碧天飛天の小説サイト

碧天飛天の小説サイトです。腐向け二次創作やオリジナルの小説を置いてます。無断転載禁止Reprint is prohibited

放課後遊戯(金魚の呪バージョン)(R18)

 
prologue
 
 
河原に行こうとかっちゃんが言った。
靴を脱いで躊躇なく川に入ってゆくかっちゃんに、自分も仲間たちも、たもを持ってついて行った。
水位は深いところでも膝までしかない浅瀬。水に浸した足がひんやりとして気持ち良かった。
かっちゃんはひょいひょいと中洲に向かって流れを渡っていく。
「待ってよ、かっちゃん」
置いていかれると焦ってしまい、川底の石に足取られて転んだ。辛うじて手を川底についたけれど、服は下着までぐっしょり濡れている。
馬鹿でえ、と振り返ってかっちゃんは笑う。だが、少しだけ歩くスピードを落としてくれた。慎重に歩いて中洲に到着し、たもを置いて座り込む。
日差しが強いおかげで、直ぐに服は乾いてきた。Tシャツの首元をめくると、皮膚の色が薄く褐色になっているのが見える。
「てめえ、もう日焼けしてんのか」
上から聞こえた声に、顔を上げて眼前を振り仰ぐ。いつの間にか、かっちゃんが立っていて自分を見下ろしていた。襟元に手をかけられ、肩までのばされる。
「は!かっこわり。こういうのは土方焼けってんだぜ」
「だって、半袖着てて日焼けしたら、皆こうなっちゃうよ。
見ろよ、と言ってかっちゃんはTシャツを脱ぐ。
「……かっちゃんは焼けてないね」
「まあな!俺は焼けたことねえよ」
かっちゃんの肌は髪の色と同じく色素が薄い。真夏でも日焼けしてるのを見たことがない。
たもを手に持ってかっちゃんは川に戻り、魚を獲りに行った。
彼を追おうと立ち上がり、川の浅瀬に足を浸す。透明度の高い水の中、幾つもの細長い影が揺らめく。
小魚だ。水草の間を縫って小さな魚たちが翻る。
半透明で大きな赤い尾鰭を持つ魚が数匹寄ってきた。動かない自分を岩か何かと思っているのだろうか。
足の周りをくるくると回遊したり、脹脛に隠れたり、まるで遊んでいるかのようだ。鱗に撫でられているようでくすぐったい。
足元をざぶんと網が掬った。
掬い上げたのはかっちゃんのたもだ。網目の中に、さっきの赤い尾鰭の魚が見える。
かっちゃんは魚ではなく、こっちをじっと見ている。
グッピーの鰭よりも赤い綺麗な紅色。
網の中で魚がぐったりとして、尾を震わせているのに気づいた。
「かっちゃん!魚、水につけてあげないと弱ってしまうよ」
焦って言う。キャッチアンドリリースの精神というわけではないが、魚は獲っても持ち帰らず、川に放してやるのが常だった。
「わーっとるわ」
しかし、かっちゃんはたもを摘んで魚をバケツに入れた。中には2匹の魚が泳いでいる。
グッピーだな」かっちゃんは言った。
「持って帰るの?」
「ああ、飼う」
皆と別れた後、追いかけてきたかっちゃんに呼び止められ、家に誘われた。
グッピーを水槽に入れるの見に来いや」とかっちゃんは言った。「うちにアクアリウムっていう、水草だけを育てている水槽があんだ。水草だけなんてつまんねえだろ。前から魚がいた方がいいって思ってたんだ」
水槽はリビングの窓際に置いてあった。かっちゃんは魚を両手に掬い上げ、水槽に入れた。
色とりどりの水草や珊瑚の林の中を、2匹の魚は気持ちよさそうに泳いでいる。
グッピー外来種だ。元々国内にはいなかった魚なんだぜ」
「かっちゃん、なんでも知ってるね」
「知んねえのかよ。こんなん常識だ」かっちゃんは得意げに言った。
「でも生態系に影響与えたりしねえから、野生化しても、ブラックバスみたいに駆除されたりしねえんだ」
「どこの川にもいるのにね」
「ああ、弱いから生かされてるんだ」
弱いから生かされている。その言葉は何故かちくりと胸を刺した。半透明の身体を揺らめかせる小さな姿。矮小さ故に存在を許された魚。
「だから、俺らが捕っても構わない魚なんだ」
水草の森から姿を現したグッピーは、赤い鰭をはためかせて泳ぎ、鼻先が硝子に触れると直角に曲がった。
魚は何故前に進めなくなったのかと、不思議に思っているかも知れない。この四角い世界にもう2匹しかいないなんて、きっと気付いてないだろう。
捉われたと知らず、いつの間にかどこにも行けなくなった魚たち。
大きな魚や鳥に狙われることのない、透明な硝子の壁に囲まれた世界と、危険に溢れた川の中とどっちがいいんだろう。
ガラス越しに見える風景は、魚からはどんな風に見えているんだろう。
 
 
Chapter・1
 
 
始めてキスをしたのは13歳の夏休み明け。
その日の放課後は、くすんだ水色の空に、水母のように透けた半月がぽうっと浮かんでいた。
 
誰かに呼び止められた気がして、出久は足を止めた。
よく知っている声だった。心を揺さぶられる声だった。校庭を見回したが、帰る生徒達の中に声の主はいない。
再び歩き出すと、校門側の木立に勝己が佇んでいるのが見えた。紫がかった影の中に沈むように。
急に足が泥に沈むように重くなる。
いつからなのか。幼馴染の勝己との間に生まれた距離。止めようもなく広がった間隔。
中学生になって初めての夏休みが過ぎた今、勝己の交友関係に自分は入っていない。話をするどころか、挨拶を交わすことも殆どない。
寂しくないかと言ったら嘘になる。けれども、もとよりアクティブな勝己と自分では性格が違いすぎた。幼い頃ならともかく、これからはお互い自分に合った環境で、新たな関係を築くべきなのだろう。
魚の水槽を変えるように。花を植え替えるように。そう自分を納得させた。
とはいえ、自分はいまだ新たな環境に慣れたとはいえないけれど。
しかしこの日は違った。足早に通り過ぎようと校門を出たところで
「おい、デク、無視してんじゃねえよ。ちょっと来いや」
と勝己に声をかけられ、強引に腕を取られた。
「無視なんて、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。僕に用なんてないと思って」やましくなどないのに反射的に狼狽えてしまう。「それで、かっちゃん、なんか用だった?」
「ああ?用がなきゃ呼ばねえわ、クソが。ちとツラ貸せや!」
「あの、用ならここで聞くよ。僕、早く帰って宿題しなきゃいけないんだ」
ふたりきりになってはいけないと勘が囁く。幼い頃ならともかく、今の彼には警戒せずにはいられない。
「お前帰宅部だろうが。全然時間あんだろ」
「確かにそうだけど」図星を指されてちょっと詰まる。「ノート纏めたり、オールマイトのニュースチェックしたり、やることいっぱいあるし」
と言ったが、勝己は全く聞く耳を持たない。
「ぶつぶつうるせえわ!てめえの事情なんざ知ったことか、クソが!」
引きずるようにして勝己に連れて来られたのは大橋の下。頭上を通る車の振動が橋桁に押しつけられた背中に響いてくる。
堤の上を通る人はいない。もしいても自分達の姿は橋桁の影に隠れて見えないだろう。
足元で拳大の石がごろりと転がり、バランスを崩しそうになった。
「転けてんじゃねえよ。てめえ、朝、挨拶しなかっただろ」
支えるように出久の肩に手を置くと、勝己は口を開いた。
「挨拶…?」日直で先生に呼ばれ、挨拶するタイミングがなかったな、と思い出す。「そうだった、かな。でも、僕が挨拶しても君は返してくれないし」
橋桁のひんやりした感触を背に感じながら言い返す。
「俺は挨拶しねえよ。だがてめえはしろや」
「え?なんで?返事がないのに挨拶しなきゃいけないの?」
「俺がそうしろっつったらしろや!
「わ、わかったよ。意味わかんないけど、わかったよ。これからは心がけるよ。もう帰っていいのかな?」
「ああ?あんだ、その言い草はよ。むかつくな」
どこが気に障ったのだろう。長く話せば話すほど、勝己の機嫌は悪くなるのが常だ。一刻も早くこの場を離れたいだけであるのに。
「ごめん、でも帰らせてほしい」
「口先だけで謝ってんじゃねえ、クソが!挨拶なんざどうでもいいんだよ。まだ話は終わってねえわ」
「え? どうでもいいの?」
なにがきっかけだったのか覚えていない。
さらなる数々の言いがかりに、口籠もりながらも言い返したように思う。
苛立った勝己に橋桁に強く押し付けられ、背中への衝撃に目を瞑った。その時だ。
顔の前に影が差し、唇に柔らかいものが触れた。
目を開けると、勝己の瞳が眼前にぼやけて見えた。
何が起こったのかわからなくて混乱する。
暫くして唇を重ねられたと知った。
触れ合った唇は離されることなく、角度を変えて押しつけられる。薄い唇の皮越しに伝わる勝己の体温。湿った感触。
「かっちゃん?」と問いかけた唇の隙間から、迷うように舌が差し入れられた。
入ってきた舌はくまなく口内を這い、大胆に自分の舌を絡め取る。口内を探られるくすぐったい感触。息が苦しくなると一時的に唇は離されるが、ひと呼吸するとまた塞がれてしまう。
さっきまで聞こえていた川のせせらぎの音が消えていった。橋の上を通る車の音も聞こえない。
口内でうねる水音が、内耳から大きく響いて頭を埋め尽くす。
「てめえ、顔赤くしやがって、興奮してんのかよ」
軽く上唇をつけたままに、かすれた声で勝己が揶揄う。
「違うよ、酸欠になっただけだ」
それか夕焼けのせいだ、と言い返そうとした言葉が、再び唇で塞がれて勝己に飲み込まれる。
いっそ食べ物だと思えばいいのか。そうだ、食べ物だ。口の中でこんな風に動く食べなんて、何かあるだろうか。
違和感に慣れようと耐えているうちに、頭の芯がぼうっとしてくる。
ようやく開放された。橋桁に背中を預けて、ずるずるとしゃがみ込む。嬲られた舌がふわっと痺れている。
「かっちゃん、いったいなに、あんのつもりで」
呂律のまわらない言葉で、問いかけながら顔を上げた。
目に入ったのは、荒っぽくキスを貪ったくせに、真っ赤になった勝己の顔。
荒く息を吐いて、誰にも言うんじゃねえぞと脅す余裕のない表情。
「いいな、誰かに言ったらコロスからな」
と念押しして、勝己は歩き去って行った。
橋の上を通る自動車の音が耳に戻ってきた。
出久はどちらのものともわからない唾液で濡れた唇を拭う。
勝己の考えていることがわからない。一度やって見たかったんだろうか。勝己の新しい遊びだろうか。怖くてとても聞けないけれど。
「ファーストキスだったのに酷いや」
我に返ると災難でしかない。でも殴られたり、ノートを破られるより、ずっとマシかも知れないと思った。
確かキスをする魚がいた。キッシンググラミーという名だっただろうか。雄同士が互いの口をくっつけるので、仲がいいのかと思いきや喧嘩をしているのだという。でもマツバスズメダイはツガイの雄が、求愛のためにキスをするという。
勝己はどっちだろう。いや、人と魚は違うし、考えるまでもないか。
でも、あの時、彼でもこんな風になるんだと、どこか奇妙な満足感を覚えていた。
よろっと腰を上げて立ち上がり、鞄を抱えて川縁を歩く。川面はあの頃と変わらず、鏡の欠片を散らしたように、きらきら光っている。
小さな頃ここでよく、勝己と魚やザリガニを獲ったりして遊んだ。川にざぶざぶと入って獲るのは勝己。自分はうまくできないので、たもを持つ彼の背中を見ていた。それはほんの数年前のことなのだ。
出久は橋の方を振り返った。太いワイヤーを渡した吊り橋仕様の大橋。縦に伸びた線は、空を細長い四角形に区画している。
まるで見えない怪獣を閉じ込める、巨大な檻のように。
 
 
Chapter・2
 
 
初めて性交したのは、3学期が始まった頃。
かじかんだ掌を擦り合わせ、マフラーで口元も覆って見上げた薄曇りの空。
 
その日の帰り道、足速に通り過ぎようとした勝己の家の前で、突然呼び止められた。
「よお、デク。帰宅部のくせして、随分遅え帰りじゃねえか」
凶悪な笑顔を浮かべて、勝己は玄関先に立っている。
帰宅時間をずらしていたのは、やはりバレているようだ。
キスをした日から気まずくなり、勝己と顔を合わせづらくなっていた。
勝己が何を考えて、あんなことをしたのかわからない。でもとても理由なんて聞けない。挨拶どころか、目を合わせることもできない。あれから勝己との間には、より一層距離ができていた。
あの時に感じた、形のない感情には蓋をした。
しかし、心理的な距離とは裏腹に、物理的な距離はある意味近くなっていたと言ってもいい。
勝己は交流がなかった頃から一転して、しばしば出久に絡んでくるようになった。事あるごとに出久が無個性であることを周囲に吹聴し、顔を見ればこづいたり悪態ついたり、酷くいじるようになった。
「今家に誰もいねえ。気使うこたねえ。上がれよ、デク」
勝己はクイっと顎をしゃくる。
「そうなんだ。誘ってくれて嬉しいよ。だけど、ごめん。僕用事があるし早く帰らなきゃ」
「用事だあ?どうせオタクノート書くとかだろ。ちょっと寄ってくだけだっつうんだ。時間とらせねえよ。それともなんだてめえ、俺の言うことが聞けねえのか?」
「そ、そんなことないよ、ええと、」
「他に説得力のある言い訳あんなら、言ってみろや。聞いてやっからよ」
「う……じゃあ、お邪魔します」
咄嗟に説得力のある嘘などつけない。偽るのはやめて従うことにした。仮に思いついても、断ることは許されないだろう。
久しぶりに入った勝己の家は、昔と殆ど変わってなかった。モデルハウスのような綺麗なリビングダイニング。吹き抜けの窓からの明るい光。テレビの設置してある壁はエコカラット。
ただ一つ、窓際にあったはずの水槽がなくなっている。
「なんで来た、てめえ」
背中を向けたまま、低い声で勝己は言った。
「なんでって、そんな、かっちゃんが入れって言ったから」
こっちを振り返った勝己の鋭い視線に、びくりと震える。
「は、は、俺が言ったからってか。俺の言うことなんざ、ひとつも聞かねえくせによ」
「そんなことないよ。ごくたまに、どうしても譲れないことがあるだけで」
「てめえ、ろくなことにならねえって思ってんだろ。いや、わかってんだろ。なのになんでノコノコと入ってこれんだ?」
彼は何が言いたいのだろう。来いと言ったくせに、来たことを非難されているようだ。理不尽な言葉に、怖いと思うより苛立ってきた。
「何か用があるんだよね?かっちゃん」
「用なんてねえよ」
「ないの?だったらなんで?」
返事はない。勢いでこのまま家を出た方がいいかも知れない。
しかし踵を返した途端、勝己は強く腕を掴んできた。
「誰が帰っていいと言ったよ」と言うなり、有無を言わさず出久の腕を引っ張り、リビング階段から階上に連れていく。
水槽は二階のホールの壁際に移してあった。光を反射して、天井に水面の影が揺らめいている。
勝己は水槽の前に立ち止まると、水槽をじっと見つめた。
水没した森のジオラマのような水槽。小さなぷくぷくと出る泡に押されて、中の水草が揺れる。しかし、魚らしきものは見当たらない。
「あの魚いないの?かっちゃん」
グッピーか?いるわけねえだろ。あれから何年経ったと思ってんだ。」
「そっか。2匹いたから繁殖してると思ってた」
「両方とも雄だったわ。増えるわけねえ」
「大きな水槽だし、魚増やせばよかったのに」
「他の魚なんざいらねえんだ」勝己は苛ついた口調で呟く。「ごちゃごちゃ言ってねえで来いよ、デク」
久しぶりに勝己の部屋に足を踏み入れた。
机とベッドと本棚、壁にかかってるのは時計とカレンダーのみ。飾り気のないシンプルな部屋だ。昔はゲーム機や玩具が、見えるところに置いてあったように思う。
「てめえ、なんで大人しく着いてきてんだ」
また勝己は理不尽な言葉を吐いた。
「だって、君がつれて来たんじゃないか」
「言われたから来んのかよ。嫌なら逆らえんだろ。必死で抗えよ。のこのこと来やがって、馬鹿じゃねえのか」
「え?意味がわからない。来いって言ったのは君じゃないか。矛盾してるよ。僕にどうしろって言うんだ」
「うるせえ!てめえがそんなだから俺はなあ」
いきなりベッドに投げ出された。不意打ちに面食らっているうちに、上にのしかかられる。殴られるのかと頭を庇い、目を瞑る。しかし、顔を覆った両手は剥がされ、頭上に纏められた。
「嫌なら最初から抗えよ」
凶悪な薄い笑みを浮かべた勝己は、出久のベルトを外し、ズボンを足から引き抜いた。思わぬ横暴な行為に抵抗が遅れる。
「うわ、かっちゃん!何すんだよ」
「誘っても家に入んな。引きずられても部屋に入んな。家に俺1人しかいねえってわかってんだろ!」
「何言ってんだ。わかんないよ、かっちゃん。もう帰るからズボン返してよ」
「てめえは入ってきちまったんだ。もう遅えわ」
地の底から響くような声だった。
シャツのボタンが外された。肌けた隙間から勝己の手が差し入れられる。
「なに?何してんだよ」
掌が胸をまさぐる。乳首を捏ねるように撫でられ、擽ったくて身体を捩る。
そろりと勝己が足の付け根に手を伸ばした。意を察して抵抗したものの、下着もあっさり剥ぎ取られ、脱がされた服はベッドの下に放られる。
裸の身体が勝己の視線にさらされる。恥ずかしくて落ち着かない。
「うっすい身体だな」じっと見つめて勝己は言う。
「あ、あの。何のつもりかわかんないけど、もう服着ていい?」
戸惑う出久の腕を戒めたまま、勝己は首元から腹へと肌を撫でる。内股を撫でられ、びくりとする。局部を避けるように、勝己の手が肌の上を滑る。
皮の分厚い勝己の掌は温かく、手つきは細やかだ。戸惑いつつも、摩られていると緊張が解けてゆく。
やっと腕の戒めが解かれた。しかし自由にしてくれたわけではない。勝己は押さえつけながら肌に触れ続ける。
縋るものを求めて、出久はシーツをぎゅっと掴む。
勝己はズボンの前を寛げた。シャツの裾から勃ちあがりかけたものが、ちらりと垣間見えた。
やばくないか?心の中で黄色い信号が点滅する。
予感は現実になった。下着も脱ぐと勝己は覆いかぶさって、体重をかけてきた。下半身を密着させ、剥き出しの局部を擦り付ける。
出久はびっくりして足を捩ったが、「動くんじゃねえ!」と怒鳴られ、身体が硬直した。
「直にくっつけるなんて、変な感じだね」
と平気を装って言うと、黙ってろと勝己は唸り、腰を小刻みに動かす。
柔らかくて弾力があるものが、熱を増してゆく。擦り付けられているうちに、触れ合う下肢の素肌が汗ばんできて、変に熱くなってきた。
勝己の息が荒い。デクの首元に勝己の唇が触れ、音を立てて吸い付く。場所を変えて舌先で舐めてはまた吸い付く。
顎を掴まれた。指が縁取るように唇をなぞる。
「デク、てめえは、」
と目を合わせて上擦った声で囁かれ、キスをされる。舌が唇を割るように入ってきて、口内を荒らす。息を盗まれて酸欠になりそうだ。
貪るようなキスと局部に押し当てられたもの。どうすればいい。ぼうっとして考えがまとまらない。
お互いの薄い陰毛が擦れて肌を擽る。押し当てられた勝己の性器が漲って硬くなってきたのを、自分の局部で知る。
勝己の吐息が荒い。興奮してるんだ。
硬くなったそれが、自分の局部から離された。
勝己が腰を上げたので、そり返った怒張が見えてしまった。
気づいて勝己は顔を赤くした。こっちまで恥ずかしくなって目を逸らす。
「あの、人が勃起してるのを初めて見たよ」
ここで逃げていれば良かったのだろう。だがこの時の出久は、ことが済んだと思って油断していた。
「見てんじゃねえよ!」
威嚇するように言われ、くるりとうつ伏せにされた。シーツに自分の性器がついてしまうのはいけないと焦るが、避けようがない。
しかし、すぐにそれどころではなくなった。
丸みを帯びた何かが尻の間に差し込まれ、窄まりを突いた。何度も擦り付けては、ぐっと押し付けられる。
ぞくっと戦慄した。まさか。いや、男同士だし、あり得ない。
上体をねじって振り向いた。
勝己のしようとしているのは、そのまさかに相違なかった。
「ふざけてるんだよね。真似事だよね。まさか本当に入れたりしないよね。かっちゃん」
裏返った声で尋ねたが、勝己は答えない。
「脅かそうとしてるだけだろ、ねえ、かっちゃん!」
「は?そう思うか?」
と勝己は眉間に皺を寄せ、右手で固定すると先端を強く押しつけた。くっと力を込めるかっちゃんのくぐもった声。
「や、なにを、ああ!」
ぬるっと窄まりを広げて、硬くなった勝己の陰茎が身体の中に入ってきた。
下から内部を押し上げられるような、感じたことのない感覚。
「嘘だろ、やだ、何してんだよ。抜いてよ。かっちゃん」
信じられない。キスとはレベルが違う。勝己の行動はあまりにも予想を越えていた。
「う、るせ。力抜けや、クソが」
先端から段々太くなるそれが、入り口を拡げてゆく。えらがぬるっと肉の門を通過した。もう侵入を止められない。
さっき見た勝己の屹立は相当太かった。なのにすんなり挿入されるなんておかしい。何か滑りの良くなるものを使ったに違いない。
「あ、はあ、痛いよ、こんなこと、変だよ。」
「は、だあってろ!」
逃げようとする腰を掴まれ、引き寄せられる。ゆっくりと少しだけ引き抜かれ、再度強く貫かれる。抜かれては押し込まれ、より一掃奥へと進められる。
体内に勝己の身体の一部が入ってくる違和感がたまらなくて、シーツを握りしめる。中でびくびくと震えた。別の生き物が体の中にいるかのようだ。 
動悸が耳元でうるさく脈打ってる。律動する勝己の動きに合わせるように、出久は「はあ、あ、あ、」と小刻みに喘ぎ声を上げて悶える。
「深く挿れっぞ」
笑いを含んだ掠れた声で勝己が告げる。腰をつかんでる手に力が込められた。自分の返事を待たずに肉の棒がずむっと、さらに奥に突き入ってくる。
「んっ―!」
圧迫感に声が出ない。搏動が頭を裂くように激しく鳴り響き、心臓が破れそうだ。体内を内側から抉る動きの違和感は半端ない。彼の陰毛が触れて尻に押しつけられたのを感じ、付け根まで全て納められたのだと知った。
熱いのか痛いのかわからない。勝己のものがどくどくと中で脈打ってるように感じる。
熱い息がうなじにかけられる。
「ふ、は!締め付けんな、力抜け」と掠れた声で勝己は囁く。
「無理、だよ」と答えた途端に涙が溢れた。「…なんで」
「べそかいてんじゃねえよ、クソが」
勝己の雄が引き抜かれてゆく。中が擦られてじわっと痺れが広がった。よかった。全部入れ終わったから、もう抜いてくれるんだ、と思ったがその期待は裏切られた。
油断して力を抜いたところを、一気に深く貫かれた。抉るように激しく抜き差しされ、悲鳴をあげる。
「あ、や、ああ、なんで?入ったからもういいだろ、あ、ああ!」
「クソが。動かさねえと気持ちよくなんねえだろ。てめえもわかんだろが」
だが、願いをきいてくれたのか、激しさは抑えられ、ゆっくりとした動きになった。
まるで犯している存在に支配者だと誇示するように、粘膜を擦り上げる血の通った彼の一部。
生々しい感触。焼け付くような感覚。
今だけ、今だけ我慢すればいいんだ、と揺さぶられながら、自分に言い聞かせる。好奇心を満たせばきっと気が済むはずだ。
その時、体内を痺れが駆け巡った。勝己の雄に敏感なところを擦られたらしい。はっあ、と息が漏れる。
「てめえ、感じやがったな。ここかよ」
笑うような声。気づかれた。探るように突かれて、また同じ部分を擦られる。喘ぎながら首を振る。
「あ、や、やだ、何これ、おかしくなる」
身体の中から痺れるような震えが広がり、自分の陰茎に熱が集まってきた。シーツを汚してしまわないかと気にしてしまう。それどころではないのに。
「や、はあ、ん、や、かっちゃ…」
「は!てめえ、俺のもんで感じてんのかよ。馬鹿じゃねえの」
腰が持ち上げられ、尻を突き出す姿勢にさせられる。猫の交尾のようだ。勃起し始めたそれが自重で圧迫されていたので、楽になった。
すると、勝己の指が纏わりつくようにそれに触れた。輪を作るように握って、前後に軽く扱き始める。
「え、触んないで、よ」
身体を屈めて、出久の耳元に口を寄せてくくっと笑うと、勝己は先端を爪で弾いた。同時に後孔の感じるところを執拗に責める。
浮かされたような喘ぎ声が抑えられない。さっきよりも強烈な快感による涙がじわりと浮ぶ。
「かっちゃん、そこ、なに、やめ…」
「そこは前立腺っつうんだ。てめえ、初めてで感じるとか、素質あんじゃねえのか」
何の素質だよ。と言い返したいのに、喘ぎ声混じりで言葉にならない。前と後を同時に責められて、おかしくなりそうだ。
勝己の律動が激しくなり、身体が壊れそうなほど揺さぶられる。
「くっそ。もう余裕ねえわ」
勝己が低く呻く。身体を貫く杭が身体の中で、一段と膨れて弾けたような気がした。
「はっは、ざまあみろ」と笑うように息を切らせて、勝己は背中に覆いかぶさってきた。
シャツ越しに感じる彼の肌の温み。肩にかかる吐息。臀部にはいまだとどまっている勝己の雄。
重みと体内の圧迫が漸く離され、解放された出久は身体を返して仰向けになり、勝己を仰いだ。
こんな彼を見たことがない、と思った。
いつも張り詰めて、強気にふるまう勝己の、快感に浸ったしどけない表情。
頬は紅潮し、瞳は潤んで、艶めいた、綺麗といってもいいような面差し。
勝己は装着していたコンドームを結んで捨てた。だから滑りがよかったのかと気づく。けれども何故か、体内が熱い液体に濡らされたように感じた。
勝己は再び覆い被さり、強く抱きしめてくる。
何故だろう。ほんとに何故だろう。蹂躙されたのに。どういうわけか彼をかわいいと思った。
彼の快感に蕩けた表情。それは痛みよりも勝る鮮烈な印象だった。
だから、深みに嵌っていったのかもしれない。
 
 
Chapter・3
 
 
屹立が身体を貫いた。
めりっと硬く漲った肉茎に侵入され、くっと息が詰まる。
違和感と痛みに堪えて力を抜く。さんざん嬲られた箇所は、勝己のそれを難なく呑み込んでゆく。
弛緩させれば痛みは鈍るけれど、感覚が消えていくわけではない。かえって鋭敏になり出久を苛む。熱い、固い、堪らなくなってシーツを掴む。
四つ這いにした出久の身体を手で固定して、勝己は無言で前後に腰を振り、繰り返し突き入れる。はっはっ、と駆けているように息を吐く。
もう何度交わっただろう。
勝己のベッドの上で、乳首を舐められ、陰茎を擦られ、身体を弄ばれ、動物の交尾のように貫かれる。
キスをした時から一年になるだろうか。けれども、学校での勝己の態度は変わらない。だから自分も変えられない。彼との距離は一向に縮まる気配はなかった。
なのに放課後はセックスの真似事をしている。
男同士だし恋人でもない。では僕らはなんなのだろう。
開かれたカーテンの向こうに空が見える。二重サッシの窓は閉まっているから、声は漏れないと勝己は言っていた。でも、誰かに見られてしまうんじゃないかと、気になってしまう。隣家の窓はこっちの部屋が見える位置にはないけれど、2人とも全裸なのだ。
突然、深く突き上げられた。
「んあ!」と嬌声じみた悲鳴を上げてしまった。
「おい、余所事考えてんじゃねえ」
「かっちゃ…別に僕は、何も考えてなんて、あ、あ」
「集中してねえだろ。上の空なのわかんだよ。てめえは感じてればいいんだ」
「だったらカーテンを閉めてよ。気になるじゃないか」
「だめだ。興が削がれんだろ」
身体を抉っていたものが引き抜かれた。ほっとする。やっとカーテンを閉めにいける。
「いらねえな」
身体を離した勝己は胡座をかき、ペニスからコンドームを剥がして捨てた。まだ達してないのに何故だろう。疑問に思いながら出久は起き上がる。
「おい、済んだと思ってねえだろうな、デク」
タックルするように押し倒された。うつ伏せにされ「脚を閉じろや」と命じられる。
太腿に跨った勝己は出久の尻を掴んで左右に広げた。亀頭のみを突っ込んで、引き抜いては挿れる動きを繰り返す。
雁で窄まりを何度も広げられるのは辛い。いっそ陰茎を全て挿入してくれた方がマシだと思う。堪えても声が出てしまう。
「は、は、所事なんざ考えられなくなったろ」勝己は嘲笑う。
「だから、誤解だよ、かっちゃん」
「ふん、嘘ついてもわかんだよ。ああ、ならいっそ場所変えるか。おい、降りろや」
ベッドから引き降ろされ、窓の近くの床に移動して、仰向けにされた。
「かっちゃん!」
「おら、見えねえってわかっただろ」
脚を曲げて広げられ、勝己の前で局部をさらされる。
確かに隣の窓は見えない。わかってたことだけど、そういう問題だろうか。
普段の帰宅時間なら、カーテンを閉めなくても薄暗がりになる。でも今日は半日登校だったからまだ昼間なのだ。
窄まりにあてがわれ挿入される。今度は深く入れられた。勝己はズシリと身体を重ね、ゆっくりと抽送し、唇を合わせ、深いキスをしてくる。
ベランダの上に見えるのは、秋の高く澄んだ青い空。一面にうろこ雲が広がっている。
うろこ雲は巻積雲、いわし雲とも呼ばれ、上空高くに浮かんでいて、氷の結晶でできている。さらに上空だと刷毛で描いたような薄い筋雲ができる。
あれがもし本当に魚の鱗ならば、空にはなんて巨大な魚がいるのだろう。
ベランダの手すりに、鶫が飛んできて止まった。不思議そうに首を傾げて、僕らを見ている。
生産性のない行為をしている、滑稽な僕らを。
人間だけが快楽のために行う、交尾じゃない交尾の紛い物。勝己にとってはきっと、苛むための行為でもあるだろう。
好奇心を満たせば済むなんて、間違いだった。一度したら味をしめる可能性を、なんで考えなかったんだろう。
必死で抵抗すればできたのだ。本来女性とすることなのだから。でも大人になったら、本当にこんなこと女性に出来るのだろうか。想像できない。勝己はそれを試してるんだろうか。
彼がわからない。自分がわからない。何故ここに来てしまうのだろう。
「あう!かっ…ちゃ」
「余所見すんなっつってるだろーが!」
ぐっと強く貫かれて、声を上げた。背中がしなる。勝己の動きに合わせて中を擦り上げるものが、脈打っている。
直だと違うな、溶けちまいそうだな、と勝己がつぶやく。
勝己の屹立を覆う皮膚が生々しく感じられる。締め付けると形がわかるほどに。
自分でペニスに触れようとすると、「おい、勝手に触んなよ」と手を払われた。
「かっちゃん、なんで」
「後ろだけで感じろよ」
「え?そんな、無理だよ。前も触らないと……」
「だめだ!俺のだけでいけよ。気持ちよがれよ」
威嚇するように低く言い、くっと笑うと勝己は男根を深々と捩じ込み、抽送させる。触れられないから自分のは萎えたままだ。
「おら、元気にしてやる」
「え、やだ、やめて」
勝己のしようとすることを察したが、止められない。勝己は腰を引き、隔てる膜のない剥き出しの雁で前立腺を擦り上げる。
「うあ、ああ、いやだってば」
鮮烈な刺激。全身に熱が這い上がる。
「おら!気持ちいいんだろうが。てめえの身体のこたあ、俺にはもうわかってんだ」
強制的に快感をひきずり出される。性器が熱くなり、血流が流れ込み首をもたげる。
「ケツだけでいけよ、デク」
「やだ、それだけは。それじゃまるで」
男じゃないみたいじゃないか、と思う。
デク、デク、と勝己は出久を揺さぶりながら名を呼ぶ。
心と裏腹に身体は快楽に溺れてゆく。熱が中心から駆け上がり、頭の中が白く染まった。
「は、は!後ろに突っ込まれるだけで、いくなんてよお、やらしい身体だなあ、おいデク」
「ひど、いよ」息が上がり、声が詰まる。絶頂に達してしまうなんて信じられなかった。
下腹に溢れた白濁に触れて、勝己は嘲笑する。
「てめえだけイキやがって。俺はイッてねえんだからな」
勝己は深く貫いて、奥を抉るように擦っては引き抜きそうなほど戻し、長いストロークで激しく動く。
「や、やめ」
過敏になった身体には辛い動きだった。しかし勝己は手加減してはくれない。
突き上げは次第に激しくなり、感じすぎて悶える声が止められない。激しく揺さぶられ、出久の背中がずりあがる。
深く貫いて勝己は獣のように唸った。後孔に熱い感触がじわりと広がる。中に吐精されたらしい。
汗ばんだ肌が重ねられる。ことが終わるといつも勝己は抱きしめてくる。
勝己の身体は、肩も胸も硬い筋肉に覆われてきて、ずしりと重みを感じる。1年前は少年の身体だったというのに。いまだにひょろい自分の体躯とは違う。
そういえば、勝己はつけていたコンドームをわざわざ外していた。洗わなきゃとぼんやり考える。最近つけてくれないことが多い。後始末が面倒だというのに。
勝己のやり方は、日が経つごとに身勝手になってきたようだ。
まるで追い立てられるかのように。
憔悴しているかのように。
何かを証明しようとしているかのように。
互いに気持ちいい行為だったはすなのに、どうして歯車がズレてきたのだろう。
時々抱かれていると、まるで自分が人ではなく、人の皮を被った肉袋のように思えてしまう。
「噛み付いたら殴んぞ」
と言うと勝己は口付けた。深く喘ぐ吐息を貪るように。
 
勝己の家からの帰り道に、遠回りをして公園に立ち寄った。臀部に慣れてしまった違和感を感じ、つつベンチに腰掛ける。
すぐには家に帰れない。母に心配をかけてしまう。自分は今きっと酷い顔をしているだろう。
密かに期待したのだ。この遊戯の行く先に。
この関係が、絡まった自分達の関係を少しは好転させてくれるのではないかと。
セックスした後の勝己は、心なしか機嫌が良くて、あたりもほんの少し柔らかい。
だから密かに期待した。
けれども、勝己は学校では相変わらず、馬鹿にしてきつくあたるのだ。放課後だけの秘密の行為は、昼間の関係を何も変えることはない。
普段と違う勝己を見れるのは、密かに嬉しかった。でも、その代償に勝己によって、自分の身体が変えられていく。
勝己の都合の良いように、開発されてゆく。お尻だけで絶頂になるなんておかしいのだ。
勝己の好奇心にたとえ悪気がなかったとしても、このまま続けていたら取り返しがつかなくなる。
そもそも友達を性欲処理の相手になんてするわけがない。自分にしたのは友達に戻るつもりなんてないからだ。
初めから勘違いしていた。なんで気づかなかった。いや、気づいているのに、気づかないふりをしていたのか。
こんなことで元に戻れるなんてどうして思ってしまったんだろう。
自分達の拗れた関係を元に戻せるなんて夢物語だったのだ。
もう止めよう。彼を避けよう。学校でも行き帰りでも目を合わせないようにしよう。帰り道にある勝己の家の前は足早に通り過ぎよう。
暫く頻繁に寄っていた勝己の家。勝己の部屋にも、きっともう来ることもない。
 
 
Chapter・4
 
 
背後でドアの鍵が閉まった音がした。
 
リビングには吹き抜けから、眩しい光が降り注いでいる。なのに、なぜか氷の城に入ったように錯覚する。
「おいデク、服を脱いで後を向いて、テーブルの前に立てや」
勝己が言った。何気なくも有無を言わせない口調。
「いやだよ。もう理由がないよ。大体、お、男同士でおかしいだろ」
「は?今更何下らねえこと言ってんだ。さんざんやっといておかしいだあ?」
「……もうやめたいんだ」
「戯言はもういい。脱げっつってんだ!」
放課後に学校の裏門からこっそり出ようとしたら、待ち伏せしていた勝己に捕まった。そのまま引きずるように、勝己の家に連れてこられて今に至る。
「てめえ、また下校時間をずらして、帰り道も変えてやがったな。裏門から出るたあ姑息なやり方しやがって。気づかれないと思ってんたんかよ」
出久は俯いた。この数日間、放課後は彼に近寄らないようにして、隠れて帰宅していた。けれど、見つからずにいたのではなく、泳がされていただけだったのか。
そうして今、逃げ道を塞がれ、無茶な要求をされている。
悪鬼のようなオーラを纏った彼を直視できない。心臓がばくばくと鳴り、身体が震える。
「なんで?しかもここはリビングじゃないか……こんなところでやるの?冗談だよね」
怖さを堪えて抗議すると、射るような眼で睨まれた。
「ああ?俺がやるっつったらやんだよ。さっさと脱げや!」
勝己の掌が爆ぜる。
この顔は本気だ。思い通りにするまで帰してくれないつもりだろう。ならさっさと済ませたほうがいい。
今だけだ。気が済めば解放してくれる。
本当にそうか?自分はまた彼の気が済めばと期待している。済むわけないと知っているのに。でも、他にどんな術があるというのか。
ゲームみたいにリセットしたくても、現実は出来やしない。
震える手でズボンを脱いで、足元に落とす。ちらっと勝己を仰ぐ。
「全部っつったろ」
ため息をつき、全裸になってテーブルに手をついた。両足の内側を蹴られ、脚を開くよう促される。
勝己の掌が尻を揉み、間を広げる。久しぶりに中心を触られて、ひっと声が出る。
「ほぐしてきてんだろうな」
「してないよ。してくるわけないだろ」
もう君とは、と言いかけて、無駄に怒らせ無い方がいいと口を噤む。
「どうやるのか、忘れちゃったよ」
「クソが……」
舌打ちして勝己は衣服を脱いだ。
明るい光の中に鍛えられた身体が現れる。下着から現れたそれは既に勃起している。
陽物を隠そうともしない、堂々とした伸びやかさ。何処かの彫像のような、均整のとれた完璧な肢体。
憧れざるを得ない身体に圧倒される。貧弱な自分との体格の違いが悔しい。自分もこんな体格なら、好きにさせたりしないのに。
「俺んち来る時は準備してこいや」
テーブルの上に上半身をうつ伏せにされ、彼の性器が中心に当てられた。すうっと血の気が下がる。
「嘘だろ、すぐに挿入するつもりなのか」
吃驚して身体を起こし、腰を捻って振り向く。
「おい、起きてんじゃねえ!後ろ向いて手つけよ」
争う暇もなく力づくで抑えられた。唾を飲み込む。手の震えが止まらない。
「怯えてんじゃねえ、クソデク。すぐに入れたりしねえよ。入んねえし」
勝己の指が後孔を突く。すぼまってんな。ローション塗ればなんとかなるか、と呟き、勝己はボトルから粘る液体を手に取る。
中に指がぬるりと入り込み、かき回し探るように蠢かされる。3本に増やされた指は、擬似的な性交のように、内壁を広げようと抽送する
治りかけの痒い瑕疵を引っ掻くように、快感がじわじわと広がってゆく。中心が熱く熟れて痺れてくる。あふっと声が漏れる。
「は!悶えてんじゃねえよ、デク」
勝己が嘲笑う。開発された身体が忌々しくも快感を期待してる。
「嫌だよ。こんなの間違ってる」
「うぜえ!正解か間違ってんのか、てめえの身体に聞いてやるわ」
勝己は自分の性器を握りこむようしてローションを塗り、再び出久の後孔に猛る性器を押し当て、強く突き上げる。
「ああ!」と叫ぶと口を抑えられた。
ぬるっと窄まりを押し拡げて入ってくる雄の印。
「はっは!黙れよなデク。外に聞こえんだろ」
「い、いきなり入れるなんて…ひど、あうっ」
突かれるたびにテーブルが軋む。上に置いてある果物籠が揺れて、林檎が転がり落ちた。
離れようとしても離してくれない。離れられない。
このままじゃ駄目なのに。入り組んで歪んで、絡まってしまった僕らの関係。間違ってると理解してるのに、深みに嵌ってしまって身動きが取れない。身体が溺れて心も道連れだ。
「距離を置こうとしてんだろ。てめえの望み通りにはさせねえ」
「距離を」置こうとしてるのは君じゃないか。という言葉は激しく貫かれた衝撃で継げられない。
「置こうとしただろうが!だが、てめえは来やがった。抵抗しもしねえで家に入ってきやがったくせに、文句言ってんじゃねえよ。てめえは迷ってんだろ。わかんだよ。てめえは俺のもんだ。何度言やあわかんだ」
「俺のものってなんなんだよ。だったら、僕は君にとって具体的になんなんだ」
出久は問うた。離れようとしても離してくれない根拠が、具体的にあるというのだろうか。
「ああ?」
「友達じゃないよね。子分なのか?家来なのか?ひょっとして奴隷とか思ってる?僕は君のじゃない。君は僕のことなんてなんとも思ってないだろ」
気のせいだっただろうか。
一瞬傷ついたような表情が、彼の顔に過ぎった気がした。
けれども、すぐに酷薄な笑いに打ち消される
「てめえなんざ、俺の、俺の玩具だ。ただの虫けらだ……」
まるで自分に言い聞かせるように彼は呟く。
「玩具…なんだ。ただ気持ちいいからなんだね。変わらないんだね、君は何も」
近づいたようでも、途方もなく離れている。空と海を分つように、どこまでも交わらない水平線に僕らは立っている。
「変わらねえのは、てめえだろうが!」勝己は怒鳴る。
「僕だって意思があるんだ。玩具になれって?僕は君の玩具じゃない」
「…ちげえわ、クソが」
引き抜かれほっとしたのもつかの間。ソファの上に引き倒され、仰向けにされて押さえつけられた。両手を封じてのしかかり、足を大きく開脚させられる。
「ちょっ、かっちゃん」
「クソデクのくせに、生意気だっつってんだ」
片足を抱え上げ、正常位で一気にずむっと深く挿れられる。背中が反るほど突き上げられる。
「ん、んー!」
衝撃で悲鳴を上げそうになるのを、必死で抑える。
勝己は強く腰を振り、引き抜いては貫いてゆく。手を拘束され、のしかかられる。彼の重さで上半身は動けない。足をばたつかせても、彼の腰を挟むことしかできない。
勝己は匍匐前進するように腰を上下させる。その動きの度に揺さぶられ、彼の肉体の一部が自分の中に食い込んでゆく。
「あ、あふ…ん」
肉壁はその形を思い出して存在を受け入れ、条件反射のように、痛みから別の感覚にすりかえる。
耳元に口を寄せて、せせら笑いながら勝己は囁く。
「何されるかわかってやがんのに、のこのついて来やがって。気持ちいいからセックスするだあ?それだけなのはてめえだろ」
「違うよ!はっ、はう」
「表情でわかんだよ。気持ちいいんだろうが。俺のもんでよがって喘いで、生意気な口聞いてるくせに、ざまあねえよな」
「したいわけじゃない……」
「はっ!嘘吐きやがれ。だったら死ぬ気で抵抗しろよ。やらねえくせに違うってのかよ」
噛み付くようにキスをされる。口内が乱暴に荒らされて苦しい。ピストン運動が激しくなる。
体内を抉られる痛みに混じる快感。
離れては触れる唇。
全身が快楽を貪ろうとする。
自分の感覚がままならない。
「デク、デク、てめえが思い通りになんのは。やってる時だけかよ。クソが。てめえは俺のなんなんだ」
勝己はデクの額に額をくっつける。温もりが伝わるけれど、近すぎて表情はわからない。
「一度だけで気が済むはずだったのに、なんで俺はてめえなんかに。なんでてめえは変わんねえままで、俺ばっかりが汚れていくんだ!虫ケラのくせに。んなこたあ、あっちゃいけねえんだ!」
勝己の叫び。助けを求める叫びだ。
分かりたくないのにわかってしまう。抵抗しようとする力が抜けてゆく。
僕は何を考えている。助けたいとでも思っているのか。この状況で。
無意識に背中にそっと腕を回していた。
勝己が動きを止めた。ほっと息をつく。
自分から遠ざけたくせに、近づいてくる。近づいていくと遠ざけようとする。
矛盾している。けれども僕もそうだ。近づいたら傷つけられるのに遠ざけられない。
「てめえ、舐めてんのか。どこまでも気に食わねえ」
折られそうなほど強く腕を掴まれた。
「思い通りにならねえなら、だったらてめえを殺しゃあいいか。なあデク」
「何を、言ってるんだ?」
「手に入ってるのに手に入らない。キリがない果てがない。なら殺すしかねえ。そんな映画があったよなあ」
子供の頃に見たフランス映画のことだろうか。題名は覚えていないけれど。
「あれは恋人同士だったよね。僕らの関係とは違う」
「俺らの関係はなんだ?ああ?」
逆に問うてくる勝己の両手が首をさする。長い指が優しく撫でる。親指で喉仏を撫でて柔らかく押す。
ゴクリと喉を鳴らす。
「本気なわけないよね。ヒーローを目指す君がするわけない」
「どうだろうなあ、デク」
勝己は貼り付けたような笑みを浮かべた。
勝己がするわけない。当たり前だ。
でも、彼の紅の瞳の色が揺れる。水の中で揺らめく魚の尾鰭ように。怖い。怖くてたまらない。
勝己はふっと笑う。
「ん、てめえ、感じてんのかよ。締めつけがきつくなったぜ」
「ちが、あ、あ、」
収縮したら、敏感な部分が勝己の屹立に刺激された。自ら誘因した快感に喘ぐ。
「はっ!馬鹿でえ」
勝己は覆い被さり、腰を打ち付ける。引き締まった身体に突き上げられ、互いの肌がぶつかりペタンペタンと音を立てる。
体内を抉り、粘膜を擦りあげて行き来する、勝己の硬い肉。隔てる皮膜がないゆえに、引っかかるように擦れる皮膚の感触。
堪えているような表情を浮かべて勝己は唸り、達すると、出久の首元に顔を埋める。
「てめえは俺のもんだ。てめえが認めようがなかろうが関係ねえ」
熱い息が言葉とともに、首筋に吹きかけられる。
 
誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。
よく知っている声だった。胸が痛くなるような声だった。
幾度も繰り返された交わりに疲労した身体を、ソファに横たえる。
衣服はなんとか身につけたけれど、流石にすぐには歩けない。帰りたくてもまだ帰れない。
吹き抜けの高い窓から、青い空が見える。
窓枠で長方形に区画された空。まるで檻の中のようだ。
硝子の壁に閉じ込められて出られない。水槽の中の回遊する魚のようだ。
意識がとろとろと遠のきそうになる中、誰かの手が髪に触れているのを感じた。
ごつごつした指が髪に差し込まれ、さらさらと優しい手つきで梳く。
頭の側に勝己が座っている気配はする。けれど、彼のわけがない。
きっともう夢を見ているのだ。
意識が深く深く沈んでゆく。
さらさらと、さらさらと優しい手が髪を梳く。
 
 
epilogue
 
 
ぶうんと何かが振動している
つぷつぷと泡が弾ける音がする
えらから酸素を取り込む
鰭を動かして水をかく
口を開け水とともに何かの粒を吸い込む
プランクトンではないが食べられるものらしい
濫立する鮮やかな緑の水草の向こうに一匹の魚が見え隠れする
赤い立派な尾鰭を持った雄だ
彼は悠然と泳いで水草に隠れてしまう
このところ彼ばかりをよく見かける
危険な大きな魚もザリガニも見かけない
こつんと口が何かに当たった
透明な何かが前にある
氷だろうか
このあたりの川にはやけに氷が多い。
しかも天を覆うのではなく川の中に垂直に張っている
尾鰭を振って進路を変えて海藻の中に入る
彼がいた
彼はぱくぱくと口を開けて身体をつついてくる
争うためではない
遊んでいるのだ
腹を、鰭を、鰓を身体中をつついてくる
こっちも軽くつつきかえす
口をくっつけてくる
離れては再びくっつける
水草が揺らめいている
つぷつぷと泡が弾けて天に昇ってゆく
 
 
 
END

インフォメーション2022年1月~

最新情報です。下に行くほど新しいニュースです。母艦サイトのINFOや自作創作小説カテゴリー に内容紹介文を詳しく載せてます。

母艦サイトへのリンク→BLUE HUMAN

2022/01/27 勝デク小説「放課後遊戯(R18版)」「放課後遊戯(全年齢版)」をUPしました。

2022/05/2 勝デク小説「放課後遊戯(R18版)金魚の呪バージョン」をUPしました。

 

放課後遊戯(全年齢版)

f:id:hiten_alice:20220125192635j:plain


Chapter・1


始めてキスをしたのは13歳の夏休み明け。
その日の放課後は、くすんだ水色の空に、水母のように透けた半月がぽうっと浮かんでいた。

誰かに呼び止められた気がして、出久は足を止めた。
よく知っている声だった。心を揺さぶられる声だった。校庭を見回したが、帰る生徒達の中に声の主はいない。
再び歩き出すと、校門側の木立に勝己が佇んでいるのが見えた。紫がかった影の中に沈むように。
急に足が泥に沈むように重くなる。
いつからなのか。幼馴染の勝己との間に生まれた距離。止めようもなく広がった間隔。
中学生になって初めての夏休みが過ぎた今、勝己の交友関係に自分は入っていない。話をするどころか、挨拶を交わすことも殆どない。
寂しくないかと言ったら嘘になる。けれども、もとよりアクティブな勝己と自分では性格が違いすぎた。幼い頃ならともかく、これからはお互い自分に合った環境で、新たな関係を築くべきなのだろう。
魚の水槽を変えるように。花を植え替えるように。そう自分を納得させた。
とはいえ、自分はいまだ新たな環境に慣れたとはいえないけれど。
しかしこの日は違った。足早に通り過ぎようと校門を出たところで
「おい、デク、無視してんじゃねえよ。ちょっと来いや」
と勝己に声をかけられ、強引に腕を取られた。
「無視なんて、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。僕に用なんてないと思って」やましくなどないのに反射的に狼狽えてしまう。「それで、かっちゃん、なんか用だった?」
「ああ?用がなきゃ呼ばねえわ、クソが。ちとツラ貸せや!」
「あの、用ならここで聞くよ。僕、早く帰って宿題しなきゃいけないんだ」
ふたりきりになってはいけないと勘が囁く。幼い頃ならともかく、今の彼には警戒せずにはいられない。
「お前帰宅部だろうが。全然時間あんだろ」
「確かにそうだけど」図星を指されてちょっと詰まる。「ノート纏めたり、オールマイトのニュースチェックしたり、やることいっぱいあるし」
と言ったが、勝己は全く聞く耳を持たない。
「ぶつぶつうるせえわ!てめえの事情なんざ知ったことか、クソが!」
引きずるようにして勝己に連れて来られたのは大橋の下。頭上を通る車の振動が橋桁に押しつけられた背中に響いてくる。
堤の上を通る人はいない。もしいても自分達の姿は橋桁の影に隠れて見えないだろう。
足元で拳大の石がごろりと転がり、バランスを崩しそうになった。
「転けてんじゃねえよ。てめえ、朝、挨拶しなかっただろ」
支えるように出久の肩に手を置くと、勝己は口を開いた。
「挨拶…?」日直で先生に呼ばれ、挨拶するタイミングがなかったな、と思い出す。「そうだった、かな。でも、僕が挨拶しても君は返してくれないし」
橋桁のひんやりした感触を背に感じながら言い返す。
「俺は挨拶しねえよ。だがてめえはしろや」
「え?なんで?返事がないのに挨拶しなきゃいけないの?」
「俺がそうしろっつったらしろや!
「わ、わかったよ。意味わかんないけど、わかったよ。これからは心がけるよ。もう帰っていいのかな?」
「ああ?あんだ、その言い草はよ。むかつくな」
どこが気に障ったのだろう。長く話せば話すほど、勝己の機嫌は悪くなるのが常だ。一刻も早くこの場を離れたいだけであるのに。
「ごめん、でも帰らせてほしい」
「口先だけで謝ってんじゃねえ、クソが!挨拶なんざどうでもいいんだよ。まだ話は終わってねえわ」
「え? どうでもいいの?」
なにがきっかけだったのか覚えていない。
さらなる数々の言いがかりに、口籠もりながらも言い返したように思う。
苛立った勝己に橋桁に強く押し付けられ、背中への衝撃に目を瞑った。その時だ。
顔の前に影が差し、唇に柔らかいものが触れた。
目を開けると、勝己の瞳が眼前にぼやけて見えた。
何が起こったのかわからなくて混乱する。
暫くして唇を重ねられたと知った。
触れ合った唇は離されることなく、角度を変えて押しつけられる。薄い唇の皮越しに伝わる勝己の体温。湿った感触。
「かっちゃん?」と問いかけた唇の隙間から、迷うように舌が差し入れられた。
入ってきた舌はくまなく口内を這い、大胆に自分の舌を絡め取る。口内を探られるくすぐったい感触。息が苦しくなると一時的に唇は離されるが、ひと呼吸するとまた塞がれてしまう。
さっきまで聞こえていた川のせせらぎの音が消えていった。橋の上を通る車の音も聞こえない。
口内でうねる水音が、内耳から大きく響いて頭を埋め尽くす。
「てめえ、顔赤くしやがって、興奮してんのかよ」
軽く上唇をつけたままに、かすれた声で勝己が揶揄う。
「違うよ、酸欠になっただけだ」
それか夕焼けのせいだ、と言い返そうとした言葉が、再び唇で塞がれて勝己に飲み込まれる。
いっそ食べ物だと思えばいいのか。そうだ、食べ物だ。口の中でこんな風に動く食べなんて、何かあるだろうか。
違和感に慣れようと耐えているうちに、頭の芯がぼうっとしてくる。
ようやく開放された。橋桁に背中を預けて、ずるずるとしゃがみ込む。嬲られた舌がふわっと痺れている。
「かっちゃん、いったいなに、あんのつもりで」
呂律のまわらない言葉で、問いかけながら顔を上げた。
目に入ったのは、荒っぽくキスを貪ったくせに、真っ赤になった勝己の顔。
荒く息を吐いて、誰にも言うんじゃねえぞと脅す余裕のない表情。
「いいな、誰かに言ったらコロスからな」
と念押しして、勝己は歩き去って行った。
橋の上を通る自動車の音が耳に戻ってきた。
出久はどちらのものともわからない唾液で濡れた唇を拭う。
勝己の考えていることがわからない。一度やって見たかったんだろうか。勝己の新しい遊びだろうか。怖くてとても聞けないけれど。
「ファーストキスだったのに酷いや」
我に返ると災難でしかない。でも殴られたり、ノートを破られるより、ずっとマシかも知れないと思った。
確かキスをする魚がいた。キッシンググラミーという名だっただろうか。雄同士が互いの口をくっつけるので、仲がいいのかと思いきや喧嘩をしているのだという。でもマツバスズメダイはツガイの雄が、求愛のためにキスをするという。
勝己はどっちだろう。いや、人と魚は違うし、考えるまでもないか。
でも、あの時、彼でもこんな風になるんだと、どこか奇妙な満足感を覚えていた。
よろっと腰を上げて立ち上がり、鞄を抱えて川縁を歩く。川面はあの頃と変わらず、鏡の欠片を散らしたように、きらきら光っている。
小さな頃ここでよく、勝己と魚やザリガニを獲ったりして遊んだ。川にざぶざぶと入って獲るのは勝己。自分はうまくできないので、たもを持つ彼の背中を見ていた。それはほんの数年前のことなのだ。
出久は橋の方を振り返った。太いワイヤーを渡した吊り橋仕様の大橋。縦に伸びた線は、空を細長い四角形に区画している。
まるで見えない怪獣を閉じ込める、巨大な檻のように。


Chapter・A


河原に行こうとかっちゃんが言った。
靴を脱いで躊躇なく川に入ってゆくかっちゃんに、自分も仲間たちも、たもを持ってついて行った。
水位は深いところでも膝までしかない浅瀬。水に浸した足がひんやりとして気持ち良かった。
かっちゃんはひょいひょいと中洲に向かって流れを渡っていく。
「待ってよ、かっちゃん」
置いていかれると焦ってしまい、川底の石に足取られて転んだ。辛うじて手を川底についたけれど、服は下着までぐっしょり濡れている。
馬鹿でえ、と振り返ってかっちゃんは笑う。だが、少しだけ歩くスピードを落としてくれた。慎重に歩いて中洲に到着し、たもを置いて座り込む。
日差しが強いおかげで、直ぐに服は乾いてきた。Tシャツの首元をめくると、皮膚の色が薄く褐色になっているのが見える。
「てめえ、もう日焼けしてんのか」
上から聞こえた声に、顔を上げて眼前を振り仰ぐ。いつの間にか、かっちゃんが立っていて自分を見下ろしていた。襟元に手をかけられ、肩までのばされる。
「は!かっこわり。こういうのは土方焼けってんだぜ」
「だって、半袖着てて日焼けしたら、皆こうなっちゃうよ」
見ろよ、と言ってかっちゃんはTシャツを脱ぐ。
「……かっちゃんは焼けてないね」
「まあな!俺は焼けたことねえよ」
かっちゃんの肌は髪の色と同じく色素が薄い。真夏でも日焼けしてるのを見たことがない。
たもを手に持ってかっちゃんは川に戻り、魚を獲りに行った。
彼を追おうと立ち上がり、川の浅瀬に足を浸す。透明度の高い水の中、幾つもの細長い影が揺らめく。
小魚だ。水草の間を縫って小さな魚たちが翻る。
半透明で大きな赤い尾鰭を持つ魚が数匹寄ってきた。動かない自分を岩か何かと思っているのだろうか。
足の周りをくるくると回遊したり、脹脛に隠れたり、まるで遊んでいるかのようだ。鱗に撫でられているようでくすぐったい。
足元をざぶんと網が掬った。
掬い上げたのはかっちゃんのたもだ。網目の中に、さっきの赤い尾鰭の魚が見える。
かっちゃんは魚ではなく、こっちをじっと見ている。
グッピーの鰭よりも赤い綺麗な紅色。
網の中で魚がぐったりとして、尾を震わせているのに気づいた。
「かっちゃん!魚、水につけてあげないと弱ってしまうよ」
焦って言う。キャッチアンドリリースの精神というわけではないが、魚は獲っても持ち帰らず、川に放してやるのが常だった。
「わーっとるわ」
しかし、かっちゃんはたもを摘んで魚をバケツに入れた。中には2匹の魚が泳いでいる。
グッピーだな」かっちゃんは言った。
「持って帰るの?」
「ああ、飼う」
皆と別れた後、追いかけてきたかっちゃんに呼び止められ、家に誘われた。
グッピーを水槽に入れるの見に来いや」とかっちゃんは言った。「うちにアクアリウムっていう、水草だけを育てている水槽があんだ。水草だけなんてつまんねえだろ。前から魚がいた方がいいって思ってたんだ」
水槽はリビングの窓際に置いてあった。かっちゃんは魚を両手に掬い上げ、水槽に入れた。
色とりどりの水草や珊瑚の林の中を、2匹の魚は気持ちよさそうに泳いでいる。
グッピー外来種だ。元々国内にはいなかった魚なんだぜ」
「かっちゃん、なんでも知ってるね」
「知んねえのかよ。こんなん常識だ」かっちゃんは得意げに言った。
「でも生態系に影響与えたりしねえから、野生化しても、ブラックバスみたいに駆除されたりしねえんだ」
「どこの川にもいるのにね」
「ああ、弱いから生かされてるんだ」
弱いから生かされている。その言葉は何故かちくりと胸を刺した。半透明の身体を揺らめかせる小さな姿。矮小さ故に存在を許された魚。
「だから、俺らが捕っても構わない魚なんだ」
水草の森から姿を現したグッピーは、赤い鰭をはためかせて泳ぎ、鼻先が硝子に触れると直角に曲がった。
魚は何故前に進めなくなったのかと、不思議に思っているかも知れない。この四角い世界にもう2匹しかいないなんて、きっと気付いてないだろう。
捉われたと知らず、いつの間にかどこにも行けなくなった魚たち。
大きな魚や鳥に狙われることのない、透明な硝子の壁に囲まれた世界と、危険に溢れた川の中とどっちがいいんだろう。
ガラス越しに見える風景は、魚からはどんな風に見えているんだろう。


Chapter・2


初めて性交したのは、3学期が始まった頃。
かじかんだ掌を擦り合わせ、マフラーで口元も覆って見上げた薄曇りの空。

その日の帰り道、足速に通り過ぎようとした勝己の家の前で、突然呼び止められた。
「よお、デク。帰宅部のくせして、随分遅え帰りじゃねえか」
凶悪な笑顔を浮かべて、勝己は玄関先に立っている。
帰宅時間をずらしていたのは、やはりバレているようだ。
キスをした日から気まずくなり、勝己と顔を合わせづらくなっていた。
勝己が何を考えて、あんなことをしたのかわからない。でもとても理由なんて聞けない。挨拶どころか、目を合わせることもできない。あれから勝己との間には、より一層距離ができていた。
あの時に感じた、形のない感情には蓋をした。
しかし、心理的な距離とは裏腹に、物理的な距離はある意味近くなっていたと言ってもいい。
勝己は交流がなかった頃から一転して、しばしば出久に絡んでくるようになった。事あるごとに出久が無個性であることを周囲に吹聴し、顔を見ればこづいたり悪態ついたり、酷くいじるようになった。
「今家に誰もいねえ。気使うこたねえ。上がれよ、デク」
勝己はクイっと顎をしゃくる。
「そうなんだ。誘ってくれて嬉しいよ。だけど、ごめん。僕用事があるし早く帰らなきゃ」
「用事だあ?どうせオタクノート書くとかだろ。ちょっと寄ってくだけだっつうんだ。時間とらせねえよ。それともなんだてめえ、俺の言うことが聞けねえのか?」
「そ、そんなことないよ、ええと、」
「他に説得力のある言い訳あんなら、言ってみろや。聞いてやっからよ」
「う……じゃあ、お邪魔します」
咄嗟に説得力のある嘘などつけない。偽るのはやめて従うことにした。仮に思いついても、断ることは許されないだろう。
久しぶりに入った勝己の家は、昔と殆ど変わってなかった。モデルハウスのような綺麗なリビングダイニング。吹き抜けの窓からの明るい光。テレビの設置してある壁はエコカラット。
ただ一つ、窓際にあったはずの水槽がなくなっている。
「なんで来た、てめえ」
背中を向けたまま、低い声で勝己は言った。
「なんでって、そんな、かっちゃんが入れって言ったから」
こっちを振り返った勝己の鋭い視線に、びくりと震える。
「は、は、俺が言ったからってか。俺の言うことなんざ、ひとつも聞かねえくせによ」
「そんなことないよ。ごくたまに、どうしても譲れないことがあるだけで」
「てめえ、ろくなことにならねえって思ってんだろ。いや、わかってんだろ。なのになんでノコノコと入ってこれんだ?」
彼は何が言いたいのだろう。来いと言ったくせに、来たことを非難されているようだ。理不尽な言葉に、怖いと思うより苛立ってきた。
「何か用があるんだよね?かっちゃん」
「用なんてねえよ」
「ないの?だったらなんで?」
返事はない。勢いでこのまま家を出た方がいいかも知れない。
しかし踵を返した途端、勝己は強く腕を掴んできた。
「誰が帰っていいと言ったよ」と言うなり、有無を言わさず出久の腕を引っ張り、リビング階段から階上に連れていく。
水槽は二階のホールの壁際に移してあった。光を反射して、天井に水面の影が揺らめいている。
勝己は水槽の前に立ち止まると、水槽をじっと見つめた。
水没した森のジオラマのような水槽。小さなぷくぷくと出る泡に押されて、中の水草が揺れる。しかし、魚らしきものは見当たらない。
「あの魚いないの?かっちゃん」
グッピーか?いるわけねえだろ。あれから何年経ったと思ってんだ。」
「そっか。2匹いたから繁殖してると思ってた」
「両方とも雄だったわ。増えるわけねえ」
「大きな水槽だし、魚増やせばよかったのに」
「他の魚なんざいらねえんだ」勝己は苛ついた口調で呟く。「ごちゃごちゃ言ってねえで来いよ、デク」
久しぶりに勝己の部屋に足を踏み入れた。
机とベッドと本棚、壁にかかってるのは時計とカレンダーのみ。飾り気のないシンプルな部屋だ。昔はゲーム機や玩具が、見えるところに置いてあったように思う。
「てめえ、なんで大人しく着いてきてんだ」
また勝己は理不尽な言葉を吐いた。
「だって、君がつれて来たんじゃないか」
「言われたから来んのかよ。嫌なら逆らえんだろ。必死で抗えよ。のこのこと来やがって、馬鹿じゃねえのか」
「え?意味がわからない。来いって言ったのは君じゃないか。矛盾してるよ。僕にどうしろって言うんだ」
「うるせえ!てめえがそんなだから俺はなあ」
いきなりベッドに投げ出された。不意打ちに面食らっているうちに、上にのしかかられる。殴られるのかと頭を庇い、目を瞑る。しかし、顔を覆った両手は剥がされ、頭上に纏められた。
「嫌なら最初から抗えよ」
凶悪な薄い笑みを浮かべた勝己は、出久のベルトを外し、ズボンを足から引き抜いた。思わぬ横暴な行為に抵抗が遅れる。
「うわ、かっちゃん!何すんだよ」
「誘っても家に入んな。引きずられても部屋に入んな。家に俺1人しかいねえってわかってんだろ!」
「何言ってんだ。わかんないよ、かっちゃん。もう帰るからズボン返してよ」
「てめえは入ってきちまったんだ。もう遅えわ」
地の底から響くような声だった。
シャツのボタンが外された。肌けた隙間から勝己の手が差し入れられる。
「なに?何してんだよ」
掌が胸をまさぐる。乳首を捏ねるように撫でられ、擽ったくて身体を捩る。
そろりと勝己が足の付け根に手を伸ばした。意を察して抵抗したものの、下着もあっさり剥ぎ取られ、脱がされた服はベッドの下に放られる。
裸の身体が勝己の視線にさらされる。恥ずかしくて落ち着かない。
「うっすい身体だな」じっと見つめて勝己は言う。
「あ、あの。何のつもりかわかんないけど、もう服着ていい?」
戸惑う出久の腕を戒めたまま、勝己は首元から腹へと肌を撫でる。内股を撫でられ、びくりとする。局部を避けるように、勝己の手が肌の上を滑る。
皮の分厚い勝己の掌は温かく、手つきは細やかだ。戸惑いつつも、摩られていると緊張が解けてゆく。
やっと腕の戒めが解かれた。しかし自由にしてくれたわけではない。勝己は押さえつけながら肌に触れ続ける。
縋るものを求めて、出久はシーツをぎゅっと掴む。
勝己はズボンの前を寛げた。シャツの裾から勃ちあがりかけたものが、ちらりと垣間見えた。
やばくないか?心の中で黄色い信号が点滅する。
予感は現実になった。下着も脱ぐと勝己は覆いかぶさって、体重をかけてきた。
出久はびっくりして足を捩ったが、「動くんじゃねえ!」と怒鳴られ、身体が硬直した。

生々しい感触。焼け付くような感覚。
勝己の息が荒い。デクの首元に勝己の唇が触れ、音を立てて吸い付く。場所を変えて舌先で舐めてはまた吸い付く。
顎を掴まれた。指が縁取るように唇をなぞる。
「デク、てめえは、」
と目を合わせて上擦った声で囁かれ、キスをされる。舌が唇を割るように入ってきて、口内を荒らす。息を盗まれて酸欠になりそうだ。
今だけ、今だけ我慢すればいいんだ、と自分に言い聞かせる。好奇心を満たせばきっと気が済むはずだ。
「はっは、ざまあみろ」と笑うように息を切らせて、勝己は背中に覆いかぶさってきた。シャツ越しに感じる彼の肌の温み。肩にかかる吐息。

重みと体内の圧迫が漸く離され、解放された出久は身体を返して仰向けになり、勝己を仰いだ。
こんな彼を見たことがない、と思った。
いつも張り詰めて、強気にふるまう勝己の、快感に浸ったしどけない表情。
頬は紅潮し、瞳は潤んで、艶めいた、綺麗といってもいいような面差し。
勝己は再び覆い被さり、強く抱きしめてくる。
何故だろう。ほんとに何故だろう。蹂躙されたのに。どういうわけか彼をかわいいと思った。
彼の快感に蕩けた表情。それは痛みよりも勝る鮮烈な印象だった。
だから、深みに嵌っていったのかもしれない。


Chapter・B


「勝己、いずくくんが来たよ!」
玄関に出たのはかっちゃんのお母さんだ。雰囲気がよく似てる。でもそう言うとかっちゃんはすごく怒る。
「おお、上がれや。デク」
リビングに繋がるドアの向こうから、声だけ飛んできた。かっちゃんのお母さんに続いて部屋に入ると、ソファに寝転んでいたかっちゃんが起き上がった。開けてくれた隣に座る。スプリングが跳ねてかっちゃんと二の腕が触れ合う。
リビング階段に吹き抜け。大きな窓に嵌った格子が青い空を四角く切り取っている。高い天井が外国の教会みたいに思えて荘厳に感じる。窓に嵌められているのは青いステンドグラスだろうか。
白いテーブルの上には林檎や梨が盛られた果物籠。広くて整頓されたリビングは、綺麗すぎてモデルハウスのようで落ち着かない。自分の家は団地だから平面アップダウンがあるかっちゃんの家は、いつ来ても素敵だと思う。
「かっちゃん、映画見てたの?」
壁にかかった大きなテレビ外国の映画がついてるので問うた。ちらりとエッフェル塔が映った。石畳にくねるように曲がった街灯。フランス映画のようだ。
「ちげえよ。親が見てんだ。全然俺の趣味じゃねえわ。うんと古い映画だしよ」
と言いつつもかっちゃんの視線は画面に向けられている。
かっちゃんは他の友達を家には呼ばない。お母さんに禁止されてるそうだ。
一度何故なのか訊いたら、「どう考えてもあいつら呼んだら家ん中で騒いじまうだろ。あいつらとは外で遊ぶのがいいんだ」と言い、「てめえは別だからな。呼んだら来い」と付け加えた。
かっちゃんのお母さんがソーダ水を出してくれた。カットグラスの中の薄青い色。氷が溶けてチリっと鳴った。コップの表面についた水滴が光を反射して煌めく。滴り落ちる雫を指で辿る。ソーダ水は口に含むと花火のように弾けた。冷たくて美味しい。
「勝己、おやつ食べたら部屋行きな」
お菓子の入った籠をテーブルにおいて、かっちゃんの頭を叩いてお母さんが言った。
「じゃ、もうかっちゃんの部屋に行く?」
「菓子食えデク」とかっちゃんは籠を寄せてくる。「まだいかねえの。最後まで見てえし」
「やっぱりかっちゃん、この映画見てたんじゃないか。面白いんだね」
「全然面白かねえわ、クソが。つい見ちまったから、この先どうなんのか気になるだけだ」
画面の中では女装した男が病院に入り込み、病室で眠っている女性を絞殺した。まさかそうなるとは思わなかった。かっちゃんもひゅっと息を呑んでいる。
「うわあ、びっくりした。サスペンスなんだね」
「ちげえよ。バカ」
かっちゃんは即座に否定した。
「え、でも、殺人事件が起こったよ」
「この女はこいつの恋人だ」
「え、恋人なの?
「だから手にかけるんだ」
「なんで?恋人なのに?」
そう聞いたとき、彼が答えた言葉を覚えていない。かっちゃんはなんと答えたのだろう。


Chapter・3


もう何度交わっただろう。

キスをした時から一年になるだろうか。けれども、学校での勝己の態度は変わらない。だから自分も変えられない。彼との距離は一向に縮まる気配はなかった。
なのに放課後はセックスの真似事をしている。
男同士だし恋人でもない。では僕らはなんなのだろう。
開かれたカーテンの向こうに空が見える。二重サッシの窓は閉まっているから、声は漏れないと勝己は言っていた。でも、誰かに見られてしまうんじゃないかと、気になってしまう。隣家の窓はこっちの部屋が見える位置にはないけれど、2人とも全裸なのだ。
「おい、余所事考えてんじゃねえ」
「かっちゃ…別に僕は、何も考えてなんて」
「集中してねえだろ。上の空なのわかんだよ。てめえは感じてればいいんだ」
「だったらカーテンを閉めてよ。気になるじゃないか」
「だめだ。興が削がれんだろ」
確かに隣の窓は見えない。わかってたことだけど、そういう問題だろうか。
普段の帰宅時間なら、カーテンを閉めなくても薄暗がりになる。でも今日は半日登校だったからまだ昼間なのだ。
ベランダの上に見えるのは、秋の高く澄んだ青い空。一面にうろこ雲が広がっている。
うろこ雲は巻積雲、いわし雲とも呼ばれ、上空高くに浮かんでいて、氷の結晶でできている。さらに上空だと刷毛で描いたような薄い筋雲ができる。
あれがもし本当に魚の鱗ならば、空にはなんて巨大な魚がいるのだろう。
ベランダの手すりに、鶫が飛んできて止まった。不思議そうに首を傾げて、僕らを見ている。
生産性のない行為をしている、滑稽な僕らを。
人間だけが快楽のために行う、交尾じゃない交尾の紛い物。勝己にとってはきっと、苛むための行為でもあるだろう。
好奇心を満たせば済むなんて、間違いだった。一度したら味をしめる可能性を、なんで考えなかったんだろう。
必死で抵抗すればできたのだ。本来女性とすることなのだから。でも大人になったら、本当にこんなこと女性に出来るのだろうか。想像できない。勝己はそれを試してるんだろうか。
彼がわからない。自分がわからない。何故ここに来てしまうのだろう。
汗ばんだ肌が重ねられる。ことが終わるといつも勝己は抱きしめてくる。
勝己の身体は、肩も胸も硬い筋肉に覆われてきて、ずしりと重みを感じる。1年前は少年の身体だったというのに。いまだにひょろい自分の体躯とは違う。
勝己のやり方は、日が経つごとに身勝手になってきたようだ。
まるで追い立てられるかのように。
憔悴しているかのように。
何かを証明しようとしているかのように。
互いに気持ちいい行為だったはすなのに、どうして歯車がズレてきたのだろう。
時々抱かれていると、まるで自分が人ではなく、人の皮を被った肉袋のように思えてしまう。
「噛み付いたら殴んぞ」
と言うと勝己は口付けた。深く喘ぐ吐息を貪るように。

勝己の家からの帰り道に、遠回りをして公園に立ち寄った。臀部に慣れてしまった違和感を感じ、つつベンチに腰掛ける。
すぐには家に帰れない。母に心配をかけてしまう。自分は今きっと酷い顔をしているだろう。
密かに期待したのだ。この遊戯の行く先に。
この関係が、絡まった自分達の関係を少しは好転させてくれるのではないかと。
セックスした後の勝己は、心なしか機嫌が良くて、あたりもほんの少し柔らかい。
だから密かに期待した。
けれども、勝己は学校では相変わらず、馬鹿にしてきつくあたるのだ。放課後だけの秘密の行為は、昼間の関係を何も変えることはない。
普段と違う勝己を見れるのは、密かに嬉しかった。でも、その代償に勝己によって、自分の身体が変えられていく。
勝己の都合の良いように、開発されてゆく。お尻だけで絶頂になるなんておかしいのだ。
勝己の好奇心にたとえ悪気がなかったとしても、このまま続けていたら取り返しがつかなくなる。
そもそも友達を性欲処理の相手になんてするわけがない。自分にしたのは友達に戻るつもりなんてないからだ。
初めから勘違いしていた。なんで気づかなかった。いや、気づいているのに、気づかないふりをしていたのか。
こんなことで元に戻れるなんてどうして思ってしまったんだろう。
自分達の拗れた関係を元に戻せるなんて夢物語だったのだ。
もう止めよう。彼を避けよう。学校でも行き帰りでも目を合わせないようにしよう。帰り道にある勝己の家の前は足早に通り過ぎよう。
暫く頻繁に寄っていた勝己の家。勝己の部屋にも、きっともう来ることもない。


Chapter・C


配信映画の中にそれがあった。
思い出す。
夏の午後、空を溶かした様なソーダ水、グラスを濡らしテーブルに滴る雫。
家に遊びに行ったときに、かっちゃんがテレビで見ていた午後のロードショー
フランスの映画だった。
ベティブルー」確かそんな題名だった。
パッケージ写真は深い青い背景と頬杖をついてどこか上を見ている女性。
サスペンスではなかった。彼が言ったように恋愛映画だった。
オープニングに悲恋を予想させるサクソフォンのソロが流れた。
出会ってすぐに恋人同士となったふたり。楽しく過ごしていたのに、突然心が壊れてしまった恋人。悲しい恋愛映画だった。
何故別れなかったのだろう。悲劇となる前に。殺してしまう前に。
「フランスの恋愛映画は出会って別れるまでの話なのよ」
と母は言った。
「恋人関係の始まりから終わりまでを描くの。アメリカ映画は出会って、別れて、復縁するまでのストーリーが多いけれど。物語としてはともかく、普通は復縁するなんてあまりないわ。恋愛は一期一会よ」
「なら、辛いことになる前に手を離してしまえばいいのに。それが正しいよね」
「過ごした時が美しいほどに固執してしまうのよ。
手を離せば終わりだと思うから、ふたりの時がもう二度と戻って来ないと思うから。辛くても苦しくても、耐えがたくても、手離せないものなのよ」
だから一緒にいる時を大切にするのよ、と母は笑って言った。
関係の終わりまでを、とことんまで突き詰めて、初めて見えるものもあるのだろうか。
予測できたのではないのだろうか。
予測していても選んでしまうのだろうか。
カタストロフが待っているかもしれない
そんな底知れない世界
怖くないのだろうか。
病院に忍び込み恋人の首を締める結末。
捕まることもなく、後を追うこともなく。
彼はこの先にどうなったのだろう。


Chapter・4


背後でドアの鍵が閉まった音がした。

リビングには吹き抜けから、眩しい光が降り注いでいる。なのに、なぜか氷の城に入ったように錯覚する。
「おいデク、服を脱いで後を向いて、テーブルの前に立てや」
勝己が言った。何気なくも有無を言わせない口調。
「いやだよ。もう理由がないよ。大体、お、男同士でおかしいだろ」
「は?今更何下らねえこと言ってんだ。さんざんやっといておかしいだあ?」
「……もうやめたいんだ」
「戯言はもういい。脱げっつってんだ!」
放課後に学校の裏門からこっそり出ようとしたら、待ち伏せしていた勝己に捕まった。そのまま引きずるように、勝己の家に連れてこられて今に至る。
「てめえ、また下校時間をずらして、帰り道も変えてやがったな。裏門から出るたあ姑息なやり方しやがって。気づかれないと思ってんたんかよ」
出久は俯いた。この数日間、放課後は彼に近寄らないようにして、隠れて帰宅していた。けれど、見つからずにいたのではなく、泳がされていただけだったのか。
そうして今、逃げ道を塞がれ、無茶な要求をされている。
悪鬼のようなオーラを纏った彼を直視できない。心臓がばくばくと鳴り、身体が震える。
「なんで?しかもここはリビングじゃないか……こんなところでやるの?冗談だよね」
怖さを堪えて抗議すると、射るような眼で睨まれた。
「ああ?俺がやるっつったらやんだよ。さっさと脱げや!」
勝己の掌が爆ぜる。
この顔は本気だ。思い通りにするまで帰してくれないつもりだろう。ならさっさと済ませたほうがいい。
今だけだ。気が済めば解放してくれる。
本当にそうか?自分はまた彼の気が済めばと期待している。済むわけないと知っているのに。でも、他にどんな術があるというのか。
ゲームみたいにリセットしたくても、現実は出来やしない。
震える手でズボンを脱いで、足元に落とす。ちらっと勝己を仰ぐ。
「全部っつったろ」
ため息をつき、全裸になってテーブルに手をついた。両足の内側を蹴られ、脚を開くよう促される。
「ほぐしてきてんだろうな」
「してないよ。してくるわけないだろ」
もう君とは、と言いかけて、無駄に怒らせ無い方がいいと口を噤む。
「どうやるのか、忘れちゃったよ」
「クソが……」
舌打ちして勝己は衣服を脱いだ。
明るい光の中に鍛えられた身体が現れる。
堂々とした伸びやかさ。何処かの彫像のような、均整のとれた完璧な肢体。
憧れざるを得ない身体に圧倒される。貧弱な自分との体格の違いが悔しい。自分もこんな体格なら、好きにさせたりしないのに。
テーブルが軋む。上に置いてある果物籠が揺れて、林檎が転がり落ちた。
離れようとしても離してくれない。離れられない。
このままじゃ駄目なのに。入り組んで歪んで、絡まってしまった僕らの関係。間違ってると理解してるのに、深みに嵌ってしまって身動きが取れない。身体が溺れて心も道連れだ。
「距離を置こうとしてんだろ。てめえの望み通りにはさせねえ」
「距離を」置こうとしてるのは君じゃないか
「置こうとしただろうが!だが、てめえは来やがった。抵抗しもしねえで家に入ってきやがったくせに、文句言ってんじゃねえよ。てめえは迷ってんだろ。わかんだよ。てめえは俺のもんだ。何度言やあわかんだ」
「俺のものってなんなんだよ。だったら、僕は君にとって具体的になんなんだ」
出久は問うた。離れようとしても離してくれない根拠が、具体的にあるというのだろうか。
「ああ?」
「友達じゃないよね。子分なのか?家来なのか?ひょっとして奴隷とか思ってる?僕は君のじゃない。君は僕のことなんてなんとも思ってないだろ」
気のせいだっただろうか。
一瞬傷ついたような表情が、彼の顔に過ぎった気がした。
けれども、すぐに酷薄な笑いに打ち消される
「てめえなんざ、俺の、俺の玩具だ。ただの虫けらだ……」
まるで自分に言い聞かせるように彼は呟く。
「玩具…なんだ。ただ気持ちいいからなんだね。変わらないんだね、君は何も」
近づいたようでも、途方もなく離れている。空と海を分つように、どこまでも交わらない水平線に僕らは立っている。
「変わらねえのは、てめえだろうが!」勝己は怒鳴る。
「僕だって意思があるんだ。玩具になれって?僕は君の玩具じゃない」
「…ちげえわ、クソが」
ソファの上に引き倒され、仰向けにされて押さえつけられた。
「ちょっ、かっちゃん」
「クソデクのくせに、生意気だっつってんだ」
耳元に口を寄せて、せせら笑いながら勝己は囁く。
「何されるかわかってやがんのに、のこのついて来やがって。気持ちいいからセックスするだあ?それだけなのはてめえだろ」
「違うよ!」
「表情でわかんだよ。気持ちいいんだろうが。生意気な口聞いてるくせに、ざまあねえよな」
「したいわけじゃない……」
「はっ!嘘吐きやがれ。だったら死ぬ気で抵抗しろよ。やらねえくせに違うってのかよ」
噛み付くようにキスをされる。口内が乱暴に荒らされて苦しい。
痛みに混じる快感。
離れては触れる唇。
全身が快楽を貪ろうとする。
自分の感覚がままならない。
「デク、デク、てめえが思い通りになんのは。やってる時だけかよ。クソが。てめえは俺のなんなんだ」
勝己はデクの額に額をくっつける。温もりが伝わるけれど、近すぎて表情はわからない。
「一度だけで気が済むはずだったのに、なんで俺はてめえなんかに。なんでてめえは変わんねえままで、俺ばっかりが汚れていくんだ!虫ケラのくせに。んなこたあ、あっちゃいけねえんだ!」
勝己の叫び。助けを求める叫びだ。
分かりたくないのにわかってしまう。抵抗しようとする力が抜けてゆく。
僕は何を考えている。助けたいとでも思っているのか。この状況で。
無意識に背中にそっと腕を回していた。
自分から遠ざけたくせに、近づいてくる。近づいていくと遠ざけようとする。
矛盾している。けれども僕もそうだ。近づいたら傷つけられるのに遠ざけられない。
「てめえ、舐めてんのか。どこまでも気に食わねえ」
折られそうなほど強く腕を掴まれた。
「思い通りにならねえなら、だったらてめえを殺しゃあいいか。なあデク」
「何を、言ってるんだ?」
「手に入ってるのに手に入らない。キリがない果てがない。なら殺すしかねえ。そんな映画があったよなあ」
子供の頃に見たフランス映画のことだろうか。題名は覚えていないけれど。
「あれは恋人同士だったよね。僕らの関係とは違う」
「俺らの関係はなんだ?ああ?」
逆に問うてくる勝己の両手が首をさする。長い指が優しく撫でる。親指で喉仏を撫でて柔らかく押す。
ゴクリと喉を鳴らす。
「本気なわけないよね。ヒーローを目指す君がするわけない」
「どうだろうなあ、デク」
勝己は貼り付けたような笑みを浮かべた。
勝己がするわけない。当たり前だ。
でも、彼の紅の瞳の色が揺れる。水の中で揺らめく魚の尾鰭ように。怖い。怖くてたまらない。
勝己はふっと笑う。
「てめえは俺のもんだ。てめえが認めようがなかろうが関係ねえ」
熱い息が言葉とともに、首筋に吹きかけられる。

誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。
よく知っている声だった。胸が痛くなるような声だった。
幾度も繰り返された交わりに疲労した身体を、ソファに横たえる。
衣服はなんとか身につけたけれど、流石にすぐには歩けない。帰りたくてもまだ帰れない。
吹き抜けの高い窓から、青い空が見える。
窓枠で長方形に区画された空。まるで檻の中のようだ。
硝子の壁に閉じ込められて出られない。水槽の中の回遊する魚のようだ。
意識がとろとろと遠のきそうになる中、誰かの手が髪に触れているのを感じた。
ごつごつした指が髪に差し込まれ、さらさらと優しい手つきで梳く。
頭の側に勝己が座っている気配はする。けれど、彼のわけがない。
きっともう夢を見ているのだ。
意識が深く深く沈んでゆく。
さらさらと、さらさらと優しい手が髪を梳く。


Chapter ・D


「見終わったし、二階に上がるか」
伸びをしてかっちゃんが言った。
「え、ここで終わりなの」
「ああ?見りゃわかんだろーが」
「でも、あの人どうなったの?わかんないよ」
「んなこた、どうでもいいんだ。サスペンスじゃねえっつってんだろ」
「そうだけど。面白かった?」
「面白くねえよ。でも何言いたいのかはわかる」
「えー、じゃあ、教えて。かっちゃん。最後しか見てないけれど。恋人なのになんであんなことしたの」
悪い人間ではないのに、普通の人なのに、愛する人を手にかけるなんて理解できない。
かっちゃんはこちらに顔を向けた。じっと見つめてくる。
「当たり前だろ。こいつのもんだったんだから」
静かな声でかっちゃんは答えた。
「え、だったら、なんで、殺したりするの」
「こいつのもんだってことを忘れたりするからだ」
「好きだったのに?その気持ちはどこに行ってしまったの」
「そのままあんだよ。消えてねえからこそあいつはやったんだ」
「そんなの、怖いね」
底知れない何か、そんなものに囚われることがあるのだろうか。
「この人の気持ちがわかるの?」
「ああ、まあな」
「かっちゃんもそうなるかも知れないの?」
座面についた手にかっちゃんの手が重ねられた。
「馬鹿かてめえは。わかるってだけだ。そんなことにはならねえ。なるわけねえだーが」
指を組む様にしてぎゅっと手を掴まれる。
「絶対にな」
そう言って、かっちゃんは青いソーダ水を飲み干した。

映画のエンディングで流れたのは爽やかな弦楽器の旋律。
劇中でヒロインがピアノで辿々しく引いたメロディと同じ曲。
映画の意味はわからなかったのに曲は覚えている。明るくはなく、物悲しくもない。
草原を吹き渡る口笛のような、耳に残って離れない音楽。
夏の午後にかっちゃんと一緒に聞いた。
こんな綺麗な曲を僕は他に聞いたことがない。

それは泡沫だったのかも知れない
泡の影に垣間見えた底知れない未来 
弾けては消え舌を刺す泡の粒のように
青く揺蕩うソーダ
空を切り抜く窓硝子
水底のような瑠璃色の空
冷えたグラスと掌の温もり


Chapter・5


ぶうんと何かが振動している
つぷつぷと泡が弾ける音がする
えらから酸素を取り込む
鰭を動かして水をかく
口を開け水とともに何かの粒を吸い込む
プランクトンではないが食べられるものらしい
濫立する鮮やかな緑の水草の向こうに一匹の魚が見え隠れする
赤い立派な尾鰭を持った雄だ
彼は悠然と泳いで水草に隠れてしまう
このところ彼ばかりをよく見かける
危険な大きな魚もザリガニも見かけない
こつんと口が何かに当たった
透明な何かが前にある
氷だろうか
このあたりの川にはやけに氷が多い。
しかも天を覆うのではなく川の中に垂直に張っている
尾鰭を振って進路を変えて海藻の中に入る
彼がいた
彼はぱくぱくと口を開けて身体をつついてくる
争うためではない
遊んでいるのだ
腹を、鰭を、鰓を身体中をつついてくる
こっちも軽くつつきかえす
口をくっつけてくる
離れては再びくっつける
水草が揺らめいている
つぷつぷと泡が弾けて天に昇ってゆく

 

END

放課後遊戯(R18版)

f:id:hiten_alice:20220125192719j:plain


Chapter・1


始めてキスをしたのは13歳の夏休み明け。
その日の放課後は、くすんだ水色の空に、水母のように透けた半月がぽうっと浮かんでいた。

誰かに呼び止められた気がして、出久は足を止めた。
よく知っている声だった。心を揺さぶられる声だった。校庭を見回したが、帰る生徒達の中に声の主はいない。
再び歩き出すと、校門側の木立に勝己が佇んでいるのが見えた。紫がかった影の中に沈むように。
急に足が泥に沈むように重くなる。
いつからなのか。幼馴染の勝己との間に生まれた距離。止めようもなく広がった間隔。
中学生になって初めての夏休みが過ぎた今、勝己の交友関係に自分は入っていない。話をするどころか、挨拶を交わすことも殆どない。
寂しくないかと言ったら嘘になる。けれども、もとよりアクティブな勝己と自分では性格が違いすぎた。幼い頃ならともかく、これからはお互い自分に合った環境で、新たな関係を築くべきなのだろう。
魚の水槽を変えるように。花を植え替えるように。そう自分を納得させた。
とはいえ、自分はいまだ新たな環境に慣れたとはいえないけれど。
しかしこの日は違った。足早に通り過ぎようと校門を出たところで
「おい、デク、無視してんじゃねえよ。ちょっと来いや」
と勝己に声をかけられ、強引に腕を取られた。
「無視なんて、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。僕に用なんてないと思って」やましくなどないのに反射的に狼狽えてしまう。「それで、かっちゃん、なんか用だった?」
「ああ?用がなきゃ呼ばねえわ、クソが。ちとツラ貸せや!」
「あの、用ならここで聞くよ。僕、早く帰って宿題しなきゃいけないんだ」
ふたりきりになってはいけないと勘が囁く。幼い頃ならともかく、今の彼には警戒せずにはいられない。
「お前帰宅部だろうが。全然時間あんだろ」
「確かにそうだけど」図星を指されてちょっと詰まる。「ノート纏めたり、オールマイトのニュースチェックしたり、やることいっぱいあるし」
と言ったが、勝己は全く聞く耳を持たない。
「ぶつぶつうるせえわ!てめえの事情なんざ知ったことか、クソが!」
引きずるようにして勝己に連れて来られたのは大橋の下。頭上を通る車の振動が橋桁に押しつけられた背中に響いてくる。
堤の上を通る人はいない。もしいても自分達の姿は橋桁の影に隠れて見えないだろう。
足元で拳大の石がごろりと転がり、バランスを崩しそうになった。
「転けてんじゃねえよ。てめえ、朝、挨拶しなかっただろ」
支えるように出久の肩に手を置くと、勝己は口を開いた。
「挨拶…?」日直で先生に呼ばれ、挨拶するタイミングがなかったな、と思い出す。「そうだった、かな。でも、僕が挨拶しても君は返してくれないし」
橋桁のひんやりした感触を背に感じながら言い返す。
「俺は挨拶しねえよ。だがてめえはしろや」
「え?なんで?返事がないのに挨拶しなきゃいけないの?」
「俺がそうしろっつったらしろや!
「わ、わかったよ。意味わかんないけど、わかったよ。これからは心がけるよ。もう帰っていいのかな?」
「ああ?あんだ、その言い草はよ。むかつくな」
どこが気に障ったのだろう。長く話せば話すほど、勝己の機嫌は悪くなるのが常だ。一刻も早くこの場を離れたいだけであるのに。
「ごめん、でも帰らせてほしい」
「口先だけで謝ってんじゃねえ、クソが!挨拶なんざどうでもいいんだよ。まだ話は終わってねえわ」
「え? どうでもいいの?」
なにがきっかけだったのか覚えていない。
さらなる数々の言いがかりに、口籠もりながらも言い返したように思う。
苛立った勝己に橋桁に強く押し付けられ、背中への衝撃に目を瞑った。その時だ。
顔の前に影が差し、唇に柔らかいものが触れた。
目を開けると、勝己の瞳が眼前にぼやけて見えた。
何が起こったのかわからなくて混乱する。
暫くして唇を重ねられたと知った。
触れ合った唇は離されることなく、角度を変えて押しつけられる。薄い唇の皮越しに伝わる勝己の体温。湿った感触。
「かっちゃん?」と問いかけた唇の隙間から、迷うように舌が差し入れられた。
入ってきた舌はくまなく口内を這い、大胆に自分の舌を絡め取る。口内を探られるくすぐったい感触。息が苦しくなると一時的に唇は離されるが、ひと呼吸するとまた塞がれてしまう。
さっきまで聞こえていた川のせせらぎの音が消えていった。橋の上を通る車の音も聞こえない。
口内でうねる水音が、内耳から大きく響いて頭を埋め尽くす。
「てめえ、顔赤くしやがって、興奮してんのかよ」
軽く上唇をつけたままに、かすれた声で勝己が揶揄う。
「違うよ、酸欠になっただけだ」
それか夕焼けのせいだ、と言い返そうとした言葉が、再び唇で塞がれて勝己に飲み込まれる。
いっそ食べ物だと思えばいいのか。そうだ、食べ物だ。口の中でこんな風に動く食べなんて、何かあるだろうか。
違和感に慣れようと耐えているうちに、頭の芯がぼうっとしてくる。
ようやく開放された。橋桁に背中を預けて、ずるずるとしゃがみ込む。嬲られた舌がふわっと痺れている。
「かっちゃん、いったいなに、あんのつもりで」
呂律のまわらない言葉で、問いかけながら顔を上げた。
目に入ったのは、荒っぽくキスを貪ったくせに、真っ赤になった勝己の顔。
荒く息を吐いて、誰にも言うんじゃねえぞと脅す余裕のない表情。
「いいな、誰かに言ったらコロスからな」
と念押しして、勝己は歩き去って行った。
橋の上を通る自動車の音が耳に戻ってきた。
出久はどちらのものともわからない唾液で濡れた唇を拭う。
勝己の考えていることがわからない。一度やって見たかったんだろうか。勝己の新しい遊びだろうか。怖くてとても聞けないけれど。
「ファーストキスだったのに酷いや」
我に返ると災難でしかない。でも殴られたり、ノートを破られるより、ずっとマシかも知れないと思った。
確かキスをする魚がいた。キッシンググラミーという名だっただろうか。雄同士が互いの口をくっつけるので、仲がいいのかと思いきや喧嘩をしているのだという。でもマツバスズメダイはツガイの雄が、求愛のためにキスをするという。
勝己はどっちだろう。いや、人と魚は違うし、考えるまでもないか。
でも、あの時、彼でもこんな風になるんだと、どこか奇妙な満足感を覚えていた。
よろっと腰を上げて立ち上がり、鞄を抱えて川縁を歩く。川面はあの頃と変わらず、鏡の欠片を散らしたように、きらきら光っている。
小さな頃ここでよく、勝己と魚やザリガニを獲ったりして遊んだ。川にざぶざぶと入って獲るのは勝己。自分はうまくできないので、たもを持つ彼の背中を見ていた。それはほんの数年前のことなのだ。
出久は橋の方を振り返った。太いワイヤーを渡した吊り橋仕様の大橋。縦に伸びた線は、空を細長い四角形に区画している。
まるで見えない怪獣を閉じ込める、巨大な檻のように。


Chapter・A


河原に行こうとかっちゃんが言った。
靴を脱いで躊躇なく川に入ってゆくかっちゃんに、自分も仲間たちも、たもを持ってついて行った。
水位は深いところでも膝までしかない浅瀬。水に浸した足がひんやりとして気持ち良かった。
かっちゃんはひょいひょいと中洲に向かって流れを渡っていく。
「待ってよ、かっちゃん」
置いていかれると焦ってしまい、川底の石に足取られて転んだ。辛うじて手を川底についたけれど、服は下着までぐっしょり濡れている。
馬鹿でえ、と振り返ってかっちゃんは笑う。だが、少しだけ歩くスピードを落としてくれた。慎重に歩いて中洲に到着し、たもを置いて座り込む。
日差しが強いおかげで、直ぐに服は乾いてきた。Tシャツの首元をめくると、皮膚の色が薄く褐色になっているのが見える。
「てめえ、もう日焼けしてんのか」
上から聞こえた声に、顔を上げて眼前を振り仰ぐ。いつの間にか、かっちゃんが立っていて自分を見下ろしていた。襟元に手をかけられ、肩までのばされる。
「は!かっこわり。こういうのは土方焼けってんだぜ」
「だって、半袖着てて日焼けしたら、皆こうなっちゃうよ。
見ろよ、と言ってかっちゃんはTシャツを脱ぐ。
「……かっちゃんは焼けてないね」
「まあな!俺は焼けたことねえよ」
かっちゃんの肌は髪の色と同じく色素が薄い。真夏でも日焼けしてるのを見たことがない。
たもを手に持ってかっちゃんは川に戻り、魚を獲りに行った。
彼を追おうと立ち上がり、川の浅瀬に足を浸す。透明度の高い水の中、幾つもの細長い影が揺らめく。
小魚だ。水草の間を縫って小さな魚たちが翻る。
半透明で大きな赤い尾鰭を持つ魚が数匹寄ってきた。動かない自分を岩か何かと思っているのだろうか。
足の周りをくるくると回遊したり、脹脛に隠れたり、まるで遊んでいるかのようだ。鱗に撫でられているようでくすぐったい。
足元をざぶんと網が掬った。
掬い上げたのはかっちゃんのたもだ。網目の中に、さっきの赤い尾鰭の魚が見える。
かっちゃんは魚ではなく、こっちをじっと見ている。
グッピーの鰭よりも赤い綺麗な紅色。
網の中で魚がぐったりとして、尾を震わせているのに気づいた。
「かっちゃん!魚、水につけてあげないと弱ってしまうよ」
焦って言う。キャッチアンドリリースの精神というわけではないが、魚は獲っても持ち帰らず、川に放してやるのが常だった。
「わーっとるわ」
しかし、かっちゃんはたもを摘んで魚をバケツに入れた。中には2匹の魚が泳いでいる。
グッピーだな」かっちゃんは言った。
「持って帰るの?」
「ああ、飼う」
皆と別れた後、追いかけてきたかっちゃんに呼び止められ、家に誘われた。
グッピーを水槽に入れるの見に来いや」とかっちゃんは言った。「うちにアクアリウムっていう、水草だけを育てている水槽があんだ。水草だけなんてつまんねえだろ。前から魚がいた方がいいって思ってたんだ」
水槽はリビングの窓際に置いてあった。かっちゃんは魚を両手に掬い上げ、水槽に入れた。
色とりどりの水草や珊瑚の林の中を、2匹の魚は気持ちよさそうに泳いでいる。
グッピー外来種だ。元々国内にはいなかった魚なんだぜ」
「かっちゃん、なんでも知ってるね」
「知んねえのかよ。こんなん常識だ」かっちゃんは得意げに言った。
「でも生態系に影響与えたりしねえから、野生化しても、ブラックバスみたいに駆除されたりしねえんだ」
「どこの川にもいるのにね」
「ああ、弱いから生かされてるんだ」
弱いから生かされている。その言葉は何故かちくりと胸を刺した。半透明の身体を揺らめかせる小さな姿。矮小さ故に存在を許された魚。
「だから、俺らが捕っても構わない魚なんだ」
水草の森から姿を現したグッピーは、赤い鰭をはためかせて泳ぎ、鼻先が硝子に触れると直角に曲がった。
魚は何故前に進めなくなったのかと、不思議に思っているかも知れない。この四角い世界にもう2匹しかいないなんて、きっと気付いてないだろう。
捉われたと知らず、いつの間にかどこにも行けなくなった魚たち。
大きな魚や鳥に狙われることのない、透明な硝子の壁に囲まれた世界と、危険に溢れた川の中とどっちがいいんだろう。
ガラス越しに見える風景は、魚からはどんな風に見えているんだろう。


Chapter・2


初めて性交したのは、3学期が始まった頃。
かじかんだ掌を擦り合わせ、マフラーで口元も覆って見上げた薄曇りの空。

その日の帰り道、足速に通り過ぎようとした勝己の家の前で、突然呼び止められた。
「よお、デク。帰宅部のくせして、随分遅え帰りじゃねえか」
凶悪な笑顔を浮かべて、勝己は玄関先に立っている。
帰宅時間をずらしていたのは、やはりバレているようだ。
キスをした日から気まずくなり、勝己と顔を合わせづらくなっていた。
勝己が何を考えて、あんなことをしたのかわからない。でもとても理由なんて聞けない。挨拶どころか、目を合わせることもできない。あれから勝己との間には、より一層距離ができていた。
あの時に感じた、形のない感情には蓋をした。
しかし、心理的な距離とは裏腹に、物理的な距離はある意味近くなっていたと言ってもいい。
勝己は交流がなかった頃から一転して、しばしば出久に絡んでくるようになった。事あるごとに出久が無個性であることを周囲に吹聴し、顔を見ればこづいたり悪態ついたり、酷くいじるようになった。
「今家に誰もいねえ。気使うこたねえ。上がれよ、デク」
勝己はクイっと顎をしゃくる。
「そうなんだ。誘ってくれて嬉しいよ。だけど、ごめん。僕用事があるし早く帰らなきゃ」
「用事だあ?どうせオタクノート書くとかだろ。ちょっと寄ってくだけだっつうんだ。時間とらせねえよ。それともなんだてめえ、俺の言うことが聞けねえのか?」
「そ、そんなことないよ、ええと、」
「他に説得力のある言い訳あんなら、言ってみろや。聞いてやっからよ」
「う……じゃあ、お邪魔します」
咄嗟に説得力のある嘘などつけない。偽るのはやめて従うことにした。仮に思いついても、断ることは許されないだろう。
久しぶりに入った勝己の家は、昔と殆ど変わってなかった。モデルハウスのような綺麗なリビングダイニング。吹き抜けの窓からの明るい光。テレビの設置してある壁はエコカラット。
ただ一つ、窓際にあったはずの水槽がなくなっている。
「なんで来た、てめえ」
背中を向けたまま、低い声で勝己は言った。
「なんでって、そんな、かっちゃんが入れって言ったから」
こっちを振り返った勝己の鋭い視線に、びくりと震える。
「は、は、俺が言ったからってか。俺の言うことなんざ、ひとつも聞かねえくせによ」
「そんなことないよ。ごくたまに、どうしても譲れないことがあるだけで」
「てめえ、ろくなことにならねえって思ってんだろ。いや、わかってんだろ。なのになんでノコノコと入ってこれんだ?」
彼は何が言いたいのだろう。来いと言ったくせに、来たことを非難されているようだ。理不尽な言葉に、怖いと思うより苛立ってきた。
「何か用があるんだよね?かっちゃん」
「用なんてねえよ」
「ないの?だったらなんで?」
返事はない。勢いでこのまま家を出た方がいいかも知れない。
しかし踵を返した途端、勝己は強く腕を掴んできた。
「誰が帰っていいと言ったよ」と言うなり、有無を言わさず出久の腕を引っ張り、リビング階段から階上に連れていく。
水槽は二階のホールの壁際に移してあった。光を反射して、天井に水面の影が揺らめいている。
勝己は水槽の前に立ち止まると、水槽をじっと見つめた。
水没した森のジオラマのような水槽。小さなぷくぷくと出る泡に押されて、中の水草が揺れる。しかし、魚らしきものは見当たらない。
「あの魚いないの?かっちゃん」
グッピーか?いるわけねえだろ。あれから何年経ったと思ってんだ。」
「そっか。2匹いたから繁殖してると思ってた」
「両方とも雄だったわ。増えるわけねえ」
「大きな水槽だし、魚増やせばよかったのに」
「他の魚なんざいらねえんだ」勝己は苛ついた口調で呟く。「ごちゃごちゃ言ってねえで来いよ、デク」
久しぶりに勝己の部屋に足を踏み入れた。
机とベッドと本棚、壁にかかってるのは時計とカレンダーのみ。飾り気のないシンプルな部屋だ。昔はゲーム機や玩具が、見えるところに置いてあったように思う。
「てめえ、なんで大人しく着いてきてんだ」
また勝己は理不尽な言葉を吐いた。
「だって、君がつれて来たんじゃないか」
「言われたから来んのかよ。嫌なら逆らえんだろ。必死で抗えよ。のこのこと来やがって、馬鹿じゃねえのか」
「え?意味がわからない。来いって言ったのは君じゃないか。矛盾してるよ。僕にどうしろって言うんだ」
「うるせえ!てめえがそんなだから俺はなあ」
いきなりベッドに投げ出された。不意打ちに面食らっているうちに、上にのしかかられる。殴られるのかと頭を庇い、目を瞑る。しかし、顔を覆った両手は剥がされ、頭上に纏められた。
「嫌なら最初から抗えよ」
凶悪な薄い笑みを浮かべた勝己は、出久のベルトを外し、ズボンを足から引き抜いた。思わぬ横暴な行為に抵抗が遅れる。
「うわ、かっちゃん!何すんだよ」
「誘っても家に入んな。引きずられても部屋に入んな。家に俺1人しかいねえってわかってんだろ!」
「何言ってんだ。わかんないよ、かっちゃん。もう帰るからズボン返してよ」
「てめえは入ってきちまったんだ。もう遅えわ」
地の底から響くような声だった。
シャツのボタンが外された。肌けた隙間から勝己の手が差し入れられる。
「なに?何してんだよ」
掌が胸をまさぐる。乳首を捏ねるように撫でられ、擽ったくて身体を捩る。
そろりと勝己が足の付け根に手を伸ばした。意を察して抵抗したものの、下着もあっさり剥ぎ取られ、脱がされた服はベッドの下に放られる。
裸の身体が勝己の視線にさらされる。恥ずかしくて落ち着かない。
「うっすい身体だな」じっと見つめて勝己は言う。
「あ、あの。何のつもりかわかんないけど、もう服着ていい?」
戸惑う出久の腕を戒めたまま、勝己は首元から腹へと肌を撫でる。内股を撫でられ、びくりとする。局部を避けるように、勝己の手が肌の上を滑る。
皮の分厚い勝己の掌は温かく、手つきは細やかだ。戸惑いつつも、摩られていると緊張が解けてゆく。
やっと腕の戒めが解かれた。しかし自由にしてくれたわけではない。勝己は押さえつけながら肌に触れ続ける。
縋るものを求めて、出久はシーツをぎゅっと掴む。
勝己はズボンの前を寛げた。シャツの裾から勃ちあがりかけたものが、ちらりと垣間見えた。
やばくないか?心の中で黄色い信号が点滅する。
予感は現実になった。下着も脱ぐと勝己は覆いかぶさって、体重をかけてきた。下半身を密着させ、剥き出しの局部を擦り付ける。
出久はびっくりして足を捩ったが、「動くんじゃねえ!」と怒鳴られ、身体が硬直した。
「直にくっつけるなんて、変な感じだね」
と平気を装って言うと、黙ってろと勝己は唸り、腰を小刻みに動かす。
柔らかくて弾力があるものが、熱を増してゆく。擦り付けられているうちに、触れ合う下肢の素肌が汗ばんできて、変に熱くなってきた。
勝己の息が荒い。デクの首元に勝己の唇が触れ、音を立てて吸い付く。場所を変えて舌先で舐めてはまた吸い付く。
顎を掴まれた。指が縁取るように唇をなぞる。
「デク、てめえは、」
と目を合わせて上擦った声で囁かれ、キスをされる。舌が唇を割るように入ってきて、口内を荒らす。息を盗まれて酸欠になりそうだ。
貪るようなキスと局部に押し当てられたもの。どうすればいい。ぼうっとして考えがまとまらない。
お互いの薄い陰毛が擦れて肌を擽る。押し当てられた勝己の性器が漲って硬くなってきたのを、自分の局部で知る。
勝己の吐息が荒い。興奮してるんだ。
硬くなったそれが、自分の局部から離された。
勝己が腰を上げたので、そり返った怒張が見えてしまった。
気づいて勝己は顔を赤くした。こっちまで恥ずかしくなって目を逸らす。
「あの、人が勃起してるのを初めて見たよ」
ここで逃げていれば良かったのだろう。だがこの時の出久は、ことが済んだと思って油断していた。
「見てんじゃねえよ!」
威嚇するように言われ、くるりとうつ伏せにされた。シーツに自分の性器がついてしまうのはいけないと焦るが、避けようがない。
しかし、すぐにそれどころではなくなった。
丸みを帯びた何かが尻の間に差し込まれ、窄まりを突いた。何度も擦り付けては、ぐっと押し付けられる。
ぞくっと戦慄した。まさか。いや、男同士だし、あり得ない。
上体をねじって振り向いた。
勝己のしようとしているのは、そのまさかに相違なかった。
「ふざけてるんだよね。真似事だよね。まさか本当に入れたりしないよね。かっちゃん」
裏返った声で尋ねたが、勝己は答えない。
「脅かそうとしてるだけだろ、ねえ、かっちゃん!」
「は?そう思うか?」
と勝己は眉間に皺を寄せ、右手で固定すると先端を強く押しつけた。くっと力を込めるかっちゃんのくぐもった声。
「や、なにを、ああ!」
ぬるっと窄まりを広げて、硬くなった勝己の陰茎が身体の中に入ってきた。
下から内部を押し上げられるような、感じたことのない感覚。
「嘘だろ、やだ、何してんだよ。抜いてよ。かっちゃん」
信じられない。キスとはレベルが違う。勝己の行動はあまりにも予想を越えていた。
「う、るせ。力抜けや、クソが」
先端から段々太くなるそれが、入り口を拡げてゆく。えらがぬるっと肉の門を通過した。もう侵入を止められない。
さっき見た勝己の屹立は相当太かった。なのにすんなり挿入されるなんておかしい。何か滑りの良くなるものを使ったに違いない。
「あ、はあ、痛いよ、こんなこと、変だよ。」
「は、だあってろ!」
逃げようとする腰を掴まれ、引き寄せられる。ゆっくりと少しだけ引き抜かれ、再度強く貫かれる。抜かれては押し込まれ、より一掃奥へと進められる。
体内に勝己の身体の一部が入ってくる違和感がたまらなくて、シーツを握りしめる。中でびくびくと震えた。別の生き物が体の中にいるかのようだ。 
動悸が耳元でうるさく脈打ってる。律動する勝己の動きに合わせるように、出久は「はあ、あ、あ、」と小刻みに喘ぎ声を上げて悶える。
「深く挿れっぞ」
笑いを含んだ掠れた声で勝己が告げる。腰をつかんでる手に力が込められた。自分の返事を待たずに肉の棒がずむっと、さらに奥に突き入ってくる。
「んっ―!」
圧迫感に声が出ない。搏動が頭を裂くように激しく鳴り響き、心臓が破れそうだ。体内を内側から抉る動きの違和感は半端ない。彼の陰毛が触れて尻に押しつけられたのを感じ、付け根まで全て納められたのだと知った。
熱いのか痛いのかわからない。勝己のものがどくどくと中で脈打ってるように感じる。
熱い息がうなじにかけられる。
「ふ、は!締め付けんな、力抜け」と掠れた声で勝己は囁く。
「無理、だよ」と答えた途端に涙が溢れた。「…なんで」
「べそかいてんじゃねえよ、クソが」
勝己の雄が引き抜かれてゆく。中が擦られてじわっと痺れが広がった。よかった。全部入れ終わったから、もう抜いてくれるんだ、と思ったがその期待は裏切られた。
油断して力を抜いたところを、一気に深く貫かれた。抉るように激しく抜き差しされ、悲鳴をあげる。
「あ、や、ああ、なんで?入ったからもういいだろ、あ、ああ!」
「クソが。動かさねえと気持ちよくなんねえだろ。てめえもわかんだろが」
だが、願いをきいてくれたのか、激しさは抑えられ、ゆっくりとした動きになった。
まるで犯している存在に支配者だと誇示するように、粘膜を擦り上げる血の通った彼の一部。
生々しい感触。焼け付くような感覚。
今だけ、今だけ我慢すればいいんだ、と揺さぶられながら、自分に言い聞かせる。好奇心を満たせばきっと気が済むはずだ。
その時、体内を痺れが駆け巡った。勝己の雄に敏感なところを擦られたらしい。はっあ、と息が漏れる。
「てめえ、感じやがったな。ここかよ」
笑うような声。気づかれた。探るように突かれて、また同じ部分を擦られる。喘ぎながら首を振る。
「あ、や、やだ、何これ、おかしくなる」
身体の中から痺れるような震えが広がり、自分の陰茎に熱が集まってきた。シーツを汚してしまわないかと気にしてしまう。それどころではないのに。
「や、はあ、ん、や、かっちゃ…」
「は!てめえ、俺のもんで感じてんのかよ。馬鹿じゃねえの」
腰が持ち上げられ、尻を突き出す姿勢にさせられる。猫の交尾のようだ。勃起し始めたそれが自重で圧迫されていたので、楽になった。
すると、勝己の指が纏わりつくようにそれに触れた。輪を作るように握って、前後に軽く扱き始める。
「え、触んないで、よ」
身体を屈めて、出久の耳元に口を寄せてくくっと笑うと、勝己は先端を爪で弾いた。同時に後孔の感じるところを執拗に責める。
浮かされたような喘ぎ声が抑えられない。さっきよりも強烈な快感による涙がじわりと浮ぶ。
「かっちゃん、そこ、なに、やめ…」
「そこは前立腺っつうんだ。てめえ、初めてで感じるとか、素質あんじゃねえのか」
何の素質だよ。と言い返したいのに、喘ぎ声混じりで言葉にならない。前と後を同時に責められて、おかしくなりそうだ。
勝己の律動が激しくなり、身体が壊れそうなほど揺さぶられる。
「くっそ。もう余裕ねえわ」
勝己が低く呻く。身体を貫く杭が身体の中で、一段と膨れて弾けたような気がした。
「はっは、ざまあみろ」と笑うように息を切らせて、勝己は背中に覆いかぶさってきた。
シャツ越しに感じる彼の肌の温み。肩にかかる吐息。臀部にはいまだとどまっている勝己の雄。
重みと体内の圧迫が漸く離され、解放された出久は身体を返して仰向けになり、勝己を仰いだ。
こんな彼を見たことがない、と思った。
いつも張り詰めて、強気にふるまう勝己の、快感に浸ったしどけない表情。
頬は紅潮し、瞳は潤んで、艶めいた、綺麗といってもいいような面差し。
勝己は装着していたコンドームを結んで捨てた。だから滑りがよかったのかと気づく。けれども何故か、体内が熱い液体に濡らされたように感じた。
勝己は再び覆い被さり、強く抱きしめてくる。
何故だろう。ほんとに何故だろう。蹂躙されたのに。どういうわけか彼をかわいいと思った。
彼の快感に蕩けた表情。それは痛みよりも勝る鮮烈な印象だった。
だから、深みに嵌っていったのかもしれない。


Chapter・B


「勝己、いずくくんが来たよ!」
玄関に出たのはかっちゃんのお母さんだ。雰囲気がよく似てる。でもそう言うとかっちゃんはすごく怒る。
「おお、上がれや。デク」
リビングに繋がるドアの向こうから、声だけ飛んできた。かっちゃんのお母さんに続いて部屋に入ると、ソファに寝転んでいたかっちゃんが起き上がった。開けてくれた隣に座る。スプリングが跳ねてかっちゃんと二の腕が触れ合う。
リビング階段に吹き抜け。大きな窓に嵌った格子が青い空を四角く切り取っている。高い天井が外国の教会みたいに思えて荘厳に感じる。窓に嵌められているのは青いステンドグラスだろうか。
白いテーブルの上には林檎や梨が盛られた果物籠。広くて整頓されたリビングは、綺麗すぎてモデルハウスのようで落ち着かない。自分の家は団地だから平面アップダウンがあるかっちゃんの家は、いつ来ても素敵だと思う。
「かっちゃん、映画見てたの?」
壁にかかった大きなテレビ外国の映画がついてるので問うた。ちらりとエッフェル塔が映った。石畳にくねるように曲がった街灯。フランス映画のようだ。
「ちげえよ。親が見てんだ。全然俺の趣味じゃねえわ。うんと古い映画だしよ」
と言いつつもかっちゃんの視線は画面に向けられている。
かっちゃんは他の友達を家には呼ばない。お母さんに禁止されてるそうだ。
一度何故なのか訊いたら、「どう考えてもあいつら呼んだら家ん中で騒いじまうだろ。あいつらとは外で遊ぶのがいいんだ」と言い、「てめえは別だからな。呼んだら来い」と付け加えた。
かっちゃんのお母さんがソーダ水を出してくれた。カットグラスの中の薄青い色。氷が溶けてチリっと鳴った。コップの表面についた水滴が光を反射して煌めく。滴り落ちる雫を指で辿る。ソーダ水は口に含むと花火のように弾けた。冷たくて美味しい。
「勝己、おやつ食べたら部屋行きな」
お菓子の入った籠をテーブルにおいて、かっちゃんの頭を叩いてお母さんが言った。
「じゃ、もうかっちゃんの部屋に行く?」
「菓子食えデク」とかっちゃんは籠を寄せてくる。「まだいかねえの。最後まで見てえし」
「やっぱりかっちゃん、この映画見てたんじゃないか。面白いんだね」
「全然面白かねえわ、クソが。つい見ちまったから、この先どうなんのか気になるだけだ」
画面の中では女装した男が病院に入り込み、病室で眠っている女性を絞殺した。まさかそうなるとは思わなかった。かっちゃんもひゅっと息を呑んでいる。
「うわあ、びっくりした。サスペンスなんだね」
「ちげえよ。バカ」
かっちゃんは即座に否定した。
「え、でも、殺人事件が起こったよ」
「この女はこいつの恋人だ」
「え、恋人なの?
「だから手にかけるんだ」
「なんで?恋人なのに?」
そう聞いたとき、彼が答えた言葉を覚えていない。かっちゃんはなんと答えたのだろう。


Chapter・3


屹立が身体を貫いた。
めりっと硬く漲った肉茎に侵入され、くっと息が詰まる。
違和感と痛みに堪えて力を抜く。さんざん嬲られた箇所は、勝己のそれを難なく呑み込んでゆく。
弛緩させれば痛みは鈍るけれど、感覚が消えていくわけではない。かえって鋭敏になり出久を苛む。熱い、固い、堪らなくなってシーツを掴む。
四つ這いにした出久の身体を手で固定して、勝己は無言で前後に腰を振り、繰り返し突き入れる。はっはっ、と駆けているように息を吐く。
もう何度交わっただろう。
勝己のベッドの上で、乳首を舐められ、陰茎を擦られ、身体を弄ばれ、動物の交尾のように貫かれる。
キスをした時から一年になるだろうか。けれども、学校での勝己の態度は変わらない。だから自分も変えられない。彼との距離は一向に縮まる気配はなかった。
なのに放課後はセックスの真似事をしている。
男同士だし恋人でもない。では僕らはなんなのだろう。
開かれたカーテンの向こうに空が見える。二重サッシの窓は閉まっているから、声は漏れないと勝己は言っていた。でも、誰かに見られてしまうんじゃないかと、気になってしまう。隣家の窓はこっちの部屋が見える位置にはないけれど、2人とも全裸なのだ。
突然、深く突き上げられた。
「んあ!」と嬌声じみた悲鳴を上げてしまった。
「おい、余所事考えてんじゃねえ」
「かっちゃ…別に僕は、何も考えてなんて、あ、あ」
「集中してねえだろ。上の空なのわかんだよ。てめえは感じてればいいんだ」
「だったらカーテンを閉めてよ。気になるじゃないか」
「だめだ。興が削がれんだろ」
身体を抉っていたものが引き抜かれた。ほっとする。やっとカーテンを閉めにいける。
「いらねえな」
身体を離した勝己は胡座をかき、ペニスからコンドームを剥がして捨てた。まだ達してないのに何故だろう。疑問に思いながら出久は起き上がる。
「おい、済んだと思ってねえだろうな、デク」
タックルするように押し倒された。うつ伏せにされ「脚を閉じろや」と命じられる。
太腿に跨った勝己は出久の尻を掴んで左右に広げた。亀頭のみを突っ込んで、引き抜いては挿れる動きを繰り返す。
雁で窄まりを何度も広げられるのは辛い。いっそ陰茎を全て挿入してくれた方がマシだと思う。堪えても声が出てしまう。
「は、は、所事なんざ考えられなくなったろ」勝己は嘲笑う。
「だから、誤解だよ、かっちゃん」
「ふん、嘘ついてもわかんだよ。ああ、ならいっそ場所変えるか。おい、降りろや」
ベッドから引き降ろされ、窓の近くの床に移動して、仰向けにされた。
「かっちゃん!」
「おら、見えねえってわかっただろ」
脚を曲げて広げられ、勝己の前で局部をさらされる。
確かに隣の窓は見えない。わかってたことだけど、そういう問題だろうか。
普段の帰宅時間なら、カーテンを閉めなくても薄暗がりになる。でも今日は半日登校だったからまだ昼間なのだ。
窄まりにあてがわれ挿入される。今度は深く入れられた。勝己はズシリと身体を重ね、ゆっくりと抽送し、唇を合わせ、深いキスをしてくる。
ベランダの上に見えるのは、秋の高く澄んだ青い空。一面にうろこ雲が広がっている。
うろこ雲は巻積雲、いわし雲とも呼ばれ、上空高くに浮かんでいて、氷の結晶でできている。さらに上空だと刷毛で描いたような薄い筋雲ができる。
あれがもし本当に魚の鱗ならば、空にはなんて巨大な魚がいるのだろう。
ベランダの手すりに、鶫が飛んできて止まった。不思議そうに首を傾げて、僕らを見ている。
生産性のない行為をしている、滑稽な僕らを。
人間だけが快楽のために行う、交尾じゃない交尾の紛い物。勝己にとってはきっと、苛むための行為でもあるだろう。
好奇心を満たせば済むなんて、間違いだった。一度したら味をしめる可能性を、なんで考えなかったんだろう。
必死で抵抗すればできたのだ。本来女性とすることなのだから。でも大人になったら、本当にこんなこと女性に出来るのだろうか。想像できない。勝己はそれを試してるんだろうか。
彼がわからない。自分がわからない。何故ここに来てしまうのだろう。
「あう!かっ…ちゃ」
「余所見すんなっつってるだろーが!」
ぐっと強く貫かれて、声を上げた。背中がしなる。勝己の動きに合わせて中を擦り上げるものが、脈打っている。
直だと違うな、溶けちまいそうだな、と勝己がつぶやく。
勝己の屹立を覆う皮膚が生々しく感じられる。締め付けると形がわかるほどに。
自分でペニスに触れようとすると、「おい、勝手に触んなよ」と手を払われた。
「かっちゃん、なんで」
「後ろだけで感じろよ」
「え?そんな、無理だよ。前も触らないと……」
「だめだ!俺のだけでいけよ。気持ちよがれよ」
威嚇するように低く言い、くっと笑うと勝己は男根を深々と捩じ込み、抽送させる。触れられないから自分のは萎えたままだ。
「おら、元気にしてやる」
「え、やだ、やめて」
勝己のしようとすることを察したが、止められない。勝己は腰を引き、隔てる膜のない剥き出しの雁で前立腺を擦り上げる。
「うあ、ああ、いやだってば」
鮮烈な刺激。全身に熱が這い上がる。
「おら!気持ちいいんだろうが。てめえの身体のこたあ、俺にはもうわかってんだ」
強制的に快感をひきずり出される。性器が熱くなり、血流が流れ込み首をもたげる。
「ケツだけでいけよ、デク」
「やだ、それだけは。それじゃまるで」
男じゃないみたいじゃないか、と思う。
デク、デク、と勝己は出久を揺さぶりながら名を呼ぶ。
心と裏腹に身体は快楽に溺れてゆく。熱が中心から駆け上がり、頭の中が白く染まった。
「は、は!後ろに突っ込まれるだけで、いくなんてよお、やらしい身体だなあ、おいデク」
「ひど、いよ」息が上がり、声が詰まる。絶頂に達してしまうなんて信じられなかった。
下腹に溢れた白濁に触れて、勝己は嘲笑する。
「てめえだけイキやがって。俺はイッてねえんだからな」
勝己は深く貫いて、奥を抉るように擦っては引き抜きそうなほど戻し、長いストロークで激しく動く。
「や、やめ」
過敏になった身体には辛い動きだった。しかし勝己は手加減してはくれない。
突き上げは次第に激しくなり、感じすぎて悶える声が止められない。激しく揺さぶられ、出久の背中がずりあがる。
深く貫いて勝己は獣のように唸った。後孔に熱い感触がじわりと広がる。中に吐精されたらしい。
汗ばんだ肌が重ねられる。ことが終わるといつも勝己は抱きしめてくる。
勝己の身体は、肩も胸も硬い筋肉に覆われてきて、ずしりと重みを感じる。1年前は少年の身体だったというのに。いまだにひょろい自分の体躯とは違う。
そういえば、勝己はつけていたコンドームをわざわざ外していた。洗わなきゃとぼんやり考える。最近つけてくれないことが多い。後始末が面倒だというのに。
勝己のやり方は、日が経つごとに身勝手になってきたようだ。
まるで追い立てられるかのように。
憔悴しているかのように。
何かを証明しようとしているかのように。
互いに気持ちいい行為だったはすなのに、どうして歯車がズレてきたのだろう。
時々抱かれていると、まるで自分が人ではなく、人の皮を被った肉袋のように思えてしまう。
「噛み付いたら殴んぞ」
と言うと勝己は口付けた。深く喘ぐ吐息を貪るように。

勝己の家からの帰り道に、遠回りをして公園に立ち寄った。臀部に慣れてしまった違和感を感じ、つつベンチに腰掛ける。
すぐには家に帰れない。母に心配をかけてしまう。自分は今きっと酷い顔をしているだろう。
密かに期待したのだ。この遊戯の行く先に。
この関係が、絡まった自分達の関係を少しは好転させてくれるのではないかと。
セックスした後の勝己は、心なしか機嫌が良くて、あたりもほんの少し柔らかい。
だから密かに期待した。
けれども、勝己は学校では相変わらず、馬鹿にしてきつくあたるのだ。放課後だけの秘密の行為は、昼間の関係を何も変えることはない。
普段と違う勝己を見れるのは、密かに嬉しかった。でも、その代償に勝己によって、自分の身体が変えられていく。
勝己の都合の良いように、開発されてゆく。お尻だけで絶頂になるなんておかしいのだ。
勝己の好奇心にたとえ悪気がなかったとしても、このまま続けていたら取り返しがつかなくなる。
そもそも友達を性欲処理の相手になんてするわけがない。自分にしたのは友達に戻るつもりなんてないからだ。
初めから勘違いしていた。なんで気づかなかった。いや、気づいているのに、気づかないふりをしていたのか。
こんなことで元に戻れるなんてどうして思ってしまったんだろう。
自分達の拗れた関係を元に戻せるなんて夢物語だったのだ。
もう止めよう。彼を避けよう。学校でも行き帰りでも目を合わせないようにしよう。帰り道にある勝己の家の前は足早に通り過ぎよう。
暫く頻繁に寄っていた勝己の家。勝己の部屋にも、きっともう来ることもない。


Chapter・C


配信映画の中にそれがあった。
思い出す。
夏の午後、空を溶かした様なソーダ水、グラスを濡らしテーブルに滴る雫。
家に遊びに行ったときに、かっちゃんがテレビで見ていた午後のロードショー
フランスの映画だった。
ベティブルー」確かそんな題名だった。
パッケージ写真は深い青い背景と頬杖をついてどこか上を見ている女性。
サスペンスではなかった。彼が言ったように恋愛映画だった。
オープニングに悲恋を予想させるサクソフォンのソロが流れた。
出会ってすぐに恋人同士となったふたり。楽しく過ごしていたのに、突然心が壊れてしまった恋人。悲しい恋愛映画だった。
何故別れなかったのだろう。悲劇となる前に。殺してしまう前に。
「フランスの恋愛映画は出会って別れるまでの話なのよ」
と母は言った。
「恋人関係の始まりから終わりまでを描くの。アメリカ映画は出会って、別れて、復縁するまでのストーリーが多いけれど。物語としてはともかく、普通は復縁するなんてあまりないわ。恋愛は一期一会よ」
「なら、辛いことになる前に手を離してしまえばいいのに。それが正しいよね」
「過ごした時が美しいほどに固執してしまうのよ。
手を離せば終わりだと思うから、ふたりの時がもう二度と戻って来ないと思うから。辛くても苦しくても、耐えがたくても、手離せないものなのよ」
だから一緒にいる時を大切にするのよ、と母は笑って言った。
関係の終わりまでを、とことんまで突き詰めて、初めて見えるものもあるのだろうか。
予測できたのではないのだろうか。
予測していても選んでしまうのだろうか。
カタストロフが待っているかもしれない
そんな底知れない世界
怖くないのだろうか。
病院に忍び込み恋人の首を締める結末。
捕まることもなく、後を追うこともなく。
彼はこの先にどうなったのだろう。


Chapter・4


背後でドアの鍵が閉まった音がした。

リビングには吹き抜けから、眩しい光が降り注いでいる。なのに、なぜか氷の城に入ったように錯覚する。
「おいデク、服を脱いで後を向いて、テーブルの前に立てや」
勝己が言った。何気なくも有無を言わせない口調。
「いやだよ。もう理由がないよ。大体、お、男同士でおかしいだろ」
「は?今更何下らねえこと言ってんだ。さんざんやっといておかしいだあ?」
「……もうやめたいんだ」
「戯言はもういい。脱げっつってんだ!」
放課後に学校の裏門からこっそり出ようとしたら、待ち伏せしていた勝己に捕まった。そのまま引きずるように、勝己の家に連れてこられて今に至る。
「てめえ、また下校時間をずらして、帰り道も変えてやがったな。裏門から出るたあ姑息なやり方しやがって。気づかれないと思ってんたんかよ」
出久は俯いた。この数日間、放課後は彼に近寄らないようにして、隠れて帰宅していた。けれど、見つからずにいたのではなく、泳がされていただけだったのか。
そうして今、逃げ道を塞がれ、無茶な要求をされている。
悪鬼のようなオーラを纏った彼を直視できない。心臓がばくばくと鳴り、身体が震える。
「なんで?しかもここはリビングじゃないか……こんなところでやるの?冗談だよね」
怖さを堪えて抗議すると、射るような眼で睨まれた。
「ああ?俺がやるっつったらやんだよ。さっさと脱げや!」
勝己の掌が爆ぜる。
この顔は本気だ。思い通りにするまで帰してくれないつもりだろう。ならさっさと済ませたほうがいい。
今だけだ。気が済めば解放してくれる。
本当にそうか?自分はまた彼の気が済めばと期待している。済むわけないと知っているのに。でも、他にどんな術があるというのか。
ゲームみたいにリセットしたくても、現実は出来やしない。
震える手でズボンを脱いで、足元に落とす。ちらっと勝己を仰ぐ。
「全部っつったろ」
ため息をつき、全裸になってテーブルに手をついた。両足の内側を蹴られ、脚を開くよう促される。
勝己の掌が尻を揉み、間を広げる。久しぶりに中心を触られて、ひっと声が出る。
「ほぐしてきてんだろうな」
「してないよ。してくるわけないだろ」
もう君とは、と言いかけて、無駄に怒らせ無い方がいいと口を噤む。
「どうやるのか、忘れちゃったよ」
「クソが……」
舌打ちして勝己は衣服を脱いだ。
明るい光の中に鍛えられた身体が現れる。下着から現れたそれは既に勃起している。
陽物を隠そうともしない、堂々とした伸びやかさ。何処かの彫像のような、均整のとれた完璧な肢体。
憧れざるを得ない身体に圧倒される。貧弱な自分との体格の違いが悔しい。自分もこんな体格なら、好きにさせたりしないのに。
「俺んち来る時は準備してこいや」
テーブルの上に上半身をうつ伏せにされ、彼の性器が中心に当てられた。すうっと血の気が下がる。
「嘘だろ、すぐに挿入するつもりなのか」
吃驚して身体を起こし、腰を捻って振り向く。
「おい、起きてんじゃねえ!後ろ向いて手つけよ」
争う暇もなく力づくで抑えられた。唾を飲み込む。手の震えが止まらない。
「怯えてんじゃねえ、クソデク。すぐに入れたりしねえよ。入んねえし」
勝己の指が後孔を突く。すぼまってんな。ローション塗ればなんとかなるか、と呟き、勝己はボトルから粘る液体を手に取る。
中に指がぬるりと入り込み、かき回し探るように蠢かされる。3本に増やされた指は、擬似的な性交のように、内壁を広げようと抽送する
治りかけの痒い瑕疵を引っ掻くように、快感がじわじわと広がってゆく。中心が熱く熟れて痺れてくる。あふっと声が漏れる。
「は!悶えてんじゃねえよ、デク」
勝己が嘲笑う。開発された身体が忌々しくも快感を期待してる。
「嫌だよ。こんなの間違ってる」
「うぜえ!正解か間違ってんのか、てめえの身体に聞いてやるわ」
勝己は自分の性器を握りこむようしてローションを塗り、再び出久の後孔に猛る性器を押し当て、強く突き上げる。
「ああ!」と叫ぶと口を抑えられた。
ぬるっと窄まりを押し拡げて入ってくる雄の印。
「はっは!黙れよなデク。外に聞こえんだろ」
「い、いきなり入れるなんて…ひど、あうっ」
突かれるたびにテーブルが軋む。上に置いてある果物籠が揺れて、林檎が転がり落ちた。
離れようとしても離してくれない。離れられない。
このままじゃ駄目なのに。入り組んで歪んで、絡まってしまった僕らの関係。間違ってると理解してるのに、深みに嵌ってしまって身動きが取れない。身体が溺れて心も道連れだ。
「距離を置こうとしてんだろ。てめえの望み通りにはさせねえ」
「距離を」置こうとしてるのは君じゃないか。という言葉は激しく貫かれた衝撃で継げられない。
「置こうとしただろうが!だが、てめえは来やがった。抵抗しもしねえで家に入ってきやがったくせに、文句言ってんじゃねえよ。てめえは迷ってんだろ。わかんだよ。てめえは俺のもんだ。何度言やあわかんだ」
「俺のものってなんなんだよ。だったら、僕は君にとって具体的になんなんだ」
出久は問うた。離れようとしても離してくれない根拠が、具体的にあるというのだろうか。
「ああ?」
「友達じゃないよね。子分なのか?家来なのか?ひょっとして奴隷とか思ってる?僕は君のじゃない。君は僕のことなんてなんとも思ってないだろ」
気のせいだっただろうか。
一瞬傷ついたような表情が、彼の顔に過ぎった気がした。
けれども、すぐに酷薄な笑いに打ち消される
「てめえなんざ、俺の、俺の玩具だ。ただの虫けらだ……」
まるで自分に言い聞かせるように彼は呟く。
「玩具…なんだ。ただ気持ちいいからなんだね。変わらないんだね、君は何も」
近づいたようでも、途方もなく離れている。空と海を分つように、どこまでも交わらない水平線に僕らは立っている。
「変わらねえのは、てめえだろうが!」勝己は怒鳴る。
「僕だって意思があるんだ。玩具になれって?僕は君の玩具じゃない」
「…ちげえわ、クソが」
引き抜かれほっとしたのもつかの間。ソファの上に引き倒され、仰向けにされて押さえつけられた。両手を封じてのしかかり、足を大きく開脚させられる。
「ちょっ、かっちゃん」
「クソデクのくせに、生意気だっつってんだ」
片足を抱え上げ、正常位で一気にずむっと深く挿れられる。背中が反るほど突き上げられる。
「ん、んー!」
衝撃で悲鳴を上げそうになるのを、必死で抑える。
勝己は強く腰を振り、引き抜いては貫いてゆく。手を拘束され、のしかかられる。彼の重さで上半身は動けない。足をばたつかせても、彼の腰を挟むことしかできない。
勝己は匍匐前進するように腰を上下させる。その動きの度に揺さぶられ、彼の肉体の一部が自分の中に食い込んでゆく。
「あ、あふ…ん」
肉壁はその形を思い出して存在を受け入れ、条件反射のように、痛みから別の感覚にすりかえる。
耳元に口を寄せて、せせら笑いながら勝己は囁く。
「何されるかわかってやがんのに、のこのついて来やがって。気持ちいいからセックスするだあ?それだけなのはてめえだろ」
「違うよ!はっ、はう」
「表情でわかんだよ。気持ちいいんだろうが。俺のもんでよがって喘いで、生意気な口聞いてるくせに、ざまあねえよな」
「したいわけじゃない……」
「はっ!嘘吐きやがれ。だったら死ぬ気で抵抗しろよ。やらねえくせに違うってのかよ」
噛み付くようにキスをされる。口内が乱暴に荒らされて苦しい。ピストン運動が激しくなる。
体内を抉られる痛みに混じる快感。
離れては触れる唇。
全身が快楽を貪ろうとする。
自分の感覚がままならない。
「デク、デク、てめえが思い通りになんのは。やってる時だけかよ。クソが。てめえは俺のなんなんだ」
勝己はデクの額に額をくっつける。温もりが伝わるけれど、近すぎて表情はわからない。
「一度だけで気が済むはずだったのに、なんで俺はてめえなんかに。なんでてめえは変わんねえままで、俺ばっかりが汚れていくんだ!虫ケラのくせに。んなこたあ、あっちゃいけねえんだ!」
勝己の叫び。助けを求める叫びだ。
分かりたくないのにわかってしまう。抵抗しようとする力が抜けてゆく。
僕は何を考えている。助けたいとでも思っているのか。この状況で。
無意識に背中にそっと腕を回していた。
勝己が動きを止めた。ほっと息をつく。
自分から遠ざけたくせに、近づいてくる。近づいていくと遠ざけようとする。
矛盾している。けれども僕もそうだ。近づいたら傷つけられるのに遠ざけられない。
「てめえ、舐めてんのか。どこまでも気に食わねえ」
折られそうなほど強く腕を掴まれた。
「思い通りにならねえなら、だったらてめえを殺しゃあいいか。なあデク」
「何を、言ってるんだ?」
「手に入ってるのに手に入らない。キリがない果てがない。なら殺すしかねえ。そんな映画があったよなあ」
子供の頃に見たフランス映画のことだろうか。題名は覚えていないけれど。
「あれは恋人同士だったよね。僕らの関係とは違う」
「俺らの関係はなんだ?ああ?」
逆に問うてくる勝己の両手が首をさする。長い指が優しく撫でる。親指で喉仏を撫でて柔らかく押す。
ゴクリと喉を鳴らす。
「本気なわけないよね。ヒーローを目指す君がするわけない」
「どうだろうなあ、デク」
勝己は貼り付けたような笑みを浮かべた。
勝己がするわけない。当たり前だ。
でも、彼の紅の瞳の色が揺れる。水の中で揺らめく魚の尾鰭ように。怖い。怖くてたまらない。
勝己はふっと笑う。
「ん、てめえ、感じてんのかよ。締めつけがきつくなったぜ」
「ちが、あ、あ、」
収縮したら、敏感な部分が勝己の屹立に刺激された。自ら誘因した快感に喘ぐ。
「はっ!馬鹿でえ」
勝己は覆い被さり、腰を打ち付ける。引き締まった身体に突き上げられ、互いの肌がぶつかりペタンペタンと音を立てる。
体内を抉り、粘膜を擦りあげて行き来する、勝己の硬い肉。隔てる皮膜がないゆえに、引っかかるように擦れる皮膚の感触。
堪えているような表情を浮かべて勝己は唸り、達すると、出久の首元に顔を埋める。
「てめえは俺のもんだ。てめえが認めようがなかろうが関係ねえ」
熱い息が言葉とともに、首筋に吹きかけられる。

誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。
よく知っている声だった。胸が痛くなるような声だった。
幾度も繰り返された交わりに疲労した身体を、ソファに横たえる。
衣服はなんとか身につけたけれど、流石にすぐには歩けない。帰りたくてもまだ帰れない。
吹き抜けの高い窓から、青い空が見える。
窓枠で長方形に区画された空。まるで檻の中のようだ。
硝子の壁に閉じ込められて出られない。水槽の中の回遊する魚のようだ。
意識がとろとろと遠のきそうになる中、誰かの手が髪に触れているのを感じた。
ごつごつした指が髪に差し込まれ、さらさらと優しい手つきで梳く。
頭の側に勝己が座っている気配はする。けれど、彼のわけがない。
きっともう夢を見ているのだ。
意識が深く深く沈んでゆく。
さらさらと、さらさらと優しい手が髪を梳く。


Chapter ・D

「見終わったし、二階に上がるか」
伸びをしてかっちゃんが言った。
「え、ここで終わりなの」
「ああ?見りゃわかんだろーが」
「でも、あの人どうなったの?わかんないよ」
「んなこた、どうでもいいんだ。サスペンスじゃねえっつってんだろ」
「そうだけど。面白かった?」
「面白くねえよ。でも何言いたいのかはわかる」
「えー、じゃあ、教えて。かっちゃん。最後しか見てないけれど。恋人なのになんであんなことしたの」
悪い人間ではないのに、普通の人なのに、愛する人を手にかけるなんて理解できない。
かっちゃんはこちらに顔を向けた。じっと見つめてくる。
「当たり前だろ。こいつのもんだったんだから」
静かな声でかっちゃんは答えた。
「え、だったら、なんで、殺したりするの」
「こいつのもんだってことを忘れたりするからだ」
「好きだったのに?その気持ちはどこに行ってしまったの」
「そのままあんだよ。消えてねえからこそあいつはやったんだ」
「そんなの、怖いね」
底知れない何か、そんなものに囚われることがあるのだろうか。
「この人の気持ちがわかるの?」
「ああ、まあな」
「かっちゃんもそうなるかも知れないの?」
座面についた手にかっちゃんの手が重ねられた。
「馬鹿かてめえは。わかるってだけだ。そんなことにはならねえ。なるわけねえだーが」
指を組む様にしてぎゅっと手を掴まれる。
「絶対にな」
そう言って、かっちゃんは青いソーダ水を飲み干した。

映画のエンディングで流れたのは爽やかな弦楽器の旋律。
劇中でヒロインがピアノで辿々しく引いたメロディと同じ曲。
映画の意味はわからなかったのに曲は覚えている。明るくはなく、物悲しくもない。
草原を吹き渡る口笛のような、耳に残って離れない音楽。
夏の午後にかっちゃんと一緒に聞いた。
こんな綺麗な曲を僕は他に聞いたことがない。

それは泡沫だったのかも知れない
泡の影に垣間見えた底知れない未来 
弾けては消え舌を刺す泡の粒のように
青く揺蕩うソーダ
空を切り抜く窓硝子
水底のような瑠璃色の空
冷えたグラスと掌の温もり


Chapter・5


ぶうんと何かが振動している
つぷつぷと泡が弾ける音がする
えらから酸素を取り込む
鰭を動かして水をかく
口を開け水とともに何かの粒を吸い込む
プランクトンではないが食べられるものらしい
濫立する鮮やかな緑の水草の向こうに一匹の魚が見え隠れする
赤い立派な尾鰭を持った雄だ
彼は悠然と泳いで水草に隠れてしまう
このところ彼ばかりをよく見かける
危険な大きな魚もザリガニも見かけない
こつんと口が何かに当たった
透明な何かが前にある
氷だろうか
このあたりの川にはやけに氷が多い。
しかも天を覆うのではなく川の中に垂直に張っている
尾鰭を振って進路を変えて海藻の中に入る
彼がいた
彼はぱくぱくと口を開けて身体をつついてくる
争うためではない
遊んでいるのだ
腹を、鰭を、鰓を身体中をつついてくる
こっちも軽くつつきかえす
口をくっつけてくる
離れては再びくっつける
水草が揺らめいている
つぷつぷと泡が弾けて天に昇ってゆく

 

END

ソーダ色の思い出(「放課後遊戯」から)

f:id:hiten_alice:20210723102633j:plain

「勝己、いずくくんが来たよ!」
玄関に出たのはかっちゃんのお母さんだ。雰囲気がよく似てる。でもそう言うとかっちゃんはすごく怒る。
「おお、上がれや。デク」
リビングに繋がるドアの向こうから、声だけ飛んできた。かっちゃんのお母さんに続いて部屋に入ると、ソファに寝転んでいたかっちゃんが起き上がった。開けてくれた隣に座る。スプリングが跳ねてかっちゃんと二の腕が触れ合う。
リビング階段に吹き抜け。大きな窓に嵌った格子が青い空を四角く切り取っている。高い天井が外国の教会みたいに思えて荘厳に感じる。窓に嵌められているのは青いステンドグラスだろうか。
白いテーブルの上には林檎や梨が盛られた果物籠。広くて整頓されたリビングは、綺麗すぎてモデルハウスのようで落ち着かない。自分の家は団地だから平面アップダウンがあるかっちゃんの家は、いつ来ても素敵だと思う。
「かっちゃん、映画見てたの?」
壁にかかった大きなテレビ外国の映画がついてるので問うた。ちらりとエッフェル塔が映った。石畳にくねるように曲がった街灯。フランス映画のようだ。
「ちげえよ。親が見てんだ。全然俺の趣味じゃねえわ。うんと古い映画だしよ」
と言いつつもかっちゃんの視線は画面に向けられている。
かっちゃんは他の友達を家には呼ばない。お母さんに禁止されてるそうだ。
一度何故なのか訊いたら、「どう考えてもあいつら呼んだら家ん中で騒いじまうだろ。あいつらとは外で遊ぶのがいいんだ」と言い、「てめえは別だからな。呼んだら来い」と付け加えた。
かっちゃんのお母さんがソーダ水を出してくれた。カットグラスの中の薄青い色。氷が溶けてチリっと鳴った。コップの表面についた水滴が光を反射して煌めく。滴り落ちる雫を指で辿る。ソーダ水は口に含むと花火のように弾けた。冷たくて美味しい。
「勝己、おやつ食べたら部屋行きな」
お菓子の入った籠をテーブルにおいて、かっちゃんの頭を叩いてお母さんが言った。
「じゃ、もうかっちゃんの部屋に行く?」
「菓子食えデク」とかっちゃんは籠を寄せてくる。「まだいかねえの。最後まで見てえし」
「やっぱりかっちゃん、この映画見てたんじゃないか。面白いんだね」
「全然面白かねえわ、クソが。つい見ちまったから、この先どうなんのか気になるだけだ」
画面の中では女装した男が病院に入り込み、病室で眠っている女性を絞殺した。まさかそうなるとは思わなかった。かっちゃんもひゅっと息を呑んでいる。
「うわあ、びっくりした。サスペンスなんだね」
「ちげえよ。バカ」
かっちゃんは即座に否定した。
「え、でも、殺人事件が起こったよ」
「この女はこいつの恋人だ」
「え、恋人なの?
「だから手にかけるんだ」
「なんで?恋人なのに?」
そう聞いたとき、彼が答えた言葉を覚えていない。かっちゃんはなんと答えたのだろう。
 
配信映画の中にそれがあった。
思い出す。
夏の午後、空を溶かした様なソーダ水、グラスを濡らしテーブルに滴る雫。
家に遊びに行ったときに、かっちゃんがテレビで見ていた午後のロードショー
フランスの映画だった。
ベティブルー」確かそんな題名だった。
パッケージ写真は深い青い背景と頬杖をついてどこか上を見ている女性。
サスペンスではなかった。彼が言ったように恋愛映画だった。
オープニングに悲恋を予想させるサクソフォンのソロが流れた。
出会ってすぐに恋人同士となったふたり。楽しく過ごしていたのに、突然心が壊れてしまった恋人。悲しい恋愛映画だった。
何故別れなかったのだろう。悲劇となる前に。殺してしまう前に。
「フランスの恋愛映画は出会って別れるまでの話なのよ」
と母は言った。
「恋人関係の始まりから終わりまでを描くの。アメリカ映画は出会って、別れて、復縁するまでのストーリーが多いけれど。物語としてはともかく、普通は復縁するなんてあまりないわ。恋愛は一期一会よ」
「なら、辛いことになる前に手を離してしまえばいいのに。それが正しいよね」
「過ごした時が美しいほどに固執してしまうのよ。
手を離せば終わりだと思うから、ふたりの時がもう二度と戻って来ないと思うから。辛くても苦しくても、耐えがたくても、手離せないものなのよ」
だから一緒にいる時を大切にするのよ、と母は笑って言った。
関係の終わりまでを、とことんまで突き詰めて、初めて見えるものもあるのだろうか。
予測できたのではないのだろうか。
予測していても選んでしまうのだろうか。
カタストロフが待っているかもしれない
そんな底知れない世界
怖くないのだろうか。
病院に忍び込み恋人の首を締める結末。
捕まることもなく、後を追うこともなく。
彼はこの先にどうなったのだろう。
 
「見終わったし、二階に上がるか」
伸びをしてかっちゃんが言った。
「え、ここで終わりなの」
「ああ?見りゃわかんだろーが」
「でも、あの人どうなったの?わかんないよ」
「んなこた、どうでもいいんだ。サスペンスじゃねえっつってんだろ」
「そうだけど。面白かった?」
「面白くねえよ。でも何言いたいのかはわかる」
「えー、じゃあ、教えて。かっちゃん。最後しか見てないけれど。恋人なのになんであんなことしたの」
悪い人間ではないのに、普通の人なのに、愛する人を手にかけるなんて理解できない。
かっちゃんはこちらに顔を向けた。じっと見つめてくる。
「当たり前だろ。こいつのもんだったんだから」
静かな声でかっちゃんは答えた。
「え、だったら、なんで、殺したりするの」
「こいつのもんだってことを忘れたりするからだ」
「好きだったのに?その気持ちはどこに行ってしまったの」
「そのままあんだよ。消えてねえからこそあいつはやったんだ」
「そんなの、怖いね」
底知れない何か、そんなものに囚われることがあるのだろうか。
「この人の気持ちがわかるの?」
「ああ、まあな」
「かっちゃんもそうなるかも知れないの?」
座面についた手にかっちゃんの手が重ねられた。
「馬鹿かてめえは。わかるってだけだ。そんなことにはならねえ。なるわけねえだーが」
指を組む様にしてぎゅっと手を掴まれる。
「絶対にな」
そう言って、かっちゃんは青いソーダ水を飲み干した。
 
映画のエンディングで流れたのは爽やかな弦楽器の旋律。
劇中でヒロインがピアノで辿々しく引いたメロディと同じ曲。
映画の意味はわからなかったのに曲は覚えている。明るくはなく、物悲しくもない。
草原を吹き渡る口笛のような、耳に残って離れない音楽。
夏の午後にかっちゃんと一緒に聞いた。
こんな綺麗な曲を僕は他に聞いたことがない。
 
それは泡沫だったのかも知れない
泡の影に垣間見えた底知れない未来 
弾けては消え舌を刺す泡の粒のように
青く揺蕩うソーダ
空を切り抜く窓硝子
水底のような瑠璃色の空
冷えたグラスと掌の温もり
 
 
END
 
 
 

2度ならコイだぜ

f:id:hiten_alice:20210729182825j:plain


「すっげえ見晴らしいいな!」
「おい、乗り出すなバカ」
闇に手を伸ばすユイトの腕を、シデンは乱暴に引っぱる。
「窓に硝子はないんだ。力をかけると真っ逆さまだぞ」
「あ、ああ、っぶね。わりい、シデン」
「言ったはずだぞ、間抜け」
「うう、そこまで言わなくても」
シデンがユイトを誘って訪れたのは夜の廃都のタワー。もう使われていない高層エレベーターにシデンの脳力で通電して、最上階に登ってきた。窓枠は残っているが、屋根はなくなっている。
遠くニューヒムカの街の光が煌々と灯り、手前には人のいない街が闇の中に広がる。人がいないから怪異もいない。1人になれるお気に入りの場所だ。
「音が全然なくて静かで、別の世界みたいだな。連れてきてくれてありがとう。シデン」
「ふん、気にするな。カメラの礼だ」
奴は人に物を贈るのが趣味らしい。最初は誰が受け取るものかと思ったが、絶妙にポイントをついたプレゼント故につい受け取ってしまう。わざわざ自分の嗜好を調べたのかと思うと無下にはできない。
「星すごいな。ニューヒムカの街中じゃこんなに沢山見れないよ。灯りが眩しすぎるもんな」
ユイトにつられて空を見上げる。星はまるで頭のすぐ上で瞬いているように見えた。触れれば水盆のように波紋が広がりそうだ。
「触れられそうだね」とユイトが言う。同じことを思っていたのが癪に触る。擽ったくもある。
「ニューヒムカの上に月が見えるよ、シデン」
「ああ、今夜は満月だな」
作り物めいた青褪めた月が、巨大なアドバルーンのように街を見下ろす。
「あそこに人が住んでるなんて信じられないよ」
月の住人。二千年前に隔てられた人々。
「もう俺たちと同じ姿なのかもわからないな」ユイトがポツリと言う。
「そんなことないだろ。カゲロウは僕たちと同じ容姿だろうが。二千年ぽっちで…」
と言いかけて止まる。その進化の過程をすっ飛ばして現れたのが怪異だ。獣因子に壊された人の成れの果て。
ふと、指先に冷たいものが触れた。星の水盆に触れてしまったのかと一瞬錯覚する。
「わ、雨だ、シデン!」
「くそ!戻るぞ。」
「まだパラパラってくらいだし。まだ大丈夫だろ?」
「バカが!雨で水溜りができると、僕の超脳力で帯電しちまうだろ。側にいる人間は痺れるだろうが」
「え、そうなのか」
「水のある場所で放電して広範囲に攻撃できるってことは、つまりそういう状況なら危ないってことだ。いつも放電してるわけじゃないがな」
「わかった。とりあえず屋根のあるとこに行こう」
エレベーターに通電して乗り込み階下に降りた。暗闇の中、電灯を探していくつかの光を灯す。ここは広場のようだ。上は吹き抜けになっているが、高いところまで光は届かない。
「お前の超脳力、ほんとに便利だな」
「うるさい!こんなみみっちいことに使いたくないんだ、僕は」
雨はあっという間に粒を増し、地面を勢いよく叩く。
「スコールみたいだから、すぐ止むだろ」
灯りに浮かび上がるユイトの輪郭。その手がするりと伸びてシデンの頬に触れた。
「おい、触るな!」
「あ、ごめん。濡れたかなと思って。嫌だった?」
「いや、嫌ってわけじゃない。不用意に僕に触れると痺れるからな」
「そっか、嫌がられてなくてよかった」
ほっとした口調に少し苛立つ。不意の接触に慌ててしまったが、わかるだろうが。誰が嫌だと思う奴をお気に入りの場所に連れて行くものか。
「僕が嫌だといつ言った」
「いや、俺が気に食わないって態度に現れてただろ、お前」
「あの頃のお前は無能だったろうが。今は少しはお前を認めてやらんこともない」と言って照れが出る。
「ん?ん?それって俺を認めてくれてるってことだよな」
「調子に乗るな!」
薄灯りに照らされた隣に座るユイトの横顔。短い間に子供の面影を残した顔が精悍さを帯びている。辛い戦いの中で得たものだ。
「俺ベルペッパーだって言ったろ」
眼差しを宙に向けて、ユイトは口を開く。
ベルペッパー。超脳力を付加された元無能力者。
「もしも、超脳力がいつかなくなったら、スカーレットネクサスにもいられなくなるよな」
「そうだろうな。お前は拍子抜けするほどにあっけらかんとしていたが、そういうことだ」
生まれながらのベルペッパーではない者が突然超脳力を無くしたら。思っただけで身震いする。そんな恐怖をユイトは抱えてゆくのだ。
「お前、今頃怖くなったのか」
「いや、それはないんだ。考えたって今やる事精一杯やるだけなのは変わらないし、そうなってもなんとかなるって気がする」
「お前らしいな。呆れるほど楽観的だ」
「でも、時々思うんだ。街の広告とか看板とか、昔はケバいな、視界に入ってきてうるさいし、無い方がさっぱりするのになと思ってたんだけどさ。ベルペッパーに戻ると全部見えなくなるんだよな」
「らしいな。日常の視界が変わるだろう」
「惜しいなんて全然思った事ない。思わないのに、なんでだろう」
シデンはユイトを見つめた。雨の音が激しくなった。雷鳴が轟き、吹き抜けのホールに反響する。
ユイトは顔をあげてシデンに微笑んだ。
「でもさ、今日お前とここに来て、星を見て。広告とか見えなくなると、ニューヒムカの街の中でも星がよく見えるかなって。それも案外悪くないかもって思ったよ」
「そうか」
「ありがとう、シデン」
混じり気のない素直な感謝の言葉。頬に熱が上がるのを感じる。きっとわかるくらい赤くなっているに違いない。薄暗いのは幸いだ。
「案外女々しい奴だな」つい憎まれ口を叩いてしまう。
「なんだよ、悩むだろ普通」
「お前がお前らしさをなくすなら、所詮そこまでの奴だということだ」
「お前さあ、言い方」
立ち上がったユイトが反論仕掛けたその時。
閃光が差し込み、空が破れたかと思うほどの雷鳴が轟いた。
「うわあ!」とよろけたユイトの身体がシデンに覆い被さる。
目の前のユイトの顔。見開かれた瞳。
そして、唇に触れた柔らかな熱。
電灯が消えた。
暗闇の中で唇の感触だけがあった。少し離れてまた重なる。ユイトの身体の重み。自分の手の平が静電気を帯びているのがわかる。ユイトの身体に腕を回したら驚かせてしまうかもしれない。
触れている唇を離したくない。
雨の音は聞こえない。
再び閃光が差し込んだ。唇が迷うようにそろりと離れた。
「重い。どけよ、ユイト
どのくらい時が過ぎたのか。
「あ、ごめん」ユイトはもう一度繰り返す。「ごめん」
「謝ることなどない」シデンも繰り返す。「ないんだ」
灯りはつけなかった。
 
「なんだよ、シデン、何怒ってるんだ」
「ええい、気安く僕に触るな!」
アジトにて。昨日の今日だというのに、ユイトは平然とした調子で話しかけてきて、その上肩を組んできた。こっちはどんな顔をして会えばいいのかと悩んで、眠れなかったというのにだ。
「別に俺悪い事したわけじゃないだろ、俺たちの昨日廃都に行って…」
「黙れ!それ以上言うな」
「シデンはなかったことにしたいのか。それなら俺は従うよ」
「ふざけるな!忘れようってのか。貴様のそういうところが我慢ならないんだ」
「なんなのお前。一体俺にどうしろって言うんだよ?」
ヒートアップしたせいでプラズマが散った。「痴話喧嘩はその辺にしておこうぜ」とカゲロウが止めに入ってきた。今になって周りが呆れ顔で見ているのに気づく。「忘れなくていい」とユイトに呟いてシデンはその場を離れた。
「俺で良ければ相談にのるぜ」
カゲロウがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「余計なお世話だ。別に相談したいことなどない」
「1度なら事故、2度ならコイだぜ」
「な、恋だと?バカ言うな。あり得ない」
「いや故意、偶然って意味だってんだがな。ほほお、そうかそうか」
にやけ顔のまま透明になり、カゲロウは空気に溶け込むように消えた。
「恋だと、バカバカしい。あり得ない」
シデンは痺れる手の平を見つめた。
 
 
END

 

インフォメーション2021年4月~

最新情報です。下に行くほど新しいニュースです。母艦サイトのINFOや自作創作小説カテゴリー に内容紹介文を詳しく載せてます。

母艦サイトへのリンク→BLUE HUMAN

2021/04/26 勝デク小説「輝くもの天より墜ち(R18版)」「輝くもの天より墜ち(全年齢版)」UPしました。

2021/07/29 スカーレットネクサスの小説「2度ならコイだぜ」をUPしました。

2021/10/14 勝デク小説「ソーダ色の思い出(「放課後遊戯」から)」をUPしました。