碧天飛天の小説サイト

飛天の小説置き場です。本業絵描きですが萌えを吐き出したく作りました。二次創作からオリジナルまで色々予定してます。無断転載を禁じます。よろしくお願いいたします。母艦サイトはBLUE HUMAN http://d.hatena.ne.jp/hiten_alice/ です。

ダイバーダウン(全年齢バージョン)

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prologue


「すごいなあ、かっちゃん」
 そう無邪気に話しかけてくる柔らかく高い声。
 振り向くと俺の後ろを小柄な子供が後を付いて来ているのが見える。よたよたした転びそうな足取り。少しスピードを落して歩みを合わせてやる。
 ここはよく遊んだ裏山の森だ。薄っすらと黄色や赤に色づいた木々の下の小道を、さくさくと木の葉を踏んで歩く。 風が枝葉を震わせて木漏れ陽を散らす。チチチと木霊する名も知らない野鳥の鳴き声。
 後ろをついてきている誰か。顔は霞がかかったように朧気で思い出せない。名前もわからない。けれども、俺はそいつが気になってしょうがない。遅れずに付いて来ているかと振り向いては、いるのを確認して安心する。
 見失ってはいけない。あれは俺のものだ。大切なものなのだと心のどこかが知らせている。


1


 俺の頭から何かが抜け落ちている気がする。
「おはよう」
「爆豪、お前大丈夫か?」
「おっはー、爆豪、もう学校来ていいの?」
「マジでもう大丈夫なのかよ」
 教室に入るなり、クラスの奴らが俺に口々に喋りかけてきた。いつもそんなに話したりしねえ奴まで聞いてくるので、ちょっとイラっとする。
「何がだよ」
「何言ってんだ。ヴィランが出たんだろ」
「ああ?」
 そうだ。俺は夜に学校を抜け出そうとして、門外でヴィランに会った。それからどうなったのかは覚えてない。気づいたら保健室にいたのだ。こいつら俺を心配してんのかよ。うぜえ。俺を気遣うんじゃねえよ。
「うるせーぞ、お前ら。授業始めるからさっさと座れ」
 相澤先生が教室に入って来たので、慌てて皆は席に戻っていった。壇上に立つと、相澤先生は眠そうな目で教室を見回して口を開く。
「あー、皆知ってのことだと思うが、昨晩校門の前でヴィランが出没して、爆豪が襲われた。幸い先生達が駆けつけて撃退したがな。攫うつもりだったのかどうか、現在取り調べ中だ」
「またかよ。お前、よほどヴィランに好かれてんだな」
「うるせえ!」
 上鳴に揶揄されて俺は声を荒げる。嫌なこと思い出させやがって。
「爆豪の記憶に多少の混乱が起きてるようだが、学校生活に支障はない程度だ。皆もそのつもりで暖かく見守ってやってくれ」
 相澤先生の言葉でまた教室が騒がしくなる。
「混乱ってなんだ、爆豪。記憶喪失かなんかなのかよ」切島が問うてきた。
「何も忘れてねえよ」
「俺の名前覚えてるか?」
「俺の名前は?」切島に続いて上鳴も続いて聞いてくる。
「なめとんか!知っとるわ、クソ髪アホ面のデッドエンドコンビだろーが」
「ひでえ。グレードアップすんなよ。赤点コンビでいいだろ。うわ、自分で言っちまった」
「なんだよ、いつもの爆豪かよ」
 他の奴らも口々に「俺の名前はわかるか?」と聞いてくるので苛々してきた。
「うるっせえ!入学してからの記憶はまるっとしっかりあるってんだ」
 一人を除いて高校から知り合った奴らばかりだ。 でもクラスメイトの名前も個性も全部覚えてるようだし。記憶に混乱が起きてると言われても、 比較材料がないから断言できないが。確かにこれからの学校生活に問題はない。
 でも何だろう。何か足りない。俺はいつも苛立っていたような気がする。だがなぜ苛立っていたのかが思い出せないのだ。
「いつまではしゃいでるつもりだ。静かにしろ。さっさと教科書開け」
 先生の一言でざわついた空気が静まり返った。俺は教科書を開いて頬杖をつく。
 同じ中学から来た奴はクラスにひとりいる。小学校も一緒だったはずだ。はずだというのは、入学以前のこいつは記憶にないからだ。クラスが違ったんだろうか。俺はそっと後の席を振り向く。緑がかった髪のそいつは目が合うとビクッと反応し、そっと問うてきた。
「その、大丈夫?」
「は?別に」
 そいつの袖口からちらりと腕に巻かれた包帯が見えた。よく見ると鎖骨あたりにも包帯が巻かれているようだ。俺は前に向き直る。人のこと言えんのかよ。てめえも怪我してんじゃねえかよ。少しだけいらっとした。
 窓の外に目をやる。夢で見たような色づき始めた樹木。こいつ、デクはいつも俺の後ろをついてきた幼馴染とは別人だ。もしあいつだったら顔見てわからないはずがねえ。毎日裏山や公園で遊んだ。家にだってよく遊びに行った。そういう奴をいくらガキの頃だからって、見分けられねえわけがねえ。感情的に繋がらないはずはねえ。
 それに顔のわからねえあいつは無個性だったはずだ。それだけは確かだ。だからデクはあり得ねえ。
 デクはクラスでもトップクラスの個性を持ってやがる。童顔に似合わねえパワー増強型の個性。あんな派手な個性持ちの奴に覚えがないなんて変な話だ。だが小学校でも中学校でも原則的に個性の使用は禁止だったから、あまり周りに見せてなかっただけかも知れねえ。使えば身体が壊れるような自壊型の個性なんて、そうそう使用できるもんでもないだろう。
「次の単元は伊勢物語 芥川だ。予習してこいよ。今日はここまで」
 授業が終わり、相澤先生は気怠げに教室を出て行った。休み時間になると、クラスメイトが俺の机を取り囲んだ。
「緑谷のことも、覚えてるんだよな」と上鳴がちょっと躊躇ってから尋ねる。
「ああ、デクだろ」
「んん?お前、つっかかんねえんだな」
「は?」
「さっきもだけどよ。なんかフツーに緑谷と話してたし。いっつも名前出すだけでも怒ってたじゃんよ」
「はあ?別に腹立たねえのに、なんで怒んなきゃいけねえんだ」
 上鳴は「ほおー」と感心したんだか驚いたんだかわからない声を上げる。確かに最初の授業で俺は奴に負けた。結構前のことだが、それからずっと根に持っていると思われてんのか。いくら何でもそりゃねえだろ。
「なあ?」
 と言いながら後ろを向くと、デクは慌てて開いていた本で顔を隠した。
「おい、何顔隠してんだ」
 本を取り上げてなぜかびびってるデクに問うと、「な、なんでもないよ」とデクは顔を隠すように机に突っ伏してしまう。
「まあまあ、爆豪、腹立ってねえんだろ。ほら、他の奴も確認しなきゃよ。な?こいつは?」
 上鳴は焦った様子で言うと適当に周りを指差した。
「俺の名は覚えてるか」
 通りがかった半分野郎が興味なさげに口を開く。
「轟」
「正解だ。よかったな爆豪」
「舐めてんのか、てめえ!」
「まあまあ、次、次行こうぜ、爆豪、ほら、こいつは?」
 次々名前を答えながらも、後ろの席のデクが気になってしょうがない。デクは俺の顔を見るとおどおどしやがる。強えくせにわけわかんねえ。そりゃ負けた時は腹が立ったんだろうけど。もうどんな気持ちだったか覚えてねえよ。いまだにそれを引きずるわけねえだろ。俺をそんな偏狭だと思ってんのかよ。逆に腹立つぜ。
 ちょっと言ってやるかと後ろを振り返った。が、デクがいねえ。教室の中を見回すと窓の側で飯田や麗日とだべってやがるのが目に入った。
「デク、おい」と言い、席を立とうとすると「まあまあ」と慌てた口調の切島に宥められた。
「あっちはあっちでつるんでるわけだし。こっちはこっちでさ、な」
「別にお前らとつるんでるつもりはねえよ。てめえらが寄ってくるだけだろ」
「ひっでえな。つーか、爆豪の平常運転だな」
 同じ中学出身とはいえ、あいつはあいつの友達がいるし。俺にもいつの間にか取り巻く奴らがいる。普通のことだ。だが何かいらっとする。さっきも感じた。時々何故ふいに苛つくのだろう。


 夕食の前に親に「ちょっとだけだからよ」とことわって外に出た。
 俺は近所の幼馴染のいる団地に駆けていく。あいつも俺も一人っ子だから、家に帰ると親しかいねえ。だから暇してるだろうと時間を問わず気兼ねなくしょっちゅう遊びに行った。
 ドア横のチャイムを押して名を呼んだ。あいつはすぐにドアを開けて出てきて、いつも顔を輝かせて俺を見る。
 あいつはヒーローオタクだった。ヒーロー図鑑といっていいくらい名前も能力も色々知っていた。その知識にも分析・解析にも舌を巻いた。特にオールマイトのことは夢中になって喋った。オールマイトは俺にも憧れだから、あいつと話していると話が尽きなかった。
 あいつはオールマイトグッズのコレクターだった。多くはない小遣いをほぼグッズにつぎ込んでいた。部屋に行くたびにどんどん増えるグッズには驚くというより呆れた。
「こんなに必要かよ。棚も壁もごちゃごちゃして台無しじゃねえか」
「だって、また新しいのが出たんだもん。このフィギュアは新作で」
 と新作のフィギュアを手にしたあいつにひとくさり説明を聞かされる。
「いくらあっても足りないのかよ。欲張りな奴だな」
「うん」とあいつは頷き、フィギュアを胸に抱いて言う。
「いくらフィギュア集めたってなあ、てめえに個性が出るわけじゃねえぞ」
「そんなこと思ってない」とあいつは言って、きゅっとフィギュアを抱きしめる。
「でも……かわりなのかも。本当に欲しいものは目に見えないものなんだ。それが手に入るなら死んでもいい」
「あほか。死んだら終わりだろうが」
「違うよ、例えだよ。なんでも持ってる君にはわからないかも知れないけど」
「ああ、わかんねえな」
「いいなあ、かっちゃんは」
 あいつはよくそう言っていた。身体も小さくて無個性なこいつには、欲しいものが沢山あるんだろう。俺に真っ直ぐ向けていた瞳で、時折何処か遠くを見つめるようになった。
「そのうち俺がヒーローになったら、俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 俺が言うと、あいつは一瞬きょとんとして「あはは」と笑った。いらっとして「飾るんだろうな」ともう一度聞く。
「俺がヒーローになれないとでも思ってんのかよ。ああ?」
 そう言って威嚇すると、あいつは慌てて言い訳した。
「そうじゃなくて、いつも近くにいる人の似姿のフィギュアを飾るのはないかなーと」
 そうじゃないだろう。わかってんだよ。てめえはオールマイト以外は飾る気がねえんだ。他のヒーローのフィギュアも持ってるくせに、飾ってるのはオールマイトだけじゃねえか。そこで冗談でも飾ると言わないのが酷く憎らしくなった。拳を握ってもう一度尋ねる。
「俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 気に入らない返事をしたら殴ってやる。



 草を踏み分ける足音が微かになった。ついてきているかと不安になり振り向く。霞のかかったように顔がわからない誰かが、離れてしまっているのではないかと。裏山ではぐれてしまったのではないかと。
 
 つんつんと背を突付かれる。弾かれたように後ろを振り向く。
「寝てちゃダメだよ」
 デクが声を潜める。居眠りをして昔の夢を見ていたらしい。後ろの席に座っているのは幼馴染じゃなくデクだ。一瞬あいつかと思った。
「寝てねえよ」
 と言ったものの眠っていたのは歴然だ。ノートにはミミズがのたくったような文字が踊っている。めんどくせえ。
 さっき思い出した昔の出来事を反芻する。うきうきとしたりムカついたり、感情の付随する思い出だった。あいつの家にしょっちゅう遊びに行っていたこととか、いちいち何があったかなんて映像的な記憶でしか覚えちゃいねえ。けれども、その時の感情を覚えている思い出もあったのか。
 あの後あいつはなんと返事をして、俺はどうしたんだろう。それよりノートの酷い字を消さなくては。だが消しゴムが見当たらない。机の周囲を見回したがない。落としてどこかに転がっちまったか。俺はもう一度後ろを振り向く。
「なに?先生に見つかっちゃうよ」デクは驚いた顔をしてひそっと言う。
「おい、消しゴム貸せよ」
「え?」
 デクの返事を待たずに勝手に消しゴムをひったくり、ゲシゲシと使って返す。
「ほらよ。別にいいだろ」
「う、うん」
 普通に接して普通に話してるつもりなのに、デクはなぜかびっくりするような顔をする。どこか愉快だ。地味な奴なのに何故かどこにいても目につくので、近づいてちょっかいをかけたくなる。
 昼食の時間になった。
「何処行くんだよ、爆豪」と上鳴に声をかけられたが「気が乗らねえ」と売店に向かう。
 食堂で食う気がしない。パンを買って屋上に続く階段を登り、扉を開ける。屋上に踏み出すと濃い影が足元に落ちた。紺碧の空の下。ここで食うのは気持ちよさそうだ。眩しく白い貯水槽の向こうに先客が見えた。屋上を囲む金網を背にして座り込んでいる。
「よお、デク」と俺は声をかける。
「え、え、何で君が」
 デクは開いていたノートを閉じた。横にも数冊のノートが積まれている。デクはそれを隠そうとするように掌をノートの上に載せる。
「お前もパンかよ。食堂に行かねえのか」
「うん、今日は」
「俺もだ」
 俺はデクの方に歩み寄ると、隣にしゃがんでパンの袋を破る。デクが目を丸くして聞く。
「え、ここで?」
「別にいいだろ」
「ああ、うん、君がいいなら」
「俺が?いいから座ってんだろ。変な言い方すんなよ」
「そうだね、ごめん」
 焼きそばパンに齧りつきながらノートを見やる。
「それ、お前のか」
「え?うん、そうだけど。あ……、待って」
「隠してんじゃねえよ」
 ノートの上からデクの手をどけると、表紙にマジックで書かれた文字が目に入る。
「ヒーローノート?」
 ふっと記憶の中に似たものがあったような気がした。熱心にノートを書いていた誰かの姿。
「見てもいいか?」
「ええ?」
 やけに驚くデクの返事を待たずに、1冊手に取ってページを捲った。ノートの中にはクラスの奴らの個性か図解入りで載っている。注釈もついてどれもびっしりとページが埋めてある。
「すげえな」
「そ、そうかな。今日体育があるだろ。それまでに皆の個性を確認して書き加えておきたくて」
「俺のもあんのか?」
「君のは、ある、けど」
「けどってなんだよ。当然あんだよな。あんなら見せろよ」
「そんな、面白くないよ」
「はあ?俺の個性が面白くねえってのか」
「違うよ、君の個性は凄いから、面白くないなんて」
 デクは慌てて否定する。こいつが俺を評価してんのはわかってて言った。こう言えばことわれねえだろ。
「だったら見せろよ」
 それでも押し問答の末、デクはやっと一冊のノートをそっと差し出した。縁が焦げてページが水濡れした後みたいにうねっている。
「なんか、これだけボロっちいな」
「それは君が……」
 と言いかけて何故かデクは言葉を切る。
「何だよ」
 と促すとデクは小声で「古いノートだからね」と曖昧に言葉を濁す。ちょっと引っかかったがとりあえずノートを受け取る。
 俺が表紙を摘まむ指に、デクは何故か心配そうに視線を送ってくる。
「んだよ、汚したりしねえよ」
 焦げたページの縁を破らないようにそっと捲る。早速1ページ目に俺の図解が現れた。
「これ俺かよ。なんか他のやつより背が小せえな」
「あ、あれ?そんなのあった?子供の頃の君だから。あ、偶々君を見かけたことがあったんじゃないかな。その時に書いたんじゃないかな、きっと、君はほら凄い個性で近所で有名だったから」
 デクは言い訳するように早口に捲したてた。ごまかそうとしてるみてえだ。だが、子供の頃の思い出にデクみてえな奴はいない。幼馴染の奴を全部覚えてやしねえけど、一緒に遊んでたんなら、こいつがいたんなら覚えてる自信がある。
「お前、家近所なんだろ。学区が同じなんだからよ。見てねえで一緒に遊んだらよかったのによ」
「それはまあ。それより、その次のページに大きくなったかっ、……君の図解もあるよ」
 急かすのでページを捲ると、デクの言う通り次のページにはコスチューム姿の俺の図解があった。機能についての解説もついてる。
「俺がガキの頃もこういうことが好きな奴がいたぜ」
 あいつもよくノートにヒーローを書いていた。自由帳じゃなくこんな感じの大学ノートに何冊も。中身を見たことはないが覚えている。
「へ、へえ、そうなんだ。奇遇だね。僕は知らないけど」
「お前、同じ地区で同じ学校にいたのなら、ちったあ知ってんじゃねえの」
「昔ことだし、覚えてないよ」
「そうかよ。そうかも知れねえな」
 子供の頃の記憶なんてぼんやりしたものだ。遊び友達だって毎回決まったもんじゃないし、クラスが変われば話もしねえ。ガキの頃俺の周りにいた奴らは、名前だってテキトーに呼んでたし、ちゃんと覚えてやしない。
 でもあいつの名前だけは忘れるわけがねえ。俺が渾名を付けたんだから。素直で揶揄うと面白いから、思い付きで付けた渾名でずっと呼んでた。なんて名前を付けたんだろう。なんで忘れてるんだろう。
 あいつは俺を「かっちゃん」と呼んでた。ころころした鈴みたいな声で呼ばれると胸が温かくなった。それは覚えてるのに。胸にポッカリと開いた穴。このまま忘れちまうんじゃないかという焦燥感と喪失感。
 でも何故だろう。デクと話していると宙ぶらりんな不安が紛れるような気がする。
 パンを食い終わって、デクはジュースを飲み切らないまま下に置くと、胸ポケットからシャーペンを取り出してノートに書きこみ始めた。はじめはちらちらと俺を気にしていたが、次第に書くのに没頭してきたようだ。
 カリカリと紙をシャーペンが滑る音。さわさわと吹き抜ける心地いい風。眠くなってきた。ちと睡眠取るか。丁度いい枕もあるし。こいつは嫌と言わねえだろ。そんな気がする。
 俺はデクの膝に頭を乗せた。ちと筋肉質で硬めの膝枕だな。男の膝だしな。
「ちょ……え?かっ、君、どうしたの」
「10分経ったら起こせよ」
「教室に戻った方がよくない?」
「うっせえ、今眠いんだ、今寝てえんだ。黙って膝貸せよ」
 蒼い空に淡く白い三日月がふうわりと浮かんでいる。幻のような昼中の月。
 眠りに落ちる前にデクの呟く声が聞こえた。
「君はそんな人じゃないはずだろ……」
 少し寂し気な声音に聞こえたのは微睡の中だったからだろうか。


 午後の体育の授業はリレーだ、高低差のある建物の間を縫って進むコース。上を行っても下を行ってもいい。
 建物の上を爆破で跳んで俺がバトンを渡すと、デクはポンポンジャンプして障害を飛び越える。あいつのパワーはどこから来るんだろう。反動つけてるとはいえ軽く蹴るだけで高く跳んじまう。パンチだってそうだ。俺みたいに爆風じゃねえし。筋力にしては、あれじゃまだまだ筋肉量足んねえだろ。そういう個性だっつったらそれまでだけどよ。それにしても。
「お前の動き、俺の真似だろ」
 待機場所に戻って来たデクに話しかける。
「う、うん。わかっちゃった?」
 デクの語尾が小さくなる。まるで俺に怒られると思ってるかのように。
「責めてねえ。別にジャンプ自体が俺のオリジナルっつーわけじゃねえし。お前、やっぱり俺をよく見てやがるな」
「君はすごい人から」
「まあな」
 素直に褒められて悪い気はしない。だが奴が不思議そうな顔をして俺を見る。
「怒らないんだね」
「だからよ、なんで俺が怒るんだ。俺がすげえんだろ。てめえが真似ても俺ほどじゃねえしな」
「それはそうだよ。まだ君には全然追いつけない」
 ふっとデクの唇から笑みが溢れる。初めて俺の前で笑ったんじゃないだろうか。胸がじんわりと温かくなる。他の奴らにはいつも見せてる笑みだ。いつも俺の前では何故か強張った表情しか見せなかった。気にしないようにしても引っかかって、多分少しムカついていたのだということに、今気がついた。
 向こうでデクを飯田が呼んでいる。
「じゃあ……」
 と言うとデクは走ってゆく。思わず俺は手を伸ばした。が、届かない。俺は引き止めようとしたのか。なんで。空を掴んで腕を下ろす。
「絡まれてたんじゃないのか、緑谷くん」
「飯田くん、違うよ」
 飯田の声はでかい。あの野郎、会話聞こえてんだよ。俺がデクに何かするとでも思ってんのかよ、クソが。ムカついて怒鳴ろうとしたところを、背後から唐突に肩を小突かれる。
「んだよ!殺すぞてめえ!」
 威嚇しながら振り向いた。切島と上鳴がニヤニヤと笑っている。
「俺らもお前呼んでたんだけどな、気づかなかったのかよ」切島が言う。
「はあ?てめえ声ちっせえんじゃねえのか。聞こえねえよ」
「最近よく緑谷と話してるよな。爆豪。怒りもせず」上鳴が言う。
「だからなんで俺が怒るんだ」
「常識じゃあそうだけどよ。お前、緑谷には何かっつーとすぐ怒ってたしよ」
 切島の言い方だと俺が常識ねえみてえだぞ。あるわ。
「ちょっと前だって夜中にあいつと大喧嘩して謹慎食らってたじゃねえか」
 上鳴が言うその喧嘩をした覚えはある。とても頭にきていたとも思う。なんでそんなに怒ったのだろう。その時の感情は覚えてない。処罰されて寮内をあいつと清掃したことも覚えているのに。
「うるせえ。なんか文句でもあんのか。俺はしたいようにしてんだ」
「いやいや、勿論いいに決まってんじゃん。捻くれてねえ揉めたりしねえお前はすごくいい!元気なガキ大将みたいでよ」
「なあ、轟もそう思うだろ?」
 上鳴は振り返り、たまたま背後にいた轟に呼び掛ける。いきなり話を振られたものの、轟は即答する。
「いや、気味がわりいな」
「ああ?喧嘩売ってんのか!」
 俺は頭にきて掌から火花を散らし威嚇する。轟の野郎はいつも言葉の端々に天然の優越感みてえなものが垣間見えて苛々する。
「ちょっ、轟。お前……、なんでそういう」上鳴は慌てて言う。
「俺はそう思うってだけだ。気を悪くしたんならすまねえ。じゃあな」
 口では謝りつつ、轟は全く悪びれた様子もなく去った。あいつなんなんだ。
「まあ、喧嘩すんのも仲がいいとかいうけどよ。緑谷とお前はどう見ても違ったしな」
「グラウンドベータで殴り合って、分かりあったのかも知んねえな。熱いぜ男らしいぜ!ベタだけどいいぜ!」切島が言う。
「だからもうお前らのことは安心していいのかなーと思ってよ」上鳴が言う。
「余計なお世話だ」
 神野での敵との戦いでオールマイトがボロボロになって再起不能になった。それが俺が敵に攫われたせいだと思うとものすごく辛くかった。
 グラウンドベータでの喧嘩。俺はデクに。デクに八つ当たりしたのか?なんであいつに?胸がざわりと冷える。忘れちまったらいけないものを忘れてるんじゃないのか。
「お前らが仲よかった頃ってのはそういう感じだったのかな」
 切島の言葉に考え事から引き戻される。
「嘘だろって思ってたけどよ。昔は今のお前みたいだったんなら、緑谷の言うことも納得できるぜ」
「ガキの頃は気が合わなくても、近所の奴と遊ぶだろ。成長するにつれ段々気の合う奴と付き合うようになるってもんで。お前らもそんなもんだろって思ってたぜ。でもお前見てると違ったみてえだな」上鳴が言う。「お前は選んであいつといたんだな」
「すっげー、気を許してるもんな。いっつも気を張ってるお前が、見たことねえくらい自然体でよ」切島が言う。
 今なんて言いやがった?話の流の中に聞き流せない言葉があり、俺は問い返す。
「あいつと仲の良かった頃?」
 記憶ではガキの頃の遊び仲間の中に、あいつの顔はない。
「どういうことだ?」
「どうって、俺はお前らから聞いたことしか知んねえんだけどよ」上鳴が言う。
「お前ら幼馴染なんだろ。小学校以前からの。おい、爆豪、待てよ」
 切島の声を背に俺は走り出した。どういうことだ。俺はデクの姿を探した。デクは嘘をついていたのか。この俺に。俺を騙していたのか。ふつふつと怒りが湧きあがってくる。あいつがこの俺を。漸く建物の陰に飯田と連れ立って歩いているデクを見つけた。近くまで駆け寄る。デクが飯田から離れたのを見計らい、肩を掴む。
「おい、デク!」
 デクはビクッとして振り向いた。
「てめえは俺を……」
 と言いかけて止める。騙されていたのかと思った途端頭が沸騰したが、そもそも俺が覚えてないならデクも覚えてないだけかも知れねえ。こいつが俺を騙すわけがねえ。だがなんだろう。こいつに騙されてたと思った途端怒りに我を忘れた。
 デクはおどおどと俺を見つめる。初めから訝しく感じてたが、デクはなんでやたらと俺を怖がってるんだ。強えくせに俺だけにこの態度。釈然としない。穏やかそうなデクのこんな一面を見るたびに心にさざ波が立つ。
「えっと、何か用なのかな」
「何って……、お前」
 どう聞けばいいのか。出久はじっと見つめてくる。見透かすような視線。落ち着かなくなる。こんな眼差しを昔どこかで見たことがなかっただろうか。
「こっち来い。用があんだよ」
「緑谷くん」
 飯田はまた心配そうにこっちを見ている。いつもなんなんだ、あいつ。いらっとする。俺がデクに何かするとでも思ってんのか。
「聞きたいことがあんだよ」
 とデクに言い、手を掴んでクラスの奴らのいるところから引き離す。
「先行ってて」
 とデクは飯田に告げる。寮へ向かう道を歩きながら問う。
「おい、お前は知ってんだろう」
 まず覚えてねえのかどうか、かまをかけてみる。
「何を?」
「聞いたぜ。お前も幼馴染なんだろうが。悪いが俺は覚えてねえ。だけどそんなら、知らねえわけねえよな」
「何を僕が知ってるっていうんだ?」
「俺の幼馴染に無個性の奴がいただろ」
 デクの表情が固まった。目を見開き、ふるふると首を振る。嘘のつけねえ奴だな。これではっきりした。デクは知ってて隠してやがったんだ。
「お前も知ってんだな。そいつの名前わかるか。わかるんなら教えろよ」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「言っただろうが。幼馴染いたって。だけど思い出せねえんだ。顔も名前も。思い出してえんだよ」
「僕は知らないよ」
 デクは目を泳がせる。こいつ、しらばっくれてやがる。寮に到着したが、中には入らずに玄関の脇にある側道にデクを引っ張っていく。校舎と寮の壁に左右を挟まれたこの場所なら、誰にも邪魔されずに二人きりで話せるだろう。
「嘘つけ。顔に書いてあらあ。教えろよ」
 そう言ってデクを壁に押し付け、両肩を掴んで迫る。だがデクは「知らないよ」と言いながらまた目を逸らす。
 こいつ、ぜってえ知ってやがる。なんで隠すんだ。壁に手をついて囲い込み逃さないようにする。
「どうしても知りてえんだ。教えろよ」
「今更だろ。そんな子供の時のことなんか聞いてどうするんだよ」
「会わなきゃいけねえんだ」
「それこそ意味ないよ。今どうしてるかなんて。きっともう生活も違って新しい友達がいるよ」
「お互いそれぞれ友達ができたからもういいなんて、そんな簡単なもんじゃねえんだよ、あいつとは」
「そんな……、ことは」
 何かを言いかけてデクは俯いてしまう。前髪に隠れて表情が見えない。理由、言うしかねえか。仕方がねえ。
「俺はそいつが気に入ってたんだよ。兄弟なんていねえからわかんねえけど、そんくれえ近くに思ってた。いつも側にいたんだ。なのに顔を名前も忘れちまうなんて、どうしてだかわかんねえよ。だけど会いたくてたまらねえんだ」
 憶測だが間違いねえ。でなきゃこんなにそいつが俺の心を占めやしねえ。
「多分好きだったんだ、俺はそいつが」
 俺のだったんだ。という言葉は飲み込む。俺はそう思っていた。心に空いた空洞はそいつに会えば埋められるはずだ。
「そんなわけないよ」だがデクは即座に否定した。「君と彼は仲良くなかったよ」
「てめえ、やっぱり知ってんだな!」
 肩を掴んだ手に力が篭る。出久は「しまった」という顔をして黙りこむ。
「嘘つくんじゃねえよ。いつもつるんでいただろーが。俺は記憶はあんだよ」
「本当だよ。はじめは彼は君を慕って追いかけていたよ。でもだんだんおかしくなっていって……」
 言葉が途切れていったが、デクは溜め息をついて言いにくそうに続ける。
「君は彼を虐めてたんだ。皆みたいに放っておけばいいのに、君だけがずっと。だから彼はもう君に会いたくないと思う」
 頭の中を殴られたように衝撃をうけた。あいつと喧嘩している記憶が映像的に浮かんでくる。喧嘩したこともあるんだろうくらいに思ってた。喧嘩じゃなくて虐めていたっていうのかのか。
「俺はそいつを、嫌ってたのか」声が震える。「なんでだ。憎んでたのか?何かあったのか?」
「君の気持ちなんか知らないよ」
「ならそいつの考えもてめえが決めんなよ!」
 気持ちが抑えられなくなり、俺は怒鳴った。気圧されたようにデクは怯んで守るように鞄を胸に抱える。
「とにかく僕は知らないから」
 おどおどしながらも話をかわそうとするデクにイラつく。声を聞きつけたのか、クラスの奴らがやって来た。「おいどうした」と声をかけられる。その隙に出久は駆け出した。
「おい、待てよてめえ!話は終わってねえ」
「なんだなんだ、爆豪。折角いい感じだったのに、まだ前に逆戻りかよ」
 上鳴が揶揄うように言いながら、俺を引き止める。
「うるせえ!邪魔すんな!クソが!」
 俺達が仲が悪かったとか、デクのこととなると俺は頭に血が上るとか。クラスの奴らはいつも言う。そういうことがあったらしいという記憶はある。だけど、感情は忘れちまった。今そうじゃねえし。いつまでも同じ感情を1人の奴に持ち続けることなんてねえだろ。それともあんのかよ。
 感情を忘れてるっておかしいのか。親に聞くか?いや、それは最終手段だ。なんで忘れてんだって聞かれっと面倒だし、もう学校側の責任とか追求されるのは御免だ。手掛かりはすぐ側にある。逃げられると思うなよ、デク。


3


 昔の夢を見ている。あいつが他のやつを庇って立ちはだかる。また俺に抗うのかよ。俺は怒って殴りつける。
「ダメだよ。かっちゃん。殴られても僕は聞けないよ」
 あいつは頭を庇いながら弱々しく言い返してくる。
「てめえ!俺に逆らって他の奴の肩を持つのかよ」
 そんなのありえねえだろ。怒りのあまり、手を伸ばしてあいつの肩を掴んで地面に引き倒す。庇ってた奴は一目散に逃げた。
「あの野郎、てめえを放って逃げたぜ。ざまあみろ」
 笑ってやろうとあいつの顔を見下ろす。だがあいつはホッとした顔をしている。驚いて、次に腹が立った。服を掴んであいつの名を叫ぶ。
 けれども、名前を呼んで罵倒しているはずなのに、自分の声なのに、なんて呼んでるのか聞こえない。顔を近づけてるのに、靄のかかったように顔がわからない。
「無個性のくせに生意気なことすんじゃねえ!何にもできねえくせに」と俺は怒鳴る。
 怒りと憤りとで胸が潰れそうに苦しい。
 ふらふらと足が向いてあいつの住んでる団地の前に来る。静まり返った階段を登る。昨日も今日もあいつは公園に来なかった。
 今までどんだけ小突いても、べそかきながら俺の後をついてきやがったのに。ドアの前に立って呼ぶとあいつはすぐに出てきて、俺をヒーローを見るみたいにきらきらした目で見ていたのに。
 あいつが側にいるから俺は自分がヒーローだと思えたんだ。今までと何が違うっていうんだ。あいつが、無個性だからか。それを認めたくねえからか。自分が納得できねえからって。俺を巻き込むんじゃねえよ。大抵の奴は大した個性持ってねえんだ。たとえてめえに個性があったとしてもどうせ大したことねえに決まってんだ。逆らったりしないで俺の後ろをついてくりゃいいだろーが。弱い奴は強い奴に付いてくるもんだろ。虎の威を借るっていうじゃねえか。
 ドアの前に立つ。呼び鈴を押そうとして躊躇する。この扉の向こうにあいつがいるのに。 名を呼ぼうとしても声が出せない。なんで俺があいつを呼ばなきゃいけねえ。なんで俺が追わなきゃいけねえんだ。怒りなのか憤りなのか。なんなんだ胸に渦巻くこの嵐は。悲しいのか俺は。


 目を覚まして飛び起きた。今あった出来事であるかのようにリアルだ。あれは過去に確かにあった出来事だ。映像的な記憶でしかなかったのに。 家に来たのにドアを開けなかった。あの時俺は開けられなかったのか。
 くそっ、目を覚ます直前に名前を呼べばよかった。思い出せたかも知れねえのに、畜生。なんて呼んでたのかその名前がわからない。想い出そうとしても顔が思い出せない。現実に起きた出来事だという認識はあるのに。なんて苦しい記憶なんだ。苦しくて辛くて胸が締め付けられるみてえに痛え。
 なのに僅かに手掛かりを得たことに心が変に甘く騒めいている。俺の感情が手掛かりだ。
 デクと話すようになってから何故か、昔の記憶に付随していた感情が次々と甦ってくる。色のないモノクロの下書きに鮮やかな彩色がほどこされるように。
 夢の中のあいつは誰なんだ。なんでこんなにも胸が痛いんだ。顔も名前も知ってるはずなのに。なんでそいつのことをデクは隠すんだ。やっぱりデクから聞き出してやる。
 聞き出して探しだして会いに行く。今更だろうが何だろうが構うものか。会えばなんとかなんだろ。
 あいつの言うように俺はなんでも持っていた。あえて欲しいものなんて何もなかった。欲しいものは目に見えないとあいつは言った。名声や栄光や人望は目に見えないけれど儚いものだ。人の秤で測るものなんか欲しくねえ。
 欲しいものなんてなかったんだ。あいつは俺のものだったから。思う前に既に俺のものだったから。あいつを無くして初めて気づいたんだ。今の俺が欲しい唯一のものははっきりと目に見えるし触れられた。確かな体温と歪な心と危うい魂を持った一人の人間なんだ。


「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを。この和歌の現代語訳を答えろ。はい、八百万」
 一時間目は古文の授業だ。相澤先生に当てられた八百万は、起立してきびきびと答える。
「あの人があれは真珠ですかと尋ねた時に、露だと答えて自分も露の如く消えればよかった。そうすればこんな思いをせずにすんだのに、という訳です」
「はい、正解。伊勢物語の中では見分違いの想い人を連れて逃げたものの、目を離した隙に鬼に食われたという話だ。追手に想い人を連れ戻されたのが真相らしいな。平安期当時に実際にあったスキャンダル事件が元らしい。 この歌は「新古今和歌集」と「伊勢物語 芥川」に収録されている」
「先生、なんで歌集と物語なんて別々の本に同じ歌が入ってるんですか」手を上げて芦戸が質問する。
「和歌の作者は在原業平だ。彼は「伊勢物語」の主人公のモデルといわれてる。伊勢物語の成立は平安初期、新古今和歌集鎌倉時代初期だから伊勢物語が書かれた方が先だ。時代を越えて同じ歌を掲載したってことだな。在原業平は人気のある歌人だから多くの歌が残っているんだ」
百人一首のちはやぶる、も在原業平ですよね」挙手して八百万が口を挟む。
「そうだ。彼は色好みで有名だったりするが、学はないが才能があり政治の中枢にいたらしい。平安時代歌人界ではいわばヒーローだな」
「ヒーロー……」と後ろで呟くデクの声が聞こえる。てめえ、ヒーローなら何でもいいのかよ。
 授業が終わり、俺は後ろの席を振り向いた。デクがビクッと震えて椅子を引く。
「な、何?」
「おい、てめえに聞きたいことが……」
 と声をかけた途端に視界がぐらりと揺れた。脳裏に次々と記憶がランダムに浮かんでは重なりあう。フラッシュバックって奴か、これは。くそ!頭が混乱する。立ち上がった拍子にがたんと椅子が倒れた。足元が揺れ、立っていられなくなって四つん這いになり、床に手を付く。
 砂利が指に触れる。冷たい。水の中だ。頭が痛え。身体が痛え。布が肌に張り付いて気持ちわりい。頭上にある丸木橋から脚を滑らせたんだ。
 上から遊び仲間達の声が降ってくる。「大丈夫だよな」「かっちゃん強いもん」と言いながら奴ら笑ってやがる。ムカつきながら「大丈夫」と虚勢を張って不敵に笑みを浮かべて見せる。
 大丈夫なわきゃねえだろ馬鹿野郎。冷てえし痛えよ。誰も来やしねえ。俺は強いからって心配してねえんだ。それとも濡れんの嫌だからかよ。
 背後からばしゃばしゃと水をかく音。
「大丈夫?頭とか打ってたら大変だよ」と差し出される小さな手。
 ああ、あいつか。俺は嬉しくなった。だが嬉しいと思った自分に腹が立った。
 俺は期待してた。奴らは来てくれるんじゃないかと。けれども期待は裏切られた。だがそんな風に感じるのは甘さだ弱さだ。誰でも自分が大事なんだ。俺は大丈夫だ。ひとりで立てるんだ。薄情な奴らにだって余裕で笑ってやれんだ。
 なのにあいつだけは手を差し伸べた。その手を取ったりしたら俺は。俺はあいつを。
 視界が暗くなり薄闇が広がった。脳裏の記憶の場面が変わったのだ。
 地面を叩く土砂降りの雨の音がうるさい。薄暗い放課後の教室の中。着ているのは中学生の詰襟の制服。俺はあいつを床に押し倒して押さえつけている。
 俺を「爆豪くん」なんて呟くのが耳に入ったからだ。たどたどしい口調で聞きのがしそうな小さな声で。途端に頭が沸騰した。
 捕まえて誰もいない教室に引き戻し、床に組み敷いた。咳き込んだあいつがヒュウっと息を吸い込む。
「てめえが俺を苗字で呼ぼうなんてよ。生意気なんだよ」
「だって、かっちゃん、なんて皆もう呼んでない。おかしいよって」
「誰に云われたのか知んねえが、俺に指図すんな、クソが。だからてめえはいつまでも」

 今の俺は苗字か名前の呼び捨てで呼ばれてる。ガキの頃俺を「かっちゃん」と呼んでた奴らとはもう交流がない。たとえそいつらが呼び名を変えてたってなんとも思わない。だがてめえは駄目だ。
 てめえは呼び名を変えることで、俺との間に壁を築こうとしてんやがんだろ。てめえが自覚してなくたって、そうしようとしてやがるのはわかってんだ。
「てめえの思いどおりにはさせねえ。今度苗字で呼んでみろ。ただじゃおかねえ!」
「なんでそんなに怒るんだよ、かっちゃん」
「黙れよ。てめえは俺の言うとおりしてりゃいいんだ」
 次から次へとふざけやがって。これ以上俺をどれだけ虚仮にすりゃあ気が済むんだ。理想のヒーロー像を追うこいつの言うことは綺麗事だ。てめえ勝手な理想像を押し付けて、俺に指図しやがるから腹が立つんだ。腹の底ではこいつが正しいと思っちまいそうになるからこそ認められねえ。俺に逆らうなと苛立って苛んで。次第にこいつが俺を避け始めて。姿を見るだけで胸が抉られるくらい苦しくなって。俺にこんな思いをさせるこいつを許せるわけがねえ。
 こいつは怯えきった表情を浮かべているはずだ。なのにどんなに凝視してもやはり顔がわからない。見ているのに認識できない。
 腰をこいつの下腹に降ろして馬乗りになる。太腿の下に押さえ込んだ身体の感触。服越しに触れ合ったこいつの局部の体温を感じる。弾力のある膨らみ。勃起しそうになった。慌てて腰を浮かす。
「かっちゃん?」
 表情は読めないが怯えた声。まさか勘付いたのか。唾を飲み込んで見下ろす。今頃になって気づくなんて。
 てめえに見透かされて見下されてると思いこんだのは。いつも目が姿を探してしまうのは。他の奴らは近づこうが離れようが平気だったのに、てめえだけは離れるのが許せなくて追いかけちまうのは。他の奴にどう見られたって何を言われたって気にならねえのに、てめえにだけは腹が立つのは。捻じ伏せて従わせて意のままにしたいなんて欲求に支配されちまうのは。
 やっと理解した。俺はてめえが欲しいんだ。欲しくて欲しくて堪らないんだ。好意なんてもんじゃない。情欲そのものだったんだ。苛立って追いつめて、今頃自覚するなんて。気づかなければよかった。今更手に入れるなんて不可能だ。散々傷つけたんだ。こんなに拗れてしまってはもう手遅れだ。こいつが俺を受け入れるはずがない。もっと早くに自覚していたら違ったんだろうか。どちらにしろ叶うはずなんてねえ。こいつが知ればきっと俺を憐れんで蔑んで見下しただろう。そんなことには耐えられねえ。こんな感情をこいつに知られたら俺は。俺は。
 記憶の混濁。脳が揺れるような目眩。こみあげるものに耐え切れず俺は嘔吐した。昼前で胃はからっぽだったからか胃液しか出てねえか。周りが「うわっ」と驚いて引いているようだ。咳き込んで口を拭う。「雑巾取ってくる」と誰かの声がする。
「大丈夫?」
 とデクが駆け寄り手を差し出した。幼い頃の映像がフラッシュバックする。差し出された小さな手。この手じゃねえか。怒りが沸いた。立ち上がり、デクに掴みかかって机の上に引き倒した。デクは怖がりながらも案じるように俺を見上げる。
「そんな目で俺を見てんじゃねえ」俺は怒鳴った。
「おい、なに怒ってんだ。落ち着けよ」「どうしたんだ、爆豪くん」切島と飯田がユニゾンで話しかけてくる。
「うるせえ!こいつは……」
 答える前に足が縺れ、目が回ってデクの上にふらりと倒れ込んだ。身体を滑ってずるずると床に頽れる。
「だ、大丈夫?」
 薄れゆく意識の中で、俺を呼ぶデクの声が幼い声と重なる。デクの顔が認識できなかった幼馴染の顔と重なる。押し寄せる記憶の奔流と甦る感情に意識が呑まれる。
 てめえだったのか。やっぱりてめえだったんだな。俺をこんな風に苛立たせる奴が何人もいるわけがねえんだ。憎くて辛くて腹が立って、惹かれて焦がれて求めていた。凪のように落ち着いていた心が逆巻き渦を巻き嵐になる。ああ、これだ。俺はずっと昔からこの感情と共に生きてきたんだ。凪の日なんて一度としてなかったんだ。てめえに会ってから一度だって。
てめえが、出久だ。


 あの日。
 学校の門の前でヴィランに襲われて、保健室に担ぎ込まれたあの日。目が覚めたら俺はベッドに寝かされていた。手当は済んでいて、ヴィランは撃退されて、俺は救出されたのだと聞かされ、教室には戻らずそのまま寮に帰った。俺一人だと、そう思っていた。
 だが違ったのだ。あの場には出久も共にいた。あの時保健室で何があったのか。抜けていた記憶が蘇ってくる。
 保健室に運ばれていく道中に俺の意識は戻った。出久は担架に乗せられ並走して医療ロボットに運ばれてる。大きな身体の先生に背負われてる俺を心配そうに見上げる大きな瞳に腹が立った。
ヴィランはどうなった」
 隣を歩いている相澤先生に聞くと、先生はサングラスを上げて俺を見た。
「気づいたか、爆豪。奴は拘束して警察に引き渡したよ。全く、お前らは厄介だな。次から次へと」
「お前の生徒はどうなってんだ、相澤。飼い主に似ちまったんじゃねえか」
 俺を背負った先生が豪放に笑う。
「俺じゃない奴の方に似たんだろう」相澤はぼそっと答える。
 飼い主ってなんだよ、クソが。躾けられてたまるかよ。
「かっちゃん、背中大丈夫?」出久が口を開く。
「痛えわ、クソが」
 変色した出久の右腕が目に入り、苛ついた。結局またぶっ壊したのか。
「ごめん……、僕のせいで」
「それ以上喋んな。胸糞わりい」
 保健室に到着すると、俺は着ていたコスチュームの装備を外され、ベッドに俯せに寝かされた。背中の傷を治してもらったおかげで痛みは引いた。
 出久が何処にいるのか気になった。身体を起こしたものの、治療の副作用で脱力感に襲われる。カーテンで仕切られた隣のベッドにいるのか。確認しようにも足に力が入らないので立てない。仕方なくまた横になろうとすると、誰かがカーテンを開けた。
 背の高い痩せた男。まだ見慣れない、オールマイトの真実の姿。
「あんだ?オールマイト
「すまない。まだ教室に戻らないで少し待っててくれ」
「言われなくても、しんどくて動けねえよ」
「そうかね。では、すぐに来るから」
 と言い、オールマイトはカーテンを閉めた。背中は痛くなくなったので俺は仰向けに寝転ぶ。 一人になると思うのはいつもムカつく幼馴染のこと。あいつがオールマイトから力を貰ったのだということ。俺の知らないところで。
 カーテンの向こう側でひそひそと保健室のババアとオールマイトの声が聞こえる。
「これっきりならいいんだけどね」
「ああ、そう望みたいものだが……。さてどうしたものか」
 オールマイトの困ったような声音。カーテンの向こうから出久の声が聞こえてくる。
オールマイト、かっちゃんは大丈夫なんですか?あ、こんにちは……。ええ!?」
 やはり隣のベッドには出久がいるらしい。カーテンの隙間からベッドに腰掛けているあいつが見える。腕と片足に包帯を巻かれている。あいつ、全力でぶっ放すとか、馬鹿か。指くれえにしとけよ。オールマイトの側にもう一人いるようだな。セラピーヒーローの誰それとか出久が言ってるのが聞こえる。興奮して声が上ずってやがる。あのヒーローオタクめ。クソが。
「やれやれ、君も無傷ではないんだぞ」
「すいません、オールマイト。でも僕は大したことないです。足は治してもらったし。僕はかっちゃんに吹っ飛ばされて助かったようなものだから……。かっちゃんは?」
「爆豪少年の背中の打撲傷は治したよ。コスチュームのお陰で外傷はなかったしね。治療で体力は消耗してるだろうけど」
「コスチューム……。かっちゃんはちゃんと危険に備えて用心していたんだ。僕がついていったりしなければ」
「君がいなければ、爆豪少年はヴィランにひとりで対峙することになっただろう。彼を1人にしなかった君の判断は間違ってはいないよ」
「かっちゃんは僕を庇ったんです。こんなことになるなんて……。こんなの、彼らしくない」震える声で出久は続ける。「きっと秘密を知ったからなんだ」
 あの野郎、何言ってやがる。庇ったとか寝言ってんじゃねえよ。てめえのためじゃねえわ、自惚れんな。オールマイトに借りがあっからだ。
 オールマイト。希望の象徴。グラウンドベータでの対決でオールマイトが現れた時、出久が後継者だと知った時、もう出久を取り戻せないのだと理解した。どんなに足掻いても、もう二度と手に入れることはできないのだと。いつ死んでも不思議じゃない生き方をあいつは選んでしまったのだ。俺の目の前でオールマイトが辿った道をあいつも歩むのだ。「ワン・フォー・オール」という得体の知れない何かに、あいつを永遠に奪われてしまったのだ。ほんの一瞬目を離した隙に。
「僕が油断したせいだ……。こんな風にかっちゃんが傷つくなんて、耐えられない」
 出久が声をつまらせる。べそかいてんのかよ。ほんっとガキだな。以前出久の前で号泣した自分のことは棚上げにする。
「捕らえたヴィランは白状したよ。他の生徒を拉致したなら学校への脅迫、爆豪少年ならヴィラン連合に引き渡す所存だったらしい。彼は例の神野の事件以後も、いまだヴィラン連合に目をつけられているようだな」
「そうかも知れません……。ヴィラン連合のボスに僕との因縁を知られてるのかも」
「言いにくいことなんだが……」オールマイトは続ける。「こういうことが度重なると、彼から秘密が漏れる可能性を考慮しなければならない」
「そんなことない。かっちゃんは大丈夫だよ!オールマイト!」
「また敵に遭遇して、彼が捕まるようなことがあれば危険なんだ。大切な秘密なんだよ、緑谷少年。彼の身も君の身も危険に晒すことになる」
「そんな!そんな……、なんで。僕がかっちゃんに喋ったりしたから……」
 苦しげな出久の声。んだよあいつ、ずっと俺に隠しおおせるつもりだったのかよ。てか、秘密は俺が自力で暴いたんだろ。てめえが口を滑らしたりしなくても情報を総合すりゃ、俺はきっと気づいたはずだ。どんだけ長い付き合いだと思ってんだ。
「秘密を知る者達で相談したんだが」オールマイトが言う。「保安のために彼の記憶を少しだけ操作することにするよ」
「秘密を忘れさせるんですか」
 どきりとした。何を言ってやがる。
「いや、彼は勘がいい。今の私の状況とヴィラン連合との会話。君が無個性であったこと。君の個性がますます私に近づいてきたこと。そして、何よりも彼の君への執着。たとえ一時的に忘れさせても手がかりを総合すればまた気づくかも知れない」
「そう、ですね。かっちゃん頭いいから。だったらどうするんですか」
「まず今日のことと、君が彼に喋った真実と、君が無個性であること。その他に過去に付随した君に抱いていた感情も、対象にせざるをえないだろう。無個性だった以前の君と今の君との間に繋がりがなければ、彼も疑わないだろうからね。」
「そんな!僕らは幼馴染で付き合いは長いんですよ。そんな長い期間の記憶を弄るなんて。大丈夫なんですか」
「記憶を消すわけじゃない」
 聞き覚えのない男の声がきこえる。セラピーヒーローとやらだろう。
「頭の奥にしまわれたものに表からアクセスできなくなるだけだ。昔の出来事や名前や顔が部分的に思い出せなくなるようなものだよ。普通によくあることだろう。それだけだよ。記憶を完全削除することもできるが、現実との弊害が出る可能性があって危険だからな。余程のことがなければ使わないことにしている」
「というわけだ。最小限の記憶と過去の彼への感情だけを対象にお願いする。そんな顔をしなくていい。心配ないよ。彼はその世界の第一人者だからな。君への拘りがなくなったと知れば、ヴィラン連合も彼を狙わないだろう」
「そう……ですか」
 あいつら、何言ってんだ。俺のいねえところで何勝手に決めてやがんだよ。カーテンが開けられた。顔を出したのは見覚えのないヒーローとオールマイト
「一体何言ってるんだよ、あんた」
「聞いていたんだろう、爆豪少年 。君なら理解できるだろう。こうしないと危険なんだ」
「俺がかよ。デクがだろ。あいつのせいで俺までとばっちりかよ!」
「最低限の処置だ。秘密の記憶と無個性だった緑谷少年への感情。それだけだよ。今までの記憶自体はほぼそのままだが。おそらく今の緑谷少年と昔の緑谷少年を別の人間だと思うようになるだろう」
「嫌だ、ぜってえ嫌だ!」
 ふざけんなよ。今の出久だけじゃ足りずに、この上過去の出久まで奪うつもりなのかよ。あいつへの感情が俺の頭の中にどれだけの大きさを占めてんのか知らねえくせに。苛ついて苦しくて腹が立って。でも絶対になくしたくないものなんだ。脱力感で身体を起こせねえ。畜生!
 必死で腕を伸ばしカーテンを掴んで引っ張る。翻ったカーテンの向こうにベッドに腰掛けた出久がいた。辛そうな顔で俯いている。てめえは忘れてほしいのかよ。昔のこと何もかも。
「デク!俺はてめえを絶対許さねえ!」
 感情が昂ぶって涙が溢れる。泣きながら、出久を睨んで叫ぶ。
 セラピーヒーローの大きな手が頭を掴んだ。目の前が白い靄に覆われる。出久の顔が霞んでゆく。俺の方を向いて俺の名を呼ぶ声が、音が遠くなる。頭の中も雲に覆われたように白く塗り替えられていった。


4


 目が覚めた。周囲を仕切る白いカーテン。保健室だ。セラピーヒーローはもういないようだ。
 いや違う、あれは失われていた記憶だ。今日俺は授業中にフラッシュバックが起こって意識がなくなって、全て思い出したのだ。何があったのかを。何をなくしていたかを。
 ベッドの側の椅子に出久が座っていた。俯いていた顔を上げて俺を見る。
「かっちゃん、大丈夫?」
「この野郎!クソが!」
 俺は出久に掴みかかった。襟元を掴み引き寄せて怒鳴る。
「デク、俺はてめえを許さねえ!」
「記憶、戻ったんだね……」
 一瞬安堵の表情のようなものを浮かべた出久は、抵抗もせず俺の為すがままだ。
「あいにく戻ったぜ、デク。全部な。ふざけたことしやがって」
「ごめん、仕方なかったんだ」
 デクは目を伏せて言う。
「仕方ねえ?よくもてめえぬけぬけと!てめえ!」
 拳を握って振り上げた時、誰かがカーテンを開けた。
「やれやれ、騒ぐのはよしとくれ」
 呆れた顔でリカバリーガールが入ってくる。後ろに椅子に座ったひょろ長いオールマイトの姿が見える。
「彼のせいではない。悪いのは私達だ」
 オールマイトは立ち上がり、両腕を広げた。俺は出久から手を離して身構える。また記憶を弄るつもりかよ。そうはさせねえ。
「自力で記憶と感情を取り戻すとは驚いたタフネスだな、君は」
 とオールマイトは困りながらも感心しているような口調で言う。
「一時的な記憶混濁とクラスメイトには教えていた。操作した過去は忘れたまま、日常になっていくだろうと、そう目論んでいたんだが」
「生憎だったな。脳みそに手突っ込んでかき混ぜるようなことしやがって。それがヒーローのすることかよ」
「ああ、そうだな……」オールマイトは頭を垂れる。「本当にすまなかった。度重なるヴィランからの襲撃に、過敏になっていたかもしれない。君にはとても悪いことをしてしまった。君達の関係的にもその方がいいかもと思ってしまったんだ」
 わかってねえよ。あいつは俺にとってそんなんじゃねえんだ。頭が沸騰しそうだ。奪われるところだった。デクへの感情を。どんなに苛ついて苦痛であっても、それだけはどうしても失いたくないものだ。
「俺の記憶だ。俺だけのもんだ。誰にもいじらせねえ。こいつは無個性であんたから力を貰った。それがどうした。他の誰にも言わねえし、また捕まったりしてもぜってえ口を割ったりしねえ」俺は出久を睨みつけて続ける。「もう2度と捕まったりしねえけどよ。クソが」
 出久は口を開きかけた、だが何も言わないで目を伏せる。
 チャイムが鳴った。
「緑谷少年、もう授業に戻った方がいい。彼のことは心配ない」
「はい、あの、後で話したいです。オールマイト
 出久は振り返りながら、保健室を出て行った。オールマイトは出久の座っていた椅子を引き寄せて座る。
「君は自己分析が苦手なようだね。彼への感情がどこから来たのか在り処を探してみるといい」
「自分の感情くらいわかるってんだ。あいつに苛つくってことくらい」
「君は緑谷少年の記憶を無くしていたとき、彼に苛ついてはいなかっただろう。むしろ頻繁に彼に近づいていた。意外だったけれど、あれが君の素のままの感情なんだろうね。君は彼自身に苛ついているわけではないんだよ。むしろ……」
「ちげえよ!」俺は怒鳴る。「ムカつくもんはムカつくんだ。それに、積み重なったあいつへの感情を忘れて、初めは和やかな関係でもよ、結局は同じ轍を踏んだかも知れねえぜ」
「ああ、そうなったかもしれないね……」オールマイトは立ち上がりベッドに歩み寄る。「爆豪少年、緑谷少年は君らしくない行動だと言っていたけれど、君はいきなり緑谷少年を庇うようになったわけではないんだろう。USJヴィラン襲撃の時、君はワープヴィランに襲われかけた緑谷少年を救った。期末試験の時は、私が出口に向かう彼を狙った時に盾になっただろう。君がヴィランに攫われた時に、来るなと緑谷少年に言ったそうだね。それも負傷していた彼を案じたから言ったんじゃないのかな」
「はあ?何言ってんだよ、オールマイト
「私は、君は君らしい行動を取ったのだと思っているよ」
「俺は別にデクを助けようとしちゃいねえ。身体が勝手に動いちまっただけだ」
「身体が勝手に、か。君達は似てるところがあるね」
「冗談じゃねえ、デクなんかと俺のどこが似てるってんだ。あんなムカつく奴と」
 オールマイトの手が俺の頭を撫でる。力強く温かな大きな手。力を出し尽くし、トゥルーフォームではなくなっても人を安心させる存在。
「だが君の行動に緑谷少年は気づいてないようだ。君への思い込みが強いからだろう。君に嫌われていると思ってる。だから自分を助けた君の行動を、らしくないと思ってしまうんだよ。君たちは二人とも賢くて理性的なのに、お互いのこととなるといつも思い込みが激しくて感情的になってしまうね」
「へっ、俺はいつでも理性的だ」
 ぶんっと頭を振って大きな手を振り払う。
「君は彼に伝わらなくてもいいのかい」
「別にねえよ。あんたの勘違いだ。俺はあいつなんか」
 指が痛い。 シーツを強く握っていたのに気づく。
「仮にそうでもデクに伝えたいことなんざねえ。伝わらねえ?それがどうした。あいつがどう思ってようが、そんなことどうだっていい」
「本当にそう思っているのかい?」
「そうだっつってんだ!しつけえよ。あんたも戻れよ、オールマイト。一人になりてえんだ」
 溜め息を吐くとオールマイトは入り口の方に歩み去る。ドアを開ける音の後、「緑谷くん、まだ行ってなかったのか」と驚くオールマイトの声が聞こえた。「オールマイト、あの」と慌てる出久の声。
 んだとあいつ!急いでカーテンを引いてドアの方向を見る。おどおどした様子の出久が立っていて、俺にびくついた視線を向ける。聞いてたんじゃねえだろうな。
「クソが。デク、立ち聞きしてたのかよ」
「聞いてないよ。今来たんだ。大丈夫なのかと気になったから。どうしたの?」
「うぜえんだよ!さっさと教室に戻れよ!」
 俺を心配してんじゃねえよ。てめえはよ。怒鳴り散らして布団を頭から被る。
「では、私も行くことにするよ。気分がよくなったら教室に戻っておいで。行こう、緑谷少年」
 二人の足音が遠ざかる。あの時のことが思い出されてくる。夜中にヴィランが襲撃してきた時のこと。拳を握りこむ。頭の奥深くに封じられていた、開放された記憶。


 あの夜遅く、一人で買い出しに行こうと校外に出ることにした。気がくさくさして、学校の外の空気を吸いたくなったのだ。
 共有スペースの窓から覗くと、寮の庭で出久がトレーニングをしているのが見えた。オールマイトの後継になるために。舌打ちする。誰が言っていたのか、共有スペースで寛いでいた時のクラスの奴らの言葉を思い出す。どういう文脈で出久の話になったのか。
「爆豪が緑谷に拘る気持ちわかるぜ。ボロボロになってそれでも逃げねえで必死でかかっていく。しかも自分のためじゃなく人助けのためだけに。強えっていうよりかなわねえわ」切島が言った。
オールマイトへの憧れなんだろうけど。あとさ、俺らをよく見てるよな。個性も生かし方も俺ら以上に考えてるみてえだし。俺らを信頼するよな。ちょっと嬉しいつーかさ」上島が言った。
「お前さ、あいつにただ一人信頼されねえ気分はどうだ」切島がいきなり話を振ってきた。「神野の事件の時もさ、ああ、怒んなよ爆豪。あいつ作戦立てたくせに、自分だとお前が手を取るの躊躇すんじゃないかって、俺にまかせたんだぜ」
「うぜえ。どうでもいいわ」
「会ったのが高校からならよかったかもなあ、お前ら」切島がため息を吐いた。
「だな。すぐ理性が吹っ飛ぶような関係じゃなく、お前と轟くらいのほどよい距離感でいられたんじゃねえか」上鳴もうんうんと頷いて言った。
 なかなか出久の話題が終らないばかりか、俺に飛び火してきた。おまけに神野の失態まで蒸し返してくる。ムカついて「うるせえ!」と怒鳴り共有スペースのソファから立ち上がる。
 去り際にまだあいつらが出久の話をしているのが聞こえた。
「でもよ、あいつ危なっかしいよな。怪我も痛みも恐れねえから。強え相手に引くことをしねえから。死を恐れないって、時々怖えと思うよ」
「ああ、怖え。傷ついて、ある日登校したらあいつがいないとか思うと、たまんねえよな」
「あんな生き方してたらいつ死んでもおかしくねえよ。怖くて堪んねえよ」
「ヒーローってそういうことなのかも知れねえけど。あそこまでしなきゃいけねえのかな……。あいつに会うまで考えたこともなかったぜ」
 部屋に戻り、コスチュームを取り出す。念のために備えておいた方がいいだろう。コスチュームを着込んで寮の玄関を出ると、トレーニングあがりの出久と鉢合わせした。
「あれ?コスチューム着て、どうしたの」俺に気づいて出久が言う。
「なんでもねえよ。ちょっと外に出るだけだ」
「敷地外に出るってこと?1人で夜歩くなんて危ないよ。またヴィランが出たら」
「だからコスチューム着てんだろ!出やがったら返り討ちにしてやる」
「僕も行くよ」
「はあ?なんでてめえまでついて来んだよ」
 なんか察知しやがったのか。 いつも遠巻きにしてやがるくせに、こんな時ばかり寄ってくるんだよな、てめえはいつも。
「イラつくな。俺を庇ってるつもりかよ」
「そんなつもりじゃないよ」
 自然と早足になった。出久は遅れることなくついてくる。「待ってよ」と俺を懸命に追いかけてきた幼い姿は遠い昔だ。
「今、何か門の方向で光らなかった?ねえ、かっちゃん」
 出久がなんか言ってるが無視する。気になるのかまだぶつぶつと話し続けている。「車かな?でも一瞬だったし。学校は民家から離れてるし」
 岩場の演習場を過ぎて校庭を抜け、門の前に到着後した。当然だが鍵がかけられている。高く聳える門を見上げて爆破で飛び越える。出久も俺に続いてジャンプしてきた。門を越えたものの、出久は着地でバランスを崩しふらっとよろける。
「ばっか」
 俺はにやっと笑う。俺の真似しやがっても、てめえはまだまだだな。
 ふと、ざわっと周りの木々が動いたような気がした。
「なんか、おかしいよ。かっちゃん。街の灯りが点ってるはずなのに真っ暗だし。戻ろうよ」
 立ち上がり、辺りを見回して出久がそっと囁く。
「うっせえ、静かにしてろ」
 何かがいるのは確かだ。神経を研ぎ澄ます。目の端にうごめく気配。
「なにこれ、蔓?痛っ!」
 いつの間にか出久の足元にざわりと伸びてきた影が、足首に巻きついていた。 蔓はするすると出久のふくらはぎにまで伸びて締め上げ、更に膝に伸びる。出久は蔓を引き離そうとしながら苦悶の表情を浮かべている。
「クソが!おい、爆破すっからすぐ足引っ込めろよ」
「う、うん。ああ!」
「チイッ」
 俺は蔓を爆破して焼いた。だが蔓は少し焦げるもののなかなか千切れない。思い切って出力を上げて爆破する。反動で出久は吹っ飛んで門にぶつかった。
「踏ん張りが足んねえぞ、デク!クソが」
 蔓は焦げた部分を残して、闇の中にするすると引っ込んだ。ざわざわと闇が蠢く。いつの間にか何かに囲まれてしまったようだ。
「おい!このクソナードが」と出久を振り返り、駆け寄る。
 出久の息が荒い。足が変な方向にひしゃげている。さっきの蔓に締めあげられた時に折れでもしたのか。出久は立ち上がろうとしたものの果たせず、よろけて門を背にしてしゃがみ込む。
「クソが!立てねえのか」
「うん、かっちゃん、君が戻って誰かを呼んできて」
 ひゅん、と背後で風を切る音がした。咄嗟に座り込んでる出久に覆いかぶさるようにして門に手をつく。鞭のように伸びた蔓は俺の背中を殴りつけた。
「ぐはっ!クソが」
「かっちゃん?」
 さらに2本目の蔓が背中に叩きつけられる。くそ!これは悪手だ。門の向こうに出久を投げてやりゃあよかった。もうここからどくこともできねえ。この足手まといが。
「なんで?何してるんだ!かっちゃん、君らしくないよ!」
「てめえはオールマイトの後継者って奴だろうが」
「そんな、そんなこと関係な……」
 何本もの蔓が背中を殴る。コスチューム着てなけりゃ立ってられなかっただろう。立てない上に普段着のデクじゃ到底耐えられない。
「どいてよ、かっちゃん」
 いい気味だ。いつもてめえがズタボロになるたびに、俺がどんな気分になるのか、ちったあ思い知ったかよ。傷だらけになっても俺に手を伸ばすてめえに、そんな時ばかり近寄ってくるてめえに、俺がどれだけ。あいつら、時々怖えだと。昔から俺はいつも怖えんだよ。いつ死んでもおかしくねえ。怖くてしょうがねえなんて今更だ。そんな奴を俺はずっと。
「僕を置いて行ってよ、かっちゃん」
「はっは!てめえがついてきたんだろ。いつもは俺から絡んでいかねえと、お前からは絶対こねえのに」
「だって君はすぐ怒るから」
「てめえがムカつくからだ。最近俺が絡まねえからって安心してんだろ。てめえは」
「かっちゃん、そんなこと言ってる場合じゃ、かっちゃん!」
 言い合う間にも蔓は俺の背を打ち据える。出久が慌てて拳を構える。何やってんだ。出力はあっても腕は2本しかねえだろうが。やるなら指だろうがよ。
「無駄弾撃つんじゃねえよ、クソが。蔓は固えし攻撃的しても何本でも生えてくる。こう暗くちゃあ、敵が何処にいんのか見えねえだろうが」
「でも、このままってわけにはいかないじゃないか」
「俺が閃光弾を放つ。チャンスはそん時だ。一瞬だ。目凝らして敵の位置をよく見ろよ。目瞑ったりしたら承知しねえ」
「わかったよ」出久はこくりと頷く。
 背中が痛え。痛みを堪えて振り向き、手をパンっと合わせる。閃光弾の眩い光が辺りを包む。腹に蔓が叩きつけられた。息が詰まって咳き込む。姿勢を戻して倒れないよう壁に手をついて脚を踏ん張る。
「かっちゃん、君は……」
 出久の声が震えている。暗くて定かじゃないが青ざめているんだろう。
「やれ!クソバカ!」
 我に返った出久が拳を握りこんで構え、肘を引いて突き出す。背後で轟音が響いた。轟音に混じって耳に届く野太い悲鳴。
「やったか」
「うん。多分。かっちゃん、やったよ!」
 出久の声が弾む。
「よ、し」
 ほっとして力が抜け、足元から崩折れて出久に覆いかぶさる。闇に包まれていた道路を街灯の光が照らす。
「かっちゃん!」
 うるせえよ。耳元で叫んでんじゃねえよ。壁の向こうからバタバタと幾人かの足音がして門が開かれた。
「かっちゃん、かっちゃん!」
 身体の下に出久の声を聞きながら気が遠くなる。離れていったのはてめえだ。そのうち戻ると高をくくっていたのに、結局いつになっても戻ってきやしねえ。てめえは俺のなんだ。ころころと犬っころみたいについてきたくせに。物心つかねえずっと昔からそうだったくせに。俺を避けてるくせに目の前をちょろちょろしやがって。オレが弱ってぜってえ顔を見られたくない時ばかり、てめえから寄ってきやがって。側にいろよ。ずっと俺のもんだったのに離れんなよ。側にいたくねえなら俺の目の届くところから完全に消えろよ。目の届かねえとこなんかに行くなよ。どこにも消えんなよ。
 こんな混乱した気持ちを、伝えるべきなのか。伝わらねえからこうなんのか。あいつにだけは知られたくない。知られてたまるものか。



 橙色に染まった部屋の中で目が覚めた。
 もう夕暮れになったのか。オールマイトや出久が来た時は意識は戻ったはずだが、いつの間にかまた眠ってしまったらしい。窓の外を眺めると帰宅する生徒達の姿が見えた。とっくに放課後になっていたようだ。クラスの奴らも帰ってるかもな。出久も。
 轟の言う通りだ。自分で自分が気味がわりいぜ。出久と普通に接していたなんてよ。
 リカバリーガールに「帰る」と告げて寮に戻る。共有スペースを通り過ぎる時、クラスの奴らに何か話しかけられたが、無視した。自分の部屋に入り頭から布団を被る。
 オールマイトの継承者という秘密を守るために。出久は自分の保身のためじゃねえ。オールマイトを守るために。あいつはそういう奴だ。オールマイトも自身のためじゃなくきっと出久のために。それと俺の安全のためか。だが天秤にかけてそのために俺との記憶が、俺の心が、俺の想いが邪魔だと判断しやがったんだ。俺から出久を。現在だけじゃなく幼馴染の出久、までも奪うつもりだったのか。何もかも全部を。俺はぎりっと歯軋りをする。
 控えめなノックの音。
「あんだよ。寝てんだよ」
「かっちゃん、いいかな」
 出久。どの面下げて来やがった。鍵を開けてやると出久はドアをそっと開けた。俺はベッドに戻り布団を被る。
「記憶を操作するのは保留だって、かっちゃん」
 出久はドアのところに立ったままで近づいてこない。
「てめえが頼み込んだってことか。ムカつくな、恩に着せようってか」
「そんなんじゃないよ。元はといえば僕が……」
 出久は途中で言葉を切って、不自然に話題を変える。「君は凄いよね。セラピーヒーローはどんなトラウマでも消すって有名なんだよ。それを自力で解いてしまうなんて」
「はっ!なら、てめえもトラウマ消してもらったらどうだ」
 俺は揶揄する。いっぱいあんだろ。てめえにはよ。
「トラウマなんて、ないよ。辛いことも悲しいことも、僕の血肉だから」
 そう言い切ってから、「あ、そっか」と呟いて出久は口籠る。
 自分で言って気がついたかよ。そういうことなんだよ、クソが。
「ごめんね」小さな声で出久は囁く。
「何をだ」
「君に秘密を話したりしなきゃよかったんだ」
 俯いた出久の声が上擦っている。そこじゃねえだろう。いらつくぜ。てめえとはいつも噛みあわねえ。
「じゃあ行くね」
 出久はそろっとドアを閉めた。足音が遠ざかる。てめえはどこまでも。クソが。てめえは昔っからそうだ。昔から。全部一人で背負い込んで納得して。俺には何も言わねえ。何考えてんのかわかんねえ。そんな奴だから俺は。俺は。
 はたと思い出す。忘れていた時に、俺は出久に何を言っちまった?好きだとか口走っちまったぞ。ずっと押し潰そうとしてきた気持ちを。言葉にすることも消すこともできなかった気持ちを。出久に告げちまったじゃねえか。過去のあいつへの思いを知られちまった。あいつにだけは絶対に知られたくないことを。しかもあいつはなんて言った。それを聞いたくせに、いけしゃあしゃあと知らねえ振りをした。会いたくねえって言いやがった。俺を虚仮にしやがって。
 許せねえ。頭にきてベッドから跳ね起き、階段を2段飛ばしで駆け下りて追いかける。階段にはいねえ。出久はエレベーターに乗ったのか。2階に到着し、部屋に入ろうとする直前の出久に追いついた。
「え、どうしたの?」
 と出久は驚いた表情で硬直している。俺は出久の腕を掴んで部屋に押し入ると、叩きつけるようにベッドに押し倒した。壁にはポスターにタペストリー。棚には見覚えのあるフィギュアに グッズが所狭しと並んでいる。オールマイトだらけの部屋だ。1度でも出久の部屋に入ったならあいつだと気付いたかもしれない。てめえはオールマイトが近しい存在になった今でも、飾りまくってんじゃねえかよ。クソが。苛立ちのまま強く押さえつける。
「ずっと隠すつもりだったのよ。その方がムカつくぜ。知らねえ振りで嘘ばっかりつきやがって。馬鹿にしやがって。おかしかったかよ。なあ」
「そんなことない、だけど僕だって平気だったわけじゃない」出久は言い返してくる。「僕のせいだってわかってるよ。でも君は僕に酷いことばかりしてきたじゃないか。それなのにまるでいい思い出みたいに言うから。そりゃあいい思い出だってあったよ。でもずっと昔の話だ。君に合わせるのは苦痛だったよ」
 頭に血が上る。勘違いさせやがったのは誰だ。俺はてめえに。
「俺がてめえを好きだなんてねえからな!ぜってえねえ!」
「わかってるよ」
「勘違いすんなよ。オレはてめえなんかな」
「だったら君こそあんなこと言うなよ!」
 突然出久が激昂する。少しだけ気圧された。出久は俺を見上げる。
「あれが無個性だった僕への感情を忘れた、君の勘違いだってことくらいわかってるよ。わかってても。そうだったらいいなって思ってしまったんだ。もしも過去の君が本当にそう思ってくれてたらって、あり得ないのに」
 感情の昂りで出久の目が潤んでいる。魅入られたように見つめる。
「本当に君と会ったのが高校だったなら、会った時に無個性じゃなかったら。それっていいなって思ったよ。でも君が僕との過去をいい思い出みたいに言うと、そんなはずはなかったじゃないかと反論したくなった。あり得ないのに。そんなこと思わせるなよ。どいてよ。君の本心じゃないってことくらいわかってるんだ!」
 デクの目からぽろぽろと涙が溢れだした。
「君が勘違いしてるってわかってたんだ。本心だなんて、はじめから思ってないよ」
 俺は押さえつけたまま出久を見下ろす。
「はは、本当だったら、嬉しかったのかよ。馬鹿じゃねえの」
 羞恥で出久の顔が首まで赤くなった。そういうことかよ。てめえ、俺のことをどう思ってんだ。もっとちゃんと言えよ。もっと早くに言えよ。ほんと、馬鹿じゃねえの。
 思い出すまでずっと心は凪の日のように静かだった。晴れ晴れとしてすげえ楽だった。今はぐちゃぐちゃした感情が空っぽだった頭に詰まって溢れそうだ。てめえの反応ひとつで動揺してんのが不快だ。不快でたまんねえ。てめえの中身を芯まで暴いて抉って陽の下に曝してやる。そうしなきゃおさまんねえ。
「もういいだろ。部屋に帰ってよ」
「だめだ」
 てめえも楽だったんだろうな。だがそれも終わりだ。俺が好きだって言ったことが嬉しかったんだろ。てめえもそうだってことなんだろ。だったら手放せねえ。やっと靄のかかった向こう側を捕まえたんだ。その先に隠されていた感情まで見つけたのだ。
「もし、本心だったらどうなんだ、デク」俺は問うた。
「何言ってんの。あり得ないだろ」
「答えろよ」
「僕を何だと思ってるんだ。馬鹿にしてるのか」
 てめえ、信じねえのか。余計なこと言っちまった。出久の心がやっとわかったっていうのに。手に入らないと諦めたものを、今なら捕まえることができるっていうのに。手の中に身体の下にてめえがいるのに。捉えることができないなんて。何故だ。何でこいつは信じねえんだ。伝わらないってのはこういうことなのか。どう言えばいいのか、方法が思いつかない。てめえは俺を信じない。俺達の間に信頼なんてないからだ。
「本心だっつってんだ!答えろって言ってんだろ」
 暴れる出久を押さえ込んで勝己は怒鳴る。離すわけにはいかねえんだ。今を逃したらもうてめえを捕まえる機会は二度と来ねえ。
「君は僕の心なんて考えたことないだろ。僕だって傷つくんだよ。馬鹿にされたりすれば辛くなる」
「聞けってんだ。おい、デク!」
「君のことはわかるよ。長い付き合いなんだ。もういいだろ、これ以上……。殴って気が済むなら殴ればいいだろ!離せよ!」
「てめえに俺の何がわかる!」激昂して俺は叫んだ。「てめえこそ俺の心を考えたことがあんのかよ!」
 身体の下の抵抗が止んだ。
「かっちゃん?」出久は大きな目を見開いて俺を見上げている。「なんで、泣いてるんだ?」
 出久が俺の名を呼ぶ。記憶をなくしてから、初めてだ。憎しみとも愛しさとも名付けられない感情の奔流が流れ込んで来る。胸の空洞が埋められてゆく。てめえ、わざと呼ばねえようにしてたんだな。俺の記憶を喚起しねえようによ。思い出したりしねえように。
「答えろよ」
 そう言いながら俺は出久の鼻先に触れそうなほど至近距離に顔を近づけた。出久が身体を強張らせるのがわかる。緊張してんのか怯えているのか。威嚇するためじゃない。吐息を感じたいんだ。体温を感じたいんだ。はたはたと、雫がデクの顔に落ちる。水滴が頬に滴り落ち、唇に留まる。
「かっちゃん、どうして」
「答え……ろ」
「かっちゃん」
 慣れた声に呼ばれる自分の名前が耳に心地よく響く。記憶の中の声と重なってゆく。もう目を離したりしねえ。気の済むようにしていいんだな。てめえがそう言ったんだ。てめえが俺を暴いたんだ。奥に隠していた感情を掘り起こしてしまったんだ。ツケを払えよ。
 下唇に落ちた雫を舐めとり、そっと出久の唇を食む。驚いて目を見開いている出久に、そのまま唇を押し当てる。

 

END

ダイバーダウン(R18)

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prologue


「すごいなあ、かっちゃん」
 そう無邪気に話しかけてくる柔らかく高い声。
 振り向くと俺の後ろを小柄な子供が後を付いて来ているのが見える。よたよたした転びそうな足取り。少しスピードを落して歩みを合わせてやる。
 ここはよく遊んだ裏山の森だ。薄っすらと黄色や赤に色づいた木々の下の小道を、さくさくと木の葉を踏んで歩く。 風が枝葉を震わせて木漏れ陽を散らす。チチチと木霊する名も知らない野鳥の鳴き声。
 後ろをついてきている誰か。顔は霞がかかったように朧気で思い出せない。名前もわからない。けれども、俺はそいつが気になってしょうがない。遅れずに付いて来ているかと振り向いては、いるのを確認して安心する。
 見失ってはいけない。あれは俺のものだ。大切なものなのだと心のどこかが知らせている。


1


 俺の頭から何かが抜け落ちている気がする。
「おはよう」
「爆豪、お前大丈夫か?」
「おっはー、爆豪、もう学校来ていいの?」
「マジでもう大丈夫なのかよ」
 教室に入るなり、クラスの奴らが俺に口々に喋りかけてきた。いつもそんなに話したりしねえ奴まで聞いてくるので、ちょっとイラっとする。
「何がだよ」
「何言ってんだ。ヴィランが出たんだろ」
「ああ?」
 そうだ。俺は夜に学校を抜け出そうとして、門外でヴィランに会った。それからどうなったのかは覚えてない。気づいたら保健室にいたのだ。こいつら俺を心配してんのかよ。うぜえ。俺を気遣うんじゃねえよ。
「うるせーぞ、お前ら。授業始めるからさっさと座れ」
 相澤先生が教室に入って来たので、慌てて皆は席に戻っていった。壇上に立つと、相澤先生は眠そうな目で教室を見回して口を開く。
「あー、皆知ってのことだと思うが、昨晩校門の前でヴィランが出没して、爆豪が襲われた。幸い先生達が駆けつけて撃退したがな。攫うつもりだったのかどうか、現在取り調べ中だ」
「またかよ。お前、よほどヴィランに好かれてんだな」
「うるせえ!」
 上鳴に揶揄されて俺は声を荒げる。嫌なこと思い出させやがって。
「爆豪の記憶に多少の混乱が起きてるようだが、学校生活に支障はない程度だ。皆もそのつもりで暖かく見守ってやってくれ」
 相澤先生の言葉でまた教室が騒がしくなる。
「混乱ってなんだ、爆豪。記憶喪失かなんかなのかよ」切島が問うてきた。
「何も忘れてねえよ」
「俺の名前覚えてるか?」
「俺の名前は?」切島に続いて上鳴も続いて聞いてくる。
「なめとんか!知っとるわ、クソ髪アホ面のデッドエンドコンビだろーが」
「ひでえ。グレードアップすんなよ。赤点コンビでいいだろ。うわ、自分で言っちまった」
「なんだよ、いつもの爆豪かよ」
 他の奴らも口々に「俺の名前はわかるか?」と聞いてくるので苛々してきた。
「うるっせえ!入学してからの記憶はまるっとしっかりあるってんだ」
 一人を除いて高校から知り合った奴らばかりだ。 でもクラスメイトの名前も個性も全部覚えてるようだし。記憶に混乱が起きてると言われても、 比較材料がないから断言できないが。確かにこれからの学校生活に問題はない。
 でも何だろう。何か足りない。俺はいつも苛立っていたような気がする。だがなぜ苛立っていたのかが思い出せないのだ。
「いつまではしゃいでるつもりだ。静かにしろ。さっさと教科書開け」
 先生の一言でざわついた空気が静まり返った。俺は教科書を開いて頬杖をつく。
 同じ中学から来た奴はクラスにひとりいる。小学校も一緒だったはずだ。はずだというのは、入学以前のこいつは記憶にないからだ。クラスが違ったんだろうか。俺はそっと後の席を振り向く。緑がかった髪のそいつは目が合うとビクッと反応し、そっと問うてきた。
「その、大丈夫?」
「は?別に」
 そいつの袖口からちらりと腕に巻かれた包帯が見えた。よく見ると鎖骨あたりにも包帯が巻かれているようだ。俺は前に向き直る。人のこと言えんのかよ。てめえも怪我してんじゃねえかよ。少しだけいらっとした。
 窓の外に目をやる。夢で見たような色づき始めた樹木。こいつ、デクはいつも俺の後ろをついてきた幼馴染とは別人だ。もしあいつだったら顔見てわからないはずがねえ。毎日裏山や公園で遊んだ。家にだってよく遊びに行った。そういう奴をいくらガキの頃だからって、見分けられねえわけがねえ。感情的に繋がらないはずはねえ。
 それに顔のわからねえあいつは無個性だったはずだ。それだけは確かだ。だからデクはあり得ねえ。
 デクはクラスでもトップクラスの個性を持ってやがる。童顔に似合わねえパワー増強型の個性。あんな派手な個性持ちの奴に覚えがないなんて変な話だ。だが小学校でも中学校でも原則的に個性の使用は禁止だったから、あまり周りに見せてなかっただけかも知れねえ。使えば身体が壊れるような自壊型の個性なんて、そうそう使用できるもんでもないだろう。
「次の単元は伊勢物語 芥川だ。予習してこいよ。今日はここまで」
 授業が終わり、相澤先生は気怠げに教室を出て行った。休み時間になると、クラスメイトが俺の机を取り囲んだ。
「緑谷のことも、覚えてるんだよな」と上鳴がちょっと躊躇ってから尋ねる。
「ああ、デクだろ」
「んん?お前、つっかかんねえんだな」
「は?」
「さっきもだけどよ。なんかフツーに緑谷と話してたし。いっつも名前出すだけでも怒ってたじゃんよ」
「はあ?別に腹立たねえのに、なんで怒んなきゃいけねえんだ」
 上鳴は「ほおー」と感心したんだか驚いたんだかわからない声を上げる。確かに最初の授業で俺は奴に負けた。結構前のことだが、それからずっと根に持っていると思われてんのか。いくら何でもそりゃねえだろ。
「なあ?」
 と言いながら後ろを向くと、デクは慌てて開いていた本で顔を隠した。
「おい、何顔隠してんだ」
 本を取り上げてなぜかびびってるデクに問うと、「な、なんでもないよ」とデクは顔を隠すように机に突っ伏してしまう。
「まあまあ、爆豪、腹立ってねえんだろ。ほら、他の奴も確認しなきゃよ。な?こいつは?」
 上鳴は焦った様子で言うと適当に周りを指差した。
「俺の名は覚えてるか」
 通りがかった半分野郎が興味なさげに口を開く。
「轟」
「正解だ。よかったな爆豪」
「舐めてんのか、てめえ!」
「まあまあ、次、次行こうぜ、爆豪、ほら、こいつは?」
 次々名前を答えながらも、後ろの席のデクが気になってしょうがない。デクは俺の顔を見るとおどおどしやがる。強えくせにわけわかんねえ。そりゃ負けた時は腹が立ったんだろうけど。もうどんな気持ちだったか覚えてねえよ。いまだにそれを引きずるわけねえだろ。俺をそんな偏狭だと思ってんのかよ。逆に腹立つぜ。
 ちょっと言ってやるかと後ろを振り返った。が、デクがいねえ。教室の中を見回すと窓の側で飯田や麗日とだべってやがるのが目に入った。
「デク、おい」と言い、席を立とうとすると「まあまあ」と慌てた口調の切島に宥められた。
「あっちはあっちでつるんでるわけだし。こっちはこっちでさ、な」
「別にお前らとつるんでるつもりはねえよ。てめえらが寄ってくるだけだろ」
「ひっでえな。つーか、爆豪の平常運転だな」
 同じ中学出身とはいえ、あいつはあいつの友達がいるし。俺にもいつの間にか取り巻く奴らがいる。普通のことだ。だが何かいらっとする。さっきも感じた。時々何故ふいに苛つくのだろう。


 夕食の前に親に「ちょっとだけだからよ」とことわって外に出た。
 俺は近所の幼馴染のいる団地に駆けていく。あいつも俺も一人っ子だから、家に帰ると親しかいねえ。だから暇してるだろうと時間を問わず気兼ねなくしょっちゅう遊びに行った。
 ドア横のチャイムを押して名を呼んだ。あいつはすぐにドアを開けて出てきて、いつも顔を輝かせて俺を見る。
 あいつはヒーローオタクだった。ヒーロー図鑑といっていいくらい名前も能力も色々知っていた。その知識にも分析・解析にも舌を巻いた。特にオールマイトのことは夢中になって喋った。オールマイトは俺にも憧れだから、あいつと話していると話が尽きなかった。
 あいつはオールマイトグッズのコレクターだった。多くはない小遣いをほぼグッズにつぎ込んでいた。部屋に行くたびにどんどん増えるグッズには驚くというより呆れた。
「こんなに必要かよ。棚も壁もごちゃごちゃして台無しじゃねえか」
「だって、また新しいのが出たんだもん。このフィギュアは新作で」
 と新作のフィギュアを手にしたあいつにひとくさり説明を聞かされる。
「いくらあっても足りないのかよ。欲張りな奴だな」
「うん」とあいつは頷き、フィギュアを胸に抱いて言う。
「いくらフィギュア集めたってなあ、てめえに個性が出るわけじゃねえぞ」
「そんなこと思ってない」とあいつは言って、きゅっとフィギュアを抱きしめる。
「でも……かわりなのかも。本当に欲しいものは目に見えないものなんだ。それが手に入るなら死んでもいい」
「あほか。死んだら終わりだろうが」
「違うよ、例えだよ。なんでも持ってる君にはわからないかも知れないけど」
「ああ、わかんねえな」
「いいなあ、かっちゃんは」
 あいつはよくそう言っていた。身体も小さくて無個性なこいつには、欲しいものが沢山あるんだろう。俺に真っ直ぐ向けていた瞳で、時折何処か遠くを見つめるようになった。
「そのうち俺がヒーローになったら、俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 俺が言うと、あいつは一瞬きょとんとして「あはは」と笑った。いらっとして「飾るんだろうな」ともう一度聞く。
「俺がヒーローになれないとでも思ってんのかよ。ああ?」
 そう言って威嚇すると、あいつは慌てて言い訳した。
「そうじゃなくて、いつも近くにいる人の似姿のフィギュアを飾るのはないかなーと」
 そうじゃないだろう。わかってんだよ。てめえはオールマイト以外は飾る気がねえんだ。他のヒーローのフィギュアも持ってるくせに、飾ってるのはオールマイトだけじゃねえか。そこで冗談でも飾ると言わないのが酷く憎らしくなった。拳を握ってもう一度尋ねる。
「俺のフィギュアも飾るんだろうな」
 気に入らない返事をしたら殴ってやる。



 草を踏み分ける足音が微かになった。ついてきているかと不安になり振り向く。霞のかかったように顔がわからない誰かが、離れてしまっているのではないかと。裏山ではぐれてしまったのではないかと。
 
 つんつんと背を突付かれる。弾かれたように後ろを振り向く。
「寝てちゃダメだよ」
 デクが声を潜める。居眠りをして昔の夢を見ていたらしい。後ろの席に座っているのは幼馴染じゃなくデクだ。一瞬あいつかと思った。
「寝てねえよ」
 と言ったものの眠っていたのは歴然だ。ノートにはミミズがのたくったような文字が踊っている。めんどくせえ。
 さっき思い出した昔の出来事を反芻する。うきうきとしたりムカついたり、感情の付随する思い出だった。あいつの家にしょっちゅう遊びに行っていたこととか、いちいち何があったかなんて映像的な記憶でしか覚えちゃいねえ。けれども、その時の感情を覚えている思い出もあったのか。
 あの後あいつはなんと返事をして、俺はどうしたんだろう。それよりノートの酷い字を消さなくては。だが消しゴムが見当たらない。机の周囲を見回したがない。落としてどこかに転がっちまったか。俺はもう一度後ろを振り向く。
「なに?先生に見つかっちゃうよ」デクは驚いた顔をしてひそっと言う。
「おい、消しゴム貸せよ」
「え?」
 デクの返事を待たずに勝手に消しゴムをひったくり、ゲシゲシと使って返す。
「ほらよ。別にいいだろ」
「う、うん」
 普通に接して普通に話してるつもりなのに、デクはなぜかびっくりするような顔をする。どこか愉快だ。地味な奴なのに何故かどこにいても目につくので、近づいてちょっかいをかけたくなる。
 昼食の時間になった。
「何処行くんだよ、爆豪」と上鳴に声をかけられたが「気が乗らねえ」と売店に向かう。
 食堂で食う気がしない。パンを買って屋上に続く階段を登り、扉を開ける。屋上に踏み出すと濃い影が足元に落ちた。紺碧の空の下。ここで食うのは気持ちよさそうだ。眩しく白い貯水槽の向こうに先客が見えた。屋上を囲む金網を背にして座り込んでいる。
「よお、デク」と俺は声をかける。
「え、え、何で君が」
 デクは開いていたノートを閉じた。横にも数冊のノートが積まれている。デクはそれを隠そうとするように掌をノートの上に載せる。
「お前もパンかよ。食堂に行かねえのか」
「うん、今日は」
「俺もだ」
 俺はデクの方に歩み寄ると、隣にしゃがんでパンの袋を破る。デクが目を丸くして聞く。
「え、ここで?」
「別にいいだろ」
「ああ、うん、君がいいなら」
「俺が?いいから座ってんだろ。変な言い方すんなよ」
「そうだね、ごめん」
 焼きそばパンに齧りつきながらノートを見やる。
「それ、お前のか」
「え?うん、そうだけど。あ……、待って」
「隠してんじゃねえよ」
 ノートの上からデクの手をどけると、表紙にマジックで書かれた文字が目に入る。
「ヒーローノート?」
 ふっと記憶の中に似たものがあったような気がした。熱心にノートを書いていた誰かの姿。
「見てもいいか?」
「ええ?」
 やけに驚くデクの返事を待たずに、1冊手に取ってページを捲った。ノートの中にはクラスの奴らの個性か図解入りで載っている。注釈もついてどれもびっしりとページが埋めてある。
「すげえな」
「そ、そうかな。今日体育があるだろ。それまでに皆の個性を確認して書き加えておきたくて」
「俺のもあんのか?」
「君のは、ある、けど」
「けどってなんだよ。当然あんだよな。あんなら見せろよ」
「そんな、面白くないよ」
「はあ?俺の個性が面白くねえってのか」
「違うよ、君の個性は凄いから、面白くないなんて」
 デクは慌てて否定する。こいつが俺を評価してんのはわかってて言った。こう言えばことわれねえだろ。
「だったら見せろよ」
 それでも押し問答の末、デクはやっと一冊のノートをそっと差し出した。縁が焦げてページが水濡れした後みたいにうねっている。
「なんか、これだけボロっちいな」
「それは君が……」
 と言いかけて何故かデクは言葉を切る。
「何だよ」
 と促すとデクは小声で「古いノートだからね」と曖昧に言葉を濁す。ちょっと引っかかったがとりあえずノートを受け取る。
 俺が表紙を摘まむ指に、デクは何故か心配そうに視線を送ってくる。
「んだよ、汚したりしねえよ」
 焦げたページの縁を破らないようにそっと捲る。早速1ページ目に俺の図解が現れた。
「これ俺かよ。なんか他のやつより背が小せえな」
「あ、あれ?そんなのあった?子供の頃の君だから。あ、偶々君を見かけたことがあったんじゃないかな。その時に書いたんじゃないかな、きっと、君はほら凄い個性で近所で有名だったから」
 デクは言い訳するように早口に捲したてた。ごまかそうとしてるみてえだ。だが、子供の頃の思い出にデクみてえな奴はいない。幼馴染の奴を全部覚えてやしねえけど、一緒に遊んでたんなら、こいつがいたんなら覚えてる自信がある。
「お前、家近所なんだろ。学区が同じなんだからよ。見てねえで一緒に遊んだらよかったのによ」
「それはまあ。それより、その次のページに大きくなったかっ、……君の図解もあるよ」
 急かすのでページを捲ると、デクの言う通り次のページにはコスチューム姿の俺の図解があった。機能についての解説もついてる。
「俺がガキの頃もこういうことが好きな奴がいたぜ」
 あいつもよくノートにヒーローを書いていた。自由帳じゃなくこんな感じの大学ノートに何冊も。中身を見たことはないが覚えている。
「へ、へえ、そうなんだ。奇遇だね。僕は知らないけど」
「お前、同じ地区で同じ学校にいたのなら、ちったあ知ってんじゃねえの」
「昔ことだし、覚えてないよ」
「そうかよ。そうかも知れねえな」
 子供の頃の記憶なんてぼんやりしたものだ。遊び友達だって毎回決まったもんじゃないし、クラスが変われば話もしねえ。ガキの頃俺の周りにいた奴らは、名前だってテキトーに呼んでたし、ちゃんと覚えてやしない。
 でもあいつの名前だけは忘れるわけがねえ。俺が渾名を付けたんだから。素直で揶揄うと面白いから、思い付きで付けた渾名でずっと呼んでた。なんて名前を付けたんだろう。なんで忘れてるんだろう。
 あいつは俺を「かっちゃん」と呼んでた。ころころした鈴みたいな声で呼ばれると胸が温かくなった。それは覚えてるのに。胸にポッカリと開いた穴。このまま忘れちまうんじゃないかという焦燥感と喪失感。
 でも何故だろう。デクと話していると宙ぶらりんな不安が紛れるような気がする。
 パンを食い終わって、デクはジュースを飲み切らないまま下に置くと、胸ポケットからシャーペンを取り出してノートに書きこみ始めた。はじめはちらちらと俺を気にしていたが、次第に書くのに没頭してきたようだ。
 カリカリと紙をシャーペンが滑る音。さわさわと吹き抜ける心地いい風。眠くなってきた。ちと睡眠取るか。丁度いい枕もあるし。こいつは嫌と言わねえだろ。そんな気がする。
 俺はデクの膝に頭を乗せた。ちと筋肉質で硬めの膝枕だな。男の膝だしな。
「ちょ……え?かっ、君、どうしたの」
「10分経ったら起こせよ」
「教室に戻った方がよくない?」
「うっせえ、今眠いんだ、今寝てえんだ。黙って膝貸せよ」
 蒼い空に淡く白い三日月がふうわりと浮かんでいる。幻のような昼中の月。
 眠りに落ちる前にデクの呟く声が聞こえた。
「君はそんな人じゃないはずだろ……」
 少し寂し気な声音に聞こえたのは微睡の中だったからだろうか。


 午後の体育の授業はリレーだ、高低差のある建物の間を縫って進むコース。上を行っても下を行ってもいい。
 建物の上を爆破で跳んで俺がバトンを渡すと、デクはポンポンジャンプして障害を飛び越える。あいつのパワーはどこから来るんだろう。反動つけてるとはいえ軽く蹴るだけで高く跳んじまう。パンチだってそうだ。俺みたいに爆風じゃねえし。筋力にしては、あれじゃまだまだ筋肉量足んねえだろ。そういう個性だっつったらそれまでだけどよ。それにしても。
「お前の動き、俺の真似だろ」
 待機場所に戻って来たデクに話しかける。
「う、うん。わかっちゃった?」
 デクの語尾が小さくなる。まるで俺に怒られると思ってるかのように。
「責めてねえ。別にジャンプ自体が俺のオリジナルっつーわけじゃねえし。お前、やっぱり俺をよく見てやがるな」
「君はすごい人から」
「まあな」
 素直に褒められて悪い気はしない。だが奴が不思議そうな顔をして俺を見る。
「怒らないんだね」
「だからよ、なんで俺が怒るんだ。俺がすげえんだろ。てめえが真似ても俺ほどじゃねえしな」
「それはそうだよ。まだ君には全然追いつけない」
 ふっとデクの唇から笑みが溢れる。初めて俺の前で笑ったんじゃないだろうか。胸がじんわりと温かくなる。他の奴らにはいつも見せてる笑みだ。いつも俺の前では何故か強張った表情しか見せなかった。気にしないようにしても引っかかって、多分少しムカついていたのだということに、今気がついた。
 向こうでデクを飯田が呼んでいる。
「じゃあ……」
 と言うとデクは走ってゆく。思わず俺は手を伸ばした。が、届かない。俺は引き止めようとしたのか。なんで。空を掴んで腕を下ろす。
「絡まれてたんじゃないのか、緑谷くん」
「飯田くん、違うよ」
 飯田の声はでかい。あの野郎、会話聞こえてんだよ。俺がデクに何かするとでも思ってんのかよ、クソが。ムカついて怒鳴ろうとしたところを、背後から唐突に肩を小突かれる。
「んだよ!殺すぞてめえ!」
 威嚇しながら振り向いた。切島と上鳴がニヤニヤと笑っている。
「俺らもお前呼んでたんだけどな、気づかなかったのかよ」切島が言う。
「はあ?てめえ声ちっせえんじゃねえのか。聞こえねえよ」
「最近よく緑谷と話してるよな。爆豪。怒りもせず」上鳴が言う。
「だからなんで俺が怒るんだ」
「常識じゃあそうだけどよ。お前、緑谷には何かっつーとすぐ怒ってたしよ」
 切島の言い方だと俺が常識ねえみてえだぞ。あるわ。
「ちょっと前だって夜中にあいつと大喧嘩して謹慎食らってたじゃねえか」
 上鳴が言うその喧嘩をした覚えはある。とても頭にきていたとも思う。なんでそんなに怒ったのだろう。その時の感情は覚えてない。処罰されて寮内をあいつと清掃したことも覚えているのに。
「うるせえ。なんか文句でもあんのか。俺はしたいようにしてんだ」
「いやいや、勿論いいに決まってんじゃん。捻くれてねえ揉めたりしねえお前はすごくいい!元気なガキ大将みたいでよ」
「なあ、轟もそう思うだろ?」
 上鳴は振り返り、たまたま背後にいた轟に呼び掛ける。いきなり話を振られたものの、轟は即答する。
「いや、気味がわりいな」
「ああ?喧嘩売ってんのか!」
 俺は頭にきて掌から火花を散らし威嚇する。轟の野郎はいつも言葉の端々に天然の優越感みてえなものが垣間見えて苛々する。
「ちょっ、轟。お前……、なんでそういう」上鳴は慌てて言う。
「俺はそう思うってだけだ。気を悪くしたんならすまねえ。じゃあな」
 口では謝りつつ、轟は全く悪びれた様子もなく去った。あいつなんなんだ。
「まあ、喧嘩すんのも仲がいいとかいうけどよ。緑谷とお前はどう見ても違ったしな」
「グラウンドベータで殴り合って、分かりあったのかも知んねえな。熱いぜ男らしいぜ!ベタだけどいいぜ!」切島が言う。
「だからもうお前らのことは安心していいのかなーと思ってよ」上鳴が言う。
「余計なお世話だ」
 神野での敵との戦いでオールマイトがボロボロになって再起不能になった。それが俺が敵に攫われたせいだと思うとものすごく辛くかった。
 グラウンドベータでの喧嘩。俺はデクに。デクに八つ当たりしたのか?なんであいつに?胸がざわりと冷える。忘れちまったらいけないものを忘れてるんじゃないのか。
「お前らが仲よかった頃ってのはそういう感じだったのかな」
 切島の言葉に考え事から引き戻される。
「嘘だろって思ってたけどよ。昔は今のお前みたいだったんなら、緑谷の言うことも納得できるぜ」
「ガキの頃は気が合わなくても、近所の奴と遊ぶだろ。成長するにつれ段々気の合う奴と付き合うようになるってもんで。お前らもそんなもんだろって思ってたぜ。でもお前見てると違ったみてえだな」上鳴が言う。「お前は選んであいつといたんだな」
「すっげー、気を許してるもんな。いっつも気を張ってるお前が、見たことねえくらい自然体でよ」切島が言う。
 今なんて言いやがった?話の流の中に聞き流せない言葉があり、俺は問い返す。
「あいつと仲の良かった頃?」
 記憶ではガキの頃の遊び仲間の中に、あいつの顔はない。
「どういうことだ?」
「どうって、俺はお前らから聞いたことしか知んねえんだけどよ」上鳴が言う。
「お前ら幼馴染なんだろ。小学校以前からの。おい、爆豪、待てよ」
 切島の声を背に俺は走り出した。どういうことだ。俺はデクの姿を探した。デクは嘘をついていたのか。この俺に。俺を騙していたのか。ふつふつと怒りが湧きあがってくる。あいつがこの俺を。漸く建物の陰に飯田と連れ立って歩いているデクを見つけた。近くまで駆け寄る。デクが飯田から離れたのを見計らい、肩を掴む。
「おい、デク!」
 デクはビクッとして振り向いた。
「てめえは俺を……」
 と言いかけて止める。騙されていたのかと思った途端頭が沸騰したが、そもそも俺が覚えてないならデクも覚えてないだけかも知れねえ。こいつが俺を騙すわけがねえ。だがなんだろう。こいつに騙されてたと思った途端怒りに我を忘れた。
 デクはおどおどと俺を見つめる。初めから訝しく感じてたが、デクはなんでやたらと俺を怖がってるんだ。強えくせに俺だけにこの態度。釈然としない。穏やかそうなデクのこんな一面を見るたびに心にさざ波が立つ。
「えっと、何か用なのかな」
「何って……、お前」
 どう聞けばいいのか。出久はじっと見つめてくる。見透かすような視線。落ち着かなくなる。こんな眼差しを昔どこかで見たことがなかっただろうか。
「こっち来い。用があんだよ」
「緑谷くん」
 飯田はまた心配そうにこっちを見ている。いつもなんなんだ、あいつ。いらっとする。俺がデクに何かするとでも思ってんのか。
「聞きたいことがあんだよ」
 とデクに言い、手を掴んでクラスの奴らのいるところから引き離す。
「先行ってて」
 とデクは飯田に告げる。寮へ向かう道を歩きながら問う。
「おい、お前は知ってんだろう」
 まず覚えてねえのかどうか、かまをかけてみる。
「何を?」
「聞いたぜ。お前も幼馴染なんだろうが。悪いが俺は覚えてねえ。だけどそんなら、知らねえわけねえよな」
「何を僕が知ってるっていうんだ?」
「俺の幼馴染に無個性の奴がいただろ」
 デクの表情が固まった。目を見開き、ふるふると首を振る。嘘のつけねえ奴だな。これではっきりした。デクは知ってて隠してやがったんだ。
「お前も知ってんだな。そいつの名前わかるか。わかるんなら教えろよ」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「言っただろうが。幼馴染いたって。だけど思い出せねえんだ。顔も名前も。思い出してえんだよ」
「僕は知らないよ」
 デクは目を泳がせる。こいつ、しらばっくれてやがる。寮に到着したが、中には入らずに玄関の脇にある側道にデクを引っ張っていく。校舎と寮の壁に左右を挟まれたこの場所なら、誰にも邪魔されずに二人きりで話せるだろう。
「嘘つけ。顔に書いてあらあ。教えろよ」
 そう言ってデクを壁に押し付け、両肩を掴んで迫る。だがデクは「知らないよ」と言いながらまた目を逸らす。
 こいつ、ぜってえ知ってやがる。なんで隠すんだ。壁に手をついて囲い込み逃さないようにする。
「どうしても知りてえんだ。教えろよ」
「今更だろ。そんな子供の時のことなんか聞いてどうするんだよ」
「会わなきゃいけねえんだ」
「それこそ意味ないよ。今どうしてるかなんて。きっともう生活も違って新しい友達がいるよ」
「お互いそれぞれ友達ができたからもういいなんて、そんな簡単なもんじゃねえんだよ、あいつとは」
「そんな……、ことは」
 何かを言いかけてデクは俯いてしまう。前髪に隠れて表情が見えない。理由、言うしかねえか。仕方がねえ。
「俺はそいつが気に入ってたんだよ。兄弟なんていねえからわかんねえけど、そんくれえ近くに思ってた。いつも側にいたんだ。なのに顔を名前も忘れちまうなんて、どうしてだかわかんねえよ。だけど会いたくてたまらねえんだ」
 憶測だが間違いねえ。でなきゃこんなにそいつが俺の心を占めやしねえ。
「多分好きだったんだ、俺はそいつが」
 俺のだったんだ。という言葉は飲み込む。俺はそう思っていた。心に空いた空洞はそいつに会えば埋められるはずだ。
「そんなわけないよ」だがデクは即座に否定した。「君と彼は仲良くなかったよ」
「てめえ、やっぱり知ってんだな!」
 肩を掴んだ手に力が篭る。出久は「しまった」という顔をして黙りこむ。
「嘘つくんじゃねえよ。いつもつるんでいただろーが。俺は記憶はあんだよ」
「本当だよ。はじめは彼は君を慕って追いかけていたよ。でもだんだんおかしくなっていって……」
 言葉が途切れていったが、デクは溜め息をついて言いにくそうに続ける。
「君は彼を虐めてたんだ。皆みたいに放っておけばいいのに、君だけがずっと。だから彼はもう君に会いたくないと思う」
 頭の中を殴られたように衝撃をうけた。あいつと喧嘩している記憶が映像的に浮かんでくる。喧嘩したこともあるんだろうくらいに思ってた。喧嘩じゃなくて虐めていたっていうのかのか。
「俺はそいつを、嫌ってたのか」声が震える。「なんでだ。憎んでたのか?何かあったのか?」
「君の気持ちなんか知らないよ」
「ならそいつの考えもてめえが決めんなよ!」
 気持ちが抑えられなくなり、俺は怒鳴った。気圧されたようにデクは怯んで守るように鞄を胸に抱える。
「とにかく僕は知らないから」
 おどおどしながらも話をかわそうとするデクにイラつく。声を聞きつけたのか、クラスの奴らがやって来た。「おいどうした」と声をかけられる。その隙に出久は駆け出した。
「おい、待てよてめえ!話は終わってねえ」
「なんだなんだ、爆豪。折角いい感じだったのに、まだ前に逆戻りかよ」
 上鳴が揶揄うように言いながら、俺を引き止める。
「うるせえ!邪魔すんな!クソが!」
 俺達が仲が悪かったとか、デクのこととなると俺は頭に血が上るとか。クラスの奴らはいつも言う。そういうことがあったらしいという記憶はある。だけど、感情は忘れちまった。今そうじゃねえし。いつまでも同じ感情を1人の奴に持ち続けることなんてねえだろ。それともあんのかよ。
 感情を忘れてるっておかしいのか。親に聞くか?いや、それは最終手段だ。なんで忘れてんだって聞かれっと面倒だし、もう学校側の責任とか追求されるのは御免だ。手掛かりはすぐ側にある。逃げられると思うなよ、デク。


3


 昔の夢を見ている。あいつが他のやつを庇って立ちはだかる。また俺に抗うのかよ。俺は怒って殴りつける。
「ダメだよ。かっちゃん。殴られても僕は聞けないよ」
 あいつは頭を庇いながら弱々しく言い返してくる。
「てめえ!俺に逆らって他の奴の肩を持つのかよ」
 そんなのありえねえだろ。怒りのあまり、手を伸ばしてあいつの肩を掴んで地面に引き倒す。庇ってた奴は一目散に逃げた。
「あの野郎、てめえを放って逃げたぜ。ざまあみろ」
 笑ってやろうとあいつの顔を見下ろす。だがあいつはホッとした顔をしている。驚いて、次に腹が立った。服を掴んであいつの名を叫ぶ。
 けれども、名前を呼んで罵倒しているはずなのに、自分の声なのに、なんて呼んでるのか聞こえない。顔を近づけてるのに、靄のかかったように顔がわからない。
「無個性のくせに生意気なことすんじゃねえ!何にもできねえくせに」と俺は怒鳴る。
 怒りと憤りとで胸が潰れそうに苦しい。
 ふらふらと足が向いてあいつの住んでる団地の前に来る。静まり返った階段を登る。昨日も今日もあいつは公園に来なかった。
 今までどんだけ小突いても、べそかきながら俺の後をついてきやがったのに。ドアの前に立って呼ぶとあいつはすぐに出てきて、俺をヒーローを見るみたいにきらきらした目で見ていたのに。
 あいつが側にいるから俺は自分がヒーローだと思えたんだ。今までと何が違うっていうんだ。あいつが、無個性だからか。それを認めたくねえからか。自分が納得できねえからって。俺を巻き込むんじゃねえよ。大抵の奴は大した個性持ってねえんだ。たとえてめえに個性があったとしてもどうせ大したことねえに決まってんだ。逆らったりしないで俺の後ろをついてくりゃいいだろーが。弱い奴は強い奴に付いてくるもんだろ。虎の威を借るっていうじゃねえか。
 ドアの前に立つ。呼び鈴を押そうとして躊躇する。この扉の向こうにあいつがいるのに。 名を呼ぼうとしても声が出せない。なんで俺があいつを呼ばなきゃいけねえ。なんで俺が追わなきゃいけねえんだ。怒りなのか憤りなのか。なんなんだ胸に渦巻くこの嵐は。悲しいのか俺は。


 目を覚まして飛び起きた。今あった出来事であるかのようにリアルだ。あれは過去に確かにあった出来事だ。映像的な記憶でしかなかったのに。 家に来たのにドアを開けなかった。あの時俺は開けられなかったのか。
 くそっ、目を覚ます直前に名前を呼べばよかった。思い出せたかも知れねえのに、畜生。なんて呼んでたのかその名前がわからない。想い出そうとしても顔が思い出せない。現実に起きた出来事だという認識はあるのに。なんて苦しい記憶なんだ。苦しくて辛くて胸が締め付けられるみてえに痛え。
 なのに僅かに手掛かりを得たことに心が変に甘く騒めいている。俺の感情が手掛かりだ。
 デクと話すようになってから何故か、昔の記憶に付随していた感情が次々と甦ってくる。色のないモノクロの下書きに鮮やかな彩色がほどこされるように。
 夢の中のあいつは誰なんだ。なんでこんなにも胸が痛いんだ。顔も名前も知ってるはずなのに。なんでそいつのことをデクは隠すんだ。やっぱりデクから聞き出してやる。
 聞き出して探しだして会いに行く。今更だろうが何だろうが構うものか。会えばなんとかなんだろ。
 あいつの言うように俺はなんでも持っていた。あえて欲しいものなんて何もなかった。欲しいものは目に見えないとあいつは言った。名声や栄光や人望は目に見えないけれど儚いものだ。人の秤で測るものなんか欲しくねえ。
 欲しいものなんてなかったんだ。あいつは俺のものだったから。思う前に既に俺のものだったから。あいつを無くして初めて気づいたんだ。今の俺が欲しい唯一のものははっきりと目に見えるし触れられた。確かな体温と歪な心と危うい魂を持った一人の人間なんだ。


「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを。この和歌の現代語訳を答えろ。はい、八百万」
 一時間目は古文の授業だ。相澤先生に当てられた八百万は、起立してきびきびと答える。
「あの人があれは真珠ですかと尋ねた時に、露だと答えて自分も露の如く消えればよかった。そうすればこんな思いをせずにすんだのに、という訳です」
「はい、正解。伊勢物語の中では見分違いの想い人を連れて逃げたものの、目を離した隙に鬼に食われたという話だ。追手に想い人を連れ戻されたのが真相らしいな。平安期当時に実際にあったスキャンダル事件が元らしい。 この歌は「新古今和歌集」と「伊勢物語 芥川」に収録されている」
「先生、なんで歌集と物語なんて別々の本に同じ歌が入ってるんですか」手を上げて芦戸が質問する。
「和歌の作者は在原業平だ。彼は「伊勢物語」の主人公のモデルといわれてる。伊勢物語の成立は平安初期、新古今和歌集鎌倉時代初期だから伊勢物語が書かれた方が先だ。時代を越えて同じ歌を掲載したってことだな。在原業平は人気のある歌人だから多くの歌が残っているんだ」
百人一首のちはやぶる、も在原業平ですよね」挙手して八百万が口を挟む。
「そうだ。彼は色好みで有名だったりするが、学はないが才能があり政治の中枢にいたらしい。平安時代歌人界ではいわばヒーローだな」
「ヒーロー……」と後ろで呟くデクの声が聞こえる。てめえ、ヒーローなら何でもいいのかよ。
 授業が終わり、俺は後ろの席を振り向いた。デクがビクッと震えて椅子を引く。
「な、何?」
「おい、てめえに聞きたいことが……」
 と声をかけた途端に視界がぐらりと揺れた。脳裏に次々と記憶がランダムに浮かんでは重なりあう。フラッシュバックって奴か、これは。くそ!頭が混乱する。立ち上がった拍子にがたんと椅子が倒れた。足元が揺れ、立っていられなくなって四つん這いになり、床に手を付く。
 砂利が指に触れる。冷たい。水の中だ。頭が痛え。身体が痛え。布が肌に張り付いて気持ちわりい。頭上にある丸木橋から脚を滑らせたんだ。
 上から遊び仲間達の声が降ってくる。「大丈夫だよな」「かっちゃん強いもん」と言いながら奴ら笑ってやがる。ムカつきながら「大丈夫」と虚勢を張って不敵に笑みを浮かべて見せる。
 大丈夫なわきゃねえだろ馬鹿野郎。冷てえし痛えよ。誰も来やしねえ。俺は強いからって心配してねえんだ。それとも濡れんの嫌だからかよ。
 背後からばしゃばしゃと水をかく音。
「大丈夫?頭とか打ってたら大変だよ」と差し出される小さな手。
 ああ、あいつか。俺は嬉しくなった。だが嬉しいと思った自分に腹が立った。
 俺は期待してた。奴らは来てくれるんじゃないかと。けれども期待は裏切られた。だがそんな風に感じるのは甘さだ弱さだ。誰でも自分が大事なんだ。俺は大丈夫だ。ひとりで立てるんだ。薄情な奴らにだって余裕で笑ってやれんだ。
 なのにあいつだけは手を差し伸べた。その手を取ったりしたら俺は。俺はあいつを。
 視界が暗くなり薄闇が広がった。脳裏の記憶の場面が変わったのだ。
 地面を叩く土砂降りの雨の音がうるさい。薄暗い放課後の教室の中。着ているのは中学生の詰襟の制服。俺はあいつを床に押し倒して押さえつけている。
 俺を「爆豪くん」なんて呟くのが耳に入ったからだ。たどたどしい口調で聞きのがしそうな小さな声で。途端に頭が沸騰した。
 捕まえて誰もいない教室に引き戻し、床に組み敷いた。咳き込んだあいつがヒュウっと息を吸い込む。
「てめえが俺を苗字で呼ぼうなんてよ。生意気なんだよ」
「だって、かっちゃん、なんて皆もう呼んでない。おかしいよって」
「誰に云われたのか知んねえが、俺に指図すんな、クソが。だからてめえはいつまでも」

 今の俺は苗字か名前の呼び捨てで呼ばれてる。ガキの頃俺を「かっちゃん」と呼んでた奴らとはもう交流がない。たとえそいつらが呼び名を変えてたってなんとも思わない。だがてめえは駄目だ。
 てめえは呼び名を変えることで、俺との間に壁を築こうとしてんやがんだろ。てめえが自覚してなくたって、そうしようとしてやがるのはわかってんだ。
「てめえの思いどおりにはさせねえ。今度苗字で呼んでみろ。ただじゃおかねえ!」
「なんでそんなに怒るんだよ、かっちゃん」
「黙れよ。てめえは俺の言うとおりしてりゃいいんだ」
 次から次へとふざけやがって。これ以上俺をどれだけ虚仮にすりゃあ気が済むんだ。理想のヒーロー像を追うこいつの言うことは綺麗事だ。てめえ勝手な理想像を押し付けて、俺に指図しやがるから腹が立つんだ。腹の底ではこいつが正しいと思っちまいそうになるからこそ認められねえ。俺に逆らうなと苛立って苛んで。次第にこいつが俺を避け始めて。姿を見るだけで胸が抉られるくらい苦しくなって。俺にこんな思いをさせるこいつを許せるわけがねえ。
 こいつは怯えきった表情を浮かべているはずだ。なのにどんなに凝視してもやはり顔がわからない。見ているのに認識できない。
 腰をこいつの下腹に降ろして馬乗りになる。太腿の下に押さえ込んだ身体の感触。服越しに触れ合ったこいつの局部の体温を感じる。弾力のある膨らみ。勃起しそうになった。慌てて腰を浮かす。
「かっちゃん?」
 表情は読めないが怯えた声。まさか勘付いたのか。唾を飲み込んで見下ろす。今頃になって気づくなんて。
 てめえに見透かされて見下されてると思いこんだのは。いつも目が姿を探してしまうのは。他の奴らは近づこうが離れようが平気だったのに、てめえだけは離れるのが許せなくて追いかけちまうのは。他の奴にどう見られたって何を言われたって気にならねえのに、てめえにだけは腹が立つのは。捻じ伏せて従わせて意のままにしたいなんて欲求に支配されちまうのは。
 やっと理解した。俺はてめえが欲しいんだ。欲しくて欲しくて堪らないんだ。好意なんてもんじゃない。情欲そのものだったんだ。苛立って追いつめて、今頃自覚するなんて。気づかなければよかった。今更手に入れるなんて不可能だ。散々傷つけたんだ。こんなに拗れてしまってはもう手遅れだ。こいつが俺を受け入れるはずがない。もっと早くに自覚していたら違ったんだろうか。どちらにしろ叶うはずなんてねえ。こいつが知ればきっと俺を憐れんで蔑んで見下しただろう。そんなことには耐えられねえ。こんな感情をこいつに知られたら俺は。俺は。
 記憶の混濁。脳が揺れるような目眩。こみあげるものに耐え切れず俺は嘔吐した。昼前で胃はからっぽだったからか胃液しか出てねえか。周りが「うわっ」と驚いて引いているようだ。咳き込んで口を拭う。「雑巾取ってくる」と誰かの声がする。
「大丈夫?」
 とデクが駆け寄り手を差し出した。幼い頃の映像がフラッシュバックする。差し出された小さな手。この手じゃねえか。怒りが沸いた。立ち上がり、デクに掴みかかって机の上に引き倒した。デクは怖がりながらも案じるように俺を見上げる。
「そんな目で俺を見てんじゃねえ」俺は怒鳴った。
「おい、なに怒ってんだ。落ち着けよ」「どうしたんだ、爆豪くん」切島と飯田がユニゾンで話しかけてくる。
「うるせえ!こいつは……」
 答える前に足が縺れ、目が回ってデクの上にふらりと倒れ込んだ。身体を滑ってずるずると床に頽れる。
「だ、大丈夫?」
 薄れゆく意識の中で、俺を呼ぶデクの声が幼い声と重なる。デクの顔が認識できなかった幼馴染の顔と重なる。押し寄せる記憶の奔流と甦る感情に意識が呑まれる。
 てめえだったのか。やっぱりてめえだったんだな。俺をこんな風に苛立たせる奴が何人もいるわけがねえんだ。憎くて辛くて腹が立って、惹かれて焦がれて求めていた。凪のように落ち着いていた心が逆巻き渦を巻き嵐になる。ああ、これだ。俺はずっと昔からこの感情と共に生きてきたんだ。凪の日なんて一度としてなかったんだ。てめえに会ってから一度だって。
てめえが、出久だ。


 あの日。
 学校の門の前でヴィランに襲われて、保健室に担ぎ込まれたあの日。目が覚めたら俺はベッドに寝かされていた。手当は済んでいて、ヴィランは撃退されて、俺は救出されたのだと聞かされ、教室には戻らずそのまま寮に帰った。俺一人だと、そう思っていた。
 だが違ったのだ。あの場には出久も共にいた。あの時保健室で何があったのか。抜けていた記憶が蘇ってくる。
 保健室に運ばれていく道中に俺の意識は戻った。出久は担架に乗せられ並走して医療ロボットに運ばれてる。大きな身体の先生に背負われてる俺を心配そうに見上げる大きな瞳に腹が立った。
ヴィランはどうなった」
 隣を歩いている相澤先生に聞くと、先生はサングラスを上げて俺を見た。
「気づいたか、爆豪。奴は拘束して警察に引き渡したよ。全く、お前らは厄介だな。次から次へと」
「お前の生徒はどうなってんだ、相澤。飼い主に似ちまったんじゃねえか」
 俺を背負った先生が豪放に笑う。
「俺じゃない奴の方に似たんだろう」相澤はぼそっと答える。
 飼い主ってなんだよ、クソが。躾けられてたまるかよ。
「かっちゃん、背中大丈夫?」出久が口を開く。
「痛えわ、クソが」
 変色した出久の右腕が目に入り、苛ついた。結局またぶっ壊したのか。
「ごめん……、僕のせいで」
「それ以上喋んな。胸糞わりい」
 保健室に到着すると、俺は着ていたコスチュームの装備を外され、ベッドに俯せに寝かされた。背中の傷を治してもらったおかげで痛みは引いた。
 出久が何処にいるのか気になった。身体を起こしたものの、治療の副作用で脱力感に襲われる。カーテンで仕切られた隣のベッドにいるのか。確認しようにも足に力が入らないので立てない。仕方なくまた横になろうとすると、誰かがカーテンを開けた。
 背の高い痩せた男。まだ見慣れない、オールマイトの真実の姿。
「あんだ?オールマイト
「すまない。まだ教室に戻らないで少し待っててくれ」
「言われなくても、しんどくて動けねえよ」
「そうかね。では、すぐに来るから」
 と言い、オールマイトはカーテンを閉めた。背中は痛くなくなったので俺は仰向けに寝転ぶ。 一人になると思うのはいつもムカつく幼馴染のこと。あいつがオールマイトから力を貰ったのだということ。俺の知らないところで。
 カーテンの向こう側でひそひそと保健室のババアとオールマイトの声が聞こえる。
「これっきりならいいんだけどね」
「ああ、そう望みたいものだが……。さてどうしたものか」
 オールマイトの困ったような声音。カーテンの向こうから出久の声が聞こえてくる。
オールマイト、かっちゃんは大丈夫なんですか?あ、こんにちは……。ええ!?」
 やはり隣のベッドには出久がいるらしい。カーテンの隙間からベッドに腰掛けているあいつが見える。腕と片足に包帯を巻かれている。あいつ、全力でぶっ放すとか、馬鹿か。指くれえにしとけよ。オールマイトの側にもう一人いるようだな。セラピーヒーローの誰それとか出久が言ってるのが聞こえる。興奮して声が上ずってやがる。あのヒーローオタクめ。クソが。
「やれやれ、君も無傷ではないんだぞ」
「すいません、オールマイト。でも僕は大したことないです。足は治してもらったし。僕はかっちゃんに吹っ飛ばされて助かったようなものだから……。かっちゃんは?」
「爆豪少年の背中の打撲傷は治したよ。コスチュームのお陰で外傷はなかったしね。治療で体力は消耗してるだろうけど」
「コスチューム……。かっちゃんはちゃんと危険に備えて用心していたんだ。僕がついていったりしなければ」
「君がいなければ、爆豪少年はヴィランにひとりで対峙することになっただろう。彼を1人にしなかった君の判断は間違ってはいないよ」
「かっちゃんは僕を庇ったんです。こんなことになるなんて……。こんなの、彼らしくない」震える声で出久は続ける。「きっと秘密を知ったからなんだ」
 あの野郎、何言ってやがる。庇ったとか寝言ってんじゃねえよ。てめえのためじゃねえわ、自惚れんな。オールマイトに借りがあっからだ。
 オールマイト。希望の象徴。グラウンドベータでの対決でオールマイトが現れた時、出久が後継者だと知った時、もう出久を取り戻せないのだと理解した。どんなに足掻いても、もう二度と手に入れることはできないのだと。いつ死んでも不思議じゃない生き方をあいつは選んでしまったのだ。俺の目の前でオールマイトが辿った道をあいつも歩むのだ。「ワン・フォー・オール」という得体の知れない何かに、あいつを永遠に奪われてしまったのだ。ほんの一瞬目を離した隙に。
「僕が油断したせいだ……。こんな風にかっちゃんが傷つくなんて、耐えられない」
 出久が声をつまらせる。べそかいてんのかよ。ほんっとガキだな。以前出久の前で号泣した自分のことは棚上げにする。
「捕らえたヴィランは白状したよ。他の生徒を拉致したなら学校への脅迫、爆豪少年ならヴィラン連合に引き渡す所存だったらしい。彼は例の神野の事件以後も、いまだヴィラン連合に目をつけられているようだな」
「そうかも知れません……。ヴィラン連合のボスに僕との因縁を知られてるのかも」
「言いにくいことなんだが……」オールマイトは続ける。「こういうことが度重なると、彼から秘密が漏れる可能性を考慮しなければならない」
「そんなことない。かっちゃんは大丈夫だよ!オールマイト!」
「また敵に遭遇して、彼が捕まるようなことがあれば危険なんだ。大切な秘密なんだよ、緑谷少年。彼の身も君の身も危険に晒すことになる」
「そんな!そんな……、なんで。僕がかっちゃんに喋ったりしたから……」
 苦しげな出久の声。んだよあいつ、ずっと俺に隠しおおせるつもりだったのかよ。てか、秘密は俺が自力で暴いたんだろ。てめえが口を滑らしたりしなくても情報を総合すりゃ、俺はきっと気づいたはずだ。どんだけ長い付き合いだと思ってんだ。
「秘密を知る者達で相談したんだが」オールマイトが言う。「保安のために彼の記憶を少しだけ操作することにするよ」
「秘密を忘れさせるんですか」
 どきりとした。何を言ってやがる。
「いや、彼は勘がいい。今の私の状況とヴィラン連合との会話。君が無個性であったこと。君の個性がますます私に近づいてきたこと。そして、何よりも彼の君への執着。たとえ一時的に忘れさせても手がかりを総合すればまた気づくかも知れない」
「そう、ですね。かっちゃん頭いいから。だったらどうするんですか」
「まず今日のことと、君が彼に喋った真実と、君が無個性であること。その他に過去に付随した君に抱いていた感情も、対象にせざるをえないだろう。無個性だった以前の君と今の君との間に繋がりがなければ、彼も疑わないだろうからね。」
「そんな!僕らは幼馴染で付き合いは長いんですよ。そんな長い期間の記憶を弄るなんて。大丈夫なんですか」
「記憶を消すわけじゃない」
 聞き覚えのない男の声がきこえる。セラピーヒーローとやらだろう。
「頭の奥にしまわれたものに表からアクセスできなくなるだけだ。昔の出来事や名前や顔が部分的に思い出せなくなるようなものだよ。普通によくあることだろう。それだけだよ。記憶を完全削除することもできるが、現実との弊害が出る可能性があって危険だからな。余程のことがなければ使わないことにしている」
「というわけだ。最小限の記憶と過去の彼への感情だけを対象にお願いする。そんな顔をしなくていい。心配ないよ。彼はその世界の第一人者だからな。君への拘りがなくなったと知れば、ヴィラン連合も彼を狙わないだろう」
「そう……ですか」
 あいつら、何言ってんだ。俺のいねえところで何勝手に決めてやがんだよ。カーテンが開けられた。顔を出したのは見覚えのないヒーローとオールマイト
「一体何言ってるんだよ、あんた」
「聞いていたんだろう、爆豪少年 。君なら理解できるだろう。こうしないと危険なんだ」
「俺がかよ。デクがだろ。あいつのせいで俺までとばっちりかよ!」
「最低限の処置だ。秘密の記憶と無個性だった緑谷少年への感情。それだけだよ。今までの記憶自体はほぼそのままだが。おそらく今の緑谷少年と昔の緑谷少年を別の人間だと思うようになるだろう」
「嫌だ、ぜってえ嫌だ!」
 ふざけんなよ。今の出久だけじゃ足りずに、この上過去の出久まで奪うつもりなのかよ。あいつへの感情が俺の頭の中にどれだけの大きさを占めてんのか知らねえくせに。苛ついて苦しくて腹が立って。でも絶対になくしたくないものなんだ。脱力感で身体を起こせねえ。畜生!
 必死で腕を伸ばしカーテンを掴んで引っ張る。翻ったカーテンの向こうにベッドに腰掛けた出久がいた。辛そうな顔で俯いている。てめえは忘れてほしいのかよ。昔のこと何もかも。
「デク!俺はてめえを絶対許さねえ!」
 感情が昂ぶって涙が溢れる。泣きながら、出久を睨んで叫ぶ。
 セラピーヒーローの大きな手が頭を掴んだ。目の前が白い靄に覆われる。出久の顔が霞んでゆく。俺の方を向いて俺の名を呼ぶ声が、音が遠くなる。頭の中も雲に覆われたように白く塗り替えられていった。


4


 目が覚めた。周囲を仕切る白いカーテン。保健室だ。セラピーヒーローはもういないようだ。
 いや違う、あれは失われていた記憶だ。今日俺は授業中にフラッシュバックが起こって意識がなくなって、全て思い出したのだ。何があったのかを。何をなくしていたかを。
 ベッドの側の椅子に出久が座っていた。俯いていた顔を上げて俺を見る。
「かっちゃん、大丈夫?」
「この野郎!クソが!」
 俺は出久に掴みかかった。襟元を掴み引き寄せて怒鳴る。
「デク、俺はてめえを許さねえ!」
「記憶、戻ったんだね……」
 一瞬安堵の表情のようなものを浮かべた出久は、抵抗もせず俺の為すがままだ。
「あいにく戻ったぜ、デク。全部な。ふざけたことしやがって」
「ごめん、仕方なかったんだ」
 デクは目を伏せて言う。
「仕方ねえ?よくもてめえぬけぬけと!てめえ!」
 拳を握って振り上げた時、誰かがカーテンを開けた。
「やれやれ、騒ぐのはよしとくれ」
 呆れた顔でリカバリーガールが入ってくる。後ろに椅子に座ったひょろ長いオールマイトの姿が見える。
「彼のせいではない。悪いのは私達だ」
 オールマイトは立ち上がり、両腕を広げた。俺は出久から手を離して身構える。また記憶を弄るつもりかよ。そうはさせねえ。
「自力で記憶と感情を取り戻すとは驚いたタフネスだな、君は」
 とオールマイトは困りながらも感心しているような口調で言う。
「一時的な記憶混濁とクラスメイトには教えていた。操作した過去は忘れたまま、日常になっていくだろうと、そう目論んでいたんだが」
「生憎だったな。脳みそに手突っ込んでかき混ぜるようなことしやがって。それがヒーローのすることかよ」
「ああ、そうだな……」オールマイトは頭を垂れる。「本当にすまなかった。度重なるヴィランからの襲撃に、過敏になっていたかもしれない。君にはとても悪いことをしてしまった。君達の関係的にもその方がいいかもと思ってしまったんだ」
 わかってねえよ。あいつは俺にとってそんなんじゃねえんだ。頭が沸騰しそうだ。奪われるところだった。デクへの感情を。どんなに苛ついて苦痛であっても、それだけはどうしても失いたくないものだ。
「俺の記憶だ。俺だけのもんだ。誰にもいじらせねえ。こいつは無個性であんたから力を貰った。それがどうした。他の誰にも言わねえし、また捕まったりしてもぜってえ口を割ったりしねえ」俺は出久を睨みつけて続ける。「もう2度と捕まったりしねえけどよ。クソが」
 出久は口を開きかけた、だが何も言わないで目を伏せる。
 チャイムが鳴った。
「緑谷少年、もう授業に戻った方がいい。彼のことは心配ない」
「はい、あの、後で話したいです。オールマイト
 出久は振り返りながら、保健室を出て行った。オールマイトは出久の座っていた椅子を引き寄せて座る。
「君は自己分析が苦手なようだね。彼への感情がどこから来たのか在り処を探してみるといい」
「自分の感情くらいわかるってんだ。あいつに苛つくってことくらい」
「君は緑谷少年の記憶を無くしていたとき、彼に苛ついてはいなかっただろう。むしろ頻繁に彼に近づいていた。意外だったけれど、あれが君の素のままの感情なんだろうね。君は彼自身に苛ついているわけではないんだよ。むしろ……」
「ちげえよ!」俺は怒鳴る。「ムカつくもんはムカつくんだ。それに、積み重なったあいつへの感情を忘れて、初めは和やかな関係でもよ、結局は同じ轍を踏んだかも知れねえぜ」
「ああ、そうなったかもしれないね……」オールマイトは立ち上がりベッドに歩み寄る。「爆豪少年、緑谷少年は君らしくない行動だと言っていたけれど、君はいきなり緑谷少年を庇うようになったわけではないんだろう。USJヴィラン襲撃の時、君はワープヴィランに襲われかけた緑谷少年を救った。期末試験の時は、私が出口に向かう彼を狙った時に盾になっただろう。君がヴィランに攫われた時に、来るなと緑谷少年に言ったそうだね。それも負傷していた彼を案じたから言ったんじゃないのかな」
「はあ?何言ってんだよ、オールマイト
「私は、君は君らしい行動を取ったのだと思っているよ」
「俺は別にデクを助けようとしちゃいねえ。身体が勝手に動いちまっただけだ」
「身体が勝手に、か。君達は似てるところがあるね」
「冗談じゃねえ、デクなんかと俺のどこが似てるってんだ。あんなムカつく奴と」
 オールマイトの手が俺の頭を撫でる。力強く温かな大きな手。力を出し尽くし、トゥルーフォームではなくなっても人を安心させる存在。
「だが君の行動に緑谷少年は気づいてないようだ。君への思い込みが強いからだろう。君に嫌われていると思ってる。だから自分を助けた君の行動を、らしくないと思ってしまうんだよ。君たちは二人とも賢くて理性的なのに、お互いのこととなるといつも思い込みが激しくて感情的になってしまうね」
「へっ、俺はいつでも理性的だ」
 ぶんっと頭を振って大きな手を振り払う。
「君は彼に伝わらなくてもいいのかい」
「別にねえよ。あんたの勘違いだ。俺はあいつなんか」
 指が痛い。 シーツを強く握っていたのに気づく。
「仮にそうでもデクに伝えたいことなんざねえ。伝わらねえ?それがどうした。あいつがどう思ってようが、そんなことどうだっていい」
「本当にそう思っているのかい?」
「そうだっつってんだ!しつけえよ。あんたも戻れよ、オールマイト。一人になりてえんだ」
 溜め息を吐くとオールマイトは入り口の方に歩み去る。ドアを開ける音の後、「緑谷くん、まだ行ってなかったのか」と驚くオールマイトの声が聞こえた。「オールマイト、あの」と慌てる出久の声。
 んだとあいつ!急いでカーテンを引いてドアの方向を見る。おどおどした様子の出久が立っていて、俺にびくついた視線を向ける。聞いてたんじゃねえだろうな。
「クソが。デク、立ち聞きしてたのかよ」
「聞いてないよ。今来たんだ。大丈夫なのかと気になったから。どうしたの?」
「うぜえんだよ!さっさと教室に戻れよ!」
 俺を心配してんじゃねえよ。てめえはよ。怒鳴り散らして布団を頭から被る。
「では、私も行くことにするよ。気分がよくなったら教室に戻っておいで。行こう、緑谷少年」
 二人の足音が遠ざかる。あの時のことが思い出されてくる。夜中にヴィランが襲撃してきた時のこと。拳を握りこむ。頭の奥深くに封じられていた、開放された記憶。


 あの夜遅く、一人で買い出しに行こうと校外に出ることにした。気がくさくさして、学校の外の空気を吸いたくなったのだ。
 共有スペースの窓から覗くと、寮の庭で出久がトレーニングをしているのが見えた。オールマイトの後継になるために。舌打ちする。誰が言っていたのか、共有スペースで寛いでいた時のクラスの奴らの言葉を思い出す。どういう文脈で出久の話になったのか。
「爆豪が緑谷に拘る気持ちわかるぜ。ボロボロになってそれでも逃げねえで必死でかかっていく。しかも自分のためじゃなく人助けのためだけに。強えっていうよりかなわねえわ」切島が言った。
オールマイトへの憧れなんだろうけど。あとさ、俺らをよく見てるよな。個性も生かし方も俺ら以上に考えてるみてえだし。俺らを信頼するよな。ちょっと嬉しいつーかさ」上島が言った。
「お前さ、あいつにただ一人信頼されねえ気分はどうだ」切島がいきなり話を振ってきた。「神野の事件の時もさ、ああ、怒んなよ爆豪。あいつ作戦立てたくせに、自分だとお前が手を取るの躊躇すんじゃないかって、俺にまかせたんだぜ」
「うぜえ。どうでもいいわ」
「会ったのが高校からならよかったかもなあ、お前ら」切島がため息を吐いた。
「だな。すぐ理性が吹っ飛ぶような関係じゃなく、お前と轟くらいのほどよい距離感でいられたんじゃねえか」上鳴もうんうんと頷いて言った。
 なかなか出久の話題が終らないばかりか、俺に飛び火してきた。おまけに神野の失態まで蒸し返してくる。ムカついて「うるせえ!」と怒鳴り共有スペースのソファから立ち上がる。
 去り際にまだあいつらが出久の話をしているのが聞こえた。
「でもよ、あいつ危なっかしいよな。怪我も痛みも恐れねえから。強え相手に引くことをしねえから。死を恐れないって、時々怖えと思うよ」
「ああ、怖え。傷ついて、ある日登校したらあいつがいないとか思うと、たまんねえよな」
「あんな生き方してたらいつ死んでもおかしくねえよ。怖くて堪んねえよ」
「ヒーローってそういうことなのかも知れねえけど。あそこまでしなきゃいけねえのかな……。あいつに会うまで考えたこともなかったぜ」
 部屋に戻り、コスチュームを取り出す。念のために備えておいた方がいいだろう。コスチュームを着込んで寮の玄関を出ると、トレーニングあがりの出久と鉢合わせした。
「あれ?コスチューム着て、どうしたの」俺に気づいて出久が言う。
「なんでもねえよ。ちょっと外に出るだけだ」
「敷地外に出るってこと?1人で夜歩くなんて危ないよ。またヴィランが出たら」
「だからコスチューム着てんだろ!出やがったら返り討ちにしてやる」
「僕も行くよ」
「はあ?なんでてめえまでついて来んだよ」
 なんか察知しやがったのか。 いつも遠巻きにしてやがるくせに、こんな時ばかり寄ってくるんだよな、てめえはいつも。
「イラつくな。俺を庇ってるつもりかよ」
「そんなつもりじゃないよ」
 自然と早足になった。出久は遅れることなくついてくる。「待ってよ」と俺を懸命に追いかけてきた幼い姿は遠い昔だ。
「今、何か門の方向で光らなかった?ねえ、かっちゃん」
 出久がなんか言ってるが無視する。気になるのかまだぶつぶつと話し続けている。「車かな?でも一瞬だったし。学校は民家から離れてるし」
 岩場の演習場を過ぎて校庭を抜け、門の前に到着後した。当然だが鍵がかけられている。高く聳える門を見上げて爆破で飛び越える。出久も俺に続いてジャンプしてきた。門を越えたものの、出久は着地でバランスを崩しふらっとよろける。
「ばっか」
 俺はにやっと笑う。俺の真似しやがっても、てめえはまだまだだな。
 ふと、ざわっと周りの木々が動いたような気がした。
「なんか、おかしいよ。かっちゃん。街の灯りが点ってるはずなのに真っ暗だし。戻ろうよ」
 立ち上がり、辺りを見回して出久がそっと囁く。
「うっせえ、静かにしてろ」
 何かがいるのは確かだ。神経を研ぎ澄ます。目の端にうごめく気配。
「なにこれ、蔓?痛っ!」
 いつの間にか出久の足元にざわりと伸びてきた影が、足首に巻きついていた。 蔓はするすると出久のふくらはぎにまで伸びて締め上げ、更に膝に伸びる。出久は蔓を引き離そうとしながら苦悶の表情を浮かべている。
「クソが!おい、爆破すっからすぐ足引っ込めろよ」
「う、うん。ああ!」
「チイッ」
 俺は蔓を爆破して焼いた。だが蔓は少し焦げるもののなかなか千切れない。思い切って出力を上げて爆破する。反動で出久は吹っ飛んで門にぶつかった。
「踏ん張りが足んねえぞ、デク!クソが」
 蔓は焦げた部分を残して、闇の中にするすると引っ込んだ。ざわざわと闇が蠢く。いつの間にか何かに囲まれてしまったようだ。
「おい!このクソナードが」と出久を振り返り、駆け寄る。
 出久の息が荒い。足が変な方向にひしゃげている。さっきの蔓に締めあげられた時に折れでもしたのか。出久は立ち上がろうとしたものの果たせず、よろけて門を背にしてしゃがみ込む。
「クソが!立てねえのか」
「うん、かっちゃん、君が戻って誰かを呼んできて」
 ひゅん、と背後で風を切る音がした。咄嗟に座り込んでる出久に覆いかぶさるようにして門に手をつく。鞭のように伸びた蔓は俺の背中を殴りつけた。
「ぐはっ!クソが」
「かっちゃん?」
 さらに2本目の蔓が背中に叩きつけられる。くそ!これは悪手だ。門の向こうに出久を投げてやりゃあよかった。もうここからどくこともできねえ。この足手まといが。
「なんで?何してるんだ!かっちゃん、君らしくないよ!」
「てめえはオールマイトの後継者って奴だろうが」
「そんな、そんなこと関係な……」
 何本もの蔓が背中を殴る。コスチューム着てなけりゃ立ってられなかっただろう。立てない上に普段着のデクじゃ到底耐えられない。
「どいてよ、かっちゃん」
 いい気味だ。いつもてめえがズタボロになるたびに、俺がどんな気分になるのか、ちったあ思い知ったかよ。傷だらけになっても俺に手を伸ばすてめえに、そんな時ばかり近寄ってくるてめえに、俺がどれだけ。あいつら、時々怖えだと。昔から俺はいつも怖えんだよ。いつ死んでもおかしくねえ。怖くてしょうがねえなんて今更だ。そんな奴を俺はずっと。
「僕を置いて行ってよ、かっちゃん」
「はっは!てめえがついてきたんだろ。いつもは俺から絡んでいかねえと、お前からは絶対こねえのに」
「だって君はすぐ怒るから」
「てめえがムカつくからだ。最近俺が絡まねえからって安心してんだろ。てめえは」
「かっちゃん、そんなこと言ってる場合じゃ、かっちゃん!」
 言い合う間にも蔓は俺の背を打ち据える。出久が慌てて拳を構える。何やってんだ。出力はあっても腕は2本しかねえだろうが。やるなら指だろうがよ。
「無駄弾撃つんじゃねえよ、クソが。蔓は固えし攻撃的しても何本でも生えてくる。こう暗くちゃあ、敵が何処にいんのか見えねえだろうが」
「でも、このままってわけにはいかないじゃないか」
「俺が閃光弾を放つ。チャンスはそん時だ。一瞬だ。目凝らして敵の位置をよく見ろよ。目瞑ったりしたら承知しねえ」
「わかったよ」出久はこくりと頷く。
 背中が痛え。痛みを堪えて振り向き、手をパンっと合わせる。閃光弾の眩い光が辺りを包む。腹に蔓が叩きつけられた。息が詰まって咳き込む。姿勢を戻して倒れないよう壁に手をついて脚を踏ん張る。
「かっちゃん、君は……」
 出久の声が震えている。暗くて定かじゃないが青ざめているんだろう。
「やれ!クソバカ!」
 我に返った出久が拳を握りこんで構え、肘を引いて突き出す。背後で轟音が響いた。轟音に混じって耳に届く野太い悲鳴。
「やったか」
「うん。多分。かっちゃん、やったよ!」
 出久の声が弾む。
「よ、し」
 ほっとして力が抜け、足元から崩折れて出久に覆いかぶさる。闇に包まれていた道路を街灯の光が照らす。
「かっちゃん!」
 うるせえよ。耳元で叫んでんじゃねえよ。壁の向こうからバタバタと幾人かの足音がして門が開かれた。
「かっちゃん、かっちゃん!」
 身体の下に出久の声を聞きながら気が遠くなる。離れていったのはてめえだ。そのうち戻ると高をくくっていたのに、結局いつになっても戻ってきやしねえ。てめえは俺のなんだ。ころころと犬っころみたいについてきたくせに。物心つかねえずっと昔からそうだったくせに。俺を避けてるくせに目の前をちょろちょろしやがって。オレが弱ってぜってえ顔を見られたくない時ばかり、てめえから寄ってきやがって。側にいろよ。ずっと俺のもんだったのに離れんなよ。側にいたくねえなら俺の目の届くところから完全に消えろよ。目の届かねえとこなんかに行くなよ。どこにも消えんなよ。
 こんな混乱した気持ちを、伝えるべきなのか。伝わらねえからこうなんのか。あいつにだけは知られたくない。知られてたまるものか。



 橙色に染まった部屋の中で目が覚めた。
 もう夕暮れになったのか。オールマイトや出久が来た時は意識は戻ったはずだが、いつの間にかまた眠ってしまったらしい。窓の外を眺めると帰宅する生徒達の姿が見えた。とっくに放課後になっていたようだ。クラスの奴らも帰ってるかもな。出久も。
 轟の言う通りだ。自分で自分が気味がわりいぜ。出久と普通に接していたなんてよ。
 リカバリーガールに「帰る」と告げて寮に戻る。共有スペースを通り過ぎる時、クラスの奴らに何か話しかけられたが、無視した。自分の部屋に入り頭から布団を被る。
 オールマイトの継承者という秘密を守るために。出久は自分の保身のためじゃねえ。オールマイトを守るために。あいつはそういう奴だ。オールマイトも自身のためじゃなくきっと出久のために。それと俺の安全のためか。だが天秤にかけてそのために俺との記憶が、俺の心が、俺の想いが邪魔だと判断しやがったんだ。俺から出久を。現在だけじゃなく幼馴染の出久、までも奪うつもりだったのか。何もかも全部を。俺はぎりっと歯軋りをする。
 控えめなノックの音。
「あんだよ。寝てんだよ」
「かっちゃん、いいかな」
 出久。どの面下げて来やがった。鍵を開けてやると出久はドアをそっと開けた。俺はベッドに戻り布団を被る。
「記憶を操作するのは保留だって、かっちゃん」
 出久はドアのところに立ったままで近づいてこない。
「てめえが頼み込んだってことか。ムカつくな、恩に着せようってか」
「そんなんじゃないよ。元はといえば僕が……」
 出久は途中で言葉を切って、不自然に話題を変える。「君は凄いよね。セラピーヒーローはどんなトラウマでも消すって有名なんだよ。それを自力で解いてしまうなんて」
「はっ!なら、てめえもトラウマ消してもらったらどうだ」
 俺は揶揄する。いっぱいあんだろ。てめえにはよ。
「トラウマなんて、ないよ。辛いことも悲しいことも、僕の血肉だから」
 そう言い切ってから、「あ、そっか」と呟いて出久は口籠る。
 自分で言って気がついたかよ。そういうことなんだよ、クソが。
「ごめんね」小さな声で出久は囁く。
「何をだ」
「君に秘密を話したりしなきゃよかったんだ」
 俯いた出久の声が上擦っている。そこじゃねえだろう。いらつくぜ。てめえとはいつも噛みあわねえ。
「じゃあ行くね」
 出久はそろっとドアを閉めた。足音が遠ざかる。てめえはどこまでも。クソが。てめえは昔っからそうだ。昔から。全部一人で背負い込んで納得して。俺には何も言わねえ。何考えてんのかわかんねえ。そんな奴だから俺は。俺は。
 はたと思い出す。忘れていた時に、俺は出久に何を言っちまった?好きだとか口走っちまったぞ。ずっと押し潰そうとしてきた気持ちを。言葉にすることも消すこともできなかった気持ちを。出久に告げちまったじゃねえか。過去のあいつへの思いを知られちまった。あいつにだけは絶対に知られたくないことを。しかもあいつはなんて言った。それを聞いたくせに、いけしゃあしゃあと知らねえ振りをした。会いたくねえって言いやがった。俺を虚仮にしやがって。
 許せねえ。頭にきてベッドから跳ね起き、階段を2段飛ばしで駆け下りて追いかける。階段にはいねえ。出久はエレベーターに乗ったのか。2階に到着し、部屋に入ろうとする直前の出久に追いついた。
「え、どうしたの?」
 と出久は驚いた表情で硬直している。俺は出久の腕を掴んで部屋に押し入ると、叩きつけるようにベッドに押し倒した。壁にはポスターにタペストリー。棚には見覚えのあるフィギュアに グッズが所狭しと並んでいる。オールマイトだらけの部屋だ。1度でも出久の部屋に入ったならあいつだと気付いたかもしれない。てめえはオールマイトが近しい存在になった今でも、飾りまくってんじゃねえかよ。クソが。苛立ちのまま強く押さえつける。
「ずっと隠すつもりだったのよ。その方がムカつくぜ。知らねえ振りで嘘ばっかりつきやがって。馬鹿にしやがって。おかしかったかよ。なあ」
「そんなことない、だけど僕だって平気だったわけじゃない」出久は言い返してくる。「僕のせいだってわかってるよ。でも君は僕に酷いことばかりしてきたじゃないか。それなのにまるでいい思い出みたいに言うから。そりゃあいい思い出だってあったよ。でもずっと昔の話だ。君に合わせるのは苦痛だったよ」
 頭に血が上る。勘違いさせやがったのは誰だ。俺はてめえに。
「俺がてめえを好きだなんてねえからな!ぜってえねえ!」
「わかってるよ」
「勘違いすんなよ。オレはてめえなんかな」
「だったら君こそあんなこと言うなよ!」
 突然出久が激昂する。少しだけ気圧された。出久は俺を見上げる。
「あれが無個性だった僕への感情を忘れた、君の勘違いだってことくらいわかってるよ。わかってても。そうだったらいいなって思ってしまったんだ。もしも過去の君が本当にそう思ってくれてたらって、あり得ないのに」
 感情の昂りで出久の目が潤んでいる。魅入られたように見つめる。
「本当に君と会ったのが高校だったなら、会った時に無個性じゃなかったら。それっていいなって思ったよ。でも君が僕との過去をいい思い出みたいに言うと、そんなはずはなかったじゃないかと反論したくなった。あり得ないのに。そんなこと思わせるなよ。どいてよ。君の本心じゃないってことくらいわかってるんだ!」
 デクの目からぽろぽろと涙が溢れだした。
「君が勘違いしてるってわかってたんだ。本心だなんて、はじめから思ってないよ」
 俺は押さえつけたまま出久を見下ろす。
「はは、本当だったら、嬉しかったのかよ。馬鹿じゃねえの」
 羞恥で出久の顔が首まで赤くなった。そういうことかよ。てめえ、俺のことをどう思ってんだ。もっとちゃんと言えよ。もっと早くに言えよ。ほんと、馬鹿じゃねえの。
 思い出すまでずっと心は凪の日のように静かだった。晴れ晴れとしてすげえ楽だった。今はぐちゃぐちゃした感情が空っぽだった頭に詰まって溢れそうだ。てめえの反応ひとつで動揺してんのが不快だ。不快でたまんねえ。てめえの中身を芯まで暴いて抉って陽の下に曝してやる。そうしなきゃおさまんねえ。
「もういいだろ。部屋に帰ってよ」
「だめだ」
 てめえも楽だったんだろうな。だがそれも終わりだ。俺が好きだって言ったことが嬉しかったんだろ。てめえもそうだってことなんだろ。だったら手放せねえ。やっと靄のかかった向こう側を捕まえたんだ。その先に隠されていた感情まで見つけたのだ。
「もし、本心だったらどうなんだ、デク」俺は問うた。
「何言ってんの。あり得ないだろ」
「答えろよ」
「僕を何だと思ってるんだ。馬鹿にしてるのか」
 てめえ、信じねえのか。余計なこと言っちまった。出久の心がやっとわかったっていうのに。手に入らないと諦めたものを、今なら捕まえることができるっていうのに。手の中に身体の下にてめえがいるのに。捉えることができないなんて。何故だ。何でこいつは信じねえんだ。伝わらないってのはこういうことなのか。どう言えばいいのか、方法が思いつかない。てめえは俺を信じない。俺達の間に信頼なんてないからだ。
「本心だっつってんだ!答えろって言ってんだろ」
 暴れる出久を押さえ込んで勝己は怒鳴る。離すわけにはいかねえんだ。今を逃したらもうてめえを捕まえる機会は二度と来ねえ。
「君は僕の心なんて考えたことないだろ。僕だって傷つくんだよ。馬鹿にされたりすれば辛くなる」
「聞けってんだ。おい、デク!」
「君のことはわかるよ。長い付き合いなんだ。もういいだろ、これ以上……。殴って気が済むなら殴ればいいだろ!離せよ!」
「てめえに俺の何がわかる!」激昂して俺は叫んだ。「てめえこそ俺の心を考えたことがあんのかよ!」
 身体の下の抵抗が止んだ。
「かっちゃん?」出久は大きな目を見開いて俺を見上げている。「なんで、泣いてるんだ?」
 出久が俺の名を呼ぶ。記憶をなくしてから、初めてだ。憎しみとも愛しさとも名付けられない感情の奔流が流れ込んで来る。胸の空洞が埋められてゆく。てめえ、わざと呼ばねえようにしてたんだな。俺の記憶を喚起しねえようによ。思い出したりしねえように。
「答えろよ」
 そう言いながら俺は出久の鼻先に触れそうなほど至近距離に顔を近づけた。出久が身体を強張らせるのがわかる。緊張してんのか怯えているのか。威嚇するためじゃない。吐息を感じたいんだ。体温を感じたいんだ。はたはたと、雫がデクの顔に落ちる。水滴が頬に滴り落ち、唇に留まる。
「かっちゃん、どうして」
「答え……ろ」
「かっちゃん」
 慣れた声に呼ばれる自分の名前が耳に心地よく響く。記憶の中の声と重なってゆく。もう目を離したりしねえ。気の済むようにしていいんだな。てめえがそう言ったんだ。てめえが俺を暴いたんだ。奥に隠していた感情を掘り起こしてしまったんだ。ツケを払えよ。
 下唇に落ちた雫を舐めとり、そっと出久の唇を食む。驚いて目を見開いている出久に、そのまま唇を押し当てる。


epilogue


 皆は寝静まったようだ。
 俺はむくりと起き上がった。静まり返った廊下を歩く足音はいつもより響く。行く先を示すように足元を常夜灯が照らす。2階に降りてこっそり出久の部屋の前に立つと、そっと扉をノックする。
「んー……、かっちゃん」
 暫くしてドアが開き、隙間から出久が顔を出した。居眠りしていたのか、視線がぼんやりしている。
「てめえ、後で行くっつったろーがよ!寝てんじゃねえよ」
「ごめん、ちょっとぼおっとして」
 ムカッとして両頬を挟んで叩いた。ぱんっといい音がする。
「たっ、痛いよ、かっちゃん」
 出久は涙目になって両頬をさする。弱々しい抗議に俺はニヤッと笑う。
「ぼけっとしてんじゃねえ。次は閃光弾かますぞ」
 出久の胸を押して部屋に足を踏み入れた。壁一面に貼ってあるポスターが目に入り、俺は顔を顰める。
「目え覚めたろ。来い」
「え、今日は僕の部屋でってかっちゃんが」
「てめえの部屋はやっぱオールマイトだらけで落ち着かねえんだよ、クソが」
 と俺は唸り、出久の腕を引いて部屋から連れ出した。
「そっか……」
 少し安堵したような出久の声音が俺の心を逆撫でする。引きずるようにして、出久を4階の俺の部屋に連れていく。
 オールマイトのポスターがあったって、その前で出久を抱ける。この俺がそんなこと気にしたりするかよ。できねえわけねえ。だがきっと出久は気にするだろう。そんな出久を見たら俺は間違いなくムカつく。めちゃくちゃにしちまうかもしれない。まだだ。出久が俺のだと完全に思えるまでは。今はまだ猶予をやる。
 ベッドに隣りあって腰掛け、出久のシャツを肌ける。出久は顔を真っ赤にして「あ、自分で」と言いかけるがその口を唇で塞ぐ。出久の服はいつも俺の手で脱がせなきゃ気が済まない。出久の心を覆った殻を一枚一枚剥いでゆくようで小気味いい。
下着も全部脱がせて裸にして、首筋から掌で形取るように触れて愛撫する。
「かっちゃん、その……」
 俺のシャツに触れて出久は真っ赤になって俯く。
「てめえが俺を脱がせてえってか?やってみろよ」
 こくっと頷き、出久はボタンに指をかける。変なとこで負けず嫌いかよ。 だが緊張しているのか、ボタンが滑ってなかなか外れない。やっと1つ外れたが、次のボタンに手をかける前に手を掴んで止める。
「じれってえ!夜が明けちまわあ。てめえが俺を脱がそうなんて百年はええんだよ!」
 俺は自分の服をさっさと脱いで、ベッドに膝立ちになり出久を引き寄せて抱き締める。肌を触れ合わせると体温を分け合ってる気がする。ぴったりと上半身を重ねて肩甲骨から背骨をひとつひとつ指で辿り、確かめるように撫でる。
 肩も腕も胸筋も腹筋も、多少筋肉をつけてきているようだ。とはいえ、体格的に到底俺に追いつけはしない。俺は出久の尻を掴んで勃ちあがりかけたものを押しかける。ふるっと出久は震える。ベッドに寝転んで向い合い、腰を押し付けて足を絡ませる。深いキスを交わす。そろっと出久の下腹部に手を下ろし、ペニスを握りこむ。
「うわ、かっちゃん」出久が慌てる。
「てめえもやってみろ」唇の触れそうな距離で囁く。「俺をいかせてみろよ、クソナード」
 出久の指がボタンに触れた時のように、恐る恐る俺のものを握る。局部を合わせてお互いのペニスを握り合って擦る。手の中で半勃ちだった出久のものが芯を持って固くなってきた。出久の扱き方はお世辞にも上手いとは言えないが、俺のは既に完全勃起してるから問題ない。ほうっと吐く出久の息が上がってくる。
「あ、あ」と悶えて出久は目を瞑り吐精する。
はええよ、クソが」
「ごめん、だって、仕方ないよ、君が……」
 出久は頬を紅に染めて息をついている。潤んだ瞳で俺を見つめる。てめえ、煽ってんのかよ。俺は手についた出久の精液を自分の屹立に潤滑剤がわりに塗ると、出久を仰向けにして組み伏せる。
「ま、待って。僕いったばかりだから」
「はあ?馬鹿が。先にイきやがって何言ってやがる。文句は言わせねえ」
 俺は出久の膝を掴んで開き、窄まりにぐりぐりと屹立を押し付ける。出久はささやかに首を振る。
「行くぜ」と俺は言うなりぐっと突いてペニスの先を押しこむ。
「や、まっ……」
 出久は声を詰まらせる。腰を前に揺すって亀頭で孔を広げ、さらに強く腰を振る。竿の半分くらいまで咥えこませた。小刻みに動かすと出久はふるふると首を振って悶える。
 出久が身体を仰け反らせて小さな声で「かっちゃん」と俺を呼ぶ。手をついて俺に繋がれた身体を見下ろす。こいつは俺のものだ。
「全部入れんぞ」
 腰を掴んで揺さぶり、出久の身体を貫いてゆく。前後に揺する動きに合わせて、出久は喘ぎ声を上げる。熱い肉に根本まで埋めて動きを止める。うねる肉壁はペニスを締めつけては絞り、緩めては開放し、絶えず刺激する。まるで俺のものを型取りをしているようだ。ああ、そうだ。てめえに俺の形を覚えさせてやる。震えている出久の睾丸とペニスを撫でる。
「ん、あ……」と悶えて、出久が身体を捩る。「や、かっちゃん、……だから今は触らないでって、過敏になってて」
「へっ。俺に指図すんのかよ」
「そうじゃなくて……、ああ!」
「俺と繋がってんのわかっか」
 俺は中をかき混ぜるように大きく屹立を動かす。出久がすすり泣くように喘ぐ。覆い被さり、激しく腰を揺すって後孔を攻める。お互いの荒い息遣いだけが空間を埋め尽くす。
 射精の予兆。ぐっと突き上げてペニスを埋め込み、引き抜いて深く強く打ち付ける。
「うっ」と出久が呻いた。熱い内壁がうねりうごめく。俺の背筋に痺れが走る。やべえ、まだ果ててたまるかよ。射精をやり過ごそうと腰を引く。
「ひあっ、ああ……」
 出久が吐息混じりの掠れた悲鳴を上げる。ペニスを引く時にえらで出久の前立腺を刺激したらしい。
「いやだ、そこは」
 首を振って出久が喘ぐ。緑色の髪がパサパサとシーツに散らばる。
「へえ」
 俺は舌舐めずりし、括れまで引き抜き再び挿入してゆく。半ばまで挿れたところで、ゆっくりと前立腺に先端を擦り付ける。
「あ、あ、かっちゃん、そこはいやだって言ったのに」
「はっ!こういう場合、いや、てのはいいってことだろーが」
「違うよ。やだ、怖いよ。ああっ、やっ……」
 すすり泣くような出久の喘ぎ声。煽ってるとしか思えねえ。俺はさらに深く突き入れる。締め付けられて気持ちいい。根元まで沈めると腰を引いてまたえらで弾くように前立腺を撫でる。次第に出久のペニスがまた勃起し始めた。前立腺を刺激すると勃つんだよな。出久のペニスを握ると俺は擦りながら腰を打ち付ける。
「感じてんだろ、デク。いいんだろ、いいって言えよ」
「ち、違う……」
 甘く掠れた声。前立腺への刺激が強すぎたのか。出久の目に涙の膜が張り、目尻を伝って零れ落ちる。いじめすぎたか。
 俺はペニスを引き抜いた。覆いかぶさり身体を密着させる。互いのペニスを重ねて、腰を左右に捩ってこすり合わせる。自分の亀頭の鈴口を出久のとくっつけて先端を包むように握る。
「は、あ……、かっちゃん、変だよ」
 出久の声が上擦ってる。快感に溺れる出久はいい。もっとこいつのそういう表情を引き摺り出してやりたい。
「ケツだけでイカせてやりてえけどな」
 俺はペニスを再び出久の後孔に挿入すると、奥まで一気に突き上げる。
「あ、あー!」
 出久は首を仰け反らせて射精した。白濁が腹にはたはたと滴り落ちる。
「へえ、ところてんってやつか。初めて見たぜ」
「僕だって、こんなこと……、初めてだよ、恥ずかしいよ」
 出久は顔を真っ赤にして横を向き、「僕の身体で遊ぶなよ」と息を弾ませながら掠れた声で言い返す。
「はっ、気持ちよかったんじゃねえの。そこは俺に感謝するとこだろうが」
 俺は出久の腹の上に零れた精液を拭き取りながら笑う。
「次はケツだけでイケるか試してやるわ」
「やめてよ、そんなの、おかしくなるよ」
 出久は泣きそうな顔で首を振る。決定だ。次はケツだけでいかせる。てめえの身体を開発してやるわ。
 ペニスを入れたまま出久の身体を抱き起こして向かい合わせにする。尻を固定してぐっと一突きすると「ふあっ」と出久は喘ぎ、真っ赤になって顔を背ける。俺は揶揄うように、にやりと笑う。
「てめえ、また先にいきやがったな。俺は一回もいってねえのによ。感じやすいんじゃねえのか」
「かっちゃんが……」
 出久の言葉を最後まで言わせずに唇を奪う。舌を絡みあわせて深いキスをしながら、俺は腰を突き上げて激しくピストン運動を始める。陰茎を包む熱い肉はうごめいて俺をさらに奥へと誘う。穿つほどに出久の体の奥を暴いてゆくようだ。
 追い上げてくる生意気な奴を征服する。たまらねえ。俺を舐めてんじゃねえぞ。てめえは俺の下だ。高揚感と達成感。てめえの肌に俺の身体を打ち付ける音。てめえの身の中を抉る水音。
「いくぜ」
 突き続けているうちに熱が下腹部に集まってきた。再び背骨をぞくりと電流が走る。強く打ち付けてそのまま動きを止める。今度は堪えずに、せり上がる熱に身を任せて俺は射精した。
「うっ、は」
 低く唸り、俺は脱力して出久の胸に顔を伏せる。汗ばんだ肌を合わせたまま息を整える。俺よりすこし低い出久の体温。身体の中はこんなに熱いのにな。ペニスはまだ出久の中を犯したままだ。外に出さねえで、出久の身体の中に出しちまった。出していいんだ。こいつは出久だ。俺が好きにしていいんだ。俺のもんだってことを思い知らせてやったんだ。
 俺はふっと吐息を吐く。奪われたものをやっと取り戻したのだ。今この瞬間だけでも、てめえの全部が俺のものなんだ。
「あれ、あ、かっちゃん……、中に出した?」
「はっは!ああ、聞かねえでもわかんだろーがよ」
「なんで、いつも外に出してるのに」
「やりたいからに決まってんだろ。途中で止められっかよ」
「もう、僕が男じゃなかったら大変だよ」
「はあ?なに言ってんだ」
 俺は頭を上げて出久の側頭に腕を置き、出久を見下ろす。不安になったのか藻掻く出久を押さえつけ、耳に口を寄せ、耳朶を甘噛みして囁く。
「てめえは男だろうが」
 だからこそ征服したいし、なんとしても服従させたいのだ。支配欲が疼くのだ。
「なに、離してよ、かっちゃん、中洗わなきゃ」
 出久は勝己の背中を軽く叩いて抗議する。
「大して入ってねえだろ。精液なんて1回に匙一杯くらいしか出ねえよ。自分のでわかんだろーが」
「でも、なんか、中で熱いんだよ、君のが。君の、その……」
 出久は俯いて消え入りそうな声で言う。こいつ馬鹿だろ。そう言われて離す奴いるかよ。やっぱり煽ってんじゃねえのか。
「デク、てめえがわりい」
 俺は出久の頭の横に手をついて見下ろし、硬さを取り戻したものを体内で突くように動かす。
「え、まさか、え?嘘だろ、もう復活したの?」
 出久は肘をついて上体を起こし、繋げられた部分を見て息を呑む。
「覚悟しろよな!デクよお」
「離してよ、僕持たないよ。かっちゃん、君ってほんとにタフネスだ」
 出久は再び覆い被さった俺の背中を叩く。
「痛くも痒くもねえわ」
 俺は笑う。何度手に入れても足りねえんだ。この飢えを自覚してしまっては。
「てめえを忘れたりしねえようにしてんだ」
「かっちゃん……」
 出久は叩くのをやめ、背中に腕を回したまま掌をとどめおく。俺はほくそ笑む。暫くはこの手で大人しくなりそうだぜ。
「てめえが誤魔化したりしねえようにな」
 俺はペニスをゆるりと引き抜いてゆく。先端は抜かずに動きを止めて出久を見つめる。「かっちゃん」
 出久は観念したのだろう。息を呑んでぎゅっと目を瞑る。俺はニヤリと笑うと汗ばんだ首元を舐めて、舌を滑らかな鎖骨の隆起に滑らせる。
「いいな。じっくり感じろよ。デク」
 そう言うなり、俺は腰を強く打ち付けて捕らえた身体を一気に貫く。
「はあ、あ、あ、や、かっちゃ……」
 デクは喉を仰け反らせる。
「へっ、ざまあ」
 楔を打ち込んでおくんだ。何度でも。てめえが誰のもんなのか忘れてしまわねえようによ。
 俺は上下する出久の喉仏を舐めて軽く歯を立てた。獣が喉笛に噛みつくかのように。腰を引いて今度はゆっくりと突き上げる。


END

手繰る言の葉(全年齢バージョン)

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 キスをしている。
 目を瞑ると、人肌の柔い温もりがふわりと唇を撫でる。少しかさついた唇が形をなぞるように這い、押し付けられた。ちゅっと音を立てて温もりが離れ、また押し付けられる。粘膜が触れ合い、またちゅっちゅっと音がする。上唇を食まれ下唇を弄ばれる。唇より熱くて柔らかいものが触れて、隙間から入ろうとする。
 目を開けると上気した幼馴染の顔。鋭いけれども濡れたような眼光が、口を開けろと語る。促されるままに少しだけ口を開けた。すると待っていたとばかりに、唇がピタリと合わさる。彼の舌が侵入し、口内を探り歯列を舐めてゆく。応えたほうがいいのかな、と恐る恐る彼の舌に触れる。途端に舌を絡められ、アイスクリームを舐めるみたいに、口腔内の粘膜を貪られる。
 呼吸を奪われて息が苦しい。少し頭を引いたら肩を掴まれた。動いたら彼の指が食い込んだ。彼は左手で肩を押さえたまま、右手を肩に滑らせ、頸を摩って後頭部を押さえつける。捕まった。離れられない。もう逃れられない。少しだけ唇が離れ、再び角度を変えて重ねられる。同時にするりと舌が入ってきて、舌を探り当てて絡めてくる。深い深いキス。食われてるみたいだ。
 僕らはおかしなことをしてる。だけど嫌じゃない。気持ちいいと思ってるんだ。

1

 目を醒ますと、見覚えのある白い天井が目に入った。顔を横に向ける。窓に薄いカーテンがはためいて、青い空が見える。
 また保健室に運ばれたみたいだ。出久は頭を起こそうとしたが、ずきりと痛みが走り、果たせず枕に沈み込む。手で触れるとガーゼの布の感触。頭には包帯が巻かれているらしい。   
 頭部を殴打したのかな。また僕怪我しちゃったんだ。入学してから何度ここで世話になったことか。リカバリーガールは呆れちゃっただろうな。ふうっと溜息を吐く。
 反対側に顔を向けて、出久は驚きのあまり「えーっ?」と声を上げた。ベッドの側に何故か勝己がいた。コスチューム姿で腕を組んで丸椅子に座っている。視線が合ってしまった。勝己は顔を顰めて出久を見下ろす。
「うるせえ!やっと目え覚めたのかよ、デク」
「ごめん、びっくりしたから」
「まさか俺がいるなんて思わなかったってか」
「いや、その」
 図星だがとても言えない。布団をめくって確認する。上半身は裸で胴回りにぐるりと包帯が巻かれているが、痛くはない。その下にはコスチュームのズボンを着用している。思い出せないけど、体育の授業中に何かあったんだろう。
「かっちゃん、僕、何があったの?覚えてないんだ」
「ああ?てめえは戦闘試験中に余所見して、もろに落石を頭に食らったんだ。バカが」
「落石。そうだったんだね。戦闘試験って。ええ?」
 それは1か月後じゃなかっただろうか。中間考査の最終日だったはずだ。壁に掛かっているカレンダーを見ると、何故か翌月の6月になっている。どういうことだろう。今は5月じゃないか。まさか。
「かっちゃん、今日は何月何日なのかな」勝己に向き直り聞いてみる。
「てめえ、ボケてんのか。6月7日だろうが」
「ホントに?間違ってない?」
「ああ?どう間違うってんだ」
 翌月のカレンダー、戦闘試験、勝己の言葉。つまりもう1ヶ月経ってるってことになる。どういうことなんだ。
「あの、笑わないで欲しいんだけど、おかしいんだ。僕の認識だと今日は5月7日なんだよ。タイムスリップしたのかな」
「はあ?馬鹿じゃねえのか。てめえは昨日も一昨日も学校におったわ」
「そうだよね。流石にあり得ないね」
 では時間を飛ぶようなSF的なことが起こったわけではないのだ。ならばおかしいのは自分の頭の中、なのか。
「なんなんだてめえは。起きていきなり訳のわかんねえこと言いやがって」
勝己が椅子に座ったままにじり寄る。ドキッとして慌てて出久は答える。
「かっちゃん、僕この1ヶ月くらいの記憶がないみたいだ」
「あ?何言ってんだてめえ」
 勝己の口調にいらっとした調子が混ざってくる。ちょっと怯んだが、言わないわけにはいかない。
「本当なんだよ。昨日は5月6日なんだ。あ、僕の中ではなんだけど。GW明けだから覚えてる。でも5月7日以降から今日まで、何があったのか全然覚えてないんだ」
「なんだそりゃ。ありえねえわ」
「本当なんだよ。どうしよう、かっちゃん」
「おい、マジで覚えてねえのか」
 勝己は神妙な表情で問い返す。カーテンの向こうから、カツカツと足音が近付いてきた。
「おや、気が付いたんだね。よかったよ」
 勝己の背後のカーテンを開けて現れたのはリカバリーガールだ。出久は頭を押さえて身体を起こし、目覚めてから気づいた異変を話した。リカバリーガールはうんうんと頷きながら出久の話を聞き、頭部の傷を確認して包帯を巻きなおす。
「一時的な記憶喪失のようだね。頭の方の傷はほぼ治ってるし、心配ないよ。そのうち思い出すさ」
 リカバリーガールはそう言って微笑む。
「ホントですか。よかった。ありがとうございます」
 出久はほっと胸をなでおろして横になった。
「ほんとにこの子はしょうがないねえ」
 とリカバリーガールは呆れたようにぽんと出久の肩を叩く。
「すいません、たびたび」
 名前も何もかも忘れるような記憶喪失ではないし、ひと月ぐらいの記憶なら思い出すまでの生活にも支障ないだろう。
「てめえ、ふざけんなよ」
 地に響くような勝己の低い声に、びくっとして彼の顔を見上げる。
「かっちゃん?」
「忘れただあ?ふかしてんじゃねえ!」
「嘘なんかついてないよ。ほんとに覚えてないんだ」
「はっ!丁度ひと月分忘れるなんて、あるわけねえだろ」
「これこれ、部分的な記憶喪失は割とよくあることなんだよ」
 リカバリーガールが慌てて窘めるが、勝己は聞かない。勝己は出久の上に乗り出し、頭の脇に両手をついて見下ろす。目が釣り上がって赤い瞳が更に紅く染まっていく。なぜだかわからないけど怒ってる?心臓がきゅっと縮こまる。次の瞬間、勝己が思いがけないことを口にした。
「俺とてめえは付き合ってんだ。それも忘れたってのかよ」
「ええええ?」
 頭が真っ白になった。勝己が何言ってるのかわからない。僕たちが付き合ってた?信じられないどころじゃない。意味がわからない。
「僕とかっちゃんが?付き合ってた?嘘だよね」
 出久は唾を飲み込んで、漸く恐る恐る聞き返す。
「付き合ってんだ!しれっと過去形にすんじゃねえ!このクソナードが」
 勝己は出久の胸倉を掴み、顔を寄せて怒鳴る。鬼のような形相だ。怖くて堪らないが、気持ちを振り絞り言い返す。
「だって、あり得ないよ。君と僕だよ?」
「てめえ!ざけんな!クソが!クソナードが!」
 勝己は目の前で激昂する。大声で罵倒されて鼓膜が割れそうだ。
「落ち着いてよ、かっちゃん」
「落ち着けだあ?てめえが言うのかよ、デク!」
「わああ、だって、僕信じられないよ」
「てめえ!」
 勝己を止められないと判断し、リカバリーガールが外に助けを呼びにいった。相澤が駆けつけて引き離されるまで、勝己は出久に怒鳴り続けた。

 教室に戻った出久に、飯田と麗日が心配そうに声をかける。
「デクくん、大丈夫」
「うん、もう平気だよ、このとおり」
 ずきっと痛みが走ったが我慢し、出久は頭の包帯に手をやってにこっと笑う。
「無理しなくていいぞ」
 察したらしい飯田が労わるように背中を摩る。目覚めた時保健室にいたのが勝己ではなく、飯田や麗日ならば不思議ではなかった。他のクラスメイトでも疑問には思わない。なぜ勝己がいたのだろう。保健委員でもないのに。怪我をした時どういう状況だったのだろうか。出久は2人に問うてみた。
「僕、怪我した時何があったのか、覚えてないんだ。起きたらかっちゃんがいて」
「本当に大丈夫なのか?無理もないかあの怪我では。しかし僕はその瞬間を見たわけじゃないからな」
「私は遠くだったけど見たよ。戦闘試験中、爆発した岩山の瓦礫がデクくんの頭に当たったんだよ。それで気絶しちゃったんだもん。心配したんよ。無事でよかったあ」
 麗日は心底ホッとしたように微笑みを浮かべる。
「爆発?かっちゃん、それで」
「違う違う、ほんとに忘れてるんやね。爆弾を使った試験だったんよ。爆豪くんの個性じゃないからね」
「そ、そうだったんだね」
 いけない。うっかり彼に冤罪を被せるところだった。
「緑谷くんが怪我した時、誰よりも早く爆豪くんが走ってきて、自分が保健室に連れて行くと言い張ったんだ」
「え?かっちゃんが?」
「爆豪くんいいとこあるよね。あの時結構離れたとこにいたんだよ」
「なかなか彼が保健室戻ってこないから、相澤先生が様子見に行ったんだけど。どうやら彼は怒られてるみたいだな」
「何かあったの?」
「ううん、ちょっとね」
 出久は言葉を濁す。勝己は何を思ってあんなことを言ったのだろう。付き合ってるなんて。あり得ない。でもひょっとして本当に?いやまさか。飯田や麗日なら何か知ってるだろうか。
「あの、聞きたいんだけど、最近の僕とかっちゃんってどうだった?」
 自分と彼が付き合ってたかとは流石に聞きにくい。
「側から見てどう見えるかってことか?特に変わらないが」飯田が言う。
「以前みたいに、爆豪くんがいきなり突っかかってくることないから平和だよね」麗日が言う。
「そうだな。君達が喧嘩して一緒に謹慎してから、多少は変わってきてはいるんじゃないか」
「えーと、もっと最近の、ひと月くらいの間の僕らなんだけど」出久は声を潜める。「実は僕、怪我した時だけじゃなく、ここひと月くらいの記憶が飛んじゃってるんだ」
「本当か?大変じゃないか!」飯田は驚いてパタパタと独特の仕草で手を振る。
「デクくん、記憶喪失になっちゃったの?」麗日が言う。
「うん、そうみたい。それで聞きたいんだけど、僕とかっちゃんって」どう言えばいいかと逡巡したが、そのまま言うしかない。「付き合ってた?」
「え!付き合ってたの?」
「ちが、覚えてないっていうか、わかんなくて、だから聞きたくて」
 言ってしまった。2人は驚いたものの、首を捻って思い出そうとしてくれてるようだ。
「共有スペースにいる時は君も爆豪君も変わりないように見えたぞ。ただ、緑谷君の部屋は2階で、僕の部屋は3階で、爆豪君の部屋は4階で、全部違う階だからな。夜は僕は誰よりも早く寝るから、夜の様子はあまりわからない。すまない」
「そんな、あやまらなくていいよ」
「私達は誰かの部屋に集まることが多いしね。女子の部屋は反対側の棟だから、男子棟の様子はわかんないし」
「女子トークしてるんだ。楽しそう」
「うん楽しいよ。お菓子とか持ち寄ったりしてお茶入れて。そういえば爆豪くんと出久くん、時々一緒にエレベーターに乗ってたよね。爆豪君そういうのは気にしないんだなって思ってた」
「え?それほんと?」
「わざわざ乗るなとは、いくら彼でも言わないだろう。部屋は上の階にあるんだからな」
 みんなはそうかも知れない。だが、出久は2階の部屋だからいつも階段で登っていた。エレベーターはめったに使わないはずだ。どういうことだろう。
「とりあえずもうすぐ次の授業だ。君用に前の授業のノートを取っておいたぞ」
「ありがとう、飯田君。助かるよ」
 飯田の差し出したノートをありがたく受け取って着席する。相当絞られたらしい顰めっ面で勝己は教室に戻って来た。出久を睨みながら前の席に着く。正面の背中から怒りのオーラが迸っているようだ。直視できない。
 気をとりなおして、しまう前に飯田から受け取ったノートをめくって唖然とした。内容がずっと先に進んでいる。
 今からは数学だ。書いた覚えはないがノートには記述がある。だが授業が始まったものの、先生の言葉が難しすぎてさっぱり頭に入ってこない。黒板に書かれていることもほぼ理解できない。困ったことにひと月分の授業内容もさっぱり忘れてしまっているらしい。焦って冷や汗が出る。何ページまで進んじゃったんだろう。戸惑ったまま授業が終わった。休み時間に教科書を遡ってみて、相当先までいってることを確認する。
「どうしよう。こんなに進んでたらついていけないよ」
 雄英は進学校。ヒーロー科の授業だけではなく、普通の授業も難易度が高い。むしろヒーロー科はヒーロー基礎学や戦闘訓練が時間割に組み込まれてる分、他の授業は普通科より一層スピーディーに進んでいく。難関校の雄英に受験に合格した優秀なクラスメート達でも、時に赤点を出してしまうのはそのせいでもある。出久は途方に暮れて頭を抱えた。
 誰かが勢いよく机にどんっと手を突いた。そんなことをするのは一人しかいない。目を上げるとむすっとした勝己の顔。
「おいデク、ほんとに忘れてやがんだな」勝己が言う。
「そう言ってるじゃないか」
 まだ疑われていたらしい。出久は憤慨して答える。
「そんでてめえ、1ヶ月分の授業内容も頭から吹っ飛んでんだろ」
「ど、どうしてわかったの?」
「てめえが後でぶつぶつ言ってんの聞こえてんだよ」
 焦る自分の様子に勝己は気づいたのか。隠すことでもない。素直に認める。
「うん、そうなんだ。ひと月分の授業も全部忘れちゃってるみたい」
「はっ、それで7月初めから期末テストがあるってのに追いつけんのかよ、てめえは」
「う、うん、なんとか頑張ってみるよ」
 だが自分はコツコツ地道に勉強していくタイプだ。勘がよくて要点をすぐ飲み込んでしまえる勝己のような天才肌じゃない。体育祭の時だって勝己は実戦で皆の能力を掴み、すぐ対策を思いついていた。自分は日頃から研究して対策を練っておかないと、咄嗟には対応できない。
 5教科に技術音楽。理科だけでも化学、物理、地学、生物で4つ、社会は地理、歴史で2つ。気が遠くなる。勝己はいらいらしたように机を指で叩く。
「デク、なら勉強教えてやっから、放課後俺の部屋に来い」
「え、かっちゃんが教えてくれるの?」
 意外な申し出に吃驚して言い返す。
「そう言ってんだろ!二度言わせんな。うぜえわ」
「う、うん、ありがとう。かっちゃん」
「けっ」
 肩を怒らせて勝己は教室を出て行った。喜んでいいのかな。助かるけど、ほっとしたような困ったような、複雑な心情だ。
「気づかなくてすまない。授業中困ってたんだな」
 飯田が心配そうな表情で近づいてきた。
「しかし、珍しいな。彼から手助けをすると言い出すなんて」
「うん、思ってもみなかっ」と答えかけて、勝己の言った「付き合ってるだろ」という言葉が頭を過ぎり、さあっと血の気が引く。
 部屋に行ってもいいのか?行っても大丈夫なんだろうか?信じられないけど、勝己が嘘をついてるとは思えない。第一偽りを言う理由がない。どうしよう。気持ちの整理が付かないのに、部屋でふたりきりの状況になってしまう。
「何か、気になることがあるのか?緑谷くん。勉強は僕が教えてもいいんだぞ」
 困惑する出久の様子を察したのか、心配そうに飯田が言う。
「ううん、いいよ飯田くん。かっちゃんと約束したから。ありがとう」
 飯田の申し出を断ったものの、密かに先に言ってくれればと思ってしまった。身勝手過ぎるだろうと反省する。勝己の申し出を素直に嬉しいと思ったのだ。彼が自分の時間を割いて勉強を教えてくれるというのだ。親切と言わずして何と言う。親切、なんだよね。
 ともあれ一度OKしたことだ。いまさら断って行かなかったら怒らせてしまう。その方がもっと怖いことになりそうだ。
 あの夜のグラウンドベータでの喧嘩の後、勝己との関係はひとまず落ち着いた。というか、彼が無闇に突っかかってくることはなくなった。
 口の悪さと負けず嫌いは変わらない。でも彼が変わらなくて良かったと思ってる自分がいる。おかしいと自分でも思う。不本意だけど、勝己の口の悪さですら長所でもあるし、憧れるところでもあるんだ。
 オールマイトの秘密を彼と共有することになったのは、いいことだったのかどうかわからない。勝己自身も言っていたように、秘密を知るものが増えれば危険は増える。ただ、出久にとっては勝己に隠し事をしなくて済むことで、心が軽くなったのは確かだ。友達に隠すのはしょうがないと思えても、勝己に隠すのだけは騙しているようで心苦しかった。何故だかわからない。
 だがあの事件の後も、幼馴染でクラスメートでしかなかったはず。本音はもう少し近しくなれればいいなと願ったけれど、彼と自分ではそこが限界なのだろう。それがたったひと月で付き合うなんて関係にワープしたなんて、あり得るんだろうか。

「爆豪に勉強教えてもらうのか。いいんじゃねえか。あいつ、意外と教えるのうまいぜ」
 掃除の時間。箒で廊下を掃きながら切島が言う。出久はその側で塵取りを構える。今日の廊下の掃除係は彼と上鳴と出久の3人だ。
「かっちゃんが?へえ、そうなんだ。意外」
 昔から物知りで「知らねえの?」と人を小馬鹿にして、得意げに人に教えたがるところはあった。らしいといえばらしいのか。
「自分から言ってくれてんだしよ。ちゃんとやってくれんじゃね?」
 窓のサッシを雑巾で拭きながら、上鳴が口を挟む。
「それは心配ないんだけど」
 それよりも気になることがあるのだ。付き合ってる、なんて嘘だろ。でも嘘ついても何の得にもならないだろうし。ならば彼の近くにいる上鳴と切島なら、何か知っているかも知れない。
「あの、二人に聞きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
「ん?なんだ緑谷」
 廊下の掃除はこれで仕舞いでいいだろう。掃除道具を片し、出久は2人を階段の踊り場に連れて行って声を潜める。
「僕とかっちゃんって付き合ってたのかな」
「おめーら、付き合ってたのかよ!」
 上鳴が素っ頓狂な声を上げる。
「しーっ、静かに驚けよ、上鳴。マジかよ、緑谷」
 上鳴をたしなめながら、切島が吃驚顔で問い返す。
「ち、ちが、覚えてないから、どうだったのか君たちなら知ってるかなと思って」
「そっか。てめえらのこたあどうなってんのか、よく知らないけどよ。でもお前はよく爆豪の部屋に行っていたぜ。毎日ってくらいよ」と切島が言う。
「僕の方からかっちゃんの部屋に?」
 彼の部屋は勝己と同じ4階の部屋、しかも隣の部屋だ。
「おお、1ヶ月くらい前からかな。あいつ自分の部屋に誰も入れねえから、珍しいと思っててよ。しかも緑谷だもんな」
「そうだったんだ」
「あいつ女子の話とか振っても乗ってこねえし、全然興味ねえみたいだし。でも、お前と付き合ってたんならなるほど、納得だぜ。マジで興味なかったんだな」
 上鳴はうんうんと頷く。
「だから、わかんないんだって」
 出久はぶんぶんと手を横に振る。
「そういや、こんなことがあったぜ」上鳴がぽんっと手を叩く「1ヶ月くれえ前にこっそりDVDを寮に持ち込んだんだんだ。その時のことなんだけどさ」


 GW開けのかったるい授業が終わった放課後。共有スペースに人がいなくなったのを見計らって、上鳴は切島を手招きした。
「なんだよ、上鳴」
「しーっ、静かにしろよ」
 上鳴は女子の声が遠ざかるのを確認してから、鞄から3,4枚のDVD を取り出した。「GWは久々に家に帰ったからよ、持って来たんだ。レア物だぜー。こっそり見ようぜ。他にも何人か声かけてんだ。お前、勿論来るだろ?」
 ノリのいい切島は大抵誘えば話にのってくる。峰田ほどじゃなくても、健康な男子高校生で興味ねえ奴はいねえだろ。一部を除いて。
「おお、すげえ。すげえやべえ。でも見つかったらまずいだろ」
「抜かりねえってパッケージ変えてあるからよ」
ローマの休日、見知らぬ乗客、花とアリス、おいおい、名作ばっかじゃねえの。冒涜的だな」
「これならぜってー中身がそうとは思えねえだろ。誰も試しに見ようとも思わねえ」上鳴は胸を張る。「ネットで観れる時代だけど足跡残るしな。皆で見るにはやっぱDVDだぜ。万一見つかっても処分しちまえば証拠も残らねえし。勿体ねえけどよ」
 興奮していて、背後の足音に気づかなかった。
「なにやってんだ、てめえら」
 背後からドスの聞いた勝己の声がして仰天する。
「おおああ!びびるじゃねえかよ、爆豪」
「上鳴がレアもん手に入れたんだってよ」
「爆豪も来るか。たまには親睦を深めようぜ」
「こーゆー潤いも必要だぜ。男子高校生の日常としては」
「飯田と轟は流石に誘ってねえけど、切島も来るしよ。皆に声かけてんだぜ」
 エロトーク的な話に勝己は乗ってくることはない。そう思いながらも上鳴は一応誘ってみた。一部を除いて、の1人がこいつだ。硬派なんだかウブなんだか。きっと今回も来ないだろう。
 だがこの時の彼の反応はいつもと違った。勝己は「うぜえ」と言いながら1枚DVDを奪いパッケージを眺めたのだ。
「何違うケースに入れてんだ。くだらねえ」
「わわ、おい返せよ。誰かに見られたらやべえし」
「んじゃま、借りとくわ」
「お、おう?いや、皆で見ようってんだぜ」
「はあ?こんなもんみんなで見るとかアホか。一枚借りるぜ」
 上鳴は唖然とした。後ろ姿を見送ってヒソヒソと切島と話す。「マジかよ」「あいつも興味あんのかよ」「そう言えばいいのに、てか、一人で見たいだけか」「あいつ、むっつりだったのかよ」
 そう思ったら笑いが込み上げてきた。声を立てて笑うと勝己が癇癪起こしそうなので、2人とも必死で笑いをかみ殺す。
「まあいいや、おい爆豪、後で返せよな」と上鳴は呼びかける。
「へっ」
 と勝己は鼻を鳴らして踵を返しエレベーターに向かっていく。聞こえてしまいそうなので、エレベーターのドアが閉まるまで、2人は爆笑を我慢した。


「てなことがあってな、あいつに貴重なDVD奪われちまったんだよ」と上鳴は指で四角を形取る。
「そんなことが」
 驚いた。潔癖なあのかっちゃんが?信じられない。
「あん時な、緑谷も誘ったんだぜ」
「えええ?僕も?」
「お前は真っ赤になって、無理無理ってすぐ断って来たけどな」悪戯っぽく上鳴は笑う。「あいつ、実はお前とやる時の参考にしてたのかもな」
「ええええ!」
 出久は真っ赤になって首を振る。やるってなに?ナニのこと?
「なるほどな!なら納得できるな」切島がうんうんと頷く。
「ちょ、ちょっと待って。そうと決まったわけじゃ」
 出久は慌てる。本人のいないところで、勝己の評価を決定してしまったのではないだろうか。DVDは勝己が借りたんだろうし、僕のせいとは言えないか。いや、参考にして僕にそんなことをしてるってことになっちゃった?頬が熱くなってきた。
「なあ、あいつの部屋に行ったら、DVD返してやってくれって言ってくんねえかな」
「うん、いいよ」
 考えに耽っていた出久は、上鳴の頼みをつるっと快諾する。
「おい上鳴!緑谷、やめとけ。ものがものだしあいつにとても言えねえだろ。無理しなくていいぞ」切島が慌てて言う。

2

 放課後になり、生徒達は寮に帰宅した。
 出久は部屋に鞄を置いてから共有スペースに戻り、ソファに腰掛けた。クラスメイト達はみんな夕食までの時間をめいめい過ごしている。かっちゃんの部屋に行くのは、一休みしてからでいいかな。普段なら自主トレーニングしているところだけど、暫くの間はお休みするしかない。勉強が優先だ。
「おいデク、何落ち着いてやがんだ。さっさと部屋に来い」
 勝己がやって来て、エレベーターの方に顎をしゃくる。吃驚した。皆のいる前で呼びに来るとは思わなかった。
「う、うん」
 立ち上がり、勝己の後に続く。勝己が自分を、しかも部屋に誘うなんて珍しいことだ。皆どう思ってるんだろう。振り返ってみたが、ソファに座ってる級友達に驚いてる様子はない。よくあることなんだろうか。なら、勝己の部屋に毎日行ってたというのは本当だったのだろうか。
 勝己の部屋のある4階に到着した。この階に来たのはお部屋訪問の時くらいだ。しかも勝己はあの時寝てたから部屋は見ていない。勝己に続いて出久は部屋に足を踏み入れた。
「わあ、見晴らしいいね」
 窓に駆け寄り、外の景色を眺めて出久は感嘆の声を上げる。夕暮れの紅に染まる空の下に、広大な学校の敷地が見渡せる。遠くに見える青々とした森や岩山も学校の敷地なんだから驚きだ。
「お前、初めて来た時もそう言っただろうが」
「そう、なんだ。でも僕は初めてだから」
「初めてじゃねえ!」
 勝己は不機嫌な様子でベッドを背にして胡座をかき、ローテーブルの上に教科書をどさどさと放り出す。
「さっさと座れ」
 と言って床を指差し、さらに自分の隣に座れと絨毯を叩く。慌てて出久は勝己の側に座り、教科書やノートを並べる。
 そっと部屋を見回した。皆の部屋と同じく、入って部屋の右側にベッド、左に机や箪笥がある。飾り気のないシンプルな部屋だ。ベッドの向かいに、ローテーブルを挟んでテレビが設置してある。テレビの下にはDVD再生機がある。
「何じろじろ見てんだ」
「ご、ごめん。つい」
 出久は姿勢を正し、慌てて渡された教科書を開く。
「まずは数学だな。英語と古文漢文はまず語句を調べてからだ。理科と社会は後回しだ」
 勝己による数学の補習が始まった。勝己の教え方は確かに上手いようだ。意外だったが、理解が遅くても声を荒らげたりせず、噛み砕いて教えてくれる。慣れてるのかも。そういえば中学時代、テストの前なんかにはよく友達に頼られていた気がする。
 教科書の説明が終わると、勝己はドリルを開くよう出久に指示した。
「ドリルのほうはまず簡単なAランクと普通のBランクの問題だけ解け。難問のCランクは後でいい」
「なんで?僕はいつも順番に解いてるんだけど」
「Cランクは時間かかんだろうが。まずAB問題を終わらせてからだ。余力があれば解いていい」
 なるほど。納得してドリルの問題に取り組む。カリカリとシャーペンが紙を滑る音。問題を解きながら勝己の様子を伺う。次の項目を先に読んでいるようだ。勝己が申し出てくれたとはいえ、出久に勉強を教えることで、彼の時間を奪っていることになる。いいんだろうか。とても申し訳ないことをしてるんじゃないだろうか。
 教科書から目を離した勝己が顔を上げて出久を見つめる。視線が合う。強い光を放つような瞳。ドリルに戻らなきゃと思いながらも、金縛りに合ったように視線を逸らせない。
「ここまでだ」勝己が口を開く。
「え?終わってないよ」
「一日で一月分が終わるわけねえだろーが!クソが。後は夕飯と風呂の後だ。宿題もしなきゃなんねえしよ」
 そう言って勝己は宿題のある教科のノートを取り出す。
「そうだったね。忘れてた」
「おら、お前も宿題出せよ」
「宿題もここでやるの?」
「アホか。授業についていけてねえのに解けんのかよ。教えてやらなきゃわかんねえだろ。一緒にやってやる」
 確かにそうだ。でも宿題まで面倒見てくれるなんて、親切過ぎて驚きだ。
「かっちゃん、あの、ありがとう」
「うぜえ」
 勝己はそっぽを向く。照れてるのだろうか。 意外な一面だ。夕食と風呂を済ませて自分の部屋に戻ると、勝己が呼びに来た。就寝時間まで勉強すると決められ、勉強道具を持って勝己の部屋に移動する。
 副教材の問題集を解きながら、出久は勝己の様子を伺う。勝己はベッドに座って忙しくスマホを弄っている。何を見てるんだろう。顔を上げた勝己と目が合った。慌てて問題集に戻る。
「よし、見つけたぜ、おいデク」
 勝己はスマホの画面を出久に見せる。
「化学の実験動画だ。理科は実験見ねえと、教科書見ても理解出来ねえだろ」
 びっくりした。
「僕のために探してくれてたの?」
「ちげえよ。口で説明するのが面倒なだけだ」
 勝己は眉を顰めると、出久の隣に移動して動画を再生した。確かにわかりやすい。
「授業でやったのと全く同じ実験だ。よく見とけよな」
 そう言いつつ勝己はすぐ間近に顔を寄せる。どきりとして出久はちらっと勝己を見る。こんな近くで怒ってないかっちゃんを見てるなんて。伏せられた目元に落ちる睫毛の影。睫毛の色も髪と同じ薄い山吹色。
 視線に気づいたのか、勝己の赤い瞳が出久の方を向く。顔が近い。唇が触れそうだ。
ふと勝己が顔を寄せた。ふわりと柔らかい感触が唇の上を掠める。唇が触れてしまった。
 出久は動転して「わあ」と膝を崩して離れた。
「近いよ、かっちゃん」
 声が震える。勝己が睨みながら詰め寄ってくる。
「このくらいで動揺しやがって、まだ思い出さねえのか」
 責めるような口調。身に覚えがないのに罪悪感を感じる。理不尽だ。自分には記憶がないんだから、いきなりキスなんかされても吃驚するだけだ。でも付き合ってたのなら勝己の憤りは当然なんだろう。理不尽なのは自分の方で。どうすればいいんだろう。
「だって、しょうがないだろ。僕だって思い出したいよ」
「本当かよ」勝己は出久の腕を掴んで射るような視線を向ける。「忘れたかったんじゃねえのか」
「え、どういう意味?」
 勝己は舌打ちして「なんでもねえよ。ちゃっちゃと動画見ろよ」と言い、出久の肩を掴んで引き寄せる。

 勝己の部屋に通って勉強を教えてもらうようになって、幾日か過ぎた。
 勝己はあれから、交際していたことを匂わせるような行動に出ることはなかった。クラスメートのほぼ全員に聞いてみたけれど、自分達が付き合っていたかと聞くと逆に驚かれ、なるほどと納得されるという具合。
 納得されるってことは、付き合ってたということだろうか。でもはっきりと見たとか聞いたとか誰も言っていないのだ。

 ドアを開けて脱衣場に足を踏み入れた。室内はほわっとした熱気に包まれている。冷房は入っているはずなのだが、風呂場の蒸気で湿度が上がってしまったのだろう。出久は扇風機に近寄って、涼みながら服を脱ぐ。
 勉強会を先にしたからお風呂が遅くなってしまった。みんなきっともう風呂は済ませてるだろう。僕らが最後かな。出久は脱いだ服を籠に入れた。ふと見るとずらりと並んだ棚の中、一つの籠に服が入ってるのに気付く。
 かっちゃんはまだ来てないはず。他に誰かいるみたいだ。大浴場の戸を開けるともわっと湯気が吹き出した。湯気の立ち昇る湯船にひとり人影が見える。掛け湯をして湯船に近寄ると緋色と白銀の髪の色が目に入った。
「轟くん、いたんだ」
「緑谷か、随分遅えな」
「轟くんこそ」
「俺は風呂は静かに入りてえんだ」
 寮の大浴場はクラス皆が入ったとしても、余裕があるほどに不必要に大きい。だから上鳴や峰田や賑やかなクラスメートは水飛沫を上げてよくはしゃいでいる。
 そういえば、轟くんには僕らのことを聞いてなかった。流石に彼にそんな話をするとは思えないけれど。でも轟くんは鋭いから、僕らの様子がおかしかったなら何か気付いてるかも。
「あの」と轟に話しかけて皆に聞いたように問うてみた。
「付き合ってたかどうかは知らないが」と轟は答える。「お前たちは何かを隠していたと思うぞ」


 1ヶ月前のことだという。エレベーターの中で轟は勝己とふたりきりになった。いや、轟が勝己を追ったのだ。勝己は轟がエレベーターに入って来たので、顔を顰めて閉めるボタンに続いて4階と5階のボタンを押した。5階は轟の部屋のある階だ。しかし勝己に続いて轟は4階で降り、後をついて行った。
「てめえの部屋は5階だろうが」
 勝己が振り返って訝しげに言う。
「お前に聞きたいことがある」
「あんだよ」
「気になっていた事があるんだ。お前と緑谷、何かあったのか」轟は勝己に問うた。
「俺とデクだあ?いきなりなんだ」
「最近、お前と緑谷の距離は近いな」
「ああ?別に。それがどうした」
「お前、緑谷の秘密を知ったのか」
「は?なんのことだ」
 勝己が一瞬目を逸らす。明らかにしらばっくれている様子だ。
「秘密と言っていいのかどうかわかんねえが。緑谷は何かを隠してる。ずっとそれを感じていた。話せないことは誰にでもある。だから聞いてはいけないのだろうと思っていた。けれど、お前に話したんだろう」
「だから、何のことだかわかんねえってんだ。人に介入するなんて、てめえらしくねえな。だがな、俺は知らねえよ」
 挑発的な口調で勝己はにやりと笑う。
「らしくない、か俺をぶっ壊したのはあいつだからな」
 轟が言うと、すっと勝己の顔から笑みが消える。
「てめえでデクに聞けばいいじゃねえか。もっとも、聞いたところであいつが答えるかどうか知んねえけどよ」
「やはり、お前は何か知っているのか」
 轟は一歩踏み出した。勝己が舌打ちし、真顔になる。
「さあな。てめえはどうしたいんだ。デクとお友達になりてえのか、困らせてえのか」
 虚を突かれた。彼から聞き出そうと、それだけでいっぱいになっていたのだ。
「俺は。俺はどうしたいのだろう」口に出して自問自答する。
「はあ?なんだお前」
「俺は彼を知りたいんだ」
「なんでだ。ただの好奇心ならやめとけよ」
「違う。でも困らせたいわけじゃない」
「違わねえよ」
 勝己と睨み合う。ふっと勝己が目を逸らす。
「うぜえわ、てめえ」
 そう言い捨てて勝己は部屋に入り乱暴にドアを締めた。
 奴は何かを知っている。だが何も言わないだろう。奴の言うとおりだ。知りたければ緑谷に聞けばいい。だが彼が言おうとしないなら、無理に聞き出したいとは思わない。5階への階段を上りながら、ふと、隠そうとしているのは緑谷のためなのかと、そう思った。


「そんなことがあったのか」
「だから、お前に聞くのはやめておこうと思ったんだが。実際、お前らが付き合っていて、それを爆豪が隠そうとしていたってんなら辻褄は合う」
「あ、ああ、うん」
 出久は生返事をする。勝己が隠そうとしていたのは、自分とオールマイトの秘密のことじゃないだろうか。それとも轟と言うように付き合ってたことなのか?わからない。轟はふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「お前の秘密はそんな最近のものじゃないな。ずっと何か抱えてんだろう」
「え、あの、そんなことは」
 何と答えていいのかわからない。
「聞かねえよ。言えねえなら事情があるんだろうしな」
「いや、何も、その」
「でも言えるようなら、いつでも聞く用意はあるし、力になるからな」
 友達だから、轟は聞かないでいてくれるんだ。胸が熱くなる。ふと勝己のことを考える。彼はオールマイトが隠すなら出久に聞けばいいと、秘密を暴きにきた。あえて聞かないなんて選択肢は彼にはないんだ。でも自分もそれを当り前のことだと思ってる。何故だろう。
「緑谷、記憶喪失前の爆豪とお前のことを聞いて、今のお前はどうしたいんだ?」
 考えに沈んでいる出久に轟が問いかける。
「僕は覚えてないから、わからないんだ。だからみんなに聞いてるわけだけど」
「例えお前らが付き合ってたとしても、それは記憶を失くす前のお前だろう。今のお前がその責任を取ることはないんじゃないのか」
 言葉に詰まる。「そうかも知れないけど」
 唇が触れて驚いて身を引いた時の、勝己の傷ついたような顔が頭を過ぎる。
「お前は自分より他人の気持ちを優先しがちだからな」
「そんなことないよ。忘れちゃった時間の、僕の気持ちだって考えてる」
「それは思い出した時考えればいいことだろう。確かなものならまたやり直せばいい。記憶を失くす前を優先することは、今を蔑ろにすることにならないか」
 どきりとした。「僕は蔑ろにしているのかな」
 そんなつもりはなかった。でも、確かに僕は今の自分を借り物のように感じている。すぐに思い出すとリカバリーガールは言っていたけれど、もう記憶が戻らない可能性だってあるんだ。
「今のお前はどうしたいんだ」
 轟の問いかけは今の自分からの問いだ。僕はどうしたいんだろう。
 その時、乱暴に風呂場の扉が開けられた。出久と轟は同時に振り向く。
「かっちゃん」
 湯気の向こうに見える人影がすかずかと近づいてくる。
「じゃな、俺はそろそろ上がるぞ」
 轟は立ち上がり、湯船から出る前に出久を振り返る。
「お前がいるのは今、だ。忘れるなよ。緑谷」
 勝己はすれ違いざまに、轟を睨みつけて舌打ちした。湯船に歩いてきて湯を汲み、ざっと掛け湯をして飛沫を上げて湯船に入る。機嫌悪そうだ。そろそろっと奥に移動する。広い湯船なのに、逃げ場がなくてなんて狭いんだと思ってしまう。
「てめえ、半分野郎と何話してたんだ」
「ええと、世間話みたいな」
 話の内容を聞かれていただろうか。
「はっ!」
 勝己は鼻で笑うと、ざぶざぶと湯を掻き分けて出久に近づき、隣にしゃがんで湯に浸かった。勝己の鍛えられた二の腕が肌に触れてどきりとする。さり気なく少し離れたものの、勝己はすぐに距離を詰めてくる。
 勝己の指が出久の指に触れて被さり、上から握りこむ。離そうとしたらぎゅっと掴まれた。なんのつもりだろう。上がっちゃダメってことか。頭が茹だりそうだ。動悸が耳元に響いてくる。勝己に聞こえてしまいそう。気付かれそうで顔を見れない。
「かっちゃん、身体洗うから、その、手をはなしてくれないかな」
 だが勝己は更に強く手を握る。
「かっちゃん、手を」
 と言いかけて横を向くと、瞳に憤りを込めた勝己と視線が合った。
「デク、てめえは」
 勝己は出久の正面に移動すると両肩を掴んだ。湯の中で勝己の太腿の筋肉が脛に触れる。裸で湯舟にふたりきりという状況。出久はゴクリと唾を飲み込む。
「あいつ、ホント余計なことしか言いやがらねえ」
 勝己が俯いて低い声で呟く。
「かっちゃん?」
 出久は勝己の顔を覗きこむ。顔をあげた勝己は出久の項を掴んで引き寄せた。唇が勝己の唇に塞がれる。舌が唇の隙間をこじ開けて乱暴に入り込む。唇をぴったりと合わせて出久の舌に触れて擦り合わせる。
「ん、ん」
 熱い柔らかなこの感触。初めてじゃない。口腔内が侵されるのを、気持ちいいと感じてる。唇が離れた。ほうっと吐息を漏らす。勝己の口が三日月を形作る
「てめえも応えてんじゃねえか」
 勝己ははは、と笑い、また唇を重ねる。口内を貪られ、頭に霞がかかったようにぼうっとする。
 勝己の膝が出久の脚の間を割り、両膝が進入する。勝己の胸板を押して離れようとするが益々勝己に強く引き寄せられる。出久は吃驚して逃れようとして、足が滑りバランスを崩した。勝己諸共に湯の中に全身ざぶりと沈み込む。
「てめえ!バカが。なにしとんだ!」
 勝己は髪から雫を滴らせながら身体を起こして怒鳴る。
「ご、ごめん」
 出久も身体を起こし、顔を上げて反射的に謝る。
「だー、もう、クソナードが!」
 勝己はぶるんと頭を振り髪をかき上げる。咳き込みながらも出久は距離を取ろうと後退りした。気づいた勝己は「おい、てめえ」とすぐ距離を詰める。湯船の縁に出久は追い詰められ、腕の檻に囲い込まれた。
「だって、ここお風呂だよ。誰か来たらどうするんだよ、かっちゃん」
「誰も来やしねえわ。俺らがラストだろうが」
「来なきゃいいってわけじゃないよ。公共の場所なのに、駄目だよ」
「じゃあ俺の部屋ならいいんだな」
「え?そういう事になるの?」
「デクよお、俺はてめえと今のキスみてえなの何度もしてんだよ、わかんだろーがよ」
 出久は目を泳がせる。「わ、わからないよ」
「てめえ!バレてんだよ。頭は忘れてても身体が覚えてんだろーが!なら、やりゃあ想い出せんだろうがよ」

3

 風呂から上がると、勝己は出久の手を引いてそのまま部屋に連れていった。勝己はこうと決めたら引くことはない。とんでもないことになった。かっちゃんは本気だ。
 かっちゃんとするの?どこまで?でもキスの感触は知ってるものだった。僕は自然にかっちゃんのキスに応えていた。本当に僕は君と付き合ってたのか。身体を重ねたら思い出したりするのだろうか。
「よっとお」
 勝己は出久をベッドに投げ出すとその上にのしかかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 聞く耳を持たず、勝己は出久のTシャツを脱がすと自分のTシャツも脱ぎ、床に放り投げる。かっちゃんは焦っているみたいだ。性急に身体を求められてることに怖くなる。出久は勝己の肩を押してふるふると首を振る。
「てめえ、往生際が悪いぜ」
「やっぱり、僕には覚えがないことなのにできないよ、今はまだ」
「クソが!ここまできて何抜かしてんだ」
「君と僕は付き合ってたのかも知れない、でも感情がついていかないよ、どうしても、だから」
「うるせえ!もうてめえがどう思ってようと関係ねえわ!」
「かっちゃん!」
 勝己は出久の腕を一纏めにして頭上に押さえつけた。勝己の顔が目の前に近づく。燃えるような紅い瞳。唇が触れ、噛み付くような深いキスをされる。覚えがある感触。勝己の舌の動きに自然と舌で応えてしまう自分に混乱する。唇が糸を引いて離れる。
「てめえ、わかってんじゃねえかよ。それで知らねえとかふざけんな」
 低く呟くと、勝己は出久のハーフパンツを下着ごと抜き取って身体を組み敷く。
「わわ、かっちゃん」
「身体で思いだせよ。クソが」
 キスを覚えていたみたいに、身体は覚えてたりするのだろうか。出久は抵抗するのを止めて力を抜いた。勝己は満足そうに笑う。
「はじめっからそうしてろや。クソが」
 頭上に拘束されていた腕が解かれる。衣服を全て脱ぐと、勝己は出久の身体に腕を回して抱きしめる。硬い胸筋と鍛えられた腹筋。触れ合った頬が熱くなる。勝己は唇に軽く触れるだけのキスをした。キスは次第に深くなり応えるのも覚束ない。喰われるように貪られる。
 自由にされた手をどうすればいいんだろう。おそるおそる勝己の肩に捕まる。勝己はキスをしながら掌で出久の背中を愛撫する。肩甲骨をなぞり、背骨に指を滑らせる。勝己の唇が首筋を這い、鎖骨を舐めて甘噛みし、肌に吸い付いて赤い痕をつけてゆく。

勝己はゆっくり腰を揺すりながら、脱力して出久の首元に顔を伏せた。
 肌を合わせたままお互いの息を整える。汗ばんだ身体。勝己のいつもより高く感じる体温。重ねた肌に直に感じる心臓の鼓動。トクトクと早く脈うち、まるで全力疾走したみたいだ。初めてじゃないんだよね。でも鮮烈な感覚はまるで初めてのようだ。
「かっちゃんほんとに僕ら、してたのかな?」
「たりめーだろ」
「僕の身体が覚えてないみたい。こんなことしたら、忘れるわけな」
「ごちゃごちゃうるせえ。もう一回やるぜ」
「や、やだ、無理だよ。離してよ、かっちゃん」
 とても体力が持たない。頭も混乱してる。出久は勝己の背中を叩く。
 僕は本当にセックスしていたのか?君と。

 勝己との勉強会のおかけで、授業にはなんとかついていけるようになった。
 だが勝己はその夜から毎夜、勉強会の後に出久を求めるようになった。何かを取り戻そうとするように、勝己は出久を抱いた。
 しかし何度セックスしても記憶は戻らない。思い出せなくても、身体は勝己のぬくもりに慣れてくる。勉強会の終盤には身体が火照る。まるで身体が彼を待ってるみたいに。気持ちはふらついたままなのに。
 僕はかっちゃんをどう思っていたんだろう。かっちゃんは僕をどう思っていたんだろう。記憶を失った今の僕をかっちゃんはどう思ってるんだろう。
 僕は一体何をしているんだ。
 結局、いつか思い出した時のために、関係を繋いでいるだけなのかもしれない。轟君に忠告されたのに。結局間違ってしまったのか。今の僕は大海に漂う小舟みたいなものだ。手がかりのないままに、陸に戻る術のないままに、どんどん沖に流されてしまっている。
 記憶が戻らなかったら、僕はどうすればいいんだろう。もし思い出せないままだったら。
 授業に追いついたら勉強会は終わる。皆に追いつくことには安堵するけど。でもそうなれば、この部屋に来る理由もなくなってしまう。この時間を失うのはきっと辛い。でも今の僕のままではここに来る資格はない、と思う。思い出さなきゃと気持ちは焦るけれど、どうすれば思い出せるんだろう。

4

 気づいたのは授業中。数学の教科書を開いた時だった。
「あれ?」
 さっぱりわからなかったはずの内容が理解できる。出久は黒板を見上げた。つらつらと書かれた板書に、躓かないでついていける。
「うっせえ、どうした。怒られっぞ」
「う、うん、ごめん」
 振り返った勝己の声で我に返り、ノートを開いてパラパラめくる。やはりそうだ。記憶を思い出して来たのだ。
 文字を書いた覚えがある。授業の様子も覚えてる。黒板に先生が書いてゆくチョークの硬い音。体育の時間、先生からの過酷な課題にヘトヘトになったこと。理科の実験で溶液の配合を間違えて、やり直しになったこと。休み時間、昼食の時間、時間が経つほどに次々と失われた1ヶ月の記憶が蘇ってくる。6時間目の授業までには、失われていた時間の全ての記憶が戻ってきた。
 出久は勝己の背中を見ながら心で問いかける。なんで、君は。あんなことを。
「今日も来んだよな、デク」
 鞄に教科書をしまいながら勝己は言う。
「あの、かっちゃん」
「あんだよ」
「なんでもないよ。うん、行くよ」
 訝しげな勝己の視線を感じる。目を上げられない。思い出したのだ。
 勝己とは付き合ってはいない。
 君はなんでそんな嘘を付いたんだ。
 キスをしてた。何度も君と。だけど付き合ってたわけじゃなかった。


「おいデク、後で部屋に来いや」
 GW明けのあの日、共同スペースで寛いでいた出久はいきなり勝己に呼ばれた。珍しいこともあるものだと、そこにいたクラスメート達は皆驚いていた。
「何か用事なのかな、かっちゃん」
 恐る恐る問うと、勝己は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて「ここじゃ話せねえんだよ」と言った。なので出久は勝己について彼の部屋に行った。
 何の話だったかは忘れたけど、一言二言話をして部屋を出ようとして。いや、忘れたというか。あの後びっくりすることがあったから、言われたこと全部吹っ飛んじゃったんだ。
 それはローテーブルの上に無造作に置かれていたDVD。「ローマの休日」のパッケージ。目が釘付けになった。
 あれは上鳴くんが持ってたレア物、てやつじゃないのか。誘われた時見せてくれたから間違いない。それがなんでかっちゃんの部屋にある?借りたの?かっちゃんが?かっちゃんもああいうの見たりするのか?嘘だろ。異性の話なんかに全然興味なさげだったのに。いや、かっちゃんだって健康な高校男子なわけだし。でもかっちゃんだぞ。マジでか。
 頭の中が軽くパニックを起こす。
「おい、何見てんだ?何考えてやがる」
 勝己の地に響くような低い声で我に返った。目を上げると赤い瞳が威嚇するように睨んでいる。
「な、何も。かっちゃん古い映画見るんだなって、意外だなって」
 中身には気づかなかったふりをしたが、明らかに動揺が声に出てしまった。
「まあな。てめえも見るか」
 勝己の悪意満々の笑みが怖い。彼は気付いてる。出久が中身を知ってることに。ひくっと喉がなる。蛇に睨まれた蛙になったみたいだ。
「いい、いいよ、僕戻らなきゃ」
「んだよ、遠慮すんなよなあ、デク」
 勝己にがしっと腕を掴まれ、ベッドに座らされた。道連れにするつもりだ。なんでこんなことになったんだ。見えるとこに置いてた君が悪いんじゃないか。馬鹿じゃないのか。見られたくなかったら隠せよ、そんなもの。
「逃げんなよ。逃げたらぶっ殺す」
 と脅すと勝己はDVDを再生デッキにセットして出久の隣に座り、リモコンのボタンを押した。
 映像が再生され、画面の中の白い部屋に男性か女性かわからない人物が登場した。
「えーと、あの人どっちかな」
 と出久は気を紛らせようと話しかける。
「黙って見てろ」
 勝己は逃がさないとでも言うように、出久の肩を組む。画面の人物が服を脱いでゆく。平静でいられない。逃げたい。
「目つぶんなよ」
 勝己がドスの効いた声で脅す。最後の一枚を脱ぎ、画面の人物の顕になった裸体に出久は声をあげる。
「この人両方あるんだ、わ、変身するんだ。凄い個性だね」
「黙ってろって、殺すぞ」
「あ、ごめん、でも、凄くない?」
 変に関心して、珍しい個性を観察しようとつい腰を落ち着けてしまった。それが間違いだったかも知れない。出久は暫く観察モードで見ていたが、人物が2人に増えて身体を絡ませあい、次第に刺激的な光景が繰り広げられ、言葉をなくした。基準はわからないけど、上鳴がレア物というだけある。観察どころじゃない。恥ずかしくなり俯いた出久に勝己が顔を寄せる。
「へっ。てめー童貞かよ」
 勝己が馬鹿にしたように鼻で笑う。
「かっちゃんだってそうだろ。誰とも付き合ったことないじゃないか」
 自分は確かにそうだが、勝己も付き合うどころか告白されたことすらないはずだ。野蛮な性格が学校にも近所にも知られすぎてたから。黙ってれば容姿は整ってるし、個性も優秀なんだからモテたかも知れないのに。
 だが、出久に言い返されたのが癇に障ったらしい。
「じゃあ、てめーで練習してやるわ」と勝己は言い出した。
 びっくりして出久は「ええー!遠慮するよ」と離れようとしたが、勝己は肩に回した腕に力を込める。
 自分が練習したいだけじゃないのか。そう言おうとした時は既に遅く、むにっと勝己の唇が口に被さった。
 頭の中が真っ白になった。押し当てられた勝己の唇は柔らかい。勝己はふにふにと出久の唇を這う。なんか擽ったいな。いつまでくっ付けてればいいんだろう。
 唇の上を勝己の舌がちろちろと触れて、隙間から口腔に入ろうとする。勝己は出久の顎を捕んで目で口を開けろと迫る。まさか舌を入れるつもりなのか。ディープキスしたいのか?でもさせないと終わらないみたい。仕方なく口を少し開けると、ぬるりと勝己の舌が入ってきた。
「うう、んん」
 口内を人の舌に舐められて探られる感覚。顔が熱くなってくる。なんだろう、これ。濡れた粘膜で感じる勝己の熱。頭の芯を侵されるみたいだ。
 勝己は一度唇を離してぺろっと唇を舐め、また口付ける。服の上から身体をさすり、腕を回して抱きしめて背中を愛撫する。腰にふわっと熱が集まってくる。
 勝己は童貞じゃなかったのだろうか?躊躇なくこんなキスができるなんて。呼吸も思考も奪われる。液晶の向こうで続いている光景はもう目に入らない。唇は離れてはぴたりと隙間なく重なりあう。口腔内を這う舌の立てる音が直接鼓膜に響く。
 ようやく唇が離され、呼吸を取り戻した。動悸が早くなって下腹部が熱い。ハーフパンツの下で自身が勃起しかけてる。勝己は俯いていて表情がわからない。勝己の下腹部も膨らみかけてるようだ。恥ずかしくなって目を逸らす。
「も、戻るね」
 声をかけるが返事はない。だが勝己は出久の肩を掴んだまま離さない。
「おいデク。明日も来い」
 漸く、思いつめたように勝己は口を開いた。
「ええ、なんで?」
「来いっつったら来い」
 勝己は掴んだ手に力を込める。
「つっ、痛いよ」
 肩が砕かれそうだ。ここはうんと言うまで離してくれないだろう。
「わかったよ」
 出久の返事を聞いて、やっと勝己は手を離す。
 肩を撫りながら「じゃあ、行くね」と出久は立ち上がり、部屋を出る前に振り向いた。「確かめてえんだ」
 勝己は背を向けたまま、独白するように呟いた。
 翌日の夜の共有スペース。皆は夜のひと時をおしゃべりしたりテレビを見たり、思い思いに過ごしている。
 だが、出久の気持ちは落ち着かなかった。時々ちらっと時計を確認しては溜息をつく。約束したから行かなきゃいけない。でも時間を決めてたわけじゃない。だけど行っていいのか。行ってどうするんだよ。かっちゃんだってあの時は雰囲気で言っただけかも知れないのに。大体かっちゃんは、僕から話しかけるといつも不機嫌になるし怒鳴るんだ。わざわざ行って怒られたらやだな。
 悶々と悩んでいるとエレベーターの扉が開いた。中から出て来たのは苦虫を噛み潰したような顔の幼馴染。ひあっと声が出そうになり、口を手で塞ぐ。勝己はまっすぐに出久の方に向かって来た。
「デク、来い」
 と勝己はむすっとしてエレベーターの方向を指で示す。
「昨日に続いて珍しー」「なになに、喧嘩?喧嘩?」と口々に発言するみんなを睨みつけ、「うっせえわ!ちげーよ。デク、グズグズすんな」と勝己は怒鳴る。
 勝己に続いて出久もエレベーターに乗った。昨日の言葉は本気だったんだ。何にしろまず話し合ったほうがいい。だが思惑通りにはいかなかった。
 部屋に入るなり、勝己は出久をドアに押し付けた。考える間もなく唇が重ねられる。言葉を継ごうとした口の中に舌が入ってくる。キスをしたまま服の上から胸や腹に触れられ、抱きしめられる。暫く口内を蹂躙され、名残惜しげに唇が離された。
「確かめるって言ったろうが」勝己は掠れた声で囁く。
「確かめるって、何を」
 出久が言い終わる前に再び唇が塞がれた。勝己は出久を抱きしめたまま部屋の中に移動し、ふたりは折り重なってベッドに倒れる。勝己は出久の上に馬乗りになって貪るようにキスをする。
 さらりと額を擽る勝己の髪。意外に柔らかい唇。おかしなことをしてる。なのに気持ちいいと思ってしまう。唇と濡れた口腔の粘膜を触れ合わせる。差し入れられた勝己の舌の動きに舌で応える。
人の身体の重みと触れ合う肌の熱。遊戯すぎないのに、たとえ真似事でも身体は反応してしまうんだ。自分の身体なのにままならない。
 その日から勝己は、部屋でも共有スペースでも構わずに、出久を呼びに来るようになった。
 勝己は人がどう思おうと気にしない。堂々としたいようにする質だ。はじめは不思議がっていた級友達も、毎夜のこととなると慣れたらしい。出久も次第に慣れてきた。
 だが夜の行為はエスカレートしていった。ギリギリここまでならいいかなと防衛ラインを想定していたが、行為を重ねるうちに、ラインは徐々に決壊していった。
 キスをするだけではなく、身体をまさぐりあうような触れ合いに。局部を扱き合うまでに。キスをしている内に、勝己が次の行為を始めてしまうので、考える間もなかった。
「馬鹿が。先いきやがって」
「ご、ごめん。でも一緒にって難しいよ」
 今日はこれで終わり、だよね。戻って宿題しなくちゃ。その前にハーフパンツはかなきゃ。でも身体に力が入らないや。
 勝己は手を拭いて悪態をつきつつ、少し何か思案しているようだ。だが「よし!」と意を決したように言うと、いきなりTシャツを脱ぎ始めた。顕になった鍛えられた身体に出久はどきりとする。もう終わったのになんで脱ぐんだ?え?なんかやばくない?ぼうっとした頭が晴れて我に返る。
「ちょ、全裸になっちゃう、かっちゃん」
「あちい。てめえも脱げ」
「え、逆だろ。服着るほうだろ。もう終わったじゃないか」
「てめえだけだろ」
「そ、そうだったね。ごめん。じゃ、じゃあ僕やるから」
「下手くそなてめえのやり方じゃいけるわけねえ」
「でも、服を脱いでしたりしたら、本当にセ、セックスみたいになっちゃうよ」
「みたい、じゃねえ。するんだ」
 そう言いながら勝己は出久の膝小僧を掴んだ。
「ダメだよ、そんなの」
 出久は膝を閉じ、腰を後ろに引きながらブンブンと首を振る。
「すれすれのことやってんじゃねえかよ。何が違うんってえんだ」
「全然違うだろ!だめだよ。僕ら付き合ってるわけじゃないだろ」
 キスしたり互いのものを触ったりしても着衣なら遊戯の範囲だと、自分に言い訳できた。でも裸でなんて。勝己と服を脱いで裸で抱き合う?想像して混乱する。頭が茹だったように熱くなる。
「なら俺と付き合えばいいんだろーが」
「はい?」
 勝己は何と言ったのだろう。付き合うとか聞こえたような。「誰と?」と問い返す。
「俺とっつったろーが!クソが」
「え?僕と君が?ごめん、意味がわからない」
「てめえがやるのに付き合うって免罪符がほしいなら、合わせてやるって言ってんだ。やるこた変わらねえ」
 そんなつもりで言ったんじゃない。続きをしてみたいから付き合うって、それは流石におかしいだろ。
 反射的に「考えさせて」と答えた。
「はあ?!てめえ、クソが。今更何言ってんだ」
「だって、すぐには答えられないよ」
「てめえは逃げなかった。俺がキスしても逃げなかった。なら同罪だろ。もう進むしかねえ。進むしかねえんだよ!」
「だから、引き返すなら、今」
「黙れ!クソナード!」
 勝己の怒りの形相が怖い。癇癪起こす寸前だ。いやもう怒ってるか。でも考えなしに返事することじゃない。
「だって、かっちゃん」
「だってとか、でもとか、てめえはいつもいつもよお」
 勝己は拳を握りこんだ。殴られる?だが勝己はその手を額に当てて、ふうっと溜息をつき、口を開く。
「一日だけ待ってやる」
 もっと怒鳴られると思ったが、勝己は怒りを飲み込んだようだ。
「一日だけだ。それ以上は待てねえ」
 勝己は出久の鼻先に指を突きつける。一応待ってくれるんだ。
「わかったよ、かっちゃん」
 出久はほっとする。やっぱりちゃんと考えないといけない。
「デク、クソが、クソナードが!」
罵倒しながら勝己は出久の手の甲を包んだ。


 ひと月の間に勝己との間にあった出来事を全て思い出した。
 言わなきゃいけない。だけど言い出せない。こんな嘘をつくなんて。勝己はどういうつもりなんだ。気が散って勉強が手につかない。
 静かな勝己の部屋の中で、時計だけがチッチッと音を立てている。正面に立膝を付いて座った勝己は鋭い眼差しでじっと出久を睨みつけている。
「てめえ、随分授業についてきてるみてえじゃねえか」
「う、うん、かっちゃんのお陰だよ」
「まだ追いつくとこまでいってねえはずだけどな」
「それは、予習したから」
 嘘をついた。勝己は怪しんでいるのだろうか。ぴんと部屋の中の空気が張り詰めたように感じる。
「一休みすっか」
 勝己は足を崩して立ち上がった。出久はふうっと息を吐く。勝己はテレビの下をごそごそ探る。なんだろう。見守っていると、勝己は一枚のDVDを取り出した。
「これでも見るか。名作ってやつだ。たまにはいいだろ」
 勝己はくるっと返してパッケージの表紙を見せる。出久は目を疑った。それは「ローマの休日」のパッケージを被ったレア物。ウソだろ、なんで持ってんだ。かっちゃんまだ上鳴くんに返してなかったのか。
「そのDVDはダメだよ、かっちゃん」出久は慌てて首を振った。
「何故だ。デク」冷静な声音で勝己が問う。
「なんでって、その、映画だよ。一本見ると2時間くらいかかっちゃうよ」
「全部見やしねえよ。それとも、他になんか理由でもあんのか」
「それはその」
「じゃあいいよな」
 勝己はディスクをケースから取り出すと、再生機器に入れようとする。
「ダメダメ、ダメだよ!」
 出久は勝己を止めようと、必死で腕を伸ばし腰に抱きついた。
「離せよ、デク、なんで止める?おかしいよなあ」
「ダメなんだ、それだけは、かっちゃん」
 DVDを奪おうとしても勝己の方が腕が長いので届かない。揉み合いになり、やっとディスクに手が届いた。だがどうやら嵌められたらしい。
「え?」
 出久の視界が反転した。勝己がベッドに出久を投げ出して押し倒したのだ。
「てめえ、思い出したんだろ! この中身知ってなきゃ止めたりしねえよな!」
「かっちゃん」
 やはり彼は勘付いていたのだ。
「また騙しやがって!いつからだ。いつから記憶が戻ってたんだ。言えよ」
「嘘をついてたのは君だろ!」
 一方的に責められるのは違うんじゃないか。理不尽な勝己の物言いに憤慨して出久は反論する。
「んだと、てめえ!」
「いつからって、今日だよ。授業中に思い出したんだ。でも君が嘘をついたから、どう言っていいのかわからなくなったんじゃないか」出久は息を吸い込んで続ける。「かっちゃん。僕らは付き合ってなかった。君はどうしてこんな嘘をついたんだ」
 出久の両腕は掴まれシーツに押さえつけられている。勝己の指が食い込んで腕が折られそうだ。ディスクは指から離れたがベッドの上にある。下に落とさなくてよかった。眉根を寄せ、低い声で勝己は答える。
「記憶を取り戻しても、てめえが白を知るんじゃねえかと思ったからだ。げんにてめえは黙ってたじゃねえか」勝己は憤りながら続ける。「いつもいつも逃げやがってよお。デク!てめえは俺を苛つかせてばっかりだぜ」
「逃げるってなんだよ。僕らの関係は名前なんてなくて。練習みたいなことしてただけだろ」
「ああ、だがデク、今はそう言えんのか?」
「どういう、意味?」
 勝己はニヤリと笑うと、言い聞かせるように言う。
「はっは!てめえが自分でクラスの奴らに言いふらしてやがるから、面白くてしょうがなかったぜ」
 勝己の言葉の意味が、じわりと理解できてくる。その通りだ。もう皆かっちゃんと僕の関係を知ってる。いまや付き合ってるのは、みんなの中では規定事項になってしまった。僕が自分で言ってしまったからだ。
「なんで、かっちゃん。取り返しがつかないよ。みんな僕らは付き合ってると思ってるよ」
「もう遅えし。事実付き合ってんじゃねえか。やっちまったしよ」
「違った、のに。セックスだって、あの時が初めてだったんじゃないか」
「はっ!てめえが返事を延ばしたりするからだ。答える前に記憶失くしたりしやがって。初めは嘘ついてんのかと思ったぜ。丁度やってた間だけ記憶をなくすなんてよお、都合がよすぎんだろ」
「でも、思い出してからでも遅くはなかっただろ」
「いつ戻るかわかんねえのに待てるかよ」
 そう言いかけて勝己は目を眇める。「いや、初めは待つつもりだったわ。轟の野郎が余計なことを言わなけりゃあな」
「轟くん、が?」
 僕がいるのは今だ、と言った彼の言葉。あれがかっちゃんを怒らせたのか。
「あー、ムカつくぜ。でもな、待ったとしてもよ。もうあんな偶然はきっと起こりっこねえ。ひと月前のあの日何があったのか、てめえに教えてやる」

5

 いくつもの偶然が重なったのだ。
 上鳴から取り上げたDVD、轟との会話で感じた焦り、傷跡が残る出久の腕。部屋に来た出久。逃げなかった出久。
 あの夜の轟との会話の後、部屋に戻った勝己は苛ついていた。あいつ、出久を見下してやがったくせに、体育祭で戦ってからころっと手の平返しやがって。俺はどうしたいのだろう、だと?わかりきってんだろ。何も見てなかった奴が、初めて興味を持ったのが出久なんだろ。試合を捨てて、てめえを救おうと感情をぶつけてくる相手に、心動かされねえわけがねえ。あいつは素直に出久に近づいていくんだろうよ。
「クソが。一匹狼を気取ってる奴が一番質わりいんだよ」
 出久に全力でかかって来いなんて言われてよ。かかってこいなんてあいつ、俺には言ったことなんかねえ。いっつも俺が逃げんなって言ってばかりだ。グラウンドベータの時だって俺が言ったから応えただけなんだ。
 あの時、俺が言うまで、出久は俺の悲鳴に気づいてなかった。いつもムカつくくらい敏感に察知しやがったくせに。最初の戦闘訓練の後だって気づいて追ってきたくせに。こんなことは今まで一度もなかった。半分野郎の悲鳴に気づいたくらいだ。あいつが変わったわけじゃねえ。側にいねえからだ。そんだけのことだ。くそっ、どうでもいいことなのに癪に障ってしょうがねえ。
 グラウンドベータでの対決で、出久は俺を見下してねえ。俺がそう思い込んでいただけだと疑いは解消したのに。積み重ねた時間で拗れた関係はもう元には戻せやしない。でも轟はこれから関係を作ることができる。あいつは素直に気持ちを出久に寄せていくだろう。俺には絶対にできない。
 出久は今まで人に相手にされたことがなくて免疫がないから、素直な好意に弱い。誰にでもすぐ心を許しちまう。だから苛つくのだ。デクと俺の間には幼馴染ってことしかねえ。今までもこれからもそれしかねえんだ。
 ふと気づく。「デクの野郎、いつかオールマイトの秘密まで半分野郎に喋っちまうんじゃねえか」
 俺にぺろっと明かしちまうくらいだ。轟に直球で聞かれてごまかせるのかよ。釘を指しとかねえといけねえ。
 勝己はすぐさま階下に降りて、共有スペースにいた出久を部屋に連れてきた。部屋に足を踏み入れた出久は呑気に窓の外を見て「かっちゃんの部屋見晴らしいいね」とか抜かしてやがる。
「学校の敷地内にあるもんしか見えねえよ」
「ほんとだ、校舎が見えるね。まだ電気がついてる。先生達まだ残ってるのかな」
 なに浮ついてやがるんだ。ふと視線がTシャツから伸びた出久の腕に落ちる。引き攣った傷跡がいくつも走る上腕。目が離せない。轟との戦いで付けた、いつになっても消えない傷跡。見るたびに体育祭での轟と出久の死闘を、昨日のことのように思い出す。苛立ってしょうがない。さっさと本題に入ろう。
オールマイトとてめえの秘密のこと、半分野郎が疑ってるぜ。てめえなんかやらかしたのかよ」
「轟くんが?特に何もしてないよ。ああ、でも彼には以前僕にオールマイトの隠し子かって聞かれたことがあったよ」
「野郎、アホか。何言ってんだ。あいつに聞かれても喋ったりすんなよ」
「言わないよ。当たり前だろ」
「どうだろうな。てめえおしゃべりだからよ」
「言わないよ!」
「てめえ、俺には喋ったじゃねえか」
「あの時は、そんなに大事な秘密とは思ってなくて。それに、君は、君にだけは隠したくなかったから」
「俺だから、か?」
「うん、そうだよ」
 出久は俺にしか言わないと言うのだ。少しだけ気分が浮上する。
「じゃ、そんだけだ。行けよ」
「そ、そう。おやすみ、かっちゃ」
 出久の言葉が途切れた。なんだ?出久はもじもじとしながらテーブルの上を見てる。視線の先には。まずい。あいつら出久も誘ったって言ってなかったか。よりによってこいつに見られちまうなんて。
「てめえ、何見てんだよ」
「え、あの」と出久は狼狽える。
 てめえの態度が知ってるって言ってんだよ、クソが。このまま行かせられるかよ。その時考えたのは、このままデクを巻き込むしかないということと、親睦を深める方法だという上鳴らの言葉。ムカつく轟へのアドバンテージ。頭に血がのぼり先のことなど考えられなかった。
 それでも出久は逃げようと思えば、逃げられたはずだ。だが出久は逃げなかった。キスしても身体に触れても。2回目3回目と続けばもう習慣になるってもんだ。
 夜になると勝己の部屋でキスをする日々が続いた。度重なれば上手くなるし気持ちよくなる。出久のマシュマロみたいな柔らかい唇を啄んで、口内を舐めて味わう。いつも生意気な出久が従順に勝己に応える。キスが麻薬みたいに習慣性があるのだと初めて知った。唇をくっつけるだけの行為であるというのに。学校にいる時もつい出久の唇を見てしまう。
 けれども次第に引っかかるものを感じるようになった。誘うのはいつも勝己ばかりだったからだ。キスで感じてるくせに、勝己に応えるくせに、出久から誘ってくることは1度もない。次第に不満が膨らんできた。お互い様なんだから、あいつからもくるべきじゃねえのか。俺ばっかりが求めてるみてえじゃねえか。
 試しにある夜は呼びに行かなかった。毎日誘っていた自分が来なかったなら、出久はどうするのかと知りたくて衝動を堪えた。だがその夜出久は来なかった。翌朝、朝食の時に顔を合わせたが、出久はいけしゃあしゃあと「おはよう」と言い、素知らぬふりをしやがった。まるでこれまでも何事もなかったかのように。
 腹が立ってその夜は夕飯をすませると、出久を部屋に引きずってきた。ベッドに座ってキスをして一旦唇を離すと、目を閉じたままの出久の首筋に唇を押し当てた。
「か、かっちゃん」と動揺する出久に構わずにちゅっと吸い、首筋を辿ってそのすぐ下にもキスをする。
 キスだけじゃなく直に肌をまさぐってやる。そう決めた。てめえに考えるさせる前にやっちまうのがいい。2回目に部屋に呼んだ時にてめえが何か言う前に、すぐ行動に移したように。
 鎖骨を甘噛みしてキスをする。窪みに舌を入れて舐める。
「噛み付かないでよ、かっちゃん」
と、出久は吐息まじりの声で抗議する。だが抵抗はしない。諦めたみてえだな。
「てめえ次第だな。唇にすんのも首にすんのもキスにかわりねえだろ」
 Tシャツから出ている首周りに余さず唇を這わせる。首まわりだけじゃ全然足りない。
 赤面した出久はふるふると首を振る。今日のところはここまでで勘弁してやる。今日のところは、だけどな。
 出久の手首を掴んで眺める。歪んだ手に残る白い傷跡。轟との戦いの残滓。キスをして唇を這わせ、齧りとってやりたいのを我慢して甘噛みする。
 その日から勝己は、出久の肌にも触れるようになった。結局一度触れてしまうと、キスだけでは物足りなくなったのだ。
 勝己に嬲られて乱れる出久が、促されるままに勝己のものに触れる様が堪らない。こいつの中で擽ったさが快感に変わってきているのだ。白い雪に足跡をつけるように、快楽を自分が教え込んでいるのだ。腹の底に湧き上がる悦び。自分の中にそんな感覚があるなんてな。苛立ちの中に潜んでいた征服欲や支配欲や独占欲が、発露する対象を得たのだ。
 だが身体の快楽を教えていけば変わるかと思ってたのに、出久はやっぱり自分からは誘って来ない。俺ばっかりが溺れていくみてえで不愉快極まりねえ。てめえは俺が飽きるのを待ってやがるんだ。てめえの考えそうなこたあわかってんだよ。いつでも前までの何もしてねえ関係に戻れると踏んでるんだろ。思い通りにしてたまるかよ。
 そう勘繰ってむかついて意地になっていたかも知れない。俺は出久が溺れるのを待ってたんだ。どこまでやればてめえが俺と同じところまで落ちんだってな。キスをして体に触れて、てめえを俺の色に染め上げても。それでも、俺だけが繋いでんじゃ意味がねえんだ。

「戦闘試験の前日、やっぱり最後までするしかねえか。どうせそのうちやるつもりだったしな。そう思って行動に移そうとしたんだ。てめえは拒みやがったがな。仕方ねえから勢いで付き合うと言ったとき、すとんと胸に落ちた。はじめからそうすれば良かったんだと気付いたんだ。そうすりゃてめえの全部が俺のもんだ。どっちが呼びに行くとか関係無え。てめえの時間も都合も全部構うこたあねえ。てめえを自由にすんのはオレの権利になるんだ。絶対無理だと思っていたものが、思いがけずやっと手に入りそうだったんだ。なのにてめえは、わけのわからん理由で、考えさせてなんてぬかしやがった。てめえには待つと言ったが、断るなんて選択肢は初めからねえんだ。もう決まってんだ。なのに記憶喪失だと?てめえは突然なかったことにしやがった。自分だけ忘れて楽になりやがって。俺だけを置いてきぼりにしやがってよ。ふざけやがって!」
「そんな、かっちゃん、理不尽だよ」
 あまりに酷いんじゃないだろうか。待つと言ってたくせに選択肢はやはりなかった。僕の意思なんて全然尊重されない。今後も自由意志は剥奪されてしまうらしい。こんな条件を突きつけられてどう答えると思ってるんだ。
「どうすんだ。デク!さんざん待たせやがったんだ。答えろよ」
 なのに何故だろう。あんまりだと思うのに、怒りたいのに、だんだん憤りが失せていくのは。君の手が震えているからなんだろうか。君のしたことは間違ってる。怒るべきなのに。肯定的できることではないのに。
「何で聞くんだよ。もう決まってるんだろ」
 何故か負け惜しみのようになってしまった口調を自覚しながらも、勝己の顔を見上げる。
「言ったろうがよ。俺だけが繋いでんじゃ意味ねえんだ。デク、答えろよ」


 6時間目のチャイムが鳴り、戦闘試験の号令がかかった。
 採掘場を模した試験エリアに爆破音が響き、地面が揺れて地響きが起こる。仕掛けられた爆弾が次々と炸裂し、生徒達は散り散りになった。
 課題は爆弾処理。爆発を避けて隠された爆弾を見つけて処理しなくてはならない。時間内にいくつ片付けられるかが評価になる。
「ぶっ壊しちまえばいいんだろ。どけえ!
 岩山を爆破しながらいち早く勝己が走ってゆく。
「あいつ、荒れてんなあ」「やんのは爆弾処理だろ。爆発させちゃったらダメだろ」と、生徒達は後に続きつつ呆れている。
「機能停止するならば、爆砕でも構わないぞ」
 彼らの会話を聞いていたオールマイトが答える。
「てことはあいつがどんどん減らしてんじゃねえか」「やべえ、急がなきゃ」「あいつの通った後にはもうねえぞ」生徒達は慌ててバラバラに試験エリアに散り、爆弾を探索し始めた。
 だが出久は上の空だった。
 学校が終わったら、かっちゃんに返事しないといけないんだ。彼の答えはもう出ている。きっと僕が逆らうことは許さないだろう。与えられたのは選択肢じゃなくて猶予でしかないんだ。
 いや、と出久は首を振る。かっちゃんに判断を押し付けるのは卑怯だ。僕は僕で決めなきゃいけない。僕はどうすればいいのか。どうすれば。
 どうするのが正しいのかは多分わかってる。もうやめるべきなんだ。気持ちを置き去りにして考えなしに彼と触れ合った。一時的な彼の気まぐれと思っていたし、多分ちょっと好奇心もあった。いいことじゃない。仮に付き合ったとして、諍いばかりの僕らが上手くいくとは思えない。喧嘩して周りに一層迷惑をかけそうだし、別れたりしたら、卒業まで今以上に気まずいままになる。
 じゃあ、やめられるのか。彼との逢瀬を。出久はふるりと震える。僕は覚えてしまった。彼の温もりを。唇を重ねて彼の手が肌を滑り身体に触れ、彼の熱に触れて、体温を分け合いながら戯れる。今更忘れられない。
 かっちゃんは答えを提示したんだ。この先に進むと。名前のなかった僕らの関係に名前がつき、意味のなかった行為が意味を持つようになる。ただの戯れだったのが性行為になるということなんだ。触れ合うだけじゃなく本番もあるかも知れない。というか、勝己のことだ。やりかけたし、ほぼ確実にあるだろう。
 僕はどうしたい。どうすればいい。出久は振り向いた。岩山の向こうに眩い閃光。聞き慣れた爆破の音。爆弾の火薬じゃなくニトロの焦げる臭い。引き続き起こる破裂音に勝己の咆哮。
 岩山の影になって見えないけれど、かっちゃんはあの方向にいる。
 始まりに理由がなくても終わるのは理由が要るんだ。たとえ始まりが正しくなかったとしても。
 僕にも終らせる理由なんてないよ。かっちゃん。
「危ねえ!緑谷!」
 誰かの声が聞こえた。


「おいデク、遅えよ。いつまで待たせんだ。さっさと来い」
 出久が共有スペースに入るなり、待っていたとばかりに勝己はソファから立ち上がって名を呼ぶ。先に寮に戻っていた勝己はもう私服に着替えている。
「おーい、チャンネル変えていいか。いいよな、もういくんだろ。テレビ見ねえよな」
 上鳴は勝己に呼びかける。勝己は舌打ちしてリモコンを放り投げて渡し、ずかずかと出久に近づいて腕を引っ張る。
「ちょっと待って、鞄、部屋に置いてこなくちゃ」
「そのまんま持って来い。俺の部屋で宿題すりゃいいだろーが」
 勝己はエレベーターに出久を引きずって入ると4階のボタンを押す。
「服、脱ぎたいし」
「それも部屋でいいだろうが」
「ちょ、それは困るよ」
 押し問答をしているうちにエレベーターは4階に到着してしまった。もういいや、着替えはかっちゃんに貸してもらおう。
 ひと月分の記憶は全て戻ってきた。欠けたところはなくなった。クラスのみんなや先生達はにも報告したら、よかったねと喜んでくれた。やっと勝己がDVDを返してくれたのだと上鳴君からは礼を言われた。
 あれからまだ勝己との勉強会は続いている。
 今後も続いていくのだろう。

END

優しい時間(全年齢バージョン)

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 落ちる。
 青葉の茂る木の枝が足元から離れていく。
 眼前に青い空が見えた。
 木漏れ日を背にして勝己の姿が逆光になっている。焦燥した表情を顔に浮かべているようだ。出久の腕を捕まえようとこちらに手を伸ばしている。だが子供の手では届かない。 こんな高い木から落ちたらどうなっちゃうんだろう。僕死んじゃうかも。
 出久が目を瞑ると背後から爆音が響いた。温かい爆風に抱かれるように押し上げられ、地面にふわりと背中から着地する。
 助かった。今のはかっちゃんがやったのか。
 でも元はといえば落ちたのは、かっちゃんが手を放したからじゃないか。
 木から降りてきた勝己が出久を見下ろす。一瞬心配そうな表情に見えたのは気のせいだろうか。心底ムカついたように彼は言った。
「落ちてんじゃねえよ、バカデク」

「こっちが小さい頃よく遊んだ森なんだ」
 出久は麗日と飯田に地元の雑木林の案内をしていた。初めての友達が自分の町に来てくれたのだ。心がウキウキと弾んでいた。木の葉を踏みしめ、3人は木漏れ日の射す坂道を歩いてゆく。
 今日は早帰り。「せっかく時間があるんだから、駅を降りてデクくんの住む町を散策しよう」と言い出したのは麗日だった。
「意外とアウトドアだったんだな」
 と言いながら飯田はハンカチで汗を拭いている。
「うん、かっちゃんといると、ほとんど外遊びだったから。いつも一緒にいたんだ」
「爆豪くんとか?」
「ふたりの時も他の友達がいる時もあったけどね。かっちゃんは積極的に色んな事をやりたがるから、毎日が冒険でわくわくしたよ」と答えてから、あ、と付け加える。「小さい頃はね、仲良かったから 」
「そうだったな。今の緑谷くんと彼からは想像出来ないが」
「色々あったんだ。今となってはもう何が原因かわからないくらい」
 憧れて背中を追いかけた。彼のようになりたかった。ずっとそう思っていられたならよかったのに。
「そのうち普通に話せる時がくるよ、デクくん」麗日が朗らかに言った。
「うん、ありがとう、麗日さん」
「クラスの結束のためにもそうなることを望みたいものだな」
「真面目!学級委員長らしい言葉だね、飯田くん」
 そんな日はいつ来るだろう。いつか来ればいいけれどまるで想像できない。
 森の中を川に沿って歩くと、開けた丘に出た。原っぱの真ん中に高い木が見える。高さは2、3階の建物くらいだろうか。5階くらいはあるように思っていたけれど、子供だったから高く見えたのだろう。それでも十分高い大木だ。記憶より枝葉が伸びて青々と繁っている。
 麗日の個性に浮かして貰って木の頂上近くまで浮き上がり、太めの枝を選んでそれぞれ座った。森の向こうに出久や勝己の家の屋根が見える。
「いい景色だね」
「うん。ここから街が見渡せるんだ」
 そう言いつつ記憶を探る。何故だろう。ここからの景色に見覚えがないような気がする。木には登ったはずなのに。今初めて見たように感じるのは僕が大きくなったからだろうか。

 翌日、食堂にて。出久は麗日、飯田と共にトレーを持って行列に並んでいた。一般にはさほど知られていないクックヒーローも、出久には名前を知る憧れのヒーローのひとり。顔が見られないかなと惣菜の並ぶ棚の隙間を覗く。
「あの木、結構高かったよねえ。小さい頃でしょ。よく登れたねデク君」
小鉢をトレーに乗せながら麗日が言った。
「うーん。どうやって登ったんだっけ」
 出久は遠い記憶を思い起こす。もやっと得意げな金髪の幼馴染の顔が浮かんできた。同時に付随した記憶が蘇ってくる。
「ああ、かっちゃんだ。かっちゃんに無理やり木の上に連れて行かれたんだった。しがみついていた手を離されちゃって。落ちて大泣きしたんだ」
「あの木からか?大変じゃないか」
 飯田が驚いて聞き返してきた。出久は慌ててフォローする。
「でも、でもね、かっちゃんが爆風を起こしてくれたから、大怪我もなく事なきを得たんだよ。落ちてんじゃねえってキレられたけど」
「彼のせいではないのか」
「まあ、そうだけど、昔のことだから。そっか、だから。あの時は景色見る余裕なんてなかったんだな。覚えてないはずだ。結局僕も昨日初めて見たようなもんだね」
 背後から呆れた口調の上鳴の声がする。
「また爆豪かよ。あいつとろくな思い出がねえんだなあ、緑谷」
「お前、ガキの頃から理不尽なとこ変わらねえのな、爆豪」
 切島の言葉に驚いて振り向いた。二人の後ろにいる赤い瞳にギロッと睨まれる。
 誰にも言うなよ。
 あの後の記憶が蘇った。そうだ。かっちゃんそう言ってたんだった。
 舌打ちすると勝己は列から離れて通り過ぎてしまった。すれ違いざまに肩をぶつけられる。
「あ、かっちゃん」
 忘れてた。そういえばあの時「絶対誰にも言うなよ。俺たちだけの秘密だからな」って、そう言ってたんだ。皆に教えちゃった。それって僕を落としたことを言うなって意味だろう。なんか勝手だな。でも一応謝ったほうがいいのかな。こんな約束、もう覚えてないかも知れないけど。
 トレーをテーブルに置いて席につく。飯田と麗日は向かい側に座った。
「爆豪くん、昔デクくんのこと馬鹿にしてたんだよね」麗日が言った。
「かっちゃんだけじゃないけどね。昔だけじゃなくて、かっちゃんは今もだと思うよ」
「だからデクって」
「ううん。今のその名前はかっちゃんじゃなくて、麗日さんがつけてくれた名前だよ」
「えへへ」麗日が微笑む。
「おら、邪魔だデク!ちゃっちゃと椅子引けや。狭えんだよ」
 いつのまにか背後に立っていた勝己が怒鳴った。
「わあ!なんで後ろに」反射的に身体が竦んでしまう。
「そんなに驚くことかよ、緑谷」勝己の向かい側に座った上鳴と切島が笑う。
 慌てて出久が椅子を引くと、勝己はそのまま真後ろの席に座った。他に開いてる席はいくらでもあるのに、なんでわざわざ側に座るんだろう。引いた椅子を戻せなくなった。
「緑谷くん、君の力は誰もが認めざるを得ないんだ。彼にしても、もう馬鹿にしたくてもできないだろう」飯田は溜息をついた。「しかし、子供ならともかくウマが合わなければ、関わらないようにするのが普通だと思うんだが。彼は変わってるな」
「飯田くんも合わない人でも放っておけない方だよね」麗日がさらっと言う。
「麗日さん、それだと飯田くんも変わってるって意味に」
「ぼ、僕は、俺は委員長だからだ」憮然として飯田が答える。
 あの頃は。出久は言葉を飲み込む。友達にも言えないことだ。あの頃は個性がなかったんだから。勝己だけじゃなく皆に馬鹿にされていて、それが普通だった。
 でも今は授かったものとはいえ、個性を持ってるんだ。勝己や皆と同じように。だから胸を張っていいんだ。そうなんだけれど、どうもまだ慣れない。
「昔のことはしょうがないが」飯田が続ける。「だが、君もいけないかも知れないな」
「え?」
「そうそう」背後から上鳴が声をかけてくる。「爆豪が苦手なんだろうけどさあ、何もしてなくても怯えるなんて失礼とすら言えねえか?」
 切島も上鳴に続けて話し出す。
「怯えねえでさ、ちゃんと向き合ってみろよ、緑谷。そうすれば、ちったあこいつも変わってくるんじゃないか?」
「なあ、爆豪」
「うっせえわ、クソが。くだらねえことぺちゃくちゃ喋ってんなよ。俺あ行くぜ」
 勢い良く立ち上がった拍子に勝己の椅子がガタンとぶつかり、出久の椅子に衝撃が走る。舌打ちをして振り返りもせず勝己は立ち去った。
「おい爆豪!乱暴だぞ」
「大丈夫か?緑谷」
 上鳴と切島が心配そうにこちらを向いている。出久は背中をさする。自分達のことをからかわれるのはいつものことなのに。他に何か気に触ることでもあったのだろうか。
「うん、全然平気だよ」食堂を出て行く勝己を見送りながら、出久は言う。「君達の言うとおりだね。できれば僕もかっちゃんと向き合いたいんだ」
「おお、その意気だぜ」上鳴は親指を立ててにかっと笑う。
 食事に戻って出久は考える。
 ああは言ったものの。勝己の攻撃性は生来のものだ。昔から自分が関わりなくとも、いつも周囲を威嚇してあんな感じだった。
 けれども確かに、間違ってるところは自分にもあるかも知れない。
 勝己の嫌がらせは振りきれてないところがあった。酷い物言いに散々傷つけられたが。 ノートを焦がしても焼失させたりしなかった。暴力を奮っても脅す程度。大怪我を負わせたり身体に酷い火傷を残すようなことはない。カツアゲもしない。内申書に響くからと嘯くが大したことはしないのだ。ならば目的もなくわざわざ何故絡むのかと、出久自身も思い当たらず、勝己の取り巻きも不思議がっていた。
 ただただ気に食わないからと言って。それだけで。
 容赦なく暴力を奮われたのは、高校で最初の授業の時が初めてだ。個性を隠していたと決めつけて、怒りのままに彼は自制を失った。遠慮のない剥き出しの感情に晒されるのは、今までとはとても比較にならない怖さだった。それで、これまでは手加減をされていたのだと知ったのだ。あれでも。
 ああ見えて彼は理性的なんだ。今のままがいい状況ではないことはわかってるはず。皆と同じように級友と呼べるようになるには、僕がかっちゃんへの感情をフラットにしていかないといけない。
平常心で付き合えるようにならなくちゃだめだ。相手を変えるには自分が変わらなきゃ。飯田くんの言うように、上鳴りくんや切島くんの言うように。クラスの結束のためにも。

 帰りの電車を降りて駅のロータリーを抜けると、10メートルほど前を勝己が歩いていた。 帰り道で彼を見かけるのはいつものことだ。タイミング的に毎日同じ電車に乗ることが多いわけだから。
 いつも学校から飯田や麗日と一緒に電車に乗って帰るけど、彼らと降りる駅は違う。降車してからは彼らとは別々になり、かわりに勝己と自宅までの道のりを共にすることになる。近所だから家まで帰り道は同じだ。会うと気まずいが、かといって避ける理由もなかった。
 いや、気まずいと思っちゃダメだ。平常心平常心。皆みたいに級友だと思うんだ。そう考えつつも出久はただ彼の背中を見つめて歩く。
 昔と同じだ。彼の背中を追っていた幼い頃と。でも同じじゃないはずだよね。
 ふと、勝己が立ち止まり、振り向いて怒鳴った。
「おい!俺の背後を取るんじゃねえよ。ついてくんなや。クソデク」
「ご、ごめん」反射的に謝してしまったが、言い返す。「家、同じ方向だからしょうがないよ」
「ああ!?」勝己は目をむいて睨んでくる。
 出久は怯んだものの意を決し、歩みを早めて勝己を追い越そうとした。だが追い抜く寸前に強く腕を捕まれ引き止められる。
「てめえ、俺の前を歩くんじゃねえ」
「は?理不尽だよ。どうしろって言うんだよ、かっちゃん」
 勝己は 苦虫を噛み潰したような顔で睨みながら手で示す。
「隣、歩けや」
「え?」
「さっさと隣に来やがれ!てめえトロいんだよ」
「う、うん」
 恐る恐る隣に移動する。連れ立って歩きながら勝己の顔をちらちらと伺う。機嫌がいいわけでもないみたいだ。どういう風の吹き回しだろう。隣を歩けなんて。けれども昼間のことを謝るいい機会かも知れない。
「あの、今日はごめん」
「は?何がだ」
「昔の話、皆に話したりして」
「ああ?どうでもいいわ。あんなの」
「それに、かっちゃんが昔教えてくれた場所、麗日さんと飯田くんに教えちゃった。ごめん」
「てめえ、何かと思ったら、今更そんなくだらねえこと言いやがって」
 勝己はいつものように爆発せず、ふつふつと憤り出した。だが怒鳴るでもなく燻らせたままそれ以上何も言わない。なぜか我慢しているようだ。
「うん、そうだよね。でも約束だったから」
「今更だばあか。約束ってんなら破んなや。バカデク。ていうか、約束したのはそこじゃねえ」
「そうなんだっけ。他に何か約束した?」
「覚えてねえならいいわ」
 言葉に棘がなくなった。あれ?もう怒ってない? やけに優しいというか大人しいというか。どうしたんだろう。
 薄紅色の夕焼けを筆で描いたような墨染めの雲が覆ってゆく。陽の名残りが雲の隙間に透けて金色の波のよう。黄昏が隣を歩く幼馴染の顔を影色に隠してゆく。表情をそっと伺う。穏やかそうに見えるのは気のせいだろうか。勝己が振り向く。
「んだよ。何顔見てんだ」
「ううん、ごめん、何でもないよ」
「ふん」
目が合っても怒られない。どうしたんだろう。
 無言で歩きながらつらつらと考える。個性がないと馬鹿にされてたあの頃は、今と違って友達は一人もいなかった。勝己だけがやたらに絡んできただけで。ある意味そんな彼との歪な関係が、唯一の同級生と繋がりだったようなものだ。彼が絡んで来なければ、ひとりなりに平穏な生活だったろうけど。
 彼は周りに何を言われても、構わずに毎日何かと言いがかりをつけてきた。それは雄英に来た今も、多少減ったとはいえ変わらない。だから、いつ難癖つけられるかと構えてしまう。
「おい、デク」
「な、何?かっちゃん」
「お前んちだろうが」
「あ、ホントだ」
 いつの間にか自宅に到着していた。勝己の歩幅に合わせていたせいか、いつもより早く着いた気がする。
「じゃあ、また明日」
 勝己は何か言いたげな素振りを見せたが「ああ、じゃあな」とだけ返事した。
 普通だ。出久が玄関のドアを開けても勝己はまだ門の前に佇んでいた。ちょっと手を振ってみると、勝己はフンッと横を向いて漸く立ち去った。
 どうしちゃったんだろう。 すごくイライラを我慢してるようにも見えたけど。上鳴くんや切島くんの言う通りなのかな。そうだ、彼らが何か言ってくれたのかも知れない。人の言うことをきくようなかっちゃんではないのだけれど。
 かっちゃんの気紛れなんだろう。こんなの今日だけで、明日になったらまたいつもどおりになるんだろう。
でもなんか、嬉しかったな。
 出久は心がふくっと暖かくなるのを感じた。

 だが予想に反して、翌日勝己は駅の改札口で出久を待っていた。目が合うと隣を歩くよう示され、また肩を並べて共に帰宅した。やはり眉間に皺を寄せて何か我慢している様子だったが、歩くうちに不機嫌な表情ではなくなっていった。家に到着すると出久が玄関に入るまで、勝己は門の前で立っていた。
 なにがなんだかわからない。訳がわからないままに次の日も、その次の日も彼は待っていて、いつの間にか一緒に帰宅するのが日常となった。勝己がまだ来ていない時は出久が待っているようになった。はじめは恐る恐る話しかけていたが、怒鳴られないとわかると、次第に授業の話や世間話もできるようになった。気まずいこともなくなってきた。
「お、おはよ」
「おお」
 出久の挨拶に勝己はちょっと目を向けて短く返す。以前はギロッと睨まれたり舌打ちされたりしたものだけれど。普通の何気ないやり取りをしているなんて、ちょっと前なら考えられなかった。今でも不思議でたまらない。
どうしちゃったんだろ。事あるごとに言いがかりをつけてきたかっちゃんが。聞きたいけれど聞きづらい。 居心地は悪くないけど、ついぞ訪れたことのない平穏な日々に戸惑ってしまう。気まぐれ、なのかな。今だけなのかな。前の席に座る勝己の背中は何も語ってくれない。
「爆豪、最近緑谷に無闇に怒鳴らなくなったな」
 上鳴と切島が勝己の席に近づいてきた。上鳴が後ろの席の出久に目配せしてにっと笑う。
「目が合うだけで突っかかってたのにな」
「て言うか、今までもよー。先に爆豪が目合わせてたんじゃねえの」
「そりゃあさ、あれだ、あれ。だから機嫌いいんだろ」
 二人はニヤニヤと笑っている。上鳴がこちらを向く。
「一緒に帰ってんだろ。緑谷」
 いきなり話を振られた。ちらっと勝己の背中を見る。別に言ってもいいんだよね。
「え、うん。そうだけど」
「やっぱなー」
「うるせえ!」
 勝己が怒鳴った。だが怒っている時の声音ではない。らしくないこと指摘されて照れてるみたいな感じだ。
 皆もいいことだと思ってくれてる。自分も緊張せずに勝己と一緒に歩けるようになるのは嬉しい。勝己も関係をリセットして新しくするべきだと思ってるのかもしれない。自分と同じように変わろうとしてるんだ。
 友達、は無理、かな。でも友達にはなれないにしても、他の関係のあり方があるかも知れない。他の関係ってどんなだろう。幼馴染なのはずっと変わらないけど。出久は思いを膨らませた。

 その日の帰り道。突然立ち止まると勝己は「食ってくか。お前も来い」と言い、ファーストフードを顎でしゃくった。出久は迷った。どうしよう。小腹は空いてるけど、帰りに食べるところに立ち寄ったことなんてない。
「いいよ僕は。お母さんがご飯作ってるし」恐る恐る出久は返事する。
「ごちゃごちゃうるせえ!どっちも食えばいいだろ」
 勝己は苛立ちを顔に浮かべた。出久は反射的に後退りしたが、勝己に腕を捕まれ、無理やり引っ張られて店に連れ込まれる。
「横暴だよ、かっちゃん」
「家で食っても外で食っても一緒なんだよ」
振り向いて勝己が言った。
 僕と一緒に御飯食べたいの?らしくない勝己にどうしていいかわからなくなる。
 勝己はバーガーを3個とコーラ、出久はシェイクを買って席についた。勝己はあっという間にガツガツとバーガーを平けてしまった。シェイクは冷たくてすぐには飲みきれない。僕が待たせてるのかな。でも、今が自分の意思を伝えて彼の考えを確認するチャンスだろうか。シェイクをちょっとずつ吸いながら言葉を探す。
「あの、かっちゃん。戻れるよね」
「は?」
「うんと子供の頃みたいに。その、そうだと僕は嬉しいけど」
 昔みたいに、と。だが勝己の表情が変わった。みるみる眉間に皺が寄ってゆく。
「は!昔みてえに戻りてえだと?俺はそうなのかとでも?」
 勝己は突然声を荒らげると、テーブルを平手で強く叩いた。 驚いて出久はビクッと慄く。
「んなわけねえだろ。俺は違うぜ、デク。無理だ。戻れるわけがねえんだ。元になんか全ッ然戻りたくねえし。水に流してなかったことにしてやろうって言ってんのか。てめえは。ざけんな! 」
「か、かっちゃん?」
 いきなり憤る勝己に出久は戸惑った。何を怒ってるのかわからない。
「デクってアダ名みてえによ。勝手にてめえは。畜生っ!なんでもてめえの都合がいいように上書きすりゃあいいだろうが。てめえはそうでも俺はなあ」途中で勝己は言葉を切り、出久を睨む。「 クソが!」
 言い捨てて勝己は席を離れた。勝己の剣幕に押されたが、我に返って出久はすぐに後を追いかける。洗面所に続く通路で勝己は立ち止まっていた。拳をぎゅっと握りこんでいる。
「どうしたの、かっちゃん」
「だー、もう!やめだやめだ!まどろっこしいわ」
 と勝己はいきなり切れた。振り向きざまに出久を壁に押し付ける。
「痛い、かっちゃん、なに」
 壁にぶつけられた肩の骨が痛い。抗議しようとして、釣り上がった勝己の眼差しに息を呑む。なんか怒らせるようなこと言ったんだろうか。勝己の両手に囲まれて正面から向き合う形になった。
「俺と付き合え。デク」
「付き合うって、どこに」
「舐めてんのかてめえは!付き合うっつったら一つだろうが」
「まさか、それって、お付き合いのこと?」
「他にあんのかよ」
 何言ってるんだろう。勝己の言葉が頭に入ってこない。
「えーと、え?冗談」
「俺が冗談言ったことあったかよ」
「な、ないね」
「じゃあ、決まりな」
「え、待ってよ。その、君のことをそんな風に思ったことなんてないよ」
「なら今思えよ。今から思え」
 勝己は出久の胸ぐらをつかんで唇を重ねた。濡れた柔らかい感触。
 かっちゃん、何を?かっちゃんとキスしてるのか僕は。
 出久は動転して慌てる。なんでこんなこと。誰かが来たらどうしよう。唇の隙間から勝己の舌がねじ込まれた。驚いて首を振ると顎を固定される。
「う、んく、ん」
 荒々しく口内を蹂躙されて苦しい。勝己は歯列をなぞり口腔を隈なく舐める。息継ぎの合間にも唇は離されず、また角度を変えて深く重ねられる。出久の逃げる舌を追いかけて勝己のそれがさらに深く差し入れられる。
「ん、んー」
 息が詰まりそうになりそろっと舌を差し出した。そこを待っていたとばかりに絡め取られる。舌先から舌裏まで勝己の舌が生き物のように這い回る。勝己の唾液は薄いコーラの味がする。
 音を立ててやっと唇が離れた。
「ん、はあ、は、はあ」
 漸く解放されて呼吸を取り戻せた。咳き込んで声が掠れる。頭の芯がぼうっとする。
「甘え」
 勝己が呟く。
 嬲られた舌がじんと痺れている。まだ口内に勝己の感触が残っているようだ。
「なあ、どうなんだ。デク」
 勝己も息を整えながら、また問うた。
 本気で自分に聞いているんだ。かと言って勝己と付き合うなんてとても考えられない。でも断ったらどうなる。また前みたいなギスギスした関係に戻ってしまうのか。それは嫌だ。どうしても嫌だ。嫌だけど。どうすればいいんだろう。
「さっさと答えろや。答えによっちゃあ」
 勝己は出久の目の前に掌をかざしてパンっと火花を出した。ニトロの匂いが漂う。
「むちゃくちゃだ!こんなとこで個性なんか使ったら、お店が壊れちゃうよ」
 慌てて出久は勝己の掌に手をかざして蓋をした。だが熱くてすぐに手を離してしまう。
「だよなあ、デク。さっさと答えろや」
 とても僕の意志なんかきいてくれそうにない。大体付き合うって何するんだよ?僕とかっちゃんで。かっちゃんはなにか勘違いしてるんだ。きっとそうに決まってる。
 元々出久は勝己に押されると従ってしまう。逆らう時は正義感が勝つからだ。自分が正しいと確信してる時は、命を賭しても絶対に譲れない。けれども善悪の介在しない事象では、自分が譲って収まることならばと結局譲ってしまう。
 今の勝己に悪気は感じられない。やり方は問題ありだが、そもそも言ってることが問題だらけだがそれでも。ならば自分としてはここで抗うべき理由がない。
 出久は落ち着こうと深呼吸する。なんだかんだ言っても、折角勝己から歩み寄ってくれていたのだ。願ってもないことだった。それが嬉しいと思ったのだ。他のことは後で考えよう。
「いいよ」と出久は承諾した。
「よし」
 勝己はニヤリと笑い、腕の囲いを解いた。張り詰めた空気が霧散する。出久は安堵して身体の緊張を解いた。
「それで、何をしたいの、かっちゃん。デ、デートとか?」
「は?今更何言ってんだ。そりゃ今やってるだろうが」
「そ、そう?これデートだったんだ。じゃあこのままでいいってことかな」
 ひとまず出久はほっとした。だが勝己が怒鳴る。
「はあ?馬鹿かてめえは!」
「そ、そうだよね。じゃあ何をすればいいのかな」
「はあ?何をって、てめえ。このくそナードが」勝己は口籠り、そっぽを向いて続ける。「調べろよ、てめえはオタクだろうがよ」
 勝己をしても言いづらいことなのだろうか。それともあえて自分で調べてこいと言いたいのだろうか。
 帰宅して出久はパソコンに向かった。困った時のグーグル先生だ。付き合うって、男同士でどうするのかってことかな。身体の構造的にできることって。調べていくうちに出久は青くなった。
 まさか、こんなことかっちゃんと?そんな、とても無理だ。
 僕、これをOKしちゃったの?

 翌日の学校。昨夜から気の重いままに、出久は寝不足気味で登校した。
 教室に入ると勝己と目が合った。心臓が跳ねる。だが彼は昨日のことなどなかったかのように平然としている。前の座席に座る勝己の背中を見ながら思考がぐるぐると渦を巻いた。
キスまでしてきたんだ。しかもあんな濃厚な。冗談ではないのだ。 どうして僕なんだろう。どう考えればいいんだ。
 確かめたいと思ったが、なかなか学校では二人きりになれない。勝己は休み時間にはさっとどこかにいなくなる。昼休みになっても食堂には来ていない。上鳴に聞くと、売店でパンを買って何処かに行ったらしい。
「最近爆豪くん、デクくんにつっかかってこんね」麗日が言った。「デクくんもそう思うよね」
「え、う、うん。そうだね」
 思いがけず勝己の名前が出て焦ってしまう。
「教室でも後ろ向いてはデクくんに言いがかりつけてたのにな。そういうことも最近はほとんどないし、廊下で睨んでくることも少なくなったな」飯田が言った。
「やっぱりそれっていいこと、なんだよね」出久はふたりに尋ねる。
「いいことじゃないか?爆豪くんも成長してるんだろう」飯田は言葉を続ける。「いつまでも子供じゃいられないと彼もわかってるんだろうな」
「そ、そうかもね。このままのほうがいい、よね」
「そりゃそうだよ。というか、爆豪くんが怒るとデクくんがびくびくしちゃうし。ウチはデクくんが良いのがいい」麗日が微笑んで言った。
「何か、引っかかるのかい?緑谷くん」
「ううん、何も。僕も良いことだなあと思ってるから」
 出久は2人に笑顔を見せる。 どう説明していいものかわからないし、なにより心配はかけたくない。

 とうとう学校では勝己と話す機会はなく、帰宅時間になった。後は電車を降りてからの2人の帰り道。駅の階段を下った先で、いつものように壁を背にして勝己が待っていた。
「かっちゃん、あの」
 話そうとすると勝己は「来いよ」と顎をしゃくった。少し早めの勝己に歩調を合わせて黙って並んで歩く。
「調べたんかよ」やっと勝己は口を開く。
「うん、あの。本当にあんなこと、したいの?」
「したいのか、だと?てめえ、付き合うって言ったよな。撤回する気か。殺すぞ!」
「だって僕男だよ?」
「今の時代珍しくねえだろ」
「それはそうだけど」
 性別も年齢も人種もはたまた種族すら超越する個性の時代だ。前時代ならともかく確かに珍しくはない。だがいざ自分がそうするかというと、まるで考えが及ばなかった。男女の性交ですら未知の世界だというのに。しかも相手は勝己だ。
「何も今日明日しようってんじゃねえんだ」
「そうか、そうだよね。なんだ」
 出久はほっと胸をなでおろした。
「心構えだけはしとけよ」
「う、うん」
 考えるのはその時でいいだろう。今は居心地のいいこの関係を続ければいいのだ。
 先送りにしただけだというのに、出久は安堵した。だがその日は思いのほかすぐに来ることになる。

 3日後、出久は勝己に家に来るよう誘われた。
 思いもよらない歩み寄りに出久は浮かれてしまい、迂闊なことに3日前の勝己の言葉をすっかり忘れていた。
「いいの?」
「いいって言っただろうがよ」
「かっちゃんの家なんて何年ぶりだろ。ううん、十何年ぶりかな」
「てめえ聞いてんのかよ」ぼそっと勝己が付け加える。「俺んち今日親いねえし」
「かっちゃんち共働きだもんね。お母さんにかっちゃんちに行くって言わなきゃ」
 鞄を置いて母親に一声かけると、待っていた勝己と一緒に家に向かった。変わらない勝己の家。リビングを抜け、すぐに勝己の部屋に案内される。部屋の中は子供の頃と随分様変わりしていた。おもちゃ箱も勿論ないし。ベッドと本棚と机の上にパソコンがあるだけで、随分シンプルになっている。
「昔貼ってたオールマイトのポスター外したんだね。あれ、かっこよかった」
「たりめーだろ!とうの昔に外したわ。俺はオールマイトを越えるんだからよ」
 自分のオールマイト尽くしの部屋とは大違いだ。オールマイトを越えるなんて、力を貰っても自分にはとても言えない。けれども勝己は幼い頃から本気で言えてしまう。そこが勝己の勝己らしいところだ。
「てめーはまだベタベタ部屋中にポスターとか貼ってんのかよ」
「うん、もっと増えてるよ」
「ガキか、てめーは」
 部屋の中を眺めているとするりと背後から腕が回った。ドキリとして身体を捩るがさらにぎゅっと力が込められる。
「か、かっちゃん? 」
 恐る恐る声を出す。勝己は出久を羽交い締めにして告げた。
「するぞ。わかってて来たんだよな。デク」
 背後から耳元で囁く声。吐息。ぞわりと背筋に痺れが走る。
「ごめん。わ、わかってなかったよ」
「てめえコラ!ふざけんなよ。じゃあ今わかれや」
「あの、正直に言うよ」出久は深呼吸して口を開く。「僕には無理だと思う」
「ああ!? デクてめえ!いい加減にしろよ!やりもしねえで怖気づいたってだけでよ」
「だって、かっちゃん知ってるの?あんなすごいことするんだよ」
「アホか!知っとるわ、クソデク」
 もがいて腕を逃れたが、ドアは勝己の背後。彼はにやりと笑って後ろ手に鍵をかけた。逃げ場のない部屋の中で勝己にじりじりと迫られる。後退って距離をとったものの、出久の後ろには壁しかない。
「待ってよ、かっちゃん」
「ざけんな!待つって何をだ。無理かどうかはやってみねえとわかんねえだろうが!」
 とうとう壁際に追い詰められた。腕を捕まれ身体を押し付けられる。勝己は172センチ、自分は166センチ。目の前に立たれると少し見上げる形になる。ドキンと動悸が高鳴る。昔からこうやって威嚇されてきた。怒気を含んだ赤い瞳に身体が反射的に竦む。
「これ以上待てっかよ!観念しろや、クソナード」
 勝己の顔が近づいてきた。唇が触れる。後退りすると後頭部を捕まれ唇が重ねられた。はずみで開いた口の中に勝己の舌が滑り込む。舌が触れ合い、くちゅりと音を立てる。逃げるとさらに奥に入り、舌を絡め取られ嬲られる。暫く口腔内は勝己の思うがままに蹂躙された。ねっとり舐め上げ、貪るように蠢く。漸く糸を引いて唇が離れる。呼吸を奪われて息が苦しい。
「逃げたら頭爆破するぜ」
 勝己は熱を含んだ声でそう脅し、またキスをする。
 何言ってんだ。僕だって反撃くらい。
 だめだ、できない。僕の個性を出せばかっちゃんの部屋を破壊してしまうかも知れない。
 個性の調整は勝己のほうが一枚も二枚も上手だ。勝己は狙ったものだけを爆破できるだろう。僕はまだ使いこなせない。もしも取り返しのつかないことになったら。
 勝己は出久の腰に腕を回してベッドに押し倒した。シャツのボタンを外してゆくと、ズボンを下着ごと手早く引っこ抜く。押さえつけたまま器用に衣服を剥ぎとってゆく。一糸纏わぬ姿にされた。抵抗するべきなのか、するならどこまですべきなのか。出久が思考を巡らせるうちに事態は後戻りできないところまで進んでいく。
「観念しろよなあ、デク」
 出久の上に馬乗りになると勝己は悪辣に笑い、服を脱いでゆく。鍛えられた身体が顕になった。綺麗に筋肉ついてるなあ。僕もそこそこついたと思うけど全然敵わないな。と、そんなことを考えてる間に、裸になった勝己の身体が出久に覆いかぶさった。
「か、かっちゃん?かっちゃん」
 重みのある筋肉質な身体。肌が触れあいぴったりと重なる。背中に回された腕が出久の肩と肩甲骨を撫でる。弾力のある硬いものが下っ腹に当たった。これって、まさかかっちゃんの?思い当たって顔が熱くなる。
「デク、口あけろ。腕はこう、俺の背中に捕まれや」
 唇がくっつきそうな距離で勝己が指示する。促されるままに背中にそろっと手を回した
 夜が更けて空が白々と明るくなっていた。
 カーテン越しの薄明かりの中で出久は目覚めた。見慣れないベッドの中。軽い薄手の羽根布団にさらさらしたシーツ。下着も何も身につけないで裸のままだ。背中に感じる温もりは勝己。剥き出しの背中と臀部が触れあっている。あの後何度身体を重ねたかわからない。疲れて眠気が押し寄せてきて、「寝るな」と怒る勝己の声を聞きながらそのまま意識を手放した。
 僕は昨日かっちゃんと。
 あり得ない。なんてことをしたんだろう。彼の意志の強さを知ってるのに、説得できるなんて思い上がってたんだ。呑まれてしまうのは僕のほう。いつもそうだったじゃないか。
 流石にこれが一度で済まないことはわかる。後で考えればいいなんて、そんなものじゃない。浅はかだった。勝己に触れられた肌がまだ熱を持っている。繋げられた身体と身体。体の奥に植え付けられた感覚。獣みたいな行為。
 彼が、怖い。また彼が怖くなってしまったのか。なんでこんな。
 昨夜の衝撃が忘れられない。元には戻れない。越えてしまった。取り返しのつかないことだ。
 勝己が身じろぎをした。ドキッとする。そろっと触れ合っていた身体を離す。ベッドのスプリングが揺れる。勝己が目を覚まして身体を起こした。
「起きてんだろ。デク。こっち向けよ」
 出久は緊張して縮こまった。動悸が早くなってゆく。
「おい、おいって」
 肩を揺さぶられたが、出久は布団をぎゅっと掴んでさらに丸まる。
「てめえ、目も合わせらんねえのかよ!」
 勝己が焦れてますます苛立った口調になる。だが振り向けない。きっと今彼に見られてはまずい顔をしてる。
「こっち向きやがれ!」
 肩を捕まれてあっさりひっくり返された。力任せに組み敷かれ赤い目に見下ろされる。
「てめえ。なんだよ。その被害者面はよ!」 勝己は声を荒らげる。「合意の下だったよなあ。おい!」
 裸のままの剥き出しの勝己のペニスが押し付けられる。昨夜固くなり自分の中で暴れていたもの。頭が沸騰しそうだ。出久は身体を捩った。
「離してよ、こんなのダメだ、かっちゃん」
「ああ?」
「僕自身が君に臆してしまう。僕は君に対して平常心にならなきゃいけないんだから」
「何言ってんだ、てめえ」
「皆と同じように。だから」
「は?何言って」勝己は訝しげな顔をしていたが、徐々に理解したらしい。みるみる目元が釣り上がる。「デク、てめえ、俺を他の奴らと同じとこに落とそうってのか」
「落とすなんて、違うよ。僕らの関係をフラットにしないと前に進めない。これじゃまた君を」出久は目を逸らして続ける。「君を、怖いと思ってしまう」
「クソが!」勝己は声を震わせる。「俺はてめえが嫌いだ!」
 激怒した勝己が怒鳴った。彼の目が爛々と赤く光り、眼光鋭く出久を睨みつける。反射的に身体が竦み上がった。
「かっちゃ」やっと声が出る。
「いつもいつも苛々させやがって。うんとガキの時は俺はこんなじゃなかった。なのに小学生の時も中学生になっても、いつも満たされねえ。てめえのせいだ。てめえが俺の前をちょろちょろとしやがるからだ」
「か、かっちゃん?」
 出久は勝己の勢いに気圧された。硬直してしまい視線を外せない。腕がシーツに縫い付けられ、動きを封じられた。勝己は顔を近づけて出久に言い聞かせるように言う。
「俺がしてえんだ。抱きてえんだ。てめえの考えなんざ知ったことかよ。なんでかわかっかよ。こうすりゃてめえを俺の下に出来るからだ。てめえを組み敷いて俺より下だって思い知らせたかったんだよ」
「そんなことで?」出久は息を呑む。そんな理由でなのか。「僕はかっちゃんが僕と同じ事を考えてるのかとそう思って。君は違ったの?」
 それとも、君が何考えているのかを確認しなかった僕が悪いのか。混乱する。 射るよう瞳で見下ろす勝己。痛い。掴まれた手首を砕かれそうだ。
「てめえと同じだと?平常心ってやつかよ。平常心平常心、はっ!くっだらねえ」
「離してよ!かっちゃん」
 彼に従うわけにはいかない。出久はのしかかる重みを押し返そうと抗った。
「誰が離すか!ばあか」
 もがいても逃れることはできない。両腕を一纏めにして頭上に上げられ、押さえつけられる。
「こうすりゃ個性は使えねえよなあ、デク。もっとも、てめえは人んち壊すようなこたあ、できねえか」
「かっちゃん、離せってば!」
「名前を付けるってのは私物化するってことなんだぜ。てめえは俺のだからデクって名前を付けたんだ」
「なんだよそれ。僕はものじゃない」
「ああ、ガキだったからな。てめえの意志なんか知ったこっちゃねえわ。だがてめえは付き合うって言ったろうが!」
「かっちゃん」
「俺はあの頃てめえに向いた衝動を持て余してた。なんで無個性なてめえに負けてると思っちまうのか。舐められてると思っちまうのか。負けてると思う自分が嫌でたまらねえ。てめえにだけは負けたくねえ。そう意識してしょうがなかった。気になって気に触って暴力奮って傷つけて。それでも気が済むことなんてなかった。それまで何もかもうまくいってたんだ。なのにてめえのことだけがうまくいかなかった。てめえをどうすればいいのかわからなかった。怯えて離れていくてめえを追いかけるのはムカついた。かといって放ってもおけなかった。てめえに絡んでは苛立って苛立って。どう手に入れればいいんだって足掻いてたんだ。今ならわかるんだ。あの頃は性欲なんて知らなかったからな。衝動は性欲に直結するんだよなあ。デク。今ならてめえへの苛々を収める方法がある。てめえを抱けばいいんだからよ。俺の下に組み敷いて何度も何度でもてめえを貫けばいんだってな」
 勝己は一気にまくし立てた。勝己が手を振り上げる。殴られるかと思い目を瞑ったが、拳は飛んでこない。そのかわりに身体をひっくり返され、尻を高く上げられる。背後から被さる勝己の身体の重み。
「馬鹿が」勝己が声を低めて言う。「てめえのこたあ大嫌いだ」
「あ、やだ、やめてよ、かっちゃん」
「上書きなんかさせねえ。てめえの名も身体も過去も未来も俺のもんだ」
 遠くなる意識の中で聞こえる勝己の声。

「待て待て、こっち来いよ、緑谷」
 教室に入る前に廊下で上鳴に引き止められた。
「今教室に入んねえ方がいいぜ。お前、あいつの真後ろの席だしよ」
 切島は教室内を隠すように入り口に立ちふさがる。いや、廊下にいる自分を隠しているのか。二人に背中を押されて教室を離れる。角を曲がって廊下の隅に連れていかれた。切島はそっと背後を伺うと声を潜めて問いかける。
「爆豪とうまくやってんのか」
「どうだったんだ」
「どうって」
 出久は口ごもる。力づくの行為の後、逃げるように家に帰った。次の日は身体が辛くて学校を休んでしまった。当然あれから勝己の顔を見てないわけで。
「爆豪の奴、このところずっと上機嫌だったのに、今日はすげえ荒れてっからさ」
「なんかまずいことがあったんだろ」
 彼らは勝己と出久が一緒に帰宅していたのを知っている。ふたりが仲良くなれるようにと応援してくれていた。クラスのためにもそうしたいと思っていたのに。皆が案じてくれてたのに。それなのに僕は。
「僕には無理だったみたいだ」出久は袖口をきゅっと摘む。「皆みたいに、かっちゃんとも向き合いたいと思ってたんだけど、ダメだった。ごめん」
「いやいや、謝るこたあ、全然ねえぜ」軽い口調で上鳴は言う。
「上鳴くんも切島くんも、僕らが普通に接することができるように、頑張れって言ってくれたのに」
「へ?何言ってんだ、緑谷。俺らはそんな意味で言ったんじゃねえよ」
「え、だって」出久は驚いて顔を上げた。
「普通になんてむりだろ。お前らお互い意識し過ぎてんのに」
「あん時はあいつに脈あんのかどうか確認しただけだぜ。お前が歩み寄りたいんだってわかったから、だったらいけそうだと踏んだんだ」
「脈あり?え、どこまで知ってるの?」
「爆豪と一線越えたんだろ」
 出久は仰天した。思わず問い返す。
「え!? そんなこと、かっちゃんが言ったの?」
「しー!声抑えろよ。あいつが言うわけねえじゃん。でもわかるっつーの。俺らが最初に話にのったんだからよ。というかこっちから聞きだしたというか」
「誰だか言わねえけど、ものにしてえ奴がいっけど、やり方知らねえって感じのこと言うからよ。ぽろっと。あの爆豪がだぜ。意外っちゃ意外だったけどよ。隠したってあいつが意識する相手なんて、お前しかいないしよ。バレバレだっつう話」
「だから直接的は言わねえけど、それとなく勝手に忠告してやったんだよ。二人きりの時間をなんとか作るもんだよなとか。顔見れば苛つくとしても、ぐっとこらえてまずは優しくするもんだよなとか。爆豪はうるさそうにしてたけどよ、その通りにしてたんだろ」
 腑に落ちる。最近の彼のらしくなさはそういうことだったのか。
「あのさ、あいつやっぱりダメか?」上鳴が訊ねる。「たきつけたのは俺らだけどよ。緑谷と爆豪、今までよりいい関係だったんじゃねえかなと思うんだよ」
「僕もそう思ってたよ。 またかっちゃんと普通に話せる日が来るなんて、思ってもみなかった。でも」
「それ以上はダメなのかよ」
「ダメというか。それまでまともに話もできなかったのに。かっちゃんとなんて、考えたこともないのに」出久は俯く。「でもかっちゃんは考える間もくれなくて」
「そりゃあ、考えさせたくなかったってことだろうな。まったく偉そうというかチキンというか」
「僕も悪いんだ。それでも考えてから答えるべきだった。でもかっちゃんの顔を見ると、どうしても押されちゃう。結局、昔みたいになってしまうんだ」
「なら、あいつをフルってことか。今更そりゃねえだろ」
「あいつがどんだけ荒れるかわかんねえ。そりゃお前、ほんとに殺されるぜ」
 ぶるっと身体が震える。でもうまくいくわけない。彼らには到底言えない。勝己が望むものは違うんだ。
「それとも、お前が爆豪に付き合ったのは、クラスのためだけなのかよ」
「そんなわけない」出久は首を横に振る。「クラスのためっていうのは多分口実で、僕もかっちゃんとちゃんと向き合いたかったよ。多分ずっと前からそう思ってたんだ」
 切島は腕を組み、じっと出久を見つめて口を開いた。
「多分飯田や麗日なら、爆豪はやめとけって言うだろうな。あいつらはお前の味方だ。爆豪はすげえ奴だけどきついしよ。お前の身になれば苦労が目に見えてるし、あえてあいつはねえよなって、立場が違えば俺らもそう思うだろうぜ。でもな、俺らは爆豪の味方なんだわ」
「あいつはお前がいいんだよ。てか、お前以外なくね?クラスメートの名前覚えたの、あいつ相当経ってからだぜ。つか、今でもほぼお前の名前しか呼ばねえじゃん」上鳴は呆れたようにぼやく。
「あいつはお前に固執してんだ。緑谷、なんだかんだ言ってお前もそうだろ。なあ、どうなんだ」
「違うよ」出久は指を握りこむ。「かっちゃんは僕が気に食わないんだ。嫌いだって言われたんだ。僕にはわからないよ。ああいうのは好き同士ですることなのに」
 ああいうこと、は勝己にとっては自分に対して力を誇示する手段でしかないのだ。
 僕を捩じ伏せる。それほどまでに憎まれているのだろうか。良くは思われていないと思ってはいたけれど。こんなにも。
「僕は嫌われてるんだ」
だが上鳴は出久の言葉をさらっと受け流す。
「何言ってんだ。何言われたかは聞かねえけどよ。爆豪の口の悪さわかってんだろ。お前に嫌いとか気に食わねえって言ってんのは、気になるから言ってんだろ。やってることは好きな子を苛める子供そのものだしよ」
「それは」
「あいつの失言なんて今更だろ。それで全部括っちまうのは、いささか乱暴じゃねえかな」
反論できない。そうかもしれない。勝己は直情そうにみえるけれど案外感情的ではない。人を傷つけて本心を虚勢で隠していることも多い。昔から彼を見てきて、彼の虚勢を見分けてきたのだからわかる。
 僕を傷つけようとしていたんだ。
 でも何故だろう。もっと酷いことを今まで散々言われてきたというのに。嫌いだと言われただけで今までよりずっと辛いなんて。
「男同士なんだぜ。好きでなきゃ抱いたりできねえよ。あいつはいいんだよ。わかってんだから。聞いてんのはお前の気持ちだよ」切島がまた問いかける。「緑谷は爆豪のこと、どう思ってんだ?」
「僕は」
「てか、待てよ、ん?」出久の言葉を遮り、上鳴は頭を捻る。「その言い方だとよ、あいつがお前を好きならいいってことになんねえか?お前は好き同士だからってしたんだよな」
「え。そんな意味じゃないよ」
 出久は意外な方向からの指摘に慌てる。切島が上鳴の発言にさらに重ねて言った。
「いやいや、そうなるよな。お前は好きだから抱かれること許したってことだよな?」
「抱かれる、とかそんなはっきりと」
思い出して顔が熱くなるのを感じる。言葉を聞くだけで生々しく感触が蘇ってくるようだ。
「そうに決まってんじゃんよ。お前、他の奴でも同じことできんのか」
 丸め込まれてるような気もする。でも、勝己じゃなかったらどうだっただろうか?同性相手に付き合うことに同意したり。キスをしたり身体を重ねたり。想像できない。ありえない。それって勝己だったからってことになるのだろうか。
「そういうこと、なのかな。」それなら納得できてしまうような気がする。「かっちゃんだっただから」
 彼と一緒に過ごす帰り道のひとときはいつの間にか大切な時間になっていた。嬉しかった。彼の目的を無茶だと思ってもその時間と引き換えにできなかった。身勝手だったのは自分の方だ。
切島が背後に向かって呼びかけた。
「だとよ、爆豪」
「出てこいよ。聞いてんだろ」上鳴も続いて呼んだ。
「うぜえ。クソが」
 爆豪がのそっと影から出てきた。眉間に皺を寄せた明らかに不機嫌な様子に「うわあ」と悲鳴が出そうになる。
「お前が緑谷の気配に気づかないわけねえもんな」
「余計なことをべらべらと言いやがって。てめえら、さっさと失せろ!」勝己は怒鳴った。
「じゃあな、緑谷、後は二人で決めな」
 上鳴と切島はニヤニヤと笑いながら去り、廊下には出久と勝己だけが残された。勝己が出久に向き直る。もう怒ってはいないようだ。どこまで聞かれていたのだろう。身体が震える。だが言わなくちゃいけない。勢いで答えてはダメだ。
「ごちゃごちゃ言ってたけどよお。俺だから抱かれたって、ことなんだよなあ、デク」
凶悪な笑みを浮かべて勝己が口を開く。
「それは、そうなんだけど」そこは認めざるをえない。
「俺もてめえだから抱いたわけわけだからよ。なんの問題もねえよなあ」
 威嚇するような笑顔が怖い。でも押されちゃいけない。出久は息を吸い込み口を開く。
「あの、かっちゃん」
「んだよ」
「考えさせてほしいんだ」
「ああ?この期に及んで何言ってんだ、てめえ。ダメだ!俺がどんだけ曲げて曲げて。こんだけ自分を曲げたってのに、まだ足りねえってのか。これ以上曲げるとこなんてねえ!」
「かっちゃん、僕は逃げてるんじゃない。ちゃんと考えて」
「てめえはロクなこと考えねえだろ。感じろよ。考えるんじゃなくよ。友達なんかにゃなれねえ。てめえもそうだろ。そんなこと言ったことねえもんな。初めっからお前とは友達じゃねえんだ」
「そんな、かっちゃん」
「でも気になってしょうがねえ。苛立ってしょうがねえ。関わらずにいられねえ。だったらどうなりてえのか。てめえをどうしてえのか。俺はずっと。ずっとよお」勝己は拳を握る。「俺がそうしたようにてめえも感じろよ、クソが。今てめえはどうなんだ。まだ俺が怖えのかよ。ぶっ殺すぞ!」
 勝己の声が上擦っている。彼は無理強いしてるのではない。まっすぐ出久の心を問うているのだ。
 答えなきゃいけないんだ。胸がきゅうっと掴まれたみたいに痛い。僕は君が怖いのだろうか。それとも怖いのは僕の中の何かなのだろうか。僕はもう君の後についていってた僕じゃない。君は堂々と僕の前を歩いていた君じゃない。隣を歩いて身体を重ねて、僕君に今何を感じているんだろう。それでもなお。
 ああ、怖いんだ。たまらなく怖い。
 君を怒らせるであろうことも。並んで歩いた時間を失うだろうことも。
「怖いよ」
 目を逸らして出久は小さな声で答えた。勝己の肩がピクリと震える。 喉が詰まったようにそれ以上声が発せられない。だが勝己は黙ってまだ出久の言葉を待っている。
 感情を晒しているのは君なのに暴かれるのは僕の方なんだ。
「君の顔が見れないんだ」出久は俯いてやっと言葉を紡ぐ。「怖いのか怖くないのか好きなのか嫌いなのか。混乱してわからない。こんなはずじゃなかった。前より酷いんだ。こんなんじゃダメになるよ」
「はっ」一瞬の沈黙の後、突然勝己がはじけたように笑い出した。
かっちゃん、笑ってる?
 なんで、かっちゃん、笑ってるんだ?
「それが俺がずっと味わってきたもんだ。てめえもおかしくなればいいんだ。ざまあみろ」
 出久はそろっと顔を上げる。勝己はさも嬉しそうに破顔している。一歩踏み出すと彼は片手で出久の首を掴んだ。身体を引く間もない。
「かっちゃん、何を」
 ひくりと咽喉が鳴る。締められるのか。だが熱い掌は優しく首筋をさするだけ。壊れ物に触れるようにさらさらと勝己の手が皮膚を滑る。指が顎を掴む。
「ざまあみろ」勝己が顔を近づける。「デク」
 触れるほどに間近で名を呼ぶ勝己の声。赤い瞳に火が灯っているかのようだ。かっちゃん、と名を呼ぶ前に唇が塞がれる。

 電車を降りると階段の下で勝己が待っているのが見えた。出久に気づいたのかこっちを見上げて、顔を顰める。出久は慌てて急ぎ足で駆け降りる。勝己の前に走り寄ると、どんっと胸を拳で小突かれた。ちょっと咳き込む。
「てめえ、遅えんだよ。同じ電車だろうがよ」
「ごめん。かっちゃん。ちょっと飯田くんと麗日さんと話してたから」
「あいつらとは学校で喋ってっから、もういいじゃねえか。」
「学校ではその、ちょっと言いにくくて。やっぱり二人には話しておこうと思ったから」
「俺らのことかよ」
「う、うん。二人には隠したくなかったから」
「一緒に帰ってるとしか言ってねえんじゃねえだろうな。全部話したんか」
「えーと、うん、そうだけど」
「ああ、ならいいわ」
 いつものように連れ立って歩き始めた。そっと横顔を見る。 勝己の機嫌は直っているようだ。顔には出てないけれど纏う雰囲気がそう告げている。彼の黄金色の髪が陽に照らされて透けるように輝いている。
「今日家に来んだよな」勝己が口を開く。
「うん。宿題してから」
「はあ?すぐ来い。宿題なんか持ってくりゃいいだろ」
 勝己はくるっと方向転換して道を引き返した。商店街の方に足を向ける。デクも小走りになって着いて行く。
「帰り道こっちだよ?かっちゃん」
「買うもんあんだよ」
「コンビニじゃダメなの?」
「近所でなんか買えるかよ」そう言ってから付け加える。「もうゴムがなくなったんだ。言わせんな、バカデク」
「あー、あ、そう、なんだ」
 出久は恥ずかしさから俯き、消え入りそうな声で返事をする。
「なしでいいってんなら俺は構わねえけどよ。その方が気持ちいいしよ」
「ハイ、いります」
 勝己は出久の顔を覗き込んでにやりと得意気な笑顔を見せる。
「顔が真っ赤になってるぜ、デク」
 橙色の陽が差す方向に見えるのは、子供の頃によく遊んだ森だ。丘の上に頭一つ突き出ているのは昔登った大木だろう。木の上から街を見下ろせたように、街からも木が見えるのだ。
「そういえば」出久は思い出して口を開く。「僕が忘れてる約束って何のことだったの?
 振り向いた勝己と視線が合った。
「言ったろうが、忘れてんならいいってよ」
「でも、気になるよ」
「教えねえよ。ぜってえ教えねえ。知りたきゃてめえで思い出せ」
 そう言うと勝己は歩を速める。慌てて出久も速足になり、彼に追いつく。

 有頂天だった。誰よりもいい個性が発現したのだ。
 力をひけらかしたくてしょうがなかった。それに水を差すのはいつも出久だ。また遊んでやってた奴を庇って俺を非難しやがる。
「やめなよ。かっちゃん」
「どけよデク。そいつがヴィラン役だろうが」
「遊んでるだけだろ」「なあ、かっちゃん」子分達が口々に調子を合わせる。
「かっちゃんが勝手に決めたんだろ。そんなのヒーローじゃない」
「一番強えのがヒーローだろ」
「僕が許さない」
 生意気なことを言いやがる。頭にきて出久に殴りかかった。だが腕を伸ばした瞬間、身体が前によろけた。前に出した腕を出久が掴んで引っ張ったのだ。勝己はバランスを崩して膝をついた。
 今、何が起こった?こいつが反撃したのか。個性もねえ何も出来ねえこいつが。
「逃げて」出久が庇った奴に声をかける。
 子分達が逃げる奴を追いかけていった。だが逃げる奴なんか目に入らない。頭に血が上り、出久を引き倒して馬乗りになった。
「デクのくせに」
 と言いながら平手で叩く。拳で殴らないくらいには頭は冷静だった。おどおどした目を見て溜飲が下がる。
「おいデク、謝れば許してやる」
「何を?」
「俺に逆らったことをだ」
 ビクつき目を逸らしながらもあいつは反論した。
「間違ってるのはかっちゃんだよ」
「なんだと」
 地面に手を叩きつけて小さく爆破すると、ビクリと出久が震えた。だが怯えてるくせになおも言い募る。
「あんなのヒーローじゃないよ」
「てめえ」
「かっちゃんはすごい個性を持ってるのに。どうしてあんな使い方しかしないんだよ」
 腹が立った。思い知らせてやる。
「ちょっと来い」
 立たせて手を引っぱった。あいつは「どこに行くの」と不安気に聞く。「いいもの見せてやるよ」と答えてにやりと笑う。
 森を歩かせて大きな木の下に出久を連れてきた。最近仲間に入ってこない出久。自分が乱暴するからか、あいつが生意気だからなのか。もうきっかけは忘れた。
 最近知った個性の使い方だ。掌を下に向けて爆破すればかなり高いところまで跳べる。出久の腰を抱えて狙った枝にジャンプした。「うわあ」とあいつが叫ぶ。
 あいつを抱えたまま木の枝に座り、原っぱの全景を見渡した。まるで森の王になったかのようだ。 怖がってしがみつく身体をしっかり抱きしめる。
「見てみろよデク。な、俺の個性でここまでジャンプできるんだぜ」
 得意になって言う。こんなことできるの俺だけだ。
「早く降りようよ、かっちゃん」
 折角連れてきてやったってのにとイラッとした。てめえだから見せてやってんのに。
 ふとタンクトップ越しの出久の体躯を意識する。個性の影響で体温の高い自分より低い体温のはずなのに、なぜか自分よりほんのり熱く感じる。ふわふわのくせっ毛の日向の匂い。つい最近まで無造作に当たり前のように触れていたのに。叩いたり蹴ったりすることはあっても、今はこんなふうに触れられない。出久が触れてくることももう殆どない。いつも俺のすぐ後をついてきたくせに。いつの間にか楯突くようになった。怯えながらも反抗する出久。お前がそんなだから俺は。
 俺を認めねえのか。認めろよ。どうすれば認めるんだ。てめえの言うヒーローってなんだよ。強ければいいんじゃないのかよ。離れても離れきらずに、遠くから観察しやがって。ふざけんな。それがてめえの望む距離なのかよ。俺を参考にして、てめえがヒーローになるつもりなのかよ。なれねえよ。てめえは俺より下だ。ずっと下のままだ。だからてめえは俺だけ見てりゃいいんだ。
「怖いよ、かっちゃん」
 そう言い、出久は勝己を見上げ、さらにぎゅっと抱きついてくる。緑がかった大きな瞳。密着するあいつの身体。触れたところがぶわっと熱を帯びる。頭が真っ白になり、勝己は動転して手を離してしまった。
 しまった。
 腕を掴もうとしたが間に合わない。やべえ、落ちる前になんとかしないと。
 勝己は地面に掌を向けた。温度は低めにして地面を爆破して爆風を起こす。出久の身体がゆっくり軟着陸したのが見えた。
 ジャンプして下に降りる。出久は寝転んだまま目を丸くしている。
「おい」と勝己は声をかけた。
 出久はそろっと顔を向けた。焦点が合ってない。だが勝己を認めるとみるみる目に涙を貯める。背筋にふわりと走る感覚。これは何だ。上半身を起こした出久の目から大粒の涙が吹き出し、ぽろぽろと零れ落ちる。
「酷いよ、かっちゃん」
「落ちるてめえが悪いんだ」
 そう言いながら触って身体を確認する。熱で赤くなってるところはあるが、大した怪我はないようだ。
「ほんとにデクだな。てめえひとりじゃ何もできねえ」そう言いながら勝己はほっとする。
「酷いよ。舌ちょっと噛んじゃったよ」
「ああ!? 知るかよ」
 見ると出久の舌先に血が滲んでいる。紅い紅い色。吸い寄せられる。勝己は顔を寄せてそれを舐めた。
「か、かっちゃん?」
 引っ込んだ舌を追いかけて口を合わせる。ふにゅりと柔らかい唇。はむっと啄む。そろっと隙間に舌を忍ばせる。
「ん、ん」
 逃げる舌を捉えてぴちゃぴちゃと音を立てて絡ませる。柔らかくて甘い。とろけてしまいそうだ。出久はぎゅっと目を瞑り頬を紅潮させている。勝己のなすがままだ。気分がいい。キスを味わいようやく出久の唇を開放した。
 気持よかった。喉が渇く。もっと欲しい。こいつを。
 もっとよこせよ。
 無意識に幼馴染の頬に手を伸ばす。指先が滑らかな肌に届く。
「かっちゃん」
 か細い声で呼ばれて我に返った。今、何をしていたんだ俺は。何をしようとしていたんだ。
「クソが」
 胸のうちに燻る行き場のない熱。内側からじりじりと灼かれてゆくようだ。熱の向かう先は今目の前にいるのに。
 こいつのことだけは何一つ思い通りにならねえ。なんで、なんでだ。
 立ち上がり、ぼうっとしている出久に言った。
「おいデク、誰にも言うなよ。二人だけの秘密だからな」

END

 

手繰る言の葉(R18)

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 キスをしている。
 目を瞑ると、人肌の柔い温もりがふわりと唇を撫でる。少しかさついた唇が形をなぞるように這い、押し付けられた。ちゅっと音を立てて温もりが離れ、また押し付けられる。粘膜が触れ合い、またちゅっちゅっと音がする。上唇を食まれ下唇を弄ばれる。唇より熱くて柔らかいものが触れて、隙間から入ろうとする。
 目を開けると上気した幼馴染の顔。鋭いけれども濡れたような眼光が、口を開けろと語る。促されるままに少しだけ口を開けた。すると待っていたとばかりに、唇がピタリと合わさる。彼の舌が侵入し、口内を探り歯列を舐めてゆく。応えたほうがいいのかな、と恐る恐る彼の舌に触れる。途端に舌を絡められ、アイスクリームを舐めるみたいに、口腔内の粘膜を貪られる。
 呼吸を奪われて息が苦しい。少し頭を引いたら肩を掴まれた。動いたら彼の指が食い込んだ。彼は左手で肩を押さえたまま、右手を肩に滑らせ、頸を摩って後頭部を押さえつける。捕まった。離れられない。もう逃れられない。少しだけ唇が離れ、再び角度を変えて重ねられる。同時にするりと舌が入ってきて、舌を探り当てて絡めてくる。深い深いキス。食われてるみたいだ。
 僕らはおかしなことをしてる。だけど嫌じゃない。気持ちいいと思ってるんだ。

1

 目を醒ますと、見覚えのある白い天井が目に入った。顔を横に向ける。窓に薄いカーテンがはためいて、青い空が見える。
 また保健室に運ばれたみたいだ。出久は頭を起こそうとしたが、ずきりと痛みが走り、果たせず枕に沈み込む。手で触れるとガーゼの布の感触。頭には包帯が巻かれているらしい。   
 頭部を殴打したのかな。また僕怪我しちゃったんだ。入学してから何度ここで世話になったことか。リカバリーガールは呆れちゃっただろうな。ふうっと溜息を吐く。
 反対側に顔を向けて、出久は驚きのあまり「えーっ?」と声を上げた。ベッドの側に何故か勝己がいた。コスチューム姿で腕を組んで丸椅子に座っている。視線が合ってしまった。勝己は顔を顰めて出久を見下ろす。
「うるせえ!やっと目え覚めたのかよ、デク」
「ごめん、びっくりしたから」
「まさか俺がいるなんて思わなかったってか」
「いや、その」
 図星だがとても言えない。布団をめくって確認する。上半身は裸で胴回りにぐるりと包帯が巻かれているが、痛くはない。その下にはコスチュームのズボンを着用している。思い出せないけど、体育の授業中に何かあったんだろう。
「かっちゃん、僕、何があったの?覚えてないんだ」
「ああ?てめえは戦闘試験中に余所見して、もろに落石を頭に食らったんだ。バカが」
「落石。そうだったんだね。戦闘試験って。ええ?」
 それは1か月後じゃなかっただろうか。中間考査の最終日だったはずだ。壁に掛かっているカレンダーを見ると、何故か翌月の6月になっている。どういうことだろう。今は5月じゃないか。まさか。
「かっちゃん、今日は何月何日なのかな」勝己に向き直り聞いてみる。
「てめえ、ボケてんのか。6月7日だろうが」
「ホントに?間違ってない?」
「ああ?どう間違うってんだ」
 翌月のカレンダー、戦闘試験、勝己の言葉。つまりもう1ヶ月経ってるってことになる。どういうことなんだ。
「あの、笑わないで欲しいんだけど、おかしいんだ。僕の認識だと今日は5月7日なんだよ。タイムスリップしたのかな」
「はあ?馬鹿じゃねえのか。てめえは昨日も一昨日も学校におったわ」
「そうだよね。流石にあり得ないね」
 では時間を飛ぶようなSF的なことが起こったわけではないのだ。ならばおかしいのは自分の頭の中、なのか。
「なんなんだてめえは。起きていきなり訳のわかんねえこと言いやがって」
勝己が椅子に座ったままにじり寄る。ドキッとして慌てて出久は答える。
「かっちゃん、僕この1ヶ月くらいの記憶がないみたいだ」
「あ?何言ってんだてめえ」
 勝己の口調にいらっとした調子が混ざってくる。ちょっと怯んだが、言わないわけにはいかない。
「本当なんだよ。昨日は5月6日なんだ。あ、僕の中ではなんだけど。GW明けだから覚えてる。でも5月7日以降から今日まで、何があったのか全然覚えてないんだ」
「なんだそりゃ。ありえねえわ」
「本当なんだよ。どうしよう、かっちゃん」
「おい、マジで覚えてねえのか」
 勝己は神妙な表情で問い返す。カーテンの向こうから、カツカツと足音が近付いてきた。
「おや、気が付いたんだね。よかったよ」
 勝己の背後のカーテンを開けて現れたのはリカバリーガールだ。出久は頭を押さえて身体を起こし、目覚めてから気づいた異変を話した。リカバリーガールはうんうんと頷きながら出久の話を聞き、頭部の傷を確認して包帯を巻きなおす。
「一時的な記憶喪失のようだね。頭の方の傷はほぼ治ってるし、心配ないよ。そのうち思い出すさ」
 リカバリーガールはそう言って微笑む。
「ホントですか。よかった。ありがとうございます」
 出久はほっと胸をなでおろして横になった。
「ほんとにこの子はしょうがないねえ」
 とリカバリーガールは呆れたようにぽんと出久の肩を叩く。
「すいません、たびたび」
 名前も何もかも忘れるような記憶喪失ではないし、ひと月ぐらいの記憶なら思い出すまでの生活にも支障ないだろう。
「てめえ、ふざけんなよ」
 地に響くような勝己の低い声に、びくっとして彼の顔を見上げる。
「かっちゃん?」
「忘れただあ?ふかしてんじゃねえ!」
「嘘なんかついてないよ。ほんとに覚えてないんだ」
「はっ!丁度ひと月分忘れるなんて、あるわけねえだろ」
「これこれ、部分的な記憶喪失は割とよくあることなんだよ」
 リカバリーガールが慌てて窘めるが、勝己は聞かない。勝己は出久の上に乗り出し、頭の脇に両手をついて見下ろす。目が釣り上がって赤い瞳が更に紅く染まっていく。なぜだかわからないけど怒ってる?心臓がきゅっと縮こまる。次の瞬間、勝己が思いがけないことを口にした。
「俺とてめえは付き合ってんだ。それも忘れたってのかよ」
「ええええ?」
 頭が真っ白になった。勝己が何言ってるのかわからない。僕たちが付き合ってた?信じられないどころじゃない。意味がわからない。
「僕とかっちゃんが?付き合ってた?嘘だよね」
 出久は唾を飲み込んで、漸く恐る恐る聞き返す。
「付き合ってんだ!しれっと過去形にすんじゃねえ!このクソナードが」
 勝己は出久の胸倉を掴み、顔を寄せて怒鳴る。鬼のような形相だ。怖くて堪らないが、気持ちを振り絞り言い返す。
「だって、あり得ないよ。君と僕だよ?」
「てめえ!ざけんな!クソが!クソナードが!」
 勝己は目の前で激昂する。大声で罵倒されて鼓膜が割れそうだ。
「落ち着いてよ、かっちゃん」
「落ち着けだあ?てめえが言うのかよ、デク!」
「わああ、だって、僕信じられないよ」
「てめえ!」
 勝己を止められないと判断し、リカバリーガールが外に助けを呼びにいった。相澤が駆けつけて引き離されるまで、勝己は出久に怒鳴り続けた。

 教室に戻った出久に、飯田と麗日が心配そうに声をかける。
「デクくん、大丈夫」
「うん、もう平気だよ、このとおり」
 ずきっと痛みが走ったが我慢し、出久は頭の包帯に手をやってにこっと笑う。
「無理しなくていいぞ」
 察したらしい飯田が労わるように背中を摩る。目覚めた時保健室にいたのが勝己ではなく、飯田や麗日ならば不思議ではなかった。他のクラスメイトでも疑問には思わない。なぜ勝己がいたのだろう。保健委員でもないのに。怪我をした時どういう状況だったのだろうか。出久は2人に問うてみた。
「僕、怪我した時何があったのか、覚えてないんだ。起きたらかっちゃんがいて」
「本当に大丈夫なのか?無理もないかあの怪我では。しかし僕はその瞬間を見たわけじゃないからな」
「私は遠くだったけど見たよ。戦闘試験中、爆発した岩山の瓦礫がデクくんの頭に当たったんだよ。それで気絶しちゃったんだもん。心配したんよ。無事でよかったあ」
 麗日は心底ホッとしたように微笑みを浮かべる。
「爆発?かっちゃん、それで」
「違う違う、ほんとに忘れてるんやね。爆弾を使った試験だったんよ。爆豪くんの個性じゃないからね」
「そ、そうだったんだね」
 いけない。うっかり彼に冤罪を被せるところだった。
「緑谷くんが怪我した時、誰よりも早く爆豪くんが走ってきて、自分が保健室に連れて行くと言い張ったんだ」
「え?かっちゃんが?」
「爆豪くんいいとこあるよね。あの時結構離れたとこにいたんだよ」
「なかなか彼が保健室戻ってこないから、相澤先生が様子見に行ったんだけど。どうやら彼は怒られてるみたいだな」
「何かあったの?」
「ううん、ちょっとね」
 出久は言葉を濁す。勝己は何を思ってあんなことを言ったのだろう。付き合ってるなんて。あり得ない。でもひょっとして本当に?いやまさか。飯田や麗日なら何か知ってるだろうか。
「あの、聞きたいんだけど、最近の僕とかっちゃんってどうだった?」
 自分と彼が付き合ってたかとは流石に聞きにくい。
「側から見てどう見えるかってことか?特に変わらないが」飯田が言う。
「以前みたいに、爆豪くんがいきなり突っかかってくることないから平和だよね」麗日が言う。
「そうだな。君達が喧嘩して一緒に謹慎してから、多少は変わってきてはいるんじゃないか」
「えーと、もっと最近の、ひと月くらいの間の僕らなんだけど」出久は声を潜める。「実は僕、怪我した時だけじゃなく、ここひと月くらいの記憶が飛んじゃってるんだ」
「本当か?大変じゃないか!」飯田は驚いてパタパタと独特の仕草で手を振る。
「デクくん、記憶喪失になっちゃったの?」麗日が言う。
「うん、そうみたい。それで聞きたいんだけど、僕とかっちゃんって」どう言えばいいかと逡巡したが、そのまま言うしかない。「付き合ってた?」
「え!付き合ってたの?」
「ちが、覚えてないっていうか、わかんなくて、だから聞きたくて」
 言ってしまった。2人は驚いたものの、首を捻って思い出そうとしてくれてるようだ。
「共有スペースにいる時は君も爆豪君も変わりないように見えたぞ。ただ、緑谷君の部屋は2階で、僕の部屋は3階で、爆豪君の部屋は4階で、全部違う階だからな。夜は僕は誰よりも早く寝るから、夜の様子はあまりわからない。すまない」
「そんな、あやまらなくていいよ」
「私達は誰かの部屋に集まることが多いしね。女子の部屋は反対側の棟だから、男子棟の様子はわかんないし」
「女子トークしてるんだ。楽しそう」
「うん楽しいよ。お菓子とか持ち寄ったりしてお茶入れて。そういえば爆豪くんと出久くん、時々一緒にエレベーターに乗ってたよね。爆豪君そういうのは気にしないんだなって思ってた」
「え?それほんと?」
「わざわざ乗るなとは、いくら彼でも言わないだろう。部屋は上の階にあるんだからな」
 みんなはそうかも知れない。だが、出久は2階の部屋だからいつも階段で登っていた。エレベーターはめったに使わないはずだ。どういうことだろう。
「とりあえずもうすぐ次の授業だ。君用に前の授業のノートを取っておいたぞ」
「ありがとう、飯田君。助かるよ」
 飯田の差し出したノートをありがたく受け取って着席する。相当絞られたらしい顰めっ面で勝己は教室に戻って来た。出久を睨みながら前の席に着く。正面の背中から怒りのオーラが迸っているようだ。直視できない。
 気をとりなおして、しまう前に飯田から受け取ったノートをめくって唖然とした。内容がずっと先に進んでいる。
 今からは数学だ。書いた覚えはないがノートには記述がある。だが授業が始まったものの、先生の言葉が難しすぎてさっぱり頭に入ってこない。黒板に書かれていることもほぼ理解できない。困ったことにひと月分の授業内容もさっぱり忘れてしまっているらしい。焦って冷や汗が出る。何ページまで進んじゃったんだろう。戸惑ったまま授業が終わった。休み時間に教科書を遡ってみて、相当先までいってることを確認する。
「どうしよう。こんなに進んでたらついていけないよ」
 雄英は進学校。ヒーロー科の授業だけではなく、普通の授業も難易度が高い。むしろヒーロー科はヒーロー基礎学や戦闘訓練が時間割に組み込まれてる分、他の授業は普通科より一層スピーディーに進んでいく。難関校の雄英に受験に合格した優秀なクラスメート達でも、時に赤点を出してしまうのはそのせいでもある。出久は途方に暮れて頭を抱えた。
 誰かが勢いよく机にどんっと手を突いた。そんなことをするのは一人しかいない。目を上げるとむすっとした勝己の顔。
「おいデク、ほんとに忘れてやがんだな」勝己が言う。
「そう言ってるじゃないか」
 まだ疑われていたらしい。出久は憤慨して答える。
「そんでてめえ、1ヶ月分の授業内容も頭から吹っ飛んでんだろ」
「ど、どうしてわかったの?」
「てめえが後でぶつぶつ言ってんの聞こえてんだよ」
 焦る自分の様子に勝己は気づいたのか。隠すことでもない。素直に認める。
「うん、そうなんだ。ひと月分の授業も全部忘れちゃってるみたい」
「はっ、それで7月初めから期末テストがあるってのに追いつけんのかよ、てめえは」
「う、うん、なんとか頑張ってみるよ」
 だが自分はコツコツ地道に勉強していくタイプだ。勘がよくて要点をすぐ飲み込んでしまえる勝己のような天才肌じゃない。体育祭の時だって勝己は実戦で皆の能力を掴み、すぐ対策を思いついていた。自分は日頃から研究して対策を練っておかないと、咄嗟には対応できない。
 5教科に技術音楽。理科だけでも化学、物理、地学、生物で4つ、社会は地理、歴史で2つ。気が遠くなる。勝己はいらいらしたように机を指で叩く。
「デク、なら勉強教えてやっから、放課後俺の部屋に来い」
「え、かっちゃんが教えてくれるの?」
 意外な申し出に吃驚して言い返す。
「そう言ってんだろ!二度言わせんな。うぜえわ」
「う、うん、ありがとう。かっちゃん」
「けっ」
 肩を怒らせて勝己は教室を出て行った。喜んでいいのかな。助かるけど、ほっとしたような困ったような、複雑な心情だ。
「気づかなくてすまない。授業中困ってたんだな」
 飯田が心配そうな表情で近づいてきた。
「しかし、珍しいな。彼から手助けをすると言い出すなんて」
「うん、思ってもみなかっ」と答えかけて、勝己の言った「付き合ってるだろ」という言葉が頭を過ぎり、さあっと血の気が引く。
 部屋に行ってもいいのか?行っても大丈夫なんだろうか?信じられないけど、勝己が嘘をついてるとは思えない。第一偽りを言う理由がない。どうしよう。気持ちの整理が付かないのに、部屋でふたりきりの状況になってしまう。
「何か、気になることがあるのか?緑谷くん。勉強は僕が教えてもいいんだぞ」
 困惑する出久の様子を察したのか、心配そうに飯田が言う。
「ううん、いいよ飯田くん。かっちゃんと約束したから。ありがとう」
 飯田の申し出を断ったものの、密かに先に言ってくれればと思ってしまった。身勝手過ぎるだろうと反省する。勝己の申し出を素直に嬉しいと思ったのだ。彼が自分の時間を割いて勉強を教えてくれるというのだ。親切と言わずして何と言う。親切、なんだよね。
 ともあれ一度OKしたことだ。いまさら断って行かなかったら怒らせてしまう。その方がもっと怖いことになりそうだ。
 あの夜のグラウンドベータでの喧嘩の後、勝己との関係はひとまず落ち着いた。というか、彼が無闇に突っかかってくることはなくなった。
 口の悪さと負けず嫌いは変わらない。でも彼が変わらなくて良かったと思ってる自分がいる。おかしいと自分でも思う。不本意だけど、勝己の口の悪さですら長所でもあるし、憧れるところでもあるんだ。
 オールマイトの秘密を彼と共有することになったのは、いいことだったのかどうかわからない。勝己自身も言っていたように、秘密を知るものが増えれば危険は増える。ただ、出久にとっては勝己に隠し事をしなくて済むことで、心が軽くなったのは確かだ。友達に隠すのはしょうがないと思えても、勝己に隠すのだけは騙しているようで心苦しかった。何故だかわからない。
 だがあの事件の後も、幼馴染でクラスメートでしかなかったはず。本音はもう少し近しくなれればいいなと願ったけれど、彼と自分ではそこが限界なのだろう。それがたったひと月で付き合うなんて関係にワープしたなんて、あり得るんだろうか。

「爆豪に勉強教えてもらうのか。いいんじゃねえか。あいつ、意外と教えるのうまいぜ」
 掃除の時間。箒で廊下を掃きながら切島が言う。出久はその側で塵取りを構える。今日の廊下の掃除係は彼と上鳴と出久の3人だ。
「かっちゃんが?へえ、そうなんだ。意外」
 昔から物知りで「知らねえの?」と人を小馬鹿にして、得意げに人に教えたがるところはあった。らしいといえばらしいのか。
「自分から言ってくれてんだしよ。ちゃんとやってくれんじゃね?」
 窓のサッシを雑巾で拭きながら、上鳴が口を挟む。
「それは心配ないんだけど」
 それよりも気になることがあるのだ。付き合ってる、なんて嘘だろ。でも嘘ついても何の得にもならないだろうし。ならば彼の近くにいる上鳴と切島なら、何か知っているかも知れない。
「あの、二人に聞きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
「ん?なんだ緑谷」
 廊下の掃除はこれで仕舞いでいいだろう。掃除道具を片し、出久は2人を階段の踊り場に連れて行って声を潜める。
「僕とかっちゃんって付き合ってたのかな」
「おめーら、付き合ってたのかよ!」
 上鳴が素っ頓狂な声を上げる。
「しーっ、静かに驚けよ、上鳴。マジかよ、緑谷」
 上鳴をたしなめながら、切島が吃驚顔で問い返す。
「ち、ちが、覚えてないから、どうだったのか君たちなら知ってるかなと思って」
「そっか。てめえらのこたあどうなってんのか、よく知らないけどよ。でもお前はよく爆豪の部屋に行っていたぜ。毎日ってくらいよ」と切島が言う。
「僕の方からかっちゃんの部屋に?」
 彼の部屋は勝己と同じ4階の部屋、しかも隣の部屋だ。
「おお、1ヶ月くらい前からかな。あいつ自分の部屋に誰も入れねえから、珍しいと思っててよ。しかも緑谷だもんな」
「そうだったんだ」
「あいつ女子の話とか振っても乗ってこねえし、全然興味ねえみたいだし。でも、お前と付き合ってたんならなるほど、納得だぜ。マジで興味なかったんだな」
 上鳴はうんうんと頷く。
「だから、わかんないんだって」
 出久はぶんぶんと手を横に振る。
「そういや、こんなことがあったぜ」上鳴がぽんっと手を叩く「1ヶ月くれえ前にこっそりDVDを寮に持ち込んだんだんだ。その時のことなんだけどさ」


 GW開けのかったるい授業が終わった放課後。共有スペースに人がいなくなったのを見計らって、上鳴は切島を手招きした。
「なんだよ、上鳴」
「しーっ、静かにしろよ」
 上鳴は女子の声が遠ざかるのを確認してから、鞄から3,4枚のDVD を取り出した。「GWは久々に家に帰ったからよ、持って来たんだ。レア物だぜー。こっそり見ようぜ。他にも何人か声かけてんだ。お前、勿論来るだろ?」
 ノリのいい切島は大抵誘えば話にのってくる。峰田ほどじゃなくても、健康な男子高校生で興味ねえ奴はいねえだろ。一部を除いて。
「おお、すげえ。すげえやべえ。でも見つかったらまずいだろ」
「抜かりねえってパッケージ変えてあるからよ」
ローマの休日、見知らぬ乗客、花とアリス、おいおい、名作ばっかじゃねえの。冒涜的だな」
「これならぜってー中身がそうとは思えねえだろ。誰も試しに見ようとも思わねえ」上鳴は胸を張る。「ネットで観れる時代だけど足跡残るしな。皆で見るにはやっぱDVDだぜ。万一見つかっても処分しちまえば証拠も残らねえし。勿体ねえけどよ」
 興奮していて、背後の足音に気づかなかった。
「なにやってんだ、てめえら」
 背後からドスの聞いた勝己の声がして仰天する。
「おおああ!びびるじゃねえかよ、爆豪」
「上鳴がレアもん手に入れたんだってよ」
「爆豪も来るか。たまには親睦を深めようぜ」
「こーゆー潤いも必要だぜ。男子高校生の日常としては」
「飯田と轟は流石に誘ってねえけど、切島も来るしよ。皆に声かけてんだぜ」
 エロトーク的な話に勝己は乗ってくることはない。そう思いながらも上鳴は一応誘ってみた。一部を除いて、の1人がこいつだ。硬派なんだかウブなんだか。きっと今回も来ないだろう。
 だがこの時の彼の反応はいつもと違った。勝己は「うぜえ」と言いながら1枚DVDを奪いパッケージを眺めたのだ。
「何違うケースに入れてんだ。くだらねえ」
「わわ、おい返せよ。誰かに見られたらやべえし」
「んじゃま、借りとくわ」
「お、おう?いや、皆で見ようってんだぜ」
「はあ?こんなもんみんなで見るとかアホか。一枚借りるぜ」
 上鳴は唖然とした。後ろ姿を見送ってヒソヒソと切島と話す。「マジかよ」「あいつも興味あんのかよ」「そう言えばいいのに、てか、一人で見たいだけか」「あいつ、むっつりだったのかよ」
 そう思ったら笑いが込み上げてきた。声を立てて笑うと勝己が癇癪起こしそうなので、2人とも必死で笑いをかみ殺す。
「まあいいや、おい爆豪、後で返せよな」と上鳴は呼びかける。
「へっ」
 と勝己は鼻を鳴らして踵を返しエレベーターに向かっていく。聞こえてしまいそうなので、エレベーターのドアが閉まるまで、2人は爆笑を我慢した。


「てなことがあってな、あいつに貴重なDVD奪われちまったんだよ」と上鳴は指で四角を形取る。
「そんなことが」
 驚いた。潔癖なあのかっちゃんが?信じられない。
「あん時な、緑谷も誘ったんだぜ」
「えええ?僕も?」
「お前は真っ赤になって、無理無理ってすぐ断って来たけどな」悪戯っぽく上鳴は笑う。「あいつ、実はお前とやる時の参考にしてたのかもな」
「ええええ!」
 出久は真っ赤になって首を振る。やるってなに?ナニのこと?
「なるほどな!なら納得できるな」切島がうんうんと頷く。
「ちょ、ちょっと待って。そうと決まったわけじゃ」
 出久は慌てる。本人のいないところで、勝己の評価を決定してしまったのではないだろうか。DVDは勝己が借りたんだろうし、僕のせいとは言えないか。いや、参考にして僕にそんなことをしてるってことになっちゃった?頬が熱くなってきた。
「なあ、あいつの部屋に行ったら、DVD返してやってくれって言ってくんねえかな」
「うん、いいよ」
 考えに耽っていた出久は、上鳴の頼みをつるっと快諾する。
「おい上鳴!緑谷、やめとけ。ものがものだしあいつにとても言えねえだろ。無理しなくていいぞ」切島が慌てて言う。

2

 放課後になり、生徒達は寮に帰宅した。
 出久は部屋に鞄を置いてから共有スペースに戻り、ソファに腰掛けた。クラスメイト達はみんな夕食までの時間をめいめい過ごしている。かっちゃんの部屋に行くのは、一休みしてからでいいかな。普段なら自主トレーニングしているところだけど、暫くの間はお休みするしかない。勉強が優先だ。
「おいデク、何落ち着いてやがんだ。さっさと部屋に来い」
 勝己がやって来て、エレベーターの方に顎をしゃくる。吃驚した。皆のいる前で呼びに来るとは思わなかった。
「う、うん」
 立ち上がり、勝己の後に続く。勝己が自分を、しかも部屋に誘うなんて珍しいことだ。皆どう思ってるんだろう。振り返ってみたが、ソファに座ってる級友達に驚いてる様子はない。よくあることなんだろうか。なら、勝己の部屋に毎日行ってたというのは本当だったのだろうか。
 勝己の部屋のある4階に到着した。この階に来たのはお部屋訪問の時くらいだ。しかも勝己はあの時寝てたから部屋は見ていない。勝己に続いて出久は部屋に足を踏み入れた。
「わあ、見晴らしいいね」
 窓に駆け寄り、外の景色を眺めて出久は感嘆の声を上げる。夕暮れの紅に染まる空の下に、広大な学校の敷地が見渡せる。遠くに見える青々とした森や岩山も学校の敷地なんだから驚きだ。
「お前、初めて来た時もそう言っただろうが」
「そう、なんだ。でも僕は初めてだから」
「初めてじゃねえ!」
 勝己は不機嫌な様子でベッドを背にして胡座をかき、ローテーブルの上に教科書をどさどさと放り出す。
「さっさと座れ」
 と言って床を指差し、さらに自分の隣に座れと絨毯を叩く。慌てて出久は勝己の側に座り、教科書やノートを並べる。
 そっと部屋を見回した。皆の部屋と同じく、入って部屋の右側にベッド、左に机や箪笥がある。飾り気のないシンプルな部屋だ。ベッドの向かいに、ローテーブルを挟んでテレビが設置してある。テレビの下にはDVD再生機がある。
「何じろじろ見てんだ」
「ご、ごめん。つい」
 出久は姿勢を正し、慌てて渡された教科書を開く。
「まずは数学だな。英語と古文漢文はまず語句を調べてからだ。理科と社会は後回しだ」
 勝己による数学の補習が始まった。勝己の教え方は確かに上手いようだ。意外だったが、理解が遅くても声を荒らげたりせず、噛み砕いて教えてくれる。慣れてるのかも。そういえば中学時代、テストの前なんかにはよく友達に頼られていた気がする。
 教科書の説明が終わると、勝己はドリルを開くよう出久に指示した。
「ドリルのほうはまず簡単なAランクと普通のBランクの問題だけ解け。難問のCランクは後でいい」
「なんで?僕はいつも順番に解いてるんだけど」
「Cランクは時間かかんだろうが。まずAB問題を終わらせてからだ。余力があれば解いていい」
 なるほど。納得してドリルの問題に取り組む。カリカリとシャーペンが紙を滑る音。問題を解きながら勝己の様子を伺う。次の項目を先に読んでいるようだ。勝己が申し出てくれたとはいえ、出久に勉強を教えることで、彼の時間を奪っていることになる。いいんだろうか。とても申し訳ないことをしてるんじゃないだろうか。
 教科書から目を離した勝己が顔を上げて出久を見つめる。視線が合う。強い光を放つような瞳。ドリルに戻らなきゃと思いながらも、金縛りに合ったように視線を逸らせない。
「ここまでだ」勝己が口を開く。
「え?終わってないよ」
「一日で一月分が終わるわけねえだろーが!クソが。後は夕飯と風呂の後だ。宿題もしなきゃなんねえしよ」
 そう言って勝己は宿題のある教科のノートを取り出す。
「そうだったね。忘れてた」
「おら、お前も宿題出せよ」
「宿題もここでやるの?」
「アホか。授業についていけてねえのに解けんのかよ。教えてやらなきゃわかんねえだろ。一緒にやってやる」
 確かにそうだ。でも宿題まで面倒見てくれるなんて、親切過ぎて驚きだ。
「かっちゃん、あの、ありがとう」
「うぜえ」
 勝己はそっぽを向く。照れてるのだろうか。 意外な一面だ。夕食と風呂を済ませて自分の部屋に戻ると、勝己が呼びに来た。就寝時間まで勉強すると決められ、勉強道具を持って勝己の部屋に移動する。
 副教材の問題集を解きながら、出久は勝己の様子を伺う。勝己はベッドに座って忙しくスマホを弄っている。何を見てるんだろう。顔を上げた勝己と目が合った。慌てて問題集に戻る。
「よし、見つけたぜ、おいデク」
 勝己はスマホの画面を出久に見せる。
「化学の実験動画だ。理科は実験見ねえと、教科書見ても理解出来ねえだろ」
 びっくりした。
「僕のために探してくれてたの?」
「ちげえよ。口で説明するのが面倒なだけだ」
 勝己は眉を顰めると、出久の隣に移動して動画を再生した。確かにわかりやすい。
「授業でやったのと全く同じ実験だ。よく見とけよな」
 そう言いつつ勝己はすぐ間近に顔を寄せる。どきりとして出久はちらっと勝己を見る。こんな近くで怒ってないかっちゃんを見てるなんて。伏せられた目元に落ちる睫毛の影。睫毛の色も髪と同じ薄い山吹色。
 視線に気づいたのか、勝己の赤い瞳が出久の方を向く。顔が近い。唇が触れそうだ。
ふと勝己が顔を寄せた。ふわりと柔らかい感触が唇の上を掠める。唇が触れてしまった。
 出久は動転して「わあ」と膝を崩して離れた。
「近いよ、かっちゃん」
 声が震える。勝己が睨みながら詰め寄ってくる。
「このくらいで動揺しやがって、まだ思い出さねえのか」
 責めるような口調。身に覚えがないのに罪悪感を感じる。理不尽だ。自分には記憶がないんだから、いきなりキスなんかされても吃驚するだけだ。でも付き合ってたのなら勝己の憤りは当然なんだろう。理不尽なのは自分の方で。どうすればいいんだろう。
「だって、しょうがないだろ。僕だって思い出したいよ」
「本当かよ」勝己は出久の腕を掴んで射るような視線を向ける。「忘れたかったんじゃねえのか」
「え、どういう意味?」
 勝己は舌打ちして「なんでもねえよ。ちゃっちゃと動画見ろよ」と言い、出久の肩を掴んで引き寄せる。

 勝己の部屋に通って勉強を教えてもらうようになって、幾日か過ぎた。
 勝己はあれから、交際していたことを匂わせるような行動に出ることはなかった。クラスメートのほぼ全員に聞いてみたけれど、自分達が付き合っていたかと聞くと逆に驚かれ、なるほどと納得されるという具合。
 納得されるってことは、付き合ってたということだろうか。でもはっきりと見たとか聞いたとか誰も言っていないのだ。

 ドアを開けて脱衣場に足を踏み入れた。室内はほわっとした熱気に包まれている。冷房は入っているはずなのだが、風呂場の蒸気で湿度が上がってしまったのだろう。出久は扇風機に近寄って、涼みながら服を脱ぐ。
 勉強会を先にしたからお風呂が遅くなってしまった。みんなきっともう風呂は済ませてるだろう。僕らが最後かな。出久は脱いだ服を籠に入れた。ふと見るとずらりと並んだ棚の中、一つの籠に服が入ってるのに気付く。
 かっちゃんはまだ来てないはず。他に誰かいるみたいだ。大浴場の戸を開けるともわっと湯気が吹き出した。湯気の立ち昇る湯船にひとり人影が見える。掛け湯をして湯船に近寄ると緋色と白銀の髪の色が目に入った。
「轟くん、いたんだ」
「緑谷か、随分遅えな」
「轟くんこそ」
「俺は風呂は静かに入りてえんだ」
 寮の大浴場はクラス皆が入ったとしても、余裕があるほどに不必要に大きい。だから上鳴や峰田や賑やかなクラスメートは水飛沫を上げてよくはしゃいでいる。
 そういえば、轟くんには僕らのことを聞いてなかった。流石に彼にそんな話をするとは思えないけれど。でも轟くんは鋭いから、僕らの様子がおかしかったなら何か気付いてるかも。
「あの」と轟に話しかけて皆に聞いたように問うてみた。
「付き合ってたかどうかは知らないが」と轟は答える。「お前たちは何かを隠していたと思うぞ」


 1ヶ月前のことだという。エレベーターの中で轟は勝己とふたりきりになった。いや、轟が勝己を追ったのだ。勝己は轟がエレベーターに入って来たので、顔を顰めて閉めるボタンに続いて4階と5階のボタンを押した。5階は轟の部屋のある階だ。しかし勝己に続いて轟は4階で降り、後をついて行った。
「てめえの部屋は5階だろうが」
 勝己が振り返って訝しげに言う。
「お前に聞きたいことがある」
「あんだよ」
「気になっていた事があるんだ。お前と緑谷、何かあったのか」轟は勝己に問うた。
「俺とデクだあ?いきなりなんだ」
「最近、お前と緑谷の距離は近いな」
「ああ?別に。それがどうした」
「お前、緑谷の秘密を知ったのか」
「は?なんのことだ」
 勝己が一瞬目を逸らす。明らかにしらばっくれている様子だ。
「秘密と言っていいのかどうかわかんねえが。緑谷は何かを隠してる。ずっとそれを感じていた。話せないことは誰にでもある。だから聞いてはいけないのだろうと思っていた。けれど、お前に話したんだろう」
「だから、何のことだかわかんねえってんだ。人に介入するなんて、てめえらしくねえな。だがな、俺は知らねえよ」
 挑発的な口調で勝己はにやりと笑う。
「らしくない、か俺をぶっ壊したのはあいつだからな」
 轟が言うと、すっと勝己の顔から笑みが消える。
「てめえでデクに聞けばいいじゃねえか。もっとも、聞いたところであいつが答えるかどうか知んねえけどよ」
「やはり、お前は何か知っているのか」
 轟は一歩踏み出した。勝己が舌打ちし、真顔になる。
「さあな。てめえはどうしたいんだ。デクとお友達になりてえのか、困らせてえのか」
 虚を突かれた。彼から聞き出そうと、それだけでいっぱいになっていたのだ。
「俺は。俺はどうしたいのだろう」口に出して自問自答する。
「はあ?なんだお前」
「俺は彼を知りたいんだ」
「なんでだ。ただの好奇心ならやめとけよ」
「違う。でも困らせたいわけじゃない」
「違わねえよ」
 勝己と睨み合う。ふっと勝己が目を逸らす。
「うぜえわ、てめえ」
 そう言い捨てて勝己は部屋に入り乱暴にドアを締めた。
 奴は何かを知っている。だが何も言わないだろう。奴の言うとおりだ。知りたければ緑谷に聞けばいい。だが彼が言おうとしないなら、無理に聞き出したいとは思わない。5階への階段を上りながら、ふと、隠そうとしているのは緑谷のためなのかと、そう思った。


「そんなことがあったのか」
「だから、お前に聞くのはやめておこうと思ったんだが。実際、お前らが付き合っていて、それを爆豪が隠そうとしていたってんなら辻褄は合う」
「あ、ああ、うん」
 出久は生返事をする。勝己が隠そうとしていたのは、自分とオールマイトの秘密のことじゃないだろうか。それとも轟と言うように付き合ってたことなのか?わからない。轟はふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「お前の秘密はそんな最近のものじゃないな。ずっと何か抱えてんだろう」
「え、あの、そんなことは」
 何と答えていいのかわからない。
「聞かねえよ。言えねえなら事情があるんだろうしな」
「いや、何も、その」
「でも言えるようなら、いつでも聞く用意はあるし、力になるからな」
 友達だから、轟は聞かないでいてくれるんだ。胸が熱くなる。ふと勝己のことを考える。彼はオールマイトが隠すなら出久に聞けばいいと、秘密を暴きにきた。あえて聞かないなんて選択肢は彼にはないんだ。でも自分もそれを当り前のことだと思ってる。何故だろう。
「緑谷、記憶喪失前の爆豪とお前のことを聞いて、今のお前はどうしたいんだ?」
 考えに沈んでいる出久に轟が問いかける。
「僕は覚えてないから、わからないんだ。だからみんなに聞いてるわけだけど」
「例えお前らが付き合ってたとしても、それは記憶を失くす前のお前だろう。今のお前がその責任を取ることはないんじゃないのか」
 言葉に詰まる。「そうかも知れないけど」
 唇が触れて驚いて身を引いた時の、勝己の傷ついたような顔が頭を過ぎる。
「お前は自分より他人の気持ちを優先しがちだからな」
「そんなことないよ。忘れちゃった時間の、僕の気持ちだって考えてる」
「それは思い出した時考えればいいことだろう。確かなものならまたやり直せばいい。記憶を失くす前を優先することは、今を蔑ろにすることにならないか」
 どきりとした。「僕は蔑ろにしているのかな」
 そんなつもりはなかった。でも、確かに僕は今の自分を借り物のように感じている。すぐに思い出すとリカバリーガールは言っていたけれど、もう記憶が戻らない可能性だってあるんだ。
「今のお前はどうしたいんだ」
 轟の問いかけは今の自分からの問いだ。僕はどうしたいんだろう。
 その時、乱暴に風呂場の扉が開けられた。出久と轟は同時に振り向く。
「かっちゃん」
 湯気の向こうに見える人影がすかずかと近づいてくる。
「じゃな、俺はそろそろ上がるぞ」
 轟は立ち上がり、湯船から出る前に出久を振り返る。
「お前がいるのは今、だ。忘れるなよ。緑谷」
 勝己はすれ違いざまに、轟を睨みつけて舌打ちした。湯船に歩いてきて湯を汲み、ざっと掛け湯をして飛沫を上げて湯船に入る。機嫌悪そうだ。そろそろっと奥に移動する。広い湯船なのに、逃げ場がなくてなんて狭いんだと思ってしまう。
「てめえ、半分野郎と何話してたんだ」
「ええと、世間話みたいな」
 話の内容を聞かれていただろうか。
「はっ!」
 勝己は鼻で笑うと、ざぶざぶと湯を掻き分けて出久に近づき、隣にしゃがんで湯に浸かった。勝己の鍛えられた二の腕が肌に触れてどきりとする。さり気なく少し離れたものの、勝己はすぐに距離を詰めてくる。
 勝己の指が出久の指に触れて被さり、上から握りこむ。離そうとしたらぎゅっと掴まれた。なんのつもりだろう。上がっちゃダメってことか。頭が茹だりそうだ。動悸が耳元に響いてくる。勝己に聞こえてしまいそう。気付かれそうで顔を見れない。
「かっちゃん、身体洗うから、その、手をはなしてくれないかな」
 だが勝己は更に強く手を握る。
「かっちゃん、手を」
 と言いかけて横を向くと、瞳に憤りを込めた勝己と視線が合った。
「デク、てめえは」
 勝己は出久の正面に移動すると両肩を掴んだ。湯の中で勝己の太腿の筋肉が脛に触れる。裸で湯舟にふたりきりという状況。出久はゴクリと唾を飲み込む。
「あいつ、ホント余計なことしか言いやがらねえ」
 勝己が俯いて低い声で呟く。
「かっちゃん?」
 出久は勝己の顔を覗きこむ。顔をあげた勝己は出久の項を掴んで引き寄せた。唇が勝己の唇に塞がれる。舌が唇の隙間をこじ開けて乱暴に入り込む。唇をぴったりと合わせて出久の舌に触れて擦り合わせる。
「ん、ん」
 熱い柔らかなこの感触。初めてじゃない。口腔内が侵されるのを、気持ちいいと感じてる。唇が離れた。ほうっと吐息を漏らす。勝己の口が三日月を形作る
「てめえも応えてんじゃねえか」
 勝己ははは、と笑い、また唇を重ねる。口内を貪られ、頭に霞がかかったようにぼうっとする。
 勝己の膝が出久の脚の間を割り、両膝が進入する。勝己の陰茎が太腿に触れる感触で出久は我に返った。かっちゃん、勃起しかけてる?まさかここで何かしようとしてる?嘘だろ。
 勝己の胸板を押して離れようとするが益々勝己に強く引き寄せられる。太腿の上で勝己の屹立が滑り出久のものに当たる。出久は吃驚して逃れようとして、足が滑りバランスを崩した。勝己諸共に湯の中に全身ざぶりと沈み込む。
「てめえ!バカが。なにしとんだ!」
 勝己は髪から雫を滴らせながら身体を起こして怒鳴る。
「ご、ごめん」
 出久も身体を起こし、顔を上げて反射的に謝る。
「だー、もう、クソナードが!」
 勝己はぶるんと頭を振り髪をかき上げる。咳き込みながらも出久は距離を取ろうと後退りした。気づいた勝己は「おい、てめえ」とすぐ距離を詰める。湯船の縁に出久は追い詰められ、腕の檻に囲い込まれた。
「だって、ここお風呂だよ。誰か来たらどうするんだよ、かっちゃん」
「誰も来やしねえわ。俺らがラストだろうが」
「来なきゃいいってわけじゃないよ。公共の場所なのに、駄目だよ」
「じゃあ俺の部屋ならいいんだな」
「え?そういう事になるの?」
「デクよお、俺はてめえと今のキスみてえなの何度もしてんだよ、わかんだろーがよ」
 出久は目を泳がせる。「わ、わからないよ」
「てめえ!バレてんだよ。頭は忘れてても身体が覚えてんだろーが!なら、やりゃあ想い出せんだろうがよ」
 勝己は出久の両腕を掴んでにやりと笑う。身体は覚えてる。身体に刻み込まれた記憶は確かにある。勝己は後ろから出久を抱き込みながら湯船を背にして腰を下ろし、出久の膝を立たせる。腰に勝己のものが当たり、動悸が跳ね上がる。
「な、何」不安になり、恐る恐る勝己に問う。
「準備すんだよ」
 そう言いながら勝己は出久の太腿を撫でる。優しげな手つきで肌を統べる。擽ったい。ごつごつした掌が太腿から臀部に移動し、後孔周りを撫でて突く。
「わ、なに?ちょっとなんで」
「馬鹿か。ここに入れるからに決まってるだろうが」
「入れる?ええ!ちょっと待って」
「デクよお、部屋ならいいっつったよな」
 いいなんて言ったっけ?窄まりを何度か押したり揉んだりしていた勝己は、突然指先を中に沈める。
「や、かっちゃん」
 動転して出久は藻掻いたが、腰に回された腕にきつく拘束されていて逃れられない。勝己は指をじりじりと深く入れてゆく。第二関節まで沈めると勝己は指を抽送させる。
「は、あ、は、やめ」
「準備してんだ、我慢しろや」
 勝己は熱を含んだ声で囁く。出久は体内の違和感に悶え、声を出さないように耐える。指が更に深く入っては出て行く。お湯が入ってしまわないだろうか。そんな心配も次第に吹き飛んでしまう。身体の中も頭も熱くなってぼうっとする。
「温まってるから柔けえな。おい、もう一本いくぜ」
 勝己が楽しそうに言う。すっと指が引き抜かれてほっとしたのもつかの間。2本に増えた指が再び中に捩じ込まれる。

3

 風呂から上がると、勝己は出久の手を引いてそのまま部屋に連れていった。勝己はこうと決めたら引くことはない。とんでもないことになった。かっちゃんは本気だ。
 かっちゃんとするの?どこまで?でもキスの感触は知ってるものだった。僕は自然にかっちゃんのキスに応えていた。本当に僕は君と付き合ってたのか。身体を重ねたら思い出したりするのだろうか。
「よっとお」
 勝己は出久をベッドに投げ出すとその上にのしかかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 聞く耳を持たず、勝己は出久のTシャツを脱がすと自分のTシャツも脱ぎ、床に放り投げる。かっちゃんは焦っているみたいだ。性急に身体を求められてることに怖くなる。出久は勝己の肩を押してふるふると首を振る。
「てめえ、往生際が悪いぜ」
「やっぱり、僕には覚えがないことなのにできないよ、今はまだ」
「クソが!ここまできて何抜かしてんだ」
「君と僕は付き合ってたのかも知れない、でも感情がついていかないよ、どうしても、だから」
「うるせえ!もうてめえがどう思ってようと関係ねえわ!」
「かっちゃん!」
 勝己は出久の腕を一纏めにして頭上に押さえつけた。勝己の顔が目の前に近づく。燃えるような紅い瞳。唇が触れ、噛み付くような深いキスをされる。覚えがある感触。勝己の舌の動きに自然と舌で応えてしまう自分に混乱する。唇が糸を引いて離れる。
「てめえ、わかってんじゃねえかよ。それで知らねえとかふざけんな」
 低く呟くと、勝己は出久のハーフパンツを下着ごと抜き取って身体を組み敷く。
「わわ、かっちゃん」
「身体で思いだせよ。クソが」
 キスを覚えていたみたいに、身体は覚えてたりするのだろうか。出久は抵抗するのを止めて力を抜いた。勝己は満足そうに笑う。
「はじめっからそうしてろや。クソが」
 頭上に拘束されていた腕が解かれる。衣服を全て脱ぐと、勝己は出久の身体に腕を回して抱きしめる。硬い胸筋と鍛えられた腹筋。出久の股間に屹立が押し付けられる。熱く硬い感触が生々しい。触れ合った頬が熱くなる。勝己は唇に軽く触れるだけのキスをした。キスは次第に深くなり応えるのも覚束ない。喰われるように貪られる。
 自由にされた手をどうすればいいんだろう。おそるおそる勝己の肩に捕まる。勝己はキスをしながら掌で出久の背中を愛撫する。肩甲骨をなぞり、背骨に指を滑らせる。勝己の唇が首筋を這い、鎖骨を舐めて甘噛みし、肌に吸い付いて赤い痕をつけてゆく。
腰を少し浮かすと、勝己は二人のペニスを片手で持って擦り合わせた。
「うわ、かっちゃん」
「おら、てめえも触れ」
 勝己は出久の手を取り自分のものに触れさせる。その手を上から包んで促し擦らせる。勝己は出久のペニスを緩急をつけて巧みに扱く。勝己によって与えられる鮮烈な刺激に耐え切れない。
「あ、あ」と悶えて出久は吐精する。
 白濁が腹に溢れる。皮膚に滴る飛沫が熱い。だが手の中にある勝己のものは怒張したまま、まだ射精に至らない。僕だけかっちゃんの前で達したなんて、恥ずかしくて堪らない。
 息を整えながら上目遣いに勝己の顔を見つめる。勝己はちょっと驚いたような顔をしていたが、口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「デク、次は俺の番だ」
 勝己は手についた精液を屹立した自分のものに塗ると、再び出久を組み伏せた。膝頭を掴み脚を大きく開かせる。窄まりが勝己の目の前に晒される。
「ま、待って、かっちゃん、心の準備がまだ」
 出久は慌てて制したが、勝己に聞いてくれる様子はない。
「先にイきやがったてめえが悪いんだよ」
 勝己は手を添えて出久の窄まりに亀頭を擦りつけるとぐっと押しこもうとした。熱い硬い感触。後孔は風呂で解されたが、勝己の性器は指より遥かに大きい。
「や、まっ、入るわけな、はっ」
 言葉が途切れる。勝己のぺニスが挿入されたのだ。腰を掴まれ、熱に身の内を突き上げられた。弾力のある人の身体の感触。繋がった部分がどくどくと脈うつ。勝己のものが入ってしまった。こんなことして、身体は大丈夫なのか。動悸が耳元で聞こえてくるようだ。「い、あ、かっちゃ」
 まともに声が出せない。出久に構わずに勝己はゆっくりと貫いてゆく。
「ふ、は、ざまみろ。入ったぜ」
 勝己は息を吐きながら囁く。熱い肉の杭に根元まで深く穿たれた。勝己の陰嚢が尻に触れる。身体がこじ開けられた。勝己の形に。
「は、はあ、行くぜ」
 勝己は腰をゆっくりと引いてゆく。体内の圧迫が引いていってほっとした。だがそれも束の間。再び熱はじわりと突き上げる。勝己のペニスは内壁に引っかかりながら、また中を押し広げてゆく。
「あ、はあ、かっちゃ、ん」
 繰り返される感じたことのない感触、痛み。勝己の顔が涙に滲んで霞む。僕らはこんなこと、してたのか。ほんとに、初めてじゃないのか。
 出久の様子に気づいた勝己は、頬を撫で、触れるだけのキスを繰り返す。体内の熱い棒がキスのたびに前後に肉壁を擦る。
「い、あ、かっちゃ、動かさないでよ」
「アホか!出したり入れたりして擦るのが気持ちいいんだろが」
 そう言いながらも、締め付けがきついのか、勝己は少し苦しげに眉を顰めている。
「でも、あ、やだ」
 突き上げられた拍子に反射的に締めてしまい、中を痺れるような快感が巡った。
「あ、あ、かっちゃん」
 うっと勝己が呻く。射精される?出しちゃうの?今?出久の背に震えが走る。
「てめ、ふざけんな」
 そう唸って勝己は腰を引く。ペニスを引く時にえらがこりっと内壁の何処かを弾いた。電流のようなものが身体に走る。
「あ、何、や、そこやめ、かっちゃん」
 これは何?出久は腰を引こうとするが、勝己に腰を掴まれて果たせない。勝己はニヤッと笑うと括れまで引き抜いて、再び挿入してゆく。探るようにゆっくりかき回して、さっき出久が感じたところを探しだすと、先端を擦り付ける。
 出久の中心から指先までふわりと甘い痺れが広がる。なんですぐ見つけられるんだろう。
「あ、あ、やだ、やめてよ」
「はっ!聞こえねえなあ」
 出久の懇願を一笑に付して、勝己はさらに深く貫いていく。
「てめえがぎゅうぎゅう締め付けるから、すげえ気持ちいいぜ」
 根元まで沈めると、腰を引いてまたえらで弾くように何度もそこを撫でる。刺激されるたび足先まで快感が走る。その度に「あ、あ」と喘ぎ声を上げてしまう。触られてもいないのに、熱が中心に集まってきた。勃起の感覚。
「勃ってきてるぜ、デク。いいんだろ、なあ、俺に犯されてよ」
「ち、違う」
 自分とは思えない甘く掠れた声。身体が思い通りにならない。出久は動揺する。感じすぎて辛いなんて。僕はおかしい。出久の目に涙の膜が張り溢れだす。
「どういう感覚だ。デク。ここ刺激されっとさ。気持ち良さそうだよな。俺はわかんねえなあ」
 勝己は覆いかぶさり身体を密着させる。互いの下腹に出久のペニスが挟まれる。勝己は腰を左右に捩って腹筋で転がすように刺激する。
「や、やだ。かっちゃん、やめて」
 後孔を貫かれて陰茎を扱かれて、快感に溺れる本能と羞恥と理性に引き裂かれる。
「もっとめちゃくちゃにしてやりてえわ。デク」
 勝己は覆いかぶさり激しく律動する。貫いては引き抜き激しく出久を揺さぶる。肌が打ち付けられて音を立てる。
「すげえ、比べもんになんねえ」
「な、なんのこと」
「なんでもねえ、俺に集中しろよ」
 一際屹立に強く突き上げられ、目の前が真っ白になる。
「あ、あー」
 出久は首を仰け反らせた。足の指先がぴんと立つ。勝己の腹筋の下で熱が弾ける。腹に熱い濡れた感触。すうっと頭が晴れる。肩口に顔を伏せて、勝己は出久の首筋にキスをする。
「またいきやがったのかよ。やらしいなあ、てめえは」
 身体を起こした勝己は、腹を濡らしている白濁を示して笑う。翻弄されて快感を引き摺り出された証。羞恥が押し寄せてくる。頬が熱い。勝己は指を出久の下腹に滑らせる。
「かっちゃん、な、なに?」
 出久の射精したてのペニスを掴むと、勝己はきゅっと摘んで先を絞る。過敏になっているせいか、触られてひりっとした。
「た、さ、触らないでよ、かっちゃん」
「親切で全部出しきってやってんだろ。今更狼狽えんのかよ、デク」
 と笑いながら、勝己は腹の上の白濁をティッシュで拭き取る。出久は顔を赤くして荒く息をつく。
「いい思いさせてやったんだ。今度は俺の番だぜ」
 深いキスをしながら勝己は繋がったまま出久の身体を抱き起こす。
「デク、俺の首に捕まれや」
「ん、う、うん」
 言われる通りにすると、勝己は腰を引き寄せて奥を深く突き上げた。衝撃に貫かれて、声が出ない。勝己は座位の姿勢で出久を抱えて腰を上下させ、激しいピストン運動を始める。
「あ、あ、ちょ、かっちゃん、待って」
「何言っとんだ。てめえが勝手に俺を引き入れてんだろ」
「嘘、ちが、そんな」
 勝己は出久の臀部を掴んで揺さぶる。引き抜いては浅く深く緩急をつけて突き上げる。身体の中にいる生々しい存在。出ていっては入ってくる灼熱に翻弄される。熱は出久をどこまでも追い詰める。 逃さないと主張する。
「は、はあ、いくぜ」
 勝己は強く打ち付けてそのまま動きを止めた。目を瞑って「うっ、は」と低く唸り射精する。
 出久は体内に熱い液体の迸りを感じた。彼のものが中に染みこんでいくみたいだ。勝己はゆっくり腰を揺すりながら、脱力して出久の首元に顔を伏せた。
 肌を合わせたままお互いの息を整える。汗ばんだ身体。勝己のいつもより高く感じる体温。重ねた肌に直に感じる心臓の鼓動。トクトクと早く脈うち、まるで全力疾走したみたいだ。初めてじゃないんだよね。でも鮮烈な感覚はまるで初めてのようだ。
「かっちゃんほんとに僕ら、してたのかな?」
「たりめーだろ」
「僕の身体が覚えてないみたい。こんなことしたら、忘れるわけな」
「ごちゃごちゃうるせえ。もう一回やるぜ」
「や、やだ、無理だよ。離してよ、かっちゃん」
 とても体力が持たない。頭も混乱してる。出久は勝己の背中を叩く。
「てめえが締め付けるから元気になっちまったぜ」
「う、嘘」
 勝己は硬さを取り戻したものを中で動かす。出久は息を呑んだ。嘘だろ、無尽蔵の体力だ。シーツの上に押し倒され、足を広げられた。勝己は出久の脚を肩に担いで一気に突き上げる。
「ふあ!ああ」
目の前にちかっと火花が散った。深く内部を抉られて出久は叫ぶ。
「てめ、声がでけえわ。隣に聞こえちまうだろうが」
「ごめん、あ、ああ!そんな奥に、かっちゃ」
 痛みとよくわからない感触に出久は悶える。激しく余裕のないピストン運動に身体がガクガクと揺さぶられる。ベッドが壊れそうなくらいに軋んで音を立てる。膝が胸に付きそうなほど身体を折り曲げられる。抱きしめてくる勝己の逞しい筋肉。衝撃と痛苦と快楽がせめぎあい、混乱する意識。
 僕は本当にセックスしていたのか?君と。

 勝己との勉強会のおかけで、授業にはなんとかついていけるようになった。
 だが勝己はその夜から毎夜、勉強会の後に出久を求めるようになった。何かを取り戻そうとするように、勝己は出久を抱いた。
 しかし何度セックスしても記憶は戻らない。思い出せなくても、身体は勝己のぬくもりに慣れてくる。勉強会の終盤には身体が火照る。まるで身体が彼を待ってるみたいに。気持ちはふらついたままなのに。
 僕はかっちゃんをどう思っていたんだろう。かっちゃんは僕をどう思っていたんだろう。記憶を失った今の僕をかっちゃんはどう思ってるんだろう。
 僕は一体何をしているんだ。
 結局、いつか思い出した時のために、関係を繋いでいるだけなのかもしれない。轟君に忠告されたのに。結局間違ってしまったのか。今の僕は大海に漂う小舟みたいなものだ。手がかりのないままに、陸に戻る術のないままに、どんどん沖に流されてしまっている。
 記憶が戻らなかったら、僕はどうすればいいんだろう。もし思い出せないままだったら。
 授業に追いついたら勉強会は終わる。皆に追いつくことには安堵するけど。でもそうなれば、この部屋に来る理由もなくなってしまう。この時間を失うのはきっと辛い。でも今の僕のままではここに来る資格はない、と思う。思い出さなきゃと気持ちは焦るけれど、どうすれば思い出せるんだろう。

4

 気づいたのは授業中。数学の教科書を開いた時だった。
「あれ?」
 さっぱりわからなかったはずの内容が理解できる。出久は黒板を見上げた。つらつらと書かれた板書に、躓かないでついていける。
「うっせえ、どうした。怒られっぞ」
「う、うん、ごめん」
 振り返った勝己の声で我に返り、ノートを開いてパラパラめくる。やはりそうだ。記憶を思い出して来たのだ。
 文字を書いた覚えがある。授業の様子も覚えてる。黒板に先生が書いてゆくチョークの硬い音。体育の時間、先生からの過酷な課題にヘトヘトになったこと。理科の実験で溶液の配合を間違えて、やり直しになったこと。休み時間、昼食の時間、時間が経つほどに次々と失われた1ヶ月の記憶が蘇ってくる。6時間目の授業までには、失われていた時間の全ての記憶が戻ってきた。
 出久は勝己の背中を見ながら心で問いかける。なんで、君は。あんなことを。
「今日も来んだよな、デク」
 鞄に教科書をしまいながら勝己は言う。
「あの、かっちゃん」
「あんだよ」
「なんでもないよ。うん、行くよ」
 訝しげな勝己の視線を感じる。目を上げられない。思い出したのだ。
 勝己とは付き合ってはいない。
 君はなんでそんな嘘を付いたんだ。
 キスをしてた。何度も君と。だけど付き合ってたわけじゃなかった。


「おいデク、後で部屋に来いや」
 GW明けのあの日、共同スペースで寛いでいた出久はいきなり勝己に呼ばれた。珍しいこともあるものだと、そこにいたクラスメート達は皆驚いていた。
「何か用事なのかな、かっちゃん」
 恐る恐る問うと、勝己は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて「ここじゃ話せねえんだよ」と言った。なので出久は勝己について彼の部屋に行った。
 何の話だったかは忘れたけど、一言二言話をして部屋を出ようとして。いや、忘れたというか。あの後びっくりすることがあったから、言われたこと全部吹っ飛んじゃったんだ。
 それはローテーブルの上に無造作に置かれていたDVD。「ローマの休日」のパッケージ。目が釘付けになった。
 あれは上鳴くんが持ってたレア物、てやつじゃないのか。誘われた時見せてくれたから間違いない。それがなんでかっちゃんの部屋にある?借りたの?かっちゃんが?かっちゃんもああいうの見たりするのか?嘘だろ。異性の話なんかに全然興味なさげだったのに。いや、かっちゃんだって健康な高校男子なわけだし。でもかっちゃんだぞ。マジでか。
 頭の中が軽くパニックを起こす。
「おい、何見てんだ?何考えてやがる」
 勝己の地に響くような低い声で我に返った。目を上げると赤い瞳が威嚇するように睨んでいる。
「な、何も。かっちゃん古い映画見るんだなって、意外だなって」
 中身には気づかなかったふりをしたが、明らかに動揺が声に出てしまった。
「まあな。てめえも見るか」
 勝己の悪意満々の笑みが怖い。彼は気付いてる。出久が中身を知ってることに。ひくっと喉がなる。蛇に睨まれた蛙になったみたいだ。
「いい、いいよ、僕戻らなきゃ」
「んだよ、遠慮すんなよなあ、デク」
 勝己にがしっと腕を掴まれ、ベッドに座らされた。道連れにするつもりだ。なんでこんなことになったんだ。見えるとこに置いてた君が悪いんじゃないか。馬鹿じゃないのか。見られたくなかったら隠せよ、そんなもの。
「逃げんなよ。逃げたらぶっ殺す」
 と脅すと勝己はDVDを再生デッキにセットして出久の隣に座り、リモコンのボタンを押した。
 映像が再生され、画面の中の白い部屋に男性か女性かわからない人物が登場した。
「えーと、あの人どっちかな」
 と出久は気を紛らせようと話しかける。
「黙って見てろ」
 勝己は逃がさないとでも言うように、出久の肩を組む。画面の人物が服を脱いでゆく。平静でいられない。逃げたい。
「目つぶんなよ」
 勝己がドスの効いた声で脅す。最後の一枚を脱ぎ、画面の人物の顕になった裸体に出久は声をあげる。
「この人両方あるんだ、わ、変身するんだ。凄い個性だね」
「黙ってろって、殺すぞ」
「あ、ごめん、でも、凄くない?」
 変に関心して、珍しい個性を観察しようとつい腰を落ち着けてしまった。それが間違いだったかも知れない。出久は暫く観察モードで見ていたが、人物が2人に増えて身体を絡ませあい、次第に刺激的な光景が繰り広げられ、言葉をなくした。基準はわからないけど、上鳴がレア物というだけある。観察どころじゃない。恥ずかしくなり俯いた出久に勝己が顔を寄せる。
「へっ。てめー童貞かよ」
 勝己が馬鹿にしたように鼻で笑う。
「かっちゃんだってそうだろ。誰とも付き合ったことないじゃないか」
 自分は確かにそうだが、勝己も付き合うどころか告白されたことすらないはずだ。野蛮な性格が学校にも近所にも知られすぎてたから。黙ってれば容姿は整ってるし、個性も優秀なんだからモテたかも知れないのに。
 だが、出久に言い返されたのが癇に障ったらしい。
「じゃあ、てめーで練習してやるわ」と勝己は言い出した。
 びっくりして出久は「ええー!遠慮するよ」と離れようとしたが、勝己は肩に回した腕に力を込める。
 自分が練習したいだけじゃないのか。そう言おうとした時は既に遅く、むにっと勝己の唇が口に被さった。
 頭の中が真っ白になった。押し当てられた勝己の唇は柔らかい。勝己はふにふにと出久の唇を這う。なんか擽ったいな。いつまでくっ付けてればいいんだろう。
 唇の上を勝己の舌がちろちろと触れて、隙間から口腔に入ろうとする。勝己は出久の顎を捕んで目で口を開けろと迫る。まさか舌を入れるつもりなのか。ディープキスしたいのか?でもさせないと終わらないみたい。仕方なく口を少し開けると、ぬるりと勝己の舌が入ってきた。
「うう、んん」
 口内を人の舌に舐められて探られる感覚。顔が熱くなってくる。なんだろう、これ。濡れた粘膜で感じる勝己の熱。頭の芯を侵されるみたいだ。
 勝己は一度唇を離してぺろっと唇を舐め、また口付ける。服の上から身体をさすり、腕を回して抱きしめて背中を愛撫する。腰にふわっと熱が集まってくる。
 勝己は童貞じゃなかったのだろうか?躊躇なくこんなキスができるなんて。呼吸も思考も奪われる。液晶の向こうで続いている光景はもう目に入らない。唇は離れてはぴたりと隙間なく重なりあう。口腔内を這う舌の立てる音が直接鼓膜に響く。
 ようやく唇が離され、呼吸を取り戻した。動悸が早くなって下腹部が熱い。ハーフパンツの下で自身が勃起しかけてる。勝己は俯いていて表情がわからない。勝己の下腹部も膨らみかけてるようだ。恥ずかしくなって目を逸らす。
「も、戻るね」
 声をかけるが返事はない。だが勝己は出久の肩を掴んだまま離さない。
「おいデク。明日も来い」
 漸く、思いつめたように勝己は口を開いた。
「ええ、なんで?」
「来いっつったら来い」
 勝己は掴んだ手に力を込める。
「つっ、痛いよ」
 肩が砕かれそうだ。ここはうんと言うまで離してくれないだろう。
「わかったよ」
 出久の返事を聞いて、やっと勝己は手を離す。
 肩を撫りながら「じゃあ、行くね」と出久は立ち上がり、部屋を出る前に振り向いた。「確かめてえんだ」
 勝己は背を向けたまま、独白するように呟いた。
 翌日の夜の共有スペース。皆は夜のひと時をおしゃべりしたりテレビを見たり、思い思いに過ごしている。
 だが、出久の気持ちは落ち着かなかった。時々ちらっと時計を確認しては溜息をつく。約束したから行かなきゃいけない。でも時間を決めてたわけじゃない。だけど行っていいのか。行ってどうするんだよ。かっちゃんだってあの時は雰囲気で言っただけかも知れないのに。大体かっちゃんは、僕から話しかけるといつも不機嫌になるし怒鳴るんだ。わざわざ行って怒られたらやだな。
 悶々と悩んでいるとエレベーターの扉が開いた。中から出て来たのは苦虫を噛み潰したような顔の幼馴染。ひあっと声が出そうになり、口を手で塞ぐ。勝己はまっすぐに出久の方に向かって来た。
「デク、来い」
 と勝己はむすっとしてエレベーターの方向を指で示す。
「昨日に続いて珍しー」「なになに、喧嘩?喧嘩?」と口々に発言するみんなを睨みつけ、「うっせえわ!ちげーよ。デク、グズグズすんな」と勝己は怒鳴る。
 勝己に続いて出久もエレベーターに乗った。昨日の言葉は本気だったんだ。何にしろまず話し合ったほうがいい。だが思惑通りにはいかなかった。
 部屋に入るなり、勝己は出久をドアに押し付けた。考える間もなく唇が重ねられる。言葉を継ごうとした口の中に舌が入ってくる。キスをしたまま服の上から胸や腹に触れられ、抱きしめられる。暫く口内を蹂躙され、名残惜しげに唇が離された。
「確かめるって言ったろうが」勝己は掠れた声で囁く。
「確かめるって、何を」
 出久が言い終わる前に再び唇が塞がれた。勝己は出久を抱きしめたまま部屋の中に移動し、ふたりは折り重なってベッドに倒れる。勝己は出久の上に馬乗りになって貪るようにキスをする。
 さらりと額を擽る勝己の髪。意外に柔らかい唇。おかしなことをしてる。なのに気持ちいいと思ってしまう。唇と濡れた口腔の粘膜を触れ合わせる。差し入れられた勝己の舌の動きに舌で応える。
 勝己の勃起したものが股間に当たる。かっちゃん勃ってる?それを示すように勝己はぐっと腰を押し付けた。勝己の与える刺激のせいで出久の股間にも熱が集まってくる。人の身体の重みと触れ合う肌の熱。遊戯すぎないのに、たとえ真似事でも身体は反応してしまうんだ。自分の身体なのにままならない。
 その日から勝己は、部屋でも共有スペースでも構わずに、出久を呼びに来るようになった。
 勝己は人がどう思おうと気にしない。堂々としたいようにする質だ。はじめは不思議がっていた級友達も、毎夜のこととなると慣れたらしい。出久も次第に慣れてきた。
 だが夜の行為はエスカレートしていった。ギリギリここまでならいいかなと防衛ラインを想定していたが、行為を重ねるうちに、ラインは徐々に決壊していった。
 キスをするだけではなく、身体をまさぐりあうような触れ合いに。局部を扱き合うまでに。キスをしている内に、勝己が次の行為を始めてしまうので、考える間もなかった。
 キスが終わると、下着を脱いでTシャツは着たまま、ふたりは向い合って脚を崩した。「俺がてめえにしてるみてえにやってみろ」
 勝己は腰を進めて出久の脚を立てて開かせ、出久の足で自分の腰を挟ませる。勃起した
お互いのペニスが触れる。勝己は出久のペニスを握る。急所を握られひやっとするが、言われた通りに勝己のものをそろっと摘む。二人で互いのペニスを握り、こすり合わせる。
「下手くそが」
 と言い、途中から勝己が二人分のペニスをくっつけて、出久の手ごと片手で握る。緩急巧みで繊細な手付きに堪らず「はあ、あ」と喘いで出久は吐精した。
「てめ、早いわ」
「ごめん、かっちゃん。服汚れなかった?」
「そんなヘマするか。見ろよ。てめえの出したモン」
 勝己は掌を開いて白濁を見せた。
「ご、めん」
 人の手に出したなんてと、恥ずかしくなる。慌ててティッシュを何枚か取って勝己の掌に乗せる。
「馬鹿が。先いきやがって」
「ご、ごめん。でも一緒にって難しいよ」
 今日はこれで終わり、だよね。戻って宿題しなくちゃ。その前にハーフパンツはかなきゃ。でも身体に力が入らないや。
 勝己は手を拭いて悪態をつきつつ、少し何か思案しているようだ。だが「よし!」と意を決したように言うと、いきなりTシャツを脱ぎ始めた。顕になった鍛えられた身体に出久はどきりとする。もう終わったのになんで脱ぐんだ?え?なんかやばくない?ぼうっとした頭が晴れて我に返る。
「ちょ、全裸になっちゃう、かっちゃん」
「あちい。てめえも脱げ」
「え、逆だろ。服着るほうだろ。もう終わったじゃないか」
「てめえだけだろ」
「そ、そうだったね。ごめん。じゃ、じゃあ僕やるから」
「下手くそなてめえのやり方じゃいけるわけねえ」
「でも、服を脱いでしたりしたら、本当にセ、セックスみたいになっちゃうよ」
「みたい、じゃねえ。するんだ」
 そう言いながら勝己は出久の膝小僧を掴んだ。
「ダメだよ、そんなの」
 出久は膝を閉じ、腰を後ろに引きながらブンブンと首を振る。
「すれすれのことやってんじゃねえかよ。何が違うんってえんだ」
「全然違うだろ!だめだよ。僕ら付き合ってるわけじゃないだろ」
 キスしたり互いのものを触ったりしても着衣なら遊戯の範囲だと、自分に言い訳できた。でも裸でなんて。勝己と服を脱いで裸で抱き合う?想像して混乱する。頭が茹だったように熱くなる。
「なら俺と付き合えばいいんだろーが」
「はい?」
 勝己は何と言ったのだろう。付き合うとか聞こえたような。「誰と?」と問い返す。
「俺とっつったろーが!クソが」
「え?僕と君が?ごめん、意味がわからない」
「てめえがやるのに付き合うって免罪符がほしいなら、合わせてやるって言ってんだ。やるこた変わらねえ」
 そんなつもりで言ったんじゃない。続きをしてみたいから付き合うって、それは流石におかしいだろ。
 反射的に「考えさせて」と答えた。
「はあ?!てめえ、クソが。今更何言ってんだ」
「だって、すぐには答えられないよ」
「てめえは逃げなかった。俺がキスしても逃げなかった。なら同罪だろ。もう進むしかねえ。進むしかねえんだよ!」
「だから、引き返すなら、今」
「黙れ!クソナード!」
 勝己の怒りの形相が怖い。癇癪起こす寸前だ。いやもう怒ってるか。でも考えなしに返事することじゃない。
「だって、かっちゃん」
「だってとか、でもとか、てめえはいつもいつもよお」
 勝己は拳を握りこんだ。殴られる?だが勝己はその手を額に当てて、ふうっと溜息をつき、口を開く。
「一日だけ待ってやる」
 もっと怒鳴られると思ったが、勝己は怒りを飲み込んだようだ。
「一日だけだ。それ以上は待てねえ」
 勝己は出久の鼻先に指を突きつける。一応待ってくれるんだ。
「わかったよ、かっちゃん」
 出久はほっとする。
「クソが」勝己は出久の手を掴んで自分のペニスを握らせる。
「え、ちょ、待っ」
 張り詰めた屹立。勝己は今これを自分の中に入れようと。そう思うと指が強張る。手の中で張りつめた勝己の一部が生々しく感じられる。やっぱりちゃんと考えないといけない。「デク、クソが、クソナードが!」
罵倒しながら勝己は出久の手の甲を包んで扱かせ、掌の中に吐精した。


 ひと月の間に勝己との間にあった出来事を全て思い出した。
 言わなきゃいけない。だけど言い出せない。こんな嘘をつくなんて。勝己はどういうつもりなんだ。気が散って勉強が手につかない。
 静かな勝己の部屋の中で、時計だけがチッチッと音を立てている。正面に立膝を付いて座った勝己は鋭い眼差しでじっと出久を睨みつけている。
「てめえ、随分授業についてきてるみてえじゃねえか」
「う、うん、かっちゃんのお陰だよ」
「まだ追いつくとこまでいってねえはずだけどな」
「それは、予習したから」
 嘘をついた。勝己は怪しんでいるのだろうか。ぴんと部屋の中の空気が張り詰めたように感じる。
「一休みすっか」
 勝己は足を崩して立ち上がった。出久はふうっと息を吐く。勝己はテレビの下をごそごそ探る。なんだろう。見守っていると、勝己は一枚のDVDを取り出した。
「これでも見るか。名作ってやつだ。たまにはいいだろ」
 勝己はくるっと返してパッケージの表紙を見せる。出久は目を疑った。それは「ローマの休日」のパッケージを被ったレア物。ウソだろ、なんで持ってんだ。かっちゃんまだ上鳴くんに返してなかったのか。
「そのDVDはダメだよ、かっちゃん」出久は慌てて首を振った。
「何故だ。デク」冷静な声音で勝己が問う。
「なんでって、その、映画だよ。一本見ると2時間くらいかかっちゃうよ」
「全部見やしねえよ。それとも、他になんか理由でもあんのか」
「それはその」
「じゃあいいよな」
 勝己はディスクをケースから取り出すと、再生機器に入れようとする。
「ダメダメ、ダメだよ!」
 出久は勝己を止めようと、必死で腕を伸ばし腰に抱きついた。
「離せよ、デク、なんで止める?おかしいよなあ」
「ダメなんだ、それだけは、かっちゃん」
 DVDを奪おうとしても勝己の方が腕が長いので届かない。揉み合いになり、やっとディスクに手が届いた。だがどうやら嵌められたらしい。
「え?」
 出久の視界が反転した。勝己がベッドに出久を投げ出して押し倒したのだ。
「てめえ、思い出したんだろ! この中身知ってなきゃ止めたりしねえよな!」
「かっちゃん」
 やはり彼は勘付いていたのだ。
「また騙しやがって!いつからだ。いつから記憶が戻ってたんだ。言えよ」
「嘘をついてたのは君だろ!」
 一方的に責められるのは違うんじゃないか。理不尽な勝己の物言いに憤慨して出久は反論する。
「んだと、てめえ!」
「いつからって、今日だよ。授業中に思い出したんだ。でも君が嘘をついたから、どう言っていいのかわからなくなったんじゃないか」出久は息を吸い込んで続ける。「かっちゃん。僕らは付き合ってなかった。君はどうしてこんな嘘をついたんだ」
 出久の両腕は掴まれシーツに押さえつけられている。勝己の指が食い込んで腕が折られそうだ。ディスクは指から離れたがベッドの上にある。下に落とさなくてよかった。眉根を寄せ、低い声で勝己は答える。
「記憶を取り戻しても、てめえが白を知るんじゃねえかと思ったからだ。げんにてめえは黙ってたじゃねえか」勝己は憤りながら続ける。「いつもいつも逃げやがってよお。デク!てめえは俺を苛つかせてばっかりだぜ」
「逃げるってなんだよ。僕らの関係は名前なんてなくて。練習みたいなことしてただけだろ」
「ああ、だがデク、今はそう言えんのか?」
「どういう、意味?」
 勝己はニヤリと笑うと、言い聞かせるように言う。
「はっは!てめえが自分でクラスの奴らに言いふらしてやがるから、面白くてしょうがなかったぜ」
 勝己の言葉の意味が、じわりと理解できてくる。その通りだ。もう皆かっちゃんと僕の関係を知ってる。いまや付き合ってるのは、みんなの中では規定事項になってしまった。僕が自分で言ってしまったからだ。
「なんで、かっちゃん。取り返しがつかないよ。みんな僕らは付き合ってると思ってるよ」
「もう遅えし。事実付き合ってんじゃねえか。やっちまったしよ」
「違った、のに。セックスだって、あの時が初めてだったんじゃないか」
「はっ!てめえが返事を延ばしたりするからだ。答える前に記憶失くしたりしやがって。初めは嘘ついてんのかと思ったぜ。丁度やってた間だけ記憶をなくすなんてよお、都合がよすぎんだろ」
「でも、思い出してからでも遅くはなかっただろ」
「いつ戻るかわかんねえのに待てるかよ」
 そう言いかけて勝己は目を眇める。「いや、初めは待つつもりだったわ。轟の野郎が余計なことを言わなけりゃあな」
「轟くん、が?」
 僕がいるのは今だ、と言った彼の言葉。あれがかっちゃんを怒らせたのか。
「あー、ムカつくぜ。でもな、待ったとしてもよ。もうあんな偶然はきっと起こりっこねえ。ひと月前のあの日何があったのか、てめえに教えてやる」

5

 いくつもの偶然が重なったのだ。
 上鳴から取り上げたDVD、轟との会話で感じた焦り、傷跡が残る出久の腕。部屋に来た出久。逃げなかった出久。
 あの夜の轟との会話の後、部屋に戻った勝己は苛ついていた。あいつ、出久を見下してやがったくせに、体育祭で戦ってからころっと手の平返しやがって。俺はどうしたいのだろう、だと?わかりきってんだろ。何も見てなかった奴が、初めて興味を持ったのが出久なんだろ。試合を捨てて、てめえを救おうと感情をぶつけてくる相手に、心動かされねえわけがねえ。あいつは素直に出久に近づいていくんだろうよ。
「クソが。一匹狼を気取ってる奴が一番質わりいんだよ」
 出久に全力でかかって来いなんて言われてよ。かかってこいなんてあいつ、俺には言ったことなんかねえ。いっつも俺が逃げんなって言ってばかりだ。グラウンドベータの時だって俺が言ったから応えただけなんだ。
 あの時、俺が言うまで、出久は俺の悲鳴に気づいてなかった。いつもムカつくくらい敏感に察知しやがったくせに。最初の戦闘訓練の後だって気づいて追ってきたくせに。こんなことは今まで一度もなかった。半分野郎の悲鳴に気づいたくらいだ。あいつが変わったわけじゃねえ。側にいねえからだ。そんだけのことだ。くそっ、どうでもいいことなのに癪に障ってしょうがねえ。
 グラウンドベータでの対決で、出久は俺を見下してねえ。俺がそう思い込んでいただけだと疑いは解消したのに。積み重ねた時間で拗れた関係はもう元には戻せやしない。でも轟はこれから関係を作ることができる。あいつは素直に気持ちを出久に寄せていくだろう。俺には絶対にできない。
 出久は今まで人に相手にされたことがなくて免疫がないから、素直な好意に弱い。誰にでもすぐ心を許しちまう。だから苛つくのだ。デクと俺の間には幼馴染ってことしかねえ。今までもこれからもそれしかねえんだ。
 ふと気づく。「デクの野郎、いつかオールマイトの秘密まで半分野郎に喋っちまうんじゃねえか」
 俺にぺろっと明かしちまうくらいだ。轟に直球で聞かれてごまかせるのかよ。釘を指しとかねえといけねえ。
 勝己はすぐさま階下に降りて、共有スペースにいた出久を部屋に連れてきた。部屋に足を踏み入れた出久は呑気に窓の外を見て「かっちゃんの部屋見晴らしいいね」とか抜かしてやがる。
「学校の敷地内にあるもんしか見えねえよ」
「ほんとだ、校舎が見えるね。まだ電気がついてる。先生達まだ残ってるのかな」
 なに浮ついてやがるんだ。ふと視線がTシャツから伸びた出久の腕に落ちる。引き攣った傷跡がいくつも走る上腕。目が離せない。轟との戦いで付けた、いつになっても消えない傷跡。見るたびに体育祭での轟と出久の死闘を、昨日のことのように思い出す。苛立ってしょうがない。さっさと本題に入ろう。
オールマイトとてめえの秘密のこと、半分野郎が疑ってるぜ。てめえなんかやらかしたのかよ」
「轟くんが?特に何もしてないよ。ああ、でも彼には以前僕にオールマイトの隠し子かって聞かれたことがあったよ」
「野郎、アホか。何言ってんだ。あいつに聞かれても喋ったりすんなよ」
「言わないよ。当たり前だろ」
「どうだろうな。てめえおしゃべりだからよ」
「言わないよ!」
「てめえ、俺には喋ったじゃねえか」
「あの時は、そんなに大事な秘密とは思ってなくて。それに、君は、君にだけは隠したくなかったから」
「俺だから、か?」
「うん、そうだよ」
 出久は俺にしか言わないと言うのだ。少しだけ気分が浮上する。
「じゃ、そんだけだ。行けよ」
「そ、そう。おやすみ、かっちゃ」
 出久の言葉が途切れた。なんだ?出久はもじもじとしながらテーブルの上を見てる。視線の先には。まずい。あいつら出久も誘ったって言ってなかったか。よりによってこいつに見られちまうなんて。
「てめえ、何見てんだよ」
「え、あの」と出久は狼狽える。
 てめえの態度が知ってるって言ってんだよ、クソが。このまま行かせられるかよ。その時考えたのは、このままデクを巻き込むしかないということと、親睦を深める方法だという上鳴らの言葉。ムカつく轟へのアドバンテージ。頭に血がのぼり先のことなど考えられなかった。
 それでも出久は逃げようと思えば、逃げられたはずだ。だが出久は逃げなかった。キスしても身体に触れても。2回目3回目と続けばもう習慣になるってもんだ。
 夜になると勝己の部屋でキスをする日々が続いた。度重なれば上手くなるし気持ちよくなる。出久のマシュマロみたいな柔らかい唇を啄んで、口内を舐めて味わう。いつも生意気な出久が従順に勝己に応える。キスが麻薬みたいに習慣性があるのだと初めて知った。唇をくっつけるだけの行為であるというのに。学校にいる時もつい出久の唇を見てしまう。
 けれども次第に引っかかるものを感じるようになった。誘うのはいつも勝己ばかりだったからだ。キスで感じてるくせに、勝己に応えるくせに、出久から誘ってくることは1度もない。次第に不満が膨らんできた。お互い様なんだから、あいつからもくるべきじゃねえのか。俺ばっかりが求めてるみてえじゃねえか。
 試しにある夜は呼びに行かなかった。毎日誘っていた自分が来なかったなら、出久はどうするのかと知りたくて衝動を堪えた。だがその夜出久は来なかった。翌朝、朝食の時に顔を合わせたが、出久はいけしゃあしゃあと「おはよう」と言い、素知らぬふりをしやがった。まるでこれまでも何事もなかったかのように。
 腹が立ってその夜は夕飯をすませると、出久を部屋に引きずってきた。ベッドに座ってキスをして一旦唇を離すと、目を閉じたままの出久の首筋に唇を押し当てた。
「か、かっちゃん」と動揺する出久に構わずにちゅっと吸い、首筋を辿ってそのすぐ下にもキスをする。
 キスだけじゃなく直に肌をまさぐってやる。そう決めた。てめえに考えるさせる前にやっちまうのがいい。2回目に部屋に呼んだ時にてめえが何か言う前に、すぐ行動に移したように。
 鎖骨を甘噛みしてキスをする。窪みに舌を入れて舐める。
「噛み付かないでよ、かっちゃん」
と、出久は吐息まじりの声で抗議する。だが抵抗はしない。諦めたみてえだな。
「てめえ次第だな。唇にすんのも首にすんのもキスにかわりねえだろ」
 Tシャツから出ている首周りに余さず唇を這わせる。首まわりだけじゃ全然足りない。肩を押して出久の身体をシーツの上に倒し、Tシャツの裾をまくりあげる。顕になった腹筋を摩り、乳首を指で撫でる。先端は押すとふにゃっと潰れる。屈みこみ胸に顔を寄せて口付ける。
「ちょ、何、かっちゃんってば」
 出久の手が髪に触れる。引き離そうとしながらも遠慮がちにそろっと。それで俺が止まるとでも思ってんのかよ。甘えんだよ。
「うっせえわ、黙って感じてろ」
「感じるって、擽ったいだけだよ。乳首なんか」
 慌てる出久に構わず、唇を押し当てて、転がすように舐めて吸ってみる。嬲っているうちに小さな突起が凝ってきた。もう片方の乳首も舐めて嬲る。
「あ、はあ、擽ったいってば、かっちゃん、あ」
 出久の声が少し熱っぽくなってるのを勝己は聞き逃さない。出久も自分で気づいたのか口を手で覆う。
「感じてんじゃねえかよ」
「違うよ。擽ったくて」
「へえ、そうかよ」
 股に手をすべらせて中心に触れると「ひゃあ」と出久は声を上げた。布越しに手のしたのものが少し固くなってるのがわかる。勝己はにやりと笑う。
「デク、てめえの息子は反応してるみてえだなあ」
 赤面した出久はふるふると首を振る。今日のところはここまでで勘弁してやる。今日のところは、だけどな。
 下腹部から手を離し、出久の手首を掴んで眺める。歪んだ手に残る白い傷跡。轟との戦いの残滓。キスをして唇を這わせ、齧りとってやりたいのを我慢して甘噛みする。
 その日から勝己は、出久の肌にも触れるようになった。結局一度触れてしまうと、キスだけでは物足りなくなったのだ。
 勝己に嬲られて乱れる出久が、促されるままに勝己のものに触れる様が堪らない。こいつの中で擽ったさが快感に変わってきているのだ。白い雪に足跡をつけるように、快楽を自分が教え込んでいるのだ。腹の底に湧き上がる悦び。自分の中にそんな感覚があるなんてな。苛立ちの中に潜んでいた征服欲や支配欲や独占欲が、発露する対象を得たのだ。
 だが身体の快楽を教えていけば変わるかと思ってたのに、出久はやっぱり自分からは誘って来ない。俺ばっかりが溺れていくみてえで不愉快極まりねえ。てめえは俺が飽きるのを待ってやがるんだ。てめえの考えそうなこたあわかってんだよ。いつでも前までの何もしてねえ関係に戻れると踏んでるんだろ。思い通りにしてたまるかよ。
 そう勘繰ってむかついて意地になっていたかも知れない。俺は出久が溺れるのを待ってたんだ。どこまでやればてめえが俺と同じところまで落ちんだってな。キスをして体に触れて、てめえを俺の色に染め上げても。それでも、俺だけが繋いでんじゃ意味がねえんだ。

「戦闘時訓練の前日、やっぱり最後までするしかねえか。どうせそのうちやるつもりだったしな。そう思って行動に移そうとしたんだ。てめえは拒みやがったがな。仕方ねえから勢いで付き合うと言ったとき、すとんと胸に落ちた。はじめからそうすれば良かったんだと気付いたんだ。そうすりゃてめえの全部が俺のもんだ。どっちが呼びに行くとか関係無え。てめえの時間も都合も全部構うこたあねえ。てめえを自由にすんのはオレの権利になるんだ。絶対無理だと思っていたものが、思いがけずやっと手に入りそうだったんだ。なのにてめえは、わけのわからん理由で、考えさせてなんてぬかしやがった。てめえには待つと言ったが、断るなんて選択肢は初めからねえんだ。もう決まってんだ。なのに記憶喪失だと?てめえは突然なかったことにしやがった。自分だけ忘れて楽になりやがって。俺だけを置いてきぼりにしやがってよ。ふざけやがって!」
「そんな、かっちゃん、理不尽だよ」
 あまりに酷いんじゃないだろうか。待つと言ってたくせに選択肢はやはりなかった。僕の意思なんて全然尊重されない。今後も自由意志は剥奪されてしまうらしい。こんな条件を突きつけられてどう答えると思ってるんだ。
「どうすんだ。デク!さんざん待たせやがったんだ。答えろよ」
 なのに何故だろう。あんまりだと思うのに、怒りたいのに、だんだん憤りが失せていくのは。君の手が震えているからなんだろうか。君のしたことは間違ってる。怒るべきなのに。肯定的できることではないのに。
「何で聞くんだよ。もう決まってるんだろ」
 何故か負け惜しみのようになってしまった口調を自覚しながらも、勝己の顔を見上げる。
「言ったろうがよ。俺だけが繋いでんじゃ意味ねえんだ。デク、答えろよ」


 6時間目のチャイムが鳴り、戦闘試験の号令がかかった。
 採掘場を模した試験エリアに爆破音が響き、地面が揺れて地響きが起こる。仕掛けられた爆弾が次々と炸裂し、生徒達は散り散りになった。
 課題は爆弾処理。爆発を避けて隠された爆弾を見つけて処理しなくてはならない。時間内にいくつ片付けられるかが評価になる。
「ぶっ壊しちまえばいいんだろ。どけえ!
 岩山を爆破しながらいち早く勝己が走ってゆく。
「あいつ、荒れてんなあ」「やんのは爆弾処理だろ。爆発させちゃったらダメだろ」と、生徒達は後に続きつつ呆れている。
「機能停止するならば、爆砕でも構わないぞ」
 彼らの会話を聞いていたオールマイトが答える。
「てことはあいつがどんどん減らしてんじゃねえか」「やべえ、急がなきゃ」「あいつの通った後にはもうねえぞ」生徒達は慌ててバラバラに試験エリアに散り、爆弾を探索し始めた。
 だが出久は上の空だった。
 学校が終わったら、かっちゃんに返事しないといけないんだ。彼の答えはもう出ている。きっと僕が逆らうことは許さないだろう。与えられたのは選択肢じゃなくて猶予でしかないんだ。
 いや、と出久は首を振る。かっちゃんに判断を押し付けるのは卑怯だ。僕は僕で決めなきゃいけない。僕はどうすればいいのか。どうすれば。
 どうするのが正しいのかは多分わかってる。もうやめるべきなんだ。気持ちを置き去りにして考えなしに彼と触れ合った。一時的な彼の気まぐれと思っていたし、多分ちょっと好奇心もあった。いいことじゃない。仮に付き合ったとして、諍いばかりの僕らが上手くいくとは思えない。喧嘩して周りに一層迷惑をかけそうだし、別れたりしたら、卒業まで今以上に気まずいままになる。
 じゃあ、やめられるのか。彼との逢瀬を。出久はふるりと震える。僕は覚えてしまった。彼の温もりを。唇を重ねて彼の手が肌を滑り身体に触れ、彼の熱に触れて、体温を分け合いながら戯れる。今更忘れられない。
 かっちゃんは答えを提示したんだ。この先に進むと。名前のなかった僕らの関係に名前がつき、意味のなかった行為が意味を持つようになる。ただの戯れだったのが性行為になるということなんだ。触れ合うだけじゃなく本番もあるかも知れない。というか、勝己のことだ。やりかけたし、ほぼ確実にあるだろう。
 僕はどうしたい。どうすればいい。出久は振り向いた。岩山の向こうに眩い閃光。聞き慣れた爆破の音。爆弾の火薬じゃなくニトロの焦げる臭い。引き続き起こる破裂音に勝己の咆哮。
 岩山の影になって見えないけれど、かっちゃんはあの方向にいる。
 始まりに理由がなくても終わるのは理由が要るんだ。たとえ始まりが正しくなかったとしても。
 僕にも終らせる理由なんてないよ。かっちゃん。
「危ねえ!緑谷!」
 誰かの声が聞こえた。


「おいデク、遅えよ。いつまで待たせんだ。さっさと来い」
 出久が共有スペースに入るなり、待っていたとばかりに勝己はソファから立ち上がって名を呼ぶ。先に寮に戻っていた勝己はもう私服に着替えている。
「おーい、チャンネル変えていいか。いいよな、もういくんだろ。テレビ見ねえよな」
 上鳴は勝己に呼びかける。勝己は舌打ちしてリモコンを放り投げて渡し、ずかずかと出久に近づいて腕を引っ張る。
「ちょっと待って、鞄、部屋に置いてこなくちゃ」
「そのまんま持って来い。俺の部屋で宿題すりゃいいだろーが」
 勝己はエレベーターに出久を引きずって入ると4階のボタンを押す。
「服、脱ぎたいし」
「それも部屋でいいだろうが」
「ちょ、それは困るよ」
 押し問答をしているうちにエレベーターは4階に到着してしまった。もういいや、着替えはかっちゃんに貸してもらおう。
 ひと月分の記憶は全て戻ってきた。欠けたところはなくなった。クラスのみんなや先生達はにも報告したら、よかったねと喜んでくれた。やっと勝己がDVDを返してくれたのだと上鳴君からは礼を言われた。
 あれからまだ勝己との勉強会は続いている。
 今後も続いていくのだろう。

END

掌の太陽(R18)

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 母親に怒号を背にして、勝己は家を飛び出した。
 心の中で悪態をつく。
 うぜえ、ほんっとにうぜえ。飯食う時の姿勢が悪いから始まって、口が悪い態度が悪いとハハオヤはくだらないことでガミガミ叱りやがるし、オヤジはいつもオロオロしてるだけで最終的にはハハオヤの味方だしよ。居心地わりいったらありゃしねえぜ。
反射板のポツポツと光るアスファルトを駆けた。走りながらほうっと息を吐く。肌に纏わりつく冷えた空気がむき出しの腕にちくちくと痛い。近所をぐるっと回って気づいたら出久の住む団地の前にいた。
 自然に足が向いていたのか。袖で涙をゴシゴシと拭いて出久の部屋の窓を見上げる。カーテンの隙間から蛍光灯の光がちらちらと漏れている。あいつは自分の部屋にいるようだ。時間的にもう飯は食っただろうから、部屋で動画でも見てんだろう。十中八九オールマイトの動画だろうな。
 勝己は小石を拾って窓に向かって投げた。小石は孤を描いて窓硝子に当たりカツンと音を立てる。少し待ったが出久は顔を出さない。
 もうひとつ小石を投げて「おい、デク!」と声を上げる。
 やっと出久がカーテンの向こうから顔を覗かせた。驚いた表情を浮かべて「かっちゃん?」と口を動かしながら、窓を開ける。大きな目を益々大きくしている。いくつになってもまだちっこい俺の幼馴染。
「どうしたの?かっちゃん」
「出てこいよ、デク」
「今?ダメだよ。もう夜なんだよ」
「ちょっとくらい構わねえだろ」
「だって」
「出てこいよ!」
 何を躊躇してんだ。出久のくせにごちゃごちゃ言うなよ。俺が来いって言ったらてめえは来るもんだろうが。てめえだけは。
「出てこい!」
 また涙が出そうになり下を向いて怒鳴る。
「かっちゃん、でも」
 出久は口籠る。パタン、とサッシの閉まる音が聞こえた。
 なんだと?出久の奴、窓を閉めやがったのか?あいつ、出てこない気かよ、クソが、クソが!握りこんだ拳が発汗して熱を帯びる。窓を爆破してやろうか。そうしたら出てこざるを得ないだろうからな。やったら大騒ぎになるだろうな。最大火力でどこまで出るか試したっていい。物騒な考えが頭をよぎる。
 本当に壊してやろうか。
 ニトロを含んだ汗が発火してチリっと爆ぜる。掌からパチパチと火花を散らす。
 ふと、トントンと階段を降りる子供の軽い足音が聞こえた。暫くして鍵を外す音がして玄関から出久が顔を出す。勝己はゴシゴシと顔を手の甲で顔を拭いた。出久は靴の踵を踏んだまま、つっかけながら転がるように駆けて来る。
「てめえ!」
 勝己は動揺を隠そうと人差し指で出久のおでこを思いっきり弾く。
「いったた、痛いよ、かっちゃん、酷いよ」
 出久は涙ぐんで額をさする。
「黙って窓閉めんじゃねえよ!クソが」
 出てこねえかと思ったじゃねえか、という言葉は飲み込んだ。
「あの、半袖じゃ風邪引いちゃうよ、かっちゃん。寒いから。上着いる?僕のだけど」
 出久は手に持ったダウンの上着を勝己に差し出す。見覚えのあるモスグリーン。
「寄越せ!」
 勝己は差し出された上着を引ったくるように受け取って袖を通す。少し袖丈が短い。ほんのり乳くさいような、出久の匂いがする。ぱんぱんとはたいて手の汗を上着に擦り付ける。俺の匂いをつけてやるわ。
「明日返してね。じゃあね」
 出久は裾を引っ張りながら微笑んで小さく手を振る。
 は?これだけで戻るつもりか?
「待てや」
 勝己は引き返そうとする出久の腕を引っ掴んだ。
「ちょ、ちょっと、かっちゃん」
「てめえも上着着てんな。じゃあいいだろ。ちょっと来い」
 勝己は出久の腕を引っ張り門から引き離す。
「え?何?」
 手を繋ぎ直して、慌てる出久を引きずるようにして歩き出す。
「どこへ行くんだよ、かっちゃん」
「うるせえ」
 出久が窓を閉めたときに不安になった自分も、出久が出てきたことで今安堵している自分にも腹が立つ。この手を離してなんかやるものか。
「子供は夜外に出ちゃいけないんだよ」
「うっぜえこと言うんじゃねえよ。てめーは親かよ、ああ?」
「かっちゃん、あの、もうっ」
 引っ張る腕に抵抗がなくなった。出久は諦めて大人しくついてくることにしたようだ。 出久の家も勝己の家も遠ざかってゆく。家々に灯る家族団欒の暖かい窓の光。こいつを連れてここから離れたい。遠くへ、もっと遠くへ行きたい。
 
 出久の手を引いて歩いて、いつも遊んでる公園に到着した。辺りを見回したが、しんと静まり返った園内には誰もいない。青味を帯びた街灯が照らす光景は昼間とは違って見える。滑り台もブランコも凍りついているように蒼い。まるで氷の国の建造物のようだ。
「氷の国みたいだね」
 白い息を吐いて出久が周りを見回す。
「は?何言ってんだ。いつもの公園だろーが」
 同じことを思っていたなんて、こそばゆい。勝己は繋いだ手を離して滑り台に駆け寄り、梯子を登り始めた。ちらっと振り向くと「かっちゃん」と名を呼んで、出久も自分に続いて登ってくる。
 勝己の口元は自然と緩む。手離してやったのに帰ったりしねえんだよな。出久はいつもそうだ。困った顔をしながらも、俺の後ろをついてこない時はないんだ。滑り台の頂上に二人で立った。
「わあ、星が綺麗だね」
 出久の言葉に初めて夜空を見上げた。黒い夜空に煌めく砂粒が隅々まで散らばり瞬いている。新月を過ぎたばかりの月は弓のように細く、優美に弧を描いている。満月の夜のように空が眩い光に隠されることがないから星がよく見えるのだ。月光は昏く優しい。
「あれがオリオン座だよね」
 出久が一際明るい一団の星々を指差す。
「知っとるわ」
 4つの明るい星の真ん中に3つの星が並び、太鼓の形の様に見える配置。人の形には全く見えない星座。星座ってのは大体そうだ。どう見ればそう見えるんだ。
「オリオンって神話では猟師なんだよね」
「それも知ってるっての。オリオンは自分に倒せない獲物はいないと思い上がり、神の差し向けた蠍に刺し殺されたっていう猟師の名だ。俺が教えてやったんだろ」
「かっちゃん色々知ってるもんね」
 蠍座は夏の星座だから冬の星座であるオリオン座と同時期に空に上ることはない。まるでオリオンが蠍から逃げているように。それともオリオンが蠍を追いかけているのだろうか。自分を傷つけた小さな生き物を。
 そっちかもしれない。悔しいだろうよ。本来ならばそんな小さな生き物にやられやしなかっただろうにと。永遠に天空を巡りお互いを追い続ける。
「寒いよ。そろそろ帰ろうよ」
 出久は身体を抱くようにして縮こまる。
「しょうがねえな。じゃあトンネルの中に入るか」
「え?まだ帰らないの?」
「うっせえ!帰らねえっての」
 滑り台を降りて出久を手招きし、トンネルと呼んでいる土管に向かう。地面に半分埋められたアーチ型に少し背を屈めて入る。出久もついてきてアーチをくぐり、隣り合って座り身を寄せあう。昼間なら中に入るより、このアーチの上で登ったり滑ったりして遊んでいるところだ。
「お母さん、きっと心配してるよ」
「ババアが心配なんかしてねえよ」
「お母さんをババアなんて言っちゃダメだよ」
「うっせえ!ババアはババアだ!それよりよ、てめえはどうせ部屋でオールマイトの動画見てたんだろ。どんなの見てたんだ。言ってみろよ」
「え、うん、そうだけど」一瞬戸惑ったもののにこっと笑うと「今日のオールマイトはね」と出久は見たばかりらしい動画の話を喋り始めた。
 こいつはオールマイトの話を振るとすぐにのってきやがる。毎日見てるだろうによく話すネタがつきないものだ。全くお手軽な奴だよてめえは。でも、ただすごいと賛美するだけじゃなく、細かく分析してやがるのが他の奴と違うところだ。観察眼には時々舌を巻く。
 身振り手振りを交えながらお喋りして、一息つくと出久は掌にほうっと息を吹きかける。勝己は出久の指に触れてそっとつまんでみる。氷のように冷たいかじかんだ指。
「なに、かっちゃん?」
「両方の手、貸してみろや」
 勝己は出久の両手を包みこみ、着火しないように温度に注意して掌の温度をほんのり上げて温めてやる。今は手に汗はかいてないからできることだ。
「あったかいか」
「うん。あったかいよ。かっちゃんの個性、凄いね」そう言ってふっと目を伏せた出久の表情が翳りを帯びる。「いいなあ」
 出久は時折俺をすごいと言いながら辛そうな顔をする。手放しで俺をすげえって言ってた頃と違って。ひとりだけ個性が発現しなかった、珍しい無個性の出久。
 出久に個性が発現しないと知った時、哀れだと思うと同時にどこかほっとした。現れた個性によってはそれまでの関係が変わってしまうからだ。個性次第で関係は変わる。いい個性が周囲の評価を変える。出久の母親は念動力の個性を持ってるし、父親は火を吹くらしい。出方によっちゃあすげえ個性になる可能性はあった。だがそうはならなかった。
 そんな個性はデクにはいらねえ。個性が発現してきてから、周りには関係が逆転した奴らもいるんだ。他の奴なら別に構わねえ。だが出久だけはそうなるのは許せねえ。個性がないならずっと俺達はこのままだ。もっとも、発現したとしても、出久が俺以上の個性持つなんてねえけどな。
 けれども、出久の瞳が陰るたびに不安になる。無個性でいいじゃねえか。てめえにもしあってもどうせ大した個性になりゃしねえよ。諦めりゃいいんだ。諦めろよ。
 出久の手を裏返して掌を合わせて指を絡める。指先まで温めてやる。出久が指をムズムズとうごめかす。
「かっちゃん、温かすぎてちょっと痒くなってきたよ」
「ああ、もういいな」
 絡めた指が解かれて離れてゆく。
「かっちゃんありがと」
 出久は手を離してさすさすと擦り合わせながらふわっと微笑む。表情にさっきまでの翳りはない。こいつの頬も寒さで真っ赤になってるんだろうか。いつも寒いと林檎みたいに頬を染めていた。アーチの入り口から差し込む青白い街灯の光ではよく見えない。手を頬に伸ばして触れてみる。
「冷てえ」
「だって、寒いんだもん」
「こっち向けよ」
 両方の頬を両手で挟んでこちらを向かせる。もちふわっとして柔けえ。大福みたいな頬。噛んでみたくなるような。掌で包み込んで少しずつ温度を上げてゆく。
「なんか、かっちゃん」
「なんだよ」
ホカロンみたい」
「てめえ、他に言い方ねえのかよ」
 パチっと指先が爆ぜる。
「たっ、わ、かっちゃん」
「てめえが余計なこと言うからだ」
 驚いて出久は身体を引こうとするが逃さないと勝己は頬をむにゅっと挟む。
「動くなよ、バカ」
 顔を突き合わせるようにして保温してやる。生意気言うからだ。脅かしちまったか。ちょっと爆ぜただけだろ。
 顔を近づけると出久の瞳がよく見える。緑がかった瞳の中に俺が映っている。こいつの瞳の中にも俺が映っているだろうか。暫くそのままの姿勢で額を突き合わせる。そっと身を寄せる。氷の国でこのアーチの中だけが暖かい場所であるかのように。
 十分温かくなっただろう、とそっと頬から手を離す。
「わあ、ホカホカだ」
 出久が頬を擦って笑う。背筋がむず痒くまる。出久なんかに、なにやってんだ俺は。無理やり連れだしてきちまったからか。デクに悪いなんて思ってねえ。こいつが帰りたいなんてうるせえからだ。それだけだ。ここには俺たち以外誰もいねえからだ。誰も見てねえから。
「てめえの手、貸せ」
 勝己は出久の両手を掴み、掌を自分の両頬に当てる。紅葉みてえな小さい細っこい指と薄い柔らかい掌。自分の掌は個性が発現してから手の平の皮が段々固く分厚くなって手自体に厚みが増している。もうこいつとは全然違う手だ。
「かっちゃん?」
「ああ、確かにホカロンだな」
「かっちゃんは自分で温められるのに」
「ああ?てめえ、文句言うんじゃねえよ。俺が温めてやったんだろうがよ」
 そう言って目を瞑る。触れられた頬の温もりで強張った心が溶けてゆく。凍えた胸に温かいものが流れ込んでくる。
 出久だけはこのままでいい。この先もこいつが離れることなんてない。どんな扱いをしても俺についてくる奴なんだから。
 でももし、俺を拒絶するなんてことがあったら。さっき俺の前で窓を閉めたように。俺がいくら呼んでも出てこなかったら。もしも。いや、そんなことあり得ねえ。出久が離れていくわけがねえ。そんなこと許さねえ。絶対に。
 勝己は頬に当てられた出久の手の甲を掌で包むように覆う。

 


 真夏の昼間 。太陽は真上から全て燃やし尽くす如く照りつける。熱せられたアスファルトからはゆらゆらと陽炎が昇る。
 一歩外に足を踏み出しただけで、もう身体から汗が噴き出した。勝己は出てきたばかりのコンビニを振り返って顔を顰める。手に下げたレジ袋の表面に水滴がびっしりとついている。中のジュースがぬるくなりそうだぜ。掌からポタリと滴る汗が地面に落ちて、しゅっと音を立てて蒸発する。
 家に向かう下り坂を歩んでいると、進行方向にゆらゆらと蜃気楼のような人影が見える。人影は顔を上げると勝己に向かって声をかけた。
「かっちゃん」
 聞き慣れた幼馴染の呼ぶ声。目を凝らすと陽炎の向こうにはあいつの顔。憎らしくてたまらないのに声だけで胸を揺さぶる。忌々しい幼馴染。勝己はぎりっと歯軋りをした。

1

 ある日の午後だった。
「ちゃっちゃと歩けや。遅えんだよ」
 勝己は階段を登りながら振り返って出久を詰った。手に持った木箱の中身がごそりと揺れる。
「でもかっちゃん、壊れ物だから慎重に扱わないと」
「慎重に早く歩けってんだ、馬鹿が。遅くなるだろーがよ」
 出久と勝己はそれぞれ木箱を抱えて理科室に向かっていた。前の授業で理科室から持ち出して使用した道具をしまうためだ。日直の雑用だから仕方がない。次の授業は全校訓練ということで、先生達も他の生徒も既に別エリアに移動している。校長ともさっきすれちがったから、校舎に残っているのは遅刻して用意に手間取っているオールマイトだけだろう。
 入学してから二年生になった今まで、日直は出久とペアにされる。席が前後している関係か、はたまた相澤先生の余計な配慮であるのか。おそらくどちらもあるだろう。全く厄介だ。
 漸く理科室の前に来たものの、木箱で両手が塞がっていてドアが開けられない。
「クソが。面倒だ」と勝己は足で理科室のドアを蹴り開けた。
「かっちゃん、ちょっと乱棒だよ」と出久が慌てる。
「るせーわ。入ってこいや、デク。ちゃっちゃと棚にしまうぜ」
 大きな机に木箱を置いて中身を棚に戻しながら、勝己は出久を振り見る。
メスシリンダーがここで、ビーカーがあっちで」
 とぶつぶつ言いながら出久は先に中身を選り分けて机に並べている。
 ガチでやりあってから、出久は少しずつ勝己に対して緊張が解けてきたようにみえる。 あの夜出久に戦えと強いたのは八つ当たりだったのか、オールマイトのかわりに殴って欲しかったのか。自分でもよくわかんねえ。結局こっちが勝っちまったけど。
 あれからオールマイトの秘密を出久と共有することになった。やはりあいつには個性がなかった。個性は授かったのだと、やっとあいつの秘密を捕らえたのだ。クラスの奴らはそれを知らない。これからも知ることはないだろう。秘密は自分と出久とオールマイトだけのものだ。
 だが知ったからといって、今までの関係がいきなり変わるわけでもなかった。徐々に変化してきたものの、いまだ距離を測りかねている。出久もそうだろう。会話がイマイチ噛み合わないのは相変わらずだし。秘密を明かされてもなお、出久は勝己を苛つかせる存在だ。
「これ、そっちの棚じゃねえのか?」
「あ、ごめん、間違ってた?」
 出久にメスシリンダーを手渡す。渡すときに何気なく指をするりと撫でた。ビクッと出久が反応する。
「気いつけろ。落とすなよ、デク」勝己はにやっと笑う。
「う、うん、ごめん」
 相変わらずだな。俺に向かってきやがった時の勢いはどうした。
 罪悪感に押し潰されそうだったあの時、俺は形にならない思いを出久にぶつけることがどうしても必要だった。みっともなく縋るような行為だったとしても。
 拳を向けても戸惑う出久に焦れた。本気になった出久に歓喜した。感情が抑えきれず俺もてめえも本音をぶちまけた。何考えてるかわからないと、てめえの真意をずっと勘繰ってたけれど、何のことはない。てめえの言葉はそのまま本音だった。俺は自分の畏れをてめえに投影していただけだ。言い方を変えりゃあ、てめえは根っからのヒーローオタクだから、俺をどんなに避けたくても、離れきれなかったってわけだろうが。中学には俺以上の戦闘系の個性を持つ奴なんていなかったからな。周り中優れた個性持ちばかりの今と違ってよ。追いかけてたって言ってたな。過去形のつもりかよ出久。
 昨日のことのように蘇る感触。掌に残る筋肉の弾ける感覚。殴った手応え。殴られた痛み。戦って、地面に組み伏せて、勝利した。掌に感じるあいつの心臓の鼓動。膝で押さえこんだあいつの腹と左腕。掴んだ右腕。荒い呼吸。爆炎の煙に咳き込んで上下する胸。 手を滑らせて、苦しげに歪んだあいつの顔に触れて押さえつけた。出久の命を手中に収めている感覚。愉悦にぞくぞくして下腹部が熱くなった。あんな風に出久の体温を近くに感じたのはいつぶりだっただろう。
「おいデク」
 勝己が呼ぶと、棚の戸を閉めながら出久が振り返る。
「なに、かっちゃん」
「放課後手合わせしろや」
「え?いいの?うん!」出久はぱっと顔を輝かせたが「あ、でも先生が許してくれるかどうかわからないよ」と言う。
「強くなりたくねえのかよ、てめえは」
「そりゃ、なりたいよ。だけど」
「じゃあ、やんだろ。俺に負けっぱなしでいいんかよ」
 にやっと笑って挑発する。あれからトレーニングと称して、時折拳を合わせるようになった。手合わせするその時間だけは、ストレートに対話できている気がする。拳が出久との唯一の会話の方法であるかのように。
オールマイトがてめえに呉れた力を鍛えねえでどうするよ。無個性のてめえなんざ誰も相手にしなかったろうが」
「よくない、けど」出久はぶつぶつと呟く。「ガチじゃなければいいのかも。個性使わなければ。でもつい本気出しちゃうこともあるかも知れないし」
 いらっとして勝己は怒鳴る。「ごちゃごちゃとうぜえ!いいんかよ、いいんだな!手合わせくらい大したことじゃねえだろ」
 そう言いつつ、こいつ真面目だから仕方ねえかとも思う。出久に限らず、雄英の生徒には色々な奴がいるが、本質的には真面目な生徒が多い。進学校だということと、皆ひとえにヒーローを目指す目的があるからだろう。生徒を信頼しているからこそ、個性を使う授業なんて危ないことが成り立つのだ。中学の時とは逆に出久は雄英に無理なく溶け込んでいる。あいつをザコだと言う俺の方がおかしいかのように周りの奴らは見ていた。だから入学してから苛つきどおしだった。馬鹿にされない環境は出久には初めてだろう。だがたとえ個性が大したことなくても、ここの奴らは人を馬鹿にして揶揄うことはないだろうよ。
 俺も、初めてか。中学までは寄ってくるのは頭も素行も悪い奴らばかりだった。真っ当な奴は相手を貶めたがる勝己には近寄らない。異質なのは出久だった。なのに何をしてもいつも後ろにいたはずの出久は、次第に離れていった。そのくせ離れたところから推し量るような視線を送ってくるのに苛ついた。あの苛々も消えるのか。
 やっと勝己の片付けが終わった。出久もうすぐ終わりそうだ。
オールマイトに報告してくっから、てめえは終わらせたら来い」
「あ、うん」
 出久は勝己に向かって頷き、棚に目を戻した。勝己はドアを開けようとして立ち止まり、振り返る。
「理科室、だなあ、覚えてるか。デク」
「え、ああ、え?」
 出久は手に持っていた器具を取り落としそうになった。
「中学の時、なあ、デク」
「覚えてないよ」
 出久は視線を合わせず、勝己の言葉を遮って答える。
「覚えてんだろう。忘れるわけねえよな」
 勝己は再び問いかけた。出久は返事を返さず黙って棚に機材を戻している。
「無視かよ」
 そう低く呟いて暫く待ってみる。出久は手を止めて俯いたまま黙っている。
「俺ぁ先に行くからな」
 じれったくなり、鼻を鳴らして勝己はドアを開ける。
「昔のこと、もう忘れたから」
 背後から聞こえるか聞こえないかの小さな声で出久が答えた。忘れてえってことかよ。勝己は大股に歩いて理科室を離れる。歩きながら掌から火花を散らす。あいつへの苛つきは解消されるはずだった。怯えた目で俺を見なくなることを渇望していたはずだった。
 俺の後ろから消えたくせに衛星のように遠巻きにして張り付いていた出久。衛星から彗星みてえになってどんどん遠ざかっていこうとしている出久。心のどこかで恐れていたことで、当たり前だと思ってもいて、でも認められなかった。追いかけていたのは出久だったはずなのにと憤りながら、逃げる出久を追いかけた。そうさせる出久を憎んだ。理屈じゃなく、あいつを得なければならないのだと、本能が告げていた。あいつのことなんてどうでもいいと思いたいのに無視できない。まならない苛立ちを思い知らせてやりたいと、心も身体も追い詰めた。
 いつの間にかてめえを追いかけるようになって、追いかけて追いついて。やっと捕まえたってのに。俺の望む距離はこんなんじゃねえ。 俺の望むてめえとの関係はこの延長線上にはねえ。

 ズシンと地響きがして足元が揺れた。
 地震か?いや俺にはわかる。これは爆発だ。だが変だ。音がしねえ。消音性の爆弾かなんかか。それともそういう個性か。どちらにしろ校内に何者かが侵入したってことか。
 勝己は身構えるとあたりを伺い耳を澄ます。物音がしない。他の教師はこの校舎に残ってないとは言え不自然な静寂。職員室にはオールマイトしかいない。そこを狙ったってことか。狙いはオールマイト。勝己は職員室に向かって走った。
 だが計算違いだったな。オールマイトの他に誰もいないと踏んでたら俺と出久とタイミングよく校舎内にいたというわけだ。
 職員室に駆けつけた勝己は戸を開けようとしたがビクともしない。ビンゴだぜ。ドアをふっ飛ばして職員室に足を踏み入れる。爆破の煙が晴れたが視界はけぶったままだ。
オールマイト!いんのか」
 室内は白っぽい霞がかっており、机や椅子は竜巻にでも逢ったように乱雑に隅に寄せ集められ、天井まで積み重なっている。
「爆豪少年、校舎にいたのかい」
 声の方向を見る。白く濁った空間の中で痩せた身体のままのオールマイトが巨体の敵と対峙していた。
オールマイト!」
 勝己は叫んで敵に向かって立て続けに爆発させる。だが音もしない上に爆炎も爆風も届かない。なんでだ。肩で息をしながら駆け寄ると目の前で何かにぶつかった。ずぶりと沈んだ身体は勢いよく跳ね返される。なんだ?オールマイトとの間に弾力のある膜のようなものがある。
「バリアみたいなものが張られているようなんだ。敵の個性だろう」
 オールマイトが振り返って言う。
「先に言えや!オールマイト
 手がじんじんと痺れる。抜かった。無駄撃ちした。
「君は皆を呼んできてくれ。ここは私だけで相手する。大丈夫だ」
 オールマイトはヒーロー体型になった。すぐにまた戻ってしまうだろうに、勝己を安心させようと。また振り返って勝己に向かって笑顔を見せる。
オールマイト!かっちゃん!」
 出久が名を呼びながら廊下を駆けてくる。異変に気づいたのだろう。二人なら何とかなるだろうか。だがバリヤが張られていては、手助けするどころかオールマイトの側にも行けない。
「かっちゃん、オールマイトは?」
 出久は入り口に立つ勝己の横から奥を覗き込む。
「はやまんなよ、デク。攻撃すんな」
「緑谷少年もいたのか」
 だが、折悪しくオールマイトは痩せた体型に戻ってしまった。敵と相対するオールマイトを見て、出久は我を忘れて拳を握りバリアを殴る。甲高い音がしてバリヤの一部分が解かれた。反動で転がる出久の身体。だがすぐさま破れた個所はみるみる元通りになる。止める間もなく再び出久は個性を使い、反動で倒れた。
オールマイト!」
 出久が悲壮な声で叫ぶ。キリがねえ。バリアの個性を持った奴を見つけて叩くか、イレイザーヘッドを連れてきて個性を消去してもらうしかねえ。出久は立ち上がったが、腕がだらりと下がっている。片腕は折れたようだ。だが左手を構えて更にバリアを殴り、反動でふっ飛ばされる。
「馬鹿が!」
 なおも立ち上がり飛び出そうとするデクを勝己は引き止めた。
「退いてよ、かっちゃん、オールマイトが」出久は叫んで身を捩る。
オールマイトがなんのために奴を足止めしてると思ってんだ!」勝己は羽交い締めにして怒鳴る。「てめえの両腕はもう壊れてやがんだろ。これでまだ戦えると思ってるのかよ」
「やれるよ。まだ足がある」
「ふざけんな!クソが!」
「かっちゃんは皆を呼んできて、僕はここで」
「てめえ、他にも敵がいるかもしれねえんだ。自惚れてんじゃねえ!」
「離してよ、オールマイトが!」
 くっそ!埒が明かねえ。勝己は正気を失い暴れる出久の腹に片腕を巻きつけて片手を自由にすると、出久の背中に手を当てて至近距離から爆破した。火力は押さえ衝撃だけを与える。
「ぐ、は」
 出久は呻いて気絶した。腕に脱力した身体の重みがかかる。
「クソナードが。手間かけさせやがって」
 勝己はぐったりした身体を肩に担いで、オールマイトをちらっと振り返る。頼んだぞ。と目で示して頷くオールマイト。勝己はぎりっと歯を食いしばる。あんたはかっこいいよ。かっこ良すぎて目を奪われちまう。けれどもこの馬鹿があんたを参考にして無茶しちまうんだよ。「なんでデクだ」とあの時問うた言葉をあんたはどう取ったんだ。
 背中に響く音のない轟音に後ろ髪を引かれながら、出久を連れて廊下を駆ける。どこかに敵が潜んでいるかもしれないが、走るしかない。外に音さえ聞こえたなら。爆音のしない爆発。爆音を吸い込むバリア。効果はどこまで続いてんだ。この校舎内だけなら境界線はどうなんだ。そうだ、試しに境界から外に物理的に音を立ててやりゃあいいんだ。勝己は窓から見える太陽に向かって片手を掲げる。それから腕を後ろに振りかぶると「死ねや!」と叫んで連続爆破させながら腕を前に勢いよく振った。廊下の硝子窓が連鎖的に次々と吹き飛び粉々になる。硝子の割れる音と爆風と爆音。
「よし!これで来なきゃあ知らねえぞ」
 爆発音は外に聞こえたはずだ。勝己は肩で息をついた。すぐさま複数の足音が階段を駆け上がってくるのが聞こえてくる。廊下の向こうからこちらに向かってくる影が見える。先生達がやっと駆けつけてくれた。安堵して力が抜けた。いつになく血相を変えた相澤は、すれ違いざまに「お前達は早く避難しろ」と言う。イレイザーヘッド、相澤先生が来てくれたならバリアは解かれるだろう。オールマイトは助かる。それまで持ってればだが。いや、持たねえわけがねえ。クソが。
 保健室に出久を連れていってベッドに寝かせる。まだ気絶したままか。椅子に座って顔を見下ろす。奥の部屋からリカバリーガールが顔を出した。出久を見て「おやまあ、またこの子は」と呆れるリカバリーガールに「俺がやった」とその理由を話す。
「腕はまた酷いもんだけど、火傷は大したことないよ。ほぼ衝撃だけだね。あんた、大したもんだ」
 傷を負わせて褒められるなんでおかしなもんだ。腕と背中の火傷を治療している間、勝己はカーテンの外で待った。出久は気を失ったまま気付く様子はない。治療を終えてリカバリーガールがカーテンを開ける。
「手当は済んだよ。心配ない。前より体力がついたようだからね。完治できるよ」
「心配なんざしてねえよ」
 包帯でぐるぐる巻にされた出久の両腕。胸から背中に巻かれた包帯。勝己はベッドの側に椅子を寄せて座った。こいつをあの場に残して行けば、また個性を使っただろう。自分を顧みずに。今度は右足か左足か、両方折っても構わずに。万一瞬間的にバリアが解けたとしても、そんな身体で飛び出してれば確実に死んじまったろう。俺は間違ってねえ。だよなオールマイト。こんなことであんたの力の後継者を失うのは本意じゃねえだろ。
 包帯の下の出久の身体。中学の頃はもっと薄い胸だった。剥き出しの首筋に触れ、鎖骨に触れる。少し筋肉はついたものの、肌触りは中学生の時と変わらない。
 中学生の時、あの日、苛立ちのままに理科室に出久を連れ込んだ。帰りに廊下ですれ違った時、おどおどして顔を伏せて通りすぎようとするのにムカついたからだ。ちょっと脅すくらいのつもりだった。

2

 放課後の薄暗い理科室。勝己は出久を床に押し倒して馬乗りになり、シャツのボタンを一つ一つゆっくり外してゆく。校舎の外は寒風が吹きすさび、窓の外に木の葉が舞う。換気扇に風が吹きこんで、カタカタと音を立てている。
「かっちゃん、何で」
 出久の声が震えている。勝己はシャツの間から手を滑りこませて薄い胸に掌を当てる。
「向こうから来るの緑谷じゃねえ?」
 周りの奴らに言われるまでもない。身を縮めるように歩いてくるのは出久だ。あっちも気づいたらしい。目が合うと俯いて足早に通り過ぎる。挨拶もなしか。自分もしなかったが、出久のくせにとカチンときた。
「お前ら先に帰れ」
 回れ右して出久の後を追う。「またかよ、飽きねえな」「緑谷、勝己が行ったぞー」背後からかけられる呆れたような声に、振り向いて「うるせえ!」と怒鳴る。加減するくらいなら何で手を出すんだと言う奴も。ムカつくならカツアゲするかと言う奴も。何もわかってねえ。誰も手を出すんじゃねえ。あいつに手を出していいのは俺だけだ。俺の手であいつに思い知らせてやらなきゃいけねえんだ。
 幼い頃から近所に住む幼馴染。ふわふわ頭の幼馴染。遊ぶぜと家まで誘いに行った。おどおどしながらどこでもついてきた。すごいなあ、かっちゃんと言われると嬉しくなった。俺をキラキラした目で仰いでいた。そのてめえが非難の目を向ける。俺に怯えながら弱い奴を守り、許さないぞと言いやがる。てめえがヒーローのつもりかよ、と歯ぎしりをする。ざけんな。てめえがヒーローなわけねえだろ。
 あいつがオールマイトに夢中になり始めたのは、いつ頃からだっただろう。オールマイトだけじゃねえ。他のヒーローを以前は俺に向けていた目で見るようになったのは。ムカついてあいつのヒーローノートを目の前で焼いた。消し炭にしたらあいつが泣きじゃくったから大人に怒られた。それからは加減をするようにした。ノートは灰にしないように。身体を傷つけても火傷の痕を残さないように。手加減なしでてめえを叩きのめせたら、どんなに気持ちいいだろう。そんなことしたら死んじまうからできねえけど。いっそ目の前からいなくなれと願うこともある。どんなに楽になるだろう。追いついた。俺の目の前にいやがるから悪いんだぜ、デク。

「おとなしくしろよ。なあ、デク」
 肌に当てた掌が熱を帯びてゆく。熱さを感じても、火傷をさせないくらいに温度を調整する。出久の身体が跳ねる。
「や、熱い、止めて、かっちゃん」
「暴れんな、焼くぞてめえ」
 はじめだけ脅せばおとなしくなる。馬乗りになって服を剥いで上半身を裸にする。乳首を指でなぞり摘む。ひくっと出久の喉が上下する。くっと笑みが漏れる。小せえ頃はかっこいいとかすごいとか言ってたくせに。今のてめえのその態度はなんだ。怯えてるくせに見すかしたような生意気な目。追いつめてやりてえ。徐々に熱を下げて平熱より少し高いくらいに調整する。首筋を両手で締めるようにさすり、触れたまま手を下ろして脇腹を両手で挟んで擦る。滑らかな肌。吸い付くようだ。上半身を余さず触れる。
「熱いよ、かっちゃん」
 出久は両腕で顔を覆う。とっくに掌の温度は下げてるのに気づいてないのか。太腿の上に移動し、腹に手を滑らせてチャックを下げる。下着の中を探る。体毛に触れる。その下を探り局部に指を滑らせ、ゆるっと握る。
「いや、止め」
 不穏な動きに出久が身を捩る。
「クソが。暴れんなよ」
「やだ、やめてよ、やめろ!」
 出久は抵抗して勝己を押しのけようとした。
「暴れんなよ。大事なとこ焼いちまうぜ」
 性器を握ったままで少しだけ温度を上げる。動転した出久が仰け反る。
「かっちゃん、やめて、熱いよ、熱い」
「おとなしくしてろよ、加減できねえかも知れねえぜ」
 本当はどのくらいで火傷を負わせちまうかは熟知してる。他ならないこいつで実験済みだ。触れたいんだ。肌に身体に心に。なのに嫌がらせにかこつけるしか触れられない。気が向いた時にいくらでも触れられたのにおかしいだろ。出久は大人しくなった。緩急をつけて扱くと性器が芯を持ち始める。先端を指先で捏ねる。出久の息遣いが乱れがちになる。
「勃ってきたぜ。きめえな。気持ちいいのかよ」
「かっちゃんが変な触り方するからだ。もう嫌だよ」
 嗚咽混じりに言いながら腕で顔を隠す。掠れた声。上気した頬。セックスを思わせる触れ方をしているせいか腰に熱が集まり、勃起してきた。出久の痴態に欲情してるのか。性器が首をもたげ、ズボンの前が膨らみ始める。まずい。こいつに知られちまう。勝己は腰を浮かす。その隙に出久は足を曲げ、勝己を蹴り飛ばした。
「ってーなあ、てめえ!」
 勝己は横倒しになり尻餅をついた。その隙に出久は起き上がり、チャックを上げると脱がしたシャツを拾って走り去る。
「くそっ。抗いやがって」
 残された勝己は掌を眺める。出久のペニスに触れた手だ。擦ったら張り詰めてきて固くなった。俺と同じ男のもの。追いつめてやったのに、なのにまだ足りねえ。もっと弄りてえ。もっと嬲りてえ。勝己はズボンの中に手を突っ込み、自身の屹立したものを握る。出久を扱いた手で己のペニスを掴んで扱く。目を瞑って出久の痴態を思い浮かべる。あいつの掠れた声、息遣い。果てる寸前に亀頭を手で覆う。生暖かい液体の感触。手をズボンから引き抜いて眺める。掌を汚す白濁。忌々しい情欲の証。
 机の横に設置された流しで手を洗う。俺はおかしい。自分がコントロールできない。あいつが俺をおかしくするんだ。他の奴が俺をどう言おうとてんで気にもならねえ。でも出久の視線は気に触って仕方がねえ。あいつが俺を否定すんのだけは許せねえ。苛立ちを解消する術がなくて関係が歪んでゆく。だが諦められるようならとっくにそうしてる。目に入れば気になる。目に入らなくても気に触る。ままならない感情が空回りする。
 出久は雄英高校を昔から目指してる。自分もそうだ。譲る気はない。だが高校まで同じなんて冗談じゃねえぞ。あいつに感じる執着。苛立ち、焦り、情動、そんなものをこれからも抱え続けなければならないなんて。高校まであいつに囚われるなんて。合格なんて無理に決まってる。だが万が一。なんとしても阻止しなきゃならねえ。思い知らせてやればいいんだ。踏みにじってやる。お前なんざ無理だって。そうしなきゃ俺はデクを。いつかあいつを。

3

 保健室の外で複数の足音がする。ドアを開けて相澤が入って来た。廊下をストレッチャーに乗せられた誰かが運ばれてゆくのが見えてどきっとする。相澤はリカバリーガールに、瀕死のオールマイトを病院に連れて行くと報告した。敵はオールマイトによって倒された。そいつがバリアを張っていた奴なのかどうかはわからない。戦いによりオールマイトの四肢が断裂仕掛けていたと。
「四肢って、大丈夫なのかよ」勝己が口を挟む。
「わからん」相澤は腕を組んで溜息を吐く。「それしか言えん」
 相澤は治療のために一緒にリカバリーガールに病院に来てほしいと頼んだ。リカバリーガールは快諾し、支度すると言って奥に引っ込む。相澤は勝己に向き直る。
「あの爆破音はお前だな。外に知らせるために窓を爆破したか。無謀に戦ったりせずよくやった」
 珍しく相澤が褒め言葉を口にする。勝己は顔をそむける。褒められるようなことはしてない。逃げただけだ。あそこに出久を置いていけなかっただけだ。
「なんのこと?」騒ぎに目覚めたらしい。出久がカーテンをそろっと開く。
 相澤はまずいという表情になり、「寝てろ、緑谷」と言ったが、出久は聞かない。
「なに、四肢って?オールマイトの?」みるみる顔が青ざめる。「四肢が、断裂?相澤先生、オールマイト、嘘ですよね」
「しかけた、だ、ちぎれちゃいない」相澤は苦しげに言い、勝己に目配せすると「あとは頼んだ」とリカバリーガールと共に立ち去った。
 くそっ!よりによって余計なことを。タイミングってのがあるだろうが。勝己は舌打ちをする。出久は「オールマイト」と呟いて起き上がり、ベッドからからよろよろと這い出した。「寝てろ馬鹿」と言っても出久は聞かず壁伝いに歩いて扉の前で崩折れ、しゃがみ込む。酷い有様だ。
「デク、戻れ、てめえは寝てろ」
 勝己は肩を掴んで、立ち上がろうとする出久を引き止める。
「ごめん、今君の顔を見たくない」振り返らずに低い声で出久は言う。「なんで僕をあの場に置いていってくれなかったんだ」
「んだと、てめえ。あの場でてめえに何が出来たってんだ」
 頭に来た。出久が傷ついてゆくオールマイトを、黙って見ていられるわけがない。十中八九手足がズタズタになるまで、バリアを破ろうと足掻いただろう。他に敵がいたかも知れない。あるいはそれが敵の目的の一つだったかもしれない。冷静になれないなら足手纏いでしかないんだ。出久の目からぽろぽろと涙が溢れ出した。
「君は正しいことをしたよ。わかってる。僕が理不尽なことを言ってるってことは。君は悪くない」デクはしゃくりあげながら続ける。「でも、ごめん。今君の顔を見るのが辛い」
 勝己はギリッと歯軋りをする。いつの間にか指を出久の肩にぐっと食い込ませていたのに気づき、手を放す。
「これが半分野郎やつるんでる奴らでも、てめえはそう言えんのかよ」
 出久は苦しげな表情で答えない。勝己は出久の腕を引いてぐいっと立たせ、乱暴にベッドに押し倒して肩を押さえつける。
「い、た」出久は顔を顰める。
「ああ?どうなんだよ、デク!」
「彼らは君みたいに力づくで止めたり、無理強いしたりしない」
 出久は辛そうな顔で目を伏せる。こいつ。
「こっちを向けや!」
 顔を近づけて怒鳴る。ふと意識する。唇が触れそうな距離。唇を重ねたらこいつはどう思うんだろう。こいつに俺を押し返す力はない。身体が辛いだろうから押しのけるどころか、身動きすらまともにできないだろう。今なら逃げられない。いつも俺を探るように見返す生意気な目がどんな風になるんだろう。唇を奪ったら。
 一瞬の夢想。現実は唇が触れることなく凍りついたままだ。衝動は絶え間なく押し寄せるのに動けない。唇を重ねるなんて簡単なことなのに。ほんの少しだけ動けば触れるのに。出久の視線が外された。気付いたのか、気付いてねえのか。気付いてても聞かねえのか。
「話もしたくねえってか」
 出久は目を伏せて何も言わず顔を逸らしたままだ。勝己は出久から身体を離した。
「今は引いてやる。てめえの物言いに納得したわけじゃねえぞ、クソが!」
 勝己は壁を殴りつけて保健室を後にした。教室に引き返さず寮にも戻らず、そのまま学校を出る。門の前で振り向いた。以前自分が帰ろうとした時、あいつは追ってきた。あいつはあえて俺に近づいてくることはない。ちょっかいを出すのはいつも俺ばかりだ。でもあいつは俺が弱ってるときはいつも感づいて追ってきた。俺を避けやがるくせにそんな時ばかりと腹が立ったけれど。けれども、たとえ傷を負っていなかったとしても、今回はあいつは追ってこないだろう。
 久しぶりに自宅に帰ってきた。両親とも仕事に出ていて留守だ。しんと静まった家。2階の自分の部屋に上がってベッドに寝転ぶ。視線の先に見えるのは本棚。片隅に突っ込んであるのは出久のノートだ。中学の頃、あいつはこれを受け取るのが目的で家に来たくせに、持ち帰らなかった。一言でも勝己のことが書いてあったなら、消し炭にしていたかも知れない。捨てるに捨てられず返すに返せず、そのまま本棚にある。あの日。一線を越えちまった中学の時のあの日の放課後。

4 

 ぱさぱさと軽い紙の擦れる音が聞こえた。
 音のする方を見やると、植え込みの繁みの上にノートが開いて置いてある。見覚えがある。出久のノートだ。風に煽られてページがひらひらとめくれてゆく。いや、置いてあるんじゃなく落ちたのだ。自分が投げて落としたのだ。ノートを教室から外にばらまいた時、拾いに行って戻った出久が1冊足りないと落ち込んでいた。春の嵐に吹かれて教室から随分離れたところに飛ばされたものだ。
 拾ってぱらぱらと眺めて思案する。細かい字や図で埋め尽くされた紙面。一心不乱にノートに書き込む出久の姿を思い出してむかっ腹が立つ。こんなもの、燃やしてやろうか。何人ものヒーローの個性をいちいち詳細に調べて。憧れるヒーロー達をノートに書けば、自分もなれるとでも思ってんのか。個性もないくせに。
 さくさくと足音が近づいてくる。出久の足音だ。校舎の向こうから姿を現した出久は、勝己の顔を見て「あ、かっちゃん」と身を竦めたが手元のノートに気づいて「返してよ」と小さな声で言った。
「見つけてやったんだぜ。礼を言うのが先じゃねえのか」
 勝己はにやっと笑う。
「君が外に放ったんじゃないか」
「だから?」
 出久は恨めしげに黙り込む。勝己はにっと口角を上げてノートの端を摘んで振った。
「返してやるには条件があるぜ」
「何?かっちゃん」
「てめえ、雄英受けんのやめろよ」
「嫌だ」
 出久は即答する。そうだろうよ。想定通りだ。
「じゃあ譲歩してやる」
 どうせ受かりゃしねえ。勝己は出久にゆっくり歩み寄り、ノートを摘んでひらひらと揺する。
「これから家に来て、俺の言うこと聞けば返してやるよ」
「かっちゃんの家?なんで」きょとんとして出久は問い返す。
「遊んでやるよ。俺の気が済んだら返してやる」
「え、と、なんで?」
 戸惑ったように、出久は目を泳がせる。
「どうすんだ。返して欲しいんだろ」
 出久は勝己の視線を避けて俯く。じれったくなり、勝己は声を荒らげる。
「てめえ!いるのか?いらねえのか?」
「いるよ」
「だったら来るしかねえだろうが!」
 出久は逡巡していたが「わかったよ」と答えて、勝己の後ろをついてくる。つかず離れずついてくる足音。久しぶりの感覚だ。出久はうなだれながら、それでも反抗的な光を瞳に宿している。生意気に。そんな顔してられんのも今だけだ。
 家につくとすぐに部屋に連れ込んだ。ベッドの上に俯せにして押し倒して「ケツ突き出せよ」と出久を四つん這いにする。出久は「なんで」と問うが、構わずズボンと下着を膝まで下げた。
「やだ、なに、何するんだよ、かっちゃん」不安そうな声で出久は聞く。
「うるせえ。脚閉じて揃えろよ」
 勝己は膝立ちになり出久の足を跨いだ。ズボンの前を寛げると閉じた太腿の隙間に陰茎を当てて挟ませる。
「何、なに?なんか足の間に」
「こっち見んな!」
 振り返ろうとした頭を掴んで前を向かせ、シーツに押し付けた。亀頭をぐっと押し込んで半ばまで差し入れる。先端で出久の陰嚢を押し上げる。
「わ、ちょっと、何なの?」
 と出久が慌てた。性器全体が柔い人肌に包まれる。出久の体温。身を引いては押すと太腿の肉に皮膚が擦られる。気分がいい。てめえを犯してるみてえだ。腰を揺すり前後に振る。はっはっと息が荒くなる。
「ねえ、かっちゃん」
「んだよ、黙ってろ。こっち見んな」
「ねえ、もういいかな」
 冷静な声。勝己は腰の動きを止める。てめえには全然応えてねえんだ。当然だ。身体の中に挿れてるわけじゃねえ。脚の間に、外側だけに触れてるだけだ。こんなのただの自慰にすぎねえ。自分だけが興奮してる事実に猛烈に腹が立った。こっちなら応えるのか。後孔に指で触れる。
「わ!どこ触ってんだ」出久が吃驚して振り返る。
「こっち見んな、クソが」
 頭をぐっと押さえつける。ここに、挿れたら。てめえに傷をつけてやれるのか。ふにふにと指先で嬲り、ぐっと親指を突き入れる。
「嫌だよ、やだ!もう、嫌だ」
 出久は逃れようとして横倒しに倒れる。太腿の間から陰茎が抜けた。くそっ不完全燃焼だ。勝己は勃起したままの性器を何とかズボンにしまう。出久は慌てて立とうとして、絡まる下着とズボンに足を取られて転んだ。こいつを乱れさせてやりてえ。勝己は出久の足に絡まった衣類を引き抜いて部屋の隅に投げる。
「ちょ、かっちゃん」
 下半身を裸にされた出久はシャツで前を隠そうと焦っている。シャツから覗く太腿。ずくりと屹立が脈打つ。
「これで歩けるだろうが。ちょっと来い」
 勝己は出久の腕を掴んで階下の風呂場に連れて行った。裾と袖口を捲って「脱げ」と言う。出久は「え?なんで?」と目を丸くして棒立ちになった。
「脱げっつったら脱げよ!」
 焦れったくなりさっさと出久の服を剥いだ。裸にされ風呂の床に座り込んだ出久に「中を洗浄すんだよ」と告げる。
 何をされるのか、予想できんじゃねえのか。それでもわかってて従えるのか。四つん這いになれというと出久は戸惑っていたが、素直に従った。思い通りになったのにいらっとする。余程あのノートが大事なのかよ。
 シャワーで洗浄する間出久は耐えていた。綺麗に洗って裸のままの出久の腕を引いて立たせる。「かっちゃん」と震える声で問う出久を部屋に連れてきた。所在なさげに戸惑う出久を押し倒して火照る肌を撫でる。骨に沿って肩を摩り、胸に腹に掌を当てて触れていく。出久は目を瞑って耐えている。
「脚を立てて開けよ」
「なんで?」
「さっさとしろ!」
 ぐずぐずしている出久の脛を掴んで両足を開かせ、後孔に指先を挿入する。
「や、嘘、なにしてんだよ、かっちゃん」
 慌てた出久が上体を起こしかけたので、のしかかって身体で押さえつける。
「なんでそんなところ、かっちゃん」
「洗っただろうが。黙ってろ。探してんだ」耳元で囁く。
「なに、を」
「てめえのいいところだ」
 勃起させるためには前立腺を刺激すればいい。男の気持ちのいい部分だって話だ。指をさらに捻じ込み中を探る。
「やだ、変だよ」
「暴れんな。往生際が悪いぜ」
 勝己は邪魔をする出久の腕を一掴みにまとめる。後孔の奥を探っては引き抜き、浅く入れてはかき混ぜるように探る。
「ああ、んん、や」
 出久の声音が変わった。
「ここかよ」
「違う、や、やだ」
 指先に触れる膨らんだ部分を更に刺激する。出久は身体を捩って喘いでいる。元気のなかった性器が固くなってきた。徐々に頭をもたげて勃起する。
「やだ、変だよ、ああ、かっちゃん」
「当たりっと」
 熱を含んだ出久の息遣い。指を2本に増やして捩じ入れ、膨らみを挟んで捏ねる。
「やだ、いやだよ、もう、離してよ、かっちゃん」
「嫌がってるように見えねえな、デク」
 掠れた声で勝己を呼ぶ声。指に絡みつく柔く熱い肉の感触。しこりに触れるたび肉は勝己の指を締め付けては緩む。擦ったり潰すように押したり嬲り続ける。感じすぎて辛いのか。出久の目から涙が零れ落ちた。
 指をぬるりと引き抜く。出久はまるで気づいていないようだ。目を瞑り開脚した足を閉じもせず悶えている。赤く充血した窄まりが勝己を誘うようにひくついている。下腹部が熱い。あいつがあられもない姿で悶えまくるから、多少治まってたってのにまた勃起しちまった。
 挿れてみてえ。あんだけ柔らかくなってたら入るんじゃねえか。
 勝己はポケットからゴムを取り出した。親の寝室から失敬したものだ。親がとか思うときめえけど。これを付けりゃ交尾にはならねえってことだろ。ベルトを外して、さっきまで指を入れていた箇所を撫でる。柔らかい。するっと入っちまいそうだ。ゴムをつけて自身をそこに押し当てる。出久は勝己の挙動に気づいてないのか、胸を波打たせ目を瞑ったままだ。腰を前に進めると和らいだ部分に屹立の先端が少しだけ潜る。
「あ、あ、はあ」
 出久が目を開けて声を上げる。勝己の挙動に気付いて、信じられないといった表情を浮かべる。
「やだ、かっちゃん、何してん。つっ」
「ん、バカデクが」
 抜けそうになったので出久の腰を掴んで引き寄せる。腰を前後に揺するたびにギシギシとベッドのスプリングが軋む。
「嘘だろ、嘘だ、無理だよ。入るわけないじゃないか。離して」
「黙ってろ、クソナード」
「やだ、離せよ、離してってば」
 暴れる身体を組み敷いて猛る欲望を押し付ける。捩じ込もうとしてもなかなか入らない。汗が吹き出す。苦悶の表情を浮かべるムカつく幼馴染。てめえは俺より下だ。追いかけるのはいつもてめえだったはずだ。それがいつの間にか俺がてめえを追いかけてるなんて許せねえ。いつもいつも俺の目の前にちらちらといやがって。
「くそがっ」
 ぐっと腰を入れたら亀頭のえらまで潜った。
「あ、あ!こんな、かっちゃん、やあ、あ」
 デクが悲鳴を上げた。締め付けのきつさに勝己の口からも呻き声が漏れる。太い部分が入ればいける。出久の腰を掴んで固定し、腰を前に強く振った。振るたびに身体に竿が捻じ込まれる。
「いやだ、かっちゃん」
「うるせえ」
「こんなのは、ダメだ、ああ!」
 構わずに力任せに押し入ってゆく。揺さぶる度に後孔に猛りが呑み込まれてゆく。熱くてうねる出久の体内。犯しているんだ。出久を。痛みのせいか、勃起していた出久のペニスは萎えている。
「はは、ははは」勝己は口角を上げる。「てめえ、いっちまうだろ。力抜けよクズが」
 睨みつけてくる出久の目。生意気だ。てめえは俺に逆らえねえ。苛ついてぐっと力を込めて穿つ。俺にそんな目を向けんじゃねえ。おまえはもっと違う目で俺を見てたじゃねえか。てめえの視線は目障りだ。俺を見ないで他のヒーローを見てる時はもっと苛つく。てめえがいるだけで俺の心は騒めくんだ。
 ずり上がる身体を押さえつけ、身体を重ねて逃さないよう体重をかける。挿入したペニスを抜いては突き入れるうちに引っ掛かりなく貫けるようになってきた。気持ちいい。リズミカルに律動して熱い体内を抽送する。下腹部に当たる硬い感触。また出久のペニスが緩く立ち上がった。感じてやがるのか。出久は目を瞑って喘いでいる。苦しそうに。だがどこか快感の篭った甘い声に身体が火照る。声を殺してるのが忌々しい。ベッドが壊れるかと思うほどに激しく揺さぶる。引き抜いてはめり込むペニスを熱く締め付ける身体。気持ちよくて溺れてしまいそうだ。
「あ、あ、酷いよ、かっちゃん」
 何言ってやがる。酷いのはてめえだろ。身体を起こし出久の足首を掴んで股を大きく開いた。自分と繋がっている部分が顕になりひくひくと震えてる。
「ざまあねえな、デク」
「ちょ、やだ、やめてよ」
 身を捩る出久に再び覆い被さり律動を再開した。腰に溜まってきた痺れが全身に広がる。勝己は「くっ、は」と唸り深く突き上げ、熱い肉に締められて射精した。脱力して出久の肩口に顔を伏せる。
「ふ、は、は」
 笑い声が漏れる。てめえを支配して意のままにした。苛々がおさまる。溜飲が下がる。勝己は上気して赤くなった出久の頬に触れる。
「てめえも気持ちよさそうによがってたじゃねえかよ」
 個性が発現してからこれでも気を付けて苛めてきた。跡がつけば問題になる。全力出せば壊しちまう。でもこうすればいいんだ。外から見てもわからねえ。てめえに嫌とは言わせねえ。指先で首筋を辿り乳首を撫でる。逃げ出さなかったんだから、こいつだって同罪だ。
「てめえだって興味くらいあっただろ」
 耳朶を食み、囁く。呆然としていた出久がピクリと震える。半身を起こすと勝己を押しのけて身体の下から逃れ、のろのろと立ち上がって服を着始める。
「ほらよ、約束のもんだ」
 勝己はベッドに腰掛けて出久の足元にノートを投げる。放り出されたノートに出久は目を向けたが拾おうとはしない。
「何されんのか、てめえもケツ洗われた時点で気づいたろうがよ」
 出久は答えずなにやらブツブツと呟いている。また無視かよ。
「滑稽だな。そんなにノートが大事かよ」
 勝己は苛々して揶揄する。
「違うよ」出久は低い声で否定する。「ノートの中身は覚えてる。なくしてもまた書けばいいんだから」
 出久は鞄を持って立ち上がったが、足元がふらついている。
「はあ?じゃあなんでおとなしく身体嬲らせてんだよ」
「君の家の風呂に入ったことだってあるし、君に身体を弄られたことは何度もある。だから悪戯の範囲なら我慢できるかなって」
「はあ?何をてめえ」
 出久は痛みに堪えるように息を吐いて続ける。「でも、幼馴染相手にここまでするなんて思わないよ。こんなのヴィランのすることだ。ヒーロー志望ならしちゃいけないことだよ」
 何を他人事みたいに説教してんだ。やられたのはてめえだろ。しちゃいけねえだと?てめえに起こったことだろうが。ムカつく。
「こんなことってなんだ?言ってみろや」
 出久は「レ」と言いかけて口を噤む。てめえ、レイプだって言いてえのか。
「じゃあなんでうちに来たんだ。好奇心かよ」
 出久は首を振る。ノートのためでもねえ、やらせるつもりでもねえ、興味本位でもねえ。だったらなんだ。
「君が」
 出久が勝己に真っ直ぐな視線を向ける。嫌な予感がした。こいつがこんな顔をするときは碌なことを言わないんだ。
「やめろ」
 その目は。そんな目で俺を見るな。
「君が辛そうな顔をしてたから、だから僕は」
「はああ!?」
 激昂した勝己は、出久の胸ぐらを掴んでぐいっと壁に押し付けた。かはっと出久が苦しげに息を吐く。
「俺がだと、ふざけんなよ。てめえ、舐めてんのか!」
 てめえのせいで俺がこうなってんのに。なのに他ならねえてめえそれを言うのかよ。
「違うよ!かっちゃん」出久は咳き込みながら反論する。「僕を馬鹿にしてるのは君だろ。でもこんな、こんなことは君はしちゃいけないんだ!僕はもう何があっても君んちには来ない!」
 膠着した勝己の腕から逃れ、出久が階段を駆け下りてゆく。転がるような足音が遠ざかり、ドアの開閉音が響いた。勝己は足元のノートを壁に叩きつける。腸が煮えくり返る。どこまでもあいつは俺を苛つかせる。てめえが俺に気づかせたんだ。渇望を。欲情を。てめえとこんな風にならなきゃあ、知らなくてすんでたかもしれねえのに。ぶっ殺しちまいたい。勝己は壁を背にして座り込んだ。てめえをこの手で。握りこんでいた掌を広げる。
 自分がどんどん濁っていく気がする。あの頃確かに掌の中にあったものはいつの間にか砂粒みたいに零れ落ちてしまった。いくら手を伸ばしてもひと粒たりともう拾えやしねえ。あいつは俺から離れねえなんて、一体何を根拠に信じてたんだ。個性がなくてもあいつは思い通りになんてなりゃしねえ。俺の夢は何だったんだ。俺の欲しいものは何だったんだろう。

5

 リビングのソファに寝転んだ。何もすることがないが、寮に帰る気は起こらない。外出許可は得た。「学校を襲撃されたわけだからどっちにしろ危ねえだろ」と言うと「GPS発信機だけはONにして身につけておくように」と電話口で言われた。
 父は暫く会社に泊まり、母は月末まで出張だという。その間家には自分だけだ。気ままでいい。母親に電話した時「いつまで家にいるの?」と問われ「学校にヴィランが出たんだ。破壊された校舎に戻れるかよ。戻る理由もない」と答えたが、「戻りたくない理由があるの?」と図星を指され電話を切った。うるせえ。誰にも会いたくねえ。一人になりてえ。
 出久の野郎のせいだ。あいつが関わるといつも調子が狂う。ウジウジしてるくせに強い光を宿した視線が苛々させる。あいつだけだ。家が近かったから初めての連れ。幼馴染でなけりゃあこんなに側にいるタイプじゃねえ。凄い凄いって言いながらすぐ後ろをついてきたのに。いつの間にかついてこなくなって、話しかけなけりゃ話さなくなって。怯えやがながら影から観察してやがって。ムカついて苛めたくなってもしようがねえだろ。あいつが俺を避ける理由はわかってたんだ。今の俺があいつのヒーローじゃなくなったからだ。
 あいつに個性がないと知って俺は密かにほくそ笑んだ。出久は俺より永遠に下だ。逆らえば力づくで言うこと聞かせられる。勝手はさせねえ。選択肢なんて与えない。ああ、そうだ。嬉しかったんだ。馬鹿か俺は。これで出久はずっと俺の側にいる。そう思ってたなんて能天気もいいところだ。あいつが萎縮しちまって壁作って反抗しやがるなんて思わなかった。一時的に拗ねてやがるだけだと高をくくってた。どんなクソな個性だっていい。あの頃あいつに個性があったら今こんな風になんてならなかったかもしれねえ。
 オールマイトに俺は2度も助けられた。ヘドロヴィランの時とヴィランに誘拐された時。2度目の時はオールマイトは命を賭した。彼の力が衰えたのはそのせいだ。本来なら俺はより一層彼に傾倒していただろう。強さの象徴。憧れの対象。俺にだって彼は特別だ。なのに素直にそうなれないのはいつも出久が関わっているからだ。その上継承者だと。オールマイトへの感謝も憧れもあいつへの拘りが凌駕してしまう。
 あいつにとってオールマイトは尊敬も親愛も何もかも含んだ全てだ。あいつがオールマイトを仰ぎ見るたびに腸が煮えくり返る。誰よりも強い存在、完全無欠のヒーローオールマイト。俺はオールマイトを超えてやる。そうなればあいつは。畜生、あいつがなんだって言うんだ。
 暑い。クーラーついてんのに全然きいてねえじゃねえか。冷蔵庫の中には何もない。財布をポケットに入れて飲み物を買いに外に出た。外は茹だるような暑さ。影がアスファルトを真っ黒に焦がしていようだ。
コンビニに入る前に何かの気配を感じて立ち止まる。ひんやりした、首筋がぞっとするような気配。
 誰だ。ゆらりと景色が揺れた。白い靄が駐車スペースに漂い、視界を覆う。学校に来やがったバリアの個性の奴か。オールマイトが倒したって奴は違ったのか。姿は見えねえ。勝己は身構えた。
「外で個性を使っちゃいけねえ。が、仕方ねえよな」
 靄に向かって爆炎を飛ばす。シュッと爆音が消えた。やっぱり同じか。パリパリと音がして景色が白く烟り完全に囲まれる。
「出てこいや」自然と口角が上がる。「むしゃくしゃしてんだ。丁度いいぜ」
 何処から来やがる。勝己は全身の神経を研ぎすませる。
「君もさあ、こちら側だろう」
 姿は見えないが例の手首を顔にくっつけたヴィランの声だ。
「うぜえな。あん時言っただろうがよ。俺はオールマイトに憧れてんだ。オールマイトを越えんだよ」
「超えるんなら倒さなくちゃあなあ」
 耳元で鼓膜を震わせる声が聞こえた。ぶわっと鳥肌が立った。瞬間的に飛び退く。いつの間にかワープの出入口が背後に開き始めてた。後退りしたが、背後のバリヤにぶつかって跳ね返されそうになる。これ以上後退できない。
「邪魔だろ、オールマイトはさ。衰えてなお最強のヒーローなんてさ」
「うるせえよ」
 ワープの奥からまだ奴は姿を現さない。真っ黒な虚を睨みつける。
オールマイトを置いて逃げたのはさあ、英断だったよなあ」
「逃げたんじゃねえ、クソが!」
「見殺しにできたのになあ。残念だよ」
 ワープゲートから痩せた腕が伸びてくる。何とかここから出らんねえか。勝己は拳を握る。いいや、ワープゲートから出てきたところを返り討ちだ。近寄ったりしなければあの掌は脅威じゃねえ。距離を取って爆破しちまえば。
「大切なものを失くした時、人はヴィランになるんだ。欲しいものが手に入らないとわかったとき時、人はヴィランになるんだよ。絶望するくらいならいっそ壊してしまえと思うだろう。君ならわかってくれると思うんだけどな」
「はっ!めそめそした動機だぜ。俺は俺が一番だ。欲しいもんはこれから手に入れるんだ」
「それだよ。欲しいもの欲しがって何が悪いんだい。俺もやりたいようにしてるだけさ。ヒーローだけがしたいようにし放題で許されるなんて、不公平じゃないか。欲望のままに捻じ伏せて蹂躙して貪って支配する。そうしたくてもヒーローになっちゃあ不可能だろうが、ヴィランなら出来るんだよ。それが本当の自由って奴だろ。わかるだろう」
「べらべらとうぜえわ!」
 全身出やがったら爆破してやる。勝己は掌からパリッと火花を散らす。だが迫っていたヴィランの手の動きがピクリと止まった。
「邪魔が来たなあ。考えといてくれ。また来るよ」
 ぱんっとバリアが弾けた。空間が開け、元のクリアな背景が戻ってくる。
「くそったれが」
 校外はより危ねえってことか。不本意だがGPSをオンにするしかねえ。あのヴィラン野郎、邪魔が来たってなんだ。誰かうちに向かってんのか。相澤先生かよ。連れ戻しにやってきたのか。生憎まだ戻る気にならねえぜ。
 買い物を済ませ、コンビニを出て歩き始める。くそったれが、あの野郎。ふざけたこと言いやがって。俺にヴィランになれだと。オールマイトを置いて行ったのは助けを呼ぶためで。出久を連れて行ったのは他に敵がいたかも知れないからで。出久があんな無茶をしなきゃあ。あいつが。あいつさえ。畜生。なんでこんなこと考えなきゃいけねえんだ。
 陽炎の向こう、坂の下にゆらりと人影が見える。目を凝らすとそれは見慣れた癖っ毛の幼馴染の姿。
「やっと見つけたよ。かっちゃん」
「てめえが来たのか、デク」
 顔を見るだけでムカついてしょうがない。
「家にいなかったから探したよ。今GPSが反応したから見つけられたんだ」
 いつも苛々させる怯えた目、いや違う。怯えじゃねえ。似ているがこいつの目はいつもとは違う。眼の奥にある翳りは。罪悪感か。それとも他の何かか 。
オールマイトは回復したよ。かっちゃん。手足も元通りになったんだ」
「そうかよ」
 ほっとしたが、声に安堵を滲ませないよう、素っ気なく返す。「あの」と出久は言いかけて口籠り、俯いて漸く続ける。
「戻ってよ、かっちゃん」
「まだ戻んねえよ。今夏休みだしな。戻る理由ねえだろ」
「みんな、学校にいるよ」
「るせーな。許可は得てんだよ」
「だって、あのまま、だったから。僕は君に言わなきゃいけないこと、あるんだ」
 途切れ途切れに紡ぐ言葉。頭に血が登り、出久の腕を掴む。このまま握り潰してやりたい。出久は顔を顰めながらされるがままでいる。力を緩めず身体を引き寄せる。
「ごめん、かっちゃん。君はヒーローらしいことをしたのに、僕は酷いことを言った。相澤先生の言う通りだ。君は当然のことをしただけなのに、僕は」
「勘違いしてねえか」勝己は口の端に笑みを浮かべる。「俺はお前の邪魔しただけだぜ。てめえを連れてったのはヒーローだからじゃねえよ。てか、ヒーローらしいって言われたこたあ殆どねえしな」
 出久は辛そうな表情になり、顔を伏せる。
「そんな風に言わないでよ。君はヒーローだ」
「よく言うよなあ、思ってもねえくせによ」
 炎天下で炙られているせいか、出久の首元が赤く染まっている。触れれば熱いだろうか。汗ばんだシャツの下の肌が透けて見える。
「他の奴らでもそう思うのか。あの時君はそう聞いたよね」
 出久は顔を上げて、勝己と一瞬視線を交わす。
「ああ」
「僕は飯田くんや麗日さんや轟くんや他の誰でも、きっとそうは思わないよ。彼らが同じことをするなら僕のためだ。彼らは友達だから。僕でもそうすると思うから。でも君は違うだろ」
「ああ。たりめーだ。お友達ごっこなんてやれるかよ」
「僕は君といつかはそんな風に接したいと思ってた」
「はっ。てめえがだと?笑わせるな。ありえねえ」
「秘密を共有できたし。もっと穏やかな関係になりたかったんだ。昔みたいに」
「今更何言ってんだ」
 なれるわけがねえ。てめえが俺を避けたことで。俺を拒絶し続けたことで。そして、こうやって俺に会いに来やがったことで。俺がどんなに揺さぶられているか。 わかってねえだろ。あの頃は気づいてなかった。オレがてめえに抱く衝動の正体を。俺はてめえをめちゃくちゃにしてえんだ。先に俺をめちゃくちゃにしたのはてめえの方なんだから。
「うん、甘かった。僕自身がこれじゃ、そんな風になれるわけがないんだ」
「わかりきってらあ。てめえが自分を過信してたってだけだろ」
 修復するには壊れすぎてしまった。
「そうかも知れないけど。それに、君だけは違うんだ」
「何が言いてえんだ」
「皆は昔の僕を知らない」出久は苦しげに言う。「個性があるから同等の友でいてくれるんだ。本来は側にいることすらできないだろう。僕は彼らにとっては仲間じゃなく助ける対象になるんだ」
「たりめーだろ。個性のねえ奴なんか誰が対等に見るかよ」
 てめえは個性を得たことを隠してたんだろう。てめえの自壊する破滅的な個性を。俺が勘付かなかったら、今も隠し続けるつもりだったんだろ。 俺にもずっと。
「彼らのことはとても好きだし尊敬してる。尊敬できる人たちと友達になれるなんて夢みたいだ。ほんとに嬉しい。今の僕だからこそ可能になった関係なんだ。だけど君は僕に個性がなくてもあっても変わらなかった。僕もやっぱり君が、苦手で」
「何が言いてえんだ」
「彼らは僕を同じだと思ってくれる。助けてくれるなら仲間としてだ。でも君は僕を仲間だと思ってないだろ。なのになんで君が、僕を助けるなんて。だから混乱した」
「てめえの邪魔をしたんだ」
「違うだろ、かっちゃん!」出久は感情的に言い返す。「俺が間違ってた。僕は自分の無力感から八つ当たりしたんだ。ああするのは当たり前のことなんだ。君はヒーローだからだ。あの場所で要救助者は僕の方だった。他に敵がいるかも知れない状況で。君の行動は正しかったよ。なのに僕は自分の無力感を君にぶつけたんだ」
「ちげえよ。てめえのヒーロー像を勝手に俺に押し付けんな」
「でも僕にとって君はヒーローなんだ。強くてタフでいつも先頭を走る。認めたくないのに認めざるをえなかった。昔からずっと」
 出久は顔を上げて真っ直ぐな視線を向ける。個性もない頃からヒーローたらんとし、ヒーローらしくあれと勝己にも望む。口に出して言わなくてもかの瞳がいつもそう語っている。この視線の先にいつも俺が、俺だけがありたいと望まずにはいられない。俺はヴィランになるわけねえんだよ。そうなればこいつは俺を見なくなるじゃねえか。そんなこと我慢がならねえ。許せるわけがねえんだ。
「ずっとだあ?てめえの態度はそんな風には見えなかったぜ」
 出久は口籠る。「君の言葉は刃のようで、僕は傷つくばかりだった」
「んなこたあ、ガキの頃からだろうが」
「そうだ、ね。僕は君が眩しくて羨ましくて、辛くなった。だから距離をおいて見ているだけにしようとした」
「はあ?見ているだけってなんだ。俺は動画の中のヒーローと一緒かよ」
「そうしようと、してたのかもしれない。それに、君は凄い個性を持ってるのに、酷いことにばかり使って。側にいると悪いところばかり見えてしまう。遠くからなら凄いところだけ見れるから」
「ふざけんなよ」
「でも君はそれを許してくれなかった」
 てめえも出来なかったんだろ。俺を切り離しちまうことが。だからここにいるんだろ。中途半端なんだよ、てめえは。てめえは俺を振りほどけえねえんだ。自覚しろよってんだ。ここまでくりゃあもうひと押しか。
「なら好都合ってこったろ。遠くで見てろよ。話はそれだけか。じゃあな」
「待ってよ!君に戻って欲しいんだ。かっちゃん!僕は君を側で見ていたいんだ」
「またてめえの都合ってわけかよ」
「そうだよ。戻ってほしい。僕のわがままだ」
「また見てるだけか」
「今は、見てるだけじゃなくて、時々、かっちゃんと手合わせもしたいよ」
「それだけか。俺はそれだけじゃ許さねえってわかってんだよな」
「どうすればいい?かっちゃん」
 出久の表情が曇る。情けない面だ。勝己はすっと心が晴れるのを感じる。そうだ。しようとしたって無理なんだよ。俺ができねえのにてめえにできるわけねえ。てめえに感じるどうしようもない衝動。愚かだとわかってても抑えられない。そんな域にてめえは落ちてきたんだ。同じところに。俺のところに。勝己はニヤリと笑う。
「俺を連れ戻すのにどうすりゃいいのか知りてえか」
「かっちゃん」
出久は頷く。
「んじゃ、教えてやるぜ。来いよデク」
 勝己は腕を離して歩き出す。出久の肌に赤く跡がついた。その腕を摩りながらついてくる。
「俺がてめえを連れて離れたのはな、てめえが要救助者だったからとか、そんな殊勝な理由じゃねえよ」
「そう、なのか?かっちゃん。なら君はどうしてあんなことを。」
「てめえに教える理由ねえよな」
「そこまで言っておいてそれはないだろ」
「知りてえか」
「うん、知りたいよ」
 家に到着し、門を開けて振り返り、出久に手を伸ばす。
「もう二度と俺んちには来ねえって言ってたよな。どうすんだ。出久」
 覚えてんだろ。家に入るってことが何を意味するのか。出久は顔を上げて何か問いたげに口を動かしたが、声を発することはなく、差し出された勝己の手を取り、大人しく足を踏み出した。勝己は出久の腕を強く引いて家に連れ込む。靴を脱ぐのももどかしく玄関に上がり、二階の自分の部屋のドアを開ける。起き抜けでカーテンを締めたままの薄暗い部屋。
 ドアを閉めると出久を壁に押し付けてキスをする。「かっ」と名を呼びかける出久の唇を塞ぐ。乱暴に開いた口から舌を滑りこませる。「ん、ん」と出久は苦しげに呻いているが抵抗は緩い。ぴったりと唇を重ねて思う様に口内を蹂躙してやっと離してやる。出久ははあはあと吐息をついて呼吸を整えている。ふと勝己と視線が交錯する。再び唇が触れ合う。今度はそっと。顎を掴んで口を開けさせると唇を覆い舌を入れる。出久の口内を探り、舌をぬるりと絡めあう。息継ぎする間もない貪るようなキスに出久の足の力が抜けたのか、ずるずると床に座り込む。一緒にしゃがみながら頬を掌で挟み込んで勝己はキスを続ける。何度も身体に触れて、身体を繋げたこともあったのに、キスをしたことはなかった。保健室でも触れられなかった。こんなにも気持ちいいなんて。初めての感覚に溺れて味わうのに夢中になる。漸く唇を離して、肩で息をする出久の腕を引っ張り、ベッドに無造作に転がす。
「な、に、かっちゃん、今、なのか?」
「たりめーだ。てめえに選択権はねえよ」
 狼狽した出久の上に乗り上げて組み伏せる。肌に触れ首筋に唇で触れる。ちゅっと吸い付いて跡をつける。
「わ、かっちゃん、何」
 狼狽える相手を押し倒してシャツをたくし上げて身体をまさぐる。下肢を絡めて勃起したものを押し付ける。ひゅっと出久が息を呑む。
「このまま手ぶらで帰るか、俺を連れ戻すか」勝己は縮こまる相手の耳元に唇を寄せて囁く。「どうする?お前次第だぜ」
 返事を待たずに再び唇を奪う。

6

夏休みの間残りの1週間、勝己は出久を貪った。
 濃密な空間に少年達の靭やかな四肢が絡みあう。空調を付けたばかりの部屋はまだ茹だるように暑く。擦れ合う出久の裸の肌はそれより熱い。隙間なく身体を重ねてシーツの上で縺れ合う。首筋を舐めて乳首を甘噛みする。片手を股の間に入れて窄まりを探る。出久が身体を竦ませる。
 こいつが嫌がるくらい念入りに洗ったとはいえ、俺は潔癖なはずなのに。なんでこいつを舐めたり噛んだりしてんだろな。口淫したり後孔を弄ったり体液混じりあわせたり、他のやつなら考えられねえ。ま、出久にもしゃぶらせるけどよ。キスをしながら指で中を確かめる。以前にいじり倒した前立腺のしこりを見つけて撫でる。
「や、だ、そこ、やだって」
「喘ぎながら言われてもやめられねえな。嫌じゃねえだろ」
 こいつを嬲るだけで自分のものもビクビク反応する。快感も痛みも俺の手の内だ。 気持ちよくて止められねえ。指を2本入れて指の隙間を徐々に広げる。広げたまま深く突き入れてかき混ぜる。
「あ、やだ、ふあ」
 喘ぎつつ拒む言葉。身体は受け入れているのに口は素直じゃねえ。
「いくぜ」
 指を引き抜いてゴムをつけた昂ぶりを押し当てる。ぐっと力を入れて突くと慣らした蕾を開いてぬるりと亀頭が潜る。「はあっ」と出久が溜息を吐く。更に腰を進めて竿をじりじりとめり込ませてゆく。薄膜越しに伝わる溶けるような熱。
「や、だ、かっちゃん」
 出久の甘い吐息交じりの声。煽るんじゃねえよ。腰を引いては揺すり身体を貫いてゆく。動くたびに相手は喘ぎ声を上げる。
「あ、あ」
「ふ、は、堪んねえ」
 収縮する肉壁にペニスが締め付けられる。きつくて気持よくて搾り取られそうだ。まだイッてたまるかよ。ふっと息を吐き。仕返しとばかりに小刻みに中を擦る。
「ちょ、や、やだ、動かさないで」
 出久は腕を突っ張り身体を放そうとする。逃がすかよ。押さえ込んで深く挿入する。
「すげえな。繋がってんだぜ」
「な、何言ってんだよ」
 掠れた声で抗議されてもこっちを煽るだけだ。藻掻く身体を抱きしめて拘束する。貪るようにキスをする。律動し肌を打ち付ける。ぎりぎりまで引き抜いては体内に楔を打ち込む如く突き上げる。出久は声を殺して喘ぐ。引き抜いては貫きながら両手をシーツに縫い止めて見下ろす。出久は熱っぽい瞳で見上げてくる。泣かせてやりてえ。
「余裕だなあ、デク、物足んねえか」
「え、何、かっちゃ」
 足を肩に担いで出久の身体を折り曲げる。にやりと笑い、腰を引き強く打ち付ける。根元まで埋め込んでは引き抜く。奥まで深く抉られて出久は悲鳴を上げる。
「い、ああ」
「いい声出すじゃねえか」
「あ、はあ、もう許して、かっちゃん」
 出久の瞳が潤み目尻に涙が溜まる。
「デク、約束だな、教えてやるよ」
「かっちゃん?」
「なんであんなことしたのか。てめえは俺んだからだ」
「何、かっちゃん、よく聞こえない」
「てめえに手を出していいのは俺だけだ。てめえを傷つけんのも捩じ伏せんのも俺だけだ。デク。だから俺の前で勝手に死なせたりしねえ」
 律動を早めてゆく。激しく腰を打ち付ける。出久の中は熱くうねり、「やだ」と繰り返す出久の言葉とは裏腹に勝己をさらに奥に引き込む。
「約束、明日学校、行くよね、かっちゃん」
「ああ、今更何言ってんだ」
 夏休みは今日までだ。行かねえわけねえだろ。こいつの気にしてんのはそっちかよ。そうかよ。明日から学校か。勝己はペニスを引き抜くとゴムを外して捨て、そのまま再び挿入する。薄膜なしで直に感じる粘膜。ゴムをつけるより遙かに気持ちいい。肉壁に引っかかる感覚がたまらない。
「あ、かっちゃん、なんかしたの、さっきと違う」
「ああ、わかるよなあ、つけてねえの」
「まさか、かっちゃん、やめ、やめてよ」
「生の感覚をよお、味わえよ、デク」
 出久の中に印を残す。勝己の考えに気づいたのか、出久が狼狽する。押さえつけて中を激しく擦りあげる。前立腺のしこりに亀頭の先端が直に触れる。柔い突起をぐっと擦り上げる。
「や、はあ、あ」
 出久の身体が跳ねる。突くたびに出久が「あ、あ」と快感に喘ぐ。中心が熱くなり熱が陰茎をせり上がってくる。深く入れて動きを止める。
「は、う、デク」
 勝己は低く唸る。先端が弾けた。幼馴染の体内に精を注ぐ。征服感と高揚感。これまでゴムはつけていた。中に出さなきゃこいつは安心するかと衝動に堪えていた。でも最後の一線を越えちまった。こんなに気持ちいいなんてな。やめられそうにねえ。こいつの手も足も顔も、存在すべてが情動を煽る。覆いかぶさり荒い息を整える。
「なんで僕なんだ」
「は、俺だって知らねえよ」
 それは俺が一番知りたいことだ。なんでてめえなんだ。出久。
「なんで君なんだろう」ボソリと出久が呟く。「君は乱暴で短気で酷いことしてばかりなのに。なんで僕は」
「何だその物言いはよ。頭にくる奴だな。てめえはよ」
 だが腹は立たない。俺もそうだ。ムカつく奴なのになんでてめえなんかに俺がと、何度思ったか知れねえ。出会っちまったからだ。離れるなんて思えねえんだ。渇望するのはその目だ。てめえのその目が俺を狂わせてんだ。脳味が沸騰して身体の奥が熱くなる。捩じ伏せたくなる。
 てめえは俺のものなんだ。俺だけがてめえを自由にしていいんだ。他の誰にも渡さねえ。他の奴のものになるなんて許さねえ。耐えられねえ。ずっと前から俺のものだったんだ。物心ついたころから当たり前みたいに。後ろをついてきた頃も怯えながらも逆らうようになった頃も。側に寄ればムカついて苛つく奴でも俺のものなんだ。今までもこれからも。

 カーテンの隙間から朝の光が零れる。光の筋が出久の頬の上に差し込む。
 勝己は光を遮るように出久の頬に手を当てる。柔らかくほんのり温かい。出久はゆっくりと目を開けて勝己を見つめ、ちょっと困ったように笑うとまた目を瞑る。

END

 

インフォメーション2017年4月~

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