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蜃気楼の灯火(全年齢バージョン)

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俺はお前に期待しない。そんな人間がひとりくらいいた方がいいだろう?
 比企谷はそう言った。君を嫌いだと言った俺の言葉に俺もお前が嫌いだと返してくれたように。
 俺は誰も選ばない。君以外は。言外の意味に気づかない君ではないだろう。皆には優等生を続けても君がいてくれるなら耐えられる。君にだけは怒らせ嫌われたとしても本音でいたい。
 ポケットに手を突っ込んだまま振り返る君。地面に落ちる長い影。赤い夕焼けの中で金の光に縁取られた輪郭。幻のように蜃気楼のように。


 目を覚まして温もりに気づく。身体を起こした葉山は隣で眠る比企谷を見下ろす。薄いカーテン越しに陽が部屋を薄明るくしている。
 比企谷はセックスした後は体力が尽きていつも泊まってゆく。俺が際限なく貪ってしまうからなのだけれど。いや、わかっていて疲れさせているんだよな。君がこんなに側にいる。無防備に俺に寄り添っている。
「比企谷、俺は幸せだよ」
 髪に触れていると比企谷が目を覚ます。
「いつから起きてた」
「起きたのはついさっきだよ」
 葉山は言う。
「帰んなきゃ」
「俺の服着れば?一緒に出ようよ。どうせ同じ大学に向かうんだから。」
「ぜってーやだ」
「いつも思うんだけど。着替え少しここに置いてけばいいじゃないか。どうせ来るときは泊まってくんだから」
 比企谷は少し間を置いて返事をする。
「小町が心配する」
 昨日の服に着替えると比企谷は「じゃあな」と玄関を出てゆく。
 比企谷を見送りながら 葉山は髪をかきあげる。ようやくここまで来たんだ。焦るな。そう自分に言い聞かせる。

 君が俺に壁を作って俺を切りそうになるたびその壁を崩してきた。怒らせて苛ついてそれでも懸命に絆を繋ぎ止めようとした。君だけはなくしたくないという衝動に囚われていた。避けられても押しかけるし嫌われようと踏み込む。一方通行でも感情の押し付けでも構わない。人に好かれたい、嫌われたくないのが俺であったのに。好かれたいわけではないと、ここで引くくらいなら嫌われても構わないと、自分の衝動が優先した。君のことでは俺らしくなくなくなる。君だけが、君だけをと。それがどうしてなのかはわかっていた。
 高校を卒業して比企谷は俺と同じ大学に入った。というより入らせた。何処でもいいと言い、上の大学に行く意欲が微塵もなかった比企谷。一緒に受験勉強をすると言うと比企谷の家族に大いに歓迎された。渋面を作る比企谷を何処でもいいなら俺と同じでもいいだろうと説き伏せた。その名目で比企谷を繋ぎ止めるためだ。
 勉強には図書館のほか比企谷の家にも通い俺の家にも誘った。部屋で勉強するときは物理的に段々距離を縮めていった。向かい合わせから隣に。肌が触れる体温を感じる距離を不自然に思わせないように。
リア充はなんでやたら距離が近いんだよ」と文句を言っていた比企谷も段々慣れて何も言わなくなった。
 
 大学の試験に二人とも合格した翌日、葉山は比企谷を家に来ないかと誘った。部屋で2人ベッドを背もたれにして並んで座る。
「もうお前とお勉強しなくていいと思うとせいせいするな」
「ああ、俺も安心だ。これで君と大学も一緒だしね。4年間よろしく」
 比企谷は苦笑いをする。
「まあ、例えお前でも知ってる奴がいるってのは、まあ」比企谷は口籠り、言葉を続ける。「小町も親も嬉しそうだったし、その、お前に借りができたな」
「借りか」葉山は手に持っていたコップをテーブルに置く。「じゃあ借りを返してくれるかい」
 葉山は比企谷の正面に移動して身体を跨ぐと比企谷の顔の両サイドに手をつく。
「葉山?」
 比企谷は訝しげな表情を浮かべる。
「俺は君が好きみたいなんだ」葉山はそう告白しキスをする。「なんとしても一緒の大学に行かせたいと思ったくらいに」
 目を丸くして硬直している比企谷に何度か軽くキスをして聞く。
「嫌かな?」
「え、ちょっとよくわからないんだが」
 また唇を重ねて息継ぎのため開いた唇の隙間から舌を差し入れる。段々キスを深くしてゆく。首元に顔を埋め首筋にキスをする。言葉を紡ごうとするのをまたキスで口を塞ぐ。比企谷の身体をベッドサイドの床に倒しシャツのボタンを外してゆく。タンクトップをたくし上げて肌に唇を這わせる。比企谷の足がテーブルを蹴りコップが倒れて雫が床に滴る。
「葉山、コップが倒れた。溢れてる」
比企谷が上擦った声で言う。
「後でふけばいいよ。気をそらすなよ」
終電の時間を過ぎる頃にやっと比企谷を解放する。散々身体を暴かれて比企谷はぐったりとして動かない。
「帰れない、どうしてくれるんだ」
 と彼は言う。
「泊まってけばいい」と言うと少し間があって、
「そうするか」と比企谷は答える。
 俺は君を手に入れたとそう思っていた。

 新学期になり大学生活が始まった。通うには時間がかかるからと葉山は一人暮らしを始めた。比企谷は遠くても自宅から通うという。教科によっては比企谷と別々になるがクラスが同じのものではなるべく側にいるようにした。
「あっち行けよ。お前といると目立つ」と言う比企谷に「交友関係でもう無理をしたくないんだ」と葉山は答える。
「一緒にいたいからいるんだ」
 付き合いたい人と付き合う。したいようにしていいんだと。君が俺のものになってからそう思うようになった。
 比企谷は帰宅部にはならず文芸部に入った。高校の時の奉仕部のことから彼なりに思うところがあったのかも知れない。もっとも思ったところとはかなり違う賑やかな部活だったようだが
「材木座や海老名さんみたいなのばっかりだ。五月蝿くてしょうがねえ、面倒くせえ」
 と文句を言いながらも楽しんでいるようだ。
 葉山は高校の時と同じくサッカーに入部した。葉山の方が帰宅時間が遅いことが多く、初めの頃は比企谷はさっさと帰ってしまっていた。だが一方的でも約束をすると比企谷は律儀に守ってくれることがわかった。
 部活が終わると図書室にいる彼を見つけに行く。
「やあ、待たせたね」と言うと「待ってねえよ。たまたまだ」と返される。
 一緒に帰ると大抵比企谷は俺の家に来て泊まっていく。でも何度着替えを置いていけばと言ってもここはお前の家だと言い自分の物を決して残していかない。少し引っかかったがそれは彼のポリシーなのだとそう思っていた。

「小町ちゃんは家を出るのか」
「ああ、大学遠いから近くに部屋を借りるんだそうだ」
 土曜日の大学からの帰り道、葉山はそのまま比企谷を家に連れてきた。
「だから今日は帰るからな。あいつ明日は親と家具とか揃えに行くんだ」
 比企谷はベッドを背凭れにして買ってきた本をめくっている。
「君は行かないのかい」
「俺は留守番。折角の日曜日なんだし1人でのんびりしたいしな」
「そうか、なら明日君の家に行っていいかい?」
「1人でのんびりするって言わなかったか」
「1日家にいるんだろ。時間は何時でもいいよな」
「葉山、人の話聞いてるのかよ」
 葉山は少し考えて比企谷ににじり寄る。
「もう比企谷は小町ちゃんに面倒見てもらえないんだな。」
「小町もそう言ってたけどよ。別に心配ねえし」
「比企谷、一緒に暮らさないか」
「嫌だ」
 そう言うと比企谷に即座に断られる。釈然としない。大学に通うより借りた方が効率がいいはずだ。家賃だって折半にすれば電車代より安くなるくらいだ。今までは小町ちゃんのためかも思っていた。その心配もなく比企谷の家の方針でもないなら何故なんだ。もう2年も経つんだ。そろそろ先へ進んでもいいんじゃないのか。
「家を出てもいいんだろう。何の問題があるんだ」
「俺家が好きだし」
「通うの遠いって文句言ってたじゃないか。近くに借りた方が楽だろ」
「それはそう思ったこともあるけどな」
 目を逸らし言い訳じみた比企谷の物言いに苛立ち問い詰める。
「こっち向けよ。他に理由があるのか」
 両肩を掴み見据える。比企谷はやっと口を開く。
「2人で暮らす生活なんてものに慣れたくないんだ」
 そう言い目を上げる。
「俺は慣れるとその生活にしがみついてしまう。変えたくないと思ってしまう。行き来する付き合いならいつでも」
「終わりにできるってことか」
 比企谷の言葉に声が震える。
「そうは言わねえけど。気持ちなんて変わるだろ。あんまり耐性ねえからな俺は。用心に越したことはねえ」
 比企谷は言いながら視線を逸らす。
「俺が信用できないのか」
 比企谷の肩に置いた手に力が篭る。
「お前の気持ちだって変わるし、俺の気持ちだって変わるぞ」
「変わらないよ。変えない。変えさせない。俺が信じられないのか」
 どれだけ君を手に入れるために苦労したと思ってるんだ。今更手放すものか。誰にも奪われるものか。
「お前を信じてないわけじゃない。期待してないだけだ」
 葉山は凍りつく。あの時君は期待していないと言った。それはそんな意味だったのか。「お前みたいなリア充の何処を期待しろっていうんだ」
 比企谷は不敵に笑う。彼はわざと怒らせようとしている。怒らせて終わりにしようとしている。それがわかってるのに、手の内だと見え透いているのにどうしても腹がたつ。
「君が嫌いだ」
 そう口にすると比企谷の瞳が揺らぐ。
「そうだろ」
 彼は口元を歪ませて笑う。
「だから君の思いどおりにはしない」
「え、どういう意味だ」
 葉山は戸惑う比企谷の肩を掴んだまま押し倒す。
「俺が飽きるまで君は俺のものだ。君に選択権はないよ」
 組み伏せた比企谷の身体が竦むのがわかる。俺は君が好きだ。君も俺が好きなんだろう。それなのに諦めるなんてできない。

「平塚先生は言ったんだ。俺は傷つくのは慣れてるが、周りの人間は俺が傷つくことに耐えられないってな。俺はそれから気を付けてきたつもりだった。お前が教えてくれたことでもあるんだぜ」
 息を整えながら比企谷は言う。
「比企谷」
「俺は傷つけようとして傷つける。どう言えば人が傷つくか俺にはよくわかってるからな」
 比企谷は衣服を身につけてゆく。それが鎧を纏っていくように思える。
「でも俺の考えの外で怒る奴がいて、お前はいつもそうだ」
 比企谷は俯く。
「お前を傷つけてるつもりはないんだ。全然。なんでお前はそんな顔をするんだ」
「どうして君はそれがわからないんだ」
 葉山は言う。
「今は居心地がいいんだろうな。お互い。でもこれがずっととかねえだろ」
「なんでそう思うんだ」
「俺にもお前にもこれは本物じゃない」
 カッと頭に血がのぼる。葉山は玄関に向かう比企谷に駆け寄ると胸倉を掴みドアに押し付ける。比企谷は驚いて目を見開く。
「君の言う本物ってなんだ」
 襟元を締められて比企谷は葉山の腕を叩く。
「離せよ、葉山」
「今を偽物だって言うのか。なら本物なんて俺はいらない」
 そう怒鳴ってから葉山は苦しそうな比企谷に気づき手を離す。比企谷は咳き込むと直ぐにドアを開ける。
「とにかく一緒に住むとかねえから」
 言い捨てて走り去る比企谷の背中を見えなくなるまで見送る。ドアを閉めると葉山はズルズルと玄関に座り込む。
 俺の家に何も置いていかないのはそういうことか。君は俺に何も残さないつもりでいるのか。いつか俺とのことを終わりにして忘れるつもりでいるのか。
 あの頃君が嫌がっても俺はどうしても余計なお世話をせずにはいられなかった。君が人を傷つけると呼んでいる犠牲的な行動に怒らずにはいられなかった。返す刀でいつも君の方が傷ついているのに苛立った。その意味を考えもせずにした行動が、抑えられない衝動が、意味するところは明らかだった。
 俺は君が気になってしょうがなくて、君にも俺を気にして欲しかった。友達といるのは純粋に楽しいけれど君にはいつも心が掻き乱される。苦しいのに関わりたくて、関わっては傷ついて。わざわざ焼かれるために火に飛び込む羽虫のように俺は君に近づいた。
 それでもいつしか君が俺をまっすぐに見てくれるようになった。嬉しかった。認めあうけど君にはなれない。それでも心が通じ合える。互いにそんな確認をしてそれで満足するはずだった。けれども、俺はそれだけでは済まなかった。
 赤い夕焼けを共に眺めたあの日。分かり合えたと思うと同時に俺は君が欲しくなった。どうしても手に入れたくなった。俺をどう思っているかわからない相手にはどうすればいいのかわからない。だが好感を抱いてくれる相手を掌握するのは俺には容易いことだ。好意に対して君が好意を返してくれるなら俺が優位に立てる。奸計を弄すれば対人関係に疎い君を手玉に取れるのではないか。君の心も身体も絡め取る。君を永遠に繋ぎとめる。それができるかもしれない。俺にはできる。
 気になってるだけだった時には可能だなんて思いもしなかった欲だった。止めようもない誘惑だった。

 翌日は朝から雨の降りだしそうな黒い重たい雲が空に広がっていた。葉山は比企谷の家の呼び鈴を押す。インターホンから比企谷の声が返事をする。
「やあ、昨日はごめん」
 と言うと比企谷は少し間を置いて
「ああ、俺も」
 と答える。
「わざわざ来たんだ。まあ上がってくか」
 と比企谷がドアを開けて顔を出す。
「小町ちゃんはまだ帰ってないのかい?」
 リビングのソファーに座り葉山は聞く。
「今日は親と家具を選びに行くって言ったろ」
「そう言ってたね」リビングを見回して葉山は言う。「比企谷の家に来るのは久しぶりだな。卒業してから会うのははいつも俺の家だった」
「そうだな」
「比企谷の家には家族がいるから俺のところでいいと思っていたしね」
 そのことに不満はなかった。何の疑問も持っていなかった。今までは。
 飲み物を入れると言い比企谷はキッチンに向かう。葉山は立ち上がり比企谷の後を追う。
「座ってろよ何がいい?はや」
 振り返る比企谷を葉山は引き倒しキッチンの床に組み敷く。
「いて、なんだよ」
 比企谷のスウェットを脱がし下半身を剥き出しにする。
「どうしたんだ」
 驚いて問う比企谷を昏い瞳で見つめ葉山は黙ったままズボンを脱ぐ。

「これでこのキッチンに立つたびに俺を思い出さずにはいられないよな」荒く息を吐きながら薄く微笑んで葉山は言う。「ここで俺とセックスしたんだってね」
「葉山、お前」
 比企谷は驚いたようだがすぐに口元を震わせて怒りの表情を見せる。身体を起こし葉山を殴りつけさらに脱ぎ散らかされた服を投げつける。
「出て行け」
 葉山を睨みつけ震える声で比企谷は怒鳴る。
「比企谷」
「出てけよ」
 比企谷は葉山に背を向けて風呂場に駆け込む。シャワーの水音がする。葉山は投げつけられた衣服を身につける。
「帰るよ」
 風呂場にいる比企谷に声をかけるが返事はない。外は激しい雨が降っている。門の前で葉山は振り向く。しばらく見つめて目を伏せると雨の中に歩を踏み出す。濡れて家までの道のりを足取り重く歩く。
 取り返しのつかないことをした。でも堪らなかった。君は俺をいつか跡形もなく消そうとしている。いつか過去の思い出にしようとしている。だから何も残さないようにしているんだろう。俺との時間は今だけでいいと思ってるのか。俺と未来を見ようとしてくれないのか。君が人と深く付き合うことで傷つくのが嫌なのはわかってる。けれど、君の臆病さが俺を壊していくことに気付いてくれないのか。
 葉山は灰色の空を仰ぐ。降りしきる雨の雫が顔を流れ顎を滴る。濡れた服が身体に張り付く。寂しいんだよ比企谷。堪らなく寂しいんだ。欲を出したのがいけないのか。でもどんどん欲深になるのをどう止めればいいんだ。
こんなことで君を失うんだろうか。君を失いたくない。

 帰宅してから倒れて葉山は熱を出した。
 朝になっても熱は引かず大学を休むことにする。熱のせいで頭がぼうっとするがベッドに入っても寝付けない。比企谷に会いたい。でもどの面下げて会えると言うのか。1人ベッドに悶々としながら転がっていると呼び鈴が鳴る。重い身体を引きずりながら覗き穴を見ると比企谷が立っている。驚いてドアを開ける。
「比企谷、どうして」
「具合、悪そうだな。入っていいか」
 比企谷は目を泳がせながら言う。
「ああ」
 比企谷を部屋に上げると葉山はベッドに戻る。比企谷はベッドの側に座り込む。
「小町が俺のせいだっていうからよ。雨なんだから傘くらいは貸すべきだってよ」
「何があったのか言ったのか」
「いや、まあ。あいつすぐお前の味方するんだ。お前の外面に騙されてっから」視線を逸らし憎まれ口を聞きながら「その、大丈夫か」と比企谷は言う。
 心配して来てくれた。それがわかり胸が熱くなる。多分本当は小町ちゃんは何も知らないんだろう。君は俺が大学を休んでるのに気付いて来てくれたんだろう。君はわかってるのか。俺は君のことでどんな些細なことでも嬉しくなるんだ。このままずっと手放したくなくなるんだ。
「そうだよ。君のせいだ。だからここにいてくれ。そのくらいいいだろ」
「お前図々し」そう言いかけて「俺にできることないか?」と比企谷は不安げに言う。
 君にしてほしいことはいっぱいある。優しくしてほしい。側にいて欲しい。君に触れるのを許して欲しい。今なら我儘が許されるだろうか。
「熱はあるのか?」
 比企谷の手の平が葉山の額に当てられる。ひんやりと気持ちいい。
「君の額をくっつけて測ってくれないか」
「原始的だな」
 比企谷は呆れた表情でにじりより上に屈み込むと葉山と額を触れ合わせる。額もひんやりと気持ちいい。比企谷の睫毛が触れる。吐息が当たる。このまま触れていて欲しい。
 比企谷の後頭部を掴むと葉山は引き寄せ唇を合わせる。驚き開いた比企谷の口から舌を挿入する。濡れた熱い口腔を貪るように蹂躙する。歯列を舌でたどり舌を探り当て擦り合わせる。口腔内を味わって名残惜しく唇を離す。
「風邪は移せば治るっていうだろ」
葉山は微笑むと真っ赤になった比企谷に言う。布団から手を伸ばし比企谷の手を取って握る。
「俺には兄弟がいないからわからないけど。君が兄弟だったらどうだっただろうね。小町ちゃんするみたいに構ってくれたかな。こんな風に熱を出したら看病してくれたかな」
「熱に頭やられたのかよ」
「毎日帰るといつも君がいて俺は安らいだかも知れないね」
「毎日家にお前が帰ってくるとかぞっとしねえな」
「でももっと辛かったかもな。どんどん膨れ上がる欲情する気持ちに潰されたかも知れないな。」
「なんでいきなり近親相姦?兄弟設定で話してるんじゃなかったのかよ。お前、兄弟ってもんを誤解してるぞ」
「俺は君と家族になりたいよ」
 比企谷は答えず黙り込む。葉山は繋げた手をぎゅっと握る。
「兄弟よりも親子よりも。ずっと側にいたい」
 腕を引くと比企谷は困ったような顔をする。そのまま強く引っ張り彼の身体に布団を被せる。引きずりこんだ布団の中で比企谷のシャツのボタンを外しはじめる。
「葉山」
 比企谷が押しとどめようとそっと葉山の手を抑える。
「人肌で温めてくれるかな。そうしてくれたら治りそうだ」
 そう言うと比企谷の緩い抵抗が止む。病人を嵩にきて卑怯だな俺は。比企谷は上目づかいに葉山を見てごそりと背を向ける。温もりを後ろから抱きしめる。裸の素肌が触れ合う。胸筋と腹筋をぴったり彼の背中に押し付けて拘束する。
 君の言葉は冷たくて心を引き裂くけれど身体は温かいんだ。君は本当は優しいから俺なんかに付け込まれるんだよ。俺は君を大切にしたいのに。それなのにどうして君から何もかも奪い尽くしたいんだろう。

 あの日君と夕陽を一緒に浴びて紅い空を共に眺めた。金に縁取られた君の横顔を眩しく見つめた。山の端に陽が落ちて金糸が消えてもその横顔は網膜にフィルムのように焼き付いた。
 俺も嫌いだと言ってくれたその言葉は君の優しさだったんだろう。期待しないと言ったのも言葉通りの意味だったんだろう。でも俺は俺が君を選んだように、君も俺を選んでくれたと思ったのだ。俺は期待して手を伸ばしたのだ。
 分かり合えたと思えたのが俺の思い込みであったとしても、一度心に焼き付いた光は消えない。例え目に映したのが遠い蜃気楼の灯火であったとしても。それは遠くとも確かにある灯火なんだ。欲しくてたまらなくて掴み取った。それが幻の灯火であったとしてもかまわない。
 俺は決して手放さない。

END

唆しの月(全年齢バージョン)

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「二人揃うなんて面白いね」
 陽乃はにっこり笑って言う。
「偶然ですよ」
 負けずに葉山も微笑んで言う。
「全くだ。なんでたまに外に出たらよりによってこいつに会うんだか」
 比企谷は不機嫌を隠さずぶつくさと呟く。
「偶然会っちゃうなんて縁があるんじゃないの?」
 なんでこうなるかなと比企谷は苦々しく思う。
 春休みに比企谷は珍しく町に出かけた。一日中家でごろごろしているのでたまには外に出たらと小町に家を追い出されたわけだ。だが、たまたまコーヒーショップの前で葉山に出くわした。にこやかに笑いかける葉山を見て比企谷は眉根を寄せて踵を返す。葉山は背を向けかける自分の後姿に呼び掛けようとして躊躇していたようだった。そこを陽乃に見つけられた。いや、見つけられたから躊躇したのだろう。葉山を見て意味深な笑みを浮かべると陽乃は比企谷を呼び止めた。そうして二人ともコーヒーショップに引きずられ、陽乃と相席させられたのだ。
 正面に並ぶ葉山と比企谷の前で陽乃が艶やかに微笑んでいる。優雅に珈琲を口元に運び、比企谷を見つめて陽乃は言う。
「比企谷くんはさっき隼人がどんな顔して君を見てたか知らないでしょう」
「陽乃さん」
 葉山が話を遮ろうとする。
「そりゃ後ろは見えないし。見えなきゃ別にいいです」
 比企谷は言う。
「ふうん。気にならないんだ。全然」
 比企谷の答えに陽乃は葉山を見ながら相槌をうつ。葉山は比企谷を見つめてから視線を膝に落とす。
「君は好きだって言われたことないんでしょう」
「ないですよ。ぼっちですから」
「君は好きだって言われたらその相手を好きになっちゃうかもね。全然好きじゃなくても。意識されることで意識しちゃうんじゃない。それが女の子でも」
 陽乃はちらっと葉山に目を向ける。
「男の子でもね」
「幾ら何でもそんなことないですよ」
「君は甘く見てるよ。好意ってのは暴力なんだから。自分の方を向かせようとする強い思いが何も影響しないはずがないよ。ましてや免疫のない君なんか」
「俺に好意なんか、そんな期待しないですから」
「謙遜かな?それとも自惚れかな?君を変えようとする力に絶対抗えると言うんだね。見てみたいな君が屈するところ」
 葉山に視線を向けて陽乃は悪戯っぽく笑う。
「そう思うよね。隼人」
 そう言って陽乃が軽やかな足取りで去る。比企谷も席を立とうとするが葉山が腕を掴んで引き止める。
「何だよ。もう」
「君は好きと言われたら好きになるのか」
「なわけねえじゃん。あの人は俺たちをからかってんだよ」
「例えば俺が」
 掴む腕に力が込められる。
「俺が君を好きだと言ったら、何度もそう言ったら、君は俺を好きになるのか」
 射抜くような葉山の眼差しに気押される。
「あるわけねえだろ。ましてやお前にとかありえねえわ」
 軽い調子で返すと葉山に真剣な表情で見つめられる。
「何故俺だとあり得ないんだ?」
「兎に角、あの人の言うことは全部嘘だ」
 腕を振り払うと逃げるように比企谷は立ち去る。コーヒーショップを出ると早足になり段々駆け足になる。歩道橋の側まで来ると立ち止まり、振り返って葉山が追ってきてないのを確認してほっと息をつく。
 俺と葉山の距離はこのくらいでいい。あいつの外面と中身がズレてるのはわかってる。リア充だと決めつけて色眼鏡で見ていたあの頃より、近づいたことでそれまで見えなかった部分も見えた。思っていたより嫌な奴で厄介で面倒な奴だ。けれども別の意味で思ってたよりずっといい奴なのもわかってきた。俺が知らなかっただけなんだ。けれども近づき過ぎると傷つけられるような気がする。あいつは無自覚かも知れないが、俺には確信がある。あいつは俺を傷つけようとしている。

 新学期早々にいろはすに生徒会の仕事の手伝いを頼まれ、比企谷は大量の生徒会の資料を資料室に運ぶ。校庭の桜は満開を過ぎて花弁が風に乗って窓から入り込み廊下に散らばる。一気に運ぼうとしたせいで足元が見えない。転びそうになったところを後ろから誰かの腕に支えられる。礼を口にして振り向くと背後に葉山がいる。舌打ちすると葉山は苦笑して勝手に比企谷の手から資料を半分奪う。
いろはすは生徒会が忙しいみたいだね。なんとかマネージャーと両立させてるけど。無理しなくていいと言ってるんだけどね」
「気になるならお前が手伝ってやればいいだろ」
「頼まれもしないのにそんなこと言えば好意を持ってると誤解させるかもしれない。君も知ってるだろう。また悲しませたくないしね」
「今頼んでねえのに手伝ってるじゃねえか。俺も誤解するかも知れないぞ」
「君なら誤解じゃないよ」
 葉山は比企谷を見つめて言う。空気が張り詰める。いたたまれない気分になる。比企谷は相手の腕から資料を奪おうとするが果たせない。
「それ、返せよ」
「君の頼みならいろはすを手伝ってもいいよ」
 葉山は言う。
「なんで俺がお前に頼むんだよ。お前が気になるならって思っただけだ」
 暴れたせいで比企谷の手から資料が数枚床に散らばる。
「ああ、もう、お前のせいで」
「悪かった」
 葉山は謝ると蹲って落ちた資料を拾い集める。
「俺が気になるのは君だよ。だから助けたいんだ」
「いらねえよ。無償の親切は他の奴にやってやれ」
「俺は何の見返りもなく手伝ったりしないよ」
 葉山は俯いたまま言う。
「俺に何か見返りを求めてるのか」
「そうかも知れない」
 葉山は立ち上がり資料を比企谷に差し出す。
「君は見返りをくれるのかい?」
 比企谷は葉山の手から資料を奪い取り早足で廊下を歩く。どんな見返りが欲しいのだと冗談ならそう聞いて流してしまえる。今はそんなことは聞けない。あいつの言葉は透明な刃だ。窓から見える樹々が揺れる。桜の花弁が風に舞う。

 奉仕部にプール掃除の手伝いの依頼がきた。例によって平塚先生からでプール開き間近だから急いで頼むという。炎天下の中かなり大仕事なので他にもメンバーを募ってもいいと言われる。よせというのに由比ヶ浜が葉山グループの面々に声をかけた。お陰でこの有様だ。
 空中に散布される飛沫が虹の橋を架ける。戸部たちはホースを振り回してあちこちに虹を作りモップでチャンバラをしている。はしゃぐ彼らの様子に比企谷は呆れる。びしょ濡れになってもこの暑さならすぐ服は乾くだろうけど。首筋に流れる汗を拭いながら比企谷はモップでプールの底を磨く。
「呼ばない方が早く済んだんじゃないかって顔だね」
 葉山が側に来て言う。
「あいつら小学生かよ」
「楽しくやった方がいいだろ」
「さっさと済ませて帰りたいんだ俺は、うわっ」
 そう言った瞬間背後からいきなり水をかけられて比企谷は転ぶ。
「ヒキタ二くん、ごめーん」
 戸部かよこの野郎。手をついて謝れこの野郎。比企谷は心の中で毒づく。
「大丈夫かい?」
 葉山は心配そうな顔をして比企谷を助け起こそうと手を差し出す。比企谷は葉山に手を伸ばそうとして止まり手を引っ込める。葉山がその様子に気付き訝しげな表情を浮かべて手を伸ばす。掴もうとする手を比企谷は振り払う。
「お前の手は借りない」
「何言ってるんだ」
「自分で立てるからいい」
 葉山は眉根を寄せると比企谷の手首を掴んで引っ張り起こす。比企谷は葉山と目を合わさずその場を離れる。
 あらかた掃除してあとは後片付けだけになる。先に帰ってくれと言い残して比企谷は道具を持って用具室に向かう。すぐに戻ると彼らに会うかも知れない。気まずいし面倒だ。片付けついでに中を整理していると背後から葉山に声をかけられる。
「大変そうだね。手伝うよ」
「いらねえよ。お前なんで来んだよ。意味ねえじゃねえか」
「君がそのつもりじゃないかと思ったからだよ」
 葉山は悪戯っぼく微笑んで片付けを手伝い始める。このまま自分が帰るまでいるつもりだろうか。どう切り抜ければいいんだ。
「何で俺の手を掴まなかったんだ」
 突然葉山は言う。
「別に、自分で立てるし」
「はじめは手を伸ばしたじゃないか」
「条件反射というか間違えたんだ」
「間違えてないだろ。君は何でそう思うんだ」
 葉山の物言いに苛々する。何も間違えたりしてないはずだ。混乱させられる。正面に立つ葉山を避けようとして腕を掴まれる。もぎ離そうとするとその腕も掴まれ両腕を拘束される。
「条件反射で手を伸ばしたんだろ。なら俺の手を取るのは君には自然なことなんだよ」
「間違えたって言っただろ」
「君にああやって手を伸ばして欲しいんだ、俺は」
 葉山に掴まれた腕が熱い。見下ろしてくる瞳に戸惑う自分の顔が映っている。俺はなんて表情でこいつを見ているんだ。
「比企谷、俺は」
 葉山から顔を逸らし動揺を隠して比企谷は声を絞り出す。
「帰れよ。これは俺の仕事だ。お前は手を出すな」

 昼休みにいつものコーヒーを買おうと渡り廊下を歩いていると、向日葵の花が咲く花壇の向こうで葉山と由比ヶ浜が話しているのに気づく。比企谷は立ち止まり2人の深刻そうな様子につい隠れてしまう。向日葵で隠れているせいか気づかれてないようだ。
「言えないよ好きなんて。言えばきっと終わっちゃう。怖くて言えない」
 比企谷はどきりとする。由比浜が誰のことを言っているのかわからないが、このまま聞いてるとまずいよな。引き返すか駆け抜けるかどうするか考えて固まる。
「あ、例えばの話だよ」
 例えばの話かとほっとする。とはいえ立ち聞きは良くないしと来た道を戻りかける。想いよりも大切にしたいものは自分にもわかる。
「俺は壊したいよ」
 葉山の言葉に立ち去りかけた足が止まる。
「今の状態は俺には全然望む形じゃないんだ。こんな形しかないなんてストレスが溜まるよ。俺はもっと」
 そこまで言いかけて葉山が言葉を噤む。
「心が悲鳴を上げているのに自覚しようともしない。手を差し伸べようとしても振り払われる。その悲鳴はずっと聞こえているのに。手を伸ばしたいのに。もう聞こえてるのがどっちの悲鳴だかわからないんだ」葉山は俯く。「いっそめちゃくちゃにしてしまえばいい思う時もある。どうすればいいんだろうね」
 由比ヶ浜が心配そうに葉山を見つめている。
「例えばの話だよ」そう言い葉山は笑う。「そろそろ戻ったほうがいいよ。俺もすぐ行くから」
 由比浜の去った後、葉山がため息をつき呟くのが聞こえる。
「結衣、ごめん」
 比企谷は急ぎ足で立ち去る。足音に気付かれてなければいいが。葉山の口から出た物騒な言葉は多分聞いてはいけないものだ。

「友達にはなれなかっただろうね」
 あいつはそう言った。
 比企谷は渡り廊下を避けて別の道を通り自販機に辿り着く。硬貨を投入しながら千葉村での葉山の言葉を思い出す。内心そう思っていたとしても本人を前にしてそんなこと言うような奴だとは思ってなかった。しかも人当たりの良さではナンバー1の奴にだ。そう言ったくせに、それからもやたらと近寄るのは何故なのか。パーソナルスペースに勝手に入ってきては居座ろうとするのは何故なのか。あいつの言葉とはちぐはぐな行動に掻き乱された。 
 林間学校ではあいつに頼った。文化祭では多分頼ったんじゃなく利用した。あいつが気づかないわけはないけれど構わない。誰も傷つかない完全世界の完成のはずだった。あいつはそれを台無しにした。結果じゃない。俺の中であの時あいつに台無しにされた。
 自販機側のいつもの場所に座ってコーヒーを飲む。
「ここ、いいか」
 いつの間に来たのか葉山が背後から声をかけてくる。
「良くない」
 そう言うのに葉山は勝手に隣に座る。
「お優しい人の葉山くんは良くないって言うのに聞いてくんないのか」
「優しい人なんて思ってないだろ、君は」
 葉山は苦笑する。
「そんなこともないぞ。多少は」
「俺は皆に期待されるいい人間になりたいよ。でもまだ今は違うけど」
 葉山は遠くを見つめて言う。
「そんな外側を目指せばいずれ内面も追いつくと思ってる」
「ふうん。お前が望み通りそうなって益々人気者になっても俺には関係ないね」
「君はそんな風に言うんだな」
「そりゃそうだろう。お前はお前だし」
 少し迷って言葉を続ける。
「悲鳴なんてねえよ。幻聴だろう」
「聞いてたのか」
「悪いな。聞くつもりじゃなかったけど。誰のことかとは聞かねえよ」
「君のことだ。わかってるくせに」
 葉山は比企谷の肩を掴み自分の方を向かせる。
「俺は君にも優しくしたいと思ってるんだ」
「そんなこと思ってんのかよ。ならお前ただの嫌な奴だな」
「君は俺が君に優しくすることすら許さないのか」
「優しくってお前のは違うだろ。見下してるってことだろ」
「君が好きだからだ。そんなこともわからないのか」
「お前がそうしたいってことか」
「そうだよ」
「人にしたいことって自分がしてほしいことなんだったよな、葉山」
「そうだよ」葉山は比企谷を切なげに見つめて言う。「君に優しくしてほしいんだ、俺は」
「優しくしてやろうか?」
 そう言って葉山を見ると惚けたような表情で絶句している。そうだろうよと可笑しくなる。
「ああ、悪かった。人によるよな。やっぱり俺はねえよな。似合わねえし」
「君は残酷だな」葉山の声が少し震えている。「優しくする気なんか全然ないくせにそんなこと言うんだ」
 怒らせたのだろうか。なんでこんなことで怒るんだ。比企谷は内心の動揺を隠して言う。「俺達はそんな仲じゃないだろ」
 葉山は比企谷から視線を逸らし俯く。
「君が嫌いだ」
 以前葉山が比企谷に放った言葉。また言うのかと少し驚く。
「いい人を目指すくせにそんなこと言っていいのかよ」
 葉山は薄く笑う。
「ちょっとは傷ついたかい?俺はこんなこと言いたくない。でも君にはこんな言葉しか刺さらないんだな」
 挑発して反応を見ているのか。何なんだこいつは。
「お前と話すと不愉快になる」
 比企谷は苛立ってそう言いながら腰を上げる。
「そんな難しいことを望んでるわけじゃない。君を知りたいし俺を知ってほしいだけだ」 立ち去る比企谷の背に向かって葉山が言葉を投げかける。
 比企谷は歩みを早めながら思い出す。文化祭の日に屋上で壁に叩きつけられた背中の痛み。あいつの辛そうな眼差し。瞳に映る自分の顔よりずっと傷ついてみえた。そんなものを見るまでわからなかった。幼い頃なら心をざわつかせるような者とは友達にはなれない。気持ちの処理が出来ないからだ。だからといってざわめきが収まるわけじゃない。俺たちはもうその正体がわからないほど幼い子供じゃない。
 マラソン大会の時にあいつが言った「君が嫌いだ」という言葉。あいつは本当にそう思っていたらそんなことは言わない奴なのだと知っている。俺はあいつが理数クラスを選ぶ道を示したつもりで塞いでしまった。理数を選んで違うクラスになったとしても仲間は離れないとあいつは知っていた。ならば迷っていたのは彼らのことではなかったのだ。クラスが違ってリセットするのは俺だけだ。あいつが言ったように。俺は間違いなくリセットするだろう。同じクラスでなければ接点はない。俺がそう言うことであいつはそれに気づいてしまったんだ。あいつは言った。「君の言う通りにはしない」と。
 嫌いだという言葉通りの意味ならば楽だった。どうにもならない謎は謎のままでよかった。あいつと二人きりになるとろくなことがないんだ。大体ここは一人きりになれる場所だったのに、いつの間にか二人になる場所になってしまっている。
翌日から比企谷は自販機に行かなくなった。

 比企谷は思い起こす。風の強い冬の日の帰り道。
 あの時から俺はあいつとの距離の取り方がわからなくなった。それまで俺たちは自然だと思える距離を保っていたんだ。由比ヶ浜から聞いたのか、葉山が奉仕部に顔を出したあの日。用があると言い2人は既に帰っていた。自分も平塚先生に報告を終えて丁度帰ろうとするところだった。
「俺は君と繋がりを取り戻せたし、奉仕部も仲直りしたんだろ。結果オーライだな」
 教室には比企谷が一人だったからか開口一番葉山はそう言った。
「これっぽっちもお前の貢献はねえよ。お前との繋がりなんて元よりねえし」
 葉山は比企谷のやり方を真似たとか言って変な庇い方をして自分を怒らせただけ。結果は不器用なものだった。あれが望んだ結果だというなら誰が得をするというんだ。
「君を怒らせて本音を引き出したんだ。それ以上だよ」
 不愉快な思いで葉山を睨む。土足で俺の中に踏み込んだくせに何を言ってるんだ。それはお前の仕事じゃないだろう。人の心はなかなかわからない。自分に向かう人の気持ちは尚更わからない。ことに葉山は難解だ。対人スキルが低いかわりに人の心を外から論理で考えようとして、俺は俺なりに一生懸命なつもりなのだが。
 比企谷が席を立つと葉山もそのまま連れ立って歩き出す。こんな時に限って自転車登校じゃないなんてなんてタイミングが悪いんだ。帰り道を黙って一緒に歩く。話すことがないなと気まずく思っているといきなり葉山が喋り出す。
「悪かったと思ってるんだよ。捻くれて人を信じない期待しない、そんな君を否定したくせに。それなのに俺までが君を頼って傷つけた」
「別に傷ついてねえけど。ほんとに悪かったと思ってんのか?悪口が混じってるぞ」
葉山は比企谷の顔を見て笑い、ふいっと視線を逸らす。
「君が人に好きなんて言うとは思わなかった」
「俺でも嘘なら言えるもんだぜ」
「もうそんな嘘はつかないでほしい」
「ああ、まあ、そうだな。でもそんな機会はねえだろもう。お前はやめた方がいいぞ。後ろから刺されるかもな」
「俺はそんな嘘はつかない」葉山は強い調子で言い切りさらに続ける。「君は何もわかってない」
 比企谷は葉山に口調に少し気圧される。
「なんだよ。俺が何をわかってないってんだ」
「絶対頼みたくない相手に頼み込んでまで機会を作ったのはなんのためだと思うんだ。少しは考えてくれてもいいだろう」
 葉山は憤ったように言う。怒鳴りたいのを我慢しているかのような声に比企谷は面食らう。
「俺は君とあのまま疎遠になりたくなかったんだ」
 葉山は比企谷の方に顔を向けて見つめる。
「別に仲良しでもねえだろお前とは」
「いてほしい唯一の相手が側にいてはくれないのがどんなに辛いものか、君にはわからない」
 比企谷は驚き言い返そうとして言葉を探すが見つからない。葉山は比企谷に笑いかけて続ける。
「側にいたいんだ」
 葉山は歩みを止め、比企谷も立ち止まる。
「本当に人を好きになったことがない、君も俺もとあの時言っただろ」
「お前と俺を一緒にするなよ。全然違うだろモテ男とは」
 比企谷は顔を逸らす。ダブルデートを仕掛け無理やり連れ出したのも元はそれを伝えるのが目的だったようにあの時は思っていた。
「俺はわかってなかったんだ。思い込みは好きとは違うだろ」
 比企谷は言う。虚像に勝手に期待していたのが昔の自分だ。
「俺は今ならわかるよ」
 いつになく低い声に比企谷はその顔を振り見る。葉山は比企谷を眩しげに見つめて言う。突風が木の葉を巻き上げる。樹々がざわめく。
「好きなんだ、君が」
 比企谷は唾を飲み込む。真っ直ぐに比企谷を見つめて紡がれる葉山の言葉は透明な刃だった。見えない刃が俺を切り裂く。裂けた傷口から血が流れる。
あれからずっと俺の中の何かを切り裂かれ続けているんだ。

 教室で顔を会わすことはあれど葉山と2人きりになる機会はなく、穏やかに数日経った。夕刻の影が長く伸びる帰り道。比企谷は校門の前で背後から葉山に呼び止められる。
「待ってたんだよ。君に渡したいものがあるんだ。家に来てほしいんだけどいいか?」
「明日じゃダメなのか?」
「どうしても今日じゃないとまずいんだ。頼むよ」
 そう言われると行かないわけにもいかない。葉山と由比ヶ浜の会話を立ち聞きしたあの時の会話でのばつの悪さもある。彼の家に向かうことを承諾する。途中でファーストフードに立ち寄ると葉山は夕食なんだといいながらバーガーのセットを購入する。
「今日は両親は仕事で帰らないんだ」
 そう言いながら葉山は比企谷の分のバーガーセットも頼む。
「なんで俺のまで」
「わざわざ来てくれたお礼だよ。食べてくれよ」
 小町に言って夕飯は少なめにしてもらおう。そう思いながら一緒に食べる。
受け取ったらすぐ帰るつもりだったが家に着くと上がるように言われる。背後で家の内鍵を締める音がする。比企谷は用心深いことだなと思うが特に気には止めない。
「なあ比企谷」
 廊下を歩きながら葉山が言う。
「なんだ」
「助けあい頼りあい、好意を示され好意を返すそんな関係がいいと思わないか」
「お前は陽乃さんの言ってた出鱈目に惑わされ過ぎだな」
 比企谷は言う。
「利用し合う、じゃないのか」
「君はなんでそういう考え方しかできないんだ」
「人の心なんかわからないぜ」
「知ろうとしないだけだろう」
「俺にそんなことを言うお前の気持ちは尚更わからないけどな」
「君は人の心を身の内に感じるのが怖いんじゃないのか」
 葉山は更に続ける。
「陽乃さんの言葉に惑わされてるのは君の方だろう」
 比企谷は答えに詰まり黙り込む。言い合いをしにきたわけじゃないのになんでこうなるんだろう。
「ここが俺の部屋だよ」
 葉山の部屋に入ると突然背中を押される。腕を押さえつけられ背中に人の重みを感じて比企谷はベッドに押し倒されたと気づく。腕を縫い付けられ組み伏せられ身動きが取れない。びっくりして背後の葉山に問う。
「葉山?なんだよお前」
 腕と足を絡め取られ押さえつけられる。振り向き見上げると葉山の射るような視線とぶつかる。
「騙すようなことをしてすまないな」
「騙すって、何をだ?なんでだ?」
「比企谷、君がどう思おうと俺は変えたいんだ。」
 見下ろす葉山の瞳は怖いくらい澄んで鈍く光っている。竦んで動けなくなる。
「壊したいんだ。俺と君の今の状態を」

開けた口を葉山の唇が塞ぎ音のない悲鳴ごと呑み込まれる。浸入してきた舌が歯列をなぞり比企谷の舌を探り絡ませ執拗に口内を犯す。
 部屋を照らす青い光。窓から優美な細い月が見える。美しく弧を描いた月は陽乃の笑みに似て艶やかに輝き、自分達の交わりを見下ろして嗤う。

END

金星の光(全年齢バージョン)

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左右に押さえつけた比企谷の腕を一纏めにする。片手で容易く押さえつけられるなんて、日頃の運動が足りないだろう。空いている方の片手でシャツのボタンを外してゆく。
唇を合わせ比企谷の口を開けさせて舌を差し入れる。舌を探り当て絡ませ口内を貪る。深いキスをしながら覆い被さり肌けた身体を密着させる。組み敷いた身体の体温と鼓動を感じる。
「はや…」
喘ぎ声混じりの比企谷の声。葉山か、それとも隼人と呼んでくれるのか。だが言葉はそこで途切れてしまう。
「ひき、がや」
声が上ずる。上目づかいに俺を睨み付ける比企谷に息を呑む。上気した頬に涙ぐんだ瞳に喘ぐような息遣い。
「いや、だ」
比企谷が引き攣ったような声を上げる。
「葉山、もう」俺の名を呼ぶ比企谷の声が耳を擽る。
わかってるだろう?君と俺は同じなんだ。


階段を上り屋上へのドアを開けるとその先に比企谷がいる。抜けるような紺碧の空の下。張り巡らされた金網に指を掛けて佇んでいる。名を呼ぶと振り返って俺を見る。冷ややかな瞳に挑みたいと一歩進む。
また同じ夢を見た。彼に辿り着くことのないそんな夢を見て、目が醒めるといつも堪らなく寂しくなる。現実では手を伸ばしたくて伸ばせなくて。自分がどんなに彼を求めているのか思い知らされるからだ。

葉山は教室の反対側にいる比企谷を見つめる。だるそうに頬杖をついて授業を受ける姿に何度も目をやり、その度心の中で話しかける。
君が嫌いだ。
捻くれて頑なな君が
俺には出来ないことをやってのける君が
君に対しては俺は平静でいられない。
装うことができない
自分を押さえられない
隠しているものを暴かれる
俺の嫌な部分ばかり思い知らされる。
俺はもっとマシな人間だと思いたいのに。
エゴイストで偽善者だと見抜かれてるようで
なのに君から目が離せない。
人からどう思われても構わないと
他人も自分も傷つける君を見ると辛くなる
いつも君のことばかり考えてしまう。
仲良くなれないと言ったけれど
仲良くはしてくれないのは君だろう。
受け入れてくれないとわかってるのに
相容れないとわかっているのに
見つめるだけで苦しくなるのに
なのに俺はどうして君が欲しいんだ。
君だけをどうしてこんなにも。
こんなのは俺じゃない。
孤高のその姿は遠く。切り取られたように鮮やかに映る。君をわかりたい。分かりあいたいたい。君を知ればこんな迷いはなくなるだろうか。

休み時間になり葉山は机に突っ伏した比企谷のところに足をむける。人の気配を察して億劫そうに比企谷が顔を上げる。
「相談があるんだ」
「依頼かよ?今忙しいんだけど」
「暇にしか見えないけどね」
訝しげな表情を浮かべながら比企谷は葉山についてくる。人気のない階段下に来ると葉山はこれから毎日放課後付き合って欲しいと頼む。比企谷は眉を顰める。思った通りの反応だな。でも引くわけにはいかない。
「はあ?なんで俺が」
「試してみないか。俺は君と何らかの関係が欲しい。」
「なんで俺がそんなのに付き合わなきゃいけないだよ」
「期間限定だ。そうだな。中間試験の終わりまでならどうだ」
「俺になんかメリットあんのか」
「依頼だと思ってくれていい。何の関係も生まれないならそれはそれでいい。もう君にそんな頼みはしない」
「お前にも何にもメリットないだろ」
「俺は、はっきりさせたいんだ」
葉山の押しの強さに比企谷は折れる。
「わかった。期間限定だな。そこは守れよ」
「すまないな。じゃあ、放課後自転車置き場で待っててくれ」
「今日からかよ!?」
驚く比企谷に念を押す。
「放課後、絶対いてくれよ」

「で、何がしたいんだ?」
自転車を押して連れ立って歩きながら比企谷が訊く。
「君の家に行きたい」
そうい言うと比企谷は顔を顰める。
「えー。ちょっと嫌かな。初めて家に来るのがお前ってのは」
「なら尚更家がいいな。頼むよ」
比企谷の家に着き彼に続いて家に上がろうとすると玄関先で止められる。
「ちょっと待ってろよ」
リビングに通じるドアの向こうからバタバタと音がする。暫くして比企谷が出てくる。
「待たせたな。上がれ」
「あ、ああ」
葉山にリビングのソファを指し示すと比企谷はまた出て行く。二階でバタバタと音がする。葉山はいきなり来たのは悪かったかなとちょっとだけ反省する。気を使わなくてもいいのにな。だが機を逃したくなかった。それに慌てる比企谷という珍しいものを見れたのは悪くない。
「小町が帰るまでならリビングでもいいけどどうする?」
「君の部屋がいいな」
比企谷の案内で階段を上がる。
「葉山、何がおかしいんだ?」
一体どこを片付けたのか雑然とした部屋に吹き出してしまう。比企谷はありありと不機嫌になる。

その日から放課後の付き合いが始まった。2人は待ち合わせて共に帰ることになった。
翌日葉山は比企谷を家に誘う。渋る比企谷の自転車を掴んで家に引きずってゆく。リビングを素通りして自分の部屋に通すと比企谷は目を丸くする。
「人が住んでる部屋にみえないぞ。モデルハウスかよ」
整然とした部屋を見て居心地悪そうにしながら比企谷は言う。
「褒めてるんだよね?いつもこんなもんだよ」
リア充はいつでも人が呼べるように片付けてんだな」
「外で遊ぶ方が多いしそんなに家に呼ばないよ」
「お前の部屋見たし帰っていいか?」
「何言ってんだよ!?」
葉山は慌てて立ち上がりかける比企谷を押し留める。
「だって、何もねえじゃんこの部屋」
「本もゲームもあるよクローゼットに」
そう言いながらクローゼットを開ける。葉山に顔を寄せるように覗き込んだ比企谷が感嘆の声を上げる。
「すげー、収納すげー。なんで隠してんだ」
「だから片付けてるんだって」
そう言い返しながら確かに最近は手に取ることもなくなったなと葉山は思う。頬にさらっと比企谷の髪が触れる。顔が近い。手に届くところにいつもあればいいのか。
「比企谷の好きそうなのはあるか?いつも出しておくよ」
比企谷の選んだ対戦ゲームをしながら葉山は比企谷に言う。
「君に対しては皆本音で話すんだよな」
「気を使わなくていいって思ってるだけだろ」
「羨ましいよ」
「本音で話さない奴に誰も本音で話さねえよ」比企谷が画面から目を離して葉山の方を向く。「でもお前はその方がいいんだろ。ほんとはそこを羨ましくなんてねえだろ」
比企谷は葉山を見つめて言う。葉山は違うと言えない。自分を晒してまで皆の本音を聞きたいわけじゃないし聞いたところで受け止める気はないのだ。
「その通りだよ」そう答える。「でも羨ましいのは本当だよ」
「お前、そうじゃなくてさ、なんか言い返せよな。俺だって本音なんて吐かねえよ」
そう言いながら本音を聞いた比企谷は全部受け止めてしまうのだ。

比企谷は葉山の部活の終わる頃に自転車置き場で待ち、比企谷が部活の時は葉山が待つ。葉山が時折窓を見上げるとグラウンドを眺めている比企谷がいる。待っててくれていると思うと葉山の胸に何か温かいものが満ちる。比企谷の部屋に行ったり葉山の家に連れて来たり家を行き来する毎日が当たり前になってくる。初めの頃は部屋に人がいるのが落ち着かない様子で挙動不審だった比企谷も段々葉山に気を使わなくなる。比企谷との本を読んだりゲームをしたりするのんびりした時間が楽しくなる。ふと寝っころがり本を読む比企谷を見つめる。寛いでいる姿を見ると学校でだらっとしているのも気を張っているのだと感じる。伏せ目だと端正な顔立ちがよくわかるなとじっと見つめる。顔を上げた彼と目があう。
「葉山、こういうのでいいのか?」
「ああ、楽しい」
「そうか?よくわからないなお前」
寝転ぶ比企谷の側ににじり寄る。
「キスとかしても楽しいかも」
「俺は嫌だ」
「怖い?したことないだろ」
「そうだよ、ねえよ。悪いかよ」
「試してみるかい」
比企谷を仰向けに転がし上に跨る。屈み込み人差し指で比企谷の唇に触れてみる。少しかさついて柔らかい。唇を舐めて湿らせてみたい。顔を背けられ指が離れる。
「初めてがお前とか、ぜってえやだ」
「つれないな」
「重いからどけよな」
「どかしてみればいいだろ」
葉山は体重を掛けて比企谷の身体を抑え込む。比企谷は覆い被さる体躯を押しのけようともがいて腕を突っぱるが逃れられない。諦めたのか抵抗が止む。
「このままでいいんだ?」
「これだから体育会系は嫌なんだ。どうすりゃどいてくれんの」
「キスしてみようよ」
「お前な。もうこのままでいいわ」
比企谷は呆れたように言い、抑えられた態勢のまま本を読み始める。葉山は苦笑して比企谷の肩口に顔を伏せる。こんな近くに比企谷を感じるのは初めてだ。シャツ越しに温もりを感じる。鼓動が重なる。

中間試験中は部活が休みになる。外に遊びに出ようと提案すると思ったとおり比企谷は渋る。
「お前と一緒とかぜってえねえよ。誰かに見られるだろ」
「別に困ることないだろ」
「お前はそうでも俺は目立ちたくねえの」
「ならこの辺じゃなければいいだろ」
仕方なく比企谷が折れ電車に乗って隣町に行く。駅を降りて街中をただ気まぐれに歩くだけ。でも隣に比企谷がいる。それだけで心が浮き立つ。
「どこに行きたい?」
「帰りたいんだけど。どこだよここ」
葉山は比企谷の手を掴んで歩きだす。
「おい、手」
「繋がないと人に流されるだろ」
人混みの中で迷わないようにとそう思って繋いだけれど、どさくさに掴んだ比企谷の手の平はじわりと温かい。通りに出てから離されそうになった掌をぎゅっと握り直す。大型書店に通りがかりに入ってみる。はじめはだるそうにつきあっていた比企谷だが書店には興味を示す。めいめい好きなコーナーに別れる。気に入ったらしい本を購入しているところを葉山に見られ比企谷はバツの悪そうな顔をする。
「来て良かったんじゃないか」
「別に家の近くの本屋でも買えたけどな」
本の入った袋を抱えて比企谷はぼそぼそと言う。
ゲームセンターにも立ち寄る。家にもあると言う比企谷を宥め対戦ゲームをすると意外なほど熱くなる。昼過ぎになりファーストフードの店に立ち寄る。バーガーと飲み物を持ち帰りで頼むと比企谷が尋ねる。
「お前、食わねえの?」
「近くに公園があるからそこでいっしょに食べよう」
喧騒を離れ公園の噴水の前のベンチに並んで座る。バーガーを食べながら言う。
「たまには外出もいいだろ」
「たまーにはな」
拗ねたような物言いに葉山は微笑む。夕暮れになり帰りの電車に乗る。疲れさせてしまったのか葉山の肩に頭を持たせかけて比企谷は寝てしまう。意外に柔らかい髪の毛。寄せられた体温。鼓動が高鳴り聞こえてしまうのではないかと思う。遠く感じた存在が側にいる。すぐに触れられる距離に。ほうっとため息をつく。起こさないようにそっと比企谷の手を握る。

中間試験が終わっても葉山は自転車置き場で比企谷を待つ。約束のことは忘れたふりをして言い出さない。比企谷は首を傾げるがそのまま連れ立って帰る。家に寄ってもいいかと言うと比企谷は伺うような表情を浮かべるがいいと答える。だがある日葉山の家に寄らないかと言うと比企谷が首を振る。
「もう終わりだろ?」
「まだだよ。はっきりさせたいって言っただろ」
「お前、まだわかんねえの?」
「俺がわかるまで付き合う約束だろ」
比企谷が息を呑む。
「いつ終わるんだよ」
「いつって。俺は、俺は終わりたくない」
君との間の壁がなくなって嬉しかった。側にいて今まで知らなかった一面を見てもっと知りたくなった。それまで君を見て苛々していたその理由を自覚してしまった。一緒に過ごす時間はもはやなくてはならないものとなってしまった。それなのに。
「俺は終わらないと困るんだよ」
「なにが困るんだ。楽しくなかったのか」
「そうじゃない。そうじゃなくて。きりがないだろ」
「ずっとじゃダメか」
「ずっとなんて無理に決まってるだろ」比企谷が怒鳴る。
「いつ終わるんだ、まだかよって。考えながら付き合うのしんどいんだ。もう解放してくれよ」
弱々しく俯く比企谷の姿に葉山は愕然とする。
そうか。君には何の意味もなかったのか。俺は続けようとしていたのに。このまま続けられると思っていたのに。君は終わりを見ながら付き合っていたのか。結局俺は君にとっては関わりたくない人間だということか。
心の中がザラリとする。
「終わりにしてもいい。でも条件があるよ」葉山は比企谷の顎を掴み顔を上げさせる。「依頼なんだ。最後まで付き合えよ」

「約束だろう。比企谷」
葉山は部屋の鍵を締める。自宅には今2人だけしかいない。念のため。彼を閉じ込めるためだ。
「わかってる」
比企谷は唾を飲み込むと服を脱ぎ始める。葉山も服を脱ぎ手早く全裸になる。葉山の鍛えられた身体を見て比企谷は躊躇するが意を決したように下着を脱ぐ。比企谷はベッドにうつ伏せになり顔を枕に押し付ける。葉山が比企谷の肩に触れると身体がびくりと震える。怖いのか。だろうな。だからと言って今更止めてやれないけどな。
俺は君の心には何も残せなかった。だからせめて君を奪って壊して。この身体の中に俺の身体が存在した痕跡を残すと。

昼休みに葉山は一人屋上に登ると空を見上げる。寝転びながら葉山は昨日の比企谷の乱れた様を思い起こす。この手で抱いてこの身体で犯した。何度も何度も。
確かに手に入れた。そう感じた。
本当にあの1回だけなのか。もう抱けないのか。彼も感じていたように見えたのに。俺は忘れられるのか。欲しくてたまらなかった彼に触れて。彼を知って忘れられるのか。抱く前より膨れ上がってしまった想いに灼かれそうになる。比企谷。君はどうなんだ。
葉山は起き上がると比企谷を探す。授業中は席にいるのに休み時間になると比企谷は葉山を避けるように姿を隠してしまう。1人になりたいなら屋上かと思ったのになかなか見つからない。旧校舎の屋上だろうか。階段を駆け上がり扉を開ける。案の定求めていた姿を見つける。比企谷は金網越しに下を見ている。紺碧の空から金網で区切られ一人閉じこめられているように見える。葉山は一歩踏み出す。
「比企谷」
びくりと大きく比企谷の身体が震えるのが見える。だが振り返ったその表情はいつものふてぶてしさを装う。
「何だよ」
葉山が近づくと比企谷は後退りして距離を保とうとするがすぐ後ろの金網に後退を阻まれる。
「君は平気なのか?」
「何が」
「俺とセックスしただろう」
「何だよ。もうそれで終わりのはずだろ」
「忘れられるのか?俺に抱かれたこと」
「やめろよ」
比企谷の表情が変わる。葉山の言葉に動揺している。余裕のないこんな比企谷は初めて見る。歩を進めながら葉山はさらに容赦なく言う。
「忘れられないんだろう?だから避けるんだ」
「避けてねえ」
「俺は忘れられない。一層君が欲しくなった」
比企谷は葉山を睨みつける。
「約束破るのかよ」
「破るよ。君がそうなら守る意味もない」
葉山は足早に近寄り比企谷の退路を断つように追い詰める。出遅れた比企谷は後退る。今彼を逃すわけにはいかない。金網に手を掛けて囲い込み逃げ場を奪う。
「君は俺を忘れられない」
葉山は身体を押し返そうとする比企谷の片手を掴む。触れた手首が熱い。比企谷の身体が震えている。怯えているのは俺になのか。それとも。葉山は確信する。やっと君を捕まえた。
「俺を見て思い出さずにはいられないはずだ」
「やめろよ」
「君の身体にキスして。君の中に入れた」
「葉山、頼むからやめてくれ」
「君の身体は俺を覚えてる」
比企谷は俯くと囁くような小さな声で言う。
「こんなのわかんねえ。解放されると思ってたのに」
「比企谷」
「なんで終わったのにお前の顔を見るたびにお前とのセックス思い出すんだよ」
「俺もだよ。同じだ」
「同じじゃない。お前は慣れてるだろうけど俺は違う」
「俺は君が好きだ。君も俺が」
「違う。なんでそうなるんだよ」
「そうなるよ。俺と同じように」
「初めてだからだろ。お前なんかが初めてなんて」
比企谷はそう言うと顔を上げる。揺れる瞳に吸い寄せられるように、葉山はさらに一歩詰め寄る。
「こんなのは俺じゃない」
そう言いながら逃げようとする比企谷の両肩を掴む。細い肩に指が食い込む。
「でも戻れないよ。もう君じゃない君と付き合ってくしかないんだ」
「放せよ。頼むから」
比企谷は震える声で言う。瞳に怯えた色が見える。触れた掌から伝わる強張った身体の感触と体温。
「俺と同じなんだ」
葉山は捕まえた身体を引き寄せると腕を回しきつく抱きしめる。

END

星月夜に光ぞ降りて(R18)

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 見上げれば今にも降り注ぎそうな満天の星空。
瞬く数多の星々は目映く輝き、空が日光を覆い隠す天蓋であるかのような錯覚を起こしそうになる。
「空の星は天に空いた穴から漏れる光だと、昔の人は思っていたらしいね、比企谷」
「天動説か」
「そうなると、彗星や流れ星は何だと思ってたのかっていう話だけれどね」
「天の光は全て星って小説があったな」
「フレデリック・ブラウンだね。昔読んだことあるよ」
 当時も光は星のものであると気づいてた人はいたはずだ。でも人々はそれを見ないようにして嘘を信じた。今なら愚かなことだと笑う人も、当時の状況に置かれたならどうだっただろうか。
 君がその時代にいたなら、たとえ独りであってもきっと指摘するんだろうな。たった一人でも地動説を唱えたガリレオ・ガリレイみたいに。欺瞞も嘘も切り捨てる君は正しくて賢い。けれども時に堪らなくなる。君は唯一の正しい答えだけを選んで他を捨ててしまうんだ。たったひとつの冴えたやり方だけを選んで。


第一章


 陽が西に隠れ夕闇が空を包み始めた。
 新部長の掛け声で部員達はそれぞれクールダウンを終えて、後片付けを始めている。手は十分足りてるようだし、手伝うことはことはなさそうだ。葉山は新部長に声を掛けた。
「後はまかせてもいいかな」
「はい。お忙しいのにすいません、葉山先輩。お疲れしたー」新部長はすまなそうに軽く一礼する。
「気にするなよ。手が開いてるから来てるんだ」
 葉山は急いで合宿所に向かった。合宿施設は2階建てで校舎に隣接しており、校舎の渡り廊下から合宿所の玄関に繋がっている。台所へと向かう廊下を速足で歩いていると、いろはの高い声が聞こえてくる。声は次第に近くなり、比企谷のやる気のない相槌も聞こえてくる。
 葉山は戸を開けようとして躊躇う。覗いてみるとガラス戸の向こうでは、比企谷といろはが作業の引き継ぎについて話している。食事の用意はできているようだ。昼間と同じくマネージャー達でやってくれたのだろう。しかし、まだここにいろはがいるとは思っていなかった。そういえば彼女はさっき帰宅する前に挨拶に来たマネージャー達の中にいなかった。いろは女の子らしい所作で比企谷をからかっているようだ。比企谷は呆れた口調ながらも顔を赤らめている。
 チクリと胸に傷みを感じてふっと息を吐く。振り切るように戸を開けて二人に声をかける。
「いろは、そろそろ暗くなってきたよ。後は比企谷に任せてもう帰った方がいい」
 声に気づいて二人が葉山に視線を向けた。比企谷は軽く眉を顰めてすぐそっぽを向く。いろはが駆け寄ってくる。
「気づきませんでした。もうそんな時間ですか、葉山先輩。じゃ、帰りますね」いろははにこやかにそう言い、くるっと比企谷を振り返り冷静な口調になる。「じゃあ帰るんで後はよろしくお願いします」
「おお、気をつけてな」比企谷は手をポケットに突っ込んだまま答える。
 軽やかな足音が廊下を駆けていった。いろはがいなくなると台所は静けさに包まれた。後片付けをしている部員達はまだ戻ってこないようだ。比企谷はいろはに渡されたらしいメモを見ながら手順を反芻している。葉山は比企谷の隣に移動するとメモを覗く。丸文字の並ぶ女の子らしい文面だ。
「あいつの字読みづれえな。暗号かよ」
 ぶつぶつと愚痴る比企谷に葉山はくすっと吹き出して声をかける。
「君も夕飯食べていくかい」
「いやいい、俺は済ませてきたからな」
「面倒を頼んで済まないね。俺も何か手伝うよ」
「いいって。お前らは着替えたり風呂入ったりしてろよ。依頼は依頼だ。気にすんな」
 葉山はじっと比企谷を見つめて少し目を伏せて口を開く。
「君はいろはと随分親しげだね」
 比企谷は顔を上げると訝しげな表情を浮かべる。
「お前ちゃんと見てねえだろ。あれは違うぞ。舐められてんだよ」
「そうじゃないだろ。懐いているじゃないか」
「懐いてって……慣れてきたってとこだろ。生徒会絡みで色々あったし、まあ、妹がいるから年下は話しやすいしな」
「そうかな。でもそうは見えないな」思いのほか棘を含んだ口調になった。
「やけに絡んでくるな。なんかお前苛々してねえか」
 訝しげな表情の比企谷が見つめ返す。葉山は視線を避けて顔を逸らし、声を低めて呟く。
「君を見てると苛つくんだ」
「あーそうかよ」比企谷は眉根をよせて剥れる。「なんなんだよ。お前が手伝ってくれって依頼するから来たのによ」
「悪い、そういうつもりじゃないんだ。ごめん」葉山は髪をかきあげて俯く。「俺がおかしいんだ」
「疲れてんのか葉山。いいぞ、ここは俺だけで。邪魔だしよ」
 ぶっきら棒な言い方の中に心配そうな声音が滲んでいる。本当に君って奴は。葉山は顔を上げて微笑んでみせる。
 俺がおかしいのは君のせいだ。君がいろはとは親しげに話してるからだ。俺と話す時とは全然違う。それだけでこんなに心が騒めく。だがそんなことは言えない。君には余裕を見せていたいんだ。格好悪いところを見せたくないんだ。いろはと比企谷の間に何もありはしないのに、動揺するのがおかしいんだ。でも頭で理解してても感情が先走ってしまう。思ってもみなかった。依頼の1週間はまだ始まったばかりなのに。

「手伝いに来てくれないか」
 夏休み前に葉山は比企谷を呼び出して仕事を依頼した。奉仕部の部室に行かずに彼個人に頼む必要があったのだ。
「嫌だね。面倒くせえ」
 依頼内容も聞かずに即座に比企谷は断ってきたが、構わず葉山は続けた。
「夏休みに学校で1週間、サッカー部の合宿が行われることになったんだ。でも昼間はいろは達マネージャーがいるんだけど、女の子だし夜は帰らなきゃいけないんだ」
 渋面を作りながらも比企谷は立ち去ろうとはしない。葉山はほっとして話し続ける。
「夜の仕事じゃ奉仕部のあと2人には頼めないからね。だから君だけに来てもらいたいんだ。」
「そりゃそうだろうな。あいつらも一応女子だし。つか、だったら全員家帰れよ」
「はは、そこは合宿だから。それで君に彼女達と入れ替わりで、仕事の引き継ぎを頼みたいんだ」
 主な仕事は夕食の配膳や片付けや夜の見回りだと葉山は説明した。学校と繋がった施設なだけに、ついでに校舎の方も見回りをすることになっていた。
「ほんと雑用じゃねえか。お前ら皆でやれよ」比企谷は鼻を鳴らした。
「そうできればいいけどね。朝は自分達で用意するけど、夜は皆練習で疲れて動けなくなるだろうし」
 比企谷は少し考えて口を開いた。
「葉山、3年生はもう引退だよな。なんでお前が手伝いやってんだ」
「俺も手が足りないって顧問の先生からフォローを頼まれたんだよ」葉山は苦笑いして答える。「元部長だからね。他の皆は受験勉強中でそれどころじゃないけど、俺は進路決まってるし。だから合宿に付き合って下級生の指導をすることにしたんだ」
「男の手伝いはお前1人ってわけか。期待に応えんのもそこまでくると病気だぜ」心底呆れた口調で比企谷は言った。
「これが俺だよ」葉山は肩を竦める。わかっていても困っていると知ってる以上、頼まれては断れない。それで応援を頼むようでは本末転倒かもしれないが。いや、違うか。葉山は内心苦笑する。半分は君と話す口実が欲しかっただけだ。
「難儀な性格だな、お前は」比企谷は溜息をついて続けた。「1週間、夜だけだな。いいぜ」
 案外すんなりと承諾した比企谷に、葉山は安堵して微笑んだ。
「すまないな。助かるよ」
「奉仕部への依頼じゃしょうがねえ」
 比企谷は渋々という体でそっぽを向いて返した。
 そんなやりとりがあって約束を取り付けてから数日後、学校は夏休みに入り、夏合宿が始まった。
1日目の夕方、依頼通りに比企谷はグラウンドに顔を出した。葉山と目が合うと比企谷は顔を顰めて側に歩み寄ってくる。「よお、どこ行けばいいんだ?」と聞く比企谷に葉山は礼を言い、合宿所内を案内しようと連れだって玄関に向かった。
「先輩遅いですよー」
 明るくはしゃぎながらいろはが廊下を駆けてきた。比企谷の腕を掴み中に引きずってゆく。比企谷は渋い顔をしながらもなすがままにさせている。
「後は私がやります。任せてください。きちんと教えますから」
「お前、なんか偉そうだな」ぼそっと比企谷は呟く。
「当たり前じゃないですか。葉山先輩に迷惑かけたらどうするんですか」
「はいはい。サッカー部に迷惑かけたら、じゃないのかよ」
「当然です。葉山先輩に、です」
 葉山は比企谷の肩を軽く叩いて言った。
「じゃあ、頼むよ。比企谷、いろは」
 そう言いながらちくりと何かが胸を刺す。葉山は後ろ髪を引かれる思いで踵を返してグラウンドに戻った。

 次の日も比企谷は夕刻に合宿所を訪れた。葉山は気が急いていち早くグラウンドを離れて合宿所に戻った。台所では昨日と同じく、いろはが楽しそうに比企谷に指示を出していた。まるで迫ってるように身を寄せてくるいろはに、比企谷は困惑しながらも従っている。顔が近いと言いながら比企谷の頬は赤くなっている。
 いろはは照れる比企谷をからかっているだけだ。それなのに胸が騒めく。葉山に気づいたいろははころっと態度を余所行きに変え、挨拶して台所を出て行った。
 夕食が終わり皆が食器を台所に下げる。その後は部員たちは交替で風呂に入り、ミーティングしてから就寝する。大人しくすぐに寝るかどうかはわからないが。そろそろ時間かと葉山は比企谷を呼びにゆく。
「比企谷、こっちにいればいいじゃないか。退屈だろう」
 皆の食事中は比企谷は宿直部屋で持ってきた本を読んでいたらしい。葉山を見て比企谷は腰を上げる。
「よく知らねえ奴らといて気疲れするほうが嫌だ。本もテレビもあるし退屈はしてねえよ」
 流しに立った比企谷は皿の片付けを始めようと腕を捲った。
「おっし、じゃあやるか」
 葉山は胸のつかえが取れないままに比企谷の側に近寄る。
「色々悪いね。手伝うよ」
「お前忙しいんじゃないのか」
「ミーティングは彼らだけでやるし、コーチのほうはもうやることないよ」
「ああ、そうなんだ。じゃあ皿拭くの頼むわ」
 比企谷は慣れた手つきで濯いだ皿を洗い上げに並べていく。葉山は皿を拭きながら比企谷の手元を見つめて口を開いた。
「意外に家庭的なんだな」
「まあな。朝飯も夕飯も小町と二人だしよ。このくらい当たり前だろ」
「やっと、2人で話せるな」
「は?ああ、なんか話あんのか?なんだよ」比企谷は訝しげに葉山を振り見る。
「時々いろはや戸部が羨ましくなる時があるよ。君と友達になれる。気楽に話しかけることができる」
「友達じゃねえよ。あいつらは馴れ馴れしいだけだろ」
「俺にはできないからね」
「そりゃそうだ。できねえじゃなくてする必要がねえんだろ。お前は友達ってのとは違う。」
「君が考えてるような意味じゃないよ。俺は君には期待してしまうんだ」
「何を期待するんだ。葉山」
 葉山は自嘲するようにふっと笑う。
「望むのが友達ならば俺もそうできるよ。気楽に話しかけられる。でも俺はそうじゃない」
「そうかよ」
「君といると俺は平静でいられないんだ。自分がバカみたいに思えてしまう」比企谷の顔をどこか眩しげに見つめて葉山は続ける。「俺は君にだけはもっと望んでしまう。欲深いんだ」
「欲深いって、なんのことだ」
 葉山は答えずに薄く笑った。もうずっと前から、多分君の本質に気づいた時から自覚していた。君に惹かれてる。君に焦がれてる。俺は女性には好感を持てても情欲は持てない。人間として尊敬してるとか綺麗だとか可愛いとか思うだけだ。手に入れたいとは思わない。征服欲も支配欲もただ1人だけに、君だけに向かっているんだ。欲深過ぎてほんの少しだけでは足りない。想いは君には言えないままに澱のように溜まってゆく。
 罪のようなこの想いははいつか罰を受けてしまうのではないだろうか。

 その翌日、葉山は夕食後の皿洗いをしている比企谷の元に歩み寄った。
「ごめん、皿多いよね」
「まったくだ。いい加減うんざりだ。お前らは食い過ぎなんだよ。丼物と汁物の二皿で十分だろ」
「拭くだけじゃなんだよね。洗うのも手伝うよ」
 葉山はスポンジを手にして食器洗いに没頭する比企谷に視線を送る。
「君も女の子に対して照れたりするんだな」
 今日もいろはは比企谷にじゃれついていた。比企谷はちょっと照れたように俯き、もごもごと口籠る。
「おかしいかよ。そりゃそうだろ、免疫ねえもん。お前は女子に慣れてるだろうから、今更魅力もへったくれもないんだろうけどよ」
「俺だって女の子に魅力は感じるよ。でも後のことを考えてしまう。少しでも応えれば揉めごとの元になるしね。気持ちはありがたいけど俺は何も返せない」
「そうか……お前はそうだったな」
「だから気持ちを育てるより、ストップをかけてしまう癖がついてるんだろうな。俺は自分の欲求は選ばない。人の期待を優先する道を選ぶよ」
「お前みたいなのがいつか政略結婚とかすんのかな」
「親の期待に応えて、か。そうかも知れない。選びようがない事だから」
「想像つかねえ世界だな」
「誰も傷つけたくないんだ。 君だけは別だよ。こんなことは君にしか話さない」
「勝手に捌け口にされても迷惑だな」
「君だけは、特別なんだ」葉山は言葉を切り、逡巡してからようやく言葉を紡いだ。「好きなんだ、君が」
 突然の葉山の言葉に比企谷は目を丸くして見つめ返す。
「そりゃあ、どうも。初耳だな」
「恋愛的な意味でだよ」葉山は比企谷に熱を含んだ視線を向けた。
「冗談だろ」間を置いて比企谷は口を開く。
「俺は本気だよ。君が好きなんだ」
「俺なら厄介なことにならないからだろ」
「そうかもしれない。油断して気持ちの歯止めをかけ忘れてたかな」葉山は苦笑する。「好きなだけだよ、比企谷」
 比企谷は目を逸らし黙り込む。蛇口から流れる水が排水溝に吸い込まれてゆく。
「やっと言えた。楽になったよ」葉山は痛々しい笑みを浮かべる。「何か言ってくれないか」
「なんて言っていいのかわかんねえよ」
 比企谷は掠れた声で言葉を紡ぎ、それ以上何も言わず洗い物を再開した。葉山は洗う手を止めて俯向き唇を噛む。君に告白してどうなると言うのだろう。今まで本当に欲しいものが得られたことなんてない。願いが叶ったことなんて一度だってないんだ。

 その日の夕飯後、校舎の見回りに出る比企谷に葉山も同行した。元々合宿初日から葉山も付き添っている。だが今夜は今までと違った。少なくとも葉山は昨日までのように冷静ではいられなかった。
渡り廊下を歩きながら比企谷をちらりと見る。さっきの告白を彼はどう思っているのだろう。俺をどう思っているのだろう。とくんと胸が鳴った。
 見回りは明かりをつけずに、懐中電灯の光だけを頼りに暗い校舎を歩く。月明かりが白く照らす廊下。響く二つの足音。ふと隣りの比企谷の手の甲が触れる。またこつんとぶつかる。葉山は比企谷の指先に触れるとそのまま手を握りしめた。比企谷が軽く振り解こうとするがぎゅっと力を込めて離さない。
「ちょ、お前」
「暗いから迷いそうだよ。いいだろ」
 比企谷は抗議するものの、強く払いのけようとはしない。2人きりで歩く内に隣あう距離を詰めて、比企谷が離れるとまた詰める。手を繋いでいるから離れられはしない。告白したせいだろうか。葉山はそれとなくアプローチするような行動を取っている自分に気づいていた。
 一回りしたところで「まだ時間いいかい?」と葉山は聞いた。比企谷が返事をする前に畳み掛けるように続ける。「君ともう少し一緒にいたいんだ。もう一回巡回しよう」
 手を引いて元来た道を戻る。少しでも彼の帰る時間を引き延ばしたい。比企谷は溜息をついてなすがままに連れ立って歩く。一度見た教室をまた確認している時、暗闇の中に物音がした。懐中電灯の光を向けても別段変わった様子はない。葉山は言った。
「教室に入って見よう」
「やだよ。何かいたらどうすんだよ」
「君が幽霊とか怖がるとは思わなかったな」
「誰が幽霊なんか怖いもんか。怖えのは人だ。泥棒とかいたらどうすんだよ」
 葉山は怖気づく比企谷の腰を抱き寄せて中に入る。隈なく見ても何の気配もない。比企谷はほっとすると同時に、いつの間にかきつく絡みついた葉山の腕に気づいた。逃れようと身を捩るが葉山は身体に回した腕を離そうとしない。
「なんだよ葉山」
 狼狽える比企谷に葉山は掠れた声で囁く。
「もう少しだけこのままでいてくれ」
 葉山は腕に力を込めて身体を引き寄せ、比企谷の肩に頭を押し付ける。
「は、葉山」
「俺はおかしいんだ」
 言葉にしてしまったからだ。告白してしまったから抑え切れなくなった。心の奥に押し込めていた気持ちを吐き出して、楽になるはずだったなのに。どうしてこんなに苦しいんだ、比企谷。堰き止めていた感情が溢れ出して止められない。君の身体に回した腕が熱い。君の肩に触れた額が燃えるようだ。
 比企谷は戸惑っているようだが突き放そうとはしない。俺の気持ちを知ってるからだ。好意を抱かれているとわかってるから、無下には出来ないんだろう。君は好きになった相手に傷つけられる辛さを知っている。だから俺が手を握っても振り払ったりしない。触れても抱きしめても避けたりしない。そんな君だから図に乗ってしまう。
 合宿施設に戻る道を歩みながらまた手を繋いだ。振り払わない比企谷のほっそりした指と自分の指を絡める。君はわかってるかい。今君と恋人繋ぎをしてるんだよ。
 君はどこまでなら許してくれるんだろう。
 合宿所に続く入り口を前にするりと比企谷の指が離れていった。離れた熱を追って指が宙を掻く。宿直部屋に入り持ってきた鞄を引っ掴むと「じゃあな」と言い比企谷は去っていった。
 闇に溶けてゆくその姿を見送りながら思う。告白したら楽になるなんてなんで思ったんだろう。好きなだけなんて、それだけでいいなんて。俺はいつも嘘ばっかりだ。

 雲一つない晴れた夜の学校の屋上。夜空には煌々と照らす月から溢れた欠片ような星々が広がっている。合宿3日目の見回りの時に、葉山は屋上で一緒に星を見ようと比企谷を誘った。
「今夜は流星群が来るんだよ。ついでに見てもいいんじゃないか」
「何のついでだよ」
 比企谷は文句を言うが抵抗は緩い。興味がなくはないようだ。連れだって階段を登り、屋上に出ると空を見上げた。降るような星の群れ。だが星は瞬けどなかなか降ってこない。
「まだ見えねえのかよ」
「もう少し待ってくれよ」
 せっつく比企谷に微笑んで返す。不機嫌にさせてしまっただろうか。暗いせいで彼の表情は見えない。ふいに天空を横切る光が見える。
「ほら、流星が見えたよ」
 葉山は弾んだ声で言うと比企谷を振り見る。
「何処だよ。ああ、見えた」
 向こうに別の流星を見たらしい。比企谷の声も何処と無く弾んでいるようだ。夜空を引っ掻く幾つもの光る星の矢。目を凝らしても見えず目の端にふいっと空を横切る。
「輝くもの天より堕つ、か」
ジェイムズ・ティプトリー・Jr.だね。SFも読むんだな、君は」
「読むよそりゃあ。お前が知ってる方が意外だぜ」
 流れ星に願いごとをしたことなんてない。願いは自力で叶えるものだ。でも今は自力ではどうにもならないことがあることを知っている。だから人は星に願うんだろう。願えばいつか叶う気がするんだ。夜空を見上げる比企谷の横顔を見つめて、葉山はふっと言葉を紡いだ。
「君が好きだよ」
 比企谷のシルエットがふるりと動く。
「俺は君がいいんだ」
 彼に言ったのか星に願ったのか。独白するような静かな口調で葉山は続けた。
「君と付き合いたいんだ。出来れば」
 葉山は歩を進めた。近付くと月明かりで比企谷の顔が見えてくる。戸惑う君の表情が。
「男だぞ、俺は」比企谷は葉山に視線を移して言った。
「わかってるよ。でもこれは俺の正直な気持ちだよ」
「お前は引く手数多だろうに」
「君じゃなければ、今誰かと付き合いたいなんて思わない」
 葉山は比企谷の肩に触れる。服越しに彼の熱が伝わってくる。
「俺が触れるのは嫌かい」
「嫌とかねえよ。別に、お前はお前だろ。葉山」
「俺は君に告白したんだよ。触れれば嬉しいんだよ。もっと触れても大丈夫なのかな」
 比企谷は目を逸らす。葉山は静かな口調で尋ねた。
「君の返事を聞きたいんだ。俺をどう思ってるんだ。比企谷」
「その、いい奴だよお前は」
「俺は期待していてもいいんだろうか」
「それはその」
「比企谷。なんでもいいんだ。拒絶でもいい。君の返事を聞きたい」
 比企谷は視線を彷徨わせ、空を仰いで言葉を紡いだ。
「いい奴でもねえよな、お前は。お前は面倒くさくて厄介だしそれに頑固でしつこい。だから」
「だから?比企谷」
「その、だから」困ったように比企谷の語尾が小さくなってゆく。「理由にならねえな……」
「比企谷」
 比企谷は黙り込んで暫くして口を開いた。
「いいぜ。付き合っても」
 彼は何と言った。幻聴だろうか。望み過ぎて脳が勝手に彼の言葉を変換したのではないか。葉山は耳を疑い問い返した。
「本当か。いいのか。比企谷」
「告白されるなんて俺の人生で初めてだしな。なんか嬉しいとか思ったりしてるし」
「比企谷」
「お前みたいなイケメンの優等生は、よく告白されるだろうから慣れてるだろうけどよ。嬉しいもんだな。お前はそれをよく無下にできるよな」
「比企谷、本当にいいんだな」
「試しもしないで理由もなく断るのはよくねえだろ」
 葉山は比企谷の腕を掴む。試しという言葉が少し引っかかった。だがそんなことはいい。
「撤回は出来ないよ、比企谷」
 葉山の真剣な瞳に気おされ、比企谷は唾を呑み込んで言う。
「お、おお、男に二言はねえよ」
 夜が彼の常識的な判断を鈍らせたのだろうか。気持ちを受け入れるということがどういうことなのか、一度許せばどうなるのか。君はわかってるのか。
「そろそろ行くか」
 比企谷が言い、2人は屋上から降りて校舎内に戻った。暗い階段を2人分の足音が木霊する。廊下に出ると、窓からの月明かりが比企谷の整った顔立ちを照らし出した。青白い光に彼の相貌は彫像のように見える。隣にいるはずなのにどこか遠く感じる。
 君は本当に俺を受け入れてくれたのか。明日になったらなかったことにしてしまうんじゃないのか。ふいに不安に駆られ、葉山は比企谷の手首を捕まえると壁に押し付けた。
「なんだよ葉山」
 訝しげな表情で見上げる彼に口付けをする。初めて触れる比企谷の温かい唇。驚いて逃れようする彼の顎を掴み少し開かれた隙間から舌を差し入れた。彼の舌を探り当て絡ませる。彼の口腔を味わい食むように深く口付ける。恐らく彼にキスの経験はないんだろう。たまらない。もっとだ。彼のシャツのボタンを外し胸元を肌けて首筋にキスをする。喉仏に舌を這わせる。葉山の勢いに狼狽え、身を引いて逃れようとする彼をまた壁に押さえつける。鎖骨を甘噛みし舌を尖らせて窪みに這わせる。
「え、葉山、マジなのか」
 比企谷が狼狽した声で問うた。顔を上げて視線を合わせる。
「本気だ。今更君は違うって言うのか」
 声に苛立ちが滲み出てしまう。肩を掴む指に力を篭める。
「そんなすぐにキスとか、その、するものなのかよ」
「気持ちははっきりしてるんだろ、比企谷。待つ必要はないだろ」
 逆だ。君の気持ちはまだふらついている。はっきりなんかしていない。だから今逃がすわけにはいかない。葉山は比企谷の唇を親指でそっとなぞり唇を重ねる。軽く啄ばみ息継ぎに軽く開けられた唇の間から舌を忍ばせる。熱くて滑らかな口腔を隅々まで探る。ん、と比企谷は小さく呻くが、さっきと違い逃げずにされるままになっている。掴んだ肩から震えが伝わってくる。名残惜しくキスを終えて葉山は言った。
「ほんとは何度もデートしたりとか段階を踏むべきなんだろうけど」
 肩で息をしている比企谷の瞳を覗き込む。
「デート?お前と?いつどこでできんだよ。冗談だろ」
「そうやって雰囲気を高めていくってことだよ」
「雰囲気ってお前とか。なんの雰囲気だよ」
 比企谷は笑いかけてハッと真顔になる。葉山は押し殺した声で言葉を紡いだ。
「比企谷、今ここで、したい」
「え、それは」
 何をと言わなくてもわかったのだろう。比企谷は怯えを瞳に映していた。
「今欲しいんだ」
「何焦ってんだよ、葉山。お前おかしいぞ」
「おかしくなんかない。比企谷、俺は今がいい」 
「葉山」
「今じゃないと駄目なんだ」
 俺らしくない理不尽なことを言っている。告白を受け入れてすぐになんて。でもどうしても譲れない。比企谷は戸惑いの表情を見せて溜息をついた。
「誰にも言うなよ。と言ってもお前なら誰にも言わないよな」
「勿論誰にも言わないよ、俺もその方がいいと思う」
 それならいいか、と比企谷は吐息だけで呟く。
「バレたらお終いだからな」
 低い声で囁かれ葉山はどきりとした。
「ああ、わかった」
 身体を比企谷に押し付けて葉山はズボンのチャックを下げた。首をもたげた性器を取り出して腰を押し当てる。比企谷のズボンに手をかけると慌てて手を止められる。構わずチャックを下げて彼の性器を引き出した。
「今のキスのせいかな。君の膨らんできているね」耳元に葉山は囁く。慌てて比企谷は腕を突っ張るが突き放せない。
「お前、ばかやろ、何を」
「俺のもだよ。ほら」
 立ったまま向かい合わせになって勃ち上がりかけた性器を触れ合わせる。おずおずと比企谷は葉山の腕にしがみついた。互いに抱きあって擦りつけ合う。
「あ、葉山」
 比企谷が吐息交じりに名を呼んだ。2人の息遣いが混じりあい廊下に響く。直に触れる体温。ひんやりした君の表皮にこんなに熱い部分があるなんて。触れ合い擦れ合う皮膚が気持ちいい。君の身体の中はどんなに温かいだろう。彼とすぐに既成事実を作りたい。今の状態が雰囲気に流された彼の気紛れでもいい。形にしてしまえばもう彼は俺のものだ。
 いったん身体を放すと、葉山は比企谷の腕を引いて廊下を早足で歩き、階段の側にある保健室に連れ込んだ。灯りは付けずに窓際に歩み寄ってカーテンを開け放つ。月明かりが煌々と室内を照らす。この光で十分だ。懐中電灯で机の上を照らして薬箱を見つけると、葉山は中からワセリンを取り出した。
「何だそれは」
 比企谷は不思議そうに聞く。
「後で必要になるからね」
 そう言いながら葉山はベッドのカーテンを全開にして、ワセリンを枕元に置いた。仄暗い中で比企谷の身体をベッドに押し倒し、肌蹴たシャツの中に手を入れる。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 シャツの下のタンクトップをたくし上げられて、慌てる比企谷を押さえつける。さらりと胸元を撫でて突起を摘む。屈みこんで乳首を口に含み舌で転がす。
「葉山、擽ったい」
 比企谷が声を潜めて咎めるように名を呼んだ。構わずに舐めて甘噛みする。音を立てて胸や腹にいくつもキスをする。ズボンを脱がせて下半身を剥き出しにする。青白く浮かぶ扇情的な姿。見下ろして唾を飲む。葉山はズボンを下着ごと脱いで片足だけをベッドに乗り上げた。ペニスと陰嚢を優しく掴むと比企谷がびくっと身体を起こす。
「い、いきなりだな」
「ああ、ごめん。びっくりさせたな。気持ちよくするから」
 葉山は指で輪を作り比企谷の竿を扱く。
「人に擦られるのって、なんか、変な感じだな」
 比企谷の声が吐息混じりで熱っぽく聞こえる。気持ちよくなってきたのだろうか。
「感じるのか」
「そりゃ、誰でもそうだろ」
 雁を撫でて鬼頭の窪みを嬲る。括れを指できゅっと締めて先端を擦る。
「ちょ、そこは」
 葉山の動きを止めようとするように比企谷が葉山の腕に手を添える。
「強かったか」
「ん、もう少し優しくっていうか」
「このくらいの触り方でいいか。教えてくれ」
「言えるかよ、あ、そこは、やめ」
 高められた比企谷の声が上擦ってきた。たまらない。竿を緩急をつけて扱き先端をそろそろと撫でる。比企谷の息が上がってきた。感じているのか。身体を捩るとさらさらと衣擦れの音がする。肌蹴たシャツの隙間から見える肌が、月明かりに照らされて陶器のようだ。性器を弄りながら顎から首筋に唇を這わせ、幾つもキスをする。比企谷の唇からほうっと吐息が漏れる。
「もういい、もう出る」
 潤んだ比企谷の瞳と視線が合い、色気に胸が跳ねる。葉山はティッシュを取り比企谷のペニスの先端を包んだ。比企谷は小さく声を上げて射精し、恥ずかしくなったのか目を瞑り口を手で覆う。葉山はゴクリと喉を鳴らした。下半身が熱くなってもうペニスがはちきれそうだ。葉山は比企谷の膝を大きく開かせ、股に下半身を押し付けのし掛かる。葉山の勃起したペニスに気づいて比企谷がおずおずと口を開く。
「お前の、しようか」
「俺はこっちがいい」
 葉山は指を滑らせて窄まりを摩る。比企谷はひゅっと息を呑んだ。
「ど、どうしてもか」
「ああ、どうしても。大丈夫だ。優しくするから」
「嘘くせえぞ、葉山」
 そう言いながらも比企谷は目を閉じる。抵抗しないのはいいということだろう。すぐに身体を繋げてしまいたい。でも焦ってはダメだ。葉山は薬箱から持ってきたワセリンを比企谷の後孔に塗り込めてゆく。そのまま指の第一関節までするりと潜り込ませる。比企谷の身体がずり上がるのを片手で押さえつけ、ゆっくりと第二関節まで捻じ入れる。粘膜を探るように動かして指を根本まで埋めた。抽送させるたび中が熱く熟れて柔らかくなってくる。
「動かすなよ。お前の指、節くれだってて、ごつごつして、なんか嫌だ」声を上擦らせながら彼は言う。
「そうか?嫌じゃないだろ。だいぶ柔らかくなってきたよ」
 指を2本に増やしてうごめかすと、滑った肉壁が濡れた音を立てた。
「てめえ、何言ってんだよ、や、あ」
 顔を上気させた比企谷が悶えている。さらに増やした指が滑らかに抽送出来るようになったので、ゆっくり引き抜く。比企谷はほっと息を吐いていたが、脚を大きく広げられると、戸惑う様に目を開けて葉山を見上げた。視線を合わせつつ手を添えて、手探りで先端を窄まりに当てて擦りつける。
「行くよ。いいね」
「え、ああ、マジかよ」
 葉山は比企谷の片足を持ち上げて、ぐっと腰を押し付けて挿入してゆく。太い部分が入り口を押し広げてめり込む。比企谷が苦し気に呻いた。雁を全て潜らせてしまうと、葉山は竿を通す道を作るように肉を穿ち、身体を開いていった。
「あ、あ、や、こんな」
 比企谷の声が耳に甘く響いてくる。腿を掴んでゆっくり小刻みに腰を揺さぶった。ぬめる狭い隙間をこじ開けて突き上げる。彼の隠された場所を暴き、自分の身体を押し入れてゆく。腕を交差させて顔を隠した比企谷が悶えながら聞く。
「葉山、これ、俺に突っ込んでるの、マジでお前のなのかよ」
「そうだよ。なんだと思ってるんだよ」
「暗くてわかんねえ」
「触ってみろよ、比企谷」
 比企谷の手を取って繋げた場所に導いた。指が葉山の屹立に触れる。繋がった部分をさすって比企谷は息を呑む。
「……お前の熱いな。身体の中にいるのと同じだ」
「君の中も熱いよ」
 比企谷の指を触れたままにしてぐっと腰を揺すった。ペニスが彼の内にさらにめり込んでゆく。
「は、や、葉山、なに」比企谷は声を上擦らせる。
「な、わかるだろう」
「お前を身体の中に感じることになるなんて、思いもしなかったぜ」
「俺もだよ。君の中に入れることが出来るなんて」
 蠢動する温かい内壁がペニスを内へ内へと誘う。もっと深くに入れたい。葉山はもう片方の足もベッドにのり上げると、ずりあがる比企谷の腰を掴んで引き寄せ、強く打ち付けた。
「あうっ」
 比企谷が悲鳴を上げる。性急だっただろうか。ああ、でも彼の中に根元まで入った。
「大丈夫か、比企谷」
「熱いんだか痛いんだかわかんねえよ」
 上半身をぴったりと重ねて彼の身体を抱きしめた。肌を打ち付ける度に比企谷の口から喘ぎ声が漏れる。唇を重ねると比企谷が目を開けて見上げてくる。舌を入れると比企谷の舌がそっと応える。深くキスをしながら腰を前後に振り、引き抜いては貫き続ける。震える身体、重なる鼓動。突くたびに中心が融けそうなほど熱くなってくる。せり上がる熱に吐精の予感がする。
「いい、かな」
「何が」
そう言ってから比企谷ははっと葉山の意に気づいて慌てる。
「な、中はまずいだろ」
「そうか、でも遅いかも」
 ぐっと深く入れると比企谷が仰け反った。後孔の締め付けが増して堪らず葉山は唸り声を漏らす。ペニスがどくりと震え射精する。熱い飛沫が奥を熱く濡らす。
「ああ、お前」
「ごめん、比企谷」
「わりいと思ってねえだろ。酷えな」
 比企谷が息遣いを整えながら潤んだ瞳で睨む。
「こうなったら止まれないよ。同じ男だしわかるだろ」
「わかる、けど、でもよ、お前」
「俺らしくない?」
 葉山は悪戯っぽい笑みを浮かべて上半身を起こし比企谷を見下ろす。比企谷は溜息をついて言う。
「それがお前なんだろ」
 比企谷は身体を起こし葉山の下から逃れて胡座をかく。シャツを脱がさずに抱いたから皺が寄ったかも知れない。座って向かい合い見つめあう。葉山は腕を伸ばして比企谷の身体を引き寄せる。唇を啄み舌で唇を突くと彼の口がおずおずと開かれる。隙間から舌を押し入れて口内を弄ると比企谷の舌がたどたどしく答える。彼の背に腕を回して服越しに肩甲骨や背骨を摩り、剥き出しの腰まわりを愛撫する。
 次は服を全部脱がせようと思いながら抱きしめる。抑えようがない動物的な衝動だった。でも彼は受け入れてくれた。
 やっと彼を手に入れたのだ。その時俺はそう思っていた。


第二章


 それから合宿の間、2人は夜の見回りの時間に隠れて、保健室のベッドでセックスをした。夜の秘密の遊戯は誰にも気づかれなかった。
 身体を重ねて互いに貪りあう一週間は瞬く間に過ぎ、合宿は終わった。けれど夏休みが終わったわけではない。毎日でも会いたい。一緒に過ごしたい。だが葉山の想いをよそに、翌日からいくら連絡しても比企谷は外に出たがらなかった。
「やっと俺の夏休みが来たんだ。もう一歩も家を出たくない」連絡をしてもそんな返事ばかり。家に行けば顔は出すものの嫌がる彼を連れ出すことは出来ない。家族が家にいるからと部屋に上げては貰えない。会いたくても会えない。触れたくても触れられない。気持ちが急いて身体が疼いた。彼は俺を受け入れてくれた。合宿の間中彼の身体を毎日抱いた。なのにこんなにお預けを食らうとは思わなかった。自然消滅させようとしてるなんてことはないだろうか。いや、彼はそういうことはしない。新学期になれば会える。早く夏休みが終わらないかとそればかりを考えた。
 漸く夏休みは過ぎて新学期になった。いつもなら億劫な休み明けなのに驚くほど気分が軽かった。登校した皆と久しぶりに会話をしつつ教室の入り口を伺った。だがなかなか比企は登校して来ない。焦れていると遅刻寸前になってやっと現れた。合宿以来の彼の顔を見て気分が高揚するのを自覚する。だが葉山の周りにはいつも仲間がいてふたりきりにはなかなかなれない。教室の中では離れた席にいる彼に視線を送ることしか出来なかった。
 休み時間になって比企谷が廊下に出たので葉山は後を追った。追いついて声をかけようとした時、前方からいろはが歩いて来るのが見えた。つい隠れてしまう。いろははすれ違いざまに比企谷に気づき、立ち止まって話しかけている。何を話しているのか、悪戯っぽい笑みを浮かべるいろはに、比企谷は顔を赤らめているようだ。
 ふと気付き胸がざわめく。合宿中も比企谷はいろはに迫られ赤くなっていた。今もいろはに顔が近いと文句を言いながら赤くなっている。奉仕部の面々に対してもそうだ。苦手なのかとも思っていたこともあったが。彼は女性に対してすぐに照れるんだ。比企谷は憎まれ口を叩きつつも由比ヶ浜に優しく接する。雪ノ下にもなんだかんだ文句を言いつつ思いやる。比企谷はそういう奴だとわかってるのに、やっと会えたのに心穏やかになれない。顔を見て嬉しいはずなのに、君を手に入れる前よりずっと不安でたまらない。
 その日ふたりきりになる機会はとうとうなく、比企谷は授業が終わるとさっさと帰ってしまった。その翌日も翌々日も。
 機会のないまま数日経って、焦れた葉山は自転車置き場に待ち伏せて比企谷を捕まえた。比企谷の自転車のサドルを掴んで「君はなんですぐ帰ってしまうんだ」と葉山は詰め寄った。
「え?なんか約束したかよ、葉山」
 比企谷はわけがわからないと言うように戸惑っている。
「教室ではなかなか二人きりになれないのに、君がすぐ帰ってしまうから話も出来ないじゃないか」
「それ、俺のせいか?」
「比企谷、今日から一緒に帰ろう」
「はあ?お前と学校から一緒に帰るなんて、あり得ないぜ」
 顔を顰めて言う比企谷に憤慨して葉山は言う。
「なんでそう言うんだよ」
「お前は目立つんだよ。一緒にいたらなんか勘繰られるだろ」
 目立つのを嫌うのは彼の性質だ。いらっとして葉山は言った。
「学校以外ならいいんだな」
「ああ、皆に見られないようなとこなら構わねえよ」
「じゃあ角の公園で会おう。あまりうちの生徒は通らない道だ。先に行っててくれ。後で行くから」さらに念押しする。「帰るなよ、比企谷」
 葉山は待ち合わせる約束をした公園に到着した。辺りを見回して時間をずらして学校を出た比企谷を探す。この公園には昼間は親子連れや小学生がいるが、夕暮れ過ぎにはほとんど人がいなくなる。比企谷の自転車が樹蔭に止めてある。その側のベンチに視線を移すと座って本を読んでいる彼を見つけた。「比企谷!」と呼んで走り寄ると掴みかかるように抱きしめてキスをする。そのままベンチに押し倒すと比企谷は慌てて葉山の肩を押して身体を捩る。
「ちょ、ふざけんなよ。ここ外だぞ。ありえねえだろ」
「ああ、ごめん。誰もいないからつい」
 公園から出ると、自転車を押して歩く比企谷の隣に葉山は並んだ。考え込んでいるのか、黙って歩く葉山の様子を伺って比企谷が口を開く。
「お前ん家と俺ん家方向違うだろ。何処に行くんだよ」
「俺の家でいいんじゃないか。うちの親は帰るの遅いからね」
 葉山は微笑んで続ける。
「これから身体を繋ぐのは俺の家でいいかな」
「つな……おいお前、言い方ってもんがあるだろ」
「抱くとかセックスとかはっきり言った方が良かったか」
「いや、そっちでいい、つか、わざわざ言うなよな」
 比企谷が俯いてボソっと抗議する。家に到着すると、靴を脱いだ途端に葉山は比企谷を押し倒した。キスをして上着を脱がしシャツの上から身体を弄る。
「は、葉山」
 狼狽した比企谷が身体を捩じって足掻く。足を割り服越しに勃起したものを押し付ける。組みしいた比企谷の身体が跳ねる。
「ここ、ここ玄関、鍵開いてる、葉山」
 比企谷の物言いが動揺して片言になっている。葉山はクスッと笑うと手を引いて比企谷を起き上がらせた。
「わかってるよ。床じゃ固いし、ローションとかいるし、部屋に行こうか」
「ローション…って」そうぼそっと言う比企谷の耳が赤くなっている。
 二階に上がり部屋に連れ込んでドアを閉める。俺の部屋に比企谷がいる。ほっそりした首筋に薄い身体。何度も触れて口付けた肌。胸が早鐘をうつ。心臓の音が外に聞こえてしまいそうだ。
「ここがお前の部屋かあ」
 比企谷は珍しそうに本棚を眺めている。ループタイを外して忍び寄り、背後から抱きしめる。腕の中で比企谷が息を呑んだ。
「俺の後ろに立つなよ」
 どこかで聞いたような台詞を言う彼の声が震えている。

「あ、いあ、葉山」
 彼の掠れた声が耳を擽った。ベッドのスプリングがギシギシと軋んで、引っ切り無しに悲鳴をあげている。
「いいって言ってるのかな、比企谷」
「ちが、あ」
 葉山の身体の下で比企谷が喘ぐ。ベッドの下には2人分の制服が脱ぎ散らかされている。ふたりは一糸纏わぬ姿で汗ばんだ身体を絡ませている。葉山は比企谷の肌に幾つものキスをして繋いだ腰を激しく揺らして苛んでいた。
「比企谷、比企谷」
「あ、あ、はや、もう」
比企谷が甘い声を上げて懇願する。ローションを塗りコンドームも使ったとはとはいえ3度目の挿入だ。無理をさせているのだろうか。
「これくらいなんてことないよ。君は運動不足なんじゃないか」
「お前と一緒にすんなよ、ああ、や」
 インドアな彼のことだ。体力が限界なのかも知れない。だが夏休み以来のセックスなんだ。まだ彼の身体を味わいたい。もっと堪能したい。始めの挿入では比企谷は苦悶の表情を浮かべていた。けれど今は動かす角度によっては嬌声を上げる。身体を揺さぶると蕩けるような目で見上げてくる。意のままに翻弄される彼が愛しい。腰を引いては突き入れると、熱い彼の肉が纏わりつき締め付けてくる。抽送を繰り返すほどにペニスが動かしやすくなる。彼の身体が俺の身体に馴染んできているんだろう。まるで俺の形に彼の肉体を作り変えているようだ。
「そろそろいきそうだ」葉山はそう言うと深く突き上げ、低く呻いて吐精した。
「疲れた…」
 比企谷が呟く。葉山の背中に回されていた比企谷の腕が脱力して滑り落ちる。葉山は惚けた顔をした比企谷の耳元に息を整えながら言った。
「まだ足りないな」
「あ、嘘だろ。お前、そんな奴じゃ」比企谷は焦って声をひきつらせて言った。
「俺はこういう奴だけど。知ってるだろ」
「ああ、そうだった、くそっ」
 比企谷は眉根を寄せて溜息を吐く。柔らかく笑いかけると葉山は唇を重ねた。食むように深くキスをして比企谷の舌を探り出し絡ませる。身体を重ねて腕を回すと彼の体温が伝わってくる。
「重いぞ、葉山」
「ああ、悪い。もう少しこのままでいいかな」
 比企谷の胸に耳を当てる。行為の後なせいか、とくとくと早い比企谷の鼓動に耳を澄ます。薄い胸としっとりと滑らかな肌。確かに君は俺の腕の中にいるんだ。

 それから公園で待ち合わせて葉山の家に行くのが日課になった。毎日というわけではないが、自転車置き場で比企谷に今日はいいのかどうかと聞き約束をする。時間をずらして生徒たちがあまり通らなくなった頃に公園を出て葉山の家に向かう。自転車を押しながら比企谷は葉山と並んで歩いた。慎重な比企谷は同じ学校の生徒が通ると足を速めて隣から離れてしまう。そんなに気にすることないだろうと思うのだが比企谷は聞かない。離れるたびに葉山は比企谷を追いかけた。
 家に到着すると葉山はすぐに求めてしまう。優等生の仮面をかなぐり捨てて、夕方から夕飯前まで部屋で貪るようにセックスをする。キスを交わして肌を合わせて肉を擦れ合わせる。腕の中にいる彼をずっと抱いていたくて執拗に攻める。
 汗ばむ手足を絡ませているとこのまま溶け合っていくように思う。離したくないのは身体を交わしている時だけが彼を感じていられる瞬間だからだ。ことを終えるといつも比企谷はすぐに服を着て帰り支度を始めてしまう。一刻も早く帰りたいかのように。
 まだ時間はあるしいいんじゃないだろうか。もう少し一緒にいたいんだ。そう思ってシャツに腕を通している比企谷に葉山は声をかける。
「まだ帰らなくても大丈夫だろ」
「お前の親が帰るとまずいし早めに帰ったほうがいいだろ」と言い比企谷は床に投げ捨てられていた鞄を手にする。
「別にまずいことなんてないよ」
「あるだろ」彼は皮肉な笑みを浮かべる。「今まで何してたんだよ俺ら」
 秋が深まると日に日に黄昏時は短くなってゆく。窓の外はもうすっかり夜だ。夕闇が来なければいいのに。そそくさと階下に降りる比企谷を葉山は追った。
「じゃあな」
 そう言って自転車に跨って夜の闇に溶け込んでゆく姿を見送り、葉山は溜息を漏らす。彼の側にいられるのはこの時間だけだ。見つからないように気取られないようにと、学校での彼は葉山との接触を避けるようになっていた。関係になる前よりもずっとよそよそしい。かえって不自然に映るのではないかと思うほどに。次第に葉山は用心深過ぎる比企谷に不満を抱き始めていた。君はそんなに隠したいのか、俺との関係を。

 昼休みに教室の中で皆と談笑しながらも、心は上の空で視線を彼に送る。彼はいつも机に突っ伏して寝たフリをしているか、頬杖をついてぼんやりしている。授業中でも離れたところから隙を見ては彼を見つめる。部屋の中では彼の全てが俺だけのものだ。思う存分触れて思いのたけをぶつけられる。でも学校では触れるどころか話すことすらほとんどなくなった。他の生徒がいるから側にいられないなんておかしいだろ。教室でもどこでも君の側にいたい。別に皆も気にしないだろうし、気にする奴がいたとして俺はそれでも構わない。
 でも、比企谷は嫌がるのだろう。
 それだけじゃない。気にかかるんだ。以前と違っていつの間にか彼の周りには異性が幾人か近寄ってくるようになった。元々彼のことを大切に思い、彼も大切に思っている奉仕部の彼女達や陽乃さん、いろはや川崎さんや他校の折本。優美子や姫菜とも積極的に話すことはないまでも自然に接するようになった。それを思うと胸がざわめく。
 夏合宿の時、比企谷は揶揄ってくるいろはに照れていた。慣れていない君はちょっとしたことですぐに顔を赤らめる。君は考えたことないだろう。そんな君を見て俺がどんなに動揺しているのか。彼がときめくのはいつも異性に対してなんだ。それは初めからわかっていたことだ。俺は君に心を揺さぶられるけど君は違うだろう。君が俺を受け入れたのはただ最初に告白したからってだけなんじゃないのか。嬉しかったという君はまだそのことに気づいていないんだ。手に入れたというのに。手に入れたばかりなのにいつ失うのかと不安に囚われる。ずっと欲しかったんだ。欲しくてたまらなくてやっと手に入れた。誰にも奪われたくない。
 ふと目を向けると、比企谷の机の前に戸塚が立っていて話しかけていた。比企谷が話しながら頬を染めているのが見える。彼の容姿が女性的というだけで君はそんな風になるのか。見ているとふつふつと苛立ちが募ってゆく。暫く話をして戸塚が比企谷の前から去った。我慢出来なくなった葉山は皆から離れて比企谷の席の前に歩み寄った。
「比企谷」
 呼び掛けると比企谷は葉山を見上げて眉を寄せる。
「なんだよ、なんか用か」
「君は」
 葉山は言いかけて口を噤む。つい昨日の夕方には俺の下で喘いでいたくせに。涼しい顔をして白々しい物言いをする比企谷に怒りが湧いてくる。気持ちを抑えて微笑む。
「ちょっといいかな」
 そう言うと葉山は比企谷を教室から連れ出した。上の階に続く階段を登り比企谷を空き教室に連れ込む。教室の中には使われない椅子と机が教室の後ろに集められて置かれている。音楽室や美術室など特別室のあるこの階は授業がある時以外はほぼ人気がない。
「こんなとこで何だ」
 比企谷は訝しげに葉山を伺う。葉山は後ろ手に鍵を閉めると、乱暴に比企谷のズボンに手をかけ、下半身を剥いて壁に押し付ける。
「ちょ、何すんだよ、やめろ葉山」
 葉山は無言で比企谷の片脚だけを掴んでぐいっと持ち上げた。片足立ちにされてバランスを崩した比企谷は葉山の肩にしがみつく。
「転ぶだろおい、何のつもりだ」
 比企谷の声に不安が滲んでいる。葉山はベルトを外してズボンのチャックを下げると自身のペニスを取り出し、露わにした比企谷の窄まりに押し当てた。中心に感じる硬く弾力のある先端の感触に、比企谷は意図を察して狼狽える。
「嘘だろ、おい、葉山」
 葉山は黙ったまま腰を突き上げて比企谷の中に押し入った。
「うあ、はや、ま」
 比企谷が苦悶の声を上げて抵抗する。昨夜の行為のせいか潤滑油なしでもするりと先端が入った。さらに突き上げて立ったままで身体を貫いてゆく。熱い内壁が屹立を揉むように蠢き、葉山は感じて息を吐く。傷つけないように慎重に肉壁を掻き分けて挿入してゆく。肉の杭で比企谷を串刺しにしているようだ。百舌の早贄という言葉が脳裏を過ぎり、苦笑する。腰を前後に揺すりペニスを進めるたびに彼の中がうねり締め付けてくる。前立腺のしこりを擦られて彼は感じた声を上げた。彼はそんな自分に戸惑っている。堪らない。強く突かれ、比企谷が声を詰まらせる。
「ああ、ばかやろ、学校でなんて、あり得ねえ。誰か来たらどうするんだよ」
「来るかな。声を出さなければいいんじゃないか。こうやって塞げば」
 掠れた声でなおも抗議する比企谷の口をキスで塞ぐ。片足立ちに疲れたのか、壁をズルズルと伝って頽れる彼の身体を床に組み敷く。深く突いては引き抜き中を抉る。身体を揺さぶりながら貪るようなキスを繰り返す。絶頂を迎えそうになり、腰を掴んで引き寄せて奥まで貫き、彼の体内に射精した。また勃起したままの屹立が硬度を保ったまま治まらない。荒く息を吐いて彼の身体を抱き上げ、向かい合わせにして胡坐をかくと膝に乗せる。腰を抱えて抜けかけたペニスを再びぐっと突き入れる。
「や、あ、葉山、もう」
 比企谷は喘いで身を捩る。下から貫いた身体を逃がさないように抱いて拘束し、繰り返し腰を突き上げる。腿の上に乗せた比企谷の尻を掴んで揺する。比企谷自身の体重で突くほどに深く入ってゆく。
「嫌だ、嫌、やめろよ葉山」
 彼の熱い肉の隙間を押し広げ性器で抉り身体を引き裂く。比企谷は声を掠れさせながら言葉を発する。
「い、いい加減にしろよ。人に見られたら、お前はいいのかよ」
「俺は構わないよ」
「ふざけんなよ、お前、今はよくてもな」彼は揺さぶられながら切れぎれに続ける。「こんなのずっと続くわけない。いずれ終わるんだ。その時に何事もなく戻れないと困るだろ」
「それは君の本心なのか」
 比企谷の言葉に腹が立ち強く突き上げる。比企谷が悲鳴を上げかけて懸命に声を殺す。「わざわざ戻る道を塞ぐなってんだ。いつか終わっても。それでも信じられる奴がいればいいだろ」
 それは君にとっては奉仕部の彼女達や先生か。聞きたくない。黙ってくれ。回した腕に力を込めてきつく抱きしめる。どくりと性器が震え、彼の内におさめたままに再び吐精する。彼の心がいつか他の誰か、異性に向いてしまったら。俺はどうすればいい。彼を閉じ込めてしまえたら。そんなことできるはずがない。射精して弾む息を整えながら比企谷の身体を床に寝かせる。汗ばんだ身体にシャツがまとわりつく。身体を繋げたまま両手をつき彼の額に自分の額をくっつける。
 「お前は本当に俺に対して性欲を感じてんのかよ」比企谷は薄眼を開けて掠れた声で言う。
「当たり前だろ。勃つんだから」
「支配欲じゃないのか」
「何を言ってるんだ、比企谷」思ってもみなかった言葉に葉山は目を見開く。
「お前は大勢いる取り巻きに俺を入れてみたいんだ。こんな形でしかそれが叶わなかっただけなんだろ」
「本気で言ってるのか、比企谷」葉山は額を離し顔を上げて比企谷を見下ろす。
「違うのか?俺という異物を取り込んで安心したいんだろ」
 比企谷は口角を上げ嘲るように笑った。
「お前はいい。俺と違ってモテるからな。お前がこの形を選ぶならそれでいい。でも俺はお前の取り巻きにはならないぜ」

 その夜葉山は比企谷の夢を見た。夢の中の彼は葉山を見つめて皮肉めいた笑みを浮かべていた。
「異性に感じるような感情をお前には持てねえよ」比企谷は言った。
「比企谷、俺は」
「かわいいとか守りたいとかお前には思えねし。お前だって俺をそう思わないだろう」
「そんなことはない。俺は君が好きなんだ」
「どうかな。そのうちお前も俺も異性と付き合うかも知んねえだろ。この関係は寄り道なんだよ。」
「寄り道なんかじゃない。君は俺がどんなに君を好きなのか信じてくれないのか」
「何を信じろってんだ。試しだって言っただろう。俺自身だって俺を信用できねえのに」 彼の顔が見えているのになぜか表情がわからない。締め付けられるように胸が痛み走った。
「比企谷!」
 葉山は自分の出した声に起こされて跳ね起きた。夢と気づいてホッとする。だが夢で感じた胸の痛みは治まらない。夢の中の彼が口にしていたのは俺の不安そのものだ。彼が本当にそう思っているのかどうかはわからない。けれども冷たいその言葉は胸を切り裂いた。叫びだしたいほど辛くて苦しい。
 昔家の本棚にあった子供用の聖書。その中にあった羊飼いの話を思い出す。放牧から戻った羊飼いは羊が一匹足りないことに気づき、いなくなった羊一匹を探すために他の羊を放り出して探しに戻るんだ。後で皆に一匹のためになぜそんな愚かなことをしたのかと言われる話だ。当時は愚かだと思ったその羊飼いの気持ちが今ならわかる。1人を得るために他の全てを放り出すのは当たり前だ。だってそうだろう。失ってしまうかもしれないんだ。戻って来ないかも知れないんだ。二度と手に入らないかもしれないんだ。欲しいと思う愛しいと思う。それなのにままならないのが苦しくて仕方がないんだ。君に感じるこれが独占欲なのか。周りに感じるこれが嫉妬なのか。初めて人に感じる感情だ。なんて醜いんだろう。
 君は逃げ場を残しておこうとしてる。いつでも俺を置いていける様に。理不尽な怒りが腹に溜まる。腹の底に煮え湯が滾るようだ。そうはさせない。葉山は布団をぎゅっと握りしめる。

 翌朝の教室の中は落ち着かない空気に包まれていた。いつにないピリピリした葉山の様子に皆は戸惑い、腫れ物に触るように挨拶しつつ顔を伺っている。射るような視線を葉山は教室の入り口に向けていた。引きずるような独特の足音とともに比企谷が教室に入ってきた。鞄を掛けて席に着くのを見て葉山は席を立ち、比企谷の前に歩み寄った。皆が何事かと目を向けるのをちらっと気にしながら、比企谷は側に来た葉山に問うた。
「なんか用かよ」
 葉山は訝しむ比企谷に微笑みかけ、口を開いた。
「今日俺の家にくるよな」
 比企谷は戸惑って視線を彷徨わせる。
「お前の家なんて行ったことないだろ」
「君と俺は付き合ってるだろ。そうだよな」
 周囲が騒つく。比企谷は周りを気にして引き攣った笑いを浮かべる。
「おいおい、馬鹿なこと言うなよ。冗談にもほどがあるぜ。海老名さんにネタ提供すんなよ。笑えねえぜ」
「俺は君と寝たじゃないか。何度も何度も。君の身体の知らないとこなんてないよ」
 そう言いながら首筋に手を触れる。比企谷がびくっと震える。
「でたらめ言ってんじゃねえ。い、いい加減にしろよ」
 比企谷は勢いよく葉山の手を振り払った。教室がさらに騒つく。
「君はそんなに隠したいのか。何のために?俺のために?君のために?」
 葉山は席を立った比企谷の腕を掴む。
「逃げるのか」
「お前おかしいんじゃねえのか」
 比企谷は腕を振り払い、席を蹴って駆け出した。騒ついている教室を後にして葉山は追う。比企谷は階段を駆け上がり上の階に逃げた。がたがたと戸を揺する音が聞こえてくる。比企谷は特別教室を開けようとしているようだ。でも音楽室も美術室も開かないはずだ。鍵がかかっていないのは昨日連れ込んだ空き教室だけから。あの部屋だけは入るのを躊躇しているんだな。階段を登ってくる葉山の足音は比企谷にも聞こえているだろう。廊下を慌てたように駆ける彼の足音が聞こえる。意を決したのかとうとう比企谷が空き教室に駆け込んだのが見えた。ドアを閉めようとするがそれより早く葉山が滑り込む。
「来んなよ葉山」
 比企谷は窓の方に後退った。窓を開けて窓枠を後ろ手に掴み、目を見据えたまま口を開く。
「近寄ったらここから飛び下りるからな」
「君はそんなことしないだろ」
「ああ、しねえよ。お前ほんとに嫌な奴だな。でも近寄るなよ」
 カーテンが風に煽られてはためいている。比企谷は背を向けて窓枠を掴みなおした。怒りに声が震えている。
「これでお前との茶番は終わりだ。バレたらお終いだって約束だからな」
 予想した言葉なのに、いざ彼の口から告げられると胸が抉られた。痛みを堪えて彼の背に葉山は言葉を投げかける。
「終わりになんて出来ないよ、もう皆に知られたんだからね」
 比企谷は振り向いてせせら笑った。
「今だけだ。人の噂も75日ってやつだ。時間が経てばすぐに皆忘れる。お前と俺がそうだなんて誰も信じたくないだろうからな」
「俺が皆に信じさせる」
「俺は否定するぜ。もうこれからは本当に何も関係ねえんだからな。火がねえなら煙は立ちようがねえよ。俺はしたいようにするんだ。生きたいように生きる。俺の自由を奪おうってんならお前は俺の敵だぜ」
 敵、なのか。君にとって俺は。
「そんなに君は、俺を否定したいのか」葉山は声を震わせる。「俺が嫌いなのか」
 「そん……」比企谷は言いかけて暫く黙りこみ、足元に視線を落として漸く口を開く。「嫌いなら、付き合ったりしねえよ」
「比企谷、だったら」
「お前はいいよな」比企谷は薄笑いを浮かべて葉山を睨み付ける。
「俺の方がダメージが大きいって思ってんだろ。そう思ってやったんだろ。お前はぼっちじゃねえもんな。俺の代わりなんていくらでもいる」
「どうしてなんだ。君の代わりなんていない。なんでそんな酷いことを言うんだ」
「そうじゃないか」
「君を手に入れるには全部捨てないといけないのか。全部捨てれば、そうすれば君が手に入るのか」葉山は拳を握る。爪が掌に食い込む。「ならばいいよ、そうするよ」
「ざけんな。そんなこと望まねえ。お前の人生まで背負えるかよ。捨てたりしたら本当に俺ら終わりだからな」
「もう終わらせるんだろう?」
 葉山は薄く笑った。比企谷は視線を彷徨わせる。
「と、友達でいるのも終わるって意味だ」
「それはおかしいだろ。君と友達だったことなんて一度もないよ」
 その瞬間、比企谷は傷ついたような表情を浮かべた。思いがけない表情だった。何故君はそんな顔をするんだ。葉山は逡巡し思い至った。ひょっとして君は、俺と友達になることを望んでいてくれたのか。そんな言葉もなく素振りもみせずに、ひょっとしたら君自身にすら気づかない心の奥で、俺と友として繋がりを持とうと思ってくれていたのか。こんな形でしか望みが叶わなかったというのは君の方だったのか。
 けれども、と葉山は思う。俺も望んでいるのが友達だったのなら良かったのだろう。もしも君とこうなる前なら嬉しかったかも知れない。せめて友達であっても君と繋がれるならと俺は喜んだかも知れない。君の言う信じられる奴、になれたかも知れない。でももう違う。もう俺はそんなものにはなれない。
「これからも君と友達なんてあり得ない」追い打ちをかけるように葉山は重ねて言った。
「別に友達とかそんなの、お前なんかと」
 比企谷は俯いてカーテンを握りしめた。紡がれた言葉が途中で消える。傷つけたいんじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。俺が本当に言わなきゃいけないことは違う。でも言いたくない。君が惹かれるのは女の子や弱い守りたい存在なんだろう。彼らも皆きっと君に惹かれている。臆病な君を慮って言わないだけだ。優しいから見守って待っているんだ。それを知ってて俺は彼らから君を横取りした。それは俺の負い目だ。君は欺瞞を嫌う。心を偽るのを厭う。君が自分に気づいてしまったらもう俺と付き合わないかもしれない。俺から離れてしまう。俺から君に気づかせるなんて出来ない。俺の不安を君には絶対に言えない。嫉妬するのは不安だからだ。独占欲は怖いからなんだ。君を失いたくない。
「終わりのないものなんてないと君は言うけれど、でも俺は初めて会ったんだ。終わってほしくないものに」葉山は噛みしめるように続ける。「終わりたくない」
「なら何でバラしたんだ葉山。お前が終わりにしたんだ」
「俺は終わらせたかったわけじゃない。君を誰にも渡したくなかった。今も未来も永劫に。君が欲しかったんだ」
「お前ならともかく俺だぜ。誰が欲しがるってんだ。ありえねえだろ」
 もし君を欲しいと言う人がいたら君はどうするんだ。怒鳴りたくなるのをぐっと堪える。君が自分の本質に気づいたら、俺には他に幾らでもいるだろうと言って離れていくのか。君はわかってない。羊飼いは君の方だ。俺は君に他の羊を放って迷える羊を追ってほしいんだ。俺は君を誰からも引き離してしまたい。俺だけを選んで欲しいんだ。
「終わらせないでくれ」葉山はそう言いながら歩を進めた。
「側に寄るなって言っただろ」
 葉山は後退る比企谷を引き止めようと腕を掴んだ。逃れようともがく彼の両腕とも掴んで手に力を込める。比企谷はもがくのを止め、俯いてか細い声で言った。
「お前を見てるのが辛いんだ。心を隠して笑うそんなお前が」比企谷は顔を上げて葉山を見つめる。「俺のせいなんだろ」
 君は気づいていたのか。やはり人をよく見ている君に隠すことなんて出来ないな。でも理由までは理解してないだろう。葉山は心を偽るために薄く微笑む。気づいて欲しい。気付いて欲しくない。どっちなのか自分でもわからなくなっていた。
「そんなに辛いなら、やっぱり止めた方がいいんじゃないのか」
「何をだ」
「付き合うってもっと楽しいもんなんだろ。だからみんなしたがるんだろ。辛いのになんで付き合うんだよ」
「楽しくないなら意味はないっていうのか。君が思っていたのと違ったから、だから止めようっていうのか」
「お前の知ってる付き合い方ってのはもっといいもんなんだろうな。でも、お前がしたいような付き合い方は俺とではできないんだよ」
「だから何だよ。俺は君と付き合いたいんだ。他の人じゃなくて君と」
 頭に血が上り声が掠れる。腕を掴む掌にさらに力が篭る。俺だって思ってなかった。嬉しいのに辛い。大切にしたいのに傷つけたい。愛しいのに壊したくなる。でも人1人手に入れようとする所業が互いを傷つけ合わないわけがないんだ。比企谷は葉山の視線から逃れるように俯く。
「お前の方がダメージが大きいだろ、ほんとは。俺は周りの評判なんてどうでもいいからな。お前は違うだろ。こんな馬鹿なことをするなんて駄目だろ。もう止めたほうが賢いんじゃないのか」
 葉山の顔から頬笑みが消える。もう平静を装うことができない。
「嫌だ」
「でもお前、こんなんじゃ」
「絶対に嫌だ」
「無理だろ。俺にどうしろっていうんだ」
「君は理性の権化だな。正しいとか間違ってるとかそればかりだ。君の感情はどこにあるんだ」
 怒鳴ってしまいそうになり必死でこらえる。抑えた声が震える。比企谷は顔を上げて葉山を見つめると口を開いた。
「俺は信じない。永劫なんてない。終わりのないものなんてないんだ」
 葉山は唇を噛んで堪える。それが君だ。自分の心を偽らない。それが辛いことでも心に嘘はつかない。それが君なんだ。君の心だけは自由にならない。
「お前は不安なのか?」
「そう、だよ」葉山は掴んでいる腕の力を緩めた。比企谷は片腕を振り解いて問うた。
「お前が不安になる理由はなんなんだ」
 葉山は答えない。比企谷は自由になった手で葉山の腕に触れる。
「葉山、不安なのは俺のほうだ」比企谷の掌はぎこちなくそっと触れては離れる。「終わらないものはない。そう思ってるのに、でも時々信じたくなる。そのことがたまらなく嫌だ。それは弱さだからな」
「比企谷、君は」
「感情に従うと碌なことがない。わかっていたはずなのに。そうしたいこととそうすべきことは違うんだ」
 葉山は比企谷を見つめた。掴んでいた腕を引くとしがみつくように強く抱き締める。
「君も俺を望んでるくれてるんだろ。なら終わりにしないでくれ」
「勝手だな。お前は嘘をついてる。それを呑み込んだままでいろって俺にそう言うのか」
「そうだよ」
「理由を言わねえけど受け入れろって言うんだな」
「そうだよ」
 葉山は比企谷の頬を両方の掌で挟んで見つめる。比企谷は眉根を寄せて目を伏せる。
「そんな辛そうな面すんじゃねえ。お前は卑怯だ。本当に、本当に勝手な奴だ」

 丘の上には満天の星が広がる。獅子座流星群を見に行くのだと言って、葉山は比企谷を誘った。
「デートは人に見られるから御免だ」と、そう言って嫌がる比企谷に「夜なら問題ないじゃないか」と押し切った。
小高い原っぱの入り口に到着して、懐中電灯の光を頼りに芝生に覆われた丘を登る。息切れしながら比企谷は言う。
「ここでも見えるだろ」
「もっと広いところで見たいんだ。空全体が見渡せるところで、君と一緒に」
 叶えたい願いがあるんだ、そう呟いて葉山は比企谷の手を引き、小高い丘まで登った。持ってきた2人用寝袋を敷いて潜り、比企谷を手招きする。彼は渋い顔をするが寒さが堪えるのか、仕方なくという風情で潜り込んだ。寝転んで星の降るのを待った。まだ星空に動きはない。葉山は静かに口を開いた。
「来てくれてありがとう」
「寒いし来たくなかったけどよ。断ってよかったのか」
「駄目だよ」
「まだ続けるんだな」
 葉山は少し間を置いて答える。
「そうだよ。だから君は断れないよ」

 あの後教室に戻ると、葉山は仲間達に取り巻かれた。彼らはいつにない激昂した葉山を案じて、比企谷と何があったのかと聞いた。だが誰もあの時葉山の言ったことを信じてはいなかった。というよりまるで伝わっていなかった。はっきり言ったつもりだったのだが、信じるには突飛すぎたのだろう。
「ネタの提供をありがとう」と揶揄ってきた聡い姫菜ですら、本当にそうだとは受け取ってはいない様子だった。ただ比企谷が何か葉山を怒らせるようなことをしたのだろうと、そう憶測されていた。比企谷が非難されそうな噂の種を作るわけにはいかない。葉山は「比企谷は悪くないんだ。怒らせたのは自分の方だ」と即座に否定した。
 由比ヶ浜は比企谷をちらっと伺いながら「何があったのかな。最近二人ずっとよそよそしかったでしょ」と心配そうに聞いてきた。「ちょっとした諍いだよ。大したことじゃないんだ。もう仲直りしたから心配ないよ」と葉山は笑って誤魔化した。やはり比企谷の行動は極端すぎて、裏目に出ていたようだ。
昼休みの終わり間際に葉山は比企谷の席に近寄ると小声で聞いた。
「ばれてないならいいんだろ」
 比企谷は溜息をつくと声を潜めて答えた。
「今回はギリセーフってだけだ」
「君の態度はかえって不自然だったんじゃないか。そう思うだろ」
「ああ……まあな。それは認める」
「2人でデートしたとしてもばれないよ、きっと」
 比企谷は苦々しい表情で葉山を見上げた。葉山は微笑みを収め、真顔になって言った。
「デートしようよ」
「難しいだろ」
「外でも家でもいいんだ。俺はもっと君と一緒に過ごしたい」
「俺の身体が持たねえ」
「そっちじゃないよ。いや、それもないとは言わないけど。俺は君ともっと同じ時を共有したいんだ比企谷」
 昼休みの終了を告げるベルが鳴った。

 寝袋の中は狭い。端に寄ろうとする比企谷を抱き寄せ、身体をくっつけて星空を見上げる。
「星空を独占している気分になるね。そう思わないかい」
「ならねえよ」
「昔の人は星空を手に入れたくてプラネタリウムを作ったんだろうな。閉じ込めてしまいたいんだ。宇宙をぼくの手に。その気持ちはわかるよ」
「それはフレデリック・ブラウンの小説だろ」
「いや、それのつもりじゃなかったんだけど」葉山はふっと笑う。「比企谷、俺は幸せなんだよ」
「本当にそうなのか」疑わし気に比企谷が言う。
「君を手に入れた今が幸せだから不安になるんだ。失ったらと思うと怖くなるんだ。今の幸せが信じられなくなって。抗って壊してしまいそうになるんだ」
「わけわかんねえな」
「ああ、そうだね。なんて愚かなんだろうな。自分がこんなに愚かだなんて思わなかったよ」
 葉山は隣の比企谷を見つめる。薄暗い闇の中で比企谷の輪郭は見えても表情までは見えない。でも困惑している表情が見える気がする。
「君のせいで俺は愚かになってゆくんだよ」
 俺の隠していた歪みと孤独の辛さを君に暴いて欲しいと突っ掛かり、君に期待してしがみついて足掻く。君に拘る理由を知るずっと前から、俺は既に愚かになっていたんだ。
「俺は知って欲しい、救って欲しいと初めて思ったんだよ。君だけに」
「俺を買い被るなよ、葉山」
 葉山は寝袋から上半身を起こすと傍の比企谷を見下ろす。
「虚勢を張っているんだお前は」
 比企谷は空を見上げたまま言葉を紡ぐ。
「そんな生き方は厄介で難儀だな。健気で不器用とも言えるんだろうけどな」
「そう言われるのは初めてだな」
「お前は賢いのに時々信じられないくらい馬鹿だ」
「人は愚かなことだと知りながら愚かなことをするものだよ」
「なんでなんだ」
「それが人だよ。比企谷」
 葉山は掌を空に翳す。
「あ、今、向こうを星が横切ったよ。見たかい?」
「いや、見逃したな。俺はさっきお前がこっちを見てる間に見たし」
「教えてくれよ。次は同じ星を見たいな、比企谷」
 君は自分に向かってくる人を断ち切れない。突っかかる俺を縋る俺を拒絶できない。賢い君のその甘さに俺はつけこんでるのかも知れない。俺はずっと愚かなままかも知れない。でも人の愚かさが愛しさになることもあるのだと俺は知ってる。俺が君の甘さや愚かさを愛しいと思うように、君もそう思ってくれたらいいんだけれど。
 星が願い叶えることはないと知っていても。祈らずにはいられない。
 だから俺は繰り返し星に祈るんだ。

END

インフォメーション2016年3月~6月

最新情報です。下に行くほど新しいニュースです。母艦サイトのINFO に詳しく載せてます。母艦サイトへのリンク→Blue Human

 

2016/3/17 ガンダムAGE小説「イゼルカント・レポート」用挿絵をUPしました。

2016/3/18 俺ガイル小説「星月夜に光ぞ降りて」UPしました。

2016/3/23   神様ドォルズ小説「イカロスの牢」用挿絵をUPしました。

2016/4/19 俺ガイル小説「金星の星(全年齢バージョン)」、「唆しの月(全年齢バージョン)」、「蜃気楼の灯火(全年齢バージョン)」をUPしました。

2016/6/30 俺ガイル小説「醒めて見る夢」をUPしました。
 

 

 

輪廻の剣(R18)

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root:Fate
 眼前に揺らめく巨人の影。バーサーカーを前にもう力は残っていない。
 この期に及んで最期に頭をよぎるのは衛宮士郎の顔とはな。
 ああ、わかっていたことだ。世の中の誰をも等しい俺にとってあれだけが唯一なのだと。 狂おしいほど想うのが過去の自分とはなんと残酷なことだろう。
 身体が空気に溶けてゆく。座に帰る時が来た。
 アーチャーは士郎の駆けて行った扉の方向を見つめる。もう会うことはないのだろう。 いずれ残酷な未来を辿る彼の身に何か残せただろうか。
 塵になり座に帰るこの身に何か残るだろうか。

 あの夜、廊下で一人でいた士郎の姿を思い出す。
 夜の硝子を鏡に映る姿は遙かな過去にも見知った姿。士郎は具現化した俺の気配に振りむくがただならない雰囲気を感じとったのか後ずさる。俺は壁際に追い詰めてずるずると屈み込む奴に膝をついて壁に手をつき両腕の檻に閉じ込める。
「なんだよ」
 真っ直ぐ見つめる奴に顔を近づける。此方の気も知らず目を逸らさないのに苛立ち唇を触れる。目を丸くする奴にさらに深く口付ける。舌を深く差し入れ士郎の舌を捉え絡ませ熱い口内を貪る。逃げようとするのを許さず顎を捕らえるまた深く入れ弄る。止められない。もっと、もっとだと身体の奥深くから衝動がこみ上げる。取り出した剣で士郎の服をシャツを切り裂きズボンを裂く。下着も切り裂き、布切れと化した衣服の残骸が士郎の足元に落ちる。そのまま士郎の身体を引き倒し両足を掴んで開き中心を晒す。
「よもや逃げられるとは思うまいな」
 アーチャーは勃起した性器を士郎の後孔に当てる。士郎が息を呑む。亀頭を熟れた孔に力任せに突き入れる。
「駄目だ、アーチャー」
 声を詰まらせながら士郎は喘ぐ。太い腕で檻のように士郎を囲み割れた腹筋を士郎の腹に押し付け動きを封じる。深みに嵌るのが恐ろしいのか。震える士郎の身体にみっちりと隙間なく入れられるアーチャーの陰茎は士郎の孔を押し広げながら進む。アーチャーが腰を引きまた捻じ込むたびにより奥に入る。
「怖いのか?どこまで貫かれてしまうのかと」
 痛みと恐れの表情を浮かべる士郎にアーチャーは獰猛な笑みを浮かべる。身体を起こし接合部を撫でる。
「お前の目で見るといい」
 士郎は自分の身体に浅黒く太いアーチャーの屹立が半分ほど埋められているのを目の当たりにする。
「全部入れる。根元までな。」
「アーチャー魔力供給をしたいのならばそんなことまでしなくてもいいはずだろ」
「黙れ」
 そんなことはわかっている。英霊は剥き出しの心。渇望も殺意も自覚すれば止める術はない。士郎にだけ抱いている激しい感情。生きていた頃には感じたことの無い人への執着心。庇護欲にも殺意にも変質し得たであろうその執着は情欲に形を変えた。だが士郎にとってはアーチャーは理想そのもの。その思慕は隠しても隠しきれない。
 奴がなぜ隠すかわかってはいる。葛藤し虚勢をはっているのだ。だが自分を避けるのだけは苛立った。だから追いつめた。無言で威圧され戸惑い何だと目をそらす士郎に腹の底が熱くなった。
 激しく動きながら唇を貪る。士郎の腰を掴み身体を打ち付ける。奥をごりごりと突き攻め立てる。ズッズッと抜き差しすればいつしか屹立の根元まで挿入を果たす。鼓動とともに締め付ける士郎の柔肉。えも言われぬ快感。胸をざわめかす。上半身を起こし見下ろす。組み敷いた士郎の身体は鍛えられたとはいえしなやかさはそれでも少年のもの。アーチャーの逞しい戦士の身体にはまだ程遠く押さえつければ身動きひとつとれない。男の印に容易く貫かれれば魂すら縫いとめられる。
「お前なにやってんだよ」士郎はほろほろと泣きながら問う。「お前は俺だろう」
「わかっていたのか」
「俺にわからないわけないだろう。遠坂は知らないんだろ」
「気づいてないだろうな」
「俺が俺と、なんて」
「だからなんだ」
 触れられる存在犯せる身体。狂おしく惹かれる剥き出しの心には禁忌など片腹痛い。灼熱の欲望を捻じ込み士郎の身体も心も焼き尽くす。うねる士郎の肉壁を押し広げ何度も深々と貫くと士郎は甘く悲鳴を上げる。腰を引き浅い処を細かく揺り前立腺に亀頭をぐりぐりと擦り付けると感じて薄く涙を浮かべる。
「感じるか。感じるだろう。お前の身体で俺の知らない処はないからな」
「あ、あ、やめ、アーチャー」
 いつ果てるとも知れない交わり。アーチャーに翻弄され朦朧としながら士郎は喘ぐ。アーチャーは士郎に深いキスを繰り返す。腰を強く打ち付けて悲鳴ごと呑み込むように舌を摺り合せる。首筋に唇を押し当て吸い付き赤い痕を付ける。乳首を舐め舌で転がし吸うと士郎は感じて小さく首を振る。アーチャーは獣のようだと自分を思う。士郎にペニスを根元まで呑み込ませ引き抜きまた貫いては突く。求めて手に入れてなお足りない。いまだアーチャーの筋肉質な胸を押して抵抗する士郎が歯痒い。
「頃合いか。お前の中でいく」士郎は驚き狼狽える。
「や、やめろ。そんなこと」
「きかんな」
 アーチャーは上半身を倒し士郎の身体に盛り上がった腕を回して押さえつける。奥までペニスを押し入れると引き抜いて激しく身体を打ち付け体内を突く。
「あう、いやだ」士郎が悲鳴を上げる。
「まだ言うか衛宮士郎
 激しく抜き差し続けるアーチャーは苛立ちを覚えてさらに肉壁の奥を激しく擦る。
「いや、いあ」
 感じて喘ぎながら抵抗の色をまだ見せる士郎。諦めの悪さはわかっているがなとアーチャーは自嘲する。受け入れればいいのだ。迫り上がる熱を感じてアーチャーは低く呻き迸りを士郎の奥に注ぐ。
「そんな、お前」士郎の声がか細く震えている。
「今更だろう」
 呟く士郎の収縮し弛緩する肉壁に絞られ陰茎を奥に緩く押し全て出し切る。荒く息をつく士郎は顔を覆う。だがアーチャーは士郎の腰を掴みまだ陰茎を抜かず中で前後に揺らす。陰茎が熱を持ちまた硬さを取り戻してゆく。
「アーチャー、嘘だろ」
 中で硬くなったものに士郎は気づき身を捩る。
「これで済んだと思ったのではないだろうな」
 アーチャーは士郎に覆い被さりぐっと身体を押し付け中にズッと押し入れる。突き入れ 引き戻すほどにアーチャーの陰茎が膨れて硬くなり士郎の後孔の肉壁を圧迫する。士郎は上気した頬に眉を潜め懇願する。
「頼む、もう無理だ。もう、俺は」
「まだ夜は長い。お前に俺を刻み込む時間はたっぷりある」
 
 翌朝。
 昨晩の魔力供給を越えた交わりのことを忘れたように士郎は普段どおりに振る舞う。台所で食事を支度をする士郎。アーチャーは士郎に近寄り服を掴んで胸を肌蹴る。点々と肌を染める昨夜の情事の痕。
「離せよ」
 士郎は狼狽してアーチャーを睨みつける。身を捩り身体に赤く散らばる口付けの痕を隠そうとする。士郎は後ずさり台所からを出てゆく。逃げる士郎をアーチャーは追わない。赤い跡。魔力の痕。夜になると士郎の身体は疼く筈だ。

 その夜。アーチャーは襖を見つめて士郎が自分を求めるのを待つ。隔てる襖の向こうで押し殺した喘ぎ声が聞こえる。
「あ、はあ、」
 士郎は狂いそうになるほどのせりあがる熱の奔流に必死に堪える。腕に爪を立て声を上げないように袖を噛む。アーチャーは立ち上がると襖を開けて士郎の部屋に入る。
「入るな」
 息も絶え絶えになりながら非難の目を向ける士郎にアーチャーはため息をつく。
「助けを求めればいいだろう」
「いやだ」
 アーチャーは眉を顰め、悶える士郎に近寄り仰向けにしてのしかかる。
「強情だな。縋り付くまで待つつもりだったが私の負けだ」
「アーチャー。何をした」
「お前に魔力を注いだ。飢えるのはそのせいだ」
「なんで、なんでそんな」
「お前に英霊の飢えを多少でも味わわせてやろうと思ってな。だがまったくお前は呆れるほど強情だ」
アーチャーは士郎に口付ける。
「こっちが限界になるとは」
 身体を繋ぐことをなぜ厭う。何故心を身体を狂おしく求めないのかと苛立つ。自分と同じように。同じことを求めながら。快楽に抗う士郎に憤り。魔力供給を行わずにただ求める。己の懸想を自覚する。お前は私に憧憬は持てど好意はどうなのか。抵抗があるのはわかる。だがお前は私と同じなら同じ想いを持つのではないか。身体を開かせ突きながら言葉に乗せることなく身体に問う。足を抱え上げより深く貫く。組み敷いた身体をめちゃくちゃに突きながら追い詰める
「お前の身体は俺を咥えこんで離さないようだが。衛宮士郎
「やめろ」
 快楽を感じるのは罪悪だと、快楽を追うのは許されないと思っているのだろうお前は。お前のことはだれよりもわかっている。だがそれは許さない。
「お前の体はもっとと言っている。俺を求めているはずだ。認めろ衛宮士郎
「それ以上言うな。アーチャー」
 士郎は顔を覆い隠す。別の身体に別の心だが同じ魂を宿す存在。士郎にとっては私は理想だ。私にとってはまだ理想を失い傷つく前の少年の影だ。自分であり別の肉を持った自分でない者。利他主義の自分が唯一傷つけたいと強い思いに囚われる者。唯一の者。


root:Unlimited Blade Works 
 俺の体の中に残された奴の残滓。
 焼き付いて時折燠火のように燃えあがる。
 今なら分かる。同じ人生を送り同じ最期を終えた今なら。
 俺にぶつけるしかなかったあいつの狂った想いに。耐え難いほどの孤独と渇望に。
 壊すほどに己を犯しておきながら身体を賭して己を守った。
 あの大きな背中を憎んでいるのか愛しいと思っているのかすらわからない。
 俺のような存在はあってはいけないのだ。
 あいつは俺の理想、俺の未来、俺の絶望だ。 
 俺は俺を、俺はあいつを殺すのだ。

END

 

桜花残月(R18)

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大学1年生 初秋


 ドアベルの音に起こされた。
 俯せに寝ていた比企谷は目覚まし時計を確認する。まだ8時じゃねえか。誰だ日曜日のこんな時間に。寝ぼけ眼でドアを開けるとそこには卒業以来久しぶりに見る珍しい顔が微笑んで立っていた。見慣れた人好きのする表情も相変わらずな男。秋の初めの涼しい風が開けた扉を吹き抜ける。
「久しぶりだね」
「なんだよ。葉山」
「独り暮らししてるんだってね。君は千葉から出ないものだと思っていたよ」
「誰から聞い、ああ、まあな、俺もそのつもりだったんだけどよ。1、2年は都内の校舎なんだと」
「俺も都心の大学だけど家から通ってるよ」
 表情はにこやかなのになんだその微妙に責めるような声音は。釣られてつい言い訳じみた言い方になってしまう。
「家から通うには交通の便がちと悪いんだ。ウン時間もかかっちゃ通わなくなるって親に疑われてな。期間限定の一人暮らしだ。俺は不本意なんだけどな」
「そうか。それなら仕方がないな」
「おお」
「じゃ、上がらせて貰うよ」
「おい、なんだよ、勝手にお前」
 朝っぱらから押しかけてくるなりズカズカと人ん家に入り込むかよ普通。前からこいつは譲らねえというか押しが強いところがあったけど久々に会ってもこれかよ。
 葉山はちゃぶ台の側にショルダーバッグを置き、その隣に胡坐をかいて座った。比企谷は呆れる。おもてなししなきゃいけないのか?
「小町ちゃんに会ってね。それで君のことを聞いたんだ」
「あーそー。まあ、とりあえず茶でも出すわ」
 比企谷はキッチンに行くと戸棚からコップを2つ出し、ペットボトルと一緒にちゃぶ台に置いた。携帯が鳴ったのでそのままキッチンに戻る。
「勝手にやってくれ」
 葉山に声をかけて画面を見ると小町からのメールだった。比企谷は内容を見て眉根を寄せる。
「昨日葉山さんに住所教えたよ。近い内に来てくれるんじゃないかな」
 連絡遅えよ小町。もう来ちゃってるよ。比企谷はポチポチ文字を打って返事を送りつつ部屋に戻り腰を下ろす。丸いちゃぶ台を挟んで葉山と向かい合う。コップには2つとももう飲み物が注がれていた。比企谷は携帯をちゃぶ台に置いてテレビをつけてザッピングする。
 何話せばいいのかわかんねえな。何しに来たんだこいつ。とりあえず文句言っとくべきかな。そうもやもや考えていると葉山が口を開いた。
「朝からすまないな。でも君は変わってないな。安心したよ。」
「ああ、まあ」
 出鼻を挫かれて生返事になる。
「それが君の新しい携帯か。ちょっと見せてくれないか」
「ああ、なんで」
「ちゃんと番号交換しよう。君、俺の番号入れてないだろ」
 葉山は比企谷の携帯を受け取ると自分の携帯を取り出す。
「新しい携帯にしたら普通知り合いに知らせるだろ。電話番号まで変えたなら尚更だ」
「一斉メールしたぜ。面倒くさいっつったら小町がしてくれたんだが」
「俺には来てない」
「お前のメアドなんて知らねえよ」
「電話番号は知ってるだろ」
「俺のは教えたけどお前のは聞いてねえよ」
「かけたことあるだろ?普通かけてきたら登録するだろ」
 葉山はメアドと電話番号を登録して携帯を返した。受け取った比企谷は連絡先を確認する。平塚先生の上に葉山が来ちまったな。なんだかな。比企谷が目を上げると葉山と視線が合う。葉山は微笑んで静かに話し始める。
「卒業してからずっと俺は君のいそうなところを探したよ。会えるんじゃないかと思って。でも君はどこにもいなかった。町の中でも家の近くに行っても君には会えなかった。思い余って君の家に行ったんだ。それでも君はいなかった。君のことはそのとき小町ちゃんから聞いたんだよ」葉山は噛みしめるように言葉を続ける。「もう、すぐに君の所へ行くことしか考えられなかった」
らしくない葉山の話に比企谷は驚いて問うた。
「お前、なんでそこまでして俺を」
「君に会いたかったんだ」
 そう言いながら葉山は真剣な眼差しで見つめてくる。比企谷は言葉を失った。どうしてなのかと聞かずとも瞳が雄弁に伝えてくる。目を逸らすことが出来ず空気が張り詰める。葉山はふっと微笑する。
「君は今もあんな生き方をしているのかな」
 比企谷は弛緩した空気にほっとする。
「なんだよ藪から棒に。俺はもう奉仕部じゃねえよ」
「でも君は頼まれたら断らない、だろう」
「それは」
「人はそう簡単には変わらない、そうだろう」
 比企谷は返事に詰まり黙り込む。同じような環境が状況があるならば。押されたら断らないかも知れない。いや、きっと断れない。そうなったら手段は知っている効果的な方法しか選ばないだろう。
「けど今はそんな状況じゃねえし。先のことなんて」
 ようやく言葉を探して答える。
「老人のために焚火に飛び込む兎の話、覚えてるかい」
 唐突に葉山は話題を変える。比企谷はほっとする。
「そんな話したことあったっけ」
「あったよ。俺はその時君は愚かだと言った」
「かもな」
「俺なら兎が飛び込む前に止めたい」
 そう言うとまた葉山は比企谷をじっと見つめる。比企谷は視線から逃げるように目を逸らした。
「また俺が兎だっていうのかよ。あの頃俺が自分を犠牲にしてるっていうのがお前の説だったな。でも今も俺はそれを肯定するつもりはないぜ」
 葉山は溜息をつく。
「俺はその老人だったことしかないしね。だからこれからはそうしたい。俺は君の側にいる」
 比企谷は皮肉な笑みを浮かべる。
「それでお前に何の得があるんだ」
「君に側にいてほしい」
「同じことじゃねえか」
「君がいれば俺は自分を見失わないで済むんだ」
 葉山は真顔になり比企谷に躙り寄る。
「君と、いたいんだ」
 思いを込められた声音に返事に詰まる。なんと言えばいいのか言葉が思いつかない。葉山は微笑み比企谷の腕を引き寄せると唇を掠めるようにキスをする。
「覚えてるよね。君は俺とキスをしただろう」
 比企谷は唇をさする。すぐに離れたが唇の温もりが残っている。
「ああ」
 忘れようったって忘れられるわけがない。
「こんな風に何度も。俺と君は」
 葉山はまた唇を重ねる。軽く唇を合わせるキスを繰り返し唇を食むようなキスに移る。比企谷は座ったまま後退ろうとするが、背後の重ねた布団にそれ以上の後退を阻まれる。布団に背を預ける形で比企谷は仰向けになった。葉山は覆い被さり側面に手をついて囲い込む。電灯を背にして見下ろしてくる葉山の表情は逆光になりよく見えない。
 葉山は角度を何度も変えて柔らかく唇に触れてくる。葉山の整った顔が近くて思わず息を止めてしまう。だんだん緊張が取れてきた頃にやっとキスから解放された。ほっとして息継ぎをする。葉山は比企谷の両脇に手をついたまま微笑する。
「ちょっと口を開けてくれないか」
「口?なんで、はや」
 言葉の続きは合わされた葉山の唇に塞がれてしまった。捻じ込まれた濡れた生暖かい舌にまた呼吸を奪われる。


高校3年生 初夏


「奉仕部の仕事だろう。手伝うよ」
 葉山は比企谷を見つけて微笑すると声をかける。比企谷は図書室の自習用の机に本を積んでいたが、葉山を見て顔を顰める。
「ああ?なんでお前が」
「平塚先生にはもう言ったよ」
「しょうがねえな。なら資料室に由比ヶ浜がいるからそっち頼むわ」
「いや、もう結衣には会ったよ。君の方が大変なんだろ。俺はこっちを手伝う」
「またかよ。文化祭の時もお前は手伝うと言ってたくせに俺とばかり仕事してたじゃないか」
「あの時俺は君を手伝うつもりだったからね。今もそうだよ」
「俺とは仲良くできないって言ってたのにわからねえ」
 比企谷は必要な書籍を書いたプリントを葉山に見せる。作業の説明をする比企谷の横顔を葉山は見つめる。葉山は口を開いた。
「俺はもっと君を知りたいんだ。あの時一緒に側で仕事している時、俺は君を近くに感じた」
「そりゃ錯覚だな。全然近くねえし」
「俺に頼って欲しいんだ。でも君は俺に頼らせない」
「そりゃそうだろ。仲良くねえし」
「頼らないのに君は俺を使っているよね。俺に君を悪者にさせたり、名前だけ借りたり」非難を込めた口調に葉山はばつの悪い顔をして横を向く。
「あー、生徒会選挙のあれか。バレてたのか。悪いな」
「君は一番大事な物だけを守るために他の全てを切り捨てるんだ。自分のことも」葉山は言葉を切り、声を低めて続ける。「俺のことも」
 葉山は比企谷を睨む。
「自分だけ貧乏くじをひき泥を被って」
「悪かったな。今後はなるべくお前に迷惑かけねえようにするぜ」
「違う、そうじゃない」
 葉山は声を荒げそうになり気づいて声を押さえる。彼と話すといつも平行線になってしまう。そんな結論を出したいんじゃないんだ。手元に視線を落とすと資料の中にある仏教説話の本が目についた。
「焚火に飛び込む兎の話を知ってるかい」
「知ってるよ。倒れている老人を助けるために動物達が色々してる中で、自分は何も出来ないからって身を捧げようと火に飛び込んだ兎の話だろ」
「君は尊い話だと思うかい。愚かな話だと思うかい」
「時と場合によるな。あの話は他の奴と違い自分だけ老人を助ける力がないっていうプレッシャーがそうさせた側面もあるだろ。愚かな話だよな」
「愚かな話か」
「大体兎ってのは稲葉の白兎にしろ兎と亀にしろ間抜けの代名詞みたいな扱われ方じゃねえか。寂しいと死んじゃうとかよ」
「君は本当に捻くれてるな」
 葉山は微苦笑を浮かべて呟く。
「でも俺も尊い話だとは思わない。あんなことしても誰も喜ばない。自分を軽んじているからあんな真似が出来るんだ。彼は自分の価値を知るべきなんだ」
 比企谷は薄く笑う。
「はは、捻くれてるのはお前の方だろう。他の奴がいるから兎は何もする必要はなかったと思うけどな。1人だったなら話は違うぜ」
「助ける者が兎しかいないなら焚火に飛び込んでもいいのか」
「兎がそうしたいならな。それは自由だろ」
「その方が愚かじゃないか」
「あのさあ、人を兎に例えんなよ」
「そうかな。割とぴったりだと思うよ」葉山は続ける。「俺は君が自分を捨ててしまわないようにしたいんだ」
「思い上がるなよ、葉山」
 知らず声が大きくなっていたのか、気付くと周りの冷たい視線が集まっていた。恥ずかしくなった二人は図書室の席を立つと書棚の奥に足早に移動する。背の高い書棚に隠れて窓際に並んで座り込み、2人してほっと息を吐く。
「だーもう!お前、邪魔しに来たのかよ」
「すまない」
「目立っちまったし、ちょっと待ってから戻るか」
 そう言うと比企谷は目を閉じる。図書室の奥の本棚は利用する人が少ない。天井近くまで聳える本の群れに隠されて、誰もいない森に迷い込んだような錯覚を起こしそうだ。比企谷は独白するように言葉を紡ぐ。
「おせっかいだな。人を思い通りにしようなんて奴はエゴイストなんだぜ、葉山。動機はどうあれな」
「そう取ってくれて構わないよ」
 まったく悪びれない葉山に比企谷は溜息をついて言う。
「俺のことよりお前は自分のしたいことをすべきじゃねえのか」
 窓から涼しげな風が吹き抜けてカーテンが舞い上がる。外の木々の新緑が初夏の空に映える。葉山は隣にしゃがむ比企谷を見つめる。
 君は装う人の本質を見抜く。だから人は本当の姿を晒す。君はそれを自分は部外者だからだと言う。君は守るべき人を選び守るべきことを選びそれ以外を全て破壊する。そこまですれば救えると果たして知ってても他の誰が出来るだろうか。だがそれを許していいのだろうか。
 俺は君をどうしたいのだろう。君を見ているといつも相反する心に引き裂かれる。
 俺は君の側に並び立ちたい。でも俺を見抜いて救って欲しい。君に縋る心と対等でありたいと願う心とがせめぎ合う。君とだけは装った俺じゃなく見抜かれた俺とで付きあいたいんだ。そんな俺を頼って欲しい。俺を受け入れて欲しいんだ。君に必要とされたいんだ。
 けれども君が俺を必要とすることなんてあるんだろうか。君は人のために俺に頼っても自分のためには俺には頼らない。頑なな君の心が俺に開かれることなんてあるんだろうか。俺だけが君を必要としているだけではいつか誰かが君を攫ってしまう。
 君はいつまで部外者のつもりなんだ。
 葉山は隣にいる比企谷と二の腕が触れ合っているのに気づく。少し低めの体温。ほんのりと熱が伝わってくる。心が望めないならば身体の温もりならばどうだろう。すぐ隣にいるじゃないか。
 しゃがみ込んでいる比企谷に手を伸ばす。触れたい。柔らかそうな髪に手を伸ばしかけて動きを止める。シャツの襟元から見える白い首筋から目が離せない。比企谷が目を開けて葉山の方に首を傾けた。視線が交錯し縫い止められる。
 葉山は手を伸ばして比企谷の首筋に触れる。比企谷がビクッとして少し驚いたように葉山を見つめる。両方の掌で彼の頬を包む。俺は何をしようとしているんだ。君といると我を忘れてしまう。手が届けば止められない。隣あって座れるような、やっとここまで君に近づいたんだ。君を失いたくない。逃げてくれ、比企谷。
 心の逡巡とは裏腹に葉山は顔を近付けてゆく。何故逃げないんだ。黒曜石のような君の瞳が俺を見返している。
 ふわりと髪が触れる。唇が触れ合う。柔らかくて温かい。離してもう一度唇を重ねる。君が目を閉じる。少し唇を離してそっと息を継ぎまたキスをする。歯止めがきかない。角度を変えて重ねて上唇を啄ばみ下唇を啄ばむ。
 誰かの足音が聞こえる。
「ヒッキー、いる?資料探してるの?隼人くん来てない?」
「おかしいわね。本は積んであるからここにいると思うのだけれど」
 雪ノ下と由比ヶ浜の声に我に返った比企谷は反射的に葉山の肩を押して離れる。
「大きな声出すなよ由比ヶ浜、図書室だっての。すぐ行くから待ってろよ」
 比企谷は立ち上がり振り向かずに逃げるように駆け出して行った。足音が遠ざかって行く。残された葉山は壁を背にして脱力する。唇を指でなぞり先ほどまで唇の上にあった温もりを追いかける。届いてしまった。君の体温に。唇に。心臓がまだ早鐘を打っている。こんなにも簡単に君に触れてしまえるなんて。

 翌日、葉山は朝の登校時間に靴箱の側で比企谷を待っていた。通り過ぎる生徒達に軽く挨拶を返しながら玄関に目をやる。授業が始まる前に比企谷と二人きりになりたかった。昨日のことをなかったことにしたくない。登校ピークを過ぎて生徒が疎らになった頃、案の定比企谷は遅刻とまではいかないまでもかなり遅くに登校してきた。彼が上履きに履き替えたところで声をかける。
「遅いな、比企谷」
「葉山?こんなとこで何してんだ?」
「君に用があるんだ。ちょっとこっちに来てくれないか」
 葉山は比企谷を腕を引っ張り廊下の先に連れて行った。辺りを見回して人影がないのを確認すると半地下の階段を下りる。何か言いたげな表情を浮かべた比企谷と向かい合った。逃げないでくれと祈る。顎を掴むと比企谷は動揺の色を瞳に浮かべて視線を逸らす。
 そっとキスをする。少し乾いた柔らかい唇。肩を掴むと比企谷の身体が緊張して強張っているのを感じる。一瞬唇を離してまた重ねると比企谷が目を瞑る。君の睫毛が震えている。もうすぐ時間だとわかってるのに離すことができない。
 予鈴が鳴り響き温もりが唇から離れていった。俯いて肩で息をする比企谷の耳が真っ赤になっている。
「息できねえだろ」
「ごめん」
思わずふっと笑みがこぼれる。
「何がおかしいんだよ」
比企谷は上目遣いに睨んでくる。その目元が少し涙ぐんでいた。

 それから葉山は比企谷と隙あればキスをするようになった。休み時間や昼休みに放課後に、時間が見つけては比企谷を物陰に引っ張りこんだ。軽く唇を合わせたり啄ばんだり触れるだけのキス。それだけでも葉山は興奮して胸を高鳴らせた。
 比企谷は文句を言っても逃げはしない。キスを拒まない。なら合意と取っていいんだろう。そう受け取って唇を重ねた。
 だがそれ以上は踏み込めなかった。彼の心を確認するのは自分が丸裸になるような気がした。この行為に意味を持たせないようにただキスだけをする。唇を離すと1人ずつ物陰から出て何事もなかったように教室に戻る。教室ではいつも通りに用がなければ特に話すこともなくそれぞれ過ごす。秘密の逢瀬は誰にも知られず2人だけの悪戯のように回数を重ねた。
 だが許されると衝動が抑えられなくなってきた。もっともっとと身体が疼いた。
 生徒があまり来ないのでよく使うようになった1階の半地下の階段下。その日も昼休みの終わりに物陰に隠れて唇を重ねた。唇を舐めると目を瞑っていた比企谷が薄目を開ける。息継ぎするため少し開いた彼の唇の隙間。そっと舌先を入れてそのまま口の中深く伸ばす。口腔を探り比企谷の舌を舐めてみる。何故だろう。甘く感じる。
 びくっと比企谷の身体が震える。逃げないでくれと後ろの壁に押し付けてもっと奥に舌を入れて動かしてみる。熱く濡れた比企谷の舌が奥に逃げるのを追いかけて絡める。
「ん、ん」
 深く舌を入れられて比企谷が小さく呻く。頬を掌で固定して口腔を貪る。閉じていた比企谷が目を開ける。瞳が葉山の与える刺激に少し潤んでいる。唇を離し角度を変えてまた合わせる。歯列をなぞり舌をまた絡める。もっと触れたい。顎を掴んで引き寄せ肩を掴み力を込める。
 細い身体を抱きしめて深く口づける。唇だけじゃなく首筋にもキスをしたい。服の下の肌にもキスをしたい。組み伏せた身体に唇を這わせたい。肌に赤い痕を散らしたらどんなに綺麗だろう。赤い花弁みたいに俺のつけた印が散らばる白い肌は。彼の睫毛が震えている。赤くなった耳朶が見える。その下には白磁の首筋があるんだ。
 ひとつだけ、1度だけなら肌に唇を押し当ててもいいだろうか。吸い付いて跡をつけてもいいだろうか。だめだ、それをしたら俺はもう止まらなくなる。葉山はその衝動を必死で押さえつける。


大学1年生 秋


「また来たのかよ」
 のぞき窓から確認しながら比企谷は呆れて言う。ドアを開けると葉山は屈託なく笑って答える。
「遅くにごめん。今日は部活の集まりがあったんだ」
「いや遅くなるなら直帰しろよな、自分ちに」
「飲み物とか持ってきたけどいらないのか?君の好きな甘いあのコーヒーもあるけど」
「そ、そうか、上がれよ。せっかく来たんだし」
 高校の時毎日飲んでたマッ缶は近場ではなかなか見つからない。それを読まれて餌付けされてるようで面白くないがしょうがない。
 葉山はあれから頻繁に比企谷の周りに出没するようになった。方向が違うのにどういうわけか駅でよく声を掛けられる。帰り道や本屋で顔を合わせることも多い。たまに大学の前で待っているときもある。あいつが来てる時は門の前が騒つくのですぐにわかる。
 目立ってしょうがないから止めてくれと言うと、「したいようにしろと言ったのは君だろう」と言った覚えのない言葉で反論される。たとえ言ったとしてもお前は俺の言うことなんて聞かないはずじゃなかったのか。
 いまや葉山は大学からの帰りに部屋に毎日のように押しかけてくる。訪れては終電の時間まで部屋に入り浸る。どういうわけか夕食を一緒に食べることまである。土産を持って来るから拒めないし、それに追い返す理由がない。
「コーヒー、あったかい方がよかったかな」
「いや、どっちでも上手いし」
 口に広がるコーヒーの甘い味を堪能しながら思う。俺は少し心細かったのかも知れない。1人で過ごすのは平気なはずなのに。そういえば実家では両親が遅くても小町やカマクラがいたから完全に家で1人になるってことはなかった。我ながら似合わないが人恋しいのかも。
 寝転んでいた葉山が身体を寄せてくるとキスをしたいという合図。葉山は軽く触れるキスを繰り返しだんだん探るように唇を舌で突いてくる。唇の隙間から舌を入れられる。後頭部を押さえられ貪られる。床に縫い付けられ息継ぎすら許されないほど激しく口内を荒らされる。葉山は唇を離して比企谷を見下ろす。濡れた唇と熱を秘めた葉山の瞳に息を呑む。
 
 ある日の深夜のこと、終電に間に合うように出たはずの葉山が何故か戻ってきた。部屋に上がりこんで上着を脱ぎながら言う。
「帰る電車がなくなったんだ。泊めてくれないか」
「堅実なお前が珍しいな。でも布団一つしかねえんだけど」
「俺は何処でも寝るよ。部屋の隅でもいい」
「いやまあ、さすがにそれは風邪引くだろ。狭いけど一緒の布団で構わねえよ」
 先に風呂に入り葉山にも入れと促す。葉山が風呂場に消えると比企谷は寝巻用のスウェットを用意して洗面所に置いた。布団を敷いて横になりテレビを見る。
「服借りたよ。ありがとう。」
 風呂から上がった葉山が部屋に戻った。葉山が布団にもぐったので場所を開けるために片側に寄って背を向ける。葉山は暫くもぞもぞしていたが身体を寄せてきて背後から抱きしめてきた。
「ちょっ、なんだよ」
身を捩るが逃れられない。益々腕ががっちりと巻き付いてくる。
「は、葉山」
「告白してキスまでした相手を泊めるんだ。何かあってもいいってことだろ」
背後から葉山の掌が服の上から身体を確かめるように触れてくる。肋骨を一本一本撫でて胸の突起をさする。どういうつもりだ。
「君は細いな。ちゃんと飯食ってるのか」
「ちょ、やめろよ、擽ったい」
「触りっこまではしたろ」
「あれは、一回だけ、卒業でチャラだろ」
「それは無理だな」
「何をどうするんだよ」
「わかるだろ」
 葉山の言葉の意味は分かる。だがそこまで踏ん切りはつかない。布団の中で背後から服のボタンが外されてゆく。
「待てよ、葉山」
 声が上擦ってしまう。身体に直に触れてくる葉山の掌が熱い。乳首を摘まれ潰すようにさすられる。密着した背中に硬い葉山の胸筋と腹筋を感じる。絡められた脚は筋肉質で力強く逃れられそうにない。尻に触れる股間の硬さにドキリとする。
 葉山の手がスウェットのズボンに移動して下着の中に潜り込む。骨ばった長い指が探るように動き性器に絡みつく。比企谷はひゅっと息を呑む。
「心配しなくても触るだけだ。そこまではしたことあるじゃないか」
「だけどこれは」
 戯れに触れたあの頃とは違う。今すればこの行為は意味を持ってしまう。葉山はぺニスの先端を撫でると指で優しく摩る。背後から握られ先端から根元まで前後に擦られ扱かれる。ペッティングしようってのか。
 項に当てられた唇から漏れる葉山の吐息が荒い。高められて比企谷の呼吸も荒くなる。勃ち上がると指が離される。比企谷はほっとしながらも熱の籠る身体持て余す。どうしようかと迷っていると、ぐいっと肩を引かれ身体を向かい合わせにされる。
 葉山はスウェットから勃起したペニスを取り出すと比企谷のものと擦り合わせる。葉山の骨張った掌が2人の性器を包み間に人差し指を入れて巧みに擦る。
「一緒に、比企谷」
 葉山は2人のペニスを合わせて比企谷の手を取り一緒に握らせてまた擦り始める。上下に緩急をつけて扱かれ芯がより硬くなってくる。
「あ、葉山、まずい」
「俺もだ」
 絶頂を迎えそうになったところで葉山が亀頭を掌で包んだ。葉山も達して低い声で唸る。吐精して白濁が葉山の掌を濡らす。
「わりい」
「いや俺もだし」
 比企谷は焦って枕元のティッシュを数枚取り葉山の手に押し付けて拭き取った。葉山は微笑して言う。
「一緒にいけたね」
「はあ?は、何言ってんだよ」
 向かいあったまま葉山は屈託なく笑う。


高校3年生 春


 卒業式の前日に3年生が式のリハーサルのために登校してきた。久々の対面に教室の中は生徒たちは騒がしく談笑している。葉山は仲間に囲まれながらまだ登校しない比企谷に焦れる。予鈴が鳴る直前にやっと教室に入ってきた彼の姿を見てほっとする。
 リハーサルが終わると皆が帰り支度を始めた。葉山は帰ろうとして教室を出た比企谷を誰もいない音楽室に連れ込む。音楽室の天井は高く、大きな窓から光が差している。教室の真ん中にはグランドピアノが鎮座し木琴や他の楽器は教室後部に集められ、その隣に椅子が積まれている。
「音楽室はあまり来たことがないな。比企谷もそうだろう」
「まあな」比企谷は続ける。「しかし、お前結局3年間彼女なしだったな」
葉山は比企谷を無言で見つめた。首をかしげる彼に苦笑する。
「それが一番いいんだ。そう決めてたからな」
「なんだかんだ言って付き合う奴もないなんて俺と同じとか。モテるのに馬鹿だよな」
「好きでもなく求められたからって付き合ってもね。やはり好きになれなかったら傷つけるし傷つけられる。好きでもないのに付き合ってもいいことないんだ」
「難しい奴だよな、お前は」比企谷は室内を歩きながら首を捻る。「それってお前、経験者は語るってことかよ?」
「ご想像にお任せするよ」
「想像なんかできるかよ。ま、そりゃお前が俺と同じなわけねえか」
 比企谷はピアノの椅子に座り蓋を開けた。鍵盤を押してポーンと音を鳴らす。澄んだ音が静謐な室内に響く。メロディにならない単音が彼の指から零れ落ちる。葉山は比企谷に切なげな視線を送る。
 求める相手じゃないといけないんだ。知りたい会いたい側にいたいと思える相手じゃないと。触れたいという欲求だけだとそれが肉欲だけでも起こってしまう。気持ちでも身体でも求める相手じゃないといけないんだ。
 けれどもどんなに求めてもその相手が同じように思ってくれてるとは限らない。こんなに近くにいて何度も触れてそれでも。
 明日で卒業なんだ。大学は違うからもうこんな風に一緒の教室にいられることはない。こうやって側に佇む比企谷を見るのも今日限りだ。そう思うと胸の中が軋んで嵐のように渦巻く。ポーンとまたピアノの音が鳴った。葉山はピアノの鍵盤を触る比企谷の側に立つ。比企谷が上目遣いに見上げてくる。胸が詰まる。明日で君とは。
 葉山は比企谷の腕を引き身体を寄せた。気持ちも肉欲も溢れるほど湧き上がる。抑えても抑えきれず零れてしまいそうになる。葉山は比企谷の肩に手をかけて屈み唇を重ねて触れるだけのキスをする。誰もいない音楽室にキスの音が響く。もう一度唇を重ねて舌を入れて深く口内を探る。おずおずと比企谷が応えてくれる。互いに舌を触れ合わせ擦り合せる。でも全然足りない。唇を離して比企谷の身体を抱きしめ床に組み敷いて押さえつける。吃驚して見上げる彼の唇に噛み付くようにキスをして深く貪る。
「は、はや」
 狼狽えた比企谷は合わせた唇の隙間から名を呼ぶ。顎を掴んで口を塞いで荒々しく犯す。本能が膨れ上がり目の前の身体を求めている。羞恥も理性も何処かに追いやられる。衝動が全てを凌駕してゆく。葉山は自分のベルトを外して前を寛げ勃起した性器を取り出す。比企谷のベルトを緩めて下着の中に手を入れる。ペニスを探って摘むと少し芯を持ち始めているのがわかった。先端を撫でると比企谷が声を小さく声を上げる。互いの性器の先端を触れ合わせる。一緒に握って扱くと芯が育ち硬くなってくる。比企谷のシャツのボタンを下の方だけ外し肌を晒す。自分のシャツのボタンも外し、比企谷の上に身体を重ねて下腹に互いの性器を挟み腰を動かし擦り合わせる。
「はや、あ」
 比企谷が密やかに声を漏らす。薄皮で隔てる互いのペニスが熱く溶け合うようだ。前後に腰を振り高めてゆく。
「は、あ、比企谷」
 葉山は上り詰めて低く唸り息を吐く。動悸が耳の中でドクドクと聞こえる。心臓が飛び出そうだ。少し遅れて比企谷が達して押し殺した声で喘ぐ。彼の頭の両脇に手をつき射精した後の上気した頬を見つめる。視線は首筋を辿り波打つ胸を通りいつもはシャツに隠されているへそ周りの滑らかな肌で止まる。比企谷の肌の腹の上に溜まった白濁が溢れ腰を伝って流れ落ちる。比企谷は頭を起こしてぼんやりとそれを見ていたが葉山に視線を移す。一瞬戸惑いの表情を浮かべた。だがすぐにその表情は隠れ、口角を上げる。
「お前イク時あんな顔すんだな」
「君こそ」
 葉山は比企谷を見下ろし微笑もうとした。上手く笑えただろうか。葉山と目を合わせていた比企谷はすっとどこか怯えたように真顔になり顔を背ける。
「おい、どいてくれ」
 比企谷は側頭に置かれた葉山の腕を叩いた。彼を囲い込んだままだったと気づいて葉山は身体を離す。比企谷は葉山と目を合わせることなく身体を起こす。差し出されたハンカチで精液を拭い服を整える。
「明日卒業式だな、比企谷」
 式のことなど気にもしてないのに。葉山の口から空々しい言葉が滑り出る。
「ああ」
 比企谷は顔を上げずに葉山にハンカチを渡す。
「ここに捨てんなよ。じゃあな」
 比企谷は振り向くことなく逃げるように立ち去る。残された葉山は壁を背に座り込み表情を歪ませる。前髪をくしゃくしゃと掻きあげる。嵐のように押し寄せた情動に身を任せた。抑え込めなかった。いや抑え込もうなんて思わなかった。本能に身を任せるのはなんて気持ちがいいんだろう。身体がまだ疼いている。
 もっとだ。彼をもっと貪りたい。犯したい。君を傷つけることになっても。君を押さえつけて押し入って突き立てて突き上げて。君を暴いて身体の中から君の体温を感じたい。許されない凶暴な衝動が渦巻く。
 彼に気付かれてしまっただろうか。顔に出してしまっただろうか。彼の顔に一瞬垣間見えた怯えた表情。それすら欲情を掻き立てた。
 気持ちの制御なんてできないんだ。会いたくて触れたくて俺を認めてほしくて側にいるだけで高揚して。それだけじゃ足りなくて際限なく欲しくて求めて苦しくて辛くて。
 冷めるまで熱の中で悶えるしかないんだろうか。君の存在に意思も理性も全てもぎ取られてしまう。どんなに押さえ込んで踏みとどまっていたのか。君にはわからない。君にだけはわからない。付き合う奴もなかったな、なんて平気で俺に言えてしまう君になんか。


大学1年生 秋


 葉山は毎日比企谷のアパートに立ち寄る。そのまま泊まっていくことも多くなり、泊まると夜は必ず身体に触れてくる。身体を弄られ嬲られ葉山のものを触らせてくる。互いに扱いて高め合う行為は気持ちいい。触って触らせてじゃれあうような遊戲のような触れ合い。おかしいと思っても度重なる内に慣れてくる。
 初秋を過ぎて肌寒くなってきた。そのせいか比企谷は無意識に暖を取るように身体を寄せる。そうすると葉山はほうっと熱く吐息を漏らし手足を巻きつけてきつく抱きしめてくる。いつしか服越しに感じる体温を快いと思うようになっていた。
 だが次第に葉山は遊戲ではないと示すようになってくるようになった。比企谷を仰向けにして服を肌けると葉山は切なげな瞳で見下ろして身体にキスをする。吸い付かれるとちくっとして赤い跡がつく。葉山は首筋を舌先でなぞり唇を滑らせてゆく。首筋や鎖骨周りはかろうじて跡はつけないでいてくれる。だがそこから下の上半身の皮膚には遠慮なく唇を這わせ、吸い付きキスをする。
「ここは感じるかい、比企谷」
 葉山は胸の突起を舌で転がすように舐める。比企谷の肋骨に脇腹に臍の下に柔らかく唇を押し当ててチュっと吸い付く。
「ん、くすぐったい」
敏感なところを食まれ身を捩ると抑えつけられる。葉山の下腹部が硬くなってきているのに気づいて顔を見上げる。葉山は微笑して比企谷の下腹にそれを押し付ける。生々しい欲の証にどきりとして息を呑み密かに声を漏らす。
 朝早くに目が覚めてしまい比企谷は洗面所に向かった。電気を点けると乱された服の間から肌に赤い斑点が見え隠れする。服をめくってみて驚き息を漏らす。
 鏡に映った身体には赤い所有痕が散らばっている。まるで桜の花弁のような鮮やかな跡。
 もう戯れじゃない。これはセックスの前戯だ。葉山がこれ以上を求めているのは明らかだ。シャツのボタンを留めながら指が震える。でもあいつはいい奴だから無理強いはしないんじゃないかな。でも自分でいい奴じゃないとか言ってたな。いや、そこまではいくら何でもないかも。動揺して思考が頭の中でぐるぐると回る。
 鏡を覗き込み襟でキスマークが隠れたのを確認する。顔を洗い火照る頭を冷やして居間に戻るとまだ葉山は眠っていた。精悍で整った顔立ちに少し憂いを帯びた眉根。高校生の頃から変わらない絵に描いたような優等生の面だ。眠る葉山の枕元に胡座をかいて座り込む。
 こいつが俺を探して来てくれたと聞いた時は物好きだなと思ったが、素直にちょっと嬉しかった。戸塚も材木座も時々電話をくれるし由比ヶ浜からもメールがくる。雪ノ下からもたまーに事務的なメールがくる。土日に帰れば顔を合わせることだってある。
 だが皆もう新しい生活圏があることはわかってる。俺も少しずつでも今の環境に慣れていかなきゃいけない。
 そんな時にお前が来たんだ。環境が変われば繋がりも消えるものだし今迄そうだった。お前は俺と違って環境にすぐ慣れるだろうし友達作るのも得意だろう。嬉しいとは思ったけどほんの気まぐれで来たんだと思っていた。人間関係は進学程度ではリセットされないと言ったお前は自らそれを証明しに来たんだなと。お前は負けず嫌いだから。
 それがいつの間にかほぼ毎日だ。予想外過ぎだ。でも拒む理由がない。というよりも、拒めない。俺は高校の延長のような気楽さに甘えてるんだ。
 洗面所には歯ブラシが2本コップに差してある。クローゼットには比企谷の服の他に葉山の着替えも段々増えていってる。知らない内に生活圏が侵されている。不本意ながらお前がいるのが生活の一部になってきてるんだ。想像もしなかった状況だ。
 考えるのを先延ばしにしすぎた。楽に流れすぎたのかも知れない。
「かと言ってもな」
 比企谷は溜息をついてそう独りごちる。どうするのが正解なのかわからない。それに、熱病のようなものなんだろう。今どうなるってわけでもない。俺の考え過ぎかも知れないし。葉山の考えもわかんねえし。

 だがいきなりその日はやって来た。
 朝出がけに葉山が弁当を買ってくると言ってたので、帰ってから一緒に夕飯を取ることになっていた。
 夕方にアパートを訪れた葉山は珍しく表情が硬かった。いつになく言葉少なで話しかけても生返事しか返さない。夕食も考え込むように黙ってもくもくと食べている。
 比企谷はそっと様子を伺った。不機嫌そうだな。どうにも面倒くさいな。疲れてるのか。なにか知らないが言ってくれればいいのに。食べ終わりそうなところでやっと葉山が口を開く。
「入れたいんだ」
「何を」
「俺の」
「お前の?」
 比企谷が返すと葉山は顔を上げて苛立ったように眉を寄せる。
 「君って奴は。はっきり言わないとわからないのか」
 上目遣いに見つめてくるその瞳は熱を孕んだ雄の目をしている。こんな目を以前にも見たことがあった。葉山は口を開く。
「君の中に俺のペニスを挿入したい」
 比企谷は持っていた箸を取り落とした。直接的な葉山の言葉に身体が震える。
 キスをして身体に触れられて。それに慣れてくるといずれ葉山がそれ以上を求めてくる予感はしていた。前戯だと感じるようになってからいつか近い内にそれを言い出すかもと思っていた。だがそれが今日だとは思わなかった。いつであっても今日だとは思わなかったかも知れないが。
 けれどもそれは学生時代はしなかった未知の世界だ。覚悟なんて全くない。それに、今は行為が意味を持ってしまっている。
「あの、葉山、それは」
 頭が熱くなってきた。咽喉が乾いて声が掠れる。
「用意はしてきた。コンドームも潤滑油もある。色々調べて予習もしたし心配ないよ」
 なにそれ用意が良すぎて気合い入ってて怖いぞ。葉山はさらに追い詰めるように続ける。
「一緒に風呂に入ろう。洗ってやるから」
「い、嫌だ」
「自分で洗えるのかい」
「そうじゃなくて」
「じゃあ今すぐ抱くけどいいのかな」
「なん、なんでそうなるんだよ」
「君を抱きたいんだ」
 葉山は真剣な表情で比企谷を見つめて言う。
「君を俺の物にしたいんだ」
「物って、人をお前」
 反論する声が小さくなってゆく。拒む選択肢は与えられない。逃げ場がない。
 さんざん問答した末に葉山の勢いに押し切られ比企谷は渋々首を縦に振り承諾する。
「よし、決まりだな」
 上機嫌な葉山に風呂場に引きずられるように連れていかれ服を剥かれた。葉山も服を脱ぎ全裸になる。さすがに運動部上がりは身体が引き締まっていて腹筋も割れている。ついまじまじと見てしまう。葉山も比企谷の身体を見ていたが目が合うと何故か照れたように視線を逸らす。
「あー、服着てると細身に見えるけど、着痩せするんだな、葉山」
「比企谷、君は本当にたちが悪いな」
 葉山は掠れた声で呟くと比企谷の腕を引き、風呂場の戸を開けた。
 2人で入るには狭い風呂場でシャワーを浴びる。葉山に四つん這いにさせられ、あり得ない屈辱的な洗浄の時間が過ぎた。風呂場を出て先ほどの衝撃に呆然としたまま鏡を見る。葉山はざっくりドライヤーをかけると手早く比企谷の髪も乾かす。
 籠に入れていた着替えの服に手を伸ばすと背後から葉山にその手を掴まれた。比企谷の手から服を振り落とすと葉山は腕をそのまま首元に巻きつけて抱きしめてくる。背中に葉山の裸の上半身が密着する。触れる風呂上がりの熱い肌。
「服は必要ないよ。待てない」
 耳元で低い声で囁かれ、洗面所から連れ出された。葉山は折りたたんだ布団を足でぞんざいに広げると比企谷をその上に押し倒す。
 裸の身体は隠すところがない。葉山のペニスが勃ち上がり反り返っているのが見える。怖じ気づいて後退ろうとすると腰を掴まれ引き戻された。
「悪いけど待てないんだ」
 葉山は顔を近づけてキスをすると比企谷の足を折り曲げ大きく開脚させた。晒された中心をまじまじと見ている。比企谷は羞恥に足を閉じようとするが、葉山が間に身体を入れてきたので果たせない。葉山は持参した潤滑油を人差し指で掬うと親指で指全体に広げて窄まりを指でなぞる。ぬるりと後孔に指が入れられて比企谷は違和感に悲鳴を上げてしまった。
「ひあっ」
「ごめん、冷たかった?もう少し体温で温めるよ」
 捏ねて温めた潤滑油を塗り込めながら葉山の指が抽送する。身体の中を解されていく。増やされる指の生き物のような動きにおかしな気分になる。浅いところから深いところまで内壁が広げられてゆく。葉山の指は3本、4本か。嘘だろ、そんなに入ってしまったのか。身体が葉山を受け入れるように作り変えられてゆくのか。ようやく指が引き抜かれホッと溜め息が出る。
「もういいよね」
 葉山は手を添えて後孔にペニスを当てる。探るように押し付けられビクッとする。
「コンドーム使わなくてもいいかな」
「え、なんで、持ってきたんだろ」
「中に出さないようにするから」
 葉山が腰を押し付けると亀頭がぐっと突き入った。窄まりを押し広げられて比企谷は息を詰まらせる。葉山のペニスが入ったのか。熱くて弾力があって太い。これがあいつの感触なのか。揺さぶられさらに竿が押し入ってくる。突き上げられるたびに圧迫感にくっと息が詰まる。人の身体を受け入れる感じたことのない痛み。葉山はゆっくりと挿入しながら上擦った声で訊ねてくる。
「大丈夫か」
「んな、わけねえ」
 痛みを散らそうと切れ切れに息を吐く。壊れてしまいそうだ。葉山も入れるのがきついのか声が掠れて苦しそうだ。でも俺ほどじゃねえだろ。それともこいつは感じてるのか。
 葉山は上半身を倒し身体を重ねてくる。汗ばむ互いの身体がぴったりと触れ合う。葉山の鍛えられた筋肉が身体の上に密着して滑る。ごつごつとした男の身体。葉山が腰を前後に振るたびに灼熱が更に触れられたことのない奥に押し入り身を抉ってゆく。
「比企谷、比企谷」
 葉山が浮かされたように名前を呼ぶ。腰を打ち付けられる度に接合部から水音がする。激しいピストン運動に奥を突き上げられ身体を揺さぶられる。脈打つ葉山の身体の一部が比企谷の身体を穿ってゆく。
「ん、あ」
 擦られて小さく喘ぎ声を上げてしまい口に手を当てる。変な声を出しちまった。聞かれてないよな。ちらっと様子を伺う。葉山は顔を上げて比企谷を見つめ、熱っぽい吐息混じりの声で囁く。
「ほんとは中でいきたいんだけどな」
「お前、何言ってんだよ」
 葉山はにっと笑うと眉根を寄せる。ぐっと奥に突き入れて動きを止めると、達する前に一気に引き抜いた。内臓を押し上げていた圧迫が消えて比企谷はほっと息を吐く。葉山は比企谷の腹の上に先端を触れさせ精液を注ぐ。白濁は臍に溜まりとろりと溢れる。葉山はティッシュでそれを拭き取ると覆い被さってきた。比企谷の身体を抱きしめ愛撫してくまなくキスをする。首筋に吸い付かれてちくっとする。跡をつけられたかも知れない。そこは襟では隠せない。また首筋を吸われる。ああ、でも別に誰も気にしないか。葉山はキスをしながら下腹部に手をやり比企谷の勃ち上がったペニスを探る。
「君はいってないね」
 少し残念そうな声音に呆れる。
「そりゃそうだ。ケツでいけるわけねえだろ」
「そうかな。さっき君は」
 葉山は比企谷を見つめ、いかせるためにペニスを扱き始めた。

 翌日は休日。カーテン越しに柔らかい光が差し込み薄明るく部屋の中に満ちる。比企谷は珍しく朝遅く起きた。だが着替えることもできない。目を覚ました葉山に顔を見るなり抱き寄せられてからもう午後を回る。まだ布団から出してくれない。一日中俺を離さないつもりなのか。
 葉山は比企谷の身体に腕を巻きつけて深い口付けを繰り返して筋肉質な脚を絡めてくる。剥き出しの下半身を押し付け身体を愛撫してキスの跡をつけてゆく。
 葉山の背中に腕を回して応えながら比企谷は戸惑う。朝から布団の中で服を着ないでいちゃつくとか、俺の人生であり得ないだろ。比企谷は葉山の肩を軽く叩く。
「葉山、トイレ行きてえ」
「ああ、じゃあ俺も君の後で行くよ」
 葉山はついて来てトイレのドアの外で待ち、続いて入る。比企谷は裸だしついでにと風呂場に入った。シャワーから湯を出した瞬間に葉山も入ってくる。
「シャワーを浴びたいんだけど」
 狼狽えて比企谷が言うと葉山が笑う。
「俺もだよ。一緒でいいよね」
 返事をする前にドアが閉められシャワーを一緒に浴びることになってしまった。温水を浴びながら葉山は比企谷を抱きしめる。身体を密着させ深くキスをする。掌を肩甲骨に背筋に尻にと滑らせて身体中に這わせる。
 風呂場から出て身体をぞんざいに拭き終わるなりすぐまた葉山は比企谷を布団にひき戻した。比企谷を組み敷いて火照る肌を合わせてくる。また身体に唇を這わせてくる。
「シャワー浴びた意味がねえじゃねえか」
「そうだね」
葉山はにっこり笑って抱きしめてくる。
 ようやく密着していた身体がそろりと離れる。葉山は下腹部に降り比企谷の脚を開かせ太腿にキスをする。幾つも内股に吸い付かれ比企谷は擽ったくて身体を攀じる。葉山は比企谷のペニスを口に含む。咥えられた柔い感触に比企谷は慌てた。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 身体を起こすと葉山と目が合う。赤い舌をちろりと出して亀頭を舐めながら上目遣いに見つめてくる。とんでもない光景にどきりとして頬が熱を持つのを感じる。俺は今きっと赤面してるよな。
「見るなよ」
「君が感じてるとこ見たいんだ」
「お前、悪趣味だぞ」
 葉山は竿を深く咥えると抽送する。口腔の温い粘膜の感触が気持ち良く高められていく。葉山に見られているのが恥ずかしくて堪らない。
「出る、離せよ、やだって」
 葉山は離そうとしない。身体を捩っても逃れられない。やばい、達してしまう。声を出さないように口元を覆う。波が押し寄せてきて中心が爆ぜる。
「ん、あ」
 痺れるように身体を支配した熱が引いていく。葉山の口内でいかされた。嫌だって言ったのにこいつは。なすがままにされ一部始終を見られていたかと思うと屈辱を感じる。
 足の間に伏せていた葉山が身体を起こした。ペニスがまた勃ち上がっているのが見える。葉山は熱を含んだ瞳で比企谷を射る。
「君の中でいきたい」
 うつ伏せにされて脚を開かされる。腰を掴んで引き寄せられ、比企谷は慌てて背後の葉山を振り見た。
「え、何、葉山」
顔に動揺が現れていたのだろう。葉山は苦笑して続ける。
「次にするよ。コンドームつけるよ。今回はね」
 葉山は比企谷の臀部を割ると腰を押し付けて挿入する。肉壁を擦り突き入るぺニスに夜とは違う場所を責められる。
「あ、あ、葉山」
「ん、後ろからだと感触が違うね」
「あ、ばかやろ」
「もっと深く入れていいかな」
 葉山は比企谷の尻を高く上げさせて引き寄せる。鬼頭の出ないぎりぎりまで引き抜き、強く突き上げる。
「ひあ、え」
 深々と挿入されて比企谷は引き攣った悲鳴を上げた。揺さぶられるほどにぐっと葉山のペニスが昨日より奥に入ってくる。
 「そこまでじゃ、ないのか、う、あ」
 葉山のペニスの付け根の皮膚と陰嚢が触れる。
「気持ちいいところ教えてくれないか」
「なんでそんな、何言ってんだよ」
「気持ちいい方がいいだろ。教えてくれないなら俺が探すよ」
 葉山のペニスがじりじりと左右に中を擦りながら引き抜かれる。行きつ戻りつ探るように入ってくる。体内でこりっとどこかが摩れる感触がした。身体がびくりと跳ねる。
「やだ、そこ、何だ今の」
「見つけたよ。ここみたいだね」
 葉山は屈み込み耳元で嬉しそうに囁くと何度もその場所を擦った。動くたびに内壁を痺れるような快感が押し寄せる。痺れは背筋を伝わり身体中に広がってゆく。
「気持ちいい?比企谷」
「は、や、」
 返事も悪態もつけない。じわじわと身体が熱くなり下腹に熱が集まり勃起してきたのを感じる。押し殺しても喘ぎ声が漏れて恥ずかしくて堪らない。
「君の中、熱いね。ぎゅっと締め付けてくるよ」
「お前が変な感じに動かすから、やだって言っただろ、葉山ぁ」
「何言ってんだ。これから何度もするんだから」
 嘘だろ。こんな恥ずかしい姿勢でこんな恥ずかしいこと、何度もするのかよ。葉山が背中に覆い被さる。抱きしめられて背中に葉山の硬い筋肉を感じる。葉山はぐっと突き上げると腰を押し付けて動きを止めた。貫いている肉の杭がぶるりと震える。葉山は低く唸り耳元でふうっと熱い息を吐く。比企谷は葉山が達したのだと気づく。
 その内こいつは生でしたいって言い出すんだろうな。てか、さっき言ってたじゃねえか。まだ抜かねえのかな。こいつのまだ硬いんだが。
「比企谷」
「な、なんだよ」
「まだいけそうなんだ」
「そ、そうか」
「今度はつけないでいいかな。君の中でいきたい」
「嫌だ。そんなの、中に入ったらどう取るんだよ。取れないだろ」
「洗ってやるから。頼む比企谷。お願いだ」
 真剣な表情で懇願されると断れない。拒む理由が見つからない。このまま俺はどんどんお前に染められていくんだろうか。

「想いを告げなきゃ出来なかったことがあるよ」
 仰向けにされた比企谷の身体に葉山の腰が密着している。身体を起こした葉山は接合部を見ながら抜き挿ししている。脚は大きく開かされた比企谷は太腿を掴まれて自由に動けない。葉山が腰を揺らし肌を打ち付けるたびに、さっきとは違ってペニスの皮膚がよれる感触がする。肉の棒が生々しく体内を穿ってゆく。昨夜も生で入れられたのに、宣言されたせいか意識してしまう。
「ん、は、それって、こういうことか」
 比企谷は顔を顰めて喘ぎ声混じりの声で問うた。さっき散々嬲られた敏感なところを雁に擦られ感じてしまう。嬌声を上げてしまいそうになり必死で堪える。身体を揺らされるたびに中心から聞こえる粘着質な水音が耳を苛む。
「それだけじゃないよ」
 葉山はそう言うと比企谷の腰を少し持ち上げ揺する速度を早めてゆく。引き抜いては突き上げ体内を往き来する葉山のペニスが股の間に見え隠れする。比企谷は息を呑み目を逸らす。
「そんなとこ見てんなよ」
「君の身体に入ってること確認してるんだよ」
 葉山は比企谷に視線を移し悪戯っぽく微笑む。
「夜と違って明るいからよく見えるよ。君にも見えるかな」
 欲情を映し出す瞳の下に晒され比企谷は羞恥に隠れたくなった。葉山が動くたびに繋げられた比企谷の身体も激しく揺さぶられる。葉山は目を瞑ってぐっと奥を抉り射精して低く唸る。後孔に埋められたそれがどくりと脈打ち熱い液体が吐き出される。
「あ、は、ほんとにお前、中に」
 飛沫が迸って後孔の中をじわりと濡らしてゆく。荒い息を吐きながら葉山が覆い被さってくる。筋肉質な体躯はずしりと重たい。首元にかかる葉山の息が熱い。広がってゆく葉山の熱を体内に感じる。


高校3年生 春から大学1年生秋


 卒業式が終わった。講堂でも教室でも周りに皆がいて比企谷と話せる機会はなかった。式が終わっても互いの家族が来ていて比企谷と2人きりになれる機会はない。比企谷の姿を目に留めながら外に出る。校庭には卒業生同士が集まっていたり在校生が待っていたりと賑やかしい。人の波に揉まれていつの間にか比企谷の姿を見失う。葉山は比企谷の姿を探しすが、喧騒に取り巻かれ身動きが取れない。
 暫くして在校生が去り卒業生も皆親と一緒にそれぞれの方向に散り始める。帰る前に比企谷に会いたい。少しだけでもいい。彼と話がしたい。葉山は用があると言って両親から離れた。見慣れた猫背の姿を探す。校庭の何処にも彼は見当たらない。いつの間にかもう帰ってしまったのか。
 葉山は立ち止まる。卒業が意味するものに気付いてしまった
 もう会えないんだ。街ですれ違うことはあるかも知れない。でも毎日会える時なんてこれからはもうないんだ。俺たちにはもう理由がない。何度もキスをして君の身体にも触れたのに。君の気持ちを知らないまま、俺の気持ちを告げないままに。
 俺たちの関係はなんだったんだろう。形にするのが怖かった。認めてしまえば告げてしまえば壊れると思っていた。失ってしまうと思っていた。壊れるのが怖くて、君との今をこの手に握っていたくて。そうして俺は未来の可能性を手放してしまったんだ。
 
 部屋のベッドに寝そべり天井をぼんやりと眺める。両親は仕事に戻り家には葉山1人残された。家では昔からいつも1人だ。だから皆と外に出かけて過ごすのが好きだった。でも1人なのは慣れてるし苦痛じゃなかった。
 今は堪えられない。寂しくてたまらない。心に出来た虚が広がってゆく。君といるだけであんなに波立ち、時に荒れ狂う嵐のように乱された心がいまはさざ波すら立たない。悦びも苦しみも、俺の中に何も無くなってしまった。俺は伽藍堂だ。
 君に会いたい。君に触れたい。君を誰かに盗られてしまうなんて堪えられない。ああ、そうだ。俺はもう君を俺の物だと思っていた。心を告げることがなくても、キスしかしてなくても、卒業前の一度しか身体に触れてなくても、君を俺の物だと思っていたんだ。
 葉山は身体を起こし膝を抱える。明日になれば慣れるのか。痛いほどのこの喪失に。

 卒業後の休みには一度も会えなかった。街中ですれ違うこともあると思っていたのに。彼は家に篭ってるのかも知れない。彼の携帯の番号を見ては溜息を吐く。何を言えばいいのだろう。
 悶々としたまま春休みは過ぎていった。明日からは大学生活が始まる。比企谷の通う大学は県内でも近場だ。きっとどこかで会えるだろう。

 電車の自動ドアが開くと薄桃色の花弁がふわりと飛び込んできた。ホームに広がった桜の花弁が風に舞って潮が引いていくように流れる。
 電車で通学するのは高校の時と同じだが今の行く先は東京だ。乗車時間は長く高校と時とは比べものにならない。大学に入ってからは忙しい日々に追われ帰ってから彼を探す時間もあまり取れない。それでも葉山は駅を出ると大学からの帰り道に本屋に立ち寄る。比企谷がいないだろうかと期待しては落胆する。彼と行ったことのある店やショッピングモールにも足を運び彼の姿を探して彷徨った。
 偶然でも何処かで会えないだろうか。会って何を言えばいいのだろう。またキスをしようって?言えるはずがない。嫌な顔をされるかもしれない。彼には黒歴史かもしれないのに。でも会いたい。
 もうすぐ夏になるというのに、いくら探しても何処にも姿を見かけない。何故なんだ。同じ地域にいるはずなのにさすがにおかしくないか。他の友達には会えるのに彼にだけは会えないなんて。彼が生活習慣をそんなに変えるだろうか。大学に行かないでずっと家の中に引きこもっているのか。いくらなんでもそんなはずはないだろ。彼の家に行けば会えるだろうか。でも行って何を言うんだ。
 比企谷の通っているはずの市内の大学の近くに何度も足を運んだ。だが一度も会えない。葉山は次第に焦り始めた。時間が経てば経つほど怖くなる。彼が誰かの物になってしまうかもしれない。誰かに盗られてしまう。彼は皮肉屋で人見知りだけれど高校の時と同じように良さに気づく人はきっといるだろう。惹かれる人だって出てくるだろう。彼が他の誰かとそんな関係になってしまうなんて考えるだけでおかしくなりそうだ。
 夏休みも会えないままに終わり、残暑は早くも過ぎて秋の気配が忍び寄る。歩道の植木がほんのり色づいてきている。葉山は空を見上げる。
 もう誤魔化せないんだ。彼を誰にも盗られたくない。誰かに奪われるのを指を咥えてみていられるはずがない。奪われる前に取り返す。今度こそ本当に俺の物にするんだ。出来るかどうかわからない。彼が受け入れてくれるとは限らない。でも少なくとも欲しいと伝えなければ、手を伸ばさなければ何も始まらない。
 なら俺は偶然なんて見えないものにはもう頼らない。
 葉山はガードレールに凭れかかりポケットから携帯を取り出す。迷いなく比企谷の番号を押す。だが繋がらなかった。何度かけても繋がらない。番号は間違ってない。携帯を変えたのか。葉山の心に疑いが沸き起こる。俺には教えないってことか。それが君の意思なのか。それとも忘れてるのか。俺のことを。
 君はクラスが変わるだけで関係はリセットするものだと言っていた。自然消滅という形で切り捨てることができるとも。君は俺との間に一欠片の繋がりも残さないつもりなのか。俺をリセットするつもりなのか。ふざけるな。
 理不尽だとわかっていても頭に血が上る。君がそのつもりなら直接家に行って会うだけだ。


大学3年生 冬


 土曜日の朝、朝食を済ませると皿をキッチンに運びながら葉山は問うてきた。
「今日は何か予定はあるのかい」
「家に帰る。冬服が必要だからな」
 比企谷は皿を受け取って洗いながら答える。今朝は朝食を用意したのは葉山だったので後片付けは比企谷だ。おかしいな。一人で朝食を取ったのいつだっけ。ルールを作るほど2人飯の機会が増えてきてるってことか。
「そうか。結構荷物になるんじゃないか。付き合うよ」
「いいのか?悪いな、助かる」
「丁度いいよ。サッカーのOBとして学校に行くんだ。君も付き合ってくれよ」
「は?なんで俺まで付き合わされることになるんだよ」
「君に付き合うって言っただろう」
「それはお前がだろ、なんで俺が」
「君も実家に帰るんだろ。ついでだからいいじゃないか」
 なんだかんだと押し切られてしまった。その上いらないと言うのに葉山のマフラーを首に巻かれる。
「マフラーを持ってきてない君がいけない。君は海辺の寒さを忘れたのかい?」
「だから取りに行くんだろ。いらねえって。なんか派手な柄で似合わねえし」
外そうとする比企谷の腕を止めて葉山は指で首筋にそっと触れる。いくつも指を滑らせて摩りながら悪戯っぽく微笑む。
「赤くなってるね。君がこれを見せたいのなら構わないよ」
「お前、お前のせいだろ」
「だから言ってるんじゃないか」
 そう言われるとぐうの音も出ない。巻き付けられたマフラーからは葉山の匂いがする。コロンか何かなのかうっすらとする柑橘系ぽい匂いに落ち着かない。比企谷はマフラーをほどくと葉山に押し付ける。
「やっぱりいらねえよ」
 葉山はふっと笑うとショルダーバッグにマフラーをしまう。
「一応持っていくよ」」
 電車に乗り駅に到着すると腕を組まれ引きずられるように学校に連れて行かれる。学校が見えてくると葉山にいきなりまたマフラーを巻かれた。
「お前、いらないって言っただろうが」
 文句を口にすると葉山が目で校門を示す。門の前に戸部が立っていた。葉山に気づくと戸部は嬉々として走り寄ってくる。比企谷は並んで歩いていた葉山からちょっと離れる。葉山はちらっと横目で比企谷を見るが何も言わない。
「隼人くん、久しぶりー」
 相変わらず明るい戸部に隼人も笑顔で挨拶する。
「ああ、久しぶりだな」
「ヒキタニくんもー。聞いてるよ」
「な、何を?」
 比企谷はマフラーに手をやり狼狽えて聞き返す。
「ん?ヒキタニくんも学校来るから隼人くんと一緒に行くって聞いたけど違うん?」
「あ、あー。そうそう、じゃあ俺はこっちだから」
「せっかくだし、ヒキタニ君もグラウンド見てかない?」
「いや、関係ないし、寒いしこれから家に」
 比企谷が言い終わる前に葉山が口を挟む。
「校舎の中にいれば寒くないだろ。じゃあ後で行くからな、比企谷」
「ああ、うん」
 グラウンドに向かう葉山と別れて比企谷は校舎に入り廊下を歩く。言外に勝手に帰るなって言ってんだなあれは。土曜日だから校舎の中に生徒は少ない。部活の生徒くらいか。ついこの間まで毎日通った校舎が別の建物のようだ。平塚先生に挨拶しようかな。職員室は開いてるようだけどいるかな。いや、話長くなりそうだし余計なこと聞き出されそうだし今回は止めとこう。
 階段を上がり図書室に向かう。誰もいないのに鍵が開いている。不用心だな。誰か鍵をかけ忘れたのか。書架の奥の方に歩いてゆくと窓際にしゃがむ。初めて葉山とキスした場所だ。図書室のドアが開けられたらしく重い軋む音がする。生徒が来たのかな。足音は近づいてきて比企谷の前で止まる。見上げると葉山が立っている。
「ここにいたのか。何処に行ったのかと思って探したよ」
「もう行くのか」
「ああ、そろそろね」
 比企谷は視線を逸らしてぼそっと口を開く。
「戸部のやつ、なんか知ってんのか?」
「君と一緒に行くって言っただけだよ。俺たちの関係のことは言ってないよ」
「そうか」
 比企谷はほっと息を吐く。それを見て葉山は続ける。
「今はまだね」
「まだって、葉山お前」
 慌てて見上げると葉山は面白がるような笑顔を浮かべている。
「揶揄うなよ」
 比企谷が溜息をついて立ち上がろうとすると葉山が隣に来てしゃがむ。もう行くんじゃなかったのか。比企谷はまた腰を下ろす。寒いのに換気のために窓を開けてあるのか、カーテンが風に吹かれてひらひらと舞う。葉山が口を開く。
「聞きたかったんだ」振り向いた比企谷と葉山の視線が交錯する。「初めてキスをした時君はなんで逃げなかった」
比企谷は葉山から目を逸らす。
「お前が何をするつもりなのか、どうしたいのか気になったんだ」
「それから何度もキスしただろう。あれは何故だ」
「最初に平気な顔しておいて今更動揺したら負けだろ」
「それだけなのか」
「それだけだ」比企谷は俯いて続ける。「お前はなんでこんなことするんだろうって思ってた。何考えてんだって、これに何の意味があるんだろうって。お前のことだからなんか意味あるんだろうってな」
「比企谷」
「それにこんなのは今だけだと思ってた。好奇心とか気紛れなんだろうって。でもお前は止める気配がなくてずっと続いて。でも一番長くても卒業までだと思ってたしな」
「本当は、嫌だったのか」
 葉山が傷ついたような表情で目を伏せる。比企谷は顔を上げて葉山を見つめる。
「嫌じゃなかった」
 葉山が瞳を上げる。比企谷は少し苛ついた表情を浮かべている。
「嫌じゃなかったんだよ。お前とキスなんておかしいってわかってるのに。拒む理由がなかったんだ。卒業の前の日にキスだけじゃなく一緒にマスターべーションみたいなことしたろ。あれも嫌じゃなかった。おかしなことしてるってわかってるのに。お前といると何かに呑まれてしまいそうで。それが怖かった。大したことじゃないと思おうとした」
比企谷は一気に捲したてて肩で息を吐く。葉山を振り向いて続ける。
「お前はどうだったんだよ」
「俺も同じだよ。怖かったんだ。でも君のそれとは違う」
 比企谷は葉山を見つめる。あの頃の葉山が比企谷を見つめ返している。
「君に手を伸ばしたその意味を知られるのが怖かった。それを悟られたら君を失うと思った。失うには俺は君とのキスに溺れすぎていた」
 葉山は比企谷の髪を撫でて一筋取って指に巻きつけて弄ぶ。
「キスだけで満足だったのに段々それだけじゃ足りなくなってきて、自分の歯止めがきかなくなってきそうで怖かった。衝動が抑えられなくてこのままだといつか君に酷いことをしてしまう。わかってても止められなかった」
「酷いことって、お前が?お前はしねえだろ。」
「できるんだよ、俺にも」
 葉山は声を低めて静かに言う。
「俺も知らなかった。本能に任せてしまうことがどんなに容易いことか」
 葉山はマフラーと首の間に手を滑り込ませ、襟足から見える比企谷の首筋をさする。
「結局我慢できなかったよな。俺は」
 比企谷は擽ったそうに首を振る。
「俺も卒業したら元の俺に戻れると思っていたよ。でも卒業しても君に囚われたままだった。終わりなんかなかったんだ、比企谷」
 葉山は比企谷の片頬を掌で覆い此方を向かせる。比企谷は葉山の手に自分の手を重ねて眼を瞑る。ふわりと温もりが触れ唇が柔らかく重ねられる。


大学1年生 初秋


 休日の早朝の上り電車は空いていた。手摺に凭れて電車に揺られながら葉山は手に持ったメモを見つめる。
 メモに書いてあるのは昨日小町ちゃんに教えてもらった比企谷の住所だ。路線は違うものの葉山の通う大学からさほど遠くではない。こんな近くにいたなんて。本当に君って奴は俺を苛立たせてばかりだ。葉山は顔を上げて車窓から景色を眺め、昨日の小町との会話を思い起こした。
「もう、お兄ちゃんたらしょうがないなあ。全くそういうところがごみいちゃんなんだから。葉山さん、今兄のメアド教えますよ」
 小町ちゃんは呆れた口調でそう言った。
 比企谷の家を訪ねると小町ちゃんがドアを開けた。比企谷のことを聞くと今はこの家にいないこと、その理由と現住所を教えてくれた。
「ありがとう。でもいいんだ。会って本人から直接聞きたいからね。住所だけで十分だよ」
 葉山は礼を言うと住所を携帯のメモに記録した。前もって連絡すると逃げてしまうかも知れない。彼の真意がわからない以上、連絡なしで行く方がいいだろう。小町ちゃんは柔らかく微笑んで言った。
「兄は独り暮らしで寂しがってると思います。会いに行ってくれたら喜ぶと思いますよ」 俺に会って喜ぶかどうかわからないな。でもその言葉に後押しされた。早朝なら君は確実に家にいるだろう。もっとも君はあまり出かけたりはしないだろうけど。
 駅に到着するとメモを見ながら住所を探した。そう遠く離れてはいない。商店街を抜けて比企谷の住むアパートに辿り着き、階段を上がって2階に上がる。メモにある部屋の番号には確かに比企谷と表札に書いてある。
 葉山は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。やっと君に会えるんだ。ドアベルを鳴らす。暫くして部屋の中から足音が近づいて来て扉が開かれる。寝癖頭の君が顔を出した。君はびっくりした表情を浮かべている。君は何も変わっていないね。心が高揚する。ぽっかりと空いていた心に温かいものが満ちてゆく。
「久しぶりだね」
秋の始まりを告げる涼しい風が吹き抜ける。


大学1年生 冬

  
 学校からの帰り道。約束通り比企谷の家に向かい街中を歩く。葉山は隣の比企谷に肩を寄せる。比企谷が離れようとするのを許さず腕を組んで引き寄せる。比企谷は顔を顰めて文句を言う。
「くっつくなよ」
「なんで」
「また知ってる奴に会ったら変に思われるだろ」
「そんなことはないだろ。むしろ俺は皆に言いたいよ。君は俺のものだってね」
「お前な、冗談じゃねえぞ」
 葉山は比企谷の顔を覗き込む。
「君は俺の物だろ」
 比企谷はちらっと葉山を見て言う。
「こういう状態をお前の物になったってんならそうなんだろ。逆はねえけど」
「俺を君の物だとは思ってくれないってことか」
「そんなの誰も思わねえよ」
「君は卑怯だ」
「なんだよ。認識の問題だろうが。思えねえもんはしょうがねえだろ」
「俺がどれだけ君を。君は自分の価値を知るべきなんだ。前もそう言っただろう」
「そんなこと忘れたぜ」
「君は本当に」
 葉山は言葉を切り苦笑して続ける。
「いいさ。俺が君の価値をわからせるよ」葉山は比企谷に顔を寄せて囁く。
「今なら君に出来ることが沢山あるからね」
 比企谷は立ち止まると頼りなさげな声で呟く。
「お前、その、思い上がるなよ」
 そう言うと比企谷はマフラーの端を巻き直して口元を覆い俯いて顔を埋める。葉山は微笑み、比企谷の隣に並ぶと歩幅を合わせて歩く。
「比企谷」
「なんだよ」
「俺は君とならしたいことがいっぱいあるんだよ。君にしたいこともいくらでもある」
 葉山は隣の細肩を抱き寄せる。比企谷は少し肩を揺するが振りほどこうとはしない。
「つきあうってそういうことだろ」
 葉山は肩を抱く腕に力を込める。

END