碧天飛天の小説サイト

飛天の小説置き場です。本業絵描きですが萌えを吐き出したく作りました。二次創作からオリジナルまで色々予定してます。無断転載を禁じます。よろしくお願いいたします。母艦サイトはBLUE HUMAN http://d.hatena.ne.jp/hiten_alice/ です。

手繰る言の葉(全年齢バージョン)

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 キスをしている。
 目を瞑ると、人肌の柔い温もりがふわりと唇を撫でる。少しかさついた唇が形をなぞるように這い、押し付けられた。ちゅっと音を立てて温もりが離れ、また押し付けられる。粘膜が触れ合い、またちゅっちゅっと音がする。上唇を食まれ下唇を弄ばれる。唇より熱くて柔らかいものが触れて、隙間から入ろうとする。
 目を開けると上気した幼馴染の顔。鋭いけれども濡れたような眼光が、口を開けろと語る。促されるままに少しだけ口を開けた。すると待っていたとばかりに、唇がピタリと合わさる。彼の舌が侵入し、口内を探り歯列を舐めてゆく。応えたほうがいいのかな、と恐る恐る彼の舌に触れる。途端に舌を絡められ、アイスクリームを舐めるみたいに、口腔内の粘膜を貪られる。
 呼吸を奪われて息が苦しい。少し頭を引いたら肩を掴まれた。動いたら彼の指が食い込んだ。彼は左手で肩を押さえたまま、右手を肩に滑らせ、頸を摩って後頭部を押さえつける。捕まった。離れられない。もう逃れられない。少しだけ唇が離れ、再び角度を変えて重ねられる。同時にするりと舌が入ってきて、舌を探り当てて絡めてくる。深い深いキス。食われてるみたいだ。
 僕らはおかしなことをしてる。だけど嫌じゃない。気持ちいいと思ってるんだ。

1

 目を醒ますと、見覚えのある白い天井が目に入った。顔を横に向ける。窓に薄いカーテンがはためいて、青い空が見える。
 また保健室に運ばれたみたいだ。出久は頭を起こそうとしたが、ずきりと痛みが走り、果たせず枕に沈み込む。手で触れるとガーゼの布の感触。頭には包帯が巻かれているらしい。   
 頭部を殴打したのかな。また僕怪我しちゃったんだ。入学してから何度ここで世話になったことか。リカバリーガールは呆れちゃっただろうな。ふうっと溜息を吐く。
 反対側に顔を向けて、出久は驚きのあまり「えーっ?」と声を上げた。ベッドの側に何故か勝己がいた。コスチューム姿で腕を組んで丸椅子に座っている。視線が合ってしまった。勝己は顔を顰めて出久を見下ろす。
「うるせえ!やっと目え覚めたのかよ、デク」
「ごめん、びっくりしたから」
「まさか俺がいるなんて思わなかったってか」
「いや、その」
 図星だがとても言えない。布団をめくって確認する。上半身は裸で胴回りにぐるりと包帯が巻かれているが、痛くはない。その下にはコスチュームのズボンを着用している。思い出せないけど、体育の授業中に何かあったんだろう。
「かっちゃん、僕、何があったの?覚えてないんだ」
「ああ?てめえは戦闘試験中に余所見して、もろに落石を頭に食らったんだ。バカが」
「落石。そうだったんだね。戦闘試験って。ええ?」
 それは1か月後じゃなかっただろうか。中間考査の最終日だったはずだ。壁に掛かっているカレンダーを見ると、何故か翌月の6月になっている。どういうことだろう。今は5月じゃないか。まさか。
「かっちゃん、今日は何月何日なのかな」勝己に向き直り聞いてみる。
「てめえ、ボケてんのか。6月7日だろうが」
「ホントに?間違ってない?」
「ああ?どう間違うってんだ」
 翌月のカレンダー、戦闘試験、勝己の言葉。つまりもう1ヶ月経ってるってことになる。どういうことなんだ。
「あの、笑わないで欲しいんだけど、おかしいんだ。僕の認識だと今日は5月7日なんだよ。タイムスリップしたのかな」
「はあ?馬鹿じゃねえのか。てめえは昨日も一昨日も学校におったわ」
「そうだよね。流石にあり得ないね」
 では時間を飛ぶようなSF的なことが起こったわけではないのだ。ならばおかしいのは自分の頭の中、なのか。
「なんなんだてめえは。起きていきなり訳のわかんねえこと言いやがって」
勝己が椅子に座ったままにじり寄る。ドキッとして慌てて出久は答える。
「かっちゃん、僕この1ヶ月くらいの記憶がないみたいだ」
「あ?何言ってんだてめえ」
 勝己の口調にいらっとした調子が混ざってくる。ちょっと怯んだが、言わないわけにはいかない。
「本当なんだよ。昨日は5月6日なんだ。あ、僕の中ではなんだけど。GW明けだから覚えてる。でも5月7日以降から今日まで、何があったのか全然覚えてないんだ」
「なんだそりゃ。ありえねえわ」
「本当なんだよ。どうしよう、かっちゃん」
「おい、マジで覚えてねえのか」
 勝己は神妙な表情で問い返す。カーテンの向こうから、カツカツと足音が近付いてきた。
「おや、気が付いたんだね。よかったよ」
 勝己の背後のカーテンを開けて現れたのはリカバリーガールだ。出久は頭を押さえて身体を起こし、目覚めてから気づいた異変を話した。リカバリーガールはうんうんと頷きながら出久の話を聞き、頭部の傷を確認して包帯を巻きなおす。
「一時的な記憶喪失のようだね。頭の方の傷はほぼ治ってるし、心配ないよ。そのうち思い出すさ」
 リカバリーガールはそう言って微笑む。
「ホントですか。よかった。ありがとうございます」
 出久はほっと胸をなでおろして横になった。
「ほんとにこの子はしょうがないねえ」
 とリカバリーガールは呆れたようにぽんと出久の肩を叩く。
「すいません、たびたび」
 名前も何もかも忘れるような記憶喪失ではないし、ひと月ぐらいの記憶なら思い出すまでの生活にも支障ないだろう。
「てめえ、ふざけんなよ」
 地に響くような勝己の低い声に、びくっとして彼の顔を見上げる。
「かっちゃん?」
「忘れただあ?ふかしてんじゃねえ!」
「嘘なんかついてないよ。ほんとに覚えてないんだ」
「はっ!丁度ひと月分忘れるなんて、あるわけねえだろ」
「これこれ、部分的な記憶喪失は割とよくあることなんだよ」
 リカバリーガールが慌てて窘めるが、勝己は聞かない。勝己は出久の上に乗り出し、頭の脇に両手をついて見下ろす。目が釣り上がって赤い瞳が更に紅く染まっていく。なぜだかわからないけど怒ってる?心臓がきゅっと縮こまる。次の瞬間、勝己が思いがけないことを口にした。
「俺とてめえは付き合ってんだ。それも忘れたってのかよ」
「ええええ?」
 頭が真っ白になった。勝己が何言ってるのかわからない。僕たちが付き合ってた?信じられないどころじゃない。意味がわからない。
「僕とかっちゃんが?付き合ってた?嘘だよね」
 出久は唾を飲み込んで、漸く恐る恐る聞き返す。
「付き合ってんだ!しれっと過去形にすんじゃねえ!このクソナードが」
 勝己は出久の胸倉を掴み、顔を寄せて怒鳴る。鬼のような形相だ。怖くて堪らないが、気持ちを振り絞り言い返す。
「だって、あり得ないよ。君と僕だよ?」
「てめえ!ざけんな!クソが!クソナードが!」
 勝己は目の前で激昂する。大声で罵倒されて鼓膜が割れそうだ。
「落ち着いてよ、かっちゃん」
「落ち着けだあ?てめえが言うのかよ、デク!」
「わああ、だって、僕信じられないよ」
「てめえ!」
 勝己を止められないと判断し、リカバリーガールが外に助けを呼びにいった。相澤が駆けつけて引き離されるまで、勝己は出久に怒鳴り続けた。

 教室に戻った出久に、飯田と麗日が心配そうに声をかける。
「デクくん、大丈夫」
「うん、もう平気だよ、このとおり」
 ずきっと痛みが走ったが我慢し、出久は頭の包帯に手をやってにこっと笑う。
「無理しなくていいぞ」
 察したらしい飯田が労わるように背中を摩る。目覚めた時保健室にいたのが勝己ではなく、飯田や麗日ならば不思議ではなかった。他のクラスメイトでも疑問には思わない。なぜ勝己がいたのだろう。保健委員でもないのに。怪我をした時どういう状況だったのだろうか。出久は2人に問うてみた。
「僕、怪我した時何があったのか、覚えてないんだ。起きたらかっちゃんがいて」
「本当に大丈夫なのか?無理もないかあの怪我では。しかし僕はその瞬間を見たわけじゃないからな」
「私は遠くだったけど見たよ。戦闘試験中、爆発した岩山の瓦礫がデクくんの頭に当たったんだよ。それで気絶しちゃったんだもん。心配したんよ。無事でよかったあ」
 麗日は心底ホッとしたように微笑みを浮かべる。
「爆発?かっちゃん、それで」
「違う違う、ほんとに忘れてるんやね。爆弾を使った試験だったんよ。爆豪くんの個性じゃないからね」
「そ、そうだったんだね」
 いけない。うっかり彼に冤罪を被せるところだった。
「緑谷くんが怪我した時、誰よりも早く爆豪くんが走ってきて、自分が保健室に連れて行くと言い張ったんだ」
「え?かっちゃんが?」
「爆豪くんいいとこあるよね。あの時結構離れたとこにいたんだよ」
「なかなか彼が保健室戻ってこないから、相澤先生が様子見に行ったんだけど。どうやら彼は怒られてるみたいだな」
「何かあったの?」
「ううん、ちょっとね」
 出久は言葉を濁す。勝己は何を思ってあんなことを言ったのだろう。付き合ってるなんて。あり得ない。でもひょっとして本当に?いやまさか。飯田や麗日なら何か知ってるだろうか。
「あの、聞きたいんだけど、最近の僕とかっちゃんってどうだった?」
 自分と彼が付き合ってたかとは流石に聞きにくい。
「側から見てどう見えるかってことか?特に変わらないが」飯田が言う。
「以前みたいに、爆豪くんがいきなり突っかかってくることないから平和だよね」麗日が言う。
「そうだな。君達が喧嘩して一緒に謹慎してから、多少は変わってきてはいるんじゃないか」
「えーと、もっと最近の、ひと月くらいの間の僕らなんだけど」出久は声を潜める。「実は僕、怪我した時だけじゃなく、ここひと月くらいの記憶が飛んじゃってるんだ」
「本当か?大変じゃないか!」飯田は驚いてパタパタと独特の仕草で手を振る。
「デクくん、記憶喪失になっちゃったの?」麗日が言う。
「うん、そうみたい。それで聞きたいんだけど、僕とかっちゃんって」どう言えばいいかと逡巡したが、そのまま言うしかない。「付き合ってた?」
「え!付き合ってたの?」
「ちが、覚えてないっていうか、わかんなくて、だから聞きたくて」
 言ってしまった。2人は驚いたものの、首を捻って思い出そうとしてくれてるようだ。
「共有スペースにいる時は君も爆豪君も変わりないように見えたぞ。ただ、緑谷君の部屋は2階で、僕の部屋は3階で、爆豪君の部屋は4階で、全部違う階だからな。夜は僕は誰よりも早く寝るから、夜の様子はあまりわからない。すまない」
「そんな、あやまらなくていいよ」
「私達は誰かの部屋に集まることが多いしね。女子の部屋は反対側の棟だから、男子棟の様子はわかんないし」
「女子トークしてるんだ。楽しそう」
「うん楽しいよ。お菓子とか持ち寄ったりしてお茶入れて。そういえば爆豪くんと出久くん、時々一緒にエレベーターに乗ってたよね。爆豪君そういうのは気にしないんだなって思ってた」
「え?それほんと?」
「わざわざ乗るなとは、いくら彼でも言わないだろう。部屋は上の階にあるんだからな」
 みんなはそうかも知れない。だが、出久は2階の部屋だからいつも階段で登っていた。エレベーターはめったに使わないはずだ。どういうことだろう。
「とりあえずもうすぐ次の授業だ。君用に前の授業のノートを取っておいたぞ」
「ありがとう、飯田君。助かるよ」
 飯田の差し出したノートをありがたく受け取って着席する。相当絞られたらしい顰めっ面で勝己は教室に戻って来た。出久を睨みながら前の席に着く。正面の背中から怒りのオーラが迸っているようだ。直視できない。
 気をとりなおして、しまう前に飯田から受け取ったノートをめくって唖然とした。内容がずっと先に進んでいる。
 今からは数学だ。書いた覚えはないがノートには記述がある。だが授業が始まったものの、先生の言葉が難しすぎてさっぱり頭に入ってこない。黒板に書かれていることもほぼ理解できない。困ったことにひと月分の授業内容もさっぱり忘れてしまっているらしい。焦って冷や汗が出る。何ページまで進んじゃったんだろう。戸惑ったまま授業が終わった。休み時間に教科書を遡ってみて、相当先までいってることを確認する。
「どうしよう。こんなに進んでたらついていけないよ」
 雄英は進学校。ヒーロー科の授業だけではなく、普通の授業も難易度が高い。むしろヒーロー科はヒーロー基礎学や戦闘訓練が時間割に組み込まれてる分、他の授業は普通科より一層スピーディーに進んでいく。難関校の雄英に受験に合格した優秀なクラスメート達でも、時に赤点を出してしまうのはそのせいでもある。出久は途方に暮れて頭を抱えた。
 誰かが勢いよく机にどんっと手を突いた。そんなことをするのは一人しかいない。目を上げるとむすっとした勝己の顔。
「おいデク、ほんとに忘れてやがんだな」勝己が言う。
「そう言ってるじゃないか」
 まだ疑われていたらしい。出久は憤慨して答える。
「そんでてめえ、1ヶ月分の授業内容も頭から吹っ飛んでんだろ」
「ど、どうしてわかったの?」
「てめえが後でぶつぶつ言ってんの聞こえてんだよ」
 焦る自分の様子に勝己は気づいたのか。隠すことでもない。素直に認める。
「うん、そうなんだ。ひと月分の授業も全部忘れちゃってるみたい」
「はっ、それで7月初めから期末テストがあるってのに追いつけんのかよ、てめえは」
「う、うん、なんとか頑張ってみるよ」
 だが自分はコツコツ地道に勉強していくタイプだ。勘がよくて要点をすぐ飲み込んでしまえる勝己のような天才肌じゃない。体育祭の時だって勝己は実戦で皆の能力を掴み、すぐ対策を思いついていた。自分は日頃から研究して対策を練っておかないと、咄嗟には対応できない。
 5教科に技術音楽。理科だけでも化学、物理、地学、生物で4つ、社会は地理、歴史で2つ。気が遠くなる。勝己はいらいらしたように机を指で叩く。
「デク、なら勉強教えてやっから、放課後俺の部屋に来い」
「え、かっちゃんが教えてくれるの?」
 意外な申し出に吃驚して言い返す。
「そう言ってんだろ!二度言わせんな。うぜえわ」
「う、うん、ありがとう。かっちゃん」
「けっ」
 肩を怒らせて勝己は教室を出て行った。喜んでいいのかな。助かるけど、ほっとしたような困ったような、複雑な心情だ。
「気づかなくてすまない。授業中困ってたんだな」
 飯田が心配そうな表情で近づいてきた。
「しかし、珍しいな。彼から手助けをすると言い出すなんて」
「うん、思ってもみなかっ」と答えかけて、勝己の言った「付き合ってるだろ」という言葉が頭を過ぎり、さあっと血の気が引く。
 部屋に行ってもいいのか?行っても大丈夫なんだろうか?信じられないけど、勝己が嘘をついてるとは思えない。第一偽りを言う理由がない。どうしよう。気持ちの整理が付かないのに、部屋でふたりきりの状況になってしまう。
「何か、気になることがあるのか?緑谷くん。勉強は僕が教えてもいいんだぞ」
 困惑する出久の様子を察したのか、心配そうに飯田が言う。
「ううん、いいよ飯田くん。かっちゃんと約束したから。ありがとう」
 飯田の申し出を断ったものの、密かに先に言ってくれればと思ってしまった。身勝手過ぎるだろうと反省する。勝己の申し出を素直に嬉しいと思ったのだ。彼が自分の時間を割いて勉強を教えてくれるというのだ。親切と言わずして何と言う。親切、なんだよね。
 ともあれ一度OKしたことだ。いまさら断って行かなかったら怒らせてしまう。その方がもっと怖いことになりそうだ。
 あの夜のグラウンドベータでの喧嘩の後、勝己との関係はひとまず落ち着いた。というか、彼が無闇に突っかかってくることはなくなった。
 口の悪さと負けず嫌いは変わらない。でも彼が変わらなくて良かったと思ってる自分がいる。おかしいと自分でも思う。不本意だけど、勝己の口の悪さですら長所でもあるし、憧れるところでもあるんだ。
 オールマイトの秘密を彼と共有することになったのは、いいことだったのかどうかわからない。勝己自身も言っていたように、秘密を知るものが増えれば危険は増える。ただ、出久にとっては勝己に隠し事をしなくて済むことで、心が軽くなったのは確かだ。友達に隠すのはしょうがないと思えても、勝己に隠すのだけは騙しているようで心苦しかった。何故だかわからない。
 だがあの事件の後も、幼馴染でクラスメートでしかなかったはず。本音はもう少し近しくなれればいいなと願ったけれど、彼と自分ではそこが限界なのだろう。それがたったひと月で付き合うなんて関係にワープしたなんて、あり得るんだろうか。

「爆豪に勉強教えてもらうのか。いいんじゃねえか。あいつ、意外と教えるのうまいぜ」
 掃除の時間。箒で廊下を掃きながら切島が言う。出久はその側で塵取りを構える。今日の廊下の掃除係は彼と上鳴と出久の3人だ。
「かっちゃんが?へえ、そうなんだ。意外」
 昔から物知りで「知らねえの?」と人を小馬鹿にして、得意げに人に教えたがるところはあった。らしいといえばらしいのか。
「自分から言ってくれてんだしよ。ちゃんとやってくれんじゃね?」
 窓のサッシを雑巾で拭きながら、上鳴が口を挟む。
「それは心配ないんだけど」
 それよりも気になることがあるのだ。付き合ってる、なんて嘘だろ。でも嘘ついても何の得にもならないだろうし。ならば彼の近くにいる上鳴と切島なら、何か知っているかも知れない。
「あの、二人に聞きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
「ん?なんだ緑谷」
 廊下の掃除はこれで仕舞いでいいだろう。掃除道具を片し、出久は2人を階段の踊り場に連れて行って声を潜める。
「僕とかっちゃんって付き合ってたのかな」
「おめーら、付き合ってたのかよ!」
 上鳴が素っ頓狂な声を上げる。
「しーっ、静かに驚けよ、上鳴。マジかよ、緑谷」
 上鳴をたしなめながら、切島が吃驚顔で問い返す。
「ち、ちが、覚えてないから、どうだったのか君たちなら知ってるかなと思って」
「そっか。てめえらのこたあどうなってんのか、よく知らないけどよ。でもお前はよく爆豪の部屋に行っていたぜ。毎日ってくらいよ」と切島が言う。
「僕の方からかっちゃんの部屋に?」
 彼の部屋は勝己と同じ4階の部屋、しかも隣の部屋だ。
「おお、1ヶ月くらい前からかな。あいつ自分の部屋に誰も入れねえから、珍しいと思っててよ。しかも緑谷だもんな」
「そうだったんだ」
「あいつ女子の話とか振っても乗ってこねえし、全然興味ねえみたいだし。でも、お前と付き合ってたんならなるほど、納得だぜ。マジで興味なかったんだな」
 上鳴はうんうんと頷く。
「だから、わかんないんだって」
 出久はぶんぶんと手を横に振る。
「そういや、こんなことがあったぜ」上鳴がぽんっと手を叩く「1ヶ月くれえ前にこっそりDVDを寮に持ち込んだんだんだ。その時のことなんだけどさ」


 GW開けのかったるい授業が終わった放課後。共有スペースに人がいなくなったのを見計らって、上鳴は切島を手招きした。
「なんだよ、上鳴」
「しーっ、静かにしろよ」
 上鳴は女子の声が遠ざかるのを確認してから、鞄から3,4枚のDVD を取り出した。「GWは久々に家に帰ったからよ、持って来たんだ。レア物だぜー。こっそり見ようぜ。他にも何人か声かけてんだ。お前、勿論来るだろ?」
 ノリのいい切島は大抵誘えば話にのってくる。峰田ほどじゃなくても、健康な男子高校生で興味ねえ奴はいねえだろ。一部を除いて。
「おお、すげえ。すげえやべえ。でも見つかったらまずいだろ」
「抜かりねえってパッケージ変えてあるからよ」
ローマの休日、見知らぬ乗客、花とアリス、おいおい、名作ばっかじゃねえの。冒涜的だな」
「これならぜってー中身がそうとは思えねえだろ。誰も試しに見ようとも思わねえ」上鳴は胸を張る。「ネットで観れる時代だけど足跡残るしな。皆で見るにはやっぱDVDだぜ。万一見つかっても処分しちまえば証拠も残らねえし。勿体ねえけどよ」
 興奮していて、背後の足音に気づかなかった。
「なにやってんだ、てめえら」
 背後からドスの聞いた勝己の声がして仰天する。
「おおああ!びびるじゃねえかよ、爆豪」
「上鳴がレアもん手に入れたんだってよ」
「爆豪も来るか。たまには親睦を深めようぜ」
「こーゆー潤いも必要だぜ。男子高校生の日常としては」
「飯田と轟は流石に誘ってねえけど、切島も来るしよ。皆に声かけてんだぜ」
 エロトーク的な話に勝己は乗ってくることはない。そう思いながらも上鳴は一応誘ってみた。一部を除いて、の1人がこいつだ。硬派なんだかウブなんだか。きっと今回も来ないだろう。
 だがこの時の彼の反応はいつもと違った。勝己は「うぜえ」と言いながら1枚DVDを奪いパッケージを眺めたのだ。
「何違うケースに入れてんだ。くだらねえ」
「わわ、おい返せよ。誰かに見られたらやべえし」
「んじゃま、借りとくわ」
「お、おう?いや、皆で見ようってんだぜ」
「はあ?こんなもんみんなで見るとかアホか。一枚借りるぜ」
 上鳴は唖然とした。後ろ姿を見送ってヒソヒソと切島と話す。「マジかよ」「あいつも興味あんのかよ」「そう言えばいいのに、てか、一人で見たいだけか」「あいつ、むっつりだったのかよ」
 そう思ったら笑いが込み上げてきた。声を立てて笑うと勝己が癇癪起こしそうなので、2人とも必死で笑いをかみ殺す。
「まあいいや、おい爆豪、後で返せよな」と上鳴は呼びかける。
「へっ」
 と勝己は鼻を鳴らして踵を返しエレベーターに向かっていく。聞こえてしまいそうなので、エレベーターのドアが閉まるまで、2人は爆笑を我慢した。


「てなことがあってな、あいつに貴重なDVD奪われちまったんだよ」と上鳴は指で四角を形取る。
「そんなことが」
 驚いた。潔癖なあのかっちゃんが?信じられない。
「あん時な、緑谷も誘ったんだぜ」
「えええ?僕も?」
「お前は真っ赤になって、無理無理ってすぐ断って来たけどな」悪戯っぽく上鳴は笑う。「あいつ、実はお前とやる時の参考にしてたのかもな」
「ええええ!」
 出久は真っ赤になって首を振る。やるってなに?ナニのこと?
「なるほどな!なら納得できるな」切島がうんうんと頷く。
「ちょ、ちょっと待って。そうと決まったわけじゃ」
 出久は慌てる。本人のいないところで、勝己の評価を決定してしまったのではないだろうか。DVDは勝己が借りたんだろうし、僕のせいとは言えないか。いや、参考にして僕にそんなことをしてるってことになっちゃった?頬が熱くなってきた。
「なあ、あいつの部屋に行ったら、DVD返してやってくれって言ってくんねえかな」
「うん、いいよ」
 考えに耽っていた出久は、上鳴の頼みをつるっと快諾する。
「おい上鳴!緑谷、やめとけ。ものがものだしあいつにとても言えねえだろ。無理しなくていいぞ」切島が慌てて言う。

2

 放課後になり、生徒達は寮に帰宅した。
 出久は部屋に鞄を置いてから共有スペースに戻り、ソファに腰掛けた。クラスメイト達はみんな夕食までの時間をめいめい過ごしている。かっちゃんの部屋に行くのは、一休みしてからでいいかな。普段なら自主トレーニングしているところだけど、暫くの間はお休みするしかない。勉強が優先だ。
「おいデク、何落ち着いてやがんだ。さっさと部屋に来い」
 勝己がやって来て、エレベーターの方に顎をしゃくる。吃驚した。皆のいる前で呼びに来るとは思わなかった。
「う、うん」
 立ち上がり、勝己の後に続く。勝己が自分を、しかも部屋に誘うなんて珍しいことだ。皆どう思ってるんだろう。振り返ってみたが、ソファに座ってる級友達に驚いてる様子はない。よくあることなんだろうか。なら、勝己の部屋に毎日行ってたというのは本当だったのだろうか。
 勝己の部屋のある4階に到着した。この階に来たのはお部屋訪問の時くらいだ。しかも勝己はあの時寝てたから部屋は見ていない。勝己に続いて出久は部屋に足を踏み入れた。
「わあ、見晴らしいいね」
 窓に駆け寄り、外の景色を眺めて出久は感嘆の声を上げる。夕暮れの紅に染まる空の下に、広大な学校の敷地が見渡せる。遠くに見える青々とした森や岩山も学校の敷地なんだから驚きだ。
「お前、初めて来た時もそう言っただろうが」
「そう、なんだ。でも僕は初めてだから」
「初めてじゃねえ!」
 勝己は不機嫌な様子でベッドを背にして胡座をかき、ローテーブルの上に教科書をどさどさと放り出す。
「さっさと座れ」
 と言って床を指差し、さらに自分の隣に座れと絨毯を叩く。慌てて出久は勝己の側に座り、教科書やノートを並べる。
 そっと部屋を見回した。皆の部屋と同じく、入って部屋の右側にベッド、左に机や箪笥がある。飾り気のないシンプルな部屋だ。ベッドの向かいに、ローテーブルを挟んでテレビが設置してある。テレビの下にはDVD再生機がある。
「何じろじろ見てんだ」
「ご、ごめん。つい」
 出久は姿勢を正し、慌てて渡された教科書を開く。
「まずは数学だな。英語と古文漢文はまず語句を調べてからだ。理科と社会は後回しだ」
 勝己による数学の補習が始まった。勝己の教え方は確かに上手いようだ。意外だったが、理解が遅くても声を荒らげたりせず、噛み砕いて教えてくれる。慣れてるのかも。そういえば中学時代、テストの前なんかにはよく友達に頼られていた気がする。
 教科書の説明が終わると、勝己はドリルを開くよう出久に指示した。
「ドリルのほうはまず簡単なAランクと普通のBランクの問題だけ解け。難問のCランクは後でいい」
「なんで?僕はいつも順番に解いてるんだけど」
「Cランクは時間かかんだろうが。まずAB問題を終わらせてからだ。余力があれば解いていい」
 なるほど。納得してドリルの問題に取り組む。カリカリとシャーペンが紙を滑る音。問題を解きながら勝己の様子を伺う。次の項目を先に読んでいるようだ。勝己が申し出てくれたとはいえ、出久に勉強を教えることで、彼の時間を奪っていることになる。いいんだろうか。とても申し訳ないことをしてるんじゃないだろうか。
 教科書から目を離した勝己が顔を上げて出久を見つめる。視線が合う。強い光を放つような瞳。ドリルに戻らなきゃと思いながらも、金縛りに合ったように視線を逸らせない。
「ここまでだ」勝己が口を開く。
「え?終わってないよ」
「一日で一月分が終わるわけねえだろーが!クソが。後は夕飯と風呂の後だ。宿題もしなきゃなんねえしよ」
 そう言って勝己は宿題のある教科のノートを取り出す。
「そうだったね。忘れてた」
「おら、お前も宿題出せよ」
「宿題もここでやるの?」
「アホか。授業についていけてねえのに解けんのかよ。教えてやらなきゃわかんねえだろ。一緒にやってやる」
 確かにそうだ。でも宿題まで面倒見てくれるなんて、親切過ぎて驚きだ。
「かっちゃん、あの、ありがとう」
「うぜえ」
 勝己はそっぽを向く。照れてるのだろうか。 意外な一面だ。夕食と風呂を済ませて自分の部屋に戻ると、勝己が呼びに来た。就寝時間まで勉強すると決められ、勉強道具を持って勝己の部屋に移動する。
 副教材の問題集を解きながら、出久は勝己の様子を伺う。勝己はベッドに座って忙しくスマホを弄っている。何を見てるんだろう。顔を上げた勝己と目が合った。慌てて問題集に戻る。
「よし、見つけたぜ、おいデク」
 勝己はスマホの画面を出久に見せる。
「化学の実験動画だ。理科は実験見ねえと、教科書見ても理解出来ねえだろ」
 びっくりした。
「僕のために探してくれてたの?」
「ちげえよ。口で説明するのが面倒なだけだ」
 勝己は眉を顰めると、出久の隣に移動して動画を再生した。確かにわかりやすい。
「授業でやったのと全く同じ実験だ。よく見とけよな」
 そう言いつつ勝己はすぐ間近に顔を寄せる。どきりとして出久はちらっと勝己を見る。こんな近くで怒ってないかっちゃんを見てるなんて。伏せられた目元に落ちる睫毛の影。睫毛の色も髪と同じ薄い山吹色。
 視線に気づいたのか、勝己の赤い瞳が出久の方を向く。顔が近い。唇が触れそうだ。
ふと勝己が顔を寄せた。ふわりと柔らかい感触が唇の上を掠める。唇が触れてしまった。
 出久は動転して「わあ」と膝を崩して離れた。
「近いよ、かっちゃん」
 声が震える。勝己が睨みながら詰め寄ってくる。
「このくらいで動揺しやがって、まだ思い出さねえのか」
 責めるような口調。身に覚えがないのに罪悪感を感じる。理不尽だ。自分には記憶がないんだから、いきなりキスなんかされても吃驚するだけだ。でも付き合ってたのなら勝己の憤りは当然なんだろう。理不尽なのは自分の方で。どうすればいいんだろう。
「だって、しょうがないだろ。僕だって思い出したいよ」
「本当かよ」勝己は出久の腕を掴んで射るような視線を向ける。「忘れたかったんじゃねえのか」
「え、どういう意味?」
 勝己は舌打ちして「なんでもねえよ。ちゃっちゃと動画見ろよ」と言い、出久の肩を掴んで引き寄せる。

 勝己の部屋に通って勉強を教えてもらうようになって、幾日か過ぎた。
 勝己はあれから、交際していたことを匂わせるような行動に出ることはなかった。クラスメートのほぼ全員に聞いてみたけれど、自分達が付き合っていたかと聞くと逆に驚かれ、なるほどと納得されるという具合。
 納得されるってことは、付き合ってたということだろうか。でもはっきりと見たとか聞いたとか誰も言っていないのだ。

 ドアを開けて脱衣場に足を踏み入れた。室内はほわっとした熱気に包まれている。冷房は入っているはずなのだが、風呂場の蒸気で湿度が上がってしまったのだろう。出久は扇風機に近寄って、涼みながら服を脱ぐ。
 勉強会を先にしたからお風呂が遅くなってしまった。みんなきっともう風呂は済ませてるだろう。僕らが最後かな。出久は脱いだ服を籠に入れた。ふと見るとずらりと並んだ棚の中、一つの籠に服が入ってるのに気付く。
 かっちゃんはまだ来てないはず。他に誰かいるみたいだ。大浴場の戸を開けるともわっと湯気が吹き出した。湯気の立ち昇る湯船にひとり人影が見える。掛け湯をして湯船に近寄ると緋色と白銀の髪の色が目に入った。
「轟くん、いたんだ」
「緑谷か、随分遅えな」
「轟くんこそ」
「俺は風呂は静かに入りてえんだ」
 寮の大浴場はクラス皆が入ったとしても、余裕があるほどに不必要に大きい。だから上鳴や峰田や賑やかなクラスメートは水飛沫を上げてよくはしゃいでいる。
 そういえば、轟くんには僕らのことを聞いてなかった。流石に彼にそんな話をするとは思えないけれど。でも轟くんは鋭いから、僕らの様子がおかしかったなら何か気付いてるかも。
「あの」と轟に話しかけて皆に聞いたように問うてみた。
「付き合ってたかどうかは知らないが」と轟は答える。「お前たちは何かを隠していたと思うぞ」


 1ヶ月前のことだという。エレベーターの中で轟は勝己とふたりきりになった。いや、轟が勝己を追ったのだ。勝己は轟がエレベーターに入って来たので、顔を顰めて閉めるボタンに続いて4階と5階のボタンを押した。5階は轟の部屋のある階だ。しかし勝己に続いて轟は4階で降り、後をついて行った。
「てめえの部屋は5階だろうが」
 勝己が振り返って訝しげに言う。
「お前に聞きたいことがある」
「あんだよ」
「気になっていた事があるんだ。お前と緑谷、何かあったのか」轟は勝己に問うた。
「俺とデクだあ?いきなりなんだ」
「最近、お前と緑谷の距離は近いな」
「ああ?別に。それがどうした」
「お前、緑谷の秘密を知ったのか」
「は?なんのことだ」
 勝己が一瞬目を逸らす。明らかにしらばっくれている様子だ。
「秘密と言っていいのかどうかわかんねえが。緑谷は何かを隠してる。ずっとそれを感じていた。話せないことは誰にでもある。だから聞いてはいけないのだろうと思っていた。けれど、お前に話したんだろう」
「だから、何のことだかわかんねえってんだ。人に介入するなんて、てめえらしくねえな。だがな、俺は知らねえよ」
 挑発的な口調で勝己はにやりと笑う。
「らしくない、か俺をぶっ壊したのはあいつだからな」
 轟が言うと、すっと勝己の顔から笑みが消える。
「てめえでデクに聞けばいいじゃねえか。もっとも、聞いたところであいつが答えるかどうか知んねえけどよ」
「やはり、お前は何か知っているのか」
 轟は一歩踏み出した。勝己が舌打ちし、真顔になる。
「さあな。てめえはどうしたいんだ。デクとお友達になりてえのか、困らせてえのか」
 虚を突かれた。彼から聞き出そうと、それだけでいっぱいになっていたのだ。
「俺は。俺はどうしたいのだろう」口に出して自問自答する。
「はあ?なんだお前」
「俺は彼を知りたいんだ」
「なんでだ。ただの好奇心ならやめとけよ」
「違う。でも困らせたいわけじゃない」
「違わねえよ」
 勝己と睨み合う。ふっと勝己が目を逸らす。
「うぜえわ、てめえ」
 そう言い捨てて勝己は部屋に入り乱暴にドアを締めた。
 奴は何かを知っている。だが何も言わないだろう。奴の言うとおりだ。知りたければ緑谷に聞けばいい。だが彼が言おうとしないなら、無理に聞き出したいとは思わない。5階への階段を上りながら、ふと、隠そうとしているのは緑谷のためなのかと、そう思った。


「そんなことがあったのか」
「だから、お前に聞くのはやめておこうと思ったんだが。実際、お前らが付き合っていて、それを爆豪が隠そうとしていたってんなら辻褄は合う」
「あ、ああ、うん」
 出久は生返事をする。勝己が隠そうとしていたのは、自分とオールマイトの秘密のことじゃないだろうか。それとも轟と言うように付き合ってたことなのか?わからない。轟はふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「お前の秘密はそんな最近のものじゃないな。ずっと何か抱えてんだろう」
「え、あの、そんなことは」
 何と答えていいのかわからない。
「聞かねえよ。言えねえなら事情があるんだろうしな」
「いや、何も、その」
「でも言えるようなら、いつでも聞く用意はあるし、力になるからな」
 友達だから、轟は聞かないでいてくれるんだ。胸が熱くなる。ふと勝己のことを考える。彼はオールマイトが隠すなら出久に聞けばいいと、秘密を暴きにきた。あえて聞かないなんて選択肢は彼にはないんだ。でも自分もそれを当り前のことだと思ってる。何故だろう。
「緑谷、記憶喪失前の爆豪とお前のことを聞いて、今のお前はどうしたいんだ?」
 考えに沈んでいる出久に轟が問いかける。
「僕は覚えてないから、わからないんだ。だからみんなに聞いてるわけだけど」
「例えお前らが付き合ってたとしても、それは記憶を失くす前のお前だろう。今のお前がその責任を取ることはないんじゃないのか」
 言葉に詰まる。「そうかも知れないけど」
 唇が触れて驚いて身を引いた時の、勝己の傷ついたような顔が頭を過ぎる。
「お前は自分より他人の気持ちを優先しがちだからな」
「そんなことないよ。忘れちゃった時間の、僕の気持ちだって考えてる」
「それは思い出した時考えればいいことだろう。確かなものならまたやり直せばいい。記憶を失くす前を優先することは、今を蔑ろにすることにならないか」
 どきりとした。「僕は蔑ろにしているのかな」
 そんなつもりはなかった。でも、確かに僕は今の自分を借り物のように感じている。すぐに思い出すとリカバリーガールは言っていたけれど、もう記憶が戻らない可能性だってあるんだ。
「今のお前はどうしたいんだ」
 轟の問いかけは今の自分からの問いだ。僕はどうしたいんだろう。
 その時、乱暴に風呂場の扉が開けられた。出久と轟は同時に振り向く。
「かっちゃん」
 湯気の向こうに見える人影がすかずかと近づいてくる。
「じゃな、俺はそろそろ上がるぞ」
 轟は立ち上がり、湯船から出る前に出久を振り返る。
「お前がいるのは今、だ。忘れるなよ。緑谷」
 勝己はすれ違いざまに、轟を睨みつけて舌打ちした。湯船に歩いてきて湯を汲み、ざっと掛け湯をして飛沫を上げて湯船に入る。機嫌悪そうだ。そろそろっと奥に移動する。広い湯船なのに、逃げ場がなくてなんて狭いんだと思ってしまう。
「てめえ、半分野郎と何話してたんだ」
「ええと、世間話みたいな」
 話の内容を聞かれていただろうか。
「はっ!」
 勝己は鼻で笑うと、ざぶざぶと湯を掻き分けて出久に近づき、隣にしゃがんで湯に浸かった。勝己の鍛えられた二の腕が肌に触れてどきりとする。さり気なく少し離れたものの、勝己はすぐに距離を詰めてくる。
 勝己の指が出久の指に触れて被さり、上から握りこむ。離そうとしたらぎゅっと掴まれた。なんのつもりだろう。上がっちゃダメってことか。頭が茹だりそうだ。動悸が耳元に響いてくる。勝己に聞こえてしまいそう。気付かれそうで顔を見れない。
「かっちゃん、身体洗うから、その、手をはなしてくれないかな」
 だが勝己は更に強く手を握る。
「かっちゃん、手を」
 と言いかけて横を向くと、瞳に憤りを込めた勝己と視線が合った。
「デク、てめえは」
 勝己は出久の正面に移動すると両肩を掴んだ。湯の中で勝己の太腿の筋肉が脛に触れる。裸で湯舟にふたりきりという状況。出久はゴクリと唾を飲み込む。
「あいつ、ホント余計なことしか言いやがらねえ」
 勝己が俯いて低い声で呟く。
「かっちゃん?」
 出久は勝己の顔を覗きこむ。顔をあげた勝己は出久の項を掴んで引き寄せた。唇が勝己の唇に塞がれる。舌が唇の隙間をこじ開けて乱暴に入り込む。唇をぴったりと合わせて出久の舌に触れて擦り合わせる。
「ん、ん」
 熱い柔らかなこの感触。初めてじゃない。口腔内が侵されるのを、気持ちいいと感じてる。唇が離れた。ほうっと吐息を漏らす。勝己の口が三日月を形作る
「てめえも応えてんじゃねえか」
 勝己ははは、と笑い、また唇を重ねる。口内を貪られ、頭に霞がかかったようにぼうっとする。
 勝己の膝が出久の脚の間を割り、両膝が進入する。勝己の胸板を押して離れようとするが益々勝己に強く引き寄せられる。出久は吃驚して逃れようとして、足が滑りバランスを崩した。勝己諸共に湯の中に全身ざぶりと沈み込む。
「てめえ!バカが。なにしとんだ!」
 勝己は髪から雫を滴らせながら身体を起こして怒鳴る。
「ご、ごめん」
 出久も身体を起こし、顔を上げて反射的に謝る。
「だー、もう、クソナードが!」
 勝己はぶるんと頭を振り髪をかき上げる。咳き込みながらも出久は距離を取ろうと後退りした。気づいた勝己は「おい、てめえ」とすぐ距離を詰める。湯船の縁に出久は追い詰められ、腕の檻に囲い込まれた。
「だって、ここお風呂だよ。誰か来たらどうするんだよ、かっちゃん」
「誰も来やしねえわ。俺らがラストだろうが」
「来なきゃいいってわけじゃないよ。公共の場所なのに、駄目だよ」
「じゃあ俺の部屋ならいいんだな」
「え?そういう事になるの?」
「デクよお、俺はてめえと今のキスみてえなの何度もしてんだよ、わかんだろーがよ」
 出久は目を泳がせる。「わ、わからないよ」
「てめえ!バレてんだよ。頭は忘れてても身体が覚えてんだろーが!なら、やりゃあ想い出せんだろうがよ」

3

 風呂から上がると、勝己は出久の手を引いてそのまま部屋に連れていった。勝己はこうと決めたら引くことはない。とんでもないことになった。かっちゃんは本気だ。
 かっちゃんとするの?どこまで?でもキスの感触は知ってるものだった。僕は自然にかっちゃんのキスに応えていた。本当に僕は君と付き合ってたのか。身体を重ねたら思い出したりするのだろうか。
「よっとお」
 勝己は出久をベッドに投げ出すとその上にのしかかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 聞く耳を持たず、勝己は出久のTシャツを脱がすと自分のTシャツも脱ぎ、床に放り投げる。かっちゃんは焦っているみたいだ。性急に身体を求められてることに怖くなる。出久は勝己の肩を押してふるふると首を振る。
「てめえ、往生際が悪いぜ」
「やっぱり、僕には覚えがないことなのにできないよ、今はまだ」
「クソが!ここまできて何抜かしてんだ」
「君と僕は付き合ってたのかも知れない、でも感情がついていかないよ、どうしても、だから」
「うるせえ!もうてめえがどう思ってようと関係ねえわ!」
「かっちゃん!」
 勝己は出久の腕を一纏めにして頭上に押さえつけた。勝己の顔が目の前に近づく。燃えるような紅い瞳。唇が触れ、噛み付くような深いキスをされる。覚えがある感触。勝己の舌の動きに自然と舌で応えてしまう自分に混乱する。唇が糸を引いて離れる。
「てめえ、わかってんじゃねえかよ。それで知らねえとかふざけんな」
 低く呟くと、勝己は出久のハーフパンツを下着ごと抜き取って身体を組み敷く。
「わわ、かっちゃん」
「身体で思いだせよ。クソが」
 キスを覚えていたみたいに、身体は覚えてたりするのだろうか。出久は抵抗するのを止めて力を抜いた。勝己は満足そうに笑う。
「はじめっからそうしてろや。クソが」
 頭上に拘束されていた腕が解かれる。衣服を全て脱ぐと、勝己は出久の身体に腕を回して抱きしめる。硬い胸筋と鍛えられた腹筋。触れ合った頬が熱くなる。勝己は唇に軽く触れるだけのキスをした。キスは次第に深くなり応えるのも覚束ない。喰われるように貪られる。
 自由にされた手をどうすればいいんだろう。おそるおそる勝己の肩に捕まる。勝己はキスをしながら掌で出久の背中を愛撫する。肩甲骨をなぞり、背骨に指を滑らせる。勝己の唇が首筋を這い、鎖骨を舐めて甘噛みし、肌に吸い付いて赤い痕をつけてゆく。

勝己はゆっくり腰を揺すりながら、脱力して出久の首元に顔を伏せた。
 肌を合わせたままお互いの息を整える。汗ばんだ身体。勝己のいつもより高く感じる体温。重ねた肌に直に感じる心臓の鼓動。トクトクと早く脈うち、まるで全力疾走したみたいだ。初めてじゃないんだよね。でも鮮烈な感覚はまるで初めてのようだ。
「かっちゃんほんとに僕ら、してたのかな?」
「たりめーだろ」
「僕の身体が覚えてないみたい。こんなことしたら、忘れるわけな」
「ごちゃごちゃうるせえ。もう一回やるぜ」
「や、やだ、無理だよ。離してよ、かっちゃん」
 とても体力が持たない。頭も混乱してる。出久は勝己の背中を叩く。
 僕は本当にセックスしていたのか?君と。

 勝己との勉強会のおかけで、授業にはなんとかついていけるようになった。
 だが勝己はその夜から毎夜、勉強会の後に出久を求めるようになった。何かを取り戻そうとするように、勝己は出久を抱いた。
 しかし何度セックスしても記憶は戻らない。思い出せなくても、身体は勝己のぬくもりに慣れてくる。勉強会の終盤には身体が火照る。まるで身体が彼を待ってるみたいに。気持ちはふらついたままなのに。
 僕はかっちゃんをどう思っていたんだろう。かっちゃんは僕をどう思っていたんだろう。記憶を失った今の僕をかっちゃんはどう思ってるんだろう。
 僕は一体何をしているんだ。
 結局、いつか思い出した時のために、関係を繋いでいるだけなのかもしれない。轟君に忠告されたのに。結局間違ってしまったのか。今の僕は大海に漂う小舟みたいなものだ。手がかりのないままに、陸に戻る術のないままに、どんどん沖に流されてしまっている。
 記憶が戻らなかったら、僕はどうすればいいんだろう。もし思い出せないままだったら。
 授業に追いついたら勉強会は終わる。皆に追いつくことには安堵するけど。でもそうなれば、この部屋に来る理由もなくなってしまう。この時間を失うのはきっと辛い。でも今の僕のままではここに来る資格はない、と思う。思い出さなきゃと気持ちは焦るけれど、どうすれば思い出せるんだろう。

4

 気づいたのは授業中。数学の教科書を開いた時だった。
「あれ?」
 さっぱりわからなかったはずの内容が理解できる。出久は黒板を見上げた。つらつらと書かれた板書に、躓かないでついていける。
「うっせえ、どうした。怒られっぞ」
「う、うん、ごめん」
 振り返った勝己の声で我に返り、ノートを開いてパラパラめくる。やはりそうだ。記憶を思い出して来たのだ。
 文字を書いた覚えがある。授業の様子も覚えてる。黒板に先生が書いてゆくチョークの硬い音。体育の時間、先生からの過酷な課題にヘトヘトになったこと。理科の実験で溶液の配合を間違えて、やり直しになったこと。休み時間、昼食の時間、時間が経つほどに次々と失われた1ヶ月の記憶が蘇ってくる。6時間目の授業までには、失われていた時間の全ての記憶が戻ってきた。
 出久は勝己の背中を見ながら心で問いかける。なんで、君は。あんなことを。
「今日も来んだよな、デク」
 鞄に教科書をしまいながら勝己は言う。
「あの、かっちゃん」
「あんだよ」
「なんでもないよ。うん、行くよ」
 訝しげな勝己の視線を感じる。目を上げられない。思い出したのだ。
 勝己とは付き合ってはいない。
 君はなんでそんな嘘を付いたんだ。
 キスをしてた。何度も君と。だけど付き合ってたわけじゃなかった。


「おいデク、後で部屋に来いや」
 GW明けのあの日、共同スペースで寛いでいた出久はいきなり勝己に呼ばれた。珍しいこともあるものだと、そこにいたクラスメート達は皆驚いていた。
「何か用事なのかな、かっちゃん」
 恐る恐る問うと、勝己は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて「ここじゃ話せねえんだよ」と言った。なので出久は勝己について彼の部屋に行った。
 何の話だったかは忘れたけど、一言二言話をして部屋を出ようとして。いや、忘れたというか。あの後びっくりすることがあったから、言われたこと全部吹っ飛んじゃったんだ。
 それはローテーブルの上に無造作に置かれていたDVD。「ローマの休日」のパッケージ。目が釘付けになった。
 あれは上鳴くんが持ってたレア物、てやつじゃないのか。誘われた時見せてくれたから間違いない。それがなんでかっちゃんの部屋にある?借りたの?かっちゃんが?かっちゃんもああいうの見たりするのか?嘘だろ。異性の話なんかに全然興味なさげだったのに。いや、かっちゃんだって健康な高校男子なわけだし。でもかっちゃんだぞ。マジでか。
 頭の中が軽くパニックを起こす。
「おい、何見てんだ?何考えてやがる」
 勝己の地に響くような低い声で我に返った。目を上げると赤い瞳が威嚇するように睨んでいる。
「な、何も。かっちゃん古い映画見るんだなって、意外だなって」
 中身には気づかなかったふりをしたが、明らかに動揺が声に出てしまった。
「まあな。てめえも見るか」
 勝己の悪意満々の笑みが怖い。彼は気付いてる。出久が中身を知ってることに。ひくっと喉がなる。蛇に睨まれた蛙になったみたいだ。
「いい、いいよ、僕戻らなきゃ」
「んだよ、遠慮すんなよなあ、デク」
 勝己にがしっと腕を掴まれ、ベッドに座らされた。道連れにするつもりだ。なんでこんなことになったんだ。見えるとこに置いてた君が悪いんじゃないか。馬鹿じゃないのか。見られたくなかったら隠せよ、そんなもの。
「逃げんなよ。逃げたらぶっ殺す」
 と脅すと勝己はDVDを再生デッキにセットして出久の隣に座り、リモコンのボタンを押した。
 映像が再生され、画面の中の白い部屋に男性か女性かわからない人物が登場した。
「えーと、あの人どっちかな」
 と出久は気を紛らせようと話しかける。
「黙って見てろ」
 勝己は逃がさないとでも言うように、出久の肩を組む。画面の人物が服を脱いでゆく。平静でいられない。逃げたい。
「目つぶんなよ」
 勝己がドスの効いた声で脅す。最後の一枚を脱ぎ、画面の人物の顕になった裸体に出久は声をあげる。
「この人両方あるんだ、わ、変身するんだ。凄い個性だね」
「黙ってろって、殺すぞ」
「あ、ごめん、でも、凄くない?」
 変に関心して、珍しい個性を観察しようとつい腰を落ち着けてしまった。それが間違いだったかも知れない。出久は暫く観察モードで見ていたが、人物が2人に増えて身体を絡ませあい、次第に刺激的な光景が繰り広げられ、言葉をなくした。基準はわからないけど、上鳴がレア物というだけある。観察どころじゃない。恥ずかしくなり俯いた出久に勝己が顔を寄せる。
「へっ。てめー童貞かよ」
 勝己が馬鹿にしたように鼻で笑う。
「かっちゃんだってそうだろ。誰とも付き合ったことないじゃないか」
 自分は確かにそうだが、勝己も付き合うどころか告白されたことすらないはずだ。野蛮な性格が学校にも近所にも知られすぎてたから。黙ってれば容姿は整ってるし、個性も優秀なんだからモテたかも知れないのに。
 だが、出久に言い返されたのが癇に障ったらしい。
「じゃあ、てめーで練習してやるわ」と勝己は言い出した。
 びっくりして出久は「ええー!遠慮するよ」と離れようとしたが、勝己は肩に回した腕に力を込める。
 自分が練習したいだけじゃないのか。そう言おうとした時は既に遅く、むにっと勝己の唇が口に被さった。
 頭の中が真っ白になった。押し当てられた勝己の唇は柔らかい。勝己はふにふにと出久の唇を這う。なんか擽ったいな。いつまでくっ付けてればいいんだろう。
 唇の上を勝己の舌がちろちろと触れて、隙間から口腔に入ろうとする。勝己は出久の顎を捕んで目で口を開けろと迫る。まさか舌を入れるつもりなのか。ディープキスしたいのか?でもさせないと終わらないみたい。仕方なく口を少し開けると、ぬるりと勝己の舌が入ってきた。
「うう、んん」
 口内を人の舌に舐められて探られる感覚。顔が熱くなってくる。なんだろう、これ。濡れた粘膜で感じる勝己の熱。頭の芯を侵されるみたいだ。
 勝己は一度唇を離してぺろっと唇を舐め、また口付ける。服の上から身体をさすり、腕を回して抱きしめて背中を愛撫する。腰にふわっと熱が集まってくる。
 勝己は童貞じゃなかったのだろうか?躊躇なくこんなキスができるなんて。呼吸も思考も奪われる。液晶の向こうで続いている光景はもう目に入らない。唇は離れてはぴたりと隙間なく重なりあう。口腔内を這う舌の立てる音が直接鼓膜に響く。
 ようやく唇が離され、呼吸を取り戻した。動悸が早くなって下腹部が熱い。ハーフパンツの下で自身が勃起しかけてる。勝己は俯いていて表情がわからない。勝己の下腹部も膨らみかけてるようだ。恥ずかしくなって目を逸らす。
「も、戻るね」
 声をかけるが返事はない。だが勝己は出久の肩を掴んだまま離さない。
「おいデク。明日も来い」
 漸く、思いつめたように勝己は口を開いた。
「ええ、なんで?」
「来いっつったら来い」
 勝己は掴んだ手に力を込める。
「つっ、痛いよ」
 肩が砕かれそうだ。ここはうんと言うまで離してくれないだろう。
「わかったよ」
 出久の返事を聞いて、やっと勝己は手を離す。
 肩を撫りながら「じゃあ、行くね」と出久は立ち上がり、部屋を出る前に振り向いた。「確かめてえんだ」
 勝己は背を向けたまま、独白するように呟いた。
 翌日の夜の共有スペース。皆は夜のひと時をおしゃべりしたりテレビを見たり、思い思いに過ごしている。
 だが、出久の気持ちは落ち着かなかった。時々ちらっと時計を確認しては溜息をつく。約束したから行かなきゃいけない。でも時間を決めてたわけじゃない。だけど行っていいのか。行ってどうするんだよ。かっちゃんだってあの時は雰囲気で言っただけかも知れないのに。大体かっちゃんは、僕から話しかけるといつも不機嫌になるし怒鳴るんだ。わざわざ行って怒られたらやだな。
 悶々と悩んでいるとエレベーターの扉が開いた。中から出て来たのは苦虫を噛み潰したような顔の幼馴染。ひあっと声が出そうになり、口を手で塞ぐ。勝己はまっすぐに出久の方に向かって来た。
「デク、来い」
 と勝己はむすっとしてエレベーターの方向を指で示す。
「昨日に続いて珍しー」「なになに、喧嘩?喧嘩?」と口々に発言するみんなを睨みつけ、「うっせえわ!ちげーよ。デク、グズグズすんな」と勝己は怒鳴る。
 勝己に続いて出久もエレベーターに乗った。昨日の言葉は本気だったんだ。何にしろまず話し合ったほうがいい。だが思惑通りにはいかなかった。
 部屋に入るなり、勝己は出久をドアに押し付けた。考える間もなく唇が重ねられる。言葉を継ごうとした口の中に舌が入ってくる。キスをしたまま服の上から胸や腹に触れられ、抱きしめられる。暫く口内を蹂躙され、名残惜しげに唇が離された。
「確かめるって言ったろうが」勝己は掠れた声で囁く。
「確かめるって、何を」
 出久が言い終わる前に再び唇が塞がれた。勝己は出久を抱きしめたまま部屋の中に移動し、ふたりは折り重なってベッドに倒れる。勝己は出久の上に馬乗りになって貪るようにキスをする。
 さらりと額を擽る勝己の髪。意外に柔らかい唇。おかしなことをしてる。なのに気持ちいいと思ってしまう。唇と濡れた口腔の粘膜を触れ合わせる。差し入れられた勝己の舌の動きに舌で応える。
人の身体の重みと触れ合う肌の熱。遊戯すぎないのに、たとえ真似事でも身体は反応してしまうんだ。自分の身体なのにままならない。
 その日から勝己は、部屋でも共有スペースでも構わずに、出久を呼びに来るようになった。
 勝己は人がどう思おうと気にしない。堂々としたいようにする質だ。はじめは不思議がっていた級友達も、毎夜のこととなると慣れたらしい。出久も次第に慣れてきた。
 だが夜の行為はエスカレートしていった。ギリギリここまでならいいかなと防衛ラインを想定していたが、行為を重ねるうちに、ラインは徐々に決壊していった。
 キスをするだけではなく、身体をまさぐりあうような触れ合いに。局部を扱き合うまでに。キスをしている内に、勝己が次の行為を始めてしまうので、考える間もなかった。
「馬鹿が。先いきやがって」
「ご、ごめん。でも一緒にって難しいよ」
 今日はこれで終わり、だよね。戻って宿題しなくちゃ。その前にハーフパンツはかなきゃ。でも身体に力が入らないや。
 勝己は手を拭いて悪態をつきつつ、少し何か思案しているようだ。だが「よし!」と意を決したように言うと、いきなりTシャツを脱ぎ始めた。顕になった鍛えられた身体に出久はどきりとする。もう終わったのになんで脱ぐんだ?え?なんかやばくない?ぼうっとした頭が晴れて我に返る。
「ちょ、全裸になっちゃう、かっちゃん」
「あちい。てめえも脱げ」
「え、逆だろ。服着るほうだろ。もう終わったじゃないか」
「てめえだけだろ」
「そ、そうだったね。ごめん。じゃ、じゃあ僕やるから」
「下手くそなてめえのやり方じゃいけるわけねえ」
「でも、服を脱いでしたりしたら、本当にセ、セックスみたいになっちゃうよ」
「みたい、じゃねえ。するんだ」
 そう言いながら勝己は出久の膝小僧を掴んだ。
「ダメだよ、そんなの」
 出久は膝を閉じ、腰を後ろに引きながらブンブンと首を振る。
「すれすれのことやってんじゃねえかよ。何が違うんってえんだ」
「全然違うだろ!だめだよ。僕ら付き合ってるわけじゃないだろ」
 キスしたり互いのものを触ったりしても着衣なら遊戯の範囲だと、自分に言い訳できた。でも裸でなんて。勝己と服を脱いで裸で抱き合う?想像して混乱する。頭が茹だったように熱くなる。
「なら俺と付き合えばいいんだろーが」
「はい?」
 勝己は何と言ったのだろう。付き合うとか聞こえたような。「誰と?」と問い返す。
「俺とっつったろーが!クソが」
「え?僕と君が?ごめん、意味がわからない」
「てめえがやるのに付き合うって免罪符がほしいなら、合わせてやるって言ってんだ。やるこた変わらねえ」
 そんなつもりで言ったんじゃない。続きをしてみたいから付き合うって、それは流石におかしいだろ。
 反射的に「考えさせて」と答えた。
「はあ?!てめえ、クソが。今更何言ってんだ」
「だって、すぐには答えられないよ」
「てめえは逃げなかった。俺がキスしても逃げなかった。なら同罪だろ。もう進むしかねえ。進むしかねえんだよ!」
「だから、引き返すなら、今」
「黙れ!クソナード!」
 勝己の怒りの形相が怖い。癇癪起こす寸前だ。いやもう怒ってるか。でも考えなしに返事することじゃない。
「だって、かっちゃん」
「だってとか、でもとか、てめえはいつもいつもよお」
 勝己は拳を握りこんだ。殴られる?だが勝己はその手を額に当てて、ふうっと溜息をつき、口を開く。
「一日だけ待ってやる」
 もっと怒鳴られると思ったが、勝己は怒りを飲み込んだようだ。
「一日だけだ。それ以上は待てねえ」
 勝己は出久の鼻先に指を突きつける。一応待ってくれるんだ。
「わかったよ、かっちゃん」
 出久はほっとする。やっぱりちゃんと考えないといけない。
「デク、クソが、クソナードが!」
罵倒しながら勝己は出久の手の甲を包んだ。


 ひと月の間に勝己との間にあった出来事を全て思い出した。
 言わなきゃいけない。だけど言い出せない。こんな嘘をつくなんて。勝己はどういうつもりなんだ。気が散って勉強が手につかない。
 静かな勝己の部屋の中で、時計だけがチッチッと音を立てている。正面に立膝を付いて座った勝己は鋭い眼差しでじっと出久を睨みつけている。
「てめえ、随分授業についてきてるみてえじゃねえか」
「う、うん、かっちゃんのお陰だよ」
「まだ追いつくとこまでいってねえはずだけどな」
「それは、予習したから」
 嘘をついた。勝己は怪しんでいるのだろうか。ぴんと部屋の中の空気が張り詰めたように感じる。
「一休みすっか」
 勝己は足を崩して立ち上がった。出久はふうっと息を吐く。勝己はテレビの下をごそごそ探る。なんだろう。見守っていると、勝己は一枚のDVDを取り出した。
「これでも見るか。名作ってやつだ。たまにはいいだろ」
 勝己はくるっと返してパッケージの表紙を見せる。出久は目を疑った。それは「ローマの休日」のパッケージを被ったレア物。ウソだろ、なんで持ってんだ。かっちゃんまだ上鳴くんに返してなかったのか。
「そのDVDはダメだよ、かっちゃん」出久は慌てて首を振った。
「何故だ。デク」冷静な声音で勝己が問う。
「なんでって、その、映画だよ。一本見ると2時間くらいかかっちゃうよ」
「全部見やしねえよ。それとも、他になんか理由でもあんのか」
「それはその」
「じゃあいいよな」
 勝己はディスクをケースから取り出すと、再生機器に入れようとする。
「ダメダメ、ダメだよ!」
 出久は勝己を止めようと、必死で腕を伸ばし腰に抱きついた。
「離せよ、デク、なんで止める?おかしいよなあ」
「ダメなんだ、それだけは、かっちゃん」
 DVDを奪おうとしても勝己の方が腕が長いので届かない。揉み合いになり、やっとディスクに手が届いた。だがどうやら嵌められたらしい。
「え?」
 出久の視界が反転した。勝己がベッドに出久を投げ出して押し倒したのだ。
「てめえ、思い出したんだろ! この中身知ってなきゃ止めたりしねえよな!」
「かっちゃん」
 やはり彼は勘付いていたのだ。
「また騙しやがって!いつからだ。いつから記憶が戻ってたんだ。言えよ」
「嘘をついてたのは君だろ!」
 一方的に責められるのは違うんじゃないか。理不尽な勝己の物言いに憤慨して出久は反論する。
「んだと、てめえ!」
「いつからって、今日だよ。授業中に思い出したんだ。でも君が嘘をついたから、どう言っていいのかわからなくなったんじゃないか」出久は息を吸い込んで続ける。「かっちゃん。僕らは付き合ってなかった。君はどうしてこんな嘘をついたんだ」
 出久の両腕は掴まれシーツに押さえつけられている。勝己の指が食い込んで腕が折られそうだ。ディスクは指から離れたがベッドの上にある。下に落とさなくてよかった。眉根を寄せ、低い声で勝己は答える。
「記憶を取り戻しても、てめえが白を知るんじゃねえかと思ったからだ。げんにてめえは黙ってたじゃねえか」勝己は憤りながら続ける。「いつもいつも逃げやがってよお。デク!てめえは俺を苛つかせてばっかりだぜ」
「逃げるってなんだよ。僕らの関係は名前なんてなくて。練習みたいなことしてただけだろ」
「ああ、だがデク、今はそう言えんのか?」
「どういう、意味?」
 勝己はニヤリと笑うと、言い聞かせるように言う。
「はっは!てめえが自分でクラスの奴らに言いふらしてやがるから、面白くてしょうがなかったぜ」
 勝己の言葉の意味が、じわりと理解できてくる。その通りだ。もう皆かっちゃんと僕の関係を知ってる。いまや付き合ってるのは、みんなの中では規定事項になってしまった。僕が自分で言ってしまったからだ。
「なんで、かっちゃん。取り返しがつかないよ。みんな僕らは付き合ってると思ってるよ」
「もう遅えし。事実付き合ってんじゃねえか。やっちまったしよ」
「違った、のに。セックスだって、あの時が初めてだったんじゃないか」
「はっ!てめえが返事を延ばしたりするからだ。答える前に記憶失くしたりしやがって。初めは嘘ついてんのかと思ったぜ。丁度やってた間だけ記憶をなくすなんてよお、都合がよすぎんだろ」
「でも、思い出してからでも遅くはなかっただろ」
「いつ戻るかわかんねえのに待てるかよ」
 そう言いかけて勝己は目を眇める。「いや、初めは待つつもりだったわ。轟の野郎が余計なことを言わなけりゃあな」
「轟くん、が?」
 僕がいるのは今だ、と言った彼の言葉。あれがかっちゃんを怒らせたのか。
「あー、ムカつくぜ。でもな、待ったとしてもよ。もうあんな偶然はきっと起こりっこねえ。ひと月前のあの日何があったのか、てめえに教えてやる」

5

 いくつもの偶然が重なったのだ。
 上鳴から取り上げたDVD、轟との会話で感じた焦り、傷跡が残る出久の腕。部屋に来た出久。逃げなかった出久。
 あの夜の轟との会話の後、部屋に戻った勝己は苛ついていた。あいつ、出久を見下してやがったくせに、体育祭で戦ってからころっと手の平返しやがって。俺はどうしたいのだろう、だと?わかりきってんだろ。何も見てなかった奴が、初めて興味を持ったのが出久なんだろ。試合を捨てて、てめえを救おうと感情をぶつけてくる相手に、心動かされねえわけがねえ。あいつは素直に出久に近づいていくんだろうよ。
「クソが。一匹狼を気取ってる奴が一番質わりいんだよ」
 出久に全力でかかって来いなんて言われてよ。かかってこいなんてあいつ、俺には言ったことなんかねえ。いっつも俺が逃げんなって言ってばかりだ。グラウンドベータの時だって俺が言ったから応えただけなんだ。
 あの時、俺が言うまで、出久は俺の悲鳴に気づいてなかった。いつもムカつくくらい敏感に察知しやがったくせに。最初の戦闘訓練の後だって気づいて追ってきたくせに。こんなことは今まで一度もなかった。半分野郎の悲鳴に気づいたくらいだ。あいつが変わったわけじゃねえ。側にいねえからだ。そんだけのことだ。くそっ、どうでもいいことなのに癪に障ってしょうがねえ。
 グラウンドベータでの対決で、出久は俺を見下してねえ。俺がそう思い込んでいただけだと疑いは解消したのに。積み重ねた時間で拗れた関係はもう元には戻せやしない。でも轟はこれから関係を作ることができる。あいつは素直に気持ちを出久に寄せていくだろう。俺には絶対にできない。
 出久は今まで人に相手にされたことがなくて免疫がないから、素直な好意に弱い。誰にでもすぐ心を許しちまう。だから苛つくのだ。デクと俺の間には幼馴染ってことしかねえ。今までもこれからもそれしかねえんだ。
 ふと気づく。「デクの野郎、いつかオールマイトの秘密まで半分野郎に喋っちまうんじゃねえか」
 俺にぺろっと明かしちまうくらいだ。轟に直球で聞かれてごまかせるのかよ。釘を指しとかねえといけねえ。
 勝己はすぐさま階下に降りて、共有スペースにいた出久を部屋に連れてきた。部屋に足を踏み入れた出久は呑気に窓の外を見て「かっちゃんの部屋見晴らしいいね」とか抜かしてやがる。
「学校の敷地内にあるもんしか見えねえよ」
「ほんとだ、校舎が見えるね。まだ電気がついてる。先生達まだ残ってるのかな」
 なに浮ついてやがるんだ。ふと視線がTシャツから伸びた出久の腕に落ちる。引き攣った傷跡がいくつも走る上腕。目が離せない。轟との戦いで付けた、いつになっても消えない傷跡。見るたびに体育祭での轟と出久の死闘を、昨日のことのように思い出す。苛立ってしょうがない。さっさと本題に入ろう。
オールマイトとてめえの秘密のこと、半分野郎が疑ってるぜ。てめえなんかやらかしたのかよ」
「轟くんが?特に何もしてないよ。ああ、でも彼には以前僕にオールマイトの隠し子かって聞かれたことがあったよ」
「野郎、アホか。何言ってんだ。あいつに聞かれても喋ったりすんなよ」
「言わないよ。当たり前だろ」
「どうだろうな。てめえおしゃべりだからよ」
「言わないよ!」
「てめえ、俺には喋ったじゃねえか」
「あの時は、そんなに大事な秘密とは思ってなくて。それに、君は、君にだけは隠したくなかったから」
「俺だから、か?」
「うん、そうだよ」
 出久は俺にしか言わないと言うのだ。少しだけ気分が浮上する。
「じゃ、そんだけだ。行けよ」
「そ、そう。おやすみ、かっちゃ」
 出久の言葉が途切れた。なんだ?出久はもじもじとしながらテーブルの上を見てる。視線の先には。まずい。あいつら出久も誘ったって言ってなかったか。よりによってこいつに見られちまうなんて。
「てめえ、何見てんだよ」
「え、あの」と出久は狼狽える。
 てめえの態度が知ってるって言ってんだよ、クソが。このまま行かせられるかよ。その時考えたのは、このままデクを巻き込むしかないということと、親睦を深める方法だという上鳴らの言葉。ムカつく轟へのアドバンテージ。頭に血がのぼり先のことなど考えられなかった。
 それでも出久は逃げようと思えば、逃げられたはずだ。だが出久は逃げなかった。キスしても身体に触れても。2回目3回目と続けばもう習慣になるってもんだ。
 夜になると勝己の部屋でキスをする日々が続いた。度重なれば上手くなるし気持ちよくなる。出久のマシュマロみたいな柔らかい唇を啄んで、口内を舐めて味わう。いつも生意気な出久が従順に勝己に応える。キスが麻薬みたいに習慣性があるのだと初めて知った。唇をくっつけるだけの行為であるというのに。学校にいる時もつい出久の唇を見てしまう。
 けれども次第に引っかかるものを感じるようになった。誘うのはいつも勝己ばかりだったからだ。キスで感じてるくせに、勝己に応えるくせに、出久から誘ってくることは1度もない。次第に不満が膨らんできた。お互い様なんだから、あいつからもくるべきじゃねえのか。俺ばっかりが求めてるみてえじゃねえか。
 試しにある夜は呼びに行かなかった。毎日誘っていた自分が来なかったなら、出久はどうするのかと知りたくて衝動を堪えた。だがその夜出久は来なかった。翌朝、朝食の時に顔を合わせたが、出久はいけしゃあしゃあと「おはよう」と言い、素知らぬふりをしやがった。まるでこれまでも何事もなかったかのように。
 腹が立ってその夜は夕飯をすませると、出久を部屋に引きずってきた。ベッドに座ってキスをして一旦唇を離すと、目を閉じたままの出久の首筋に唇を押し当てた。
「か、かっちゃん」と動揺する出久に構わずにちゅっと吸い、首筋を辿ってそのすぐ下にもキスをする。
 キスだけじゃなく直に肌をまさぐってやる。そう決めた。てめえに考えるさせる前にやっちまうのがいい。2回目に部屋に呼んだ時にてめえが何か言う前に、すぐ行動に移したように。
 鎖骨を甘噛みしてキスをする。窪みに舌を入れて舐める。
「噛み付かないでよ、かっちゃん」
と、出久は吐息まじりの声で抗議する。だが抵抗はしない。諦めたみてえだな。
「てめえ次第だな。唇にすんのも首にすんのもキスにかわりねえだろ」
 Tシャツから出ている首周りに余さず唇を這わせる。首まわりだけじゃ全然足りない。
 赤面した出久はふるふると首を振る。今日のところはここまでで勘弁してやる。今日のところは、だけどな。
 出久の手首を掴んで眺める。歪んだ手に残る白い傷跡。轟との戦いの残滓。キスをして唇を這わせ、齧りとってやりたいのを我慢して甘噛みする。
 その日から勝己は、出久の肌にも触れるようになった。結局一度触れてしまうと、キスだけでは物足りなくなったのだ。
 勝己に嬲られて乱れる出久が、促されるままに勝己のものに触れる様が堪らない。こいつの中で擽ったさが快感に変わってきているのだ。白い雪に足跡をつけるように、快楽を自分が教え込んでいるのだ。腹の底に湧き上がる悦び。自分の中にそんな感覚があるなんてな。苛立ちの中に潜んでいた征服欲や支配欲や独占欲が、発露する対象を得たのだ。
 だが身体の快楽を教えていけば変わるかと思ってたのに、出久はやっぱり自分からは誘って来ない。俺ばっかりが溺れていくみてえで不愉快極まりねえ。てめえは俺が飽きるのを待ってやがるんだ。てめえの考えそうなこたあわかってんだよ。いつでも前までの何もしてねえ関係に戻れると踏んでるんだろ。思い通りにしてたまるかよ。
 そう勘繰ってむかついて意地になっていたかも知れない。俺は出久が溺れるのを待ってたんだ。どこまでやればてめえが俺と同じところまで落ちんだってな。キスをして体に触れて、てめえを俺の色に染め上げても。それでも、俺だけが繋いでんじゃ意味がねえんだ。

「戦闘試験の前日、やっぱり最後までするしかねえか。どうせそのうちやるつもりだったしな。そう思って行動に移そうとしたんだ。てめえは拒みやがったがな。仕方ねえから勢いで付き合うと言ったとき、すとんと胸に落ちた。はじめからそうすれば良かったんだと気付いたんだ。そうすりゃてめえの全部が俺のもんだ。どっちが呼びに行くとか関係無え。てめえの時間も都合も全部構うこたあねえ。てめえを自由にすんのはオレの権利になるんだ。絶対無理だと思っていたものが、思いがけずやっと手に入りそうだったんだ。なのにてめえは、わけのわからん理由で、考えさせてなんてぬかしやがった。てめえには待つと言ったが、断るなんて選択肢は初めからねえんだ。もう決まってんだ。なのに記憶喪失だと?てめえは突然なかったことにしやがった。自分だけ忘れて楽になりやがって。俺だけを置いてきぼりにしやがってよ。ふざけやがって!」
「そんな、かっちゃん、理不尽だよ」
 あまりに酷いんじゃないだろうか。待つと言ってたくせに選択肢はやはりなかった。僕の意思なんて全然尊重されない。今後も自由意志は剥奪されてしまうらしい。こんな条件を突きつけられてどう答えると思ってるんだ。
「どうすんだ。デク!さんざん待たせやがったんだ。答えろよ」
 なのに何故だろう。あんまりだと思うのに、怒りたいのに、だんだん憤りが失せていくのは。君の手が震えているからなんだろうか。君のしたことは間違ってる。怒るべきなのに。肯定的できることではないのに。
「何で聞くんだよ。もう決まってるんだろ」
 何故か負け惜しみのようになってしまった口調を自覚しながらも、勝己の顔を見上げる。
「言ったろうがよ。俺だけが繋いでんじゃ意味ねえんだ。デク、答えろよ」


 6時間目のチャイムが鳴り、戦闘試験の号令がかかった。
 採掘場を模した試験エリアに爆破音が響き、地面が揺れて地響きが起こる。仕掛けられた爆弾が次々と炸裂し、生徒達は散り散りになった。
 課題は爆弾処理。爆発を避けて隠された爆弾を見つけて処理しなくてはならない。時間内にいくつ片付けられるかが評価になる。
「ぶっ壊しちまえばいいんだろ。どけえ!
 岩山を爆破しながらいち早く勝己が走ってゆく。
「あいつ、荒れてんなあ」「やんのは爆弾処理だろ。爆発させちゃったらダメだろ」と、生徒達は後に続きつつ呆れている。
「機能停止するならば、爆砕でも構わないぞ」
 彼らの会話を聞いていたオールマイトが答える。
「てことはあいつがどんどん減らしてんじゃねえか」「やべえ、急がなきゃ」「あいつの通った後にはもうねえぞ」生徒達は慌ててバラバラに試験エリアに散り、爆弾を探索し始めた。
 だが出久は上の空だった。
 学校が終わったら、かっちゃんに返事しないといけないんだ。彼の答えはもう出ている。きっと僕が逆らうことは許さないだろう。与えられたのは選択肢じゃなくて猶予でしかないんだ。
 いや、と出久は首を振る。かっちゃんに判断を押し付けるのは卑怯だ。僕は僕で決めなきゃいけない。僕はどうすればいいのか。どうすれば。
 どうするのが正しいのかは多分わかってる。もうやめるべきなんだ。気持ちを置き去りにして考えなしに彼と触れ合った。一時的な彼の気まぐれと思っていたし、多分ちょっと好奇心もあった。いいことじゃない。仮に付き合ったとして、諍いばかりの僕らが上手くいくとは思えない。喧嘩して周りに一層迷惑をかけそうだし、別れたりしたら、卒業まで今以上に気まずいままになる。
 じゃあ、やめられるのか。彼との逢瀬を。出久はふるりと震える。僕は覚えてしまった。彼の温もりを。唇を重ねて彼の手が肌を滑り身体に触れ、彼の熱に触れて、体温を分け合いながら戯れる。今更忘れられない。
 かっちゃんは答えを提示したんだ。この先に進むと。名前のなかった僕らの関係に名前がつき、意味のなかった行為が意味を持つようになる。ただの戯れだったのが性行為になるということなんだ。触れ合うだけじゃなく本番もあるかも知れない。というか、勝己のことだ。やりかけたし、ほぼ確実にあるだろう。
 僕はどうしたい。どうすればいい。出久は振り向いた。岩山の向こうに眩い閃光。聞き慣れた爆破の音。爆弾の火薬じゃなくニトロの焦げる臭い。引き続き起こる破裂音に勝己の咆哮。
 岩山の影になって見えないけれど、かっちゃんはあの方向にいる。
 始まりに理由がなくても終わるのは理由が要るんだ。たとえ始まりが正しくなかったとしても。
 僕にも終らせる理由なんてないよ。かっちゃん。
「危ねえ!緑谷!」
 誰かの声が聞こえた。


「おいデク、遅えよ。いつまで待たせんだ。さっさと来い」
 出久が共有スペースに入るなり、待っていたとばかりに勝己はソファから立ち上がって名を呼ぶ。先に寮に戻っていた勝己はもう私服に着替えている。
「おーい、チャンネル変えていいか。いいよな、もういくんだろ。テレビ見ねえよな」
 上鳴は勝己に呼びかける。勝己は舌打ちしてリモコンを放り投げて渡し、ずかずかと出久に近づいて腕を引っ張る。
「ちょっと待って、鞄、部屋に置いてこなくちゃ」
「そのまんま持って来い。俺の部屋で宿題すりゃいいだろーが」
 勝己はエレベーターに出久を引きずって入ると4階のボタンを押す。
「服、脱ぎたいし」
「それも部屋でいいだろうが」
「ちょ、それは困るよ」
 押し問答をしているうちにエレベーターは4階に到着してしまった。もういいや、着替えはかっちゃんに貸してもらおう。
 ひと月分の記憶は全て戻ってきた。欠けたところはなくなった。クラスのみんなや先生達はにも報告したら、よかったねと喜んでくれた。やっと勝己がDVDを返してくれたのだと上鳴君からは礼を言われた。
 あれからまだ勝己との勉強会は続いている。
 今後も続いていくのだろう。

END