文句でもあんのか。俺はしたいようにしてんだ」
「いやいや、勿論いいに決まってんじゃん。捻くれてねえ揉めたりしねえお前はすごくいい!元気なガキ大将みたいでよ」
「なあ、轟もそう思うだろ?」
 上鳴は振り返り、たまたま背後にいた轟に呼び掛ける。いきなり話を振られたものの、轟は即答する。
「いや、気味がわりいな」
「ああ?喧嘩売ってんのか!」
 俺は頭にきて掌から火花を散らし威嚇する。轟の野郎はいつも言葉の端々に天然の優越感みてえなものが垣間見えて苛々する。
「ちょっ、轟。お前……、なんでそういう」上鳴は慌てて言う。
「俺はそう思うってだけだ。気を悪くしたんならすまねえ。じゃあな」
 口では謝りつつ、轟は全く悪びれた様子もなく去った。あいつなんなんだ。
「まあ、喧嘩すんのも仲がいいとかいうけどよ。緑谷とお前はどう見ても違ったしな」
「グラウンドベータで殴り合って、分かりあったのかも知んねえな。熱いぜ男らしいぜ!ベタだけどいいぜ!」切島が言う。
「だからもうお前らのことは安心していいのかなーと思ってよ」上鳴が言う。
「余計なお世話だ」
 神野での敵との戦いでオールマイトがボロボロになって再起不能になった。それが俺が敵に攫われたせいだと思うとものすごく辛くかった。
 グラウンドベータでの喧嘩。俺はデクに。デクに八つ当たりしたのか?なんであいつに?胸がざわりと冷える。忘れちまったらいけないものを忘れてるんじゃないのか。
「お前らが仲よかった頃ってのはそういう感じだったのかな」
 切島の言葉に考え事から引き戻される。
「嘘だろって思ってたけどよ。昔は今のお前みたいだったんなら、緑谷の言うことも納得できるぜ」
「ガキの頃は気が合わなくても、近所の奴と遊ぶだろ。成長するにつれ段々気の合う奴と付き合うようになるってもんで。お前らもそんなもんだろって思ってたぜ。でもお前見てると違ったみてえだな」上鳴が言う。「お前は選んであいつといたんだな」
「すっげー、気を許してるもんな。いっつも気を張ってるお前が、見たことねえくらい自然体でよ」切島が言う。
 今なんて言いやがった?話の流の中に聞き流せない言葉があり、俺は問い返す。
「あいつと仲の良かった頃?」
 記憶ではガキの頃の遊び仲間の中に、あいつの顔はない。
「どういうことだ?」
「どうって、俺はお前らから聞いたことしか知んねえんだけどよ」上鳴が言う。
「お前ら幼馴染なんだろ。小学校以前からの。おい、爆豪、待てよ」
 切島の声を背に俺は走り出した。どういうことだ。俺はデクの姿を探した。デクは嘘をついていたのか。この俺に。俺を騙していたのか。ふつふつと怒りが湧きあがってくる。あいつがこの俺を。漸く建物の陰に飯田と連れ立って歩いているデクを見つけた。近くまで駆け寄る。デクが飯田から離れたのを見計らい、肩を掴む。
「おい、デク!」
 デクはビクッとして振り向いた。
「てめえは俺を……」
 と言いかけて止める。騙されていたのかと思った途端頭が沸騰したが、そもそも俺が覚えてないならデクも覚えてないだけかも知れねえ。こいつが俺を騙すわけがねえ。だがなんだろう。こいつに騙されてたと思った途端怒りに我を忘れた。
 デクはおどおどと俺を見つめる。初めから訝しく感じてたが、デクはなんでやたらと俺を怖がってるんだ。強えくせに俺だけにこの態度。釈然としない。穏やかそうなデクのこんな一面を見るたびに心にさざ波が立つ。
「えっと、何か用なのかな」
「何って……、お前」
 どう聞けばいいのか。出久はじっと見つめてくる。見透かすような視線。落ち着かなくなる。こんな眼差しを昔どこかで見たことがなかっただろうか。
「こっち来い。用があんだよ」
「緑谷くん」
 飯田はまた心配そうにこっちを見ている。いつもなんなんだ、あいつ。いらっとする。俺がデクに何かするとでも思ってんのか。
「聞きたいことがあんだよ」
 とデクに言い、手を掴んでクラスの奴らのいるところから引き離す。
「先行ってて」
 とデクは飯田に告げる。寮へ向かう道を歩きながら問う。
「おい、お前は知ってんだろう」
 まず覚えてねえのかどうか、かまをかけてみる。
「何を?」
「聞いたぜ。お前も幼馴染なんだろうが。悪いが俺は覚えてねえ。だけどそんなら、知らねえわけねえよな」
「何を僕が知ってるっていうんだ?」
「俺の幼馴染に無個性の奴がいただろ」
 デクの表情が固まった。目を見開き、ふるふると首を振る。嘘のつけねえ奴だな。これではっきりした。デクは知ってて隠してやがったんだ。
「お前も知ってんだな。そいつの名前わかるか。わかるんなら教えろよ」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「言っただろうが。幼馴染いたって。だけど思い出せねえんだ。顔も名前も。思い出してえんだよ」
「僕は知らないよ」
 デクは目を泳がせる。こいつ、しらばっくれてやがる。寮に到着したが、中には入らずに玄関の脇にある側道にデクを引っ張っていく。校舎と寮の壁に左右を挟まれたこの場所なら、誰にも邪魔されずに二人きりで話せるだろう。
「嘘つけ。顔に書いてあらあ。教えろよ」
 そう言ってデクを壁に押し付け、両肩を掴んで迫る。だがデクは「知らないよ」と言いながらまた目を逸らす。
 こいつ、ぜってえ知ってやがる。なんで隠すんだ。壁に手をついて囲い込み逃さないようにする。
「どうしても知りてえんだ。教えろよ」
「今更だろ。そんな子供の時のことなんか聞いてどうするんだよ」
「会わなきゃいけねえんだ」
「それこそ意味ないよ。今どうしてるかなんて。きっともう生活も違って新しい友達がいるよ」
「お互いそれぞれ友達ができたからもういいなんて、そんな簡単なもんじゃねえんだよ、あいつとは」
「そんな……、ことは」
 何かを言いかけてデクは俯いてしまう。前髪に隠れて表情が見えない。理由、言うしかねえか。仕方がねえ。
「俺はそいつが気に入ってたんだよ。兄弟なんていねえからわかんねえけど、そんくれえ近くに思ってた。いつも側にいたんだ。なのに顔を名前も忘れちまうなんて、どうしてだかわかんねえよ。だけど会いたくてたまらねえんだ」
 憶測だが間違いねえ。でなきゃこんなにそいつが俺の心を占めやしねえ。
「多分好きだったんだ、俺はそいつが」
 俺のだったんだ。という言葉は飲み込む。俺はそう思っていた。心に空いた空洞はそいつに会えば埋められるはずだ。
「そんなわけないよ」だがデクは即座に否定した。「君と彼は仲良くなかったよ」
「てめえ、やっぱり知ってんだな!」
 肩を掴んだ手に力が篭る。出久は「しまった」という顔をして黙りこむ。
「嘘つくんじゃねえよ。いつもつるんでいただろーが。俺は記憶はあんだよ」
「本当だよ。はじめは彼は君を慕って追いかけていたよ。でもだんだんおかしくなっていって……」
 言葉が途切れていったが、デクは溜め息をついて言いにくそうに続ける。
「君は彼を虐めてたんだ。皆みたいに放っておけばいいのに、君だけがずっと。だから彼はもう君に会いたくないと思う」
 頭の中を殴られたように衝撃をうけた。あいつと喧嘩している記憶が映像的に浮かんでくる。喧嘩したこともあるんだろうくらいに思ってた。喧嘩じゃなくて虐めていたっていうのかのか。
「俺はそいつを、嫌ってたのか」声が震える。「なんでだ。憎んでたのか?何かあったのか?」
「君の気持ちなんか知らないよ」
「ならそいつの考えもてめえが決めんなよ!」
 気持ちが抑えられなくなり、俺は怒鳴った。気圧されたようにデクは怯んで守るように鞄を胸に抱える。
「とにかく僕は知らないから」
 おどおどしながらも話をかわそうとするデクにイラつく。声を聞きつけたのか、クラスの奴らがやって来た。「おいどうした」と声をかけられる。その隙に出久は駆け出した。
「おい、待てよてめえ!話は終わってねえ」
「なんだなんだ、爆豪。折角いい感じだったのに、まだ前に逆戻りかよ」
 上鳴が揶揄うように言いながら、俺を引き止める。
「うるせえ!邪魔すんな!クソが!」
 俺達が仲が悪かったとか、デクのこととなると俺は頭に血が上るとか。クラスの奴らはいつも言う。そういうことがあったらしいという記憶はある。だけど、感情は忘れちまった。今そうじゃねえし。いつまでも同じ感情を1人の奴に持ち続けることなんてねえだろ。それともあんのかよ。
 感情を忘れてるっておかしいのか。親に聞くか?いや、それは最終手段だ。なんで忘れてんだって聞かれっと面倒だし、もう学校側の責任とか追求されるのは御免だ。手掛かりはすぐ側にある。逃げられると思うなよ、デク。


3


 昔の夢を見ている。あいつが他のやつを庇って立ちはだかる。また俺に抗うのかよ。俺は怒って殴りつける。
「ダメだよ。かっちゃん。殴られても僕は聞けないよ」
 あいつは頭を庇いながら弱々しく言い返してくる。
「てめえ!俺に逆らって他の奴の肩を持つのかよ」
 そんなのありえねえだろ。怒りのあまり、手を伸ばしてあいつの肩を掴んで地面に引き倒す。庇ってた奴は一目散に逃げた。
「あの野郎、てめえを放って逃げたぜ。ざまあみろ」
 笑ってやろうとあいつの顔を見下ろす。だがあいつはホッとした顔をしている。驚いて、次に腹が立った。服を掴んであいつの名を叫ぶ。
 けれども、名前を呼んで罵倒しているはずなのに、自分の声なのに、なんて呼んでるのか聞こえない。顔を近づけてるのに、靄のかかったように顔がわからない。
「無個性のくせに生意気なことすんじゃねえ!何にもできねえくせに」と俺は怒鳴る。
 怒りと憤りとで胸が潰れそうに苦しい。
 ふらふらと足が向いてあいつの住んでる団地の前に来る。静まり返った階段を登る。昨日も今日もあいつは公園に来なかった。
 今までどんだけ小突いても、べそかきながら俺の後をついてきやがったのに。ドアの前に立って呼ぶとあいつはすぐに出てきて、俺をヒーローを見るみたいにきらきらした目で見ていたのに。
 あいつが側にいるから俺は自分がヒーローだと思えたんだ。今までと何が違うっていうんだ。あいつが、無個性だからか。それを認めたくねえからか。自分が納得できねえからって。俺を巻き込むんじゃねえよ。大抵の奴は大した個性持ってねえんだ。たとえてめえに個性があったとしてもどうせ大したことねえに決まってんだ。逆らったりしないで俺の後ろをついてくりゃいいだろーが。弱い奴は強い奴に付いてくるもんだろ。虎の威を借るっていうじゃねえか。
 ドアの前に立つ。呼び鈴を押そうとして躊躇する。この扉の向こうにあいつがいるのに。 名を呼ぼうとしても声が出せない。なんで俺があいつを呼ばなきゃいけねえ。なんで俺が追わなきゃいけねえんだ。怒りなのか憤りなのか。なんなんだ胸に渦巻くこの嵐は。悲しいのか俺は。


 目を覚まして飛び起きた。今あった出来事であるかのようにリアルだ。あれは過去に確かにあった出来事だ。映像的な記憶でしかなかったのに。 家に来たのにドアを開けなかった。あの時俺は開けられなかったのか。
 くそっ、目を覚ます直前に名前を呼べばよかった。思い出せたかも知れねえのに、畜生。なんて呼んでたのかその名前がわからない。想い出そうとしても顔が思い出せない。現実に起きた出来事だという認識はあるのに。なんて苦しい記憶なんだ。苦しくて辛くて胸が締め付けられるみてえに痛え。
 なのに僅かに手掛かりを得たことに心が変に甘く騒めいている。俺の感情が手掛かりだ。
 デクと話すようになってから何故か、昔の記憶に付随していた感情が次々と甦ってくる。色のないモノクロの下書きに鮮やかな彩色がほどこされるように。
 夢の中のあいつは誰なんだ。なんでこんなにも胸が痛いんだ。顔も名前も知ってるはずなのに。なんでそいつのことをデクは隠すんだ。やっぱりデクから聞き出してやる。
 聞き出して探しだして会いに行く。今更だろうが何だろうが構うものか。会えばなんとかなんだろ。
 あいつの言うように俺はなんでも持っていた。あえて欲しいものなんて何もなかった。欲しいものは目に見えないとあいつは言った。名声や栄光や人望は目に見えないけれど儚いものだ。人の秤で測るものなんか欲しくねえ。
 欲しいものなんてなかったんだ。あいつは俺のものだったから。思う前に既に俺のものだったから。あいつを無くして初めて気づいたんだ。今の俺が欲しい唯一のものははっきりと目に見えるし触れられた。確かな体温と歪な心と危うい魂を持った一人の人間なんだ。


「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを。この和歌の現代語訳を答えろ。はい、八百万」
 一時間目は古文の授業だ。相澤先生に当てられた八百万は、起立してきびきびと答える。
「あの人があれは真珠ですかと尋ねた時に、露だと答えて自分も露の如く消えればよかった。そうすればこんな思いをせずにすんだのに、という訳です」
「はい、正解。伊勢物語の中では見分違いの想い人を連れて逃げたものの、目を離した隙に鬼に食われたという話だ。追手に想い人を連れ戻されたのが真相らしいな。平安期当時に実際にあったスキャンダル事件が元らしい。 この歌は「新古今和歌集」と「伊勢物語 芥川」に収録されている」
「先生、なんで歌集と物語なんて別々の本に同じ歌が入ってるんですか」手を上げて芦戸が質問する。
「和歌の作者は在原業平だ。彼は「伊勢物語」の主人公のモデルといわれてる。伊勢物語の成立は平安初期、新古今和歌集鎌倉時代初期だから伊勢物語が書かれた方が先だ。時代を越えて同じ歌を掲載したってことだな。在原業平は人気のある歌人だから多くの歌が残っているんだ」
百人一首のちはやぶる、も在原業平ですよね」挙手して八百万が口を挟む。
「そうだ。彼は色好みで有名だったりするが、学はないが才能があり政治の中枢にいたらしい。平安時代歌人界ではいわばヒーローだな」
「ヒーロー……」と後ろで呟くデクの声が聞こえる。てめえ、ヒーローなら何でもいいのかよ。
 授業が終わり、俺は後ろの席を振り向いた。デクがビクッと震えて椅子を引く。
「な、何?」
「おい、てめえに聞きたいことが……」
 と声をかけた途端に視界がぐらりと揺れた。脳裏に次々と記憶がランダムに浮かんでは重なりあう。フラッシュバックって奴か、これは。くそ!頭が混乱する。立ち上がった拍子にがたんと椅子が倒れた。足元が揺れ、立っていられなくなって四つん這いになり、床に手を付く。
 砂利が指に触れる。冷たい。水の中だ。頭が痛え。身体が痛え。布が肌に張り付いて気持ちわりい。頭上にある丸木橋から脚を滑らせたんだ。
 上から遊び仲間達の声が降ってくる。「大丈夫だよな」「かっちゃん強いもん」と言いながら奴ら笑ってやがる。ムカつきながら「大丈夫」と虚勢を張って不敵に笑みを浮かべて見せる。
 大丈夫なわきゃねえだろ馬鹿野郎。冷てえし痛えよ。誰も来やしねえ。俺は強いからって心配してねえんだ。それとも濡れんの嫌だからかよ。
 背後からばしゃばしゃと水をかく音。
「大丈夫?頭とか打ってたら大変だよ」と差し出される小さな手。
 ああ、あいつか。俺は嬉しくなった。だが嬉しいと思った自分に腹が立った。
 俺は期待してた。奴らは来てくれるんじゃないかと。けれども期待は裏切られた。だがそんな風に感じるのは甘さだ弱さだ。誰でも自分が大事なんだ。俺は大丈夫だ。ひとりで立てるんだ。薄情な奴らにだって余裕で笑ってやれんだ。
 なのにあいつだけは手を差し伸べた。その手を取ったりしたら俺は。俺はあいつを。
 視界が暗くなり薄闇が広がった。脳裏の記憶の場面が変わったのだ。
 地面を叩く土砂降りの雨の音がうるさい。薄暗い放課後の教室の中。着ているのは中学生の詰襟の制服。俺はあいつを床に押し倒して押さえつけている。
 俺を「爆豪くん」なんて呟くのが耳に入ったからだ。たどたどしい口調で聞きのがしそうな小さな声で。途端に頭が沸騰した。
 捕まえて誰もいない教室に引き戻し、床に組み敷いた。咳き込んだあいつがヒュウっと息を吸い込む。
「てめえが俺を苗字で呼ぼうなんてよ。生意気なんだよ」
「だって、かっちゃん、なんて皆もう呼んでない。おかしいよって」
「誰に云われたのか知んねえが、俺に指図すんな、クソが。だからてめえはいつまでも」

 今の俺は苗字か名前の呼び捨てで呼ばれてる。ガキの頃俺を「かっちゃん」と呼んでた奴らとはもう交流がない。たとえそいつらが呼び名を変えてたってなんとも思わない。だがてめえは駄目だ。
 てめえは呼び名を変えることで、俺との間に壁を築こうとしてんやがんだろ。てめえが自覚してなくたって、そうしようとしてやがるのはわかってんだ。
「てめえの思いどおりにはさせねえ。今度苗字で呼んでみろ。ただじゃおかねえ!」
「なんでそんなに怒るんだよ、かっちゃん」
「黙れよ。てめえは俺の言うとおりしてりゃいいんだ」
 次から次へとふざけやがって。これ以上俺をどれだけ虚仮にすりゃあ気が済むんだ。理想のヒーロー像を追うこいつの言うことは綺麗事だ。てめえ勝手な理想像を押し付けて、俺に指図しやがるから腹が立つんだ。腹の底ではこいつが正しいと思っちまいそうになるからこそ認められねえ。俺に逆らうなと苛立って苛んで。次第にこいつが俺を避け始めて。姿を見るだけで胸が抉られるくらい苦しくなって。俺にこんな思いをさせるこいつを許せるわけがねえ。
 こいつは怯えきった表情を浮かべているはずだ。なのにどんなに凝視してもやはり顔がわからない。見ているのに認識できない。
 腰をこいつの下腹に降ろして馬乗りになる。太腿の下に押さえ込んだ身体の感触。服越しに触れ合ったこいつの局部の体温を感じる。弾力のある膨らみ。勃起しそうになった。慌てて腰を浮かす。
「かっちゃん?」
 表情は読めないが怯えた声。まさか勘付いたのか。唾を飲み込んで見下ろす。今頃になって気づくなんて。
 てめえに見透かされて見下されてると思いこんだのは。いつも目が姿を探してしまうのは。他の奴らは近づこうが離れようが平気だったのに、てめえだけは離れるのが許せなくて追いかけちまうのは。他の奴にどう見られたって何を言われたって気にならねえのに、てめえにだけは腹が立つのは。捻じ伏せて従わせて意のままにしたいなんて欲求に支配されちまうのは。
 やっと理解した。俺はてめえが欲しいんだ。欲しくて欲しくて堪らないんだ。好意なんてもんじゃない。情欲そのものだったんだ。苛立って追いつめて、今頃自覚するなんて。気づかなければよかった。今更手に入れるなんて不可能だ。散々傷つけたんだ。こんなに拗れてしまってはもう手遅れだ。こいつが俺を受け入れるはずがない。もっと早くに自覚していたら違ったんだろうか。どちらにしろ叶うはずなんてねえ。こいつが知ればきっと俺を憐れんで蔑んで見下しただろう。そんなことには耐えられねえ。こんな感情をこいつに知られたら俺は。俺は。
 記憶の混濁。脳が揺れるような目眩。こみあげるものに耐え切れず俺は嘔吐した。昼前で胃はからっぽだったからか胃液しか出てねえか。周りが「うわっ」と驚いて引いているようだ。咳き込んで口を拭う。「雑巾取ってくる」と誰かの声がする。
「大丈夫?」
 とデクが駆け寄り手を差し出した。幼い頃の映像がフラッシュバックする。差し出された小さな手。この手じゃねえか。怒りが沸いた。立ち上がり、デクに掴みかかって机の上に引き倒した。デクは怖がりながらも案じるように俺を見上げる。
「そんな目で俺を見てんじゃねえ」俺は怒鳴った。
「おい、なに怒ってんだ。落ち着けよ」「どうしたんだ、爆豪くん」切島と飯田がユニゾンで話しかけてくる。
「うるせえ!こいつは……」
 答える前に足が縺れ、目が回ってデクの上にふらりと倒れ込んだ。身体を滑ってずるずると床に頽れる。
「だ、大丈夫?」
 薄れゆく意識の中で、俺を呼ぶデクの声が幼い声と重なる。デクの顔が認識できなかった幼馴染の顔と重なる。押し寄せる記憶の奔流と甦る感情に意識が呑まれる。
 てめえだったのか。やっぱりてめえだったんだな。俺をこんな風に苛立たせる奴が何人もいるわけがねえんだ。憎くて辛くて腹が立って、惹かれて焦がれて求めていた。凪のように落ち着いていた心が逆巻き渦を巻き嵐になる。ああ、これだ。俺はずっと昔からこの感情と共に生きてきたんだ。凪の日なんて一度としてなかったんだ。てめえに会ってから一度だって。
てめえが、出久だ。


 あの日。
 学校の門の前でヴィランに襲われて、保健室に担ぎ込まれたあの日。目が覚めたら俺はベッドに寝かされていた。手当は済んでいて、ヴィランは撃退されて、俺は救出されたのだと聞かされ、教室には戻らずそのまま寮に帰った。俺一人だと、そう思っていた。
 だが違ったのだ。あの場には出久も共にいた。あの時保健室で何があったのか。抜けていた記憶が蘇ってくる。
 保健室に運ばれていく道中に俺の意識は戻った。出久は担架に乗せられ並走して医療ロボットに運ばれてる。大きな身体の先生に背負われてる俺を心配そうに見上げる大きな瞳に腹が立った。
ヴィランはどうなった」
 隣を歩いている相澤先生に聞くと、先生はサングラスを上げて俺を見た。
「気づいたか、爆豪。奴は拘束して警察に引き渡したよ。全く、お前らは厄介だな。次から次へと」
「お前の生徒はどうなってんだ、相澤。飼い主に似ちまったんじゃねえか」
 俺を背負った先生が豪放に笑う。
「俺じゃない奴の方に似たんだろう」相澤はぼそっと答える。
 飼い主ってなんだよ、クソが。躾けられてたまるかよ。
「かっちゃん、背中大丈夫?」出久が口を開く。
「痛えわ、クソが」
 変色した出久の右腕が目に入り、苛ついた。結局またぶっ壊したのか。
「ごめん……、僕のせいで」
「それ以上喋んな。胸糞わりい」
 保健室に到着すると、俺は着ていたコスチュームの装備を外され、ベッドに俯せに寝かされた。背中の傷を治してもらったおかげで痛みは引いた。
 出久が何処にいるのか気になった。身体を起こしたものの、治療の副作用で脱力感に襲われる。カーテンで仕切られた隣のベッドにいるのか。確認しようにも足に力が入らないので立てない。仕方なくまた横になろうとすると、誰かがカーテンを開けた。
 背の高い痩せた男。まだ見慣れない、オールマイトの真実の姿。
「あんだ?オールマイト
「すまない。まだ教室に戻らないで少し待っててくれ」
「言われなくても、しんどくて動けねえよ」
「そうかね。では、すぐに来るから」
 と言い、オールマイトはカーテンを閉めた。背中は痛くなくなったので俺は仰向けに寝転ぶ。 一人になると思うのはいつもムカつく幼馴染のこと。あいつがオールマイトから力を貰ったのだということ。俺の知らないところで。
 カーテンの向こう側でひそひそと保健室のババアとオールマイトの声が聞こえる。
「これっきりならいいんだけどね」
「ああ、そう望みたいものだが……。さてどうしたものか」
 オールマイトの困ったような声音。カーテンの向こうから出久の声が聞こえてくる。
オールマイト、かっちゃんは大丈夫なんですか?あ、こんにちは……。ええ!?」
 やはり隣のベッドには出久がいるらしい。カーテンの隙間からベッドに腰掛けているあいつが見える。腕と片足に包帯を巻かれている。あいつ、全力でぶっ放すとか、馬鹿か。指くれえにしとけよ。オールマイトの側にもう一人いるようだな。セラピーヒーローの誰それとか出久が言ってるのが聞こえる。興奮して声が上ずってやがる。あのヒーローオタクめ。クソが。
「やれやれ、君も無傷ではないんだぞ」
「すいません、オールマイト。でも僕は大したことないです。足は治してもらったし。僕はかっちゃんに吹っ飛ばされて助かったようなものだから……。かっちゃんは?」
「爆豪少年の背中の打撲傷は治したよ。コスチュームのお陰で外傷はなかったしね。治療で体力は消耗してるだろうけど」
「コスチューム……。かっちゃんはちゃんと危険に備えて用心していたんだ。僕がついていったりしなければ」
「君がいなければ、爆豪少年はヴィランにひとりで対峙することになっただろう。彼を1人にしなかった君の判断は間違ってはいないよ」
「かっちゃんは僕を庇ったんです。こんなことになるなんて……。こんなの、彼らしくない」震える声で出久は続ける。「きっと秘密を知ったからなんだ」
 あの野郎、何言ってやがる。庇ったとか寝言ってんじゃねえよ。てめえのためじゃねえわ、自惚れんな。オールマイトに借りがあっからだ。
 オールマイト。希望の象徴。グラウンドベータでの対決でオールマイトが現れた時、出久が後継者だと知った時、もう出久を取り戻せないのだと理解した。どんなに足掻いても、もう二度と手に入れることはできないのだと。いつ死んでも不思議じゃない生き方をあいつは選んでしまったのだ。俺の目の前でオールマイトが辿った道をあいつも歩むのだ。「ワン・フォー・オール」という得体の知れない何かに、あいつを永遠に奪われてしまったのだ。ほんの一瞬目を離した隙に。
「僕が油断したせいだ……。こんな風にかっちゃんが傷つくなんて、耐えられない」
 出久が声をつまらせる。べそかいてんのかよ。ほんっとガキだな。以前出久の前で号泣した自分のことは棚上げにする。
「捕らえたヴィランは白状したよ。他の生徒を拉致したなら学校への脅迫、爆豪少年ならヴィラン連合に引き渡す所存だったらしい。彼は例の神野の事件以後も、いまだヴィラン連合に目をつけられているようだな」
「そうかも知れません……。ヴィラン連合のボスに僕との因縁を知られてるのかも」
「言いにくいことなんだが……」オールマイトは続ける。「こういうことが度重なると、彼から秘密が漏れる可能性を考慮しなければならない」
「そんなことない。かっちゃんは大丈夫だよ!オールマイト!」
「また敵に遭遇して、彼が捕まるようなことがあれば危険なんだ。大切な秘密なんだよ、緑谷少年。彼の身も君の身も危険に晒すことになる」
「そんな!そんな……、なんで。僕がかっちゃんに喋ったりしたから……」
 苦しげな出久の声。んだよあいつ、ずっと俺に隠しおおせるつもりだったのかよ。てか、秘密は俺が自力で暴いたんだろ。てめえが口を滑らしたりしなくても情報を総合すりゃ、俺はきっと気づいたはずだ。どんだけ長い付き合いだと思ってんだ。
「秘密を知る者達で相談したんだが」オールマイトが言う。「保安のために彼の記憶を少しだけ操作することにするよ」
「秘密を忘れさせるんですか」
 どきりとした。何を言ってやがる。
「いや、彼は勘がいい。今の私の状況とヴィラン連合との会話。君が無個性であったこと。君の個性がますます私に近づいてきたこと。そして、何よりも彼の君への執着。たとえ一時的に忘れさせても手がかりを総合すればまた気づくかも知れない」
「そう、ですね。かっちゃん頭いいから。だったらどうするんですか」
「まず今日のことと、君が彼に喋った真実と、君が無個性であること。その他に過去に付随した君に抱いていた感情も、対象にせざるをえないだろう。無個性だった以前の君と今の君との間に繋がりがなければ、彼も疑わないだろうからね。」
「そんな!僕らは幼馴染で付き合いは長いんですよ。そんな長い期間の記憶を弄るなんて。大丈夫なんですか」
「記憶を消すわけじゃない」
 聞き覚えのない男の声がきこえる。セラピーヒーローとやらだろう。
「頭の奥にしまわれたものに表からアクセスできなくなるだけだ。昔の出来事や名前や顔が部分的に思い出せなくなるようなものだよ。普通によくあることだろう。それだけだよ。記憶を完全削除することもできるが、現実との弊害が出る可能性があって危険だからな。余程のことがなければ使わないことにしている」
「というわけだ。最小限の記憶と過去の彼への感情だけを対象にお願いする。そんな顔をしなくていい。心配ないよ。彼はその世界の第一人者だからな。君への拘りがなくなったと知れば、ヴィラン連合も彼を狙わないだろう」
「そう……ですか」
 あいつら、何言ってんだ。俺のいねえところで何勝手に決めてやがんだよ。カーテンが開けられた。顔を出したのは見覚えのないヒーローとオールマイト
「一体何言ってるんだよ、あんた」
「聞いていたんだろう、爆豪少年 。君なら理解できるだろう。こうしないと危険なんだ」
「俺がかよ。デクがだろ。あいつのせいで俺までとばっちりかよ!」
「最低限の処置だ。秘密の記憶と無個性だった緑谷少年への感情。それだけだよ。今までの記憶自体はほぼそのままだが。おそらく今の緑谷少年と昔の緑谷少年を別の人間だと思うようになるだろう」
「嫌だ、ぜってえ嫌だ!」
 ふざけんなよ。今の出久だけじゃ足りずに、この上過去の出久まで奪うつもりなのかよ。あいつへの感情が俺の頭の中にどれだけの大きさを占めてんのか知らねえくせに。苛ついて苦しくて腹が立って。でも絶対になくしたくないものなんだ。脱力感で身体を起こせねえ。畜生!
 必死で腕を伸ばしカーテンを掴んで引っ張る。翻ったカーテンの向こうにベッドに腰掛けた出久がいた。辛そうな顔で俯いている。てめえは忘れてほしいのかよ。昔のこと何もかも。
「デク!俺はてめえを絶対許さねえ!」
 感情が昂ぶって涙が溢れる。泣きながら、出久を睨んで叫ぶ。
 セラピーヒーローの大きな手が頭を掴んだ。目の前が白い靄に覆われる。出久の顔が霞んでゆく。俺の方を向いて俺の名を呼ぶ声が、音が遠くなる。頭の中も雲に覆われたように白く塗り替えられていった。


4


 目が覚めた。周囲を仕切る白いカーテン。保健室だ。セラピーヒーローはもういないようだ。
 いや違う、あれは失われていた記憶だ。今日俺は授業中にフラッシュバックが起こって意識がなくなって、全て思い出したのだ。何があったのかを。何をなくしていたかを。
 ベッドの側の椅子に出久が座っていた。俯いていた顔を上げて俺を見る。
「かっちゃん、大丈夫?」
「この野郎!クソが!」
 俺は出久に掴みかかった。襟元を掴み引き寄せて怒鳴る。
「デク、俺はてめえを許さねえ!」
「記憶、戻ったんだね……」
 一瞬安堵の表情のようなものを浮かべた出久は、抵抗もせず俺の為すがままだ。
「あいにく戻ったぜ、デク。全部な。ふざけたことしやがって」
「ごめん、仕方なかったんだ」
 デクは目を伏せて言う。
「仕方ねえ?よくもてめえぬけぬけと!てめえ!」
 拳を握って振り上げた時、誰かがカーテンを開けた。
「やれやれ、騒ぐのはよしとくれ」
 呆れた顔でリカバリーガールが入ってくる。後ろに椅子に座ったひょろ長いオールマイトの姿が見える。
「彼のせいではない。悪いのは私達だ」
 オールマイトは立ち上がり、両腕を広げた。俺は出久から手を離して身構える。また記憶を弄るつもりかよ。そうはさせねえ。
「自力で記憶と感情を取り戻すとは驚いたタフネスだな、君は」
 とオールマイトは困りながらも感心しているような口調で言う。
「一時的な記憶混濁とクラスメイトには教えていた。操作した過去は忘れたまま、日常になっていくだろうと、そう目論んでいたんだが」
「生憎だったな。脳みそに手突っ込んでかき混ぜるようなことしやがって。それがヒーローのすることかよ」
「ああ、そうだな……」オールマイトは頭を垂れる。「本当にすまなかった。度重なるヴィランからの襲撃に、過敏になっていたかもしれない。君にはとても悪いことをしてしまった。君達の関係的にもその方がいいかもと思ってしまったんだ」
 わかってねえよ。あいつは俺にとってそんなんじゃねえんだ。頭が沸騰しそうだ。奪われるところだった。デクへの感情を。どんなに苛ついて苦痛であっても、それだけはどうしても失いたくないものだ。
「俺の記憶だ。俺だけのもんだ。誰にもいじらせねえ。こいつは無個性であんたから力を貰った。それがどうした。他の誰にも言わねえし、また捕まったりしてもぜってえ口を割ったりしねえ」俺は出久を睨みつけて続ける。「もう2度と捕まったりしねえけどよ。クソが」
 出久は口を開きかけた、だが何も言わないで目を伏せる。
 チャイムが鳴った。
「緑谷少年、もう授業に戻った方がいい。彼のことは心配ない」
「はい、あの、後で話したいです。オールマイト
 出久は振り返りながら、保健室を出て行った。オールマイトは出久の座っていた椅子を引き寄せて座る。
「君は自己分析が苦手なようだね。彼への感情がどこから来たのか在り処を探してみるといい」
「自分の感情くらいわかるってんだ。あいつに苛つくってことくらい」
「君は緑谷少年の記憶を無くしていたとき、彼に苛ついてはいなかっただろう。むしろ頻繁に彼に近づいていた。意外だったけれど、あれが君の素のままの感情なんだろうね。君は彼自身に苛ついているわけではないんだよ。むしろ……」
「ちげえよ!」俺は怒鳴る。「ムカつくもんはムカつくんだ。それに、積み重なったあいつへの感情を忘れて、初めは和やかな関係でもよ、結局は同じ轍を踏んだかも知れねえぜ」
「ああ、そうなったかもしれないね……」オールマイトは立ち上がりベッドに歩み寄る。「爆豪少年、緑谷少年は君らしくない行動だと言っていたけれど、君はいきなり緑谷少年を庇うようになったわけではないんだろう。USJヴィラン襲撃の時、君はワープヴィランに襲われかけた緑谷少年を救った。期末試験の時は、私が出口に向かう彼を狙った時に盾になっただろう。君がヴィランに攫われた時に、来るなと緑谷少年に言ったそうだね。それも負傷していた彼を案じたから言ったんじゃないのかな」
「はあ?何言ってんだよ、オールマイト
「私は、君は君らしい行動を取ったのだと思っているよ」
「俺は別にデクを助けようとしちゃいねえ。身体が勝手に動いちまっただけだ」
「身体が勝手に、か。君達は似てるところがあるね」
「冗談じゃねえ、デクなんかと俺のどこが似てるってんだ。あんなムカつく奴と」
 オールマイトの手が俺の頭を撫でる。力強く温かな大きな手。力を出し尽くし、トゥルーフォームではなくなっても人を安心させる存在。
「だが君の行動に緑谷少年は気づいてないようだ。君への思い込みが強いからだろう。君に嫌われていると思ってる。だから自分を助けた君の行動を、らしくないと思ってしまうんだよ。君たちは二人とも賢くて理性的なのに、お互いのこととなるといつも思い込みが激しくて感情的になってしまうね」
「へっ、俺はいつでも理性的だ」
 ぶんっと頭を振って大きな手を振り払う。
「君は彼に伝わらなくてもいいのかい」
「別にねえよ。あんたの勘違いだ。俺はあいつなんか」
 指が痛い。 シーツを強く握っていたのに気づく。
「仮にそうでもデクに伝えたいことなんざねえ。伝わらねえ?それがどうした。あいつがどう思ってようが、そんなことどうだっていい」
「本当にそう思っているのかい?」
「そうだっつってんだ!しつけえよ。あんたも戻れよ、オールマイト。一人になりてえんだ」
 溜め息を吐くとオールマイトは入り口の方に歩み去る。ドアを開ける音の後、「緑谷くん、まだ行ってなかったのか」と驚くオールマイトの声が聞こえた。「オールマイト、あの」と慌てる出久の声。
 んだとあいつ!急いでカーテンを引いてドアの方向を見る。おどおどした様子の出久が立っていて、俺にびくついた視線を向ける。聞いてたんじゃねえだろうな。
「クソが。デク、立ち聞きしてたのかよ」
「聞いてないよ。今来たんだ。大丈夫なのかと気になったから。どうしたの?」
「うぜえんだよ!さっさと教室に戻れよ!」
 俺を心配してんじゃねえよ。てめえはよ。怒鳴り散らして布団を頭から被る。
「では、私も行くことにするよ。気分がよくなったら教室に戻っておいで。行こう、緑谷少年」
 二人の足音が遠ざかる。あの時のことが思い出されてくる。夜中にヴィランが襲撃してきた時のこと。拳を握りこむ。頭の奥深くに封じられていた、開放された記憶。


 あの夜遅く、一人で買い出しに行こうと校外に出ることにした。気がくさくさして、学校の外の空気を吸いたくなったのだ。
 共有スペースの窓から覗くと、寮の庭で出久がトレーニングをしているのが見えた。オールマイトの後継になるために。舌打ちする。誰が言っていたのか、共有スペースで寛いでいた時のクラスの奴らの言葉を思い出す。どういう文脈で出久の話になったのか。
「爆豪が緑谷に拘る気持ちわかるぜ。ボロボロになってそれでも逃げねえで必死でかかっていく。しかも自分のためじゃなく人助けのためだけに。強えっていうよりかなわねえわ」切島が言った。
オールマイトへの憧れなんだろうけど。あとさ、俺らをよく見てるよな。個性も生かし方も俺ら以上に考えてるみてえだし。俺らを信頼するよな。ちょっと嬉しいつーかさ」上島が言った。
「お前さ、あいつにただ一人信頼されねえ気分はどうだ」切島がいきなり話を振ってきた。「神野の事件の時もさ、ああ、怒んなよ爆豪。あいつ作戦立てたくせに、自分だとお前が手を取るの躊躇すんじゃないかって、俺にまかせたんだぜ」
「うぜえ。どうでもいいわ」
「会ったのが高校からならよかったかもなあ、お前ら」切島がため息を吐いた。
「だな。すぐ理性が吹っ飛ぶような関係じゃなく、お前と轟くらいのほどよい距離感でいられたんじゃねえか」上鳴もうんうんと頷いて言った。
 なかなか出久の話題が終らないばかりか、俺に飛び火してきた。おまけに神野の失態まで蒸し返してくる。ムカついて「うるせえ!」と怒鳴り共有スペースのソファから立ち上がる。
 去り際にまだあいつらが出久の話をしているのが聞こえた。
「でもよ、あいつ危なっかしいよな。怪我も痛みも恐れねえから。強え相手に引くことをしねえから。死を恐れないって、時々怖えと思うよ」
「ああ、怖え。傷ついて、ある日登校したらあいつがいないとか思うと、たまんねえよな」
「あんな生き方してたらいつ死んでもおかしくねえよ。怖くて堪んねえよ」
「ヒーローってそういうことなのかも知れねえけど。あそこまでしなきゃいけねえのかな……。あいつに会うまで考えたこともなかったぜ」
 部屋に戻り、コスチュームを取り出す。念のために備えておいた方がいいだろう。コスチュームを着込んで寮の玄関を出ると、トレーニングあがりの出久と鉢合わせした。
「あれ?コスチューム着て、どうしたの」俺に気づいて出久が言う。
「なんでもねえよ。ちょっと外に出るだけだ」
「敷地外に出るってこと?1人で夜歩くなんて危ないよ。またヴィランが出たら」
「だからコスチューム着てんだろ!出やがったら返り討ちにしてやる」
「僕も行くよ」
「はあ?なんでてめえまでついて来んだよ」
 なんか察知しやがったのか。 いつも遠巻きにしてやがるくせに、こんな時ばかり寄ってくるんだよな、てめえはいつも。
「イラつくな。俺を庇ってるつもりかよ」
「そんなつもりじゃないよ」
 自然と早足になった。出久は遅れることなくついてくる。「待ってよ」と俺を懸命に追いかけてきた幼い姿は遠い昔だ。
「今、何か門の方向で光らなかった?ねえ、かっちゃん」
 出久がなんか言ってるが無視する。気になるのかまだぶつぶつと話し続けている。「車かな?でも一瞬だったし。学校は民家から離れてるし」
 岩場の演習場を過ぎて校庭を抜け、門の前に到着後した。当然だが鍵がかけられている。高く聳える門を見上げて爆破で飛び越える。出久も俺に続いてジャンプしてきた。門を越えたものの、出久は着地でバランスを崩しふらっとよろける。
「ばっか」
 俺はにやっと笑う。俺の真似しやがっても、てめえはまだまだだな。
 ふと、ざわっと周りの木々が動いたような気がした。
「なんか、おかしいよ。かっちゃん。街の灯りが点ってるはずなのに真っ暗だし。戻ろうよ」
 立ち上がり、辺りを見回して出久がそっと囁く。
「うっせえ、静かにしてろ」
 何かがいるのは確かだ。神経を研ぎ澄ます。目の端にうごめく気配。
「なにこれ、蔓?痛っ!」
 いつの間にか出久の足元にざわりと伸びてきた影が、足首に巻きついていた。 蔓はするすると出久のふくらはぎにまで伸びて締め上げ、更に膝に伸びる。出久は蔓を引き離そうとしながら苦悶の表情を浮かべている。
「クソが!おい、爆破すっからすぐ足引っ込めろよ」
「う、うん。ああ!」
「チイッ」
 俺は蔓を爆破して焼いた。だが蔓は少し焦げるもののなかなか千切れない。思い切って出力を上げて爆破する。反動で出久は吹っ飛んで門にぶつかった。
「踏ん張りが足んねえぞ、デク!クソが」
 蔓は焦げた部分を残して、闇の中にするすると引っ込んだ。ざわざわと闇が蠢く。いつの間にか何かに囲まれてしまったようだ。
「おい!このクソナードが」と出久を振り返り、駆け寄る。
 出久の息が荒い。足が変な方向にひしゃげている。さっきの蔓に締めあげられた時に折れでもしたのか。出久は立ち上がろうとしたものの果たせず、よろけて門を背にしてしゃがみ込む。
「クソが!立てねえのか」
「うん、かっちゃん、君が戻って誰かを呼んできて」
 ひゅん、と背後で風を切る音がした。咄嗟に座り込んでる出久に覆いかぶさるようにして門に手をつく。鞭のように伸びた蔓は俺の背中を殴りつけた。
「ぐはっ!クソが」
「かっちゃん?」
 さらに2本目の蔓が背中に叩きつけられる。くそ!これは悪手だ。門の向こうに出久を投げてやりゃあよかった。もうここからどくこともできねえ。この足手まといが。
「なんで?何してるんだ!かっちゃん、君らしくないよ!」
「てめえはオールマイトの後継者って奴だろうが」
「そんな、そんなこと関係な……」
 何本もの蔓が背中を殴る。コスチューム着てなけりゃ立ってられなかっただろう。立てない上に普段着のデクじゃ到底耐えられない。
「どいてよ、かっちゃん」
 いい気味だ。いつもてめえがズタボロになるたびに、俺がどんな気分になるのか、ちったあ思い知ったかよ。傷だらけになっても俺に手を伸ばすてめえに、そんな時ばかり近寄ってくるてめえに、俺がどれだけ。あいつら、時々怖えだと。昔から俺はいつも怖えんだよ。いつ死んでもおかしくねえ。怖くてしょうがねえなんて今更だ。そんな奴を俺はずっと。
「僕を置いて行ってよ、かっちゃん」
「はっは!てめえがついてきたんだろ。いつもは俺から絡んでいかねえと、お前からは絶対こねえのに」
「だって君はすぐ怒るから」
「てめえがムカつくからだ。最近俺が絡まねえからって安心してんだろ。てめえは」
「かっちゃん、そんなこと言ってる場合じゃ、かっちゃん!」
 言い合う間にも蔓は俺の背を打ち据える。出久が慌てて拳を構える。何やってんだ。出力はあっても腕は2本しかねえだろうが。やるなら指だろうがよ。
「無駄弾撃つんじゃねえよ、クソが。蔓は固えし攻撃的しても何本でも生えてくる。こう暗くちゃあ、敵が何処にいんのか見えねえだろうが」
「でも、このままってわけにはいかないじゃないか」
「俺が閃光弾を放つ。チャンスはそん時だ。一瞬だ。目凝らして敵の位置をよく見ろよ。目瞑ったりしたら承知しねえ」
「わかったよ」出久はこくりと頷く。
 背中が痛え。痛みを堪えて振り向き、手をパンっと合わせる。閃光弾の眩い光が辺りを包む。腹に蔓が叩きつけられた。息が詰まって咳き込む。姿勢を戻して倒れないよう壁に手をついて脚を踏ん張る。
「かっちゃん、君は……」
 出久の声が震えている。暗くて定かじゃないが青ざめているんだろう。
「やれ!クソバカ!」
 我に返った出久が拳を握りこんで構え、肘を引いて突き出す。背後で轟音が響いた。轟音に混じって耳に届く野太い悲鳴。
「やったか」
「うん。多分。かっちゃん、やったよ!」
 出久の声が弾む。
「よ、し」
 ほっとして力が抜け、足元から崩折れて出久に覆いかぶさる。闇に包まれていた道路を街灯の光が照らす。
「かっちゃん!」
 うるせえよ。耳元で叫んでんじゃねえよ。壁の向こうからバタバタと幾人かの足音がして門が開かれた。
「かっちゃん、かっちゃん!」
 身体の下に出久の声を聞きながら気が遠くなる。離れていったのはてめえだ。そのうち戻ると高をくくっていたのに、結局いつになっても戻ってきやしねえ。てめえは俺のなんだ。ころころと犬っころみたいについてきたくせに。物心つかねえずっと昔からそうだったくせに。俺を避けてるくせに目の前をちょろちょろしやがって。オレが弱ってぜってえ顔を見られたくない時ばかり、てめえから寄ってきやがって。側にいろよ。ずっと俺のもんだったのに離れんなよ。側にいたくねえなら俺の目の届くところから完全に消えろよ。目の届かねえとこなんかに行くなよ。どこにも消えんなよ。
 こんな混乱した気持ちを、伝えるべきなのか。伝わらねえからこうなんのか。あいつにだけは知られたくない。知られてたまるものか。



 橙色に染まった部屋の中で目が覚めた。
 もう夕暮れになったのか。オールマイトや出久が来た時は意識は戻ったはずだが、いつの間にかまた眠ってしまったらしい。窓の外を眺めると帰宅する生徒達の姿が見えた。とっくに放課後になっていたようだ。クラスの奴らも帰ってるかもな。出久も。
 轟の言う通りだ。自分で自分が気味がわりいぜ。出久と普通に接していたなんてよ。
 リカバリーガールに「帰る」と告げて寮に戻る。共有スペースを通り過ぎる時、クラスの奴らに何か話しかけられたが、無視した。自分の部屋に入り頭から布団を被る。
 オールマイトの継承者という秘密を守るために。出久は自分の保身のためじゃねえ。オールマイトを守るために。あいつはそういう奴だ。オールマイトも自身のためじゃなくきっと出久のために。それと俺の安全のためか。だが天秤にかけてそのために俺との記憶が、俺の心が、俺の想いが邪魔だと判断しやがったんだ。俺から出久を。現在だけじゃなく幼馴染の出久、までも奪うつもりだったのか。何もかも全部を。俺はぎりっと歯軋りをする。
 控えめなノックの音。
「あんだよ。寝てんだよ」
「かっちゃん、いいかな」
 出久。どの面下げて来やがった。鍵を開けてやると出久はドアをそっと開けた。俺はベッドに戻り布団を被る。
「記憶を操作するのは保留だって、かっちゃん」
 出久はドアのところに立ったままで近づいてこない。
「てめえが頼み込んだってことか。ムカつくな、恩に着せようってか」
「そんなんじゃないよ。元はといえば僕が……」
 出久は途中で言葉を切って、不自然に話題を変える。「君は凄いよね。セラピーヒーローはどんなトラウマでも消すって有名なんだよ。それを自力で解いてしまうなんて」
「はっ!なら、てめえもトラウマ消してもらったらどうだ」
 俺は揶揄する。いっぱいあんだろ。てめえにはよ。
「トラウマなんて、ないよ。辛いことも悲しいことも、僕の血肉だから」
 そう言い切ってから、「あ、そっか」と呟いて出久は口籠る。
 自分で言って気がついたかよ。そういうことなんだよ、クソが。
「ごめんね」小さな声で出久は囁く。
「何をだ」
「君に秘密を話したりしなきゃよかったんだ」
 俯いた出久の声が上擦っている。そこじゃねえだろう。いらつくぜ。てめえとはいつも噛みあわねえ。
「じゃあ行くね」
 出久はそろっとドアを閉めた。足音が遠ざかる。てめえはどこまでも。クソが。てめえは昔っからそうだ。昔から。全部一人で背負い込んで納得して。俺には何も言わねえ。何考えてんのかわかんねえ。そんな奴だから俺は。俺は。
 はたと思い出す。忘れていた時に、俺は出久に何を言っちまった?好きだとか口走っちまったぞ。ずっと押し潰そうとしてきた気持ちを。言葉にすることも消すこともできなかった気持ちを。出久に告げちまったじゃねえか。過去のあいつへの思いを知られちまった。あいつにだけは絶対に知られたくないことを。しかもあいつはなんて言った。それを聞いたくせに、いけしゃあしゃあと知らねえ振りをした。会いたくねえって言いやがった。俺を虚仮にしやがって。
 許せねえ。頭にきてベッドから跳ね起き、階段を2段飛ばしで駆け下りて追いかける。階段にはいねえ。出久はエレベーターに乗ったのか。2階に到着し、部屋に入ろうとする直前の出久に追いついた。
「え、どうしたの?」
 と出久は驚いた表情で硬直している。俺は出久の腕を掴んで部屋に押し入ると、叩きつけるようにベッドに押し倒した。壁にはポスターにタペストリー。棚には見覚えのあるフィギュアに グッズが所狭しと並んでいる。オールマイトだらけの部屋だ。1度でも出久の部屋に入ったならあいつだと気付いたかもしれない。てめえはオールマイトが近しい存在になった今でも、飾りまくってんじゃねえかよ。クソが。苛立ちのまま強く押さえつける。
「ずっと隠すつもりだったのよ。その方がムカつくぜ。知らねえ振りで嘘ばっかりつきやがって。馬鹿にしやがって。おかしかったかよ。なあ」
「そんなことない、だけど僕だって平気だったわけじゃない」出久は言い返してくる。「僕のせいだってわかってるよ。でも君は僕に酷いことばかりしてきたじゃないか。それなのにまるでいい思い出みたいに言うから。そりゃあいい思い出だってあったよ。でもずっと昔の話だ。君に合わせるのは苦痛だったよ」
 頭に血が上る。勘違いさせやがったのは誰だ。俺はてめえに。
「俺がてめえを好きだなんてねえからな!ぜってえねえ!」
「わかってるよ」
「勘違いすんなよ。オレはてめえなんかな」
「だったら君こそあんなこと言うなよ!」
 突然出久が激昂する。少しだけ気圧された。出久は俺を見上げる。
「あれが無個性だった僕への感情を忘れた、君の勘違いだってことくらいわかってるよ。わかってても。そうだったらいいなって思ってしまったんだ。もしも過去の君が本当にそう思ってくれてたらって、あり得ないのに」
 感情の昂りで出久の目が潤んでいる。魅入られたように見つめる。
「本当に君と会ったのが高校だったなら、会った時に無個性じゃなかったら。それっていいなって思ったよ。でも君が僕との過去をいい思い出みたいに言うと、そんなはずはなかったじゃないかと反論したくなった。あり得ないのに。そんなこと思わせるなよ。どいてよ。君の本心じゃないってことくらいわかってるんだ!」
 デクの目からぽろぽろと涙が溢れだした。
「君が勘違いしてるってわかってたんだ。本心だなんて、はじめから思ってないよ」
 俺は押さえつけたまま出久を見下ろす。
「はは、本当だったら、嬉しかったのかよ。馬鹿じゃねえの」
 羞恥で出久の顔が首まで赤くなった。そういうことかよ。てめえ、俺のことをどう思ってんだ。もっとちゃんと言えよ。もっと早くに言えよ。ほんと、馬鹿じゃねえの。
 思い出すまでずっと心は凪の日のように静かだった。晴れ晴れとしてすげえ楽だった。今はぐちゃぐちゃした感情が空っぽだった頭に詰まって溢れそうだ。てめえの反応ひとつで動揺してんのが不快だ。不快でたまんねえ。てめえの中身を芯まで暴いて抉って陽の下に曝してやる。そうしなきゃおさまんねえ。
「もういいだろ。部屋に帰ってよ」
「だめだ」
 てめえも楽だったんだろうな。だがそれも終わりだ。俺が好きだって言ったことが嬉しかったんだろ。てめえもそうだってことなんだろ。だったら手放せねえ。やっと靄のかかった向こう側を捕まえたんだ。その先に隠されていた感情まで見つけたのだ。
「もし、本心だったらどうなんだ、デク」俺は問うた。
「何言ってんの。あり得ないだろ」
「答えろよ」
「僕を何だと思ってるんだ。馬鹿にしてるのか」
 てめえ、信じねえのか。余計なこと言っちまった。出久の心がやっとわかったっていうのに。手に入らないと諦めたものを、今なら捕まえることができるっていうのに。手の中に身体の下にてめえがいるのに。捉えることができないなんて。何故だ。何でこいつは信じねえんだ。伝わらないってのはこういうことなのか。どう言えばいいのか、方法が思いつかない。てめえは俺を信じない。俺達の間に信頼なんてないからだ。
「本心だっつってんだ!答えろって言ってんだろ」
 暴れる出久を押さえ込んで勝己は怒鳴る。離すわけにはいかねえんだ。今を逃したらもうてめえを捕まえる機会は二度と来ねえ。
「君は僕の心なんて考えたことないだろ。僕だって傷つくんだよ。馬鹿にされたりすれば辛くなる」
「聞けってんだ。おい、デク!」
「君のことはわかるよ。長い付き合いなんだ。もういいだろ、これ以上……。殴って気が済むなら殴ればいいだろ!離せよ!」
「てめえに俺の何がわかる!」激昂して俺は叫んだ。「てめえこそ俺の心を考えたことがあんのかよ!」
 身体の下の抵抗が止んだ。
「かっちゃん?」出久は大きな目を見開いて俺を見上げている。「なんで、泣いてるんだ?」
 出久が俺の名を呼ぶ。記憶をなくしてから、初めてだ。憎しみとも愛しさとも名付けられない感情の奔流が流れ込んで来る。胸の空洞が埋められてゆく。てめえ、わざと呼ばねえようにしてたんだな。俺の記憶を喚起しねえようによ。思い出したりしねえように。
「答えろよ」
 そう言いながら俺は出久の鼻先に触れそうなほど至近距離に顔を近づけた。出久が身体を強張らせるのがわかる。緊張してんのか怯えているのか。威嚇するためじゃない。吐息を感じたいんだ。体温を感じたいんだ。はたはたと、雫がデクの顔に落ちる。水滴が頬に滴り落ち、唇に留まる。
「かっちゃん、どうして」
「答え……ろ」
「かっちゃん」
 慣れた声に呼ばれる自分の名前が耳に心地よく響く。記憶の中の声と重なってゆく。もう目を離したりしねえ。気の済むようにしていいんだな。てめえがそう言ったんだ。てめえが俺を暴いたんだ。奥に隠していた感情を掘り起こしてしまったんだ。ツケを払えよ。
 下唇に落ちた雫を舐めとり、そっと出久の唇を食む。驚いて目を見開いている出久に、そのまま唇を押し当てる。

 

END

ダイバーダウン(R18)

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prologue


「すごいなあ、かっちゃん」
 そう無邪気に話しかけてくる柔らかく高い声。
 振り向くと俺の後ろを小柄な子供が後を付いて来ているのが見える。よたよたした転びそうな足取り。少しスピードを落して歩みを合わせてやる。
 ここはよく遊んだ裏山の森だ。薄っすらと黄色や赤に色づいた木々の下の小道を、さくさくと木の葉を踏んで歩く。 風が枝葉を震わせて木漏れ陽を散らす。チチチと木霊する名も知らない野鳥の鳴き声。
 後ろをついてきている誰か。顔は霞がかかったように朧気で思い出せない。名前もわからない。けれども、俺はそいつが気になってしょうがない。遅れずに付いて来ているかと振り向いては、いるのを確認して安心する。
 見失ってはいけない。あれは俺のものだ。大切なものなのだと心のどこかが知らせている。


1


 俺の頭から何かが抜け落ちている気がする。
「おはよう」
「爆豪、お前大丈夫か?」
「おっはー、爆豪、もう学校来ていいの?」
「マジでもう大丈夫なのかよ」
 教室に入るなり、クラスの奴らが俺に口々に喋りかけてきた。いつもそんなに話したりしねえ奴まで聞いてくるので、ちょっとイラっとする。
「何がだよ」
「何言ってんだ。ヴィランが出たんだろ」
「ああ?」
 そうだ。俺は夜に学校を抜け出そうとして、門外でヴィランに会った。それからどうなったのかは覚えてない。気づいたら保健室にいたのだ。こいつら俺を心配してんのかよ。うぜえ。俺を気遣うんじゃねえよ。
「うるせーぞ、お前ら。授業始めるからさっさと座れ」
 相澤先生が教室に入って来たので、慌てて皆は席に戻っていった。壇上に立つと、相澤先生は眠そうな目で教室を見回して口を開く。
「あー、皆知ってのことだと思うが、昨晩校門の前でヴィランが出没して、爆豪が襲われた。幸い先生達が駆けつけて撃退したがな。攫うつもりだったのかどうか、現在取り調べ中だ」
「またかよ。お前、よほどヴィランに好かれてんだな」
「うるせえ!」
 上鳴に揶揄されて俺は声を荒げる。嫌なこと思い出させやがって。
「爆豪の記憶に多少の混乱が起きてるようだが、学校生活に支障はない程度だ。皆もそのつもりで暖かく見守ってやってくれ」
 相澤先生の言葉でまた教室が騒がしくなる。
「混乱ってなんだ、爆豪。記憶喪失かなんかなのかよ」切島が問うてきた。
「何も忘れてねえよ」
「俺の名前覚えてるか?」
「俺の名前は?」切島に続いて上鳴も続いて聞いてくる。
「なめとんか!知っとるわ、クソ髪アホ面のデッドエンドコンビだろーが」
「ひでえ。グレードアップすんなよ。赤点コンビでいいだろ。うわ、自分で言っちまった」
「なんだよ、いつもの爆豪かよ」
 他の奴らも口々に「俺の名前はわかるか?」と聞いてくるので苛々してきた。
「うるっせえ!入学してからの記憶はまるっとしっかりあるってんだ」
 一人を除いて高校から知り合った奴らばかりだ。 でもクラスメイトの名前も個性も全部覚えてるようだし。記憶に混乱が起きてると言われても、 比較材料がないから断言できないが。確かにこれからの学校生活に問題はない。
 でも何だろう。何か足りない。俺はいつも苛立っていたような気がする。だがなぜ苛立っていたのかが思い出せないのだ。
「いつまではしゃいでるつもりだ。静かにしろ。さっさと教科書開け」
 先生の一言でざわついた空気が静まり返った。俺は教科書を開いて頬杖をつく。
 同じ中学から来た奴はクラスにひとりいる。小学校も一緒だったはずだ。はずだというのは、入学以前のこいつは記憶にないからだ。クラスが違ったんだろうか。俺はそっと後の席を振り向く。緑がかった髪のそいつは目が合うとビクッと反応し、そっと問うてきた。
「その、大丈夫?」
「は?別に」
 そいつの袖口からちらりと腕に巻かれた包帯が見えた。よく見ると鎖骨あたりにも包帯が巻かれているようだ。俺は前に向き直る。人のこと言えんのかよ。てめえも怪我してんじゃねえかよ。少しだけいらっとした。
 窓の外に目をやる。夢で見たような色づき始めた樹木。こいつ、デクはいつも俺の後ろをついてきた幼馴染とは別人だ。もしあいつだったら顔見てわからないはずがねえ。毎日裏山や公園で遊んだ。家にだってよく遊びに行った。そういう奴をいくらガキの頃だからって、見分けられねえわけがねえ。感情的に繋がらないはずはねえ。
 それに顔のわからねえあいつは無個性だったはずだ。それだけは確かだ。だからデクはあり得ねえ。
 デクはクラスでもトップクラスの個性を持ってやがる。童顔に似合わねえパワー増強型の個性。あんな派手な個性持ちの奴に覚えがないなんて変な話だ。だが小学校でも中学校でも原則的に個性の使用は禁止だったから、あまり周りに見せてなかっただけかも知れねえ。使えば身体が壊れるような自壊型の個性なんて、そうそう使用できるもんでもないだろう。
「次の単元は伊勢物語 芥川だ。予習してこいよ。今日はここまで」
 授業が終わり、相澤先生は気怠げに教室を出て行った。休み時間になると、クラスメイトが俺の机を取り囲んだ。
「緑谷のことも、覚えてるんだよな」と上鳴がちょっと躊躇ってから尋ねる。
「ああ、デクだろ」
「んん?お前、つっかかんねえんだな」
「は?」
「さっきもだけどよ。なんかフツーに緑谷と話してたし。いっつも名前出すだけでも怒ってたじゃんよ」
「はあ?別に腹立たねえのに、なんで怒んなきゃいけねえんだ」
 上鳴は「ほおー」と感心したんだか驚いたんだかわからない声を上げる。確かに最初の授業で俺は奴に負けた。結構前のことだが、それからずっと根に持っていると思われてんのか。いくら何でもそりゃねえだろ。
「なあ?」
 と言いながら後ろを向くと、デクは慌てて開いていた本で顔を隠した。
「おい、何顔隠してんだ」
 本を取り上げてなぜかびびってるデクに問うと、「な、なんでもないよ」とデクは顔を隠すように机に突っ伏してしまう。
「まあまあ、爆豪、腹立ってねえんだろ。ほら、他の奴も確認しなきゃよ。な?こいつは?」
 上鳴は焦った様子で言うと適当に周りを指差した。
「俺の名は覚えてるか」
 通りがかった半分野郎が興味なさげに口を開く。
「轟」
「正解だ。よかったな爆豪」
「舐めてんのか、てめえ!」
「まあまあ、次、次行こうぜ、爆豪、ほら、こいつは?」
 次々名前を答えながらも、後ろの席のデクが気になってしょうがない。デクは俺の顔を見るとおどおどしやがる。強えくせにわけわかんねえ。そりゃ負けた時は腹が立ったんだろうけど。もうどんな気持ちだったか覚えてねえよ。いまだにそれを引きずるわけねえだろ。俺をそんな偏狭だと思ってんのかよ。逆に腹立つぜ。
 ちょっと言ってやるかと後ろを振り返った。が、デクがいねえ。教室の中を見回すと窓の側で飯田や麗日とだべってやがるのが目に入った。
「デク、おい」と言い、席を立とうとすると「まあまあ」と慌てた口調の切島に宥められた。
「あっちはあっちでつるんでるわけだし。こっちはこっちでさ、な」
「別にお前らとつるんでるつもりはねえよ。てめえらが寄ってくるだけだろ」
「ひっでえな。つーか、爆豪の平常運転だな」
 同じ中学出身とはいえ、あいつはあいつの友達がいるし。俺にもいつの間にか取り巻く奴らがいる。普通のことだ。だが何かいらっとする。さっきも感じた。時々何故ふいに苛つくのだろう。


 夕食の前に親に「ちょっとだけだからよ」とことわって外に出た。
 俺は近所の幼馴染のいる団地に駆けていく。あいつも俺も一人っ子だから、家に帰ると親しかいねえ。だから暇してるだろうと時間を問わず気兼ねなくしょっちゅう遊びに行った。
 ドア横のチャイムを押して名を呼んだ。あいつはすぐにドアを開けて出てきて、いつも顔を輝かせて俺を見る。
 あいつはヒーローオタクだった。ヒーロー図鑑といっていいくらい名前も能力も色々知っていた。その知識にも分析・解析にも舌を巻いた。特にオールマイトのことは夢中になって喋った。オールマイトは俺にも憧れだから、あいつと話していると話が尽きなかった。
 あいつはオールマイトグッズのコレクターだった。多くはない小遣いをほぼグッズにつぎ込んでいた。部屋に行くたびにどんどん増えるグッズには驚くというより呆れた。
「こんなに必要かよ。棚も壁もごちゃごちゃして台無しじゃねえか」
「だって、また新しいのが出たんだもん。このフィギュアは新作で」
 と新作のフィギュアを手にしたあいつにひとくさり説明を聞かされる。
「いくらあっても足りないのかよ。欲張りな奴だな」
「うん」とあいつは頷き、フィギュアを胸に抱いて言う。
「いくらフィギュア集めたってなあ、てめえに個性が出るわけじゃねえぞ」
「そんなこと思ってない」とあいつは言って、きゅっとフィギュアを抱きしめる。
「でも……かわりなのかも。本当に欲しいものは目に見えないものなんだ。それが手に入るなら死んでもいい」
「あほか。死んだら終わりだろうが」
「違うよ、例えだよ。なんでも持ってる君にはわからないかも知れないけど」
「ああ、わかんねえな」
「いいなあ、かっちゃんは」
 あいつはよくそう言っていた。身体も小さくて無個性なこいつには、欲しいものが沢山あるんだろう。俺に真っ直ぐ向けていた瞳で、時折何処か遠くを見つめるようになった。
「そのうち俺がヒーローになったら、俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 俺が言うと、あいつは一瞬きょとんとして「あはは」と笑った。いらっとして「飾るんだろうな」ともう一度聞く。
「俺がヒーローになれないとでも思ってんのかよ。ああ?」
 そう言って威嚇すると、あいつは慌てて言い訳した。
「そうじゃなくて、いつも近くにいる人の似姿のフィギュアを飾るのはないかなーと」
 そうじゃないだろう。わかってんだよ。てめえはオールマイト以外は飾る気がねえんだ。他のヒーローのフィギュアも持ってるくせに、飾ってるのはオールマイトだけじゃねえか。そこで冗談でも飾ると言わないのが酷く憎らしくなった。拳を握ってもう一度尋ねる。
「俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 気に入らない返事をしたら殴ってやる。



 草を踏み分ける足音が微かになった。ついてきているかと不安になり振り向く。霞のかかったように顔がわからない誰かが、離れてしまっているのではないかと。裏山ではぐれてしまったのではないかと。
 
 つんつんと背を突付かれる。弾かれたように後ろを振り向く。
「寝てちゃダメだよ」
 デクが声を潜める。居眠りをして昔の夢を見ていたらしい。後ろの席に座っているのは幼馴染じゃなくデクだ。一瞬あいつかと思った。
「寝てねえよ」
 と言ったものの眠っていたのは歴然だ。ノートにはミミズがのたくったような文字が踊っている。めんどくせえ。
 さっき思い出した昔の出来事を反芻する。うきうきとしたりムカついたり、感情の付随する思い出だった。あいつの家にしょっちゅう遊びに行っていたこととか、いちいち何があったかなんて映像的な記憶でしか覚えちゃいねえ。けれども、その時の感情を覚えている思い出もあったのか。
 あの後あいつはなんと返事をして、俺はどうしたんだろう。それよりノートの酷い字を消さなくては。だが消しゴムが見当たらない。机の周囲を見回したがない。落としてどこかに転がっちまったか。俺はもう一度後ろを振り向く。
「なに?先生に見つかっちゃうよ」デクは驚いた顔をしてひそっと言う。
「おい、消しゴム貸せよ」
「え?」
 デクの返事を待たずに勝手に消しゴムをひったくり、ゲシゲシと使って返す。
「ほらよ。別にいいだろ」
「う、うん」
 普通に接して普通に話してるつもりなのに、デクはなぜかびっくりするような顔をする。どこか愉快だ。地味な奴なのに何故かどこにいても目につくので、近づいてちょっかいをかけたくなる。
 昼食の時間になった。
「何処行くんだよ、爆豪」と上鳴に声をかけられたが「気が乗らねえ」と売店に向かう。
 食堂で食う気がしない。パンを買って屋上に続く階段を登り、扉を開ける。屋上に踏み出すと濃い影が足元に落ちた。紺碧の空の下。ここで食うのは気持ちよさそうだ。眩しく白い貯水槽の向こうに先客が見えた。屋上を囲む金網を背にして座り込んでいる。
「よお、デク」と俺は声をかける。
「え、え、何で君が」
 デクは開いていたノートを閉じた。横にも数冊のノートが積まれている。デクはそれを隠そうとするように掌をノートの上に載せる。
「お前もパンかよ。食堂に行かねえのか」
「うん、今日は」
「俺もだ」
 俺はデクの方に歩み寄ると、隣にしゃがんでパンの袋を破る。デクが目を丸くして聞く。
「え、ここで?」
「別にいいだろ」
「ああ、うん、君がいいなら」
「俺が?いいから座ってんだろ。変な言い方すんなよ」
「そうだね、ごめん」
 焼きそばパンに齧りつきながらノートを見やる。
「それ、お前のか」
「え?うん、そうだけど。あ……、待って」
「隠してんじゃねえよ」
 ノートの上からデクの手をどけると、表紙にマジックで書かれた文字が目に入る。
「ヒーローノート?」
 ふっと記憶の中に似たものがあったような気がした。熱心にノートを書いていた誰かの姿。
「見てもいいか?」
「ええ?」
 やけに驚くデクの返事を待たずに、1冊手に取ってページを捲った。ノートの中にはクラスの奴らの個性か図解入りで載っている。注釈もついてどれもびっしりとページが埋めてある。
「すげえな」
「そ、そうかな。今日体育があるだろ。それまでに皆の個性を確認して書き加えておきたくて」
「俺のもあんのか?」
「君のは、ある、けど」
「けどってなんだよ。当然あんだよな。あんなら見せろよ」
「そんな、面白くないよ」
「はあ?俺の個性が面白くねえってのか」
「違うよ、君の個性は凄いから、面白くないなんて」
 デクは慌てて否定する。こいつが俺を評価してんのはわかってて言った。こう言えばことわれねえだろ。
「だったら見せろよ」
 それでも押し問答の末、デクはやっと一冊のノートをそっと差し出した。縁が焦げてページが水濡れした後みたいにうねっている。
「なんか、これだけボロっちいな」
「それは君が……」
 と言いかけて何故かデクは言葉を切る。
「何だよ」
 と促すとデクは小声で「古いノートだからね」と曖昧に言葉を濁す。ちょっと引っかかったがとりあえずノートを受け取る。
 俺が表紙を摘まむ指に、デクは何故か心配そうに視線を送ってくる。
「んだよ、汚したりしねえよ」
 焦げたページの縁を破らないようにそっと捲る。早速1ページ目に俺の図解が現れた。
「これ俺かよ。なんか他のやつより背が小せえな」
「あ、あれ?そんなのあった?子供の頃の君だから。あ、偶々君を見かけたことがあったんじゃないかな。その時に書いたんじゃないかな、きっと、君はほら凄い個性で近所で有名だったから」
 デクは言い訳するように早口に捲したてた。ごまかそうとしてるみてえだ。だが、子供の頃の思い出にデクみてえな奴はいない。幼馴染の奴を全部覚えてやしねえけど、一緒に遊んでたんなら、こいつがいたんなら覚えてる自信がある。
「お前、家近所なんだろ。学区が同じなんだからよ。見てねえで一緒に遊んだらよかったのによ」
「それはまあ。それより、その次のページに大きくなったかっ、……君の図解もあるよ」
 急かすのでページを捲ると、デクの言う通り次のページにはコスチューム姿の俺の図解があった。機能についての解説もついてる。
「俺がガキの頃もこういうことが好きな奴がいたぜ」
 あいつもよくノートにヒーローを書いていた。自由帳じゃなくこんな感じの大学ノートに何冊も。中身を見たことはないが覚えている。
「へ、へえ、そうなんだ。奇遇だね。僕は知らないけど」
「お前、同じ地区で同じ学校にいたのなら、ちったあ知ってんじゃねえの」
「昔ことだし、覚えてないよ」
「そうかよ。そうかも知れねえな」
 子供の頃の記憶なんてぼんやりしたものだ。遊び友達だって毎回決まったもんじゃないし、クラスが変われば話もしねえ。ガキの頃俺の周りにいた奴らは、名前だってテキトーに呼んでたし、ちゃんと覚えてやしない。
 でもあいつの名前だけは忘れるわけがねえ。俺が渾名を付けたんだから。素直で揶揄うと面白いから、思い付きで付けた渾名でずっと呼んでた。なんて名前を付けたんだろう。なんで忘れてるんだろう。
 あいつは俺を「かっちゃん」と呼んでた。ころころした鈴みたいな声で呼ばれると胸が温かくなった。それは覚えてるのに。胸にポッカリと開いた穴。このまま忘れちまうんじゃないかという焦燥感と喪失感。
 でも何故だろう。デクと話していると宙ぶらりんな不安が紛れるような気がする。
 パンを食い終わって、デクはジュースを飲み切らないまま下に置くと、胸ポケットからシャーペンを取り出してノートに書きこみ始めた。はじめはちらちらと俺を気にしていたが、次第に書くのに没頭してきたようだ。
 カリカリと紙をシャーペンが滑る音。さわさわと吹き抜ける心地いい風。眠くなってきた。ちと睡眠取るか。丁度いい枕もあるし。こいつは嫌と言わねえだろ。そんな気がする。
 俺はデクの膝に頭を乗せた。ちと筋肉質で硬めの膝枕だな。男の膝だしな。
「ちょ……え?かっ、君、どうしたの」
「10分経ったら起こせよ」
「教室に戻った方がよくない?」
「うっせえ、今眠いんだ、今寝てえんだ。黙って膝貸せよ」
 蒼い空に淡く白い三日月がふうわりと浮かんでいる。幻のような昼中の月。
 眠りに落ちる前にデクの呟く声が聞こえた。
「君はそんな人じゃないはずだろ……」
 少し寂し気な声音に聞こえたのは微睡の中だったからだろうか。


 午後の体育の授業はリレーだ、高低差のある建物の間を縫って進むコース。上を行っても下を行ってもいい。
 建物の上を爆破で跳んで俺がバトンを渡すと、デクはポンポンジャンプして障害を飛び越える。あいつのパワーはどこから来るんだろう。反動つけてるとはいえ軽く蹴るだけで高く跳んじまう。パンチだってそうだ。俺みたいに爆風じゃねえし。筋力にしては、あれじゃまだまだ筋肉量足んねえだろ。そういう個性だっつったらそれまでだけどよ。それにしても。
「お前の動き、俺の真似だろ」
 待機場所に戻って来たデクに話しかける。
「う、うん。わかっちゃった?」
 デクの語尾が小さくなる。まるで俺に怒られると思ってるかのように。
「責めてねえ。別にジャンプ自体が俺のオリジナルっつーわけじゃねえし。お前、やっぱり俺をよく見てやがるな」
「君はすごい人から」
「まあな」
 素直に褒められて悪い気はしない。だが奴が不思議そうな顔をして俺を見る。
「怒らないんだね」
「だからよ、なんで俺が怒るんだ。俺がすげえんだろ。てめえが真似ても俺ほどじゃねえしな」
「それはそうだよ。まだ君には全然追いつけない」
 ふっとデクの唇から笑みが溢れる。初めて俺の前で笑ったんじゃないだろうか。胸がじんわりと温かくなる。他の奴らにはいつも見せてる笑みだ。いつも俺の前では何故か強張った表情しか見せなかった。気にしないようにしても引っかかって、多分少しムカついていたのだということに、今気がついた。
 向こうでデクを飯田が呼んでいる。
「じゃあ……」
 と言うとデクは走ってゆく。思わず俺は手を伸ばした。が、届かない。俺は引き止めようとしたのか。なんで。空を掴んで腕を下ろす。
「絡まれてたんじゃないのか、緑谷くん」
「飯田くん、違うよ」
 飯田の声はでかい。あの野郎、会話聞こえてんだよ。俺がデクに何かするとでも思ってんのかよ、クソが。ムカついて怒鳴ろうとしたところを、背後から唐突に肩を小突かれる。
「んだよ!殺すぞてめえ!」
 威嚇しながら振り向いた。切島と上鳴がニヤニヤと笑っている。
「俺らもお前呼んでたんだけどな、気づかなかったのかよ」切島が言う。
「はあ?てめえ声ちっせえんじゃねえのか。聞こえねえよ」
「最近よく緑谷と話してるよな。爆豪。怒りもせず」上鳴が言う。
「だからなんで俺が怒るんだ」
「常識じゃあそうだけどよ。お前、緑谷には何かっつーとすぐ怒ってたしよ」
 切島の言い方だと俺が常識ねえみてえだぞ。あるわ。
「ちょっと前だって夜中にあいつと大喧嘩して謹慎食らってたじゃねえか」
 上鳴が言うその喧嘩をした覚えはある。とても頭にきていたとも思う。なんでそんなに怒ったのだろう。その時の感情は覚えてない。処罰されて寮内をあいつと清掃したことも覚えているのに。
「うるせえ。なんか文句でもあんのか。俺はしたいようにしてんだ」
「いやいや、勿論いいに決まってんじゃん。捻くれてねえ揉めたりしねえお前はすごくいい!元気なガキ大将みたいでよ」
「なあ、轟もそう思うだろ?」
 上鳴は振り返り、たまたま背後にいた轟に呼び掛ける。いきなり話を振られたものの、轟は即答する。
「いや、気味がわりいな」
「ああ?喧嘩売ってんのか!」
 俺は頭にきて掌から火花を散らし威嚇する。轟の野郎はいつも言葉の端々に天然の優越感みてえなものが垣間見えて苛々する。
「ちょっ、轟。お前……、なんでそういう」上鳴は慌てて言う。
「俺はそう思うってだけだ。気を悪くしたんならすまねえ。じゃあな」
 口では謝りつつ、轟は全く悪びれた様子もなく去った。あいつなんなんだ。
「まあ、喧嘩すんのも仲がいいとかいうけどよ。緑谷とお前はどう見ても違ったしな」
「グラウンドベータで殴り合って、分かりあったのかも知んねえな。熱いぜ男らしいぜ!ベタだけどいいぜ!」切島が言う。
「だからもうお前らのことは安心していいのかなーと思ってよ」上鳴が言う。
「余計なお世話だ」
 神野での敵との戦いでオールマイトがボロボロになって再起不能になった。それが俺が敵に攫われたせいだと思うとものすごく辛くかった。
 グラウンドベータでの喧嘩。俺はデクに。デクに八つ当たりしたのか?なんであいつに?胸がざわりと冷える。忘れちまったらいけないものを忘れてるんじゃないのか。
「お前らが仲よかった頃ってのはそういう感じだったのかな」
 切島の言葉に考え事から引き戻される。
「嘘だろって思ってたけどよ。昔は今のお前みたいだったんなら、緑谷の言うことも納得できるぜ」
「ガキの頃は気が合わなくても、近所の奴と遊ぶだろ。成長するにつれ段々気の合う奴と付き合うようになるってもんで。お前らもそんなもんだろって思ってたぜ。でもお前見てると違ったみてえだな」上鳴が言う。「お前は選んであいつといたんだな」
「すっげー、気を許してるもんな。いっつも気を張ってるお前が、見たことねえくらい自然体でよ」切島が言う。
 今なんて言いやがった?話の流の中に聞き流せない言葉があり、俺は問い返す。
「あいつと仲の良かった頃?」
 記憶ではガキの頃の遊び仲間の中に、あいつの顔はない。
「どういうことだ?」
「どうって、俺はお前らから聞いたことしか知んねえんだけどよ」上鳴が言う。
「お前ら幼馴染なんだろ。小学校以前からの。おい、爆豪、待てよ」
 切島の声を背に俺は走り出した。どういうことだ。俺はデクの姿を探した。デクは嘘をついていたのか。この俺に。俺を騙していたのか。ふつふつと怒りが湧きあがってくる。あいつがこの俺を。漸く建物の陰に飯田と連れ立って歩いているデクを見つけた。近くまで駆け寄る。デクが飯田から離れたのを見計らい、肩を掴む。
「おい、デク!」
 デクはビクッとして振り向いた。
「てめえは俺を……」
 と言いかけて止める。騙されていたのかと思った途端頭が沸騰したが、そもそも俺が覚えてないならデクも覚えてないだけかも知れねえ。こいつが俺を騙すわけがねえ。だがなんだろう。こいつに騙されてたと思った途端怒りに我を忘れた。
 デクはおどおどと俺を見つめる。初めから訝しく感じてたが、デクはなんでやたらと俺を怖がってるんだ。強えくせに俺だけにこの態度。釈然としない。穏やかそうなデクのこんな一面を見るたびに心にさざ波が立つ。
「えっと、何か用なのかな」
「何って……、お前」
 どう聞けばいいのか。出久はじっと見つめてくる。見透かすような視線。落ち着かなくなる。こんな眼差しを昔どこかで見たことがなかっただろうか。
「こっち来い。用があんだよ」
「緑谷くん」
 飯田はまた心配そうにこっちを見ている。いつもなんなんだ、あいつ。いらっとする。俺がデクに何かするとでも思ってんのか。
「聞きたいことがあんだよ」
 とデクに言い、手を掴んでクラスの奴らのいるところから引き離す。
「先行ってて」
 とデクは飯田に告げる。寮へ向かう道を歩きながら問う。
「おい、お前は知ってんだろう」
 まず覚えてねえのかどうか、かまをかけてみる。
「何を?」
「聞いたぜ。お前も幼馴染なんだろうが。悪いが俺は覚えてねえ。だけどそんなら、知らねえわけねえよな」
「何を僕が知ってるっていうんだ?」
「俺の幼馴染に無個性の奴がいただろ」
 デクの表情が固まった。目を見開き、ふるふると首を振る。嘘のつけねえ奴だな。これではっきりした。デクは知ってて隠してやがったんだ。
「お前も知ってんだな。そいつの名前わかるか。わかるんなら教えろよ」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「言っただろうが。幼馴染いたって。だけど思い出せねえんだ。顔も名前も。思い出してえんだよ」
「僕は知らないよ」
 デクは目を泳がせる。こいつ、しらばっくれてやがる。寮に到着したが、中には入らずに玄関の脇にある側道にデクを引っ張っていく。校舎と寮の壁に左右を挟まれたこの場所なら、誰にも邪魔されずに二人きりで話せるだろう。
「嘘つけ。顔に書いてあらあ。教えろよ」
 そう言ってデクを壁に押し付け、両肩を掴んで迫る。だがデクは「知らないよ」と言いながらまた目を逸らす。
 こいつ、ぜってえ知ってやがる。なんで隠すんだ。壁に手をついて囲い込み逃さないようにする。
「どうしても知りてえんだ。教えろよ」
「今更だろ。そんな子供の時のことなんか聞いてどうするんだよ」
「会わなきゃいけねえんだ」
「それこそ意味ないよ。今どうしてるかなんて。きっともう生活も違って新しい友達がいるよ」
「お互いそれぞれ友達ができたからもういいなんて、そんな簡単なもんじゃねえんだよ、あいつとは」
「そんな……、ことは」
 何かを言いかけてデクは俯いてしまう。前髪に隠れて表情が見えない。理由、言うしかねえか。仕方がねえ。
「俺はそいつが気に入ってたんだよ。兄弟なんていねえからわかんねえけど、そんくれえ近くに思ってた。いつも側にいたんだ。なのに顔を名前も忘れちまうなんて、どうしてだかわかんねえよ。だけど会いたくてたまらねえんだ」
 憶測だが間違いねえ。でなきゃこんなにそいつが俺の心を占めやしねえ。
「多分好きだったんだ、俺はそいつが」
 俺のだったんだ。という言葉は飲み込む。俺はそう思っていた。心に空いた空洞はそいつに会えば埋められるはずだ。
「そんなわけないよ」だがデクは即座に否定した。「君と彼は仲良くなかったよ」
「てめえ、やっぱり知ってんだな!」
 肩を掴んだ手に力が篭る。出久は「しまった」という顔をして黙りこむ。
「嘘つくんじゃねえよ。いつもつるんでいただろーが。俺は記憶はあんだよ」
「本当だよ。はじめは彼は君を慕って追いかけていたよ。でもだんだんおかしくなっていって……」
 言葉が途切れていったが、デクは溜め息をついて言いにくそうに続ける。
「君は彼を虐めてたんだ。皆みたいに放っておけばいいのに、君だけがずっと。だから彼はもう君に会いたくないと思う」
 頭の中を殴られたように衝撃をうけた。あいつと喧嘩している記憶が映像的に浮かんでくる。喧嘩したこともあるんだろうくらいに思ってた。喧嘩じゃなくて虐めていたっていうのかのか。
「俺はそいつを、嫌ってたのか」声が震える。「なんでだ。憎んでたのか?何かあったのか?」
「君の気持ちなんか知らないよ」
「ならそいつの考えもてめえが決めんなよ!」
 気持ちが抑えられなくなり、俺は怒鳴った。気圧されたようにデクは怯んで守るように鞄を胸に抱える。
「とにかく僕は知らないから」
 おどおどしながらも話をかわそうとするデクにイラつく。声を聞きつけたのか、クラスの奴らがやって来た。「おいどうした」と声をかけられる。その隙に出久は駆け出した。
「おい、待てよてめえ!話は終わってねえ」
「なんだなんだ、爆豪。折角いい感じだったのに、まだ前に逆戻りかよ」
 上鳴が揶揄うように言いながら、俺を引き止める。
「うるせえ!邪魔すんな!クソが!」
 俺達が仲が悪かったとか、デクのこととなると俺は頭に血が上るとか。クラスの奴らはいつも言う。そういうことがあったらしいという記憶はある。だけど、感情は忘れちまった。今そうじゃねえし。いつまでも同じ感情を1人の奴に持ち続けることなんてねえだろ。それともあんのかよ。
 感情を忘れてるっておかしいのか。親に聞くか?いや、それは最終手段だ。なんで忘れてんだって聞かれっと面倒だし、もう学校側の責任とか追求されるのは御免だ。手掛かりはすぐ側にある。逃げられると思うなよ、デク。


3


 昔の夢を見ている。あいつが他のやつを庇って立ちはだかる。また俺に抗うのかよ。俺は怒って殴りつける。
「ダメだよ。かっちゃん。殴られても僕は聞けないよ」
 あいつは頭を庇いながら弱々しく言い返してくる。
「てめえ!俺に逆らって他の奴の肩を持つのかよ」
 そんなのありえねえだろ。怒りのあまり、手を伸ばしてあいつの肩を掴んで地面に引き倒す。庇ってた奴は一目散に逃げた。
「あの野郎、てめえを放って逃げたぜ。ざまあみろ」
 笑ってやろうとあいつの顔を見下ろす。だがあいつはホッとした顔をしている。驚いて、次に腹が立った。服を掴んであいつの名を叫ぶ。
 けれども、名前を呼んで罵倒しているはずなのに、自分の声なのに、なんて呼んでるのか聞こえない。顔を近づけてるのに、靄のかかったように顔がわからない。
「無個性のくせに生意気なことすんじゃねえ!何にもできねえくせに」と俺は怒鳴る。
 怒りと憤りとで胸が潰れそうに苦しい。
 ふらふらと足が向いてあいつの住んでる団地の前に来る。静まり返った階段を登る。昨日も今日もあいつは公園に来なかった。
 今までどんだけ小突いても、べそかきながら俺の後をついてきやがったのに。ドアの前に立って呼ぶとあいつはすぐに出てきて、俺をヒーローを見るみたいにきらきらした目で見ていたのに。
 あいつが側にいるから俺は自分がヒーローだと思えたんだ。今までと何が違うっていうんだ。あいつが、無個性だからか。それを認めたくねえからか。自分が納得できねえからって。俺を巻き込むんじゃねえよ。大抵の奴は大した個性持ってねえんだ。たとえてめえに個性があったとしてもどうせ大したことねえに決まってんだ。逆らったりしないで俺の後ろをついてくりゃいいだろーが。弱い奴は強い奴に付いてくるもんだろ。虎の威を借るっていうじゃねえか。
 ドアの前に立つ。呼び鈴を押そうとして躊躇する。この扉の向こうにあいつがいるのに。 名を呼ぼうとしても声が出せない。なんで俺があいつを呼ばなきゃいけねえ。なんで俺が追わなきゃいけねえんだ。怒りなのか憤りなのか。なんなんだ胸に渦巻くこの嵐は。悲しいのか俺は。


 目を覚まして飛び起きた。今あった出来事であるかのようにリアルだ。あれは過去に確かにあった出来事だ。映像的な記憶でしかなかったのに。 家に来たのにドアを開けなかった。あの時俺は開けられなかったのか。
 くそっ、目を覚ます直前に名前を呼べばよかった。思い出せたかも知れねえのに、畜生。なんて呼んでたのかその名前がわからない。想い出そうとしても顔が思い出せない。現実に起きた出来事だという認識はあるのに。なんて苦しい記憶なんだ。苦しくて辛くて胸が締め付けられるみてえに痛え。
 なのに僅かに手掛かりを得たことに心が変に甘く騒めいている。俺の感情が手掛かりだ。
 デクと話すようになってから何故か、昔の記憶に付随していた感情が次々と甦ってくる。色のないモノクロの下書きに鮮やかな彩色がほどこされるように。
 夢の中のあいつは誰なんだ。なんでこんなにも胸が痛いんだ。顔も名前も知ってるはずなのに。なんでそいつのことをデクは隠すんだ。やっぱりデクから聞き出してやる。
 聞き出して探しだして会いに行く。今更だろうが何だろうが構うものか。会えばなんとかなんだろ。
 あいつの言うように俺はなんでも持っていた。あえて欲しいものなんて何もなかった。欲しいものは目に見えないとあいつは言った。名声や栄光や人望は目に見えないけれど儚いものだ。人の秤で測るものなんか欲しくねえ。
 欲しいものなんてなかったんだ。あいつは俺のものだったから。思う前に既に俺のものだったから。あいつを無くして初めて気づいたんだ。今の俺が欲しい唯一のものははっきりと目に見えるし触れられた。確かな体温と歪な心と危うい魂を持った一人の人間なんだ。


「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを。この和歌の現代語訳を答えろ。はい、八百万」
 一時間目は古文の授業だ。相澤先生に当てられた八百万は、起立してきびきびと答える。
「あの人があれは真珠ですかと尋ねた時に、露だと答えて自分も露の如く消えればよかった。そうすればこんな思いをせずにすんだのに、という訳です」
「はい、正解。伊勢物語の中では見分違いの想い人を連れて逃げたものの、目を離した隙に鬼に食われたという話だ。追手に想い人を連れ戻されたのが真相らしいな。平安期当時に実際にあったスキャンダル事件が元らしい。 この歌は「新古今和歌集」と「伊勢物語 芥川」に収録されている」
「先生、なんで歌集と物語なんて別々の本に同じ歌が入ってるんですか」手を上げて芦戸が質問する。
「和歌の作者は在原業平だ。彼は「伊勢物語」の主人公のモデルといわれてる。伊勢物語の成立は平安初期、新古今和歌集鎌倉時代初期だから伊勢物語が書かれた方が先だ。時代を越えて同じ歌を掲載したってことだな。在原業平は人気のある歌人だから多くの歌が残っているんだ」
百人一首のちはやぶる、も在原業平ですよね」挙手して八百万が口を挟む。
「そうだ。彼は色好みで有名だったりするが、学はないが才能があり政治の中枢にいたらしい。平安時代歌人界ではいわばヒーローだな」
「ヒーロー……」と後ろで呟くデクの声が聞こえる。てめえ、ヒーローなら何でもいいのかよ。
 授業が終わり、俺は後ろの席を振り向いた。デクがビクッと震えて椅子を引く。
「な、何?」
「おい、てめえに聞きたいことが……」
 と声をかけた途端に視界がぐらりと揺れた。脳裏に次々と記憶がランダムに浮かんでは重なりあう。フラッシュバックって奴か、これは。くそ!頭が混乱する。立ち上がった拍子にがたんと椅子が倒れた。足元が揺れ、立っていられなくなって四つん這いになり、床に手を付く。
 砂利が指に触れる。冷たい。水の中だ。頭が痛え。身体が痛え。布が肌に張り付いて気持ちわりい。頭上にある丸木橋から脚を滑らせたんだ。
 上から遊び仲間達の声が降ってくる。「大丈夫だよな」「かっちゃん強いもん」と言いながら奴ら笑ってやがる。ムカつきながら「大丈夫」と虚勢を張って不敵に笑みを浮かべて見せる。
 大丈夫なわきゃねえだろ馬鹿野郎。冷てえし痛えよ。誰も来やしねえ。俺は強いからって心配してねえんだ。それとも濡れんの嫌だからかよ。
 背後からばしゃばしゃと水をかく音。
「大丈夫?頭とか打ってたら大変だよ」と差し出される小さな手。
 ああ、あいつか。俺は嬉しくなった。だが嬉しいと思った自分に腹が立った。
 俺は期待してた。奴らは来てくれるんじゃないかと。けれども期待は裏切られた。だがそんな風に感じるのは甘さだ弱さだ。誰でも自分が大事なんだ。俺は大丈夫だ。ひとりで立てるんだ。薄情な奴らにだって余裕で笑ってやれんだ。
 なのにあいつだけは手を差し伸べた。その手を取ったりしたら俺は。俺はあいつを。
 視界が暗くなり薄闇が広がった。脳裏の記憶の場面が変わったのだ。
 地面を叩く土砂降りの雨の音がうるさい。薄暗い放課後の教室の中。着ているのは中学生の詰襟の制服。俺はあいつを床に押し倒して押さえつけている。
 俺を「爆豪くん」なんて呟くのが耳に入ったからだ。たどたどしい口調で聞きのがしそうな小さな声で。途端に頭が沸騰した。
 捕まえて誰もいない教室に引き戻し、床に組み敷いた。咳き込んだあいつがヒュウっと息を吸い込む。
「てめえが俺を苗字で呼ぼうなんてよ。生意気なんだよ」
「だって、かっちゃん、なんて皆もう呼んでない。おかしいよって」
「誰に云われたのか知んねえが、俺に指図すんな、クソが。だからてめえはいつまでも」

 今の俺は苗字か名前の呼び捨てで呼ばれてる。ガキの頃俺を「かっちゃん」と呼んでた奴らとはもう交流がない。たとえそいつらが呼び名を変えてたってなんとも思わない。だがてめえは駄目だ。
 てめえは呼び名を変えることで、俺との間に壁を築こうとしてんやがんだろ。てめえが自覚してなくたって、そうしようとしてやがるのはわかってんだ。
「てめえの思いどおりにはさせねえ。今度苗字で呼んでみろ。ただじゃおかねえ!」
「なんでそんなに怒るんだよ、かっちゃん」
「黙れよ。てめえは俺の言うとおりしてりゃいいんだ」
 次から次へとふざけやがって。これ以上俺をどれだけ虚仮にすりゃあ気が済むんだ。理想のヒーロー像を追うこいつの言うことは綺麗事だ。てめえ勝手な理想像を押し付けて、俺に指図しやがるから腹が立つんだ。腹の底ではこいつが正しいと思っちまいそうになるからこそ認められねえ。俺に逆らうなと苛立って苛んで。次第にこいつが俺を避け始めて。姿を見るだけで胸が抉られるくらい苦しくなって。俺にこんな思いをさせるこいつを許せるわけがねえ。
 こいつは怯えきった表情を浮かべているはずだ。なのにどんなに凝視してもやはり顔がわからない。見ているのに認識できない。
 腰をこいつの下腹に降ろして馬乗りになる。太腿の下に押さえ込んだ身体の感触。服越しに触れ合ったこいつの局部の体温を感じる。弾力のある膨らみ。勃起しそうになった。慌てて腰を浮かす。
「かっちゃん?」
 表情は読めないが怯えた声。まさか勘付いたのか。唾を飲み込んで見下ろす。今頃になって気づくなんて。
 てめえに見透かされて見下されてると思いこんだのは。いつも目が姿を探してしまうのは。他の奴らは近づこうが離れようが平気だったのに、てめえだけは離れるのが許せなくて追いかけちまうのは。他の奴にどう見られたって何を言われたって気にならねえのに、てめえにだけは腹が立つのは。捻じ伏せて従わせて意のままにしたいなんて欲求に支配されちまうのは。
 やっと理解した。俺はてめえが欲しいんだ。欲しくて欲しくて堪らないんだ。好意なんてもんじゃない。情欲そのものだったんだ。苛立って追いつめて、今頃自覚するなんて。気づかなければよかった。今更手に入れるなんて不可能だ。散々傷つけたんだ。こんなに拗れてしまってはもう手遅れだ。こいつが俺を受け入れるはずがない。もっと早くに自覚していたら違ったんだろうか。どちらにしろ叶うはずなんてねえ。こいつが知ればきっと俺を憐れんで蔑んで見下しただろう。そんなことには耐えられねえ。こんな感情をこいつに知られたら俺は。俺は。
 記憶の混濁。脳が揺れるような目眩。こみあげるものに耐え切れず俺は嘔吐した。昼前で胃はからっぽだったからか胃液しか出てねえか。周りが「うわっ」と驚いて引いているようだ。咳き込んで口を拭う。「雑巾取ってくる」と誰かの声がする。
「大丈夫?」
 とデクが駆け寄り手を差し出した。幼い頃の映像がフラッシュバックする。差し出された小さな手。この手じゃねえか。怒りが沸いた。立ち上がり、デクに掴みかかって机の上に引き倒した。デクは怖がりながらも案じるように俺を見上げる。
「そんな目で俺を見てんじゃねえ」俺は怒鳴った。
「おい、なに怒ってんだ。落ち着けよ」「どうしたんだ、爆豪くん」切島と飯田がユニゾンで話しかけてくる。
「うるせえ!こいつは……」
 答える前に足が縺れ、目が回ってデクの上にふらりと倒れ込んだ。身体を滑ってずるずると床に頽れる。
「だ、大丈夫?」
 薄れゆく意識の中で、俺を呼ぶデクの声が幼い声と重なる。デクの顔が認識できなかった幼馴染の顔と重なる。押し寄せる記憶の奔流と甦る感情に意識が呑まれる。
 てめえだったのか。やっぱりてめえだったんだな。俺をこんな風に苛立たせる奴が何人もいるわけがねえんだ。憎くて辛くて腹が立って、惹かれて焦がれて求めていた。凪のように落ち着いていた心が逆巻き渦を巻き嵐になる。ああ、これだ。俺はずっと昔からこの感情と共に生きてきたんだ。凪の日なんて一度としてなかったんだ。てめえに会ってから一度だって。
てめえが、出久だ。


 あの日。
 学校の門の前でヴィランに襲われて、保健室に担ぎ込まれたあの日。目が覚めたら俺はベッドに寝かされていた。手当は済んでいて、ヴィランは撃退されて、俺は救出されたのだと聞かされ、教室には戻らずそのまま寮に帰った。俺一人だと、そう思っていた。
 だが違ったのだ。あの場には出久も共にいた。あの時保健室で何があったのか。抜けていた記憶が蘇ってくる。
 保健室に運ばれていく道中に俺の意識は戻った。出久は担架に乗せられ並走して医療ロボットに運ばれてる。大きな身体の先生に背負われてる俺を心配そうに見上げる大きな瞳に腹が立った。
ヴィランはどうなった」
 隣を歩いている相澤先生に聞くと、先生はサングラスを上げて俺を見た。
「気づいたか、爆豪。奴は拘束して警察に引き渡したよ。全く、お前らは厄介だな。次から次へと」
「お前の生徒はどうなってんだ、相澤。飼い主に似ちまったんじゃねえか」
 俺を背負った先生が豪放に笑う。
「俺じゃない奴の方に似たんだろう」相澤はぼそっと答える。
 飼い主ってなんだよ、クソが。躾けられてたまるかよ。
「かっちゃん、背中大丈夫?」出久が口を開く。
「痛えわ、クソが」
 変色した出久の右腕が目に入り、苛ついた。結局またぶっ壊したのか。
「ごめん……、僕のせいで」
「それ以上喋んな。胸糞わりい」
 保健室に到着すると、俺は着ていたコスチュームの装備を外され、ベッドに俯せに寝かされた。背中の傷を治してもらったおかげで痛みは引いた。
 出久が何処にいるのか気になった。身体を起こしたものの、治療の副作用で脱力感に襲われる。カーテンで仕切られた隣のベッドにいるのか。確認しようにも足に力が入らないので立てない。仕方なくまた横になろうとすると、誰かがカーテンを開けた。
 背の高い痩せた男。まだ見慣れない、オールマイトの真実の姿。
「あんだ?オールマイト
「すまない。まだ教室に戻らないで少し待っててくれ」
「言われなくても、しんどくて動けねえよ」
「そうかね。では、すぐに来るから」
 と言い、オールマイトはカーテンを閉めた。背中は痛くなくなったので俺は仰向けに寝転ぶ。 一人になると思うのはいつもムカつく幼馴染のこと。あいつがオールマイトから力を貰ったのだということ。俺の知らないところで。
 カーテンの向こう側でひそひそと保健室のババアとオールマイトの声が聞こえる。
「これっきりならいいんだけどね」
「ああ、そう望みたいものだが……。さてどうしたものか」
 オールマイトの困ったような声音。カーテンの向こうから出久の声が聞こえてくる。
オールマイト、かっちゃんは大丈夫なんですか?あ、こんにちは……。ええ!?」
 やはり隣のベッドには出久がいるらしい。カーテンの隙間からベッドに腰掛けているあいつが見える。腕と片足に包帯を巻かれている。あいつ、全力でぶっ放すとか、馬鹿か。指くれえにしとけよ。オールマイトの側にもう一人いるようだな。セラピーヒーローの誰それとか出久が言ってるのが聞こえる。興奮して声が上ずってやがる。あのヒーローオタクめ。クソが。
「やれやれ、君も無傷ではないんだぞ」
「すいません、オールマイト。でも僕は大したことないです。足は治してもらったし。僕はかっちゃんに吹っ飛ばされて助かったようなものだから……。かっちゃんは?」
「爆豪少年の背中の打撲傷は治したよ。コスチュームのお陰で外傷はなかったしね。治療で体力は消耗してるだろうけど」
「コスチューム……。かっちゃんはちゃんと危険に備えて用心していたんだ。僕がついていったりしなければ」
「君がいなければ、爆豪少年はヴィランにひとりで対峙することになっただろう。彼を1人にしなかった君の判断は間違ってはいないよ」
「かっちゃんは僕を庇ったんです。こんなことになるなんて……。こんなの、彼らしくない」震える声で出久は続ける。「きっと秘密を知ったからなんだ」
 あの野郎、何言ってやがる。庇ったとか寝言ってんじゃねえよ。てめえのためじゃねえわ、自惚れんな。オールマイトに借りがあっからだ。
 オールマイト。希望の象徴。グラウンドベータでの対決でオールマイトが現れた時、出久が後継者だと知った時、もう出久を取り戻せないのだと理解した。どんなに足掻いても、もう二度と手に入れることはできないのだと。いつ死んでも不思議じゃない生き方をあいつは選んでしまったのだ。俺の目の前でオールマイトが辿った道をあいつも歩むのだ。「ワン・フォー・オール」という得体の知れない何かに、あいつを永遠に奪われてしまったのだ。ほんの一瞬目を離した隙に。
「僕が油断したせいだ……。こんな風にかっちゃんが傷つくなんて、耐えられない」
 出久が声をつまらせる。べそかいてんのかよ。ほんっとガキだな。以前出久の前で号泣した自分のことは棚上げにする。
「捕らえたヴィランは白状したよ。他の生徒を拉致したなら学校への脅迫、爆豪少年ならヴィラン連合に引き渡す所存だったらしい。彼は例の神野の事件以後も、いまだヴィラン連合に目をつけられているようだな」
「そうかも知れません……。ヴィラン連合のボスに僕との因縁を知られてるのかも」
「言いにくいことなんだが……」オールマイトは続ける。「こういうことが度重なると、彼から秘密が漏れる可能性を考慮しなければならない」
「そんなことない。かっちゃんは大丈夫だよ!オールマイト!」
「また敵に遭遇して、彼が捕まるようなことがあれば危険なんだ。大切な秘密なんだよ、緑谷少年。彼の身も君の身も危険に晒すことになる」
「そんな!そんな……、なんで。僕がかっちゃんに喋ったりしたから……」
 苦しげな出久の声。んだよあいつ、ずっと俺に隠しおおせるつもりだったのかよ。てか、秘密は俺が自力で暴いたんだろ。てめえが口を滑らしたりしなくても情報を総合すりゃ、俺はきっと気づいたはずだ。どんだけ長い付き合いだと思ってんだ。
「秘密を知る者達で相談したんだが」オールマイトが言う。「保安のために彼の記憶を少しだけ操作することにするよ」
「秘密を忘れさせるんですか」
 どきりとした。何を言ってやがる。
「いや、彼は勘がいい。今の私の状況とヴィラン連合との会話。君が無個性であったこと。君の個性がますます私に近づいてきたこと。そして、何よりも彼の君への執着。たとえ一時的に忘れさせても手がかりを総合すればまた気づくかも知れない」
「そう、ですね。かっちゃん頭いいから。だったらどうするんですか」
「まず今日のことと、君が彼に喋った真実と、君が無個性であること。その他に過去に付随した君に抱いていた感情も、対象にせざるをえないだろう。無個性だった以前の君と今の君との間に繋がりがなければ、彼も疑わないだろうからね。」
「そんな!僕らは幼馴染で付き合いは長いんですよ。そんな長い期間の記憶を弄るなんて。大丈夫なんですか」
「記憶を消すわけじゃない」
 聞き覚えのない男の声がきこえる。セラピーヒーローとやらだろう。
「頭の奥にしまわれたものに表からアクセスできなくなるだけだ。昔の出来事や名前や顔が部分的に思い出せなくなるようなものだよ。普通によくあることだろう。それだけだよ。記憶を完全削除することもできるが、現実との弊害が出る可能性があって危険だからな。余程のことがなければ使わないことにしている」
「というわけだ。最小限の記憶と過去の彼への感情だけを対象にお願いする。そんな顔をしなくていい。心配ないよ。彼はその世界の第一人者だからな。君への拘りがなくなったと知れば、ヴィラン連合も彼を狙わないだろう」
「そう……ですか」
 あいつら、何言ってんだ。俺のいねえところで何勝手に決めてやがんだよ。カーテンが開けられた。顔を出したのは見覚えのないヒーローとオールマイト
「一体何言ってるんだよ、あんた」
「聞いていたんだろう、爆豪少年 。君なら理解できるだろう。こうしないと危険なんだ」
「俺がかよ。デクがだろ。あいつのせいで俺までとばっちりかよ!」
「最低限の処置だ。秘密の記憶と無個性だった緑谷少年への感情。それだけだよ。今までの記憶自体はほぼそのままだが。おそらく今の緑谷少年と昔の緑谷少年を別の人間だと思うようになるだろう」
「嫌だ、ぜってえ嫌だ!」
 ふざけんなよ。今の出久だけじゃ足りずに、この上過去の出久まで奪うつもりなのかよ。あいつへの感情が俺の頭の中にどれだけの大きさを占めてんのか知らねえくせに。苛ついて苦しくて腹が立って。でも絶対になくしたくないものなんだ。脱力感で身体を起こせねえ。畜生!
 必死で腕を伸ばしカーテンを掴んで引っ張る。翻ったカーテンの向こうにベッドに腰掛けた出久がいた。辛そうな顔で俯いている。てめえは忘れてほしいのかよ。昔のこと何もかも。
「デク!俺はてめえを絶対許さねえ!」
 感情が昂ぶって涙が溢れる。泣きながら、出久を睨んで叫ぶ。
 セラピーヒーローの大きな手が頭を掴んだ。目の前が白い靄に覆われる。出久の顔が霞んでゆく。俺の方を向いて俺の名を呼ぶ声が、音が遠くなる。頭の中も雲に覆われたように白く塗り替えられていった。


4


 目が覚めた。周囲を仕切る白いカーテン。保健室だ。セラピーヒーローはもういないようだ。
 いや違う、あれは失われていた記憶だ。今日俺は授業中にフラッシュバックが起こって意識がなくなって、全て思い出したのだ。何があったのかを。何をなくしていたかを。
 ベッドの側の椅子に出久が座っていた。俯いていた顔を上げて俺を見る。
「かっちゃん、大丈夫?」
「この野郎!クソが!」
 俺は出久に掴みかかった。襟元を掴み引き寄せて怒鳴る。
「デク、俺はてめえを許さねえ!」
「記憶、戻ったんだね……」
 一瞬安堵の表情のようなものを浮かべた出久は、抵抗もせず俺の為すがままだ。
「あいにく戻ったぜ、デク。全部な。ふざけたことしやがって」
「ごめん、仕方なかったんだ」
 デクは目を伏せて言う。
「仕方ねえ?よくもてめえぬけぬけと!てめえ!」
 拳を握って振り上げた時、誰かがカーテンを開けた。
「やれやれ、騒ぐのはよしとくれ」
 呆れた顔でリカバリーガールが入ってくる。後ろに椅子に座ったひょろ長いオールマイトの姿が見える。
「彼のせいではない。悪いのは私達だ」
 オールマイトは立ち上がり、両腕を広げた。俺は出久から手を離して身構える。また記憶を弄るつもりかよ。そうはさせねえ。
「自力で記憶と感情を取り戻すとは驚いたタフネスだな、君は」
 とオールマイトは困りながらも感心しているような口調で言う。
「一時的な記憶混濁とクラスメイトには教えていた。操作した過去は忘れたまま、日常になっていくだろうと、そう目論んでいたんだが」
「生憎だったな。脳みそに手突っ込んでかき混ぜるようなことしやがって。それがヒーローのすることかよ」
「ああ、そうだな……」オールマイトは頭を垂れる。「本当にすまなかった。度重なるヴィランからの襲撃に、過敏になっていたかもしれない。君にはとても悪いことをしてしまった。君達の関係的にもその方がいいかもと思ってしまったんだ」
 わかってねえよ。あいつは俺にとってそんなんじゃねえんだ。頭が沸騰しそうだ。奪われるところだった。デクへの感情を。どんなに苛ついて苦痛であっても、それだけはどうしても失いたくないものだ。
「俺の記憶だ。俺だけのもんだ。誰にもいじらせねえ。こいつは無個性であんたから力を貰った。それがどうした。他の誰にも言わねえし、また捕まったりしてもぜってえ口を割ったりしねえ」俺は出久を睨みつけて続ける。「もう2度と捕まったりしねえけどよ。クソが」
 出久は口を開きかけた、だが何も言わないで目を伏せる。
 チャイムが鳴った。
「緑谷少年、もう授業に戻った方がいい。彼のことは心配ない」
「はい、あの、後で話したいです。オールマイト
 出久は振り返りながら、保健室を出て行った。オールマイトは出久の座っていた椅子を引き寄せて座る。
「君は自己分析が苦手なようだね。彼への感情がどこから来たのか在り処を探してみるといい」
「自分の感情くらいわかるってんだ。あいつに苛つくってことくらい」
「君は緑谷少年の記憶を無くしていたとき、彼に苛ついてはいなかっただろう。むしろ頻繁に彼に近づいていた。意外だったけれど、あれが君の素のままの感情なんだろうね。君は彼自身に苛ついているわけではないんだよ。むしろ……」
「ちげえよ!」俺は怒鳴る。「ムカつくもんはムカつくんだ。それに、積み重なったあいつへの感情を忘れて、初めは和やかな関係でもよ、結局は同じ轍を踏んだかも知れねえぜ」
「ああ、そうなったかもしれないね……」オールマイトは立ち上がりベッドに歩み寄る。「爆豪少年、緑谷少年は君らしくない行動だと言っていたけれど、君はいきなり緑谷少年を庇うようになったわけではないんだろう。USJヴィラン襲撃の時、君はワープヴィランに襲われかけた緑谷少年を救った。期末試験の時は、私が出口に向かう彼を狙った時に盾になっただろう。君がヴィランに攫われた時に、来るなと緑谷少年に言ったそうだね。それも負傷していた彼を案じたから言ったんじゃないのかな」
「はあ?何言ってんだよ、オールマイト
「私は、君は君らしい行動を取ったのだと思っているよ」
「俺は別にデクを助けようとしちゃいねえ。身体が勝手に動いちまっただけだ」
「身体が勝手に、か。君達は似てるところがあるね」
「冗談じゃねえ、デクなんかと俺のどこが似てるってんだ。あんなムカつく奴と」
 オールマイトの手が俺の頭を撫でる。力強く温かな大きな手。力を出し尽くし、トゥルーフォームではなくなっても人を安心させる存在。
「だが君の行動に緑谷少年は気づいてないようだ。君への思い込みが強いからだろう。君に嫌われていると思ってる。だから自分を助けた君の行動を、らしくないと思ってしまうんだよ。君たちは二人とも賢くて理性的なのに、お互いのこととなるといつも思い込みが激しくて感情的になってしまうね」
「へっ、俺はいつでも理性的だ」
 ぶんっと頭を振って大きな手を振り払う。
「君は彼に伝わらなくてもいいのかい」
「別にねえよ。あんたの勘違いだ。俺はあいつなんか」
 指が痛い。 シーツを強く握っていたのに気づく。
「仮にそうでもデクに伝えたいことなんざねえ。伝わらねえ?それがどうした。あいつがどう思ってようが、そんなことどうだっていい」
「本当にそう思っているのかい?」
「そうだっつってんだ!しつけえよ。あんたも戻れよ、オールマイト。一人になりてえんだ」
 溜め息を吐くとオールマイトは入り口の方に歩み去る。ドアを開ける音の後、「緑谷くん、まだ行ってなかったのか」と驚くオールマイトの声が聞こえた。「オールマイト、あの」と慌てる出久の声。
 んだとあいつ!急いでカーテンを引いてドアの方向を見る。おどおどした様子の出久が立っていて、俺にびくついた視線を向ける。聞いてたんじゃねえだろうな。
「クソが。デク、立ち聞きしてたのかよ」
「聞いてないよ。今来たんだ。大丈夫なのかと気になったから。どうしたの?」
「うぜえんだよ!さっさと教室に戻れよ!」
 俺を心配してんじゃねえよ。てめえはよ。怒鳴り散らして布団を頭から被る。
「では、私も行くことにするよ。気分がよくなったら教室に戻っておいで。行こう、緑谷少年」
 二人の足音が遠ざかる。あの時のことが思い出されてくる。夜中にヴィランが襲撃してきた時のこと。拳を握りこむ。頭の奥深くに封じられていた、開放された記憶。


 あの夜遅く、一人で買い出しに行こうと校外に出ることにした。気がくさくさして、学校の外の空気を吸いたくなったのだ。
 共有スペースの窓から覗くと、寮の庭で出久がトレーニングをしているのが見えた。オールマイトの後継になるために。舌打ちする。誰が言っていたのか、共有スペースで寛いでいた時のクラスの奴らの言葉を思い出す。どういう文脈で出久の話になったのか。
「爆豪が緑谷に拘る気持ちわかるぜ。ボロボロになってそれでも逃げねえで必死でかかっていく。しかも自分のためじゃなく人助けのためだけに。強えっていうよりかなわねえわ」切島が言った。
オールマイトへの憧れなんだろうけど。あとさ、俺らをよく見てるよな。個性も生かし方も俺ら以上に考えてるみてえだし。俺らを信頼するよな。ちょっと嬉しいつーかさ」上島が言った。
「お前さ、あいつにただ一人信頼されねえ気分はどうだ」切島がいきなり話を振ってきた。「神野の事件の時もさ、ああ、怒んなよ爆豪。あいつ作戦立てたくせに、自分だとお前が手を取るの躊躇すんじゃないかって、俺にまかせたんだぜ」
「うぜえ。どうでもいいわ」
「会ったのが高校からならよかったかもなあ、お前ら」切島がため息を吐いた。
「だな。すぐ理性が吹っ飛ぶような関係じゃなく、お前と轟くらいのほどよい距離感でいられたんじゃねえか」上鳴もうんうんと頷いて言った。
 なかなか出久の話題が終らないばかりか、俺に飛び火してきた。おまけに神野の失態まで蒸し返してくる。ムカついて「うるせえ!」と怒鳴り共有スペースのソファから立ち上がる。
 去り際にまだあいつらが出久の話をしているのが聞こえた。
「でもよ、あいつ危なっかしいよな。怪我も痛みも恐れねえから。強え相手に引くことをしねえから。死を恐れないって、時々怖えと思うよ」
「ああ、怖え。傷ついて、ある日登校したらあいつがいないとか思うと、たまんねえよな」
「あんな生き方してたらいつ死んでもおかしくねえよ。怖くて堪んねえよ」
「ヒーローってそういうことなのかも知れねえけど。あそこまでしなきゃいけねえのかな……。あいつに会うまで考えたこともなかったぜ」
 部屋に戻り、コスチュームを取り出す。念のために備えておいた方がいいだろう。コスチュームを着込んで寮の玄関を出ると、トレーニングあがりの出久と鉢合わせした。
「あれ?コスチューム着て、どうしたの」俺に気づいて出久が言う。
「なんでもねえよ。ちょっと外に出るだけだ」
「敷地外に出るってこと?1人で夜歩くなんて危ないよ。またヴィランが出たら」
「だからコスチューム着てんだろ!出やがったら返り討ちにしてやる」
「僕も行くよ」
「はあ?なんでてめえまでついて来んだよ」
 なんか察知しやがったのか。 いつも遠巻きにしてやがるくせに、こんな時ばかり寄ってくるんだよな、てめえはいつも。
「イラつくな。俺を庇ってるつもりかよ」
「そんなつもりじゃないよ」
 自然と早足になった。出久は遅れることなくついてくる。「待ってよ」と俺を懸命に追いかけてきた幼い姿は遠い昔だ。
「今、何か門の方向で光らなかった?ねえ、かっちゃん」
 出久がなんか言ってるが無視する。気になるのかまだぶつぶつと話し続けている。「車かな?でも一瞬だったし。学校は民家から離れてるし」
 岩場の演習場を過ぎて校庭を抜け、門の前に到着後した。当然だが鍵がかけられている。高く聳える門を見上げて爆破で飛び越える。出久も俺に続いてジャンプしてきた。門を越えたものの、出久は着地でバランスを崩しふらっとよろける。
「ばっか」
 俺はにやっと笑う。俺の真似しやがっても、てめえはまだまだだな。
 ふと、ざわっと周りの木々が動いたような気がした。
「なんか、おかしいよ。かっちゃん。街の灯りが点ってるはずなのに真っ暗だし。戻ろうよ」
 立ち上がり、辺りを見回して出久がそっと囁く。
「うっせえ、静かにしてろ」
 何かがいるのは確かだ。神経を研ぎ澄ます。目の端にうごめく気配。
「なにこれ、蔓?痛っ!」
 いつの間にか出久の足元にざわりと伸びてきた影が、足首に巻きついていた。 蔓はするすると出久のふくらはぎにまで伸びて締め上げ、更に膝に伸びる。出久は蔓を引き離そうとしながら苦悶の表情を浮かべている。
「クソが!おい、爆破すっからすぐ足引っ込めろよ」
「う、うん。ああ!」
「チイッ」
 俺は蔓を爆破して焼いた。だが蔓は少し焦げるもののなかなか千切れない。思い切って出力を上げて爆破する。反動で出久は吹っ飛んで門にぶつかった。
「踏ん張りが足んねえぞ、デク!クソが」
 蔓は焦げた部分を残して、闇の中にするすると引っ込んだ。ざわざわと闇が蠢く。いつの間にか何かに囲まれてしまったようだ。
「おい!このクソナードが」と出久を振り返り、駆け寄る。
 出久の息が荒い。足が変な方向にひしゃげている。さっきの蔓に締めあげられた時に折れでもしたのか。出久は立ち上がろうとしたものの果たせず、よろけて門を背にしてしゃがみ込む。
「クソが!立てねえのか」
「うん、かっちゃん、君が戻って誰かを呼んできて」
 ひゅん、と背後で風を切る音がした。咄嗟に座り込んでる出久に覆いかぶさるようにして門に手をつく。鞭のように伸びた蔓は俺の背中を殴りつけた。
「ぐはっ!クソが」
「かっちゃん?」
 さらに2本目の蔓が背中に叩きつけられる。くそ!これは悪手だ。門の向こうに出久を投げてやりゃあよかった。もうここからどくこともできねえ。この足手まといが。
「なんで?何してるんだ!かっちゃん、君らしくないよ!」
「てめえはオールマイトの後継者って奴だろうが」
「そんな、そんなこと関係な……」
 何本もの蔓が背中を殴る。コスチューム着てなけりゃ立ってられなかっただろう。立てない上に普段着のデクじゃ到底耐えられない。
「どいてよ、かっちゃん」
 いい気味だ。いつもてめえがズタボロになるたびに、俺がどんな気分になるのか、ちったあ思い知ったかよ。傷だらけになっても俺に手を伸ばすてめえに、そんな時ばかり近寄ってくるてめえに、俺がどれだけ。あいつら、時々怖えだと。昔から俺はいつも怖えんだよ。いつ死んでもおかしくねえ。怖くてしょうがねえなんて今更だ。そんな奴を俺はずっと。
「僕を置いて行ってよ、かっちゃん」
「はっは!てめえがついてきたんだろ。いつもは俺から絡んでいかねえと、お前からは絶対こねえのに」
「だって君はすぐ怒るから」
「てめえがムカつくからだ。最近俺が絡まねえからって安心してんだろ。てめえは」
「かっちゃん、そんなこと言ってる場合じゃ、かっちゃん!」
 言い合う間にも蔓は俺の背を打ち据える。出久が慌てて拳を構える。何やってんだ。出力はあっても腕は2本しかねえだろうが。やるなら指だろうがよ。
「無駄弾撃つんじゃねえよ、クソが。蔓は固えし攻撃的しても何本でも生えてくる。こう暗くちゃあ、敵が何処にいんのか見えねえだろうが」
「でも、このままってわけにはいかないじゃないか」
「俺が閃光弾を放つ。チャンスはそん時だ。一瞬だ。目凝らして敵の位置をよく見ろよ。目瞑ったりしたら承知しねえ」
「わかったよ」出久はこくりと頷く。
 背中が痛え。痛みを堪えて振り向き、手をパンっと合わせる。閃光弾の眩い光が辺りを包む。腹に蔓が叩きつけられた。息が詰まって咳き込む。姿勢を戻して倒れないよう壁に手をついて脚を踏ん張る。
「かっちゃん、君は……」
 出久の声が震えている。暗くて定かじゃないが青ざめているんだろう。
「やれ!クソバカ!」
 我に返った出久が拳を握りこんで構え、肘を引いて突き出す。背後で轟音が響いた。轟音に混じって耳に届く野太い悲鳴。
「やったか」
「うん。多分。かっちゃん、やったよ!」
 出久の声が弾む。
「よ、し」
 ほっとして力が抜け、足元から崩折れて出久に覆いかぶさる。闇に包まれていた道路を街灯の光が照らす。
「かっちゃん!」
 うるせえよ。耳元で叫んでんじゃねえよ。壁の向こうからバタバタと幾人かの足音がして門が開かれた。
「かっちゃん、かっちゃん!」
 身体の下に出久の声を聞きながら気が遠くなる。離れていったのはてめえだ。そのうち戻ると高をくくっていたのに、結局いつになっても戻ってきやしねえ。てめえは俺のなんだ。ころころと犬っころみたいについてきたくせに。物心つかねえずっと昔からそうだったくせに。俺を避けてるくせに目の前をちょろちょろしやがって。オレが弱ってぜってえ顔を見られたくない時ばかり、てめえから寄ってきやがって。側にいろよ。ずっと俺のもんだったのに離れんなよ。側にいたくねえなら俺の目の届くところから完全に消えろよ。目の届かねえとこなんかに行くなよ。どこにも消えんなよ。
 こんな混乱した気持ちを、伝えるべきなのか。伝わらねえからこうなんのか。あいつにだけは知られたくない。知られてたまるものか。



 橙色に染まった部屋の中で目が覚めた。
 もう夕暮れになったのか。オールマイトや出久が来た時は意識は戻ったはずだが、いつの間にかまた眠ってしまったらしい。窓の外を眺めると帰宅する生徒達の姿が見えた。とっくに放課後になっていたようだ。クラスの奴らも帰ってるかもな。出久も。
 轟の言う通りだ。自分で自分が気味がわりいぜ。出久と普通に接していたなんてよ。
 リカバリーガールに「帰る」と告げて寮に戻る。共有スペースを通り過ぎる時、クラスの奴らに何か話しかけられたが、無視した。自分の部屋に入り頭から布団を被る。
 オールマイトの継承者という秘密を守るために。出久は自分の保身のためじゃねえ。オールマイトを守るために。あいつはそういう奴だ。オールマイトも自身のためじゃなくきっと出久のために。それと俺の安全のためか。だが天秤にかけてそのために俺との記憶が、俺の心が、俺の想いが邪魔だと判断しやがったんだ。俺から出久を。現在だけじゃなく幼馴染の出久、までも奪うつもりだったのか。何もかも全部を。俺はぎりっと歯軋りをする。
 控えめなノックの音。
「あんだよ。寝てんだよ」
「かっちゃん、いいかな」
 出久。どの面下げて来やがった。鍵を開けてやると出久はドアをそっと開けた。俺はベッドに戻り布団を被る。
「記憶を操作するのは保留だって、かっちゃん」
 出久はドアのところに立ったままで近づいてこない。
「てめえが頼み込んだってことか。ムカつくな、恩に着せようってか」
「そんなんじゃないよ。元はといえば僕が……」
 出久は途中で言葉を切って、不自然に話題を変える。「君は凄いよね。セラピーヒーローはどんなトラウマでも消すって有名なんだよ。それを自力で解いてしまうなんて」
「はっ!なら、てめえもトラウマ消してもらったらどうだ」
 俺は揶揄する。いっぱいあんだろ。てめえにはよ。
「トラウマなんて、ないよ。辛いことも悲しいことも、僕の血肉だから」
 そう言い切ってから、「あ、そっか」と呟いて出久は口籠る。
 自分で言って気がついたかよ。そういうことなんだよ、クソが。
「ごめんね」小さな声で出久は囁く。
「何をだ」
「君に秘密を話したりしなきゃよかったんだ」
 俯いた出久の声が上擦っている。そこじゃねえだろう。いらつくぜ。てめえとはいつも噛みあわねえ。
「じゃあ行くね」
 出久はそろっとドアを閉めた。足音が遠ざかる。てめえはどこまでも。クソが。てめえは昔っからそうだ。昔から。全部一人で背負い込んで納得して。俺には何も言わねえ。何考えてんのかわかんねえ。そんな奴だから俺は。俺は。
 はたと思い出す。忘れていた時に、俺は出久に何を言っちまった?好きだとか口走っちまったぞ。ずっと押し潰そうとしてきた気持ちを。言葉にすることも消すこともできなかった気持ちを。出久に告げちまったじゃねえか。過去のあいつへの思いを知られちまった。あいつにだけは絶対に知られたくないことを。しかもあいつはなんて言った。それを聞いたくせに、いけしゃあしゃあと知らねえ振りをした。会いたくねえって言いやがった。俺を虚仮にしやがって。
 許せねえ。頭にきてベッドから跳ね起き、階段を2段飛ばしで駆け下りて追いかける。階段にはいねえ。出久はエレベーターに乗ったのか。2階に到着し、部屋に入ろうとする直前の出久に追いついた。
「え、どうしたの?」
 と出久は驚いた表情で硬直している。俺は出久の腕を掴んで部屋に押し入ると、叩きつけるようにベッドに押し倒した。壁にはポスターにタペストリー。棚には見覚えのあるフィギュアに グッズが所狭しと並んでいる。オールマイトだらけの部屋だ。1度でも出久の部屋に入ったならあいつだと気付いたかもしれない。てめえはオールマイトが近しい存在になった今でも、飾りまくってんじゃねえかよ。クソが。苛立ちのまま強く押さえつける。
「ずっと隠すつもりだったのよ。その方がムカつくぜ。知らねえ振りで嘘ばっかりつきやがって。馬鹿にしやがって。おかしかったかよ。なあ」
「そんなことない、だけど僕だって平気だったわけじゃない」出久は言い返してくる。「僕のせいだってわかってるよ。でも君は僕に酷いことばかりしてきたじゃないか。それなのにまるでいい思い出みたいに言うから。そりゃあいい思い出だってあったよ。でもずっと昔の話だ。君に合わせるのは苦痛だったよ」
 頭に血が上る。勘違いさせやがったのは誰だ。俺はてめえに。
「俺がてめえを好きだなんてねえからな!ぜってえねえ!」
「わかってるよ」
「勘違いすんなよ。オレはてめえなんかな」
「だったら君こそあんなこと言うなよ!」
 突然出久が激昂する。少しだけ気圧された。出久は俺を見上げる。
「あれが無個性だった僕への感情を忘れた、君の勘違いだってことくらいわかってるよ。わかってても。そうだったらいいなって思ってしまったんだ。もしも過去の君が本当にそう思ってくれてたらって、あり得ないのに」
 感情の昂りで出久の目が潤んでいる。魅入られたように見つめる。
「本当に君と会ったのが高校だったなら、会った時に無個性じゃなかったら。それっていいなって思ったよ。でも君が僕との過去をいい思い出みたいに言うと、そんなはずはなかったじゃないかと反論したくなった。あり得ないのに。そんなこと思わせるなよ。どいてよ。君の本心じゃないってことくらいわかってるんだ!」
 デクの目からぽろぽろと涙が溢れだした。
「君が勘違いしてるってわかってたんだ。本心だなんて、はじめから思ってないよ」
 俺は押さえつけたまま出久を見下ろす。
「はは、本当だったら、嬉しかったのかよ。馬鹿じゃねえの」
 羞恥で出久の顔が首まで赤くなった。そういうことかよ。てめえ、俺のことをどう思ってんだ。もっとちゃんと言えよ。もっと早くに言えよ。ほんと、馬鹿じゃねえの。
 思い出すまでずっと心は凪の日のように静かだった。晴れ晴れとしてすげえ楽だった。今はぐちゃぐちゃした感情が空っぽだった頭に詰まって溢れそうだ。てめえの反応ひとつで動揺してんのが不快だ。不快でたまんねえ。てめえの中身を芯まで暴いて抉って陽の下に曝してやる。そうしなきゃおさまんねえ。
「もういいだろ。部屋に帰ってよ」
「だめだ」
 てめえも楽だったんだろうな。だがそれも終わりだ。俺が好きだって言ったことが嬉しかったんだろ。てめえもそうだってことなんだろ。だったら手放せねえ。やっと靄のかかった向こう側を捕まえたんだ。その先に隠されていた感情まで見つけたのだ。
「もし、本心だったらどうなんだ、デク」俺は問うた。
「何言ってんの。あり得ないだろ」
「答えろよ」
「僕を何だと思ってるんだ。馬鹿にしてるのか」
 てめえ、信じねえのか。余計なこと言っちまった。出久の心がやっとわかったっていうのに。手に入らないと諦めたものを、今なら捕まえることができるっていうのに。手の中に身体の下にてめえがいるのに。捉えることができないなんて。何故だ。何でこいつは信じねえんだ。伝わらないってのはこういうことなのか。どう言えばいいのか、方法が思いつかない。てめえは俺を信じない。俺達の間に信頼なんてないからだ。
「本心だっつってんだ!答えろって言ってんだろ」
 暴れる出久を押さえ込んで勝己は怒鳴る。離すわけにはいかねえんだ。今を逃したらもうてめえを捕まえる機会は二度と来ねえ。
「君は僕の心なんて考えたことないだろ。僕だって傷つくんだよ。馬鹿にされたりすれば辛くなる」
「聞けってんだ。おい、デク!」
「君のことはわかるよ。長い付き合いなんだ。もういいだろ、これ以上……。殴って気が済むなら殴ればいいだろ!離せよ!」
「てめえに俺の何がわかる!」激昂して俺は叫んだ。「てめえこそ俺の心を考えたことがあんのかよ!」
 身体の下の抵抗が止んだ。
「かっちゃん?」出久は大きな目を見開いて俺を見上げている。「なんで、泣いてるんだ?」
 出久が俺の名を呼ぶ。記憶をなくしてから、初めてだ。憎しみとも愛しさとも名付けられない感情の奔流が流れ込んで来る。胸の空洞が埋められてゆく。てめえ、わざと呼ばねえようにしてたんだな。俺の記憶を喚起しねえようによ。思い出したりしねえように。
「答えろよ」
 そう言いながら俺は出久の鼻先に触れそうなほど至近距離に顔を近づけた。出久が身体を強張らせるのがわかる。緊張してんのか怯えているのか。威嚇するためじゃない。吐息を感じたいんだ。体温を感じたいんだ。はたはたと、雫がデクの顔に落ちる。水滴が頬に滴り落ち、唇に留まる。
「かっちゃん、どうして」
「答え……ろ」
「かっちゃん」
 慣れた声に呼ばれる自分の名前が耳に心地よく響く。記憶の中の声と重なってゆく。もう目を離したりしねえ。気の済むようにしていいんだな。てめえがそう言ったんだ。てめえが俺を暴いたんだ。奥に隠していた感情を掘り起こしてしまったんだ。ツケを払えよ。
 下唇に落ちた雫を舐めとり、そっと出久の唇を食む。驚いて目を見開いている出久に、そのまま唇を押し当てる。


epilogue


 皆は寝静まったようだ。
 俺はむくりと起き上がった。静まり返った廊下を歩く足音はいつもより響く。行く先を示すように足元を常夜灯が照らす。2階に降りてこっそり出久の部屋の前に立つと、そっと扉をノックする。
「んー……、かっちゃん」
 暫くしてドアが開き、隙間から出久が顔を出した。居眠りしていたのか、視線がぼんやりしている。
「てめえ、後で行くっつったろーがよ!寝てんじゃねえよ」
「ごめん、ちょっとぼおっとして」
 ムカッとして両頬を挟んで叩いた。ぱんっといい音がする。
「たっ、痛いよ、かっちゃん」
 出久は涙目になって両頬をさする。弱々しい抗議に俺はニヤッと笑う。
「ぼけっとしてんじゃねえ。次は閃光弾かますぞ」
 出久の胸を押して部屋に足を踏み入れた。壁一面に貼ってあるポスターが目に入り、俺は顔を顰める。
「目え覚めたろ。来い」
「え、今日は僕の部屋でってかっちゃんが」
「てめえの部屋はやっぱオールマイトだらけで落ち着かねえんだよ、クソが」
 と俺は唸り、出久の腕を引いて部屋から連れ出した。
「そっか……」
 少し安堵したような出久の声音が俺の心を逆撫でする。引きずるようにして、出久を4階の俺の部屋に連れていく。
 オールマイトのポスターがあったって、その前で出久を抱ける。この俺がそんなこと気にしたりするかよ。できねえわけねえ。だがきっと出久は気にするだろう。そんな出久を見たら俺は間違いなくムカつく。めちゃくちゃにしちまうかもしれない。まだだ。出久が俺のだと完全に思えるまでは。今はまだ猶予をやる。
 ベッドに隣りあって腰掛け、出久のシャツを肌ける。出久は顔を真っ赤にして「あ、自分で」と言いかけるがその口を唇で塞ぐ。出久の服はいつも俺の手で脱がせなきゃ気が済まない。出久の心を覆った殻を一枚一枚剥いでゆくようで小気味いい。
下着も全部脱がせて裸にして、首筋から掌で形取るように触れて愛撫する。
「かっちゃん、その……」
 俺のシャツに触れて出久は真っ赤になって俯く。
「てめえが俺を脱がせてえってか?やってみろよ」
 こくっと頷き、出久はボタンに指をかける。変なとこで負けず嫌いかよ。 だが緊張しているのか、ボタンが滑ってなかなか外れない。やっと1つ外れたが、次のボタンに手をかける前に手を掴んで止める。
「じれってえ!夜が明けちまわあ。てめえが俺を脱がそうなんて百年はええんだよ!」
 俺は自分の服をさっさと脱いで、ベッドに膝立ちになり出久を引き寄せて抱き締める。肌を触れ合わせると体温を分け合ってる気がする。ぴったりと上半身を重ねて肩甲骨から背骨をひとつひとつ指で辿り、確かめるように撫でる。
 肩も腕も胸筋も腹筋も、多少筋肉をつけてきているようだ。とはいえ、体格的に到底俺に追いつけはしない。俺は出久の尻を掴んで勃ちあがりかけたものを押しかける。ふるっと出久は震える。ベッドに寝転んで向い合い、腰を押し付けて足を絡ませる。深いキスを交わす。そろっと出久の下腹部に手を下ろし、ペニスを握りこむ。
「うわ、かっちゃん」出久が慌てる。
「てめえもやってみろ」唇の触れそうな距離で囁く。「俺をいかせてみろよ、クソナード」
 出久の指がボタンに触れた時のように、恐る恐る俺のものを握る。局部を合わせてお互いのペニスを握り合って擦る。手の中で半勃ちだった出久のものが芯を持って固くなってきた。出久の扱き方はお世辞にも上手いとは言えないが、俺のは既に完全勃起してるから問題ない。ほうっと吐く出久の息が上がってくる。
「あ、あ」と悶えて出久は目を瞑り吐精する。
はええよ、クソが」
「ごめん、だって、仕方ないよ、君が……」
 出久は頬を紅に染めて息をついている。潤んだ瞳で俺を見つめる。てめえ、煽ってんのかよ。俺は手についた出久の精液を自分の屹立に潤滑剤がわりに塗ると、出久を仰向けにして組み伏せる。
「ま、待って。僕いったばかりだから」
「はあ?馬鹿が。先にイきやがって何言ってやがる。文句は言わせねえ」
 俺は出久の膝を掴んで開き、窄まりにぐりぐりと屹立を押し付ける。出久はささやかに首を振る。
「行くぜ」と俺は言うなりぐっと突いてペニスの先を押しこむ。
「や、まっ……」
 出久は声を詰まらせる。腰を前に揺すって亀頭で孔を広げ、さらに強く腰を振る。竿の半分くらいまで咥えこませた。小刻みに動かすと出久はふるふると首を振って悶える。
 出久が身体を仰け反らせて小さな声で「かっちゃん」と俺を呼ぶ。手をついて俺に繋がれた身体を見下ろす。こいつは俺のものだ。
「全部入れんぞ」
 腰を掴んで揺さぶり、出久の身体を貫いてゆく。前後に揺する動きに合わせて、出久は喘ぎ声を上げる。熱い肉に根本まで埋めて動きを止める。うねる肉壁はペニスを締めつけては絞り、緩めては開放し、絶えず刺激する。まるで俺のものを型取りをしているようだ。ああ、そうだ。てめえに俺の形を覚えさせてやる。震えている出久の睾丸とペニスを撫でる。
「ん、あ……」と悶えて、出久が身体を捩る。「や、かっちゃん、……だから今は触らないでって、過敏になってて」
「へっ。俺に指図すんのかよ」
「そうじゃなくて……、ああ!」
「俺と繋がってんのわかっか」
 俺は中をかき混ぜるように大きく屹立を動かす。出久がすすり泣くように喘ぐ。覆い被さり、激しく腰を揺すって後孔を攻める。お互いの荒い息遣いだけが空間を埋め尽くす。
 射精の予兆。ぐっと突き上げてペニスを埋め込み、引き抜いて深く強く打ち付ける。
「うっ」と出久が呻いた。熱い内壁がうねりうごめく。俺の背筋に痺れが走る。やべえ、まだ果ててたまるかよ。射精をやり過ごそうと腰を引く。
「ひあっ、ああ……」
 出久が吐息混じりの掠れた悲鳴を上げる。ペニスを引く時にえらで出久の前立腺を刺激したらしい。
「いやだ、そこは」
 首を振って出久が喘ぐ。緑色の髪がパサパサとシーツに散らばる。
「へえ」
 俺は舌舐めずりし、括れまで引き抜き再び挿入してゆく。半ばまで挿れたところで、ゆっくりと前立腺に先端を擦り付ける。
「あ、あ、かっちゃん、そこはいやだって言ったのに」
「はっ!こういう場合、いや、てのはいいってことだろーが」
「違うよ。やだ、怖いよ。ああっ、やっ……」
 すすり泣くような出久の喘ぎ声。煽ってるとしか思えねえ。俺はさらに深く突き入れる。締め付けられて気持ちいい。根元まで沈めると腰を引いてまたえらで弾くように前立腺を撫でる。次第に出久のペニスがまた勃起し始めた。前立腺を刺激すると勃つんだよな。出久のペニスを握ると俺は擦りながら腰を打ち付ける。
「感じてんだろ、デク。いいんだろ、いいって言えよ」
「ち、違う……」
 甘く掠れた声。前立腺への刺激が強すぎたのか。出久の目に涙の膜が張り、目尻を伝って零れ落ちる。いじめすぎたか。
 俺はペニスを引き抜いた。覆いかぶさり身体を密着させる。互いのペニスを重ねて、腰を左右に捩ってこすり合わせる。自分の亀頭の鈴口を出久のとくっつけて先端を包むように握る。
「は、あ……、かっちゃん、変だよ」
 出久の声が上擦ってる。快感に溺れる出久はいい。もっとこいつのそういう表情を引き摺り出してやりたい。
「ケツだけでイカせてやりてえけどな」
 俺はペニスを再び出久の後孔に挿入すると、奥まで一気に突き上げる。
「あ、あー!」
 出久は首を仰け反らせて射精した。白濁が腹にはたはたと滴り落ちる。
「へえ、ところてんってやつか。初めて見たぜ」
「僕だって、こんなこと……、初めてだよ、恥ずかしいよ」
 出久は顔を真っ赤にして横を向き、「僕の身体で遊ぶなよ」と息を弾ませながら掠れた声で言い返す。
「はっ、気持ちよかったんじゃねえの。そこは俺に感謝するとこだろうが」
 俺は出久の腹の上に零れた精液を拭き取りながら笑う。
「次はケツだけでイケるか試してやるわ」
「やめてよ、そんなの、おかしくなるよ」
 出久は泣きそうな顔で首を振る。決定だ。次はケツだけでいかせる。てめえの身体を開発してやるわ。
 ペニスを入れたまま出久の身体を抱き起こして向かい合わせにする。尻を固定してぐっと一突きすると「ふあっ」と出久は喘ぎ、真っ赤になって顔を背ける。俺は揶揄うように、にやりと笑う。
「てめえ、また先にいきやがったな。俺は一回もいってねえのによ。感じやすいんじゃねえのか」
「かっちゃんが……」
 出久の言葉を最後まで言わせずに唇を奪う。舌を絡みあわせて深いキスをしながら、俺は腰を突き上げて激しくピストン運動を始める。陰茎を包む熱い肉はうごめいて俺をさらに奥へと誘う。穿つほどに出久の体の奥を暴いてゆくようだ。
 追い上げてくる生意気な奴を征服する。たまらねえ。俺を舐めてんじゃねえぞ。てめえは俺の下だ。高揚感と達成感。てめえの肌に俺の身体を打ち付ける音。てめえの身の中を抉る水音。
「いくぜ」
 突き続けているうちに熱が下腹部に集まってきた。再び背骨をぞくりと電流が走る。強く打ち付けてそのまま動きを止める。今度は堪えずに、せり上がる熱に身を任せて俺は射精した。
「うっ、は」
 低く唸り、俺は脱力して出久の胸に顔を伏せる。汗ばんだ肌を合わせたまま息を整える。俺よりすこし低い出久の体温。身体の中はこんなに熱いのにな。ペニスはまだ出久の中を犯したままだ。外に出さねえで、出久の身体の中に出しちまった。出していいんだ。こいつは出久だ。俺が好きにしていいんだ。俺のもんだってことを思い知らせてやったんだ。
 俺はふっと吐息を吐く。奪われたものをやっと取り戻したのだ。今この瞬間だけでも、てめえの全部が俺のものなんだ。
「あれ、あ、かっちゃん……、中に出した?」
「はっは!ああ、聞かねえでもわかんだろーがよ」
「なんで、いつも外に出してるのに」
「やりたいからに決まってんだろ。途中で止められっかよ」
「もう、僕が男じゃなかったら大変だよ」
「はあ?なに言ってんだ」
 俺は頭を上げて出久の側頭に腕を置き、出久を見下ろす。不安になったのか藻掻く出久を押さえつけ、耳に口を寄せ、耳朶を甘噛みして囁く。
「てめえは男だろうが」
 だからこそ征服したいし、なんとしても服従させたいのだ。支配欲が疼くのだ。
「なに、離してよ、かっちゃん、中洗わなきゃ」
 出久は勝己の背中を軽く叩いて抗議する。
「大して入ってねえだろ。精液なんて1回に匙一杯くらいしか出ねえよ。自分のでわかんだろーが」
「でも、なんか、中で熱いんだよ、君のが。君の、その……」
 出久は俯いて消え入りそうな声で言う。こいつ馬鹿だろ。そう言われて離す奴いるかよ。やっぱり煽ってんじゃねえのか。
「デク、てめえがわりい」
 俺は出久の頭の横に手をついて見下ろし、硬さを取り戻したものを体内で突くように動かす。
「え、まさか、え?嘘だろ、もう復活したの?」
 出久は肘をついて上体を起こし、繋げられた部分を見て息を呑む。
「覚悟しろよな!デクよお」
「離してよ、僕持たないよ。かっちゃん、君ってほんとにタフネスだ」
 出久は再び覆い被さった俺の背中を叩く。
「痛くも痒くもねえわ」
 俺は笑う。何度手に入れても足りねえんだ。この飢えを自覚してしまっては。
「てめえを忘れたりしねえようにしてんだ」
「かっちゃん……」
 出久は叩くのをやめ、背中に腕を回したまま掌をとどめおく。俺はほくそ笑む。暫くはこの手で大人しくなりそうだぜ。
「てめえが誤魔化したりしねえようにな」
 俺はペニスをゆるりと引き抜いてゆく。先端は抜かずに動きを止めて出久を見つめる。「かっちゃん」
 出久は観念したのだろう。息を呑んでぎゅっと目を瞑る。俺はニヤリと笑うと汗ばんだ首元を舐めて、舌を滑らかな鎖骨の隆起に滑らせる。
「いいな。じっくり感じろよ。デク」
 そう言うなり、俺は腰を強く打ち付けて捕らえた身体を一気に貫く。
「はあ、あ、あ、や、かっちゃ……」
 デクは喉を仰け反らせる。
「へっ、ざまあ」
 楔を打ち込んでおくんだ。何度でも。てめえが誰のもんなのか忘れてしまわねえようによ。
 俺は上下する出久の喉仏を舐めて軽く歯を立てた。獣が喉笛に噛みつくかのように。腰を引いて今度はゆっくりと突き上げる。


END